アメリカの大学を代表する屈指のカリフォルニア州立大学、バークレー校。アメリカの公立大学の中ではUCLAを超えるトップランキング校である。世界が注目する大学の学長ともなれば、必ず憲法とかフリースピーチとか民主主義のコアを把握した人物でないとままならない。そういうことが一流のマスコミ紙のインタビューでの会話の中心になることに注目して欲しいものだ。今の民間会社ですら社会的責任が問われるように、高等教育機関の大学にあってもその民主主義の擁護者としての社会的責任は逃れられない。そんな例がココにある。民主主義に対して「見ざる聞かざる言わざる」の高崎山の三猿を代表する高経大は「大学としての存在」価値すらままならないといって良いのである。
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California Today: Berkeley’s New Chancellor and a ‘Free Speech Year’
AUG. 22, 2017 CALIFORNIA TODAY The New York Times.
Photo=Carol Christ, the U.C. Berkeley chancellor, is taking over at a time of intense debate over free speech principles. Credit Jim Wilson/The New York Times
Good morning.
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A swirl of problems awaited U.C. Berkeley’s new chancellor, Carol Christ, as she assumed the top job at California’s flagship public university this summer.
The campus is contending with a student housing shortage, a budget crunch and the fallout from a series of sexual harassment scandals.
Then there is the issue that’s been attracting national attention: Whether conservative speakers have become unwelcome at Berkeley, a university regarded as a birthplace of the free speech movement.
In an interview, Dr. Christ, 73, indicated that she would confront that question head-on.
She announced a “free speech year” to include, among other events, a series of debates titled “Point Counterpoint” that would feature speakers with sharply divergent views.
“What we’re trying to do is really give the community as many different kinds of opportunities to think carefully about free speech,” she said.
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Berkeley has been shadowed by doubts over its commitment to freedom of expression since February, when a planned speech on campus by the far right provocateur Milo Yiannopoulos was canceled in the wake of violent protests.
In the months that followed, more debates flared over invited speakers ― including the conservative writers Ann Coulter and Ben Shapiro.
Dr. Christ, a scholar of Victorian literature and former president of Smith College, took over for the former Berkeley chancellor, Nicholas B. Dirks, in July.
She said she was looking carefully at how to improve the security around contested events on campus, a concern amplified this month by the deadly protests in Charlottesville, Va.
Asked if Mr. Yiannopoulos ― who has railed against Muslims, immigrants and transgender people ― was welcome at Berkeley, Dr. Christ cited the Constitution.
“Lots of speech that I would find abhorrent, noxious, hateful, bigoted is protected,” she said.
Whether Berkeley can guarantee that right without anyone getting hurt may be tested soon.
Mr. Yiannopoulos has said he will hold a four-day “free speech” event in September on Berkeley’s Sproul Plaza.
This time, he vowed in a Facebook post, he will “bring an army if I have to.”
