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kujyu-metudouさんとの対話

229苦集滅道:2018/07/24(火) 08:10:52
楓さんにも あなたにも も少し ↑の方で、お会いしたかったです(笑)

230日和る:2018/07/24(火) 09:38:21
まぁ、作業を没頭するなどは、「そのもの」にはなれる気はします。
が、はたして対人はどうなんでしょう。相手への思いやり、場の空気なんてそんなものはなく「そのもの」として「見れる」で対人のやりとりができるのか。
「なんもしない」「なにもしてない」いふには。。。「流れ」である。としてるのか。(めも、めも)

231ラピ。:2018/07/24(火) 18:35:24
苦集滅道さん

まだまだ突っ込みたいことはあるかも、、、。(笑)
しかし、書くことがないです、例えて言えば(笑)

ブログの方ではコメントのやり取りが更新されています。
よかったら!@(*・ω・*)ポッ

232ラピ。:2018/07/24(火) 18:38:35
inri1225さん

お久しぶりです!書き込みありがとうです。

エコに座布団3枚!(笑)
そのパワーを日常に生かしていただければ
日常もよくなるし、いろんな点で良くなりますね。

ありがとです@(*・ω・*)ポッ

233苦集滅道:2018/07/24(火) 19:12:21
>そもそもなんもしてないんです。・・・らぴ語録187頁よりの引用w
・・・これね〜、読み取りにくいですよね。
何もしていないが、何かしているようにしか周りには見えませんからね。
>何もしないというのは、何もしないもするもない。
>する、しない、のしないではないのはご存知ですよね?・・・同らぴごろくよりの引用

以下にらぴ語録未収録集wからの引用です。
>ただし、何もしていない、というのは「何もしない」と決めてそうするのではなく
>何もできない、のほうが表現的に近い。
>自我がないからできない。しかし、できてしまう。
>それを「〜することなくする」と言っています。
・・・うん、すごく難解で わかりにくいですよね?
私はね、ヒントを体験してます。二瞥目って、らぴ。さんには、全然受けなかったけど(笑)
日常生活の中で、何も 起きていない、起きようもない素の空間を経験?してるので、
「  」には、何も起きようがない、何も起きてなどいないことを知ってます。
何かが起きていると判断してるのが、頭の中でした(笑)
もし、私が「  」でなく、頭の中が私自身だと思いこんだら、私が 考え、私が 悩み、
私が 空気を読み(笑)私が対人とのやりとりをしている・・・流れがあるとかないとかも私が考えているように
思いこむでしょう。この文面の「私」がいない(らしい・・・って書いとかないと添削されるからなぁwww)
この文面で言えば、最初の「 」だけが いつもある状態?(でないけどもw)にあるのが、
悟り人(らしい・・・以下同文w)

これで 日和さんなら、読める(理解の方ね)でしょ?

234苦集滅道:2018/07/24(火) 19:30:16
@(*・ω・*)ポッさんへw

>書くことがないです・・・これは わかります。しいて言えば 全部ここに書いてますしね(例えていえばw)
いらん気ぃつかったかな、私。(らぴ。さんには これで通じますのよw)

ブログのコメ欄ね〜〜、すっごい難しかったよw 脳天から煙でましたからね〜www

もしかして・・・誘ってくれてる〜〜?

(*・ω・*)ど しよかなw

235日和る:2018/07/24(火) 20:08:49
そう、わかります。追加で、赤ちゃんの時って表現がありましたが、もし、その赤ちゃんの時、悟った人つまり「そのもの」になった人が、私へその事を教えようと「表現」ってできますか?
対人への対応?、年を経てつまり学力、経験を経て対人対応のいまがあるわけでそれを「知識」「社会通念上」っていいますね。それなくして「いまのブログも掲示板のやりとりもできませんね」
それから、その幼児段階で悟った人(らしき)方もいまして、その方はそう、「ご苦労なさったそうです」わかりますよね。「知識」の漏れ、「常識を知らないががないため」、「社会通念が理解できないでそのまま歩んできたわけです。
わからないをわかろうとするがエゴって書き込みもありましたが、『ベース』になるものも『必要』だし現にそれを元に『成ってるとお見受けしてます』といいたいわけです。。。。。これも、通じないかな?何が言いたい?何が聞きたい?

236日和る:2018/07/24(火) 20:16:25
エゴはエゴイストに特定しがちに思うんですよ。苦集滅道 さんと私がいってる自我は、そのエゴというものだけでなく、生まれて学んだ知識というものを正確にはあるでしょうということです。全てが悪い要素ではないですね。『精進』には全く知識は論理は使いませんか?

237苦集滅道:2018/07/24(火) 21:00:51
>『精進』には全く知識は論理は使いませんか?

いい観点ですね。精進は いらないです。知識も論理も 精進だけに関わらず 無意味です。自我=知識論理と言い換えても いいぐらいです(笑)あと、聖者の言葉と その意味合いの「模倣・コピー」ね。それも 無意味ではありますが、
とりあえず、有意義な人生は送れるでしょうね。無駄に 過ごすよりも 聖者の言葉やその意味合いを コピーして それをよすがにして 生きる方が ずっと気が利いています。でも 悟りとは無関係ですね。

そこに気が付くまでに らぴ。さんが精進を重ねただけであって、精進と悟りは「無関係」です。

らぴ。さんが、精進しないといけない・・・って結論を持ってるわけではありません。ただ 読んだ人は 「そうか、自我を目いっぱい経験しきらないと 悟れないんだ」って 思うことは、別に害はないですね。

むしろ 悦ばしい。原因と結果の因果関係は 自我には必須の項目です。自我を めいっぱいのばせば、自我が 終わるって考えることは ある意味では「進化」です。

238苦集滅道w:2018/07/25(水) 18:38:33
我ながら くだらないことを書いてましたね(笑)あまりにひどいので、つっこみようもないかw

さて、らぴ。さんの登場で、悟りって そんなカンジなんだぁ〜〜〜ってことが、なんとなく 腑に落ちました。誰も 悟っていない中では、悟りって観えてこないですよね。
釈尊さんは、悟っていたのだろうけど、時代が古く、経典の解説とか読んでも、らぴ。さんの悟りの観念?とは、違ったものです。どこか 曖昧で、遠巻きに眺めてる印象をうけるかな。
とんでもな 悟り解説って、たくさんありますね。らぴ。さんの解説を基にすれば、ですが。

で、らぴ。さんの解説が 本物であれば、あるほどに・・・その悟りの状態?は、雲の上にあるようなもので、そうなれる(至る)・・・なんて気は 全くしませんね。
夢の中での 夢見さえも 打ち砕かれました(笑)

らぴ。さん
自我の世界で 自我が終ると この世界はどのように 映りますか?

239苦集滅道w:2018/07/25(水) 19:15:48
記事のコメ欄から、ひとつ聞かせてください。(まだ、続いているようなので、ここで聞きます)

>かつてのかつては「自分を捨てて」を実践していましたが
>最後の道では自我への挑戦でした。
>よって最後は自我の放棄ではなく、挑戦でした。

自我を捨てての実践から、自我への挑戦で、至ったと大筋として理解しますが、自我への挑戦を激流に例えていますか?
どうも ぴんと来ないのですが、自力で総てが終ったのでしょうか?自我の延長線上で 総てが終ったのでしょうか?
その結果が、自我がなくなって なにもできない・・・と 表現されてますか?

・・・自我への挑戦・・・って、例えが よくわかりませんのですが?

240ラピ。:2018/07/25(水) 23:35:07
色々書かれているけど、違うなぁ、、、
まぁ、自由です(笑)

私がしてきたことは自我への挑戦、例えて言えば限界への挑戦。
限界に挑戦している時、自我が言うよね。
(もうやめたほうがいいんじゃない?死ぬよ?大丈夫?これ意味ないんじゃない?)
この言葉を無視してさらに究極に精進したのです。

そしたらある時、その挑戦が終わったのですね。
終わらそうとして終わったわけでもなく
自分が終わった、と決めたわけでもなく。
挑戦しようとしても挑戦する人がいなくなった。

何もできなくなったのです。例えて言えば。

241苦集滅道:2018/07/26(木) 07:56:12
らぴ。さんはたいへんだなぁ〜と思う。悟ったから悟ったと書いてるだけで、それは どんな状態で、どうやってそうなったのかを
しつこく追及を受ける(笑)ほんとは説明するような義務も必要性もないのだけれど、応えずにはいられない。或いは 答えない理由もないので、
答えてはくれる。そうやって 真摯に応えても、相手(私)は強固な自我の塊なので、そのままが伝わることもない。でも そうしたことも気にはならないのでしょうね。

時折、書かれる(何を考えようと、受け止めようと)自由です。の言葉は、自我で生きてる人には、様々な人の持つ個性の自由として受け止められるのでしょうが、
そうではないはず、自我が何を考え、どんな反応(感想や意見)をしようとも、本質には無関係・であるが故の 自由なのでしょう。
これを読まれる人の中には、突き放した言い方に聞こえる人も いるかもしれませんが、そうではないことを補足しておきます。

さて、思考(人間が考えたり 思ったり、理論だてたことなど)は、日替わりで変化し、トキにはさっき考えていたこととは正反対の結論を
持ったりしますので、全く あてにはなりません。その場その場で変化して、思考そのものが不変なる事実になることはないでしょう。
私も 思考そのものが真実だと 思いこむことが少なくはありませんが(笑)

そんなこととは 無関係に、不変なる自己を突きとめていこうと思っています。

興味本位や自己の考えとのすりあわせの為の質問など、自我のある人なら 無視されるような低位な発想に、誠実にお応え頂きまして
ありがとうございました。

242日和る:2018/07/26(木) 13:50:09
苦集滅道さん
彼女のいまのブログは読みましたが、そう、何をやったかがわからない。ですが、その前のブログで書かれてたのでしょう。仏道でいえば『「成りきり」の継続』かと勝手に想像します。
成りきりについては、否定はしません「没頭する」ことで自身が消えますから、しかし、継続されて日常生活、そのまま生きるは疑問が湧きますね。何をされたかで「考察」は可能ですが。。
成りきり。。そう、坐禅の「坐るが坐る」あのフレーズです。

243日和る:2018/07/26(木) 17:39:33
坐ったまんま。。。戻らない?ヒトっているのでしょうか? 違う表現で、坐ったまんま日常生活に戻る? (もれです)

244苦集滅道:2018/07/26(木) 18:16:50
日和るさんへ

「 」そのものを体感した人が、「 」そのものになり切ることはないです。もともと「  」だから、なり切るのは自我の行為です。
とりあえず、一瞥の体験者が、「 」になり切ろうなんてことは 無意識であっても 在り得ないです。
だから、今 私は自我を生きてることが 明確に自覚されています。

あの「 」の空間は 今には どこにもありません。ですから その空間に生きている らぴ。さんに すごさを感じています。

普通は 悟った人って聞くと おお それは すごい・・・って思考が反応しますが、私の おお、すごいっていうのは 悟りの状態で
この地上を生きられていることに対してです。「  」そのものは、すでにわかっています。で、その感覚がしばらくは続くことも経験済で、
苦悩のしようがない精神状態も 二年位は体験しましたが、それは 今には続いてないです。で、そのトキの状態が「 」のままなのか?と言えば
私にとっては、ごく普通の状態でしかありません。悟ったなんて自覚は起きない「  」ならばね(笑)

だから、悟りがその状態が続く事、変化しないことを らぴ。さんが書いてますので、それが 事実なら、驚愕すべきことなのです。

肉体に付随する 後付けされた意識が自我です。肉体があれば、自我は在り続ける。この認識を らぴ。さんは覆してみせたのです。

245苦集滅道:2018/07/26(木) 18:43:30
>坐ったまんま。。。戻らない?ヒト
>坐ったまんま日常生活に戻るヒト?

