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鬼和尚の仏教購読会 別館

1避難民のマジレスさん:2018/10/16(火) 22:40:04 ID:HDZhjLgoC
明日より、黄金の華 の 購読会を始めるのである。
どうやらOSHO35才の時の講演らしい。
OSHOは、すごい人なのである。
セゴドンやゲバラに匹敵する革命家だったのでありましょう。
それでは、明日からお楽しみに!
(´・(ェ)・`)つ

78避難民のマジレスさん:2018/11/21(水) 06:36:25 ID:LC3de7YgO
>>76
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづく)
 より抜粋

モーゼのことを思い出してほしい。モーゼが神に直面したとき、 山上で緑の茂
みから燃えあがる火のような神を見たとき
--- 茂みは燃えてはいなかった、茂みはいつものように青々として、鮮やかだった
---モーゼは当惑した。彼は我が目を疑った。ありえない光景だった・・・
このような火が!茂みは炎のように燃えているのに、焼けてはいなかった。
と、そのときモーゼは茂みから声が響いてくるのを聞いた。
「モーゼよ、靴を脱ぎなさい。おまえは聖なる地にいるのだから」
これは最も美しいユダヤ教の寓話のひとつだ。
神は火だ。あなたの人格はまさに茂みだ。そして神は涼しい火であり、 あなた
の人格を焼くことはない。人格は緑の葉を繁らせ続けることができる。
神はあなたに多くの自由を与えた。
あなたが偽者でいたいと望むなら、それは許される。神には何の支障もない。
あなたがまがいものでいたければ、それは許される。
自由とは、正しくあってもいいし、間違っていてもいい
--- それはあなた次第だということだ。 あなたの本質はそこにある。
その炎はそこにある。 そしてまたあなたの人格もそこにある。
人格は偽者だ。だから 「内なる火はどうして人格を焼かないのだろう?」と思
うのも無理はない。
その火は涼しい。その火は人格を焼くことがない。
あなたがその人格をまとうと決めたら、火はそれを許す。
あなたはその人格という緑の葉をまとい続け、人格はその葉むらをもっともっ
と繁らせ続けてゆくことができる。
あなたはますます偽者になってゆき、完全な偽者になってしまうこともある。
あなたは人格という虚構のなかに我を失うことができるが、 神はそれを邪魔し
ようとはしない。 このことを、神はけっして邪魔をしないことを、 自由は全面
的なものであることを覚えておきなさい。
それが人間の尊厳、人間の栄光であり、苦悶でもある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

79素人A:2018/11/21(水) 11:04:22 ID:gOqWUDAs0
本質なんて 元々が本質解らないから 代わりに求める修行者にやらせても
誰も本当なんて解ら泣くて 元の木阿弥駄 ?解らないという事元々は解って星意野鴨

80素人A:2018/11/21(水) 13:57:47 ID:gOqWUDAs0
答えが無いということは 無責任なようだか 全ての答えが正解という事なのかも

81鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/21(水) 22:05:20 ID:1d4drIFg0
本質とは何かと言われても多くの者はわからないじゃろう。
それでも自分とは何か追求していくことが肝心なのじゃ。
本質を追求し続けた者だけが安楽の境地に進むこともできるのじゃ。
意志は自由でも進む道によって大きな違いがあるのじゃ。

82避難民のマジレスさん:2018/11/22(木) 03:37:07 ID:LC3de7YgO
>>81
人格という仮面=自我を観続けることにより、それが偽物であることに気づけるのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

83避難民のマジレスさん:2018/11/22(木) 03:44:17 ID:LC3de7YgO
>>78
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

自由が与えられていなければ、あなたは偽者にはならない。
他の動物は偽者ではない。動物は人格をもっていない。
ただし愛玩動物ペットは別だ。彼らは人間とともに生活することで、 破壊さ
れ、人格をもちはじめるからだ。 飼い犬たちはみずからの本質を忘れてしまう。
飼い犬は腹を立てていても尻尾を振り続ける。 これは人格だ。
彼は主人が誰か知っている。 主人のエゴをどうやって満足させるか知っている。
彼は駆け引きを身につけている。彼はニューデリーに住んでいる人々と同じく
らい駆け引きがうまい。彼は尻尾を振り続ける。
ときどき犬が当惑しているのを見たことがあるだろうか? 見知らぬ人がやって
来ると、犬はどう振る舞えばいいのか、見知らぬ人にどんな顔をすればよいの
かわからなくなる。
わけがわからなくなって、彼は吠え---たぶんそれが一番いいやり方なのだろう
---それでも尻尾は振り続けている。
犬は家に入ってきた人が敵なのか味方なのか 、主人がそれとなく示してくれる
のを見守っている。敵であれば、 尻尾を振るのをやめる。味方であれば、その
人に吠えかかるのをやめる。
犬はしるしを、合図を、主人がどう振る舞うのかを待っている。
犬は主人の影になってしまっている、もはや本当の犬ではない。
人間とともに生活することで影響を受け、人間たちに損なわれてしまう。
人間は生活をともにする動物たちさえ破壊してしまう。
あなたは動物が生まれながらにもつ本質を許さない。
あなたは自分が文化を身につけたように、彼らに文化を教え込む。
あなたは本性が自然の道すじをとることを許さない。
あなたはタオがみずからの道すじを流れることを許さない。
本質とは、あなたがこの世にもち込んでくるものだ。
人格とは、世間がその本質の上に押しつけるものだ。
世間は本質をひどく恐れている。なぜなら、本質はつねに反逆的だからだ。
本質はつねに個的なものだからだ。 そして世間はいかなる<個>をも必要と
しない。 それが必要とするのは羊だ。 世間は反逆的な人々を必要としない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

84鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/22(木) 21:20:09 ID:1d4drIFg0
>>82 そうじゃ、自らの本心を観察し続けることが大事なのじゃ。
 そうすればいずれ本質にも辿りつけるのじゃ。
 それがどんなものかわかるのはその時だけなのじゃ。
 本質を求めることが修業なのじゃ。

85避難民のマジレスさん:2018/11/23(金) 08:12:28 ID:LC3de7YgO
>>83
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

世間は仏陀、クリシュナ、老子のような人々を必要としない。 いや、こういっ
た人々は危険だ。 世間はおとなしい人々---現状に従う、既得権益に従う、組織
化された教会に 従う、国家や愚かな政治家たちに従う、従順な人々を欲している。
社会は服従を求める。社会は効率を求める。
あなたが機械的になればなるほど効率はあがる。
もっといきいきとしているときには、あまり効率をあげられない。
機械は人間よりも効率がよい。
社会はすべての人間を機械におとしめようと努力する。
人間を機械におとしめるにはどうすればいいか?
もっともっと無意識にさせればいい。
もっともっとロボットのようにならせ
ればいい。
人間の意識から本質を完全に消してしまえばいい。
人間を完全なまがいものにしてしまえばいい。
夫にしたり、妻にしたり、使用人や、社長や、あれやこれやにしてしまえばいい。
が、けっして本質的な自己にならせてはいけない。それを許してはならない。
なぜなら、その本質的な自己は神以外の誰にも従順ではないからだ。
それは他のものには身をゆだねない。
それは源泉にしか身をゆだねない。
それは他の主人を知らない。
こういったタイプの存在は、現行の社会にとってひじょうに都合の悪いものになる。
なぜなら、成長すればするほど、あなたの自立はいっそう高まるからだ。
成長が遅れれば遅れるほど、あなたの依存は長びくことになる。
そして依存している人間はうまく操ることができる。
なぜなら、依存している人はいつも恐れているからだ。
依存している人はつねに寄りかかる相手を必要としている。
かたときでさえ寄りかかる相手なしではいられない。彼は幼稚だ。
彼は両親によりかかっている。彼は聖職者によりかかっている。 彼は政治家により
かかっている。
彼は自分の足で立つことができない。
社会は、ありとあらゆる着物を使って---物質的な着物だけでなく、心理的な着物も使って、人間を覆い隠し続ける。
社会は肉体があらわになることをひじょうに恐れている。 肉体があらわになれば、
心もあらわになってしまうからだ。
社会が裸の人を見ると狼狽するのは、それが口火を切るからだ。
肉体をさらけ出すなら、彼は最初の一歩を踏み出している。
さあ、彼が心理的に裸になるのを誰が止められるだろう?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

86鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/23(金) 22:59:50 ID:1d4drIFg0
隠蔽は社会を続けさせるために起こるものじゃ。
それを覆して新たな社会を創っても又それを尊属するために隠蔽が始まるのじゃ。
真の革命は個人の心の中で起こるものじゃ。
もはや何の隠蔽も必要としない本質そのままの人間があり得るのは心の変容を経てからなのじゃ。

87避難民のマジレスさん:2018/11/24(土) 00:53:17 ID:LC3de7YgO
>>85
6黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

燃えあがる茂みから、モーゼに呼びかけた声はこう言った。
「靴を脱ぎなさい」 これはひじょうに象徴的だ。
それは「着物をすべて脱ぎ捨てなさい」 と言っている。
「靴を脱ぎなさい」靴はあなたの足を覆っている。靴はあなたを覆っている。
「靴をはかず、裸足で地面に立ちなさい」 靴は人格を現し、裸足は本質を表し
ている。
「おまえは聖なる地に立っている。靴を脱ぎなさい」
みずからの本質、みずからの内側で燃える茂みに遭遇した瞬間、あなたは靴を
脱がなければならない。着物をすべて脱ぎ捨てなければならない。
あなたの本質を隠しているものをすべて脱ぎ捨てなければならない。
それが革命、メタノイアだ。それは生の転換点になる。
社会は消えて、あなたは<個>になる。
そして<個>だけが神と関わることができる。
だが、大いなる意識が必要とされる。
一九三三年に、グルジェフはニューヨークで借りていたヘンリー・ハドソン・
ホテルの一室にピータースを呼び、このことを証明してみせた。
ピータースは グルジェフの若い弟子だった。
グルジェフはかつて世界に知られた最も偉大な導師マスターのひとりであり、
それも型にはまった師ではけっしてなかった。
というのも、導師というのは型にはおさまり切らないからだ。
型を守ろうとするのは導師ではなく、聖職者の特質だ。
導師はつねに革命的だ。そしてこれはすばらしい実験だ。
よく聴きなさい。 ピータースが到着すると、夕食にやってくる”あるとても重
要な人々” のために、皿を洗い、野菜を用意するようにと命じられた。
グルジェフはピータースに、辞書には載っていない肉体の部位や働きを 表す英
語を片っぱしから教えてくれるように頼んだ。
グルジェフが卑猥な言葉や淫らな言い回しを習得した頃には、客人が到着しは
じめた。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

88避難民のマジレスさん:2018/11/24(土) 07:46:51 ID:LC3de7YgO
>>87
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

客人たちは、十五名ほどの身なりのいい、礼儀正しいニューヨークの住人 だっ
た。そのなかには報道関係者や、新聞記者もまじっていた。
遅れて客の機嫌をうかがいながら入ってきた主人は、席につくと、彼の仕事や
アメリカ訪問の理由を尋ねる客のぶしつけな質問に答えはじめた。
そこで”英語教師”に目くばせすると、グルジェフは急に声の調子を変えて、
人間の悲しむべき堕落や、虚しい卑猥な言葉によってしか描き出せないものに
なりはてた人の姿が、この国ではことに顕著に見られること、彼がやって来た
のは、この現象を実地に観察するためであることを講釈した。
「この悲惨な状態の背後にある原因は」と彼は続けた。
「人々、特にアメリカの人々がけっして知性、あるいは礼節の命に従わず、自
分たちの性器にのみ従うことにある」と。
さらに彼は、顔立ちの整ったひとりの女性に目くばせして、その身なりや化粧
を褒め讃えたあと、彼女が美しく着飾る真の理由は、ある特定の人物に対して
抱いている抗しがたい性的衝動のゆえであると、いならぶ人々の前でぬけぬけ
と言ってのけた。
グルジェフは覚えたばかりの言葉を使って、一字一句それを生々しく表現した。
客人に反論するいとまも与えず、グルジェフは自分の優れた性的能力について
講義をはじめ、様々な人種や国々の性的慣習を微に入り細をうがって描いて見
せた。
夕食が終わるころには、”例の年代物のブランデー”をしこたま勧められた客
人たちは、自制心を失い、卑猥な言葉のやりとりに加わっていたが、まもなく
言葉だけではおさまらないようになってきた。
グルジェフが、屈辱的な言葉を投げつけた相手の女性を連れて席をはずすと、
これから乱交パーティが始まるのだと錯覚した人々は、あられもない姿でもつ
れ合いながら、アパートの他の部屋にころがりこみはじめた。
乱痴気騒ぎが最高潮に達したとき、グルジェフは、ぱっと身をひるがえして平
静にもどり、くり広げられる狂態を大声で制止してこう宣言した。
「授業はここまでだ。君たちの振る舞いによって、先ほど夕食の席で話した私
の見解が間違いでなかったことがもう充分に明らかになった」
客人たちは自分たちの真の状況を少しでも認識できたことをグルジェフに感謝
し、グルジェフは”重要な教訓”を与えた報酬として、悪びれずに彼らから小
切手や現金を受け取った。
---グルジェフを知っていれば、驚くほどのこと ではないが---その額は”数千
ドル”に達した、とピータースは書きとめている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

89鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/24(土) 23:29:29 ID:1d4drIFg0
多くの者は仮面を剥げば浴の虜になっているのじゃ。
オショーはそれをグルジェフの小噺で教えているのじゃ。
欲を隠蔽するために仮面を被り、更にそれを隠すために又仮面を被るのじゃ。
そのようにして自分でも自分の本心がわからなくなってしまうのじゃ。

90避難民のマジレスさん:2018/11/25(日) 08:19:56 ID:LC3de7YgO
>>88
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

みんなが帰ると、グルジェフは台所にやってきて、ピータースの皿洗いを 手伝
いながら、夕べの集いは楽しかったかねと尋ねた。
「うんざりしました」とピータースは答えた。
グルジェフは笑い、”射るようなまなざし”で彼を見つめた。
「うんざりしたとはすばらしい。だが、次には自分自身に問いかけてみる必要があ
る。誰にうんざりしたのか?とね」
これが本当の状況だ。表面に現れた姿がすべてではない。
その客人たちは、人類はひどく堕落していて、うわべで行なっていることと、内側
深くで本当にやりたいことが一致していないというグルジェフの見解にいらだち、
腹を立てていた。
あなたは釈明をし、理屈をつけようとするかもしれない。理屈はあくまでも理屈だ。
奥深くでは、別の何かが無意識のなかで 作用し続けている。
あなたはそれに気付いてさえいない。
心理学者たちは、女性が強姦される場合、大半は強姦されたいという思い、 願望が
女性の側にあったと言う。彼女はそれを招き寄せていた。 彼女はある仕草をつくっ
ていた。その歩き方、その服装、その話し方、それらすべての振る舞いが強姦を招
き寄せていた。
と、やがてある日、 それが起こる・・・そうなると彼女は、いかにも驚いたように、
怒り、荒れ狂った顔をして、警察に駆け込
み、法廷で争う。
だが、もし彼女が自分自身の心のなかを深くのぞき込めば、もっと驚くことだろう。
それは彼女自身が努力して、みずからの願望を成就させたものに他ならなかったの
だから。
内側にある真の動機に気付くことさえなく、 この二重生活を送り続けている人々が
いる。
見守りなさい。
すると、そのように見守ることで、あなたはごくごく注意深くなってくる。
ただ見守りなさい。
あなたの真の動機は何なのか? そんなはずはないと、自分自身を納得させようと
してはいけない。
ただ鏡になって、自分の行動を見守るの
だ。
ただ自分の行動を黙って見守り、なぜ自分があることをしているのか、それはどこ
から来ているのか、つねに注意を怠らずにいることだ。
そうすれば自分が二人いることに気付くだろう。
ひとりはあることを言う人格。
もうひとりはまったく逆のことをやり続けるあなたの本当の姿だ。
その二つはなんとか互いにやりくりしてゆかねばならない。
それゆえの葛藤であり、軋轢あつれきであり、エネルギーの浪費だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

91素人A:2018/11/25(日) 12:27:25 ID:gOqWUDAs0
ホカホカ以降としたらくだらないネタが飛び出して此処にネタは訳書こうまた誤変換
でも時間も焦って御免。
時は金成というしブラフマンは金は無限にあるから。全世界の食い物買い集めて
一度に全部丸ごとたべてダイス満腹なのか 世界中から女の人集めて一度に相手できるのか
煩悩の大爆発だあ。それとも大金持ちだから何もつかわないであれも出来るこれもできる
で何もしないでも満足なのか。我々貧乏人は一度に色々食べられる5戊馳走まえにしたら
慌ててたべて腹痛おこすし兎に角くだらない書き込みだと今思うホカホカに囲碁飯食い5分で
あせあせ焦るなあ

