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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

550うのはな:2012/06/26(火) 19:42:28 ID:gTn97m6I


135 :神の子さん:2012/06/20(水) 20:03:58 ID:???
面食い訊けさまw プレゼントの感想をありがとうございますwww

うのちゃんにも観てもらってアレルギーを緩和したかったのですが・・・
効き目は・・・逆効果だったようでとても残念なおれです。


今日も極悪非道な男の攪乱試合ふりかけに無視できなかったので、またここでも
訊けブログでも私は非難されることでしょう。
いろいろ御迷惑かけて申し訳ない気持ちもありますが、今後こういったことはしないでください。
前にもここでは過去の話はいいんじゃないかなとか横槍いれてくるし、
なにか私に怨みでもあるんですか?

551神の子さん:2012/06/26(火) 19:50:51 ID:???
うのちゃんゴメンネ。おれでした。

僕は良いものはいい、おかしなことはオカシイとハッキリ発言する性格です。
個人を判断するときも、良いものは素直に認めるし、間違っていると思うときはそれは違うと言います。

だから・・・教団を追われましたが・・・ご迷惑だったら許してください。

ノイローゼはよろしくアリマセン。
訊けさんの監視はおれに任せwwwしばらくのんびりお休みください。

たかが匿名掲示板です。こんな適当な掲示板「お気に入り」などには入れないで散歩でも楽しんでください。

552うのはな:2012/06/26(火) 20:25:48 ID:gTn97m6I
訊け氏のように本流のことを背教掲示板だと宣伝したり、意図的ではないにしろ
愛国本流や本流復活に迷惑をかけ、わびることもなく大調和の神示だ、徳久先生の信用がどうたらこうたらと
女信者にえらそうにいっては顰蹙を買い、自分が練成も行もやったことがない
人の投稿横取りしては浄心行だ浄心行だと追い掛け回し、人の胃に穴をあけるぐらい
理屈をこねる人にでも、いわゆる奇跡体験が起きるということは、雅宣教団でも
奇跡は可能だ、いわゆる今の教団体質を評価しているようにも見受けられます。

553うのはな:2012/06/26(火) 20:31:49 ID:gTn97m6I
 教団には追われるし、女からも追われるし、犬には噛まれるし、
いろいろと大変なところを意見してお邪魔しました。

554神の子さん:2012/06/26(火) 21:48:52 ID:???
>>人の胃に穴をあけるぐらい
理屈をこねる人にでも、いわゆる奇跡体験が起きるということは、雅宣教団でも
奇跡は可能だ、いわゆる今の教団体質を評価しているようにも見受けられます。

うのちゃん、ちょっと違うと思うよ。奇跡を起こしたのは・・・

現教団ではなくて「雅春先生のお写真」と「それを大切にした心」でしょ。

だから素晴らしいと評価したつもりだったのにーー残念だなあー

555うのはな:2012/06/26(火) 22:23:32 ID:gTn97m6I
 雅春先生の命日が、彼女は雅春先生がどう思うか知った事かという人ですから
雅春先生の名や書物を人を攻撃、おとしめる手段として活用している男でも
擁護するから、神様や雅春先生は偉大なんでしょうね。

 普通の女信者はそこまで立派な人にならなくて結構ですよ!!!

556うのはな:2012/06/26(火) 22:25:16 ID:gTn97m6I
 ついに蓬莱555を踏みました!
 あんた何しにきてるのってかんじですね。。

557「訊け」管理人:2012/06/27(水) 15:02:04 ID:???

こんにちは。オトナなのに最近、「痛くて泣いた」ことがある「訊け」管理人です。(空手で蹴りをくらい・・・)人生、山あり谷ありなんですが・・・(中略)・・・今日は谷を無視してあえて、「山」の方のお話しなど。

 ・・・・いや午前中、白鳩姉さんの家に遊びに行っておりました。そしてそこで、〝ガーン〟という規模の普及誌、頂戴して参りましたよ。総数は概算で100弱くらい?まあ、そんな規模です。現在、感激中です。
 家についてそれから、さっそく姉さんから「どうぞ御覧になって」と言われましたんでもう、軽量後のボクサーがカツ丼かっこむ感じで「そ れ で は ! 遠 慮 な く !」てな勢い、これで拝読したわけですよ。そしたらもう、読みながらこのイケメン男、「おお・・・」「おおお?おっ!?」とか、声が出ちゃったわけなのですよ。・・・・これを見た白鳩姉さん、なにを思われたか「これも差し上げましょう」と云われて・・・・さらに奥から、出て来るわ出て来るわ欲しかった本・・・『大和の國日本』『放送人生読本(旧版)』を頂戴することになりまして、ご満悦の私です。ところであれ?姉さん、『日本を築くもの』もあるじゃないですか。これも頂けるの!?ホントですか!?嬉しいなあ・・・ということで同書、探していたんです。ですんで「これまで頂けるとは・・・・・感激です」と御礼を言おうとしたところ、この「感激です」の「かん」くらいのタイミングで姉さん、「その本はお貸しします」と・・・(中略)・・・貰えないか、やはりあれは・・・(『日本を築くもの』)

 で、普及誌の話です。

 ・・・いやこれ結論から言うとですね、昔の神誌はスゴイですわ(笑)いやホント、こんな本が毎月毎月届いていたわけですか、生長の家。しかも五種類くらいあったわけでしょう?本当に雅春先生の執筆活動は「神業」ですね。・・・・さてその神誌。いずれも非常に面白いのですが特に、『理想世界』(S50年代)なんてものスゴク、面白いですね。そしてその「ジュニア版」もこれ、かなりハイレベルですね。オトナが読んでも楽しめるじゃないですか。『生長の家』『白鳩』も充実の内容ですし、いやこれトキさんが、嘆く気持ちも分かるってもんですよ。「今の普及誌、コンチクショー!!!!」と、吠えるトキさんですがその気持ち、よく理解できました。(まあ「コンチクショー!!!!」とは吠えて、おられませんが)昔の神誌は本当に、スゴイですわ。
 
 ・・・これからはもう、夜遊びも控えます。さらには夜遊びを「仕事だ」と言いくるめることも、控えます。さらに追加で夜遊び行くのに「野球(ナイター)」と言うのも、控えます。これからは只ひたすらに神誌拝読、これにイソシモウかと思っております。いやホント、楽しみだわ、これ(笑)気に入ったものはガンガン、ブログにアップして行きます。どうぞ、ヨロシク。





558「訊け」管理人:2012/06/27(水) 15:07:11 ID:???

<訂正>

(×)軽量後のボクサーがカツ丼かっこむ感じで
(○)計量後のボクサーが







 ・・・以下余談。

 「ガッツ(石松)さん、ボクシングで最も大切なことは何ですか?」


 

 「・・・・試合会場を間違えないことかな」


(なお、実話)

559金木犀:2012/06/27(水) 16:50:43 ID:qMq2iFMk
訊け管理人様

大変羨ましいです。どうか、聖典版で、おすそわけをおねがいします。
イケメンは得ですね。もちろん心のイケメンもです。

560うのはな:2012/06/27(水) 22:11:08 ID:gTn97m6I
 信仰を築くには忍耐が必要です

 幼い子供は歩きはじめるとき、最初は自信がつくまで、よちよちと二、三歩ほど歩いてみます。
ひとたび自信がつくと、子供の足どりはしっかりし、安定して、しまいには転ばないで歩けるようになります。
そのうちに子供は走ったり、跳んだりすることを覚えますが、進むのは一度に一段階ずつです。信仰もこれと同じで、
時間をかけ、少しずつ築きあげていく以外にないのです。それは一瞬にして実現できるものではありません。

 信仰も、試練に耐えていくうちにしだいに成長し、やがてあなたは足を大きく踏み出して、信仰によってのみ生きられるように
なるのです。あなたの心のよりどころはわたしに基礎を置き、わたしに根をおろすからです。
あなたも知っているように、わたしとともにあればどんなことでも可能ですが、あなた一人の力では何もできません。
すべてはわたしがあなたを通して実現させているからです。

 あなたに与えられる助力や、力や、インスピレーションの源をつねに意識し、感謝をささげることを忘れてはいけません。
どんなことも、あるのが当たりまえとは思わないで、そこにはつねに、わたしの手が働いていることを悟りなさい。

 『心の扉を開く』聖なる日々の言葉 アイリーン・キャディ 著

561金木犀:2012/06/27(水) 22:30:24 ID:qMq2iFMk
うのはな様

この 『心の扉を開く』聖なる日々の言葉 アイリーン・キャディ 著 からの引用は、
まるで『神真理を告げ給う』のようですね。
本当に、信仰を高めることは、日々の練習、訓練ですね。
いろいろと素晴らしい書物の紹介いつもありがとうございます。

562うのはな:2012/06/28(木) 18:19:07 ID:gTn97m6I
 『心の扉を開く』聖なる日々の言葉 日本教文社 刊  6.28

  愛を解き放ちなさい

 戸棚が一杯であふれんばかりのときに扉を開ければ、中にある物がくずれてきてしまい、
それを止めることはできません。水門が開かれれば、水が強大な力で流れ出し、すべてを流してしまいます。
あなたの内面にある霊の力も同じです。いったんその存在を認め、解き放ってしまうと、その流れを止めることは
できないのです。あふれ出すその力は、否定的なものや、調和のないものをすべて押しのけ、平和と愛、調和と理解を
もたらします。

 世界にあるさまざまな問題を克服するのは愛です。人類を一体にするのは愛なのです。
だから、内面にある愛を早く解き放ち、流れるままに任せることができれば、平和で調和のとれた世界、すべての人間が
心を開いた世界の実現を、それだけ早く目にすることができるのです。心に愛があれば、相手が誰であっても、その人の
いちばん良い面を引き出すことができます。

 愛は最高の面しか見ないので、それだけを引き出してくるからです。こわがることはありません。
心を開き、押さえることをせず、すべてが流れ出てくるままに任せなさい。

563金木犀:2012/07/04(水) 11:02:28 ID:TO5riW2s
うのはな様

ちょっと前に、佐藤通次博士と田中忠雄先生の対談を転載しておられましたよね。
あれを見て、佐藤通次博士の『生長の家』誌に連載されている「言の林」にあった
時間と空間について書かれた哲理を思い出しました。佐藤博士らしい非常に見事に
言い表された哲理だと言う気がします。我の自覚についてもなるほどという気がします。
なかなか興味深かったので、転載してみますね。

564金木犀:2012/07/04(水) 11:08:10 ID:TO5riW2s
時間と空間  佐藤通次博士

「時」に因んで、久しぶりに哲理を一つ説かせていただこう。キリスト教の神学の祖と言われる教父アウグストゥスに、時間についての有名な論があるが、さて、時間とは何であるかを改めて自らに問うとき、人は何と答えてよいか途方に暮れる、と言っている。時間は、ここに人が立っているとか、これは一箇の石であるとかの存在ではなく、これをいわゆる“物”として捉えることができない。しかし心の直接態では判っているような気がするのである。それでドイツの哲学者カントは、時間と空間とは直観の形式であり、人が物を表象するとき、その物の枠として心が措定せざるを得ぬものであると説いた。

そこでわたくしは、いつか本欄で述べた自覚文章の論理を用いて、カントの説を判りやすく解説してみる。

[A] I See Myself(Thee,This)
[B]    ⎿ That i see this
[C] ⎿ that it is [so]

上の式のうち文章Aは、自覚の境地を表し、見る我と見られる我とが、仮に相対の相(すがた)を示すが、じつは対立を絶して“絶対”するところの、超越の境位である。我と汝との“和”がこのような境地を表すならば、i see thee はそのままI See Thee=I See Myselfとなり、自覚をそういう個性で顕すこととなる。また、例えば馬術で「鞍上人なく鞍下馬なし」というごとき人馬一体の妙境を現ずるとき、i see thisがそのままI See This = I  See Myselfの自覚となるであろう。

文章Bは個々人としての吾々の現実を表す。現実の個々人は対象(物)なり対者(他の人)なりに対する相対界に生きるが、文章Aの我は、超越の位に立つ。その我は、眼にはそれと見えぬが、吾々の誰にも厳として内在し、その我がじつは本然の我(我の本体)なのである。

文章B(現実の相対境)は文章Aに従属する一段低次元の世界である。BをAにつなぐものは、AのThisが間接化したるThatであるが、わたくしはこのThatこそが、“時”であると考える。Bの現実は、すべてこのThatの下に展開する故、わたくしは時を定義して、 「事の無数を容れる場所である」とする。

そして、文章Bの対象thisが間接化して、文章Cを導入する接続詞となったthatの本質を“空間”と考える。空間は、これを「物の無数を容れる場所である」と定義することができよう。それの次に位置するitは、文章Bの体格thisが仮に判断文の主格としてたてられるものである。

時は、上の式に明らかなように、個々人の背後に立ち、個々人の活動を容れる場所である故、個々人の眼の注がれる方向にないから、アウグスティヌスの歎じたように、時間とは何か?と問うとき、人は返答に窮するのである。しかし時は、根源の我のハタラキなるI See の対象たる地位にある故、時間とは何か?と問わぬ限りは、判っているような気がするのである。またそれは事の無数を容れる場所であると共に、カントが考えたように、事を直観する上の形式として機能している(直観というのはI See……thisの直接態を云う)。

吾々は時を分別することはできぬが、空間概念は判然と心に捉えることができる。それは、右の式に明らかなように、文章Cのthat(空間)は、Bの現実の個々人の眼の注がれる方向に立っているからである。よって人は、掴むことのできぬ“時”をば、掴むことのできる空間概念を媒介として、これを“時間”に変化せしめて
表象するのである。例えば「長い時間」「短い時間」束の間(一掴みほどの時)など。

哲学的には“時”そのものと“時間”とは質的に異なることを理解していただきたい。フランスの哲学者ベルクソンも、超越概念を表象するには必ず空間概念を媒介としなくてはならぬとと述べている。例えば神は、恐らく“幽身”であろう。カミは隠れて見えぬ超越者であるが、隠れるというのは空間概念である。神の座と考えられる欧語heaven(英語)、Himmal(ドイツ語)は、“蔽い・隠された処・見えざる境”の義でやはり空間概念を用いて言い表されている。

565金木犀:2012/07/04(水) 11:12:18 ID:TO5riW2s
訂正です。

[A] I See Myself(Thee,This)
[B]    ⎿ That i see this
[C]           ⎿ that it is [so]

⎿ というのは、前の英文章のseeの後をうけた矢印と考えてください。

566金木犀:2012/07/04(水) 11:18:34 ID:TO5riW2s
あ、それから、文章AのTheeという語は、古語の"汝"という意味です。

567うのはな:2012/07/04(水) 15:35:28 ID:gTn97m6I
 金木犀さま

 ありがとうございます。佐藤通次博士の哲理シリーズは難解ですね。
 英語にも古語のような表現があるのだなあと感心しました。
 日本翻訳であるアメリカ人が聖書にでている古い言葉みたいで変だ、と
 会話しているものがあって、どういうものなのかなあと思ったことがありましたが、
 丁寧に書写していただき、ありがとうございました。
 今朝の産経新聞の一面に、古事記の特集がしているのでこれからそっちの方を読みます。

