したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

選挙・議員関連情報スレ

1■とはずがたり:2002/11/04(月) 21:34
とりあえず気付いたニュースなどを張り付ける事にしておく。

4041名無しさん:2016/07/02(土) 22:42:24
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160630/k10010578821000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_029
参院選 共通投票所設置予定は4自治体にとどまる
6月30日 21時01分
今回の参議院選挙から新たに可能になった、共通投票所の設置予定を総務省が調査したところ、北海道函館市や熊本県南阿蘇村など4つの自治体にとどまることが分かりました。
先の通常国会で成立した改正公職選挙法では、投票率を向上させるため、事前に決められた投票所以外でも投票可能な共通投票所を、駅の構内やショッピングセンターなどに設置できるようになりました。

この共通投票所について、総務省が、今回の参議院選挙での全国の設置予定を調査したところ、北海道函館市が2か所、青森県平川市が1か所、長野県高森町が1か所、熊本県南阿蘇村が3か所の、4つの自治体の合わせて7か所にとどまることが分かりました。共通投票所の設置が進まなかったことについて、総務省は「法律が成立してから選挙までの期間が短かったことや、二重投票を防ぐシステムの費用の確保が難しかったためではないか」としています。

一方、投票所の設置数を調べた結果、全国で合わせて4万7905か所で、前回の3年前の選挙のときより872か所減ったことが分かりました。総務省では、特に中山間地で過疎化が進んで有権者が減ったことなどが原因ではないかとしています。

4042名無しさん:2016/07/03(日) 11:49:13
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016062700562&g=pol
七つ道具【選挙ミニ事典】

 選挙に立候補した際、選挙管理委員会から渡される運動員用腕章など道具一式の通称。腕章のほか、選挙事務所を示す標札、街頭演説の標旗、個人演説会用立て札など計7種類あり、無償で交付される。公職選挙法の規定により、候補者は街頭演説を行う場合、交付された標旗を掲げ、運動員は腕章を身に着けなければならない。参院選挙区の候補者に与えられる標旗は原則一つで、同じ陣営が同時刻に複数の街頭演説を行うことはできない。候補者の資金力で選挙運動に差が出ないよう、七つ道具で一定の歯止めをかける狙いがある。(2016/06/27-15:39)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016062800565&g=pol
法定得票数【選挙ミニ事典】

 公職選挙法が各種選挙について定める当選に最低限必要な票数を法定得票数という。法定得票数に達しなければ、最多得票者でも当選と認められず、再選挙となる。一定の票数を獲得しなければ、有権者の信任を得たとは見なせないとの立場からだ。参院選挙区の場合、有効投票総数を選挙区の議員定数で割った数の6分の1だ。
 法定得票数を下回り、再選挙となった例として、奄美群島の本土復帰に伴い1954年に行われた衆院奄美群島選挙区(定数1)や、2003年の札幌市長選がある。(2016/06/28-15:15)

4043名無しさん:2016/07/10(日) 09:44:15
>>4038

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070500351&g=pol
鳩山氏お別れ会、場所変更

 自民党は、12日に予定している故鳩山邦夫元法相のお別れの会の場所を、東京都港区南青山2の33の20の東京都青山葬儀所に変更すると発表した。当初は同区内のホテルでの開催を通知していた。 (2016/07/05-12:27)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070400913&g=pol
故鳩山邦夫氏に旭日大綬章

 政府は4日の持ち回り閣議で、6月21日に死去した鳩山邦夫元法相を正三位に叙するとともに、旭日大綬章を贈ることを決めた。 (2016/07/04-22:43)

4044名無しさん:2016/07/10(日) 10:11:18
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070600484&g=pol
補充立候補【選挙ミニ事典】

 選挙期間中に候補者が死亡したり、立候補を取りやめたりした場合、人数に制限なく新たな立候補が認められる。公職選挙法によると、衆参両院の選挙区の場合、投票日の3日前まで可能だ。候補者を補充しなければ無投票となる場合もあることから、有権者の意思表示の機会を保障するのが制度の狙いだ。ただ、欠けた候補者が期日前投票で得た票は無効になるなどの問題点も指摘されている。1980年の衆院選期間中に自民党の大平正芳首相(当時)が死去し、娘婿の森田一氏が補充立候補して初当選した例がある。(2016/07/06-14:50)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070500451&g=pol
案分票【選挙ミニ事典】

 候補者名や政党名が似ていて紛らわしく、有権者がどちらに1票を投じたか不明確な場合、対象となる各候補者や政党の得票比率に応じて配分される票を案分票という。一部候補者の得票数に小数が付いているのは案分票を加えた結果だ。総務省は一定の基準を都道府県選管に通知しているが、案分とするか無効とするかの判断は、公職選挙法で開票所の開票管理者に委ねられている。
 今回の参院選では、比例票に「民主」と書かれた場合、関係者の頭を悩ませそうだ。旧民主党は民進党に党名を変更し、略称を「民主」としている政党は存在しないが、自民、社民両党の正式名称に「民主」が入っているため、案分票か無効票かで判断が分かれる可能性が指摘される。(2016/07/05-14:36)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070900197&g=pol
当選と当確【選挙ミニ事典】

 参院選挙区の場合、有効投票の得票数順位が上位から改選数以内に入ると当選人となる。各都道府県選挙管理委員会が開票を終了した段階で確定する。ただし、有効投票総数を選挙区定数で割った数の6分の1に当たる法定得票数が最低限必要だ。一方、当選確実(当確)はあくまで新聞社やテレビ局など報道各社の判断だ。投票所で行う出口調査や開票所での開票状況、各党や各陣営の取材などあらゆる情報を基に総合的に判断して速報する。開票率0%でも当確を出すことがあるが、誤報となるケースもある。(2016/07/09-14:12)

4045名無しさん:2016/07/10(日) 10:13:00
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070800526&g=pol
政党要件【選挙ミニ事典】

 政治団体が政党として認められる法律上の要件。公職選挙法は、(1)所属国会議員が5人以上(2)直近の衆院選か参院選で全国の得票率が2%以上-のいずれかを満たす必要がある。この場合、衆院選で選挙区と比例代表の重複立候補が可能になるほか、選挙区でも政見放送ができるようになる。
 ほかにも政党要件を定める法律があるが、内容はそれぞれ異なる。政党助成法と政治資金規正法では、得票率について前々回の参院選の実績も考慮されるなど、要件は公選法より幅広だ。(2016/07/08-14:56)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070700458&g=pol
投票率【選挙ミニ事典】

 有権者数に対する投票者の割合。有権者の選挙への関心の度合いを示す指標だ。参院選では1980年の74.54%が最高で、最低は95年の44.52%。年齢が下がるほど投票率が低い傾向にある。直近の国政選挙である2014年の衆院選では60歳代は68.28%だったのに対し、20歳代は32.58%と半分以下だった。今回から選挙権年齢が「20歳以上」から「18歳以上」に引き下げられたこともあり、総務省はインターネット動画などを活用した若年層への啓発活動に力を入れている。(2016/07/07-14:18)

4046名無しさん:2016/07/10(日) 11:05:46
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070400570&g=pol
投票用紙【選挙ミニ事典】

 候補者名や政党名が書かれた投票用紙は公職選挙法の規定により、開票所で集計された後、保存用の箱に入れて封印され、その選挙の当選者の任期満了、または衆院などの解散まで市区町村の選挙管理委員会で厳重に保管される。保管期間が終了した用紙はリサイクルされ、選挙啓発用のうちわや文房具などに生まれ変わる。
 生産を一手に引き受けるメーカーによると、材質はポリプロピレンが主原料の合成樹脂で、折って投票箱に入れても投票箱の中で自然に開く。用紙を開く手間がかからず、開票時間の短縮につながっている。(2016/07/04-15:13)

4047名無しさん:2016/07/17(日) 13:12:41
>>4043

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160712/k10010592361000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_080
鳩山邦夫元総務相 お別れの会
7月12日 15時03分
先月死去した鳩山邦夫元総務大臣のお別れの会が、12日に東京都内で営まれ、およそ3000人が参列し、別れを惜しみました。
先月21日に病気で死去した鳩山邦夫元総務大臣のお別れの会は、12日午前11時から東京・港区で営まれ、与野党の国会議員など、およそ3000人が参列しました。
最初に、葬儀委員長を務めた安倍総理大臣が「豪放らいらくというのは鳩山氏の人柄そのものだが、こまやかな心遣いと優しさを持つ愛情あふれる人だった。政策を前へ進めるときの心の支えだった鳩山氏を失ったことは残念でならない」とお別れのことばを述べました。
このあと、遺族を代表して、妻のエミリーさんが「政治家としての主人は、自分が損をしてでも、間違いは間違いだと言える人で、まだまだやりたいこともたくさんあったと思います。まっすぐに生きてきた鳩山邦夫を忘れないでください」とあいさつしました。
参列者は、祭壇に掲げられた遺影の前で花を手向け、手を合わせて鳩山氏をしのんでいました。

4048名無しさん:2016/07/17(日) 13:13:32
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160713/k10010593621000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_067
政党助成金 自民3億円増 民進3億円減の見込み
7月13日 11時19分
ことし、国から政党に交付される政党助成金について参議院選挙の結果を踏まえてNHKが試算した結果、自民党はおよそ3億円増えて175億円余りとなる一方、民進党はおよそ3億5000万円減っておよそ94億円となる見込みであることが分かりました。
政党助成金は、総額およそ320億円が、所属する国会議員の数や国政選挙の得票数に応じて、政党助成法に基づき総務大臣に届け出た政党に、年4回に分けて交付されています。
助成金は、国政選挙のあと交付額を算定し直すことになっていて、NHKは参議院選挙の結果を踏まえて、ことし各党に交付される見込みの額を試算しました。
それによりますと、追加公認した1人を含め改選議席から6議席増やした自民党は、3億600万円増えて175億2700万円となります。これに対し、改選議席から15議席減らした民進党は、3億5100万円減って93億9200万円となります。公明党は、1億円増えて30億7300万円。おおさか維新の会は、2億1700万円増えて7億300万円。社民党は、2700万円減って4億4400万円。議席を獲得できなかった日本のこころを大切にする党は、1200万円減って5億4700万円となります。
また、今回の参議院選挙の結果、政党助成法上の政党要件を満たさなくなった生活の党と、今月11日に解散の届け出を出した新党改革は、次回10月分以降、交付の対象となりません。一方、共産党は、政党助成金の制度に反対して、助成金を受け取っていません。

4049名無しさん:2016/07/17(日) 13:22:30
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160717/k10010598821000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_002
19歳が低投票率 政治への参加意識向上で具体的検討へ
7月17日 4時18分
総務省は、先の参議院選挙で新たに有権者となった18歳と19歳のうち、とりわけ19歳の投票率が低かったことから、高校を卒業した大学生や社会人などの政治への参加意識の向上に向けて具体的な検討を進めることにしています。
先の参議院選挙では選挙権が得られる年齢が18歳に引き下げられ、総務省が発表した速報値では、18歳の投票率は51.17%で、前回の参議院選挙の20代の有権者の投票率を20ポイント近くも上回りました。
これについて、総務省は、各自治体などが高校での模擬投票や出前講座など政治への参加意識を高める「主権者教育」に積極的に取り組んだことなどが投票率の向上につながったとしています。
その一方で、19歳の投票率は39.66%で、18歳の投票率を11ポイント余り下回りました。
このため、総務省は、今後、高校を卒業した大学生や社会人などの政治への参加意識の向上に向けて、大学や企業、地域といかに連携を図るか、具体的な検討を進めることにしています。

4050名無しさん:2016/07/17(日) 18:05:07
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016071500580&g=pol
共通投票所3243人利用=参院選

 総務省は15日、先の参院選で初めて設置された「共通投票所」での投票者数が、北海道函館市など全国4市町村の7カ所で計3243人だったと発表した。4自治体の合計で、投票日の10日に票を投じた人に占める割合は3.3%だった。
 設置したのは他に青森県平川市、長野県高森町、熊本県南阿蘇村。平川市では1705人が利用し、10日の投票者数に占める割合が17.2%で最も高かった。函館市は1048人、高森町は387人、南阿蘇村は103人だった。
 共通投票所は投票日当日、住民の利用機会の多い駅や商業施設などに置くことにより、投票率を押し上げる効果が期待された。市区町村の選挙管理委員会の判断で設置でき、その自治体に住む有権者が利用できる。ただ、二重投票を防止するためのシステム整備に費用がかかり、今回導入したのは4自治体にとどまった。 (2016/07/15-15:05)

4051名無しさん:2016/07/17(日) 23:22:53
>>4031

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016071200389&g=pol
鳩山元総務相に別れ=安倍首相「心の支え失った」

 6月21日に死去した鳩山邦夫元総務相の自民党と鳩山家によるお別れの会が12日午前、東京・南青山の青山葬儀所で営まれた。お別れの会の実行委員長である安倍晋三首相(党総裁)、大島理森衆院議長、兄の鳩山由紀夫元首相ら多くの政界関係者が参列し、故人をしのんだ。

 首相は「われわれの政策を力強く前に進めるときに、心の支えであった先生を失ったことは残念でならない」と弔辞を述べた。また、10日の参院選にも触れ、「先生の気持ちに応えなければならないとの思いで戦い抜いた」と語った。 (2016/07/12-11:58)

>>4048

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016071200839&g=pol
自民、1.8%増の175億円=民進は減少-政党交付金

 参院選の結果を踏まえ、2016年の政党交付金の配分額を時事通信が試算したところ、議席を増やした自民党は4月の交付決定額に比べ1.8%増の175億2700万円で、1995年の制度開始以降で最高額を更新する見通しだ。勢力が後退した民進党は3.6%減の93億9200万円。
 政党交付金の年間予算額は約320億円。各党への配分額は、所属国会議員数や国政選挙の得票率によって決まる。支給回数は年4回で、このうち2回は交付済みのため、10月と12月の支給分から再計算された額が反映される。
 政党交付金制度に反対している共産党は受給申請していない。生活の党と山本太郎となかまたちは今のところ「国会議員5人」との政党要件を満たさないが、無所属で当選した同党系議員の所属が決まれば、交付を受けられる可能性がある。
 自民、民進両党以外への年間交付見込み額と増減率は次の通り。
 公明党30億7300万円(3.4%増)▽おおさか維新の会7億300万円(44.8%増)▽社民党4億4400万円(5.8%減)▽日本のこころを大切にする党5億4700万円(2.2%減)。 (2016/07/12-19:33)

4052名無しさん:2016/07/17(日) 23:23:17
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016071100044&g=pol
今後の主な政治日程

【2016年】
 7月14日 東京都知事選告示
   15日 アジア欧州会議(ASEM)(モンゴル、16日まで)
   31日 都知事選投開票
 8月 1日 臨時国会召集(3日まで)
    5日 リオ五輪(21日まで)
   15日 終戦記念日
   27日 第6回アフリカ開発会議(TICAD)(ケニア、28日まで)
    末  2017年度予算概算要求締め切り
 9月 2日 安倍晋三首相がロシア訪問(3日まで)
    4日 20カ国・地域(G20)首脳会議(中国、5日まで)
    6日 東南アジア諸国連合(ASEAN)関連首脳会議(ラオス、8日まで)
   13日 臨時国会召集
    下旬 国連総会
10月23日 衆院福岡6区補選
11月19日 アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議(ペルー、20日まで)

(2016/07/11-00:11)

4053名無しさん:2016/07/18(月) 09:08:00
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160718/k10010599621000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_003
10代の有権者は ネット情報に慎重
7月18日 5時38分
今月10日に投開票が行われた参議院選挙から1週間。新たに選挙権を得た18歳と19歳の有権者は、選挙についての情報の多くをインターネットを通じて得ている一方で、いわゆるSNSで発信された候補者や政党の情報に対しては比較的慎重に捉えていたことが、東京大学などの研究グループの調査で分かりました。
東京大学情報学環の橋元良明教授らの研究グループは、新たに選挙権を得た18歳と19歳の有権者を含む全国の有権者およそ1800人を対象に、選挙に関する情報をどのように得たかをインターネットを通じて調べました。

この中で、情報をどこから得たかについては、すべての世代の平均では、テレビが83.0%、新聞が52.6%、インターネットが37.3%となっていたのに対し、18歳と19歳では、テレビが80.4%、インターネットが50.9%、新聞が34.4%と、ネットと新聞の順番が逆転していました。インターネットから情報を得たという回答が50%を超えたのは10代の有権者だけです。

一方で、10代の有権者に信頼できた情報源を尋ねると、新聞が80.0%、テレビが67.9%だったのに対して、政党や候補者のウェブサイトが63.0%、政党や候補者のSNSが51.6%などとなっていました。10代のSNSへの信頼度はすべての世代の平均の55.1%を下回っていて、情報を比較的慎重に捉えている様子がうかがえます。

今回の調査結果について、橋元教授は「ネット上の情報は玉石混交ということを若い世代はよく知っていて、今回の選挙でも情報を冷静に見ている。その一方で、ネットだけで情報を集めると、自分と同じ意見にだけ目を向ける傾向がある。さまざまなメディアを通じて自分の反対意見にも目を向ける習慣を身につけてほしい」と話しています。
投票した19歳の女子大学生は
今回の参議院選挙で初めて1票を投じた19歳の女子大学生です。新聞はあまり読まず、ニュースなどはほとんどテレビやスマートフォンで見ています。今回の選挙にあたっても、情報源はテレビのほかインターネットの短文投稿サイト、ツイッターが主でしたが、「大勢の人がつぶやいている情報でも、これは違うんじゃないかなと思うものも見かけるので、情報の出どころを見たりして、信じられる情報かどうか判断しています」と話し、SNSで流れる情報を慎重に捉えていたといいます。

その一方で、投票先については、「争点に関するアンケートに答えると考え方が近い政党を教えてくれる」というインターネット上のサービスを参考にしたということで、「今回は選挙について調べる時間が十分取れなかったので、次は一つの情報源に偏らずにいろんなところから情報を集めて投票に行きたい」と話していました。

4054名無しさん:2016/07/23(土) 22:32:51
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016072000619&g=pol
7党に交付金79億円

 総務省は20日、政党交付金の2016年第2回分として、7党に計79億4600万円(100万円未満切り捨て、以下同)を支給した。第3、4回分は、10日投開票の参院選の結果に基づいて再計算される。自民、公明両党は増額され、民進党は減額される見通し。 
 参院選後に政党の資格を失った新党改革には、政党として存続した期間に応じた特定交付金3500万円が支給された。共産党は受給を申請していない。各党への支給額は次の通り。
 自民党43億500万円▽民進党24億3500万円▽公明党7億4300万円▽おおさか維新の会1億2100万円▽社民党1億1700万円▽生活の党と山本太郎となかまたち8300万円▽日本のこころを大切にする党1億4000万円。(2016/07/20-16:20)

4055名無しさん:2016/07/24(日) 20:15:05
すごいデータベースがありました。
地方議会選挙がここより詳しいのって知らないかもです。

http://politics.free-active.com/document/index.html

http://politics.free-active.com/index.php

4056名無しさん:2016/08/20(土) 22:44:15
古い記事

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160712-00510466-shincho-soci
鳩山邦夫の遺産は170億円以上 後継は「次男の可能性が高い」
デイリー新潮 7月12日(火)5時52分配信

 唐突にもたらされた訃報だった。6月21日、67歳で逝去した衆院議員の鳩山邦夫氏。名門の出ながらそれを鼻にかけず、多くの人に慕われた彼は、どのような姿を周囲に見せていたのか。また、170億円以上と目される遺産の内訳、後継者選びの行方は――。

 ***

 邦夫氏が東京・文京区の「音羽御殿」に生まれたのは1948年。曾祖父は元衆院議長の和夫氏、祖父は元首相の一郎氏、父は元外相の威一郎氏という政界きっての名門の出だが、彼の元秘書が言うには、

「私が見る限り、邦夫さんは鳩山家という超エスタブリッシュメントに生まれたことを逆にコンプレックスに感じていたと思う。あの人は本当に気取らない人で、スーツだって安物だったし、穴の空いた靴下を穿いていたこともあった。それが全て演出ではないと思うけれど、庶民的に、庶民的に振る舞おうと意識していたのは間違いない」

 東大を卒業した後、田中角栄の秘書を経て衆院選挙で初当選を果たしたのは76年。その後、1度落選を経験するも、91年に宮澤喜一内閣で文部大臣(当時)に就任するまでは、まずは順風満帆な政治家人生といってよかろう。その頃、邦夫氏の秘書を務めていた白石英行・文京区議会議長は、

「代議士はとにかくパワフルだった。朝からかつ丼とかステーキを食べて、夜は時間が空くと選挙区内の飲み屋をハシゴ。それから自宅に帰って自分や秘書たちの分の食事を作り、それを皆で食べてようやく1日が終わるのです」

 同じく邦夫氏の元秘書で、現在は民進党代議士の牧義夫氏もこう言う。

「朝から天ぷらを揚げていることもありました。鳩山事務所に入ると皆10キロくらい太ってしまうので、他の事務所からは“鳩山部屋”などと呼ばれていた」

■離党、復党を繰り返し
 93年に自民党を離党。兄の由紀夫氏と共に旧民主党を結党したのはその3年後である。元秘書の馬渡龍治氏によると、

「お二人が兄弟新党を結党する背景には、母親の安子さんの思いがあった。しかし旧民主党を作って合流した後も二人の関係はギクシャクしたままで、しばらく私が両者の間のメッセンジャーを務めなければならなかったほどです」