かつて新聞に二、三年前にも出ましたけれども、市立大学というような関係から、市長はじめ市のいろいろな有力者等からいろいろ頼まれて、裏口入学等の問題がたくさん出た。そして大学の設置基準にも非常に違反をしておる。定員は一学年二百人、四学年で八百人ぐらいが設置基準だそうでありますが、それが三倍にも四倍にもふくれて、たくさん入学を許しておる。いわゆる裏口入学というものが非常に多かったので、学生の純真な正義感を呼び起こして、これが当初の高崎経済大学の紛争のもとになったということは御承知のことと思うのでありますけれども、その当時の紛争は、結局学生の大量処分、あるいは刑事問題としての起訴、裁判というようなことで、退学になりあるいはそのほかの処分を受けた人が相当おったようであります。しかもまた、大学の教授会でもいろいろ問題になり、結局教授の人たちも、そのうち八人くらいはとうとう大学を去る、こういう結果になって、教育の府、研究の府としての大学に最もふさわしくないあり方をしてきた大学だという印象を私は持っておったのでありますが、それがそういう形で一応終息をした。いわゆる大学紛争としてはおそらくいまの大学紛争のはしりであり、しかもいまの一般的な大学紛争とちょっと変わった、市長をはじめ学長等の方針でむしろ逆にゆがめられたような学校経営であったというようなことから紛争が巻き起こって、それが弾圧をされて、それで一応解決したという形になったものだそうでありますが、今回の新聞の報道にも明らかなように、学生たちがまたこの問題を非常に重視して、第二の新しい大学紛争の目になりつつある。こういうふうに聞いておるわけであります。三潴学長は、かって私たちも東大で教わりました三潴さんという教授がおりましたけれども、おそらくその御子息さんではなかろうかと思うのでありますが、非常に右翼的な考えの持ち主である。西暦という年号を使わずに、あえて紀元という年号を使う。あるいは日本帝国憲法はいまだに生きておるのだ、こういうようなことを学生たちに話をするといったような式の、まことにどうもおそれ入った学長であるようでありますが、これが結局市当局の意向を受けて、いろいろそうした方向での教育をしておるようであります。
(ソース: http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/061/0080/06106060080019c.html)
『圧殺の森 高崎経済大学闘争の記録』 [DVD]小川紳介 (監督)
Forest of Oppression - A Record of The Struggle at Takasaki City University of Economics(1967), Dir.Shinsuke Ogawa,
Must-see Movie for everybody who doesn't know the history of this college(TCUE), especially foreign students including exchange students
1-2
「この問題に対して中野(2001,p.100)は、「なにゆうとんねん」と述べた。 ・「いっちょ、しめたろか」(矢野(2004)p.777)という主張は、Yanase(2005,p.x)にも受け継がれている。 ・“Tsutenkaku is the tallest tower in Japan.”(Arai(2003)pp.39-40)というように使えます」
このような悪ふざけの傾向は前任校の頃からあったようで、自身のHPに「Econ Trek Parallel World ボケたおしましょう」と題した掲示板まで設置していました。「創設者」というHNで登場し、次々にテーマを出題。一例として、以下のようなものがありました。「3,2,1,発射!!・・・何を? 【下ネタ禁止】」
政治学者のローレンス・W・ブリット(Lawrence W. Britt)の手になる「ファシズムの初期症候」(EARLY WARNING SIGNS OF FASCISM)
1. 頑強・頑迷なナショナリズム(Powerful and Continuing Nationalism):過去の右翼学長と暴力団とのつながり、今の応援団との関係をみても、頑強なナショナリズムは否定しようがない。日の丸を振ったり、国歌斉唱を何の疑問もなくやる人間のみ愛国心があると信じている低次元のナショナリズムでもある。
2. 人権軽視(Disdain for the Recognition of Human Rights):学生自治会、高校にあたる生徒会さえ作れない体制。学生の基本的人権無視もいいところ。高経大の学生の意見が反映する場がネットにある2chであるという現実。その馬鹿さ加減。笑
3. 国内統合に向けた敵国ないしスケープゴートづくり(Identification of Enemies/Scapegoats as a Unifying Cause):過去の大学にいた中核派であり、安倍内閣であり、いまのトランプ政権。
6. マスメディアのコントロール(Controlled Mass Media):緘口令、揉み消し、削除、無視を決め込む。
7. 国家安全保障への執念(Obsession with National Security):応援団、体育会が監視している。凡人がかつてビラを配っていたら、スポーツ部の幹部に胸倉を掴まれた思い出がある。なるほど大学がスポーツを奨励する訳だ。凡人はかつて中体連の市大会で優勝した経験があるバリバリのスポーツマンであった。笑
8. 宗教と政治の癒着(Religion and Government are Intertwined):大学経営側が応援団を取り入れ・癒着し、それをもって全学生の代表とみなし、大学の政治・政策を容易にしている。それが大学の学生管理である。応援団の理念そのものが戦前のものであり、精神主義(宗教)を体現。なぜならば明治神宮とか大日本帝国陸軍の崇拝に尽く現われる。
9. 企業権力の擁護(Corporate Power is Protected):地元土建屋とのつながりは自明。凡人は大学学園祭、三扇祭委員や文サ協のトップ役員をした者として言うが、いまだに図書館前に作られるステージが凡人の時とまったく同じ。それはある業者の賜物であるが、しかし何十年もたち改善すべきものが今もって同じ、醜いステージというのは信じられない。他の大学のステージと比べよ。そして「タダほど怖いものは無い」という諺を肝に銘ずる必要がある。60周年の持つ意味は何なのか?大学は昔も今もまったく変らない。長い間、「圧殺の森」のどん底路線を継承しているだけという意味しか凡人は感じない。
11. 学問・芸術の軽視(Disdain for Intellectuals and the Arts) その半面、スポーツを重視する傾向。学問を高めるために優秀な学生や教授を取り入れるのが大学の任務であろう。ところが大学の歴史や思想傾倒から、意識の高い学生や教授が入学することは限られる。滑り止め大学として、学問や芸術の水準が高くなることは困難。
12. 犯罪厳罰化への執念(Obsession with Crime and Punishment):学生への取り締まり。許可制、退学、停学、除籍処分。
13. 身びいきの蔓延と腐敗(Rampant Cronyism and Corruption):思想選別の教員、理事長選び、学長たちの不祥事と名誉教授の称号授与を参照。またその後学長になった吉田俊幸氏が1期で止めている。数年前、何故だか気になって調べていたら、使い込みが発覚という記事に遭遇した。その記事をココに掲載したかったが、古くてその記事をネットで再び見つけることが出来なかった。
14. 不正選挙(Fraudulent Elections):こんな環境で大学に公正な選挙を求める方がおかしくないか?