面白い観方ですね。

「  」は実際の我ですから、いったきり戻らなければ、地上は虚無で夢で幻で 相手にしなくなります(笑)
いわゆる暗黒の世界観、現実が「無」で、あの世が「有」へと逆転したままです。アブない人ですね。その場合は。

で、現実に引き戻すのが自我の意識。とりあえず、生きてる間は 自我が必要となるのは、いったきりだと生活できなくなるからね。
そこには、自我への「理解」が必要です。一瞥あたりで、地上も自分も「夢」なことが 認識されます。
じゃ、なんで自我という夢が 見られているかと言えば、肉体の眼や機能が、認識を可能にしていて 頭脳に集積された知識情報学習知、
趣向や概念・観念といったものが個性という塊をカタチづくります。それが、自我。
だから 自我で生きることに 何も 不思議さってないんです。普通、そうでしょ・・・の認識でしかない。

そのことが、腑に落ちると「  」が自我を生きてることに 違和感がなくなるし、別個のものとしての観点って抜け落ちる。
肉の身の経験が 自我を成り立たせているだけのことで、「  」に変わりはないです。誰もがねw

で、座ったまま日常生活に戻ることが できるのは、自我の意識そのものを 見抜いた人ね。
それ以前に「  」の体感は必須ではあります。そこで 精神の仕組みは全部わかるようになってます。
自分への疑問は その時点で消えます。わかるから。単に。

ま わかったとは言っても、自我に左右されることは 避けられなくて、それさえも 自覚して 生きることが可能となってます。
私の場合だと、くだらないたわごと(思考の変化する様、別にどうでもいい脳内での論理・感覚)だと、自覚はしていても、書かざるを得ないとかね、
無意味だとわかっていても、当面必要があれば 書いてみる、とかね。極論を書けば らぴ。さんの経験もどうでもいいこと。私の持ち物じゃないからね、
でも達観してみても うずくものがあるので、こうして 足しげく通い詰めて、無意味な会話に 意味を持たせたりしています(笑)

まぁ、私も日和さんも 自我である場面で 考えることなんて、同じようなことですよ(笑)
だから わかりあえる・・・ともよwww

246日和る:2018/07/26(木) 19:04:20
何れにしても、「そのものは」全知全能ってわけではなさそぉー。はわかりました。
しかしながら『苦』は無くなった(小さな、細かな苦はありそうな?)ということと、他力ではない、じゃ自力か、いや、「そのもの」というでしょうが、結局、自身とか、「個」の範疇、言い換えれば個の身の回りだけのことであり、つまり神の領域や、宇宙規模のようなとまでは言えず。。
ぐらいが途中経過。・・・何か言いたい?何か聞きたい?

247苦集滅道:2018/07/27(金) 07:07:30
日和さんは、自我とエゴを同じと認識していますか?それとも 自我は肉体感覚をも含めての自己で、
エゴっていうのは その中の独善的・利己的・自己顕示・自己中心的な素養として認識していますか?

私は後者で、自我=エゴという意味を持たせてないです。エゴっていうと 何か人間の悪い側面っていう印象を受けます。
自我がない・・・は、肯定できないけど、エゴがない・・・は肯定ができて 自分もそうありたいと思います。

そんなことかもしれませんし、そんなことではないかもしれませんが(笑)

248苦集滅道:2018/07/27(金) 08:02:01
自己中心・自己保存の思考・行為を 戒めていくことは、実践として成り立ちますね。
目的と結果が一致します。自我を消す?となると、結果には 消そうとする自我がいませんので、目的と結果に矛盾が生じます。

エゴを 戒め、自己中心から利他中心へとなるように 精進を試みようと思う。

一瞥の後の数年間って、自我は最初からないことがわかったので、自我をどうこうしようって気分にはなりませんでした。
でも、自我で生きるしかない諦めの中にあって、自我に向き合わないと すすめなくなっていました。

・・・起死回生の一手は。。。エゴイズムへの挑戦。

249苦集滅道:2018/07/27(金) 10:42:38
らぴ。さんへの質問で始まって、私が得た回答は エゴなき我を目指す行為(精神の)そのものです。

らぴ。さんはじめ、おつきあい頂いた方々に感謝申し上げます。とちゅう、生意気なことを のたまっていますが、
エゴって そういうものだと ご理解下さい。www

250日和る:2018/08/16(木) 18:53:42
らぴ。さん、おひさ。ぶりです。
コメントの「大丈夫」。そうですね。まったく使い方は同じ、この世だけに使う言葉です。
苦集減道さんのA氏の死んでも大丈夫のニュアンスはおかしい思ってます。
それから、一生懸命生きるもいいですね。これっておそらくですが、仏道「成りきり」と同じと思いました。
「いつも瞑想」も分かる気がします。
ということで、らぴ。さんは「そのようだ」とは思います。

さて、しかしながら、掲示板でいろいろ書きましたが、どうでしょう文章の捉え方の差異という観点から、
「そのもの」であるは、エゴが無くなって「自分」「他人」つまり自他の境界線がなくなったことを言われてるように思えるのですが
苦集滅道さんも書かれた>エゴなき我・・のことなのでは・・・
対象がない。だけでは、普通に読むと、「対象物が見えない」ともとれます。そうではないでしょう?

だいぶ日が経って書込みました。

251苦集滅道:2018/08/17(金) 18:59:22
日和さま  お久しぶりです。
小池龍之介住職という方が、Aさんと同じようなことをブログの対談で言ってます。

http://www.ohtabooks.com/press/2017/03/31115800_4.html

ジェットコースターを降りる・・・のくだりと、降りてるには、持続的な訓練が必要である云々のくだりって、
Aさんとかが言ってることと一致すると思うのですが、如何でしょう?

私は これを読んで、なんと単純シンプルだけど・・・できかねる(笑)と思いましたよ〜。

252日和る:2018/08/17(金) 20:47:14
苦集滅道さん。
小池さん自身が、議題も「死の恐怖」に対してで、体感しわかり、それを、自我の小池さんが「納得の感想として大丈夫」と使ってる普通の表現だと思います。(ってか小池さんについては否定しない)
A氏の「大丈夫」も普通に取れることも多々ありますが、。。。もう忘れましたがまったく理解出来なかった「大丈夫」の使い方の印象だけが残ってて。。って感じ。です。
>・・できかねる(笑)と思いましたよ〜。。。。ですが以前からっぽを確認できるって書いてませんでしたか?同じ事だと思ますが。。。らぴ。さんのは、なんか幼少時代から「自我(エゴ)を消すことを長期にやってきたと何処かで読みました。結局は同じ思いますね。
小池さんは普通に自我ですが、瞬間、瞬間、あの隙間という表現では確認できるようですが、(例えです)そのものと理解します。つまりジェットコースターを降りれる。らぴ。さんは降りたままの継続でそのままという、そのようである。

253苦集滅道:2018/08/18(土) 08:13:11
日和さん、私もそんな風に思います。

Aさんも 小池住職も 降りた場面においては 同様の状態にあると思います。ジェットコースターに乗ってしまえば 個性とか執着とか
普通に使っているでしょうね。説き方もアプローチも、お二人にはやはり個性があると思います。
私達が マッチするかしないかだけでしょうね(笑)

254苦集滅道:2018/08/18(土) 10:55:36
ジェットコースターから 降りたことがあります。死んでもここにくるなら、全然怖くなくて むしろ安心・安全・至福・静寂なので、
はやいとこ ここに戻りたいものだ(笑)と、今でも思っています。
その精神状態が、Aさんにも 小池さんにも、常時ではないにしても、継続はあるのでしょう。
その継続を妨げているのは、生きて身に着いた理解と認識、思考と記憶なのでしょうね。
その状態をジェットコースターに乗っていると表現するならば、では そこから降りるには 如何なる方法か精神行為が必要なのだろう?
となります。両者共に瞑想・禅定を選んでいます。私は本格的な?瞑想も禅定も 一瞥以後は行ってませんが、内観という大雑把な精神の行為は
幾度となく行ってきました。その中で、問題意識自体が浮かばない感覚、何も内面にはない「からっぽ感」もありますが、いつも それらは
通り過ぎていくだけで、気が付けば また 自我の苦悩に入っています(笑)
今は もう、苦悩は苦悩として苦悩していることに気が付く事が精一杯で、降りた状態にある 苦悩がそもそもがない場面には 出逢ってないです。

Aさんでも 小池さんでもが書かれる文面からは、降りればいいことが理解はされますし、その通りだとわかってもいますが、
実際に そこに降り立つには、簡単なことではあるという理解はあっても、行うには 難易度が高いですね。
わかっては いるけど、なかなかそこにはいけないのです。小池さんの解説による禅定は始めてはいます。続くかどうかw

Aさんの書き方からは、降りた場所が「  」なのか、気休めでしかないのか、自我の「いまここ」という思い込みなのかが
よく判別がつきかねるのですが(Aさんは「 」の意味で書いてると思うけど読者には自我の範囲でしか読み取れてないと思う。
小池住職の「ジェットコースターを成り立たせているベースの部分に心がどんと落ち着く感じ。表面での心が気持ちよかろうが苦しかろうが
そのベースの部分は全く影響を受けなくて完璧に幸せである」・・・の記述が示す状態っていうのは、自我と「 」の関係性がよくわかる書き方で、
私も これなら経験してたので、なるほどと思っています。それで いいなら、そうなれるかと思ってはいます(笑)

