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鬼和尚の仏教購読会 別館

846避難民のマジレスさん:2020/07/26(日) 18:10:48 ID:6kL7WP160
大切なことを言っている、けど、最後に一言言いたい一休さん
135
白居易問鳥窠和尚、     白居易ていくわ和尚に問ふ、
如何是佛法大意。      如何が是れ仏法の大意。
窠曰、諸悪莫作、衆善奉行。 くわ曰く、諸悪莫作、衆善奉行。
白曰、三歳孩兒也解恁麼道。 はく曰く、三歳のがい児もまたいんもにいうことを解す。 
窠曰、三歳孩兒雖道得、   窠曰、三歳の孩兒もいいうると雖も、
八十老人行不得。      八十の老人も行ふことを得ずと。
霊山和尚毎曰、       りょうぜん和尚つねに曰く、
若無鳥窠一語、       若し鳥窠(ちょうか)の一語無くんば、
我徒盡泥乎本來無一物、   我が徒ことごとく本來無一物、
及不思善不思悪善悪不二、  及び不思善不思悪、善悪不二、
邪正一如等語。       邪正一如等の語になずんで、
以撥無因果。        以って因果をはつむし、
而世多日用不浄之邪師也。  而して世多く日に不浄の邪師を用ひん。 
故余作此偈以示衆云     故に余此のげを作り、以って衆に示すと云ふ。

學者撥無因果沈       学者因果をはつむして沈まん、
老禪一句價千金       老禅の一句値千金、
諸悪莫作善奉行       諸悪莫作善奉行、
須在先生醉裏吟       須らく先生酔りの吟に在るべし。

くま訳
白居易がちょうか和尚に質問した。
「仏法の大意とは何ですか」
鳥窠が言う「諸々の悪を為さず、善い事をすることです。」
白居易が言う「三歳の稚児でも分かりそうなことですね。」
鳥窠が言う「三歳の稚児でも分かることだが、八十の老人でも実践できないことです。」
霊山和尚が常に言っていたことがある。
「鳥窠のこの一語が無ければ、
私の弟子たちは、本來無一物、
及び、不思善不思悪、善悪不二、
邪正一如等の語に囚われてしまい、
結果的に世に多くの邪師を送り出してしまっただろう」と。
それで、わしは、此の偈を作り、皆に示すのである。

修行者が因果の道理を否定したら、地獄に沈む。
老禪師の一句は価千金である。曰く
諸悪莫作善奉行
当然のこととして、白居易先生の酔裏の詩にも詠まれているはずである。
(くま調べでは、来世も仏教を修めたいという詩等が見つかった。)

*泥む(なずむ):1そのことに心がとらわれる。こだわる。執着する。2 物事がはかばかしく進まない
 でいる。進むのに難渋する。とどこおる。3 なじむ。なれ親しむ。4 悩み苦しむ。病む。5 植物がし
 おれる。生気がなくなる。6 ひたむきに思いを寄せる。執心する。
*撥無(はつむ):払いのけて信じないこと。否定して排除すること
*白居易(白楽天):772-846唐代の詩人。酒の詩多数。『酔吟先生伝』という自伝を67歳のとき書いた。
(´・(ェ)・`)つ

847鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/26(日) 22:15:15 ID:1d4drIFg0
>>844 臨済宗の者が僧侶で無いのに僧侶と嘘をつくのは金のためじゃろう。
 葬式商売で儲けてうはうはなのじゃ。

>>845 そうじゃろう。
 本当はわしに認められたくて執着しているのじゃ。
 対面があるから認めたくないのじゃ。
 哀れな者じゃ。

848鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/26(日) 22:20:19 ID:1d4drIFg0
悪い事をせずに、善い事をするのが仏法だというのじゃ。
三歳の子でもわかるが八十の老人でも実践は難しいというのじゃ。
人はどうしても攻撃欲に囚われてしまうからのう。
観念を打破するための善悪不二という言葉に囚われて、この言葉を忘れてしまうならば邪師になるのじゃ。
お釈迦様もそのように説く六師外道を論破したのじゃ。

849避難民のマジレスさん:2020/07/27(月) 13:49:56 ID:b/R.LjPg0
>>848
で、僧侶じゃないのになんで僧侶って嘘つくの?

850避難民のマジレスさん:2020/07/27(月) 20:17:51 ID:hdQ2/nGg0
136
漁父
學道参禪失本心     は本心を失す
漁歌一曲價千金   の一曲
湘江暮雨楚雲月 しゃかうのぼう楚山の月
無限風流夜夜吟  限り無き風流夜々の吟

くま訳
仏道修行、参禅は、本心を失わせる。
漁歌(漁夫の辞)は価千金である。
(屈原が入水自殺をした)湘江の夕暮れの雨、楚山の月を思うと
限り無く風流で夜々詩情が湧く

*おまけ:漁父辞 屈原
屈原曰挙世皆濁我独清     屈原曰はく、世を挙げて皆濁れるに、我独り清(す)めり。
衆人皆酔我独醒是以見放。   衆人皆酔へるに、我独り醒めたり。是を以て放たる。と。  
漁父曰    漁父曰はく、
聖人不凝滞於物、而能与世推移 聖人は物に凝滞せずして、よく世と推移す。  
世人皆濁、何不淈其泥、而揚其波。世人皆濁らば、何ぞ其の泥をにごして、其の波を揚げざる。
衆人皆酔、何不餔其糟、而歠其醨。衆人皆酔はば、何ぞ其のかすをくらひて、其のしるをすすらざる。
何故深思高挙、自令放為。 何の故に深く思ひ高く挙がり、自ら放たしむるを為すや。と。
屈原曰、吾聞之 屈原曰はく、吾之を聞けり。
新沐者必弾冠、新浴者必振衣 新たに沐する者は必ず冠を弾き、新たに浴する者は必ず衣を振るふ。と。
安能以身之察察、受物汶汶者乎。 いづくんぞ能く身の察察たるを以て、物のもんもんたる者を受けんや。
寧赴湘流、葬於江魚之腹中、 むしろしやう流に赴きて、江魚の腹中に葬らるとも、
安能以皓皓之白、        いづくんぞ能くかうかうの白きを以てして、
而蒙世俗之塵埃乎。       世俗のぢんあいを蒙らん。と。
漁父莞爾而笑、鼓枻而去。    漁父くわんじとして笑ひ、えいを鼓して去る。
乃歌曰、            乃ち歌ひて曰はく、

滄浪之水清兮 可以濯吾纓    さうらうの水清まば 以て吾がえいをあらふべし
滄浪之水濁兮 可以濯吾足    滄浪の水濁らば 以て吾が足を濯ふべし  

遂去不復与言。 遂に去りてまたともに言はず。

マナペディアHP訳
屈原は言いました。
世の中の人々すべて(の心)が濁っている中で、私一人だけが清らかです。そして人々がみな酔っている中
で、私一人だけが醒めています。だから追放されたのです。と。
漁師は言いました。
聖人というものは、物事にこだわらずに世の中と一緒に移り変わります。世の中の人々(の心)が濁ってい
るならば、どうして一緒にその泥をかき混ぜて、波を立てないのですか。人々が酔っているならば、どうし
てその酒かすを口にして、その薄い酒を飲もうとしないのですか。どういった理由で深く考え、お高くと
まって、自分から追放されるようなことをしたのですか。」と。
屈原は言いました。
私はこういうことを聞いたことがあります。『髪を洗ったばかりの者は必ず(冠についた)よごれを払い、
入浴したばかりの者は、必ず衣服のほこりをふるってはらう』と。どうして清廉潔白なこの身に、(世俗
の)汚れたものを受け入れることができましょうか、いやできません。むしろ湘江に行って魚のエサになろ
うとも、どうして清廉潔白なこの身を世俗の埃の中にまみれされることができましょうか、いやできませ
ん。」と。
漁師はにっこりと笑って、(出航するために)船の縁を叩いて行ってしまった。そしてそのとき、次のよう
な歌を詠んだ。
滄浪の水が澄んでいるのなら、私の冠の紐を洗おう。
滄浪の水が濁っているのなら、私の足を洗おう。

とうとうそのまま去ってしまい、2人はもう2度と語り合うことがありませんでした。
(´・(ェ)・`)つ

851鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/28(火) 00:05:10 ID:1d4drIFg0
おぬしが僧侶じゃないのに僧侶とうそつくのは金のためじゃろう。
何でもお見通しなのじゃ。

852鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/28(火) 00:05:49 ID:1d4drIFg0
>>849 おぬしが僧侶じゃないのに僧侶とうそつくのは金のためじゃろう。
何でもお見通しなのじゃ。

853鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/28(火) 00:08:40 ID:1d4drIFg0
道を学び、参禅するのは却って本心を失うというのじゃ。
屈原に漁夫が説いたとおりなのじゃ。
一休は詩情に任せて吟ずることこそ自らの本心というのじゃ。

854避難民のマジレスさん:2020/07/28(火) 20:42:26 ID:9Bjm15Z60
137
紹鵷蔵主規地卜居 紹ゑん蔵す地を規して居をぼくす
家徒四壁立    いへいたずらに四壁立つ
扁曰土菴     扁して土あんと曰ふ
作偈以爲證云   偈を作つて以て證と為すと云ふ

夏巢冬穴一身康  夏巣冬穴一身康し
帯水拖泥萬念忙  帯水だでい萬念いそがはし
稼檣艱難若領略  稼しょく艱難若し領略せば
梅檀佛寺名利塲  栴檀の佛寺名利の場   

柳田聖山先生訳
紹鵷蔵主が、土地を探して、居を構えた。
その家は四方に壁があるだけの、粗末なもので、
土庵という額を掲げている。
そこで偈をつくって、タネ明しをしてやる。

夏は樹上に巣をつくり、冬は穴にもぐる鳥や虫は、身一つでさばさばしているが、
泥水をひきずって生きる人間は、あれやこれやと気疲れが多い。
畑仕事の苦労を身につけさえすれば、
栴檀造りの大寺院など、単なる名刹の場所にすぎまい。  

くま訳
紹えん蔵すが、あれこれと土地を占って居所を決めた。
家の四方には無駄に土壁を建て
土庵という扁額を掲げている。
偈を作つて、証としてやるのだ。

夏は巣を作り、冬は穴を掘って住めば気楽でよいのだ。
苦にまみれている人たちを救う為に、共に泥にまみれて生きることは、気ぜわしいであろうが、
土の働きをよく知り、農作業の苦労を身につけさえすれば、
栴檀の寺院など、名利を追う場に過ぎないことが分かるだろう。

*蔵主(ぞうす):禅寺の経蔵を管理する僧職。
*卜する(ボクスル):うらなう。うらなって、よしあしを判断する。
*領略:物事の意味を理解すること。さとること。
*帯水拖泥(たいすいだでい):苦しみにまみれている人を、慈悲の心を持って共に生活することで救済す 
 ること。
*稼檣(かしょく):東洋医学の五行論でいう、土にある”種まきと収穫”という農業上の働きのこと。

僭越ながら、柳田先生が、粗末な家としたところを、土壁に囲まれた豪華な家に読み替えてみた。
(´・(ェ)・`)つ

855鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/29(水) 00:10:32 ID:1d4drIFg0
寺などは名利のための場所に過ぎないと一休は詠うのじや。
家などはぼろでよいのじゃ。
畑仕事をしていれば気苦労も無いのじゃ。
隠遁生活が一番なのじゃ。

856避難民のマジレスさん:2020/07/29(水) 21:54:20 ID:IdZpVTSU0
138
賛臨済和尚     を賛す
喝喝喝喝喝 喝々々々々
當機得殺活 機に当たって殺活を得
悪魔鬼眼睛
明明如日月 明々としてじつげつの如し

くま訳
臨済和尚を賞賛する
喝々々々々
臨機応変殺活自在
人を見抜く悪魔のような鋭い洞察眼
明らかなること日月の如しである。

139
讀碧岩集序   碧岩集の序を読む
來山言教價千金 かつ山のごん教
一炬看來救古今 一きょみ来たれば古今を救ふ
休向寒灰成議論 寒かいに向かって議論を成すをやめよ
宗乗滅却老婆心 宗乗滅却す

くま訳
碧厳録の序を読む
來山善会の説き示されたことは価千金である。
一つのかがり火のような言説が、古今の人々を救う。
心の働きを鎮める為にと言って、議論するのはやめるのだ。
必要以上の親切心は、禅の極意を台無しにしてしまうのだ

*夾山:夾山善会(805〜881)。曹洞禅の法系
*一炬(イッキョ,いっこ): 一つのかがり火。 いっぺんに焼くこと
*寒灰(かんかい):火が燃え尽きたあとの灰。つめたい灰。転じて、心の働きがなくなった様子の形容。
*宗乗:自宗の教義。禅門の宗義や禅の極致をいった語。他の教えを余乗といって区別した。
(´・(ェ)・`)つ

857鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/30(木) 00:09:27 ID:1d4drIFg0
言葉はいくら集めても悟りには至らないのじゃ。
無駄な議論はやめて実践あるのみと一休も詠うのじゃ。
実践あるのみなのじや。

858避難民のマジレスさん:2020/07/30(木) 19:45:19 ID:mNk/2S8Y0
140
示衆
割截難禁忍辱仙 かつせつたへ難しにんにく仙
捨身諸佛舊因縁 しゃ身は諸仏の旧因縁
千歳聲名断碑雨 千ざい声名断碑の雨
髑髏識盡北邙前 髑髏識尽く北ぼうの前

くま訳
釈迦の前世における忍辱仙人の修業のように、身体を切断されることは堪え難い、
他の生命を救うために身を捨てた前世の因縁で仏になったのだ。
千年前からの名声を伝える石碑も壊れて雨に濡れている。
髑髏は識り尽くしてるのだ。墓場の前にて。

*示衆:師家が学人に対して説法し指導すること
*忍辱仙人:釈迦の前世が暴虐な歌利王に四肢や耳・鼻を削がれながらも、怒り恨むことなく耐え忍び、 
 最後に国王を改心させるという説話あり。(三宝絵・忍辱波羅蜜)
*割截(かっせつ):ちきること。切りさくこと。
*捨身(しゃしん):命を捨てること。大乗の修行者が他の人あるいは生き物を救う為にみずからの生命を
 なげうつことは,重要なものとして評価された。
*北邙(ほくぼう):北邙山が、後漢以来王侯公卿の墓地として知られるところから、墓地、埋葬場。
(´・(ェ)・`)つ

859鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/30(木) 23:01:08 ID:1d4drIFg0
無常の詩なのじゃ。
諸仏は自らの身を捨てて悟りを得たのじゃ。
いずれは朽ち果てる身ならば悟りを得るために捨てたらよいのじゃ。
身を捨てて悟りを得るのじゃ。

860避難民のマジレスさん:2020/07/31(金) 19:20:28 ID:D8qZy99Q0
一休さん47歳、華叟13回忌、途中退席事件
141  1/2
華叟老師掩光             光をおほふて
而後既洎二十餘稔也   而して後既に二十余年におよぶ
壬申秋敕諡大機弘宗禪師 壬申の秋勅して大機弘宗禪師とおくりなす。
仍製禪詩        よって禪詩を製して、
呈寄大用養叟和尚    大ゆう養叟和尚に呈寄す
且陳賀忱云       且つ賀しんをのぶと云ふ。
     
曾謝塵寰五十年 かつてじんかんを謝す五十年  
芳聲美譽是何禪 芳声美誉是何の禪ぞ
子胥晩日倒行去 ししょ日暮れて倒行し去る
覿面辱屍三百鞭  てき面屍を辱かしむ三百べん

くま訳   
華叟和尚の下で光に包まれて(悟りを得て、)
その後、二十余年が経った。
壬申の秋に、華叟は、天皇から大機弘宗禪師というおくり名を下賜された。
そこで、禪詩を作り、
養叟和尚に贈呈した。
真心からのおよろこびを述べるのである。
      
かつて、俗世間を離れて五十年を生きた(華叟)
俗世の名声、名誉が華叟の禪と何の関係があるのか
伍子胥(養叟)は日暮れて道遠い為、(華叟の禪に)逆らっているのか。
(華叟への)恨みを晴らすために、屍に三百回の鞭打ちをして辱めるているようなものだ。

*賀忱(がしん):真心からの賀詞
*塵寰(じんかん):俗世間。塵界。
*謝す:去る。謝罪する。感謝する。(恨みなどを)晴らす。たち切る。
*芳声美誉: 誉れ高い名声。よい評判。
*覿面(テキメン): 面と向かうこと。また、そのさま。まのあたり。目前。効果・結果・報いなどが即 
 座に現れること。また、そのさま。
*子胥:次の(おまけ)の詩 参
*倒行:さからって物事を処すること。
(´・(ェ)・`)つ

861避難民のマジレスさん:2020/07/31(金) 19:28:45 ID:D8qZy99Q0
おまけ 『史記』伍子胥(ゴシショ)列伝
八重樫一先生解説

春秋時代後期、伍子胥は楚の平王に父と兄を殺され、その復讐を心に誓いました。
以前楚にいたころ、伍子胥は申包胥(シンホウショ)と付き合っていました。
伍子胥が呉に逃亡する時、申包胥に次のように言った。
「自分はきっと楚を滅ぼしてみせる」と。
申包胥は言った。
「自分はきっと楚を保たせよう」と。

呉に亡命してから十四年、ついに伍子胥は祖国楚に戻ってきました。復讐すべき平王は、すでにこの世の人
ではなく、息子の昭王を捜させた。しかし昭王はすでに逃げ去った後であった。
しかたなく、平王の墓を掘り返し、死体を掘り出した。
(伍子胥は死体に)300回鞭打ちをして、やっと気が済んだ。
このとき申包胥は山中に逃れていたが、(その話を聞き)伍子胥に人を遣(や)って伝えた。
君の仇討ちは、酷いものだ。死屍(シシ)に鞭(むち)打つ、とは。
君は、もともと亡き平王の臣下であったではないか。
親しく仕えておきながら、今になって君王の死骸を辱めるとは。
天道を蔑(ないがし)ろにする極みではないか。
これに対して、伍子胥は(その使いの者に)言った。

為我謝申包胥曰、  我が為に申包胥に謝して曰(い)へ
吾日莫(暮)途遠、  吾れ日莫(く)れて途遠し、
吾故倒行而逆施之。 吾故に倒行して之を逆施(ゲキシ)せり、と。

私の為に申包胥に伝えてくれ
私はもう日が暮れているのに、行く道の遠い思いである。
私はだから、あわて急いで、道理に逆らうことをしたのだ、と。

*華叟の遷化に當り、養叟は、大德寺中に大用庵を新營し、華叟の塔を建て、且つ奏請して、大機弘宗禪師 
 の追諡を得た。(龍寶山大德寺世譜)後花園天皇其道譽を聞き、勅旨して文安二年八月大德寺に入らしめ、
 其第二十六世となつた。
(´・(ェ)・`)つ

862鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/01(土) 00:30:23 ID:1d4drIFg0
華叟和尚に死後の名声等はいらんというのじゃ。
それはむしろ死者に鞭打つようなものというのじゃ。
本人が欲しがっている筈もないものであるからのう。
押し付けはいらんのじゃ。

863避難民のマジレスさん:2020/08/01(土) 11:28:11 ID:C5vz/wP.0
142    2/2
懶瓚辭詔也何似 らいさんみことのりを辞すまた何ぞ似ん
煨芋烟鎖竹爐裏 わいうえんさす竹ろの裏
大用現前眞衲僧 大ゆう現前真のなふ僧
先師頭面潑悪水 先じのづ面に悪水を注ぐ

くま訳
懶瓚が天子の招きを辞退する話も、またどこか似ているのである。
焼き芋を焼く煙に包まれる、竹炉の裏(天子の招請を辞退した)の話は、
事に応じて活殺自在である、真の禅僧の面目の現れである。
(朝廷に奏請して追諡(ついし)を得るなどは、)先師の頭から汚水を浴びせるようなものである。

*懶瓚(らいさん・あだ名):明瓚(みょうさん・実名)は世間のわずらわしさから逃れ、山奥に隠居し、 
 残飯を食べて懶(なま)け者のように暮らしていたことから、懶瓚(らいさん)とあだ名で呼ばれていた
*竹爐(炉):携帯用の炉
*大用 :大いなる作用・働き。殺活自在の働き
*衲僧(のうそう)破れた僧衣を纏って修行する僧侶のこと。禅僧の通称
(´・(ェ)・`)つ

864避難民のマジレスさん:2020/08/01(土) 11:52:42 ID:C5vz/wP.0
おまけ:「懶瓉煨芋」らさん芋を焼く。
懒瓚和尚隐居衡山石室中
唐德宗闻其名
遣使召之 使者至其室宣言
「天子有詔 尊者常起谢恩」
瓒方撥牛糞火 尋煨芋而食
寒涕垂颐 未嘗答
使者笑曰「且勸尊者拭涕」
瓚曰「我豈有工夫為俗人拭涕耶」
竟不起

(一財)東洋文化資料館 青山讃頌舎HP訳
懶瓚(らさん)和尚は衡山(こうざん)の石室の中に隠居していました。 唐の徳宗は其の名を聞いて、
使を遣わし之れを召します。
使者は其の石室にやって来て宣言します。
「天子の詔である、尊者はすぐに都に行って恩に応えよ」
瓚和尚はまさに牛糞の火をはらって、焼芋を掘り出して食べようとしているところで、
鼻水を顎まで垂らしたまま何も答えようとしません。
使者は笑って言います。「ともかく、尊者、鼻を拭ってはどうですか」
瓚和尚は答えて、「何でわしがわざわざ俗人の為に鼻を拭うような手間を掛けねばならんのかね」
と言って、ついにお召しに応じませんでした。
(´・(ェ)・`)つ

865鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/02(日) 00:38:39 ID:1d4drIFg0
天子からの招待を断った禅僧もいたというのじゃ。
俗世の名声等は出家とは無関係なものじゃ。
そのような俗世の名声を捨てるのが出家であるからのう。
死後の名声を重ねようとするのは無意味なのじゃ。

866避難民のマジレスさん:2020/08/02(日) 15:59:07 ID:gYSke2Sc0
143 男一休ここにあり!

瞎驢不受霊山記 かつろは受けず霊山の記
四七二三須愧慙 ししちにさん須らくぎざんすべし
豈堕在光影邊事 あに光やう辺のじにだ在せんや
銅睛鐡眼是同参 銅ぜい鉄眼これ同参

石黒吉次郎先生解説
これは盲目の者でも、銅や鉄のような優れた眼を持っていて、仏法を会得することを説いたもの
碧厳録八十八則の玄沙三種病の話に基づく

水上勉先生訳
達磨も六祖も瞎驢に傀じるべきだ。
瞎驢は霊山の記をうけてはおらぬ。
だが、その境地は、有相の仏や浄土の光影など糞くらえ。そんな分別に堕ちてはいない。
森女がそうである。仏も、色も、光も、影もみておらぬ。一休の瞎驢は観念上のめくらだったが、森女にめ
ぐりあって、そこに本物がいることに眼を瞠っている

くま訳

盲目の驢馬(一休と森)は、霊山から将来仏になると約束されたものではないのだ。
釈迦から達磨までの28代の祖師、達磨から慧能までの6代の祖師たちは皆、過ちを恥じるべきである。
決して、光影などの分別に陥ることはなく、
優れた眼力をもつ(森と一休は)、同学の仲間なのだ。

*受記:授記とは、仏が修行者に対して将来必ず仏となることを予言し保証を与えることをいう。仏の側か
 らは「授記」であり、修行者の側から言えば「受記」となる。
*四七二三:禅宗に於ける伝灯の仏祖を数で表したもの。
 二三は東土二三(かけ算する)で6代の祖師を意味し、菩提達磨尊者から六祖慧能までの中国の祖師方を 
 意味する。四七は西天四七で28代の祖師を意味し、インドで釈尊から正法眼蔵を附法された摩訶迦葉尊 
 者から菩提達磨尊者までの祖師方を意味する。
*電光影裏:人生は束の間であるが、人生を悟った者は永久に滅びることがなく、存在するというたとえ。
*同参:禅宗で、同一の師について参学すること。また、その同学の仲間。同学。
*銅睛鐡:すぐれた眼力を譬える言葉
*35「唖」の詩 参  前スレ https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/567-n >>663
(´・(ェ)・`)つ

867鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/02(日) 22:37:25 ID:1d4drIFg0
法華経にはお釈迦様が阿羅漢以下すべての弟子に如来になることを受記したとあるのじゃ。
それも創作であるがのう。
世間にもよく修行して悟りに近いものも居るといいたいのじゃな。
眼が見えなくとも修行の妨げにはならないのじゃ。

868避難民のマジレスさん:2020/08/03(月) 20:14:26 ID:hkn8ohjE0
模擬テスト
145
不偸盗戒
鵝鳥呑珠刑罰辛 がちょう珠を呑んで刑罰からし
分明曲直僞兼眞 分別曲直偽と真と  
翠巖老漢眉毛話 すい岩老漢びもうのわ
保福豈非家裏人 保福あにかりの人にあらざらんや

くま訳
珠を飲み込んだガチョウと、それをかばった比丘は厳しく罰せられた。
明らかなことである。正不正、真と偽と。
翠巌の眉毛の話、
保福は、きっと翠巌の身内にちがいない。

*鵝珠(がしゅ):鵝鳥の飲み込んだ珠、の意。宝玉をみがいていた珠師が、乞食の比丘のために食を取り
 に行っている間に、鵝鳥が玉を呑んだ。比丘は鳥が殺されるのを哀れんで、事実を言わなかったので、玉
 のないのに驚いた珠師は、比丘を疑って責め打ち、その血を飲みに来た鵝鳥をも怒りにまかせて殺した。 
 比丘は鳥の死によって、鳥に代わって死んでもよいと決意したことも無意味になったと告げ、珠師は鳥の
 腹から出た玉を見て、泣いて懺悔したという「大荘厳論経」の話。
*翠巌令参:唐時代の禪師。
*保福従展:
*家裏(かり): 家の中。自分の家。また、家族。
*翠巖眉毛:碧巖錄第八則:翠嵒夏末示眾云:大燈が大応から与えられ、解くのに三年かかった公案(その
「関・かん」の字を見よ!・・「雲門の関」)。解いて印可を受けた。
おまけの詩↓ 参
(´・(ェ)・`)つ

869避難民のマジレスさん:2020/08/03(月) 20:21:40 ID:hkn8ohjE0
おまけ:翠巖眉毛
 一夏以來,
 為兄弟說話,
 看翠嵒眉毛在麼
 保福云作賊人心虛
 長慶云生也
 雲門云關

 野狐禅RRPG HP訳
 夏安居に入って以来、諸君のために説法をしてきた。
 誤った説法をすると眉毛が抜け落ちるといわれているが、わしの眉毛は残っているか?
 保福が言った。泥棒は、うしろめたくてビクビクする
 長慶が言った。今、眉毛が生えそろったぞ。
 雲門が言った。関門だ。

 禅と悟りHP訳
 翠巌和尚は90日の夏安居の終りの日に大衆(修行僧達)に言った、
 「この夏安居の間諸君達のために仏法をくどすぎるほど説いた
 (昔から仏法は言説を超えたものであり、仏法をしゃべり過ぎると眉毛が落ちると言われる。
 もしかして、わしは仏法をしゃべり過ぎて眉毛が落ちたのではないだろうか)。
 どうじゃな、わしの眉毛は落ちてはおらんかな?
 (言説に頼れば仏法を誹謗することになるので)」。
 保福は言った、
 「ヤイこの盗人め、ビクビクするない」。
 長慶は言った、
 「眉毛はチャンと生えているじゃないか」。
 最後に雲門が言った、
 「ピシャリ(門は閉められたぞ。ここが通れるか)」。

師家が、「わしはしゃべり過ぎたか?」と、弟子に尋ねる時点で、師家としてお粗末な気がするであります
が、泥棒とまで指摘できるのは、よっぽど親しい身内なのだろうと言うのでありますね。
心の中には関所はなく、どんな嘘でも、でたらめでも、信じさせてしまえば、まかり通ってしまうものであ
りますから、聞き手が、自分で真理をしっかりと見極める関所を身につけなければなりますまい。 

大燈國師は、『関の字を見よ』という公案に、何と答えて合格したのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