92避難民のマジレスさん:2018/11/26(月) 06:39:20 ID:LC3de7YgO
>>90
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

ひとつの願望を内に抱きながら、外側ではまったく逆の行動をしてしまう とい
ったことが往々にして起こる。なぜ逆の行動をとるのか? それはあなたが逆の
行動を通してその願望を抑圧しているからだ。
奥深くで劣等感を感じている人は、外側ではひじょうに優れているふりをする。
優秀でありたいと思うのは劣った人々だけだ。
本当に優れている人々は少しもかまわない。
劣等感で苦しんでいる人々はみんな政治家になる。
なぜなら、自分たちが大いに優れていることを証明する方法はそれしかないからだ。
「俺は、おまえよりも高潔だ」といった表情を浮かべている人は、実情はまっ
たく逆であることを奥深くでは知っている。
彼は罪の意識にさいなまれている。
彼は奥深くでは自分には価値がないと苦しんでいる。
彼は自分が高潔ではないことを知っている。
今や世間からそれを隠す唯一の方法は神聖さの仮面をつけることだ。
あなたがたのいわゆる聖者たちは、罪人たちとこれっぽっちも変わらない。
ただひとつの違いは、罪人たちは正直だが、世のいわゆる聖人たちは不正直だ
ということだ。
百人の聖者のなかからたったひとりでも真の聖者を見つけることができたら、
それだけでもう充分だ、充分過ぎるほどだ。
それ以上は期待できない。
九九人はただふりをしているだけだ。
私は、彼らは他人に対してだけふりをしていると言っているのではない。
そのふりがあまりに板についてくるので、彼らは他人をだましている だけ
ではなく、自分自身をもだましはじめるようになる。
実際、自分自身をだますためには、まず他人をだまさなければならない。
それでようやく、あなたもそれを信じることができるようになる。
真の聖者は、他人のことなど少しも気にしていない。
彼は自分が誰であるか知っている。
全世界がその男は聖者ではないと言ったとしても、どうということはない。
彼の理解は内なるものだ。
彼は自分自身に直じかに遭遇している。
彼の体験はあいだを置かない、実存的なものだ。
彼は自分の本質を知っている。
そしてみずからの本質を知ることは、神を知り、不死の人となり、死を超え
てゆく最初のステップになる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

93鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/26(月) 22:01:59 ID:1d4drIFg0
自分の本質とは何か気付いた者が悟りを得るのじゃ。
本質とは何かといえば、本来の性質とか本当の資質とかなのじゃ。
自分とは本来何であったかのか観察して気付くのじゃ。
思考している時、自分は思考の対象となるのじゃ。
認識している時は認識の対象が自分なのじゃ。
思考や認識の対象である自分に気付く時、自分の本質を気付いたことになるのじゃ。

94避難民のマジレスさん:2018/11/27(火) 07:18:26 ID:LC3de7YgO
>>90
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

ひとつの願望を内に抱きながら、外側ではまったく逆の行動をしてしまう とい
ったことが往々にして起こる。なぜ逆の行動をとるのか? それはあなたが逆の
行動を通してその願望を抑圧しているからだ。
奥深くで劣等感を感じている人は、外側ではひじょうに優れているふりをする。
優秀でありたいと思うのは劣った人々だけだ。
本当に優れている人々は少しもかまわない。
劣等感で苦しんでいる人々はみんな政治家になる。なぜなら、自分たちが大い
に優れていることを証明する方法はそれしかないからだ。
「俺は、おまえよりも高潔だ」といった表情を浮かべている人は、 実情はまっ
たく逆であることを奥深くでは知っている。彼は罪の意識にさいなまれている。
彼は奥深くでは自分には価値がないと苦しんでいる。
彼は自分が高潔ではないことを知っている。
今や世間からそれを隠す唯一の方法は神聖さの仮面をつけることだ。
あなたがたのいわゆる聖者たちは、罪人たちとこれっぽっちも変わらない。
ただひとつの違いは、罪人たちは正直だが、世のいわゆる聖人たちは不正直だ
ということだ。
百人の聖者のなかからたったひとりでも真の聖者を見つけることができたら、
それだけでもう充分だ、充分過ぎるほどだ。それ以上は期待できない。 九九人
はただふりをしているだけだ。
私は、彼らは他人に対してだけふりをしていると言っているのではない。
そのふりがあまりに板についてくるので、彼らは他人をだましている だけ
ではなく、自分自身をもだましはじめるようになる。
実際、自分自身をだますためには、まず他人をだまさなければならない。
それでようやく、あなたもそれを信じることができるようになる。
真の聖者は、他人のことなど少しも気にしていない。
彼は自分が誰であるか知っている。
全世界がその男は聖者ではないと言ったとしても、どうということはない。
彼の理解は内なるものだ。 彼は自分自身に直じかに遭遇している。
彼の体験はあいだを置かない、実存的なものだ。
彼は自分の本質を知っている。
そしてみずからの本質を知ることは、神を知り、不死の人となり、死を超えて
ゆく最初のステップになる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

95鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/27(火) 22:28:27 ID:1d4drIFg0
更に本質を知ると善いのじゃ。

96避難民のマジレスさん:2018/11/28(水) 06:34:30 ID:LC3de7YgO
>>94
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

ヘンリ・ベルグソンは今世紀の初頭にこう述べている。
彼は言った「科学技術に よって肉体に付与されたものは、それにふさわしい魂
への付加物を求めている」
現代人には、他のいかなる時代にもまして魂が欠けているように見える。
その 理由は科学と技術テクノロジーが肉体に多くのものをつけ加えたことにある。
肉体はより強靭になり、より長生きするようになった。
頭脳はより強力になり、より博識になった。
肉体や頭脳と比べると---頭脳は肉体の一部だ---魂はきわめて貧弱なままだ。
魂はほとんど無視され、打ち捨てられている。
誰ひとり魂の世話をする者はいない。
自分の本質について誰が考えるだろう?
教会や寺院に行くことは助けにはならない。
あなたは自分自身の内側に入ってゆかなければならない。
あなたは靴を脱がなければならない。
あなたはみずからのあらわな本質に入ってゆかなければならない。
そうしてはじめて、あなたは自分自身を宇宙と結びつけることができる。
あなたはそこからはじめて実在に橋をかけなおすことができる。

 さて、経文だ---
呂祖師は言った。
原初の精神と真の本性のみが時空を克服する。
本質について私が話していたことを、呂祖は
「原初の精神」と呼んでいる。
原初の精神とは、あなたの本質をなす魂のことだ。
それはあなたが母親の胎内にいるときに神から授かったものであり、教え込ま
れたり、条件付けられたものではない。
あなたは母親の胎内でどのようなあり方をしていたのだろう?
あなたは何も教わらなかった。
あなたは心マインドをもっていなかった。
あなたは無心ノーマインドの状態で存在していた。
そこにその至福に満ちた状態の秘密がある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

97鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/28(水) 23:00:12 ID:1d4drIFg0
禅でも父母未生の自分をみよというのじゃ。
まだ何の条件付けもされていない自分を想うのじゃ。
思考することも感情を起こすことも認識すらも無い状態なのじゃ。
それを想うことで本来の性質に達することもできるのじゃ。

98避難民のマジレスさん:2018/11/29(木) 06:00:01 ID:LC3de7YgO
>>96
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづく)
 より抜粋

心理学者たちは、この母親の胎内での九ヶ月の経験ゆえに、人間は神を探し求
めてきたのだと言う---この九ヶ月の経験ゆえにと。
その記憶は人間にまとわりついている。
この九ヶ月にまさる美しい日々をあなたは知らない。
おそらくあなたは意識の上では忘れているだろう。
が、あなたの肉体の細胞そのもの、あなたの身体組織そのものの奥深くでは、
それらの日々が今もなお脈打っている。
今もなおあなたの存在のなかに宿っている。
それはあなたの心には意識されていないかもしれない。
だが、それはそこにある。
夜になると、深い眠りに落ちて、自分がどこへ行き、何が起こったのかは覚え
ていないけれど、朝になると、ゆったりとして、さわやかで、楽しい気分にな
るように。生が再びあなたによみがえっている。
あなたが集めた塵ちりはすべて消え失せている。
あなたは再び気力がみなぎり、若返っている。
あなたの肉体はその感覚を覚えている。
あなたの肉体は穏やかで、静かであり、何かを覚えている。
その思い出は頭脳のなかにあるのではない。
何が起こったのか---自分がどこへ行っていたのかはっきりと覚えてはいない。
仏陀のような人だけが、深い眠りのなかで自分がどこへ行くのか気付いている。
なぜなら、彼は深い眠りのなかにあってさえ、油断なく醒めたままでいるからだ。
あなたは目覚めているときでさえ、日常の気付きのなかにあってさえ油断なく
醒めてはいない。
いわゆる目覚めた状態にあるとき、あなたは油断なく醒めてはいない。

目は開いているが、心は千とひとつの思考を紡ぎ出しては織り続けている。
内なる会話が続いている。
内なる騒音が続いている。
見てはいるが見ていない。
聞きはするが聞いてはいない。
それは内側深くに思考の壁があるからだ---
あなたの意識の空には夢が途切れることなく漂っている。
あなたは目覚めているときですら油断なく醒めていない。
覚者ブッダは深く眠っているときですら油断なく醒めている。
覚者ブッダだけが自分がどこへ行くかを知っている。
彼はどこへ行くのだろう?
彼は本質、源泉、原初の精神へとおもむく。
夜、ほんの数瞬でも原初の泉に身を浸せば、あなたは若返る。
深い眠りに落ちることのできない人はまさに地獄にいる。
彼は疲れ、消耗し、生にうんざりしながら床につく。
ところが朝起きてみると、疲労感、倦怠感、消耗感はさらにつのっている。
彼の生は地獄になる。
深い眠りのなかで、あなたはみずからの実存の原初の泉に引き込まれるように
してもどってゆく。
その原初の泉はつねにそこにある。
あなたはそれを失ったのではなく、ただそれを忘れているだけだ。
そしてその原初の泉はあらゆる二元性を超えている。
あなたが知るのは生でもなく、死でもなく、超越的なものだ。
それはあらゆる種類の二元性を超えている。
それは神だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

99鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/29(木) 23:15:51 ID:1d4drIFg0
神とは人格を持つものではないのじゃ。
オショーの言う神は永遠の意識そのものなのじゃ。
神を信じるものにも分かりやすく説いているのじゃ。
神を信じる者には究極の存在であり、考えも及ばないものとして神は在るはずであるからのう。

100避難民のマジレスさん:2018/11/30(金) 06:43:44 ID:LC3de7YgO
>>98
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

原初の精神と真の本性のみが時空を克服する。
原初の精神の内にあるとき、あなたは真の本性の内にある。
人格の内にあるとき、あなたは本物ではない。
あなたは作り物の現象にすぎない。よく見守ってみれば、あなたは自分の内側
にどれほど多くの作り物があるかを知って驚くだろう。
あなたはハートが微笑んでもいないのに微笑を浮かべている。
だとすればそれは作り物だ。あなたは憐れみを感じてもいないのに同情する。
だとすればそれは作り物だ。あなたは嬉しくもないのに喜んでみせる。
だとすればそれは作り物だ。あなたはハートに何も感じていないのに、泣き叫
び、涙を流すことさえできる。だとしたらその涙は作り物だ。
あなたの内側にいかに多くの作り物があるか見守りなさい。
そして作り物はどれもあなたではないことを覚えておきなさい。
神はあなたをプラスティックでつくりあげたわけではない。
神はあなたに永遠の生を与えた。だが、その永遠の生は、あなたが靴を脱いだ
ときにはじめて見いだすことができる。
あなたの人格を脱ぎ捨てなさい。
すべてのペルソナを、すべての仮面を落としなさい。
仮面をひとつ残らず消えてゆかせなさい。
それは痛みに満ちている。
なぜなら、あなたはそういった仮面に同一化してしまっているからだ。
あなたはそれらの仮面を自分の顔だと思い込んでいる。
それは苦痛に満ちた死のプロセスに近いものになるだろう。
しかも一度だけではない---あなたは何度も死ななければならない。
というのも 、ひとつの顔が落ちるたびに、あなたは死が起こったと感じるから
だ。
だが、そこで再び新しい生があなたの内側で解き放たれる
--- より新鮮で、より深く、より活気に満ちた生が。 すべての顔が消え、本質
のみが残されるとき、あなたは いっさいの二元性、時間と空間の二元性すらも
超越している。 深い瞑想に入ってゆくと、みずからの本質的存在に入ってゆく
と、そこには時間も空間もない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

101鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/30(金) 22:43:33 ID:1d4drIFg0
時間も空間も観念であるから観念が無い意識ではそれもなくなるのじゃ。
自分の記憶から変化を認識し、それを解説するために時間という観念もうまれたのじゃ。
自分が存在するところと存在しない場所の解説として空間も生まれたのじゃ。
自分も観念も無ければ時間や空間も無いのじや。

102避難民のマジレスさん:2018/12/01(土) 07:50:33 ID:LC3de7YgO
>>100
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

あなたは自分がどこにいるのか言うことができない
--- ”場所”そのものが消え失せている---その空間を正確には指し示せない。
あなたはどこにもいないか、あるいは至るところにいるか、ありうるのはこの
いずれかだ。どちらも同じことを意味している。
「人は至るところにいる」と言うことを選んだ小数の者たちがいる
--- ヴェーダーンタ学派は「深い瞑想のなかで人は至るところにいる
--- アハム・ブラフマースミ、我は神なり」と言うことを選んだ。
「神」とは、至るところにいる者、全存在にゆきわたっている者という意味だ。
あなたは空間そのものになる。
「私はつねに在った、永遠に在る」とは、あなたが時間のなかに遍満している
という意味だ。 これがそれを表現するひとつの方法、肯定的な方法だ。
仏教は別の方法、否定的な表現を選んだ。
仏陀はこう言う---深い瞑想のなかでは、あなたはどこにも存在していない。
空間はすべて消えている。そして時間も存在せず、あなたは時間のない状態 に
ある。
時間も空間もないとしたら、あなたはどうして存在できるだろう?
人間は時間と空間が交わる地点においてのみ存在する。
時間の線と空間の線が交わると、その交点に自我エゴが立ち現れる。
この二つの線を取り去れば、自我という点は消えてしまう。
それは二本の線の交差にすぎない。 それは誤った観念だった。
だから仏陀は「誰も存在していない」と言う。
深い瞑想のなかでは、時間が消え、空間が消え、そしてあなたが消える。
いっさいのものが消え失せ、そこには<無>、シューニャ、ゼロのみがある。
これは同じことを否定的な仕方で語ったものだ。
肯定的な表現を選ぶなら、「私は神だ」と言うこともできる
--- それにはそれなりの危険があり、また独自の美しさもある。
あるいは否定的な表現、アナッター、無我、<無>、にゃはんニルヴァーナ を
選ぶこともできる。これにも独自の美しさがあり、またそれなりの危険もある 。
<無>というまさにその観念が人々の意欲をそいでしまう
---危ないのはそこだ。 <無>でありたいと誰が望むだろう?
四十年にわたる伝道生活において、仏陀は何度も何度も尋ねられた。
「なぜ人は<無>であろうとしなければならないのですか? それは死、究極の
死ではないですか?」すると仏陀は言う。
「その通りだ。それは究極の死だ。だが、それは美しいものだ」
質問者が尋ねる 「ですが、それは誰にとって美しいのですか?
だって誰もいないはずでしょう?」
すると仏陀は言う。 「ただ美しさだけが、至上の幸福だけがあって、それを体
験する者はいない」 人間の心マインドがこう言うのも無理はない。 「でも、自
分がそこにいないのなら、何もならないじゃないか・・・。 それがとても美し
いというのはすばらしいけど、自分がいなければ、美しかろうとなかろうと何
の違いもないじゃないか。 どうして自分を無くさなければならないのだろう?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

103素人A:2018/12/01(土) 09:54:55 ID:gOqWUDAs0
網何念この世うに振り回されて生きているの駄老化。私は本で読んだ坐禅や瞑想の基本的な事は入門書で読んでいたのに?
基本的な最初の気が散らない訓練もしなく次次と先先で修行3日でマスターがまだまだなのに修行理解しマスタと新しい野
本で読み。ヨーガ仙道の船頭さんに迷い出て結局何やつているのか自分でもわからない。その前に何故修行しなければ如何
のか遊び回ったほうが楽.必要な時やれば良いと修行避けている。気が散っているそれは月末すぎたからかもいやいつも?
やりかたの基本はコツコツ実行でしょう。理屈では解っているのだが.静かな所で気が散らない様に色々な頭の思いの蝋燭
の火を息を整えて消すんで使用。基本の基本は空のコップから水空始める。そこに一念のエネルギーを根根と根気よくそそぐ
野鴨?それでエネルギー溢れたらジョウロで妄想世界いや瞑想世界に放水すれば三昧に行きつけると根本経典に書いてあった。
あまた本の思いで実行は?実行はあしたからいや明後日から要するにいまやる気が無い色々やる事が覆い。明日も明後日も
永遠に未だ来ない。未来に巡り合いたくないのか??未来は未見て来いという観字七日悟って空見ないと解らんのか
今朝も情けなく不満足な朝。飲めばやる気が出る薬は危険だし、まあぼちぼちの朝位でもまあ良いか
ミストラル https://www.youtube.com/watch?v=mFsecDrY_oA 
別に何も考えず過去のメモコピーしてすましたやる気ない朝さあホカホカ以降だめだこりゃ

104鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/01(土) 22:51:37 ID:1d4drIFg0
時間という観念と空間という観念が更に又自己が在るという観念を支えることにもなるのじゃ。
何世紀のこの場所に自分が居るという観念が生まれるからのう。
このようにたまねぎの皮のように観念を次々にはがしていかなければ自己という観念にも辿りつかないのじゃ。
全てが自己であったり、神であったりするのもその途中に感じることなのじゃ。

105避難民のマジレスさん:2018/12/02(日) 08:06:10 ID:LC3de7YgO
>>102
7黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み3
 より抜粋

すると仏陀は言う。
「ただ美しさだけが、至上の幸福だけがあって、それを体験する者はいない」
人間の心マインドがこう言うのも無理はない。
「でも、自分がそこにいないのなら、何もならないじゃないか・・・。 それが
とても美しいというのはすばらしいけど、自分がいなければ、美しかろうとな
かろうと何の違いもないじゃないか。どうして自分を無くさなければならない
のだろう?大して美しくはないけれど、少なくともこの私が存在している世間
にいるほうがまだましだ」
<無>という終着地は人々の意欲をそいでしまう。
仏教がインドから姿を消したのはそのためだ。彼らは教訓を学んだ。
それは中国では否定的な言語を落とした、チベットでは否定的な言語を落とし
た 。
インドの仏教、原始仏教は完全に否定的だった。
仏陀の感化を受けて何千もの人々が変容を遂げたのだが、仏陀のような人をつ
ねに見いだすということはできない。
仏陀の影響力はあまりにも大きかったので、人々は死んで<無>になる用意さ
えできていた。
それは仏陀ゆえに起こったことだ。
さもなければ<無>であることには何の魅力も、人を誘う力もない。
が、仏陀の磁力があまりにも強かったので、仏陀のカリスマがあまりにも強か
ったので、何千もの人々がみずから進んで<無>になろうとした。
「仏陀がそうおっしゃるのなら、それは正しいにちがいない」と。
仏陀の言葉にはそれほどの重みがあり、その目がすべてを実証していた。
「彼が消えてしまったのなら、私たちも消えてしまおうではないか。
仏陀がそうおっしゃるなら、信頼してもいい」 だが、ひとたび仏陀がこの世か
ら姿を消すと、仏教の僧侶たちは人々を説得することができなくなった。
彼らはインドから完全に姿を消さねばならなかった。
彼らはそこで教訓を学んだ。
インドの外で、仏教は肯定的な言語を使いはじめた。
仏陀が否定したすべてのことを使いはじめた。それは生き延びた。
だが、仏教として本当に生き延びたのではなく、ヴェーダーンタ学派として生
き延びた。
肯定的な言語として生き延びた。
だが、仏陀の最大の貢献は否定的な表現にあった。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

106鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/02(日) 22:50:44 ID:1d4drIFg0
全てを否定するのは本来アートマンの教えなのじゃ。
認識できないものであるアートマンを教えるには全てを否定しなければならないからのう。
正しい教えを伝えれば間違った教義を持っていた衆生はそれを拒むのじゃ。
習慣とはそれほど強いものであるからインドは未だ大勢が苦の中に居るのじゃ。

107避難民のマジレスさん:2018/12/02(日) 23:04:00 ID:LC3de7YgO
>>106
フムふむ。
否定によってのみあらわされるアートマンと、無我の違いはそこにあるのでありますね。
無であるのは我であり、我が無であり、主体ではないが、意識はある・・・・うぅぅ やっぱり、難しいでありますが、アートマンより、無我の方が、スッキリするでありますね。
OSHOは無我だと、衆生は魅力を感じないていうが、主体への執着を消し去るのが難しくなるでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

108避難民のマジレスさん:2018/12/03(月) 06:56:35 ID:LC3de7YgO
>>107
訂正
OSHOは無我だと、衆生は魅力を感じないていうが、主体への執着を消し去るのが難しくなるでありますね。

→アートマンだと、主体への執着を消し去るのが難しくなる

(´・(ェ)・`)つ

109避難民のマジレスさん:2018/12/03(月) 07:08:09 ID:LC3de7YgO
>>105
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

否定的な表現の美しさは、人の自我エゴを少しも満足させたり、少しも喜ばせ
たりしないことにある。
肯定的な言語の危うさはそこにある。
アハム・ブラフマースミ--「我は神なり」、アナル・ハック--「我は真理なり」
と言うときに危険なのは、真理が二義的なものになり、 その「我」が一義的な
ものになってしまいかねないということだ。
真理はあなたの影になってしまうかもしれない。
力点が 「私」という言葉に集まり、「私こそが神だ」となってしまうかもしれ
ない。
神に力点が置かれ、「私」が神に対するたんなる影であり続けるならば、何も
問題はない。
だが、それはひじょうにむずかしい。
その「私」はじつにずる賢い。
自我エゴの手口はじつに巧妙だ。
それは機会をとらえ、その観念に飛びついて、こう言う。
「その通り、私が神であり、他の者たちはそうではない。私が真実であり、他
の者たちはみな偽物だ」
だが、そうなったら肝心な点がそっくり見逃されてしまう。
いずれにせよひとつだけ確かなのは、時間と空間が消えてしまうということだ。
あなたは「私はすべてだ-すべての空間を満たし、すべての時間を満たしている
---私は至るところにいる、時を越えて存在している」と宣言するか、あるいは
「私はいない。時間というものはない。空間というものもない。永遠から永遠
にわたって、絶対的に静まりかえった<無>があるのみだ。さざ波すら立たな
い静寂が」という仏教徒の表現を使うしかない。
だが、いずれの言明も同じことを指し示している。
表現は異なり、指は異なっているが、それらは 同じ月を指さしている。
その月があなたの本質だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

110鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/04(火) 00:51:49 ID:1d4drIFg0
>>107 そうじゃ、何らかの主体が在ると教えるとそこに妄想も生じてしまうからのう。
 オショーの言うとおり修行中に見た幻影を信じてわしは神だとか思ってしまうのじゃ。
 全てを否定によって説けばそのような妄想も無であると知って囚われないのじゃ。
 それが正しい教え方なのじゃ。

111避難民のマジレスさん:2018/12/04(火) 07:17:24 ID:LC3de7YgO
>>109
7黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み3
 より抜粋

呂祖師は言った。
原初の精神と真の本性のみが時空を克服する。
時間と空間を克服しないかぎり、あなたは死を克服することができない。
死は時間のなかに存在し、空間のなかに存在している。時間と空間を克服しな
いかぎり、あなたは心マインドと肉体を克服することができない。
理解しようとしてみなさい。
肉体は空間に対応し、心は時間に対応している。
心は時間的な現象であり、肉体は空間的な現象だ。
肉体は あ る 場 所 に存在し、心は あ る時 間 に存在している。
時間のない心を想像してみても、あなたはそれを思い浮かべることができない。
心とは過去、現在、未来のいずれかだ。
記憶、想像、現在の事実のいずれかだ。
心マインドは三つの時制のなかに存在する。
あなたがたは注意深く、意識をとぎ澄まして私に耳を傾けている。
心は現在にある。
他のことを考えながらここにいるなら---聖書で何かを読んだことがあり、それ
が私の言うことに当てはまったり、当てはまらなかったりする---
あなたは自分の想像や記憶のなかに入り込んでいる。
時間が消えてしまったら、心を思い浮かべることはできない。
時間と心は同じものを意味する。
人間は宇宙の縮図であり、小宇宙だ。
外界により、大きな規模で存在するものは、何から何まで人間の内部により小
さな規模で存在している。人間を理解することができれば、全宇宙を理解した
ことになる。「上のごとく、下もまたある」
人間はこの宇宙全体を構成する原子のような要素だ。
ひとつの原子を理解すれば、あらゆる物質を理解したことになる。
ひとりの人間を理解すれば、自分自身の神秘を読み解くことができれば、過去
、現在、未来のいっさいの神秘---万物を理解したことになる。
だからこの二つのことを覚えておかねばならない---肉体は空間であり、心は時
間だということを。
瞑想すると、あなたは肉体から消えてゆく。
あなたは自分が誰なのか、男なのか女なのか、美しいのか醜いのか、黒人なの
か白人なのかわからなくなる。
あなたは自分が誰なのかまったくわからなくなる。
内側に入ってゆくと、肉体ははるか後方に残される。
肉体の位置を確かめることすらできない、肉体の存在を感じることすらできない瞬間がやって来る。
あなたはもはや形にとらわれてはいない。
あなたは形なきものになっている。
そして同じことが心にも起こる。あなたは自分の心がどこにあるのか、その心
がどこへ行ってしまったのかわからない。
内側で途絶えることのないそのすべての騒音、その往来の騒音が遠くへ遠くへ
と離れてゆき、消えてゆく。
突然、大いなる静寂があなたの内側ではじける。
この時間も空間もない状態のなかで、あなたはみずからの本質を知るに至る。
そして自己の本質を知ることで、タオをはじめて垣間見る。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

112素人A:2018/12/04(火) 09:04:07 ID:gOqWUDAs0
どげんしても坐禅で死ん身脱落しないと片手の人の拍手の音は聞こえないというか
相手にしてもらえない野鴨 今は儚い身見守らないと

113鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/04(火) 22:08:00 ID:1d4drIFg0
時間という観念は常に記憶から起こるものじゃ。
昨日と違うものごとを解説するために時間がたったという表現をするのじゃ。
肉体の自己同一化さえも記憶から起こるものじゃ。
昨日と同じ肉体とその感覚が在る自分という観念から自分の肉体という観念も起こるのじゃ。

114避難民のマジレスさん:2018/12/05(水) 06:17:24 ID:LC3de7YgO
>>111
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

原初の精神は両極の違いを超えている。
すべての両極の違いが消え失せる。
男/女、夏/冬、暑さ/寒さ、愛/憎しみ、肯定/否定、時間/空間、生/死。
いっさいの両極が消える。

原初の精神は両極の違いを超えている。
どちらの極にも愛着をもってはいけない、と私がしきりに強調するのは
そのためだ。
あなたがたはいずれかの極に愛着をもつようにと教えられてきた。
あなたがたのいわゆる宗教は、世間で暮らすか、それとも世を捨てて僧院に入
りなさいと説いてきた。
私は世間にとどまりながら、その一部にならないようにと言う。
そうでないと、あなたはひとつの極に愛着をもつようになる。
僧院に行けば、あなたは街の雑踏マーケットプレイスを恐れるようになる。
それがはたして成就と言えるだろうか?
恐怖があるなら達成はない。
私はヒマラヤに住んでいた人々を知っている。
彼らは恐れるようになる。彼らは世間に降りてきたくはない。
なぜならヒマラヤで体験してきたものが、街に入るとすべて消え失せてしまう
からだ。
街の雑踏でかき消されるようなものなら、それは成就ではない。
自分の静寂だと錯覚していたものは、ヒマラヤの静寂にすぎなかったのだろう。
それは借り物だった。確かに、ヒマラヤは静かだ。だからその 静寂のなかで暮
らせば、徐々にその静けさがあなたに浸透しはじめる。
だが、それはあなたの音楽ではない。それは借りてきたものだ。
ヒマラヤから遠ざかれば、それは消え失せてしまう。
これは錯覚を起こしているだけだ。
これは輝かしい光の残照を楽しんでいるだけだ。
街のなかで暮らしながら、ハートのなかにヒマラヤをつくりだしなさい。
騒がしさの只なかで静かでありなさい。
世帯主でありながら、求道者サニヤシンでありなさい。
私のサニヤシンたちは世間から離れないでほしい、と私がこれほど強調するの
はそのためだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

115鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/05(水) 22:42:33 ID:1d4drIFg0
観念は大体二つの極に分かれて記憶されているのじゃ。
在ると無いとか、好いと悪いとかのう。
どちらかに執着すれば反対のものもついてくるものじゃ。
観念が無くなれば両方消えるのじゃ。

116避難民のマジレスさん:2018/12/06(木) 06:38:04 ID:LC3de7YgO
>>114
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

何ひとつ放棄しなければならないものはない。
放棄の道は逃避家の道だ。
そして放棄の道を選ぶことで、あなたは一方の現象に愛着を抱くようになる。
それはあなたに自由を与えない。
自由は超越のなかにある。
そして超越は、あなたが二つの極のなかで同時に生きるときにはじめて訪れる。
だから世間にありながら、世間をあなたの内側に入れてはならない。
愛しながら、そのなかに失われてはいけない。
関わりながら、しかも独りで、完全に独りでありなさい。
あらゆる関係がゲームだということを熟知していなさい。
ゲームを演じなさい。
それを可能なかぎり美しく、可能なかぎり巧みに演じなさい。
ゲームはしょせんゲームであり、だからそれは美しく演じられねばならない。
そしてゲームのすべての規則に従いなさい。
なぜなら、ゲームは規則なしでは成立しえないからだ。
だが、それがゲームにすぎないことをいつも覚えておきなさい。
それに愛着を抱いてはいけない。それに深刻になってはいけない。
いつも内側にはユーモアの感覚を息つ”かせておきなさい。
誠実ではあっても、深刻になってはいけない。
そうすれば、ゆっくりゆっくり、両極が消えてゆくのに気がつくだろう。
誰が世俗的であり、誰が宗教的なのだろう?
あなたは両方か、そのいずれでもない。
原初の精神は両極の違いを超えている。天と地は此処ココより生ず。
原初の精神をとらえるすべを体得すれば、学人は光と闇の両極を克服し、もは
や三界にとどまることはない。
天上の世界、地上の世界、地獄の世界---三界---は、両極をいかに超越するかを
知っている人にとってはすべて消え失せてしまう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

117素人A:2018/12/06(木) 10:24:54 ID:gOqWUDAs0
人と言う字も鬼さんの思想もトーナメントの表の様だし
枝分かれも元をたどれば一樹の幹にたどり着くでもその下はまた
根が枝分かれで大地にたどり着く野鴨

118鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/06(木) 23:48:06 ID:1d4drIFg0
観念によって成立する世界で演じられるのは観念遊戯なのじゃ。
現実とは関係のないゲームなのじゃ。
金や名声や権力を集めるのがその遊戯なのじゃ。
どれほど金や名声や権力を集めても死という現実には対抗できないのじゃ。
観念を超えることで死をも超えることが出来るのじゃ。

119避難民のマジレスさん:2018/12/07(金) 07:11:48 ID:LC3de7YgO
>>116
7黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

つい先ほど私は、過去、現在、未来---これらが三つの世界だと言った。
過去は地獄であり、それは死んだ、暗い影のようなものだ---幽霊があなたにつ
きまとっている。
現在は地上であり、それは現実、事実、たった今ここにあるものだ。
そして未来は天上であり、それは希望、熱望、欲望、あこがれだ。
これらが三つの世界であり、そしてあなたはこれら三つの世界を絶え間なく動
いてゆかなければならない。
あなたは前へ後ろへ行きつもどりつする。
過去から未来へとジャンプし、未来から過去へとジャンプする。
そしてこれがどこまでも続いてゆく。
現在はきわめて微細なので、あなたはそれにほとんど気付かない。
それは過去と未来にはさまれている。そしてこの二つは広大だ。
ところが現在は極微であり、原子のような瞬間だ---あまりに小さいので、目に
とまることすらない。
あなたが気付くやいなや、それはもう過去になっている。
現在に在るためには、細心の注意深さが、このうえもない注意深さが必要にな
る。
現在に在ることが時間を超越する扉になるのはそのためだ。
過去からは進めない。過去はあまりに広大で、際限がないからだ。
どこまで遡っていってもきりがない。
精神分析が役に立たない、と私が言うのはそのためだ。
それは過去を調べ、過去を解明し、過去を掘り下げ続ける。どこまでいっても
終わらない・・・精神分析は、三年、七年と、何年にもわたって続いてゆくが、
それでも分析は終わらない。人はその精神分析家に愛想をつかして、相手を変
え、別の分析家のもとへ行って、一からやりなおすしかない。
ここで言っておきたいことがひとつある---遅かれ早かれ精神分析は、過去がこ
の生の出発点で終わるものではないことを必ず発見するだろう。
あなたはどんどん遡っていって、ヤノフが「原初の叫び」と呼んでいるものに
行き着くことができる。
原初の叫びは精神分析の最終地点だ。子供が呼吸をはじめたときの最初の産声
---その叫びを通して子供は呼吸をはじめた。その最初の絶叫。
だが、ひとたびそこに行き着けば、あなたは驚くだろう。
それもまた始まりではない。次は子宮のなかへもどってゆかねばならない。
東洋ではそれが試みられてきた。東洋には、深く深くもぐってゆく
「プラティ・プラサヴ」---回帰、帰還---と呼ばれる技法がある。
マハーヴィーラはそれを用いた、仏陀はそれを用いた---
彼らは子宮を通り抜けた。
そこであなたは再び死を通り抜けねばならなくなる。
なぜなら子宮に宿る前に、あなたは死んでいるからだ。
続いて何層にも何層にもわたるすべての生涯がよみがえってくる・・・
(´・(ェ)・`)
(つづく)

120鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/07(金) 23:40:38 ID:1d4drIFg0
悟りを得ようとするときには自分の観念が死ぬことを覚悟しなければならんのじゃ。
自分の観念とは自我なのじゃ。
自我を放棄し、捨て去る時にはそれによって培ってきた観念をも捨て去るのじゃ。
それが輪廻の観念なのじゃ。

121避難民のマジレスさん:2018/12/08(土) 09:11:50 ID:LC3de7YgO
>>119
7黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み3
 より抜粋

東洋が幾多の過去生という現象に気付いたのは、深い精神分析を通してだ。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教はそれに気付いていない。 彼らはそこまで
懸命に試みたことがない。彼らは精神分析を試みたことがない。
フロイトはそれを試みた最初のユダヤ人だ。
言うまでもなく、キリスト教徒や ユダヤ教徒やいわゆる宗教的な人々はこぞっ
て彼に反対していた。
そこには精神分析がもっと深く進めば、遅かれ早かれ、ヒンドゥー教徒の転生
の観念が正しいことが証明されてしまうという恐れが潜んでいる。
それが怖いのだ。どんどん掘り下げてゆくと、次から次へと層が現れてくる。
どこで終止符を打てばいいのだろう?
あなたは数知れない生を人間として生きてきた。
私たちはそれらすべてを見逃そうとするが、それもまたきりがない。
ある日突然、あなたは自分が過去生では人間ではなかったことに、象や虎や犬
だったことに気付く。
そうしてあなたは動物の生に入ってゆきはじめる。
さらに何百万もの生を通り抜けた後、ある日突然、自分が茂みや樹、さらには
岩であったことを発見する。
インドでは、人は何百万もの生を通り抜けてきたと言う。
それがどこに行き着くというのだろう?
過去を分析してもはじまらない。
それはあなたを狂気に駆り立てるだけで、どこにも到らない。
そして同じことが未来の場合にも当てはまる。
どこで止まればいいのだろう?どこまでゆけばいいのだろう?
「この先は見なくてもいい」と言ってどこで打ち切るのだろう?
東洋ではそれもまた試みられてきた。
私たちは時間という概念にとほうもなく働きかけてきたからだ。
だが、いずれにしてもきりがない。
記憶は尽きることがない。想像は尽きることがない。
その二つのはざまにこの瞬間がある。
ごく小さく、あまりに微細なので、 細心の注意を払っていなければそれに気
付くことはできない。
それはじつにすばやく動く。
それは飛ぶように過ぎてゆく。
だが、現在に気付くことができたら、扉が開かれる。永遠へと到る扉が。
心マインドはまさにそこから無心ノーマインドのなかへと入ってゆく。
人格はまさにそこから人格を超え、本質に入ってゆく。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

122避難民のマジレスさん:2018/12/08(土) 19:29:10 ID:LC3de7YgO
>>121
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み
 より抜粋

イエスが磔ハリツケにされたことはよく知られている。
イエスとともに磔にされた盗賊が二人いた。
ひとりはイエスの左側に、もうひとりはイエスの右側にかけられていた。
あなたがたはそれをとほうもない含みをもった象徴としてとらえたことはない
かもしれないが、イエスは現在の瞬間を表している。
盗賊のひとりは過去であり、もうひとりの盗賊は未来だ。
そしてイエスは、神に最も近い現在の瞬間を表している。
盗賊のひとりはイエスをあざ笑った---過去はつねにあなたをあざ笑っている。
彼はイエスを非難した---過去はつねにあなたを非難している。
もうひとりの盗賊は、イエスに未来のことを尋ねた。
「死ぬとどうなるのですか?天国であなたにお会いできるでしょうか?」と。
ひとりは過去であり、もうひとりは未来であり、そしてイエスはこの二人の盗
賊の真ん中にはさまれている。
彼らを「盗賊」と呼ぶのはなぜだろう?
過去は盗賊だ。未来は盗賊だ。
それはその二つがあなたの現在を盗み続けるからだ。それらはまさに盗賊だ。
私にとってこれは寓話だ。
キリスト教徒が私に同意するかどうかはわからない。
だが、それは私にとってはどうでもいいことだ。
私は他人が私に同意しようとしまいと気にしない。
イエスは、現在、今ここにいて、本質に最も近く、いつでも死んで肉体と心か
ら消え去る用意ができている。
彼はわずかにためらっている---人は誰でもためらう。
現在にまみえるとき、人は自分を正面から見つめる永遠に出会う。
過去でもなく、未来でもない、永遠---まったく異なる次元に。
過去、現在、未来は水平であり、永遠は垂直だ。
私にとって、十字架は交差する二本の線の象徴でもある。
十字架は二本の線でつくられている。ひとつは水平であり、もうひとつは垂直だ。
これは時間と永遠の表現だ。
永遠、どこにもないもの、<無>、あるいはすべてのものに直面すると、人は
みなためらう。
それは耐えがたい。
人は水滴のようにそのなかへ消えてゆく ことになる。
大海はあまりに巨大で、人は完全に消息を絶ってしまう。
草の葉から大海に落ちてゆく露ですらためらう。
イエスはためらった。
私がこの男を愛するのは、彼がためらったからだ。
ためらうイエスを見れば、彼が人間であることがわかる。
ためらう彼を見れば、イエスが私たちの一員であることがわかる---彼は人の子
だ。

123鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/08(土) 22:54:22 ID:1d4drIFg0
過去も未来もただ妄想で在るのみなのじゃ。
自分という観念の上に成り立っている妄想なのじゃ。
ただ今だけが真に在るといえるものなのじゃ。
今ここに在るのが二元性を超えた原初の精神なのじゃ。

124避難民のマジレスさん:2018/12/09(日) 00:04:17 ID:LC3de7YgO
>>122
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

彼は神に向かって泣き叫んだ。
「私をお見捨てになったのですか? 私をどうなさるのですか?私を見放された
のですか?もう私のそばには いらっしゃらないのですか?私は消えようとして
います。 なのに私を守ってくださるあなたの御手が見えません」
露が大海に落ちようとしている。
「あなたはどこにいらっしゃるのですか?私は深い<無>のなかに落ちようとして
います。死がやってきました。あなたは死のなかにあっても、そこで待ちうけ
、私を抱きしめ、包み込んでくださる、暖かい、愛にあふれた方だと思ってい
ました。なのにあなたはどこにいらっしゃるのです?私をお見捨てになったの
ですか?私を見放してしまわれたのですか?どこにもあなたの姿が見えません」
実際、目に見える神は存在しない。神は人物ではない。
神とはこの完全な<無>を表す肯定的な名前だ。
だが、イエスは神を人物とみなすユダヤ的観念を抱いて生きていた。
このような混乱が、このような恐怖が彼の心に起こるのはそのためだ。
彼には愛する者、天なる父に会いたいと待ち望んでいた自分が見えていない。
彼は天なる父を「アバ」と呼んでいた。彼は天なる父に会いたいと待ち望んでい
た。
だが誰もいないように思われる。
この世の幕が降りようとしているのに、彼方には大きな口を開いた<無>、底無
しの深淵しかない。
それはきわめて人間的だ。イエスの生涯はきわめて人間的だ。
そしてそれがその美しさだ。
彼の生涯が多くの人々の心をとらえたのはそのためだ。
---まさにその人間性が人々の心に触れる。
だが、やがてイエスは要点を見抜いた。
彼は永遠<無>を深くのぞき込んだにちがいない。
彼は大切なことを見抜いたにちがいない。
「神が人間の顔をしているはずがない。これこそが神の顔だ。 神が人間の手を
もっているはずがない。この<無>が私を抱きしめようとしている。そのふとこ
ろ深くに私を受け入れようとしている」と。
続いてイエスは神に言う。
「御国は到来しました。御業はなされました。 ですから、そのままに、御心の
ままに。 あなたは<無>なのです。覚悟はできています。私はあなたを信頼しま
す。あなたが<無>であることさえ信頼します」
キリスト教徒、イスラム教徒、ヒンドゥ教徒、ユダヤ教徒たちはみな--- 神の
人格という観念を抱いて生きてきた者たちはみな、このことに直面しなければ
ならない。
この不安な時、この苦悶を通り抜けなければならない。
神は<無>であり、<無>の別名だという仏教徒の観念や道家タオイストの観念が
美しいのはそこだ。まさにその始めから、その<無>という観念とともに 生きて
きた者はたじろぐことがない。彼はただそのなかに消えてゆく。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

125鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/09(日) 23:17:20 ID:1d4drIFg0
神を信じる者は大概神は人間の形と名を持っていると思っているのじゃ。
そのような者がたまたま何かの道とか瞑想を極めると最後には何も無いと驚いたりするのじゃ。
最後にはひげのじじいが出てきて天国に入れてくれるとか思っていたからなのじゃ。
何も無くて善いのじゃ。
そこに意識が在ると気付けば永遠への扉が開かれるのじゃ。

126避難民のマジレスさん:2018/12/10(月) 07:13:54 ID:LC3de7YgO
>>124
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

原初の精神は両極の違いを超えている。
天と地は此処ココより生ず。
原初の精神をとらえるすべを体得すれば、学人は光と闇の両極を克服し、 もは
や三界にとどまることはない。
だが、人間がもって生まれた 本来の顔を洞察した者のみが、これを行なうこと
ができる。
みずからの内なる<無>が見えてこなければ、それを行なうことはできない。
まず瞑想をして、みずからの内なる<無>へと入ってゆきなさい。
そうすれば、存在そのものの<無>に入ってゆくことができる。

人が胎内から解放されるとき、原初の精神は一寸四方のなかに住むが・・・
これは道家の地図だ。
当惑しないこと。
人間の意識の地図は色々ある。
地図が変われば、用いられる象徴も変わる。
これは道家の地図だ。
道家の人々は言う
---子供が子宮から生まれ落ちると、原初の精神は第三の目のなかに住みはじめ
る、と。両目のあいだ、眉間の中央、まさにその中間に第三の目がある。
ヨーガの地図ではそれを「アジュナ・チャクラ」---第三の目のセンター---と
呼んでいる。
道家の人々が「原初の精神の住処スミカ」と呼んでいるものはそれだ。
人が胎内から解放されるとき、原初の精神は一寸四方のなかに住むが、 意識的
精神は下方の心臓ハートのなかに住む。この心臓は外界に左右される。
もし人が一日でも食べなければ、心臓は極度の不快感を覚える。
恐ろしいことを聞くと動悸を打ち、腹の立つことを聞くと鼓動を止める。
死に直面すれば悲しみ、美しいものを見れば目がくらむ。
だが、 頭蓋---すなわち第三の目のセンター---のなかにある天上のこころハ
ートは、少しでも動いたことがあるだろうか?
「天上のこころは動かないものか?」と問う ならば、「一寸四方のなかにある
真の思考がどうして動くだろう」と答えよう。
この肉体の心臓ハートは絶えず外界に左右されている。
それは外界の影響を受ける。
それは身体のなかにある外界の一部だ。
これは真のハートではない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

127鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/10(月) 22:25:13 ID:1d4drIFg0
自分の内なる無とは人の持つ本質なのじゃ。
それは全ての本質と同じなのじゃ。
そうであるから自らの内なる無に入れば、全てと同じ本質にたどり着くのじゃ。
アートマンの法と同じなのじゃ。

128避難民のマジレスさん:2018/12/10(月) 23:14:57 ID:LC3de7YgO
>>127
釈迦もキリストもなく、叡知のみがあるのでありますね。
(´・(∀)・`)つ

129避難民のマジレスさん:2018/12/11(火) 06:29:27 ID:LC3de7YgO
>>126
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

道家の人々は、真のハートは第三の目のなかにあると言う。
それは動くことがない。それは不動のものだ。それはつねに変わらない。
肉体の心臓はいつも混沌としている。
そして第三の目のなかにある霊的なハートはつねに秩序がとれている。
それは秩序そのものだ。
ヒンドゥー教徒がそれを「アジュナ・チャクラ」---秩序が生まれ、規律が生ま
れるセンター---と呼ぶのはそのためだ。
第三の目から来たものは、ただちに実行に移される。
肉体全体がそれに従う。実存全体がそれに従う。
それは命令が発せられるセンターだ。
だが、それは深く眠り込んでいる。
あなたは肉体の心臓ハートから生きている。
あなたは自分の霊的なハートをまだ知らない。
低次の心臓ハートは、強い力をもった将軍のように振る舞い、天上のこころ
ハートをその弱さゆえにさげすみ・・・
だが、肉体の心臓ハートは、霊的なハートが動かないので、それを弱いものと
見なす。
それが動いていないので、あなたがたは霊的なハートが動かないので、それを
弱者、死人に等しいものと見なす。
国政の主導権を奪い取った。
このために、低次の心臓があなたの主人になってしまった。
だが根源の城の防備を固め、防御することができれば、強力で賢明な君主が王
座についたようなものである。
だが、もっともっと注意深くなり、さらにいっそう意識しはじめると、第三の
目のなかにある城の防備を固めたことに気付くだろう。
醒めてゆくたびに、あなたは第三の目から機能しはじめることを知って 驚くだ
ろう。
少しでも醒めれば、第三の目にある小さな緊張に気付くだろう。
あなたが注意深くなるたびに、第三の目の緊張はつのってゆく。
何かが第三の目のなかで脈打ちはじめる。 何かが第三の目のなかで鼓動しはじめる。
ひとたび覚醒アウェアネスが第三の目を機能させたら、 ひとたび覚醒が第三の
目のなかに入り込み、第三の目が機能しはじめたら、 それが息つ”くようにな
ったら
・・・ ヒンドゥー教徒がそれを「チャクラ」と呼ぶのはそのためだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

130鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/11(火) 22:54:57 ID:1d4drIFg0
>>128 そうじゃ、全て一つなのじゃ。
 一つの意識があるだけなのじゃ。
 全ての法はそれにたどり着くためにのみあるものじゃ。

131避難民のマジレスさん:2018/12/12(水) 01:28:06 ID:LC3de7YgO
>>129
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

チャクラとは車輪を意味する。その車輪はエネルギーを必要としている。
ひとたびエネルギーが入ってくると、その車輪はまわりはじめる。
”まわる”とは、それが機能しはじめるということだ。 そうなったら、あなた
の実存に偉大な革命が起こる。 低次の心臓ハートはただちに高次のハートにひ
ざまつ”く。
高次のものが訪れると、低次のものはつねにひざまつ”く。
低次のものが支配するのは、高次のものが不在のときだけだ。
それが真の宗教と偽の宗教の違いだ。偽の宗教はあなたがたに言う。
「自分自身を統御しようと努力しなさい。これをやりなさい。それをしてはい
けない。自分の感覚を統御しなさい。自分の肉体を鍛錬しなさい」と。
真の宗教は言う。
「ただ第三の目のなかに入ってゆきなさい。
そして霊的なハートを働かせるのだ。
そうすればすべては統御される。 そうすれば規律はすべて整う。
主人を到着させなさい。 そうすれば、即座にすべてが落ちつくだろう」
両目は、左右の大臣がこころを尽くして君主を補佐するように光を巡らせはじ
める。
中央の支配はこのようにして整い、反抗する英雄たちはみな槍を倒して列席し
、進んで命令に従う。
主人を招き入れるだけでいい。
そうすれば、自分の生に秩序をつくりだそうと努める必要はない。
品性を培う必要はない。品性のことは心配しなくてもいい、と私が言うのはそ
のためだ。
もてるすべてのエネルギーをもっと意識することに注ぎ込むだけでいい。
影があなたにつき従うように、品性は意識の後からついてくる。
品性を培おうと努力すれば、あなたの品性は偽物に、まがいものになり、あな
たは偽善者になってしまう。それは<究極なるもの>に到る道ではない。

生命の仙薬への道は・・・を至上の秘術として知っている。
これは至上の秘術だ。これを「秘術」と呼ぶのはなぜか?
ひとたび高次のハートが働きはじめたら、魔法のような奇跡が起こるからだ。
あなたの感覚にはまったく秩序がなかった。
あなたの心マインドはつねに混乱していた。
あなたはつねに「これをするべきか、それともあれをするべきか?
生きるべきか、それとも死ぬべきか?」とためらっていた。
あなたは絶えず「どこへ行くべきか?何を選ぶべきか?」と緊張していた。
すると、突然、誰かが奇蹟を行なったかのように、いっさいの混乱が消え、明
晰さが生まれ、生は透明になる。
あなたは為すべきことをただやる。実際、ひとたび天上のハートが機能しはじ
めたら、あなたがすることはすべてよい。
あなたはあやまちを犯せない---それは不可能だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

132鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/12(水) 22:53:36 ID:1d4drIFg0
眉間に集中するのは本来ヨーガの法なのじゃ。
集中していればサマーディに入るのじゃ。
そこまでいけば智慧も生じて観察力も高まるのじゃ。
なかなか難しいことではあるがのう。
光を巡らす事で容易になるというのじゃ。

133避難民のマジレスさん:2018/12/13(木) 05:51:09 ID:LC3de7YgO
>>131
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

生命の仙薬への道は・・・を至上の秘術として知っている。
そして、この至上の秘術には三つの構成要素がある。

種子の水、精神の火、思考の土---これらは道教の象徴だ---これら三つのものを
至上の秘術として知っている。
種子の水とは何か?それは真実にして一なる気(エロス)のことだ。
精神の火とは光(ロゴス)、思考の土とは直観のことである。
あなたはこれら三つのものを理解しなければならない。
種子の水とはエロス、今あなたが性エネルギー、性愛のエネルギーとして知っ
ているエネルギーのことだ。
今現在、それはあなたにもめごとしか引き起こさない。
今現在、それはあなたの友人のふりをしているが、いずれ敵であることがわか
ってくる。
その後を追えば追うほど、あなたはますます惨めになってゆく。
愛は盲目だと言われるのはそのためだ。
ムラ・ナスルディンがよく私に言っ
ていたものだ。
「愛は盲目だけど、結婚すれば目が開くものさ」愛が盲目なのは、あなたがま
だ目をもっていないからであり、そのために大いなる祝福となりえた巨大なエ
ネルギーがたんなる惨めさになってしまう。
エロスがあなたのエネルギーだ。だからフロイトがあなたのエロス、あなたの
性エネルギーのなかにすべてを追求し探求するのは正しい。
だが、性エネルギーの通常のありようは、自然な状態ではなく倒錯した状態
であることを知らない点で、フロイトは間違っている。
自然な状態の性エネルギーは、高みへ高みへと昇ってゆく。
それは人を下方ではなく上方へと連れてゆく。
自然な状態の性エネルギーは、あなたの内側で黄金の華となる。
いわゆる通常の倒錯した状態の性エネルギーは、あなたを新しい監獄に連れ込
むだけだ。
なぜなら、それは外へ、下へと向かうからだ。
それはあなたを消耗させる。それは死をどんどん近くへ引き寄せるだけだ。
その同じエネルギーが上に向かいはじめたら、それは新しい生を、豊かな生を
もたらす。それは「生命の仙薬」になる。
まさに泥が蓮華と化しうるように---泥のなかには蓮華が、蓮華の種子が含まれ
ているように---人の性エネルギーのなかには、黄金の華の種子が含まれている。
だが、そ の エ ネ ル ギ ー が上昇すべきであって、 あ な た がそれを上
にあげることはできない。
それを上昇させようと努力する人々がいるが、彼らは性倒錯者になる他はない。
直接上昇させることはできないが、間接的に行なうことはできる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

134鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/13(木) 23:30:39 ID:1d4drIFg0
三つの要素とは精気神と呼ばれるものじゃ。
精を練って気に変えるのを錬精化気というのじゃ。
小周天の段階なのじゃ。
次は錬気化神になるのじゃ。
気を更に回して精神のエネルギーに変えるのじゃ。

135避難民のマジレスさん:2018/12/14(金) 05:59:05 ID:LC3de7YgO
>>134
うむ。ちょぴっとやったことあるのでありますが、気の訓練は、筋トレやスポーツ等の訓練同様、続ければ成長し、やめれば衰える。
いったんやめて、再開しようとすると、ちょぴっと出来ていた時の効果を期待して、それを最初から強く求めてしまうことが邪魔をして、最初に始めた時よりも難しくなるような気がするであります。
何でも継続するのが肝心でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

136避難民のマジレスさん:2018/12/14(金) 06:15:32 ID:LC3de7YgO
>>133
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

ひとたびあなたの第三の目、あなたの霊的なハートが働き出したら、 エネルギ
ーはひとりでに動きはじめる。
あなたが第三の目をつくりだすと、 エネルギーはまるで磁石に引きつけられ
るようにそれに向かってゆく。
今現在、あなたのエネルギーは外に向かっている。
なぜなら、あなたが 内側にもっている磁石よりはるかに大きな磁石が外にある
からだ。
美しい女性を目にすると、エネルギーは外へ動きはじめる。
その女性は磁石のように作用する。
第三の目が機能しているときには、誰も
外に引き寄せる ことができないほど
強力な磁石があなたにそなわっている。
要は外側にある磁石よりも強力な磁石を内側にもっているかどうかだ。
そうなったらエネルギーは上へ、内へと向かうようになる。
外へ向かえば、あなたは二元性の世界に入ってゆく。
内へ向かえば、不二の世界に入ってゆき、あなたは無極になる。
これこそまさに私が「超越の心理学メタ・サイコロジー」あるいは 「ブッダの
心理学」と呼んでいるものの土台をなすものだ。
これが純粋な宗教だ---儀式の宗教ではなく、純粋な宗教だ。
これはキリスト教やヒンドゥー教とは無縁であり、 あなたのエネルギーの源泉
に関わるものだ。

二番目は精神の火だ。
それは光、ロゴス、すなわち顕在意識だ。
上昇する気、エロスは、人を顕在意識と無意識の彼方へと連れてゆく。
ロゴスとは顕在意識だ。
それは心理学であり、科学だ。

思考の土とは闇、無意識、直観のことだ。 これは超心理学パラサイコロジーであり芸術アートだ。
思考の土は直観、闇だ。
女性は思考の闇、直感的な洞察力のなかで生きている。
女性は無意識、非論理的な存在として生きている。
男性は精神の火、ロゴス、論理、顕在意識のなかで生きている。
芸術家は女性的であり、科学者は男性的だ。
そして種子の水、エロス、一なる気は不二だ。
それはあなたを芸術の彼方、科学の彼方へと連れてゆく。
それはあなたを意識と無意識の彼方へと連れてゆく。
それはあなたを男を超えた世界、女を超えた世界へと連れてゆく。
それはあなたを不二なるもの、超越的なものへと連れてゆく。
だが、その秘術の奥義は、あなたの両目のあいだにある天上のハートを働かせ
ることにある。
それが働くように助ける具体的な方法については後で触れよう。』
(´・(ェ)・`)
(おわり)

137鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/14(金) 23:01:51 ID:1d4drIFg0
>>135 そうじゃ、日々続けることが大事なのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

精を気に変えて暫くするともはや気だけが体をめぐるようになるというのじゃ。
更に神に変えると常にサマーディに入っているのと同じ状態になるのじゃ。
そこまでくればもはや完成は目前なのじゃ。
最後には錬神還虚になるのじゃ。
神を鍛錬して虚に還るのじゃ。

138避難民のマジレスさん:2018/12/15(土) 05:23:41 ID:LC3de7YgO
>>136
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ
 より抜粋

肉体のなかには魄アニマが存在する。魄アニマは女性(陰)であり、意識の基
体である。

けれども、これとともに魂アニムスが存在し、そのなかに精神が潜んでいる。
魂アニムスは両目のなかにあり、ものを見、夢を見る。
だが、暗く沈み込み、みずからの肉体の形に幽閉されている者はみな、魄アニ
マに束縛されている。
それゆえに、光を巡らせることで魂アニムスの集中が起こり、 そのようにして
精神が保持され、魄アニマは克服される。
この世を超脱するために古人が用いた技法は、純粋に創造的なものに還るため
に暗黒の滓カスをすべて溶かし尽くす。
これは魄アニマの力を削ぎ落とし、魂アニムスの力を完全にすることに他なら
ない。
光を巡らせることは、暗黒を縮小させ、魄アニマを制する力を獲得する秘術で
ある。
この技法に従うなら、種子の水はおのずから豊かになり、精神の火は燃えあが
り、思考の土は固まり結晶化するだろう。
このようにして聖なる果実は熟す。
一なる本性が創造力の宮殿に降りると、それは分かれて魂アニムスと魄アニマ
になる。
魂アニムスは天上のこころハートに住む。 それは光の性質を有している。
それは軽く、清らかなものの力である。
それは我々が大いなる虚空から得てきたものであり、 原初の始まりと同じ形を
している。
魄アニマは暗黒の本性を有している。
それは重く、濁ったものの力である。
それは物質的な肉体の心臓ハートに縛りつけられている。
魂アニムスは生を愛し、魄アニマは死を探し求める。
すべての感覚的欲望と怒りの衝動は魄アニマの作用である。
だが、学人が暗い魄アニマを完全に蒸留してしまえば、それは純粋な光に変容
する。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

139鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/15(土) 23:08:06 ID:1d4drIFg0
ここでは心の働きをアニマとアニムスに例えているのじゃ。
活発な心の働きがアニムスであり、静かな働きがアニマなのじゃ。
ヴェーダの三つのグナと同じような性質の説明なのじゃ。
そのようなものが本当に心の中にあるわけではないのじゃ。

140避難民のマジレスさん:2018/12/16(日) 13:54:20 ID:LC3de7YgO
>>138
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

『 あるとき女帝、即天武后ソクテンブコウが導師の法蔵ホウゾウに尋ねた---
法界縁起ホッカイエンギの理(宇宙的な相互依存の法則)、すなわち一と多、
神と被造物、被造物どうしの関係の原理を、具体的に、単純明快に証明して見
せることができるかどうかと。
法蔵は仕事にとりかかり、宮殿の一室を使って、八つの方位に大きな鏡を八枚
立てた。
さらに彼は二枚の鏡を、ひとつは天上に、もうひとつは床に取りつけた。
部屋の中央には天上から一本の蝋燭ロウソクがつるされた。
女帝が入室すると、法蔵は蝋燭に火をともした。女帝は叫び声をあげた。
「なんとすばらしい!なんと美しいことでしょう!」
法蔵は十枚の鏡のひとつひとつに映る炎を指さして言った。
「ご覧ください、皇后陛下。これで一と多、神とその被造物との関係は証明されます」
女帝は言った。
「まさにその通りです、師よ。では個々の被造物と被造物の関係はいかがです
か?」
法蔵は答えた。
「よくご覧ください、陛下。一枚一枚の鏡が中央の炎を映し出すだけでなく、
それぞれの鏡が他のすべての鏡に反射する炎を映し出し、それらすべてが無数
の炎をたたえています。これらの影はすべて相互に等しいものです。つまり、
ある意味では置き換えうるとも言えますし、ある意味ではそれぞれが個別に存
在しているとも言えます。これは個々の事物とそれに隣接するものとの、他の
万物との真の関係を示しています。もちろん、私はこう指摘しなければなりま
せんが、陛下」
と法蔵は続けた。
「これは宇宙の真の状態の粗雑で、大まかで、静的な比喩にすぎません。なぜ
なら、宇宙は無限であり、そのなかではいっさいのものが永久に多様な運動を
くり返しているからです」
そう言うと、導師は反射する無数の炎のひとつを覆って、一見ささいなことに
思われる個々の干渉が我々の世界の有機的統一にいかに影響を与えるかを示し
て見せた。
華厳ケゴンの教えはこの関係を次のような公式で表現する。
 一即一切(ひとつのなかにすべてのもの)
 一切即一(すべてのなかにひとつのもの)
 一即一(ひとつのなかにひとつのもの)
 一切即一切(すべてのなかにすべてのもの)
(´・(ェ)・`)
(つづく)

141鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/16(日) 23:02:40 ID:1d4drIFg0
華厳では一粒の砂に三千大千世界が入っているという。
刹那の時に永遠が在るという。
全てが観念であるからそれもありえるのじゃ。
観念のみなのじゃ。

142避難民のマジレスさん:2018/12/17(月) 06:22:06 ID:LC3de7YgO
>>140
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

続いて法蔵は、天覧劇の幕を閉じるために小さな水晶玉を取り出して言った。
「さあ、ご覧ください、陛下。これらすべての大きな鏡と、
その鏡が反射する無数の形がこの小さな玉に映る様を。
究極の実在においては、何の障害もなく無限に小さなものが無限に大きなもの
を内に蔵し、無限に大きなものが無限に小さなものを内に蔵している様をご覧
ください!
ああ、時間と永遠が、過去、現在、未来が、互いに妨げられずに浸透し合うこ
とを証明することさえできれば。
しかし悲しいことに、これは異なった水準で把握されねばならない。
生きて躍動するプロセスなのです・・・」
人間は孤島ではない。何ひとつ孤島ではない。
あらゆるものが相互に関連し合っている。
あらゆるものが相互に依存し合っている。
独立とは、まさにその言葉からして虚偽だ。
依存もまたそうだ。相互依存が実相だ。
万物は他の万物とあまりに深く結びついているので、何ひとつばらばらでは存
在しえない。
小さな薔薇の花を余すところなく全一に理解できたら、宇宙全体を理解したこ
とになる。
なぜなら、全宇宙がその小さな薔薇の花に内包されているからだ。
もっとも小さな草の葉にさえいっさいが含まれている。
だが、覚えておきなさい---法蔵が女帝に言ったように、すべての例証、 すべ
ての描写は静的だが、<存在>は躍動する流れだ。それは川のようなものだ。
ひとつひとつの事物が他のあらゆる事物のなかに浸透し続けている。
どこでひとつのものが終わり、どこで別のものがはじまるのか、 その線を引く
ことはできない。
境界線はない--そんなものはありえない。
したがって、区別はすべてたんに実用的な目的のためにあるだけであって、そ
れらに実存的な価値はない。
これがまず最初に理解すべきことだ。
これは道家タオイストの煉丹術のまさに基礎となるものだ。
ひとたびこれを理解すれば、道家の煉丹術の全容を把握できるようになる。
そうなったら、低次のものを高次のものに変容させることができる。
なぜなら、低次のものにはすでに高次のものが含まれているからだ。
卑金属を黄金に変容させることができるのは、何ひとつ分かたれているものは
なく、低次のものにもすでに黄金が含まれているからだ。
上のごとく下もあり、下のごとく上もまたある。
あらゆるものが相互に関連し合っているというとらえ方そのものが変容を可能
にする。
事物が相互に関連し合っていなかったら、いかなる変容の可能性もない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

143鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/17(月) 23:36:17 ID:1d4drIFg0
錬金術とは鉛などの卑金属を金などの貴金属に変えることなのじゃ。
それが変じて人の肉体をも変容するものとしているのじゃ。
金は何千年も腐食しないから人の体も金のように変えれば不死になるというのじゃ。
薬物で変えるのを外丹道といいい、気の精錬で変えるのを内丹道というのじゃ。

144避難民のマジレスさん:2018/12/18(火) 05:47:26 ID:LC3de7YgO
>>142
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

もし世界がライプニッツの言うモナド---窓がなく、ばらばらに分離し、 窓が
ないため相互の結びつきをいっさいもたない原子のような単子--- から成って
いたら、そのときにはいかなる変容の可能性もない。
あなたが私であり、私があなただから、つまり私たちが互いに浸透し合ってい
るからこそ、変容を思い描くことができる。
ほんの一瞬でも自分自身を分離した存在として考えることができるだろうか?
分離した存在としての自分など思い浮かべることもできない。
花を樹から切り離すことはできない。
切り離したとたんに、花は死んでしまう。
樹は大地から切り離せない。
地球は太陽から切り離せない。
太陽は他の星から切り離せない。
それが果てしなく続いてゆく。
葉を切り離せば、その葉は死んでしまう。
花を切り離したら、その花は死んでしまう。
樹を大地から切り離したら、その樹はしんでしまう。
地球を太陽から切り離したら、地球は死んでしまう。
死とは分離しているということだ。
生とは分離していないということだ。
それゆえに自我エゴは死なざるをえない。
なぜなら、それは自分は分離しているという観念だからだ。
みずからの自己を自我の立場からとらえることはひとえに死を呼び寄せる。
なぜなら、自我にはもはや血が通っていないからだ。
息の止まった馬に鞭を当て続けることもできるが、いつまでそうしていられる
だろう?
その馬はやがて死んでゆく。すでに息が止まってしまっているので、やがては
死んでゆく。
あなたの内側で息つ”いているものは死ぬことがない。生命は永遠だ。
だが、生命はあなたのものではない。あなたはそれを所有できない。
生命は全体に属している。生命は広大なものであり、無限なるものだ。
死はちっぽけなものであり、個的なものだが、生命は宇宙的なものだ。
だから生きているときには、あなたは宇宙の一部であり、 死を迎えるときには
、自分は分離していると思うからこそ死んでゆく。
全体の一部であると感じれば感じるほど、あなたはいっそう多くの生を得る。
イエスは言う。「私のもとへ来なさい。私はあなたがたに豊かな生を与えよう」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

145鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/18(火) 23:17:00 ID:1d4drIFg0
個我の観念を持つ者は自分を独立した独りの者としてみるものじゃ。
しかし、実際には全ては繋がっている故にそれは謬見となるのじゃ。
全てが繋がりあっている一つのものとして気付くことが正見なのじゃ。
それこそが真の不死の境地なのじゃ。

146避難民のマジレスさん:2018/12/19(水) 00:58:02 ID:LC3de7YgO
>>144
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

豊かな生の秘密とは何か?
その秘密はこれだ--- 自我エゴとして死に、分離した実体としては消えなさい。
そうすれば 全宇宙と宇宙のなかに含まれるいっさいのものがあなたのものになる。
所有すれば、あなたはちっぽけなもの、有限なものになり、 やがては死ななければ
ならないことになる。
もっといきいきとする秘訣は、ひとえに 分離という観念を落とすことから成って
いる。
そしてそれが起こるたびに、あなたは 内側で生が炎のように燃えあがるのを感じ
る。
たとえそれが小さな規模で起こっても・・・ 誰かに恋をしても、あなたの内側では
生が燃えあがる。
大したことが起こっているわけではない。 たかだか二人の人間が一体感を味わって
いるだけだ。
愛から教訓を学ぶがいい。
二人の人間が一体感を味わうだけでも、大きな喜び、大きなエクスタシーが生まれ
てくる!
考えてもみるがいい。
全体と恋に落ちたら、どんなに大きなエクスタシー、 どんなに大きな喜びが起こる
ことだろう?
それが豊かな生、限りなき生だ。
自分自身を分離させると・・・ときおり自己中心的に生きるあまり、愛することが
できない人たちがいる。
彼らはこの世でもっとも惨めな人々だ。
私は地獄をこう定義する--- 分離した状態で生きることが地獄だ。
分離のない状態で生きることが天国だ。
全体のなかへ完全に跡形もなく消え去ることが 解脱モクシャ、にゃはんニルヴァー
ナだ。
それは究極の自由だ。
理解すべき第二のことがらは、生には極性があるということだ。
これもまた道家の人々の姿勢アプローチの基盤そのものをなしている。
だが、この極性は対立するものではない。
極性とは対立物が互いに補い合っているということだ。
それらは互いに支えあっている。
生は死なくしては存在しえない。
だから死は敵ではない。
生が死なくして存在しえないとしたら、どうして死が敵でありえよう?
死は友であるはずだ。
死は生の下地を用意する。
死は生を助け、生を喚起し、生に挑みかけてくる。
考えてみるがいい。
肉体が永遠に生きることになれば、 人はまったく生きようとせず、あらゆることを
無限に先に延ばしてしまう。
「明日があるなら、なぜ今日愛さなければならないのか? 明日が無限にあるなら、
なぜ気にかけるのか? なぜ今日踊るのか?明日にしようじゃないか」
思い浮かべてみるがいい。 肉体の生命が永遠なものになるなら、人はいつまでも
先に延ばしてゆくだろう。
先に延ばすことができないのは、 明日が来るかどうか確信をもつことができない
からだ。
次の息が入ってくるかどうか誰にもわからない。
だから先に延ばすのは愚かな者たちだけだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

147鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/20(木) 00:04:30 ID:1d4drIFg0
分離とは個我があるという認識なのじゃ。
世界とは別の自分という個体が在るという謬見なのじゃ。
世界と対峙している故にそれは全てが苦になる観念なのじゃ。
世界とは別のものであるから 孤独が常にあり、恐れや不安も常に在るのじゃ。
それがなければ全ては一つであり、安楽になるのじゃ。

148避難民のマジレスさん:2018/12/20(木) 01:23:59 ID:LC3de7YgO
>>146
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

賢者は生きる、賢者は今ここを生きる。
彼には先に延ばしてゆくひまがない。
なぜなら、彼は 「この瞬間だけが私のものだ。 まさにこの瞬間だけが私のもの
だ。 次の瞬間は来るかもしれないし、来ないかもしれない。 どうして先に延ば
せるだろう?どうして 明 日 などと言えるだろう?」 と知っているからだ。
愚か者は明日まで延ばす。
賢者は今を生きる。
賢者は今より他の時間、ここより他の場所を知らないが、 愚か者は永遠に先に
延ばすことができたものに入り込み、 たった今それを生きる。
腹が立つと、その怒りをたった今生きる。
やさしい気持ちになると、彼は「明日にしようじゃないか」と言う。
愚かなことばかりをやり続け、輝かしいことはすべて先に延ばし続けてゆく。
賢者もまた先に延ばすが、彼は愚かなことだけを先に延ばす。
グルジェフはよく弟子たちにこう言っていた。
「祖父が死んだとき、私はわずか九才だった。 彼は死の床に私を呼び寄せると
、耳元でこうささやいた」
老人はこの少年をこのうえもなく愛していた。
彼はこの少年に潜む力を見抜いていたにちがいない。 彼は少年の耳元でささやい
た。
「おまえにあげるものは何もないが、ほんの一言だけ忠告しておこう。 今のお
まえにそれが理解できるかどうかわからない。だが、覚えておきなさい! いつ
かおまえも大きくなったら理解できるようになるかもしれない。 とにかく覚え
ておきなさい。単純な忠告だ。 何かよくないことをしたくなったら、それを二
四時間先に延ばしなさい。そして 何かよいことをしたくなったら、たとえ一瞬
といえども先に延ばしてはいけない。腹を立て、暴力的になり、攻撃的になり
たくなったら、二四時間待ちなさい。 やさしい気持ちになり、分かち合いたく
なったら、 一瞬といえども先に延ばしてはいけない。ただちにその場で、それ
を生きなさい!」
グルジェフはよく弟子たちに、「あの簡単な助言が私の人生をすっかり変えて
しまった」と言っていた。
腹を立てるのを二四時間先に延ばせるのだったら、 どうして腹を立てたりでき
るだろう?腹の立てようがない。
それを二四時間先に延ばすことができるほど穏やかで平静にしていられるなら、
もうそれだけで腹が立たないことはあきらかだ。
二四時間先に延ばすことができるなら、どうして腹など立てられよう。
二四時間も黙想すれば、その馬鹿らしさ全体がはっきり見えてくる。
ことの全体がくだらなく見えてくる。
グルジェフはこの単純な忠告のおかげですっかり変容した。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

149鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/21(金) 00:35:39 ID:1d4drIFg0
時間とは観念であり本当は無いものじゃ。
刹那しかありえないのじゃ。
全ての者は刹那毎の時間を生きて記憶に拠ってそれを繋げているだけなのじゃ。
永遠とは常に今ここにあることなのじゃ。

150避難民のマジレスさん:2018/12/21(金) 06:16:50 ID:LC3de7YgO
>>148
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

ときとして、ごく単純なメッセージが人を変容させることがある。
だが、あなたはそれを生きなければならない。
生は死があるがゆえに存在する。 死は生に強烈さを与える。
死は生に挑みかけてくる。
生きるように、それも最大限に、最善を尽くして生きるように 人を奮い立た
せる。
というのも、誰にもわからないからだ---明日などないかもしれない。
死はつねに人を奮い立たせている。
生きるように、全身全霊で生きるように駆り立てている。
だとすれば、死は生の敵ではなく友だ。
対極をなすものはすべてそうだ。
否定と肯定、愛と憎しみ、美と醜さ、昼と夜、夏と冬。
男と女の場合にもそれは当てはまる。
男は女なしでは存在しえない。
女は男なしでは存在しえない。
それらは弁証法的なプロセスの一部だ。
これら二つの極のあいだには、魅惑と反発の両方がある。
魅惑と反発は切り離すことができないからだ。
人が女性、あるいは男性に惹かれながらも 同時に反発を感じるのはそのためだ。
あなたの一部はその女性と一緒にいたがり、 あなたの一部は独りでいたがる。
あなたはいつもためらっている。
女性、あるいは男性とともにいると、独りでいる自由にあこがれはじめる。
突然、むしょうに独りに、自由になりたくなる。
だが、この自由でいたいという欲求がどこから来るのかわからない。
相手の男性、あるいは女性がそれを喚び起こしている。
相手から離れたとたん、この欲求、このあこがれ、 独りでいたいというこの大
きな渇望は消え失せてしまう。
そうなったら、あなたは驚く、本当に驚く。
独りでいると寂しいだけだ。
あなたは予想していた喜びを感じない。
自由はどこにも見当たらない。
自分を取り巻く寂しさに気付くだけだ。
あなたの全存在が冷たくなり、凍りつき、暗くなる。
再び誰かと一緒にいたいという欲求が生まれる。
あなたは今度は愛を、ともにあることを渇望する。
これが男と女のあいだにある問題だ。
彼らは惹かれながらも反発する。
一緒になりたいのだが、一方では相手に頼らず、離れて、独りでいたい。
男と女のあいだに絶え間ない葛藤があるのはそのためだ。
結婚とは愛と憎しみの関係、魅惑と反発の関係、魅惑と反発の関係だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

151鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/22(土) 00:53:38 ID:1d4drIFg0
人が集まればそこに争いがおこるものじゃ。
そして仲直りしてまた喧嘩して仲直りしたりするのじゃ。
いつも同じことの繰り返しなのじゃ。
それが歴史として残されるだけなのじゃ。

152避難民のマジレスさん:2018/12/22(土) 05:53:21 ID:LC3de7YgO
>>150
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

男と女が争わないでいようと決めてしまっているとしたら、 そんな結婚はまが
いものだ。
彼らは一緒にいる、なんとか一緒にいるかもしれないが、 本当にはけっして一
緒にいない。 けっして一体となる瞬間を知ることはない。
彼らはふりをしているだけだ。
上品に振る舞ってはいるが、真実ではなく、本物ではない。
結婚とは一種の親密な敵対関係だ。
それは親密な敵意であり、友好的な闘いであり、戦争だ。
もちろん二つの戦争のはざまには平和な瞬間もある。
それらの瞬間は二つの戦争ゆえに美しい。
恋人たちは争い続ける---そのようにして愛の炎を燃やし続ける。
ひとたび争うと、恋人たちは互いに離れてゆく。
心理的に、互いに遠く離れてしまうと、相手を強く求めはじめ、 相手が恋しく
なってくる。
そうなると彼らは相手を求め、手探りをしはじめる。
やがて二人は近つ”いてきて、寄り添う

なぜなら、彼らはちょっとした孤独を味わったからだ。
今度は近くに寄り添っていたい。
が、親密さを味わってしまうと、彼らは再び離れたくなる。
だから心配しなくてもいい。それは基本的な現象だ。
あなたはそれから逃れられない。
逃れる唯一の方法は真実の結婚ではなく、みせかけの結婚をすることだ。
「互いに礼節をわきまえよう」と。それは一種の契約だ。
「私にはあなたが必要であり、あなたには私が必要だ」という。
つまり「あなたの背中をかいてあげるから、私の背中をかいて」 というそれだ
けのことだ。
「私にはあなたが必要であり、 あなたには私が必要なのだから、あなたは私の
身柄を引き受け、 私はあなたの身柄を引き受ける」という。
それは法律上の契約ではあっても、結婚ではない。
これが経文に入ってゆく前に理解しておかねばならない 二番目に重要なこと
がらだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

153鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/22(土) 23:01:34 ID:1d4drIFg0
人が他人を愛するのは孤独があるからなのじゃ。
孤独からの逃避として愛し合い、結婚したりするのじゃ。
逃避がなくなればそれも虚しいと知れるのじゃ。
全てはかなく消えていくものであるからのう。

154避難民のマジレスさん:2018/12/23(日) 00:11:48 ID:LC3de7YgO
>>152
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

そして第三の最も重要なことがら---三番目に重要なのは、 男は単に男ではな
いし、女は単に女ではないということだ。
男は両方であり、女も両方だ。男女ともにその両方だ。
男性の内側には女性がいるし、女性の場合もそうだ。
女性の内側にも男性がいる。だから外見が男であるか女であるか だけが問題な
のではない。
それは内なる現象でもある。
なぜなら、外界と内界は対応するからだ。
先に私が「下のごとく、上もまたある」と言ったように、 「外のごとく、内も
またある」と言うことができる。
あなたの内なる現実もまた、あなたの外なる現実と同じだ。
それらは対応している。
それらは均衡を保っている。
さあ、そうなるとますます複雑になってくる。
どの男性も内側に女性を抱えていて、 その女性と折り合いをつけねばならな
いからだ。
それはたんに外界に愛する女性がいるといった問題ではない。
そうだとしたら、ものごとはもっと単純だっただろう。
二人が愛し合っているとき、実際には、そこに四人の人間がいる--- どのベッ
ドのなかにも四人の人間がいる。
この複雑さがわかるだろう。
二人が愛を交わすとき、そこでは必ず四人の人が愛を交わしている。
つねにグループセックスだ。
なぜなら、男性の内側には女性がいて、 女性の内側には男性がいるからだ。
人はみな男と女の結婚から生まれてくるのだから、何の不思議もない。
父親の何かがあなたのなかにある---それは五十パーセントだ。
母親の何かがあなたのなかにある---それは五十パーセントだ。
ひとりひとりに父親が寄与し、母親が寄与している。
あなたは生物学的には男性かもしれない。
だが、それはたんに あなたの肉体が男性の機能をそなえていることを示してい
るだけだ。
精神の奥深くでは、あなたは男でもなく女でもない、あなたはその両方だ。
だから私は言う。もし、ひとつの言葉で男と女の両方を言い表さなければなら
ないとしたら・・・今まで私たちは man を使ってきた。
つまりその言葉には両方が含まれているということだ。
それはたんに 過去においては男性が大きな支配力をふるっていたからにすぎな
い。
だが将来は、振り子はもうひとつの極に振れるかもしれない。
そしてそのほうがはるかに真実だ。
なぜなら man という言葉には 女性が含まれていないが、woman という言葉に
は男性が含まれているからだ。
両方を表す用語としては woman を使うほうがいい。
そして同じことが he と she の場合にもあてはまる。
she には he が含まれているが、he には she が含まれていない。
両方を表すためには she そして、woman を使うほうがいい。
神を表すためには he よりも she を使うほうがいい。
だが、男女ともに内側に異性を抱えている。
このために、内部 にあるこの根源的な二元性ゆえに、同性愛が起こりうる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

155避難民のマジレスさん:2018/12/23(日) 09:50:18 ID:LC3de7YgO
>>154
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

あなたは外見は男であっても、内界に住む内なる女性に同調してゆくようにな
るかもしれない。
そうなったとしても問題はない。
あなたの精神は自由なままだ。
それは内界で内なる男性に同一化 することもできるし、内なる女性に同一化す
ることもできる。
肉体は男性であっても、内なる女性に同一化するなら、その結果として同性愛
が起こってくる。
それは様々な形で起こりうるし、様々な理由によって起こりうる。
つまり同性愛はこの内なる二元性ゆえに起こりうるということだ。
今や科学はあなたの性を転換させることさえできる。それもまた可能だ。
なぜなら、道家の人々が見い出したものは科学的にも正しいことが判明してい
るからだ。
今やホルモンや化学物質をわずかに変えるだけで 、男は女になり、女は男にな
ることができる---肉体ですらもだ。
これはまさに人間が男女両性であることを示している。
肉体の違いでさえ、たんにどちらの性が強いかということにすぎない。
ときには性の転換がひとりでに起こることもある。
女性が男性になったり、男性が女性になったりすることがある。
性差というのは大きなものではないにちがいない--- ごくごくわずかなものな
のだろう。
五十一パーセントが男であり、 四十九パーセントが女であるというように。
比率がわずかに男性の側に片よっている
にすぎない。
一生のうちに性が変わることはありうることだ---新しいホルモン、 新しい食
べ物、新しい風土、新しい環境、病気か何かがバランスを変え、男が女になっ
たり、女が男になったりすることはありうる。
今では、科学は性転換が簡単に行なえることを知っている。
未来の人々は頻繁に性転換を行なうようになる確率が高い。
一生の内に両極を生きることができるなら、やってみるのも悪くない。
男女両方の見方を楽しめるなら、やってみても悪くない。
人間はもっと多くの自由を得るだろう。
三十五年間、男として生きてきたのだからもう充分だ。
女性の側からは、どのようにものが見えるのかを見てみたい。
向こうからものがどのように見えているかを知るには、 相手の側になってみる
のが一番だ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

156鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/23(日) 22:48:14 ID:1d4drIFg0
要するに誰の心の中にも受動的な意識はあるというのじゃ。
それを受け入れ、認識して修行に役立てるのじゃ。
受動性を極めるというのが道家の修行なのじゃ。
それを解説しているのじゃ。

157避難民のマジレスさん:2018/12/24(月) 00:56:01 ID:LC3de7YgO
>>155
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