 元民主党代議士で政治評論家の木下厚氏が言う。

「その後は都知事選に落選して自民党に復党するものの再離党し、さらにまた復党するという政治人生を歩みました。政治家としての資質には恵まれていましたが、功を焦り、却って逆に逆にと行ってしまったような印象を持ちます」

4057名無しさん:2016/08/20(土) 22:44:45
>>4056

■日本トップレベルの蝶の研究
 そんな邦夫氏が政治に対するのと同等かそれ以上の情熱を傾けたのが蝶の研究であった。蝶の採集や標本作製に熱中するようになったのは子どもの頃だというが、それを研究の域にまで高めようと決心したのは79年、彼が31歳の時で、著書『チョウを飼う日々』には次のようなエピソードがある。選挙に落選して茫然自失の態で庭の真ん中に立ち尽くしていると、

〈都区内では大珍品のアカタテハがやってきて、しかも二回もオレの回りをぐるっと回って消えた。そうだ、あれは神がオレにチョウを徹底的にやれといって遣(つか)わせた使者に違いない。これから当分ヒマが続く。オレはやるぞ、こうなったらトコトン、チョウをやりつくすぞ……〉

 邦夫氏の蝶の研究をサポートするため93年から5年間、彼の秘書として働き、現在は東京大学総合研究博物館で助教を務めている矢後勝也氏は、

「私が秘書になった時、鳩山代議士はすでに蝶の研究者として有名で、飼育に関しては日本のトップレベルに達していました」

 として、こう語る。

「蝶の研究者としての人生も送ってみたかった、と話していた代議士が特に愛したのはオオウラギンヒョウモン、オオルリシジミなどの絶滅危惧種。今では代議士の技術が生かされ、日本各地で蝶の保全が行われています。葬儀の際、棺の中にはオオウラギンヒョウモンとオオルリシジミ、それからヒサマツミドリシジミの標本が入れられました」

 邦夫氏が死して遺した蝶に関する貴重な研究成果とコレクション。無論、それとは別に巨額の遺産もある。

■170億円以上の遺産
 昨年3月に提出された衆院議員の資産等報告書によると、東京・本駒込にある約560坪の広大な土地の他、長野県の軽井沢や埼玉県、選挙地盤の福岡県にも土地を所有している。定期預金が2億4700万円、国債証券及び金銭信託が18億8752万円。所有株券は、ブリヂストンが389万株、マツダが30万株、東芝が86万4000株などとなっている。

「本駒込の土地だけで20億円以上の価値がある。また、ブリヂストン株は現在の株価で計算して、約123億円。さらにその他諸々を合計すると、遺産の額は最低でも170億円という巨額になります」(金融業界関係者)

 邦夫氏と妻のエミリーさんの間には、2男1女がいる。今後、それぞれが巨額の遺産を相続することになるわけだが、

「通常なら、相続税を支払うために遺産の一部を処分したりして資金を捻出しなければならないところですが、あの家は特別。相続税の支払いに困るようなことはないでしょう」

 とは、鳩山家の関係者。

「それよりはむしろ、後継者選びのほうで紆余曲折があるかもしれません。長男の太郎氏は元都議会議員。次男の二郎氏は邦夫氏の秘書を経て、現在は福岡県大川市の市長を務めている。すでに2人とも政治との関わりを持っており、普通に考えればどちらが後継者になってもおかしくない」

 しかしこの点、邦夫氏の元秘書(前出)によれば、

「邦夫さんの後継は次男の二郎さんになる可能性が高いと思います。そもそも、太郎さんは1度は都議になったものの、再選はかなわず、参院選でも落選している。一方の二郎さんは秘書として代議士と一緒に福岡の地元で汗を流し、大川市長になった。2人の現在の立場を比べれば、どちらが後継者に相応しいかは一目瞭然です」

 政治家一家の4代目として、起伏に富んだ67年の人生を送った邦夫氏。彼の死去にともなう福岡6区補選は10月23日投開票で行われる予定である。

「特集 『鳩山邦夫』の棺を蓋いて『死因と遺産と後継者』」より

「週刊新潮」2016年7月7日号 掲載

新潮社

4058名無しさん:2016/08/21(日) 20:24:54
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016082100114&g=pol
宮本一三氏死去(元衆院議員)

 宮本 一三氏(みやもと・いちぞう=元衆院議員)17日午後9時10分、腎不全のため京都府八幡市内の病院で死去、84歳。兵庫県出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻遵子(じゅんこ)さん。
 93年衆院選で旧兵庫2区から旧新生党公認で立候補し初当選。その後、旧新進党を経て、2000年は自民党から出馬し3度目の当選を果たした。文部科学副大臣などを歴任した。(2016/08/21-14:31)

4059とはずがたり:2016/08/23(火) 08:20:31
「一村一品運動」提唱 平松元大分県知事が死去
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160823/k10010650101000.html?utm_int=all_side_ranking-social_002
8月23日 6時30分

前の大分県知事で地域興しの先駆けとなる「一村一品運動」を提唱した平松守彦さんが、21日、入院先の大分市の病院で亡くなりました。92歳でした。
平松守彦さんは当時の商工省、現在の経済産業省に入省し、その後、大分県の副知事を経て昭和54年の大分県知事選挙で初当選を果たしました。
6期24年にわたって県知事を務め、この間、地域の特産物を作って全国にPRする「一村一品運動」を提唱し、国内での地域興しの先駆けとなっただけでなく、「ワン・ビレッジ・ワン・プロダクト」と訳され、アジア各国にも広がりました。
このほか、平成14年に日本と韓国の共催で開かれたサッカーワールドカップでは、試合会場を大分県に誘致したほか、日本の組織委員会の副会長も務めました。
家族によりますと、平松さんは大分市内の病院に入院していましたが、21日の夕方に亡くなったということです。

4060名無しさん:2016/08/27(土) 11:59:05
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160825/k10010654101000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_032
前田勲男元法相が死去
8月25日 18時11分
自民党の元参議院議員で法務大臣を務めた前田勲男氏が、今月22日に、脳梗塞のため、東京都内の病院で亡くなりました。73歳でした。
前田氏は和歌山県出身で、サラリーマンを経て、科学技術庁長官や参議院副議長を歴任した父親の秘書を務めました。
そして、父親の死去に伴って、昭和53年に行われた参議院和歌山選挙区の補欠選挙に立候補して初当選し、4回連続で当選しました。
この間、前田氏は参議院議院運営委員長などを歴任し、村山内閣では法務大臣を務めて、オウム真理教による地下鉄サリン事件などへの対応に当たりました。
その後、平成10年の参議院選挙で落選して、政界を引退していました。

4061名無しさん:2016/08/27(土) 16:09:19
>>4060

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016082600395&g=pol
前田勲男氏死去(元法相、元自民党参院議員)

 前田 勲男氏(まえだ・いさお=元法相、元自民党参院議員)22日午前11時7分、脳梗塞により東京都内の病院で死去、73歳。和歌山県出身。葬儀は近親者のみで済ませた。喪主は妻ゆみ子さん。
 1978年の参院補選で和歌山選挙区から初当選し、当選4回。村山内閣で94年〜95年に法相を務めた。 (2016/08/26-12:46)

4062名無しさん:2016/09/05(月) 23:07:04
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160905-00010001-seijiyama-pol
都政に見る歪んだ力関係、国会議員より地方議員の方が強い?
政治山 9月5日(月)17時30分配信

 都知事選を巡る報道で、公認権を持つ都連幹事長の都議が国会議員よりも大きな権力を握っている実態が明らかとなりました。一般的には地方議員よりも国会議員の方が地位が高いイメージがありますが、政党の都道府県連(以下、県連)を仕切る実力者が、地元選出の国会議員を意のままに操る構図は決して東京都だけが例外というわけではありません。

選挙協力という切り札握る地元議員の強み
 2015年1月に行われた佐賀県知事選では、自公の推薦候補に対し、農協改革やTPPに反対する農協関連の政治団体が支援した候補が勝利。敗戦の責任を取って自民党県連の会長を務めていた国会議員は会長を辞任しましたが、保守分裂の選挙戦は事実上、党本部と県連の対立であり、地盤を固めている地方議員の結束の強さを見せつけました。

 県連では、会長が国会議員であっても、実質的な権力は地元の利害を調整できる地方の実力議員が握る、という図式は多くの地方でみられる権力構造です。都知事選の告示前に、元都知事の猪瀬直樹氏が「自民党都連会長は石原伸晃だが、会長は帽子で国会議員や都議会議員の公認権は都連幹事長の内田が握っている」と自身のブログなどで述べています。

 地方議員の力の源泉は選挙協力にあります。猪瀬氏も「副知事就任の直後に千代田区に建設が予定されていた参議院議員宿舎を潰した。千代田区基盤の内田は激昂した。そのため僕が都知事に出馬した際、ポスター2万枚が送り返されてきた。貼ってやらないというのである」と当時の苦境を明かし、自民党の推薦を受けなかったと明かしています。舛添要一氏のカネの問題に始まる都政の混乱は、猪瀬氏にしてみれば2012年12月の都知事選から延々と続く都連の問題であるとの認識のようです。

10月23日の福岡と東京の補欠選も保守分裂の戦いに
 公認争いが生じた場合、水面下では党本部と県連、あるいは党内の実力者同士の熾烈な綱引きが行われています。10月23日に行われる2つの衆院補選でも既に戦いは始まっています。

 鳩山邦夫元総務相の死去に伴う福岡6区と、小池百合子都知事の議員失職による東京10区の選挙戦は、いずれも保守分裂の様相を呈しており、福岡6区は党県連会長の長男と邦夫氏の次男が公認を争っています。東京10区では小池知事が新党結成も視野に入れて臨む方針で、党本部は世論の動向と来夏の都議選なども見据えた対応を検討しているとみられます。

追加公認は、負け戦を避け勝ち馬に乗る“ウラ技”
 こうした分裂選挙の対応として、最近ではどちらにも党の公認を与えず、無所属同士で戦わせて当選者に“追加公認”を与えるパターンが増えています。選挙が終わってから公認するというのは、有権者を蔑ろにしているようにも見えますが、関係者にとっては「事なきを得る」便法の1つです。党は勝ち馬に乗ることで負け戦を避けるメリットがあり、当選者は与党議員として政治活動を行い、次回の選挙でも公認候補として有利な戦いを期待できるメリットがあります。

4063とはずがたり:2016/09/10(土) 19:41:56
なんと。。ご冥福をお祈りします。政治ウオッチ趣味始めて16年以上経つってことなんだな。。

1614 名前:名無しさん[] 投稿日:2016/09/10(土) 19:03:34
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160910-00000105-jij-pol
加藤紘一氏死去、77歳=官房長官、自民幹事長を歴任
時事通信 9月10日(土)18時29分配信

 官房長官や自民党幹事長を歴任し、一時は首相候補と目された加藤紘一(かとう・こういち)元衆院議員が9日午後0時45分、肺炎のため死去した。

 77歳だった。山形県出身。

 東大卒業後、外務省に入省。1972年の衆院選で旧山形2区から初当選した。大平派(宏池会、現岸田派)に所属。大平正芳元首相の薫陶を受け、「宏池会のプリンス」と期待された。

 中曽根内閣で防衛庁長官として初入閣。91年、小泉純一郎元首相、山崎拓元党副総裁との間で「YKK」と称された盟友関係を結び、党内を牛耳っていた最大派閥の竹下派(経世会)に対抗した。

 宮沢政権で官房長官、橋本政権で党幹事長に起用された。98年に宮沢喜一元首相から宏池会会長を引き継ぎ、政界ではこの時期、首相に最も近い人物と見られていた。

 小渕恵三元首相が進めた自由、公明両党との3党連立政権に異を唱え、99年の自民党総裁選で山崎氏とともに小渕氏に挑んだが敗北。総裁選後は冷遇され、反主流派に転じた。

 2000年11月、森政権の倒閣を図った「加藤の乱」が失敗。02年、自身の元事務所代表の脱税事件で責任を問われて派閥会長を辞任し、自民党を離党。その後、議員辞職に追い込まれた。

 03年衆院選で再起を果たし、自民党に復党したが、14選を目指した12年衆院選で落選し、政界を引退。14年5月には共産党機関紙「しんぶん赤旗」のインタビューで、安倍政権による集団的自衛権の行使容認を批判していた。

4064名無しさん:2016/09/10(土) 21:54:32
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160909/k10010678151000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_020
18歳と19歳の投票率 46.78% 地域で大きな差
9月9日 15時27分
7月に行われた参議院選挙で新たに有権者となった18歳と19歳の投票率は全国の平均で46.78%で、都道府県別では最も高かった東京都と最も低かった高知県の差が27ポイントとなるなど、地域によって大きな差があったことがわかりました。
総務省のまとめによりますと、7月に行われた参議院選挙で新たに有権者となった18歳と19歳の投票率は全国の平均で46.78%で、すべての年代の確定投票率54.70%に比べ7.92ポイント低くなっています。

このうち、18歳の投票率は51.28%、19歳の投票率は42.30%で、18歳の投票率が19歳の投票率を8.98ポイント上回っています。
都道府県別に見ますと、18歳と19歳の投票率が最も高かったのは東京都で57.84%、次いで神奈川県が54.70%、愛知県が53.77%となるなど、比較的都市部を中心に高くなっています。

一方、最も低かったのは高知県が30.93%、次いで宮崎県が33.61%、愛媛県が35.78%で、最も高かった東京都と最も低かった高知県の差が27ポイントとなるなど、地域によって大きな差があったことがわかりました。
総務省は、今後投票率が低かった年代や地域の投票率をどう向上させていくか、さらに検討していくことにしています。

4065名無しさん:2016/09/10(土) 22:03:21
>>4063

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160910/k10010680051000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_003
加藤紘一 自民党元幹事長 死去
9月10日 18時05分
自民党の元衆議院議員で、官房長官や党の幹事長など、政府や党の要職を歴任した加藤紘一氏が9日、東京都内の病院で肺炎のため亡くなりました。77歳でした。
加藤氏は、山形県鶴岡市出身で、東京大学を卒業後、外務省を経て、昭和47年の衆議院選挙で旧山形2区から立候補して初当選し、13回当選しました。この間、第2次中曽根改造内閣で、防衛庁長官として入閣し、その後も、宮沢内閣の官房長官や、党の幹事長、政務調査会長など、政府や党の要職を歴任しました。
自民党内では、総理・総裁の有力候補とされ、平成10年には派閥を宮沢元総理大臣から引き継ぎ、会長に就任しました。
また、加藤氏は、小泉・元総理大臣、山崎・元自民党副総裁と近かったことでも知られ、3人の盟友関係は「YKK」とも呼ばれました。
こうした中、平成12年秋の臨時国会で、内閣支持率が低迷していた当時の森総理大臣の退陣を求めて、野党側が提出した森内閣に対する不信任決議案に賛成する意向を示しながら、採決直前に方針を変更した、いわゆる「加藤の乱」を主導し、加藤派は分裂しました。
平成14年には、みずからの事務所の元代表が所得税法違反の罪で起訴されたことを受けて、自民党を離党し、衆議院議員を辞職しましたが、翌15年の衆議院選挙に無所属で当選した後、自民党に復党しました。そして、平成24年12月の衆議院選挙で落選した後、3女の鮎子氏を後継に指名し、政界を引退していました。
その後、加藤氏は体調を崩し、9日、東京都内の病院で肺炎のため亡くなりました。
森元首相 次を担う人だった
森元総理大臣は、NHKの取材に対し、「加藤氏は、自民党の苦しい時代をともにした政治家の1人であり、非常に残念な思いだ。優秀な政治家で、外交が大変な局面にある今、加藤氏がいてくれればと思うことは何度もある。海外の首脳にも、加藤氏を念頭に、『私の後継は外交に精通した人だ』と紹介したこともあり、本当に次を担う人だと思っていた。それだけに、いわゆる『加藤の乱』の時に、なぜあそこまで急いだのかという思いはある」と述べました。
古賀元幹事長 非常に無念な思い
かつて、自民党加藤派の幹部として加藤氏を支え、いわゆる「加藤の乱」でたもとを分かった古賀誠元自民党幹事長は、NHKの取材に対し、「加藤政権の実現を夢見た1人として非常に無念な思いだ。平成11年の自民党総裁選挙に、加藤氏が当時の小渕総理大臣の対立候補として立候補したが、将来の加藤政権実現のために止めようとして止められなかったのが、いちばん印象に残っている」と述べました。

4066名無しさん:2016/09/10(土) 22:03:31
>>4065

野中元幹事長 「加藤の乱」思い出深い
加藤氏が自民党幹事長だった時、幹事長代理を務めた野中元自民党幹事長は、「大変、立派な人だった。惜しい人を亡くした。政治家としての能力も非常にすぐれていて、指導者としても立派な人だった。『加藤の乱』の時のことが最も思い出深く、当時のことを静かに考えながら冥福を祈っている」と述べました。

自民党の政務調査会長などを務めた亀井静香衆議院議員は、「大変、残念だ。すぐれた政治家だったが、不運な政治家でもあった。総理大臣になる実力もあったが、狙ってはいけない時に狙ってしまった。非常に真面目で純粋な人だったと思う」と述べました。

加藤氏と派閥で行動をともにしていた、自民党の川崎元厚生労働大臣は、NHKの取材に対し、「ウイングの広い政治家で、弱者に対しても、やさしい視点を持った政治家だった。自分が理想とする政治を追い求めた結果、無理をしてしまった。黙っていても総理大臣になれる政治家だっただけに、とても残念だ」と述べました。
山崎元副総裁「英知を失った」
加藤氏と盟友関係にあった、山崎元自民党副総裁は、「訃報に接し、強烈な衝撃を受けた。政界のトップリーダーの1人として活躍し、とりわけ、日中友好の進展などに全力を尽くしてきたほか、平和憲法を守って日本の防衛政策が専守防衛に徹することを強く主張してきた。かけがえのない英知を失ったことを、心より惜しむ」とするコメントを発表しました。
地元では功績をたたえる声
地元、山形県鶴岡市のJR鶴岡駅の前では、驚きや功績をたたえるの声が聞かれました。地元に住む20代の男性は「地域を代表する政治家だったので、よく頑張った方だったと思う」と話していました。
東京から訪れた40代の男性は「いわゆる『加藤の乱』が印象に残っています。偉大な政治家だと思っていたので非常に残念です。驚きました」と話していました。

加藤氏の三女の加藤鮎子衆議院議員は、報道各社の取材に応じ、「亡くなる2日前に会い、日ごろの活動の報告や孫の話をしました。政治家としてはしっかり根を張りながらまわりを見渡せる大木のような人でした。父としてはまじめで頑張り屋の人でした」と話しました。

4067名無しさん:2016/09/11(日) 11:05:33
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016090500523&g=obt
元衆院議員の粟屋敏信氏死去

 粟屋 敏信氏(あわや・としのぶ=元衆院議員)4日午前10時39分、老衰のため東京都内の病院で死去、90歳。広島県出身。葬儀は8日午前11時30分から文京区大塚5の40の1の護国寺桂昌殿で。喪主は長男信義(のぶよし)氏。
 建設事務次官を経て、1986年に旧衆院広島1区から出馬し政界入り。当選5回。自民党、新進党などに所属したが、引退前は無所属で活動した。(2016/09/05-15:52)

4068名無しさん:2016/09/11(日) 14:28:33
>>4063

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091000275&g=pol
加藤紘一氏死去、77歳=官房長官、自民幹事長を歴任

 官房長官や自民党幹事長を歴任し、一時は首相候補と目された加藤紘一(かとう・こういち)元衆院議員が9日午後0時45分、肺炎のため、東京都内の病院で死去した。77歳だった。山形県出身。葬儀は近親者のみで行う。後日山形県内でお別れの会を開く予定。

 東大卒業後、外務省に入省。1972年の衆院選で旧山形2区から初当選した。大平派(宏池会、現岸田派)に所属。大平正芳元首相の薫陶を受け、「宏池会のプリンス」と期待された。
 中曽根内閣で防衛庁長官として初入閣。91年、小泉純一郎元首相、山崎拓元党副総裁との間で「YKK」と称された盟友関係を結び、党内を牛耳っていた最大派閥の竹下派(経世会)に対抗した。
 宮沢政権で官房長官、橋本政権で党幹事長に起用された。98年に宮沢喜一元首相から宏池会会長を引き継ぎ、政界ではこの時期、首相に最も近い人物と見られていた。
 小渕恵三元首相が進めた自由、公明両党との3党連立政権に異を唱え、99年の自民党総裁選で山崎氏とともに小渕氏に挑んだが敗北。総裁選後は冷遇され、反主流派に転じた。
 2000年11月、森政権の倒閣を図った「加藤の乱」が失敗。02年、自身の元事務所代表の脱税事件で責任を問われて派閥会長を辞任し、自民党を離党。その後、議員辞職に追い込まれた。
 03年衆院選で再起を果たし、自民党に復党したが、14選を目指した12年衆院選で落選し、政界を引退。14年5月には共産党機関紙「しんぶん赤旗」のインタビューで、安倍政権による集団的自衛権の行使容認を批判していた。
 加藤鮎子自民党衆院議員(山形3区)は三女。 (2016/09/10-23:58)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091000295&g=pol
悲運の宰相候補=ハト派旗手、「乱」で挫折-加藤紘一氏死去