870避難民のマジレスさん:2020/08/03(月) 22:36:44 ID:hkn8ohjE0
くま訳 訂正①132の詩、:「茂陵空薄情」・・茂陵で司馬相如が卓文君を思い詩を詠んだときの情のことと思われ、
くま訳の、「武帝は墓に入っても、きっと薄情な人のままであろう」誤りと思われる。薄情の意味をどのように解す
か迷うところでありますが、ここは、柳田聖山先生訳の通り、「 相如は粋ではありませんか」と訳さないと、一休の
思いは伝わらないでありましょう。
くま訳 訂正②137の詩、:「家徒四壁立」・・一休さんがよく言及する司馬相如が、卓文君と駆け落ちした後、成都
での生活は困難を極め「家は只,四つの壁の立つのみ」とのこと、これを、引用しているものと思われ、柳田聖山先生
訳の通り、「その家は四方に壁があるだけの、粗末なもので、」とすべきでありましょう。そもそも、家徒四壁は、窮
めて貧しいことの譬えをあらわす四字熟語でありました。
真に僭越で有りました。
(´・(ェ)・`)つ

871鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/03(月) 23:53:41 ID:1d4drIFg0
>>869 投機の偈で答えたのじゃ。
 それには既に雲関を透得し終わったと書いて在るのじゃ。
 関といわれれば誰もが関の外に出ていると思うのじゃ。
 どのようにして関の中に入ろうとか思って悩むのじゃ。

 実は既に内に入っているのじゃ。
 一休はそれを詩にしたのじゃ。
 保福豈非家裏人というのじゃ。

872避難民のマジレスさん:2020/08/04(火) 01:30:52 ID:ytDvJ4Pw0
>>871
鬼和尚、ありがとうであります。
「家裏人」が、関の内側の意味とは読み取れなかったであります。
精進するであります。

宗峰妙超禅師 (大灯国師)投機の偈
一回透得雲関了  一回〈ひとたび〉雲関を透得し了(おわ)って
南北東西活路通  南北東西 活路通ず
夕処朝遊没賓主  夕処朝遊 賓主を没し
脚頭脚底起清風  脚頭脚底 清風を起す

承福寺HP訳
ひとたび雲門の関を透過し終わってみると、四方八方何のとらわれるもの無いの
自由自在の境地である。立つも座るも寝るも起きるも朝夕へだつことなく、客だ、
亭主だといった賓主なく、迷いだ悟りだの区別もない。もう頭のてっぺんから足の
先まで一点の塵穢れなく清風がかけぬけるようなすがすがしさだ。
(´・(ェ)・`)つ

873避難民のマジレスさん:2020/08/04(火) 20:02:23 ID:fO1sW.K20
一休さんの辞世の詩の一つ・やっぱり森が好き!
144
辭世
今宵拭涙涅槃堂  今宵涙を拭う涅槃堂  
技倆尽時前後忘  技倆尽くる時前後忘ず  
誰奏還郷真一曲  誰か奏すげんきょう真の一曲   
緑珠吹恨笛声長 りょくしゅ恨みを吹いててきせい長し

*緑珠伝(楽史(910〜1007)宋初の歴史家。西晋の大富豪として有名な石崇の寵姫緑珠の物語。笛・舞
の名手であった美妓の緑珠が、主人に純愛を捧げ通して自決するまでの物語。

柳田聖山先生 訳
今宵かぎりと涙を拭きとる涅槃堂
根も気力も使い果たして前後不覚
誰が冥土に至るまで一曲を奏でる
緑珠が恨みをこめた笛の音を聞く

くま訳
今宵涙を拭う涅槃堂
生きる為の修業も治療もやり尽くし、ちょぴっと油断したのである。
誰が吹く、故郷涅槃へ還るために必要な真の一曲
笛の名手緑珠が吹く、心残りの笛の音のようだ。(森が帰郷の為の心の準備を思い出させてくれている。)
(´・(ェ)・`)つ

874鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/04(火) 23:38:40 ID:1d4drIFg0
>>872 そうじゃ、あに家の裏の人ならんやというのじゃ。
 家の裏に居る人であることがあるだろうかという否定疑問文なのじゃ。
 つまり既に家の中に居る人なのじゃ。

 投機の偈とは鍵を投げる音を聞いて気付いたから付けた題名なのじゃ。
 鍵を投げるのはいらないからなのじゃ。
 なぜいらないかといえば既に家に入っていたからなのじゃ。
 その音を聞いて己も既に雲関をとおっていたと気づいたのじゃ。

875避難民のマジレスさん:2020/08/05(水) 00:36:01 ID:loidiCpM0
>>874
鬼和尚、いつもありがとうであります。
鍵を投げた音で悟り、それを詩に詠み、「投機の偈」と題名をつけたのは、誰でありますか?
ググってみたのでありますが、ヒットしませんでした。
(´・(ェ)・`)つ

876避難民のマジレスさん:2020/08/05(水) 20:08:41 ID:88HzfH7Q0
娘生(にょじょう)とは、娘のことではなく、女から生れた子、母親から生れた自分、世俗の我、仮我、自
我、と言う意味でありました。「娘生の面目」と言い、「本来の面目」に対する用いられ方をするらしい。
又、くまのテキストには、[にゃうじゃう]と振り仮名されているが、検索すると、[じょうしょう ]とでてくる。
誤っていたので、以下の二首のくま訳を訂正するのである。
108は、https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/567-n>>972
114は、当スレの >>794
くま訳 訂正①108:(当初訳)少女が見性者を見ても見分けがつかない様なものである。
         →(今回訳)本来の面目を知らないままでは、何も見えないのだ。
くま訳 訂正②114:鬼和尚に説明をいただいた点も踏まえて、大幅に直してみた。
          (当初訳a.) 道理を良くわきまえている修行者が、何で、子供の着物の裾上げの糸を 
                切り取らないようなことをするのか。(何で言葉に囚われるのか)
          (今回訳a) 目利きの僧がなぜ足の下の赤いほつれの糸を切らないのじゃ。   
                (そのような言辞は心を乱すのみなのじゃ。)
           (当初訳b) 弟子たちを指導し導いて、心の糸を乱した
    (今回訳b) 弟子たちを指導して、心の糸の乱れを正した。
           (当初訳c) そのうち、娘が成長して初潮をむかえ、足元に鮮血がながれる。
       (今回訳c)本来の面目を知らないままでは、その内、絡まりついた、足下の赤 
                い糸に締め上げられて、流血して苦しむだろう。

自分自身の足下、自分自身の心の中を良く見て、縄を蛇と見誤るようなことが無いようにせよせよ、という
ことでありましょうか。
紅絲線について一休さんは、世間との諸々のしがらみを言うような意味で使ってるようであります。  
(´・(ェ)・`)つ

877避難民のマジレスさん:2020/08/05(水) 21:07:20 ID:88HzfH7Q0
落ちこぼれを出さないように腐心する一休禅師
151
示久参徒    久参の徒に示す
看経看教無間業 看きん看教無げんの業
應庵但許白浄業 応庵ただ許すびゃく浄業
参禪学道閑話頭 参禪学道閑話とう
可懼身口意三業 おそるべししんくいの三業

くま訳
長く修業を続けているもの達に示す
意味を理解して経や教を読み、地獄に落ちる五つの悪業を知れ。(或いは、看経看教を絶え間なく続けろ)
應庵曇華は清らかな功徳を求めて坐ることのみを認めている。
坐禅を組み、仏道修行を行い、静かに公案に取り組む。
おそるべし、身口意の三業(実践の積み重ねが大切である。)

*看経(カンキン):古教照心。意味がわかるように経を読む事。尽十方界真実の実践。成仏行。
*五無間業(ごむけんごう):無間(むけん)地獄に落ちる5種の悪業。
*応庵曇華:南宋時代禅師:現成公案、只管打坐を強調 
*白浄:「菩提心は則ち良田なり、衆生の白浄の法を長養するが故に。」(華厳経 )
     さとりを求める心(菩提心)は、たとえば良質で豊かな田地です。なぜなら、それは、生きとし
     生けるものの清らかな功徳を養い育てるのですから。大谷大学HPより
*身口意の三業:人間の行為を身・口・意志の三種に分類したもの。業とは行為・造作の義で、善悪にわた
 る行為そのものだけでなく、その行為の余力としての習慣力が含ふくまれる。人の行為経験は、いかなる 
 ものでもそのまま消滅めつすることなく必ずその余力を残し、それは知能・性格などの素質として保存・ 
 蓄積ちくせきされる。
(´・(ェ)・`)つ

878鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/05(水) 22:41:01 ID:1d4drIFg0
>>875 自分でつけたのじゃろう。
 大体漢詩の題名は自分で付けるのであるからのう。
 鍵を投げて悟ったということを知る者は自分一人なのじゃ。

>>876 そうじゃろう。
 自ら観察して気付くことが大事なのじゃ。
 それだけが真の修行なのじゃ。

879鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/05(水) 22:43:23 ID:1d4drIFg0
>>877 経を読んだり、教えを聞くだけでは無間地獄への業となるというのじゃ。
 実際に座禅をして道を学ぶことが大事というのじゃ。
 気をつけねば成らんのじゃ。

880避難民のマジレスさん:2020/08/05(水) 23:28:37 ID:88HzfH7Q0
>>879
鬼和尚、ありがとうであります。
151の詩、くま訳修正
看経看教無間業
意味を理解して経や教を読み、地獄に落ちる五つの悪業を知れ。(或いは、看経看教を絶え間なく続けろ)
→経、教を詠だけでは、無間地獄へ入ってしまうのである。
(´・(ェ)・`)つ

881避難民のマジレスさん:2020/08/06(木) 19:08:05 ID:24iU9Zco0
句中玄の応用と実践・贋艶詩創作講座
251
圓悟大病 1/4
涅槃堂裡絶言詮 涅槃堂うら言詮を絶す
棒喝機關法座禪 棒喝機關法座の禪
睡裏花顔猶醉眼 睡裏の花顔猶ほ酔眼のごとし
春風断膓海棠前 春風はらわたを断つ海棠の前

蔭木英雄先生部分訳
涅槃堂裡絶言詮・・禪寺の病室で園悟は言語詩文を超絶して悟った

くま訳
涅槃堂において圓悟は、言葉・観念の世界を超えたのである。悟ったのである。
棒喝、弟子の能力に合わせて関門を与え、説法で導く禪
花のように美しい寝顔を見る、まだ酔い覚めやらぬようだ、とは、
春風の心地よさに、たまらなく興趣を誘われる、カイドウの花の前での創作である。

*圜悟克勤(えんご こくごん1063-1135):宋代の禅僧。諡は真覚大師。五祖法演の法嗣。『碧巌録』の 
 著者。
*機関禅:(天神九十五先生解説抜粋)「機(=学人の能力)に対して関を設ける禅」臨済の四料簡・四照 
 用、雲門の三句、洞山の三路・五位等を挙げて仏道修行の標準としている。
 「機関」とは「理致」と対する言葉であり、前者は公案などがその例、事象を義や理によって理解せずに 
 「事象を端的に掴む」ための方便であり、後者は経典・論書の道理を使って修行僧を指導することをいい 
 ます。・・・道元禅師は、「機関・理致」という対立を超えたところをもって、仏道参究の標準とされま 
 すので、身心を究めることの他に、何が必要であろうかと批判・・・夢窓国師なんかは「若し本分を論ぜ
 ば、理致となづけ機関となづくべき法門なし。」とされます
*法座:①説法をする人の着く座席。②説法の行われる集会。法席。法筵(ほうえん)
*海棠(カイドウ):1 バラ科の落葉小高木。枝は紫色で垂れ下がり、葉は楕円形。4月ごろ、紅色の花
 が下向きに咲き、実は丸く、黄褐色に熟す。
*悟りをあらわす言葉色々:言亡慮絶、意路不到、心言路絶、絶言絶思、名言道断、言語道断心行処滅、  
 言詮不及、意路不到

法演も雁艶詩を弟子にすすめていたらしい(小艶詩提)。雁艶詩は、伝統ある「機関」だったのでありますね。
句中玄の応用実践という理解でよいでありましょうか?

三玄三要;89の詩 参 前スレ https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/567-n >>906
(´・(ェ)・`)つ

882鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/06(木) 22:19:00 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃろう。
機関でも修行者の本心に関していたならば己を極める役に立つのじゃ。
悟ってしまえば一緒なのじゃ。
梵我一如なのじゃ。

883避難民のマジレスさん:2020/08/07(金) 20:46:39 ID:nELsQgfM0
句中玄の事例
252
圓悟大病 2/4
巫山夜々夢難驚 ふざんやや夢驚き難し
艶簡題詩對鐵檠 艶簡詩を題して鉄けんに対す
只爲檀郎呼小玉 只檀郎が為に小ぎょくを呼ぶ
風流可愛美人情 風流愛すべし美人の情

蔭木英雄先生 訳・解説
夜ごとの巫山の(神女と契った)夢は覚めがたく
恋文に詩を書きつけて鉄の燭台に向かう 
それはただ愛する男性に(自分の存在を知らせようと、侍女の)小玉を呼ぶようなもので 
風流な美人の心情は愛すべきである。

小艶詩に依拠する転句は、己事究明・見性成仏を自証させる為に、手段として文字言語を援用するという喩
えである。それは月と指の関係である。月(真理・仏性・美人)を相手(修行者・檀郎)に見つけさせる為
には、指(文字言語・小玉を呼ぶ声)が必要である。故に結句の“美人の情”とは、檀郎つまり修行者に、
自己の内なる仏性を自証させる慈悲心なのである。このように考えると、艶詩を吟ずる事は、一休宗純に
とっては、薫化衆生の大乗仏教精神である。

くま訳
巫山の夜毎の逢瀬の夢は、覚め難い。
恋文の詩を書く為に、鉄の燭台に向かう、
ただ、愛しい人に気づいてもらいたい一心で、侍女の小玉を呼ぶ、
その風流な思いを愛すべし。美人が思いを募らせている切ない思いを。