私が何千人もの人々を観察してきたところでは、現世で男であれば、 その人は
来世では女として生まれる。そしてその逆もいえる。
その理由は単純だ。人は男であることに、あるいは女であることに 飽きて、深
いところでもうひとつの極にあこがれはじめる。
そして当然、 性を変えたいというこの大きな欲望ゆえに、来世では別の性に生
まれる。
三つの基本原理がある。
ひとつめは、あらゆるものが相互に依存し合っているということ。
二つ目は、生は両極に分かれていて、この両極は 反発するのではなく互いに補
い合うということ。
三つ目は、それぞれの内に両極が含まれており、 単極で存在するものはないと
いうこと。
インドにはアルダナーリシュヴァルという概念がある。
これは道家の方法論アプローチに相当するものだ。
シヴァ神は男の半身と女の半身の両方をもつ者として像に刻まれたり、 絵に描
かれたりしている。
彼の半身は男性であり、半身は女性だ。
これらの像が西洋人の目にはじめて触れたとき、彼らは笑った--- それはとて
も馬鹿馬鹿しいものに見えた。
この像は何を意味している のだろう?
今では西洋人たちもその意味を理解している。
それは生の最も基本的なことがらのひとつだ。
あなたがたもそうだ。
シヴァ神と同じように、半分と半分だ。
これらの経文は極性に関わっている。
そしてこの内なる極性を越えてゆかないかぎり、 あなたは一なるものに達する
ことなく、二つに分かれたままだ。
二十四時間のあいだに、あなたはひとつの極から別の極へと何度も移り変わる。
見守ってみるがいい。あなたは男かもしれないが、ひじょうに女性的になり、
すぐに傷ついてしまうときがある。
あなたは女かもしれないが、日中に ひじょうに男っぽくなるときがある。
女性が男性的になるときには、彼女はこのうえもなく攻撃的になる--- 男がと
ても太刀打ちできないほど攻撃的になる。
それは女性の攻撃性が、人が手をつけていない原野のように、ごく新鮮で、使
い古されていないからだ。
そして、それは男の場合にも当てはまる。男がやさしくなるときには、 彼は本
当にやさしくなる、女よりもやさしくなる。
なぜなら、 それは原野であり、彼の実存のその部分は使い古されていないからだ

それは新鮮で、ひじょうにいきいきとしている。
だから、あなたが もう少し注意深くなれば、この奇妙な現象を何度も何度も目
にするだろう。
女性は概して愛情に満ちているが、男性は概して冷淡だ。
女性はまれにしか言い争うことはないが、そうするときには徹底している。
男が愛情深くなることはめったにないが、そうなるときには徹底している。
それは彼らの実存の使い古されていない部分だ。
それらが使われるときには、みずみずしさがある。
この内なる極性ゆえに、人は一種の苦悶、葛藤のなかに 置かれているが、人は
それなくしては存在しえない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

158避難民のマジレスさん:2018/12/24(月) 08:27:07 ID:LC3de7YgO
>>157
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

<一なるもの>は不可視のままだ---神が目に見えないのはそのためだ。
目に見えるものとなるため、<一なるもの>は二つにならなければならない。
黒板に白いチョークで書かなければならない。
そうしてはじめてこれらの言葉は目に見えるようになる。
存在するために、人はコントラストを必要とする。
昼間は星が見えず、 夜間に見えるのはそのためだ---夜の暗闇が背景となってい
る。
昼間でも夜と同じ数だけ星はある---星はどこかへ行ってしまう わけではない
、どこにもゆくはずがない。
星は同じ位置にある。
夜になるとやってきて、昼になるとどこかへ姿を隠すというわけではない。
星は同じ位置にあるのだが、昼間はコントラストが欠けている。
だから星を見ることができない、それは目ではとらえられない。
神は不可視だ。
神は二つに、男と女にならなければいけない。
物質と精神にならなければいけない。肉体と魂にならなければいけない。
これとあれにならなければいけない。二つのものだけが目に見えるからだ。
世界は”二つのもの”から成り立っている。世界は二元的だ。
この二元性を<一なるもの>のなかに消し去らせることができるなら、そのとたん
に、あなたは目に見えなくなる。
この言葉には深い含みがあるが、それはあくまでも隠喩だ。
老子の姿が見えなくなるとか、私の姿が見えなくなるという意味ではない。
あなたがたはずっと私を見ているが、それでも こ の 私 を見てはいない。
その部分は不可視のものになっている。
内側では両極が消え失せ、二元性はもはやそこにはない。
二元的なものだけが見ることができる。
非二元的なものは目に見えなくなる。
神は二つにならなければならない。
そうしてはじめてゲームが、遊戯が可能になる。
古代インドの聖典には「彼は深い孤独を感じた」と書かれている。
「彼」とは神のことだ。彼は深い孤独を感じた。
彼は他者に恋い焦がれ、そのために二つになった。
彼は男と女になり、雌牛と雄牛になり、そしてその分裂が延々と続いてゆく。
森羅万象のすべてが性的だ。「性的」という言葉で私は二元性を意味している。
森羅万象のすべてが性的だ。いずれ科学は、男の惑星があり、女の惑星がある
ことを発見するだろう。
そうであって当然だ。古代の占星術はそう言っている し、私はそれにまったく
異論がない。
あらゆるものが二元的だ。
太陽が男性の象徴とされ、月が女性の象徴とされるのはそのためだ。
それは詩ではない。それは事実だ。
科学はまだそれを発見していないかもしれないが、そうであるにちがいない。
あらゆるものが二元的だとすれば、例外などひとつもありえない。
女性あるいは男性に惹かれることで、人は人としての姿を取り続けている。
さあ、これでなぜ、いつの時代にも偉大な神秘家たちが性超越の方法を説いて
きたかが理解できるだろう---性を超越しないかぎり、神への参入は起こらない。
性を超越しないかぎり、けっして”二”の超越は起こらない。
人は二元的な世界につながれたままだ。
”世界”とは姿を顕した神のことであり、 ”神”とは再び姿を潜めた世界のこ
とだ。
それもまた二元に---姿を顕した状態と姿を潜めた状態に分かれている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

159鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/24(月) 22:48:23 ID:1d4drIFg0
観念は常にものごとを分けることで認識するのじゃ。
上と下、右と左というようにのう。
分けて認識するから分別というのじゃ。
分別が無ければ観念も無くなり、上下左右も同じ一つのものとなるのじゃ。

160避難民のマジレスさん:2018/12/25(火) 06:56:37 ID:LC3de7YgO
>>158
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

キリスト教神学の見解はあまり深くはない。それはきわめて表面的だ。
キリスト教神学には創造しかない。破壊はどうなるのだろう?
破壊なくしてどうして創造がありえるだろう?
東洋の神学にはその両方 がある。
スルシュティは創造を意味し、プララヤは破壊を意味する。
神が姿を顕す瞬間があり、神が再び姿を潜める瞬間がある---最初に語ったよう
に、人間と同様、あらゆるものが<無>のなかに消えてゆき、ゼロになる。
恋人とともにいると、人はうんざりして、瞑想をしたくなり、ヒマラヤへ 行き
たくなる。
神もまた世界にうんざりしてしまう。
それは自然のなりゆきだ。
神は休息を取りたくなる。
そこで神は<一なるもの>のなかへ消えてゆく。
続いて溶解が起こり、あらゆるものが消え失せてゆく。
だが人はいつまでヒマラヤの洞窟に座っていられるだろう?
神ですらうんざりしてしまう。
神は再び相手を探し求めだし、創造に着手する。
それとまったく同じことがひとりひとりの魂のなかでも起こる。
あなたは生を生き、疲れて、生を離脱したくなる。
あなたは肉体を使って生きてきたが、疲れてしまっている。
あなたは今度は肉体を超越したくなる。
そうなったら、あなたは なぜ私が
「世間を恐れてはいけない。世間から逃避してはいけない」 としきりに言うの
か理解できるだろう。
なぜなら、世間こそ真の放棄が起こる場所に他ならないからだ。
それは一方の極だ。
私が「女性あるいは男性から逃げ出せ」 と言わないのはそのためだ。
逃げ出したら、思いは消えずに残る。
逃げてはいけない。それをとことん生き抜くのだ。
世間にどっぷり身を浸していると、 「もう充分だ、消え去って完全な孤独の
なかに入ってゆきたい」 という感覚が起こりはじめる。
人は本当に疲れ果てて はじめて完全な孤独のなかに入ってゆくことができる。
人々はきっと私を誤解することだろう。
インドで私ほど誤解されている者はいない。
彼らは私が人々に 耽溺することを教えていると思っている。
私は放棄を教えている。
彼らは私が世俗的なサニヤスを教えていると思っている。
彼らは理解していない。
私が教えているのは 真 の サニヤスだ。
真のサニヤスは世俗的な経験を経てはじめて生まれてくるものだからだ。
真のサニヤスはヒマラヤの洞窟のなかでは起こりえない。
それは本物ではなく、押しつけられたものだ。
人は深いところでは世俗的なままであり、 世間にあこがれ、世間を夢見続けて
いる。
世間を生きなさい。とことん生きなさい。そうすれば、 うんざりし、疲れ果て
、あなたは世間にけりをつける---とことん生きれば、ある日突然、世間はいっ
さいの意味を失い、放棄が起こっている。
私にとって、真の放棄は俗世の只中マーケットプレイスで起こる、 俗世の只中
においてはじめて起こる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

161素人A:2018/12/25(火) 09:02:04 ID:gOqWUDAs0
あのトランプさんでも多数決で大統領に選ばれたし、いま多数決では
キリスト教やイスラムきょうは仏教より人が多いし民主主義では
世界で覆い張りまあしかたない。あの世は神さんの言う事聴かないと
永遠の地獄や墓の中?でも仏教やヒンズー今日は皆の内に自燈明がある。
産めよ増やせよで多数決の信者の数増やすのもまあ良いけど?

162素人A:2018/12/25(火) 09:17:38 ID:gOqWUDAs0
多数決多数決 数増やさないと団体では威張れない世 創価学会も
自民党に憑く世

163鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/25(火) 22:22:02 ID:1d4drIFg0
世間を出ることを出家というが未練が残れば執着もありつづけるのじゃ。
それは悟りの障害にもなるものじゃ。
世間に対して本当に絶望すれば真の出世間もできるのじゃ。
そのようにして俗世を放棄すれば執着もなく、悟りの道に専念できるのじゃ。

164避難民のマジレスさん:2018/12/25(火) 22:40:04 ID:LC3de7YgO
>>160
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

さて経文だ---
肉体のなかには魄アニマが存在する。魄アニマは女性(陰)であり、意識の基
体である。
生けるものすべてのなかにアニマが存在している。
アニマとは女性原理、受動的な原理、不活性の原理、女性、陰・・・それは意
識の基体である。
それは意識そのものではなく基体だ。それなくして意識は存在しえない。
それは物質そのものであり、意識の住処スミカだ。
それなくして意識は宿ることができない。
女性・・・いいかね、私は「女性」という言葉でたんに女性たちを指している
のではない。私は女性原理のことを言っている。
このことを絶えず覚えておくように。
そうしないと、道家の人々が女性に反対しているように感じはじめるかもしれ
ない。
そうではない。彼らは支持するとも反対するとも言ってはいない。
ただ描き出しているだけだ。
また彼らは男を支持するとも女を支持するとも言ってはいない。
彼らは女性性の原理と男性性の原理について語っている。
肉体のなかには魄アニマが存在する。
魄アニマは女性(陰)であり、意識の基体である。
それゆえに、この女性原理ゆえに、女性は自分の身体に過度の愛着をもち続け
る。
男は自分の身体にあまり執着しない。
男は自分の身体にはまるで無頓着だと言ってもいい。
もしまわりに女性がいなければ、男はほこりにまみれて、薄汚くなるだろう。
部屋が汚くなっても、まるで気付かないかのようだ。
部屋に入れば、男がひとりで暮らしているか、それとも家に女性がいるか一目
でわかる。
すぐにわかる。部屋を見るだけで、男が独身生活を送っているかどうかすぐに
わかる。本には何ヶ月ものほこりが積もっている。
男は身体に、物質的な部分には気を配らない。
だが、女性は細やかに気を配る。
すみずみまで気を配る。
女性が鏡の前にじっとたたずんでいるのはそのためだ。

ある日のこと、ムラ・ナスルディンは蝿を捕まえていた。数匹捕まえたところ
で、彼は妻に言った。「二匹はメスで、二匹はオスだ」
妻は言った。「驚いたわ。どうしてオスとメスの区別がついたの?」
彼は言った。「二匹は鏡に止まっていたし、二匹は新聞を読んでいたからさ」
すぐにわかる。
女性は身体に、実体があるものに、家に強くつなぎとめられている。
男がひとりのままで放っておかれたら、せいぜいテントくらいで、家などなか
ったことだろう。
そもそも文明というものをつくりあげたのは女性だ。
家がなければ文明などなかったはずだからだ。
いいかね、家がなければ都市などなかっただろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

165鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/26(水) 23:02:17 ID:1d4drIFg0
老子の道徳経には玄牝の門から万物が生じるというのじゃ。
黒い牝とか、神秘の牝というのじゃ。
それは自らは動かないただ観るだけの意識そのものと言われるのじゃ。
ヨーガでは純粋観照者というアートマンの性質を現すのじゃ。

166避難民のマジレスさん:2018/12/27(木) 00:07:36 ID:LC3de7YgO
>>165
ふむふむ。
玄牝、黒い牝、神秘の牝、純粋観照者、アートマンは全て自らは動かないただ観るだけの意識のことであり、主体のない意識でありますから、無我と言う以外に誤解を生じさせない表現はないのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

167避難民のマジレスさん:2018/12/27(木) 00:18:27 ID:LC3de7YgO
>>164
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

いいかね、家がなければ都市などなかっただろう。
文明は都市のなかで発展するものだ。
「文明 civilization」という言葉自体が「市民、都市に住む人々 citizens」か
ら来ている。
女性が文明のすべてをつくりだした。
男は放浪者、さすらい人、旅人、狩人のままだっただろう。
あの場所からこの場所へと駈けずりまわっていたことだろう。
それは様々な形で見ることができる。
それは様々な形で顕れている。
西洋はより男性指向だ。
西洋人の観光客がたくさん世界中を駆けまわっている。
東洋人の観光客はそれほど多くない。
東洋はとても女性的だ。
女性は財産---家、車、土地、装飾品、衣服に執着し続ける。
これは内なる原理によるものだ。
彼女は意識の基体だ。
そして、女性なくして精神は高く舞い上がれないことを覚えておきなさい。
すばらしい詩は男性を通して生まれるが、それを引き出すのはつねに女性だ。
優れた女流詩人にはお目にかからない。
私は女性が書いた詩にざっと目を通してみた。
彼女たちは懸命に努力しているが、大した作品は生まれていない。
マドゥーリはすばらしい詩を書くが、それは「詩」と呼べるしろものではない。
女性は詩を書くことができない。
女性は詩に霊感を与えることができるというのは本当だ。
どこか背景に女性がいなければ、この世にすばらしい詩は生まれてこないだろ
う。
女性は霊感を吹き込む---彼女の存在感、彼女の愛、彼女の慈しみが詩の源にな
る。
女性は詩を書く必要がない。男が書いてくれるからだ。
だが、女性こそが霊感の源、原因、ごく微妙な原因となる。
偉大な画家になる女性はいない。
女性が絵を描かないというわけではない---とりわけ現代の女性たちは男が前か
らやってきたことは何でもやっている・・・激しい競争がある。
彼女たちは男がしてきたことはすべてしなければならないと考えている。
男性が重視されるようになったのは、そういったものごとのせいだと考えてい
る。
その論理には誤りがある。
彼女たちは男の物真似で終わるだけだ。
みずからの魂を失い、いつも二番煎じに甘んじることになる。
男の土俵で、男と競い合っても、二番煎じに甘んじるだけだ。
けっして一番になることはない。
そんなやり方で競争しても仕方がない。
男のようになっても、あなたはけっして男と同じ力を発揮することはないだろ
う。
できるはずがない。
男の背後には男性原理が潜んでいる。
あなたは醜くなり、荒々しくなり、やさしさをすっかり失ってしまう。
女性解放運動が女性たちに起こった最も悲惨な出来事だったのはそのためだ。
それはそのイデオロギーが間違っているからではなく、
その方法が間違っているからだ。
女は男と平等だが、男と何から何まで同じではないし、同じであってはならな
い。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

168鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/27(木) 23:07:53 ID:1d4drIFg0
>>166 そうじゃ、それはあるものじゃ。
 深い瞑想の境地で感じることができる意識なのじゃ。
 実践によって確かめるしかないのじゃ。
 何も無いと思えるような観るだけの意識が確かに在るのじゃ。

169避難民のマジレスさん:2018/12/28(金) 02:37:06 ID:LC3de7YgO
>>167
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