 神武天皇のお話や、こんな動画も見つけました。

 ヤマトタケル(古事記現代語訳)http://youtu.be/9ApO49eCQRk

568金木犀:2012/07/04(水) 18:29:55 ID:TO5riW2s
うのはな様

佐藤博士はほんとに素晴らしい学者ですね。たしかに難解なところもありますが、
非常に的確な理論を持っておられる気がします。本流掲示板の青年板に
[『愛國心について』を讀む  谷口雅春先生]という文章が童子さまによって
載せられていますが、その中で雅春先生が佐藤通次博士の論を引用されておられて、
それが非常に素晴らしくて、感銘を受けました。

569うのはな:2012/07/05(木) 00:57:19 ID:gTn97m6I
  金木犀さま

 わたしも本流青年掲示板に「ハニー」のハンドルで出ています(笑)

 http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=seinen&mode=res&log=6

570金木犀:2012/07/05(木) 09:42:15 ID:TO5riW2s
うのはな様

ほんとだ! どこにあるのかなと思いましたら、引用されていたのですね。
素晴らしい引用ですね。何処に何が書いてあったか、
あるいは雅春先生はどうおっしゃっていたか引用できるくらいに、
生命の実相をしっかりと読み込みたいですね。


ところで余談ですが、theeが古語という話をしましたが、念のためですが、これは目的格です。
主格の場合は、thouです。thouは、きっと授業にもちらっと出たことがあるのではと思います。

571うのはな:2012/07/09(月) 19:13:31 ID:gTn97m6I
『心の扉を開ける』 聖なる日々の言葉  アイリーン・キャディ著

7・10 ものごとに肯定的に反応しなさい

 今日という日、そしてこの一日あなたを待ち構えているすべてに対し、正しい態度、
肯定的な態度を持つことが、どれほど大切なことでしょう!この日にどう接していくかによって、
自分にとってすばらしい日にするか、台無しにするかが決まるのです。
ものごとが起きていくなかでのあなたの反応が、この違いをつくり出します。
否定的な攻撃的な反応をすれば、それはただちに壁を作ってしまい、対立する力をつくり出すでしょう。

 人の欠点を見つけ、人のせいにしてしまいます。盲目であるために、自分が間違っていることがわからず、けんか腰
で生きていくことになるのです。肯定的で建設的な反応をすれば、すべての障害は崩れ去り、あらゆる方面から助けの手が
差し伸べられることでしょう。もし誤りをしたならば、非を認め、謝ったあと、前に進んでいきなさい。
そうすれば、自分を正当化し、自分が正しいことを証明するのに貴重な時間をむだにすることもありません。

 学ぶべきことはたくさんあります。速やかにそれを学び、同じ間違いをけっして繰り返すことのないようにするのです。

572うのはな:2012/07/11(水) 23:48:48 ID:gTn97m6I
『心の扉を開ける』 聖なる日々の言葉

 7・11 すべては最良の方向に進んでいます

 生きるということは、あなたにとって何を意味しているでしょうか?
人生を100パーセント楽しんでいますか?最高のものしか起こり得ないと思っていますか?
生命は無限であり、始まりも終わりもないということを受けいれていますか?
この事実を知ってあなたはわくわくし、高揚するでしょうか?
それとも、恐ろしくなり、気分が沈んでしまいますか?

 生きることに対する見方が、今いちばん大切です。なぜなら、今はたくさんの驚くべきことが
花開いていて、まわりに起きているすべてとともに流れに乗り、逆らおうとしないようにしなければならないからです。
いま、時代はすべてが花開く時で、争いや闘いの時ではありません。
だからこそ、心を静め、真に完璧なかたちで驚くべきことが次々と起こるのをしっかりと見つめて、永遠の感謝の気持ちをささげるのです。
生きていることに感謝し、自分がいま起きていることの一部であることに感謝しなさい。
スピードの速い変化にも感謝し、その変化とともに自分も変わっていきなさい。
すべては、最良の方向に進んでいます。

 だからこわがらず、よろこびをもっていきなさい。自分が変化という大きなプロセスの一部であること、全体の一部であること、
そしてそこから生まれる新しいものの一部であることを感じとるのです。

573うのはな:2012/07/12(木) 16:59:39 ID:gTn97m6I
   『心の扉を開く』 聖なる日々の言葉

 7・12 美をみつけなさい

 どこでもあなたは美に囲まれています。目を開いてその美を目の当たりにし、それにいつも感謝しなさい。
美しいものが自分を変えていくのを任せ、最高の自分、いちばんすばらしい自分へと高めさせるのです。
美はあなたから最高のものを引き出し、あなたを最高のものに結びつけます。
内にある美は押さえ込んでおくことはできません。

 その美を輝かせなさい。頭と心を美しい思いで満たし、わたしの姿を映し出すのです。
わたしは美そのものなのです。あらゆるものに美を見つけなさい。充分に時間をかけ、深く見つめれば、
それは必ず見つかります。人生にある汚い、醜いものを超えるレベルまで自分を高めなさい。
超えることで、そういうものの質を変え、さらに美しいものへと変えていくのを助けることができるからです。
美は見る者の目の中にあります。

 つまりそれは、あなたの内面深くに存在するのです。今日というこの一日、あらゆる人、あらゆる物に美を見出す決意をして
一日をすごしてごらんなさい。そうすれば、必ずそれが見えます。
愛と美は、ともにあるものです。普遍的なわたしの愛を、あなたを通して自由に流れさせ、すべてはひとつであるという一体感を
もたらすようにするのです。

574金木犀:2012/07/13(金) 10:35:10 ID:SH0/nVO2
うのはな様

毎日、素晴らしい投稿をありがとうございます。うのはな様のお陰で
いろいろな書物を読むことができてありがたく思っています。たくさんの書物を
自分一人で読むのは大変だし、時には一冊を読み終えることができない場合もありますが、
こんな風にして一部でも読んで知ることが出来れば、その一部が心に残って心の肥やしに
なるように思います。
またよろしくおねがいします。

575金木犀:2012/07/13(金) 11:12:42 ID:SH0/nVO2
『お山の杉の子』という童謡をご存知でしょうか?

1.
昔々の その昔
椎(しい)の木林(ばやし)の すぐそばに
小さなお山が あったとさ あったとさ
丸々坊主の 禿山(はげやま)は
いつでもみんなの 笑いもの
「これこれ杉の子 起きなさい」
お日さま にこにこ 声かけた 声かけた

2.
一(ひい)二(ふう)三(みい)四(よう)
五(いい)六(むう)七(なあ)
八日(ようか)九日(ここのか)
十日(とおか)たち
にょっきり芽が出る 山の上 山の上
小さな杉の子顔出して
「はいはいお陽(ひ)さま 今日は」
これを眺(なが)めた椎の木は
あっははのあっははと 大笑い 大笑い

3.
「こんなチビ助 何になる」
びっくり仰天(ぎょうてん) 杉の子は
思わずお首を ひっこめた ひっこめた
ひっこめながらも 考えた
「何の負けるか いまにみろ」
大きくなって 皆のため
お役に立って みせまする みせまする

4.
ラジオ体操 ほがらかに
子供は元気に 伸びてゆく
昔々の 禿山は 禿山は
今では立派な 杉山だ
誰でも感心するような
強く 大きく 逞(たくま)しく
椎の木見下ろす 大杉だ 大杉だ

5.
大きな杉は 何になる
お舟の帆柱(ほばしら) 梯子段(はしごだん)
とんとん大工さん たてる家(うち) たてる家
本箱 お机 下駄 足駄(あしだ)
おいしいお弁当 食べる箸(はし)
鉛筆 筆入(ふでいれ) そのほかに
たのしや まだまだ 役に立つ 役に立つ

6.
さあさ 負けるな 杉の木に
すくすく伸びろよ みな伸びろ
スポーツ忘れず 頑張(がんば)って 頑張って
すべてに立派な 人となり
正しい生活 ひとすじに
明るい楽しい このお国
わが日本を 作りましょう 作りましょう

作詞は、徳島の小学校教員吉田テフ子でした。彼女の生家の裏山には
立派な杉山があったそうで、彼女はその杉山を見ながら、戦争孤児たちが
夢と希望を持って育ち、立派な国民となってくれるように祈る気持ちで作詞
しました。しかし、今知られているこの歌は、彼女の元歌に、サトウハチロウが手を加えた
ものであり、本来の意味合いや響きが失われています。

何故そうなったかといえば、この歌が世に出た昭和19年、発表と同時にこの軽快な
童謡は全国に広がりました。ところが、わずか9ヶ月で、昭和20年8月15日を境に
日本のすべてが180度転換してしまいました。
白が黒となり、善が悪となり、人々は価値観の逆転を強いられました。
進駐してきたGHQは、日本の社会のあらゆる部門を統制と検閲という
網の目で捉え、目と耳を塞ぎ、口を閉じさせたのみならず、
この『お山の杉の子』もまた戦時色濃い歌であり、
軍国主義を感じさせる、ということで発売禁止の憂き目を見ました。
それでも心ある人々は、何とか世に出そうとしての改定も試みられたようですが、
GHQの許しを得るまでには至らず、結果的に許されて今に至るのが
今われわれが良く耳にするサトウハチロウ補作の上記のものです。
サトウハチロウは、歌の中から終戦以前の色を消し去ることを
目指したようで、特に3番以降にサトウハチロウの手が入っています。
特に6番に至っては、補作というより書き換えという方が
相応しいほど殆どが消され、原文は始めの一行だけという淋しいものです。
(つづく)

576金木犀:2012/07/13(金) 11:13:21 ID:SH0/nVO2
お山の杉の子(元歌)
作詞:吉田テフ子(ちょうこ)作曲:佐々木すぐる
歌唱:安西愛子、加賀美一郎(他)

(一)
昔 昔の その昔
椎の木林の すぐそばに
小さなお山が あったとさ あったとさ
丸々坊主の はげやまは
いつでもみんなの 笑いもの
これこれ杉の子 おきなさい
お日さまニコニコ 声かけた 声かけた

(二)
一、二、三、四、五、六、七
八日 九日 十日たち
によっきり芽が出る 山の上 山の上
小さな杉の子 顔出して
はいはいお日さま 今日は
これを眺めた 椎の木は
あっははの あっははと大笑い 大笑い

(三)
こんなちび助 なんになる
びっくり仰天 杉の子は
思わずおくびを ひっこめた ひっこめた
ひっこめながらも かんがえた
なんの負けるか いまにみろ
大きくなって 国のため
お役に立って 見せまする 見せまする

(四)
 ラジオ体操 一二三(いちにっさん)
 子供は元気で 伸びていく
 昔々の はげ山は はげ山は
 今では立派な 杉山だ
 誉れの家の 子の様に
 強く大きく たくましい
 椎の木見おろす 大杉だ 大杉だ

(五)
 大きな杉は 何になる
 兵隊さんを 運ぶ船
 傷痍の勇士の 寝るお家 寝るお家
 本箱 お机 下駄 足駄(あしだ)
 おいしいおべんと 食べるはし
 鉛筆ふで入れ そのほかに
 たのしや まだまだ役に立つ 役に立つ

(六)
 さあさあ負けるな 杉の木に
 勇士の遺児なら なお強い
 体を鍛え 頑張って 頑張って
 今に立派な 兵隊さん
 忠義孝行 ひとすじに
 お日様出る国 神の国
 この日本を 守りましょう 守りましょう

この歌の戦前と戦後の違いから、昔はあって、今現在の日本にはないものが
見えてくるのではないでしょうか。GHQの検閲の手枷足枷は、いまもなお
我々日本人の心に残っているのではないでしょうか。

577うのはな:2012/07/13(金) 14:30:47 ID:gTn97m6I
 金木犀さま、さっそくユーチューブで聴いてみました。
 いいうたですよねえ。映像を見て、この子どもたちの親は皆戦争へ行っているのか
とおもうと涙がでてきました。

 こどもの元気で健気な姿が歌詞と合っていますね。
 いい歌を紹介してもらってありがとうございます。
 なんか今の社会のありさまは、皆GHQの影響を受けているといっても
 過言ではないと思います。

 金木犀さんにお礼にこの歌を

 ありがとうのうた http://youtu.be/C2MF1awhhNQ

578うのはな:2012/07/13(金) 22:41:23 ID:gTn97m6I
聖なる日々の言葉  アイリーン・キャディ 著

  あらゆることに感謝しなさい

 あなたが霊的な生活をはじめるとき、たとえそのきっかけがごくささやかなものだとしても、
気にする必要はありません。よきことはすべて小さなきっかけからはじまるのです。
堂々たるカシの大木も、最初は小さなドングリにすぎません。
一粒の小さな種から、最高にすばらしい植物が芽を出し、花を咲かせます。
愛の小さな種から、たくさんの人たちの生活が変わっていきます。

 小さな信仰や信念から、奇跡がつぎつぎに起ります。小さなものは必ず大きなものへと
育ってゆくのです。人生のささやかなことすべてに感謝しなさい。
やがてそれが大きくなるにつれて、あなたはありとあらゆるものに対して感謝の思いにあふれ、
その気持ちを言葉や行動であらわすようになります。
心の内にあるものは、おのずから外へあらわれてくるのです。
つねに覚えておきなさい。感謝にあふれる心こそ開かれた心であり、わたしは開かれた心を通して
最高に力を発揮できるのです。

 わたしがあなたを通していつでも力を働かせられるように、そしてわたしの奇跡と栄光がすべての
人の目にあきらかになるように、あらゆることに感謝し、つねに感謝しつづけなさい。

579金木犀:2012/07/13(金) 23:19:22 ID:SH0/nVO2
うのはな様

ありがとうのうた、有難う御座いました。美しい声というのは心が洗われるようです。
この歌をききながら、AC(公共広告機構)のありがとうウサギを思い出しました。
今も昔も、童謡って、いいものですね。
お山の杉の子の歌もyoutubeで早速聞いて頂いて嬉しいです。
私も聞いてみたら、戦前と戦後の歌詞が混ざっているのがあって、
4番辺りから戦前の歌詞になっているのもありました。

580うのはな:2012/07/14(土) 14:55:47 ID:gTn97m6I
  不幸の連鎖を断ち切る「ありがとう」と座敷わらし

 僕の生まれた故郷は、岩手県二戸市の金田一温泉。そこにある『緑風荘』という
古い旅館は、昔から座敷わらしが棲みついた縁起のいい宿といわれてきました。
座敷わらしとは、子供の神霊のことで、それが棲みついた家は繁栄するとか、出会った人は
幸せになるといわれています。

