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選挙・議員関連情報スレ

4056名無しさん:2016/08/20(土) 22:44:15
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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160712-00510466-shincho-soci
鳩山邦夫の遺産は170億円以上 後継は「次男の可能性が高い」
デイリー新潮 7月12日(火)5時52分配信

 唐突にもたらされた訃報だった。6月21日、67歳で逝去した衆院議員の鳩山邦夫氏。名門の出ながらそれを鼻にかけず、多くの人に慕われた彼は、どのような姿を周囲に見せていたのか。また、170億円以上と目される遺産の内訳、後継者選びの行方は――。

 ***

 邦夫氏が東京・文京区の「音羽御殿」に生まれたのは1948年。曾祖父は元衆院議長の和夫氏、祖父は元首相の一郎氏、父は元外相の威一郎氏という政界きっての名門の出だが、彼の元秘書が言うには、

「私が見る限り、邦夫さんは鳩山家という超エスタブリッシュメントに生まれたことを逆にコンプレックスに感じていたと思う。あの人は本当に気取らない人で、スーツだって安物だったし、穴の空いた靴下を穿いていたこともあった。それが全て演出ではないと思うけれど、庶民的に、庶民的に振る舞おうと意識していたのは間違いない」

 東大を卒業した後、田中角栄の秘書を経て衆院選挙で初当選を果たしたのは76年。その後、1度落選を経験するも、91年に宮澤喜一内閣で文部大臣(当時)に就任するまでは、まずは順風満帆な政治家人生といってよかろう。その頃、邦夫氏の秘書を務めていた白石英行・文京区議会議長は、

「代議士はとにかくパワフルだった。朝からかつ丼とかステーキを食べて、夜は時間が空くと選挙区内の飲み屋をハシゴ。それから自宅に帰って自分や秘書たちの分の食事を作り、それを皆で食べてようやく1日が終わるのです」

 同じく邦夫氏の元秘書で、現在は民進党代議士の牧義夫氏もこう言う。

「朝から天ぷらを揚げていることもありました。鳩山事務所に入ると皆10キロくらい太ってしまうので、他の事務所からは“鳩山部屋”などと呼ばれていた」

■離党、復党を繰り返し
 93年に自民党を離党。兄の由紀夫氏と共に旧民主党を結党したのはその3年後である。元秘書の馬渡龍治氏によると、

「お二人が兄弟新党を結党する背景には、母親の安子さんの思いがあった。しかし旧民主党を作って合流した後も二人の関係はギクシャクしたままで、しばらく私が両者の間のメッセンジャーを務めなければならなかったほどです」

 元民主党代議士で政治評論家の木下厚氏が言う。

「その後は都知事選に落選して自民党に復党するものの再離党し、さらにまた復党するという政治人生を歩みました。政治家としての資質には恵まれていましたが、功を焦り、却って逆に逆にと行ってしまったような印象を持ちます」


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