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欠陥コピペ王

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2資料管理請負人:2014/08/31(日) 01:50:51
グローバル恐慌―金融暴走時代の果てに
渾身のコピペ/欠陥読書人2
茶:大王コピペ箇所
青:底本?? 緑:底本著者



【コピペ作品】
今月の本?? 投稿者:月刊読書人?? 投稿日:2010年 3月30日(火)23時18分1秒????  通報 返信・引用

茶:大王コピペ箇所
青:底本 緑:底本著者


【コピペ作品】

今月の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2010年 3月30日(火)23時18分1秒   通報 返信・引用

 MB会の名コックであるMさんといえば誰であるかすぐお分かりのことでしょう。
彼から聞いたことであるが、アルバイトで警備などの仕事に就く場合、見回りする以外の自由な時間は(控え室で他の同僚はテレビを見ている人が多い中で)新聞の書評欄で評判になった本を読むことが多い、とか。
 それでは「最近どんな本、読んでる?」と問うてみたら、その後MB会などで会ったときに、ちょくちょく(自分が読み終わった)本をいただくことが多くなった。本のジャンルは幅が広いが、どれも社会問題や時代の矛盾を告発するような本ばかりだ。

 先日、お会いしたときにいただいたのは『浜矩子著の「グローバル恐慌」』と『栗原俊雄著の「シベリア抑留」』である。
 そのうちの『グローバル恐慌』というのを、今月の推奨する本として紹介したい。


『グローバル恐慌―金融暴走時代の果てに―』 浜矩子 著(岩波新書)

?  2008年に発生した米国発のサブプライム問題は100年に一度とも言われる経済混乱を招き、世界そして日本を大きく揺さぶっている。何故こんなことになってしまったのか、世界同時不況はこれからどうなっていくのか、大いに気になるところだ。

? 著者は、この危機を「21世紀グローバル恐慌」と名付ける。これまでの恐慌とは決定的に異なる新しい特徴があるからだ。

? 現在の経済収縮は、金融危機の段階を超えて、世界規模の「恐慌」へと歩みを進めているのではないか。
この危機拡大の要因を解説しながら、このようになった事態の意味、世界同時不況のゆくえについて考察し、金融の暴走をもたらしたグローバル経済を変革する必要性を強く訴える。

? 著者は、90年代シンクタンクのエコノミストとして英国に赴任していた。折りしも日本経済はバブル崩壊で大変な不況に陥り、世界第二位の経済大国の行方に欧州経済界の関心は高かった。そんなときBBCのニュース番組に出演し、キャスターからの難しい質問を流暢な英語で難なくこなしていたことを記憶している。
 そのときから私は気になっていた著者だが、現在は、日本で大学(同志社大学)の教壇に立っている。そして時々、テレビ討論などパネリストとして出演したときには、その強烈な個性と、鋭い舌鋒で話題を呼んでいる。

 私もテレビや週刊誌(週間金曜日)で彼女のコメントや主張を良く聞いているが、「わかりやすさ」と「歯切れのよさ」では、並居るエコノミストの中では傑出していると思っている。

 特に本書での最後の「そして今を考える」という「章」では、「グローバル恐慌は企業の資金調達難という形で確実にカネの世界からモノの世界に伝播する」という自説は納得のいくものだった。
? とにかく、借り物ではなく、和製エコノミストのホネのある生きた経済観をインパクトのある内容になっていることは間違いない。



? ただ、若干不満があるとすれば、バブル経済の破綻に伴う不良債権処理を経験した日本は、世界に何かを教えられるのではないかということについて、著者は「世界が日本から学べる時期は過ぎた」と手厳しい。また「2006年ごろから、兆候は見えていたのに・・・・」というのなら、何故そのとき何らかの警告を世間に発しなかったのか、と言いたくもなる。

?それでも、本書は非常に読みやすく書かれているし、内容的にも充実しているので、経済についての解説書としては飽きが来ない程度の時間で読破できる。




【底本】

?なぜこうなった? これからどうなる?

 アメリカ発のサブプライム問題は、「百年に一度」とも言われる経済波乱を招き、世界そして日本を大きく揺さぶっています。なぜこんなことになってしまったのか、世界同時不況はこれからどうなっていくのか、大いに気になるところです。

? 著者は、この危機を、「21世紀型グローバル恐慌」と名づけています。これまでの恐慌とは決定的に異なる新しい特徴があるからです。緊急出版の形で刊行した本書では、危機がやって来た理由や、世界で今起きつつあることを、緊張感の漲った文章で探っていきます。現在進行中の事態を鋭く、そしてわかりやすく捉えた本です。ぜひご一読下さい。
(新書編集部 小田野耕明)


?アメリカのサブプライム危機は、金融市場を麻痺させ、全世界を震撼させている。現在の経済収縮は、金融危機の段階を超え、世界規模の「恐慌」へと歩みを進めているのではないだろうか。危機拡大の要因を解説しながら、事態の意味、世界同時不況のゆくえについて考察します。金融の暴走をもたらしたグローバル経済を変革する必要性を強く訴えます。
(岩波レビュー)



?評価が高い有用性のあるレビュー
51 人中、32人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。

5つ星のうち 5.0 浜 矩子、 恐るべし!!
 本書の著者は、1990年代初頭、シンクタンクのエコノミストとしてロンドンに赴任していた。折しも日本経済はバブル崩壊で大変な状況に陥り、世界第2位の経済大国の行方に欧州経済界の関心は高かった。そこで彼女にお呼びがかかる。BBCなどのニュース番組に出演し、日本経済に対するキャスターからの難しい質問を、流暢な英語で難なくこなしていた。現在は、日本で教壇に立つ著者であるが、テレビ討論などにパネリストとして出演した時には、その強烈な個性と、鋭い舌鋒で話題を呼ぶ鬼才とも言うべき著者の最新刊である。...
レビューをすべて見る ?
投稿日: 2009/2/21 投稿者: 21世紀のケインジアン


?BBCコメンテーター時代からお馴染みの, 2009/3/21
By hayato01
単身ロンドンの金融センターで溢れる情報と格闘し、押し潰されもず、亜流の祖述家や当時巷に溢れた凡百おのぼりさん的賛美に陥ることもなく、その本質を見詰め抜き、磨きあげやがてあちらの一流ジャーナリストにも認められるにいたった誠に数少ない和製エコノミストのホネのある生きた経済観・相場勘・因果の直感に溢れているインパクトの非常に強い内容になっています。


5つ星のうち 5.0 切れ味鋭い21世紀型恐慌の分析, 2009/1/22
Byヒデボン (奈良県奈良市)
レビュー対象商品: グローバル恐慌―金融暴走時代の果てに (岩波新書) (新書)
(中略)

? 本書は非常に読みやすく、内容も充実しているので是非一読をお薦めするが、
?エコノミストたる著者に若干の不満もある。
バブル経済の破綻に伴う不良債権処理を経験した日本は、世界に何かを教えられるのではないかということについて、著者は「世界が日本から学べる時期は過ぎた」と手厳しい。また「2006年秋ごろから、兆候は見えていたのに・・・・・」というなら、先生、なんでそのとき何らかの警告を世間に発さなかったのか。

3同人α総務:2014/09/01(月) 21:24:16
医者井戸を掘る
◆2002年9月 初登場です。
「わたしたち」とアジで使い慣れた言葉を繰り返すものの、
それなりに自分の言葉で本の紹介をしています。




秋の気配も近いようで・・・・・     2002年 9月22日(日)21時41分29秒
The Apple・・・・New York のこと、O氏の英語物知り帳を見て、懐かしく思い出しました。20年前の80年代、ニューヨーク、マンハッタン、それも昨年の9月11日のテロで倒壊したWorld Trade Center(north)に勤務した4年間のこと。この頃よくThe Apple と使ってたし、あちこちの看板にも大きなリンゴの絵があったもの。ただ本当のアメリカらしさは、New York にはないなあというのが率直な感じでした。ところで月一回の最近読んだ本の書評を。

医者井戸を掘る
                        中村 哲 著(石風社)

 確か今年の1月か2月ごろの国会審議で、昨年の9.11以来、注目されはじめたアフガン問題で、参考人として意見を求められた著者が、“皆さんはアフガンという現場の現実を知らないで机上の論議ばかりしている”というようなことを言ったため、多くの自民党議員からクレームがでた・・・・というような新聞の記事を見たことがある。そのような記憶があって、この本を図書館で見つけて読んでみた。

著者の略歴は、1946年福岡生まれ、九州大学医学部卒業。国内の診療所勤務を経て、1984年4月パキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任。以来17年に亘りハンセン病のコントロール計画を柱にした貧困層の一般医療に携わる。そして1986年にはアフガニスタン無医地区での診療活動を実践し、診療所設立や無医村地区での診療活動などのNGO活動を精力的に遂行、とある。
 本書はもともと医者である著者が、PMS (ペシャワール会医療サービス、1983年に著者のパキスタン・アフガニスタンでの医療活動を支援する目的で結成された日本の民間海外協力団体)の仲間等と共に、2000年6月から始まったアフガニスタンの未曾有の大旱魃に遭遇して、早急な水源確保の対策を迫られ、井戸を掘る悪戦苦闘の記録である。
 私たちは昨年9月11日(米国同時多発テロ)以降、米国の軍事攻撃の標的となったアフガニスタンの不幸についてはいくらか知っている。しかしそれ以前のこの国に対してどれほどの関心があっただろうか。この大旱魃についても、かろうじてWHO(世界保健機関)が警告を発していたが、まともな国際的対応は皆無であった。1200万人が被害を受け、400万人が飢餓に直面、餓死寸前の者100万人と見積もられた。問題は医療以前にあった。とにかく医者である著者が“病気は後でも治せる。ともかく生きのびてくれ!”と言わざるをえない深刻な状況があった。
 確かに私たちは数字に麻痺してるいかもしれない。「百万人が餓死」などと報告書では簡単に聞くことができる。しかしこの著書が言うように、実際の修羅場を目前にすれば、それは生易しいものであるはずがない。それに診療地域が無人化すれば、医療どころではないだろう。そして著者たちの苦闘の活動の結果、2,001年8月末現在、作業地600ヶ所、うち512ヶ所の水源が利用可能、約20万人以上の難民化を防止する一大事業となり、所によっては、戦乱と渇水で一旦無人化した地域を再び緑化し、1万数千名を帰村させるという奇跡さえ現出できたのである。

4資料管理請負人:2014/09/01(月) 22:31:10
資本主義はなぜ自壊したのか
◆2009年、既にコピペ癖があったようだ。
◆ほとんど他人が書いた書評と本からの盗用と並べ替えだ。本からの引用も含めて
コピペして省力化を図っている。
◆好きな言葉? 笑っちゃう。



茶:大王コピペ箇所
青:底本/コピペ元
緑:本当の著者


【コピペ作品】

今年の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2009年12月31日(木)21時28分

 『神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。そして変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ』
 これは、神学者・ラインホルド・ニーバーの「祈り」の中に出てくる一節であり、私の好きな言葉でもある。
 同時に、この「祈り」はキリスト教世界にだけ当てはまる言葉ではなく、むしろ今のこの国の状況に対して切実な響きを持っていると私は思う。
 そしてなかでも求められているのは「識別できる知恵」だろう。さらに言えば、「変えるべきもの」と「変えるべきでないもの」をそれぞれが自己の確信として持とうとする「意思」ではないか。

 さて今年もあと数時間となってしまった。昨年もこのようなこと書いた記憶があるが、仕事を辞めたあと、特に束縛されるものがないと時間そのものが濃淡も起伏もなく無意識のまま流れていってしまう。はっと気づいたときは、もうこんな月日になってしまったかとあらためて感じいってしまうのだ。このような時間の経過にさえ無自覚のままに。

 ともかく今年の最後の日の大晦日である。今年最後の書評ともなれば、やはり今年読んだ本の中で最も印象深い本を挙げてみたい。もっともこれはあくまで私がそう感じたものであって、大方の読者の好みとは大分違いがあるかと思うが。

 資本主義はなぜ自壊したのか         中谷巌 著 (集英社)

 小渕内閣の経済戦略会議議長代理からその後の小泉内閣の経済財政会議の主要メンバーなど、
?90年代より市場解放・構造改革の急先鋒として経済政策に多大の影響を与えてきた著者が「グローバル資本主義は貧困や格差など深い傷を作り出す『モンスター』になった」と断じ、「それを支える新自由主義の考え方に決別、『転向』宣言を行った」のが本書である。
 著者が言う新自由主義、
?グローバル資本主義の本質的欠陥とは、ざっと挙げるだけでも次のようなものがある。

1. 世界金融経済の大きな不安定要素となる。
2. 格差拡大を生む「格差拡大機能」を内包し、その結果、健全な「中流階層の消失」という社会の二極化現象を産み出す。
3. 地球環境汚染を加速させ、グローバルな食品汚染の連鎖の遠因となっている。

 現在、地球上で起きているさまざまな問題のすべてをグローバル資本主義のせいにすることは
?酷かもしれないが、国境を越えて自由に経済資源が移動できるような世界がベストだというグローバル資本主義の基本哲学の正当性は再検証されるべき運命にあるのではないか。

?今回の米国発の金融不安は、まさにその本質的な欠陥や問題の一部を露呈したものに他ならないし、現在も深刻さを増しつつある環境汚染、食品汚染、格差拡大などを考えると、グローバル資本主義にはかなり大きな修正が不可避である。

?著者は「もっと強く言うことを許していただけるなら」とことわってはいるが、「米国主導のグローバル資本主義は自壊しはじめた」というのが、著者の認識である。

?本書の主張や趣旨は、以下の3点に集約される。
 第一に、感情論ではなく経済学のロジックから市場経済論、グローバル資本主義の欠陥を指摘したことである。「地産地消」のローカル資本主義に対して市場至上主義は必然的に大量の貧困層を生み出すと断じた。

 第二に、米国の特徴を論じ、これに日本の伝統的な思想・文化を対照させることで、日本独自の未来を描こうとしたことである。
 つまり、米国はそもそも自然や特殊性を排除する傾向の強い宗教・理念国家である。近年は「豊かさ」を支えていた大多数の中間層の没落によって超リッチ層と圧倒的多数の貧困層に分断された社会となった。だが日本には「自然との共生感」、長期互恵を基盤とした「安心・安全の社会観」、日本的経営を支える「商人道」、労使協調の哲学がある。それらを日本自身はもっと重視すべきであると説く。

 第三に、しかしその日本もOECDに属する先進国中で米国に次ぐ高い「貧困率」に苦しみ、08年の国際競争率は総合で9位、IT部門で19位と経済大国として不本意な評価を受ける国になった。当面の日本再生のカギは、適切な所得の再分配による貧困層の減少を図る税制改革を断行すること、特に「還付金つき消費税」方式の導入を提案している。

?本書の主張自体は、これまで新自由主義や構造改革に反論・疑義を唱えてきた人々の見解に重なり、特に目新しさは多くはない。それでもかっての自民党内閣の経済政策に多大の影響を及ぼしてきた著者の「懺悔」の書であるのなら、大いに聞くに値する。
 特に小泉内閣のときに、同じように重宝され市場主義、グローバリズムを先導した竹中半蔵が、反省するどころか、いまだに「市場主義はまだまだ完全ではない」とか「規制緩和をさらに進めるべきだ」などブザマな言動を発しているのに比べれば、著者の真摯な正直な態度は際立っていると言えよう。

?とにかく本書は社会的影響力のある筆者による新自由主義経済論への徹底批判という衝撃の書であり、直面している世界や日本の状況を念頭に置きながら本書を読めばかなりの説得力を持つ。それに平易に分りやすく述べてあるので、経済にさほど詳しくない読者でもスムーズに理解できる。



【コピペ元−1】
書評
資本主義はなぜ自壊したのか [著]中谷巌
[評者]天児慧(早稲田大学教授)  [掲載]2009年01月25日   [ジャンル]経済
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=LuyxsmuhiqEJ&p=%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E3%81%AF%E3%81%9D%E3%82%82%E3%81%9D%E3%82%82%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%82%84%E7%89%B9%E6%AE%8A%E6%80%A7%E3%82%92%E6%8E%92%E9%99%A4%E3%81%99%E3%82%8B%E5%82%BE%E5%90%91%E3%81%AE%E5%BC%B7%E3%81%84%E5%AE%97%E6%95%99%E3%83%BB%E7%90%86%E5%BF%B5%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B&u=book.asahi.com%2Freviews%2Freviewer%2F2011071704399.html

■「転向」宣言し新自由主義経済を批判
 サブプライム問題が発生して以降、世界は金融恐慌の嵐に遭遇している。米国大手金融業界では大規模な倒産、解雇が相次ぎ、世界の金融経済を完全に狂わせてしまった。わが国でも不況は一挙に爆発し、輸出産業の急激な減速、従業員の大量解雇など深刻な経済危機に陥っている。さらに、格差拡大に伴う貧困化、医療など社会保険システムの弱体化、環境汚染、人間性荒廃など様々な経済社会問題が深刻化している。この状況の中で、
?90年代より市場開放・構造改革の急先鋒(きゅうせんぽう)として経済政策に多大な影響を与えてきた著者が本書で、グローバル資本主義はこうした深い傷をつくり出す「モンスター」になったと断じ、それを支える新自由主義の考え方に決別、「転向」宣言を行ったのである。

?本書の主張自体は、これまで新自由主義論や構造改革に反論・疑義をとなえてきた人々の見解に重なり、とくに目新しさは多くはないが

?以下の3点が特徴的である。
第1に、感情論ではなく経済学のロジックから市場経済論、グローバル資本主義の欠陥を指摘したことである。「レバレッジ経営」による金融経済の飛躍的な成長と、歯車が逆方向に向かったときの巨大なバブル崩壊、「地産地消」のローカル資本主義に対して市場至上主義は必然的に大量の貧困層を生み出すと断じた。

 第2に、米国の特徴を論じ、これに日本の伝統的な思想・文化を対照させることで、日本独自の未来を描こうとしたことである。米国はそもそも自然や特殊性を排除する傾向の強い宗教・理念国家である。近年は「豊かさ」を支えていた大多数の中間層の没落によって超リッチ層と圧倒的多数の貧困層に分断された社会となった。日本には「自然との共生観」、長期互恵を基盤とした「安心・安全の社会観」、日本的経営を支える「商人道」、労使協調の哲学がある。それらを日本自身はもっと重視すべきであると説く。

 第3に、しかしその日本もOECDに属する先進国中で米国に次ぐ高い「貧困率」に苦しみ、08年の国際競争力は総合で9位、IT部門で19位と経済大国として不本意な評価を受ける国になった。当面の日本再生のカギは、適切な所得の再分配による貧困層の減少を図る税制改革を断行すること、特に「還付金付き消費税」方式の導入を提案している。またデンマークなど北欧での「大きな政府」が経済を活性化させるメカニズム、国民を支える地域社会の活力を紹介し、同時に歴史や文化の伝統から日本は「環境保護の超先進国」を目指すべきだと説いている。ただ、最後に今こそ「モンスター」に鎖をつけ、自由の抑制が必要だとしているが、それは我々自らが欲望を抑制することだと精神論で締めているのはいささか拍子抜けであった。
?しかし、本書は社会的影響力のある筆者による新自由主義経済論への徹底批判という衝撃の書であり、直面している世界や日本の状況を念頭に置きながら本書を読めばかなりの説得力を持つ。特に「構造改革」を推進してきたブレーンや、迷走している政治家の皆さんが真剣に読まれることをお勧めする。


【コピペ元−2】

ライブドアブログ
http://blog.livedoor.jp/nnnhhhkkk/archives/65283025.html
2009年07月12日00:00
カテゴリ中谷巌経済

事実を捻じ曲げてまでグローバル資本主義のせいにする中谷巌
 「資本主義はなぜ自壊したのか」18〜19ページ。
 以下引用。

 多くの経済学者、ことにアメリカの経済学者たちは「これは大変な激動ではあるかもしれないが、しょせんは資本主義経済の自律的な調整のプロセスである」と考えて、国境を越えて資本やモノが自由に移動するという、新自由主義やグローバル資本主義の枠組みそのものは今後とも続くと楽観的に考えているようだ。
 しかし、筆者はそのような楽観的な考えをもっていない。
 なぜなら世界経済をこれまでダイナミックに拡大させてきたグローバル資本主義には、本質的と思われる欠陥が数多く内包されており、それらに対する適切な処方箋が示されない限り、そのままの形で再生することは決して好ましいことではないと考えるからである。
?グローバル資本主義の本質的欠陥とは、ざっと挙げるだけでも次のようなものがある。

 1.世界金融経済の大きな不安定要素となる。
 2.格差拡大を生む「格差拡大機能」を内包し、その結果、健全な「中流階層の消失」という社会の二極化現象を生み出す。
 3.地球環境汚染を加速させ、グローバルな食品汚染の連鎖の遠因となる。

 現在、地球上で起きているざまざまな問題のすべてをグローバル資本主義のせいにするのは
?酷かもしれないが、国境を超えて自由に経済資源が移動できるような世界がベストだというグローバル資本主義の基本哲学の正当性は再検証されるべき運命にあるのではないか。
?今回の金融不安は、まさにその本質的な欠陥や問題の一部を露呈したものに他ならないし、現在も深刻さを増しつつある環境汚染、食品汚染、格差拡大などを考えると、グローバル資本主義にはかなり大きな修正が不可避になるはずである。
?もっと強く言うことを許していただけるなら、「アメリカ主導のグローバル資本主義は自壊しはじめた」というのが筆者の認識なのである。



5資料管理請負人:2014/09/02(火) 21:53:54
若き友人たちへ―筑紫哲也ラスト・メッセージ
◆嘘と捏造と盗用とパクリの韓国とそっくりの欠陥コピペ大王だ。
 どこまでが引用なのか明記していない。そもそも自分の言葉(考え)であるかのよう
 に見せることに何のためらいもない。完全に日常化している。
◆この人にはものを書く人間としての本分も良識もない。
◆朝日記者を嘆く人が、朝日の書評をコピペして自分の言葉にする。大笑いだ。
◆赤字の部分、書いてある事はもっともだが、書いている人を思うと大笑いだ。

茶:大王コピペ箇所
青:底本/コピペ元
緑:本当の著者


【コピペ作品】

今月の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2010年 2月28日(日)22時07分
40年近く朝日新聞を購読している。朝日は他の新聞よりも比較的メディアとしての本分と良識を保っていると思っていたからだ。だが最近のこの新聞の論調にはまったく失望している。
 なぜかと言えば、沖縄の基地問題、鳩山内閣半年の評価、小沢と検察の権力闘争などどれをとっても以前ほどジャーナリズムとしての論理や理念をベースにして主張することがなくなってきた。ということは逆に言えば、大衆迎合主義的な論調が多すぎるということである。

 例えば沖縄の普天間基地の移転問題について自公政権と米国の合意は尊重せねばならぬとさんざん強調しておきながら、基地移転反対派の市長(名護市)が当選したら、今度は逆に沖縄県民の民意は充分配慮せねばならぬと言い出すのだ。また一方では鳩山内閣の(基地移転の問題を決められない)優柔不断さを批判する始末である。

 ジャーナリストとして権力を批判するスタンスは最も大事なことである。ただしやみくもに何でも批判するということではなく、批判する根拠をきっちりと提示せねばならない。そしてそれは歴史的、社会的視野を持ち、新聞というメディアとしての理念に基づいて述べなければならない。

 朝日新聞が何故このように付和雷同的、大衆迎合的傾向になり、一貫性、理念性の希薄さに陥ったかは、やはり社員特に編集委員メンバーにかっての気骨あるスタッフ(例えば筑紫哲也、本多勝一、上前淳一郎のような)がいなくなってしまったからだろうか。

 今月の推奨したい本は、その数少ない根っからのジャーナリストとして畏敬していた筑紫哲也(08年、肺がんで逝去)の最後のメッセージを編集した本である。

『若き友人たちへ―筑紫哲也ラスト・メッセージ』 筑紫哲也 著(集英社)

 4年ぐらい前だったか、当時早稲田の学生だった娘から「お父さんの好きな筑紫哲也が早稲田で講義しているよ」と言われたことがある。
 それより以前に彼の講演を聞いたことがあるが、「ものの見方や考え方」について実に明快に論理的に話を展開して大いに感銘を受けたものだ。いつかじっくりと彼の話をききたいものと思っていた。それで学生風を装ってこっそりと聴きにいってやろうかとも思ったが、今の大学当局は部外者の怪しいものたいしては、すぐ警察を呼ぶらしいから諦めたことも覚えている。

 そのころ、つまり2003年から2008年(亡くなった年)にかけて筑紫哲也は早稲田大学と立命館大学で講義を持った。その中で学生たちに再三伝えようとしたのは、情報や情緒に流されることなく自分の頭で考えることの素晴らしさであった。この一連の講義録をもとに、本書は構成された。「若き友人」を「日本人」と置き換えてもいい内容である。

? 内容は憲法、戦争、教育、メディア論など多岐にわたるメッセージが綴られているし、実に分かりやすく明快に論じている。
?  例えば、小泉首相時代の政治状況に、日本人の感情の根底には「判官贔屓(はんかんびいき)」という言葉に代表されるものがあったが、近年は「勝ち馬に乗る」傾向があると指摘。そして「いつも言われていることが正しいとは限らない」と、ぶれることのなかったジャーナリストの本領ともいうべき言葉が並んでいる。

「・・・・普通の国、などと言う人がいて、軍隊をもって戦争のできる国にしたいという政治家がいますが、悪いけどそれは私が死んでからにしてくれる?と冗談としては言いたくなるところがあります(沖縄から日本が見えるか?)」。
 この冗談は私たち遺された者にとっても辛いが、(その1年後に亡くなったことを考えると)筑紫さんはどんな思いで、この数行を書かれたのだろうかと、胸が詰るのだ。

 またジャーナリストとは「一言で言うと『お節介』業なのです」とちょっと照れ気味にも述べる。モノクローム写真の中で頬杖をつき、私がよく知っているあの笑い顔を浮かべている、柔らかなれど悪戯っぽい、それは通常いうところの「お節介」とは、ほど遠い笑顔である。
 どの章の、どのフレーズを読んでいても、筑紫哲也のあの声とあの口調が甦ってくる不思議さもある。

?筑紫哲也は、朝日新聞時代にウォーターゲート事件を取材、84年に「朝日ジャーナル」編集長となり、「若者たちの神々」などの連載対談で、10〜20代が支持する文化人を世に知らしめた。キャスターを務めたチャンネル6の「筑紫哲也NEWS23」では、90秒で私見を述べる「多事争論」が名物となった。

?ジャーナリストとしての筑紫哲也にはいくつかの座標がある。一つは活動基盤であるメディアそのものへの問い。テレビが狂騒を生みやすい怖さを自覚しながらメッセージを送り続けた。そして文化への強い信頼。音楽、美術、映画、ファッション。伝統から前衛までこよなく愛し取材した。