 緑風荘は、僕の遠い親戚にあたるそうです。僕は小さいころ、この旅館の息子さんと仲がよかったので、
よくおじゃましては遊んでいました。座敷わらしが出るという客間『栧の間』でも、かくれんぼをして遊んだ
ことがあります。すると、宿泊客に「あら?あなたが座敷わらし?」とよくいわれました。
困惑して、頭をポリポリかいたものです。
 その緑風荘が二〇〇九年十月、火事で焼失してしまいました。空が真っ赤になるほどの、ものすごい火災だったそうです。
幸いにも宿泊客も旅館関係者も無事非難し、隣家への類焼はまぬがれたので、その点はホッとしました。
驚いたことに、シンボルとなる旅館の看板と、座敷わらしを祀った祠だけが全く火の影響を受けず、敷地内にそのままポツンと残りました。
さらに、“座敷わらしのようなもの”が本館の母屋から祠のほうに走っていって、スーッと消えたと証言している人もいるそうで、これも不思議な話だな、
と思います。
ここに棲んでいた座敷わらしは、旅館の人たちを守り、全員の無事を確かめて、自分を祀った祠へ戻っていったのでしょうか。
そして、「さあ、古いものは焼き尽くしたぞ。これからまた、ここで新たな伝説を創るんだ」と、宿の主に課題を与えたのでしょうか。
長い歴史のある旅館が、一夜にしてこの世から完全に消えてしまいました。
僕にとっては、小さいころの思い出が詰まった愛着のある旅館。火事の知らせを受けたときはショックでしたが、思わず口から
「ありがとう」と言葉が出ました。嫌なことがあったときや、へこみそうになったときに口にする「ありがとう」です。

 しばらくして、緑風荘の若旦那と電話で話しましたら、「なんだか、心はさっぱりしています。心配はご無用です!」と明るく前向き
でした。彼も自分に「ありがとう」といい、深刻にはならず、真剣に対処したようです。
彼ならきっと大丈夫でしょう。

 『なぜ、感謝するとうまくいくのか』 五日市 剛 著

581うのはな:2012/07/15(日) 10:12:39 ID:gTn97m6I
 プレッシャーに打ち勝ち、さらなるパワーを引き出すもの

 国内史上最年少で賞金王となったプロゴルファーの石川遼くん。アマチュア時代から抜群のセンスと
運の強さには定評がありました。僕がいつも感心するのは、勝利インタビューの際の遼くんの言葉。
お世話になった周囲の人たちやご両親への感謝の言葉が、とても印象的です。
 ニ〇〇七年八月十八日のスポーツニッポン紙に、日本ジュニアゴルフ選手権で最年少優勝した石川遼くんの
記事が大きく掲載されましたが、その中にこんなことが書かれていました。

 「決してごう慢にならない石川の謙虚な姿勢は、中学生のころに教わったもの。
松伏二中の二、三年のときに、石川の担任だった森本洋二先生は『ツキを呼ぶ魔法の言葉』という本を読み、
『ありがとう』『感謝します』という言葉の大切さを生徒たちに話した。それが、
“感謝の気持ちを忘れなければ運は来る”という石川の考え方につながっている」

 僕はこれを読んでびっくりしました。遼くんの尊敬する先生が、授業中、魔法の言葉の大切さについて、くり返し
話したことで、遼くんやクラスメイトの心に深く刻まれたようなのです。やがて、クラスの朝の会で、魔法の言葉を生徒全員が
唱えるようになりました。

 すると遼くんの活躍はいうまでもありませんが、彼以外のクラスメイトにも、次々と効果が現れたそうです。
例えば、体育祭の大縄跳びでは、校内新記録を出して一位に。跳ぶ前に全員で魔法の言葉を唱えたそうです。
受験においても、クラス全員が第一志望の高校に合格できたというから驚きです。

 『なぜ、感謝するとうまくいくのか』 五日市 剛 著

582金木犀:2012/07/15(日) 14:00:13 ID:eWib1Y1.
うのはな様
>>581

このように、先生の指導のもと、

『ありがとう』『感謝します』という言葉の大切さを生徒たちに話し、
・・・・・・やがて、クラスの朝の会で、魔法の言葉を生徒全員が
唱えるようになりました。

という教育がなされていれば、いじめなどというものはなかったかも知れませんね。

583金木犀:2012/07/15(日) 14:03:16 ID:eWib1Y1.
東山魁夷画伯は、ほんとうに日本の自然の美しさを理解し、愛された方です。

『やまとしうるはし』 東山魁夷画伯の奈良県桜井市夏季大学講演会(昭和50年)冒頭の部分から

【くにのまほろば】
本日は日本文化の故郷ともいうべきこの大和の地で、みなさまとお話できることを心からうれしく思います。

じつは、漠然と「随想」という題でお話することに、はじめはなっておりましたのに、それをあらためて、「やまとしうるはし」という題をつけました。ですから、「やまとしうるはし」という主題にしたがって、ごく随想風に、日本の美に触れてお話を申し上げたいと思っております。

今日私は、檜原神社の下の三輪山のふもと、上下ある、二つの池にはさまれた堤の中央に建てられた川端康成先生筆の歌碑の前に立って、しばらく先生をしのんできたわけであります。あの場所からは、大和平野を見おろし、その向こう、西の果てに二上山を中心として、左に金剛、葛城、右に信貴(しぎ)・生駒と山なみが続いているのが眺められます。また、平野の中ほどに耳成(みみなし)・畝傍(うねび)・香具(かぐ)の三山が、本当にほどよい間隔で、まるで小島が浮かんでいるように見えます。

目の下には箸墓の黒々とした森が見えておりまして、本当に「くにのまほろば」という感じがいたします。川端先生の筆になります、

大和は国のまほろばたたなづく青かき山ごもれる大和し美(うるは)し

この歌碑を拝見し、また、その周囲を眺めておりますと、本当に長い時というものを感じる心地です。またこの歌は、これ以上簡明に大和の美しさをうたうことは不可能だと思えるくらいの響きをもっていると、私には感じられるのです。

【ここにみる日本の心の源流】
ご承知のように、『古事記』にありますこの歌には、

命の全(また)けむ人は畳薦(たたみこも)平群(へぐり)の山の熊白檮(くまかし)が葉を髻華(うず)に挿(さ)せその子

とあり、さらに、

愛(は)しけやし吾家(わぎへ)の方(かた)よ雲居(くもい)起(た)ち来(く)も

と続いております。
倭建命が東征からお帰りになったときに伊勢の能褒野(のぼの)で病を得られまして、臨終に近いときによまれた望郷の歌だと『古事記』にはしるされておりますし、『日本書紀』では、景行天皇が日向国で都を思っておうたいになったといわれております。
 このばあい、『日本書紀』のほうでは、

愛(は)しけよし吾家(わぎへ)の方(かた)ゆ雲居(くもい)起(た)ち来(く)も
大和は国のまほらま畳づく青垣山籠れる大和しうるはし
命の全(また)けむ人は畳薦(たたみこも)平群(へぐり)の山の白橿(しろかし)が枝(え)を髻華(うず)に挿(さ)せこの子

と順序も歌詞も変わっております。

まあいろいろな説がありますが、どうも私などは、素人の考えですけれども、倭建命(やまとたけるのみこと)の臨終の際の望郷のお歌としたほうが、景行天皇のお歌としたばあいよりも、この歌にこもる切実な、感動的な響きが、いっそうつよく響いてくるように思われてなりません。しかし、なにぶん遠い古代の、霧の彼方のことではあります。

また、この三章の歌は、現代的な合理的な考え方からすれば、ひとつの歌としてまとまった関連はなく、形式からみても時代差がある、という説も聞いております。ともあれ、第一章は農耕に関係の深い国見の歌、国ほめの歌とされ、第二章は春の大和で行われた歌垣の行事のものともいわれております。いずれにせよ、この歌が、古代日本人の心情の最も美しくうたわれているものであることに変わりはありませんし、その意味で日本人の心に、永久に日本の美の源流としての響きを伝えていくものと思われます。またそれは、私たち日本人の、本来の心をよびさまされる歌だともおもわれます。

584うのはな:2012/07/15(日) 16:11:38 ID:gTn97m6I
 金木犀さま

 これは特に論拠がなくて、わたしの単なる印象話なんですが、金木犀さんぐらいの
年代の方たちで、学生のころから、あるいは子供の頃から生長の家の教えを知った人たち
っていうのは、感謝でも愛国でも日本文化でも、無理なく自然に身についている方が多いのではないか
という気がします。

 子供のいじめ問題っていうのは、それは家庭の問題が大きいのでしょうが、
学校の校舎を鉄筋から木造に変えただけでもイジメとか生徒間のトラブルが減少したという話を聞いたことが
あります。
今は学校で生徒が教師に暴力をふるっても、教師のほうは体罰禁止だとか教室がメチャクチャみたいで、
教師がうつ病になったりするケースが多いというのも悲しい話ですね。
でも中学の担任の話がきっかけでこんな素晴らしい生徒も誕生するんだから
まだ未来は明るいのかな、という気もしますけど。

誌友会とかお忙しいのに、わざわざコメントいただいてありがとうございました。

585うのはな:2012/07/15(日) 19:13:31 ID:gTn97m6I
「聖なる日々の言葉」 アイリーン・キャディ著

   古い殻を脱ぎすてなさい

 古い生活に浸かったままで、新しい生活を創造することはできません。
赤子は、いつまでも母親の体につながっているわけにはいきません。
赤子が独立した存在になるには、へその緒を切る必要があります。この霊的な
生活についても同じことが言えます。ひとたびこの道に歩み入り、聖霊にしたがって
生きようと決心した以上、古い生き方とはきっぱりと決別しなければなりません。
同時に二つの世界を生きるわけにはいかないのです。

 どちらを選ぶかは、あなたしだいですが、引き返すことは考えてほしくありません。
つねに前進しなくてはいけません。人生では、後戻りはききません。赤子は、生きることがつらくなったからといって、
母親の胎内に戻ることはできません。ひな鳥が卵の殻の中に戻ることも、蝶がさなぎに戻ることもできません。
生命に後戻りはありえません。つねに前へ前へと進みつづけるのが生命の変わらざる法則なのです。

586金木犀:2012/07/15(日) 23:43:41 ID:aJM4tFz2
うのはな様

校舎を鉄筋から木造に変えただけでいじめとか生徒間のトラブルが減少したのですか。
なるほど、分かる気がします。私の子供の頃は、一年生の頃は木造の校舎がありました。
それが途中からどんどん鉄筋の校舎に建て替えられて行きました。
子供ながら、古い校舎の方が断然居心地がいいのがわかりました。
その頃からどんどん日本的なものが失われていったのでしょうね。
この前、あるブログを見ていたら、台湾の人が、
「日本は昭和23年の国会で教育勅語が取り止めになったのは残念です。教育勅語で日本の教育が成長したんです。父母に孝に兄弟に友に、夫婦相和し朋友相信じ…。もういっぺん日本は教育勅語をやり直すべきです。戦後の日本には教育勅語がないから「夫婦相和」さず離婚率が高いのです。「朋友相信ジ」ないから、「いじめ」が絶えないのです。「博愛衆ニ及ボ」さないから電車で老人に席を譲らないし、「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ズ」る精神が失われたから、利己的な人間が増え国全体の名誉が蔑ろにされてしまうのです」
と言っている事が書いてありました。『心のかけはし』誌で教育勅語が冒頭にいつも書いてありますが、
ほんとに、教育勅語を復活すべきだと思います。
明治の欧米崇拝が行き過ぎて、世の中が日本的なものを軽んじて非常に乱れてきた時にも、
教育勅語が発布された途端に、急速に乱れが収まったという話です。

587うのはな:2012/07/17(火) 12:12:11 ID:gTn97m6I

『教育勅語』 それをプリントしたものを持っていましたが、私自身いまだに
 暗記していないし、理解していません。お恥ずかしいことです。
 戦後に教育勅語が廃止になったということが、今の学校環境につながっていると
 思うと背中が寒くなります。
 もうすぐ夏休みで、姪っ子たちは本が好きなので、図書館でいろいろ借りるみたいですが、
 学校では戦争展などがあるといいます。
 金木犀さまは、お子様が小学生ぐらいのときなど、どんな本をすすめられていましたか?
 よろしかったら教えてください。

588うのはな:2012/07/17(火) 12:14:04 ID:gTn97m6I

 新教育者連盟では、このような書籍を紹介しています

   http://www.shinkyoren.jp/book.html

589金木犀:2012/07/17(火) 12:45:54 ID:auusu5IE
うのはな様

お恥ずかしいことですが、私は郷里から今のところへ移る時に、もうすでに青年会運動には
嫌気が差していたので、信仰そのものも顧みなくなってしまい、完全に生活に埋没してしまいました。
だから子育てもごく普通の平凡なやり方で、生命の教育などということも考えませんでした。
今から思えば、もっと本気で生命の教育をやっていればよかったと
今頃後悔しています。良書と言うようなものも特別与えていません。
それに町の本屋にも大した本はなく、その頃はパソコンも持ってなくて、
良書を手に入れる知恵もなく、ただ本屋でマシなものを物色するだけでした。
宮沢賢治の童話がおいてあった時には、それを買ったりしました。
自分が子供の頃読んだ本を買いたいと思っても、けっこう有名な童話なのにないものですね。
『十五少年漂流記』がやっとあったので、それを買ったりしました。
名作と呼ばれる本は読ましておきたいと思ったものですが、
ほんとになかったです。やはり田舎はそういうとこがだめですね。
今はネットがあって、すぐ検索できてほんといいですね。
新教育者連盟の本、いいですね。日本会議とかにも、何かいい本が出てますよね。
同じものだったかな?

590うのはな:2012/07/17(火) 13:22:38 ID:gTn97m6I
金木犀さま

 コメントありがとうございます。私も小学生の頃、『十五少年漂流記』読みました。
 私の父親も町の小さな本屋さんで本を買いに連れて行ってくれたことがあります。
 私は絵本マンガのようなものを期待していたけど、父は一番高い棚から、これは有名な音楽家
 の人が書いた本だ、っていって「あらしの中の兄妹」っていう外国翻訳本を
 買ってくれましたが、原作者はバッハっていう名が一緒なだけで、音楽家のバッハとは
ちがう人でした(笑)

 それがきっかけで、その本屋さんにあった少女小説シリーズのほとんどを
読みました。「椿姫」とかもありましたよ。大人になって「椿姫」の原作を読むと
難しかったけど、子供向けの本は楽しかったですね。
 そのころ母親とかが仕事を持ってなくて昼間図書館などに連れていってくれるタイプの人だったら
もっといろいろ読めたのに、、とちょっと残念です。

 金木犀さまがおっしゃるように、今はネットがあるからなんでもいいものが手に入れやすいですね。
町はずれの本屋に連れて行ってくれるだけでも、親としては大変だったと思います。

591金木犀:2012/07/17(火) 14:49:40 ID:auusu5IE
うのはな様

お父様が町外れの本屋にうのはな様を連れて行かれたというお話は、なんだか暖かいいい思い出ですね。
バッハのお話はその話にキラリとユーモアを添えて、聞いていてもステキです。
子供用の物語本に、そうした親の愛の記憶がついていると、貴重な懐かしい記憶となって、
一生心に残りますね。親の選んでくれた本が、ほんとに良書となって、こころの糧になることでしょう。
ネットで探すのもいいけど、実際に本屋に連れて行って買ってあげるのもいいものですね。

592SAKURA:2012/07/17(火) 17:39:22 ID:M1PpZ6LU
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんにちは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

此処からは【SAKURA…の独り言】にて“投稿”させて頂きま〜〜〜す。

■【日 本 語】に関しまして…■
私自身、この国“日本”…“日本人”としてこの国に生まれた事に、幸せを感じます次第です。
さて!基本的人権として【言葉…】に関しまして?ア〜〜ダ!コ〜〜ダ!の討論
その前に一番大切なのはなんでしょうか??