 加藤紘一氏は、自民党の老舗派閥「宏池会」(現岸田派)を足場に宰相候補として自民党政権の中核を担った。自他共に許す政策通。とかく「お公家集団」とやゆされる宏池会にあって、政局も好んだ。加藤氏の絶頂期にして転落のきっかけとなったのが、2000年11月の「加藤の乱」だろう。森内閣の支持率が急落する中、「われわれが自民党の常識」と倒閣へ突っ走った。
 予兆はその前月にあった。「評論家みたいなことだけ言っていて済むタイミングはもう過ぎたような気がする」。加藤氏は当時まだ3回生だった岸田文雄現宏池会会長のパーティーで、政権どりへぎらつく本心をのぞかせた。毎夜、自宅に詰めかける番記者に、殺到する支持者からの激励メールを自慢げに見せた。
 ネット世論を重視した政治行動という点では最初のケースではなかったか。ただ、ネットと現実政治の間を埋めることはできなかった。野党提出の森内閣不信任決議案への同調という企ては執行部の激しい切り崩しに遭い頓挫。この後幹事長に取り立てられた側近の古賀誠氏から「宏池会の政治に、野党と手を結ぶような奇策を用いてはならない」と批判された。ただ、低迷する自民党政権への危機意識は、加藤氏が誰よりも強かった。
 党内でハト派リベラルの旗手でもあった加藤氏の挫折がその後の政界に与えた影響は少なくない。乱の後、分裂した宏池会は弱体化。宮沢喜一氏を最後に四半世紀近くも首相を輩出していない。2000年以降、党内でタカ派と呼ばれる「清和会」(現細田派)が森、小泉、福田、安倍の各内閣で通算10年以上、政権を担ってきたのとは対照的だ。若手には「これからは政策の時代。政策の勉強をしなさい」と助言していた加藤氏。政局でつまずき、その後政治的影響力を取り戻すことはなかった。
 晩年の加藤氏は親中派としての人脈を生かし、沖縄県・尖閣諸島国有化で悪化した日中関係の改善に意を尽くした。体調を崩し、日中友好協会の会長職を丹羽宇一郎元駐中国大使に譲ったが、最後まで日中の将来を気に掛けていたという。(2016/09/10-19:58)

4069名無しさん:2016/09/11(日) 14:28:45
>>4063

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091000313&g=pol
巨木のような政治家=加藤紘一氏死去で娘の鮎子氏

 故加藤紘一氏の三女の加藤鮎子自民党衆院議員は10日、山形県鶴岡市で記者団の取材に応じ、「父はしっかり根を張り、大地を高い所からも見渡すことができる、巨木のような政治家だった。不器用でも優しく、頑張り屋で尊敬できる父だった」と述べた。
 鮎子氏が7日に紘一氏を病院に見舞い、「農家の皆さんの声を聞くことが大事だよね」と声を掛けた際、紘一氏は大きくうなずいたという。鮎子氏は「周囲の方から、加藤紘一のような政治家がいま期待されているという声を頂いていた。若い一政治家としても残念な思いだ」と語った。 (2016/09/10-21:05)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091000340&g=pol
山崎拓氏「英智失った」=加藤紘一氏死去

 山崎拓自民党元副総裁は10日、加藤紘一氏の死去について、「終生の畏友だった加藤氏の訃報に接し、強烈な衝撃を受けた。日本の政界がかけがえのない英智を失ったことを心より惜しむ」とのコメントを発表した。
 山崎、加藤両氏は1972年の衆院初当選同期で、小泉純一郎元首相を交えた「YKK」トリオとして盟友関係を築いた。山崎氏はコメントで「加藤氏は比類なき英智の持ち主で、トップリーダーの一人として活躍してきた」とたたえるとともに、「日中友好の進展などに全力を尽くした。平和憲法を守り、専守防衛に徹することを強く主張していた」と振り返った。
 自民党山形県連会長の遠藤利明前五輪担当相も「常に国の将来を考え、導いてくださった。政治の師であり、偉大な目標でもあった」との追悼コメントを発表した。(2016/09/10-22:27)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091100027&g=pol
山崎拓氏「英智失った」=加藤紘一氏死去

 山崎拓元自民党副総裁は10日、加藤紘一氏の死去について、「終生の畏友だった加藤氏の訃報に接し、強烈な衝撃を受けた。日本の政界がかけがえのない英智を失ったことを心より惜しむ」とのコメントを発表した。
 山崎、加藤両氏は1972年の衆院初当選同期で、小泉純一郎元首相を交えた「YKK」トリオとして盟友関係を築いた。山崎氏はコメントで「加藤氏は比類なき英智の持ち主で、トップリーダーの一人として活躍してきた」とたたえるとともに、「日中友好の進展などに全力を尽くした。平和憲法を守り、専守防衛に徹することを強く主張していた」と振り返った。
 自民党山形県連会長の遠藤利明前五輪担当相も「常に国の将来を考え、導いてくださった。政治の師であり、偉大な目標でもあった」との追悼コメントを発表した。(2016/09/11-01:24)

4070名無しさん:2016/09/11(日) 14:48:00
>>4066

言論の自由 訴え続けた
加藤紘一氏は生前、自身の靖国神社をめぐる発言を理由に山形県の実家が放火されましたが、講演や著書で暴力に屈することなく、言論の自由の重要性を訴え続けました。

加藤氏は小泉純一郎氏が総理大臣だった当時、近隣諸国との関係から総理大臣が靖国神社に参拝することに反対していました。小泉氏は総理大臣として最後の参拝を平成18年の8月15日に行い、加藤氏は、参拝後の記者会見でも「かつて日本と戦いを交えた国は、挑戦的な行動だと受け止めざるをえないので、できれば参拝を控えてほしかった」と述べていました。そして、その日の夕方に加藤氏の山形県鶴岡市の事務所と棟続きの実家が右翼団体の男に放火されて全焼し、この男は警察の調べに対し、「小泉総理大臣の靖国神社参拝に関して加藤氏が慎重な発言をするなど、その政治姿勢に不満があった」と犯行の動機を供述しました。

この事件をめぐっては、政界だけでなく、弁護士やジャーナリストなどから「言論を封じるテロを断じて許さない」という批判の声が上がりました。放火された実家に住んでいた加藤氏の高齢の母親は、事件当時、外出していて無事でしたが、加藤氏は事件当初、強いショックを受けた様子でした。それでも、加藤氏は講演などでテロに屈しないという態度を貫き通し、言論の自由の重要性を訴え続けました。

事件後に出版した著書、「テロルの真犯人」の中でも「代議士として国民の負託を受けている以上、発言を曲げることはあってはならないし、これからも、語るべきことは語っていくつもりでいる」と述べたうえで、「昭和初期の、五・一五事件、二・二六事件の例を挙げるまでもなく、テロは自由な言論の最大の敵である。ここで私の心がくじけたら、この国の将来に対して大きな禍根を残すことになる」と、テロに屈しない覚悟を強く示していました。
新華社通信 功績を称賛
加藤氏の死去について、中国国営の新華社通信は、日本時間の10日夜、記事を配信しました。この中で、加藤氏について、「長年にわたって、日本の侵略の歴史を反省するよう呼びかけ、これを美化するような言動を批判してきた。政治家を引退したあとも、安倍政権による自衛隊の集団的自衛権の行使を可能にする安全保障法制を公然と非難し、正義の声を発し続けた」と称えています。
そのうえで、加藤氏が日中友好協会の会長を務めるなど、日中間の友好交流のために力を尽くしてきたことを紹介しました。

4071名無しさん:2016/09/11(日) 17:02:59
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160905-00010001-seijiyama-pol
都政に見る歪んだ力関係、国会議員より地方議員の方が強い?
政治山 9月5日(月)17時30分配信

 都知事選を巡る報道で、公認権を持つ都連幹事長の都議が国会議員よりも大きな権力を握っている実態が明らかとなりました。一般的には地方議員よりも国会議員の方が地位が高いイメージがありますが、政党の都道府県連(以下、県連)を仕切る実力者が、地元選出の国会議員を意のままに操る構図は決して東京都だけが例外というわけではありません。

選挙協力という切り札握る地元議員の強み
 2015年1月に行われた佐賀県知事選では、自公の推薦候補に対し、農協改革やTPPに反対する農協関連の政治団体が支援した候補が勝利。敗戦の責任を取って自民党県連の会長を務めていた国会議員は会長を辞任しましたが、保守分裂の選挙戦は事実上、党本部と県連の対立であり、地盤を固めている地方議員の結束の強さを見せつけました。

 県連では、会長が国会議員であっても、実質的な権力は地元の利害を調整できる地方の実力議員が握る、という図式は多くの地方でみられる権力構造です。都知事選の告示前に、元都知事の猪瀬直樹氏が「自民党都連会長は石原伸晃だが、会長は帽子で国会議員や都議会議員の公認権は都連幹事長の内田が握っている」と自身のブログなどで述べています。

 地方議員の力の源泉は選挙協力にあります。猪瀬氏も「副知事就任の直後に千代田区に建設が予定されていた参議院議員宿舎を潰した。千代田区基盤の内田は激昂した。そのため僕が都知事に出馬した際、ポスター2万枚が送り返されてきた。貼ってやらないというのである」と当時の苦境を明かし、自民党の推薦を受けなかったと明かしています。舛添要一氏のカネの問題に始まる都政の混乱は、猪瀬氏にしてみれば2012年12月の都知事選から延々と続く都連の問題であるとの認識のようです。

10月23日の福岡と東京の補欠選も保守分裂の戦いに
 公認争いが生じた場合、水面下では党本部と県連、あるいは党内の実力者同士の熾烈な綱引きが行われています。10月23日に行われる2つの衆院補選でも既に戦いは始まっています。

 鳩山邦夫元総務相の死去に伴う福岡6区と、小池百合子都知事の議員失職による東京10区の選挙戦は、いずれも保守分裂の様相を呈しており、福岡6区は党県連会長の長男と邦夫氏の次男が公認を争っています。東京10区では小池知事が新党結成も視野に入れて臨む方針で、党本部は世論の動向と来夏の都議選なども見据えた対応を検討しているとみられます。

追加公認は、負け戦を避け勝ち馬に乗る“ウラ技”
 こうした分裂選挙の対応として、最近ではどちらにも党の公認を与えず、無所属同士で戦わせて当選者に“追加公認”を与えるパターンが増えています。選挙が終わってから公認するというのは、有権者を蔑ろにしているようにも見えますが、関係者にとっては「事なきを得る」便法の1つです。党は勝ち馬に乗ることで負け戦を避けるメリットがあり、当選者は与党議員として政治活動を行い、次回の選挙でも公認候補として有利な戦いを期待できるメリットがあります。

4072名無しさん:2016/09/11(日) 23:12:07
http://www.asahi.com/articles/ASJ9B74C5J9BUTFK00J.html
「北極星のような星が消えた」 加藤紘一氏死去を悼む声
2016年9月10日22時30分

 加藤氏の訃報(ふほう)に、政界や地元では悼む声が広がった。

 宏池会を受け継ぐ岸田派会長の岸田文雄外相は「結果を出すべく、政策をどのように学ぶべきか教えて頂いた。偉大な先輩で、寂しく思います」と語った。自民党の茂木敏充政調会長は「要職を務め大きな功績を残された。突然で驚きを隠せない」と悼んだ。

 盟友だった山崎拓元自民党副総裁は「終生の畏友(いゆう)であった加藤氏の訃報に接し、強烈な衝撃を受けました。比類なき英智の持ち主であり、文字通り日本政界のトップリーダーの一人として活躍してこられた」とコメントした。

 加藤氏自身にとっても日本の政界にとっても大きな節目となった2000年の「加藤の乱」。鎮圧する側だった野中広務元幹事長は「あれが本当に大きな分かれ目だった。首相もできる人だったが、自滅した」と述懐。「あの人がうまくやっていれば、中国との関係も、その他の政治課題ももっと解決できた。惜しい人をなくした」と語った。自民党幹事長も務めた生活の党の小沢一郎代表は「彼の最初の立候補にも関わっており、一度は総理にと思っていただけに、それが果たせず亡くなってしまったことは、本当に無念でなりません」との談話を発表した。

 加藤氏は他党の議員とも交流が深かった。自社さ政権にともに参加した村山富市元首相は「立つ位置は違うが、加藤さんの人柄や能力は評価していた。ちゃんと見識を持ってものを言える人がいなくなって惜しいね」。辻元清美衆院議員は「保守リベラルの方向性を指し示してくれていた北極星のような星が消えてしまった」と惜しんだ。

 地元の山形選出の岸宏一前参院議員は「山形県にとって、立派な政治家を失った」と話した。加藤氏とは日中友好に尽くしてきた同県遊佐町の小野寺喜一郎前町長は「彼のライフワークでもある日中友好運動にともに取り組んできたが、尖閣問題で日中がぎくしゃくしている時期だけにアドバイスを頂ければと思っていた。残念です」。

 加藤氏の三女で、地盤を引き継いだ鮎子衆院議員は「7日に息子も連れて病院に会いに行った。私の活動報告などを聞いて、うなずいていた。娘としての寂しさもあるが、政治家としても残念」と話した。

4073名無しさん:2016/09/12(月) 00:03:36
http://blogos.com/article/190078/
鈴木宗男
2016年09月11日 12:12
9月11日(日) - ムネオ日記

 加藤紘一先生が9日亡くなっていたと昨夕のニュースで知る。77歳、早すぎる旅立ちである。

 加藤先生と言えば、「加藤の乱」が政治家としての大きな分岐点だった。あれは、2000年9月から10月にかけ、私は加藤先生から二度ほど相談を受けた事がある。

 「ムネさんの処から20人貸してもらえないか」私は、「加藤先生、あなたは保守本流自民党のエースです。必ず、森先生の後は、あなたしかいません。野中広務先生もそう思っています。野党と組んでのクーデターはいけません。自重して下さい」と二度とも同じ事を言った。

 その後も加藤先生の佐藤秘書から何度となく声がかかったが、私はブレなかった。加藤先生は勝負に出ようとしたが、結局は失敗に終わった。

 政治の世界、「たら」「れば」はないが、あの時、加藤先生も静かにしていれば、間違いなく森喜朗先生の後は加藤先生で、小泉政権誕生はなかっただろう。

 政治の世界、一寸先闇(ちょっとさきやみ)とはよく言うが、一寸(ちょっと)した判断で歴史は変わるのである。

 あの時、私は一つ感激した事がある。世論支持も下がり、森喜朗総理が弱気になっていた。日露関係に強い情熱を燃やしていた森総理が「鈴木さん、俺はダメかもしれない。加藤さんがなる可能性がある。もしそうなっても私に仕えたように、国益の為にも協力してやってほしい」と言われた事がある。

 同じ事を佐藤優さんにも言っていた事を後に知った。政敵になろうとしている人に心広く、温かい思いやりを持ち合わせ、何よりも「国益の為」と言った森総理の人柄、人情、諸々に胸が熱くなったものであった。

 今も森元総理に何かとお世話になっているが、尊敬と親しみをもって接している私である。「加藤の乱」の時、野中幹事長、鈴木総務局長、いわゆる野中、鈴木ラインと言われた時代で、「乱」を治めたのである。

 加藤紘一先生のご冥福をお祈りしてやまない。

4074名無しさん:2016/09/12(月) 00:05:52
http://www.sankei.com/politics/news/160910/plt1609100025-n1.html
2016.9.10 21:26
【加藤紘一氏死去】
評伝・加藤氏のリベラルとは「他人に対する思いやり」ではなかったか

 訃報に接し、平成13年2月、山形県鶴岡市の地元事務所を訪ねた際、揮毫してもらった色紙を自宅の机から引っ張り出した。

 「真実一路」

 昭和47年に33歳で初当選して以降、「宏池会のプリンス」として官房長官や自民党幹事長などを務め、あと少しで頂上に手が届くところで足元の加藤派を固めきれず、あえなく挫折した「加藤の乱」から約3カ月後のことだった。

 こうと信じるところが「真実」であり、貫き通していこうという覚悟のほどがうかがえる。一敗地にまみれ、たどり着いた心境ではなかったか。

 その政治手法をめぐり、快く思わない勢力からは「怜悧」「冷淡」「自分勝手」「優柔不断」などと批判された。ただ、東北人にありがちな「照れ」や「つつましさ」という性格の裏返しという面もあった。

 一方で、自民党を牛耳っていた旧経世会(竹下派)に対抗しようと、小泉純一郎元首相、山崎拓元自民党副総裁と結成した「YKKトリオ」で指導的な役割を果たすなど、現状に小細工なしで風穴をあけようとする強さも併せ持っていた。

 政治理念としていたリベラルについては、その重鎮としての強烈な自負心を持ち続けていた。振り返るに、加藤氏のリベラルとは「他人に対する思いやり」ではなかったか。

 数年前、都内で食事をともにする機会があった。体調を崩しており、数センチの段差につまずいて私の左肩に弱々しくもたれかかった。不意に政治向きの話題になったとき、こんな不満を漏らした。

 「自民党には信念を持った『リベラル』派がいなくなった。先々が心配だ」

 矜持(きょうじ)は最後まで揺らがなかった。(松本浩史)

4075名無しさん:2016/09/12(月) 00:17:45
http://mainichi.jp/auth/guide.php?url=%2Farticles%2F20160911%2Fddm%2F015%2F070%2F017000c
『YKK秘録』 著者・山崎拓さん
毎日新聞2016年9月11日 東京朝刊

 記憶に残る政治家がいる。今や歴史上の人物であり、幾度目かのブームとなっている田中角栄しかり。本書の著者もさまざまな重要局面で政治史に名を刻んだ政(まつりごと)の人である。
 田中角栄内閣時代に衆院議員となり、当選同期の加藤紘一、小泉純一郎両氏と盟友関係を結んだ。頭文字から「YKK」と称された3人は、旧田中派の金権支配と公共事業を巡る政官財癒着の打破を「暗黙知」として行動を共にした。ハイライトは2000年秋の「加藤の乱」とされる。森喜朗内閣打倒を目指す「YK」と森派会長の「K」が対立、後に「YKKは友情と打算の二重奏だ」と喝破した小泉氏がまさかの首相に上りつめる伏線となった“政変”である。
 「あの瞬間だけを捉えると、いがみあったイメージしか残らない。それはYKKの関係としては正確ではない。各派がしのぎを削って活況を呈した時代のシンボルが角栄なら、逆に我々は田中政治を否定する立場で言論戦を挑み、一時代を築いた。今の自民党を見るにつけ、『活力ある政治よ、よみがえれ』と思い、往時のことを継承するために書きました」。55年体制の崩壊前夜のトリオ誕生からYKK時代終焉(しゅうえん)に至る15年間を描いた。内外の政府高官、政治家ら登場人物は全て実名である。
 間近に接した番記者時代、著者が手帳にこまめにメモする姿を覚えている。内容を問うと、「『永田町動物園』の檻(おり)の外で面白おかしく見ているヤツには教えられん。議員バッジを着けてからや、フフフフフ」とけむに巻かれた。派閥の長たる自身をライオンにたとえて、死闘を日々繰り広げているのだと言いたかったのかもしれない。今回の『秘録』は、その克明な日記のたまものだ。
 注目すべきは、防衛族のドンであった著者の「変心」であろう。自衛隊海外派遣の過程で、日本が憲法解釈上禁じた集団的自衛権行使を可能にすべく、米側が解釈改憲を求めて着々と手を打つ姿をリアルに記した。違憲性が指摘される安全保障関連法についても、歴代政権が堅持した政府見解を<揺るがせる政権が誕生したことを、「時代の変化」と見過ごしてよいものだろうか>と一石を投じている。
 ハト派の加藤氏も逝ってしまった。政局劇の回想だけに終わらない、まさに憂国の書である。<文・中澤雄大 写真・中村藍>

4076名無しさん:2016/09/19(月) 11:22:19
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091500052&g=pol
山崎氏「最高のリベラル去った」=故加藤氏しのび合同葬

 9日に死去した加藤紘一元自民党幹事長の同党と加藤家の合同葬が15日、東京・南青山の青山葬儀所で営まれた。「YKK」として小泉純一郎元首相とともに盟友関係にあった山崎拓元副総裁は、加藤氏が生前、憲法9条改正に反対していたことを「君の遺言だ」と呼び掛け、「日本政界最強最高のリベラルがこの世を去った」と悼んだ。
 山崎氏はまた、加藤氏の失脚につながった「加藤の乱」について、「一度も止めなかった僕が悪かった。済まんという他ない」とわびた。小泉氏も参列し、「いずれ総理になると思っていた。惜しい人を亡くした」と弔辞を送った。
 葬儀委員長を務めた安倍晋三首相(党総裁)は「いわゆるYKKとして大きな旋風を巻き起こし、自民党政治に新しいダイナミズムを与えた」と故人をたたえた。 (2016/09/15-13:08)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091500605&g=pol
今後の主な政治日程

【2016年】
 9月 臨時国会召集
10月 衆院東京10区、福岡6区補選
11月 米大統領選
12月 プーチン・ロシア大統領来日
【17年】
  夏 東京都議選
【18年】
 9月 安倍晋三首相の自民党総裁任期満了
12月 衆院議員任期満了
【19年】
 4月 統一地方選
  夏 参院選
10月 消費税率10%に引き上げ(予定)
【20年】
 7月 東京五輪・パラリンピック(2016/09/15-15:23)

4077名無しさん:2016/09/19(月) 13:40:28
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091200429&g=pol
15日に加藤紘一氏合同葬=安倍首相が葬儀委員長-自民