?だが著者の根強い人気の理由はジャーナリストとしての言説のみならず、多彩で濃密な人間関係が文章に刻印されていることにある。沖縄の「あばぁ」から著名な文化人まで深く交流を続けたことは有名だ。
 ジャーナリストという職を、人生を輝かせる手段として生きたからこそ、人間関係の希薄な時代に羨望をもって読まれているのではないだろうか。
 本書はベストセラーにもなり、すでに10万部が売られている。



【コピペ元】

売れてる本 『若き友人たちへ』
http://ameblo.jp/sakuratsuruchitoseyama/entry-10407576972.html
2009年12月12日(土)

   朝日新聞 「読書」(2009年12月6日編集者・小柳 学)より
   売れてる本
   ■若き友人たちへ      筑紫哲也〈著〉
 筑紫哲也が亡くなって1年、書店に3冊の本が並ぶ。学生を相手にした講義録が中心の『若き友人たちへ』は現在7万部。『この「くに」の面影』(日本経済新聞出版社)は400ページ超の厚さながら1万1千部。そして井上陽水らの回顧などで魅力を伝えるムック『筑紫哲也』(朝日新聞出版)は4万3千部と、どれも好調だ。

?中でも憲法、戦争、教育など多岐にわたるメッセージがつづられた『若き友人たちへ』は筑紫の感じ方、考え方をわかりやすく伝える。

?小泉首相時代の政治状況に、日本人の感情の根底には「判官贔屓」という言葉に代表されるものがあったが、近年は「勝ち馬に乗る」傾向があると指摘。そして「いつも言われていることが正しいとは限らない」と、ぶれることのなかったジャーナリストの本領ともいうべき言葉が並ぶ。

?筑紫は、朝日新聞の特派員時代にウォーターゲート事件を取材。84年に「朝日ジャーナル」編集長となり、「若者たちの神々」などの連載対談で、10〜20代が支持する文化人を世に知らしめた。キャスターを努めた「筑紫哲也NEWS23」では、90秒で私見を述べる「多事争論」が名物となった。

?ジャーナリスト・筑紫哲也にはいくつかの座標がある。ひとつは、活動基盤であるメディアそのものへの問い。テレビが狂騒を生みやすい怖さを自覚しながらメッセージを送りつづけた。そして文化への強い信頼。音楽、美術、映画、ファッション。伝統から前衛までこよなく愛し、取材した。

?だが筑紫の根強い人気の理由はジャーナリストとしての言説のみならず、多彩で濃密な人間関係が文章に刻印されていることにある。沖縄の「おばぁ」から著名な文化人まで、深く交流を続けたことは有名だ。ジャーナリストという職を、人生を輝かせる手段として生きたからこそ、人間関係の希薄な時代に羨望をもって読まれているのではないだろうか。



6資料管理請負人:2014/09/02(火) 22:06:41
シベリア抑留
.
四年前の五月の万華鏡を見ていたら、また机横のコピペルナーが
赤い点滅とけたたましい警告音を奏で始めた。



茶:シニンのパクリ文章
青:底本

今月の本  :2010年 5月31日(月)23時10分
(前略)

『シベリア抑留』           栗原俊雄 著(岩波新書)

 第二次世界大戦末期、日本との一週間の戦争に勝利したソ連は、旧満州の日本人約60万人を抑留した。そのうちの約6万人が死亡している。二千箇所の収容所の所在地は、シベリアに止まらず、ユーラシア各地に及んでいる。抑留期間は最長11年である。
 本書は、このようなシベリア抑留の全体像を体験者と遺族へのインタビューを通して明らかにする試みである。

 最も苛酷で凄惨な戦争の体験者は、決して語ろうとはせず、沈黙を守る。シベリア抑留の場合もそうであろうが、それでも最後は自らの遺言のように、著者に語ったのだ。

 目の前で仲間が射殺され、骨と皮だけになって死んだ仲間の死骸を埋めた人々。マイナス30度での重労働。少ない食料。麻酔のない手術。医療もないので病は死を意味する。
 旧軍の序列を笠に着て部下から搾取する将校や軍曹。頻繁な拷問。繰り返される思想教育と日本人アクチブからの吊るし上げ。日本人同士の加熱する密告。
 また次々と仲間が死ぬ、仲間の墓を掘る、仲間の衣服をはがし、自分の防寒にする。その修羅場を生き延びた人々にかける言葉は見当たらない。
 彼らは戦争で死線をさまよい、戦後はシベリアで地獄を見て、帰還後は日本政府に無視される。
 シベリア帰りはアカだとされ就職もままならず、再び仲間の弔いのために辛いシベリアを思い出して語り、補償を求めて政府と闘わなければならなかった。だが、「日ソ国交回復によって問題は解決した」という立場に立つ政府を相手取った訴訟は敗訴に終わる。

 壮絶な人生を、政治と戦争に翻弄された悲劇と簡単に片付けてしまうことはできない。
 この悲劇は敗戦時に日本軍がソビエト側に労働力の提供を申し入れたことから始まり、政府はそのことを未だに謝罪せず補償もされないままである。ソビエト側も明白な国際法違反で6万人が死んだことの責任をとっていない。

 帰還者の犠牲の上に成り立つ戦後日本が「平和と民主主義」の国であるということが言えるのか、これらの視点から検証すべきであろう。80歳を超える彼らの尊厳の回復をとおして「平和と民主主義」を再確立するためには、彼らにとって残された時間はわずかしかないのだ。


↑ このパクリ
【コピペ元】


アマゾン・ カスタマーレビュー
参照; http://www.amazon.co.jp/review/R1SG4NKNBRPXWW


最も苦しい思いをした人間は帰って来なかった, 2009/10/12 By picander
レビュー対象商品: シベリア抑留―未完の悲劇 (岩波新書) (新書)

最も苦しい思いをした人間は、生きて帰って来なかった。
万一、帰ったとしても思い出したくない、もちろん人に語りたくもない。
シベリア抑留を語ること、後世に伝えることの困難はここにある。膨大な、「語られなかったこと」のなかに真実がある。そのことを私たちは想像しなければならない。
目の前で仲間が射殺され、骨と皮だけになって死んだ仲間の死骸を埋めた人々。
マイナス30度での重労働。少ない食料、麻酔のない手術、医療もないので病は死を意味する。
旧軍の序列を笠に着て部下から搾取する将校や軍曹。頻繁の拷問。繰り返される思想教育と日本人アクチブからの吊るし上げ。日本人同士の加熱する密告。
また次々と仲間が死ぬ、仲間の墓を掘る、仲間の衣服をはがし、自分の防寒にする。その修羅を生き延びた人々にかける言葉は見当たらない。
彼らは戦争で死線をさまよい、戦後はシベリアで地獄を見て、帰還後は日本政府に無視され、シベリア帰りはアカだとされ就職もままならず、再び仲間の弔いのために辛いシベリアを思い出して語り、補償を求めて政府と闘わなければならなかった。壮絶な人生を、政治と戦争に翻弄された悲劇と簡単に片付けてしまうことはできない。悲劇は敗戦時に日本軍がソビエト側に、労働力の提供を申し入れたことからはじまり、政府はそのことを未だに謝罪せず補償もされないままである。ソビエト側も明白な国際法違反で6万人が死んだことの責任をとってはいない。日本の知識人もシベリア抑留を語らずソ連を礼賛したものは少なくない。国家の残酷さに、誰も目をつぶってはいけないのだ。私たちは「ノルマ」という言葉をビジネスで軽々しく使う。そのロシア語がどれだけの犠牲を生んだのか知ったならば、その言葉を使うのをやめて、ただ冥福を祈るしかないだろう。本書は40代の著者がシベリアの悲劇を現時点で可能な限り簡易にまとめた、力作である。



7資料管理請負人:2014/09/02(火) 22:20:54
東京島
見事な切り貼り具合だ。わずか語尾の表現を変えたりしているようだが、
その殆どが引用とコピペである。
「この人の本性とは何か」、コピペである。


注 茶 コピペ
  青 コピペ元


【コピペ作品】

今月の本 :2010年 6月30日(水)21時05分

 「人の本性とは何か」と問う場合、まず思い起こされる言葉に「性善説と性悪説」がある。
性善説とは人間の本性は基本的には善であるとする倫理学、道徳学説で、儒家のひとりである孟子に由来する。
 それでは性悪説とは?これも同じく儒家のひとりである荀氏が「性善説」に反応する形で唱えたものらしい。インターネットで検索したら「荀氏」第十七巻第二十三性悪篇に以下のように書かれている。
(長いため引用部分省略)

 このようなことを考えたのは、今月紹介したい本『東京島』(桐野夏生著)を読んだことによる。
*1  絶海の無人島に漂着した31人の男とひとりの女。極限状態で本能をむき出しにする女、生にすがりつく男たち。まさに人間の本性をむき出しにして現代の日本人へ「性」と「欲」の本質を突きつけた問題作である。


   東京島             桐野夏生 著(新潮社)

*2 那覇港を出港したクルーザーがほどなく難破、一組の夫婦が見知らぬ無人島に流れ着く。3ヵ月後には離島でのきついバイトから逃げてきたフリーターの若者23人、その後には日本への密航中に捨てられた中国人10人余り、漂着して自給自足の生活を始める。
 唯一の女性がセックスの力で島に君臨し、リーダーが入れ替わり、中国勢との対立や裏切りがあり、かくして救出を待って5年、いつしか皆は島を「東京島」と呼ぶようになる。そして女は父親の定まらない子を孕む。


*3 地に墜ち腐爛した南国の果実の粘りつく臭気が絡みつくように、彼らの共同生活はじんわりと壊れていく。漂流の果てに辿りついた南海の孤島、31人の男と一人の女という設定は、天然の牢獄に収監された囚人たちの様である。
 文明という脊椎を抜き取られ現代人の表皮を剥がされた人間は本能の枷を外し曝け出す。悲嘆の果てに命を落とす者、妄想の世界に足を踏み入れる者、そして己が持つ手段を最大限に利用して生に執着する者。生命と引き換えに魂のどこかが壊死していくのを鼻で嗤いとばすがごとく、作者の筆力は冴えている。
(中略」)
「人間の醜さ」や「人間の毒々しさ」を書かせたら右に出る者はないといわれる著者の渾身の作品であろう。



【ネタ記事】

*1 「32人が流れついた太平洋の涯の島に、
女は清子ひとりだけ。
いつまで待っても、無人島に助けの船は来ず生にすがりつく男たち。
極限状態での人間の本質を現代の日本人に突きつける
著者渾身の問題作!」
コピペ元 当本の広告記事


*2 那覇港を出帆したクルーザーがほどなく難破、一組の夫婦が見知らぬ無人島に流れつく。3カ月後には、離島でのきついバイトから逃げてきたフリーターが23人、その後には日本への密航中に捨てられた中国人が10人余り、漂着して自給自足の生活を始める。唯一の女性がセックスの力で島に君臨し、リーダーが入れ替わり、中国勢との対立や裏切りがあり、かくして救出を待って5年、女は父親の定まらない子を孕(はら)む。
コピペ元 評・鴻巣友季子(翻訳家) http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011071703825.html


*3 地に堕ち腐爛した南国の果実の粘つく臭気が絡みつくように、彼等はじんわりと壊れていく。漂流の果てに辿り着いた南海の孤島、三十数名の男とたった一人の女、天然の牢獄に収監された囚人達。文明という脊椎を抜き取られ現代人の表皮を剥がされた人間は本能の枷を外し曝け出す。悲嘆の果てに命を落とす者、妄想の世界に足を踏み入れる者、そして己が持つ手段を最大限に利用して生に執着する者。生命と引き換えに魂の何処かが壊死していくのを鼻で嗤い飛ばすが如く。納豆風と呼ばれる腐臭を孕む風が、今日も島と囚人達に吹く。
コピペ元  ちはや@灯れ松明の火   2010年6月12日



8資料管理請負人:2014/09/07(日) 12:31:32
女ざかり          
◆*註  8月に「最低の男」の投稿にへそを曲げた風流人、及びみつる氏の休筆を指す
ものとの思われる。欠陥読書人こそ風流人当人だ。
◆朝日に載った筒井によるこの本についての記事から始まっている。
 本の紹介の中味は殆どが筒井が書いた書評からのコピペだ。終わりに「あれこれ書評す
 るよりもとにかく読む」とあり、本人は書評したつもりであることが分かる。盗っ人猛
 々しいとはまさしくこのことだ。
◆本当に450ページ読んだのだろうか。「女ざかり」は彼が期待していた色本ではなかっ
 たはずだ。「ペダンチック」と言う言葉を分かっているのだろうか。なにせコピペだか
 ら。
◆同じ休筆経験者同士、欠陥読書人は筒井になりきっているのかもしれない。


茶:シニンのコピペ箇所
青:底本でコピペされた箇所


【コピペ作品】

今月の本 :2010年 8月31日(火)22時31分

(前略)それでは投稿に入ります。
最近この掲示板で休筆宣言(*註)があったりしていたが、そのときに思い出したのが作家・筒井康隆である。
(中略)
 まあ、そういうことで作家・筒井康隆の名を思い出したわけだが、彼が最近の朝日新聞で90年代にベストセラーとなった丸谷才一の長編小説『女ざかり』を彼の読書遍歴の中で絶賛していた。私もブラジル駐在のときにこの本を読み始めるや面白くて450ページ近くを一気に読み終わったことを覚えている。
 というわけで、今月の本として暑いさかりではあるが、この『女ざかり』を紹介したい。

   女ざかり          丸谷才一 著(文春文庫)

?  女主人公・南弓子は新聞社の論説委員だが、ある日の論説が政府に献金している宗教団体の怒りに触れて、政府を通じ新聞社に圧力がかかって彼女は転出させられそうになる。彼女に論説をやめさせなければ、新社屋建設用の土地を払い下げてやらないと言うのである。

?  ここで彼女を助けようとするのが、論説委員室の同僚で以前彼女から仕事を助けてもらった元社会部の辣腕記者、恋人の文学部教授、彼女の親衛隊とも言える有名な日本画家、以前掲載されたインタヴュー欄で彼女から取材されて以来彼女に魅せられてグルーピーになってしまった各界の大物たちであり、更には大学院に通っている娘の友人の日本史の助教授や大蔵官僚といった男たちである。

 このように、魅力たっぷりの女記者と政府との攻防を描く当時のベストセラー小説であるが、
? 意外な展開は、元女優でヒロインの伯母の登場だ。この女性が戦時中に知り合い抱き合ったりもした兵士が、今や総理大臣になっているのである。クライマックスはこの伯母とヒロインが総理を訪ねて官邸に乗り込むくだりなのだが、ここでまたしても意外な人物が登場する。

 ストーリー自体はさほど面白みがあるわけではない。論説に関する攻防がストーリーなのだが、さほどの攻防があるわけではないし、「攻防」がどうなるか、という目で見ていると少々物足りない感じがする。
 しかし、それを補ってあまりあるのが、著者の軽妙な、実にうまい文章と、随所に挿入される雑学である。これはとにかく面白い。
? テーマとも言える贈与論、天皇論、はては事件の元となった産児制限や妊娠中絶の問題が出てくる。その他作者お得意の全方位的な雑学のオンパレードであり、これらがストーリーに巧みに配置されていて、ペダンチックな作品世界に引き込まれてしまうのだ。小説を読んでいる間中ずっとにやにやとさせられてしまう。

 とにかくこの小説に関してあれこれ書評するよりも、まずは読んで楽しむべきものだろう。この猛暑の中でも、「面白い本が読みたい」という人には最高にお勧めの小説だと思う。


【コピペ元】
Book Asahi 書評   http://book.asahi.com/reviews/column/1453.html
女ざかり [著]丸谷才一
[掲載]2010年7月18日
[筆者]筒井康隆(作家)

■ただごとでない面白さ

 なにしろ十年に一度しか長篇(ちょうへん)を書かないと言われている丸谷才一の作品だから常に待ちかねていて、そのほとんどすべてを読んでいたのだが、この『女ざかり』には感心した。当時の書評には「ディケンズ的な長篇の技法が駆使されていて、その巧みさたるや退廃的ですらある」と書いている。この評は丸谷氏のお気に召したようで「退廃的とまで褒めてくれたのはありがたい」という礼状が来たりもした。実際この作品の面白さたるやただごとではなく、ベストセラーになり、映画化されたのも当然と言える。作者の最高傑作のひとつであろう。

? 女主人公は新聞社の論説委員だが、ある日の論説が政府に献金している宗教団体の忌諱(きき)に触れ、政府を通じ新聞社に圧力がかかって彼女は転出させられそうになる。彼女に論説をやめさせなければ、新社屋建設用の土地を払い下げてやらないと言うのである。
?ここで彼女を助けようとするのが、論説委員室の同僚で以前彼女から仕事を助けてもらったもと社会部の辣腕(らつわん)記者、恋人の文学部教授、彼女の親衛隊とも言える有名な日本画家その他、以前連載されたインタヴュー欄で彼女から取材されて以来彼女に魅せられてグルーピーになってしまった各界の大物たちであり、さらには大学院に通っている娘の友人の、日本史の助教授や大蔵官僚といった男たちである。
偶然のこととはいえ、登場人物のこうした布陣はたまたまぼくが書いたばかりの『パプリカ』と同じだったのですっかり嬉(うれ)しくなり、尚(なお)さら作品にのめり込んだのだ。

 これらの人物たちの会話が面白い。
?テーマとも言える贈与論は出てくる天皇論は出てくる、事件のもととなった産児制限や妊娠中絶の問題は出てくる、その他作者お得意の全方位的な雑学のまさに総動員であり、これらがストーリイに巧みに配置されていて、ペダンチックな作品世界に引きずり込まれてしまうのだ。また社説は、そのまま本当の社説にしてもおかしくない文章で、社説欄そのままの字数と行数で書かれていたりして、これもこの作家にしかできない芸当だろう。
?意外な展開は、もと女優でヒロインの伯母の登場だ。この女性が戦時中に知りあい、抱き合ったりもした兵士が、今や総理大臣になっているのである。クライマックスはこの伯母とヒロインが総理を訪ねて官邸に乗り込むくだりなのだが、ここでまたしても意外な人物が登場する。結末は書かない方がいいだろう。
(以下略)



9資料管理請負人:2014/09/07(日) 12:43:31
人は愛するに足り、真心は信じるに足る
◆晦日31日、忙しい時にコピペは大変だろう。されど我らがコピペ。

◆?末尾では、ネタ本では「一読のあと、胸中に生まれてくる何かと対話を促される。
私の何かとは〈人道主義に基づく歴史観〉であった。」とあるが、流石に気恥ずかしかったのだろう、
評者は、「私自身、身につまされる言葉でもある。」に変えている。



註)
茶:シニンのコピペ箇所
青:底本でコピペされた箇所


【コピペ作品】

今月の本 :2010年12月31日(金)21時14分
 もうあと数時間で2010年も終わりである。昨年末もこのようなことを書いた記憶があるが、アッという間の一年だった。(中略)
さて今年最後の「本の紹介」であるが、昨年同様、私にとって今年一年間で最も印象深かった本を紹介したい。

 著者の中村哲さんは8年前になると思うが、この掲示板(当時は落書き帳)で「医者井戸を掘る」の著書を紹介したことがある。医療活動(ペシャワール会)でアフガニスタンに行ったにもかかわらず、医療よりも生存に絶対必要な水の確保に17年間も悪戦苦闘する記録である。

 当時の小泉内閣時代、9.11同時多発テロの後、日本政府がアフガンに自衛隊を派遣すべきか、国会で議論していたときに参考人として呼ばれた中村医師は「アフガンへの自衛隊派遣は有害無益だ」とはっきりと断言した。日本も世界も対テロ戦争に煽られていたとき、私にとってはとても強烈な印象として残っている。



『人は愛するに足り、真心は信じるに足る』―アフガンとの約束―
      中村 哲(著)、澤地 久枝(聞き手) 岩波書店

? 中村医師は主にアフガニスタンを中心にハンセン病などの治療と、水不足解消のため井戸を掘り用水路を造る活動を26年間にわたって続けてきた。

?アフガンの平和と復興のためには何がなされるべきで、何がなされてはいけないのか。
 今アフガニスタンの平和と復興のために身命を賭して活動する中村医師が、絶妙な聞き手(ノンフィクション作家・澤地久枝さん)を得て、戦争と地球環境の悪化がもたらす劣悪な生存条件をいかにして変えるべきか、自らの個人史的背景とともに、その熱い思いを語った貴重な記録である。
 65歳となるこの医師は何故に人生の大半をアフガニスタンという国で、苛酷な活動に身を捧げたのか。
?クリスチャンとしての信仰、父からの論語教育、その父と伯父・火野葦平が社会主義者として生きつつも治安維持法に屈服したとの教訓、特に祖父・父の世代への畏敬の念が人格形成の根幹にあることがわかる。
 家族、縁者たちの支え、なかんずく妻の肝の据わった理解と協力は感動的でさえある。政府からのひも付きを拒否しながらも、支援組織が広がっていくのも容易にうなずける。

 本書には鋭い寸言がいたるところにあるが、政治家への見方は痛烈である。例えば、「自分の身は、針で刺されても飛び上がるけれども、相手の体は槍で突いても平気だという感覚、これが日本人になくならないかぎり駄目ですね」と、私自身、身につまされる言葉でもある。

 それとは逆にどん底の生活を強いられ、命さえ保障されない苛酷なアフガンの人たちへのまなざしはものすごく優しく深い。医師が26年間も井戸掘りと医療活動を続けてこられたのは、何よりも現地の人たちへの無類の「人間好き」であったような気がするのだ。
 それゆえに澤地さんがタイトルとして挙げた
?『人は愛すべきものであり、真心は信頼するに足る』という一つの結論を胸に中村医師は今日もアフガンの空の下、水路の完成に全力を尽くされているのだろう。


【コピペ元−1】

Book Asahi 書評
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)
[掲載]2010年04月18日
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011071704700.html

■日本社会に欠けているものとは
? 中村医師は主にアフガニスタンを中心にハンセン病などの治療と、水不足解消のため井戸を掘り用水路を造る活動を26年にわたって続けてきた。その中村医師(現在63歳)の素顔と理念を、練達の作家が確かめつつ、日本社会に今欠けている何かを浮かび上がらせようと試みた密度の濃い書である。
 なぜこの医師は人生の大半をこの活動に捧(ささ)げたのか。
?クリスチャンとしての信仰、父からの論語教育、その父と伯父火野葦平が社会主義者として生きつつも治安維持法に屈服したとの教訓、とくに祖父・父の世代への畏敬(いけい)の念が人格形成の根幹にあることがわかる。家族、縁者たちの支え、妻の土性骨(どしょうぼね)が感動的だ。支援組織の広がりも容易にうなずける。反して政治家は彼をどう見ているか、
嘲笑(ちょうしょう)する国会議員への怒りは深い。「自分の身は、針で刺されても飛び上がるけれども、相手の体は槍(やり)で突いても平気だという感覚、これがなくならない限り駄目ですね」、本書には鋭い寸言が至るところにある。一読のあと、胸中に生まれてくる何かと対話を促される。私の何かとは〈人道主義に基づく歴史観〉であった。

【コピペ元−2】

岩波ブックサーチャー
http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN978-4-00-024501-2&head=yes
?アフガンの平和と復興のためには何がなされるべきで,何をしてはならないのか.パキスタンでの医療援助活動を開始して以来25年.いまアフガニスタンの平和と復興のために身命を賭して活動する中村医師が,良き聞き手を得て,戦争と地球環境の悪化がもたらす劣悪な生存条件をいかにして変えるべきか,自らの個人史的背景とともに,その熱い思いを語った貴重な発言録.