此処は?少なくとも私一個人は【生長の家…人への救済】
この事を、亡くなられました「谷口雅春先生」は、私どもに使命として残されました…。
そして、【言葉=言霊】と言う事で、特に“日本語の重視”を、確かに、私共に教えて頂きました。

さて!中には【言葉の捉え方?】人それぞれでしょう??
従いまして、逆にその人の【文章体…に於けます使用の言葉】に関し
厳密に相手を“さばき出します事?”と言う事は、判断しますと、
その方自身【日本語の使い方…】きっと100%此処の“投稿者”の中で?いや少なくとも
観覧者の皆様方以上に【正確なる日本語を使用】していると自負されての事と判断させて頂きます。

正直申しますと【明治…】にてある程度、こわれていますかと?思います。
勿論!文化的にも、壊れていますかと〜〜〜
【歴史を探索】しますと“オモシロイ”と、言う事でしょうが〜〜〜?

古代に於きまして、そうです〜〜〜ネ!日本語の変遷は、ありましたと思いますが…?
縄文時代・平安時代…各時代に【仮名ずかい…etc】に関しても変わって来ております…。
当然【皇室…】に於かれましても、【言葉…】に関しましては、変わっていられるものと、
思われます…。ある所からの耳寄りな情報ですが…?多々…ありますが?(シ−クレット)

此処で、この【日本語…】を、おっしゃいます方が色々いらっしゃいますでしょが
■今一番大切なのは…
現在の混沌とした社会情勢の中で、如何に多くの方々の“悩める心”を、
救済していくには?どうしたらいいのでしょうか…?

私自身は、まず!如何に【真理…】を、人にお伝えしていくべきかと〜〜♫〜〜
それには【人 を 引 き 込 む 文 章 タ ッ チ !!】
これによりまして、人は「真理…」が、ズシ〜〜〜ン!“心の中”に入っていくものと、
これは、私自身の考え方です…。勿論!この事に関しまして「賛否両論」ありますでしょうが??
従いまして、この事を“主旨”と致しますので…
先ず!第三者であられます「観覧者の皆様」に、少しでも“投稿文”を、閲覧・拝読をして
頂けます事を中心に、考えて投稿をさせて頂いている次第ですが?

【類 の 法 則】でいいのでは?その様に考えている次第です…。
そしてこの事は「勉強中…」ですが〜〜〜><難しいですネ!
後は…今の件は【沈 黙 思 考】とさせていただきます。
                               再合掌

PS:当然!反対論の方は、この考え方にて「ネガティブ感情」を持たれますならば??
ジャンプして拝読されなくても、宜しいのではないでしょうか?精神的に良くないですもの〜〜ネ!
この事は、逆に私にもいえますでしょうかしら〜〜〜ン!

593SAKURA:2012/07/17(火) 17:51:41 ID:M1PpZ6LU
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんにちは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

此処からは【SAKURA…の独り言】にて“投稿”させて頂きま〜〜〜す。

>>592【SAKURAの投稿文】を、此の“ボ−ド”にて掲載させて頂きましたが、
この投稿に至るまでの【過程。。。】は、下記にて…拝読した頂きますと幸いに存じますが〜〜?

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/659 

                                   再合掌
PS:
「WEB誌友会」に於きまして、【SAKURAの投稿】に関しまして
「真理の討論」よりも?【日本語…討論】になりまして肝心の物事から、ずれている様に、
個人的に思う次第です…。此れも「考えの相違」でしょうかしら〜〜ン!
従いまして…此の件はこれにて【沈 黙 思 考】とさせて頂きます。

594かぴばら:2012/07/17(火) 20:27:53 ID:zGzatsL.
うのはなちゃんへ

私も「あらしの中の姉弟」確か持ってましたよ。内容はよく覚えてないけど、離れ離れになった姉弟のとても感動的な物語だったと思います。

うのはなちゃんが読書家なのは、そんなところが原点なのですね。いつも素晴らしい本の転写ありがとうございます。とっても楽しみにしています。

595うのはな:2012/07/17(火) 22:07:17 ID:gTn97m6I
 
 あっ、!!すみません。「あらしの中の姉弟」でしたか。
 「あらしの中の兄妹」と、記憶が刷り替わっていました。
 私の下に弟がいたから、たぶん父は題名を見て選んで買ってくれたんだと
 今になって思います。

 ザッパーの「愛の一家」なんていうのも感動したのを覚えています。
 かびばらさま、ありがとうございました。

596かぴばら:2012/07/17(火) 22:36:40 ID:zGzatsL.
うのはな様

すみません。たぶん兄妹で合っています。何しろ40年以上前の話ですので、(年がばれますが)
お許しください。

兄が犯罪者で、妹の方が修道院に入って尼さんになって再会するような話ではなかったですか?私が初めて物語として読んだ話だと記憶しております。
小学生の私には、たとえお涙頂戴物でも、こんな話があるのかと感激して涙しておりました。

これからも、うのはな様の素晴らしい感性で、善い本の紹介を期待しています。有難うございました。

597金木犀:2012/07/17(火) 22:39:57 ID:auusu5IE
嵐の中の兄妹でいいのではないでしょうか。
私はその本を知らなかったのですが、検索したら、出てきました。
http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=%E5%B5%90%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E5%85%84%E5%BC%9F&source=web&cd=5&ved=0CGUQFjAE&url=http%3A%2F%2Fnazede.gozaru.jp%2Fmmm008.html&ei=imgFUJS3DYv4mAXehcBC&usg=AFQjCNGcl61jIgaIUNYgcLDHW1TBJ1gAGw&cad=rja
かなり宗教的な感動物語のようですね。
小学校の時は、面白いと感じた本は多かったですが、さほど感動したというようなものはなかったです。
宮沢賢治の『よだかの星』は、読んで涙が出ましたけど。それ以外は感動したかもしれないけど、
記憶に残ってないですね。
そういえばSFも好きで、『五次元世界の冒険』という本があって、それがとても気に入って
図書館で借りて、5,6回くらい、読んだことがあります。今でも手に入れば欲しいくらいです。

598うのはな:2012/07/18(水) 16:36:15 ID:gTn97m6I
目に見えないものから身を守る最強のセキュリティーとは

 小学生のお子さんがいる女性から、深刻な相談を受けたことがあります。
彼女はご主人の暴力に、ひどく悩んでいました。
 ふだんはおとなしいご主人ですが、奥さんやお子さんの言葉や態度が気に入らないことが
あると、みるみる鬼のような顔に豹変し、手かげんなく物を投げたり、殴る・蹴るの暴力を
ふるったりするそうです。そのときは、まるで悪い霊に憑依されたみたいだと、おびえた声で
おっしゃっていました。
ふと、こんなことが僕の脳裏に浮かびました。
『パソコンでインターネットを楽しんでいたら、気づかぬうちに、たちの悪いウイルスが侵入してきた。
パソコンのセキュリティーが不完全であったため、そのウイルスによって、パソコンの中のデータヤシステムが、
あっという間に、別のものに書き換えられてしまった.....。』

 まるで人が外から入ってきた霊にとりつかれて、ふだんとは異なる別の意識や人格が現われてしまうことと似ているような
気がします。そういえば、ある外国人が日本で殺人を犯し、逮捕後に犯行の動機を聞かれたとき、「悪魔が私に乗り移ってきたからだ」
ということがありました。「何いってんだ、こいつ。バカバカしい」と思う人もいるかもしれませんが、『憑依』というものがもしほんとうに
あるとしたら、それは軽視してはいけないことだと思います。
 おそらく憑依にもいろいろなケースがあると思いますが、いちばんたちが悪いのは他人や自分自身に危害を加えるものです。
憑依された本人は自分をコントロールできないわけですから、非常に厄介です。
どうやら、このきっかけの多くは『怒り』からくるようです。
すべての人に起こることではないかもしれませんが、たとえこのようなことに直面しても、我々は絶対に憑依されてはいけません。
では、いかなる場合でも自分を見失わず、変なものにとりつかれない方法はないものでしょうか。
しかも簡単で強力な手があれば助かります。
 僕に魔法の言葉を教えてくれたイスラエルのおばあさんは、「嫌なことがあったら、すぐに自分に『ありがとう』といいなさい。
すぐにいわないと、魔法が効かなくなってしまうの」といいました。
それから、「怒っちゃダメ。感情任せに怒らないで」ともいいました。
僕にも経験があるのですが、どうも、いったん人をどなると、ますます頭にきて、さらにどなりたい気分になってしまうようです。
しかし、ちょっとでも怒りを感じたとき、すぐに「ありがとう」といえると、不思議とそれ以上、嫌な気分にはなりません。
そしてもう一度「ありがとう」と心を込めていうと、心が落ち着いてきます。ということは、魔法の言葉を口ぐせにすると、何があっても
怒りはエスカレートせず、憑依されずに済むかもしれません。
 パソコンもセキュリティーさえしっかりしていれば、ウイルスが侵入しても、簡単に駆除されます。
我々人間におけるセキュリティーとは、「感謝」そのものだと思います。
その体質を強化するのに最も効果的なのは「ありがとう」「感謝します」といった魔法の言葉や人への感謝の言葉かもしれませんね。

 冒頭でご紹介した、暴力癖のあるご主人ですが、その後、なんと僕の本を読んでくださり、魔法の言葉をつかい始めたそうです。
そうしたら、豹変することはなくなり、暴力をふるうこともなくなったそうです。それにそのご主人、「ありがとう」や「感謝します」の文字を、
ご自分のシャツや身の回りのものにまで書いているとのことです。とてもすなおで、行動力のあるかただなと思いました。
この不景気の中、仕事はものすごく順調で、夫婦仲もますますよくなったとか。
もう大丈夫でしょう。

『なぜ、感謝するとうまくいくのか』 五日市 剛 著

599観覧車:2012/07/18(水) 17:49:21 ID:???
>>598
うのはなさん、こんにちは。

私も憑依霊を信じる者なので、興味深く読ませていただきました。
うのはなさんて、すばらしいことを書かれる人なんだあ。
本も出させているなんてすごい!
と思いながら読んでいましたら、
五日市 剛さまという方の御著書だったのですね(^_^;)

訊け様にも「ありがとう」や「感謝」をすればますます仲良くなるかもですね!(^^)!

600うのはな:2012/07/18(水) 18:15:15 ID:gTn97m6I

ほんとうに聖なるものになるということは、
 神様のお望みになることを、
 ほほえみをもって実行することにあります。
 ときどき、
 わたしにとって、イエス様にほほえみかけることは、
 とてもむずかしく思えます。
 彼が、わたしに、とても多くをお求めになるからです。

 『マザー・テレサ100の言葉』 女子パウロ会

601うのはな:2012/07/18(水) 18:28:46 ID:gTn97m6I
  善行を積んでも、いいことが起こらないといって落胆してはならない。
  そういう状況下にあっても、草むらのかげにあるウリのように人目につかない
  ところで、幸運の実はスクスクと育っている。

 お釈迦様のエピソードがあります。
あるとき一人の男が「善行をつづけても、いいことが少しもありません」という
相談をお釈迦様にもちかけました。すると、お釈迦様は畑に植わっている大根を指さしながら、
次のように言いました。
「あそこに植えられている大根はどれもみんな食べごろだ。しかし、あの大根は一日だけの水、一日だけの太陽の
日差しであれだけ大きくなったのではない。来る日も来る日も、太陽の日差しを浴びて、何日もかかって、あれだけ大きく
育ったのだ。善行も同じで、来る日も来る日もひたすらつづけることが大切なのだよ。そうすればいずれ花開くときが必ずやってくる」

幸運の花は、すぐには咲かないのです。
この話にもあるように、ツキに恵まれた人生を送るためには、とにかく黙々と徳を積み重ねることが大切になってきます。
その姿勢を維持していけば、あるとき、人生にドラスティックな逆転劇が起こるでしょう。

『菜根譚のことば』 植西 聡 著

602うのはな:2012/07/19(木) 13:00:26 ID:gTn97m6I
人間の心の中には、本来、素晴らしい文章が刻み込まれ、素晴らしい音楽が
奏でられている。ところが、その文章も音楽も日の目を見ないでいる。
 仕事で成功をおさめたければ、いっさいの誘惑をはねのけ、自分の中の素晴らしい文章、
素晴らしい音楽を生かすべきである。

 インドに古くから伝わる民話を紹介しましょう。
昔、神様がある男に音楽家としての才能を授け、この世に送り出したことがありました。
ところが、男はなかなかそのことに気づこうとはしませんでした。大工の仕事をやったかと思えば、
市場で野菜売りをするなど、職を転々としていたため、貧乏暮らしから抜け出せないでいたのです。
 そんなあるとき、男の親友が結婚することになり、男は親友のために歌を作り、それを結婚式で歌いました。
その途端、拍手喝采を浴び、男は親友からこう言われたのです。
「キミは音楽家としての才能がある。どうしてもっと早く、そのことに気づかなかったのだ。
才能を生かしていれば、今ごろは豊かな暮らしが送れていたであろうに。さあ、今からでも遅くはない。音楽家の道を
志したまえ」

 私たち人間は、神様からそれぞれ特有の才能を授けられて、この世に生まれてきました。
仕事がうまくいくかいかないかは、その才能が生かせるかどうかにかかっています。
そのことにいち早く気づき、自己特有の才能を生かす天職に就くことが、仕事で成功をおさめるための
大きなポイントになるのです。

『菜根譚のことば』 集英社 刊

603うのはな:2012/07/19(木) 14:51:04 ID:gTn97m6I

  特別なことを求めないようにしましょう。
  大切なのは、自らを与えるということです。
  何かをするときの愛が大切なのです。
  こちらのシスターたちは、小さなことを行います。
  子どもたちを助け、孤独な人々や病人、困窮している人々を訪ねます。
  「シスターたちは、普通の働きしかしていませんね」と言われたとき、
  わたしは答えます。
  「彼女たちが、ひとりの、たったひとりの人を助けたときには、
   もう十分に働いたはずです。イエス様も、たったひとりの人間のために
   でも死んでくださったでしょう」と。
  小さなことに忠実でありましょう。
  その中にこそ、わたしたちの力があるからです。
  神様にとって、ちっぽけなものはありません。

  『マザー・テレサ100の言葉』 女子パウロ会

604うのはな:2012/07/19(木) 18:17:22 ID:gTn97m6I

その後まもなく七十九歳の女性からも相談を受けました。何年も前からご主人のことが嫌いでたまらく、
同じ空気も吸いたくないとのことでした。ご主人は会社経営をして、経済的には潤っていましたが、今は
息子さんに社長の座を譲り、第一線から退いています。現役時代は売り上げを上げるために、ちょっと悪いことや、人に
憎まれることもやってきました。彼女は、そのことが心底気に入らないというのです。
「人間的に最低」「いつも汚い言葉を吐く下級人間」「感謝のかけらもない愚か者」
など、口を開くとご主人に対する不平、不満、愚痴ばかり。ちなみに、ご夫婦そろって体調がずっと悪く、毎日大量の薬を飲んでいるそうです。
まず、中国星占学でお二人の鑑定をすると、意外なことが判明。うつむいているその女性に、次のように伝えました。