ネックになるのは、自我への執着心と 現実社会への対応ができなくなるのでは?といった不安ですが、そこも 小池さんは、「ベースの『絶対的な幸せ』に
心がいると、やる気がわかないっていう時間は基本でてこない」と書いてくれていますので、打ち消すことができそうではあります。
で、自我への執着心っていうのは、ないんだけど、今までに信じてきたような観念みたいのが へばりついてるカンジで 難儀してます。
ここの自我を修身する方向が らぴ。さんが言われる 幸せに向かうことなのでしょう。一切の自我を修めて、幸せでしかない自我を目指すこと、
全力で努力することなどです。・・・で、私は そこの方法は向きません。そもそもが 自我がないことを知っていますので、今更物語を創れないです。
自我を鍛えたり、概念を落としていったり、私心を消すような作業を行ったりは、今は できないですね。やる気の問題ではなくね。

ジェットコースターから降りる。これで、自我の企てる一切の問題意識から 解放されます。それは すでに わかっていることですが、
そう うまくは運びません。禅定から始めてみます。

255日和る:2018/08/18(土) 19:59:04
>降りればいいことが理解はされますし
でもふたりの大きな違いは、降りると決めたのは?、が、「全体」か「個」だと思います。加えれば、瞑想も「するは」個の意志がする
小池さんは「私はいない」いってますが、個の要素からの組立で話されてる思います。A氏は「あなたがしてるわけじゃない」「全体」だそうです。
だから、瞑想するも決めたのは「全体」という話です。そこの根底が違ってると思います。よ。

256日和る:2018/08/18(土) 22:40:02
追記
で、全体が「決めて」「個人から・・取る」っておかしかないですか。話が・・・。
小池さんは、あくまでも「個」だから個に伝えてますね。。。はっきりしてます。

257苦集滅道:2018/08/19(日) 08:39:56
そうですね、そういうことも書いてましたね〜、全体の中で個の意志は ない。自動操縦的な、個人が決めてないようなニュアンスのこと。

小池さんは、禅定を通して個人の内面が 観察されていき、苦悩なき 絶対的な幸福感に至る・・・ニュアンスで書いてます。
目覚めも 悟りも 覚醒も、確かでてこない。個人の努力とか、戒めを守るとか、そうした個人の意志から入ることを薦めています。

もし、ジェットコースターを降りることが、最短最速の真理?への道筋ならば それを直接書くのでしょう。で、Aさんは 直接書いてますよね?
お二人の間に 認識の違いがあると思います。Aさんは 全体とか自動操縦とかの結論を書き、小池さんは 簡単には降りれないことを知り 
自我というジェットコースターを終息させないといけない結論を持っているのではないかなぁ?

個人の意志を 最初から、夢だとするAさんと、夢であっても現実であり そこには、カルマもあり、感情の堆積もあり、概念の蓄積もあるので
それらを きれいにすれば、おのずと「それ」は顕れてくるのだと、言いたいのではないかなぁ?

「いまここ」でしかないと言われるAさんと、「いまここにある」のは内観によって内面を自覚する(ような)ことだと言われる小池さん。
漠然とした気分を書くことと、具体的に細胞の動きまでに行き着くと書かれる 小池さん。
お二方共に 全部がわかっているにしても、行為として 何をどうすればいいかが 解かり易いのは小池さんと思います。

何にしても 思考は対象を持つと、際限なく 感想や意見や結論を堂々巡りさせるだけのようです。
ジェットコースターから降りたままに 日常をおくる場面は、思考でなく 感覚にフォーカスができるようになるまでは、来ないと思ってます。
そこの難しさを 今 実感しながら、これを書いています。

そういえば、先日 ひとつ・ワンネスの悟りを経験された方のブログを読みました。8年前の経験は 今でも鮮烈にはあるし、そこで得た真理は
動かないけど、現実の今は 自我で生きることに何も変化を与えてはいない。わかるけどワカラナイままに過ごしている。とのニュアンスが書かれていて、
私も同じだと思いました。知識経験では わかるんだけど、現実自我の中では 何も ワカラナイです(笑)

258日和る:2018/08/19(日) 09:09:27
何が言いたいか。といいますと。
自動運転。心臓、血液の流れ、歩くを憶えて歩行など自動です。他のお坊さん(外人さん)は、自動運転から手動運転をおやりなさいと言われてます。(立ち読み程度)
そうです小池さんは「個」の細部を観察して行くから教えてますね。しっかりそこに「個」があることも大事だと思うし、「胡蝶の夢」もその個も本来、
印象ですが、Aさんはこの世自体を捨ててるニュアンスが漂います、小池さんはこの世の生き方ですね。

259日和る:2018/08/19(日) 09:23:36
追記
>小池 瞑想の生徒さんたちでも、本当にそのことがわかりはじめてくると、一瞬怖さを感じる人はけっこういるんです。脳っていう牢獄に「私」が閉じ込められている状態から脱出しようとすると、まるでアラームが鳴るみたいに「脱出すると怖いことが起きるぞ」と脅すんです。
紹介のブログ2ページなのですが、「これ」でしたね。怖くて目を開けてしまいました。ここを抜出したら降りる事になるのでしょうね。

260苦集滅道:2018/08/19(日) 18:23:44
>ここを抜出したら降りる事になるのでしょうね。

そうなんでしょうね、私もちかづかないようにしました。
瞑想からそこに行くには そうした心理的な恐怖心も克服していくことになるのでしょうね。

小池さんはこうも書かれています。
>一定以上忙しくすると うっかり ジェットコースターに乗ってしまっているトキがあります。
>そこに間違えて乗らない為に訓練が継続的に必要で。

・・・これ、逆に言えば 訓練していれば、降りてられるってことなんでしょうね。。。すごいよねw

自動か手動か、起きているか起こしているか、この世に生きるか、この世を捨てるか・・・は、書き手のレベルによるのでしょうね。
自動・私はいない・起きているだけ・この世は夢幻・・・っていうのは、理論知で書いてて、その場では 自我でしょう(笑)

261苦集滅道:2018/08/19(日) 18:29:50
Aさんであれ、非二元の先生であれ、書いてることは真実でも、書いてる場面(日常)で、そう体感されているかどうかは疑問です(笑)

降りたり、乗ったりを繰り返していると思います。
だって、日常で生きられそうにないから、たぶん、内面で 高速の乗り降りが繰り広げられていそうです。らぴ。さんは 別ですが。

262苦集滅道:2018/08/19(日) 18:35:12
私も 日和どのも、自分は根源だって 書くことに問題はない。だって真実だから、動かない。
で、根源が日常で苦しむことはないから、苦しいと自我だって自覚できる。ああ、自我してるんだなぁ〜って自覚があるので、そろそろ
降りてみたいなぁ〜と 思い始めて、いまだ この世界に定住してる訳でしょ?www

263日和る:2018/08/19(日) 20:37:06
まぁわたしも小池さん流派ですからぁ・・・やってみます。
それにしても、らぴ。さんの掲示板のはずですが、返事ありませんね。お盆で帰省かもしれませんね。・・♪つけとこ。

264日和る:2018/08/21(火) 09:01:19
コメント欄より引用。

>この「私」はいろいろな言い方ができます。
>思考、意思、思い、意図、対象

そうなのでしょうが・・・

>何もしていない、と例えでよく言っていますが
>それは何かをしている自分がいない、とも言える状態です

コメント書くにも意志あって思考するし、意図も想いも対象もあるでしょうしぃ・・・
つまりは、仮の姿のらぴ。さんがしてること?なのか、そうすればその「私」と会話してないことともいえるかと。

思うに、それは・・・仮の姿と、「そのもの」が・・・分離してる・・のかな?
例えが多い印象を持つけど、ある程度、描写って表現はでそう・・・なのだけども?

疑問が湧いたので書いてみた。

265ファン:2018/08/22(水) 11:13:38
前のブログのコメント欄に御邪魔したことがあるファンです。
お久しぶりです。
お願いがあって、書き込みします。
「ポッ」はやめたんですか?
やめないでほしいんですが。

266ファン:2018/08/22(水) 12:57:38
失礼しました。
コメント欄には「ポッ」がありましたね。
よかったです(*^_^*)

267日和る:2018/08/24(金) 09:31:35
>対象とする(感じることのできる)世界は消滅し
わかることのできる対象が消滅するからです。

見えてる世界?になにも判断しないただ見えてる?だけ、イタイも、いや痛みでなく、イタミは在る。総じてそのものだけ、みたいな。でも、コメントは書く仕事もしてる高度であろう人のコミュニケーションも出来てる。じゃ、誰がしてる?他力が合致する。な。としか受取れない。
しかも「幸せ感はつねにあるそうな」感じるは誰と聞きたくなる。が、回答は「そうである」なのだろう。しかし、人はこの世を一生懸命生きると言う。当人?はどうなんだろう。至るがそれで、その後の一生懸命は「どこ」「だれ」がってことに。コメント上、端から見ると「分離?」「遮断」が浮かぶだけで、その幸せ感ってある?。
至ったあとの仮の姿は他力なのか、見てる「私」はなんなのかこの仕組みはどういうことなのか。「精査」されてない印象を持つ。「だからぁ、対象物がないのだから精査も何も無い」・・っていいそぉ。 もぉいいかな。・・・(笑)つけとこ。

268苦集滅道w:2018/08/24(金) 19:12:55
日和るどの・・・らぴ。さんが そういった疑問にどう応えられるかはわかりませんが、そういったあらゆる疑問さえも 彼女は超えていると思いますよ。

普通、自我って生活全般に在って、死ぬまでの間には、自己意識って持ち続けるものである。っていう理解も 勿論彼女にも以前にはあって、尚 そこを超えているのだと思います。

ただ、自我を「意志」として表現したのは、うかつだと思う。「意志」だけじゃないからね、自我って。感情は 勝手に起きてくると解釈するにしても、受け止める「器」って自我だから。

社会に適応しようとするのも、朝 顔を洗おうとする習慣が残ってるのも自我だよね。名残って 使っているけど、自我だよね。普通に。記憶を操るのも、条件反射も 何らかの受け答えや

反応も 自我ですよね。我々が使う 自我って、意志だけじゃないよね。そんなことも わかった上で、尚 自我がない。。。と記述してるってことは、もう 想像の範囲の外です。

だから 私は彼女の心境?に興味を持ちました。日和さんも ありえないことが書かれているから興味を持った訳でしょ?

