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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

634a hope:2012/09/06(木) 08:09:22 ID:r8H4x9xE
>172 続き

 「行ありて願なきは仏の魔事なり」
 
 これは昭和四十四年の青年会全国大会での谷口雅春先生の結語の中の
 お言葉です。行というのは、神想観とか、聖典読誦とか愛行ということで、
 これはもちろん大切ですが、これをどんなに一所懸命しても、願が正しく
 なければ、仏の魔事になるということです。
 大牟田の村上さんという方は、息子さんがノイローゼのため河口湖道場に
 練成を受けによく来られた。後日その村上さんに九州でお会いした時、
 「息子さん、どうしましたか?」と訊いてみました。
 「お陰ですっかり快くなり、今では元気に働いています」というわけです。
 息子さんが悪くなって入院したときにハッと気がついたことがあったというのです。
 それは、この悪い息子を治そう治そうという願いが間違っていた。
 息子は神の子だったんだ。私がこうして生長の家の修行ができたのは、
 息子のお蔭ではなかったのか。悪い息子と考えて、息子はどんなに辛かったことだろう。
 申訳なかった。そう気づいて、飛んで行って息子の前に両手をついて詫びた。
 「長い間あんたを悪い悪いと思って済まなかった。あんたは神の子だった。
 お母さんを導くために、そんな姿になって現れて下さったのか、本当にごめんなさい」とね。
 すると息子が「お母さん、やっと分ったか」と言ったそうなんです(笑声)
 それっきり息子さんのノイローゼは治ってしまったというわけです。
 これは「願」が間違っていたのですね。この悪い息子をどうしたら治すことができる
 だろうか。百部一括したら、いやニ百部一括したら治せるだろうか・・・・
 それで二十年間やって来た。ところが、信仰の世界では、願が間違っていたら
 どんなに形の上で一所懸命やっても効果が上らないわけです。
 人の子の願いではなく神の子の願いを持たなければならない。
 どのような現象が現れていようとも、それに引っかからず、実相に立脚して、
 光の展開を願う「願」を正しくもつことが大切になるのであります。
 大概の人は最初生長の家に入って来るときは、病気を治したい、金を儲けたい、
 子供を良くしたいとか、そういう願いを持って入って来る。ところが、その願いを、
 いつまでも続けているとそれが魔事になってしまう。その願いをいつ正しい願いに変えるかが
 重要なので、」そこで初めて神の子が顕れて来る。この、正しい願への切換が、伝道者になる
 ための必須条件であると思うわけです。


 つづく


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