【コピペ元−3】

http://agingsurvivor.blog129.fc2.com/?mode=m&no=16
agingsurvivor(医師)
2010/04/02 13:16

中村先生は「アフガンに関心をもってくれる、あるいは祈ってくれるだけでもいい。」と優しくおっしゃいます。その一方で、今アフガニスタンで進行している出来事は、やがて全世界を巻き込む破局の入口にすぎないと警告しています。
?「人は愛すべきものであり、真心は信頼するに足る」という一つの結論を胸に、中村先生は今日もアフガンの空の下、水路の完成に全力をあげています。



10資料管理請負人:2014/09/08(月) 19:02:23
手紙〜親愛なる子供たちへ
「手紙〜親愛なる子供たちへ」歌詞

某掲示板作品集記載
・・・・・・・
ポエム
●手紙〜親愛なる子供たちへ
(ひまじん作)
平成24年7月4日
・・・・・・・

【コピペ作品】
http://jinx.in/lilipat/index.html
※後から記事を修正している。

【コピペ元】 (各種サイト)
一例 魔鏡 歌詞網
http://mojim.com/twy110787x2x3.htm

その他資料
「手紙〜親愛なる子供たちへ」 wikipediaより
年老いた親の自分の子供へ向けたメッセージが歌われている。元の歌詞はポルトガル語
で書かれており、作者不詳(読み人知らず)。樋口了一の友人、角智織の元に偶然届いた
チェーンメールに詩が記載されていて、この詩に感銘を受けた角が詩を翻訳、樋口に見せ
たところ樋口も感銘を受けたため、曲の制作・発売に至った。ジャケットはタイトルにち
なんで、手紙を模したもの。



◆作者不詳のはずだが…。正々堂々作品集に「ひまじん作」と明記している。この人はポルト
 ガル語もできるのだろうか。
◆自分の作品だと言って作品を掲載したのは、ここのサイトの管理者でもあるこの人自身だ。
◆先日この詩を友人が翻訳して曲をつけたシンガーソングライター樋口の歌を聴いた。
 実にいい歌だった。同時にこのうそつき/うっかりオバサンに腹がたってきた。
◆「うっかり」を指摘しないお仲間にも腹がたつ。 



11資料管理請負人:2014/09/19(金) 11:08:38

????????????????????????????????????????????????????????????????????????.
◆ですます調をである調に、読みやすいように行空けを施しているだけのコピペ。

◆どんなへたくそな文章だとしても、自分の言葉で書いたほうがよほどその
「忘れられない友人」は喜ぶに違いない。コピペでは失礼というものだろう。




茶:コピペ箇所 青:底本  緑:底本著者

コピペ作品 (コピペルナー検出 2014/6/22)

6月の本  2011年 6月30日(木)22時32分
 「言の輪掲示板」上でも、この掲示板の前の名称だった「落書き帳」でも書いたことがあるが、私にとって43年前に冬山で遭難死した忘れられない友がいる。
(中略)
 さて前書きが長くなってしまったが、今月の面白かった本として、ヒマラヤ山系の難峰「ギャチュンカン」に挑戦した山野井夫妻の凄絶で苛酷な登攀を題材にしたノンフィクションを紹介したい。この登山家と亡き友の山への思いを比べることは出来ないが、何か一脈通じるものがあるような気がするものだ。

  『凍』            沢木耕太郎 著(新潮文庫)

 日本を代表するクライマー、山野井泰史・妙子夫妻が2人だけのアルパイン・スタイルで、ヒマラヤの高峰ギャチュンカンに登り、泰史が頂上を踏んで、2人とも生還する前後9日間に渡る不屈の戦いの記録である。

 冬山登山や急峻なロッククライミングは絶えず死と隣り合わせにある、と言われることがあるが、
?私達は「自らの死」というものを日常意識することはあまりない。近親者の死に遭えば、その者を亡くした悲しみにひしがれるが、それにしても自らの死ではないわけだ。誰でも一時間の後に交通事故で死亡する可能性がありながら、死はいつでもそこにあるものとして意識されることはない。
 だからこそ本書を読んで深く感動するのは、目前の自己の死と対峙しながら自らの意志と行為で生に帰還する凄まじいほどの勇気の記録であるからだ。卓越した体力、精神力、決して諦めない知力、的確な判断力、生への限りない執着心、どれもこれも人間の力として驚嘆すべきものである、というのが私の読後感であった。

?世界には8000メートルを超える高峰が14座あり、名をあげようとするアルピニストはこぞってこれらに挑戦するわけだが、それよりわずか数十メートル足りないだけで注目をされてこなかった中国ネパール国境のギャチュンカンは、それ故にこそまた中国名百雪谷の意味するとおり、ルートも開発されていない難攻の山だそうだ。

?ここに山野井泰史、妙子夫妻が登頂を試み、あと数百メートルの地点で体調の悪い妙子を残して泰史が成功はするものの、下降(このような高度のある山は登るより降るほうが技術的には難しいとか)時に悪天候に遭遇し、繰り返し雪崩にあい、零下40度の中で妙子は宙吊りになり、風雪の中でビバークをするも防寒具を失い、6日間の壮絶な闘いの果てに生還する。この間2人は、はなればなれになり酸素不足で視力は落ち、幻影に襲われたりするのだが、常に相手の生存を確信し続け自らの生存のため死力をつくして生還への歩みを続ける。

?生還できても、泰史は両手5指、右足指全部、妙子は両手指全部を凍傷で失なってしまうが、それでも山への挑みはつづけられ後日談では、泰史はその後別の難峰への単独登頂に成功している。
?読み終わって人間はよくここまで頑張れるのだという勇気が知らずに沸いてくる気がする。

 とにかくも私にとってはあまりにも面白い本であった。だが、その面白さ、緊張感を持続させてくれたのは、やはりノンフィクション作家としての沢木耕太郎の筆力だろう。臨場感あふれるその表現力は、著者自身が山野井夫妻に心身ともに乗り移って書かれた感じがするものだ。



コピペ元
評者 湘南ダディ (藤沢市鵠沼) - 2008/1/21
レビュー対象商品: 凍 (単行本)

?私達は「自らの死」というものを日常意識することはあまりありません。近親の死に遭えば、その者を亡くした悲しみにひしがれますが、それにしても自らの死ではないわけです。だれにも一時間の後に交通事故で死亡する可能性がありながら、死はいつでもそこにあるものとして意識されることはありません。だからこそ「凍」を読んで深く感動するのだと思います。ここに描かれているのは、目前の自己の死と対峙しながら自らの意志と行為で生に帰還するすさまじいばかりの勇気の記録です。
?世界には8000メートルを超える高峰が14座あり、名をあげようとするアルピニストはこぞってこれらに挑戦するわけですが、それよりわずか数十メートル足りないだけで注目をされてこなかった中国ネパール国境のギャチュンカンは、それ故にこそまた中国名百雪谷の意味するとおり、ルートも開発されていない難攻の山なのだそうです。
?ここに山野井泰史、妙子夫妻が登頂を試み、結局体調の悪い妙子は残して泰史が成功はするものの、下降(登るより降るほうが技術的には難しいのだそうです)時に悪天候に遭遇し、繰り返し雪崩にあい、零下40度の中で妙子は宙吊りになり、風雪の中でビバークをするも防寒具を失い、6日間の壮絶な闘いの果てに生還するのです。この間2人は、はなればなれになり酸素不足で視力は落ち、幻影に襲われたりするのですが、常に相手の生存を確信し続け自らの生存のため死力をつくして生還への歩みを続けます。
 
?泰史は両手5指、右足指全部、妙子は両手指全部を凍傷で失なってしまうのですが、それでも山への挑みはつづけられ後日談ですが泰史はその後別の難峰への単独登頂に成功しています。
?読み終わって人間はここまで頑張れるのだという勇気が知らずに沸いてくる気がします。私はこの本を手元に置き、かりに私が難局に立ち向かえずくじけそうな時にはこの本を読み返して自らを勇気づけようと思います。



12資料管理請負人:2014/09/21(日) 17:46:14
リアル
 .

◆「リアル」という言葉が売り物の、糊塗の輪の出川哲朗だ。
 「リアルに」「リアル」が並ぶ。

◆「ヤバいよヤバいよ今の総理」リアル・シニン(芸名)の持ちネタも聞こえてくる。


         
 リアル・シニン


(記事抜粋)
ブログの「猫アート」 2010年 6月 9日(水)21時28分
カラーのコントラストや線の運びも素晴らしい。
以前の猫の絵は写実的な絵であったように記憶しています。猫という生き物の表情が実にリアルに描かれてました。そのときも感心したけれど、今回のアート性、イラスト性の猫もいいものですね。


徳永陶子さんのHP 2010年 7月20日(火)21時36分
先におーちゃんが紹介していた徳永さんのHP開いてみました。
抽象性とリアルさ との違いはあるけれど、櫻井さんの絵の色彩の鮮やかさを思い出しました。


建具屋 2011年 4月11日(月)16時12分
リアルな現実とバーチャルな夢が交差する味わいのある小説だと思います。
 それに関西弁での語りでより一層人の生活や家族の模様などに庶民性が加味され読む者へ温かな感じをもたらしてくれます。
冒頭述べたように、この小説は夢の世界が多くを占めていますが、決してバーチャルな感じを受けない。現実のリアルさ(階段から落ちるなど)が引き起こす夢のリアルさへそのまま引き継がれていると言えます。それは作者の表現の力というものでしょう。


記憶の階段 2011年 6月13日(月)19時42分
以上は話の展開について感想を述べたが、誤解のないように願いたいのは、けっして批判的な意味で述べたわけではない。あまりにまとめがうますぎる。フィックションであるにもかかわらず、無理なくリアルで筋が通っている。いわば、点数をつけるとすれば100点満点の結末であり、日本人の好きなハッピーエンドでもある。


「タジリ」心残り 2012年 6月20日(水)21時33分
冒頭「これは実話をもとに書かれたフィクションです」と断られています。
このことを頭に据えて読み終わった今でも、ベースとなる話の基調や筋はほとんどがリアルに推移していきます。敢えてフィクションと言われているのは、作者のいくらかのタジリについての推察が入っているのかもしれません。限りなくノン・フィクションに近いフィクションになりそうです。


「私にはひとりの姉があった」 2012年 9月16日(日)22時58分
若くして亡くなったお姉さんへの追慕にも似た優しいエッセイです。
私が書きたいことはほとんどの皆さんが書かれていることなので、略しますが、贅沢な希望としては、背景となる戦後の厳しい環境や時代のことをもっとリアルに詳しく述べてほしかったような気もします。


ペットショップ 投稿者:吟遊視人 投稿日:2012年 9月26日(水)20時14分
それに譲治の心象風景についても、米国で発生した銃殺事件などを取り入れることで、微妙な心理の襞や起伏にリアルな響きを持たせています。


映画「約束」(名張ぶどう酒事件) 2013年 3月15日(金)22時38分
この2人の見事な演技と事件発生当初からの蓄積された圧倒的な記録、フィルムと証言を再検証しながらドキュメンタリー風に映画が進行します。実際の記録フィルムが3分の1ぐらい挿入されているので、極めてリアル感が出ています。


「鉄橋を渡った少年」を読んで 投稿者:吟遊視人 投稿日:2013年 7月 8日(月)23時57分
健二少年は多分、作者の分身でしょう。今までのエッセイで戦争中の回顧シ〜ンがよく出ていましたが、このように健二少年を登場させると、また違ったリアルな感覚で当時の庶民の生活風景や心象風景を眺めることができます。


佐々木進著「殺意のある事故」 2013年12月 5日(木)23時16分
当初私は「佐々木進」の「殺意ある事故」というのは実在の小説だと思っていたのですが、読み進めるうちに、この作家が主人公憲一の幼友達の「よっちゃん」だという記述で、初めてこの小説自体もフィクションだと分かりました。「佐々木進」の略歴まで紹介し、リアル感を読者に与えるなど、プロ並みのテクニックですね。


健二少年ー? 2013年12月16日(月)22時40分
作者を投影した健二という名前の少年の頃のドキュメンタリー物語です。いつも感心するのは、健二少年の目に写る光景がとても鮮やかなことです。あたかもその時代が目の前に展開されているようなリアル感があります。


まだら狼・続編を読んで 2014年 7月11日(金)21時40分
作品自体にある種のリアルさと歴史小説の醍醐味を味わえるように感じたものでした。


あじさい 2014年 7月24日(木)21時13分
江戸時代に住む町人たちの、それも老舗の乾物屋で生業を営む人たちの情緒感、生活感、人間関係などが実にリアルに描写されています。特に浪速弁(?)を駆使しての人々の会話や周りの風景を表現されているので、より一層効果的です。


「ゆで卵が割れた日・・・」を読んで 2014年 7月29日(火)20時56分
結局は安夫が朝食後のうたたねした時の「夢」の出来事になるのですが、このあたりから最終場面で 明子が登場するまでの描写は、「夢」であることを推測できないほどリアルに実態的に表現されています。


「くちなわ坂」を読んで 2014年 9月11日(木)22時33分
さしたる起伏のある物語ではありませんが、吉野の片田舎から浪速の大黒屋まで行く道中の記述など、実にリアルで当時の風物や風景にも詳しいですね。


「グミの木」を読んで 2014年 9月15日(月)23時26分
鵜木さんの分身であろう健二という少年を登場させて著者の戦争体験を語るノンフィクション物語です。戦中戦後の服装や風景、当時の生活感など実にリアルに描写されています



13資料管理請負人:2014/09/21(日) 17:48:27
シ〜ン
アーカイブ/糊塗の輪のオノマトペ芸人

◆「シ〜ン」これは無音を表すオノマトペではないようだ。場面、情景の「Sean」のこ
とらしい。この芸人は[ルー大柴]に負けないくらい横文字が好きだから自然とカタカナ、そ
して長音が増えてくる。使う長音記号は決まって波ダッシュ「〜」だ。

◆この人にとって合評対象作品はみな脚本化されるようだ。自身を一端のノンフィクショ
ン脚本家と考えているふしがある。過去の記憶も現在の回りの事象も、全て場面場面に分
断されている。言葉を組み立てて、時空を越えて大きな繋がりとして概念化して記憶に収納
するのではなく、バラバラになった場面場面が頭の中にただ散らばっているだけなのだ。

◆言葉を組み合わせて一つの世界を作ることが出来ないため、他人の作品や記憶も自分
のものとして取り込み、ワンショット、ワンショットを並べる。コピペ作業そのものではないか。
この人の言語能力はオノマトペとしての「シ〜ン」だ。

              




(記事抜粋)

付き馬 G 2010年10月22日(金)21時25分
 大阪弁の語り口で、大阪らしい人情や風景が描写されたなかなか味わいのある作品だと思います。
 最後の『オヤオヤ シゲヤンの後をぞろぞろおなごが付いて行ってます。若いんや年増や、格好かて、しゃれた洋装があったり、粋筋のような和服があったり。アレッ しんがりをつとめているのは馬ですよ。』の描写も様々な想像をかきたててくれます。
 ホームだから馬が付いていくことはないので、このシ〜ンは「僕」が見た「デジャ・ヴィ」か「幻想」だったかもしれません。



原発事故 G 2011年 3月16日(水)00時24分
 先週の金曜日の地震発生の翌日だったと思うが、民放テレビのカメラが捉えていました。それは高台に批難した集団の中で10歳ぐらいの女の子が、涙をポロポロだしながら周りの大人たちに「お母さんが波にさらわれた。助けにいって、いって」と絶叫していたシ〜ンが、その後ず〜っと目に焼きついて離れません。
 それに幾多の村や町が、地震で発生した大津波でいとも簡単に消滅してしまう映像は、10年前のあの9・11同時多発テロで巨大ビルが崩れていったシ〜ンと重なってしまいます。



幼少の思い出 G 2011年 3月23日(水)21時48分
 特に「階段のトラウマ」に描写されているようなシ〜ンは、男の子だったら誰にでも経験や記憶があるのでは。私にも60年たった今でもくっきりと思い出す場面がいくらかあります。



朝日歌壇の短歌に関連して G 2011年 3月28日(月)23時44分
昨日でしたか、こんなシ〜ンを見ました。
それは宮城県石巻市大川小学校は児童108名のうち75人以上を亡くし、先生15人のうち助かったのはわずか一人。
温かい部屋で熱いものを食べながら、このようなシ〜ンを見ていいものだろうか、とさえ思ったものです。



「天国への階段」 G 2011年 6月17日(金)22時07分
今回の教会の内部の階段を登られるシ〜ンを想像しながら、すでに15年ぐらい経ったメキシコでの思い出がすぐに浮かんできたので、くどくどと書かせてもらいました。



「人間の条件」 G 2011年 8月17日(水)15時31分
 全編10時間も及ばんとする長編映画ですが、ほとんどが梶の属する軍隊や戦争に関連する出来事ですので、官能シ〜ンは唯一この場面だけだったと思います。
 それでもこの映画が言わんとするところは、明らかに反戦映画です。戦争時に人間がいかに狂気となるか、戦争や軍隊の持つ非人道性、苛酷さや不条理を余すところなく描写したものでした。
 この時期、このような映画が上映されることは大切なことだと思えます。



学び舎とがき大将(その1) G 2011年 9月 4日(日)22時38分
 またB29が追撃されて頭上に墜落したときの描写はなんだか戦争映画を見るようなシ〜ンです。パイロットは当然捕虜になったかと思いますが、その後どうなったんでしょうかね。
彼の大牟田の実家の近くの土手で、B29が威嚇飛行をしたのを彼が見たということでした。
それにしても、終戦の年と言えば、3,4歳のころです。「小さいときによくそんなシ〜ンを覚えているなあ」と感心したものですが。



涼風 G 2011年12月30日(金)23時45分
 ガタンゴトンガタンゴトンとリズミカルに走る蒸気機関車、もんぺ姿のご婦人、車内の人たちの動作や表情、切符を切りにきた車掌、なんだかシロクロの映画を見るようなシ〜ンです。作者がうたた寝しながら見た夢、あるいはデジャ・ビィ・・・・。



「古事記を楽しむ旅(2)」を読んで G 2012年 1月13日(金)23時
 次回はこの大御神が再び現世に出てくるシ〜ンになるということですので、神話といえどなんだかワクワクしますね。



俳文:日光への旅(その2) G 2012年 3月11日(日)22時22分
あの大震災から1年経ちました。私はあの時、絵の会のグループで区の施設(3階で)で油絵を描いていたのですが、天井からパラパラと白い粉が降って揺れがひどくなり、机や椅子が動き始めた思わず机の下にもぐりこんだことを覚えています。
なんだか昨日のようにあのときのシ〜ンが甦ります。



一碧湖のアヒル G 2012年 6月 4日(月)21時26分
ワンコウが側に寄ってもピクリとも動きません。よほど疲れているのかなとも思いましたが、その様子を見ながら、突然15年前ぐらいのブラジルでゴルフやったときのシ〜ンを思い出したものです。



おめでとうございます G 2013年 1月29日(火)21時05分
Uさん、二つの入賞、おめでとうございます。
私にとって「八甲田山」と言えば、昔高倉健主演の映画をみた思い出がありますが、この写真のように雪深いシ〜ンが多かったですね。
これからも素晴らしい写真を載せてください。



ここはどこだ G 2013年 3月21日(木)22時05分
思い出すということよりも、Uさんの場合は、セピア色となったアルバムを引っ張り出すことではなく、ご自身の脳の中に納まったマイクロフィルムの記録をありのままに文章にされている感じです。
それだけ人や情景などの描写は映画のシ〜ンを見るように、動きとしてのシ〜ンが拡がっていくようです。



合評御礼(その2) G 2013年 6月21日(金)21時47分
Xさん 非常に好意的な読後感ありがとうございます。
私は全共闘世代よりももっと前の世代ですが、東大の安田講堂落城のシ〜ンや、日大全共闘の学内団交の模様を、20代後半の頃、会社の独身寮で興奮して見ていた思い出があり、その記憶と短歌が連鎖反応を起こした感じでした。



「鉄橋を渡った少年」を読んで G 2013年 7月 8日(月)23時57分
健二少年は多分、作者の分身でしょう。今までのエッセイで戦争中の回顧シ〜ンがよく出ていましたが、このように健二少年を登場させると、また違ったリアルな感覚で当時の庶民の生活風景や心象風景を眺めることができます。



思い出作り(その1) G 2013年 7月13日(土)22時07分
特に今回はタイトルからして「思い出作り」ということで回顧シ〜ンが多い。それで、「ふ〜ん、そんなこともあったのか」とか「そういう考えや感じだったんだな」というのが、あらためて分かったりする。このような読み方はフィックションを対象に合評する場合、あまりいいスタンスではないと思うのだが、プロの文芸評論家ではないので、つい作者のことと関連して考えてしまうのはやむを得ないことかもしれない。



「思い出作り」のテーマに寄せて G 2013年 7月14日(日)23時23分
我々同人の中には佐賀高校11期生が4人いるが、この11期生の同窓会誌として「斜光」というのを毎年1回発行している。すでに今年は18号、つまり18年続いていることになるが、編集委員会では、投稿者(毎年約50名ぐらいはいる)が文章を書きやすいようにと考えて、5年ぐらい前から「思い出のシ〜ン」とか「思い出の写真から」とかいうように、「思い出」というのをテーマに推奨している。
私は以前は堅苦しい問題を多く投稿していたが(中には「シルバーセックス考」というのもあります)、最近は5回(5年)ほど、思い出に残るシ〜ンを再現した原稿(中には「思い出の吉本隆明」というようなテーマもあります)を出している。



健二少年ー?を読んで G 2013年 9月24日(火)23時30分
「長兄、出征兵士となる」の章では、私は出兵する光景を見た記憶はありませんが、映画のシ〜ンなどではよく出てきます。
「健二小学校へ入学」の章では、健二少年は戦争中に入学しているのですが、私が戦後入学したころのシ〜ンとダブルこともありますね。
初めての空襲」の章はまたまた驚きですね。
実に生々しい体験ですが、その各々のシ〜ンが60年以上も昔のころだったにもかかわらず、少年の脳にはっきりと思い出せるのは、それだけ戦争体験というのが凄かったということでしょう。
「斜光(佐賀高校11期生の同窓会誌)」のある編集委員の話では、終戦まもないころ、B−29で爆撃されたとき、田んぼの土手でうずくまって、恐る恐るその戦闘機を見たら、パイロットが手を振ってニヤリとしてそのまま飛び去ったことを覚えている、と話していました。内心「ほんとかな」と思ったものですが、幼い幼児の脳のなかでも、死ぬか生きるかの瀬戸際では、いつまでもそのようなシ〜ンは消えないものでしょうか。



八重歯 G 2014年 4月17日(木)22時45分
読後感として、ほのぼのとした思い出が胸にこみ上げるのを感じます。
文章にあるひとつひとつのシ〜ンに懐かしい幼き頃の風景が浮かんできます。
このようなフツフツと湧き上がるような思い出シ〜ンは最後になって淡い初恋にも似た情景描写となります。高校三年生と言えば、異性が気になる年頃です。最後にこのようなシ〜ンで閉められたのは、文章の構成から言っても素敵だし、鵜木さんの脳裡にはまだ忘れがたい瞬間としていつまでも残っているということでしょうか。



「隣る人」上映会 G 2014年 7月22日(火)22時54分
目立つのは児童が先生たちの懐に飛び込んでくる、逆に先生たちが子供たちを抱きかかえシ〜ンがとても多いことです。
「隣る人」となるには、子供を好きになり愛することで、自分の心の中に子供の居場所を作ることだ、と彼らの言動から推察できます。



「グミの木」を読んで G 2014年 9月15日(月)23時26分
空襲の時などの模様は映画やテレビのシ〜ンでよく見たものですが、そんなものより実体験のあるこのような描写がよりインパクトが強いです。
いつだったか、確か朝ドラの時だったと思いますが、戦時中爆撃による火災防備のため住宅を壊すシ〜ンがありました。それを見てこういうことが本当にあったのか疑問でしたが、本文にそのことが書かれていて、当時はやはりこういうこともあったのだなと実感できます。



14資料管理請負人:2014/09/21(日) 17:53:22
とにかく 1
とにかくも、とにかく男 その1 2009-2011

◆〔とにかく男〕の文章は「とにかく」の乱立だ。
長々とコピペとおしゃべりを続け、まとまりが無くなったころでいきなり「とにかく」で
とにかく切り上げ、とにかく終了となる。

◆コピペだらけで辻褄が合わない長い長い文章となる。「とにかく」以下の数行だけ読め
ば足りる投稿ばかりである。

◆「コピペ」と「とにかく」には、微妙な相関関係がある。



注)end は文末を表します。


今年の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2009年12月31日(木)21時28分
 資本主義はなぜ自壊したのか         中谷巌 著 (集英社)
 とにかく本書は社会的影響力のある筆者による新自由主義経済論への徹底批判という衝撃の書であり、直面している世界や日本の状況を念頭に置きながら本書を読めばかなりの説得力を持つ。それに平易に分りやすく述べてあるので、経済にさほど詳しくない読者でもスムーズに理解できる。end



今月の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2010年 3月30日(火)23時18分
『グローバル恐慌―金融暴走時代の果てに―』 浜矩子 著(岩波新書)

 特に本書での最後の「そして今を考える」という「章」では、「グローバル恐慌は企業の資金調達難という形で確実にカネの世界からモノの世界に伝播する」という自説は納得のいくものだった。
 とにかく、借り物ではなく、和製エコノミストのホネのある生きた経済観をインパクトのある内容になっていることは間違いない。end



今月の本 投稿者:吟遊視人 投稿日:2010年 5月 1日(土)00時11分
『吉里吉里人』            井上ひさし 著(新潮社)
 とにかく傑作としか言いようのない小説である。
 国家論、政治論、言語論、文学論、医学論など様々なアイデアが次々と惜しげもなく投入されている。著者の博学さにただただ驚かされるばかり。
 しかも難しいことを述べるにしても、気さくな登場人物たちがくだけた調子で語っているため、いやみなところがない。
 この作品を読めば、読者は楽しみながら、少数民族の独立問題、方言の問題、医学の問題などを考えるきっかけを得ることになるだろう。end



久しぶりに政治の話を 投稿者:吟遊視人 投稿日:2010年 7月28日(水)22時55分
 とにかく自民党政権以来、このような閉塞状況が続くと、人々は“強い言葉”にひかれ“強い人間”に身をゆだねる。それがファッシズムの危機を内包するのはいうまでもない。(中略)
 とにかく数ヶ月まえの三人組とのレベルの低い言い合い(論争とは決して言えない)と比べれば、久しぶりに熱気のある議論に参加できたものだった。



今月の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2010年 7月31日(土)14時52分
『農から見た日本―ある農民作家の遺書―』  山下惣一 著(清流出版)
とにかく一つの言葉、一つの発言には、農の根っこには大地があり、「食」の根っこには「農」があり、人は土と自然と共生していくという思想が、生活の中に頑として貫徹されている。
 あらためて日本農業の危機感を感じるとともに、著者の農民としての誠実な生き方に心を打たれる。 end



今月の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2010年 8月31日(火)22時31分
女ざかり          丸谷才一 著(文春文庫)
 とにかくこの小説に関してあれこれ書評するよりも、まずは読んで楽しむべきものだろう。この猛暑の中でも、「面白い本が読みたい」という人には最高にお勧めの小説だと思う。 end



今月の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2010年10月31日(日)22時13分
【学校ごっこ】六輔、その世界史    永六輔 著(日本文芸社)
 とにかくこのような面白い話や雑学が、ポンポン飛び出して本書を読んでいるのに、なんだか生徒となって授業を聞いているような錯覚にさえおちこむ。
 本書でもっとも感銘したのは、教師をしている受講生から「生徒に命の大切さを教えるにはどうやりますか」と質問されたその回答だ。それは具体的に論理的に分りやすく例をあげて実に「目から鱗が落ちる」というか、永六輔にしか出来ない答えかもしれない。そしてその答え方の姿勢も素晴らしい。
 この一文だけでも本書を読む価値があるような気がする。 end



福島第二原発事故に想う 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 3月16日(水)22時58分
 最後にこれも娘からの情報であるが、宮内庁では今回の事故で最悪の場合を想定して、天皇一家を京都あたりへ避難させる計画をたて陛下に申し上げた所、天皇からは「それにはおよばない」と断られたとか。
 とにかくそれほど事態は深刻になりつつあることは間違いない。 end



原発事故の戦犯(その2) 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 5月 6日(金)00時02分
とにかく、カネの力で原発を押し付けた悪徳商法の典型である「東京電力」、独占企業に安住し、どこかの知事みたいな傲岸不遜の企業版といったところだろう。end



原発事故の戦犯(その3) 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 5月10日(火)22時30分
とにかく、このような大事故が起きたからには、これらの機関は一度白紙に戻してから、フランスや米国みたいに独立性のある本来の役目をする規制委員会を発足すべきだ。end



原発事故戦犯(その5) 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 5月25日(水)22時36分
 あといちいち挙げたらキリがないが、星野仙一、中畑清、岡江久美子、渡瀬恒彦、「行列のできる法律相談所」に出ている北村晴男や住田裕子、そしてご意見番を気取る三宅久之、草野仁、大宅映子、木場弘子、藤沢久美なども同系列だ。
 とにかく東電をリーダーとする電気事業連合会が年間200億という莫大なCM費用を使い、その手先となってノーテンキなタレントや文化人が原発安全神話を鼓吹してきたのだ。
 今まで述べたA級戦犯とは言わないでも、すくなくともB級、C級戦犯とは間違いなく言えよう。end



原発事故の戦犯(その6) 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 5月29日(日)22時20分
 とにかく具体的に挙げればきりがないが、すくなくとも労働者の組織が、本来の組合の本分を忘れて、労使一体となって原発推進してきた事実は今更消すことはできない。
 そしてこれからも電力労連のいいなりになるかどうかで、ある一面菅内閣の評価もできようかというものだ。end