*巫山之夢:楚の懐王が高唐に遊んだ際、疲れて昼寝していると、夢の中に「巫山の女(むすめ)」と名乗 
 る女が現れて王の寵愛を受けた。彼女は立ち去る際、王に「私は巫山の南の、険しい峰の頂に住んでおり  
 ます。朝は雲となり、べは雨となり(旦為朝雲、暮為行雨)、朝な夕な、この楼台のもとに参るでしょ 
 う」と告げた。という故事。168の詩参:
*驚く:1 意外なことに出くわして、心に衝撃を受ける。びっくりする。感嘆する。2 はっと気がつく。
 3 目が覚める。
*小玉:五祖法演が陳提刑(圓悟も聞いていた)に提唱した小艶詩に依っている。『大慧武庫(一休さんの 
 愛読書らしい)』(おまけの詩 参)
*巫山之夢:168参:巫山の雲雨と同義:楚の懐王が高唐に遊んだ際、疲れて昼寝していると、夢の中に 
 「巫山の女(むすめ)」と名乗る女が現れて王の寵愛を受けた。彼女は立ち去る際、王に「私は巫山の南 
 の、険しい峰の頂に住んでおります。朝は雲となり、べは雨となり(旦為朝雲、暮為行雨)、朝な夕な、 
 この楼台のもとに参るでしょう」と告げた。という故事
*檠(けい、きょう、ぎょう、ともしび):、ともしび/灯台/矯める/ゆだめ
*檀郎:女性からみて、男性の恋人。「愛しいあのお方」。詩詞では、普通名詞として使われる。
(´・(ェ)・`)つ

884避難民のマジレスさん:2020/08/07(金) 20:51:28 ID:nELsQgfM0

*おまけ:小艶詩 (カメ法師先生HP・解説)
一段風光畵不成 一段の風光、画けども成らず
洞房深處説予情 洞房深き処、予情を説く
頻呼小玉元無事 頻りに小玉を呼ぶも元より事無し
只要檀郎認得聲 只檀郎が声を認得せんことを要す

この第三句は、禅門での「無門関第十七則・國師三喚」の考案の著語としてしばしば用いられる。
小玉という侍女を女が頻りに呼んではいるが、これと言った用事があるわけでもない。という意味。
頻りと呼んでいるのは、第四句にあるように、窓外の意中の君(檀郎)に私はここにいますよ、ということ
を知らせたいがため。次女を呼んでいる真意は、次女に用があるのではなく別のところにあるというもの。

くま訳
素晴らしい景色は、描こうとしても描き切れない、私の思いも言葉に現しきれない
遊郭の奥の部屋で我が思いを述べる、
頻りに侍女の小玉を呼ぶが、元より用事などないのだ。
ただ、恋しい檀那さんに気づいてく欲しいのだ。
(´・(ェ)・`)つ

885鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/07(金) 23:04:40 ID:1d4drIFg0
巫山の女子の夢を夜毎に見るのは驚くべきことでもないという意味じゃな。
何ゆえ用も無いのに小間使いを呼ぶのかという謎掛けじゃな。
それもまた公案といえるじゃろう。
仏の名を唱えるのは仏を呼びたいからではなく、己が仏になるためなのじゃ。

886避難民のマジレスさん:2020/08/08(土) 19:39:02 ID:QIfaqeEk0
句中玄模擬テスト
253
圓悟大病 3/4
狭路慈明色欲淫 狭路の慈明色欲の淫
庭前柏樹祖師心 てい前の柏樹祖師の心
悪魔臨済正傳境 悪魔臨済正傳の境
雲暗姮娥落玉簪 雲暗してこうが玉さんを落とす

くま訳
慈明禪詩の方法は、狭い道である。(股に錐を刺して)情欲は抑えることは、誰にでもできることではない
のだ。
心境一如が、趙州和尚の悟った心である、
悪魔のように鋭い洞察眼をもつて、対象観察をするが臨済正伝のわしの境涯である、
雲天暗くて、姮娥が玉かんざしを落とすのである。(禅宗の現状は暗雲たちこめ、それを艶詩で伝えるよう
としているのだ。)

*庭前柏樹子『無門関』第三十七則・『趙州録』(細川景一先生解説抜粋)
 「如何なるか是れ祖師(達磨大師)西来意」。趙州和尚、「庭前の柏樹」 
 僧が続けてたずねます。「和尚、境を将って人に示すこと莫かれ――私は禅とは何かと聞いているのです。
 境、即ち心の外の物で答えないで下さい」というのです。
 趙州和尚云く、「我れ境を将て人に示さず――私は決して心の外の物で答えてはいない」。
 この僧は心と境とを対立的に見ての問いです。趙州和尚の消息は、心と境と一体一枚、心境一如、禅師 
 の心には境など存在しないのです。庭前の柏樹子、ただただ、庭前の柏樹子です。・・・祖師西来意だの、
 ・・・小理屈は捨て切って・・柏樹子に成り切った絶対的な境涯を趙州和尚は示そうとしているのです。
 この消息は・・・徹底的な「無心」の心です。
 その辺を後に、妙心寺の開山、関山国師は、・・この公案には恐ろしい盗賊のような働きがあって、私達
 が今まで営々として築いて来た名誉財産はいうに及ばず、執着分別心、煩悩妄想を、根こそぎ奪い去らず
 にはおかない機略があるというわけです。
 後日談があります。
 ・・隠元禅師は江戸時代、明より渡来し、日本の禅道場に法戦を挑んで各地を遍参した・・その折、京都
 の妙心寺にも上山し当時の山主、愚堂和尚と問答に及びます。
 「開山、関山国師の語録を拝見したい」 「開山さまには語録はありません」 「語録なくして、何で開 
 山と云えるか」「開山さまには語録はないが、ただ『柏樹子の話に賊機有り』という言句があります」
 隠元禅師、この一語を聞いて身震いし、「この一語、百千万巻の語録に勝る」と云ってうやうやしく礼拝 
 したと伝えられています。
*慈明石霜楚円禅師:夜坐睡らんと欲すれば、錐を引いて自ら刺す。
*境:6種の知覚器官 (六識 ) によって知覚される対象のこと
*姮娥(コウガ・ごうが):西王母の仙薬を盗んで月へ逃げたという仙女の名。月の異称。(おまけ 参)

うむ。こう言われたら、何も問えないでありますね。問が無意味だということでありましょう。楽にはなれ
るような気はするのである。
確かに、「賊機」ありである。
(´・(ェ)・`)つ

887避難民のマジレスさん:2020/08/08(土) 19:44:53 ID:QIfaqeEk0
*おまけ: ↓「姮娥」「玉簪」で検索して、中国サイトで見つかった詩。
昨夜三更后,昨夜三更の後
姮娥堕玉簪 ごうが玉さんを落す
馮夷不敢受,ヒョウイ敢えて受けず
捧出碧波心 棒出すへきは心

くま訳
昨日の深夜
ゴウガ仙女が、玉かんざしを落とした
雨の神様ヒョウイは、それに気づいたが、敢えて、拾わなかった、
それでゴウガの、千々に乱れる心を引き出した

*王禹偁(おううしょう)作:954-1001、北宋(ほくそう)の詩人。低い身分から、科挙を経て官僚となっ 
 た。五言は杜甫(とほ)を学び、七言は白居易を学んで、平静淡泊ななかに知性と社会批判とを盛り込ん
で、 宋詩の風気の先駆けとなった。『小畜集』
*馮夷(ひょうい・ふうい):中国古代の神話に登場する川の神。雲車を御して空中を飛び回るこの神は、 
 また下界に雨をもたらす雨師であったとされる。こ
*捧出(ささげいだす):かつぎ出す,担出す,担ぎ出す
*碧波心:海を駆け巡る波は、時に荒々しい姿をみせる。
 『白雲深處金龍躍 白雲深きところ金龍おどり 
  碧波心裏玉兎驚 へきはしんりぎょくとおどろく』と、言う言葉が碧眼集にあるらしいが見つからな 
  かった。
*檐角・簷角(えんかく):のきさき
*江戸時代後期の詩にの一節に、
 家家檐角挂冰柱 家家のえんかく氷柱をかく  
 知是抛来幾玉簪 知る是れ抛ち来る幾玉さん

 山口旬先生 訳・解説より
 家々の軒先には氷柱(つらら)がかかっている。
 わかった、これは彼女たちが、天から投げ捨てた幾つものだ玉の簪(かんざし)なのだ。

 ↑と、いうのがあるので、玉かんざしを落として、霜(雨)をかからせ、降らせてて、恋人に思いを伝え 
 ようとする女心を、「堕(落)玉簪」に譬えているのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

888鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/08(土) 23:01:28 ID:1d4drIFg0
仏道修行は色欲を抑制して実践するものじゃ。
それは狭い道というのじゃ。
臨済宗の正伝禅ではむしろ色欲をも利用して悟りに向かうというのじゃ。
芸術とか風流の道なのじゃ。

889避難民のマジレスさん:2020/08/09(日) 17:43:25 ID:tQxP6Xgs0
一休さんの艶詩提唱
254
圓悟大病 4/4
娘生佛果已圓成 にょうしゃう佛果すでに円じゃう
大病苦中無識情 大病苦中識情無し
小艶詩情人不會 小艶詩情ひとゑせず
雞聲茅店月三更 けい声ばう店月三更

蔭木英雄先生訳・解説
圓悟仏果禅師が生れつき持っている無上正等覚(仏果)はすでに成就し
金山で大病に苦しんでも、知識情念に執らわれなかった
小艶詩の心を人々は会得しなかったが、
圓悟禪師は鶏の声を聞いて大悟し、その時、夜中の月が宿屋を照らしていた

起句の仏果は、園悟克勤の禅師号と無上正等覚の意を懸けている。
転句で、”小艶の詩情 人は会せず”と吟ずるのは、裏がえすと、”圓悟禪師は小艶詩の心をきちんと会得
し、衲(わし)も理会して艶詩を吟じ続けるのだ”という宣言と受け取れるのである。なお、結句は、『三
体詩』温庭筠「商店早行」の、”鶏声茅店月”の名句と、園悟大悟の鶏鳴とに拠っており、心憎いほど巧妙
な作句である。

くま訳
圓悟仏果禅師は、生来の仏の境地(悟り)を既に成就している
大病で苦しんでいる時も迷情無し
小艶詩の心を人は理解しなかったが、
鶏の声、木賃宿のかやぶき屋根を照らす有明月

*圜悟仏果:北宋の徽宗から張商英仏果の号を賜った。
*鶏声茅店月:おまけ① 参
*おまけ② 圓悟投機の偈 訂正

この詩の蔭木先生訳を読んで、「娘生」のくま訳間違えに気付き 訂正>>876したのである。  
(´・(ェ)・`)つ

890避難民のマジレスさん:2020/08/09(日) 17:57:05 ID:OIJS2RiY0
おまけ①
商山早行 温庭筠  商山のそうこう おんていいん (Web漢文大系HPより)

晨起動征鐸 あしたに起きて 征鐸を動かす
客行悲故郷 かくこう 故郷を悲しむ
雞聲茅店月 鶏声 ぼうてんの月
人迹板橋霜 じんせき ばんきょうの霜
槲葉落山路 こくよう 山路に落ち
枳花明驛牆 きか 駅しょうに明らかなり
因思杜陵夢 因りて思う 杜陵の夢
鳧雁滿迴塘 ふがん かいとうに満つ

くま訳
早朝に、旅立つ
故郷を離れるのは悲しい
木賃宿の萱葺き屋根を照らす有明月の光を見て鶏が鳴く
足跡が橋におりた霜につく
かしわの落葉が、春が近づくのをしらせる
駅舎の土塀のからたちの花を見れば、春到来は明らかだ
それで思うのは、長安の杜陵の景色である
野鴨や雁が湾曲した池たくさんいるのである。

『三体詩』、『全唐詩』巻581、五言律詩。
*商山:漢代の初めに、四人の隠士が乱を避けて隠れ住んだことで有名。四人とも鬚ひげや眉が皓白こうは
 く(真っ白)の老人であったので、「商山の四し皓こう」と呼ばれた。
*早行:早朝に旅立つこと。
*温庭筠(おんていいん): 812〜?。晩唐の詩人。

*晨:朝早く。早朝。
*征鐸:旅の車の鈴。馬の首につけた鈴。「征」は旅行くこと。「鐸」は大きな鈴。
*動:出発の合図に鈴を鳴らすこと。あるいは鈴を鳴らしつつ車を進めることか。
*客行*故郷を離れ、旅路にあること。旅する身。
*故郷:都長安を指す。
*鶏声:鶏の鳴き声。
*茅店:茅かや葺ぶき屋根の宿屋。「店」は粗末な旅館。木賃宿。
*人迹:人の足あと。人が行き来したあと。
*板橋:木の板を渡しただけの粗末な橋。通常は石橋。
*槲葉:かしわの葉。落葉樹であるが、冬の間は枝についたままで、春の新芽が出るときに落ちる。
*枳花:からたちの花。春に白い花が咲く。
*駅牆:駅舎の土塀。
*因思:そこでふと思い起こされる。それがきっかけとなって思い出される。
*杜陵:長安城の東南の郊外にある高台。当時有名な行楽地であった。
*鳧雁:野鴨と雁。
*迴塘:回るように湾曲した池。「塘」は池の堤。または堤に囲まれた池。曲江を指すと思われる。
*迴: 『三体詩』では「回」に作る。同義。
(´・(ェ)・`)

891避難民のマジレスさん:2020/08/09(日) 18:35:09 ID:MIbXhRL60
おまけ②
圓悟は五祖法演の小艶詩提唱を聴いたあと、鶏が欄干に上って鳴くのを聞いて大悟した。
その開悟偶は 83 でとりあげたのでありますが、最後の一節、の文字が、蔭木英雄先生の論文のものと、
くま使用のテキストのと違っておりました。消 → 銷 ・ 只許  →祇評
83の詩https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/567-n >>879
そこで、再度くま訳を修正してみるのである。又、前スレ>>893の訳は投機の偈として意訳も訂正する。。

*叢;群がり集まる。多くのものの集まり と言う意味もあり
*祇:ただ〜だけ、まさに〜、という助詞として用いられる
*銷(ショウ):1 金属をとかす。とける。2 消える。消す

金鴨香銷錦繍幃 金おう香しょうす錦しゅうのとばり 
笙歌叢裡酔扶帰 しょう歌そうり酔うてたすかって帰る
少年一段風流事 少年一段風流の事
祇評佳人独自知 ただ評す佳人独り自ら知る
 
新くま訳
輝く渡り鳥のような貴方の香は、錦の刺繍のほどこされた帳の内に溶け入り、
貴方の笙歌を大勢の中でも、聞き分けられるのだ。酒に酔ったので、やっと帰ることができる。
恋におちた若者の風流な思いのことは、
ただあの美しい人だけが知っている。

元のくま訳83のままだと。遊里で岡惚れしたおやじがが、酔っ払って帰るときに、意中の女性を風流な青
年に持っていかれて、草むらに隠れて、ストーカーをしているような情景になってしまうのである。
本日の修正で、多少[投機の偈 」らしくなったでありましょう。
けど。圓悟和尚は、悟りの世界と、現世を行き来してるようであります。