「今、あなたが豊かな生活ができるのは、ご主人のかつての深い愛情のおかげですよ。ご主人は家族に裕福な生活をさせたいがために、がむしゃらに働き、
会社を大きくすることだけを考えてきた。ご主人が人に憎まれ、泥をかぶってきたおかげで、今ぜいたくな生活ができているともいえます。
ただ、そうしたことの積み重ねが、今の病気に拍車をかけています。さらに、奥様であるあなたからもときには罵倒され、ときには無視され続けている。
どうやら、このままだと来年あたりからご主人の健康状態に赤信号が灯るようです。つまり健康状態がますます悪くなり、場合によっては最悪のことになるかもしれません。
だから、ご主人には優しくしてほしいです。そうすると鏡の法則のように、ご主人も必ず優しくしてくれます。
実は、お二人はお互いに気遣うと、どちらも運気が上がる、特殊な星回りになっています。
だから、今あなたがすべきことは、こうしたことをよく理解したうえで、ご主人に深く感謝すること。
もう一度、魔法の言葉を心を込めて実践してみましょう。

このとき、ふとマザーテレサの言葉が頭に浮かびました。
『たとえあなたの人生の九九%が不幸であっても、最後の一%が幸せならば、あなたの人生は幸せなものになる』
その女性にこの言葉を伝えると、パッと顔を上げ、「私、もしかすると感謝欠乏症というひどい病気だったかも。魔法の言葉は
頭ではわかっていても、さっぱり実践できていなくて。もう一度、主人と向き合ってみます」といいました。
 その後、ご主人に対しての姿勢がガラッと変わったそうです。この数十年間、ご主人に料理すら作ってあげていなかったのに、心を込めて
作り始めました。すると、ご主人の顔から、険しさが徐々に消えていきました。
お子さんやお孫さんたちが皆びっくりし、「おばあちゃん、とっても変わったね。明るくなったよ」と何度もいわれたそうです。
「今、毎日がほんとうに楽しいし、心が軽くなりました。私、生まれ変わったみたい」とおっしゃっていました。
人間は、何歳になっても変われるものなんですね。

 魔法の言葉の一番の素晴らしさって、なんでしょうか?
「よいことが起こること」や「夢が実現すること」と思っているかたが多いかもしれませんが、実は
『今に感謝できる、明るい心を持つこと』なんですね。さらに、魔法の言葉は『今まで見えていなかったいろいろな愛』に、
目を向けるための魔法だと思うのです。心を込めて実践するプロセスで、よいことが起こったり、願いがかなったりすることも
あるわけです。魔法の言葉は、どうも欲から入ると効果がわかりにくい。
でも、つかい続けていくと、その本質がわかってきます。そして、どんなことにも感謝する習慣(感謝思考)がしっかり身についたら、もう魔法の言葉は
必要なくなります。けっきょく、何があっても、『すべては感謝へ至る道』なんですね。

『なぜ、感謝するとうまくいくのか』 五日市 剛 工学博士

605うのはな:2012/07/19(木) 19:19:50 ID:gTn97m6I

上記 マザー・テレサの御言葉を書写していますが、内容に「生長の家」
    の教えとはリンクしない部分もあることを予めお断りしておきます。

   ちなみに、わたしはクリスチャンでも統一協会でもありません。

606トップがおかしいと・・・・・・・・?:2012/07/20(金) 10:58:43 ID:???

某掲示板は非難する人があるが、下記のように的を射た説も多いのだ。

大論争より

>>:名無しさん 投稿日: 2012/07/20(金) 09:36:20

「大自然賛歌」

読んでみても、「そうだ」という気持ちになれない。
中略

『闘争から平和生まれるとの妄想より醒めよ。
悪から善生じるとの迷いを去れ。』

誰がこのようなことを思うのだろう。

悪から善生じるなどと思って生きている人は何処にもいないだろう。
中略

『”自然即我”
”我即自然”の実相に眼開かず。』

”自然即我”のどという言葉が有るのですか?

”自然に対する四無量心”などという言葉は普通の言い方とは思えない。
中略

607うのはな:2012/07/20(金) 17:25:00 ID:gTn97m6I
 世間話だと思っていた「真理」

 こないだ、本部講師の○○さんが不倫して教化部職員の奥さんと離婚した話を
掲示板で読んで思い出しました。
 著作権は社会事業団にある谷口雅春先生の『真理」シリーズの中に、既婚男性職員が
奉職の独身女性に指輪をプレゼントした話を聞いた雅春先生は、独身女性職員を実家へ帰し、
妻帯者のほうは生活があるので、、というような事情を思いやりを持って書かれていました。
はじめてそれを読んだ時、大聖師とか創始者とかいわれている先生が、職員のこんな話にまで
首をつっこまれるとは、、と、雅春先生が気の好い親戚の叔父様みたいに思ったりしましたが、
今、考えてみると、雅春先生は「一切のものに事に行き届くべし」を実践されていたんですね。

いまさらながら、雅春先生の偉大さを感じました。

こう書いたからといって、真の生長の家の人たちは無理して「うのはなさん」を
大事にしてあげよう、と思ってくれなくていいですよ(笑)

608神の子さん:2012/07/20(金) 17:39:02 ID:/1MoxHic
こう書いたからといって、真の生長の家の人たちは無理して「うのはなさん」を
大事にしてあげよう、と思ってくれなくていいですよ(笑)


ホントだよね。だってアンタ、念送っちゃうんだもんね。気味悪いよね。

609うのはな:2012/07/20(金) 19:00:47 ID:gTn97m6I
 
これ以上攪乱されたい方は、キケブログへ行かれることをおすすめします。
そこにはあなたと話しの合う、波長の合う人たちが、生長の家らしい公論を
繰り広げている事でしょう(笑)

610うのはな:2012/07/20(金) 19:01:52 ID:gTn97m6I

 もしくは、雑談版で気持ちの悪い話の続きでもどうぞ。

611うのはな:2012/07/20(金) 19:10:40 ID:gTn97m6I

 キケブログの読み方

 ここの女性投稿者の中には、キケ氏のブログ一度ひどいことを書かれたので
怖くていけないというような人もいたり、見ないほうがいいと助言する人もいたり、
ほかからも削除してくださいとか、いろいろあるようですが、運営者はなぜか昔から
私の文など掲載して、色つきで書いたり、いろいろしゃべっているようです。
そのなかのコメント者たちは、キケ氏の言葉を借りて、五億チェスト!とか
わたしは頭がおかしいので、とか前置きしたりして、はじめて読む方はなんのことか
わからないかもしれませんが、上記のような神の子さんが楽しくやっているようです。
興味のある方は「谷口雅春に訊け」で検索してみてください。

612うのはな:2012/07/20(金) 20:50:04 ID:gTn97m6I
>訊け様にも「ありがとう」や「感謝」をすればますます仲良くなるかもですね!(^^)!

それは無理ですね(笑)彼はわたしのいってることが理解できないようですから。
言葉が通じ合わないのに仲よくもなにもないでしょう。
 でも、以前大論争掲示板というところで中傷誹謗され続けていて、夏に一ヶ月入院したことがありますが、
そのとき、村上教授のDNAドリンクだとか、良書や善人にめぐり合って
 それから感謝誦行とかやりはじめて今年に入ってから50万回突破して
俗世間的にはいいことがありましたよ。卑俗な話で申し訳ないですが、
きょうもどっさり猟師の知人からハモやいろいろもらって、明日からハモづくしだ!
って皆で喜んでいました。
ほかに人間関係とかでこまったこともなく楽しい話ばかりはいってくるので、
私自身は満足しています。

613神の子さん:2012/07/20(金) 21:09:03 ID:/egGcx9Y
>>612
うのはな様

訊け様に関係するご文章は訊け様ブログへどうぞ。

614うのはな:2012/07/20(金) 21:24:24 ID:gTn97m6I

訊けブログで朝、いいにいきましたよ。
そしたら訊けブログから転載なんて記事があったから、今後こういうのは
削除したほうがという意味で管理人さんに提案したら、訊け氏がおなじことばかり
しつこく書いてきたので、わたしもいいかなと思って書きました。
上の話は、訊け氏がこの掲示板で私にかきこみしてきたことを主に話しているので、
別にいいと思って書きました。きょうでも訊けブログから転載という記事や、
訊け氏からの投稿がなければ、キケ氏のことなど書く気はありませんでした。
朝、訊け氏のブログでコメントしましたから。
このことに関してまたおなじことをいわれても返信しませんので。
あしからず。

615無免許うのはなに不快感:2012/07/21(土) 04:42:36 ID:4sY3hvWs
激甚災害に指定します

616神の子さん:2012/07/21(土) 07:18:38 ID:l.49dDqg
合掌


>このことに関してまたおなじことをいわれても返信しませんので。
>あしからず。

ありがとうございます。それでは以下の文章ですが返信は決してなさらないとのこと、嬉しく思います。
よろしくお願い致します。



>それは無理ですね(笑)彼はわたしのいってることが理解できないようですから。
>言葉が通じ合わないのに仲よくもなにもないでしょう。


これは谷口雅春先生のご意志に反します。そしてこの掲示板は、

「この掲示板は、基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教え
を支持、共鳴する人のためにサイトです。生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容
の投稿はご遠慮下さい。」

とある様に貴女様のような方は、議論参加できないことになっています。
谷口雅春先生のご意志に対して行動にて批判されている貴女様は、早急にご自分のブログを開始されてください。


>ほかに人間関係とかでこまったこともなく楽しい話ばかりはいってくるので、
>私自身は満足しています。


貴女自身はご満足でも他の方は迷惑なさっておられます。この点に配慮ください。


再拝

617うのはな:2012/07/21(土) 07:59:36 ID:gTn97m6I
トキ管理人さま

 ここは工作員歓迎で自主アク禁にしても名前を変えて入ってきて人の文章に
ちょっかいを出したり、自分のブログでなら好き放題にしていいような趣旨のようですが、
本流やここに出入りしては波風を立たせている「春らんまん今の住人さま」も
キケ氏のブログで「うのはなに教育的指導をしてやりました」と報告したり、
神の子さんというかたも、訊け氏のブログでトキ掲示板でこうこう書きましたが
かえってご迷惑になったとか、謹慎中だとかいう訊け管理人氏に報告のようなことをいったり、
ここで試合を提案した人などが、ここの掲示板の人たちのことに批判コメントを載せたり
しています。
また訊け氏においてはここの掲示板で見たこともない人の話題を持ち出し、
結局ユタカ氏の家族にまで被害が及んだ試友会においての責任をとるといったものの、
ルンルンさんの話などに干渉コメントし、不調和を増大させたりしています。
このような経過をよく見てから、来月からの新・掲示板づくりに生かせるように
トキ管理人様の采配に期待するものです。



618神の子さん:2012/07/21(土) 08:07:46 ID:l.49dDqg

>トキ管理人様の采配に期待するものです。


それはこれですよ、うのはなさん・・・


759 :トキ:2012/07/11(水) 17:29:12 ID:0xHdFJu2

 もうしばらくしたら、別の掲示板を作ります。

 それまで、皆様、ご辛抱をお願いします。うのはな様、はやくご自分のブログを開設して下さい。その方がいいですよ。

合掌 ありがとうございます

619攪乱者へ:2012/07/21(土) 08:18:28 ID:gTn97m6I
>このことに関してまたおなじことをいわれても返信しませんので。
あしからず。<

614をよく読むようにしてください。
さもないと無用の口論を引き起こすことになります。

620神の子さん:2012/07/21(土) 08:40:45 ID:l.49dDqg
合掌

貴女様こそ>>614をよく、読むようになさってください。

返信しない、そう申されたのは貴女様です。


再拝

621うのはな:2012/07/22(日) 00:42:37 ID:gTn97m6I


620 名前:神の子さん 投稿日: 2012/07/21(土) 08:40:45 ID:l.49dDqg
合掌

貴女様こそ>>614をよく、読むようになさってください。

返信しない、そう申されたのは貴女様です。




もうでてくるな!!うるさい!!

622うのはな:2012/07/22(日) 01:03:45 ID:gTn97m6I


620 名前:神の子さん 投稿日: 2012/07/21(土) 08:40:45 ID:l.49dDqg
合掌

貴女様こそ>>614をよく、読むようになさってください。

返信しない、そう申されたのは貴女様です。


返信しない、というのは今日から解除します。
返信しますよ。覚えときなさい。

623うのはな:2012/07/22(日) 01:06:23 ID:gTn97m6I
618 名前:神の子さん 投稿日: 2012/07/21(土) 08:07:46 ID:l.49dDqg

>トキ管理人様の采配に期待するものです。


それはこれですよ、うのはなさん・・・


あんたはあほか?

624うのはな:2012/07/22(日) 01:09:18 ID:gTn97m6I

 いつも土曜は夜勤なのを代わってもらって、カキコミしてます。
 お願いだから、あほは出てこないで。
 うのはなといわないで。

625うのはな:2012/07/22(日) 11:11:21 ID:gTn97m6I

620 名前:神の子さん 投稿日: 2012/07/21(土) 08:40:45 ID:l.49dDqg
合掌

貴女様こそ>>614をよく、読むようになさってください。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

>その中で“一部抜粋”しますが〜〜〜【悪霊…】についてですが〜〜〜

女子会版1680をよくお読みください。名ばかりの神の子さん。

626a hope:2012/08/17(金) 08:59:08 ID:r8H4x9xE

……祈り合いの神想観実修本義…… (新版 人間苦の解放宣言 p118〜)

(4)相手を癒すに非ず、自分の心を癒すなり

相手のために祈るにあたっては、「私が祈ってやる」という、たかぶった心をもってはならぬ。
かつて、九州の伊藤清磨講師のところに、近所の人が来て、町内の江口さんという人の奥さんが亡くなられて、残された三人の小さい子供をかかえて、江口さんは頭がおかしくなり、あらぬことを口ばしり、家中に黴菌がまき散らされていると言って、家に誰も入れず、小さな子供に食事も与えず暴れているから行って癒して欲しいと頼んできたことがあった。
伊藤講師がその家の仏壇の前で、亡くなった奥さんの霊に聖経を誦(あ)げるため、中に入ろうとすると、江口さんが恐ろしい形相をして玄関に頑張っていて、
「入ってはいかん、入ってはいかん」と胸をトントン突き返す。
そこでやむをえず、伊藤講師は家の前に立ったまま聖経読誦をはじめられた。
往来であるから、だんだん人が集まって来て、伊藤講師を取り囲む。
「何だ、何だ」
「生長の家だ」
「いくら生長の家でも、お経を誦(あ)げて気狂(きちが)いが癒(なお)るものか」
などと言う声が耳に入って来る。さあ、そうなると、もしこれで狂人が癒らなかったら「生長の家」の名折れになるというので、聖経を誦げながらも気が気ではない。
一回誦(よ)んでも、ニ回誦んでも気狂いはなおらない。とうとう連続三回読誦(どくじゅ)されたが、それでも効果がないのである。伊藤講師が「どうしたらよいか」と進退きわまった時、
「祈れ!」という内部の声がした。
その声に押されて、もう、恥も外聞も無く、その場に土下座し、カラカラに乾いた喉で招神歌(かみよびうた)を唱え、祈られたのである。
その祈りの最中、何処からともなく、権威ある声が聞えてきた。
「伊藤清磨!気狂いはお前だぞ!」
その声に対し、
「冗談をいってはいけません。私は伊藤清磨、れっきとした生長の家の講師です。気狂いはあそこに暴れております。私はあの人と今まで何の縁もゆかりもない、今日初めて逢っただけです」と、伊藤講師の常識的な肉体神が反撥したとき、権威ある声がさらに響いてきた。
「三界は唯心だ!」
その声を聞いた時、伊藤講師は、
「ああ、わかりました。神様すみません!」と懺悔の涙を流されたのである。
(つづく)