国会のていたらく 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 6月 2日(木)14時27分
 とにかく馴れない野党生活にごうをにやして、内閣打倒の契機をうかがうだけの自民・公明党の場所と時をわきまえない政治良識のなさと、政治手法から政策まで民主党内をギクシャクさせてきた小沢一派には、怒りを通り越してただただ呆れるだけだ。
 もうしばらくで、不信任案はどうなるか決まるが、もうここまで堕ちてしまったら、勝手に好きなようにやってくれ、と投やりにもなる。
 最後に、このような川柳が浮かんできた。
『政治家の すべてを不信任 してみたい』 end



反原発デモ 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 6月29日(水)22時18分
 とにかくも最近でこそ、「世界」、「現代思想」や「週間金曜日」などのリベラルな雑誌や岩波書店発行の原発関連の本には小出さんの著書が多く見つけることができるが。
 小出さんの発言は事故が起きるまで口をすっぱくしてその危険性を主張していたにもかかわらず、実態として原発事故を止められなかった自分の責任を痛感されて「涙声」になったのだろう。
 このような学者こそ真実、信頼と信用が出てくるものだ。
 それに小出さんのような学者の意見こそ、菅内閣は今後の原発政策の中で重用すべきであろうと思うが。 end



6月の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2011年 6月30日(木)22時32分
    『凍』            沢木耕太郎 著(新潮文庫)
 とにかくも私にとってはあまりにも面白い本であった。だが、その面白さ、緊張感を持続させてくれたのは、やはりノンフィクション作家としての沢木耕太郎の筆力だろう。臨場感あふれるその表現力は、著者自身が山野井夫妻に心身ともに乗り移って書かれた感じがするものだ。end



菅直人首相 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 7月15日(金)23時24分
 とにかく日本の未来へ向って「脱原発」への舵をきるためには、菅のような癖の悪い首相こそ現時点では適任かなと思っている。



民主党代表選 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 8月28日(日)23時16分
 とにかく明日の代表選も終わり、半年も経てば「やっぱり菅がよかったとなりそうだ」という川柳が歌われるかもしれない。end



上野千鶴子さん最終講義 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 9月11日(日)22時28分
 小難しいエッセイや小説の嫌いな、どこかのフアンさんには悪いけれど、また小難しいエッセイを書いてみます。もっとも私としては、けばけばしい客引き宣伝の予告文字よりも、小難しいエッセイや興味のある本の紹介がいいような気もしますが。出来ればけばけばしい文字や予告もあの程度に控えてもらって、あまりエスカレートしないことを望みます。
 本題に入ります。(中略)
 なんだかまとまりのない書き方になりました。何を言わんとしているのか分らんという読者は上記「文学界9月号」を図書館ででも読んでみてください。
 とにかく、今の時代に当てはまるいいことを言われています。特に女性にとっては。
end



核ゴミや核リサイクルに関して 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 9月12日(月)23時25分
とにかく、学べば学ぶほど、原発というのは人間の生活や生命とは共存できないということが分ってくるというものでしょう。end



再度、原発事故について 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 9月13日(火)23時36分
 ところで、小出裕章さんは京都大学原子炉実験所の助教授だと書きましたが、先日の熱海での私のグループでの話し合いでは「彼は助教授なんかではないよ。助手だよ」という人がいました。
 それでインターネットで調べてみたら、やはり、昔「助手」と言った職位が、今は「助教」と言っているにすぎないようです。助教授は今は准教授と言うように。
 とにかく反原発のスタンスをもてば、58歳になっても助手とはいかに原子力ムラからはじき出されていたかが分ります。end



巨人軍の内紛 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年12月 1日(木)23時49分
 とにかく今回の内紛について書けばナベツネ批判になりそうだが、清武球団代表は先月解任された。
 理由として長嶋さんの怒りのコメントまでわざわざ紹介する桜井オーナー兼球団社長の姿を見て、この男だって初めは清武と一緒にナベツネの了解を取っていたと言ってたじゃないかと思い、呆れてしまった。
 球団を私物化する渡邊恒雄という救いようのない爺さん。清武氏の梯子をあっさりと外して権力ジジイの傀儡となった「ザ・サラリーマン」典型の桜井氏。国民を味方につけるためにいいようにコメントを使われてしまう脳梗塞後遺症の無力な英雄・長嶋氏。
 もはや今回の内紛騒動は読売大国の没落の予兆でなければいいのだが。 end



今月の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2011年12月31日(土)21時02分
『恋する原発』          高橋源一郎 著(講談社)
 とにかく読書中は目を背けたくなるような超低俗な表現が続くが、読み終わってしまうと、意外と爽快な気分になる。
 過激なエロっぽい表現のなかに優しい詩情が入りまじっているということだろうか。それとも放射能に汚染された時代に(少々誇張して言えば)表現の自由をかけて挑んだ現代日本小説の勇気と愛を感じるということなのか。end



15資料管理請負人:2014/09/22(月) 07:25:51
とにかく  その2
とにかくも、とにかく男 その2 2012-13

◆「とにかく」電子辞書より
1 他の事柄は別問題としてという気持ちを表す。何はともあれ/何しろ。いずれにして
 も。ともかく。「―話すだけ話してみよう」「間に合うかどうか、―行ってみよう」
2 (「…はとにかく」の形で)上の事柄にはかかわらないという気持ちを表す。さてお
 き。ともかく。「結果は―、努力が大切だ」

大きく二つに分けられるようだが、とにかく男の使用例は2は見当たらない。
そこで1をさらに分析してみると、類語「何しろ」の解説が分かりやすい。

◆「なにしろ」電子辞書より
 [副]《代名詞「なに」+動詞「する」の命令形「しろ」から》どんな事実や事情があ
 っても、という気持ちを表す。なんにせよ。とにかく。
[用法]――
「彼はとにかく(なにしろ)まじめな人だから」「このごろ、とにかく(なにしろ)忙し
くってね」のように、取り上げた事柄をまず強調しようとする意では相通じて用いられる。
「時間だから、とにかく出発しよう」「とにかく現場を見てください」のように、細かい
ことはさて置いて、まず行動をという場合は、「とにかく」しか使えない。

◆〔とにかく男〕の「とにかく」
 ぐだぐだと憎しみの言葉や上面の賞賛の言葉を懐古談を交えて書き連ねた後、それを打
 ち切り、命令的/断定的な結論を出す繋ぎの言葉として利用していると推察する。



今月の本   2012年 1月31日(火)22時23分
  眼の海              辺見庸 著(毎日新聞社)
 とにかく読み応えのある傑出した詩集である。end



『言の輪30号』発刊のお知らせ    2012年 2月21日(火)22時57分
知人や友人など身近な方々の体験談や情報を聞いてすぐに小説の題材にしてしまう稀有な文才の持ち主です。ひょっとしたら貴方が彼女に話した話題が小説の筋になっているのかもしれませんよ。
とにかくまだまだ新たなモチーフは尽きないようです。



風鈴さんへ   2012年 3月17日(土)21時37分
 とにかく原発は「経済成長に絶対必要だ」「エネルギー不足になったら大変だ」と念仏のごとく唱える連中には、人間の「生命・健康・生活」よりも「経済成長」「科学の発展」「技術の革新」というお題目が大事なのでしょう。倫理観も人間観も欠落している「なんとかバカ」と言えるかもしれません。end



核ゴミや核リサイクルに関して    2012年 3月18日(日)23時46分
風鈴さん、旅人さん、原発に関しての情報ありがとう。(中略)
 とにかく、今後とも色々と教えてください。end



Me too    2012年 3月19日(月)22時14分
私も、風鈴さんの原発についての解説、専門用語も少なくて理解しやすいなと思っています。(中略)
 とにかく私自身が原発の危険性について、3・11前までは、あまりにも無頓着だったことを反省せざるをえません。end



原発の価格計算    2012年 3月20日(火)22時35分
もっともらしい計算ですが、とにかくこぜかわしい価格計算です。もっとも事故が起きてどのへんまで(除染費用とか土地買い上げひようなど)含めたかは明らかになっていません。



風鈴さんへ   2012年 3月30日(金)22時18分
風鈴さん、“ああ、やっと変な話が終わる〜”ではなく、私に限って言えば“あぁ、もっともっと聞きたかったなぁ〜”という気持ちです。(中略)
 とにかくお疲れ様でした。end



今月の本   2012年 3月31日(土)22時38分
3月16日、吉本隆明が亡くなった。私が訃報を聞いたのは外出先で「言の輪同人」からの携帯メールだった。「言の輪」の掲示板や飲み会などで、私がよく吉本のことを話題にしていたので、気をきかせて教えてくれたのだろう。とにかくショックだった。
(以下略)



またまたシンタロウのハネアガリ  2012年 4月18日(水)22時01分
私に言わせれば「やるべきことをやった、ではなくすべて自分の単に思いつきだけに、都の贅沢な財政を使ったにすぎん。新銀行しかり、オリンピック招致しかり、築地移転しかり、都立大のリベラルな先生排除しかり、都立高校教師への国旗・国歌の強要しかり、都庁幹部の総入れ替えしかり」です。とにかく都民のために何かやるのではなく、全てが「シンタロウがやった罪状」と言っていいくらい、都民の利益になることはやっていない。
(以下略)



6月の本 2012年 6月30日(土)16時29分

 『風俗壊乱―明治国家と文芸の検閲―』   ジェイ・ルービン著(世織書房)
とにかく一介の読者にすぎない私が言うのは生意気に聞こえそうだが、何よりこの本を読みながら魅了されたのは、ジェイ・ルービンその人の日本近代文学に対する読みの深さと的確さである。



今月の本  2012年 7月30日(月)22時25分
毒婦。 ―木嶋佳苗100日裁判傍聴記―       北原みのり 著(朝日新聞出版)
とにかく、この事件に関心があろうとなかろうと、木嶋佳苗という女性を論じるのは最高に面白い本である。(下の写真は著者の北原みのりさん。佳苗よりもよほど魅力的な外形である。セックス・トイ・ショップなんかを経営しているというだけでも私は興味をそそられるものだ) end



8月の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2012年 8月31日(金)20時39分
 『私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか』  島村英紀 著(講談社文庫)
 とにかく、この本を熟読すれば、拘置所の仕組みが解り、いつ自分がその立場になっても安心して入所できるというものだ。 end



最近の尖閣諸島問題 2012年 9月17日(月)21時19分
 中国で破壊されたり略奪されたりした大手流通会社(イオンやヨーカドー)やメーカーなどの被害は莫大になっている。これらの損害賠償はシンタロウにこそ請求すべきだと思うが、メディアは、元凶であるシンタロウについてはあまり批判しない。
 とにかくこの男には、週に1、2回(それも都庁滞在は2,3時間とか)しか出勤していなくても、年収約3千万円は任期中は保証するから、ただただ黙っていてほしいものだ。都庁に出勤したりすると、またろくでもないことを言い出すかもしれないので、逗子や熱海の別荘か自前のヨットででも昼寝してもらったほうが、都民としてはまことにありがたい。



風鈴さんへ   2012年11月17日(土)22時16分
「原発はいらない」シリーズもいよいよ「まとめ」に入ったようですね。
これだけ詳しくポイントを押さえて説明してもらえれば、よく理解できました。
とにかく私がますます確認・確信できたことは、
1. 原発というのが、従来言われてきた他の火力や水力などに比べれば格段に割安だというのが、まったくのデタラメであること。(以下略)



体罰  2013年 1月28日(月)21時39分
とにかく、体罰を肯定できないのは当然ですが、今回のような自殺者がでてしまってから、大騒ぎするような風潮というのも素直に受容できない気がします。end



リオのカーニバル   2013年 2月13日(水)22時28分
風鈴さん、ありがとう。(中略)
とにかくこれらの写真を見ていると、あの時の熱気と興奮が甦るようです。end



少子化問題  2013年 3月 3日(日)21時44分
 風鈴さんの少子化問題への投稿、私も大変関心のあるテーマですので、おおいに期待しています。
 とにかく「少子化」になればあらゆる方面での経済の規模は縮小するし、財政面からも日本の財力も厳しくなるし、社会保障を支える層の弱体化にも繫がります。(以下略)



今月の本   2013年 3月31日(日)21時37分
『風成の女たち』―ある漁村の闘い―  松下竜一 著(社会思想社)
 そしてこのドキュメンタリーが単に事実経過を伝えるノン・フィクションとしてだけでなく、興奮や感動、共鳴を呼ぶひとつの物語として成り立っているのは、著者の表現力のみならず、著者が身も心もこのおなごしたちと共に在ったということだろう。
とにかく私自身読み進めるなかで、何度もゾクゾクしたし、ヒヤヒヤしたし、涙がでてくるし、怒りがこみ上げたし、時には胸をなでおろしたものだ。(以下略)



幻覚  2013年 5月14日(火)20時38分
本来なら性的な渇望の強い「20代の頃の幻覚」というべきでしょうが、私はどっちかというと奥手のほうだったので、「30代、40代ぐらいの頃の幻覚」になるのかもしれません。とにかくこの頃は街中で会った素敵な容姿の女性を見たら、すぐに裸の幻影を追っかけていたような気がします。
 そしてその裸の空想を膨らませて、虚構の世界を自在に駆け巡るとか、そんな習癖があったような感じです。そういう思いがこのような絵になったかもしれませんね。end



カラス  2013年 7月 5日(金)00時32分
とにかくここから離れなさい、と少年たちに言ったら、またもや別の少年をカラスが襲おうとしました。その木の周りから50メートルぐらい離れて、やっと親カラスも木に留まったままでしたが、カラスの赤ちゃんを守るためには、親ガラスも必死だったのでしょうね。



今日は参議院選挙  2013年 7月21日(日)17時01分
とにかくこんな男が長く最高権力者に居座り続ければ続くほど、その悪影響は計り知れない。私達の時代よりも、私の子供や孫の時代になってから、この男のもつ危険性や軽薄さがより多く悪影響が出てくるだろう、と私は考えている。end



8月の本  2013年 9月 1日(日)00時37分
  『わりなき恋』       岸恵子 著(幻冬舎)
 とにかくフランスに長く住み日本との間を行ったり来たりしながら、社会的に活躍している岸恵子という人ならではの作品。



ブラジルの豪雨と雷 2013年10月24日(木)20時32分
とにかく夏の期間中は空の彼方に黒い雲が見え出したら「要注意」と言われていたし、その後はまたまた陽射しの強い太陽を浴びることになりますが。end



今月の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2013年11月 1日(金)00時20分
    『女の庭』          花房観音 著(幻冬舎)
とにかく京都を舞台に一様に問題を抱えていながらも、京女たちが秘めやかに花咲く、情念溢れる物語である。



ブラジルの豪雨と雷  2013年10月24日(木)20時32分
とにかく夏の期間中は空の彼方に黒い雲が見え出したら「要注意」と言われていたし、その後はまたまた陽射しの強い太陽を浴びることになりますが。end



ブラジルの食べ物 2013年10月30日(水)23時45分
とにかく仕事日のお昼にこの料理を食べると、夕方まで胃がもたれるようで、私は苦手な料理でしたね。私の会社のブラジル人はこのフェジョワーダがある日は、かならず食いに行ってました。当時は2ドルぐらいで食えたものです。



今月の本 2013年11月 1日(金)00時20分
   『女の庭』          花房観音 著(幻冬舎)
 とにかく京都を舞台に一様に問題を抱えていながらも、京女たちが秘めやかに花咲く、情念溢れる物語である。end



ブラジルに関連して 2013年11月 4日(月)01時33分
とにかくこの友人、学生時代は学生運動の闘士で指導者でした。特にデモをやるときのアジテーションは最高にうまかった。



秘密保護法(その2) 2013年12月 8日(日)00時46分
 とにかくこれは中味を読めば読むほど、とんでもない法です。戦時中の「治安維持法」の性格に酷似しています。(中略)
 とにかく朝日や毎日、東京新聞は、連日この法案の問題や危険性を載せ続けていますので、これらの新聞を取っておられる読者はご存知かと思いますが、読売や日経(産経新聞は論外、これは昔から自民党の広報誌みたいなものだから)を取っておられる方には、ぜひこの法の問題や危険性をかぎ分けて欲しいものです。end



特定秘密保護法(その3) 2013年12月12日(木)23時47分
とにかく民主党の海江田代表が言っているように「官僚による官僚のための官僚を守る秘密法案」なのだ。 廃棄にするための市民運動を起こすべきだと考えている。end



バカ丸出しのシンゾウの靖国神社参拝 2013年12月27日(金)13時28分
とにかくこの男には、歴代の自民党政権が否定していた武器三原則の緩和、最近の韓国軍弾薬の供与などまで実行して、「右向け右」しかノウにない危険性と幼稚さだけがある。この先がおもいやられることはなはだしい。
一時も早くどこかの知事みたいに政治的に抹殺されてほしいもの(オット、こんなこと書いたらテロ行為と認定されて逮捕されかねないかもネ)。end



16資料管理請負人:2014/09/22(月) 08:38:18
生活感
生活感に憧れる根無し草


◆「生活感」とは
実用日本語表現 より
人がそこで暮らしているという雰囲気。または、人らしい雰囲気。住居がそこそこに乱雑
であることを婉曲的に言う場合にも用いられる。
喜怒哀楽の感情を持ち、学び、働くなどの活動を行う、人らしい雰囲気。また、住まいに
ついて、いかにも人が暮らす所という感じ。「―のある人」「―の漂う部屋」
goo 辞書より
喜怒哀楽の感情を持ち、学び、働くなどの活動を行う、人らしい雰囲気。また、住まいに
ついて、いかにも人が暮らす所という感じ。「―のある人」「―の漂う部屋」

◆この人は一種褒め言葉として使っているのだろう。合評ではN U作品に多く使われる。
恐らくこの言葉が自動設定されていると思われる。つられて使用した人が1名あるだけで
他は全てこの人の使用であった。

◆万華鏡でも一件ヒットした。もちろんこの人である。
「せからしか」を残して数ヶ月前に去った草茫々通信の主催者にご機嫌伺いだと思われる。

◆「リアル」が大好きなように、現実のもの、人、感情がこの人には重要なのだろう。
現実にあるものしか見えないし理解できない。あるもでしか自分を確認できないのだろう。
別の世界を感じたり、許容したり、創ったり、考えたりすることは難しい。





(抜粋)

『草茫々通信』  2010年 7月 6日(火)21時53分
 先日、シネマの会の後、例のごとく飲み会になったが、そのときに13期生HP「はるかなる○○」の管理者である××さんから、佐賀で発行されたという『草茫々通信』という小冊子をいただいた。

 発行人の了解をとってないので、その発行者の名前を記すことはできないが、この通信に「創刊の辞」を書かれている。つまり先月6月に生まれたほやほやの冊子である。
河野さんについては初めて名前を聞く人が多いかもしれない。
はっきりした記憶はないが、単に思想とかイデオロギー的視点ではなく、人間そのものが持つ「情念」や生活感からの発想が根底にあるような文章だった。



落ち椿 N  2010年 6月18日(金)13時46分
 永年連れ添った最愛の妻を亡くした男の心象や妻との思い出、日常風景を描いた作品である。
読者を、一人になったときの寂しさ、侘びしさ、孤独感、生きる喪失感などを感じさせることができるのは、それだけ作者の筆力があるということだろう。読者が感情移入して読み進むのと同じように、作者もひとりになった男の孤独感や生活感を(異性であるにもかかわらず)なんとか体感されようとしたのだろうか。



チンと太郎 U  2012年 3月29日(木)22時49分
 昭和20年前後のころの庶民の生活や風情を、チンと太郎という犬を登場させることで、暮らしの厳しさ、戦時中の厳しさがありながらも素朴で温かな生活感覚を見事に描写されています。



紫陽花 N  2012年 5月31日(木)13時38分
このような関係や相克を通じて二人の生活感や相手への見方などがエゴイスティックに描かれています。深刻なようであまり大きな亀裂にはならない。それでいて水で流すような簡単な気持ちにはなれない。そんな微妙な2人の関係が特別な大事件が起きるまでもなく澱んだまま進行して行きます。



短歌と俳句(32号)  2012年11月17日(土)21時49分
園△国×さんの短歌
この作者は学生時代の友人ですが、退職後は沖縄へ度々行っていること聞いています。普天間基地の移転問題について辺野古で10年以上座り込みやっている人たちを応援するためです。上から3句は多分その沖縄で詠まれた歌でしょう。何度も行くたびに沖縄という地が自らの生活感の底流になっていることを感じることができます。



山茶花 N     2013年 3月19日(火)00時32分
1人称の手法をとっていますが、出だしから最後まで一貫して感じるのは、ゆったりとした時間の流れのなかでも、庶民の生活観や生活感がじつにうまくその時々の時代や環境に合致していることです。
庶民の見方、つまり人間を上からでも下からでも視るのではなく、まさにその人そのものとなって、ごく普通の人間がごく普通に時間の流れにそって、喜怒哀楽を共にしながら生きていく、そんな物語であり、作者が好まれる題材でしょう。



Aさんへ 2013年11月16日(土)21時00分
私から言わせれば役者というのは、その芝居や登場人物になりきるためには、その人物や作者の思想性から生活感覚、性格、言語などすべてを体得せねばならないから、演じること自体が自分の知識や品格を高めることができるし、いい商売ですね、と羨ましくなったことがあります。



あじさい N 2014年 7月24日(木)21時13分
江戸時代に住む町人たちの、それも老舗の乾物屋で生業を営む人たちの情緒感、生活感、人間関係などが実にリアルに描写されています。特に浪速弁(?)を駆使しての人々の会話や周りの風景を表現されているので、より一層効果的です。
あたかも読者をこの乾物屋の一人の従業員にみたてて読ませてくれる感がするものです。



「くちなわ坂」N を読んで 2014年 9月11日(木)22時33分
とにかく△△さんの創作では、悪人とか善人とかを区別することなく、ごく普通の庶民の生活感や生き方を、淡々と綴られることが多いですね。このような視点から見る目もまた確かなものを感じます。



「グミの木」Uを読んで 2014年 9月15日(月)23時26分
□□さんの分身であろう健二という少年を登場させて著者の戦争体験を語るノンフィクション物語です。戦中戦後の服装や風景、当時の生活感など実にリアルに描写されています。
空襲の時などの模様は映画やテレビのシ〜ンでよく見たものですが、そんなものより実体験のあるこのような描写がよりインパクトが強いです。



17資料管理請負人:2014/09/23(火) 11:36:35
いずれにしろ−1
「いずれにしろ」−糊塗の輪 篇

◆検索結果32件中4件がO、残りは全てシニンである。
◆「とにかく」と同様まとまりがなくなり、あるいは面倒になり打ち切りのまとめの表現
 として使用する。いずれにしろ以下の数行を読めば十分である。
◆打ち切りを示す「いずれにしろ」の前の長い文章の中味は殆どが自分の自慢や懐古談だ。
◆「とにかく」と「いずれにしろ」の絶妙な組み合わせもある。
◆その使用頻度の多さから言って「と」「い」で文章登録しているのかもしれない。


注)end は文末を表します。

(抜粋)
思い出の山・・・いくつか M 2010年 4月22日(木)00時32分
いずれにしろ、体力、気力、意欲全てに関して脱帽です。
無事に宗谷岬に着かれる事を祈念します。end


再度Oちゃんの質問へ 2010年 5月11日(火)22時50分
いずれにしろ、現在の日本の財政赤字はギリシャほどの危機感はないだろうが、日本政府がかかえる莫大な借金財政では、今後国債発行はますます増える傾向にあるのは間違いない。そして1000兆を超える累積赤字になれば、海外の目も極端に厳しくなることだろうし、それがひいては日本政府、日本企業、なかんずく日本経済への停滞、金融への信用不信へも連関していきそうな気がする。 end


合評御礼(その6) 2010年 6月26日(土)23時02分
いずれにしろ、鳩山さんが辞任の際に言った「県外移転の努力継続」は菅首相に継承されるにしても、それは沖縄の負担軽減という意味であり、安保を根本から問い直すという意味ではありません。
真の意味での沖縄の負担軽減は、日米関係の根本的変化なしにはありえません。今の民主党、あるいは今の外務官僚の体質では、どんな人間が首相になっても、米国の軍事行動を支え、時にはともに行動する「見せかけの平和国家」は継承されていくでしょう。end


小学時代の小遣い 2010年 8月 6日(金)21時22分
いずれにしろすべてセピア色の思い出で、はっきりした記憶ではないのですが。end

Aさんのエッセイについて 2010年 9月 2日(木)23時31分
まず、クリントンについて。
いずれにしろ、このエッセイに出てくるように、クリントンが娘の結婚式で涙をこらえることができるか、を心配する云々の記事はなんとなくひとりの父親としての情愛を感じていいものです。結果はどうだったのでしょうかね。(*クリントンの箇所)end


民主党代表選挙 2010年 9月13日(月)21時33分
しかし、いずれにしろ、今の日本の政治財政的事情から言えば、誰が首相になっても「前途多難」という状況には変わりがない。菅にしろ小沢にしろ、ここ数年の自民党政府のように任期一杯政権にしがみつくか、イヤになって投げ出すか、・・・になるのではと懸念する。end


サンフランシスコ 2010年 9月18日(土)23時19分
Oちゃんはシスコに滞在中だとかで、フランスのRさんや四国のお兄さんたちと合流したらこれから色々と出歩かれることでしょう。
私も80年代ニューヨークに駐在したときやブラジルからの出張などで3回ほど行った事があります。
いずれにしろ、アルファーの掲示板のことはあまり気にせずに、せっかくのシスコ滞在を大いにエンジョイしてください。end


青春18切符に関連して M  2010年 9月23日(木)22時25分
いずれにしろ、今回のMさんの紀行文は私にとっては色々な鉄道の旅や切符に関しての記憶を辿らせてくれる文章でもありました。end


たんぽぽ(2)−澄江の場合ー N   2011年 1月17日(月)22時12分
いずれにしろ、このような重たい題材を創作の対象に選んだ作者の意図や意欲に敬意を表します。
私も官能小説へのトライを再度やってみようかと思っていましたが、このような重たい題材こそ、チャレンジしてみる必要があるのかもしれません。end


原発事故 2011年 3月16日(水)00時24分
いずれにしろ今回の東電事故を教訓として、火山列島で覆われた日本では原発自体の良し悪しが今後大きな問題になるかと思っています。民主党も自民党も原発推進では政策が一致しているのですが。 end


記憶の階段 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 4月 5日(火)21時40分
いずれにしろ「離婚してアルツハイマーになった元夫へ、これから明子はどのように動くのか」、次号への期待が膨らみます。end


日本列島徒歩縦断・旅日記 M 2011年10月18日(火)22時16分
いずれにしろ、この紀行文を読むものさえ「やっと半分来たんですね。ご苦労様」と言いたくなる気持ちです。 end