自我がなくて生きている・・・っていうのは、目にしたことがないですよ、それくらい 斬新で奇抜で不可思議な領域なのです。

彼女はさらりと 書いてのけているけど、それが 実際なら驚天動地、世界があっと 驚く発見でもあるでしょう。たぶん そうなのでしょう。真実なのでしょう。

自我がなくても 生きていける・・・ってことがね。

これね、瞑想とか禅とかで、一時的に 自我がない状態って「空」で体感できる。小池さんも それを知っているから、禅定に重きをおいて、ジェットコースターから 降りた状態が

日常を支配してると思う。仕事が忙しかったの何らかの事情でもない限りは、ずっと おり続けてるはずです。これはね 私でも よくわかる。できないけど、できる。

で、ここまでのよた話しwっていうのは、自我を実体として認めている立場でのもの。

自我は 最初から ないからね。何も 起きてないし、何も 起きてこなかった、って言える。一切が 無でしかない。或いは 根源でしかないってことも 言えます。

その場合だと 自我はホントに幻で 根源しか実在がないことを 見抜くと、自我もないって観方が成立もします。

この観方っていうのは、何人かはいましたよ。日和さんなら 覚えているでしょう?花の名前のHNの人がいましたよね。デルフィーさんとかもいましたよね。

自我っていう観点がなくなった人達ね。楽しむとか 安心感とかのままに生きてるような 人達がね。

ただ その場合、輪廻っていう時間経過を伴う 発想ってもう でてこない。今だけしかなくなる(笑)

以上、よた話しであり、意味もない 単なる思考の論理ですがwww

269日和る:2018/08/24(金) 23:49:56
あ、輪廻。そう、それ。自我が無いなら輪廻もありませんね。だって、名残の「創作、作り話が残ってる」だけでしょうね。
死んだら、記憶もクリアで消えるでしょうし、それだけを残し・・ハイ、次っ!って?・・・自我がないんだからぁ〜さぁ。幼年期の記憶ってのも母親のお話だとか、神秘な絵本を聞かされた・・・記憶。じゃね?って思いますね。「しってた」じゃなくて・・さ。
でね、いつもしあわせ感ってのもいいんですが、あくまでも、生きてるうちの仮のからだ、または、名残、脳でもいいんですが・・それが処理して「しあわせ感」を出してる思いますね。そのものになってても仮の「からだ」という機能が処理して・・そこはかとなく・・ね。
なんとなく。思います。つまり、生きてる時だけの限定の「感覚?」とも言えると思ってます。そのものでも。そぉ。なんですかね。降りたあとでも・・「個」の範疇、範囲だというのが・・・やっぱり「個」を超えられてないで、「全体」って言えるのかどうかってね。・・・の感想は変わらない。
そぉ、「生きてるから」。・・・・・エンドロール流れて、By 日和る    でした。

270日和る:2018/08/25(土) 00:15:18
それから。「生きてる」って。・・・・年齢があり、昨日があった、いまがある。そして年を増す。時間が・・・「そのもの」でも幻想は、時間を元に記憶があり話もするし行動もしてる(例えね)ってことだから、厳然とその幻想は続いて(死まで)いる。つまり、「そのもの」でもその幻想の仕組みの中ってことになる。
あ、いや、ではなく、「そのもの」は全くその場面にはなく、あえて「次元」解釈として別個とみるなら・・・小池さんのいう降りた状態、らぴ。さんの「なにもしてない、でもしてる」という俯瞰、ではないと書いてたな。でもニュアンス的にはそんな感じかな。と。となると、「そのもの」は幻想の仕組みの外。なのかもしれない。
書くうちに、・・まとめてしまった。・・♪またつけとこ。

271日和る:2018/08/25(土) 08:48:09
誰も書かれてない疑問を書く。
ありのまま。観ている世界は幻想ともいう。そして、ひとり(個)だけの世界とも言う。それの視覚的世界観がはっきりとは誰も書いてない。というかおそらく書けないであろう。なぜなら、悟っても「個」の範疇、範囲内(個の世界のみ)だと思うから。そこで、私の考察する世界観を少しイメージしてほしい。その世界はひとりダケのもの他者はいない。そこに、他者共通のベースとなる世界はあるのであろう。身の回りの人々は私が創作した私だけに与えられた私仕様の人々。しかし、その人々も存在はするが別物、つまり、その人々もそれぞれの世界を持つものである。であるから同時にふたりが会話をしているとしよう。観ている世界は別物、しかし、共通の世界の部分はある。そこの部分は「透過的に存在している」(例えです)ような格好である。しかし、対相手はあくまでも私自身の仕様で現れた人物としてである。例えばそのふたりが会話をしてるが一方は相手が話が合わず怒ったように見えてるが、対相手の方には少しだけ違う意見を言ってるだけのように見える構図なのかと。
どうでしょう?・・・・面白い?

272苦集滅道w:2018/08/25(土) 10:52:21
うん、面白いよ〜 世界って言葉をどこに定義するかで、そういう観方もあると思います。

A 世界を この世、現実、三次元物質世界とするか
B 世界を 内面の精神の全体(思考・感情・個性・感覚・意識・精神・イメージ等)とするか
C 世界を 死後の世界とするか(根源の世界とか、何次元の世界とか)
この三者の定義があると思います。

全員が眼にしているのは、Aの現実の世界。
個人にしか わかり得ないブラックボックスの中の世界観が B。
覚った人が 示すのは、Cの世界観。

>観ている世界は幻想・・・の発想は、現実世界のはかなさを示しているもの。カタチ在るものはやがて消え去る幻・・・っていうのと、いつまで私達はこの世界にはいられない、やがて死んでしまえば、
今の世界にはもう いないので、今にはあるけど、やがてなくなるしかないので、幻。で、この二者は誰もが考え着くことなので、覚った人は 特に示すことがないですよね。
覚った人が 示したがるのは、現実に観える世界そのものが 幻、虚実・虚構であって、本当には ひとつのものでしかないという 超難易度の高い、常人には理解しがたい説明です。
この説明が受け入れられるには 実際に「ひとつ」を体験しないと無理でしょうね。つまり 体験以前の私には、単なる知識でしかないです。

>ひとり(個)だけの世界・・・っていうのも、またいくつかの理解がありますよね。内面がブラックボックスで、自分自身にしかわかり得ません。たくさん人はいるけど、結局 思考も感情も他人のものは
自分のものでなく、精神の世界は孤独でしかないっていう理解もあるし、覚った人が 死後には、自分しかいないつまり 他者も自分も同一化していることを示している理解もありますよね。
ひとつとかワンネスとか言われる世界観です。私しかいなかった、っていう感想もあれば、みんなが私だったという感想もありますが、両者が示しているのは同じことだと思います。

続く

273苦集滅道w:2018/08/25(土) 10:54:23
>悟っても「個」の範疇・・・っていうのは、いくらかの誤解にあると思いますよ。個の範疇にあるなら、それを悟りとは言わないはずです。
いつも個の範疇にある人が、個の存在が虚構・虚実であったことを見抜くのが悟りではないかなぁ?それが 継続するかどうかは また 別の次元としてねw
じゃ、何故 日和さんが、悟っても個の範疇にあると 思うのか?っていうと、悟った人でも 自我だから。何が 自我で生きてる人と 悟った人の違いなの?違わないよね?
っていう発想からだと思うよ。で、自我がないっていう人もいるけど、悟った人でも自我はある。じゃ 自我のある悟った人を悟ったとは言わないのか?っていうと、今度は
悟りの定義を決めないと、あやふやになって訳がわからない説明となってしまうでしょう。

悟った瞬間・・・ていうのがあって、そこでは、一切がわかります。その一切を書けば、書けないこともないけど、基本的には 内面にある感覚・感性なので、言葉にしづらいです。
で、このトキに 自我って最初からなかったことまで、わかります。或いは 自我として思われている意識が 何故 できあがっていうのかもわかります。
で、この場面において 人は悟ったと思いこみます。で、ブログとか本とか書いて、私って実はいないんだよとか、みんなが私なんだよ的な 根源の説明をし始めます。
こういう立場の人が 圧倒的に多いと思う。で、そうした人達は 今度、ずっとその悟った意識にはいられないことに気がついていきます。
つまり、生活するには 自我がいるよね的な。で、そこを うまく巧みな話術や詐称によってかわして生きながら 覚者の立場を維持させていきます。おそらく 生涯にわたってね。

で、今の時代?っていうのは、根源が自分で 自我が錯覚の意識で 死んで根源に誰もが帰還することを知って・・・それからを生きてる人が多数います。私もその一人ね。
で、そういった認識が もう 当たり前になっていて、別に自我で生きることに 問題意識を持たない段階の人達が でてきています。
ここまで、いかないと 一瞬の悟りって ほんとに一瞬で終り、現実には活かせないことになります。活かせないで終わる人も 多数いますよ。
不思議経験はしたけど 不思議なままで終わったみたいな人ってやっぱりいます。

で、悟り体験を 生きていく中で完全に活かして生きることが、やっぱり その次の悟りだと思う。悟った自我の生成。
で、この時点では まだ 日常には自我の意識が 残り続けます。私も そうだけど、自我の範囲であることを 知っている「自我」です。

で、その「自我」が 完全にない・・・人が 顕われてきた。

ですから、悟っても個の範疇っていうのは、悟りそのものには、個人はいませんが、悟り後の人生には、個が存在しているという意味合いでは 間違ってないです。
でも 自我がない人に言わせると、自我の無い状態が そもそも悟った状態ということになるでしょうね。
で、ここで悟りっていう言葉を 使っていますが、そもそもが 悟りって観念自体が 自我の持ち物というか 創作された意味合いであって、本来には 悟り自体が ないですよね。
一番最初に書かれている >あるがまま・・・の世界しかそもそもが展開されてはいません。自我があるとか ないとか語る自体が自我の範囲にあって、しかるべきものであり、
その枠組に 一線を引くことも 自我の総意工夫の中にあるものでしょう。

で、こうしたやり取りで 自我のあるなしやら 根源のなんとかとかの説明とか感想を語り合うこと自体が 自我の役割ですよね。
いいも わるいもなく、自我を経験しているから こうしたことが可能となっていて 本心から根源に回帰されていれば、こうしたやりとりも 疑問も 何も 最初から「無い」ままの
自己がありますよね。その状態に いつもあることを 自我がないと表現しているのではないかなぁ?

それにしては、細かい感情の動揺とか、思い込みの正当化とかって 行われてもいるのでしょう。それがないと 会話さえも成り立たないから、やむを得ないことなのでしょう。
そこまで理解してみれば、自我がない・・・って書くことも ありなんだと思います。

単純に根源に回帰してみれば、それだけで 満足であり、完結していて 他者への一切のオファーが止んでいるものです。

で、そこでは 何も この世界に影響を与えられないので、自我の行使もやむを得ないものですよね〜。
自我を行使して 自我の無いことを書く・・・そこに すかさず 日和さんの疑問がささりこんでいるように 思いますよ〜(笑)

274日和る:2018/08/25(土) 11:33:33
フェーズを合わせたいので書きます。
その現実(リアル)の「ありのまま」ですが、意言い換えれば「純」な視覚要素だと思います。ですが、それも幻想(創造物)、ベース、基盤に過ぎない。
そう思ってます。つまり無い自我が生まれて、最初に見え始めるステージ、場面って必要ですから、それが「ありのまま」、逆に、自我創造、仕組みの基盤でもある。
合ってます?
で、書かれた>Cが、「ありのまま」すらからも降りた場所?