627a hope:2012/08/17(金) 09:00:11 ID:r8H4x9xE
(つづき)
その時、伊藤講師は、
「私は、私があの気狂いを癒(なお)してやろうと思っていたが、何という高ぶった気持ちを持っておったか。この世界に気狂いありと認めている、その間違った私の心があの人に現れて、ああいう姿をとらしておったのだった。私の間違った思いがあの人を気狂いにしておったのです」と気がついた。そして伊藤清磨さんはこういって祈った。
「観世音菩薩さま、すみません。あなた様のお創りになったこの世界は既に完全円満であるのに、それなのに、まだ此の世に不完全な気狂いがあるなどと思い間違えていたその私の心の迷いを取り去り給え」
この祈りの言葉を一心に繰り返して無我無心の状態に入っていた。そして、幾時間を経たのか、時間のたつのもわからないで、完全な実相のみ実在するという念のみがそこにあった。
フト、気がつくと、
「もしもし、どうしたのですか」
と、肩をたたく人がある。眼を開いて見ると、正気にかえった江口さんが、自分を心配そうに覗き込んでおられたのである。
これは、まことに他(ひと)の為に祈る典型であるということができる。
江口さんが一時、精神錯乱の状態であったのは江口さんの心が妻の他界のために乱れた反映が肉体にあらわれたのである。伊藤講師が江口さんに逢ったのは、その時が初めてであるが、伊藤講師と江口さんとの接触が始まると、伊藤講師の心の状態が江口さんに感応することになるのである。
そして、周囲の人が(伊藤講師を含む)彼を気狂いだと観ている限りは気狂いは治らないのである。「観ることは現すことであり、観る心は創造(つく)る力をもつ」。伊藤講師の心の中に、江口氏が既に“神の子”で健全であることをハッキリ強く知り且つ観ることが出来れば、本来健全であるところの江口氏の実相が顕現するのである。このことを生長の家では、「すでにすべて人は癒されているのである」という。神の子たる人間に病は無いのである。どこにもだれも「病気の人も、不幸の人もないのである」。すべての人は神の子であり、病気も不幸もないのである。ただ自分が、彼を病気であり、不幸であると「観ていた」に過ぎないのである。
「観(かん)」を変えることが必要である。祈ってあげる者がなすべき役割は、ただ神の造りたまうた実在の世界の完全円満であることを観、それを不完全であり、不健康であると観た間違いを懺悔し切り、無条件に実相の完全さの前に降伏することなのである。
相手を癒すのではないのである。こちらが相手を完全と観る修行である。病気であるのを癒すのではない。自分が彼を病気だと見る心を癒すために実相完全の相(すがた)を祈りの内に思念するのである。
(つづく)

628a hope:2012/08/17(金) 09:02:09 ID:r8H4x9xE
(つづき)
次に掲(あ)げるのは飛田給の練成会における坂本秀男さんの体験談である。

『ありがとうございます。私はこの練成会にまいりまして、お二人の悩んでいる女の方と知り合いになって、休憩時間のときなど、色々お話を聞いてあげていたのです。
祈り合いの時に、私はあの二人の女の方が、前に出られたらよいなあと思っていたんですが、恥ずかしがって出られないのです。それで私は思わず、その方達の後ろに行って、「勇気を出して前に出なさい。そして真剣に祈ってもらいなさいよ」と言って出したのです。で、そのお二人の方の前に坐ってお祈りしました。
そしたら瞑目合掌しながら吉田講師が、「今、自分の前にいらっしゃる方々に現れている現象は、みんな自分の心の現れです」とおっしゃったのです。そのコトバが耳を伝って私の大脳に入った時、“そんな馬鹿なことってあるか。これが私の家族だとか、親戚縁者というのなら少しは話がわかるが、私はあの人達とこれまで縁もゆかりもない。その人たちの不幸が私と何の関係があるか”――私の頭脳はそう言ったのです。
ところがその吉田講師の言葉を聞いたとき、それと同時に、何か胸の中というか、魂の底というか、魂の底からズーッとこみあげてくるものがあるんです。そしてそのまま合掌していたら、そのこみあげてくるものが全身にひろがって、頭脳で考えていたことがすっかり無くなってしまって、涙がポロポロ、いくら止めようと思っても流れてきまして、
“今このお二人の方が、こうした不幸せの状態にあることは、実は私に何にも関係のないつもりだったけれどもそうではなかった。ああ、私は、こういうこともあった、ああいうこともあった”と考えられて涙がポロポロこぼれて、「本当に私が悪うございます。すみませんでした。私の至らないために、あなたにこんな申し訳ない形をだしましてごめんなさい」と一心に祈りました。
祈りが終わって、見ると、お二人とも泣いていらっしゃるんです。後でお二人のところへ行ったら、お二人とも、とても悦んで下さいましてね。私はお二人の肩に手をやりまして――相手の人が男だったら腕の中に抱きしめたい気持ちでしたが、ご婦人なので遠慮してまして、「よかったですね」と申し上げたのです。私はその時に涙が出てきましてね、本当に相手のために一生懸命祈って救われたのは私なんだ、この二人の方は菩薩様だったと悟ったのです。そして私は、以前にも練成をうけに来たのだけれども、自分のことばかりを考えていたのが間違いだったと悟りました。私は、この瞬間の体験を得させていただいたことは、何ともいえぬ感激です。今も全身がありがたさで震えています。ありがとうございます。』
(札幌市○○条○○○四丁目)
(つづく)

629a hope:2012/08/17(金) 09:03:50 ID:r8H4x9xE
(つづき)
“祈ってあげる人”も“祈ってもらう人”も、赤の他人で、何の関係もなかった人間同志だと思えるのであるけれども、そのような人達は、“類業(るいごう)”“類縁(るいえん)”によって“一体(ひとつ)”に結ばれているのであって、その祈ってあげる人が、相手の実相完全な姿を真に悟ったら、相手と共に自分自身が救われ、相手が癒され、自分が癒されることになるのである。
もっと広義に考えるならば、地上のすべての人類は“類業”“類縁”によって一体なのである。だから、あり最高の聖者は「世界人類が一人でもまだ苦しんでいるのは、私ひとりの罪である」と言い切ったのである。“罪”とは、“包み”隠していることであり、一人でもまだこの世に苦しんでいる人があるのは、自分がまだ、全人類が皆神の子・完全円満であることを真に観る境地に達していないその罪のあらわれだという意味である。
さて、その後、一年半ほどして坂本さんが再び飛田給を訪ねてこられて、次のように言われたのであった。
「練成会から帰りまして、その後現象的には色々のことがありましたが、その度に、あの祈り合いの時本当に自分を忘れて祈ったあの気持ちを思い出し、そうだ、あの気持ちでやれば、どんなことでも解決するんだと進んできました。本当に、祈り合いの、あの体験は、私の生涯を永遠に導く光です」
祈り合いをして、祈ってもらう方にも体験がでるが、それ以上に、祈った人方に、より多くの感激と悦びの体験がでるのである。しかし、坂本さんの体験を単に実験心理学上の出来事だと考えると間違いなのである。吉田講師が唯(ただ)あれだけの発言をしたのに、坂本さんが非常な感激をして嗚咽(おえつ)がとまらず、さらに深い真理の体験を得たことは、この練成会を指導してい給う神の指導と加護とが加わっていることを見逃してはならないのである。
練成に来て、神想観をして、いつまでたっても手が痛い、足が痛い、雑念が湧く、「私は何とつまらない人間だろう」と劣等感を持っていた人が、祈り合いの時、同室の人が、その人に祈って欲しいと前に出た。
「よし!今日はもう自分のことなど、どうでもよい。あの人の幸福のために祈ろう」と、真剣に祈った。祈り終わってみたら、足も痛くなく、手も疲れない。時間も忘れて、涙をポロポロ流して祈っていた。
「自分は今まで、何とつまらない、やくざな人間かと思っていたが、この私の中にも、こんなにまで無我なって涙を流して他(ひと)のために祈り得る神の愛があったのか」ということに気がつき、劣等感、ノイローゼが解消した、本当の神想観の悦びが分かった、というような体験が毎月の祈り合いで数多く報告されているのである。
今、こうして、祈らせていただくべく眼の前にある人は、自分の過去の業(ごう)を消し、自分を導く観世音菩薩様なのである。自分が祈ってやるのではない、祈らしていただくのであるという気持ちが大切である。そこに神の癒力がはたらくのであって、人間の自力で奇跡的治療が行われるのではないのである。
(終わり)

630金木犀:2012/08/17(金) 10:12:29 ID:auusu5IE
a hope様

素晴らしい謹写、有難うございます。
読んで、とても感銘を受けました。昔読んだ記憶があるのに、一回限りで放置していた本です。
なんか改めて、素晴らしさに心打たれました。
自他一体はなかなか頭では分かっても、悟りにくいものですが、
このような体験談の感動は、知ではなく情から入れるので、心全体で受け止めやすいですね。
ありがとうございました。
祈り合いの神想観、ほんとに素晴らしいですね。
WEB誌友会でも、出来るものならどんどんやりたいですね。

631a hope:2012/09/06(木) 08:03:19 ID:r8H4x9xE

みなさま おはようございます。

ちょうど、1年前ですが、わたしは、トーキングスティックボードで、ステッカーとなって、
『「生長の家」の愛と伝道について』というテーマで、
みなさまに質問させていただきながらお話をさせていただいていました。

その時に、うのはなさまは、トーキングスティックボードには書き込みされないのですが、
本当にに何気なく、テーマの参考になる資料を他の板にたくさん謹写して下さっていたのです。
わたしは、その時、うのはなさまの愛を感じ、感謝の気持ちでいっぱいでした。

これから、この板に、その時うのはなさまが謹写して下さっていた、
「新春伝道講話  伝道こそ信仰の生命   楠本加美野 先生」
を勝手ながら再投稿させていただきたいと思います。

当時は、まだよく理解できなかった文章ですが、昨日読み返しましたらとてもよく理解できました。
ユタカさまが、今、楠本先生の「伝道物語」を読まれているそうですが、
web誌友会板の方に、「伝道と陰徳の関係」についての質問を残してくださっています。
そのことを考える上で、とても参考になりました。

感謝 合掌

632a hope:2012/09/06(木) 08:07:47 ID:r8H4x9xE
以下、「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板 >>171〜 再投稿



171 :うのはな:2011/09/27(火) 11:22:54 ID:iM0b0bt6
 新春伝道講話  伝道こそ信仰の生命   楠本加美野 先生

 河口湖道場では昭和四十四年から伝道練成というものを始め、近頃は
 大分人が集ってくれるようになりました。
 伝道練成だから、伝道の方法、つまりどんなふうに相手の家を訪問し、
 向うがこう言ったらこう答えて、ああ言えばこう言い、そして最後に
 受講券やテキストを買わそう、そんな何か手段や方法を勉強しようと思って
 来ている人も多い。しかしそうじゃない。伝道精神を体得して貰うことが
 眼目なのです。では、その伝道精神とは何か、それをお話したいと思います。

 伝道に行きますと、大概は断わられる。最初やる気充分の人も断わられるたびに
 元気がなくなり、十軒も断わられると零になってしまう。
 そうではなく、断わられれば断わられるほど、益々やる気が出てくる、これこそが
 伝道精神なんです。朝から晩まで廻っても全部断わられた。それでも益々やる気が
 燃えてくる、こういう人が伝道の名人なのです。
 そうなれば、誰でも気楽に伝道できるでしょう。あの人は素晴らしい、こんなに
 本を売ったよ、ということばかりもてはやされると、本を売る名人だけが伝道をする
 ようになる。それでは不完全で、今は全ての人をいかに伝道者にするかということが
 大切なことなのです。如何に伝道する人を増やすかということが、伝道を上手にさせる
 ことよりもなお大切なのです。
 方法は、やっているうちにひとりでに会得でき、上手になって行くものですから。

つづく

633a hope:2012/09/06(木) 08:08:34 ID:r8H4x9xE
>171 続き

 伝道精神の養成でまず重要な事は“真の伝道者は伝道者をつくる”と
 いうことです。“真理は伝道するとき、はじめて生きて来て自他を利益する”
 と谷口雅春先生は教えて下さっていますね。
 ここが大事なところで、なぜ伝道が大事なのかがよく解ります。
 そこで、伝道者として、また伝道者を育てる上に欠かせない自覚、それは
 次の二点だと思います。一つは、“神吾を選び給いしなり”という使命感、
 つまり、自分がこの生長の家に入ったんじゃなく、神様が自分を必要となさったから
 こうして生長の家に触れたんだという、選ばれた使命感というものを如何に
 徹底するかということです。
 もう一つは、『法華経解釋』に書かれている“利己的信仰者は人生問題に遭い、
 利他行に還る”ということです。個人指導のとき、皆さん色々な悩みを訴えられる。
 その時、“あなた、こういう利己的なことがあったでしょう、だから問題が起きた。
 これを懺悔して利他行にかえれば問題は解決しますよ”と指導する。
 これで、病気であろうが、家庭不調和だろうが、事業の失敗であろうが、
 何でも解決します。つまり個人指導のときに伝道者にしてしまうわけです。
 そうして、神様があなたを必要としたからこそ、問題が生じ、生長の家の真理に
 触れさせられたという、選ばれた使命をよく自覚してもらうよう指導することが
 大切で、この二点が伝道精神を育む基本です。

 つづく

634a hope:2012/09/06(木) 08:09:22 ID:r8H4x9xE
>172 続き

 「行ありて願なきは仏の魔事なり」
 
 これは昭和四十四年の青年会全国大会での谷口雅春先生の結語の中の
 お言葉です。行というのは、神想観とか、聖典読誦とか愛行ということで、
 これはもちろん大切ですが、これをどんなに一所懸命しても、願が正しく
 なければ、仏の魔事になるということです。
 大牟田の村上さんという方は、息子さんがノイローゼのため河口湖道場に
 練成を受けによく来られた。後日その村上さんに九州でお会いした時、
 「息子さん、どうしましたか?」と訊いてみました。
 「お陰ですっかり快くなり、今では元気に働いています」というわけです。
 息子さんが悪くなって入院したときにハッと気がついたことがあったというのです。
 それは、この悪い息子を治そう治そうという願いが間違っていた。
 息子は神の子だったんだ。私がこうして生長の家の修行ができたのは、
 息子のお蔭ではなかったのか。悪い息子と考えて、息子はどんなに辛かったことだろう。
 申訳なかった。そう気づいて、飛んで行って息子の前に両手をついて詫びた。
 「長い間あんたを悪い悪いと思って済まなかった。あんたは神の子だった。
 お母さんを導くために、そんな姿になって現れて下さったのか、本当にごめんなさい」とね。
 すると息子が「お母さん、やっと分ったか」と言ったそうなんです(笑声)
 それっきり息子さんのノイローゼは治ってしまったというわけです。
 これは「願」が間違っていたのですね。この悪い息子をどうしたら治すことができる
 だろうか。百部一括したら、いやニ百部一括したら治せるだろうか・・・・
 それで二十年間やって来た。ところが、信仰の世界では、願が間違っていたら
 どんなに形の上で一所懸命やっても効果が上らないわけです。
 人の子の願いではなく神の子の願いを持たなければならない。
 どのような現象が現れていようとも、それに引っかからず、実相に立脚して、
 光の展開を願う「願」を正しくもつことが大切になるのであります。
 大概の人は最初生長の家に入って来るときは、病気を治したい、金を儲けたい、
 子供を良くしたいとか、そういう願いを持って入って来る。ところが、その願いを、
 いつまでも続けているとそれが魔事になってしまう。その願いをいつ正しい願いに変えるかが
 重要なので、」そこで初めて神の子が顕れて来る。この、正しい願への切換が、伝道者になる
 ための必須条件であると思うわけです。