何処へ(その1) O    2012年 1月 8日(日)22時32分
いずれにしろ「何処へ」ということは、どこか明確な目標や場所などがあることではなく、ましてや何らかの行動をとるということでもなく、「彷徨える魂は一体どういう結果を生むものか」という問いのような気がしてならない。 end


吉本隆明の訃報に接して 2012年 3月16日(金)23時51分
いずれにしろ、彼の逝去を悲しむことより、彼の思想性がどのように受け継がれていくか、というのが私のこれからの関心ごとかもしれません。 end


あるがまま O  2012年 4月30日(月)23時34分
いずれにしろ、今号のタイトル「あるがまま」をさしたる想像力を駆使することなく、このように簡潔に創作される作者の力量についてはさすがだと思っています。 end


創作「あるがまま」で思ったこと 2012年 5月 3日(木)22時38分
いずれにしろ、てげてげさんの表紙の題名、おーちゃんの作品の「あるがまま」は、いい意味で想像力の訓練にもなったようです。 end


沼南ボーイさん、旅人さんへ 2012年 6月24日(日)01時51分
沼南ボーイさん。
高橋和己の「わが心は石にあらず」は私も持っています。若いころに読んだことはありますが、確かエッセイだったような気がします。高橋和己の著書では私が最高に良かったと思うのは、「邪宗門」それから「悲の器」「憂鬱なる党派」などです。
いずれにしろ、一時高橋和己の小説に凝ったことが懐かしく思い出します。


自民党総裁候補 2012年 9月10日(月)21時45分
いずれにしろ、自民党総裁に立候補した連中を眺めたら、「どんぐりの背比べ」か「在庫いっきセール」か、どうしようもない男ばかり。これではますます、「ハシゲ」の人気があがるだけです。(以下略)



尖閣島問題 2012年 9月17日(月)21時31分
いずれにしろ、今回の騒動が鎮静化することを願ってやまないが、私の怒りがおさまらないのは、自分の仕事でもないことに火をつけ、「愚の骨頂」たる余計なことをしでかしたシンタロウの行為だ。(以下略)
とにかくこの男には、週に1、2回(それも都庁滞在は2,3時間とか)しか出勤していなくても、年収約3千万円は任期中は保証するから、ただただ黙っていてほしいものだ。end


ひき逃げ事故 2013年 3月14日(木)00時06分
いずれにしろ34号までに多くの創作作品が、同人から発表されてきましたが、今回の内容は今までにない斬新さと突飛さを感じるもので、このような作品(小説)も面白いものだなと思ったものです。end


転居祝い 2013年 3月20日(水)23時39分
いずれにしろOちゃん、料理やじゅんびから後片付けまでお世話になったNさんに御礼申し上げます。end


沼南ボーイさんへ 2013年 4月 8日(月)23時09分
いずれにしろ、円安や株価上昇が国民の多くの生活向上に役にたっているかが問題です。あくまで実体経済の景気が上向くのを期待したいのですが。end



Uさんへ 2013年 9月 8日(日)23時51分
いずれにしろ、今回の騒動が鎮静化することを願ってやまないが、怒りがおさまらないのは、自分の仕事でもないことに火をつけ、「愚の骨頂」たる余計なことをしでかしたシンタロウの行為だ。(中略)
とにかくこの男には、週に1、2回(それも都庁滞在は2,3時間とか)しか出勤していなくても、年収約3千万円は任期中は保証するから、ただただ黙っていてほしいものだ。(以下略)


健二少年ー? U 2013年12月16日(月)22時40分
いずれにしろ、鵜木さんの記憶力とイメージ力、それからの文章力には感心することばかりです。
最後に、この章の「かあちゃんの下駄の音」というのが全体としてのタイトルになっているのも、当時の鵜木少年の心情をクローズアップさせるために、とてもいい着想だと思います。
これからも健二少年から中学生になった健二君の自分史みたいな創作を期待したいものです。end


合評御礼 2013年12月29日(日)00時53分
いずれにしろ、こんな小説にご丁寧な合評をしていただいて感謝しています。end


引きこもり R 2014年 4月13日(日)00時12分
いずれにしろ、色々な題材を取り入れて実験的小説をものにしているRさんの創作力がまたまた発揮されたということでしょう。end


浜辺 R   2014年 6月25日(水)00時47分
いずれにしろ、題材は特殊でもひとりひとりの人間の生には、見かけ以上に光や影があり、それなりの歴史があるということでしょう。
最後の(欠けているけど、作品集で見ることができます)一節もいいですね。end



18資料管理請負人:2014/09/23(火) 11:58:38
いずれにしろ−2
「いずれにしろ」−漫画狂篇

◆使用例はピラ、不倫を除き全てシニンだった。
◆「青春のあの日」復刻に文句をつけてきたOne of 11期生もいずれにしろを引っさげて
 登場している。

注)end は文末を表します。

(抜粋)
万華鏡運営委員会、開催のお知らせ 2010年 4月18日(日)22時43分
 いずれにしろ、貴君たちの要求によって、私たちはせっかくの麻雀の楽しみを犠牲にしてまで出席しようと思っています。貴君の出席は、貴君グループからの提案ゆえに、参加されないことはないと確信しています。
 もっとも私は麻雀以上に久しぶりに貴君と議論できることにワクワクして来週の土曜日を待つことになりそうです。その議論がまともなものであるよう期待したいものです。end


『1Q84』、ジェイ・ルービン+小森陽一対談 2010年 7月12日(月)21時15分
いずれにしろ、村上春樹フアンにとって、村上文学を理解するためには大きな一助となるような対談である。ジェイさんも村上作品は短編を含めほとんど翻訳されているのには驚くばかりである。end


民主党代表選挙 2010年 9月13日(月)22時17分
以上の論調に私はまったく賛同するわけですが、いずれにしろ、誰が首相になるにしろ、現在の日本の政治財政事情を考えるのなら、これからは多事多難になることは必須です。願わくばかっての安倍晋三みたいにプッツンして政治を投げ出さないようにしてもらいたいものです。end


尖閣諸島問題 2010年 9月26日(日)23時31分
いずれにしろ、日本としてこれから重要なことは、尖閣諸島が日本に領有権があるということを、世界的に知らしめるべく努めていくことでしょう。
それと、東南アジア諸国と、この問題で連携を強めていくことでしょうか。end


旅人さんへのお礼 2012年 1月 6日(金)00時10分
いずれにしろ、「斜光」を媒介にして私個人について言えば、小中学校同期の11期生しか繋がりがなかったのが、佐賀高校11期生の関係では、女性を含めて幅広い交友関係ができ、また11期生を中心とした趣味の同好会が7つもできたことは素晴らしいことだと思っています。(以下略)


飛行時間 2012年 2月22日(水)21時25分
トルコやスペインに行く場合、モスコウ経由とそうでない場合は、航空料金にも大分違いがありました。もっとも、出張の場合は座席はビジネスクラスだけど、ツアーの場合はエコノミーという違いはあったのですが。
いずれにしろ、ソ連が崩壊し、ロシアが誕生したことは便利になったしいいことだったのでしょう。(以下略)


「青春、そしてそれから」 投稿者:One of 11期生 2012年 3月 6日(火)20時34分
いずれにしろ私にはどうでもいいことですが、ただ作成者に誤解のないようにしてもらいたいのは、こうした私のコメントは決して作成しているグループへ批判しているわけではありません。「ご苦労様」と言わなかった弁解というか、率直な感想や想いなのです。
この掲示板はなんでも書いていいと言われていますが、それでも恐る恐る書いてしまいました。 気にさわることがあったら勘弁してください。end



最近の尖閣諸島問題 2012年 9月17日(月)21時19分
いずれにしろ、今回の騒動が鎮静化することを願ってやまないが、怒りがおさまらないのは、自分の仕事でもないことに火をつけ、「愚の骨頂」たる余計なことをしでかしたシンタロウの行為だ。
とにかくこの男には、週に1、2回(それも都庁滞在は2,3時間とか)しか出勤していなくても、年収約3千万円は任期中は保証するから、ただただ黙っていてほしいものだ。都庁に出勤したりすると、またろくでもないことを言い出すかもしれないので、逗子や熱海の別荘か自前のヨットででも昼寝してもらったほうが、都民としてはまことにありがたい。(以下略)


オツムの強い私からも一言 2013年 1月10日(木)19時26分
「オツムの弱い日本人読者」様へ、謹んで私の返信を進呈いたします。
貴殿は(と言っても多分私が推定するに『貴女は』と言わねばならないかと思いますが)「叫んで、揶揄して、唾はいて」と言われるが、私としては「オツムの弱い安倍ちゃん」と(私が思う)ホントのことをしゃべっているのであって、何も「叫んで、揶揄して、唾はいて」というようなそんな下品で露骨な言葉を使ったことはありません。
いずれにしろ、もし私への批判のつもりで書かれたのなら、「オツムの弱い日本人読者」なんてもっともらしいペンネームではなく、(本名とは言わないまでも)例えば「・・・・の総務」とか大げさな名前で投稿されたほうがインパクトがあるし、投稿者としてのエチケットに沿うものだと思いますよ。end


中国という国 2014年 8月 6日(水)22時45分
もう55回もの連載、私も中国という国には関心があるほうなので勉強になります。
風鈴さん、ご苦労様。
いずれにしろこの国の動静は世界の動きに大きく影響していくことでしょうが。end



19資料管理請負人:2014/09/23(火) 12:35:01
死支度
                                                                      .
◆最後で、朝日新聞の「印象に残ったベスト3冊」で逢坂氏の記事を引用しているが、
 その前の書評部分もまた、別枠で書いた逢坂氏の書評そっくりそのままである。
 引用であることは全く触れていない。

◆*前半部分では自作の引用を長々と貼り付けている。自分の作品の紹介も行うという
 すご技を見せている。





茶:コピペ箇所 青:底本  緑:底本著者

コピペ作品

今月の本 2011年 9月29日(木)00時47分
 現在、「同人言の輪」グループでは28号の合評会を掲示板でやっている。すでに終わってしまったが、O-chanの「生と死の間で」という作品の合評では「死の世界というのはどんなものか、臨死状態や死に際では何が見えるか、天国からみた俗世界など」の話で大いに盛り上がった。

       *自著の紹介 自著のコピペ(*編集部)

このとき、私も「死に際の話」として次のようなエピソードを書いてみた。

 『幸田文さんの、幸田露伴が死ぬ時の有名な文章で、露伴が寝ている寝床のところを覗き込んでいると、「いいかい」と露伴が言うんです。何がいいかわからなくて、でも文さんは「よろしゅうございます」と多少、ボケてもいるんだろうと思って言うと、「じゃあ、俺は死んじゃうよ」と言って本当に死んじゃったそうです。
 私はこんなのが最高に理想的な死に方だと思うけど、こんなに都合よくはいかないでしょう。
 あとひとつ面白い話として、博多の仙崖(せんがい)という「博多せんべい」にもなっている和尚さんで、いわゆる高僧と言われる人が、亡くなる時に枕元に弟子たちが沢山集まって、「最後のお言葉を」と言ったら、「死にとうない」と言ったというんです。それで弟子たちは困って、もう一度、「お言葉を」と言ったら、やっぱり「死にとうない」と言ったそうです。こっちも私が好きな話ですが。』

 とにかくあと20年すれば、我々11期生も大半は鬼籍に入る運命にある。それで「死支度」をそれとなく考えておくのもいいのかも。生の延長上に素直に死を受け入れる心境になるということでね。

 というわけで、今月の面白い小説として下記を紹介したい。
 おーちゃんの「生と死の間で」ではなくて、99歳になる老人の死を前にしてのすさまじい性への妄想と執念の物語、いわば「性と死の間で」と言ったところだ。



   『死支度』           勝目 梓 著(講談社)

? 語り手の〈儂(わし)〉は99歳。老人用施設に収容された109歳を自称するボケ老人。もっとも当人はボケているとは思っておらず、延々と性にまつわる妄想譚(もうそうたん)を、7話にわたって披露する。

 第1話で、〈儂〉は妻の民子を失ったあと、至高の悦楽に包まれて死にたい、と考える。そこで思いついたのは、女性の体毛(腋毛と恥毛)を大量に収集し、袋に詰めて枕と掛け布団を作り上げ、それに体をゆだねて断食死するという、途方もない計画だった。25年の年月と5億円の金を費やして、〈儂〉はその希望を実現させる。
 ところが、いざ枕と布団にくるまれ、断食死しようとする間際に、家を訪れた隣人に発見され、施設に収容されてしまう。死にそこなった〈儂〉は、ベッドに寝たきりになりながら、施設で働く看護師や、収容された他の老人たちを相手に、さまざまな性談議を繰り返す。

 その中には、体毛を提供した女性の何人かが枕越しに〈儂〉に語りかけてくる、というケースもある。そうした融通無碍(ゆうずうむげ)な語り口で、義足を愛撫(あいぶ)されて快感を覚える女や、女体にさわることで形を確かめる盲目の彫刻家の話など、魅惑的なエピソードが紹介される。さらに、自分が女になって悦楽を味わうといった、思いつく限りの性的妄想が次つぎに繰り出されて、目が回るほどだ。

 著者は、透徹した目とたくまざるユーモアで、底知れない性的うんちくを傾ける。しかし、そこにはいやらしさなど、微塵(みじん)もない。この小説は、いまだ達観の域にいたらぬ著者が、達観した〈儂〉にあこがれつつ書いた〈性的遺書〉、と呼んで差し支えないだろう。

 通俗的なエロ小説と違うのは、老人の性遍歴と妄想を交錯させながら、寝具に詰まった体毛が、かつての持ち主だった女たちの生と性の遍歴を語りかける、という斬新な作法をとっていることだ。そして老人はもう耳で聞くのではない。その世界に主人公のようにはいり込み、色事にふけるのである。

 愛だの恋だのと語っていた若いころの観念論が、百年を生きた者のまえではしぼり滓(かす)のように感じるものである。そして百年を生きて死んでいく者のニヒリズムは、こうまで無辺な愛の世界を映し出すものかと思うと、その齢まで生きて、ぼけてみたくもなる。

 朝日新聞の「印象に残ったベスト3冊」で作家の逢坂剛さんがこの本を挙げて、
「『死支度』は、80歳に近づいた著者の告白的性遍歴の記録といえよう。その妄想力には、少なからず驚かされる。老齢に差しかかりつつある読者だけでなく、今時の草食系男子にも、ぜひ読んでもらいたい快作」
 と評していたので、図書館で借りて読んだ小説である。




コピペ元

Book Asahi サイト 書評
[評者]逢坂剛(作家)  [掲載]2010年12月05日   [ジャンル]文芸
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011071704447.html

■達観した主人公に託した性的遺書
 この著者には、2006年刊行の私小説『小説家』という傑作がある。純文学からスタートして、娯楽小説、官能小説に移行した経緯を恋愛遍歴とともに率直に吐露した感動作だった。4年後に上梓(じょうし)された本書は、さながら古酒の樽(たる)の栓を抜いたような、風味豊かな独白体の連作短編集に仕上がっている。
? 語り手の〈儂(わし)〉は99歳。老人用施設に収容された109歳を自称するボケ老人。もっとも当人はボケているとは思っておらず、延々と性にまつわる妄想譚(もうそうたん)を、7話にわたって披露する。
 第1話で、〈儂〉は妻の民子を失ったあと、至高の悦楽に包まれて死にたい、と考える。そこで思いついたのは、女性の体毛を大量に収集し、袋に詰めて枕と掛け布団を作り上げ、それに体をゆだねて断食死するという、途方もない計画だった。25年の年月と5億円の金を費やして、〈儂〉はその希望を実現させる。
 ところが、いざ枕と布団にくるまれ、断食死しようとする間際に、家を訪れた隣人に発見され、施設に収容されてしまう。死にそこなった〈儂〉は、ベッドに寝たきりになりながら、施設で働く看護師や、収容された他の老人たちを相手に、さまざまな性談議を繰り返す。
 その中には、体毛を提供した女性の何人かが枕越しに〈儂〉に語りかけてくる、というケースもある。そうした融通無碍(ゆうずうむげ)な語り口で、義足を愛撫(あいぶ)されて快感を覚える女や、女体にさわることで形を確かめる盲目の彫刻家の話など、魅惑的なエピソードが紹介される。さらに、自分が女になって悦楽を味わうといった、思いつく限りの性的妄想が次つぎに繰り出されて、目が回るほどだ。
 著者は、透徹した目とたくまざるユーモアで、底知れない性的うんちくを傾ける。しかし、そこにはいやらしさなど、微塵(みじん)もない。この小説は、いまだ達観の域にいたらぬ著者が、達観した〈儂〉にあこがれつつ書いた〈性的遺書〉、と呼んで差し支えないだろう。
 すべての〈儂〉にお薦めしたい、本年の掉尾(とうび)を飾る佳作だ。
 評・逢坂剛(作家)



20資料管理請負人:2014/09/23(火) 18:45:42
リベラル
◆ヒットした記事は、糊塗9件中8件、漫画狂15件中全部がG氏による投稿でした。
◆人物、書籍/冊子 全てにリベラルと非リベラルのラベルを貼り分ける習癖があるよ
 うです。
◆G本人の中味は不明ですが、外側はリベラルラベルを全身に貼り付けているようです。
◆小森氏のことを聞かれて「リベラルな人」と答えたことが余程誇らしかったのか、
 ルービン氏に聞かれたことが嬉しかったのか、そのルービン氏が「リベラル」と聞い
 て対談が楽しみだと言ったことが満足に思えたのか、よくは分かりませんが、2010年
 2012年と殆ど同じ記事を書き込んでいます。「リベラル」という言葉がよほど好きな
 のでしょう。




黒:漫画狂  茶:糊塗の輪
(抜粋)
合評御礼(その3) 2010年 6月22日(火)22時51分【糊塗の輪】
最近発生した韓国潜水艦(?)の破壊事件(発表では北朝鮮犯人説ですが、つじつまの合わない説明と結果が6項目ぐらいあることをあるリベラルな韓国新聞が伝えていましたが)では、北朝鮮の報復説や実験説が数多く語られています。


『草茫々通信』 2010年 7月 6日(火)21時53分【漫画狂】
 先日、シネマの会の後、例のごとく飲み会になったが、そのときに13期生HP「はるかなる木霊」の管理者であるひまじんさんから、佐賀で発行されたという『草茫々通信』という小冊子をいただいた。
 発行人の了解をとってないので、その発行者の名前を記すことはできないが、この通信に「創刊の辞」を書かれている。つまり先月6月に生まれたほやほやの冊子である。
しかし、私にとっては「河野信子」という女性は非常に懐かしい名前である。というのは私が学生時代、彼女は当時福岡市在住で大学新聞や西日本新聞、他リベラルな月刊誌に数多くの論文や時評を載せておられ、「すごい文章を書かれる方だな」という思いがあった。


『1Q84』、ジェイ・ルービン+小森陽一対談  2010年 7月12日(月)21時15分
 それで思い出したのだ。「あはぁ、これがあのときのか」とね。
 というのは、確か4月だったと思うが、ルービン夫妻が東京滞在中にMrs.らく子さん、Oちゃんと私の3人で夫妻がリースしている六本木のマンションで懇談したことがある。そのときMr.ルービンは執務中で、その合間に「小森陽一さんと今日対談予定だが、彼はどのような人ですか?」と聞かれたことがある。
 私は、「東大の先生で、専攻は『近代文学』だったと思う。また大江健三郎とか故小田実、故加藤周一他9人の方たちが発起人になった『9条の会』の事務局長などをやっている非常にリベラルな方ですよ」と私が知っているだけのことをしゃべったが、ルービンさんは「そういう人は好きです。安心しました」というように答えられていた。


石原都政の検証(その6、独裁政治関連)  2011年 4月 8日(金)23時34分
 もう大分前の話だが(あるいはこの掲示板に書いたかもしれぬが)、当時私が属するある研究会グループは都の施設をよく利用していたが、ある時期からとにかくうるさくなって「使用目的は?」とか「どういうグループか?」とか聞かれるようになった。要するにシンタロウ自身が指示したわけではないが、その取り巻き連中が、シンタロウが嫌がるリベラルな会合とか中国、韓国関係の集会へ無言の圧力をかけていたのだろう。


今月の本  2011年 5月31日(火)15時50分
 前置きが長くなってしまったが、今月も先月同様原発に関して印象に残った本や論文を紹介したい。
 最後に原発特集雑誌としては、AERAから発行された『原発と日本人(100人の証言)』、週間金曜日から発行の「臨時増刊・原発特集」、週間朝日発行の「朝日ジャーナル臨時号」などはリベラル、保守問わず、広範な識者から意見を集約し、今後の原発のあり方を検証している。


反原発デモ   2011年 6月29日(水)22時18分
 とにかくも最近でこそ、「世界」、「現代思想」や「週間金曜日」などのリベラルな雑誌や岩波書店発行の原発関連の本には小出さんの著書が多く見つけることができるが。
 小出さんの発言は事故が起きるまで口をすっぱくしてその危険性を主張していたにもかかわらず、実態として原発事故を止められなかった自分の責任を痛感されて「涙声」になったのだろう。
 このような学者こそ真実、信頼と信用が出てくるものだ。


上野千鶴子さん最終講義 2011年 9月11日(日)22時28分
 小難しいエッセイや小説の嫌いな、どこかのフアンさんには悪いけれど、また小難しいエッセイを書いてみます。もっとも私としては、けばけばしい客引き宣伝の予告文字よりも、小難しいエッセイや興味のある本の紹介がいいような気もしますが。出来ればけばけばしい文字や予告もあの程度に控えてもらって、あまりエスカレートしないことを望みます。
 本題に入ります。
 今回書いてみたいと思ったのは上野千鶴子さんの東京大学での最終講義の内容です。「文学界9月号」に22ページに渡ってその全文が載っています。
 上野さんとは東大の教授で女性学、ジェンダー研究のパイオニアとして著名で、ベストセラーとなった「おひとり様の老後」などの著書があります。歯切れのいい語り口やリベラルな思想は私の好きな女性でもあります。



またまたシンタロウのハネアガリ   2012年 4月18日(水)22時01分
「都が尖閣諸島を購入する」というシンタロウクンなんかまさに「超ハネアガリモウロクジイサン」とでも称しましょうか。
 私に言わせれば「やるべきことをやった、ではなくすべて自分の単に思いつきだけに、都の贅沢な財政を使ったにすぎん。新銀行しかり、オリンピック招致しかり、築地移転しかり、都立大のリベラルな先生排除しかり、都立高校教師への国旗・国歌の強要しかり、都庁幹部の総入れ替えしかり」です。


6月の本 2012年 6月30日(土)16時29分
私達11期生のルービン・良久子さんのご主人であるジェイ・ルービンさんとは5回ほど会ったことがある。おーちゃん宅で開かれた同人仲間の集いで2回、ご夫妻が東京滞在時に宿泊されていた白金(?)のマンションに良久子さんからおーちゃんと一緒によばれた時、佐賀での50周年記念同窓会時に同じホテルで宿泊した朝食の時、などであった。
ジェイさんとは詳しく文学談義するほどの時間はなかったが、印象的だったのは白金でのマンションで、「これから『群像』(小説主体の月刊誌)主催で小森陽一さんとの対談に行くが、小森さんとはどういう人物ですか?」と質問され、「東大の教授で『9条の会』の事務局長などやっておられる非常にリベラルな方ですよ」と答えたら「そういう方は大好きです。対談が楽しみです」と言われたことである。


「こころ」という詩  2012年 7月10日(火)21時18分
市長のハシゲ(私は軽蔑の意味をふくめて、まともなよび方はしないようにしています)については、相変わらず、自分をナニサマだとおもっているような言動が多いですね。
先々週の「週間金曜日」ではハシゲのイカサマと軽薄さを特集していました。顧問や相談役など、自分の気にいった連中を何十人も抱えて、相場以上の手当てをやっているとか。とにかくやりたい放題のことをやっているみたいですね。
『世界7月号』でも特集やっています。リベラルで論理的な筆者ばかりなので、説得力があります。読まれることをお勧めします。


脱原発デモ  2012年 8月28日(火)21時13分
さてそれでは私もひとこと。
現在では唯一のリベラルな月刊誌「世界9月号」に特集として「誰のための政治なのか」「さよなら原発17万人集会の記録」が載っています
その中で柄谷行人が「人がデモをする社会」について以下のようなことを述べています。
 このデモ論は一面的な感じもしますが、このあとでも含蓄のある論理を展開しています。


沼南ボーイさん、うのたんさんへ   2012年 9月14日(金)22時23分
シンタロウ親子はトンビならぬゾンビ親子ではないかと私は思っているのですが。
リベラルな雑誌が伝えるところによれば、シンタロウの傲慢さはつとに有名ですが、この長男坊である自民党幹事長というのは、「ゴマスリ」で八方美人的なのは結構秀でているとか。


今日参加した講演会   2012年11月 4日(日)23時30分
今日北千住にある電機大学で「3・11以後の現在 安藤昌益の思想を考える集い」という講演会に行ってきました。
呼びかけ人は加藤登紀子さんや佐高信さん、中山千夏さん、辻井喬さんなどのリベラルな文化人。


総選挙が終わって   2012年12月18日(火)20時49分
そんな絶望的な心境の昨日今日であるが、そんな時「新潮45」という月刊誌の宣伝を見た。三番目の辻井さんは西部百貨店グループ(セゾングループ)の会長だった人で著名な作家・詩人でもあり、一貫してリベラルな憲法擁護論者でもある。
「こんな日本では死んでも死にきれない」という心情は、今の私の気持ちでもある。もともと文学者としても高く評価しているので、この文章は、この三つのなかでももっとも読んでみたいものだ。


憲法99条   2013年 5月 7日(火)22時05分
故戒能さんは、かならずしもリベラルな方ではありませんでしたが、さすがに憲法学者としての見解はご立派です。


人権尊重都市品川宣言    2013年 5月19日(日)23時18分
大阪のハシゲ君のハシタナサよりは少しはいい話です。
チケットを持っていたので、先日開催されたこの催しに参加してきました。
講演は(従来はリベラルな作家や芸術家、学者が多かったのですが)今年は前全日本男子バレーボールチーム監督の植田辰哉さんでした。


今月の本 2013年 9月30日(月)21時38分
  『新右翼(民族派の歴史と現在)』  鈴木邦男 著(彩流社)
 従来の右翼が「反共」、「親米」、「体制擁護(つまり天皇制擁護、自民党支持)」を基本的テーゼとしていたのに対し、「民族の自立」をまず第一に掲げ、平和や自由、基本的人権への希求は、幅が広く寛容度が深い。
 本書が書かれたのは著者が40代のころであるが、現在は著者の思想性はさらにリベラル的志向が強まっている感じがする。