 自民党は12日、故加藤紘一元幹事長の葬儀を15日正午から、東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で執り行うと発表した。党と加藤家の合同葬とし、葬儀委員長は安倍晋三首相(党総裁)が務める。喪主は妻愛子(あいこ)さん。
 二階俊博幹事長は12日の記者会見で、加藤氏について「わが党にとっては大変重要な任務を担って活躍されてこられた人物だ。大変残念に思っている」と悼んだ。菅義偉官房長官は同日の会見で「私が初当選した当時の幹事長で、ご指導を頂いた。ご冥福を謹んでお祈り申し上げたい」と語った。
 かつて加藤派に所属していた谷垣禎一前幹事長も、自身のグループの研修会に寄せたメッセージで、「誠に寂しい限りだ。残されたわれわれが頑張っていかなくてはと思う」と惜しんだ。 (2016/09/12-17:27)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091200672&g=pol
加藤紘一氏、友好に貢献=中国外務省

 【北京時事】中国外務省の華春瑩・副報道局長は12日の記者会見で、9日に死去した加藤紘一元衆院議員について、「中国人民の古い友人だ。中日友好に長く尽力し、重要な貢献をした。中国は高く評価している」と語った。加藤氏は日中友好協会の会長を務めるなど、両国関係に深く関わった。 (2016/09/12-18:41)

4078名無しさん:2016/09/19(月) 15:42:27
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160915/k10010687441000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_063
加藤紘一元自民党幹事長の葬儀営まれる
9月15日 16時00分
今月9日に亡くなった加藤紘一元自民党幹事長の葬儀が、15日、東京都内で営まれ、生前ゆかりのあった政界や経済界の関係者らおよそ1300人が参列し、別れを惜しみました。
自民党と加藤家の合同葬は正午から東京・港区の青山葬儀所で営まれ、生前ゆかりのあった政界や経済界の関係者らおよそ1300人が参列しました。
最初に葬儀委員長を務めた安倍総理大臣が「『政治家の使命は、地元に行って国政を論ずるのではなく、国政に向けて聞くことだ』という加藤先生の言葉は、自民党の議員全員が肝に銘じなければならず、常に国民と心を一つにしていた先生を失ったことは本当に残念でならない」と弔辞を述べました。
続いて、加藤氏、小泉元総理大臣とともに「YKK」と呼ばれる盟友関係にあった山崎元自民党副総裁は、「『YKK』の連帯は、政治にダイナミズムを与えた君の政治的レガシーの一つだ。日本の政界で最強最高のリベラルがこの世を去ったという思いだ。最後に、いわゆる『加藤の乱』については、一度も止めなかった僕が悪かった、すまんと言うほかはない」と追悼の言葉を述べました。
また、小泉元総理大臣は記者団に「あれだけ優秀な政治家も珍しく、みんないずれ総理大臣になる人だと思っていた。惜しい人を亡くし残念だ」と述べました。
最後に遺族を代表して、妻の愛子さんが「夫は勉強と研究に熱心で、闘病中も丹念に印刷物を切り抜き、10年後20年後の世の中の流れを思い描き、考え続けていた。思う存分生きたと思う」とあいさつしました。
このあと参列者は祭壇に花を手向け、別れを惜しんでいました。

4079名無しさん:2016/09/19(月) 20:28:50
http://blogos.com/article/190714/
田中弥生2016年09月15日 22:40
加藤紘一氏の葬儀に参列して 〜真の保守とは〜

「知的な香りの葬儀」
 加藤紘一氏の葬儀に参列させていただいた。加藤家と自民党の合同葬儀とされ、喪主は愛子夫人、委員長は安倍晋三内閣総理大臣がつとめた。仏壇の中央には、天皇陛下からの御仏前がおかれていた。参列者は現役大臣のほか、YKKで知られた山崎拓氏、小泉潤一郎ほか、著名な政治家OBらが並んだ。

 安倍総理他の政治家、程 永華中国大使のお別れの言葉は、政治家、外交官とし手腕をふるったの加藤紘一氏の思い出でつづられた。しかし、ジェラルド・カーチス氏と愛子夫人が語った氏は、研究者、教育者としての姿だった。愛子夫人によれば、氏の遺品から、几帳面に整理された記事や論文がみつかったそうだ。加藤氏はこうした資料を分析して、日本の未来を描こうとしていたらしく、研究者としての加藤紘一を再認識したと、夫人は語った。そのためであろうか、葬儀はしめやかさや静粛さにに加え、知的な香りが漂っていた。
「加藤氏との出会い」
 私にとって、加藤紘一氏との出会いは言論NPOのイベントだった。言論NPOとは、15年前に、オピニオン誌『論争東洋経済』の編集長だった工藤泰志氏が、当事者性のある知的言論空間を構築することを使命に創設したNPOだ。詳細は省くが、工藤氏が出版社を辞めて言論NPOを立ち上げる契機を作ったのが”加藤の乱”だったのだという。以来、加藤氏は、言論NPOの節目のイベントには必ず顔を出してくださった。同NPOが主催する「東京-北京フォーラム」には毎回出席され、流暢な中国語で講演をされた。病で足が不自由になられても、決して人の手を借りずに階段を降りる姿に政治家としてのプライドを感じた。

 その後、私は、NPO法や市民社会の問題で何度が教えていただく機会をいただいた。当時、筆頭秘書だった五反分正彦氏も熱心に議論に参加してくださった。言論NPOとの共催で立ち上げた非営利組織評価研究会では、講義をしていただいたり、インタビューに応じていただいたが、その内容がブックレット『日本の未来と市民社会の可能性』(言論NPO、2008年)に記されている。改めて読み返してみると、そこには、リベラル派の加藤氏の真骨頂が記されていることがわかる。

4080名無しさん:2016/09/19(月) 20:29:39
>>4079

「加藤氏の語った真の保守」
 加藤氏は、なぜNPOなのかという問いかけに対して、まず映画『はなれ瞽女おりん』を語り出す。「貧乏な農家に盲目の女の子が生まれる。貧しい夫婦にはとても負担になってその子を置いて夜逃げをしてしまう。すると村人たちが集まって、相談する。村のリーダーがとんとんと話すと、ある者はご飯を食べさせ、ある者は子供のお下がりをもってくる。女の子が育ってくると村人は将来のことを案ずるようになる。そこで、盲目の女性に歌や芸を身につけさせて経営をする瞽女宿、つまり就職先を探してくる。」

 映画の中の一連の出来事を、加藤氏は、「一人の視聴覚障害者に対する社会福祉政策、今で言えば、福祉事業のなかの何とか事業と行政的に言われる筋合いのものですが、それがほとんど皆の相談ごとでさっさと進んでいく。きわめてパブリックのことを、お上ではなく、人々がうまく処理していく。」と述べている。

 加藤氏がこれを語ったのは2008年だが、当時は新自由主義を基調とする政策が主流だった。加藤氏は、こうした状況について「社会に隙間ができ、ぎくしゃくするし、政府機能は縮小されてゆくので、公的な活動を積極的に担う人々にがんばってもらわねばならない。」と述べている。そして、NPO法人はそのために必要な仕組みになると考え、熱心に法人制定に尽力していた。
 さらに、本著で、加藤氏は、保守の本質ともいえる持論を展開している。「私は、山形県の鶴岡という、藤沢修平生誕の地で生まれ育ってきたのですが、私たちの保守という基盤はどういうものであったかというと、パブリックなことに貢献する人たちの集まりが実は保守なのです。よく自民党の基盤は特定郵便局だとか、建設業界とか遺族会とか言われていますが、それはここ20年くらいの話でして、本来の自民党の基盤というのは、地域社会のなかで、自分の地域の存在、または存続に責任を持つ側に立とうという人たちの集まりなのです。」

 では、パブリックに貢献する人とはどのような人なのか。加藤氏は、村の祭りを例にとり、「静かに寄付をして、まとめやく側にたって要求をしない。また、祭りの準備のためにより多くの時間をボランティアとして費やす。そして、地域社会には要求型の人もいるからこれがぶつかり合うとまとまらない。先の人々は、まとめ役に側にたって要求側に立たない。」と述べている。つまり自発的に貢献をし、自らの要求を抑えてでもまとめ役を担う人がパブリックに貢献する人だというのだ。そして、保守とはこういう人々の集団、つまり公益のために尽力する人々の集団だというのだ。

 加藤氏の論説を久しぶりに読んではっとさせられた。氏は、NPO法人制度はじめ数多の制度を作ってきたが、氏が語っているのは決して制度や仕組みの話ではないのだ。さらに、NPOなどの組織の話でもない。それは、個々人の生き方の話なのである。 

 天国の加藤氏は、きっとこうおっしゃるに違いない。「制度はつくったが、魂を入れるのは君たちだよ。われわれ日本人に馴染む、地に足のついたパブリックをつくる責任が、君たちにあるのだよ」。

4081名無しさん:2016/09/19(月) 22:32:42
>>4061

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091600363&g=pol
故前田元法相に正三位

 政府は16日の閣議で、8月22日に死去した前田勲男元法相を正三位に叙することを決めた。前田氏は生前、旭日大綬章を受けている。(2016/09/16-11:36)

4082名無しさん:2016/09/19(月) 22:36:43
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091600852&g=pol
「二重国籍、他にも」=神津連合会長

 連合の神津里季生会長は16日の記者会見で、民進党の蓮舫代表の「二重国籍」問題に絡み、「実は二重国籍だという議員が(他にも)結構いると聞く」と述べ、蓮舫氏以外にも存在する可能性を指摘した。ただ、「あまり目くじらを立ててどうこうということではない」とも語り、問題視しない考えを示した。 
 神津会長は、同党の新体制について「新しいモードで発信力、明快さを持ち合わせている蓮舫氏のかじ取りに期待したい」と語った。(2016/09/16-20:20)

4083名無しさん:2016/09/19(月) 23:00:42
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091900255&g=pol
二重国籍、何が問題=「蓮舫首相」は可、禁止の動きも-ニュースを探るQ&A

 民進党代表選で初の女性党首となり、注目を集める蓮舫氏。日本国籍以外に台湾(中華民国)籍を持つ「二重国籍」状態だったことが明らかになったが、そもそも何が問題なのか整理してみた。

 -なぜ二重国籍になったの?
 蓮舫氏は1967年、日本生まれ。父親が台湾人なので、当時の国籍法の決まりで生まれた時から台湾籍だった。17歳の時の85年1月に改正国籍法が施行され、日本人の母親を持つ蓮舫氏は、希望すれば日本国籍を持てることになった。蓮舫氏の説明では、この時に日本国籍を選択し、台湾籍を離脱したつもりでいたそうだ。
 今回、二重国籍と指摘された蓮舫氏は、台湾当局に問い合わせたものの、すぐには確認が取れなかった。9月6日に「念のために」と離脱申請をやり直したが、12日に「台湾籍が残っていた」との回答があったという。
 -国籍法の規定を教えて。
 日本の国籍法は、二重国籍の国民は「いずれかの国籍を選択しなければならない」と定めていて、日本国籍を選んだ人には、外国籍を離脱したことの確認を求めている。だが、実際には国籍離脱を認めていない国もあって、外国籍離脱は「努力義務」にとどめているんだ。
 -日本と台湾は国交がないよ。
 国籍事務の現場では台湾籍も国籍と同じように扱われるから、日本国籍を取得した在日台湾人は台湾籍の離脱を求められる。ただ、台湾の法令は台湾籍離脱に当局の「許可」が必要と定めていて、必ず認められるわけではない。蓮舫氏自身、手続きを終える時期について「相手があることで断言できない」と説明している。
 -二重国籍でも首相や閣僚になれるの?
 日本国籍があれば問題はない。国会議員も同じだ。ただ、外交官については、外務公務員法で外国籍を持つ者の採用を禁止している。
 -蓮舫氏は問題ないのでは?
 結果として法令を順守していなかったことに加え、説明が二転三転したことで、リーダーとしての資質を疑問視する声が出ている。インターネットなどで「二重国籍疑惑」が指摘された当初、蓮舫氏は「(台湾)籍は抜いている」「疑惑はない」などと明確に否定していた。疑いを晴らそうと、不確かな記憶や情報に基づいて答えたことで、かえって不信感を高めてしまった。日本維新の会は、国会議員などの二重国籍を禁じる法案を準備していて、26日に始まる臨時国会でもこの問題を追及する構えだよ。(2016/09/19-17:29)

4084とはずがたり:2016/09/20(火) 18:42:54

伊藤茂氏が死去、88歳=社民副党首、運輸相を歴任
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160920-00000055-jij-soci
時事通信 9月20日(火)10時54分配信

 社民党副党首や運輸相を歴任した伊藤茂(いとう・しげる)元衆院議員が11日死去した。

 88歳だった。山形県出身。葬儀は近親者で済ませた。

 旧社会党職員を経て76年衆院選に旧神奈川1区から出馬し、初当選。連続8回当選した。土井たか子委員長の下で政審会長を務め、93年に発足した細川連立内閣に運輸相として入閣。社会党から党名を変えた社民党で幹事長、副党首を歴任した。

4085名無しさん:2016/09/22(木) 13:04:40
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160915-00006570-sbunshun-pol
21世紀の政治潮流を作った男・加藤紘一逝く
週刊文春 9月15日(木)12時1分配信

 加藤紘一元自民党幹事長が9月9日、77歳で死去した。21世紀の政治潮流を生み出す「産婆役」を、皮肉な形でつとめることになった政治家だった。

「おれは宏池会の国対族だから」

 1990年代初頭、加藤氏は名門派閥・宏池会(現岸田派)で無役のころ、よくこう自称した。宮沢喜一元首相ら東大ストレート合格、旧大蔵官僚出身者が綺羅星のごとく並ぶ宏池会で、加藤氏は一浪、大学生活も5年で外務省入省だった。一般人からみればエリートでも、宏池会においては劣等感を感じていた。「お公家集団」と呼ばれた宏池会の中で、国会対策や政局対応を「得意」としたのは、こうした事情があった。

 大平内閣の官房副長官として頭角を現し、田中派の小沢一郎氏と交友を深めるなど順調にキャリアを築いたが、リクルート問題に名前があがって躓(つまず)いた。政治資金には苦労し、これが後に脱税容疑で逮捕された佐藤三郎元秘書を重用し、事務所の主導権を握られる結果を招いた。

 内政では財政再建、外交では「日米中正三角形論」を唱えるなど、保守リベラルの代表格。だが、幹事長になり、「いつかは首相になる男」と誰もが見るようになった90年代後半から、加藤氏には傲慢さが目立ち始めた。

「加藤の乱」直前には「おれが総理になるのは分かっている。問題はいつ総理になり、何をやるかだ」と内輪では漏らすほどになっていた。そして加藤の乱で「私は幹事長の野中(広務)さんより修羅場をくぐっている」とのセリフを吐いたが、経世会で権力闘争を経験してきた野中氏に、ワルを装う加藤氏がかなうはずはなかった。加藤氏に近かった幹事長経験者はこう述懐する。

「加藤さんは2つ間違えた。あのタイミングで決起したこと。そして、最後に腰砕けになったこと。あのまま突っ込んでいれば、一度は敗れても、改革派として再起のチャンスがあった」

 加藤氏の改革路線は、YKKトリオで末っ子とみられた小泉純一郎氏がそっくり受け継ぎ、首相として自民党を変えた。加藤氏の“墜落”は、自民党リベラルの敗北でもあった。保守本流の小渕派、加藤派に劣後していた「清和会」が全盛を迎える。「加藤の乱」がなければ、小泉政権はなく、安倍晋三氏が戦後最年少で総理に就任することもなかった。「決断」の重さを知らしめた政治人生だった。


<週刊文春2016年9月22日号『THIS WEEK 政治』より>

「週刊文春」編集部

4086名無しさん:2016/09/22(木) 13:52:02
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091200429&g=obt
15日に加藤紘一氏合同葬=安倍首相が葬儀委員長-自民

 自民党は12日、故加藤紘一元幹事長の葬儀を15日正午から、東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で執り行うと発表した。党と加藤家の合同葬とし、葬儀委員長は安倍晋三首相(党総裁)が務める。喪主は妻愛子(あいこ)さん。
 二階俊博幹事長は12日の記者会見で、加藤氏について「わが党にとっては大変重要な任務を担って活躍されてこられた人物だ。大変残念に思っている」と悼んだ。菅義偉官房長官は同日の会見で「私が初当選した当時の幹事長で、ご指導を頂いた。ご冥福を謹んでお祈り申し上げたい」と語った。
 かつて加藤派に所属していた谷垣禎一前幹事長も、自身のグループの研修会に寄せたメッセージで、「誠に寂しい限りだ。残されたわれわれが頑張っていかなくてはと思う」と惜しんだ。 (2016/09/12-17:27)

4087名無しさん:2016/10/02(日) 01:50:06
>>4067

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016093000275&g=pol
故粟屋敏信元衆院議員に従三位

 政府は30日の閣議で、今月4日に死去した粟屋敏信元衆院議員を従三位に叙することを決めた。粟屋氏は生前、旭日重光章を受けている。 (2016/09/30-10:33)

4088名無しさん:2016/10/02(日) 11:21:16
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160921-00010000-senkyocom-pol
蓮舫議員の「二重国籍」疑惑、公選法違反の可能性を専門家に聞いてみた
選挙ドットコム 9月21日(水)10時31分配信

「二重国籍」疑惑とは?
9月15日実施の民進党代表選挙で優勢を保つ蓮舫参議院議員。ところが、アゴラに掲載された八幡和郎氏の記事をきっかけに、全国紙でも蓮舫議員の「二重国籍」疑惑についての報道がなされ、注目が集まっています。

仮に二重国籍であったなら、立候補は問題なかったのか、国籍についての詐称は当選無効に値するのではないか、という声も上がっています。果たして蓮舫議員の疑惑は、公選法違反に問われるものなのか検証してみました。

蓮舫議員は「1967年 東京都生まれ 台湾人の父と日本人の母との間に生まれ(公式HPより)」、36歳の2004年の参院選東京選挙区で初当選し、現在3期目です。6日の記者会見では国籍について次のように述べています。

「昭和60年に日本国籍を取得し、台湾籍の放棄を宣言した。このことによって私は日本人となった。日本国籍を日本の法律のもとで選択しているので、台湾籍は有していない」(NHK9月7日)

蓮舫議員の「二重国籍」疑惑とは、この台湾籍が本当に放棄され、日本国籍のみになっているのかという疑惑です。また、その事実によっては蓮舫議員のこれまでの言説が経歴詐称ではないかという声も上がっています。

日本の国籍を選択する場合は「外国籍を離脱する」か「日本国籍を選択し外国籍を放棄する宣言」をしなければなりません。蓮舫議員の説明では後者を選んだものと思われますが、この制度には以前から下記のような指摘もあります。

日本国籍を選択して外国の国籍を放棄する宣言は、我が国に対しての宣言であり、直ちに二重国籍の当該外国に何らかの影響を及ぼすものではない。我が国と同様な法制を採っている国においては、日本国籍を選択することによって自動的に当該国の国籍を喪失することもあり得るが、なかなか離脱ができない法制の国もあるため、離脱ができるような条件になれば外国籍を離脱して日本国籍のみにするよう努めなければならない旨を訓示規定として置いており、それに従わないからといって直ちに日本の国籍を喪失させることまでは考えていないため、外交上特に問題になることはない。(参議院調査室作成資料『立法と調査』平成21年8月1日掲載論文「重国籍と国籍唯一の原則」より抜粋)

つまり、蓮舫議員が「日本国籍を選択し外国籍を放棄する宣言」をしただけでは、真に台湾籍が放棄されたわけではない可能性があり、「改めて台湾に確認を求めているが、今なお確認はとれていないので、台湾籍を放棄する書類を提出した」と報じられています。(NHK9月7日)

4089名無しさん:2016/10/02(日) 11:21:37
>>4088

二重国籍での立候補は問題なし!
日本の国籍法は「国籍唯一の原則」を掲げる一方、重国籍者への罰則はなく外国籍の離脱は努力義務としています。実際、重国籍者は多数存在しており、選挙においては重国籍者であっても日本国籍があり、所定の年齢に達していれば、選挙権・被選挙権は有することになるので、有権者・候補者としてすでに多数関わっていると思われます。このことは、昭和37年11月15日の法務省入国管理局宛の自治省選挙部の回答でも是認されています。

例えば二重国籍の候補者の例として、2007年参院選に日本とペルーの二重国籍を持つ元ペルー大統領のアルベルト・フジモリ氏が国民新党から全国比例で立候補した件が挙げられます。上記論文でも次のように明言しています。

被選挙権と重国籍との関係については、公職選挙法上は重国籍者を排除する規定はなく、これまでのところ、重国籍者の選挙権行使、選挙による選出、公職への就任により何らかの障害が生じた事例はない 。(同上論文より抜粋)

このことから、仮に蓮舫議員が二重国籍状態であったとしても参院選への立候補は公選法違反にはあたらないことになります。

経歴詐称によって当選無効になったケースも
ただし、もし事実に反して経歴詐称を行っていた場合は公選法第235条の「虚偽事項の公表罪」に当たる可能性があります。

(虚偽事項の公表罪)
第235条 当選を得又は得させる目的をもつて公職の候補者若しくは公職の候補者となろうとする者の身分、職業若しくは経歴、その者の政党その他の団体への所属、その者に係る候補者届出政党の候補者の届出、その者に係る参議院名簿届出政党等の届出又はその者に対する人若しくは政党その他の団体の推薦若しくは支持に関し虚偽の事項を公にした者は、2年以下の禁錮又は30万円以下の罰金に処する。

