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欠陥コピペ王
22
:
資料管理請負人
:2014/09/27(土) 17:39:38
眼の海
◆前書き部分の吉本隆明についての文章以外は、殆どがコピペである。
◆週間金曜日(2012.1.13発行)を読んで取り上げる一冊に決めたのだろう。時期もぴった
り重なる。
◆中味は2012.1.3公開された「海神日和」サイトに載った記事と重なる。(大王の投稿は
同月1.31である。ちなみに"だいだらぼっち”氏はどうみてもコピペ大王ではない)
詩の一部を紹介をしているが、選んだ詩もその解説も全てコピペだ。
◆「ほんの一部を紹介」と大王は述べるが、「○○が書いた書評を全部紹介します」が正しい。
◆そして最後に、常套句「とにかく」を頭につけて「読み応えのある傑出した詩集である。」
で筆を置く。
茶:コピペ箇所 青:底本 緑:底本著者
コピペ作品
今月の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2012年 1月31日(火)22時23分
今までに誰のどんな作品を多く読んできたかと問われれば、やはり学生時代に最も影響を受けた「吉本隆明」の著作が多かったのではと思う。とにかくメディアや友人などの情報で、彼の新しい著書が発行されたという知らせを得られれば、すぐに図書館や書店で求めていた。中には理解が難解で途中で放り出したものも多いが。
だが吉本も今では88歳になり、最近の著書には昔の切れ味というか、凄さというのが減退している感じがする。特に昨年来の「原発」に関しての発言は、彼が東工大卒の技術者だったということを割り引いて考えても、私には不満たらたらである。
そして、最近は吉本に代わって好きになり、かならず著書を求めているのは作家の「辺見庸」である。過去2度ほど彼の講演を聴いたこともある。
辺見庸は1944年、宮城県石巻市生まれ。70年に早稲田第二部卒業後共同通信社入社。96年退社。91年に『自動起床装置』で芥川賞受賞、2011年に詩文集『生首』で中原中也賞、今年1月9日『眼の海』で優れた詩集に贈られる第42回高見順賞を受賞している。
それで「今月の本」としてこの辺見庸の詩集『眼の海』を紹介したい。
眼の海 辺見庸 著(毎日新聞社)
先月12月の本として、高橋源一郎の『恋する原発』という小説を揚げて見た。これは(先にも書いたように)文字にすることさえ憚れるような猥雑な単語やせりふが充満している。作者はこのような言葉で原発を巡る既成概念や世情に抗らっている。あるいは原発への強迫観念を強力に解毒せんがために敢えてエロスでの表現を試みている。
だが、『眼の海』に展開される言葉はエロスとはまったく違う別次元で大震災後に充満した世情と退廃を告発する。あたかも自らの血肉で怒りを爆発させている感がするものだ。
? 大地震、巨大津波、原発放射能汚染。「2011年3月11日」を契機にして語られた言葉は無数にある。だがこの詩篇ほど死者と向き合い、正気と狂気の間にたゆたう時代の虚実を真正面からあらわにしたものがあるだろうか。詩集『眼の海』を前にしたら、今までに語られた大震災、原発事故への言葉が、いかに軽く感じられたことか。
? 石巻市南浜町で生まれ育った著者は、3・11の大震災で多くの友人や知り合いを失った。だから、ここで語られるのは見知らぬ遺体ではなく、顔も姿も声も知っていた、わたしの死者なのである。
つづられた51の詩篇からは、いくつもの物語や光景が、深い色彩や動き、流れをともなってよみがえってくる。耳をすませば、そこには慟哭や詠嘆ばかりでなく、怒りや祈り、そして哄笑や罵倒の声も聞こえてくるだろう。
詩はあの災厄の日から、「復興を」の声かまびすしい10月にかけて、みずからの身を さいなむように刻まれていった。 詩篇は大きく「眼の海」と「フィズィマリウラ」の章にわかれる。前者が3・11そのものをえがくとしたら、後者はその後をつづる。悲しみから怒りへ、そして大いなる予感へと感情は深まり、たかまっていく。
ほんの一部を紹介したい。
わたしの死者ひとりびとりの肺に
ことなる それだけの歌をあてがえ
死者の唇ひとつひとつに
他とことなる それだけしかないことばを吸わせよ
類化しない 統べない かれやかのじょたちのことばを
死者には色とりどりの花が、鳥が、ヒトデが、カヤネズミが、むく犬が、そしていずれ共に死すべき生たちの輝きが、月が、宇宙が寄り添っている。死者は単に遺体としてあるわけではなく、山川草木、生きとし生きるもの、歴史をまとっているのだ。
宇宙のほんのわずかな身じろぎにすぎない地震と津波によって、街も人も流れ去った。だが、そのとき眼のおくに街がよみがえる。厩舎、銭湯、ジョロヤ、麦畑、松林、入江、パルプ工場、市営住宅、運動会、空飛ぶ円盤……。それは破壊であり、無化であり、創世でもあった。
これ 終わりの海の儀礼
これ はじまりの水の奔騰狂癲
地上の光景はどこかで見た光景と似ていた。たとえば、ヒロシマの小学校や、爆撃されたサラエヴォの図書館に。それはデジャビュ(既視感)にちがいなかったが、どこかでジャメビュ(未視感)のようでもあった。災厄はおそらくまだはじまったばかりなのだ。
岩棚の三つの首たちは
眼窩をさらし 流星群に見入っている
右側の首はおもう
〈はじまったのか〉
真ん中の首はおもう
〈終わったのか〉