275苦集滅道w:2018/08/25(土) 17:08:33
フェーズ・・・なんかかっこいいですね。

厳密なありのまま・・・なら、降りようがないと思います。
で、「ありのまま」って、ほとんどの人にとっては、イメージなので、どんな風にも解釈が可能です。
浅い解釈の「ありのまま」であるなら、降りる必要がある人も いるでしょうね、
つまり 自我の想像・理解でこてこてになった「ありのまま」なら 降りた方がいいでしょうね(笑)

Cの定義は 覚った人にしかわからない、ありのままの「素」の世界観です。私ら 覚ってない者からみての世界観です。世界そのものじゃないです。
ここが、生きて体感されているならば、降りる必要ってないですよね?

なかなか そこにあるがままには 生きられないので、自我そのものから降りることが 必要となっていますよね?
ジェットコースターなんて、幻と解っていても はらはらどきどきするものに 乗ってると神経がすり減ってかなわないので、たまには降りて、安心感を感じたいので、降りますよね?
これは 人によるかもしれませんが、ジェットコースターでの 最悪の悪夢って 死を熱望することだと思う。それ程に 追いつめられて、背水の陣になったトキ、活路を見出すには
もう 夢観てる場合じゃないっていう 真剣な意志が、悪夢のステージから 降りることへと導きくのだと思います。適度に 快適で、耐えられるほどの苦しさなら、降りる必要がない
単なる 自我の体験で終わるものでしょうね〜。

日和さんは 真剣・がちに この世界から降りたいと 思っていますか?

276苦集滅道w:2018/08/25(土) 18:12:22
自我がない・・・っていうのは、↓こういうことかもしれません。

http://kuujigen.hatenablog.com/entry/2018/04/02/010252

>ある時決定的に、自我の全てが死んだ。私、は居なくなった。
>背骨に沿って絶え間なく至福のエネルギーが巡っていた。
>その状態のまま約半年が過ぎ、残った物質体を物質の次元で生かすべく、最低限の自我を構築していった。

最低限の自我っていうのは、らぴ。さんの言われる名残みたいなものかもしれません。
お二人共、その状態が継続されているのだろうと推察します。何にしても想像を絶しています。。。

277日和る:2018/08/25(土) 20:13:59
「ありのまま」って幅があったんですね。よくAさんや、余計なほどのもっ氏が「いまあるのはPC画面がある」、「ふれる」、「なめる」、ってことよく書かれてて浅い話だって思ってました。
>書かれた>Cが、「ありのまま」すらからも降りた場所?って思ってました。
さて、ガチでって聞かれるとそうでないともそうかもとしか言えません。それは、見えない意識があるかもとも。

あ、くうさんですね。この方は私が入りはじめに見つけた「 」と思う方です。の、前が津留晃一氏でした。
このふたりの話が、依然として根底に残ってますね。Aさんへの問いもこれらがベースとなってます。私の方向性はぶれてません。ね。(いま思えば)
くうさんですが、当初、多次元の表現やら、まったく意味不明の叫び声のようなツイッターになりはじめてわからなくなり離れて行きました。けど、最近落着いたようですね。
多分ですが、その次元を突き進んだときの表現をだだ列記していたのと思います。

そう、記憶までも走馬灯のごとく消えて行って赤ちゃんレベルになったようです。逆に自我構築に数年ですから、つまり、この世の生活が出来なかったわけです。幸いにサポートする母親、友達がいたからです。端から見ると廃人のようになってるわけです。怖い思いましたよ。もうひとり数年の体験してる方がマックハルト氏(名前は適当です)

278日和る:2018/08/25(土) 20:19:17
くうさんも、いま20代だと思います。若くして悟るって今後どうなるのでしょうね。

279日和る:2018/08/25(土) 21:07:02
くうさんの場合からすると、赤ちゃん状態になったのだけども、文字から習うではないわけで、つまり、記憶とつながらなかったと言えると思います。ですから、肉体というか頭、記憶と分離したと言える思います。人とコミュニケーションできなかったことを意味します。数年です。一人だったら生活できませんね。

280苦集滅道w:2018/08/26(日) 09:17:49
>端から見ると廃人のよう・・・そう、自我がないってことは、そんな風になる気がしますね。でも実際には、くうさんは 最低限の自我を構築して 今、活動されてますし、
らぴ。さんも肉体の名残で生活されているようですので、困ったことにはならないのですね。
で、お二人が伝えんとしていることって、そんな体験以前に不安になるような要素(自我がないことに伴う恐れ)ではないはずです。

らぴ。さんは幸せを目指せと言い、くうさんはそのままで今の自分を愛せよと言います。・・・自分のようになりなさいとは、言ってないですね。ま、それを言われても
お二人の心境って、書かれた文字を読んだだけで とてつもない「深さと拡がり」を感じます。そういう風になっているんだぁ〜と感想を持つことが精一杯ですがね(笑)
思考の範囲でしか構築されていない 浅い真理の認識を 売りにしている人達とは、一線を画しているようです。
で、そっちの方が お手軽なので、一般には普及しやすいでしょう。・・・そうした精神世界観の手時されていく状況って、仏教の伝達形式に似ていると思う。
らぴ。さんは釈迦の悟りかもしれません。くうさんは、超えてるかもしれません。彼女達に熱心なお弟子さんでもいれば、お手軽な仏教論が広がるのかもしれませんw
しかし、お二人共に地味な活動で、読む人が何かしら受け止めてくれればいいというスタンスを取られていますね。

と、ふと思いました(笑)外野の感想にすぎませんが。

281日和る:2018/08/26(日) 09:20:55
>お二人共、その状態が継続されているのだろうと推察します。
くうさんは継続してない思います。問答してたあの時、入るために瞑想してるニュアンスでした。(入るのは早いでしょうが)
また、A氏同様に商いしてて一度対面したかったのですが高くてできなかったです。(金欠のさなかでしたし)問いだけでですまそうとしたら回答してくれなくなりました。(笑)つかいます。
そんなんで、普通は自我と思ってます。いまはしりませんが。
くうさんの時は、その状態はどんなものか。構図的な興味が先ででした。あ、いまもそこにですね。

方法論は、今朝確信しました。間違ってないなぁの印象です。従来から考えていたこと。でした。
コメント欄面白いです。らぴ。さんの師匠見つけました。掲示板読み始めてます。感動してます。考えが一緒だと。同じ方向性と重いました。ここなんですね。A氏との違い、これに反応して対峙するカタチで居座ってました。もっ氏にもそれで対抗してましたね。

282日和る:2018/08/26(日) 09:25:48
訂正。
>とてつもない「深さと拡がり」を感じます。
いまブログを読むとそう感じてます。そして、常にあるかもしれません。
が感想です。

283日和る:2018/08/26(日) 09:30:46
あ、でも、くうさん。『わけのわからないおっさんがいうてるが。。」と誰のブログを指してるかわかりませんが、
異論大有りの感じで、たまに、素に戻ってる。。風にもとれました。

284苦集滅道w:2018/08/26(日) 10:09:27
>らぴ。さんの師匠・・・考えが一緒でしたか〜良かったですね。
後押しになって自信が持てたようで 何よりです。

日和さんが感じるA氏M氏への違和感って、たぶん私も同じことを感じてると思う。
そこじゃないよ、もっと奥だよ・・・みたいな感覚。それが、書かれていたようですね。
で、それは間違ってはいなかったと確信されたようですね。

だから、精神世界を説くことは、ある意味で「賭け」ですよね。
いったい自分が今 どのあたりにいるかが冷静に見て取れる人が いない。
絶対に中途半端な精神の状態なら、「不都合さ」「不合理さ」「矛盾」といったものが
経験されてるはずなんだけど・・・論理思考で そこをする〜させていくからねw
そうした人達は、こうなんだと真理観を極めた?場所に居座り続けるけど、
実は 本当に底の浅い場所であったりね〜(爆)

くうさんは、あくまで、書かれたものからのイメージです。実際は わかりません(笑)

285日和る:2018/08/26(日) 10:54:38
状態がそこはかとなく、なんとなく。

>君の次元は音は聞こえている、景色は見えている、言葉は発せられている、ただし、自分のもの
では無い、このようではないだろうか。ここでは、「自分」と言う捉え方は消滅したが、視覚情報、聴覚情報、言葉との微妙な距離感が
発生しているのだが、あまりにもそれが微妙すぎるがゆえに中々気づけないものだ。 <中略>君の所では「識別作用(対象)」が消滅し「楽」を実現したという事で間違いはないし、これも
既に稀な現象であると言える。ただしこの先もあるのだ。君の所では「識別作用(対象)」が消滅し「楽」を実現したという事で間違いはないし、これも
既に稀な現象であると言える。もし君の段階の人がさらに先に進もうと思うなら、この微妙に存在する「距離感」を手掛かりに
確実に存在するものとしてしっかり掴み取ることだ、しかし、今の君が今のままで「楽」と言うのなら私はあえてさらに先に進んだ方が良いなどとは言わない。

286苦集滅道w:2018/08/26(日) 11:07:36
おおお〜、そうそう、この段階みたいなひとつひとつは わからないけど、流れとして そうなっていくことが、納得がいきます。
どこかで 立ち止まっていて満足していて、そこが全部だぁ〜〜〜って 思ってる人は、めちゃたくさんいそうですよね。
そこでいいなら、いいんだけど、そこが全部みたいな 書き方とかされると ちがうだろぉ〜〜〜って心理が働いて、いちゃもんつけたくなりますよね?