12月の本      2013年12月31日(火)00時09分
90年代に入り、堤さんが手塩にかけて育てたセゾングループはバブル崩壊不況の荒波にのまれた。バブル崩壊後、多くの企業経営者が破綻を経験したが、失敗を引き受けて私財を投げ出した身の引き方は実に見事だった。
 いつだったか『財界で「辻井喬」を知っている人はほとんどいない』と言われていたが、財界人がいかに本を読まないかの証拠だろう。
 また堤さんは東大の学生時代、共産党員だった。後年共産党を除名させられるのだが、そうした経験を持つ経済人、学者、文筆家の多くが保守主義者に転向するのに、堤さんは一貫して護憲派、リベラル派であり続けた。
 東大生の頃、同じく共産党員だったくせに、読売新聞社で30年間に渡って独裁的権力をほしいままにして、政界のフィクサー気どりのご老人とは、思想的にも人格的にも、月とスッポンほどの違いがあろうというものだ。


新任のNHK会長     2014年 1月25日(土)23時06分
 私は、「こいつ、まったく分かっていないな」と思う。何故なら安倍や自民党は歴史修正主義的視点から、自分たちの考えているようなことを強調せよと言っているわけで、ジャーナリストというのは、何も中立を装うのではなくて、「何が真実か、何が正しいか」という視点から報道すべきなのだ。
 学生時代、少しはかじったであろうマルクシズムのリベラル性を少しだけでも思い出してほしいものだ。


三字熟語で世相を観る  2014年 7月 6日(日)22時17分
姜さんについては講演も聞いたことがあるし、私にとって敬愛できる方で、エッセイや初めての小説である「こころ」というのも読んだことがあります。長く東大の政治学の教授でしたが、今は定年退職後私立大学(聖学院大学?)の学長をされていて、マックスウエバーの専門家、研究者でリベラルな学者です。



21資料管理請負人:2014/09/24(水) 17:01:13
恋する原発
◆本題名と著者・出版社に続く文章はいつもどおり、コピペが多い。今回は「 」でくくる
箇所が多くみられ、引用であることをそこはかとなく表現はしている。
しかしながら…引用元をあやふやにしている。

◆?:「内容を概略すると」は、大王が要約したようにも読めるが、まるまる講談社ブック
倶楽部サイト掲載のものを移しただけである。

◆??:著者インタビュー記事を記憶しているとあるが、一字一句再現する記憶力は尋常で
はない。

◆?の箇所は秀逸だ。原文「過激な表現」を「過激なエロっぽい表現」に、
同じく「表現の自由をかけて」の前に(少々誇張して言えば)を付け加えている。
そしてそれぞれ「ということだろうか」「ということなのか」で終わらせている。書評の
書評を試みているようにも見える。原文の中に自分の色を出す努力とでも言おうか。
それでもコピペはコピペだ。




茶:コピペ箇所 青:底本  緑:底本著者

コピペ作品

今月の本     2011年12月31日(土)21時02分
(*前略)
作家の高橋源一郎は、朝日新聞で毎月一回「論壇時評」をやっているが、作家らしいユニークな発想や想像力を重視する論評で、昨年までに担当していた学者や評論家のそれよりも随分と面白かった。
「論壇時評」と同じ月末にやはり毎月一回「小説」の書評をやっている高橋美奈子さんが、高橋源一郎の著作で「恋する原発」というのを紹介していた。
 その中で「シモネタ満載」とか「ハチャメチャな内容」と書かれていたことに、さらに関心が増したことにもよる。
 いつもは読みたい本は区立図書館で借りるが、10人ぐらいウエイテングがあったので、わざわざ本屋で購入して読んだものだが。

  『恋する原発』          高橋源一郎 著(講談社)

 仮にこの小説のPRをするとしたら、
? 『―表現の自由をかけた過激な言葉の羅列。原発事故がもたらした日本の混乱に鋭く切り込み、私たちが人間であるために、そして、人間である意味を問う、愛と悲しみの超エンターテインメント―』ということになるのだろうか。

 内容を概略すると、
? 「東日本大震災の被災者たちを救うため、チャリティAVを作ろうと制作スタッフが立ち上がる。その前に立ちはだかったのは現代ニッポンのモラルと言葉の厚い壁だ。制作会社の社長も、監督も、自分自身の人生と生活をかけて、プロジェクトに挑む。そして、元72歳のAV女優・ヨネさんの福島で行われた葬儀で、スタッフは姪のヨシコさんに再会する。郷里は放射能汚染で帰れない。
 そこに、近所の小学生サオリちゃんがやってきた。ヨシコさんとサオリちゃんは愛とセックスの問答を開始する」
 とストーリー的にはさしたるクライマックスや面白みはない。それに後半になると、川上弘美の「神さま」、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」、石牟礼道子の「苦海浄土」についての震災文学論まで登場する。
 それに何よりも、読むのが躊躇されるようなセックスや愛情に関する露骨な表現がある。「Twitter」でも話題騒然、話題沸騰ということで本書の帯には、
「軽そうで重く、飄々として毒気あり」、「もうアホすぎてどうしようもない」「シモネタがすごい。でも後半の震災文学論がもっといい」「こんなにも不謹慎に喪に服している作品見たことない」などが書かれている。これらも賛否両論だし、見かた、感想も様々だ。

 いつだったか作者の高橋源一郎が記者のインタビューに答えて次のように語っていたのを記憶している。
? 「どんなものでもありがたいとされるチャリティーに、言葉にできない強い違和感があった。これだけは嫌だというチャリティーを考えたかった」また
?「社会のシステムが機能していないことへのイライラを、論理的な言語で書いていると違和感があった。でも、非論理的な小説を貫くのもまた違和感が出てくるから」 。

 とにかく読書中は目を背けたくなるような超低俗な表現が続くが、読み終わってしまうと、意外と爽快な気分になる。
?  過激なエロっぽい表現のなかに優しい詩情が入りまじっているということだろうか。それとも
放射能に汚染された時代に(少々誇張して言えば)表現の自由をかけて挑んだ現代日本小説の勇気と愛を感じる ということなのか。

 それでは読者、投稿者の皆さん、今年の大震災を考えると「新年明けましておめでとうございます」とは無理してでも言えないけれど、一応「来年もよろしく」とは、言っておきましょう。




コピペ元(コピペルナー検出 2014/6/22)

講談社boock倶楽部
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?code=217337
高橋源一郎
恋する原発
あらすじ・内容
【内容紹介】
あなたは、この小説に、賛成ですか、反対ですか?
? ―表現の自由をかけた過激な言葉の羅列。原発事故がもたらした日本の混乱に鋭く切り込み、私たちが人間であるために、そして、人間である意味を問う、愛と悲しみの超エンターテインメント―
? 東日本大震災の被災者たちを救うため、チャリティAVを作ろうと制作スタッフが立ち上がった。その前に立ちはだかったのは現代ニッポンのモラルと言葉の厚い壁だ。制作会社の社長も、監督も、自分自身の人生と生活をかけて、プロジェクトに挑む。そして、元72歳のAV女優・ヨネさんの福島で行われた葬儀で、スタッフは姪のヨシコさんに再会する。郷里は放射能汚染で帰れない。
そこに、近所の小学生サオリちゃんがやってきた。ヨシコさんとサオリちゃんは愛の問答を開始する。
?  過激な表現のなかに優しい詩情が入りまじるストーリーと、想像を超えた美しい結末が感動を呼ぶ渾身の長篇小説。
放射能に汚染された時代に、表現の自由をかけて挑んだ現代日本小説の勇気と愛!


朝日新聞デジタル????2011年12月9日10時17分
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201112080277.html
評者 中村真理子
「震災文学」が相次いで書かれている。よしもとばなな『スウィート・ヒアアフター』と高橋源一郎『恋する原発』。どちらも震災後の社会に問いかける話題の新刊だ。物語の世界観は対極的だが、社会への「違和感」を大事にした点では重なり合う。
■どうして怒らないのよ! 「恋する原発」高橋源一郎
 「攻めすぎ」「アホらしすぎ」「こりゃなんだ」とツイッターで話題になった高橋源一郎の『恋する原発』(講談社)。震災後、チャリティーイベントがあふれた時期に、ミュージカル風の「チャリティーAV(アダルトビデオ)」を作る小説を書いた。
? 「どんなものでもありがたいとされるチャリティーに、言葉にできない強い違和感があった。これだけは嫌だというチャリティーを考えたかった」という。AVの監督をする主人公の「おれ」は、露悪的で不謹慎だ。下ネタの合間に〈こんなにされても、どうして怒らないのよ!〉と真っすぐなメッセージが刺さる。かと思えば、小説が突然、震災文学論になり、評論はまた小説になる。
 非論理的な小説と、論理的な文章を交ぜてしまうのは、
? 「社会のシステムが機能していないことへのイライラを、論理的な言語で書いていると違和感があった。でも、非論理的な小説を貫くのもまた違和感が出てくるから」という。
 〈こんなくに、いちど、ほろんじまえばいいんだ!〉と、社会に向けた悪意に満ちる作品は、1985年刊行の『ジョン・レノン対火星人』と重なるという。当時も、社会へ、既存の文学への悪意を書いていた。大きな危機を前にして「自分が一番強く生きられる場所」に戻った。
 震災で世界は変わり、誰もが違和感を感じながらもやもやとしている。「見えない変化を言葉にするのが小説家の仕事。今が、出番だ」



22資料管理請負人:2014/09/27(土) 17:39:38
眼の海
◆前書き部分の吉本隆明についての文章以外は、殆どがコピペである。

◆週間金曜日(2012.1.13発行)を読んで取り上げる一冊に決めたのだろう。時期もぴった
 り重なる。

◆中味は2012.1.3公開された「海神日和」サイトに載った記事と重なる。(大王の投稿は
 同月1.31である。ちなみに"だいだらぼっち”氏はどうみてもコピペ大王ではない)
 詩の一部を紹介をしているが、選んだ詩もその解説も全てコピペだ。

◆「ほんの一部を紹介」と大王は述べるが、「○○が書いた書評を全部紹介します」が正しい。

◆そして最後に、常套句「とにかく」を頭につけて「読み応えのある傑出した詩集である。」
 で筆を置く。



茶:コピペ箇所 青:底本  緑:底本著者

コピペ作品

今月の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2012年 1月31日(火)22時23分
 今までに誰のどんな作品を多く読んできたかと問われれば、やはり学生時代に最も影響を受けた「吉本隆明」の著作が多かったのではと思う。とにかくメディアや友人などの情報で、彼の新しい著書が発行されたという知らせを得られれば、すぐに図書館や書店で求めていた。中には理解が難解で途中で放り出したものも多いが。

 だが吉本も今では88歳になり、最近の著書には昔の切れ味というか、凄さというのが減退している感じがする。特に昨年来の「原発」に関しての発言は、彼が東工大卒の技術者だったということを割り引いて考えても、私には不満たらたらである。

 そして、最近は吉本に代わって好きになり、かならず著書を求めているのは作家の「辺見庸」である。過去2度ほど彼の講演を聴いたこともある。

 辺見庸は1944年、宮城県石巻市生まれ。70年に早稲田第二部卒業後共同通信社入社。96年退社。91年に『自動起床装置』で芥川賞受賞、2011年に詩文集『生首』で中原中也賞、今年1月9日『眼の海』で優れた詩集に贈られる第42回高見順賞を受賞している。
 それで「今月の本」としてこの辺見庸の詩集『眼の海』を紹介したい。

  眼の海              辺見庸 著(毎日新聞社)

 先月12月の本として、高橋源一郎の『恋する原発』という小説を揚げて見た。これは(先にも書いたように)文字にすることさえ憚れるような猥雑な単語やせりふが充満している。作者はこのような言葉で原発を巡る既成概念や世情に抗らっている。あるいは原発への強迫観念を強力に解毒せんがために敢えてエロスでの表現を試みている。
 だが、『眼の海』に展開される言葉はエロスとはまったく違う別次元で大震災後に充満した世情と退廃を告発する。あたかも自らの血肉で怒りを爆発させている感がするものだ。

?  大地震、巨大津波、原発放射能汚染。「2011年3月11日」を契機にして語られた言葉は無数にある。だがこの詩篇ほど死者と向き合い、正気と狂気の間にたゆたう時代の虚実を真正面からあらわにしたものがあるだろうか。詩集『眼の海』を前にしたら、今までに語られた大震災、原発事故への言葉が、いかに軽く感じられたことか。

?   石巻市南浜町で生まれ育った著者は、3・11の大震災で多くの友人や知り合いを失った。だから、ここで語られるのは見知らぬ遺体ではなく、顔も姿も声も知っていた、わたしの死者なのである。
 つづられた51の詩篇からは、いくつもの物語や光景が、深い色彩や動き、流れをともなってよみがえってくる。耳をすませば、そこには慟哭や詠嘆ばかりでなく、怒りや祈り、そして哄笑や罵倒の声も聞こえてくるだろう。

 詩はあの災厄の日から、「復興を」の声かまびすしい10月にかけて、みずからの身を さいなむように刻まれていった。 詩篇は大きく「眼の海」と「フィズィマリウラ」の章にわかれる。前者が3・11そのものをえがくとしたら、後者はその後をつづる。悲しみから怒りへ、そして大いなる予感へと感情は深まり、たかまっていく。

 ほんの一部を紹介したい。

  わたしの死者ひとりびとりの肺に
  ことなる それだけの歌をあてがえ
  死者の唇ひとつひとつに
  他とことなる それだけしかないことばを吸わせよ
  類化しない 統べない かれやかのじょたちのことばを

 死者には色とりどりの花が、鳥が、ヒトデが、カヤネズミが、むく犬が、そしていずれ共に死すべき生たちの輝きが、月が、宇宙が寄り添っている。死者は単に遺体としてあるわけではなく、山川草木、生きとし生きるもの、歴史をまとっているのだ。
 宇宙のほんのわずかな身じろぎにすぎない地震と津波によって、街も人も流れ去った。だが、そのとき眼のおくに街がよみがえる。厩舎、銭湯、ジョロヤ、麦畑、松林、入江、パルプ工場、市営住宅、運動会、空飛ぶ円盤……。それは破壊であり、無化であり、創世でもあった。

  これ 終わりの海の儀礼
  これ はじまりの水の奔騰狂癲

 地上の光景はどこかで見た光景と似ていた。たとえば、ヒロシマの小学校や、爆撃されたサラエヴォの図書館に。それはデジャビュ(既視感)にちがいなかったが、どこかでジャメビュ(未視感)のようでもあった。災厄はおそらくまだはじまったばかりなのだ。

  岩棚の三つの首たちは
  眼窩をさらし 流星群に見入っている
  右側の首はおもう
  〈はじまったのか〉
  真ん中の首はおもう
  〈終わったのか〉
  左側の首はいぶかる
  〈それらは同じではないか〉
  汀線はいま世界のどこにもない

 あるインタビューで、著書は震災後、世間にあふれだした「人に優しく、力を合わせて」といった言葉に「強い違和感」を覚えたと語っている。内面の自己規制がはびこるなかで、あえて選んだのは「語ってはいけないものを語ることだった」という。
 抵抗しようとしたのは、のっぺらぼうな〈頑張ろう〉の大合唱であった。それは〈個〉であるわたしが死んでも、われわれの〈世界〉は生きるということにほかならなかった。その壁を突破する必要があった。

 以上はほんの一部である。だがこれだけでも分るように、詩自体が極めて濃縮された緊張感あふれる言葉とイメージの連なりで読み手の心をえぐるようだ。
 とにかく読み応えのある傑出した詩集である。




コピペ元 (コピペルナー検出 2014/6/22)

週間金曜日
2012年1月13日 878号 特集記事
辺見庸インタビュー 『眼の海』をめぐる思索と想念
 むき出しにされたこの国の真景
?大地震、巨大津波、原発放射能汚染。
「二〇一一年三月一一日」を契機に綴られた言葉は数多くある。
が、この詩篇ほど死者と向き合い、正気と狂気の間にたゆたう
時代の虚実をあらわにしたものがあるだろうか。
詩集『眼の海』をめぐる思索と想念が語られる。



海神日和
by だいだらぼっち
『眼の海』(辺見庸)を読みながら
2012/01/03 11:48
http://kimugoq.blog.so-net.ne.jp/_pages/user/iphone/article?name=2012-01-03

 詩とは語ろうとして語りえないもの、語ってはならぬものを語ることだ、と著者はどこかに書いていた。
 それはわたしという石臼を力のかぎりひき、みえないものをことばにつむぐ作業をさしている。それは、われわれを暗黙のうちに縛りつける禁忌を破り、ことばをできるだけ遠くまで放つことだ。それは〈がんばろう日本!〉の大合唱に抗し、海と地と空をつないで、ひそやかな挽歌をひとりひとりの死者に送り届けることでもある。
?  石巻市南浜町で生まれ育った著者は、3・11の大震災(なゐ)で多くの友人や知り合いを失った。だから、ここで語られるのは見知らぬ遺体ではなく、顔も姿も声も知っていた、わたしの死者なのである。
 つづられた51の詩篇からは、いくつもの物語や光景が、深い色彩や動き、流れをともなってよみがえってくる。耳をすませば、そこには慟哭や詠嘆ばかりでなく、怒りや祈り、そして哄笑や罵倒の声も聞こえてくるだろう。

 詩はあの災厄の日から、「復興を」の声かまびすしい10月にかけて、みずからの身をさいなむように彫鏤(ちょうる)された。詩篇は大きく「眼の海」と「フィズィマリウラ」の章にわかれる。前者が3・11そのものをえがくとしたら、後者はその後をつづる。悲しみから怒りへ、そして大いなる予感へと感情は深まり、たかまっていく。
 じつはだれも震災を見ていないのだ。テレビに流されているのは、意図的にデフォルメされ、脱色された光景でしかない。そこには、ちぎれた首、足、小指、すなわち物自体と化したわたしの死者は登場しない。偽造の風景に、ことばは届かない。

  わたしの死者ひとりびとりの肺に
  ことなる それだけの歌をあてがえ
  死者の唇ひとつひとつに
  他とことなる それだけしかないことばを吸わせよ
  類化しない 統べない かれやかのじょたちのことばを

 死者には色とりどりの花が、鳥が、ヒトデが、カヤネズミが、むく犬が、そしていずれ共に死すべき生たちの輝きが、月が、宇宙が寄り添っている。死者は単に遺体としてあるわけではなく、山川草木、生きとし生きるもの、歴史をまとっているのだ。
 宇宙のほんのわずかな身じろぎにすぎない地震と津波によって、街も人も流れ去った。だが、そのとき眼のおくに街がよみがえる。厩舎、銭湯、ジョロヤ、麦畑、松林、入江、パルプ工場、市営住宅、運動会、空飛ぶ円盤……。それは破壊であり、無化であり、創世でもあった。

  これ 終わりの海の儀礼
  これ はじまりの水の奔騰狂癲

 地上の光景はどこかで見た光景と似ていた。たとえば、ヒロシマの小学校や、爆撃されたサラエヴォの図書館に。それはデジャビュ(既視感)にちがいなかったが、どこかでジャメビュ(未視感)のようでもあった。災厄はおそらくまだはじまったばかりなのだ。

  岩棚の三つの首たちは
  眼窩をさらし 流星群に見入っている
  右側の首はおもう
  〈はじまったのか〉
  真ん中の首はおもう
  〈終わったのか〉
  左側の首はいぶかる
  〈それらは同じではないか〉
  汀線はいま世界のどこにもない

 あるインタビューで、著書は震災後、世間にあふれだした「人に優しく、力を合わせて」といった言葉に「強い違和感」を覚えたと語っている。内面の自己規制がはびこるなかで、あえて選んだのは「語ってはいけないものを語ることだった」という。
 抵抗しようとしたのは、のっぺらぼうな〈復興の精神〉に対してである。それは〈個〉であるわたしが死んでも、われわれの〈世界〉は生きるという大合唱にほかならなかった。その壁を突破する必要があった。
 大震災後の夏、著者はひどい抑鬱状態におちいる。時に夢魔や幻影が襲ってくる。汚れた街のみぎわを死者たちが音もなくうごいていく。死をまぬかれた人が暗緑色の汁をはいて、死んでいく。どこかから銹のにおい、血のにおいがただよってくる。



23資料管理請負人:2014/09/29(月) 11:53:54
吉本隆明詩集
◆本の紹介というより、死亡記事に嘆き叫びながら、吉本隆明に憧れていた学生時代熱い
想いにどっぷりつかるだけの回顧録である。吉本紹介は朝日と毎日の記事の組み合わせだ。

◆朝日からの記事引用を一部だけカッコ付けしているが、ごまかしである。全部をカッコ
でくくるべきだ。しかも引用の末尾に・・・をつけいかにも引用はここまでとの印象を読
者に持たせようとする意図がうかがえる。

◆肝心の本紹介もコピペ、引用だけ。「一介の読者が彼の詩を評価することは、死者への
冒涜で筆を置く。」そう云って逃げた。



茶:コピペ箇所 青:底本  緑:底本著者

コピペ作品

今月の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2012年 3月31日(土)22時38分
 3月16日、吉本隆明が亡くなった。私が訃報を聞いたのは外出先で「言の輪同人」からの携帯メールだった。「言の輪」の掲示板や飲み会などで、私がよく吉本のことを話題にしていたので、気をきかせて教えてくれたのだろう。とにかくショックだった。

 翌日の朝日新聞には一面と社会面に吉本の死を在りし日の吉本の写真入りで大きくとりあげていた。
? 『戦後日本の思想界に大きな影響を与え、安保反対や全共闘運動に揺れた1960年代に「反逆する若者たち」のカリスマ的存在だった詩人・評論家の吉本隆明(よしもと・たかあき)さんが、16日午前2時13分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。87歳だった。葬儀は近親者のみで行う。喪主は長女多子(さわこ、漫画家のハルノ宵子)さん。作家よしもとばななさんは次女。・・・・』

?  吉本隆明は 大学に足場を置くことはほとんどなく、在野の立場から国家や言語について根源的に考察する思想家として知られた。
 戦時中に米沢高等工業学校(山形県)から東京工業大へ進み、在学中に敗戦を迎えた。卒業後、働きながら詩作を進め、詩集「転位のための十篇」などを発表。1954年に荒地詩人賞を受けた。労働運動で会社を追われた経験もある。
 戦時中に軍国主義に染まっていた自身の経験をバネに、50年代半ば以降は評論でも頭角を現す。戦争協力した文化人の責任を追及した「文学者の戦争責任」(共著)、共産党幹部が獄中で思想的転向を拒み続けた姿勢を“転向の一型態”と断じた「転向論」で反響を呼ぶ。
 60年安保闘争では、抗議する若者たちを支持。既成の革新勢力を批判する「擬制の終焉(しゅうえん)」を発表し、丸山真男ら進歩派知識人への批判者として脚光を浴びた。
 続けて60年代には「言語にとって美とはなにか」「共同幻想論」で、国家や家族、言語などを原理的に考察した。欧米からの輸入品ではない思想を自立的に展開。切れ味鋭い言葉で権威に切り込み、68年の全共闘運動に携わった若者を始め、言論や表現にかかわる人々に強い影響を残した。
 大衆消費社会への批判が高まった80年代には、消費資本主義の持つプラスの可能性を提唱。漫画などのサブカルチャーや広告などにも分析の目を向けた。市井の生活者としての「大衆」の意味を問い直し続けることで、敗戦から経済成長、成熟へと移り変わった日本社会での、ユニークな問題提起者であり続けた。

 このような形でメディアは吉本を「思想界の巨人」「カリスマ的思想人」「戦後の傑出した思想家、評論家」と呼称するが、私にとってはまずはなによりも彼は「詩人」なのだ。それは学生時代の当初、ほとんど詩や詩人とは無縁で、詩を解する資質などもないのに、私の陰鬱な表情を心配したある友が吉本の詩を見せてくれた。そしてなんとなく開いたその詩を読んで稲妻に撃たれたかのごとく衝撃を受けたのだ。

 いやこういう表現はふさわしくない。それは怒り、恋愛、変革、羞恥心、憎悪、ロマン、倫理観、人間の持つ原罪、閉塞感、闘争意識など若者が持つあらゆる感情、心の葛藤、人間性を見事に表現し、なかんずくそれらは私の心象風景そのものではないか、とさえ思われたのだ。そして時を同じくするように、私の周りの友たちは、多かれ少なかれ吉本シンパになっていった。
 ここで若き時代に吉本にのめりこんでいったことを強調しても始まらない。いつか「斜光」や「言の輪」誌上で詳しく書いてみたい衝動にかられる。

 というわけで、今月は膨大にのぼる吉本の著作集の中でも最初に私が感銘を受けた『吉本隆明全詩集』の一部を「3月の本」として紹介したい。

      『吉本隆明詩集』           思潮社

 2008年 『吉本隆明詩全集』の全7巻が刊行された。 思想の出発点となった1941〜50年の10代の頃の『初期詩篇』、若き才能がきらめく20代の『固有時との対話』や『転位のための十篇』から、90年までの「新詩集以後・ 言葉からの触手」、これらを含めた未発表作品まで全作品が収録され、吉本隆明の詩人としての歩みが鮮やかに描き出されている。
 03年に藤村記念歴程賞、09年には宮澤賢治賞を受賞した。ちなみに金額は合わせて26250円だ。
 ここで吉本の詩を紹介することはできても、解説するようなことはできない。一介の読者が彼の詩を評価することは、死者への冒涜のような気がするのだ。ただ、私なりに感じたことを書くしかない。

?  彼の詩について書こうとすれば、まず 「身体性」があった。貧しさや飢餓といった生活者の実感に基づいた思想でもあり、気迫でもあった。

?  詩人としての詩的な直感と強力な論理とで対象をねじ伏せてしまう豪腕さがある一方、下町育ちの柔らかな少年の感性のような詩心も感じられた。そして愛情や恋心への素直な心情吐露。それらが私自身を含め多くの人々を惹きつけたのだと感じる。
(以下略)





コピペ元 (コピペルナー検出 2014/6/22)

Book asahi.com
[文]塩倉裕  [掲載]2012年03月16日

http://book.asahi.com/booknews/update/2012031600002.html
評論家の吉本隆明さん死去 戦後思想に大きな影響

? 戦後日本の思想界に大きな影響を与え、安保反対や全共闘運動に揺れた1960年代に「反逆する若者たち」のカリスマ的存在だった詩人・評論家の吉本隆明(よしもと・たかあき)さんが、16日午前2時13分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。87歳だった。葬儀は近親者のみで行う。喪主は長女多子(さわこ、漫画家のハルノ宵子)さん。作家よしもとばななさんは次女。

? 大学に足場を置くことはほとんどなく、在野の立場から国家や言語について根源的に考察する思想家として知られた。
 東京生まれ。戦時中に米沢高等工業学校(山形県)から東京工業大へ進み、在学中に敗戦を迎えた。卒業後、働きながら詩作を進め、詩集「転位のための十篇」などを発表。1954年に荒地詩人賞を受けた。労働運動で会社を追われた経験もある。