新くま超訳(前スレ879)
悟りの世界へと、溶け入った、
小艶詩に誘われ、迷いの中から脱して、故郷に帰りついたのだ、
恋焦がれた悟りである、
ただ悟った人のみが、私の悟境を知ることができる。
(´・(ェ)・`)

892避難民のマジレスさん:2020/08/09(日) 18:42:42 ID:SBsaneBs0
>>891
けど。圓悟和尚は、悟りの世界と、現世を行き来してるようであります。→削除
新くま訳。新超くま訳のように解すれば行き来することにはならないでありましょう。
(´・(ェ)・`)b

893鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/10(月) 00:09:43 ID:1d4drIFg0
園悟は大病でも情を知らなかったというのじゃ。
小艶詩の情を人は得なかったというのじゃ。
情けにかけているのじゃな。
大病でも無かった情が詩にはあったが人はそれを得なかったというのじゃ。

894避難民のマジレスさん:2020/08/10(月) 20:34:07 ID:2/995q.60
アンチ洞山、欽山
146
賛欽山禪師  1/4     を賛す
佳名勦絶利貪稠    そう絶利貪しげし
茶店美人誰好仇  さ店の美人誰かかうきゅう
爭識洞山下尊宿  いかでかしらんとうざん下の尊宿
慈明狭路好風流  慈明の狭路好風流

くま訳
欽山禪師(曹洞宗)の評価
名声を根絶され、名利を貪る禅になってしまったのである。
遊里の美人の様な僧のことを誰が好い仲間といえようか。
洞山良价禅師の法嗣に、高徳の僧がいることをわしは知らんのだ。
慈明禅師(臨済宗)の法系は、峻厳で道狭く、又風流なのである。

*欽山文邃(ぶんすい):岩頭、雪峰と三人連れだって行脚し逸話を残している。曹洞宗の高祖である洞山
 良价禅師の法を嗣いだ。一鏃破三関 (いちぞくさんかんをやぶる)公案が有名。
 岩頭全豁(ぜんかつ)828-887 と 雪峰義存(ぎぞん)822- 908 は徳山宣鑑(せんかん)禅師の法嗣。
*慈明禅師:石霜楚円(986-1039)臨済下七世、
*勦絶(そうぜつ)滅ぼしつくすこと。根絶やしにすること。皆殺しにすること。 
*佳名:名声、いい評判
*貪利(ドンリ たんり):欲深く利益を求めること
*稠(チュウ・ チョウ おおい・ しげる・ こい)
*好仇(こうきゅう):良い相手。良い仲間。好匹
*尊宿:老年で徳の高い僧侶

五味の禅を挙揚していた欽山は、趙州和尚にも、小知見であると見限られていた(趙州録開莚普説)ようで
あります。当て馬のように評価されているようでありますが、それはそれで、必要であることには、違い
ないでありましょう。
一休さんは、アンチ曹洞宗、欽山和尚みたいでありますが、欽山和尚は悟ってなかったのではありましょう
か?(´・(ェ)・`)つ

895避難民のマジレスさん:2020/08/10(月) 20:59:42 ID:2/995q.60
おまけ:碧眼録 第五十六則 欽山、一鏃もて三關を破る(禅と悟り HPの現代語訳のみ)

垂示
ブッダ始め諸仏はこの世に出世していないし、また人に与える一法もない。
祖師達磨はインドから来て直指人心見性成仏の道を伝えたというが、
彼によって始めて「心」が伝えられたわけでもない。
「心」は諸仏の出世や祖師達磨の西来などの歴史に関係なく、
昔からあり、人々が全て具足している。
この表現は「本来の面目」は諸仏の出世や達磨の西来などの歴史的事実に関係なく、
昔から人々が皆具有しているという真理を強調するための禅特有の表現である。
世間の人々はその道理を理解しないで、外に向って追い求めるがそれは間違いだ。
殊に自己本来の面目(自己脚跟下の一段の大事因縁)は
どんな尊い聖人でも自分に代わって見性してくれる訳にはいかない。
自分で体験するほかないのだ。
本来の面目は見ようとしても見えず、聞こうとしても聞こえず、説こうとしても説けず、
知ろうとしても知ることができない。
一体どこから得たら良いのだろうか。
すべての存在が真実の相であるならば、得ようもないではないか。
もし未だそこが分からなければ、次の実例を参究してみよう。

*自己脚跟下の一段の大事因縁:自己の「本来の面目」を明らかにするという禅の根本問題。
*一鏃破三関:一本の矢(鏃)で三つの関所を打ち抜く。「一超直入如来地」の頓悟のこと。

本則:
巨良禅師が欽山に問うた、「私は一本の矢で三関を打ち抜いてしまいました。どうでしょうか?」。
欽山は云った、「そうか、それなら関中の主人公(本来の面目)を射止めたはずだ。それをここに出してみ
よ」。
巨良は云った、いや、関中の主人公(本来の面目)は射損じました。もう一度やり直します」。
欽山は云った、「待つことはできん。今すぐやれ」。
巨良は「いい矢を放ったのに、それが何処を射たか分からんような人には、何と言っても無駄ですな」。こ
う憎まれ口を叩いて巨良は出て行った。
欽山は云った、「おい、待たんか」。
 巨良は何事だろうと振り返った。
欽山は、巨良の胸倉を掴んで言った、「一鏃破三関など出来もせんホラは吹かず、まあ一矢射てみろ」。
巨良はここで行きづまってしまった。欽山は彼を手にした竹箆で七、八回打って言った、「まあ今日はこれ
位で勘弁してやろう。お前さん、このぶんでは、一鏃破三関に至るには三十年くらい修行せんとだめじゃ
な」。

頌:
さあ諸君(修行者)のため関中の主(本来の面目)を出して見せよう。
矢を射る人はおおざっぱではだめだ。関中の主を射損じないよう真剣に射なければならない。
関中の主(本来の面目)は懸命に見ようと眼に集中すれば耳は聞こえなくなる。
耳に捉われるのがいけないといって耳を忘れようと耳に集中すれば
今度は目が見えなくなる(それが関中の主の性質だ)。
一鏃で一挙に三関を突破して関中の主(本来の面目)に会えた時箭の通った路は明らかに見える。
これについて玄沙師備禅師は言った、
「関中の主(本来の面目)に見(まみ)えた大丈夫は 天より先に心の祖(おや)になる」と
(´・(ェ)・`)つ

896鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/10(月) 23:24:26 ID:1d4drIFg0
>>894 悟っていたのじゃ。
 弟子に主体を問うていたのじゃ。
 それだけが大事なのじゃ。
 言葉にも誤魔化されなかったのじゃ。

897避難民のマジレスさん:2020/08/11(火) 19:49:59 ID:veA84P7c0
黙照禪(曹洞宗)批判
147
賛欽山禪師  2/4
上堂茶話作家禪   のさ話さくけの禪
點檢将來新婦禪 点検しもち来れば新婦の禪
錦帳香囊風起臭 きんちゃうかうなう風起こって臭し
洞山佛法是何禪 洞山仏法の是何の禪ぞ

くま訳
欽山禪師批評
寺院における、説法や公案指導などは、師家の指導による禅である。
繊細な点検を伴う黙照禅は、新婚の若妻の禅である。
錦のとばりに吊るされたにおい袋の香りが流れてきて臭いのである。
洞山の仏法のどこが禅なのか

*上堂:①法堂の法座に上り、説法すること。古来は毎日朝晩行われていたが、現代ではほとんどが、一生 
 に一度晋山上堂?を行うばかりである。②僧堂内の上間の別名。
*茶話:禅宗寺院で行われる説法や指導は、様々な形態があるが、随時に行われる、説法や教訓・家訓のこ 
 とを茶話といい、これは特に、茶を飲みながら行う場合を指す。
*錦帳(きんちょう):錦(にしき)で織った垂れ布。にしきのとばり。
*香囊(こうのう)①室内や牛車ぎつしや内につるす、あるいは腰に下げる毬香炉まりごうろ。②匂い袋。

一休さんは、曹洞宗が嫌いなようでありますめね。
(´・(ェ)・`)つ

898避難民のマジレスさん:2020/08/11(火) 21:59:44 ID:PGnztOo20
おまけ:一休さんは25歳の時に洞山三頓の棒の公案を解いて、一休になったのである。
『年譜』
師年二十五歳。一日聞瞽者演妓王失寵落飾之事。
忽於雲門放洞山三頓棒因縁投機。
華叟師一日書一休二大字。與師爲號

*瞽者(こしゃ):盲目の人
*妓王失寵落飾之事:琵琶法師による平家物語「祇王失寵」の段の語り

師25歳。ある日盲目の琵琶法師が、平家物語の祇王失寵の段を語るのを聞いていた時、
洞山三頓の棒の公案で悟るところがあった。
そのときの、一休の詩、
「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」
この詩により、華叟師から「一日書一休二大字」、「一休」の道号をもらったらしいのである。
(´・(ェ)・`)

899鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/11(火) 22:50:57 ID:1d4drIFg0
>>897 そうかもしれん。
 錦の帳や臭い袋がなぜ必要なのかというのじゃ。
 曹洞宗ではそのようなものを使っていたのじゃろう。
 禅は自分を見極めればよいだけなのじゃ。

900避難民のマジレスさん:2020/08/12(水) 20:59:36 ID:v1Uimsho0
一休禅師の指導方針
148   3/4
賛欽山禪師  
濟家純老機生銕 濟家の純老機しょう鉄
一條活路途與轍 一條の活路途と轍と
雪峰岩頭無眼睛 雪峰岩頭眼睛無し
千歳達磨宗敗闕 千歳達磨宗の敗闕

くま訳
欽山禪師批評
臨済宗の一休爺の禅機をもって、修行者を鍛えるのである。
一筋の活路、道理があるのである。
雪峰や岩頭は黙照禅では悟れなかったとのである。
千年続く達磨宗の欠点である

*濟家の純老:臨済宗家の一休
*機:はたらきの意。 禅の修行によって得られた力の発現。修行者の指導にあたって、師が説明や対話な
 どではなく、相手の心の奥底に直接響くような短句や動作などを用いること。
*生鉄(ナマガネ せいてつ)よく鍛えていない鉄。
*途轍:すじみち。道理。
*敗闕(はいけつ)きずつきこわれること。また、欠けていること。欠点があること。

面壁九年の達磨さんは、黙照禪の代表なのでありましょうか?
公案指導を取り入れた閑話禪は革新派にして、より優れた指導法と一休さんは考えているようでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

901鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/12(水) 22:52:26 ID:1d4drIFg0
↑一休はそう思っていたのじゃろう。
本当は臨済宗の祖師でもあるがのう。
新しい公案の禅がすごいといいたいのじゃな。
それで無ければ悟れ無かった者もいるというからのう。

902避難民のマジレスさん:2020/08/13(木) 20:54:47 ID:xWDZfxlg0
主看客 賓中主 の事例
149  4/4
賛欽山禪師  
尿床鬼子大難心 尿床の鬼す大難の心
定老當機恩力深 じょう老当機恩力深し
夜雨燈前渾即忘 夜雨燈前すべて即忘す
風流茶店旧時吟 風流のさ店旧時の吟

くま訳
欽山禪師批評
寝小便たれ小僧(欽山)が窮地に陥った
定上座の相手の能力に応じて導く力、大恩は深いのであるが、
雨降る夜の灯火の下、全てを忘れてしまうのだ
風流な遊里で作った昔の詩である

*定上座:臨済義玄の優れた弟子の一人
*当機(とうき):相手の能力素質に応じた導き方をすること。

愛知学院大学 禅研究所HP解説抜粋
「赤肉団上に一無位の真人有り、常に汝等面門より出入す。いまだあきらめざる者は、看よ。看よ」という
臨済義玄の上堂語・・・無位の真人とは、知解分別では捉えられない真の自己とも、仏性、仏心ともいい得
るが、臨済がそのように表現しなかったのは、門人が仏心を固定概念化してしまうことを避けた・・・。 
我々が見る、聞く、触るなどの知覚感覚で外世界を認識することを示しているのであり、今の私自身の存在
がそのまま仏であることを了得させたい臨済の意図・・・
 臨済の弟子とされる定上座が、師に「いかなるかこれ仏法の大意」と問ったところ、・・・臨済にいきな
り一掌(ビンタ)をくらった。・・・(定上座は)茫然としたまま無我の境地で礼拝せんとした刹那、仏と
は自身にほかならないと悟入した。
 後に、この定上座が、行脚中の巌頭全后、雪峰義存、欽山文邃の3人と出会い、巌頭に乞われて無位の真
人を臨済に代わって説示した。
 巌頭、雪峰の2人は臨済の意図を把握して驚嘆したが、若い欽山は「なぜ臨済に問ったその僧は非無位の
真人と返答しなかったのか」とつぶやいた。これを聞き逃さなかった定上座は欽山の胸ぐらをつかみ、無
位の真人と非無位の真人と何が違うのかいってみろと迫った。臨済の意図は、仏とは自分自身のことを指
すのだと示す点にあるから、表現としては無位に限定する必要はないのであるが、知解を離れて自身の真
実を自ら把捉することを意図した言葉であるから、「無位」を分別で捉えてはならないのである。
 無位の立場は、宏智がいうように「初心にして、いまだ自己をあきらかにしていない(未証拠)者」
へのことばで、ひたすら修行を継続する(往相)立場であり、一方、非無位は、達悟した者が此岸に回帰
(還相)して、人々を化導する立場にあたる。
 欽山の客気は巌頭、雪峰の2人が取りなして事なきを得たが、欽山は果たしてここで「真の自己」を掴
み得たであろうか、乾尿橛のままであったであろうか、などとこの話を楽しむのは早計である。
 この話が加えられた意図は、欽山に「非無位」を語らせることが目的であり、臨済が「看よ」と云った
ことを受けて、「看了」したなら「非無位」でなくてはならないと補ったのである。単に後日談と軽んじ
たなら、「無眼子」と罵られるであろう。公案はすべてに抜け目ないのである。
(´・(ェ)・`)つ

903避難民のマジレスさん:2020/08/13(木) 21:06:35 ID:xWDZfxlg0
一休さんも、小僧時代に師匠から厳しく指導されることがあり、気づくことがあったので
ありますかね。
(´・(ェ)・`)b

904鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/13(木) 22:39:08 ID:1d4drIFg0
そうかもしれん。
真の自己などないのじゃ。
そもそも自己という概念が間違いなのじゃ。
全て一つなのじゃ。
それが無位の真人なのじゃ。

905避難民のマジレスさん:2020/08/13(木) 23:01:52 ID:/igPDOOk0
うむ。
梵我一如:アートマン=ブラフマン・・全ては一つ=無位の真人
臨済はアートマンを理解してたのでありますね。
(´・(ェ)・`)b

906避難民のマジレスさん:2020/08/14(金) 19:57:42 ID:87zFCRkc0
「か」行関連の詩がまだ140首ほどあるが、「あ」行の詩がいくつか見つかったので、
取り上げるのである。
尚、詩の番号は、あくまでもくまの整理番号である。

一休さん推奨偈
292
見識明心
憶得寒山見月題 憶ひ得たり寒山月を見るの題
眼睛落地衆生迷 眼睛地に落ちて衆生迷ふ
洛陽三月貴遊客 洛陽三げつ貴遊の客
閃爍紅旗残照西 せんじゃくたる紅旗残照の西

くま訳
物事の本質をとらえる悟り
思い出すのは、寒山が詠んだ月の詩である
視線を地に落すと、衆生は迷ってしまう、
洛陽では三月になると貴族が花に誘われあつまるように、、
仏道を求めるものにとっては、寒山の詩は、閃きを与えてくれる、機鋒が、今でも鮮烈にあるのだ。

*見識:物事を深く見通し、本質をとらえる、すぐれた判断力。ある物事に対する確かな考えや意見。識見。
*明心(あかきこころ・みょうしん): 誠実な、偽りのない心。まごころ。清き心。心を明らかにするこ 
 と。さとりを開くこと。また、明らかな心、さとりの心。
*寒山:天台の国清寺の僧、豊干(ぶかん)が拾った、拾得と、拾得の友達、寒山。豊干によると、拾得は、
 実は、普賢、寒山は、実は文殊と評している。豊干自身には実は神通力があるらしい。
 究極の狂風の逸話、禪画多数あり。一休さんの重要な師匠に含まれるでありましょう。詩は真面目に書い
 ているのである。(おまけの詩 参)
*閃爍(せんじゃく):ひらめき輝くこと。
*紅旗閃燦:厳しく機鋒が峭峻であり、矛先のように鋭いこと、37の詩 参
*国訳禪学大成脚注:朗月の天にある、月光の地にある、此れ皆見性の種子なり、洛陽三月酒旗の点頭に翻 
 るも又同斷
(´・(ェ)・`)つ

907避難民のマジレスさん:2020/08/14(金) 20:01:04 ID:87zFCRkc0
おまけ:一休さん推奨・寒山の詩①
吾心似秋月 (寒山詩)
吾心似秋月 吾が心 秋月に似たり
碧潭清皎潔 碧潭清うして皎潔(こうけつ)
無物堪比倫 物の比倫に堪えたるは無し
教我如何説 我をして如何が説かしめん

恵林寺 HP訳・訳・解説抜粋
自分自身に向き合い、心の奥底に見入るとき、その凛として澄み切った清らかさは、まるで
秋の月のようだ
碧に見える湖の水面を覗き込むならば、その湖底は、あくまでも清らかに澄んでいるのです
その透き通った有り様は、実は秋の名月の比ではない...はるかに素晴らしいものなのだ
わたしたちめいめいの心の本当の姿を、この世界の、どのような素晴 らしいものにたとえ
ようとしても、とてもたとえることなどできない

おまけ:一休さん推奨・寒山の詩②
指月歌《寒山偈》寒山
岩前獨靜坐 巌前に独り静坐すれば 
圓月當天耀 円月 天に当って輝き
萬象影現中 万象 影中に現わる
一輪本無照 一輪 本(もと)照らすなし
廓然神自清 廓然として 神(しん)自から清く
含虚洞玄妙 虚を含みて洞として玄妙なり
因指見其月 指に因って其の月を見れば
月是心枢要 月は是れ 心の枢要なり 

くま訳
岩前で独り坐禅をしていると
満月が天に輝きだして
万象が闇の中に現れた
月は、本来、何かを照らそうとしいない
わだかまりなく心晴れ渡っているので、自ずから清く
虚無をも含む、全てを見通せる、奥深く、優れた境地である
指差す先の月を見れば
(見ている)月は、心そのもの、月と心と別にないのだ。
(´・(ェ)・`)b

908鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/14(金) 21:18:00 ID:1d4drIFg0
>>905 そうじゃ、一つなのじゃ。
個我なくして無位の真人があるのじゃ。
それを理解しているのじゃ。

909鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/14(金) 21:21:25 ID:1d4drIFg0
月をさす指とは法なのじゃ。
法に拠って心を観れば空虚であるが玄妙な働きをするのじゃ。
それは全てを映し出す心の要なのじゃ。

910避難民のマジレスさん:2020/08/15(土) 21:20:18 ID:dnNbHAY60
291
長禄庚辰庚辰八月晦日 長禄庚辰八月かいじつ
大風洪水衆人皆憂   おおかぜ洪水あり衆人皆憂う
夜有遊宴歌吹之客   夜遊宴かすいのかく有り 
不忍聞之       これを聞くに忍びず 
作偈以慰云      偈を作って以って慰むと云う  
七言絶句

大風洪水万民憂 大風洪水万民憂う
歌舞管弦誰夜遊 歌舞管弦誰か夜遊ぶ    
法有興衰劫増減 法にこうすい有りこうに増減あり 
任他明月下西楼 さもあらば他あれ明月西楼を下る 

ある男の残日HP 宇野直人先生訳・解説
長禄4年(1460年)は8月末に台風洪水があり、民衆はとても心配した。
夜、宴会の客があり歌を歌っているが
とても聞くに堪えない。
禅の韻文を作って、心を静めた。

暴風に洪水に民衆は苦しんでいる
歌舞管弦誰か夜遊ぶ   
仏法に盛衰があり天変地異もそれに応じて増減する
明月が西の高楼に沈むなどどうでもいいことだ

長禄4年(1460年)、8月末の台風と洪水をきっかけとして、無策の幕府や為政者を批判している。

くま訳
台風洪水に、民衆は愁う
歌ったり踊ったり楽器演奏したりして、誰が夜遊びできるか。
仏法に盛衰があり、悠久の時の流れも増減するのか
であるのか、ではないのか、いずれにしても、月は西楼に沈むのだ。

仏法に盛衰なく、時間などなく今だけ、ありのままだ。

*劫:仏教などインド哲学の用語、極めて長い宇宙論的な時間の単位。サンスクリット語カルパ の音写文 
 字「劫波(劫簸)」を省略。 循環宇宙論の中で、1つの宇宙(あるいは世界)が誕生し消滅するまでの 
 期間と言われる。また、ブラフマー(仏教では梵天)の1日(半日とする説もある)に等しい。西洋では、
 まれにイーオン (aeon) と意訳される。1劫 = 43億2000万年である。
(´・(ェ)・`)つ

911鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/16(日) 00:25:20 ID:1d4drIFg0
月が沈むのに喩えて幕府ももう終わりじゃと嘆いているのじゃ。
洪水で民が苦しんでいるのに幕府の高官は夜遊びをしていたのじゃろう。
そんな幕府はもう長くはないというのじゃ。
実際に乱世になってしまったのじゃ。

912避難民のマジレスさん:2020/08/16(日) 17:27:17 ID:MddoNkts0
293
愛念盟 1/2
婆子侍慈明老師 婆子慈明老師の侍す
婚姻脚下結紅絲 婚姻脚下紅絲を結ぶ
驪山春色三生睡 り山の春色三生のねむり
千歳海棠花一枝 せん歳海棠の花一枝

くま訳
男女の愛の誓い
老婆が慈明禪師に仕える
婚姻は足下の赤い糸の結びつきである
りさんは春の色に染まり、始皇帝と麗姫が三生の誓いの下眠っている
これからも千年つづくカイドウの花一枝の思いである。

*慈明石霜楚円禅師:一休さんが、自分で生前作った墓を慈揚塔と名づけるくらいに 、敬愛していた。
 身寄りの無い老婆を世話していた。
*愛念:1 非常にいとしく思うこと。深く愛する気持ち。2 男女の愛情。
*盟:ちかいをたてること。また、そのちかい。
*驪山(りさん):秦始皇帝の陵(墓)兵馬俑坑(ようこう)

294
愛念盟  2/2
恩愛紅塵誰人掃 恩愛の紅塵誰人かはらはん
娘生赤肉父子道 にょうじょうの赤肉父子の道
羅睺羅箇歡喜丸 らごらこの歓喜丸
携來直授釋迦老 携へ来たって直に釋迦老に授く

くま訳
恩愛を、俗世の煩わしさだといい誰が払いさると言うのだ
母から生れたこの身体もつ人間の、親子の、あるべき道があるのだ。
ラーフラは、仏の功徳を見聞きして,信心を得て歓喜した釋迦の子である
連れてきて直接お釈迦様が教えを伝授したのだ。

*紅塵:1 赤茶けて見える土ぼこり。市街地に立つ土ぼこりなどにもいう。2 俗人の住む世の中。また、 
 俗世の煩わしさ。俗塵。
*羅睺羅(らごら、梵・ ラーフラ)は、仏教の開祖たる釈迦の実子であり、またその弟子の一人
*歓喜:説法を聞いたり,仏の功徳を見たりして,信心を得て非常によろこぶこと。

一休さんにも息子がいた。:岐翁紹偵((きおう・しょうてい) 。偉大すぎる一休パパの子は苦労したことでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

913鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/16(日) 22:19:28 ID:1d4drIFg0
中国の伝説では赤い糸は男女の足首に結び付けられるというのじゃ。
お釈迦様にもラーフラという子があったというのじゃ。
男女の愛も悪いものではないというのじゃ。

914避難民のマジレスさん:2020/08/17(月) 21:50:47 ID:1yezVXyg0
295
末後涅槃堂懺悔1/2
風音気象頌兼詩 風いん  じゅとしと
乗興邪慢吟撚髭 興に乗ずる邪慢吟じて をひねる
悪魔内外託吾筆   内げ我筆に託す
猛火獄中無出期 みょうか  しゅつご無し

蔭木英雄先生訳
風の音や天気によって頬や詩を作り  
興に悪のりして髭をひねって詩を吟ずる  
悪魔外からも内からもワシの筆に乗り移って 
猛火の地獄から脱出する時がないわい

*邪慢じゃまん:間違った行いをしても、正しいことをしたと言い張り、徳が無いのに有ると思うこと。
*悪魔:仏道修行においては、かならず魔の障難がそなわっている。仏道をこころざし、真実に目覚めるこ
 とを「我がいのち」と選び取った者だけに、「そのいのち」を奪おうとして悪魔は現れてくる。

296
末後涅槃堂懺悔2/2
艶簡艶詩三十年  
虚名天沢正伝禅  
吟身半夜与灯痩  
雪月風流白髪前

蔭木英雄先生訳
恋文や艶詩を三十年作り続けたワシは 
虚堂(天沢庵主)正伝の禅者といっても、それは虚しい名声じゃ  
艶詩を苦吟する身体は灯火が薄れるのと一しょに痩せ  
雪じゃ月じゃと風流にうつつをぬかしてい
る間に白髪になってしもうたわい

(´・(ェ)・`)つ

915鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/18(火) 00:39:56 ID:1d4drIFg0
わしは三十年も艶詩を詠って来たと誇っているようでもあるのう。
悟りの道はお香くさいものばかりではなく、こんな道もあると言いたいのじゃな。
自然に親しむのもよいものじゃ。
詩も極めれば道になるものじゃ。

916避難民のマジレスさん:2020/08/18(火) 21:27:14 ID:7OJSsgOo0
一休さん、たとえば話で世情分析(富子の陰謀説)
154
因亂      乱に因って
韓信昔年雲夢殃       のわざはひ
人心眞僞自然彰   真偽じねんにあらはる
安危不定箇時節   定まらずこの時節
人畜難分剕棘墻   分かち難しけいきょくのしゃう

*韓信(かん しん):秦末から前漢初期にかけての武将。劉邦の元で数々の戦いに勝利し、劉邦の覇権を 
 決定付けた三傑の一人。
*荊棘墻(けいきょくのしょう):いばらの垣根。
(´・(ェ)・`)つ
武田 鏡村先生訳・解説抜粋
漢の武将の韓信は信じていた高祖(劉邦)に、雲夢の地に旅をするといってダマされて捕らわれた。
人の心のウソか真かは自然にハッキリするものだ。
安全か危険かハッキリしない今日この頃では、
いくら棘の垣根で分けておいたとしても、人と畜生とは見分けがつきにくいものだ。

一休は韓信を応仁の乱に登場した人物の誰に比定したかはわからないが、韓信が高祖の夫人である呂后の 
陰謀によって殺害されていたことを考え合わせると、応仁の乱の背後に女性の存在があることを早くも感
じとっていたようである。その女性とは、今参局を死に追いやり、日野重子亡きあと、将軍義政を思いの
ままに操ろうとする人物、すなわち日野富子であったことは、以下の数多くの一休の詩からうかがうこと
ができる。・・・(79の詩 前スレhttps://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/  >>831
「美色傾城」参)・・一休は、これら国を傾けた中国の女性たちを詩に詠みながら、じつは乱を引きおこし
国を亡ぼしても、その栄華を貪欲に求めて飽くことを知らない日野富子の姿を読み込んでいる。・・らしい。

くま訳
韓信、昔年、雲夢禍の故事にあるように、
人の心の真偽は自ずと明らかになるが、
安全か危険か定まらない昨今では、
いばらの垣根でも、人畜分け難いのである。

917避難民のマジレスさん:2020/08/18(火) 22:33:17 ID:C90TsP.U0
狂雲集、上下巻の詩、偈頌、法語を数えてみたら
560首であった。
その内、ネットで訳が見つかるのがI〜2割である。
狂雲集、全現代語訳、ネット版を目指すのである。

最初は、漢詩にチャレンジする予定ではなかったのであるが、ハマってしまったのである。
(´・(ェ)・`)b

918鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/18(火) 22:54:32 ID:1d4drIFg0
誰か偉い人が死んだようじゃのう。
真偽は自然に現われるというのじゃ。
時節が不安定で人も畜生も見分けがつかないというのじゃ。
もはや乱世なのじゃ。