左側の首はいぶかる
〈それらは同じではないか〉
汀線はいま世界のどこにもない
あるインタビューで、著書は震災後、世間にあふれだした「人に優しく、力を合わせて」といった言葉に「強い違和感」を覚えたと語っている。内面の自己規制がはびこるなかで、あえて選んだのは「語ってはいけないものを語ることだった」という。
抵抗しようとしたのは、のっぺらぼうな〈頑張ろう〉の大合唱であった。それは〈個〉であるわたしが死んでも、われわれの〈世界〉は生きるということにほかならなかった。その壁を突破する必要があった。
以上はほんの一部である。だがこれだけでも分るように、詩自体が極めて濃縮された緊張感あふれる言葉とイメージの連なりで読み手の心をえぐるようだ。
とにかく読み応えのある傑出した詩集である。
コピペ元 (コピペルナー検出 2014/6/22)
週間金曜日
2012年1月13日 878号 特集記事
辺見庸インタビュー 『眼の海』をめぐる思索と想念
むき出しにされたこの国の真景
?大地震、巨大津波、原発放射能汚染。
「二〇一一年三月一一日」を契機に綴られた言葉は数多くある。
が、この詩篇ほど死者と向き合い、正気と狂気の間にたゆたう
時代の虚実をあらわにしたものがあるだろうか。
詩集『眼の海』をめぐる思索と想念が語られる。
海神日和
by だいだらぼっち
『眼の海』(辺見庸)を読みながら
2012/01/03 11:48
http://kimugoq.blog.so-net.ne.jp/_pages/user/iphone/article?name=2012-01-03
詩とは語ろうとして語りえないもの、語ってはならぬものを語ることだ、と著者はどこかに書いていた。
それはわたしという石臼を力のかぎりひき、みえないものをことばにつむぐ作業をさしている。それは、われわれを暗黙のうちに縛りつける禁忌を破り、ことばをできるだけ遠くまで放つことだ。それは〈がんばろう日本!〉の大合唱に抗し、海と地と空をつないで、ひそやかな挽歌をひとりひとりの死者に送り届けることでもある。
? 石巻市南浜町で生まれ育った著者は、3・11の大震災(なゐ)で多くの友人や知り合いを失った。だから、ここで語られるのは見知らぬ遺体ではなく、顔も姿も声も知っていた、わたしの死者なのである。
つづられた51の詩篇からは、いくつもの物語や光景が、深い色彩や動き、流れをともなってよみがえってくる。耳をすませば、そこには慟哭や詠嘆ばかりでなく、怒りや祈り、そして哄笑や罵倒の声も聞こえてくるだろう。
詩はあの災厄の日から、「復興を」の声かまびすしい10月にかけて、みずからの身をさいなむように彫鏤(ちょうる)された。詩篇は大きく「眼の海」と「フィズィマリウラ」の章にわかれる。前者が3・11そのものをえがくとしたら、後者はその後をつづる。悲しみから怒りへ、そして大いなる予感へと感情は深まり、たかまっていく。
じつはだれも震災を見ていないのだ。テレビに流されているのは、意図的にデフォルメされ、脱色された光景でしかない。そこには、ちぎれた首、足、小指、すなわち物自体と化したわたしの死者は登場しない。偽造の風景に、ことばは届かない。
わたしの死者ひとりびとりの肺に
ことなる それだけの歌をあてがえ
死者の唇ひとつひとつに
他とことなる それだけしかないことばを吸わせよ
類化しない 統べない かれやかのじょたちのことばを
死者には色とりどりの花が、鳥が、ヒトデが、カヤネズミが、むく犬が、そしていずれ共に死すべき生たちの輝きが、月が、宇宙が寄り添っている。死者は単に遺体としてあるわけではなく、山川草木、生きとし生きるもの、歴史をまとっているのだ。
宇宙のほんのわずかな身じろぎにすぎない地震と津波によって、街も人も流れ去った。だが、そのとき眼のおくに街がよみがえる。厩舎、銭湯、ジョロヤ、麦畑、松林、入江、パルプ工場、市営住宅、運動会、空飛ぶ円盤……。それは破壊であり、無化であり、創世でもあった。
これ 終わりの海の儀礼
これ はじまりの水の奔騰狂癲
地上の光景はどこかで見た光景と似ていた。たとえば、ヒロシマの小学校や、爆撃されたサラエヴォの図書館に。それはデジャビュ(既視感)にちがいなかったが、どこかでジャメビュ(未視感)のようでもあった。災厄はおそらくまだはじまったばかりなのだ。
岩棚の三つの首たちは
眼窩をさらし 流星群に見入っている
右側の首はおもう
〈はじまったのか〉
真ん中の首はおもう
〈終わったのか〉
左側の首はいぶかる
〈それらは同じではないか〉
汀線はいま世界のどこにもない
あるインタビューで、著書は震災後、世間にあふれだした「人に優しく、力を合わせて」といった言葉に「強い違和感」を覚えたと語っている。内面の自己規制がはびこるなかで、あえて選んだのは「語ってはいけないものを語ることだった」という。
抵抗しようとしたのは、のっぺらぼうな〈復興の精神〉に対してである。それは〈個〉であるわたしが死んでも、われわれの〈世界〉は生きるという大合唱にほかならなかった。その壁を突破する必要があった。
大震災後の夏、著者はひどい抑鬱状態におちいる。時に夢魔や幻影が襲ってくる。汚れた街のみぎわを死者たちが音もなくうごいていく。死をまぬかれた人が暗緑色の汁をはいて、死んでいく。どこかから銹のにおい、血のにおいがただよってくる。
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