分かりやすく言うと、当選するために身分、経歴、所属などを偽ると罰せられる、ということです。過去の選挙では主に学歴詐称でこの罪が問われた例が2件あります。

(1)1992年参院選で当選した民社党の新間正次議員(当時)が、学歴詐称の嫌疑で在宅起訴され、その後有罪判決が確定したため当選無効となった。

(2)2003年衆院選で当選した民主党の古賀潤一郎議員(当時)が、選挙に際して公表した学歴の詐称疑惑により刑事告発され自ら議員辞職した。

4090名無しさん:2016/10/02(日) 11:22:01
>>4089

蓮舫議員は「虚偽事項の公表罪」か?専門家に聞くと
では、蓮舫議員の一連の疑惑から「虚偽事項の公表罪」の可能性はあるのでしょうか。選挙ドットコム顧問で選挙管理アドバイザーの小島勇人氏に聞くと、次の答えが返ってきました。

過去の参院選挙において、蓮舫氏が配布したビラや選挙公報、ポスター等にどのような記載があったのか。公開討論会や質問状、取材等で、国籍問題について聞かれていた場合、そこでどのような回答をしていたのかによる。当選しようとするために事実と異なる記載や回答をしていたのであれば、虚偽事項の公表にあたる恐れがないとは言い切れないであろう。最終的には司法の判断に委ねられる。(選挙管理アドバイザー/小島勇人氏)

つまり、選挙時において国籍をどのように説明していたのかがポイントになるということです。この点、今夏参院選時の選挙公報には何も表記されていませんでした。
ネット上では、初当選の2004年時の公報に「1985年、台湾籍から帰化。」と明記されていることが話題になっています。

9月9日にYAHOO!ニュースへ掲載された「国籍放棄問題の渦中にある蓮舫氏、単独インタビュー」において、蓮舫議員は「自分がいわゆる『二重国籍』であるという認識はありませんでした」と明言し、この「帰化」という表現については以下のように答えています。

――過去の選挙広報で「帰化」という言葉を使っていたこともありましたが、厳密に言うと、帰化は成人の場合にのみ使うので、正しくは国籍取得ですね。
広い意味で国籍取得も帰化も同じように日本人になったことを指すと思って使っていたのであり、他意はありません。

インタビュー記事内には、1985年に蓮舫議員が日本国籍を取得したことを証明する書類も公開されていますので、「1985年、日本国籍を取得」と書いておけば公選法上の問題はなかったと思われます。

ネット上では、「台湾籍から帰化」と記載したことが、「台湾国籍を放棄した」という印象を与えるため、仮に二重国籍であった場合には虚偽事項の公表にあたるのではないかという指摘があります。この点については、学歴詐称とは異なり、過去に判例がありませんので小島氏の発言にもあるよう、最終的には司法の判断に委ねられると考えられます。

選挙ドットコム

4091名無しさん:2016/10/02(日) 11:29:05
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160928-00010000-senkyocom-pol
「小池新党」の成否。新党は都議選で勝てるのか?
選挙ドットコム 9月28日(水)19時4分配信

連日、小池百合子新都知事の動向に注目が集まっています。築地市場の移転延期問題についても連日ワイドショーで取り上げられ、多くの都民の知るところとなりました。ここまで都政に関心が集まったことはいまだかつてないのではないでしょうか。今日から始まる都議会を前に、噂される「小池新党」の可能性と、来年の都議選での闘いを私なりに予想してみました。

都政改革スタート
小池都知事は8月16日に築地市場の豊洲新市場への移転問題について現地視察を行い、31日には豊洲の安全性の問題を理由に移転の延期を表明。9月1日には「都政改革本部」を設置し、2020年東京オリンピック・パラリンピックの予算経緯について、9月中に中間報告としてまとめる方針を発表するなど、都知事選で掲げた「都政大改革」を実行する姿勢を打ち出しています。
今後、都議会や利害関係者を巻き込んでの激しい議論が交わされるのは間違いありません。特に都議会議員60人を擁する最大会派自民党の出方が注目されています。改革を掲げる小池知事と都議会自民党の対決構図が深まれば、小池知事が新党(地域政党)を立ち上げ、都議選に独自候補を擁立する可能性は高まります。

地域政党の成功事例
本来、二元代表制では首長と議会議員は別の選挙で選ばれており、適切な緊張関係を持ちながらそれぞれが住民福祉の向上に取り組むべきとされています。首長に対しての与党・野党という言い方は本来、成立しないはずですが、多くの地方自治体では首長の選挙を与野党+連合が推薦し、議会の大半の会派が「首長与党」を自認するのが当たり前となっています。議事機関であるはずの議会は、十分な議事を行わずに議決を行うため、首長の「追認組織」「慣れ合い議会」と揶揄されているのが現状です。
ごくまれに、相乗り推薦の候補を破って改革派と呼ばれる首長が誕生した際に、選挙での怨恨を引きずって議会と鋭く対立してしまうケースがあります。議事機関である議会が、住民福祉の向上という原点を忘れて首長憎しで議事を放棄するような混乱も、過去には見られました。こうした「対立議会」を打開するために、首長が議会議員選挙に乗り出していくという手段の一つが「◯◯新党=地域政党」です。

地域政党の最初の成功事例は、2006年7月の滋賀県知事選挙で当選した嘉田由紀子知事(当時)を支援した「対話でつなごう滋賀の会」です。知事選後、新幹線新駅やダム開発を巡って知事と議会が鋭く対立する中、同会が2007年4月の滋賀県議会議員選挙で「確認団体」の届け出を行い、多数の候補を擁立。一定の議席を獲得し、滋賀県議会の歴史上初めて、自民党を過半数割れへと追い込みました。
その結果、嘉田知事の県政運営は安定し、2期目の圧勝へとつながっていったのです。滋賀の事例は、首長だけでなく議会選挙でも勝利した「完全なる政権交代」の事例として、マスコミにも取り上げられました。
滋賀県の成功事例をもとに、地域政党として最大の勢力を持つに至ったのが 橋下徹大阪府知事(当時)が大阪都構想実現を掲げて結党した「大阪維新の会」です。ちなみに名称変更した「日本維新の会」は国政政党であり、「大阪維新の会」とは別の政治団体になります。現在、地域政党と国政政党の2つの「維新の会」が存在し、それぞれが地方政治と国政で役割分担をして存在しています。

「大阪維新の会」は自民党を離党した大阪府議、市議が中心となり結成され、11年4月の選挙において、大阪府議会で戦後初の過半数獲得、及び大阪市議会と堺市議会における第1党となり、大きく勢力を拡大しました。
滋賀・大阪ともにこれまで議会議員選挙に注目が集まることはありませんでしたが、人気のある首長が自民党との対立構図を鮮明にし、マスコミの注目を集め、有権者の関心を高めていったことで投票率も上がり、選挙戦を優位に進めました。

4092名無しさん:2016/10/02(日) 11:29:22
>>4091

新党の結党
来年6〜7月に実施予定の都議選は都内を42選挙区に区割りして行われます。
小池知事には依然として無党派層を中心とした支持層が多数見込まれるため、区部を中心に定数3以上の19選挙区と、2人区の16選挙区に有力な候補者を擁立できれば、大阪のように過半数を取得するのは難しいかもしれませんが、一定の議席を獲得し、都政におけるキャスティング・ボートを握る可能性は十分考えられます。
小池新党の成否はとにかく世間の関心を引き続けることができるかどうかにかかっています。当面は都政改革に集中するという小池知事ですが、今月28日から始まる都議会の行方が注目されます。
築地移転問題や五輪予算の経緯について、「開かれた都政」にふさわしい形で議論が進むことを期待しています。そしていつ新党結成のカードを切るのか、どのような手法で「同志」を集めるのかにも、引き続き注目したいと思います。

松田馨

4093名無しさん:2016/10/09(日) 10:53:23
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016100400271&g=pol
故加藤紘一氏に旭日大綬章

 政府は4日の閣議で、9月9日に死去した加藤紘一元衆院議員を正三位に叙するとともに、旭日大綬章を贈ることを決めた。 (2016/10/04-10:44)

4094名無しさん:2016/10/09(日) 13:20:18
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016100800251&g=pol
二重国籍議員は「十数人」=馬淵民進選対委員長

 民進党の馬淵澄夫選対委員長は8日、奈良市での会合で、二重国籍状態にある国会議員が「十数人いるようだ」と発言した。個人名や所属政党、根拠などは明らかにしなかった。

 二重国籍をめぐっては、同党の蓮舫代表の台湾籍が最近まで残っていたほか、自民党の小野田紀美参院議員に米国籍があることが判明した。(2016/10/08-19:03)

4095名無しさん:2016/10/09(日) 22:56:25
http://www.sankei.com/politics/news/161009/plt1610090003-n1.html
2016.10.9 00:15
二重国籍の国会議員は十数人 馬淵澄夫・民進党選対委員長が言及

 民進党の馬淵澄夫選対委員長は8日、奈良市での会合で、二重国籍状態にある国会議員について「今国会内で十数人いるようだ」と述べた。ただし、個人名や所属政党、どのようにしてそれが分かったかなどには言及しなかった。

 二重国籍問題をめぐっては、同党の蓮舫代表が9月の党代表選の最中まで台湾籍を持ち続けていたことが発覚。その後、自民党の小野田紀美参院議員に米国籍が残っていることも判明している。

4096名無しさん:2016/10/11(火) 00:06:34
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161005-00000509-san-pol
民進・蓮舫代表の「二重国籍」問題を不問に付す自民 今からでも遅くはない、辞職勧告を突き付けよ
産経新聞 10月6日(木)10時15分配信

 臨時国会が召集され、与野党は日々、論戦を戦わせている。民進党の蓮舫代表の日本国籍と台湾籍のいわゆる「二重国籍」問題は、9月23日に蓮舫氏が台湾籍の離脱手続きの完了を明らかにしたことで、まるで存在しなかったかのように過去の話となりつつある。9月28日に代表として初めて参院本会議で代表質問に立った蓮舫氏が自身の失態に言及することはなかった。

 自民党の二階俊博幹事長も9月25日放送のラジオ日本番組で「われわれはこの問題に対して何かモノを申し上げることはない」と宣言した。その言葉通り、9月27〜29日の衆参代表質問で質問に立った自民党議員が蓮舫氏の二重国籍問題を取り上げることはなかった。自民党として不問に付したということだろう。

 折しも、自民党の小野田紀美参院議員にも米国籍との二重国籍が判明した。蓮舫氏を攻撃しづらい環境かもしれない。とはいえ、このままでは自民党にも連帯責任が生じることになりかねない。

 蓮舫氏は旧民主党政権の菅直人首相、野田佳彦首相によって行政刷新担当相などに任命された。蓮舫氏は当時から日本国籍を保有していたとはいえ、「日本国籍以外の“国籍”を持った人物」が天皇陛下の認証を受けたということだ。

 蓮舫氏が「記憶違いだった」などの陳腐な言い訳をしようとも、民主党政権は結果的に二重国籍の人物を内外に知らせないまま閣僚に据え、陛下による認証という尊厳ある行為を辱め、日本の政治の中枢に関与させた。菅、野田両元首相も“共犯”ということだ。蓮舫氏がその野田氏を幹事長に指名したのは、悪い冗談にしか聞こえない。

 問題が大きく表面化していなかった当時ならともかく、蓮舫氏の二重国籍が明確に判明した後も日本の政治史に泥を塗る行為を問題だと思わない自民党の感覚もどうかしている。

 これほど重大な事態なのに、ある自民党幹部は「いちいち相手にする必要もない。民進党が自滅していくだけだ」と“高みの見物”を決め込む。これこそ政権与党のおごりではないか。国政に携わる者としての自覚と責任が欠如している。

 この問題に及び腰となっている理由として自民党内で聞こえてくるのが、「追及したら人種差別にならないか」「ヘイトスピーチにならないか」との懸念だという。

 まったく論点がずれている。今回の問題では、父親が台湾籍、母親が日本人の蓮舫氏の出自が責められているわけではない。国籍という基本的なことについて、閣僚も務め、首相を目指すと公言している野党第1党の党首が正当な手続きを踏んでおらず、ことの重大性を省みずに場当たり的な説明でお茶を濁そうとしたことが問題なのだ。

 差別問題だとの指摘は、「多様な価値は重要だ」などと述べて蓮舫氏を擁護した民進党の岡田克也前代表同様、意図的に論点を反らそうとしているとしか思えない。

 国会議員たるもの、自身が国籍法で禁じた二重国籍であってはならないことは論をまたない。日本維新の会は9月27日、国会議員の二重国籍を禁じる公職選挙法改正案を参院に提出した。今まで明確に禁止した法律がないためだが、こんなことは、あえて法律で縛るまでもない常識だ。蓮舫氏はその基本が欠如していたのだから、議員の資格さえ満たしていないと言わざるを得ない。

 もっとも、自民党内にも危機感を募らせる議員はいる。伊吹文明元衆院議長は9月19日のフェイスブックで二重国籍問題を取り上げ、以下のように主張した。

 「日本の安全保障と国益を背負う外交の最終責任者となる可能性のある人が、交渉相手となりうる国や地域の籍を持っていては、国民は安心して国を委ねられません。法的に問題はなくとも、いささかの疑問も持たれない矜持こそが統治能力の原点です」

4097名無しさん:2016/10/11(火) 00:06:45
>>4096

 「台湾籍を持つ人を閣僚にし、台湾の利害に係わるかも知れない案件の閣議決定に参画させていた旧民主党当時の統治への考えの安易さから抜け出せず、今回は台湾籍の有無を確かめずに党首選に出馬した人を党首に選ぶ民進党の統治能力に、良き日本政治のため、民進党に期待している人が憂慮しているのです」

 全くその通りだ。また、小野寺五典元防衛相は9月15日のBSフジ番組で「閣僚になるとさまざまな情報が入り、守秘義務がある。そういう状況の中で台湾籍のまま日本の閣僚をやっていれば当時の政権自体が問われる」と批判した。

 ほかにも「一番の問題は蓮舫氏の資質だが、民進党内に差別だと言っている人がいる。どうして差別なのか。差別でもなんでもない」(青山繁晴参院議員)との声も出ている。だが、これらは自民党の主流の意見とはなっていないのが現実だ。9月以降、産経新聞のみならずインターネットでも二重国籍の問題が取り上げられていたにもかかわらず、「そんなに問題か?」とうそぶいた党幹部もいた。

 野党時代の自民党は違った。失政続きの民主党政権を徹底的に追及し、約3年3カ月で政権を奪取した。例えば、平成22年9月に発生した尖閣諸島(沖縄県石垣市)沖で中国漁船による海上保安庁巡視船への衝突事件を穏便に済まそうとした菅政権を批判し、23年3月の東日本大震災および東京電力福島第一原発事故でも菅政権の失態を追及した。

 それは単に政権奪還だけが目的ではなく、民主党政権のままでは日本の将来が危ういと感じたからではないか。民主党が衣替えした民進党は蓮舫氏の下、再び政権交代を目指している。今度は日米安全保障条約廃棄と自衛隊解消を唱える共産党も民進党と連携を進めようとしている。

 長期に安定する安倍晋三政権であぐらをかいている場合ではない。重大な問題を「記憶違い」で済ます蓮舫氏は、もはや何を言っても説得力がなく、首相の資質、資格がないことは明瞭だ。そして二重国籍者が閣僚を務めていたことを追及しない「大人の対応」は、むしろ自民党の品格をおとしめる行為になる。今からでも遅くはない。自民党は蓮舫氏に対し、議員辞職勧告を突き付けるべきだ。(政治部 酒井充)

4098名無しさん:2016/10/15(土) 12:59:43
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161010/k10010724771000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_099
加藤紘一元自民党幹事長 お別れの会
10月10日 17時39分
先月亡くなった加藤紘一元自民党幹事長のお別れの会が、地元の山形県鶴岡市で営まれ、政界関係者や地元の支援者などが別れを惜しみました。
先月9日に亡くなった加藤元自民党幹事長のお別れの会は、10日午後、加藤氏の地元、山形県鶴岡市で営まれ、生前親交のあった政界関係者や地元の支援者などおよそ1200人が参列しました。

最初に、自民党山形県連の会長を務める遠藤前オリンピック・パラリンピック担当大臣が「加藤先生は政界の中枢で保守政治の王道を貫き、時には孤高を恐れず、正義を貫く精神性は、自民党にとどまらず日本政治全体に大きな影響を与えた」と弔辞を述べました。

また、加藤氏の秘書を務めた経験もある中谷前防衛大臣は「政治家は、真実一路、信念をもって筋を通して人を動かし、世の中を変えていくものだということを教えていただいた」と故人をしのびました。

このあと、遺族を代表して三女の加藤鮎子衆議院議員が「『地域に根ざした保守』という父の遺志を受け継ぎ、国や地域のために汗をかいていくことをお誓い申し上げたい」とあいさつしました。
参列者は、祭壇に掲げられた加藤氏の遺影の前で、花を手向け、手を合わせて別れを惜しんでいました。

4099とはずがたり:2016/10/21(金) 12:51:18

小坂憲次氏死去、70歳=文科相、議運委員長歴任
http://news.livedoor.com/article/detail/12176174/
2016年10月21日 12時36分 時事通信社

 元自民党衆院・参院議員で、文部科学相など政府や国会の要職を歴任した小坂憲次氏が21日午前、東京都内の病院で死去した。70歳だった。長野市出身。葬儀の日程は未定。

 小坂氏は慶大法卒。1990年の衆院選旧長野1区で初当選。当選6回。2009年衆院選で落選した後、10年参院選比例代表にくら替え出馬し当選した。参院当選は1回。在職中、文科相のほか、衆院議院運営委員長、党参院幹事長を歴任した。

 昨年11月、悪性リンパ腫との診断を受けたことを公表。治療に専念するとして、今年7月の参院選への出馬を見送った。

4100とはずがたり:2016/10/23(日) 07:25:57
出家されたそうな。

人生は夕方から楽しくなる
俳優・中村敦夫さん
http://mainichi.jp/articles/20161021/dde/012/070/003000c
毎日新聞2016年10月21日 東京夕刊

俗世捨ててなお…「究極の演劇」追う
 紺色の作務衣(さむえ)を身にまとい、頭は磨かれたように光っている。俳優、報道キャスター、参院議員などさまざまな分野でスポットライトを浴びてきたこの人。東京・世田谷の自宅で記者を出迎えた姿は、まるで仙人のようだ。今年5月、知人が住職を務める徳島市の寺院で、出家の儀式を執り行ったという。

 「環境主義を唱える自分の思想的根拠を求めるとしたら、仏教に行き着く予感がありました。仏教の基本は『…

4101名無しさん:2016/10/23(日) 07:27:47
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161021/k10010737931000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_037
小坂憲次元文部科学相 死去
10月21日 13時04分
自民党の元衆議院議員で、文部科学大臣を務めた小坂憲次氏が、21日午前、東京都内の病院で亡くなりました。70歳でした。
小坂憲次氏は、長野市出身で、外務大臣などを務めた父親、小坂善太郎氏の秘書などを経て、平成2年の衆議院選挙で初当選して以降、6回当選しました。

この間、平成17年の第3次小泉改造内閣では、文部科学大臣を務めたほか、衆議院議院運営委員長や総務副大臣などを歴任しました。小坂氏は、自民党が政権を失った平成21年の衆議院選挙で敗れ、翌年の参議院選挙に、比例代表で立候補して当選し、自民党の参議院幹事長なども務めました。

小坂氏は、ことし7月の参議院選挙では、再選を目指して、比例代表から立候補を検討していましたが、早期の悪性リンパ腫と診断され、治療に専念したいとして見送っていました。そして、21日午前、東京都内の病院で亡くなりました。

4102名無しさん:2016/10/23(日) 08:29:59
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016102100411&g=pol
小坂憲次氏死去、70歳=文科相、議運委員長歴任

 元自民党衆院・参院議員で、文部科学相など政府や国会の要職を歴任した小坂憲次(こさか・けんじ)氏が21日午前9時23分、東京都内の病院で死去した。70歳だった。長野市出身。自宅は同市村山。葬儀は26日午前11時から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は妻まり子(まりこ)さん。

 小坂氏は慶大法卒。父の善太郎元外相の後を継ぎ、1990年の衆院選旧長野1区で初当選。当選6回。2009年衆院選で落選した後、10年参院選比例代表にくら替え出馬し当選した。参院当選は1回。小泉内閣で文科相を務めたほか、衆院議院運営委員長、党参院幹事長を歴任した。
 94年に自民党を離党し、新進党結党に参加。太陽党などを経て、98年に自民党へ復党した。
 昨年11月、悪性リンパ腫との診断を受けたことを公表。治療に専念するとして、今年7月の参院選への出馬を見送った。 (2016/10/21-13:19)

4103名無しさん:2016/10/30(日) 10:06:12
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016102600382&g=pol
故小坂氏の葬儀しめやかに

 21日死去した小坂憲次元文部科学相の葬儀が26日、東京・南青山の青山葬儀所でしめやかに営まれ、大島理森、伊達忠一衆参両院議長や自民党の二階俊博幹事長ら多数の弔問客が参列した。
 弔辞で石破茂前地方創生担当相は教育基本法改正や対人地雷全面禁止条約批准などに尽力したことを紹介し、「数々の要職を務め、輝かしい功績を残した」と故人をたたえた。(2016/10/26-12:33)

4104名無しさん:2016/10/30(日) 20:56:48
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161025-00000206-sasahi-pol
鹿児島に次いで新潟でも当選 “脱原発知事”票が取れるわけ〈週刊朝日〉
dot. 10/26(水) 7:00配信

 東京電力柏崎刈羽原発の再稼働が最大の争点となった新潟県知事選。大方の予想を覆して当選した新顔の米山隆一氏(49)=共産・社民・自由推薦=は、支援者を前にこう語った。

