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選挙・議員関連情報スレ
4073
:
名無しさん
:2016/09/12(月) 00:03:36
http://blogos.com/article/190078/
鈴木宗男
2016年09月11日 12:12
9月11日(日) - ムネオ日記
加藤紘一先生が9日亡くなっていたと昨夕のニュースで知る。77歳、早すぎる旅立ちである。
加藤先生と言えば、「加藤の乱」が政治家としての大きな分岐点だった。あれは、2000年9月から10月にかけ、私は加藤先生から二度ほど相談を受けた事がある。
「ムネさんの処から20人貸してもらえないか」私は、「加藤先生、あなたは保守本流自民党のエースです。必ず、森先生の後は、あなたしかいません。野中広務先生もそう思っています。野党と組んでのクーデターはいけません。自重して下さい」と二度とも同じ事を言った。
その後も加藤先生の佐藤秘書から何度となく声がかかったが、私はブレなかった。加藤先生は勝負に出ようとしたが、結局は失敗に終わった。
政治の世界、「たら」「れば」はないが、あの時、加藤先生も静かにしていれば、間違いなく森喜朗先生の後は加藤先生で、小泉政権誕生はなかっただろう。
政治の世界、一寸先闇(ちょっとさきやみ)とはよく言うが、一寸(ちょっと)した判断で歴史は変わるのである。
あの時、私は一つ感激した事がある。世論支持も下がり、森喜朗総理が弱気になっていた。日露関係に強い情熱を燃やしていた森総理が「鈴木さん、俺はダメかもしれない。加藤さんがなる可能性がある。もしそうなっても私に仕えたように、国益の為にも協力してやってほしい」と言われた事がある。
同じ事を佐藤優さんにも言っていた事を後に知った。政敵になろうとしている人に心広く、温かい思いやりを持ち合わせ、何よりも「国益の為」と言った森総理の人柄、人情、諸々に胸が熱くなったものであった。
今も森元総理に何かとお世話になっているが、尊敬と親しみをもって接している私である。「加藤の乱」の時、野中幹事長、鈴木総務局長、いわゆる野中、鈴木ラインと言われた時代で、「乱」を治めたのである。
加藤紘一先生のご冥福をお祈りしてやまない。
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