 つづく

635a hope:2012/09/06(木) 08:09:56 ID:r8H4x9xE
>173 続き

 生長の家の「七つの光明宣言」の第一条に“生命の礼拝”ということが
挙げられています。これが御教えの中心だと思います。
個人指導をしておりますと、問題は人生百般に亙る。親不孝などの問題だと、
私は得意中の得意ですが、例えば事業に失敗したとか、どう指導すればよいのか難しい
問題もあるわけです。しかし、この“生命の礼拝”という一点が把握できますと、
どんな問題でも解決の道はこれ一つで充分だということが解りました。
 つまり、生命礼拝ということは、天地一切のものと和解せよということです。
天地一切のものに感謝しなさいということです。これは教えの中心であると同時に
伝道の中心でもある。
 だから、伝道というのは、生命を礼拝することなのです。
生長の家の人どうしでは、“有難うございます”と拝みあうが、伝道というのは
生長の家でない人をも拝もうということで、それは形ではない。
伝道に行くと、色々な人が出て来る。“また来やがった”と凄い顔して出て来る人もいる。
たとえどんな人が出て来ようと、“ああ、いい人だなあ”と思えるかどうかが
肝腎なところです。変なのが出て来たから拝んで良くしてやろうなどと思うようでは、
益々反発されるだけです。


つづく

636a hope:2012/09/06(木) 08:10:26 ID:r8H4x9xE
>174 続き

 祝福というのは相手の幸福を祈ることですから、根本に相手を神の子として
拝む気持、すなわちこの生命の礼拝がなければ、本当の祝福にはならない道理で
、ここが伝道を実践するときの基本となるわけです。
 さて、その宣言の第一条の続きに、「生命の法則に随順して生活せんことを
期す」とあります。この生命の法則に従った生活をするとき、無限生長への道に叶う。
全ての人には必ず、もっと良くなりたいという向上心というものがあり、無限生長を
願っていると言えます。そのためには生命の法則に順って生活すればよい。
その“生命の法則”が説かれているのが、『生命の實相』であり、神誌であり聖典であるわけですから
「この本に書いてあるんですよ」と進めることが、次に為すべきことになるわけです。
“文章伝道”が生長の家の伝道方法ですからね。


後略  ここでいったん終わります。

637a hope:2012/09/06(木) 08:12:02 ID:r8H4x9xE
>176 続き

  全人類の光明化     新春伝道講話 楠本 加美野 先生

 生長の家の素晴らしさは、全人類の光明化を目ざすところにあります。
皆さんが伝道に出かけますと、キリスト教会もあるし、創価学会の家もある、
それこそ色々な家がある。しかし、創価学会の人であろうが共産党であろうが皆
全人類の一人です。省略しちゃいけない。伝道していると、留守の家もあるし、役場に
行き当たることもある。
「おい、これちょっと入りづらいな、やめとこうや、まだ他に家は一杯あるじゃないか」
・・・これはいけない。みんな素晴らしいんです。役場なら役場が素晴らしい。
それうぃ人間智で、いいとか悪いとか言うことは迷いです。進めないうちに、“あの人は
進めても無駄だ、やめとこう”なんて言っていると進める人がなくなってしまう(笑声)
 だから、人間智でもって最初から無駄だなどと決めて省くのは、全人類の光明化という
生長の家の根本精神に反するわけです。
 伝道練成に来た人でこんな人がいました。子供の頃噛まれたのがもとで犬嫌いになり
猫のように小さな犬でも怖ろしいという人でした。その人が伝道に歩いていて、
目の前に“猛犬”と書いてある家にぶつかった。さあ困った。省略してはならないし、
猛犬なんて字を見るだけでも震えが来る。考えたあげく、“そうだ、犬と和解しよう”
と思いついた。「私はあなたを赦しました。あなたも私を赦しました・・」
と、その人は一心に和解の祈りをしたそうです。伝道というのは時間がかかりますよ。(笑声)
そうして、「門番御苦労さま、有難うございます」と犬に感謝しながら庭先に入った。
するとやはり凄い犬がいた。ところがその犬がニコニコして迎えてくれたというのです。(爆笑)
これが皆さん、無限生長の道なんですよ。ここが大切なんです。
 その人は御主人と仲が悪くて、練成を受けに来ていたんです。犬と仲が悪いのは幼い時から、
御主人とは、結婚してしばらくしてからでしょう。“犬と仲良くなれたんだから、主人と仲良くすることなど
大したことじゃないわ”とふっ切れて、その人は素晴らしくなったんです。
本当にどこに救いがあるかわかりませんね。犬を避けてその家をとばしていたら、
こうは行かない。

つづく

638a hope:2012/09/06(木) 08:12:52 ID:r8H4x9xE
>195 続き

  神 吾を選びしなり

 谷口先生御自身が『生命の實相』の中に次のように書かれています。
「これは、神が起された運動であるということがわかったのであります」と。
「わかったのである」ということは、それまではわからなかったということですね。
谷口先生はそれを四十何年か前にわかったのでしょうが、私たちにも愈々
“これは神様が起された運動である”ということが解る時が来た。
そしてそれを解って運動をしなければならないギリギリの時が来ているのです。
 これが本当に解ったときに、冒頭で述べた最も大切な自覚である「吾 神を
選びしにあらず、神 吾を選び給いしなり」ということが信じられる。
伝道の根本はここで、これが本当に解ったときの喜びが信仰の神髄でもあると思うわけです。

 「諸君よ、選ばれた使命をゆるがせになしたまうな。時は過ぎ行く。“後なる者先とならん”
わたしはあの信仰深きキリスト教徒が戸別訪問しながら聖書を売り、入信を勧めて歩く熱心さに
心を打たれ襟を正す。諸君も、光明思想をひろめるのに、この熱心なキリスト教徒をならって
下さることを希望する。希望は実現の母である、わが希望は必ず実現する。信じて望めば能わざる
ことは一つもないのである」
『生命の實相』第一巻にはこうお示し下さっています。
「選ばれた使命をゆるがせになしたまうな」という御文章は『生命の實相』の
ここにしか出ておりません。最も具体的に、選ばれたる者の行くべき道をさし
示して下さっているわけで、河口湖の伝道練成も、ここに拠って始められたのです。
ところでこの生長の家の練成ほど人生の縮図はありません。色んな人が来る。
時には道場破りのような人も来ます。あっちの道場こっちの道場と巡って品定めをしている。
(笑声)そういう人がこの間も河口湖へ来た。「私は練成を受けている時はいいんですが、
帰ると段々冷めちゃうんです。冷めると練成へ来るんです。なるべく冷めにくいところへ来たいと
思うんですが、河口湖はどのぐらい保つでしょうか」と言う。
練成道場を温泉みたいに思っている(笑声)「君は入信の動機は何だ」
「それを言われるとお恥ずかしいんですが、刑務所の中で触れました」
そこで私は、「何と素晴らしいじゃないか」と言ったんです。
「生長の家の信者は沢山いるけれど、刑務所の中で触れたなんていうのは十万人に一人ぐらいしか
いないだろう。君は神様から選ばれて刑務所に入ったんだぞ」
「そう刑務所刑務所と言われると、身が縮む思いがします。しかしこれは初耳です。
どういうことでしょうか?」
「この生長の家の運動は全人類を救わなければいけない。全人類の中には刑務所から出た者も
沢山いる。その人たちを救う使命が君にはある。そのために神様は君を刑務所に入れてまで
生長の家に触れさせたんだ。その自覚をしなさい。その自覚とともに君の使命に
邁進した時に、君はもう冷めることはない。温まりっぱなしだ」(拍手)


つづく

639a hope:2012/09/06(木) 08:13:54 ID:r8H4x9xE
>196 続き

 皆さん、この、人類から劣等感をなくするのが光明化運動なのです。
その劣等感はどこから来るかというと、過去の失敗から来る。
『あなたは無限能力者』の本に次のような谷口雅春先生の御文章が引かれています。
「失敗を自分の無能力に直結させるところから劣等感が生れる」と。
劣等感をもっていると、いくら生長の家をやっていても幸福にはなれないんです。
過去の失敗は、それを利用して同じ失敗をして苦しんでいる人々を救うために、
神が為さしめ給うたのだと自覚を新たにして、伝道に邁進して素晴らしくなった人は
河口湖に来た人の中には一杯います。女道楽の限りを尽し、奥さんに連れられて伝道練成に
来られた大友さんなど、今では三角関係解消の名人です。
 このように、生長の家に触れたことによって、過去のぬぐい難き劣等感をなくすることができる。
その人の人生の暗い影が、みんな世のため人のために使うことができるところに、
生長の家に入った喜びがあるのです。
“神 吾を選びしなり”の自覚がどんなに大切であるかがお分かりになると思います。

つづく

640a hope:2012/09/06(木) 08:16:27 ID:r8H4x9xE
>201 続き

  神は献身を要求し給う

 中には、「私はまだ病気がよくならないから、治ったら伝えます」とか、
「“生命の實相”をもっとよく読んでから伝道します」とか言う人がいる。
また、「自分は教養がないし、地位も何もないから伝道に自信がない」と言って
尻込みする人もいる。ところが、そういう、信仰が浅いとか深いとか、病気が治って
いるとかまだだとか、あるいは、学問や地位があるとかないとか、話がうまいとかへただとか、
そんなことは、神様は、選ばれた人に要求し給わない。神は献身だけを要求し給うのです。
実際、伝道に出てみるとわかるのですが、伝道には地位も肩書きも通用しません。
そういう意味では、大変厳しいものです。伝道に必要なのは心から相手の幸せを祈る愛と、
神への無条件の献身、これあるのみです。
これが唯一無二の、選ばれた使命を果たすための条件です。
神様、こうして下さい、ああしてくださいという祈りをなくすることですね。
神様どうぞ私を自由にお使い下さいと願う祈りこそ、最高の祈りなのです。
この願いこそ本当の願であり、他のものは何も要らない。純粋に“神様のお役に
立たせて下さい”と祈るとき、あなたの願いは神様の願いと一致する。
それを神の子と言うのですよ。他のものは何もいらない。
これさえあれば伝道者として既に充分であり、また、信仰者として充分であり、
そして、人生の目的というものも結局ここにあると私は思うのであります。

 皆さん、私たち高級霊は一日を終るに当って、生長の家のお陰で金がもうかった、
うまいものが食べれたぐらいじゃ喜べないですよ。高級霊の喜びは、今日一日神様のお役に立つ
ことができたんだという喜びですよ。この時に、神の子の純粋な喜びを神より幸えていただけるのです。
 私も二十数年間、ひたすら練成で行きぬいて来ていますが、一番うれしい
練成会は、本当に神意を実現できた練成です。


 おわり

641SAKURA:2012/09/10(月) 09:44:14 ID:SbalnCM2
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
おはようございます。…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

既に、投稿しましたが……?
正直申しますと?「論点」が、あわなく思いますモノ???【バトル戦争…始まりの様で…】
ここで “再度…投稿” させて頂きますので…何卒ご了承くださいませ。
■今回…【 ウエブ誌友会のテキスト 】に関しまして、此処の“ボ−ド”にて、私なりに
“解説論”を、投稿させて頂きたいものと、思いました次第です。…が?

■第四章 心の世界における運命の形成
■運命のケミカライゼ−ション………
「生命の実相」より私なりに“解釈”して参ります…。さて!前回より続きです。
「生命の実相…雅春先生の言葉」より、一部抜粋文章です。

【念の総合的な力】で強く決まってしまった事件、いかに精神統一をして、その反対の思念を、
しましても、その事件が起こらなくさせるという事とは、できないのであります。
そのような場合は、その災難の渦中にのみ込まれない・・・ひきつけられないような信念を
もっていさえすれば、災難がおきましても【類の法則】に入りまして、ないものは反発するのです。
「類で無いものは反発する」が【心の法則】に、のる事でしょうか??でももしかしまして
災難が起きたしますと、その災難に遭遇しても、渦の中に放り込まれても、逆に放り出される
事になるようです。と…?

この例として雅春先生のお話から……云々……
〜〜〜【抜 粋 文 章】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
米国カリホル二ア州ロスアンゼルスの心霊治療家ピ−・ハワ−ド夫人の手記より……
「ある日わたしは朝食後の皿を洗っていました。その時わたしは数マイル隔たったところに住んで
いる友だちを訪問したいという気が起こりました。わたしは仕事を簡単にすませて外出の服装を
ととのえました。その時とつぜんわたしの気分が憂鬱になり、何者かにおしつけられるようで、
外出がとてもいやになりました。…………
とても耐えられない憂鬱に襲われてわたしは部屋へ舞い戻らざるをえませんでした。わたしは
部屋へ戻るとひざまずいて、『神よ、いったいこれはどうしたことですか』と尋ねました。
とつぜん、その答えが強いシッカリした声で聞こえました。『家にとどまれ!!』わたしは
その声にしたがって家にとどまることに決めて、帽子を脱ぎ、手袋もケープもかなぐり捨てると、
わたしの気分は晴れやかに明るい気分になってきました。……
……その後夫人は、後で知る事に、同じ列車に乗るはずだった列車が、大事変が突発して
多数の死傷者が……出たのです。が……これは私の多数の経験中の一つです。」
「わたしはわたしの直感に従って失敗したことがありません。」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■■ハワ−ド夫人の“直感”に従い“難…”を免れたことは、やはり“直観”にて?でしょうか?
なら“直観…”を得るには、皆様!どうしたらいいのでしょうか……?
これを「雅春先生」が、教えて下さっています。…が?さらに【三輪さんの体験談】でも、
また参考になりますかと……
彼女の場合は、も〜〜〜う!“遭遇…”に!!この“難…”に会いながらも免れた方の一例も…
三輪さんという方は何気なく“無意識状態の直下”でしょうか…??そこで、子供に寝巻を、
着替えさせずに寝かせたら……【火事に遭遇】です。そのまま逃げられたのです〜〜〜ョネ!!
「雅春先生の言葉」から“直感”にてこの様な不幸な事件から免れる事は……
【信仰心から、念=心で作り上げる!その人の世界…】なんです〜〜〜ョネ!
                  <つづく>                No.1

642SAKURA:2012/09/10(月) 09:46:04 ID:SbalnCM2
  <つづく>                No.2  

おはようございます。…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>641の投稿の続きです。

さらに「雅春先生」は、おっしゃつています。……が?
〜〜〜【抜 粋 文 章】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
三輪さんのお宅に火事にあうということは「念の世界」では、余りにも確定的に、
できあがってしまったので、これを止めることはできなかったのでありましょう。しかし、火事が
起こるということは避け難かったにしても、焼け死んだり怪我をしたりするような不幸と、信心深い
三輪さんの心とは、「互いに類でないものは反発する」という 「心の法則」によって、「互いに
反発して、三輪さんは焼死と火傷との渦巻の圏外へ放り出されざるをえなかったのです。…云々…
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■■三輪さんは確かに【念の(心)の世界】では“不幸な出来事”を免れる事は難しい状態でした。
…が?彼女の日頃の“信仰心”が「互いに類でないものは反発する」……【類の法則…】に、
乗っかったという事でしょうか……??ですので「大きな被害」は起きなかったのです〜〜〜ョネ!

