[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2
583
:
金木犀
:2012/07/15(日) 14:03:16 ID:eWib1Y1.
東山魁夷画伯は、ほんとうに日本の自然の美しさを理解し、愛された方です。
『やまとしうるはし』 東山魁夷画伯の奈良県桜井市夏季大学講演会(昭和50年)冒頭の部分から
【くにのまほろば】
本日は日本文化の故郷ともいうべきこの大和の地で、みなさまとお話できることを心からうれしく思います。
じつは、漠然と「随想」という題でお話することに、はじめはなっておりましたのに、それをあらためて、「やまとしうるはし」という題をつけました。ですから、「やまとしうるはし」という主題にしたがって、ごく随想風に、日本の美に触れてお話を申し上げたいと思っております。
今日私は、檜原神社の下の三輪山のふもと、上下ある、二つの池にはさまれた堤の中央に建てられた川端康成先生筆の歌碑の前に立って、しばらく先生をしのんできたわけであります。あの場所からは、大和平野を見おろし、その向こう、西の果てに二上山を中心として、左に金剛、葛城、右に信貴(しぎ)・生駒と山なみが続いているのが眺められます。また、平野の中ほどに耳成(みみなし)・畝傍(うねび)・香具(かぐ)の三山が、本当にほどよい間隔で、まるで小島が浮かんでいるように見えます。
目の下には箸墓の黒々とした森が見えておりまして、本当に「くにのまほろば」という感じがいたします。川端先生の筆になります、
大和は国のまほろばたたなづく青かき山ごもれる大和し美(うるは)し
この歌碑を拝見し、また、その周囲を眺めておりますと、本当に長い時というものを感じる心地です。またこの歌は、これ以上簡明に大和の美しさをうたうことは不可能だと思えるくらいの響きをもっていると、私には感じられるのです。
【ここにみる日本の心の源流】
ご承知のように、『古事記』にありますこの歌には、
命の全(また)けむ人は畳薦(たたみこも)平群(へぐり)の山の熊白檮(くまかし)が葉を髻華(うず)に挿(さ)せその子
とあり、さらに、
愛(は)しけやし吾家(わぎへ)の方(かた)よ雲居(くもい)起(た)ち来(く)も
と続いております。
倭建命が東征からお帰りになったときに伊勢の能褒野(のぼの)で病を得られまして、臨終に近いときによまれた望郷の歌だと『古事記』にはしるされておりますし、『日本書紀』では、景行天皇が日向国で都を思っておうたいになったといわれております。
このばあい、『日本書紀』のほうでは、
愛(は)しけよし吾家(わぎへ)の方(かた)ゆ雲居(くもい)起(た)ち来(く)も
大和は国のまほらま畳づく青垣山籠れる大和しうるはし
命の全(また)けむ人は畳薦(たたみこも)平群(へぐり)の山の白橿(しろかし)が枝(え)を髻華(うず)に挿(さ)せこの子
と順序も歌詞も変わっております。
まあいろいろな説がありますが、どうも私などは、素人の考えですけれども、倭建命(やまとたけるのみこと)の臨終の際の望郷のお歌としたほうが、景行天皇のお歌としたばあいよりも、この歌にこもる切実な、感動的な響きが、いっそうつよく響いてくるように思われてなりません。しかし、なにぶん遠い古代の、霧の彼方のことではあります。
また、この三章の歌は、現代的な合理的な考え方からすれば、ひとつの歌としてまとまった関連はなく、形式からみても時代差がある、という説も聞いております。ともあれ、第一章は農耕に関係の深い国見の歌、国ほめの歌とされ、第二章は春の大和で行われた歌垣の行事のものともいわれております。いずれにせよ、この歌が、古代日本人の心情の最も美しくうたわれているものであることに変わりはありませんし、その意味で日本人の心に、永久に日本の美の源流としての響きを伝えていくものと思われます。またそれは、私たち日本人の、本来の心をよびさまされる歌だともおもわれます。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板