なんか おしゃかさんの説法みたいで、小気味が良いですね〜。

287苦集滅道w:2018/08/26(日) 11:17:44
そう、それと 今の自分の立ち位置が 屁みたいなものに思える。
自我がなんたら 根源がなんたら 苦悩がなんたら・・・って真剣に討論してる 自分って、めっちゃレベルが浅いわw
根源でしか生きてないなんて当たり前のことで、付随する 自我の性質や法則性(カルマ・輪廻・引き寄せ・心理面の動向の理解)なんてことは、
砂漠の中の砂粒一個にも 満たない 稚拙な悟りでしかないことが、自覚されましたよ。

おお〜、燃えてきました(笑)いや、マジでね。

我は 何て ちっぽけなんだ〜〜〜、海に向かって 叫ぶwww

288日和る:2018/08/26(日) 11:48:50
>おお〜、燃えてきました(笑)
おお〜。良かったです。

でも、方法論は。。。。ですね。
盛り上がったのに。。。なんなんですが。。。

釈迦の最期の言葉。「怠らず努めなさい」。。なんですよ。

えっ。ってなりました?
でも、苦Maxのとき、「がむしゃらに働いた」と書いてましたよね。その後ですよね。
「がむしゃら」これだと思います。ね。「怠らず努めなさい」。。。。ってね。
らぴ。さんの「精進せよ」がこれでしょうね。

289苦集滅道w:2018/08/26(日) 14:03:55
>今の君が今のままで「楽」と言うのなら私はあえてさらに先に進んだ方が良いなどとは言わない。

・・・そう、誰に対しても この方は 言わないでしょう。

普通 言いたくなりますよ、君は まだまだだよ、とか、君は もう 僕と同じだよとかってね〜 その場所が真実であれば あるほどに

言いたくなりますよ。私なんか 思考のきらめきでさえも 誰かに言いたくなる。で、こういうの書いてる訳で、こういうの書き込んでる時点で

もう おわってるw・・・誰に 何を 言わずとも いい心境って、やっぱ あるんでしょうね〜〜。

そこだけ 抜き取っても この師匠って人は すごいと思う。

290苦集滅道w:2018/08/26(日) 14:17:03
>「怠らず努めなさい」・・・は、「道」を行く人に向けてのものでしょうかね?

仏弟子に向けて 言ったのならば、仏道に怠らず努めなさい、との意でしょうね。
そもそもが、私達の多くは 仏道に目覚めてさえもいません(笑)でも その道に目覚めたならば、怠らず努めなさい・・・の意とするところが
わかるようになってます。って 偉そうだけど、それだけ この道を歩き続けることが、難易度が高いですよね?

まずは、道。これを 自己に課すこと。だと思う。

291日和る:2018/08/26(日) 20:30:36
>思考のきらめきでさえも 誰かに言いたくなる。で、こういうの書いてる訳で、こういうの書き込んでる時点でもう おわってるw・・・
私も書き込みを何度やめようとしたことでしょう。いまだにやってる。自我増幅化でしかないってことですね。ムコウのコメ書き込む常連さんもそういうことです。思ってたけど。

>仏道に怠らず努めなさい。
普通はそのようにとっておわりますが、師の方は「怠らず努めなさい」の言葉だけを重要視してるみたいです。
怠らず=他に見向きもせずに、努めなさい=精進なさい だろうかと。

って言うか。紹介を引き延ばしたみたいです。・・で、読んだのはらぴ。さんの掲示板にその師が書き込んだ形跡でした。
改めて読んでみて下さい。キンクマさんからのワードで検索しただけです。でも、これだけで私は充分ですね。その悟りの状態(イメージも)と、方向性が見えたから。
見えたのなら、・・・「怠らず努めなさい」ってことです。っていうか、その実践と手応えは納得してる次第ってところです。♪つけるよ。

以下です。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12104/1373075256/

292日和る:2018/08/26(日) 20:31:28
あ、そのワードは「TK師』です。

293日和る:2018/08/26(日) 20:48:36
あ、面白い事に。(何が面白いの?)
A氏のブログ、「気にしなくなって、読まなくなった」って言えればって書いた記憶。

面白いのは、紹介の掲示板に・・・悟りのTK師さんの定義が書かれてあります。

「悟り」とは・・・・・・「何も気にしなくなること」

素晴らしいです。ね。

294日和る:2018/08/26(日) 20:57:52
なにが一緒かっていいますと。その道の達人や、スポーツを極めた人を題材に持って来てることです。マツイ、イチロー、その他頂点を極めた人に全く同じ考えを持ってました。A氏にそれを書いても無反応それどころか「目的などない」で却下で苛立ちすらおぼえました。
ご存知かと思います。TK師の考え、まったくもって同じです。(ちょい自我アピールっか?)

295ラピ。:2018/08/26(日) 23:06:50
こんばんは!
お久しぶりです。

掲示板の書き込みにまったく気づかずごめんなさいね

@(*・ω・*)ポッ

296苦集滅道w:2018/08/27(月) 14:46:15
日和さん紹介の掲示板にひととおり眼を通して、これを書いています。こんな私的なこと書いていいのかなぁ〜と、迷いながらもw

TK氏が書かれている中で、直接自分に関与するのが、今のスピ系への示唆の部分でした。
私も 数年にわたって、目覚め系(スピの一部・心理的な教えが中心)のブログを書いてまして、
らぴ。さんと 出逢う何ヵ月か前に 書くことを止めました。
苦しみはないと、言いながら 気がつけば苦しみにまみれていて、
日常が 平穏でもなければ 静寂でもない、つまり 書いてきたことが実現してない状態なので、
このままでは「詐称」となり、自分を信じてくれた人達に申し訳なさもあり、
さりとて 全面的に自分が間違っている自覚もなく、しばらく 修行すれば 
また、その先のことが書けるとも思い、筆を置きました。

・・・書かなくて良かったんですね。自分の書いてきたことが 根底から真理に届いていなかった事実を認めるのは
やはり 悔しいのですが、それよりも 害毒を撒くことに、とにかく終止符を打った自分の行為は、正解でした。

TK氏が指摘した スピ系の誤った観念って、今も 自分の思考にある訳で、いますぐに それらを捨てて「素」から
実践し直すという意識には なりませんが、今は 酔っぱらっている状態がふらふらしていて・・・苦しいことに気がついています。

酔っぱらった状態を 今 経験しています。言い得て妙な 例えだと思いますよ。
がつんときました。書いておいてくれて ありがとうございます。

297日和る:2018/08/27(月) 22:06:56
らぴ。さん。。。。。。おせーよ。(笑ってね)

まぁ。先に書いた通りでございます。怠らず努めなさい。ですね。
実はただいまやってることは、ジム、スイム、ラン。それにTK師いわれる類いを付け足したカタチで行っておりますよ。まぁ至るには遠きでしょうけど。仏道の「なりきり」つまり集中してです。面白い事に(。。。?)
「楽」を味わっています。ゾーン。私流なら「一対」と表現。(集中の先のそれ自体の意味)もたまに。。。ありますね。
そんなこんなでTK師の掲示板はまさにワードが合致するほどでした。どうやらTK師さんはお坊さんのようですね。
最後に、ちなみに宮本武蔵の最後の奥義は。。。「無刀」です。。。。。ありがとうございました。

298ラピ。:2018/08/28(火) 06:37:29
苦集滅道w さん

人に伝えるためには
自分がそうでなければならないですよね。

かつて私もブログを書いていましたが
あくまでも探究者としてのスタンスで書いておりました。
しかし、まぁ、思い込みがありましたね、、(笑)

悟りなんて興味なかったのに
(私は覚醒のほうが興味がありました)
悟りとは知ることだ!
なんて書いていました(大間違い 笑)

悟りについての知識なんてほとんどなかったのにね。
なんでさとりについて書いてんねん!

しかし覚醒を目指して、結果的に今この状況です

人生、なにが起こるかわかりません(笑)

299ラピ。:2018/08/28(火) 06:39:04
日和るさん

またせたな!(笑)

本当に本当に気づいてなかったよ、ごめんちゃい(笑)


>どうやらTK師さんはお坊さんのようですね

違います(なぜそう思った????笑)
個人情報はお伝え出来ませんが、全く違います。

今の日和るさんの方向性は良いんじゃないですかね?
なかなかいい線いっていますよ
@(*・ω・*)ポッ

ちなみに私についてもかなり誤解されているところがありますが
全く問題ないので置いときます。にやり

300苦集滅道w:2018/08/28(火) 07:36:24
旧来の既存他力の信仰から自力の新興宗教へ、そっから江原氏のスピリチュアルへ、そっから目覚め系のスピへ・・・って、いくつもの
「これが絶対の真実だ」を繰り返してきました(笑)今の目覚め系への「ここが精神性の果てだ」・・・が、実は 果てでもなんでもなかったことを
認めるのは、正直言って きつい(笑)確信しきってきたから。寸分違わない真実に目覚めていると思ってきたから。・・・うん、でも自分で気がついちゃった。
らぴ。さんに全否定されるまでもなく、自分でね(笑)・・・今、持ち来る「苦」が、今のままでは解けないことが、わかってきました。

らぴ。さん
私は、何かを信じるってことが、嫌いで 一切は自分によって確かめることが叶う、と思っていますので、あまり あなたの言葉だけを頼りにはしたくは
ありません。のですがwひとつだけ、改めて聞かせて下さい。

私からみての あなたの精神は、一切の動向が終ったものなのですよね?つまり、私が 繰り返してきたような、精神のどんでん返し(確信の崩壊と新生みたいな)は
ないんですよね?

301日和る:2018/08/28(火) 08:02:47
らぴ。さん

>>どうやらTK師さんはお坊さんのようですね>全く違います。

じゃぁ変えます。お坊さんのような人ですね。


>今の日和るさんの方向性は良いんじゃないですかね?

この世を楽しんでます。よ。

>全く問題ないので置いときます。にやり

そう、気にしなくなりました。

いずれにせよ。渇愛に流されるのが人の性。決めたのなら「怠るな」でしょうね。そこが分かれ道。

302苦集滅道w:2018/08/28(火) 10:34:04
日和さん

むこうにちょっかいかけたくなり、いってみたら すでに 日和さんがおられて 笑いましたよw
>夢の中では、夢を夢だと思えないこと。・・・って、やっぱ おかしいよね?じゃ なんで夢だと言うのか?
TK氏の言葉がよぎる。。。結果を抱きしめているような、不完全性と屁理屈(笑)

303日和る:2018/08/28(火) 10:41:40
だめだ。ムコウに書きたくなる渇愛が止まりまへん。
そう。昨日の記事は、もう、たまりません。握りしめきった不完全性と屁理屈。
TK師さんは、ブログやってないのですかね。

304苦集滅道w:2018/08/28(火) 11:28:30
>もう、たまりません。・・・って、私もよ(笑)

でも、渇愛ではないと思いますよ〜。ただ、そうしたくなる気持ちは 私も同じです。
別に私が悟ったわけでなく、違う情報に乗り換えただけなのですが、自我は自分が知ったことを自慢げに語りたがる(笑)
しいて、正当化しようとすれば、個人の思い込みって 公にすれば、影響を少なからず与えてしまうので、
残念だけど、個人が握りしめていくしかないと思う。そこに やっかみとか、責任転嫁とか、自己顕示とかが入り混じっていて
>「なにもしない」が、実現されてないですよね。或いは 何も気にならないも、同様にね〜
ま、お互いに まだまだということで、スピの訂正に励みましょうよ(笑)

305苦集滅道w:2018/08/28(火) 14:47:29
らぴ。さんへ

私の すっとんきょな質問から始まった このスレッドですが、
そろそろ新しいテーマについてのスレッドを新設しては如何でしょう?
(実は僕の名前がでてるの恥ずかしいw)

私にとって、今 興味があるのは、誤解認識による悟り知識の改善?みたいな、今まで信じて疑ってこなかった
定説化されたような、目覚め系の知識情報って、何が まずいの?っていう具体的な対話。
日和さんも詳しそうだし、のってくると思う(笑)

勿論、教祖様個人への批判でなく、広く周知されている精神世界の認識全般について。
らぴ。さんなら その監修も 間違いなくできそうだし、どうでしょう?