「自分でも信じられない結果だ。これは皆さんの、オール新潟の勝利だと思っている。再稼働は認められないと主張していく」

 10月16日の投開票で前長岡市長の森民夫氏(67)=自民・公明推薦=に6万票以上の差をつけた。野党や市民団体などでつくる「新潟に新しいリーダーを誕生させる会」共同代表の佐々木寛氏は、無党派層の支持が勝因だと語る。

「手応えは最初からありました。電話をかける人も、街宣活動する人も、呼びかけなくても、向こうから来てくれる感じでした」

 また、別の選対幹部はこう語る。

「自民の市議たちがひそかにやってきて『今回は米山さんが勝ちますよ』と言ってきた。保守系議員が一枚岩ではなく、これは勝てるかもしれないと思った」

 柏崎刈羽原発は世界最大規模の原発だが、2002年の東電トラブル隠し事件、07年の中越沖地震のときには火災や放射性物質漏れを起こしている。再稼働に反対する県民意識は根強い。さらに投開票3日前の13日、安倍晋三首相が、再稼働に慎重だった泉田裕彦知事を官邸に呼び出し、選挙協力を取り付けようとしたことも反発を招いたとされる。環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也氏が解説する。

「国が上から抑えつけるようなやり方に、地元の保守系の議員たちからも反発があった。もともと泉田さんを支えていたのは保守系で、新潟は自民党イコール原発推進、再稼働推進というわけではない。原子力・エネルギー政策があまりにも民意とかけ離れており、安倍政権はドラスティックな転換点を迎えざるを得ないのではないか」

 評論家の孫崎享氏は、知事選の結果をこう見る。

「従来の政治の対立軸や、政党の枠を超えて市民の力が結集した。米山さんの画期的な勝利だったと思います。自公側は最初から勝てるという慢心があり、形勢がいつのまにか逆転していた。原発に対する不安が高まる中、今後もこうした現象が起きるのではないか」

 川内原発停止を掲げた鹿児島県知事に続く「脱原発知事」の誕生。再稼働を強引に進める中央の横暴を、地方は拒否し始めている。(本誌・亀井洋志、大塚淳史、吉﨑洋夫、秦 正理/今西憲之)

※週刊朝日  2016年11月4日号

4105とはずがたり:2016/11/07(月) 14:31:16
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1227192268/2408で自らこそが低レベルの煽りで国民を馬鹿にする衆愚の煽動者である事を示した大前がポピュリズムを斬る道化っぷり。因みにチャベスは石油価格が高騰してゐる内は衆愚ではない。石油価格が下落して維持出来なくなった時の誤魔化し方が衆愚政治だったのだ。しかも大前研一も政治家目指してゐたけど作家みたいなもんなんでは?!もしかすると全て壮大な釣りで俺がまんまと釣られたって事なのかも知れない。。

2016年8月5日(金)
世界を席巻するポピュリスト旋風は、どこまで広がるか?
大前研一の日本のカラクリ
http://president.jp/articles/-/18576
PRESIDENT 2016年8月15日号
小川 剛=構成 AFLO=写真

民主主義発祥のギリシャで起きた衆愚政治

ラテン語の「populus(人民)」を語源とするポピュリズムは、元来、既存の支配層や知識人などによるエリート主義を批判して、一般大衆の願望や不安、不満などの「実感」を重視する政治思想、政治体制のことだ。

民意を尊重するという意味では非常に民主主義的な概念なのだが、人々の欲求不満を煽って支持を集める手法はしばしば衆愚政治を招きやすい。このため現代においては、ポピュリズムは大衆に迎合して人気を得ようとする「大衆迎合主義」というネガティブな意味で使われることが多い。

ポピュリズムから衆愚政治に陥った典型例がベネズエラである。チャベス大統領という極めつきのポピュリストが登場して、「21世紀の社会主義」を掲げ、貧困層向けの無料診療所や無償住宅の建設などバラマキ社会福祉政策を推進した。癌で死んだチャベスの後を継いだ腹心のマドゥーロ大統領も路線を継承した。バラマキの源泉は世界最大の埋蔵量を誇る石油資源である。しかし、1バレル=120ドル以上でなければ成り立たないような国家予算を組んで無駄遣いし続けた結果はどうなったか。1バレル=40ドルからせいぜい50ドル程度まで石油価格が暴落したために石油産業は壊滅、ハイパーインフレに襲われてベネズエラ経済は破綻状態に追い込まれてしまった。

ない袖は振れないとばかりに政府は緊縮路線に切り替えたが、公務員を増やしすぎて、いくら削減しても追いつかない。とうとう週休2日ではなく週休5日制にして、公務員の給料を60%カットしたほどだ。手がつけられないハイパーインフレで国民生活は困窮し、人々は今頃になって政府を強く非難している。しかし、チャベスやマドゥーロを大統領に選んだのはほかならぬ国民自身なのだ。

これはラテンアメリカの途上国に現れた特異な事例ではない。民主主義の生まれた国であるギリシャも衆愚政治に陥っている。ギリシャは巨大な財政赤字の隠蔽が明らかになってから経済危機に陥り、EUから金融支援の条件として年金の4割カットや公務員の3割削減などの厳しい緊縮財政を求められてきた。しかし、放漫財政の受益者(たとえば年金の受給開始年齢は53歳で、国民の4人に1人は公務員)でありながら、ギリシャ国民としては自分たちの生活が苦しくなるような緊縮財政は受け入れたくない。そうした“民意”に迎合して「EUの厳しい要求を拒否しよう」と叫んでトップの座に就いたのがチプラス首相だ。

EUの財政緊縮策の否決という国民投票の結果を背負って交渉に臨んだチプラス首相だったが、デフォルトを目前に控えEUの言うがままに妥協を迫られた。これに無責任なギリシャの民衆は大激怒して、チプラスに退陣を迫っている。しかし、彼が「EUの緊縮策を受け入れるべきだ」と主張していたら首相になれなかったわけで、責められるべきは嘘を見抜けなかった国民なのだ。衆愚政治そのものである。

ギリシャほど危機的状況には至っていないものの、経済危機の火種と難民問題を抱えるヨーロッパは各国でポピュリズムの台頭が目につく。EU離脱や反移民を主張する極右勢力や反緊縮を掲げる極左政党が勢いを増して、政策にも影響を及ぼしている。EU離脱派が制したイギリスの国民投票にしても、「離脱すれば移民を自分たちでコントロールできる」「EUの細かな制約に縛られなくてすむ」という離脱派のポピュリズムに先導された側面が強い。

4106とはずがたり:2016/11/07(月) 14:32:06

トランプもサンダースもポピュリストだ

今回のアメリカ大統領選を見ていても、ポピュリズムの台頭が著しい。予備選の話題をさらったトランプ現象もサンダース現象もポピュリズムの観点ではまったく同じなのだ。共和党の候補者指名レースを確実なものにしたドナルド・トランプ氏は大衆が聞きたいことをズバリと言う典型的なポピュリストだ。移民に仕事を奪われたと思っている白人の労働者階級には、「メキシコ国境に壁をつくれ」というトランプ発言は心地よく響く。ISなどイスラム過激派のテロに恐怖したり、怒りを覚えている人々に「イスラム教徒は入国禁止」というトランプ氏の主張は好感を持たれる。しかし、冷静に考えればメキシコ国境に万里の長城のような壁がつくれるはずがないし、メキシコに壁の建設費を払わせられるわけもない。

それに、いくらイスラム教徒の入国を禁じても、国内には約600万人のイスラム系移民がすでにいる。6月にフロリダで50人が死亡する最悪の銃乱射事件が起きた。射殺された容疑者はアフガニスタン系のアメリカ人で、イスラム過激派との関係が疑われたが、どうやら単独犯によるヘイトクライムの可能性が高いらしい。イスラム教徒の入国を禁じても、ホーム・グロウン・テロリスト(国外の過激思想に共鳴して、国内出身者が独自に引き起こすテロのこと)には何の効果もないのだ。

トランプ氏が右のポピュリストなら、左のポピュリストは民主党の指名争いで善戦したバーニー・サンダース氏だ。自ら「民主社会主義者」と名乗り、若者世代や白人のプア層に過大な公約をして旋風を巻き起こした。しかし、「公立大学の授業料無償化」とか「国民皆保険」とか、配る政策ばかりを主張して、財源についてはほとんど何も言っていない。

そもそも連邦政府の行政長である大統領になっても、公立大学の授業料を無償化する権限はない。アメリカの大学のほとんどはコミュニティカレッジ(2年生の短期大学)で、授業料がなくなったら運営が成り立たなくなるのだ。政府が授業料を補填しようものなら、税金がいくらあっても足りない。国民皆保険にしても、3000万人に医療保険を補填したオバマケア(オバマ政権による保健医療制度改革)でさえ限界ぎりぎりなのに、それを上回る制度改革が実現可能とはとても思えない。

つまりトランプ氏もサンダース氏も、できもしない公約を並べ立てて、受益者とおぼしき人々から熱狂的な支持を集めてきたのだ。これまでの大統領選挙でも、ロス・ペロー氏のようなポピュリストはいくらでも出てきた。しかし、マスコミのチェック機能が働いて、プライマリー(予備選)で排除されるのが通例だった。ところが今回は面白いように泡沫候補と思われたポピュリストが残った。なぜか。マスコミのチェック機能が弱くなったのも確かだが、大きな理由の一つは既存政党の当たり前の主張に飽き飽きしたり、不満を持つ人々が増えたからだろう。だから本命視されたヒラリー・クリントン氏が常識的なことを言えば言うほど「つまらない」候補として人気を落としてきたのだ。

4107とはずがたり:2016/11/07(月) 14:32:15
>>4105-4107
作家に行政能力を期待するのはおかしい

低成長が長く続いても失業者はあふれていないし、給料が上がらなくても食い詰めて路頭に迷っている人は少ない。難民や失業の問題が深刻化していない日本ではポピュリストの出る幕はない、と思っているなら大間違いだ。

舛添要一氏の失脚で東京都知事選の行方に注目が集まっているが、私が出馬した1995年の都知事選は青島幸男氏が「ちゃぶ台をひっくり返してやる」という意味不明な公約で圧勝したし、同時期の大阪府知事選で選ばれたのは後に強制わいせつ事件で辞任に追い込まれる横山ノック氏だった。

都市博を中止にしたぐらいで何の仕事もしなかった青島氏の後を継いだのは石原慎太郎氏。週に2、3日しか登庁しない石原氏を都民は4期も選んで、後を継いだ猪瀬直樹氏や舛添氏も公約らしい公約はなく、それでも選挙は正統派のイメージだけで圧勝した。いずれも大した仕事をしないうちに大きく躓いて、都政は停滞したままだ。振り返れば、青島、石原、猪瀬と3代続けて作家が都知事になったわけだが、作家は物語をつくる人間であって行政能力を期待するほうがおかしい。もっとも行政能力がなくても自動運転で務まるのが東京都知事という仕事なのかもしれないが。

ベネズエラやギリシャのように、聞こえのいいポピュリズムに引きずられた民主主義が行き着く先は、衆愚政治である。衆愚政治を避けるには、「me first(俺を先にしろ)」という考え方に染まらないことが重要だ。自分の損得ではなく、グループ全体にとって、コミュニティ全体にとっていいことなのか、悪いことなのかで判断する。自己中心ではなく集団全体に重きを置く。個人よりも全体をよくしようと発想できる人が過半数いなければ、民主主義は成り立たない。これは動物的には非常に高度な判断力、知性であって、身につけるためには公民教育が不可欠。18歳になったら選挙権を与えるだけではなく、責任ある社会人として選挙権をどう行使すべきかしっかり教育すべきだし、知名度だけで選ばれてしまった過去の選挙をケーススタディにして候補者の見分け方まで学ばせる、つまり過去を総括して伝える作業をぜひ一度やってみるべきだ。

4108とはずがたり:2016/11/07(月) 14:54:17
>民主党・共和党とも、過去30年にわたり白人労働者階級に直接アピールすることに慎重だった

>オバマ大統領は2008年・2012年の大統領選のどちらも50%以上の得票率で勝利したが、大学を出ていない白人有権者に関しては2桁以上の差をつけられていた。2016年の選挙戦が本格的に始まる前、両党の主流派は、白人労働者階級の有権者は、せいぜい広範囲の中道連合を形成しようという試みに対する不安定要因だと考えていた

>従来、白人貧困層は、白人男性が職場や私生活における特権を与えられて当然と考えていた時代の最後の生き残りであり、トランプ氏はその最後のあがきであるとみなされてきた。

>白人エリート層の多くは、優遇された昇進システムのなかで成功を収めてきた人々の子孫だが、恐らく過去の自分自身と距離を置くために、今では白人貧困層を非難するようになっている。

>トランプ氏が予想に反して候補指名を獲得したことで、白人労働者階級の有権者の存在が改めて広く意識されるようになった。だがトランプ氏の政策アジェンダ自体が現実にこうした有権者を彼の選挙運動に引きつけているとは言い切れないようだ。むしろ支持者の多くにとって、トランプ氏は力強い「抗議票」を意味している。実際には、白人労働者階級の有権者がここ数十年のあいだに見出した最良の「声」が、自家用ジェットで飛び回る富豪で、特定の政党に所属しないマンハッタンの不動産デベロッパーだというのでは(高がしれてるが)

>それでも、白人労働者階級の有権者の多くは、トランプ氏が想定外に台頭したことは、彼ら自身が政治的な存在感を取り戻したことの証左であると考えている。

>白人労働者階級が抱える問題は、過去の経済的な安定性と一体感が、時代遅れとなった製造業中心の経済、そしてトランプ氏が復活を約束している人種格差と切り離せなかったことにある。

>「トランプ敗北」は、彼の主張する保護主義や偏見に対する拒絶として片付けられてしまう可能性が高い。しかしそれでは、白人・非白人を問わず、米国の貧困層が固定化されている構造的な要因が無視されてしまう。

>将来に向けた政治運動の基礎を築く代わりに、トランプ氏は、米国民主主義の誠実さに疑問を投げかけることにより、彼の言う「不正な」民主制に火を放とうとした。民主主義そのものを批判することによって、トランプ氏は、有権者のかなりの部分を今後も政治から遠ざけてしまい、民主制そのものを弱体化しているのだ。

経済http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1114776863/1249-1250だけではなく政治も(このコラムは政治学者の様だ)基本的にこの問題が大きな今世紀の問題であることには気付いてはゐるが解決策には未だ誰も至っていないのが実際である様だ。

この白人労働者(その背景には没落すらせずずっと低位の黒人労働者もゐる筈だ)の救済を民主主義が発明出来るか政治及び経済学は問われてゐるのであらう。

2016年 11月 7日 10:07 JST
コラム:「トランプ敗北」で道連れになる白人労働者階級
http://jp.reuters.com/article/wolfe-males-idJPKBN12Z0U3?rpc=122&sp=true
Justin Gest

[1日 ロイター] - やっと自分たちの時代が来た、と彼らは思った。ここ何十年にわたって政治的な疎外感を抱いていた、白人労働者階級に属する多くのアメリカ人は、ドナルド・トランプ氏を、長らく待ち望んだ自分たちの旗手だと考えた。

トランプ氏には、確かに、その隠しようのない傲慢さを含め、不完全なところがあるが、自分たちの苦境や憤慨を理解してくれるように見えた。

だが、共和党の大統領候補トランプ氏が選挙戦で苦しい状況に追い込まれていく様子は、誰よりも苛立ちを感じている彼の支持者たちにとって、政治的な孤立が今後も続く予兆となっている。

「私はあなたたちの声だ」──。オハイオ州クリーブランドで開催された共和党全国大会におけるトランプ氏の言葉は記憶に刻まれている。彼が「サイレント・マジョリティ(声なき大衆)」と呼ぶ、米国民のかなりの部分を占める人々に直接語りかけたのだ。

4109とはずがたり:2016/11/07(月) 14:54:29

この有権者層が「沈黙を強いられている」と感じる大きな理由の1つは、民主党・共和党とも、過去30年にわたり、国政選挙において白人労働者階級に直接アピールすることに慎重だったからである。

両党とも、トランプ氏のようなあからさまな移民排斥主義や偏見を見せようとしなかった。増加しつつある人種その他のマイノリティ有権者が離反してしまう可能性があるからだ。

また経済政策の面では、トランプ氏のような保護主義を直接支持することも避けていた。政治的には中道派のビジネス・ロビーを警戒させるからである。民主・共和両党とも、衰退過程にある有権者層を惹きつけようとして成長しつつある有権者層にそっぽを向かれるのでは割に合わないと計算していた。

考えてみれば、オバマ大統領は2008年・2012年の大統領選のどちらも50%以上の得票率で勝利したが、大学を出ていない白人有権者に関しては2桁以上の差をつけられていた。2016年の選挙戦が本格的に始まる前、両党の主流派は、白人労働者階級の有権者は、せいぜい広範囲の中道連合を形成しようという試みに対する不安定要因であり、最悪でも、消えゆく不可解な付け足し程度だと考えていた。

トランプ氏が予想に反して候補指名を獲得したことで、白人労働者階級の有権者の存在が改めて広く意識されるようになった。だが、筆者の近著においてこの層について研究したところ、トランプ氏の政策アジェンダ自体が現実にこうした有権者を彼の選挙運動に引きつけているとは言い切れないようだ。

むしろ支持者の多くにとって、トランプ氏は力強い「抗議票」を意味している。白人労働者階級を無視し、排除し、非難してきた、そして多年にわたり意味のある改革を怠ってきた二大政党の政治エリートに対して、中指を立ててやるのだ。

実際には、白人労働者階級の有権者がここ数十年のあいだに見出した最良の「声」が、自家用ジェットで飛び回る富豪で、特定の政党に所属しないマンハッタンの不動産デベロッパーだというのでは、白人労働者階級の境遇を政治的に代表するといっても高が知れているのではないか。

それでも、白人労働者階級の有権者の多くは、トランプ氏が想定外に台頭したことは、彼ら自身が政治的な存在感を取り戻したことの証左であると考えている。

だが、トランプ氏の選挙運動に陰りが見えていることによって、米政界では、トランプ氏のようなポピュリスト的な訴求をすれば、必ずやオバマ大統領の選出に繋がった「新しい米国」連合(独身女性、アフリカ系、ラテン系、アジア系の米国人、勤労女性、若年層、同性愛者)の反発を招いてしまうという認識が強まっている。

政界関係者がトランプ流ポピュリズムを拒絶すると、往々にしてそれは、広く流布している米国の白人労働者階級に関する情緒的なストーリーに収まってしまう。識者の多くは、こうした有権者を、過去に自分たちが得ていた不当な優位にしがみつく抵抗勢力として一括りにしてしまう。進歩的な変化に抵抗し、職場だけでなく私生活においても彼らに挑戦する女性やマイノリティを抑えつける力を維持しようとしているという役柄が押し付けられる。

従来、白人貧困層は、白人男性が職場や私生活における特権を与えられて当然と考えていた時代の最後の生き残りであり、トランプ氏はその最後のあがきであるとみなされてきた。白人労働者階級の人々は、文化的な逸脱者であり、道徳的な根拠が揺らぐなかで彼らの労働倫理も低下してきたとみなされることが多い。

白人エリート層の多くは、優遇された昇進システムのなかで成功を収めてきた人々の子孫だが、恐らく過去の自分自身と距離を置くために、今では白人貧困層を非難するようになっている。

一方、白人労働者階級の側では、過去を懐かしむことしかできない。20世紀半ばは、政治家がこの層の票を集めようとした最後の時期である。安定した高給の正規雇用があり、家族が一体であったのも、この時期が最後だった。

4110とはずがたり:2016/11/07(月) 14:54:52
>>4108-4110
その後、白人労働者階級に属する人々は、非常に不安定な状態へと着実に滑り落ちていった。大卒の学歴を持たない米国民が安定した高給の正規雇用を得ることはどんどん難しくなっていった。雇用とともに、白人労働者階級の生活を規定していたそれ以外の関係性もますます不安定になっていった。離婚率は急上昇し、麻薬の使用が広まり、非嫡出子が増加した。

白人労働者階級が抱える問題は、過去の経済的な安定性と一体感が、時代遅れとなった製造業中心の経済、そしてトランプ氏が復活を約束している人種格差と切り離せなかったことにある。

「トランプ敗北」は、彼の主張する保護主義や偏見に対する拒絶として片付けられてしまう可能性が高い。しかしそれでは、白人・非白人を問わず、米国の貧困層が固定化されている構造的な要因が無視されてしまう。

世論調査での劣勢によって、トランプ氏はただ白人労働者階級という支持者の疎外状況をいっそう深めただけかもしれない。将来に向けた政治運動の基礎を築く代わりに、トランプ氏は、米国民主主義の誠実さに疑問を投げかけることにより、彼の言う「不正な」民主制に火を放とうとした。

意気消沈した白人労働者階級に属する有権者の多くが選挙への参加から遠ざかっているのは、こうした陰謀論を信じ込んでいるからである。民主主義そのものを批判することによって、トランプ氏は、有権者のかなりの部分を今後も政治から遠ざけてしまい、民主制そのものを弱体化しているのだ。

共和党員にとって希望の兆しがあるとすれば、そうすることによってトランプ氏が、共和党を2015年6月以前の状態で彼らに返してくれるかもしれない、という点だ。周辺で不平を言っていた白人労働者階級の人々で膨れ上がった部分が縮み、その影響をほぼ受けない状態で、ということである。

そうなれば、2016年はただの悪い夢で、トランプ氏の台頭を招いた構造的な要因など本当は存在しなかったということで済ませることもできるかもしれない。

*筆者はジョージ・メイソン大学シェアー政策・政治学部准教授(公共政策論)。近著に「The New Minority: White Working Class Politics in an Age of Immigration and Inequality(原題)」 がある。