919避難民のマジレスさん:2020/08/19(水) 23:16:19 ID:227hnK8M0
名居士紹介
150
龐居士製竹漉籬圖 ほう居士ちくろくりを製するの絵を見て
河裏捨來十万銭  かり捨て来る十万銭   
庫中終没半文銭  庫中終に半文銭なし
眞箇簸箕門下客  真こひき門下のかく
笟籬賣不直多銭  さうり売って多銭にあたらず

くま訳
ほう居士竹かごを作るの絵
浄土への路の絵(維摩図)を見ようと、十万銭を寄進する人も居たそうだ。
わしの蔵の中には終にお金が無くなったのだ。
仏道を生きるために、ざるを売って生活した龐居士の絵を見るために客が集まる。
ざるを売って暮らし、儲けようとはしなかった清貧の居士である。

*龐居士(ほうこじ)?‐815。唐代の仏教者。馬祖と石頭に参禅して,印可を得るが,出家せず。東土の
 維摩とよばれる。禅僧との問答が多く,その偈頌(げじゆ)300首とあわせて,早くより語録としてまと
 められた。
*第2句:瓦棺寺(364年建立、顧愷之(こがいし)が描いた維摩図が三絶とよばれて有名。また天台大 
 師智顗(ちぎ)がここで講説した。)が、建立にあたつて、寄進をもとめた際、画家の顧榿之は百万と記
 帳した。その日頃の貧しさを知る人々は大言だと思ったが、一ヶ月余にして維摩像一躯を描きあげ、第一
 日に観る者は十万銭を施さんと宣言してその通りになった。との故事から、
*漉籬・簸箕・笟籬(ろくり・ひき・さいり): ざる。
*真個(しんこ)真実であること。まこと。真実であるさま。本当に。真に。
(´・(ェ)・`)つ

920避難民のマジレスさん:2020/08/20(木) 19:11:10 ID:lVkxHBd60
いたずらのオチ
297

異類行中是我曾 異類かう中是れ我かつてせり
能依境也境依能 能は境に依りまた境は能に依る
出生忘却來時路 出生忘却す來時の路
不識當年誰氏僧 識らず当年たがうじの僧

くま訳
菩薩が死後も涅槃にとどまらず、六道輪廻に身を転じつつ、衆生を救うということを、我(老牛)かつて行ったのである。
境界は認識能力によって境界としてあり、認識能力も境界を認識する事でなりたっているのである
転生する時には、前世のことは全て忘れてしまうのだ。
現世でなんと言う名の僧になるかは誰もわからないのである。

おまけ:年譜・永亨四年(1432年39歳)
師年三十九歳冬携沅子遊泉 時有女子名彭(ほう)自殺 其夫請師秉炬(ひんこ)
其語曰 手裡吹毛 能死能活 小姑彭耶 一刀兩割擲火炬於背後赴荼毘會者
火星點衣 師一日入檀家 欄有老牛戯書一偈掛其角端云 
異類行中是我會 能依境也境依能 出生忘却來時路 不識前身誰氏僧

其夜牛斃矣 
翌日 牛主戯師 頌殺吾牛
師一咲

くま訳
一休師39歳、南江くんと、泉に遊びに行ったときに、ホウという女子が自殺をした。その夫に火葬の儀を頼まれた。
一休師は、お安い御用と引受けた。「よく生きて死んだホウよ」といって、サッとたいまつを投げ込んで、火葬の儀を
取り仕切った。
精進落しに一休師が檀家のところへ行ったところ、囲いの中に老牛が居たので、そのその角の端にいたずらで頌を書いた
・・297の詩

その晩老牛は死んだ。
翌日、牛の持ち主が一休師に戯れて言った。「一休さんの詩が、私の牛を殺した。」
一休師は、笑った。

うむ。一休さんは、泉の街の人から信頼され、愛されていたようである。」

*沅子:南江宗沅(なんこう そうげん)のことでありましょう。1387-1463五山文学者。一休に傾倒。永 
 享4年一休とともに和泉(いずみ)にいき,晩年は在俗にちかい生活をおくった。
*秉炬(ひんこ)火葬の儀
*火炬(たいまつ)
*欄: 木を横に渡した囲い
*南泉普願(なんせんふがん748〜835)南泉水牯牛
*潙山霊祐(いさんれいゆう771〜853)潙山水牯牛
*異類行中:仏果位以外の菩薩や衆生などの六道に生きる者をいう。異類中行は、異類の中を行く意味であ 
 り、発願利生する菩薩が成仏した後も涅槃にとどまらずに六道の衆生を救うことである。71の詩 参
 https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/589-n   >>762

水牯牛はバラモン教のなごりでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

921鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/20(木) 23:29:53 ID:1d4drIFg0
今は畜生に生まれたが来世は善いところに生まれよという意味じゃな。
死は必ずしも悲しむべきことでもないというのじゃ。
女子も牛も善事を重ねていれば善い所に生まれるのじゃ。
今の生まれは関係ないのじゃ。

922避難民のマジレスさん:2020/08/21(金) 20:33:57 ID:OIJS2RiY0
大燈が世界一
298
賛大燈國師   大燈國師を賛す
畫出面門無覆蔵 ゑがきいだす面門ふ蔵無し
須彌百億露堂堂 須彌百億露堂堂
徳山臨済若入室 徳山臨済若し室に入らば
螢火應須遇太陽 螢火まさに須らく太陽にあふべし

大燈國師を賛す
ゑがきいだす面門ふ蔵無し
須彌百億露堂堂
徳山臨済若し室に入らば
螢火まさに須らく太陽にあふべし

くま訳
頂相に描かれてるところに、包み隠すところ無く全てがあらわれている。
全世界に対して、威風堂堂たるものである。
徳山や臨済も、もし大燈の教を受けていれば
螢の光が太陽のように輝いたであろう。

*腹蔵・覆蔵(ふくぞう):心の中に秘め隠すこと。
*頂相(ちんぞう):禅僧の肖像画

299
音と悟りに付いての一考察
風鈴   1/2
静時無響動時鳴 じょうの時は響き無く動の時は鳴る
鈴有聲耶風有聲 鈴に聲あるか風に聲有るか
驚起老僧白晝睡 老僧が白昼の睡りを驚起す
何須日午打三更 何ぞもちひん日午の三更を打すを

柳田聖山先生訳
風が止むと声をたてず、風が起こると鳴るのは、
鈴が音をたてているのか、風が音をたてているのか。
昼寝を妨げるなら、
正午に夜半の時を知らせてくれるには及ばない。

くま訳
風が静かな時は響かず、風がおきると鳴る
鈴に音があるのか、風に音があるのか、
音に驚き起こされるのである、
わしが昼寝してるときに、
何で昼に夜警のような鐘を鳴ら必要があるのだろう。

うむ。ありのままの観察をしてるのでありますね。
カラスの声で悟った一休さんによる、音と悟りについての考察は、明日もつづく。
(´・(ェ)・`)つ

923鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/21(金) 22:59:12 ID:1d4drIFg0
↑そうかもしれん。
風鈴が鳴るのは風に音があるからなのか、鈴に音があるからなのか。
公案のようじゃのう。
縁に拠って起こるものと答えておくかのう。

924避難民のマジレスさん:2020/08/22(土) 14:23:26 ID:QXTWiZ2M0
300
風鈴   2/2
見聞境界太無端 見もんの境界はなはだたん無し
好是淸聲隠隠寒 好し是れせいせいいんいん寒し
普化老漢活手段 普け老漢の活手段
和風塔在玉欄干 風にかして塔在す玉欄干

柳田聖山先生 訳
見聞きの相手は、些か気が散りすぎる、
ちょうどよいのは爽やかでそれとは見えぬところだろう。
普化老人の腕の見せ所も、
風ぐるみでは玉のおばしまにひっかけた感じだ。

くま訳
聞聲悟道 見色明心の道は極めて偶然に起こるのである。 
静かなことは好ましいが、静けさは清らかさの中に覆い隠してしまうのである。
普化老漢の、悟りへ導く為の手段なのである(本人が予期しない音をたてることは)
和やかな春風〈悟り)が寝室(心)のわずかに開けた窓から欄干に流れるのを感じるのである。(予期せぬ音で、
我が起こる瞬間に気づき、無我を悟るのである)

*見聞:聞聲悟道 見色明心 93の詩 参  
             https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/589-n >>924
*端無:何のきっかけもなく事が起こるさま。思いがけなく。偶然。
*寒い:貧しい・貧弱である・寒い
*普化(ふけ)和尚:瑞雲院法話のページより抜粋。
 奇僧として知られる唐代の人。生没年、生地、俗名などすべて不詳、馬祖大師の法嗣の盤山宝積(ばんざ
 ん・ほうしゃく)禅師に師事し法を密受したが、常に狂をよそおいその発言は尋常ではなかった。
 ・・・普化和尚は人の耳のそばで鐸を振り、あるいは鐸で人の背を打ち、そして相手が振り返ると言った。
 「我れに一銭供養せよ」。このようにおよそ人を見れば、相手の高下にかかわらず鐸を振ること一声した 
 ことから普化(普遍の教化)と号したという。
 唐の咸通(かんつう。860〜873)年間の初めごろ、滅を示すべく市に入り人々に言った。「我れに衣を

 枚供養せよ」。ところが人々が衣を与えても受けとらなかった。そこで臨済和尚が人をつかわして棺桶を 
 一つ与えると、普化はそれを受けとって言った。「臨済の小僧は饒舌だ」。そして皆に別れを告げて言っ
 た。「明日、東門へ行って遷化する」
 翌日、人々が連れ立って見送りに行くと普化は言った。「今日は日が悪い。二日後に南門で遷化する」。 
 人々が南門へ行くとまた言った。「明日、西門から出発するのが吉だ」。ところがその日も遷化せず、見 
 送る人がようやく少なくなってきた。そして四度目には北門へ行き、門の外に棺桶をかつぎ出すと鐸を振
 りながら自ら棺桶に入って亡くなった。それを聞いた人々が競って北門へ走り棺桶のふたを開けると、そ 
 こに和尚の姿はなくただ遠ざかる鐸の声を聞くのみであった。
 普化和尚を宗祖とする日本の普化宗は虚無僧(こむそう)の宗派である。
 ・・・普化和尚はいつも鈴鐸を持ち、これを鳴らしながら「明頭来明頭打、暗頭来暗頭打、四方八面来旋
 風打、虚空来連架打」と唱えて歩いていた。この偈を普化四打話とか普化鈴鐸偈という。

*和風塔在玉欄干:徐仲雅「宮詞」知恵袋・おうえつ 先生訳
 内人曉起怯春寒
 輕掲珠簾看牡丹
 一把柳絲收不得
 和風搭在玉欄杆 風に和して搭ざいす玉欄杆

 知恵袋・おうえつ 先生訳
 妻が朝起きて春の寒さに耐えなかったから、
 すだれを少し掲げて牡丹の花を見た。
 側の柳の垂れた枝を一束手に入れることができなかった。
 春風が玉の手すりから掠める。

(´・(ェ)・`)つ

925鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/23(日) 01:14:30 ID:1d4drIFg0
忠言は耳にいたしというのじゃ。
どんなに善い言葉も人には寒々しいのじゃ。
一休の布教も蛇足というのじゃ。
塔に玉の欄干があるがごとしなのじゃ。

926避難民のマジレスさん:2020/08/23(日) 03:01:29 ID:/74Q.gck0
>>925
鬼和尚、ありがとうであります。
なおしてみたであります。
300(修)
相手に気づかせるように見聞きさせることは、はなはだ難しいのである。
好いこと伝えても、反応は薄く、寒々しいのである。
普化老僧の教化法(鐸を振り、一声する)も、わしの話も、
玉欄干が邪魔をして、何も手に入れられなくしているようなものなのである。
(´・(ェ)・`)b

927避難民のマジレスさん:2020/08/23(日) 17:21:01 ID:cvVqWIyM0
266
井    1/2 
高下互看打氷輪 高下互ひに看る氷輪を打するを
衲僧轆々轉機輪 衲僧ろくろく機輪を転ず
安禪出定淸華暁 安禪出じょう淸華の暁
汲盡天邊月一輪 汲み尽くす天辺月一輪

くま訳

天空と井の中に冷たく輝く月が見る
禅僧は強烈な禅機を働かせる
一心に坐禅をして、本來あるべき所に戻り、
天に輝く月一つを汲み尽くすのだ

*氷輪(ヒョウリン):氷のように冷たく輝く月。
*安禅:いっさいの動揺を去り、身心安楽になるところから一心に坐禅を行なうこと。坐禅。
*淸華:栄華・ 権力や財力を得て、はなやかに栄えること。
*淸華家の略・公卿の家格の一。七家。九清華
(´・(ェ)・`)つ

928鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/24(月) 00:26:39 ID:1d4drIFg0
水車が回るように日々倦まずに精進すると成果も出るのじゃ。
安禅は清い華の如く暁を出だすというのじゃ。
そして天の月も汲みつくすと言うのじゃ。
月を映す水が無ければ月も映らないのじゃ。

929避難民のマジレスさん:2020/08/24(月) 20:20:34 ID:fBHCYJXA0
152
洛陽火後
寒灰充寒洛陽城 寒くわい充そくす洛陽城
二月和花春草生 二月花にくわして春草生ず
黄金宮殿依然在 黄金の宮殿依然として在り
勅下千秋萬國清 勅下って千秋万国清し

柳田聖山先生訳
京都炎上
寒々とした灰に包まれた洛北の街は
二月を迎えて早春の草花が生えだし
天子の在す御所のみが火災を免れて
日本は勅命により国家は安泰である 

くま訳
冷たい灰塵に埋もれた冬の京都の町
二月になり、春の花が咲く
皇居は依然として健在だ
天子の、御心とともに、いつまでも安泰であれと願う心が清いのだ。

*洛陽火:190年、後漢の洛陽に董卓火をかけ、戦乱が始まった 。1467年応仁の乱:大徳寺炎上。
*千秋萬(万):千年も万年もいつまでも健康であるようにと言う意
(´・(ェ)・`)つ

930鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/24(月) 22:34:19 ID:1d4drIFg0
応仁の乱では京都も焼け野原になったというのう。
皇居だけは焼けなかったというのじゃ。
それもみんなが消火に励んだからじゃろう。
そのように安泰を願う気持ちが尊いのだというのじゃ。