306ラピ。:2018/08/28(火) 22:04:53
苦集滅道w さん

きついの、わかります。
心底信じていればこそ、つらい。

でも、お見事。
そろそろ新しい扉が現れるかな?これからの苦集滅道w さん次第ですね。

>私は、何かを信じるってことが、嫌いで 一切は自分によって確かめることが叶う、
>と思っていますので、あまり あなたの言葉だけを頼りにはしたくはありません。

よい、姿勢だと思います。
その姿勢、徹底的に貫くのもいいのではないでしょうか。

、、でも微妙にスピ系の話、鵜呑みに信じていましたよね、、、。

>のですがwひとつだけ、改めて聞かせて下さい。
>私からみての あなたの精神は、一切の動向が終ったものなのですよね?
>つまり、私が 繰り返してきたような、精神のどんでん返し(確信の崩壊と新生みたいな)はないんですよね?

ないです。

そもそも確信ではないのでひっくり返りようがないのです。
悟りとは確信することではないです

私の状態は「一切の動向が終った精神」ではありません。

なぜならそもそも精神がないんです。
よって動向もない、どんでん返しもない。

それらの現象が起こりうる根本である精神が
そもそもないので何も起こりようがないのです。

原因となるものがないため、結果も起こりようがないのです。

だから、本当に悟ればわかりますよ、例えていえば。

精神?なに?それ?

それが悟った状態です、例えていえば。

307ラピ。:2018/08/28(火) 22:08:51
日和るさん

TK師がお坊さんのような人かぁ、、。
日和るさんにはそう見えるのですね。

ええ、そうですね。
ただただ精進ですね、後悔ないように。

道が見えてきたようですね!

308ラピ。:2018/08/28(火) 22:11:32
苦集滅道wさん

んでは、新しいスレッド作成、苦集滅道wさんにお任せしてもよいですか?
@(*・ω・*)ポッ

参加させていただきます〜!

309苦集滅道w:2018/08/29(水) 07:49:05
>それらの現象が起こりうる根本である精神が
>そもそもないので何も起こりようがないのです。

・・・そうなんでしょうねぇ〜。しかも あなた以外に確実に もう御一方がいられる。
二人の人が同時期に同じことを話すこと。
しかも精神性の根幹にも触れる内容であることから、ありえる。。。とだけ、判断しています。
そして、『そうなってみないと解らない内容』を追いかけるべきでもないと思うのです。
勿論 そうした方が そこに近いという目論見があってのことですが(笑)

さて、精神性を突き詰めるにしても、日常を心安らかに豊かに過ごすにしても、
迷い苦しみながらこの「生」を全うするにしても・・・それらは、
ひとりの「私」という人物の意識の中で、「私」という人物の意識の中だけで、
終わりゆく現象と経験であると認識しています。
例えば、悟りなる精神性の果てみたいなことが体感されても、
わかったとされたとしても それが事実と合致していたとしても・・・
ただ、ひとりの精神の中に 埋もれていくことが不条理に思うのです。
「勝手に生きて、勝手に悟り、勝手に死んで、何も残らない。」
哲学的なのかもしれませんが、そんな風に一人の精神の中だけで、
私は終わらせたくはないなぁと たまに思うのです。

一人の意識は、多くの人の為に。多くの人の意識は、一人の私の為にある。

そんなことを、新しいスレッドの中で、書いたり、書かれたりしたいと思います。
ちょっと、今 タイトルで悩んでいますが(笑)近いうちに、立ち上げてみますね。

310日和る:2018/08/29(水) 08:04:54
らぴ。さん。
改めてお聞きします。成就されたのは、他力ですか。自力ですか。(他に表現あれば)
それから、いまの状態は自力、他力、それともなにもない。どうでしょうか。

311ラピ。:2018/08/29(水) 21:18:54
苦集滅道wさん

>『そうなってみないと解らない内容』を追いかけるべきでもないと思うのです。

その通りです。
特に悟りについてはその通りで、
悟りについての議論はあまり意味がないのですね。

>ひとりの「私」という人物の意識の中で、
>「私」という人物の意識の中だけで、終わりゆく現象と経験であると認識しています。

苦集滅道wさん の認識はお変わりなくですね。
その認識、実体験ですか?
本当にそうですか?
みんな、そうだ思いますか?
絶対的真理だと思います??
それとも個人的感覚ですか?

>「勝手に生きて、勝手に悟り、勝手に死んで、何も残らない。」
なかなか面白い表現ですね。
そう見えるのかな?そう感じるのかな?

新しいスレッド、どうもありがとです♪

312ラピ。:2018/08/29(水) 21:23:16
日和る さん

例えていえば自力ですかね??
自分の意志を精一杯使って、自我をフルに総動員して
起きている間は実践し続けました。
それを自力といっていいですかね?

今の状態は自力、他力という表現ではできませんね。
そもそも今の状態が自力、他力というのはどういう意味でしょうか?

日和るさんは今、自力ですか?他力ですか?

313日和る:2018/08/29(水) 22:40:50
らぴ。さん
自力ですね。同じです。
五木寛之氏は、「無力(ムリキ)」ってつけてます。
他に表現してなくて個人的に気にいってます。

今の状態。そうですね。表現できなことなのでしょう。

314苦集滅道w:2018/08/29(水) 22:54:27
?そこ?そこなの?(笑)人の精神はブラックボックスになっていて、
直接には、接点はないと思います。間接的に想像や思いやりは、当然ありますが、
個人の痛みは 個人のものでしょう。
個人の思考は 個人のものでしょう。
個人の苦しみは個人のものでしょう。
そんなことが、不条理に思えるので、個人を超えた意識とは何か?
それを学ぶ「渦中」にあります。

315苦集滅道w:2018/08/30(木) 18:01:24
らぴ。さん・・・TK師との対話を地味に読み進めていく中で、これは?という記述を眼にしました。

>賢者は死後物質的な肉体を離れたら、別次元に行くのですよ、ところが、
>賢者も物質的な肉体を持つ上では、
>どんな低次元の者とも容易に接触し言葉や文字などの物質的な伝達手段を通して交流が容易ですよね。
・・・ここなんですけど、人には 次元段階の違いがあるのでしょうか?

死後に段階・階梯・次元構造・霊界階層?みたいのがあると、スピリチュアルでも言われていて、
私は 一瞥以前はこの 次元段階説?を信じていました。
ですが、目覚め系にはまっていて、今は 人に線引きはないと思っています。
ひとつとか ワンネスとかに 人の経験が終れば 誰もが同じ根源へと回帰するのでは
ないのですか?

316苦集滅道w:2018/08/30(木) 18:12:50
らぴ。さん、もう一点聞かせて下さい。

TK師との対話スレッドを 読み進めていく中に

アセンションという言葉があって、?となりました。別に アセンション自体は
スピ系では普通に語られていて、トキに 目覚めっていう言葉も同じ意味に使われて
いたりします。目覚めた人達が 世界を変える、みたいなね。
これを私は 信じてない。人は自我を経験行為するために 今の世界にいると思うのです。
自我が進歩向上する以外には この世界は変化しようがないと思ってます。
同様に アセンションもないと思ってます。

一切の真理を見抜いて生きることが、この世界(三次元地球)に求められては
いなくて、人は自我と言う 小さな乗り物を行使して この次元の向上と進化を
図るものだと 思ってます。

TK師も らぴ。さんもアセンションを果たしているようですが、あまりにもレベルが高いので
続く人って、いないんじゃないですかね?あまりにも 高度すぎます。
まさか その先達としてお二人が アセンションしてみせた?のでしょうか?

317ラピ。:2018/08/30(木) 20:43:37
日和るさん

ちょっと調べたのですが
この方の言われている無力って絶対他力という感じなのですか?

かつての私にはあり得ないです(笑)

318ラピ。:2018/08/30(木) 21:12:24
苦集滅道w さん

>・・・ここなんですけど、人には 次元段階の違いがあるのでしょうか?

例えていえば、段階はあります。

>死後に段階・階梯・次元構造・霊界階層?みたいのがあると、スピリチュアルでも言われていて、
>私は 一瞥以前はこの 次元段階説?を信じていました。

人として生きているときは段階があります。
私の道もその通りで、段階を経て、最後には段階がないところまでぶっ飛びました(笑)

>ですが、目覚め系にはまっていて、今は 人に線引きはないと思っています。

みんな、人間という点では同じですね。

でも赤ちゃんと大人は違いますよね?同じ人間でも。
同じ人間だけど、違います。
それを(よくない意味で)線引きといいますでしょうか?
段階はあります。
成長の段階とか。それを線引きとは言わないと思いますよ。

>ひとつとか ワンネスとかに 人の経験が終れば 誰もが同じ根源へと回帰するのでは
>ないのですか?

スピ的思考ですね。その思考が希望となるのならいいかな。

問題なのは
死ねばどうせワンネスになるんだから、生きている間、どうでもいいんだよ、なんでもありなんだよ、
っていう思考です。

そうなるまでまつのですかね?
いつかワンネスになることを妄想して過ごします?

いつなるかわらないワンネスの想像をしながら
せっかく人として生まれてきた経験を無駄にしてもいいのかな。

誰もが同じ根源へと回帰するのであれば
なぜ安心して挑戦しないのでしょうか。

誰もが同じ根源へと回帰することが
何かをしなくてもいい理由になるなら
そんな理論いらないと思います。

それがスピ系の問題点なんです。

何をしてもワンネスに最終的になれる、としても
人には心があります。

その心が問題です。

人には善悪の判断があります。
それが、自分を苦しませ、自分を裁きます。
どうやって生きてきたかが自分が一番、わかるのです。

ワンネスから再び経験に戻って来た時
「私(心)」が思うことが経験となるのです。

悟りとはそもそも心が消滅すること。
ワンネス→心・経験→ワンネス→心・経験このループは起こりません。

しかし、ワンネスって何でしょうね。

私にはワンネスすらないですけどね。
@(*・ω・*)ポッ

319ラピ。:2018/08/30(木) 21:27:09
316: 苦集滅道w さん

>アセンションという言葉があって、?となりました。

そういう言葉は、アセンションという言葉を使っている人に対して
わかりやすくするために例えで使っていたのだと思います。

単語にとらわれないほうがいいですよ。

>別に アセンション自体はスピ系では普通に語られていて、トキに目覚めっていう言葉も同じ意味に使われて
いたりします。
>目覚めた人達が 世界を変える、みたいなね。

懐かしいですね
そういう理論もありましたね。(笑)

>これを私は 信じてない。

信じる必要、ないと思います〜

>人は自我を経験行為するために 今の世界にいると思うのです。

これは信じているのですね。

>自我が進歩向上する以外には この世界は変化しようがないと思ってます。

例えていえばその通りですね。

>同様に アセンションもないと思ってます。

はい、ないと言えば、ないですね。

>一切の真理を見抜いて生きることが、この世界(三次元地球)に求められてはいなくて、
>人は自我と言う 小さな乗り物を行使して この次元の向上と進化を図るものだと 思ってます。

この次元が好きで、ずっとこの次元に居たいのですね。

>TK師も らぴ。さんもアセンションを果たしているようですが、あまりにもレベルが高いので
>続く人って、いないんじゃないですかね?あまりにも 高度すぎます。

アセンションって言葉は例えかな。
私自身はアセンションという言葉はなんだか笑えてしまいます。

>まさか その先達としてお二人が アセンションしてみせた?のでしょうか?