4111名無しさん:2016/11/13(日) 13:47:23
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016111100432&g=pol
来月6日に故小坂元文科相党葬=自民

 自民党は11日、先月死去した小坂憲次元文部科学相の党葬を、12月6日午後1時から長野市のホテル国際21で行うと発表した。葬儀委員長は石破茂前地方創生担当相が務める。 (2016/11/11-12:47)

4112名無しさん:2016/11/19(土) 23:54:47
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016111700345&g=pol
奥野誠亮氏死去、103歳=元自民党衆院議員

 奥野 誠亮氏(おくの・せいすけ=元自民党衆院議員、奥野信亮衆院議員の父)16日午後7時10分、老衰のため東京都渋谷区神宮前5の7の10の自宅で死去、103歳。奈良県出身。葬儀は近親者のみで行う。後日、お別れの会を開く。喪主は長男信亮氏。

 旧内務省官僚、自治事務次官を経て、1963年の衆院選で初当選し、当選13回。文相や法相などを歴任。タカ派の論客として知られ、竹下内閣の国土庁長官当時、日中戦争をめぐり「日本に侵略の意図はなかった」と発言し、辞任した。 (2016/11/17-13:37)

4113名無しさん:2016/11/20(日) 14:43:33
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161117/k10010772221000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_059
奥野誠亮元文相が死去 103歳
11月17日 12時24分
自民党の元衆議院議員で、文部大臣や法務大臣などを歴任した奥野誠亮氏が16日夜、老衰のため、東京都内の自宅で亡くなりました。103歳でした。
奥野氏は奈良県出身で旧内務省に入り、その後、旧自治省の事務次官を務めました。
内務官僚時代にはポツダム宣言の中に戦犯の処罰に関する記載があったことから、戦犯を出さないようにするため、関係する公文書を焼却するよう提案したということです。

そして、昭和38年の衆議院選挙で、旧奈良全県区から立候補して初当選し、13回連続で当選しました。この間、田中内閣で文部大臣として初めて入閣し、そのあと法務大臣や国土庁長官などを歴任しました。

奥野氏は国土庁長官当時、国会答弁で日中戦争について「あの当時、日本に侵略の意図はなかった」と発言して批判を受け、国土庁長官を辞任しました。また、奥野氏は地方税に精通していたことから、党の税制調査会でも長年、存在感を発揮してきました。

奥野氏は平成15年の衆議院選挙に立候補せず、長男の信亮氏に地盤を譲って、90歳で政界を引退していました。

奥野氏は引退後も体調を崩すことなく、100歳を超えてからも、講演を行ったり元国会議員との会合に出席したりするなど、活動を続けていました。

4114名無しさん:2016/11/20(日) 20:37:30
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016111500401&g=pol
五島正規氏死去(元民主党衆院議員)

 五島 正規氏(ごとう・まさのり=元民主党衆院議員)14日午後5時58分、肝不全のため高知市内の病院で死去、77歳。神戸市出身。葬儀は近親者のみで行う。後日しのぶ会を開く。喪主は妻保子(やすこ)さん。
 90年衆院選で旧社会党から旧高知全県区で初当選。96年から旧民主党で出馬。当選6回。05年、政策秘書らによる公職選挙法違反事件の責任を取り辞職した。 (2016/11/15-11:33)

4115名無しさん:2016/11/23(水) 21:05:28
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160906-00000021-pseven-life
唯一効果があったネット落選運動 来年の都議選で再び?
NEWS ポストセブン 9/6(火) 16:00配信

 ネットで盛り上がっても、現実の世界には反映されづらいとよく言われる。ところが、最近ではそうとも言い切れない事象が起きつつある。不誠実な販売方法によってネットで炎上、株価が半値以下に急落した企業もあれば、ネット選挙解禁で落選運動への効果を発揮した例もある。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が、「所詮ネットだから…」と軽視しないほうがよい事象について紹介する。

 * * *
 東京都議会の川井しげお議長(自民党・68)が、ネットで取り沙汰されるようになっている。都議なんて一体誰がいるのやらよく分からないが、小池百合子新知事誕生に伴い、「最も有名な都議」の一人に躍り出た。

 川井氏が名を馳せたのは何といっても小池氏が挨拶に行った際、「知事と議会は両輪です。一輪車にならないように」と訓示めいたものを与え、写真撮影を拒否する大人げない行動に出た時のこと。

 この段階でネットは沸騰! 上質のヒール(悪玉)登場に色めき立った。その後も川井氏は東京パラリンピック関連イベントで小池氏と目を合わせず会釈さえしない。小池氏からは川井氏に会釈をしたり、挨拶に出向いたりしているだけに、ネット民から見ると、川井氏が単に偏屈なクソジジイであるといった印象になっている。

 となれば、ネットで発生するのが来年夏の東京都議選での川井氏に対する落選運動である。2013年の都議選で中野区から出馬した川井氏は2万8832票を獲得しトップ当選。5位の落選者が1万1693票なだけに盤石ではあるが、今後も「小池いじめ」を続けると、中野選挙区が途端にネットではアツく注目されることとなるだろう。とにかく今、「川井×落選」で検索をかけると出るわ出るわ。

〈利権の塊内田茂と川井議長は、来年の都議会議員選挙で落選させるべし〉
〈川井議長の大人気ない行動に理解出来ません。みんなで落選させましょう! それが国民のためです〉

 メディアの側も、「大人げない川井VS大人な小池」というストーリーを繰り出し、その都度ネットで川井氏叩きが始まるという構図が誕生した。9月28日から始まる都議会でも川井氏の一挙手一投足が注目され、態度を変えぬ限り落選運動が盛り上がることだろう。

4116名無しさん:2016/11/23(水) 21:05:50
>>4115

 2013年の参議院選挙から「ネット選挙」が解禁されたが、私が唯一効果があったと考える落選運動がこの時発生した。それは改選定数「2(当時)」の宮城選挙区での岡崎トミ子(民主党)VS和田政宗(みんなの党)だ。

 この選挙区は自民党の愛知治郎氏が圧倒的に勝てる状況で2位争いは岡崎氏が優勢と見られていた。だからこそ和田氏は2位を狙い、元国家公安委員長でもある岡崎氏が、かつて元慰安婦支援団体がソウルの日本大使館前で開催した反日デモに参加した写真を紹介。これにネットが沸騰し落選運動が開始。最終的には和田氏が5000票差で勝利したのだ。その頃岡崎氏の名前を検索すると「売国奴」や「反日」といったキーワードが並び、岡崎氏に票を投じるのを躊躇した効果はあったのだ。

 川井氏の側は「どーせワシは地盤がしっかりしてるんで、ネットのバカどもが大騒ぎしてもどーってこたぁない」とナメていることだろう。しかし、将来的に川井氏の弟子筋やら親族が地盤を継ぐ時、「あの小池百合子恫喝ジジイの親族らしいぜ」ってな話になり、選挙民の中心がネット世代になったらどうなるか。そこは甘く見ない方がいい。

●なかがわ・じゅんいちろう/1973年生まれ。ネットで発生する諍いや珍事件をウオッチしてレポートするのが仕事。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など。

※週刊ポスト2016年9月16・23日号

4117名無しさん:2016/11/23(水) 23:03:43
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016112200433&g=pol
倉田雅年氏死去(元自民党衆院議員)

 倉田 雅年氏(くらた・まさとし=元自民党衆院議員)21日午前4時19分、がんのため静岡県長泉町の静岡がんセンターで死去、77歳。静岡市出身。葬儀は26日午後3時から同市清水区春日1の3の7のあいネットホール春日で。喪主は妻郁代(いくよ)さん。
 2000年の衆院選比例東海ブロックで初当選。当選3回。総務副大臣を務めた。 (2016/11/22-13:27)

4118名無しさん:2016/11/26(土) 11:40:30
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161124-00006815-sbunshun-pol
103歳で大往生奥野誠亮氏が衆院議長になれなかった理由
週刊文春 11/24(木) 12:01配信

 奥野誠亮元法相が11月16日に亡くなった。享年103。

 現役時代は、議員会館のエレベーターは使わずに階段を上ることで知られた。衆院議員を引退したのが90歳。100歳を超えてもゴルフや麻雀を楽しみ、昨年11月には日本記者クラブの最高齢ゲストとして講演していた。

 奥野氏は1913年(大正2年)生まれ。旧制一高、東京帝国大法学部を経て、内務省に入省する。終戦時に仕えた事務次官は、後に「政界の三賢人」として知られる灘尾弘吉元衆院議長だった。内務省が解体されると自治省に籍を置き、事務次官まで務めて、1963年に政界へ転出。地元の奈良全県区で出馬し、13回連続当選を果たした。

 政界で奥野氏が異彩を放ったのは無派閥を貫いたこと。ポストもカネも派閥中心の当時にあっては稀有の存在だった。初入閣は田中角栄内閣での文相。いま再びブームとなっている角栄氏は「中間派、無派閥議員の動向に常に気を配り、味方にしておこうと努力した」(ベテラン秘書)。

 1980年、ロッキード裁判を抱える鈴木善幸内閣で法相として入閣したことを、政治評論家の伊藤昌哉氏は「奥野法相は『隠れ田中派』の1人である」と評していた。旧内務省でいえば、田中派に属した後藤田正晴元官房長官も奥野氏の1年後輩。実は官僚好きだった角栄氏と、妙にウマがあったようだ。自民党関係者はこう述懐する。

「権勢を誇った自民党税調の中心メンバーの1人でもあった。特に地方税の権威で、何しろ官僚時代に奥野先生自身が骨格を作っている。『私があの法律を作った時は〜』と話が始まると、官僚や他の議員も黙るしかなかった」

 奥野氏が最後に閣僚になったのは竹下登内閣での国土庁長官。国会答弁で日中戦争について「あの当時、日本に侵略の意図はなかった」と発言し、引責辞任した。この発言が尾を引き、本来なら適職だったはずの衆院議長にも就任できなかった。

 晩年は、長年理事長を務めたアジア福祉教育財団の名誉会長室に出勤していた。同財団は、ベトナム戦争によって生じた大勢の孤児、母子などの惨状を救うために設立され、その後はアジアからの難民受け入れのために活動している。

 靖国神社参拝にも積極的で、筋金入りの「保守派」だったが、弱者に優しい昔ながらの保守政治家だった。


<週刊文春2016年12月1日号『THIS WEEK 政治』より>

「週刊文春」編集部

4119とはずがたり:2016/12/15(木) 08:39:45
小里貞利さん86歳=元労相、元総務庁長官
http://mainichi.jp/articles/20161215/k00/00m/010/131000c
毎日新聞2016年12月15日 00時05分(最終更新 12月15日 06時32分)

 労相や総務庁長官などを歴任した元自民党衆院議員の小里貞利(おざと・さだとし)さんが14日夜、肝不全のため鹿児島市内の病院で死去した。86歳だった。葬儀は未定。自宅は鹿児島県霧島市霧島大窪485の3。喪主は妻幸子(さちこ)さん。

【桂春団治さん、江戸家猫八さん…】写真特集:2016レクイエム〜さよならあの人
 鹿児島県議を経て、79年に衆院選で初当選。旧鹿児島2区、現鹿児島4区で連続9期当選した。90年の自民党整備新幹線早期着工促進議員連盟幹事長就任を皮切りに、九州新幹線など整備新幹線にかかわり「ミスター新幹線」とも呼ばれた。

 90年、第2次海部内閣に労相で初入閣。95年の阪神大震災後、震災担当相に任命されたほか、97年、総務庁長官で中央省庁再編に尽力した。自民党では国対委員長や総務会長などを歴任した。

 党内の派閥は「宏池会」で、00年11月の「加藤の乱」後の派閥分裂後、加藤グループに。03年に会長に就任し「小里派」となったが、05年8月の衆院解散を機に高齢と健康問題を理由に政界引退した。長男は衆院議員の泰弘さん。

4120名無しさん:2016/12/18(日) 09:51:57
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161212/k10010803971000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_135
自民 奥野誠亮元法相のお別れの会
12月12日 16時31分

法務大臣や文部大臣などを歴任し、先月103歳で亡くなった、自民党の元衆議院議員、奥野誠亮氏のお別れの会が、12日、東京都内で営まれ、およそ1300人が参列し、別れを惜しみました。
東京都内のホテルで営まれた、奥野氏のお別れの会には、政財界の関係者など、およそ1300人が参列しました。

最初に、実行委員長を務めた安倍総理大臣が、「憲法をみずからの手で制定すべきという先生の信念こそ、まさにわが党の骨格であったと言ってもいいと思う。103年という年月に思いを致せば、改めてお疲れ様でした、そしてありがとうございましたと心から申し上げたい」とお別れの言葉を述べました。

続いて、生前親交のあった綿貫元衆議院議長が、「100歳のお祝いで、東京スカイツリーにともに登った時、感慨深げに眼下の大都市を見下ろしていた姿を忘れることができない。ひとつの時代の終わりを感じる」と故人をしのびました。

最後に、遺族を代表して、長男の奥野信亮衆議院議員が、「国を愛する気持ちを軸に、信頼される政治家を目指して、さまざまな課題に取り組んでいた。父の信条である、思いやりの心を受け継ぎたい」とあいさつしました。

このあと、参列者は、祭壇に掲げられた遺影の前で、花を手向け、手を合わせて、奥野氏との別れを惜しんでいました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161214/k10010807161000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_059
小里貞利元総務庁長官が死去
12月14日 22時56分

自民党の元衆議院議員で、地震対策担当大臣として阪神・淡路大震災の被災地の復興支援にあたったことなどで知られる、小里貞利氏が、14日午後9時すぎ、鹿児島市内の病院で亡くなりました。86歳でした。
小里氏は、鹿児島県議会議員などを経て、昭和54年の衆議院選挙で旧鹿児島2区から立候補して初当選し、9回連続で当選しました。

この間、平成2年に労働大臣として初入閣し、平成7年には地震対策担当大臣に起用されて、阪神・淡路大震災の被災地の復興支援にあたったほか、平成9年には総務庁長官に起用されました。
また、自民党でも総務会長や国会対策委員長などの要職を務めました。

一方、自民党旧加藤派が分裂したあと、加藤元幹事長を中心とする派閥の運営を平成14年に引き継ぎ、平成15年、会長に就任しました。小里氏は平成17年の衆議院選挙には立候補せず、政界を引退していました。

4121名無しさん:2016/12/18(日) 11:37:38
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016121500012&g=pol
小里貞利氏が死去、86歳=総務庁長官など歴任

 総務庁長官や自民党総務会長などを歴任した小里貞利(おざと・さだとし)元衆院議員が14日午後9時15分、肝不全のため鹿児島市内の病院で死去した。86歳だった。鹿児島県出身。葬儀の日取りなどは未定。
 小里氏は県議を経て、1979年の衆院選に旧鹿児島2区から立候補し、初当選。当選9回。95年の阪神・淡路大震災では、震災対策担当相として復興に尽力。自民党旧加藤派の分裂後、同派を引き継いだ小里派を率いた。2005年に政界を引退した。長男は衆院議員の泰弘氏。 (2016/12/15-00:29)

4122名無しさん:2016/12/18(日) 12:13:59
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016121200534&g=pol
故奥野元法相お別れの会

 先月16日に死去した奥野誠亮元法相のお別れの会が12日、東京都内のホテルで営まれた。自民党総裁として実行委員長を務めた安倍晋三首相のほか、大島理森、伊達忠一衆参両院議長、公明党の山口那津男代表ら約1300人が参列した。
 首相はお別れの言葉で「憲法を自らの手で制定すべきだとの先生の信念こそ、まさにわが党の骨格だった。もしやり残されたことがあるとすれば、その志はしっかりと私たちが受け継いでいく」と述べた。 (2016/12/12-16:36)

4123名無しさん:2016/12/27(火) 23:03:22
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161226-00000092-mai-peo
<訃報>駒谷明さん86歳=元公明党衆院議員
毎日新聞 12/26(月) 22:40配信

 駒谷明さん86歳(こまたに・あきら=元公明党衆院議員)24日、肺炎のため死去。葬儀は27日午前10時半、神戸市北区有野中町4の3の1のメモリアルホール北六甲。自宅は同市北区藤原台北町2の1の1の102。喪主は長男龍弥(たつひろ)さん。

 兵庫県議を3期務め、1983年に旧兵庫3区から公明党公認で初当選し、1期務めた。

4124名無しさん:2017/01/01(日) 09:25:31
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016123000334&g=pol
岸田外相ら38人、飛躍へ決意=酉年生まれの国会議員

 酉(とり)年の2017年に年男、年女となる国会議員は38人。「ポスト安倍」をうかがう岸田文雄外相や石破茂前地方創生担当相に加え、若手にも自民党の小泉進次郎農林部会長ら有望株が顔をそろえる。それぞれが飛躍への決意を新たにした。
 還暦を迎える1957年組は、岸田、石破両氏ら12人。外相の在任期間が4年を超えた岸田氏は「国際社会でしっかりと飛び回れるように体調も気力も充実させたい」と気合十分。閣外に去った後、存在感の低下が指摘される石破氏は「今の自分では駄目だ。少しでもまともな自分になる」と精進を誓う。
 同じく57年組の野田佳彦民進党幹事長が「信頼を取り戻し、政権を取りにいく」と語れば、共産党の畑野君枝衆院議員も「野党連合政権を取りにいく。羽ばたきたい」と強調。野党共闘での政権奪取を目指す考えだ。
 最年長は72歳となる45年生まれで、太田昭宏公明党前代表や川端達夫衆院副議長ら8人。社民党の照屋寛徳国対委員長は在沖縄米軍基地問題を念頭に「不条理な日常を強要する日米両政府に対しては闘鶏のごとく闘う」と力を込めた。
 最多は69年生まれで公明党の遠山清彦国際局長ら15人。遠山氏は「任期が折り返しを過ぎ、いつ選挙になってもおかしくない状況だ」と、意識は次期衆院選に。日本維新の会の木下智彦衆院議員は「地に足を着け羽ばたくことのできる1年にしたい」とコメントした。
 最年少は36歳となる81年生まれの小泉氏ら3人。自民党の小倉将信衆院議員は「自分が先頭に立って物事を実現できるような1年にしたい」と述べた。(2016/12/30-14:16)

4125名無しさん:2017/01/02(月) 12:09:39
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170101/k10010826661000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_005
ことしの政局 首相の衆院解散の判断が焦点に
1月1日 17時59分

ことしの政局は、衆議院議員の4年の任期が折り返しを過ぎ、安倍総理大臣が衆議院の解散に踏み切るのかどうかが焦点となる見通しです。
安倍総理大臣は今月召集される通常国会で、平成28年度の第3次補正予算案に続いて、新年度(平成29年度)予算案を早期に成立させたうえで、政権の最重要課題と位置づける「働き方改革」などの取り組みを加速させる方針です。

自民・公明両党は、去年の臨時国会で、カジノを含むIR=統合型リゾート施設の整備推進法をめぐって関係がぎくしゃくしましたが、通常国会では与党として結束して臨む方針です。

一方、自民党は、「政権に是々非々で臨む」としている日本維新の会とも、協力的な関係を続けたい考えです。

各種の世論調査で内閣支持率が高い水準を維持している安倍総理大臣は、来年9月の総裁選挙での再選に意欲をにじませていて、再選が実現すれば、歴代最長の在任期間も視野に入ってきます。

衆議院議員の4年の任期は折り返しを過ぎ、ことし夏には、公明党が国政選挙並みに重視する東京都議会議員選挙が行われるほか、衆議院選挙の1票の格差を是正するため、5月までに小選挙区の区割りの改定案がまとめられ、夏以降には新たな区割りが適用される見通しです。

こうした政治日程の中で、ことしの政局は、安倍総理大臣が年内に衆議院の解散に踏み切るのかどうか、踏み切る場合、どのタイミングになるのかが焦点となる見通しです。

これに対し、民進党や共産党など野党4党は、小選挙区の候補者調整や共通政策について、近く実務者による協議を始めることにしています。

ただ、民進党の支持組織の連合は「共産党は理念が根本的に異なる」とけん制しているほか、候補者が競合する小選挙区も多く、野党側が態勢をどう整えていくかも問われることになりそうです。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170102/k10010826851000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_004
ことしの選挙 小池都政初の都議選と9県知事選
1月2日 4時06分

ことしは、東京都の小池知事が就任してから初めてとなる東京都議会議員選挙のほか、9つの県で知事選挙が行われることになっています。
東京都の小池知事が就任してから初めてとなる東京都議会議員選挙は、ことし夏に行われることになっています。

小池知事は、みずからを支持する議会勢力の拡大につなげたい考えで、主催する政治塾の参加者から候補者を擁立する考えを明らかにしています。

一方、都議会で最大会派の自民党は、論戦で小池知事との対決姿勢を鮮明にしているのに対し、これまで都議会で自民党と協力関係にあった公明党は、議員報酬の削減など議会改革の進め方をめぐる考え方の違いから関係を見直す考えを示していて、小池知事は都議会議員選挙で公明党との選挙協力を検討するとしています。

また、民進党は都議会議員選挙に向けて小池知事との連携を模索したい考えです。

さらに、共産党は小池知事に対し是々非々の姿勢で臨んでいくとしていて、各党は、小池知事との距離感も測りながら、都議会議員選挙の候補者の擁立を進めていく見通しです。

一方、全国では、知事選挙が、投票日や任期満了の順に、山形、岐阜、千葉、秋田、静岡、兵庫、茨城、宮城、広島の9つの県で行われ、県庁所在地を含む9つの政令指定都市で市長選挙が行われる予定です。

