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高経大がわかるプログ・サイトPart2

29凡人:2017/08/27(日) 10:19:32 ID:wzsumdGA0
第2回「少数入試科目の弊害」
京都大学 経済研究所長 西村和雄 氏
掲載日:2010年3月11日 印刷

「基礎学力低下防ぐために」

10年前『分数ができない大学生』という本が社会に大きな衝撃を与えた。編著者でその後も基礎学力低下が招く深刻な影響に警鐘を鳴らし続けてきた西村和雄氏(現・京都大学経済研究所長)が、小学生の学力向上、モラル向上活動にも取り組んでいる。高校生、大学生への対応では手遅れと考えたのだろうか。1月に「京都からの提言 これからの社会のために-子どもを導く切り札」というシンポジウムを東京で開催した氏に現状と取り組みを聴いた。

- しかし、どうしてこうも学力低下を招くような動きがそろって起きたのでしょうか。

個性化といううたい文句があったのです。創造性、多様性が重要だ、という。

- これはなかなか反対しにくい主張ですね。

そうなんです。ただ、言葉の使い方を間違えていると思いますね。行政から大学の入学試験の実施にかかわる教員まで、例えば、面接を行うとか論文入試にするというのがペーパーテストよりもいいというように皆、言われていたのです。ペーパーテストは真の学力を測らない、あるいは受験は害だ、受験は本当の学力を測っていないというようなことが言われ、面接とか論文入試、あるいは自己推薦とか推薦入試が奨励されました。行政も、それを盛んに奨励というか、指導していたわけです。旧態依然としたペーパーテストはやめろ、と。

しかし、面接というのは面接官の主観に依存しますし、論文入試にしても本当の研究論文を書くわけじゃなく作文ですから、採点員の主観にすごく左右されるものです。

一方、顕著な学力低下が現場で進行していたのです。小学校から大学院生まで学力が低下しているのに、こうした現実に起きていることは一向に報道されなかったのです。官庁の発表だけが記事になっていたことが原因かと思いますが、結果として、今まで述べてきた大学入試の少数科目化、あるいは面接、推薦入試、ゆとり教育などについては、すべてが成功しているというような報道ばかりだったと思います。

報道されないので、何らかの形で真実を伝えなきゃいけない。しかし、いくら文章に書いても没にされるか、だれも読まないかです。ばかなことをいっているといわれるわけです。第二次大戦のとき、新聞報道では連戦連勝と毎日報道されているのに「それはうそだ。勝っているわけがない」と言っても、だれも信じないようなものです。

日本数学会のワーキンググループとして、数学に関する大学生の学力の現状を調査する委員会がつくられました。われわれも含めいろんな分野から参加しました。ただ、調べても報道されないのです。理数系の学会が共同声明を出してマスコミに訴えようとしたのですが、これも報道されません。

そこで考えたわけです。「分数ができない大学生」という本は1999年に出版されましたが、その前の年に大学生の数学力を調査して発表しました。私立大学文系の1年生、入学したばかりの学生に数学の試験をやってもらったのです。一流私立大学の学生でも小学校の分数ができない、という調査結果でした。文系ですから、数学が入学試験の必須科目ではありません。数学を捨てた相当数の学生が入っており、小学校レベルの計算もできない学生が相当いることが分かりました。それがきっかけです。

どうして私立大学の文系でそういうことをやったかです。仮に「理系の大学院生が微分ができない」というような調査結果を発表したとしても、微分ができない人たちは何とも思わないですよね。家庭の主婦も何とも思わないでしょうし、文系出身の新聞記者も何とも思わないでしょう。文系の大学生が分数ができないことよりも、理系の大学生が微分ができないことよりも、理系の大学院生が微分ができないことの方がよほど深刻なんです。だけど、一般の人にはことの深刻さは分かりません。

一流大学の私立文系の学生が小学校の算数ができない。これだったらだれでも事態の深刻さに気づくと思ったのです。それで、経済学の研究グループのいろいろな大学の方たちに協力してもらって、大学1年生に対する4月の1回目の経済学授業で簡単なテストをしてもらったのです。
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