女性みずからの本性に従うべきだし、みずからの魂に耳を傾けるべきだ。
女性は異なる波動をかもしだしている。
女性にはこの世で果たすべき別の働きがあり、別の天命がある。
男に追従し、男の真似をしていたら、女性は自分を見失ってしまう。
自分を見失えば見失うほど、みずからの実存から根こそぎにされてゆく。
まがいもの、造りもの、人工的なものになればなるほど、彼女はますます死に
物狂いになってゆく。
女性解放運動に携わる女性たちが激怒し、絶えず憤慨しているのはそのためだ

憤慨するのは彼女たちが欲求不満を感じているからだ。
彼女たちはなりたいものになっていないし、またなることはできない---それは
本性に反しているし、またなる必要もない。

肉体のなかには魄アニマが存在する。
魄アニマは女性(陰)であり、意識の基体である。
「意識の基体」という言葉に瞑想するがいい---意識の土台そのもの。
それは意識そのものではなく、意識の住処スミカだ。
けれども、これとともに魂アニムスが存在し、そのなかに精神が潜んでいる。
アニムスは男性原理、<陽>だ。
魂アニムスは両目のなかにあり、ものを見、夢を見る。
女性原理は肉体のなかに住んでいる。
それはきわめて物質的だ。
女性がつねに物質主義的なのはそのためだ。
彼女たちが尊重するのはきわめて実用的なものであり、彼女たちはきわめて現
実的だ。

いつかムラ・ナスルディンが私に言っていた。
彼はけっして妻と口論しないそうだ。
私は彼に尋ねた。
「どうしてそんなことができるのかね?それは不可能に近い。まず無理だと言っ
ていい」
彼は言った。
「私たちはもうずっとうまく折り合いをつけていますよ。最初の夜にひとつの
原則を決めたんですよ。私たちはそれを守っています。その原則というのは、
細かなことは妻が決め、大きなことは私が決めるというものです」
 私は尋ねた。
「細かなこと、大きなことというのはどういう意味かね?」
 彼は言った。
「たとえば、どんな車を買うか、どんな家に住むか、どんな学校に子供たちを
入れるか、どんな食事をするか、どんな服を買うか---こういった細かなことは
妻が決めるんです」
 私は言った。
「で、君は何を決めるんだい?」
彼は言った。
「神は存在するかどうか、天国や地獄はあるかどうか---こういった大きな問題
は私が決めるんです。とにかくこの原則は申し分のない効き目を表しています
よ。彼女は大きなものごとにけっして口をはさまないし、私も細かなことには
けっして口をはさまない。私は私の世界の主人だし、彼女は彼女の世界の主人
です。互いの世界を侵すことはありません」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

170鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/28(金) 22:59:20 ID:1d4drIFg0
全ての者は女性から生まれる故にそれは基底の意識と呼ばれるのじゃ。
全てを生み出す玄牝の門なのじゃ。
全てはそこから生じ、そこへ帰っていくのじゃ。
それもまたアートマンの性質と同じなのじゃ。

171避難民のマジレスさん:2018/12/29(土) 01:38:00 ID:LC3de7YgO
>>169
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

女性原理は物質に根をおろしている。
肉体に根をおろしている。
だが、男は夢を見る。
男は夢想家だ。
男性原理というのは夢見の原理だ。
男がどうしてあれほど月へ行くことに興味をもつのか女性にはわからない。
それはあまりに馬鹿げて見える。
何のために?そこで何が手に入るというのだろう?
買物でもするつもりだろうか?
月へ行くぐらいならMGロード(和尚コミューンの近くの繁華街)に行ったほう
がましだ。
あんなところで何をするつもりだろう。
何のために?生命をかけてまで?
あまりにも馬鹿げて見える。
女たちはみな心の奥底では、男なんて子供みたいなものだということを知って
いる。
「遊ばせておけばいいのよ。行かせて、好きなことをやらせておけば」
男たちは愚かなことにかまけているのだということを女性はよく承知している。
フットボール、クリケットの試合---すべてナンセンスだ。何の意味もない。
あなたがボールを向こうに投げると、相手はボールをあなたの方に投げてくる。
そしてそれが延々と続けられる。
何の意味があるというのだろう?
女性は現実的で、地に足をつけている。
女性は現世的だ。
男性原理は大空のようであり、女性原理は大地のようだ。
男は未知なるものを夢見、計画を練り、望み、それにあこがれる。
男は冒険家であり、自分をとらえている夢にいつでも生命を賭ける用意ができ
ている。
男は目のなかに住み、女は耳のなかに住んでいる。
女たちがうわさ話をしたがるのはそのためだ。
うわさ話が楽しくてしかたがない・・・二人の女がうわさ話をしているのを見
れば・・・彼女たちはたいへんな歓びに包まれているかのようだ。
こんな話を聞いたことがある。
あるとき中国で競技大会があった。中国一の嘘つきを決める大会だ。
たくさんの人々がやってきて、たくさんの嘘をついたが、優勝したのは「公園の
ベンチに二人の女が三十分も黙って座っているのを見た」と言った男だった。
彼が優勝した。まさにありえないことだったからだ!
女性ゆえに、堕落が、原罪が生まれた。
蛇はまずアダムを試したにちがいない。
だがアダムは耳ではなく目だ。彼は狡猾な蛇を見抜き、こう言ったにちがいな
い。
「あっちへ行け。俺の邪魔をしないでくれ。俺には俺の夢があるんだ」
だが蛇はイヴをそそのかした。蛇は彼女に耳打ちをしたにちがいない。
「何をしてるんだい?ここに知識の樹があるんだ。神は君たちをだましている
んだよ。この樹の果実を食べたら、君たちは神と同じように不死になるんだ。
この樹の果実を食べたら、神が知るすべてがわかるようになるんだ。君は全知
全能であまねく存在するようになるんだよ」
女性は当然好奇心に駆られた---「すごく耳よりの話じゃないの」と。
蛇は彼女を説き伏せた。蛇は最初のセールスマンだった。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

172避難民のマジレスさん:2018/12/29(土) 11:29:28 ID:LC3de7YgO
>>171
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

セールスマンは男のところへは行かない。
セールスマンは、男が会社に出かけてゆくのを見計らってドアをノックする。
女性を説得しなければならない。
聞く耳をもっているのは女性だけだ。
耳はあなたの存在の受動的な部分、受容的な部分だ。
耳からは何かが入ってくることができる。
目は攻撃的な部分だ。
いいかね、耳を使って攻撃的になることはできない。だが、目を使えば攻撃的
になることができる。
刺すような目で相手を睨みつけることができる。
目で相手を傷つけることもできれば、目で相手を慈しむこともできる。
目で相手のこころをつかむこともできれば、よせつけないようにすることもで
きる。
誰かが取りつく島もないほどうつろなまなざしであなたの目を見つめることも
ある。
あるいは、誰かが深い欲望、情欲、熱望、関心をもって、あなたの身体をなで
まわすかのように見はじめることもある。
目は攻撃的な部分だ。
目は投影し、相手に影響を与えることができる。
インドでは、淫らな目で女性を見つめる者は「ルチチャ」と呼ばれる。
驚いたことに、「ルチチャ」という言葉は「ロチャン」から来ている。
「ロチャン」はまさに目を意味する。
彼は目で女性を犯している。
彼の目はほとんど性器のようになることができる。
目は危険だ。
耳はとても純真無垢だ。
耳はひたすら取り入れる。
耳は女性的だ。
魂アニムスは両目のなかにあり、ものを見、夢を見る。
だが、いつであれ気分が沈み込み、動作が鈍いときには、人は肉体に縛り付け
られ、アニマに拘束されている。
あなたが男であっても女であっても関係ない。
女性が目を使い、聴こうとするのではなく見ようとしているなら、彼女はアニ
ムスになる。
男性が聴こうとしているなら、彼はアニマになる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

173鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/29(土) 21:43:47 ID:1d4drIFg0
男でも女でも時に能動的になり、時には受動的になることができるのじゃ。
それらは誰にでも在る性質であるからのう。
どちらかしかないということはありえないのじゃ。
その受動性を極めることが道家の行く道なのじゃ。

174避難民のマジレスさん:2018/12/29(土) 23:36:12 ID:LC3de7YgO
>>172
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

弟子はアニマになる、ならざるをえない。
というのも、弟子はその全身が耳にならなくてはいけないからだ。
師マスターとは目以外の何ものでもなく、弟子とは耳以外の何ものでもない。
師は見なければならない。
あなたの最も深いところを見なければならない。
師はあなたのまさに中核を貫かなければならない。
そして弟子は耳をそばだて、意識を配り、いつでも応じられる姿勢でいて、み
ずからの内奥の中核に師が触れるのを許さなければならない。
弟子は女性的になる。
女性がこの世で一番の弟子になるのはそのためだ。
男は弟子になることが少々むずかしい。
弟子になるとしても、ためらいながらなる。
彼は抵抗し、闘い、疑う。
男はなんとか逃れようとして様々な手練手管を弄する。
逃れられないとなると、仕方なく力を緩める---が、仕方なくだ。
女性は喜びに満ちてジャンプする。
最もすぐれた弟子というのはいつも女性だった。
その比率はいつも同じで変わらない。
弟子が五人いれば、ひとりは男で、四人は女だ。
比率はいつもそうだった。
マハーヴィーラの場合もそうだったし、仏陀の場合もそうだったし、私の場合
もそうだ。
その比率はいつも同じだ。
男は、女性というのは目をうるませて、すぐに催眠術にかかり、暗示に落ちや
すいものだと思っている。
それは男たちの側からの非難だ。
男は、自分は催眠術になどかかるはずがないと思っている。
女というのは喜んで催眠術にかかるものだと思っている。
それはある意味では正しいが、ある意味では間違っている。
女は蛇に出会うと、蛇にそそのかされてしまう。
女は仏陀のような人に出会うと、改心させられてしまう。
確かに女性は暗示に弱い。
すべては彼女が誰と出会うかにかかっている。
男は蛇の言葉に耳を傾けても、それで心変わりをしたりはしない。
蛇の手に落ちることはない。
だが、一方で男は仏陀を聴きに来ても、やはり心を入れ替えることはない。
そうして男は救いを逃してしまう。

それゆえに、光を巡らせることで魂アニムスの集中が起こり、そのようにして
精神が保持され、魄アニマは克服される。(´・(ェ)・`)
(つづく)

175避難民のマジレスさん:2018/12/30(日) 10:26:43 ID:LC3de7YgO
>>174
うむ、ついに第三話のクライマックス「光を巡らす」技法に突入であります。
OSHOは焦らして話を盛り上げる天才でありますね。
>>138
>暗く沈み込み、みずからの肉体の形に幽閉されている者はみな、魄アニマに束縛されている。
それゆえに、光を巡らせることで魂アニムスの集中が起こり、 そのようにして
精神が保持され、魄アニマは克服される。
この世を超脱するために古人が用いた技法は、純粋に創造的なものに還るため
に暗黒の滓カスをすべて溶かし尽くす。
これは魄アニマの力を削ぎ落とし、魂アニムスの力を完全にすることに他なら
ない。
光を巡らせることは、暗黒を縮小させ、魄アニマを制する力を獲得する秘術で
ある。
この技法に従うなら、種子の水はおのずから豊かになり、精神の火は燃えあが
り、思考の土は固まり結晶化するだろう。
このようにして聖なる果実は熟す。

(´・(∀)・`)つ
ワクワクドキドキくまである。

176避難民のマジレスさん:2018/12/30(日) 10:39:04 ID:LC3de7YgO
>>174
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

光が目のなかで循環しなければならない。
目はあなたの存在のなかで最も光に
満ちた部分だ。
道家の人々は、人の目は太陽に似ていると言う。
目がなければ光を見ることはできない。
そして、似たものだけが似たものを見ることができる。
人の目は凝縮された光だ。
目を通して光を見ることができるのはそのためだ。
人の耳は凝縮された音だ。
耳を通して聞くことができるのはそのためだ。
男であれ女であれ、すべての人のなかにあるアニマを克服しなければならない。
なぜか?それはアニマが形であり、肉体であり、物質だからだ。
精神が主人にならなければいけない。
精神が肉体の上に君臨しなければいけない。
精神が肉体を従わさせなければいけないのであって、その逆ではだめだ。
だから、男であろうと女であろうと関係ない。
内なるアニマをアニムスに従属させなければならない。
なぜなら、アニムスのみが探求し、探索することができるからだ。
そして女性が後からついてくるなら、アニムスは実在の奥底まで分け入ってゆ
くことができる。
詩人が、背後に女性がついていて、自分を支えてくれていることを知っている
なら、彼の詩は高く高く舞い上がることができる。
女性がいつもそばにいてくれることがわかると、男はじつに逞しくなる。
彼はどんな冒険にもおもむくことができる。
女性がそばにいてくれないと感じるやいなや、彼は気力を失ってしまう。
今や彼には夢しかない。
が、その夢は無力だ。
その夢にはもはやエネルギーがなく、実現されえない。
ものを実現させる力は女性にある。
夢見る力は男にある。
神、あるいは真理の探究においては、男が先頭に立ち、女が従わなければなら
ない。
あなたの内側では、アニムスが師になり、アニマが弟子にならなければいけな
い。
そして、もう一度くり返すが、あなたが男であるか女であるかは関係ない。
この世を超越するために古人が用いた技法は、純粋に創造的なものに還るために
暗黒の滓カスをすべて溶かし尽くす。
女性はおとなしく、男性は活発だ。
女性がしっかりと落ち着いているように見え、男性がひじょうに落ち着きなく
見えるのはそのためだ。
子供であっても、ほんの小さな子供、赤ん坊であっても、その違いがある。
男の赤ちゃんはひじょうに落ち着きがない。これをつかもうあれをつかもう、
手を伸ばして何かに触れようとしている、手のかかるやんちゃ坊主だ。
女の赤ん坊はけっして手がかからない。
彼女は黙って座り、人形を抱いている 。
彼女もまた人形だ。このうえもなく落ち着
いている・・・ 落ち着きという原理
は女性的であり、落ち着きのなさという原理は男性的だ。
女性がまろやかで美しく、男性が絶えず熱を帯びているのはそのためだ。
だが、成長するためには落ち着きのなさという原理が必要になる。
なぜなら、成長とは変化を意味するからだ。
(´・(ェ)・`;)
(つづく)

177避難民のマジレスさん:2018/12/30(日) 13:28:13 ID:LC3de7YgO
>>176
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

女性は基本的に古い型を守ろうとし、男性は基本的に古い型を破ろうとする 。
女性はつねに現状を支持するが、男性はたとえ愚かな革命であっても はじめよ
うと待ち構えている。
変化してゆくものなら、何でも男は支持 する。
状況が良くなろうが、悪くなろうが、それは大したことではない。
変 わ る こ と が 善 なのだ。
女性はいつも古いもの、確立されたもの を支持する。
それが良いか悪いかは問題ではない。
「いつもそうだったのだから、そうあるべきよ」というわけだ。
成長するためには、あなたの内にあるよどみの原理が溶け去る必要がある。
あなたの内なる女性は凍りついている。
あなたが川になれるよう、その女性を溶かさなければならない。
だが、川はまた両岸の力も借りなければならない--- 岸辺は動かないことを覚
えておきなさい。
もし両岸がなかったら、川はけっして大海にたどり着けない。
そして水が凍っていたら、川はけっして大海にたどり着けない。
だから川は溶けて水にならなければならないが、 それでも動かない岸辺の力を
借りなければならない。
完全な人間というのは、みずからの活動的な側面を川として 使い、みずからの
静的な側面を岸辺として使う者をいう。
それが完全なバランスだ。
そうなったら、あなたは成長するために アニムスを使い、その成長をつかのま
の現象ではなく、 確たるものにするためにアニマを使ったことになる。
これは魄アニマの力を削ぎ落とし、魂アニムスの力を完全にすることに他なら
ない。
だがふつうは、男であれ女であれ、誰もが動きを止めている。
男たちですらきわめて保守的だ。
キリスト教徒、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒、ジャイナ教徒---男たちですら
きわめて保守的になる。
彼らはみずからのアニマの犠牲になっている。
彼らのアニムスは征服されてしまっている。
それは解き放たれねばならない。
私のここでの努力はそれに尽きる---あなたのアニムスをアニマの支配から解き
放つこと。
ひとたびアニムスがアニマの支配から解き放たれたなら、私たちはアニマをも
使うことができる。
だが、まずは解き放たれることが先だ。
私がしきりに動的な瞑想の技法を勧めるのはそのためだ。
ごくまれに坐禅やヴィパッサナをするよう勧めることがあるが、それはその人
のアニムスが流れているのがわかるときだけだ。
今や彼らはアニマを使うことができる。
ヴィパッサナや坐禅はアニマの技法、女性的な技法だ。
スーフィ・ダンス、ダイナミック瞑想、ナタラジはアニムスの技法だ。
まず最初は川にならなければいけない。
そうしてはじめて岸辺を支えとして使うことができる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)


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