a hopeさま、私は総裁の本を良く読んでいなかったときは同じように思っていましたが、宇治の練成や大祭奉仕で変わりました、何とこのユタカが総裁の本まで買ってしまったのです。
で、話は元に戻らせていただくと、a hopeさまは、実相を拝むことが生長の家のすべてのことで、環境のことも環境を侵していない実相を拝むことこそが生長の家の教えで、総裁はそれをしていないというように読めるのですが?そうでしょうか?
A 午前中の話の中でも少し触れましたが、この質問は、「実相」と「現象」を混同しているように思いますね。この二つを区別することは易しいようでいて、なかなか難しいのでります。裁判員制度とか、警察力、その他の法律で定められた社会のさまざまな仕組みというのは、これは現象界における我々の”心の作品”です。
我々が議会で法律や条例としていろんな制度を提案し、それを可決して制度が運用されるようになる。裁判員制度も同じでありまして、従ってこれは「現象処理」の問題である。