自分の道をひたすら歩き続け、あきらめなかったらそうなっただけのことです。

そしてその状態には苦がないものですから
かつての私が求めていたのはこれだったのかな、って。
(求めていた以上、想像外でしたが、、)

そしてかつての私のような人がいたら
そういう世界もあるから、頑張れば叶うよ、ということは言えるかな。
私のかつての経験から。

(まだ対象のある)かつての私には「あきらめるな!がんばれ!」と言うかな。
もう言えませんけど(笑)

320日和る:2018/08/30(木) 22:00:08
らぴ。さん
忘れて下さい。TKさんの読んでたらどうでもよくなりました。私も忘れます。言葉ですからぁ。
青春の門のイケメン作家です。作家ですから他力、自力の検証を試みたのでしょう。
ですが、至ってはいませんから。作家目線とご理解を。ってわたしがフォローしてもね。

321ラピ。:2018/08/30(木) 22:14:56
日和るさん

うん、うん。了解!

イケメンなんだぁ!
@(*・ω・*)ポッ

322苦集滅道:2018/08/31(金) 07:54:28
らぴ。さん

アセンションについては、同じです。考え方が。
段階説については、生きている中には、あります。そこ同じです。
ですが、死後にまで反映?されて別個の次元にいくのか?と言えば 相変わらず???です。
(ここは、別に今 解らなくても構わないものですがねw)

>この次元が好きで、ずっとこの次元に居たいのですね。
・・・好きだから、居たいのか?と 問われれば、あんまり魅力を感じないので、
是が非でも居たいとは 思ってないです。

仕方ない。・・・っていうのが本音よ(笑)

323苦集滅道:2018/09/07(金) 17:39:36
四諦八正道。ここに行き着きました。何故、釈尊さんは、人の道を説いたのか?自我はない(とは説かずに、自我の道を説いたか)
これが、長い間に疑問でした。普通は疑問でなく、賛美するのかもしれません。ですが、自我はないと説く、スピ系に洗脳されていますと
八正道っていうのは、自我の道筋ですから、不要な教えに思えるんです(笑)

うろ憶えだった「八正道」を調べてみますと、「諸行無常」「縁起」が最初の説法だったようです。
その通りだと今は思います。スピ系では、ここは無視していますね(笑)
そして「四諦八正道」が説かれたようですが、四諦とは「苦集滅道」であり、私が参考とした解説には、苦しみを集めてくるのが自我であり、その自我を
滅することで、苦が滅せられ、その道が「八正道」である・・・とのこと(理解は他にもあるかもですが、私は納得します)

・・・なんだ、そういうことだったのか。。。「八正道」が説かれたのは。。。

私が最後に選ぶ「道」は、これです。

苦・集・滅・道を。

324ラピ。:2018/09/09(日) 18:20:44
苦集滅道さん
いろいろありがとう。

苦集滅道さんの幸せを祈ります。

余談ですが、、、
私の道は苦集滅道でした。

これってね。
漢字のまま、その意味なのです。

苦をめちゃくちゃ集めて道を滅する。
=自我消滅です。

苦集滅道
昔の人は真理を例えで上手にあらわされています。
(真理というのも例えですが。)

皆様の道がますます素晴らしいものであるように。

困難があってもそれを乗り越えた人には
新しい道ができるでしょう。

そしてその道をさらに極めたものは 例えていえば
そもそも道というものすら必要なくなるのです。

難しい言葉はほとんど知りませんが
苦集滅道
素晴らしい言葉です。

どうもありがとう
@(*・ω・*)ポッ

325苦集滅道:2018/09/15(土) 08:30:34
>苦をめちゃくちゃ集めて道を滅する。=自我消滅です。
(中略)
>そしてその道をさらに極めたものは 例えていえば
>そもそも道というものすら必要なくなるのです。
・・・ひさしぶりに来てみますと、らぴ。さんからの一筆に、想いが深まりました。
本当にその通りなんだろうと、想うのです。私も一筆(笑)
らぴ。さんはブログにて、幸せを目指そう。精進に励もう。実践しよう!
といった、自我の成長を促す、啓蒙を発しております。
私には その意図がわかりませんでした。私に限らず、今のスピを信条?みたいにされて
いる人にとっては、「自我なんて、やがて(今も)存在しないのだから、鍛えてみることには
意味がないでしょう?」・・・そうした気持ちが強くあるものです。
その気持ちが、一般的な「虚無の意識」「虚無思考(思想)」であることに、
最近、眼が覚めました(笑)
そう、スピは「虚無」という結論を植え付ける。 何もすることに、意味がないと判断
させてしまいます(スピリーダーは、善意からなので、おとがめはないのですが)
私は数か月にわたり、「虚無感」の中にいて、仕事も私生活も何に対しても身のはいらない
空虚な生活を続けていて、それが何故なのかさえも判断することが難しかったです。
とらえどころのない、漠然として「空虚・空白」な心の内にいて、悟るわけでもなく
現実に復帰することもできず、ただ、こうした場所において、それまでの知識を動員して
らぴ。さんとの会話をしていました。(内面の変化動向があり)今は おかげさまで、しっかりと仕事でお金儲け
することに意識が向けられております(爆)
「虚無感」に辿り着くとか、そこを超えるとかの道筋って、無いです。
もし、らぴ。さんが、至る、とか悟りとかを人に薦めるのであれば、そこだけを取り上げた
自分がいない人達が増産されていくだけでしょう。人の道を説き、幸せへの道を説き
精進し続けることを説くことは、正に 正解でしかなったのだと、今は理解を深めております。
ダイジェストでしか、書けませんが、生きてること自体が自我なので、自我がなければ
生きることが成り立ちません。果たして、宇宙は、或いは神は、自然界は生きることを
破棄させるだろうか?まさかですね。生きる為に自我があります。
生きることが嫌なので、或いは怠惰で息苦しいので、逃避する世界観がスピにあります(笑)
これを本末転倒の思考回路と呼ばずにはいられませんね。
それが 私でした。
で、誤解していたのは、らぴ。さんやTK氏のような人が、人の先にいる人達である
という認識そのものでした。彼らは、滅多にはいません。ほとんど、これから先にも
いないでしょう。その状態?って意図的に望んでも、ほぼ無理で、歴史上にも数人程度が
必要があって、そうなったにすぎず、私達は そこを望むべきでなく、生きることを
究める以外には、ないと勝手に断言できます。
七十数億の人が、自我に生きています。その現実が総てであると 私は考えております。
目覚めとか 覚醒とか 悟りとか・・・なくはないのでしょうが、ほぼ無いと思うのです。
それらが・・・あるとして、人類の向かうべき道だと訴えている人達が、常軌を逸しているのです。
或いは、逸脱してしまっているのです。
世界は このままで 何も変わらない。それが、この世界だと思います。

スピ系に思考が侵食されて、日常が滞る人達に、たくさん言いたいことはありますが、
心は不可侵条約が結ばれているようなので、立ち入ることができませんね(笑)

ただ、もし私のように「虚無感」に苦しむ方が、いれば、声をかけて下さい。
援けたいです。

326ラピ。:2021/11/21(日) 16:21:26
苦集滅道さん

大変お久しぶりやけど
お元気かなぁ
@(*・ω・*)ポッ

327名無しさん:2021/11/24(水) 01:04:42
NFTアートとNFTゲームとGameFiとDeFiとブロックチェーンゲームと
noteとVoicyに今すぐ提供する側・作る側として参入しよう。
DAOとPlay-to-Earn(遊んで稼ぐ)が世界の未来になる
特にNFTアートとNFTゲームとGameFiは今なら先行者利益取れるぞ
NFTアートとNFTゲームとGameFiとDeFiはこれから1000倍規模の市場になる

328苦集滅道:2021/11/26(金) 16:39:43
>苦集滅道さん

>大変お久しぶりやけど
>お元気かなぁ

ラピ。さん、お元気かなぁ?と想い久しぶりにブログを覗きました。
IDがないので、コメントはできませんでしたが、こちらに懐かしい掲示板がありラピ。さんが思いだしてくれているので、私も元気ですよと伝え書きしますね(笑)

ラピ。さんのことが思念に浮かんだのは、会話の中で「対象がない」という言葉を使われていて、当時にはさっぱり理解できませんでしたが、今は。
そうなるんだぁ〜と、自分の心境を顕わそうとしますと、「対象がない」と言う言葉が一番妥当かと想います。
これは、実に不思議ですが、不思議でもなく当たり前だと思いますw

こちらに投稿したり、ラピ。さんとコメント欄で会話していましたが・・・対象を持ってました。たくさん持っていましたが、書いたことの一切は今には何もありません。
なにもない。しかし、全部を持とうと想えば総てが持てますし、それが私と言う自我の全部です。
しかし、総てがないけど、総てがある。対象が顕われれば、対象に向かうこともできるし、対象のない我?にあることもまたできます。
何て言えばいいのか。そんなカンジで日々を自我を行使することと、何も無い、何も始まっていない精神空間?に戻る?そこには何も問題がなくて考えることさえも起きません。

これが、たぶんラピ。さんならわかるだろうと思います。
わかる必要もなく、ただわかるのでしょうが、私もラピ。さんに同意を求めなくても、単にわかるのです。

この会話にも意味はないけど、意味を持たせて書いています。

ラピ。さんがそれでも何も困らないように、私も困ることは何もありません。

・・・大雑把に言いますと、私も元気でブログ書いたりしています。あなたも変わらずに道なき道を説かれているご様子で何よりです。
お互いに共通する何かがラピ。さんの意図に起きれば、会話させてもらいたいと思います。

気に留めていて下さり、ありがとうございました!


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