このほか、8つの県庁所在地で市長選挙が行われます。

4126名無しさん:2017/01/10(火) 22:13:51
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017010700218&g=pol
小野信一氏死去=元社会党衆院議員、元岩手県釜石市長

 小野 信一氏(おの・しんいち=元社会党衆院議員、元岩手県釜石市長)6日午前11時50分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため釜石市内の高齢者福祉施設で死去、84歳。岩手県出身。葬儀は9日午前11時から同市唐丹町小白浜453の盛岩寺で。喪主は長男学(がく)氏。
 79年の衆院選に旧岩手1区から社会党公認で立候補し、初当選。4期務めた。99年から釜石市長を1期務めた。 (2017/01/07-18:36)

4127名無しさん:2017/01/14(土) 17:23:07
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170109/k10010832841000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_083
18歳と19歳の主権者教育充実検討へ 総務省
1月9日 9時13分

選挙権を得られる年齢は去年から18歳に引き下げられましたが、参議院選挙での18歳と19歳の投票率は全体を下回ったことから、総務省は、今月、有識者による検討会を設けて、選挙や政治について学ぶ主権者教育の充実の在り方などの検討を始める方針です。
選挙権を得られる年齢は去年から18歳に引き下げられましたが、新たに有権者となった18歳と19歳の参議院選挙での投票率は全国平均で46.78%と、全体の投票率をおよそ8ポイント下回りました。

これに関連して、総務省が去年10月、全国の18歳から20歳までの3000人を対象に行った意識調査では、選挙や政治について学ぶ主権者教育を受けたことがあると答えた人のうち、参議院選挙で投票に行ったと回答したのは56%、主権者教育を受けていないと答えた人のうち、投票に行ったと回答したのは49%でした。

総務省は、こうした結果を受けて、若者の投票率の向上には主権者教育のさらなる充実が必要だとしていて、今月、新たに学識経験者や自治体の関係者などからなる検討会を設けて具体的な検討を始め、年度内に一定の取りまとめを行いたい考えです。

4128とはずがたり:2017/04/24(月) 17:19:28

中井洽氏死去、74歳=国家公安委員長など歴任
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170424-00000054-jij-pol
時事通信 4/24(月) 16:28配信

 鳩山、菅両内閣で国家公安委員長や拉致問題担当相を務めた中井洽(なかい・ひろし)元衆院議員が22日、東京都内で死去した。

 74歳だった。中国・長春出身。葬儀は近く近親者のみで執り行う。

 衆院議員だった父の秘書を経て、76年に旧民社党から旧三重1区に立候補し初当選。当選11回。94年に羽田内閣で法相として初入閣した。旧新進党や旧自由党を経て旧民主党に合流。衆院予算委員長などを歴任したほか、党拉致問題対策本部長を長く務め、北朝鮮による日本人拉致問題に取り組んだ。12年衆院選に出馬せず、政界を引退した。

4129とはずがたり:2017/08/06(日) 17:21:10
ご冥福をお祈りします。

元国土庁長官の上原康助さん死去 沖縄選出議員初の閣僚
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%85%83%E5%9B%BD%E5%9C%9F%E5%BA%81%E9%95%B7%E5%AE%98%E3%81%AE%E4%B8%8A%E5%8E%9F%E5%BA%B7%E5%8A%A9%E3%81%95%E3%82%93%E6%AD%BB%E5%8E%BB-%E6%B2%96%E7%B8%84%E9%81%B8%E5%87%BA%E8%AD%B0%E5%93%A1%E5%88%9D%E3%81%AE%E9%96%A3%E5%83%9A/ar-AApw4KV
朝日新聞デジタル
2 時間前

 沖縄県選出の国会議員で初の閣僚を務めた上原康助(うえはら・こうすけ)さんが6日、呼吸不全のため死去した。84歳だった。米軍基地従業員による沖縄最大の労働組合「全沖縄軍労働組合(全軍労)」の委員長として本土復帰運動を推し進め、1970年に衆院議員に初当選。10期務めた。

 1932年、沖縄県本部(もとぶ)町生まれ。小学6年の時に沖縄戦を体験し、戦後は高校卒業後に米軍基地の従業員として就職。61年に全沖縄軍労働組合連合会(後の全軍労、現在の全駐労沖縄支部)を結成し、初代委員長となった。日本への「祖国復帰」をスローガンに掲げ、沖縄教職員会などとともに復帰運動の中核を担った。

 本土復帰を前に行われた70年11月の「沖縄国政参加選挙」に社会党公認で立候補し、38歳で初当選。93年の細川内閣で国土庁、沖縄開発庁、北海道開発庁の長官に就任。社会党副委員長、社民党副党首などを歴任した。

 米軍普天間飛行場の県内移設には反対しつつ、晩年は柔軟路線を打ち出し、98年6月に社民党を離党。民主党に入党したが、2000年6月の総選挙で落選し、政界を引退した。(上遠野郷)

4130とはずがたり:2017/08/06(日) 17:22:43
車保険料2?3%下げ=来年1月、安全性能向上で―損保大手
https://news.goo.ne.jp/article/jiji/business/jiji-170805X454.html
08月05日 15:39時事通信

 損害保険大手各社が来年1月に任意加入の自動車保険の保険料を改定し、平均で2?3%引き下げることが5日、分かった。自動ブレーキなど安全性能の向上で事故が減り、自動車保険事業の収支が改善してきたことを反映させる。

 三井住友海上火災保険とあいおいニッセイ同和損害保険は平均で3%前後下げる見込みだ。両社は今年1月、保険料をそれぞれ1%、0.1%下げており、2年連続で引き下げる。

 東京海上日動火災保険は平均で2.8%下げる方針。2003年8月以来、約14年ぶりの引き下げとなる。損害保険ジャパン日本興亜は平均2%下げる方向で、15年10月の0.2%引き下げ以来、約2年ぶりに保険料を見直す。

4131とはずがたり:2017/11/28(火) 10:57:45

https://this.kiji.is/308021892382819425?c=49404987701575680
野中元官房長官が救急搬送、容体不明
2017/11/28 08:28
c一般社団法人共同通信社
官房長官を務めた野中広務氏(92)が京都市のホテルで倒れ、救急搬送されたことが分かった。容体は不明。

4132とはずがたり:2017/12/27(水) 15:26:56

桜井新氏が死去
元環境庁長官
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/politics/20171110356917.html

 元環境庁長官で元自民党衆院議員の桜井新(さくらい・しん)氏が9日午後6...

【政治・行政】 2017/11/10 19:39

4133とはずがたり:2018/01/27(土) 13:21:29
広務クラスなら各党スレでも良いとは思うけど,いちお訃報スレの此処へ転載。

悪役然としてきっちり仕事をこなしていく。仇役として非常に好きだった。
小泉以降の今の胸くそ悪い連中と違っていたなあ。
ご冥福をお祈りします。

野中広務逝く
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1378195932/2784-2788

4134とはずがたり:2018/03/16(金) 17:45:12
>財務省が公文書を書き換えていたことを発表しました。…なぜか国会は危機感が薄いです。財務省の発表後も本会議の開催予定はなく、地元に帰っている国会議員も多い
そうなの!?

2018.03.15
永田町の「謎」 現役議員秘書がぶっちゃける国会ウラ情報
検察、安倍内閣総辞職も視野に捜査か…佐川氏、全責任押し付けられ逮捕との見方も
http://biz-journal.jp/2018/03/post_22657.html
文=神澤志万/国会議員秘書

 国会議員秘書歴20年以上の神澤志万です。

 3月12日、学校法人「森友学園」との国有地取引をめぐる問題で、財務省が公文書を書き換えていたことを発表しました。「決裁文書についての調査の結果」によると、書き換えは財務省理財局において2017年2月下旬から4月にかけて14の文書で行われています。

 これらの文書は、起案日と決裁完了日、文書の通し番号が同じで、決裁印もあるそうです。これは「公文書偽造」という犯罪で、安倍晋三政権の危機に直結する事態のはずですが、なぜか国会は危機感が薄いです。

 財務省の発表後も本会議の開催予定はなく、地元に帰っている国会議員も多いので、私たち秘書は“開店休業”状態です。一方で、この件のせいで審議されていない法案も多く、官僚たちも頭を抱えています。

「佐川の逮捕は免れないだろう」

 3月7日に亡くなった財務省近畿財務局職員のAさんが「本省(財務省)の指示で文書を書き換えさせられた」という内容のメモを残していたことが、13日の読売新聞で報じられました。これは、関係者への取材で明らかになったとのことです。

 Aさんの訃報で国会は荒れ、その後は衆議院本会議が開かれるめどはまったく立っていません。決裁文書の書き換えは明確な犯罪ですし、尊い命を守ることができなかった財務省の責任は非常に重大です。

 国会周辺では「当時の理財局長だった佐川(宣寿前国税庁長官)の逮捕は免れないだろう」ともささやかれています。これは、大阪地方検察庁が本腰を入れている証拠でもあります。大阪地検特別捜査部は、麻生太郎財務大臣はもちろん、安倍内閣の総辞職まで視野に入れて動いているといわれています。

 今のところ、与党内では「そこまではいかないだろう」という見方が大半ですが、今後の世論の動きによっては微妙な気配も漂っています。

 森友学園の問題は、与党内では「役人たちが勝手に忖度しすぎて、無茶な契約をしてしまった」と思われていました。しかし、勝手に忖度しすぎていたとしても、このきわめて特例的な契約には問題があります。そこを、財務省は「問題はありませんでした」で無理矢理押し通そうとしている――与党は、そう信じていたのです。

 しかし、実際は決裁後の文書を書き換えるという犯罪行為が行われていたのですから、その前提は大きく変わってきます。さすがに与党からも真相究明を望む声が上がっていますが、「さっさと佐川に責任を取らせて幕引きにして、日切れ法案を早く審議してくれよ」というのが本音でしょう。

「ポスト安倍」「安倍降ろし」といった声は参議院自民党と元参議院議員の方たちに多いようですが、本格的ではないように思います。秘書仲間の間でも「まだ、安倍さんが降りるときじゃないよね。安倍さんがすごくいいわけでもないけどさ……」という意見が圧倒的に多いです。

 そんななか、自民党は13日夜に次々と理事懇談会を開き、複数の委員会をセッティングし、野党不在の状態で日切れ法案の審議を始めました。この強硬な姿勢は悪いほうにしか転がらないと思いますが、議員たちは本当に世論をわかっていないのでしょう。一方の野党も、審議拒否ではなく、法案審議と改ざん問題は切り離して、議員としての職務をまっとうすべきだと思います。

急にセットされた委員会の質疑準備、通告、答弁準備で、また秘書も職員も振り回されています。これには、迷惑を被っている人たちを代弁して「きちんと手続きしろ!」と言いたいです。
「同じ財務省の人間でも発想がわからない」

「『改ざん』じゃなくて『訂正』だろ?」

 与党議員や省庁職員のなかには、まだこんなことを言う人もいます。

 神澤は、財務省が提出した「書き換え前」と「書き換え後」の文書を比較しながら、文の間ににじむAさん、そして真っ当な常識と公務員としての誇りを持って仕事をされてきた方たちの無念を思って、涙が出てきました。

4135とはずがたり:2018/03/16(金) 17:45:26
>>4134

 改ざん後の文書では、「特殊性」や「特例」という言葉が削られています。改ざん前の文書では、それらの言葉を補足するかたちで「いかに、この契約が特別なものなのか」を説明しようとしています。

「この決裁は、決して私たちの本意ではない。この契約書は、おかしいところがたくさんある」――文書を起案した職員たちは、こう訴えたかったのだと思います。そして、その“メッセージ”に気づいてあげられるタイミングは何度もあったはずですが、国土交通省も会計検査院も、昨年の4月に同じ番号の2つの決裁書類があることに気づきながらもスルーしてしまいました。

 今回の件では、会計検査院にも落胆しました。憲法で保障された独立した組織であるはずなのに、なぜスルーしてしまったのでしょうか。どこかに「これを公にすれば、大変な混乱が起きる」という懸念があったのでしょう。ちなみに、会計検査院は野党からの「なぜ気づいた時点で公にしなかったのか?」という問いに「情報量を絞っただけの『訂正』だという認識だったから」と答えています。

 安倍首相は、初めて森友学園の問題が審議された昨年の予算委員会において「私や妻が関係していたということになれば、総理大臣も国会議員も辞める」と答弁しています。そのため、「内閣に影響を与えてしまっては大変だ」という忖度が働き、スルーしてしまったのかもしれません。

 また、国交省も、昨年4月中旬に行われた会計検査院の近畿財務局への調査の際に、提出書類の内容の矛盾点を指摘されていたのに「財務省に聞いてください」と答えています。まさか、改ざんが行われているとは思ってもみなかったのだと思いますが、そこでもう一歩踏み込んで、2つの書類をじっくり見比べるべきだったと思います。同じ公務員という立場である以上、上からの命令で不本意な決裁をしなければならない無念さはわかっているはずなのに……。

 そして、財務省は野党から調査結果について追及されると「現在調査中なのでお答えできません」としか言わない一方で、「誰が文書改ざんに関与していたのか?」という問いには「財務省の理財局の一部の職員」と回答しています。
 本来であれば、それも今後の調査で明らかにされるべき点でしょう。それにもかかわらず、何度も明言する様子を見ていると、はじめから結論ありきで調査をしているようにしか思えません。すべてを佐川さんのせいにしようとしているのだと思います。

 改ざん前の書類については、財務省だけでなくほかの省庁の職員からも以下のような声が上がっています。

「こんなに説明に終始する調書は初めて見た。きわめて珍しい。起案者は、よっぽど思うところがあったのだろう」

「決裁を受けるまでの段階で修正を指示されることはある。不本意でも上からの指示には従うが、決裁後の文章に訂正をするなんて前代未聞。あり得ない。どうしてもその必要が出てきた場合は、別の文書として決裁を受け直すだろう。同じ財務省の人間でも、どうしてこのような発想になるのかわからない」

大阪地検が佐川氏に任意の事情聴取を検討

 佐川さんも、お気の毒です。少し前までは、「安倍首相を守るために虚偽の答弁までした」という見方をされており、いわば官邸内のヒーローでした。そのため、国税庁長官という異例の出世をしたばかりか、野党が国会に佐川さんを引っ張り出そうとしても高級ホテルにかくまわれて大事にされていたのです。

 しかし、結局は辞職せざるを得なくなり、「佐川が全部やった。佐川にすべての責任がある」といわんばかりに押し付けられています。また、大阪地検特捜部は任意の事情聴取を検討しており、これが現実になれば「公文書改ざん容疑での逮捕は免れないだろう」とみられています。

 しかし、今必要なのは、佐川さんにすべての罪をかぶせることではありません。きちんと真相解明をしないと、諸外国の政府から「安倍政権は危機管理が本当になっていない」と、日本はますます笑われてしまいます。

 マスコミも、これ以上佐川さんをしつこく追及する必要はないと思います。あとは司法に任せるべきでしょう。そして、佐川さんは理不尽な権力に負けず、自分の過ちを告白して罪を償うべきだと思います。

 ただ、永田町にいるからこそわかるのですが、「本当のことを言う」ということは、時に死ぬよりもつらいことも事実です。しかし、やはり命よりも大事なものはありません。

「特例承認の決裁文書」の文間ににじみ出ている職員の方々の無念さが、やっと国民のみなさんに伝わったと信じています。そして、一刻も早く真相が解明されますように……。
(文=神澤志万/国会議員秘書)

4136とはずがたり:2018/04/07(土) 22:48:01

昔あったみんなが作成した数字や指標を勝手に蒐集するスレってのがベストなんだけど,忘れてたけど削除しちゃったようだ。。

立憲民主党の勢力分布を初公開・市区町村別に比例得票率を地図化(2017年衆院選精密地域分析Part1)★
https://note.mu/miraisyakai/n/n2a691e1d9f2f
はる/みらい選挙プロジェクト(情勢分析ノート)
2018/04/07 15:48

4137とはずがたり:2018/05/04(金) 11:24:44
ミカン箱の西川。こんな所にいたのか。

元自民議員の学長「テレビ局を中韓の局が乗っ取り」
https://www.asahi.com/articles/ASL535RKRL53TIPE011.html?ref=tw_asahi
2018年5月3日20時52分

 元自民党衆院議員で、九州国際大(北九州市)学長の西川京子氏(72)が3日、福岡市内であった改憲派の集会で、テレビ局の放送内容が護憲に偏っているなどと批判し、「同じビルに中国、韓国のテレビ局が入っている。完全に乗っ取られているんですね。(改憲は)この人たちとの戦い」などと発言した。

 発言があったのは、改憲を訴える「美しい日本の憲法をつくる福岡県民の会」の集会。西川氏はまず、陸上自衛隊の日報問題を取り上げ、「(日報を)出さない方が悪いとやっているのは完全に日本のメディアではない」と主張。「いろいろな調査をした」とした上で、日本のテレビ局の建物の中に、中国や韓国のテレビ局が入居しているとして問題視。「以前は一部だったが、今は中枢にいるんですよ。日本人、何やってるんだと言いたい。この人たちとの戦いだということです、憲法改正は」などと述べた。

 発言後、西川氏は報道陣に対し、「テレビ局の住所の一覧表を見たら全部(中韓の局と)一緒だった。番組編成上、影響がないとは言えない」と説明。放送内容については、「コメンテーターは憲法改正に賛成じゃない人が圧倒的に多い。バランスが取れていない」などと話した。

4138さきたま:2018/05/04(金) 12:12:09
>>4136
下記のスレが良いんじゃないですか?
とはずがたりさんも「はる@みらい選挙プロジェクト」のデータを貼られていますし。

衆議院議員総選挙小選挙区得票データスレ
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1509078491/l50

4139とはずがたり:2018/05/04(金) 13:07:48
なるほど!忘れてました。そっちが良さそうですね

4140とはずがたり:2018/07/11(水) 15:42:00
宴会に寿司。記録的豪雨が西日本を襲う中、安倍首相や被害の大きい地域選出の議員たちの行動が物議
https://www.excite.co.jp/News/economy_g/20180708/Harbor_business_170076.html
ARBOR BUSINESS Online 2018年7月8日 15時53分


 今、こうしている間にも救助を待つ人たちがいて、行方不明になっている人たちの捜索が急がれますが、菅義偉官房長官は記者会見で「先手、先手を打つ」と公言しました。

 ところが、今回の記録的豪雨では、明らかに政府の初動が遅く、人命救助の人手が足りず、被害が拡大しています。本来なら一発レッドカードになる案件ですが、今は安倍政権の責任を問うより人命救助の方が優先です。もう初動の遅れを取り戻すことはできませんが、今からでも全力で人命救助にできる最善を尽くしてもらいたいと思います。

 今回、初動が遅くなってしまった最大の原因は「赤坂自民亭」なる若手議員との親睦会だと、僕は考えています。


今日は27回目の #赤坂自民亭 @議員宿舎会議室、若手議員との交流の場ですが、#安倍総理 初のご参加で大変な盛り上がり!内閣からは#上川法務大臣 #小野寺防衛大臣 #吉野復興大臣 党側は #岸田政調会長 #竹下総務会長 #塩谷選対委員長、我々中間管理職は、若手と総理とのお写真撮ったり忙しく楽しい! pic.twitter.com/LHIKcBFowE

? 片山さつき (@katayama_s) 2018年7月5日 総裁選3選目を目指し、若手議員との親睦を深めたかった安倍総理ですが、東京がそんなに雨が降っていなかったもので、西日本の広いエリアで大変なことになっていることを想像もできなかったのかもしれません。宴会するのは構いませんが、すでに西日本では避難者も多数出ているときに、わざわざSNSにアップすることでしょうか。

 あの酒盛りをしていた時間にも西日本では避難している人たちはたくさんいましたが、安倍晋三総理や上川陽子法務大臣(衆・静岡1区)などは楽しそうに記念写真を撮影していました。その結果、これほど大事な時に安倍晋三総理は二日酔いとしか思えないむくんだ顔で15分ほど対策会議をした後、私邸に帰りました。呆れた話ですが、甚大な被害が出ているエリアの国会議員がちゃんと仕事をしているのかを調べてみると、安倍晋三総理に負けず劣らずろくすっぽ仕事をしていないように見える議員が見つかりました。

 岡山1区選出の自民党の国会議員・逢沢一郎議員です。

◆食べるものに困る被災者が出る中、寿司の写真をアップした逢沢議員

 今回、岡山県では非常に深刻な被害が出ています。今なお救助を求める声もありますし、行方不明になっている人もいるので心配です。そんな中、岡山1区選出の自民党の国会議員・逢沢一郎さんは何をしていたのかと言うと、富山に行って、ご覧の観光気分でした。
JR西日本「Belles montagnes et mer〜 #べるもんた 〜」です。JR高岡駅です。橘慶一郎衆議院議員らと乗ってみました。べるもんたは城端線 氷見線を走ります。車窓から自然豊かな富山を満喫できます。素朴な散居村 山々を、そして美しい海外を。観光客にも好評。海外からもわざわざ。いいね。 pic.twitter.com/sW7GQuNFTW

? あいさわ一郎 (@ichiroaisawa) 2018年7月7日“JR西日本「Belles montagnes et mer〜 #べるもんた 〜」です。JR高岡駅です。橘慶一郎衆議院議員らと乗ってみました。べるもんたは城端線 氷見線を走ります。車窓から自然豊かな富山を満喫できます。素朴な散居村 山々を、そして美しい海外を。観光客にも好評。海外からもわざわざ。いいね。”


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板