大日本帝国憲法の存続なんて連合軍の占領後になっても考えも及ばないことである。ところが、この超右翼の教授、三潴信吾氏は「現行の平和憲法」の無効性を訴え、大日本帝国憲法の存続を唱え続けている。なんという浅はかな教授であろうか。なんという民主主義の敵であろか。平和や自由を望む日本国民に対してのまったくの裏切り者行為である。日本の大学教育界でどのくらいの人がその理論に共鳴するのか。多分何百の憲法学者が日本にいて、しかも保守派と呼ばれる憲法学者だってそんな理論を相手にしないだろう。ただ暴力団右翼と高経大の教職員しか、まともにしない。こういう教授こそ、日本の危険思想として、マルクス革命思想と同じように裁かれてしかるべき人物であろう。幸運なことに、戦後日本は長い平和が訪れて、彼の著作物は超保守派や暴力団右翼を除いて、まったく過去に葬られている。残念なことに高崎経済大学、自体も同じ運命を背負っている。不幸なことに三潴信吾氏は学長であり、ドンであり、親分として、応援団を作りだし、当時の右翼市長と結託して高崎経済大学を長くコントロールしていた。それと相まって大量不正入試を行なった過去の結果がいまのシワ寄せとなってあらわれているのか。不祥事の嵐である。大学の方向性やレベルが大いに問われられている。ドンによって思想選別された子分の教職員がいまの高経大の幹部役員となり、大学の将来をきめていると考えると背筋に悪寒が走る。
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戦前は日本政府と軍部の癒着によって、日本国はいままで忠義と勇気を中心とした武士道を核とする教育をもって国民を洗脳し、富国強兵を国策として掲げ、隣国への侵略戦争を正当化していた。太平洋戦争(大東亜戦争、whatever you say)に戦勝した連合国側の占領軍がその隣国が脅威を受けないで、共生する形の新しい日本の建設というチャレンジに挑み、日本に対して取った民主化政策とはいかなものであったか。いかに日本を民主主義を基調とする国家として生まれ変わらせるか。もしもあなたがマッカーサーの立場だったらどうするか。戦争を生み、拡大させていった大日本帝国憲法。日本国を崩壊寸前まで追いやった大日本帝国憲法。また日本国民の基本的人権を剥ぎ取り、戦争反対者に対しての拷問・虐殺が法律の名で許された、そうした権力側に都合よくつくられた大日本帝国憲法。戦略戦争遂行の役割を大いに担った大日本帝国憲法。占領軍はそんな憲法をそのまま存続させて、占領が終ったからといって、日本からさっさと引きあげると思うのか。そんなことがあるなんて、とんでもない話である。元高経大学長の故三潴信吾氏は現行憲法を「占領憲法」と位置付け、テクニカルな次元で大日本帝国憲法が今だ存続していると言い張っている。こんな馬鹿な話があるか。というのも日本は連合国側に無条件降伏をしている。それによって日本国の最高法規である大日本帝国憲法が凍結され、破棄されるのは時間の問題であると火を見るよりも明らかだ。だから存続なんて、考えも及ばないことである。占領軍は日本の民主化を推し進めた。それにあたって、誰の目にも大日本帝国憲法は日本の将来の憲法としては不適切であり、日本民主化政策にまったく、そぐわない最高法規であることは自明である。よってその代替となる新しい憲法を草案することが行なわれるのは誠に理に適っている。それは占領軍にとっての早急で、また最大の役割でもあったとみる。日本は戦後直後の混乱はあるものの、もし仮に占領軍が当時の日本の全国民に問い、どちらの憲法を取るかという国民投票をおこなったとしたらどうであったであろうか。日本国民は非常に高い確率で、大日本法帝国憲ではなくて、現行の「占領憲法」に過半数以上が投票したであろうことが簡単に予想される。凡人は専門家ではないが、常識的に考えても大日本法帝国憲法は破棄されてしかるべきものであると考える。