 戦時中に軍国主義に染まっていた自身の経験をバネに、50年代半ば以降は評論でも頭角を現す。戦争協力した文化人の責任を追及した「文学者の戦争責任」(共著)、共産党幹部が獄中で思想的転向を拒み続けた姿勢を“転向の一型態”と断じた「転向論」で反響を呼ぶ。

 60年安保闘争では、抗議する若者たちを支持。既成の革新勢力を批判する「擬制の終焉(しゅうえん)」を発表し、丸山真男ら進歩派知識人への批判者として脚光を浴びた。
 続けて60年代には「言語にとって美とはなにか」「共同幻想論」で、国家や家族、言語などを原理的に考察した。欧米からの輸入品ではない思想を自立的に展開。切れ味鋭い言葉で権威に切り込み、68年の全共闘運動に携わった若者を始め、言論や表現にかかわる人々に強い影響を残した。

 大衆消費社会への批判が高まった80年代には、消費資本主義の持つプラスの可能性を提唱。漫画などのサブカルチャーや広告などにも分析の目を向けた。市井の生活者としての「大衆」の意味を問い直し続けることで、敗戦から経済成長、成熟へと移り変わった日本社会での、ユニークな問題提起者であり続けた。

 近年は、糸井重里氏との対談を含めた新著の発刊や時事的なテーマについての発言は続けていた。今年1月に肺炎で倒れ、入院していた。



毎日新聞 2012年03月16日
http://mainichi.jp/feature/news/20120316dde041040040000c3.html
吉本隆明さん死去:哲学者・梅原猛さん、内田樹・神戸女学院大名誉教授らの話

橋爪大三郎
 「小林秀雄が原生林から切り開いた近代的批評というジャンルを、ブルドーザーでならして太い道路につくり上げた人だと思う。
? 批評の方法から言えば、詩人としての詩的な直観と強力な論理とで対象をねじ伏せてしまう剛腕の持ち主だった。攻撃的な論争もたくさんやったが、そういう中にも
下町・佃島育ちの柔らかな少年の感性のような詩心がいつも感じられた。それが私自身を含め、多くの人々を引きつけたのだと感じる。詩と批評の間を橋渡しした書き手として他に類を見ない存在だった。」

内田樹
「1960年代後半、吉本さんの著作を読んでいる高校生はまだ少なく、読んでいると分かれば、友達になれた。初めて買って読んだのが「自立の思想的拠点」以来、
 私にとって思想的アイドル。
?吉本さんの言葉には身体性があった。貧しさや飢餓といった生活者の実感に基づいた思想だ。最後の戦中派の思想家。
 吉本さんが亡くなられたことで戦中派の時代は完膚なきまでに終わった。時代は軽くなっていくでしょう。



24資料管理請負人:2014/10/03(金) 16:31:39
目取間俊の世界(おきなわ)―歴史・記憶・物語―
◆東京大学女子院生が書いた書評をパクル。実にさもしい。いい年の男子が恥ずかしくな
 いのだろうか。
◆大王にとって書きたいことは本の紹介ではなく、前書きの部分にあるとしか思えない。
??「僕の友達の紹介」「僕にはこんなにたくさんいい友人がいます」「僕はたくさん本を
  読みました」等々。



<抜粋>
茶:コピペ箇所 青:底本  緑:底本著者

コピペ作品 (コピペルナー検出 2014/6/22)

5月の本?? 2012年 5月29日(火)23時13分
 3年ぐらい前だったか、私達の同期生である旅人(武藤)さん、おーちゃん(田村さん)、佐賀で反原発の運動をやっている牟田洋子さんの3人がニュージランドの風光明媚なハイキングコースを1週間に渡って歩き、その旅の模様を聞いたことがある。
(中略)
 さて今月に紹介したい本は、昨年12月に発刊されたそのスーザン・ブーテレイさんの著書である。渡辺さんが友人のよしみで沢山購入されたのだろうか、私やおーちゃんにも彼女のこの著書が送られてきた。
 この本のタイトルは『目取間俊の世界』。
 沖縄在住の作家・目取間俊については私も少なからず関心がある。私のファイルを探っていたらこの掲示板で2008年に「5月の本」として目取間俊著の「虹の鳥」という小説を紹介している。

 1960年生まれ。県内の高校教師をしながら文筆活動し、作品「水滴」で第117回芥川賞を受賞。以前にも書いたが、私が注目したのは彼の作家活動ではなく、オピニオンリーダーとして新聞や雑誌で、反時代的批評を熱く鋭く語っていることによる。特に地元沖縄の不条理を沖縄人の目線から告発する舌鋒は極めて厳しく理にかなったものだ。

 目取間俊の世界(おきなわ)―歴史・記憶・物語―
                       スーザン・ブーテレイ 著(影書房)

 本書は四つの章から構成されている。
?  第一章は作家・目取間俊およびその作品を紹介し、作品を通底するテーマを探り、目取間俊の作品における戦争の捉え方と語り方の特徴を概説する。

?  第二章は1997年に発表され、九州芸術祭文学賞、芥川賞を受賞した目取間の代表作の一つである「水滴」を取り上げ、テーマ、表現方法、ストーリーの紡ぎ方、登場人物の役割など、多様な角度から綿密な分析を行い、さらにジェンダーの視点を取り入れることにこの作品をめぐる従来の読みに見られなかった新しい視点を提示している。

 第三章 (略)*編集部
 第四章 (略)
 第五章 「結論」として、作家・目取間俊が沖縄戦をめぐる従来のディスクールに大      いなる疑問を提出し、(略)

?  私が本書を読んで共鳴したのは、目取真俊が自分の作品で「個別体験」に焦点化していることを力説していることだ。「個別体験」を読むことを通して読者は戦争体験の聞き手の位置に置かれ、体験の分有へと誘われていく。「戦争の集合的な記憶」から排除されてきた「個別体験」、すなわち言語化できない/されていない体験に光が当てられることで、「戦争の集合的な記憶」に亀裂が生じるプロセスが示されているのは、本書の大きな魅力の一つである。
 ことに興味深いのは、「風音」を取り上げた第三章である。「風音」の主人公清吉は、沖縄戦の最中、父とともに特攻隊員の遺体を風葬場に運ぶ。遺体の傍にあった万年筆に惹かれ、再び風葬場に足を運んだ清吉は、蟹に食い荒らされる遺体を見てしまう。それ以来、清吉は特攻隊員の頭蓋骨が風音を鳴り響かせる村で、死者を汚してしまったという思いに囚われ続けている。「風音」に描かれているのは、頭蓋骨を抜ける風の音、聞き取ることのできなかった呟きなど、言葉としての意味をなさないまま、「音」として聴覚に刻まれた出来事の残滓に囚われる当事者の姿である。著者は「風音」という作品自体が出来事や行為に断定的な意味が付与されることを拒む構造を持っており、それゆえに「常に空白の謎に向かって問い続けるしかない場に読者は立たされる」と指摘する。その上で豊かな解釈を広げていく著者は、常に語りきれない残余を含み込む戦争の記憶を、体験を、非当事者がいかに想像し、分有していくかという可能性にかける一つの試みを実践していると言えるだろう。

 しかし、それにしても(書評とは別に)すごく感心したことは、外国人でありながら書かれている単語や言葉の豊富な使用、日本的表現力の卓抜さ、日本人的な解釈や理解の秀逸さである。そんじょそこらの日本人の評論家や作家を凌駕するほどの日本語に通じておられる。            また参考文献として挙げられている本の多さ、沖縄戦や沖縄の歴史、沖縄に関する文学者の小説や評論など、何年の間にこれだけ読破されたのだろうかと思ったものだ。

?本書が目取真俊の作品世界をより深く味わうための重要な手引きとなることは疑いようがない。同時に沖縄の色々な問題や課題を考えるとき、大事な示唆と教訓を与えてもくれる。 ぜひ手にとってもらいたい一冊である。




コピペ元 (コピペルナー検出 2014/6/22)
http://www.kageshobo.co.jp/main/books/medorumashunnookinawa.html

●『出版ニュース』 2012.2中
? 現代沖縄文学を代表する作家・目取真俊の作品世界を紹介しながら、
作品を通底するテーマを探り、戦争の捉え方と語り方の特徴を概説。ここではまず、1997?年に発表された芥川賞を受賞した代表作『水滴』を取り上げ、テーマや表現方法から登場人物の役割まで、多様な角度から分析。さらに、新たな戦争の記憶の語り方を模索した作品として注目された『風音』や、もう一つの代表作と言われる『魂込め(まぶいぐみ)』をめぐる新解釈を提示する。いずれも、戦争体験者ですら忘れかけている記憶を掘り起こすことを通じて、「琉球処分」以降の、日本と沖縄の関係性を浮き彫りにして、歴史そのものを問う。」


●「沖縄オルタナティブメディア」
http://www.kageshobo.co.jp/main/books/medorumashunnookinawa.html
書評 2012.2.18
       評者=村上陽子(東京大学大学院生)

 本書で取り上げられている目取真俊の「水滴」、「風音」、「魂込め(まぶいぐみ)」は、どれも沖縄戦に深く関わる作品である。沖縄戦というすさまじい暴力にさらされた体験が、身体を媒介として回帰し、現前する。目取真俊の作品を読むとは、その作品世界に生きる者たちの身体感覚に共振し、到来する出来事の内部に投げ込まれることにほかならないのではないかと思われる。

?本書の著者もまた、これらの作品で目取真俊が「個別体験」に焦点化していることを重視している。「個別体験」を読むことを通して読者は戦争体験の聞き手の位置に置かれ、体験の分有へと誘われていく。「戦争の集合的な記憶」から排除されてきた「個別体験」、すなわち言語化できない/されていない体験に光が当てられることで、「戦争の集合的な記憶」に亀裂が生じるプロセスが示されているのは、本書の大きな魅力の一つである。

 ことに興味深いのは、「風音」を取り上げた第三章である。「風音」の主人公清吉は、沖縄戦の最中、父とともに特攻隊員の遺体を風葬場に運ぶ。遺体の傍にあった万年筆に惹かれ、再び風葬場に足を運んだ清吉は、蟹に食い荒らされる遺体を見てしまう。それ以来、清吉は特攻隊員の頭蓋骨が風音を鳴り響かせる村で、死者を汚してしまったという思いに囚われ続けている。「風音」に描かれているのは、頭蓋骨を抜ける風の音、聞き取ることのできなかった呟きなど、言葉としての意味をなさないまま、「音」として聴覚に刻まれた出来事の残滓に囚われる当事者の姿である。著者は「風音」という作品自体が出来事や行為に断定的な意味が付与されることを拒む構造を持っており、それゆえに「常に空白の謎に向かって問い続けるしかない場に読者は立たされる」と指摘する。その上で豊かな解釈を広げていく著者は、常に語りきれない残余を含み込む戦争の記憶を、体験を、非当事者がいかに想像し、分有していくかという可能性にかける一つの試みを実践していると言えるだろう。
 だが、「沖縄人のアイデンティティー」を土着的な文化に求める点、沖縄の文化の担い手としての「女性」像が批判的に検証されていない点には物足りない感覚を覚える。類型的な語りに亀裂を生じさせるスリリングな読みは、戦争のそれに対してだけではなく、文化的・ジェンダー的な語りに対してもなされる余地があるだろう。
? とはいえ、本書が目取真俊の作品世界をより深く味わうための重要な手引きとなることは疑いようがない。ぜひ手にとってもらいたい一冊である。



25資料管理請負人:2014/10/05(日) 17:48:51
感情移入
◆「感情移入」という言葉は、「糊塗の輪」のOが頻繁に使う言葉である。まさしく感情
移入術を以てして相手の心に入り込む、または主人公になりきって作品の中で語らせる同
人糊塗の巫女なのだ。そして信者にはしつこく感情移入の功徳を説く。

◆Oの次に多いのが、Oのつばめであるコピペ大王である。書くとき、読むとき、感想を
書くとき、いや全ての思考形態において「感情移入」が大事だと言い始め、すっかりOに
染まったかのように見える。但し、大王の場合には感情=「恨」の構図が根底にある。

◆「感情移入」については、巫女、コピペ大王を良く知る同人αの主催者が分析を試みて
いる。N.C参照 →http://9330.teacup.com/alpha/bbs/index/detail/comm_id/2778





<抜粋>

落ち椿   2010年 6月18日(金)13時46分
このように読者を、一人になったときの寂しさ、侘びしさ、孤独感、生きる喪失感などを感じさせることができるのは、それだけ作者の筆力があるということだろう。読者が感情移入して読み進むのと同じように、作者もひとりになった男の孤独感や生活感を(異性であるにもかかわらず)なんとか体感されようとしたのだろうか。


夏の思い出ー初恋ー   2010年12月31日(金)00時35分
 今号のタイトルに沿って「夏の思い出」、それも誰にでも経験があり、もの心ついてからでは最も忘れられない「初恋」についての思い出の記です。
 このような思い出の記には過剰な感情移入になりがちですが、さすがにTさんです。言い過ぎることもなく、かといって淡白な告白でもないし、今流の「てげてげ」な恋情でもない。


記憶の階段   2011年 4月 5日(火)21時40分
 また離婚とか娘との間の雰囲気や、別れた夫との関係なども自分の経験に合わせたような書き方で好ましく感じます。作者が普段気負うこともなく、グループの中で気楽に雑談しているようなものでしょう。
 そういう感じの文章の中から、突然それも夜中に侵入者が現れます。
この侵入者への態度も想いも作者の性格や感性を投影しています。よく言われる「感情移入」でしょう。


女の生き方 2011年 9月24日(土)22時09分
 個人的な感情としては、本編に登場する人物に対しての好き嫌いはありますが、それだけ読者の気持ちを登場人物へ感情移入できるとすれば、Rさんの構想力や描写力が一作ごとにステップアップしていると言えるでしょう。


「あるがまま?パート3」 2012年 9月22日(土)22時57分
小説については自分の好き嫌いで評しては、味気ないものになってしまうような気がする。少なくとも合評の対象が、創作であるわけだから自分の出来る限りの想像力を駆使して、その作品の主人公に感情移入していくことが大事ではないかと、思うようになった。
 今回のパート3の主人公である淑恵はそういう意味では、(私にとっては)物足りない、どちらかと言えば色々とケチをつけたくなる女性ではあるが、それでもこの女性に感情移入して、彼女の立場になって考えれば多くは納得してしまう。いや納得するというよりは、彼女の心理、行動面で、ごく平凡な女性の視界のなかでの思いや動態がうまく表現されているのではと思う。


「あるがままパート4」を読んで 2012年11月21日(水)23時48分
 前回パート3で私は、小説についての合評では自分の好き嫌いを基準にして評しては、味気ないものになってしまう。それで合評の対象が創作であるからには自分の出来る限りの想像力を駆使して、その作品の主人公に感情移入していくことが大事ではないか、というようなことを述べた。
 そういう意味で、同じ男としての好き嫌いから言えば、今回の聡も物足りない。色々とケチをつけたくなる男ではあるが、作者は女性であるのに、聡に感情移入したかのごとく彼の心象風景をうまく表現できているのではと思う。


思い出作り(その1) 2013年 7月13日(土)22時07分
 Oは、創作する時にはそのヒロインに、合評のための作品(創作もの)を読む場合はその主人公に、感情移入してその人物になりきってしまう、というようなことをよく言われている。
 今回の主人公・明子については、明子になりきるというよりはまさに作者の分身みたいな存在だ。今までの作品以上に明子に感情移入したばかりでなく、その環境や行動、家族関係、友人関係までも、自らを投影した感じになっている。


引きこもり 2014年 4月13日(日)00時12分
というのも作者のRさんは、一時もダラダラと過ごしたくない、なんかやっていなければ気がすまない、そんな風な性格の方だと聞いています。
作者は、もしこんな状態になったら、という仮定で康子の気持ちに感情移入されたのではと思ったものです。



26資料管理請負人:2014/10/09(木) 09:12:25
定義集
◆本題名と著者・出版会社に続く文章は朝日出版ウェブからのほぼ丸写しと、もう一つが
大江が連載中の出来事については、「ひまわり博士のウンチク」の名のブログの丸写しで
ある。(大王の色を出した箇所(斜め文字)は変更箇所)

◆「文章力はピカイチ」「本題ではその本の重要な部分の抜粋を使うと同時に自分の受けた反応なども加わってとても興味深い展開が繰り広げられています」。との絶賛投稿があった。Sは例としてこの大江作品の紹介に感動したと書いている。
文章力ではなく「コピペ力」(適当な文をネットから探す力+繋ぎ合わせていく力+若干の加工を施しみせかけの独自性を持たせる力)ではないか。




茶:コピペ箇所 青:底本箇所  緑:底本/著者

コピペ作品

今月の本  2012年10月31日(水)22時07分
 50年ぐらい前の学生時代の話であるが、博多に住んでいた私は、小・中学時代の親しい友がいる東京へ、休みを利用して何度か遊びにいったことがある。その友の一人である同じ佐高11期生の渡辺一夫さんが「AA(アジア・アフリカ)作家会議」の中の「アフリカ行動委員会」という南アのアパルトヘイトに反対する市民運動グループに属していたため、一緒にこれらのグループ会議に(賛同者みたいな形で)参加していた。

 あるとき、渡辺さんから、「今日はAA作家会議のメンバーである大江健三郎さんとの懇談会があるので、ぜひ一緒に行こう」と誘われたので喜んで参加した。
 当時の大江さんは学生時代に「芥川賞」を受賞し、いわゆる芥川賞作家として著名であったが、他方「核」や「沖縄」の問題については意識的に発言し市民運動にタッチしていた。当時から「行動する作家」として世間に知れていたが、その後の大江さんのスタイルやスタンスは今でも一貫している。
 その時の大江さんの話は、日本若手作家会議のグループで中国を訪問し、毛沢東と握手したら、その手がすごく暖かくて大きかった、というようなことを話されたことを覚えている。

 大江健三郎が「行動する作家」とか「反骨・リベラルな作家」とか言われてきたこととは関係なく、私は学生時代から彼の小説や評論集、エッセイをよく読んできた。どちらかというと、小説のほうはよく理解できなかったが、「沖縄ノート」や「ヒロシマノート」などのエッセイ・評論集には深く感銘しその後の私の行動の指針ともなった書である。

 というわけで、今月の本として、大江健三郎のもっとも新しいエッセイ集である「定義集」を紹介したい。

   定義集          大江健三郎 著(朝日新聞出版)

?  2006年から2012年まで、朝日新聞に好評連載されたエッセイを単行本にしたものである。著者は中学生時代から老年の今日にいたるまで、人生の習慣としてさまざまな言葉を読みそして書き写してきた、という。
 本書はなかでも忘れがたい言葉の数々を、もう一度読み直す意味でまとめられている。

 たとえば、徳永進医師との対話で、鶴見俊輔が語った「まなびほぐす」ということば。知識は覚えただけでは身につかず、それをまなびほぐしたものが血となり肉となる。小説家も教育や臨床の現場ではないけれど、言葉で「学び返す」「教え返す」という同じ作業をしているのだ。

 ほかに『カラマーゾフの兄弟』でアリョーシャが病気で亡くなったイリューシャの葬儀で話した「しっかり憶えていましょう」、ヴァレリーの「精神の自由と、せんさいな教養が、子供への押しつけで壊される」、魯迅の「不明不暗の『虚妄』のうちに命ながらえる」、そして源氏物語の一節から、チェルノブイリ原発事故の小説まで――六十数年、言葉を手がかりにして思索を積み上げてきた作家の、評論的エッセイの到達点である。

?  敬愛する言葉を書き写し、読み直し、自前の定義をする。源氏物語、ドストエフスキー、魯迅、レヴィ=ストロース、井上ひさし、人生のさまざまな場面で出会った忘れがたい言葉をもういちど読み直す。ノーベル賞作家の実に味わいのある評論的エッセイである。

?  この連載中に、著者のまわりでは実にさまざまなことがあった。2004年に9人の文化人(井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子)で立ち上げた九条の会のメンバーのうち、2007年に小田実が、2008年に加藤周一が、2010年に井上ひさしが亡くなった。
 しかし、九条の会は全国的な運動として広がりを見せ、「・・・九条の会」や「九条の会・・・」など、地域や職場ごとに多数存在し、これらの数は数千にのぼるといわれる。
 『定義集』の連載が始まる前年の2005年には、著者にとっては寝耳に水だったであろう沖縄戦当時の渡嘉敷島での出来事を記した『沖縄ノート』が事実と異なり名誉毀損であるという右翼からの訴えを受け、連載はその裁判と並行して行われていた。

 そして、2011年の3月11日に、東日本大震災にともない福島第一原子力発電所でメルトダウンが起きたことは、ずっと核廃絶に尽力して来た著者にとって大変な衝撃であった。
 それから1年、前年に決着した「大江・岩波沖縄戦裁判」は当然ながら原告の訴えをしりぞけ、脱原発運動も国民的な運動として広がりを見せるのを確認し、2012年3月21日付で、『定義集』の筆を置いた。

 『定義集』の中で著者は、憲法九条を守ること、核兵器を廃絶することを、今現在の重要課題ととらえ、あらゆる機会をとらえて訴えているのはご承知のとおりである。




コピペ元



朝日新聞出版解説
http://publications.asahi.com/original/special/oe_kenzaburo/

敬愛する言葉を書き写し、読み直し、
自前の定義をする。


? 2006年から2012年まで、朝日新聞に好評連載されたエッセイの単行本化。ノーベル賞作家は、中学生時代から老年の今日にいたるまで、人生の習慣としてさまざまな言葉を読み、そして書き写してきた。本書は、なかでも忘れがたい言葉の数々を、もう一度読み直す。

 たとえば、フランスの哲学者であるシモーヌ・ヴェイユの「どこかお苦しいのですか?」。知的障害のある息子との暮らしのなかで、著者は常にこの言葉に支えられてきた。不幸な人間に対して、好奇心だけではなく、注意深く問いかける。
 あるいは、徳永進医師との対話で、鶴見俊輔が語った「まなびほぐす」。知識は覚えただけでは身につかず、それをまなびほぐしたものが血となり肉となる。小説家も教育や臨床の現場ではないけれど、言葉で「学び返す」「教え返す」という同じ作業をしているのだ。

 ほかに『カラマーゾフの兄弟』でアリョーシャが病気で亡くなったイリューシャの葬儀で話した「しっかり憶えていましょう」、ヴァレリーの「精神の自由と、せんさいな教養が、子供への押しつけで壊される」、魯迅の「不明不暗の『虚妄』のうちに命ながらえる」、そして源氏物語の一節から、チェルノブイリ原発事故の小説まで――六十数年、言葉を手がかりにして思索を積み上げてきた作家の、評論的エッセイの到達点。



紀伊國屋ウェブ
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784022508102

内容説明 (本の帯記載)
?敬愛する言葉を書き写し、読み直し、自前の定義をする。源氏物語、ドストエフスキー、魯迅、レヴィ=ストロース、井上ひさし、人生のさまざまな場面で出会った忘れがたい言葉をもういちど読み直す。ノーベル賞作家の評論的エッセイの到達点。
出版社内容情報  *?と同じ



ひまわり博士のウンチク 坂井泉  2012/07/08
本づくり職人の、寝言、戯れ言、覚え書き。
http://himawari823.no-blog.jp/unchiku/2012/07/post_bc3d.html

?この連載中に、大江さんのまわりでは実にさまざまなことがあった。1004年に9人の文化人(井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子)で立ち上げた九条の会のメンバーのうち、2007年に小田実が、2008年に加藤周一が、2010年に井上ひさしが物故した。
 しかし、九条の会は全国的な運動として広がりを見せ、「○○九条の会」や「九条の会○○」など、地域や職場ごとに多数存在し、これらの数は数千にのぼるといわれる。
 『定義集』の連載が始まる前年の2005年には、??大江さんにとっては寝耳に水だったであろう??沖縄戦当時の渡嘉敷島での出来事を記した『沖縄ノート』が事実と異なり名誉毀損であるという右翼からの訴えを受け、連載はその裁判と並行して行われていた。
 そして、2011年の3月11日に、東日本大震災にともない福島第一原子力発電所でメルトダウンが起きたことは、ずっと核廃絶に尽力して来た大江さんにとって大変な衝撃であった。
 それから1年、前年に決着した「大江・岩波沖縄戦裁判」の総括も終え、脱原発運動が国民的な運動として広がりを見せるのを確認し、2012年3月21日付で、『定義集』の筆を置いた。

 『定義集』の中で大江さんは、憲法九条を守ること、核兵器を廃絶することを、今現在の重要課題ととらえ、多くの紙面を割いて来た。



27資料管理請負人:2014/10/09(木) 09:26:31
情念
◆「情念」と言う言葉は大王以外では殆どみあたらない。あるとしても数件で、しかも引
 用文の中だったりする。
 大王の書評も実質引用ではあるが、「情念」という言葉に結びつきやすい本を好む傾向
 にあるということは言えなくもない。

◆同人作品「恋情の海」の合評二つが面白い。前者と比べてみると、大王はこの作品を評
 価できるのは自分だけだと言わんばかりに、著者と主人公に感情移入し、情念の赴くま
 まに感想を述べているように見える。 (各々全文掲載)


   【情念】
   大辞林
   深く心に刻みこまれ,理性では抑えることのできない悲・喜・愛・憎・欲などの強い感情。
   大辞泉
   感情が刺激されて生ずる想念。抑えがたい愛憎の感情。「―の炎を燃やす」



<抜粋>

書評をひとつ 投稿者:月間読書人  投稿日:2002年 7月18日(木)10時06分33秒【落書き帳】
    日活ロマンポルノ全史             松島利行 著(講談社)
60年代、70年代の頃は、東映任侠映画や日活ロマンポルノ映画はよくみたほうである。前者では、スクリーン上での高倉健、鶴田浩二、藤純子らが演じる侠客道の情念、血と暴力、滅びの美学に拍手を送り、後者では、単なる劣情心をそそるピンク映画と違い、当時の時代相を象徴的に詰め込み、性や風俗をシニカルにあるいはコミカルに描かれていたことへの共鳴と、若さ故の性への強烈な関心と刺激とが相まって、よく観にいったものである。



今月の推奨本 投稿者:月刊読書人  投稿日: 2003年9月30日(火)20時50分【落書き帳】
『おんな 愛 いのち』   ―与謝野晶子/森崎和江/ヘーゲル―   園田久子・著(創言社)
 二部・“架橋・女から女たちへ”では、森崎和江の女・性の言葉をとおして彼女を望視し、あがめ、もがき、そして自らの生や性への衝動や情念の正体をみすえようとする。何よりもこの章は、著者自身の詩に始まり、詩で終わっている。著者の情念がほとぼしるようなドロドロしたこのような詩に接すると、著者自身のただならぬ貌が垣間見えてくるようであり、生半可な生ではなかったことがわかる。