931避難民のマジレスさん:2020/08/25(火) 21:42:02 ID:peDpOx2g0
涅槃堂でも笑いをとりたい、一休さん。
153
涅槃堂
眼光落地涅槃堂
自悔自愧螃蠏湯 自ら悔い自ら愧ずほうかいのとう
七手八脚萬劫苦 しちしゅ    の苦
無常刹鬼火車忙 無常の    忙はし

くま訳
死を迎える場所である涅槃堂
後悔して、恥かしく思うのは、蟹汁を食すなどの贅沢をしたことだ。
多くの人が寄ってたかって、世話を焼きに来るのが、なんともも心苦しいことである。
悪行を積み重ねた末に死んだ者の亡骸を奪うとされる妖怪も忙しいことであろう。

*螃蠏(ほうかい):蟹
*七手八脚:多くの人が一斉に慌ただしく動き回る,皆が寄ってたかってやる.
*劫苦:長い期間続く苦しみのこと
*殺鬼:万物をほろぼし去る無常をたとえていう語
*火車/化車(かしゃ):悪行を積み重ねた末に死んだ者の亡骸を奪うとされる日本の妖怪
(´・(ェ)・`)つ

932鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/25(火) 22:46:53 ID:1d4drIFg0
人が死ぬ時には自ら悔い愧じるものじゃ。
それを閻魔の裁きと解釈したりするのじゃ。
死に際には湯に落ちた蟹の如く手足をばたばたさせて苦しむのじゃ。
禅語では蟹の如く手足をばたばたさせる様を七手八脚といったりするのじゃ。
無常の羅刹鬼が乗る火車も忙しく走り回るのじゃ。
生きている内に善事をつむと善いのじゃ。

933避難民のマジレスさん:2020/08/25(火) 23:32:49 ID:peDpOx2g0
>>932
鬼和尚、ありがとうであります。
あらためて検索したら、出てきたであります。
柳田聖山先生著・禅語の発掘(キャッシュ)より
『無関門』の第三十五に、倩女離魂の公案がある。もと、唐代の伝奇小説『離魂記』からとったもので、こ
の相い寄る魂のものがたりは、よほど人々の関心をひいたものとみえ、元代には、別に雑劇の一つにもなっ
ている。
ところで、無門はこの公案の説明のうちに、「驀然として地水火風の一散するとき、湯に落ちたる螃蟹のご
とくに七手八脚ならん」といっている。断末の際、肉体を構成する四つの要素が空にかえるとき、われわれ
はあたかも熱湯の中におとされたカニのように、もがきくるしむほかはないとういう意味である。螃蟹はカ
ニの俗称、七手八脚は手足をバタバタさせる形容である。カニのたとえは、じつは雲門の説法からきている。

忽ち一日、眼光の地に落つるとき、前頭に什麼を将って抵擬せん。湯に落ちたる螃蟹に似て、手忙しく脚乱
るること莫かれ。你が掠虚に大話を説く処無からん。(『伝燈録』巻十九)

これで明らかなように、「七手八脚」は手忙しく脚乱るる様子である。『五燈会元』の仏照徳光の説法にも、
「七手八脚、三頭両面、耳は聴くも聞えず、眼は覷るも見えず」とある。この場合は、カニではなくて人間
のことである。せっぱつまると、人間でも手足が八本、顔が二個あることになるらしい。
(´・(ェ)・`)b

934避難民のマジレスさん:2020/08/26(水) 00:29:14 ID:peDpOx2g0
153修正くま訳
修正くま訳
死を迎える場所である涅槃堂では、
悔い、愧じて、湯に投ぜられた蟹のようにもがくものなのだ。
手足をばたつかせて永遠の苦しみのように感じるのだ。
悪行を積み重ねた末に死んだ者の亡骸を奪うとされる妖怪も忙しいことであろう。
(´・(ェ)・`)b

935避難民のマジレスさん:2020/08/26(水) 19:41:44 ID:5PNHw7hQ0
師家養成講座 譬喩の使い方
155   1/2
倭國以譬喩作實 倭国比喩を以って実となす 
勘辨入邪毒気深 勘弁邪に入って毒気深し
元非君子小人心 元君子に非ず小じんの心
暗認譬喩作實會 暗に比喩をとめて実ゑをなす
苔衣雲帯楽天吟 たいえ雲帯楽天が吟

くま訳
日本では、遠まわしな比喩で、物事を伝えようとする。
修行者の力量を測るのに間違った方法をとれば、毒になってしまう。
元々学識の深い人格者ではなく未熟な相手には、
遠まわしな比喩を使い、実際の指導効果をもたらすのである。
山の景観について、苔むした岩は衣の様であり、山肌にまとわる白雲は帯の様であると、謡曲白楽天に詠ま
れているような感じに、比喩を使うのである。

*譬喩:教説の意味内容を理解しやすくするために、実例や寓話などを用いて説明すること。釈尊は説法に

 際して譬喩を巧みに用い、大乗・小乗を通じて諸経論に多くの譬喩が説かれている。
*勘辨:禅宗で、修行者の力量や素質を試験することにいう。
*邪:心がねじ曲がって正しくないこと。また、その人。よこしま。不正。
*君子:学識・人格ともにすぐれた、りっぱな人
*苔衣:僧・隠者などの着る粗末な衣服。こけごろも。こけのたもと。こけのきぬ。

しかる時には比喩は使わない一休さん
156    2/2
今時日用誰人道 こんじ日用たれ人かいふ
超越佛祖是野老 仏祖を超越す是れや老
這般輩法中畜生 しゃ般のともがらほっ中のしゅくさん
胸襟愚不鋤荒草 胸襟愚にしてくわうさうをすかず

くま訳
今時、日常の振る舞いに付いて誰が指摘するだろうか。
仏祖をも超越する一休爺さんくらいなものである。
今時の輩は僧であっても畜生である。
心うちが愚であり、心中迷いの中にあり、目もあてられぬ有様である。

*法中(ほっちゅう・ホウジュウ)多くの僧をさしていう。僧の仲間。
*荒草曾て鋤かず:臨済録の「上堂」にある、言葉。「心中の迷いの茫々たり。目もあてられぬむさむさし
さ」
(´・(ェ)・`)つ

936鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/26(水) 21:40:40 ID:1d4drIFg0
>>933 そうじゃ、禅語では世間の言葉と違う用法をするから気をつけなければならんのじゃ。
 後ろ禅と追加して検索すると善いのじゃ。

937鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/26(水) 21:43:38 ID:1d4drIFg0
もはや乱世になって誰が道を行くのかとと嘆いているのじゃ。
ただこのじいさんだけというのじゃ。
僧と名乗るものでも畜生に等しいのじゃ。
本心には触れもせずほったらかしでは修行にもならないのじゃ。

938避難民のマジレスさん:2020/08/27(木) 20:18:06 ID:cj1chvzQ0

自分の正しさが理解されずに、嘆いてみせる一休さん
158
示禮佛組禱福力僧 仏祖を礼(らい)し福力を祈る僧に示す
覊客恨多天地人  きかく恨み多し
愚哉鬼窟舊精神  愚なる哉鬼窟の旧精神
元來諸法従縁起  元來諸法縁によって起こる
風月沈吟一箇貪  風月沈吟一個の貧

くま訳
仏を拝んでご利益を祈る僧に示す
束縛の多い人生行脚、恨みが多いこの世である。
愚かなことである、ものの道理に暗い、古い物事の考え方
元來諸法は縁起によって起こる。
風月をめでて、作詩に耽るのも、三毒の一つ貪であるというのだ。

羈客:旅客
羈絆(きはん):牛馬をつなぎとめるものの意。行動する者の妨げになるものや事
福力:福徳の力。財に富んで勢力のあること。また、その人。
鬼窟:知識が開けないで、ものの道理にくらいこと。また、そういう所や仲間。転じて、くだらないことの
意にもいう。

名僧紹介
159
賛慈恩窺基法師 じおんきき法師を賛す
窺基三昧獨天眞 きき三昧独り天眞
酒肉諸経又美人
座主眼睛猶若此 ざすの眼睛かくの如し
宗門唯有箇宗純    個の宗純有り

くま訳
慈恩大師を讃える
慈恩大師は独り三昧に入り、諸法の本然の姿を知っている。
酒肉を食らい、諸経を修め、又美人を愛す。
一山首席の僧の真実を見抜く力とは、かくの如きものである。
大徳寺宗門では、独り宗純のみがそれを持つのである。

*慈恩窺基法師:慈恩大師・(632-682)唐代、法相宗を起した。玄奘三蔵に師事『成唯識論』を注釈して
 『成唯識論述記』『成唯識論掌中枢要』を著し、『唯識三十頌釈』中の護法の釈論を中心に据えて、真諦
 (しんだい)訳を中心としたそれまでの唯識説を批判し、新唯識説を打ち立てた。
 出家するにあたって、師の玄奘に、女色と酒肉を断たないことを条件として要求し、僧となってからは酒
 、女、そして経典をのせる三つの車を率いたという逸話から、三車法師というあだ名がつけられたという。 
 しかし、「宋高僧伝」における玄奘と基とのエピソードは学術的には信頼性に欠けるものとされ、この逸
 話を記載する「宋高僧伝」自身も、基自らが「自序」において語る来歴との齟齬から、もし基が事実を述
 べているとするなら、誹謗中傷の説であると述べている。
*座主(ざす):住職最上位の別称
(´・(ェ)・`)つ

939鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/27(木) 22:29:27 ID:1d4drIFg0
酒色を嗜む自分を同じく嗜む慈恩の宗門と詠っているのじゃな。
真の悟りを得ればもはや酒色も囚われずに嗜むのじゃ。
それが出来るのは自分と慈恩のみというのじゃ。

940避難民のマジレスさん:2020/08/28(金) 20:57:42 ID:RoJ3t8Ms0
うむ。寺経営は難しいのでありましょう。
157
行脚
咸陽金玉幾楼臺 咸陽の金ぎょく幾楼台
方寸封彊歸去来 方寸のほうきょう帰へんなんいざ
一箇出頭天外看  一個天外に出頭して看れば  
須彌百億草蛙埃 しゅみ百億草あいのちり

くま訳
咸陽の黄金と宝玉を散りばめ幾重もの楼台に囲まれた阿房宮(如意庵)を出て
狭いどての庵に帰るぞ!いざ!
迷妄の雲を 突き破って悟り、天の外に 飛び出せば、
須彌山(世界)が百億あっても、そんなものは、草履の塵にに過ぎないと分かるのだ。

*封彊(ほうきょう):どて
*帰去来(ききょ らい):陶淵明(とうえんめい)「帰去来辞」より。故郷に帰るために,官職をやめてそ
 の地を去ること。「かえりなんいざ」と訓読されてきた。
*出頭天外看 :迷妄の雲を 突き破って 天の外に 飛び出してみなさい
(´・(ェ)・`)つ

941鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/28(金) 22:45:06 ID:1d4drIFg0
なかなか壮大な詩なのじゃ。
黄金や宝玉をちりばめた楼台より、狭い我が家に帰るほうがよいというのじゃ。
天の外まで頭を突き出せば、チョモランマも草履の塵なのじゃ。
それは観念ではなく実感なのじゃ。
ブラフマンの法なのじゃ。

942避難民のマジレスさん:2020/08/28(金) 23:17:01 ID:RoJ3t8Ms0
>>941
鬼和尚、ありがとうであります。
明日取り上げる詩が、明確に如意庵脱出の際の詩なので、それに引き寄せられて、狭く解釈
してしまったであります。
気宇壮大な悟りの詩と解釈したほうが、良いで有りますね。
くま訳の(如意庵)を削除するであります。
(´・(ェ)・`)b

943避難民のマジレスさん:2020/08/29(土) 18:24:05 ID:hDzlT5kk0
如意庵脱出大作戦
160
将入山中      将に山中に入らんとして  
一偈書屋壁以示衆去 一偈を屋壁に書し以って衆に示して去る  
愧慚禍起自蕭墻   愧慚す禍のせうしゃうより起こるを    
我見折人如劍鋩   我見人をひしいでけんぼうの如し
從此空山幽谷路   此れより空山幽谷の路
誰人來踏板橋霜   たれ人か来ってはんけうの霜を踏まん

くま訳
これより寺を出て、山に入ろうとするに際して
偈を一首、屋壁に書き残し、皆に示した
残念で愧ずべきなのは、寺内の内輪もめにより禍が起こったことである。
我見、相手を圧し潰す、剣の切先のような偈を書き残した。
これより、空山幽谷へ旅立つ
一体誰が、訪ねてきて、板橋の霜を踏むというのか。

*偈(げ、サンスクリット語: gāthā)とは、仏典のなかで、仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるのに韻文
 の形式で述べたもの。「偈陀(げだ)」「伽陀(かだ)」とも音写し、意訳して「偈頌(げじゅ)」とい 
 う。対して散文部分を「長行」という。中国日本の偈禅僧などが悟境を韻文の体裁で述べたものを「偈」
 と呼ぶ。中国の偈は押韻しているのが普通であるが、日本人の詩偈と呼ぶ儀式に使用される法語には破格 
 のものも多い。

*蕭牆の患い(しょうようのうれい):一族の内輪もめ。内乱。「蕭牆」は君臣の会見所に設けた屏風。
*我見:①自分だけの狭くかたよった意見や見方。② 「我執(がしゆう)」に同じ。
*折ぐ・拉の異字体(ひしぐヒサグ)押しつぶす。ひしぐ。押されてつぶれる。ひしゃげる。
*剣鋩・剣芒(けんぼう):つるぎのきっさき。剣鋒

一休さん47歳 大徳寺で華叟和尚の十三回忌があり、放浪中の一休さんも参加。大徳寺の人の要請で山内の
如意庵に住むが、嫌気して十日で出ていってしまった。そのときの偈↓ くま訳は後日

住庵十日意忙忙
脚下紅絲線甚長
他日君來如問我
魚行酒肆又淫坊
(´・(ェ)・`)つ

944鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/29(土) 22:32:40 ID:1d4drIFg0
>>942 そうじゃ、一休も全てになったのじゃ。
 全てが全ての境地なのじゃ。

945鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/29(土) 22:34:30 ID:1d4drIFg0
寺に内輪もめが起きて捨てたというのじゃ。
出家の出家なのじゃ。
もはや誰も来ないところに行くというのじゃ。
しかしやはり戻ったりするのじゃ。


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