さらに「雅春先生」は、おっしゃつています。……が?
〜〜〜【抜 粋 文 章】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
「この様に、火事が他のいろいろな関係上、ある場所に避けられないような場合でも、神に
よって護られているという強い信念のある人は、護られていないという事実と「心の法則」
によって互いに反発しますから、怪我さすような事件や損さすような事件がいかに近くに
出てきましても、まるで自分だけは油と水とが混らないように、自分の身体とその不幸とが
別々になっており決して自分の運命にまで不幸がしみこんで来ることがないように自然
になるのであります。…云々… (一部抜粋文)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■■ここで?疑問点が生じますのです〜〜〜ョネ!【災難の類似性…】とは、
どういう意味なのでしょうかしら〜〜〜ン?

さらに「雅春先生」は、おっしゃつています。……が?
〜〜〜【抜 粋 文 章】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
われわれが災難にあって自分が傷つくのは、その災難と自分の心の状態とが、類似性をもっていて、
互いに「類をもって集まる」ようになるからであります。自分の心が招ばない物は何一つ、
この世で自分に近づいて来ることはできないのであります。自分の心の状態が、災難や不幸
とはぜんぜん似つきもせずかけはなれた明るい信仰状態にいましたらなら、われわれは災難
や不幸のまっタダ中にいてさえも、災難や不幸から鰻のようにぬるぬる滑り出して傷付けられる
ということはないのであります。…云々…  (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■■では?それを起らなくするには、皆さんは、どうしたらいいのか?お考えを教えて頂ければと…
〜〜〜【抜 粋 文 章】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
それを起らなくするにはそれに、直接間接関係のある多勢の人々が皆、念を変えねばなりません。
多勢の人々の念(こころ)を変えることができない以上はその念(こころ)の力が集まって
火事でも汽車の転覆でも、まず「念(心)の世界」に組み立てられます。するとわれわれ個々
の人の心はラジオの受信機のようなものでありますから、誰でも「念(こころ)世界」に
できあがった火事や汽車の転覆をそれとなく感ずることができる。
  <つづく>               No.2

643SAKURA:2012/09/10(月) 09:48:22 ID:SbalnCM2
<つづく>               No.3  

おはようございます。…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>641>>642の投稿の続きです。

Aの磁石の付近にBの磁石がおかれると、すぐ互いに感じ合うようなものであります。しかし
Aの磁石とBの磁石とは互いに側に置かれるとすぐ吸いつくかといいますと、吸いつく時もあれ
ば、吸いつかない時もある。かえって、磁石の向き方で、Bの磁石をAの磁石に近づければ
近づけるほど、Aの磁石が逃げ出してしまうこともある。これと同じくわれわれの心は一個
の磁石で、その向き方一つで、どんな悪い運命が近づいて来てもズンズン反発して、悪い運命
の手の届かない所へ逃げてしまうことができるのであります。
「信仰によって不幸というものは水と油とのように一つになれないような心の状態に
なっていられたのであります。――――   …云々…   (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
 
■■ですから【心の向き方…方向転換】します事によって、可能でしょうかと思います。
それは“潜在意識”によってですから…“悪い方向”にとらわれない生き方が“秘訣”でしょうか?
それにはやはり【自我=我=執着】でしょうか……それが“原因の要素”かと?
【執着を無くした“心”=“念”】という事になります〜〜〜ョネ!
【関東大震災…】は、一人一人の【念の具象化…】から起きたことだと思います。

さて!今回【別格本山宇治…】にての災害は…?この場合もその様に【決め付ける心】でしょうか?
例えばの“お話”なのです。…が?
「私は、この本を、絶対に読みたくない!!」と、人に宣言すると致します…。
これは、いい様で?相手に“悪い念”を送っているのです〜〜〜ョネ!この事は、逆の立場にて、
考えて頂きますと、皆様も気分は?そうです〜〜〜ョネ!【ネガティブ感情…】です。
何も考えていない人が、初めて【心=念…】が働き、同じ様な【類の法則…】に、はいります。
これが【具象化した働き…】なんです〜〜〜ョネ!

■今回【別格本山宇治…】での“職員の皆様の言葉”から…更に次なる相手へ“言葉”へ発信!!
しかも、それが【トップからの…“強い言葉”】からでしたら、想像してみて下さい。
どうでしょうか……??それは、当然なことです。実に【速く…“念の具象化”が早く起きる!!】
この事態に、入る分けです〜〜〜ョネ!!【超ウルトラパワ−?…マッハ級?】でしょうか?
“嫌な事”が起きますと?アレ〜アレ〜アレ〜と!云います内に“ドン!ドン!事態”が…
大きくなりますし、悪い方向へながされて行く事に、なります〜〜〜ョネ!
……その時ほど“潜在意識”に、以前植えつけたモノが【ウミ…】となり、出てきているわけですから、
その時ほど【心の向きを“方向転換する”だけで、良い方向に行くはずなのです。…が?
それでも、モ〜〜〜ゥ!遅い時は、それなりの“火傷”で済むのでは……?
まず!【こころを気楽に〜♫〜天に任せる事…神様に任せる事は、神様の御心に従う事!!】ではと
思います。…が?皆様は、どの様にお考えでしょうか???

今回!私は“自然体”で、まず!【受け入れる事‼!】を前提にして【神地一体…】に……
私の“大生命の心”を、“こころに集中!”で〜〜〜す。
どんな状態に陥っても【心=神の子】ですから、【神 地 一 体】なので〜〜〜す。
必ずや、心に“いい種”をまく事が、当然ですが「神様の御心に叶う事」の様に思います。

■今日から私は【無限の大生命に向けて…私は神の子】と“潜在意識”にしっかりインプット!……
私は今回の【大自然賛歌…】は、神様の“贈り物”と解釈しております。…が?
今までの、現在の私どもに足りない(理解しがたい)言葉を、補足して下さっていますと……
私は【大自然賛歌…】を読誦します事により、益々“心豊か〜♫”になり、益々【発展性へ…】と、
繋がりまして、“ネガティブな感情”は、何処かに〜♫〜吹き飛んでしまいました。
私は、いつの間にか“素敵な〜私”で、いられます。そして、もっと自由に【大自然賛歌…】を、
あの帆柱山系に向かい…高らかに“歌〜♫〜”いながら……!そうなのです〜〜〜ョネ!

<つづく>               No.3

644SAKURA:2012/09/10(月) 09:51:03 ID:SbalnCM2

<つづく>               No.4  

おはようございます。…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>641>>642>>643の投稿の続きです。

■ネガティブな感情はなく!!ボディティブな感情!!での“心…”にて、
【私は、神の子として神と一体…!勿論!私の心も豊かに〜〜寛大〜〜に〜♫】……
潜在意識に入り込ませて、モ〜〜〜ゥ“心”の状態は、朗らかに笑っています。どんな状態でも、
私は「神の子…」としてボディティブに行動しながら【思想の種】をふり蒔まいていきます。
今日から…『私は、本物の自分に戻っていきます…。』ありがとうございます。

■最後に【類を持って集まる!】の【心の法則】によりまして、如何なる?どんな状態化でも?
必ず!必ず!「いい方向に〜明るい運命に〜行く事が可能なのです!!あくまでも…
【お聖経…】は、私たちの道しるべ……と、私は思います。…が?

■【 人 生 と い う  船 旅 の 羅 針 盤 …! 】です…。

【お聖経…】を美化していく事も……それは、その人の“捉え方”“理解度”になるわけです〜ョネ!
今回!何度も?何度も?言いますが【大自然賛歌…】は、あくまでもその人の【心の捉え方…】……
ですから、私自身は安心して【教本…】としての取り扱いを致しております。それに、
内容が“理解しやすい”ですし…最後に【自分の心=念の方向に振り向ける事】が大事だと思います。
【甘露の法雨…】を読誦致しましても、現状が一向に“改善されない方”もいるのですから、
最終的には、その様に【すべて心でつくる世界】では?ないのではないでしょうか……??
本日は、確信いたしております。
〜〜〜【谷口雅春先生文章…参照抜粋】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■【念(こころ)世界】における“運命”は“ひな形”で、
この世の出来事は全てに於きまして、この“ひな形”通りに出てくるのであって、
悪い確信を持てば、当然のことですが【運命が悪く…】なり、
善い確信を持てば、【運命はよくなる…】この事は、当たり前の事であり“事実”なのであります。                        
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
この様に【大自然賛歌…】は、私は“素敵なプレゼント”と、確信しましたので、
益々【甘露の法雨…】と一緒に、並行に【大自然賛歌…】を読誦していきます。
きっと「神様のプレゼント」でしょうかしら〜〜〜ン??
                                  再合掌

645神の子さん:2012/09/10(月) 11:37:01 ID:???
>>644
SAKURA氏 「つづく」の使い方がまちがっております。

646うのはな:2012/09/10(月) 17:28:02 ID:2lPhm8Go
しつこいから、こっちにも掲載しましょう。

 1331 名前:神の子さん 投稿日: 2012/09/10(月) 16:46:24 ID:dqizEBmE


>>1307←訊け様から「王様の耳はロバの耳様」への文  挨拶版です。

647SAKURA:2012/09/16(日) 23:12:02 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
観覧者の皆様へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

今日から、ブレイクしまして【霊界通信…】の中から「ジュリアの音信」を取り上げたく…
ところが、私の欲しい書籍が><見つからず……絵本からですが、とても分かりやすく
『あの世の世界の展望』が見えて来るようですが【霊界通信…のジュリア】の参考なのですが?
一つの車輪がよく分かります。…が?前回投稿しましたのも記しておきますので、
見合わせて下さいますと、幸いに存じます…。

■第 七章 自動書記現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【 ジュリアの通信 】
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1341453150/457 
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1341453150/458 
生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4に投稿しましたが、いまから記します絵本からも
ジュリアの車輪についてですが・・・解りやすく記していますのでいまから記していきます

■【ジュリアの音信】 絵本からです
  これは、120年前にあった、有名な本当にあったおはなしです。
       人は死んでもしなない??
          あの世と、この世をつなぐ
              不思議な、ほんとうに合ったお話。

◆プロローグ
  今から120年前のことです。ジュリアは病気で、アメリカのボストンで亡くなりました。
               それから3カ月たったある日のこと・・・・・・・
         ロンドンに住んでいる、親友エレンさんに
                   こんな事が、あったのです。
   ジュリア======>エレンに・・・・

「エレン、エレン」
誰か、優しい声で呼ばれた気がして、エレンは目を覚ましました。
 一八九二年、春、明け方近いある朝のことです。いいえ目を覚ましたのか、
まだ夢の中なのかハッキリしませんでした。
   「エレン…………………エレン〜〜」
その優しい声がもう一度呼びました。
   『だ〜〜〜れ?』
窓の外は白みかけていて、心なしか白い霧で一杯でした。そう、ロンドンの朝は霧は
珍しいことではありませんでしたので。…
 でも、その霧が光ながら部屋に入って来て、淡いピンクの光を伴いながら、
美しい楕円の形の姿になりました。…
『だ〜〜れ?』
エレンは今度は本当に声に出して、そう言いました。すると、、楕円の形が
なぜか微笑んだように光りました。そうして、『ミネルヴァ、 ミネルヴァ』と、ささやくような、
でもハッキリとエレンの耳に明るい声が聞こえました。
   『エッ〜〜?…………あぁ〜〜 ウイラード夫人のことね』
……………でも、ミネルヴァとは、婦人禁酒同盟の会長のウィラード夫人のことで、
それはエレンが親友のジュリアと二人で、こっそりつけたニックネ−ムだったのです。
だからミネルヴァの名前を知ってるのは、エレンの他にはジュリアしかいないわけです。
   『ジュリア??』と、エレンが聞くと、美しい楕円の光が、
                  淡い淡い人の形になっていきました。

                                ( つづく )

  Λ__Λ             Λ__Λ      
 (=・ω・=)          (=・ω・=)<つづく〜〜 ニャ!  
 ┏━━U━━U━━┓     ┏━━U━━U━━┓
 ┃ジ ュ リ ア の  ┃  と  ┃  音  信 ┃
 ┗━━U━━U━━┛      ┗━━U━━U━━┛

648うのはな:2012/09/17(月) 11:21:16 ID:LB749By6

明治天皇御製「御題 神祇(一九一〇)

  とこしへに 圀まもります 天地の 神のまつりを おろそかにすな

 山陰神道の御神歌

  永遠に 己のあらん 限りには 霊魂浄化の 道は絶ゆまじ

================================

 伊勢は甲乙の造替地を「二十年目ごと」に替えられるが、出雲大社は六十年目ごと
 に大修理が行われる。そこが伊勢と出雲の違いである。
 伊勢神宮は「御社殿」が新しく造り替えられるわけであるから、文字通り「御遷宮」となる。

 出雲大社は「お屋根の葺替え」となる。ここが「伊勢と出雲」の大きな違いである。
 かく見る時、「伊勢」は我々にとって「心のふるさと」だが、出雲は更なる「心のふるさと」
 であることがわかる。

 別しても「中国地方(島根・鳥取・兵庫県北部と西部・広島県北部)の人たちにとっては出雲は
 心のふるさと」である。
 特に伊勢は「国家神道」の時代には毎年三〇〇万人を超える参拝者があった。
 また古来、宝とは「田族(たやから)」とする。伊勢は「御師」らによって
 「農民(田族)に布教されたので、「伊勢神宮は農業の神」となった。
 別にして「豊受大神宮(外宮)」は農業神として農民に崇められてきた。

 かくて「伊勢」は農民の神として「全国から詣でる」ようになり、勤仰皇浪士らの
 作った「尊皇」の志による「大義」がもてはやされるようになると、さらに賑わった。

 さらに「出雲」は民衆の信仰により、奥深い支持を得たのである。かくに「伊勢と出雲」は
 「心のふるさと」になったのである。

 『出雲と伊勢 神道の叡智』 山陰基央 著

649神の子さん:2012/09/17(月) 12:55:32 ID:???
>>647
猫かわいい!

こういうお話大好きです。続き待ってます。


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