恋情の海を読んで 投稿者:赤松次郎 投稿日:2010年 2月 4日(木)16時31分
古い規範がまだ頭の隅にしっかり隠れているのか判らないが、この手の話は元来私は苦手であるから、出来れば見て見ぬふりしてそっと通り過ぎたいと思うのだが、いくつかの疑問点が見つかったので書いてみた。

先ず人に対する恋情なるものが、例えばプラトニックな愛とか、単なる欲情だとかのいろいろな形態を列記してあるが、自分なりの一定の見解もなくただ思いつくまま書いてあるに過ぎないように思える。

主人公は娘にたいしてある時から恋情を抱くのだが、作者はそれが既成の事実とし済ましているようであるが、なぜどの部分にどのような人格にといった詳しい記述が私は描いて欲しい、またそれがこの小説の重要なテーマとして一番面白い部分と思うのだが。それとも主人公がいろいろの形の愛があることを認識するという意図の小説なのか。それとも主人公が古い規範のなかで、自分の情念の不道徳さに悩み、異常な愛の少数派の苦悩や苦痛に共感し理解出来るようになったことが主なテーマだろうか。とにかくいろいろのもりだくさんの恋情が描いてあって、主人公はその混沌の世界で溺れそうに見える。

とまあ、憎まれ口を沢山叩きましたが、このようなジャンルのものを書けない私の「曳かれ者の小唄」「減らず口」「田作の歯ぎしり」と思ってください。あしからず・・・。(全文)



恋情の海(その1) 投稿者:吟遊視人 投稿日:2010年 2月 5日(金)23時09分
 いつものこの作者の「愛の形態」「愛のあり方」を問う作品であるのは間違いない。だが単純に「愛」だけを問うだけでは済まされないシビアな問題提起や性に限らず人間の業みたいなものを暴きだしてくれる作品とも言える。

 「愛の形態」や「愛のあり方」としての近親相姦的愛、それも娘への強烈な肉欲を伴う愛情を題材にしている。私の場合で言えば、娘の裸を見た経験もそのような感情に陥ったこともないので、うまくは表現できないが、この作品の中で描写されている「私」の心理や感情表現は誇張がなく作為的なものもなく素直に理解できると思う。

 特に感心したのは、情緒的に娘への欲情を吐露するだけではなくて客観的に自らの感情を分析する視点も持っていることである。このようなスタンスは欲情小説のインパクトを弱める危険性もあるが、今回の小説はその微妙なバランスの上で成り立っているとも言える。つまり露骨な絡み合いの描写をするわけでもなく、かといって論文調、エッセイ風の書き方ではなくて純文学的体裁を整えている ということだ。

 ただこのような愛の形を考えるとき、私の想像力の中では、このような心理や欲望は、小さいときから溺愛し自分と血がつながる娘であるゆえに生じるものなのか、それとも成人した男性の美に憧れる生理的な欲望の一種なのかと思ったりする。
 どちらも同じさ、と言われそうだが、私に言わせればこのような欲情は対象となる女性の特性によってもたらされるのか、それともそれを見つめる男の中のDNAのようなものに規制されるのか、と言ってもよい。

 そのようなことを考え、突き詰めていくと、なぜかしら近親相姦という関係は人間社会での究極の愛の形態、信頼と安心の中で最も確実な(裏切らない)情念を燃焼できる愛のように思えてくるものだ。

 次回はこの小説で考えさせられたことを書いてみたい。(全文)



『草茫々通信』 投稿者:吟遊視人 投稿日:2010年 7月 6日(火)21時53分【万華鏡】
私にとっては「河野信子」という女性は非常に懐かしい名前である。というのは私が学生時代、彼女は当時福岡市在住で大学新聞や西日本新聞、他リベラルな月刊誌に数多くの論文や時評を載せておられ、「すごい文章を書かれる方だな」という思いがあった。はっきりした記憶はないが、単に思想とかイデオロギー的視点ではなく、人間そのものが持つ「情念」や生活感からの発想が根底にあるような文章だった。



一枚のハガキ 投稿者:吟遊視人 投稿日:2012年 8月 3日(金)21時53分
主演・大竹しのぶが、戦中、戦後を生き抜いた女の情念を見事に演じきっていましたが、やはり新藤監督の終生のテーマであった戦争への怒り、戦争の非人間性という主張が貫かれている映画だったと思われます。



今月の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2013年11月 1日(金)00時20分【万華鏡】
 8月の本として岸恵子の「理なき恋(わりなき恋)」というのを紹介したが、この小
とにかく京都を舞台に一様に問題を抱えていながらも、京女たちが秘めやかに花咲く、情念溢れる物語である。



引きこもり 投稿者:吟遊視人 投稿日:2014年 4月13日(日)00時12分
仮に夢が願望や不安、憤懣、恐れなどその人の持つ情念の世界の反映だとすれば、やはり康子にとっても現実世界から逃避できていないことになる。
 人間誰しもどこか人間の深層心理ではまとわりつくような現実世界のしがらみや関係から自由でないことを作者は言いたかったかもしれません。
 いずれにしろ、色々な題材を取り入れて実験的小説をものにしている亮子さんの創作力がまたまた発揮されたということでしょう。



28資料管理請負人:2014/10/13(月) 04:03:05
想像力
◆「想像」で検索すると多くの人(α、βグループ掲示板上)が現れるが、「想像力」とな
 ると、コピペ大王がずらりと並ぶ。

◆とりわけ書評や合評の際多く使われるがその傾向を見ると、
 *読み手の「想像力」を喚起させられなかった作品には低評価を
 *書き手に「想像力」さえあれば、創作(芸術的なもの)ができると考えているように
  も思われる。
 *コピペ大王自身の想像力とは、「勘ぐる力」「妄想癖」と言い換えた方がぴったりくる。


【想像力とは】
wikipedia
想像力(そうぞうりょく、英語: Imagination、フランス語: imagination)は、「想像する能
力」とも呼ばれ、心的な像、感覚や概念を、それらが視力、聴力または他の感覚を通して
認められないときに、作り出す能力である。想像力は、経験に意味を、知識に理解を提供
するのを助けとなり、人々が世界を理解する基本的な能力である。そして、学習過程で鍵
となる役割も演じる。想像力のための基本的なトレーニングはストーリーの語り(物語)
を聞くことで、選ばれた語の正確さが「世界の喚起」に基本的な要因である。

大辞林
? 想像する能力やはたらき。過去の表象を再生するもの,全く新しいイメージを創造す
るものなどに大別される。
? カントでは,感性と悟性とを媒介して認識を成立せしめる能力。すなわち直観におけ
る多様なものを結合して統覚による統一にもたらす能力。構想力。



鳥の巣 投稿者:月間読書人  投稿日: 2002年7月31日(水)13時11分【落書き帳】
そしてどんな鳥たちが、どこからこんな柔らかい枯草をピック・アップしてきただろうか、またひな鳥たちはどのような巣立ちをしただろうか・・・・・・・・・と想像力はいくらでも広がっていく感じでした。
巣立ちが終わったあとの巣とはいえ、それらを非情にも簡単に崩し捨ててしまったことの悔恨の情は残りましたが、翌日帰京するまで、同行したカミさんとの会話はもっぱらこの巣を作った鳥たちのことが中心でした。


今月の書評 投稿者:月刊読書人  投稿日: 2004年2月26日(木)23時37分【落書き帳】
冒頭からなんだけど、自分自身スケベーだなと・・・思うときがある。電車のなかで座って本を読んでるときでも目の前にちょっとスタイルのいい女性が立つと、本の内容よりも、目の前の女性の裸を連想したりしていて・・・・・。だけど私なりの矜持も持ち合わせている(つもり)である。それはそのような思い(想像力?)への羞恥心と女体へのいとおしさは、最大限自分のなかにあるというスケベーなりの美学と論理。(ちょっと理屈っぽいね)
 発禁本−明治・大正・昭和・平成−    城市郎コレクション(平凡社)



原点 投稿者:吟遊視人 投稿日:2010年 2月 2日(火)23時24分
 「原点」という意味から「出発点」、「主人公がよって立つ地点」、「思考や感性の源となる強烈な体験や出来事」などを想像してみました。それでも「こういう意味でタイトルになったのでは」という作者の想像力をくみ取ることはできませんでした。


恋情の海(その1) 投稿者:吟遊視人 投稿日:2010年 2月 5日(金)23時09分
 ただこのような愛の形を考えるとき、私の想像力の中では、このような心理や欲望は、小さいときから溺愛し自分と血がつながる娘であるゆえに生じるものなのか、それとも成人した男性の美に憧れる生理的な欲望の一種なのかと思ったりする。


恋情の海(その2) 投稿者:吟遊視人 投稿日:2010年 2月 7日(日)13時29分
 それと、最後に述べたこれらのことは、今回の作品についての「合評」ではない。この作品からの感想でもない。この作品から離れたところで「近親相姦」という言葉に「想像力」をたくましくして想いついた「つぶやき」のようなものである。



天使ごっこ・悪魔ごっこ(2) 投稿者:吟遊視人 投稿日:2010年 3月 1日(月)22時59分
 さてそれでは合評とは言えそうもない感想を。
 一言で言えば、「よく分かりません」。
 現実の風景と作者(私)の行動、空間描写の合間に、作者の想像力の世界や観念の世界が突然挿入され、それがどのように繋がっているのか、あるいは何を比喩しているのか、つまり現実と非現実の世界の関連がよく理解できないところがあります。



SUITE IN WHITE SATINを読んで 投稿者:吟遊視人 投稿日:2010年 3月24日(水)13時51分
「翻訳クラブ」の訳に多くを依存して、読後感を述べます。
 色々な想像力をかきたてられる物語のようですが、タイトルとして「組曲・白いサテン」とあることを注目したいと思います。



脳トレに関して 投稿者:吟遊視人 投稿日:2010年 4月20日(火)23時10分【漫画狂】
 先週の土曜日のこと。「斜光」の編集委員会が終わった後、いつものごとくワインやビールが出て懇親会となり、最後は、今回のアルファーの内紛の話題で盛り上がった。
 やはりというか当然というか、想像力豊かな編集委員でさえ、以下のような感想や意見であった。
 2の「充分に考えながら文章を書く」ということについても、ただ日記風に出来事を並べて書くことよりも、「想像力」を充分に駆使して書くことが大事である。
 今回私が「万華鏡」や「ニューロンカフェ」に投稿した文章は、果たして「脳トレ」に効果があったかどうか。ただ私の長い論争の経験から言えば、「最低のレベル」と思っているゆえに、たいして役にはたっていそうもない。



合評御礼(その5) 投稿者:吟遊視人 投稿日:2010年 6月25日(金)23時35分
オーちゃん、
新聞はほとんど読まないと言ってるわりには、普段の雑談で政治の話をしても、けっこう乗ってくるから面白い。創作をやったりして想像力が豊かな方は、政治への視点や理解度でもその感性をいかんなく発揮できるというものでしょう。


巴の出産 投稿者:吟遊視人 投稿日:2010年 7月24日(土)21時55分
 とにかく、作者の想像力が生んだ稀有の作品なのかもしれない。


OBJECT TROUVES 投稿者:吟遊視人 投稿日:2010年 7月30日(金)21時23分
それにしても単純に『拾い物』と言っても、作者の想像力があれば色々なストーリーやモチーフが出てくるものだと今回の作品を読んで感心してしまった。
今後とも亮子さんの想像力と創作力をますます期待したい。


チョットと不思議な「オハナシ」 投稿者:吟遊視人 投稿日:2010年 8月16日(月)21時48分
 117日にも及ぶ「日本縦断徒歩旅行」を達成された余韻があって、その行為の凄さから言えば、直後ゆえの彼の作品の感想が「軽く」感じられるのではと思って読んでみました。
 ところがどうしてどうして、おーちゃんが言うように、どれも想像力たっぷりのいい作品です。



愛と別れ(その1) 投稿者:吟遊視人 投稿日:2010年10月 6日(水)22時58分
 第二章は雪子の夫、治男の動静が中心となっている。雪子が倒れて寝たきり状態になってからの治男の変化である。その変化であるが、彼の態度自体の変化であり、心象の変化にはあまり触れられていない。触れないことで、作者は読者の想像力を期待しているのかもしれない。
 それで勝手な想像ではあるが、介護に献身する治男とは、それまでの態度を反省した後悔の念からなのか、それとも夫としての単純な義務感、同情心からなのか。
 あるいは治男の「やさしさ」が愛憎をぬきにして介護に走らせたということか。



愛と別れ(その2) 投稿者:吟遊視人 投稿日:2010年10月 7日(木)23時12分
以前にも書いたことがあるが、この作者の作品は「愛」を主題にした作品が多い。「愛の行方」、「愛の形、種類」、「愛のあり方」、「愛の幻想」など一つの作品に一つの愛のテーマやモチーフを取り入れることもあるし、これらの多くを一つの作品の中に組み込み、読者の想像力を問うこともあった。



合評御礼 投稿者:吟遊視人 投稿日:2010年10月16日(土)23時16分
登場する女性については、今回の合評にもありますが、読者の想像力にまかせます。


新・積み残しの記5 大銀杏の下で 投稿者:吟遊視人 投稿日:2010年12月 6日(月)22時28分
このへんのテクニックというか想像力というか作者独特のエッセイの書き方ですね。作者の知的な好奇心や言葉への関心の深さも感じられます。


新名称について 投稿者:吟遊視人 投稿日:2010年12月28日(火)11時42分
 それは多田道雄さんと石牟礼道子さんの往復書簡集をまとめた「言魂」という本に感激したことにもよりますが、「言葉をつぐんで、あるいは言葉を媒介にしてサークルを作る」またはこの言葉の想像力として「言葉には人間世界を存立させる力がある」というメッセージがあるような気がします。



たんぽぽ(2)−澄江の場合ー 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 1月17日(月)22時12分
 今回の場合は、作者が加害者からの視点で構成されていますが、逆に被害者(長男)の目からみればどのようなものだったろうかと想像したりしました。またこの素材は作者自身の長い仕事の経験から身近に発生した事件を取り上げられたのか、それともあるニュースの記事を想像力を駆使しての創作なのか、ちょっと興味のあるところです。


言の輪26号について 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 2月12日(土)22時47分
「表紙」は担当の亮子さんの提案で「階段」。さすがに美大出身らしく螺旋階段の想像力を惹起させてくれるような素晴らしいデザインです。


テーマ「階段」による会話詩 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 3月10日(木)23時43分
 それで、今回の詩を合評する場合、どのように想像力を働かしたらよいかなと考えこんでしまいました。がしかしこれまで合評された方の投稿を読んでいたら(特にうのたんさんの)大いに参考になりました。また感心させられました。確かに詩というのはこのようにして詠めば、説得力があるし自らの想像力を試すこともできます。



都知事の暴言 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 3月17日(木)23時53分【漫画狂】
それにしても、もともとは「物書きや(作家とは言いたくありません)」のくせして被災者への想像力がまったく欠如した発言です。ある意味作家ではなく本当に売文家業の「物書きや」なのかもしれませんね。


記憶の階段 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 4月 5日(火)21時40分
 どのような諍いも融和を望み、常識の通じないへんちくりんな相手でも「どうしてそうなのか、何故そのような考えや行動ができるのか」まで配慮したり、想像力を働かせる彼女のスタンスが、この作品の底流にあるような気がします。特に元夫への態度や感じかたにそれがよく表現されています。


ロスト・イン・トランジション 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 4月27日(水)22時14分
この短い小説の中には迷い、判断、意思、心理、風景、過去、未来、そして不可解、現実と非現実・・・・と色んな要素や作者の想像力が入り込んでいるような気がします。そして意思や主張がなくても比喩や風刺があるのではと思えます。


記憶の階段 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 6月13日(月)19時42分
 最後に生意気なことを言えば、彼女の持つ常識的な思考や性格、性向よりも小説の世界への想像力の駆使が優るとき、彼女の作品のレベルが更に高まっていくような気がするものである。


「学」による会話詩 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 6月25日(土)21時45分
いつものように色々と想像力を働かしてくれる詩です。



「灯台、たぶん」 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 7月11日(月)22時07分
 絵はがきを見て刺激を受け、その絵に深く入り込んで想像力を駆使して一遍の物語にしてしまう、というエラさんらしい作品ですね。
 エラさんの作品では私はいつも「想像力」というのがKey Word になると思っていますが、エラさんの想像力で構成された創作の内容が、更に読者の想像力をもかき立てるという感じを受けます。



やらせメール 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 7月16日(土)22時17分【漫画狂】
 だけど、今回の九電の「やらせメール」の詳細を知る限りは、やらせの張本人である前副社長や原子力担当の執行役員の経営者としての想像力のなさはまったくオソマツといわねばなるまい。


上野千鶴子さん最終講義 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 9月11日(日)22時28分【漫画狂】
 時間と年齢は誰にでも平等に訪れます。かって強者であった人も自分が弱者になる可能性に想像力を持たなければならない時代が超高齢者社会だと思います。



再度、原発事故について 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年 9月13日(火)23時36分【漫画狂】
 確かに政治家としては軽率な言葉だったかもしれません。誰も住めることのできなくなった町なのだから、何も現場へ行かなくても死の町の想像力はでてくるはずです。だが、このような町にした人間や組織を徹底的に断罪することなく、こんな言葉で新任の大臣を辞めさせるというマスコミや政界の「軽さ」こそ問題にしたくなります。


テーマ「慈」による会話詩 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年11月24日(木)23時35分
 つまりぬいぐるみという物の持つ印象や形体から、二人の感情を交錯させて、なおかつ想像力の力で「慈しみ」の意味を問うているのです。
 最後に「だからこそ描いたのだよ」」というせりふで終わるのは、対話の相手のみならず読者への想像力を問う言葉でもあるのでしょう。


三色スミレ 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年12月 3日(土)20時51分
 ということは一瞬、三色スミレの存在で、自分の華やかさや能動的な幻影を抱いたにもかかわらず、やはり平常心に返って考えてみれば、乳がん検診に行ったという日常の行為と三色スミレを買ってきたという事実ぐらいで、これからもさして変わり映えのしない日常がつづくという諦念なのか。
 もっともこのような想像力は私の勝手な妄想で、作者は単純に仁美の日常や心象を三つの色を持つ三色スミレに投影させたかった、ということかもしれません。


定年退職後の日々 投稿者:吟遊視人 投稿日:2011年12月13日(火)20時41分
「続き」ものだからストーリーとか人物構成などについては合評しにくいのですが、作家としての想像力、表現力や描写力についてはアマチュアの域を出た資質をお持ちであることがうかがえます。


今月の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2011年12月31日(土)21時02分【漫画狂】
作家の高橋源一郎は、朝日新聞で毎月一回「論壇時評」をやっているが、作家らしいユニークな発想や想像力を重視する論評で、昨年までに担当していた学者や評論家のそれよりも随分と面白かった。



29資料管理請負人:2014/10/15(水) 16:18:22
地の底のヤマ
◆ ほとんどが「席亭うど」氏による書評の書き写しである。
◆ 歴史性や社会性がある話題については、借り物ではなく自身の検証と見解を表現すべ
  きだと公言する人の文章とはとても思えない。
◆ 末尾「私、我が家、お隣のご家庭、我が街」、「私」と はいったい誰なのかと首をか
  しげてしまう.


茶:コピペ箇所 青:底本  緑:底本著者

コピペ作品

今月の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2013年 1月31日(木)21時54分
 今月15日、大島渚さんが亡くなった。彼が監督した映画はほとんど観てきたので、もう彼の作品を見ることができないかと思うとさすがに寂しい。いや映画以上に体制に抗い、権威や権力へ仮借なき批判を繰り返してきた彼の反骨精神に敬意と哀悼を表せずにはおられない。
 大島渚という名前に接するたびに、私が直接話した(たった一回だけではあったが)50年前のことを思い出す。
(*懐古談 略)
 さて前書きが長くなったが、今月の本として紹介したいのは、大島渚とは直接には関係ないが、このカンパの対象であった『三池』を題材にした大長編小説である。

  地の底のヤマ        西村健  著(講談社)

?  舞台は炭砿が主産業の福岡県大牟田市。ご存じ三井三池炭鉱のご当地である。この有明海に接した炭鉱都市に起きたいくつかの出来事に遭遇する「猿」こと猿渡鉄男を主人公にして、60年安保と並ぶ三池闘争の歴史を縦軸に、朝鮮半島、九州各地から集まってきた人間達の生きるあがきを横軸にして、濃厚なドラマが展開される。

 何より登場人物が濃い。猿渡鉄男を囲む白川光、菅靖真、擽園周明(いちぞちかあき)の悪童4人組。そして本物の伝説の警官だった父親の猿渡石男、エース刑事でありながら葛藤する安曇憲彦、三池炭鉱旧労組合員の坪田玄作、三池炭塵爆発でCO中毒患者になった江藤新三。そして大牟田周辺の有名人や映画やらもいっぱい出てくる。

 事件を描いて人を憎まず。街の暗部を描いて街を貶めず。闇を描いて光を忘れず。地元に育った作家の思いが860頁の作品の中に充満して、骨太な愛の物語になっているのだ。<原罪>という十字架を背負っているのが人間じゃないか、ならばその重荷を慮ってやるのが愛というものだろう。事件ハンターである主人公「猿」の姿が熱い。

 「ここ大牟田では我々の直ぐ足下、地の底にヤマがある。警察は人の心に埋もれた、事件(ヤマ)を探って掘り起こす。なるほどなぁ、炭鉱マンも我々も同じ。どちらもヤマを掘るのが仕事、というわけだ」(119頁)。安曇が鉄につぶやくこの言葉が多分に本書のタイトルになっているのだろう。

? 本書は時代区分されていて大きく4つの時代に分かれる。
 第一部はかつて殺された、警官であった父の影響を受けざる得ない若手警官時代(1974年)、第二部は父の影響を使いこなした刑事時代(1981年)、第三部は翻弄され駐在に甘んじた中年時代(1989年)、第四部は改めて父の殺された事件を追った壮年時代(現在)。それも二段組みで860ページを越える大長編小説であるゆえに、各部がそれぞれ一冊になるほど読み応えがある。

?  分厚さ以上にずっしりとした物語であった。 大牟田舞台でしか生まれ得ぬ物語である。ではあるが、人が生まれて育つところ誰にもどこにでもその人数分だけ物語がきちんとあるのだということを再認識する。主人公が抱え続ける原罪と贖罪の人生、許したり憎んだり感謝したり、そういうものは、我ら誰しもが多少なりとも抱えている訳で、そういう意味で正しく普遍的なテーマをしっかりと読ませてもらえる。大牟田オリジナルの大著を読みながら私、我が家、お隣のご家庭、我が街、これらの今とルーツと将来にしばしば思いを馳せながら。

 先に書いたように学生時代、何度も大牟田へ行ったために私自身三池炭坑関連施設には土地勘がある。三川ホッパー、四つ山社宅、新港社宅、組合事務所(第一組合)などがあったところなど、懐かしく当時を思い出すことができたことが、この分厚い長編を最後まで読めたのだろう。

 それと、この掲示板で常連のウドンコさんが書いたり、しゃべったりする方言は、いつも佐賀弁とは少し違うな、と思っていたが、この小説の登場人物がしゃべる言葉を読んで、ウドンコさんの言葉はまさしく大牟田弁であることが分かったものだ。



コピペ元


【コピペ元1】
たかお=うどイズム書評  席亭うど 2012/04/12公開
http://takaoudo.cocolog-nifty.com/takaoudoism/2012/04/post-66fa.html
西村さんは1965年、福岡県大牟田市生まれ。(中略)
敷居は高いが、内容は凄い、凄いぞ、凄すぎる!! 警察官を主人公にした警察小説であるが、一種ピカレスクであり、ノワールでもある。

?舞台は北海道・石狩炭田と並ぶ炭砿が主産業の福岡県大牟田市。ご存じ三井三池炭鉱のご当地である。この有明海に接した炭鉱都市に起きたいくつかの出来事に遭遇する「猿」こと、伝説の警官、猿渡鉄男を主人公にして、60年安保と並ぶ三池闘争の歴史を縦軸に、朝鮮半島、九州各地から集まってきた人間達の生きるあがきを横軸にして、濃厚なドラマが展開される。

何より登場人物が濃い。猿渡鉄男を囲む白川光、菅靖真、擽園周明(いちぞの=いちは木偏)の「スタンド・バイ・ミー」を思わせる悪童4人組。そして本物の伝説の警官だった父親の猿渡石男、エース刑事でありながら葛藤する安曇憲彦、三池炭鉱旧労組合員の坪田玄作などなど。登場人物はとても多いが、それぞれに魅力的で、できれば映像化されたものも見てみたい。ダメだ、忘れていた。江藤のオッチャンこと炭鉱事故でCO中毒になった江藤新三さん。そして大牟田近辺の有名人や映画やらもいっぱい出てくる。

事件を描いて人を憎まず。街の暗部を描いて街を貶めず。闇を描いて光を忘れず。地元に育った作家の思いが860頁の作品の中に充満して、骨太な愛の物語になっているのだ。<原罪>という十字架を背負っているのが人間じゃないか、ならばその重荷を慮ってやるのが愛というものだろう。事件ハンター(狩人)である主人公「猿」の姿が熱い。

「ここ大牟田では我々の直ぐ足下、地の底にヤマがある。警察は人の心に埋もれた、事件(ヤマ)を探って掘り起こす。なるほどなぁ、炭鉱マンも我々も同じ。どちらもヤマを掘るのが仕事、というわけだ」(119頁)


【コピペ元2】
読書メーター http://book.akahoshitakuya.com/cmt/22835394
ロビー地の底のヤマのロビーさんの感想 2012年10月11日
?かつて殺された、警官であった父の影響を受けざる得ない若手時代、父の影響を使いこなした刑事時代、翻弄され駐在に甘んじた中年時代、そして改めて父の殺された事件を追った壮年時代。三池炭鉱を擁する九州大牟田市を舞台に、主人公の鉄男と腐れ縁の友達3人、炭鉱に暮らし、振り回されてきた三池の人々が時代を超えて物語りを紡いでいく。


【コピペ元3】
読書メーター http://book.akahoshitakuya.com/cmt/20875962
地の底のヤマのとこまたさんの感想 2012年7月28日

?分厚さ以上にずっしりとした物語であった。 大牟田舞台でしか生まれ得ぬ物語ではある。ではあるが、人が生まれて育つところ誰にもどこにでもその人数分だけ物語がきちんとあるのだということを再認識。主人公が抱え続ける原罪と贖罪の人生、許したり憎んだり感謝したり、そういうものは、我ら誰しもが多少なりとも抱えている訳で、そういう意味で正しく普遍的なテーマをしっかりと読ませてもらった。大牟田オリジナルの大著を読みながら私、我が家、お隣のご家庭、我が街、これらの今とルーツと将来にしばしば思いを馳せながら。




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