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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2
626
:
a hope
:2012/08/17(金) 08:59:08 ID:r8H4x9xE
……祈り合いの神想観実修本義…… (新版 人間苦の解放宣言 p118〜)
(4)相手を癒すに非ず、自分の心を癒すなり
相手のために祈るにあたっては、「私が祈ってやる」という、たかぶった心をもってはならぬ。
かつて、九州の伊藤清磨講師のところに、近所の人が来て、町内の江口さんという人の奥さんが亡くなられて、残された三人の小さい子供をかかえて、江口さんは頭がおかしくなり、あらぬことを口ばしり、家中に黴菌がまき散らされていると言って、家に誰も入れず、小さな子供に食事も与えず暴れているから行って癒して欲しいと頼んできたことがあった。
伊藤講師がその家の仏壇の前で、亡くなった奥さんの霊に聖経を誦(あ)げるため、中に入ろうとすると、江口さんが恐ろしい形相をして玄関に頑張っていて、
「入ってはいかん、入ってはいかん」と胸をトントン突き返す。
そこでやむをえず、伊藤講師は家の前に立ったまま聖経読誦をはじめられた。
往来であるから、だんだん人が集まって来て、伊藤講師を取り囲む。
「何だ、何だ」
「生長の家だ」
「いくら生長の家でも、お経を誦(あ)げて気狂(きちが)いが癒(なお)るものか」
などと言う声が耳に入って来る。さあ、そうなると、もしこれで狂人が癒らなかったら「生長の家」の名折れになるというので、聖経を誦げながらも気が気ではない。
一回誦(よ)んでも、ニ回誦んでも気狂いはなおらない。とうとう連続三回読誦(どくじゅ)されたが、それでも効果がないのである。伊藤講師が「どうしたらよいか」と進退きわまった時、
「祈れ!」という内部の声がした。
その声に押されて、もう、恥も外聞も無く、その場に土下座し、カラカラに乾いた喉で招神歌(かみよびうた)を唱え、祈られたのである。
その祈りの最中、何処からともなく、権威ある声が聞えてきた。
「伊藤清磨!気狂いはお前だぞ!」
その声に対し、
「冗談をいってはいけません。私は伊藤清磨、れっきとした生長の家の講師です。気狂いはあそこに暴れております。私はあの人と今まで何の縁もゆかりもない、今日初めて逢っただけです」と、伊藤講師の常識的な肉体神が反撥したとき、権威ある声がさらに響いてきた。
「三界は唯心だ!」
その声を聞いた時、伊藤講師は、
「ああ、わかりました。神様すみません!」と懺悔の涙を流されたのである。
(つづく)
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