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kujyu-metudouさんとの対話

1ラピ。:2018/07/09(月) 22:26:43
kujyu-metudouさんからの質問についてお答えしていきたいと思います。


kujyu-metudouさんからのご質問です


教えてください。
らぴ。さん こんにちわ。
見性体験って 悟り以前に経験されているかと思います(?)
一瞬間に「 」がわかり、一切の疑問が氷解して自己存在の核を思い出すような精神経験です。
先日私に書いてくれた、想像できない空間です。
私が想像する範囲の「外」にあることが内に起きたようなね(笑)
・・・これがきっかけで、精神性に興味を持ち、「そこ」にはない「苦悩」が、今にあるのは何故だろうか?この探究を進めてきました。
二度目の体験のトキに向こう側(根源)から、こちら側(自我)に訪れて、私(自我)を見抜いてくれた(ような感覚)ので、
私(自我)の中身(思考・記憶・概念・意志)がよくわかりました。同時に「静寂で何も起きていない」のが私だとも解りました。

苦の根本がそれまでの「概念」(頭の中で一切が起きている)にあることがわかりましたので、
一時期には苦悩って経験してませんでした。苦の概念を外しました。経験しようがありません(うまく書けないです、もどきかもしれませんw)
ですが、今は普通に苦しみを持ちます(耐えられる範囲、カバーできる範囲です)

私の荷物は、一瞥でかいまみた自己の本性、静寂・無の体験に、(いまだに)しがみついていることです。
知ってますよね?w

どうすれば、今にあることが成せるのでしょう?示唆頂ければ、必ず活かします。

長くてごめんなさい、それでも超ダイジェストなので、赦してね。

172ラピ。:2018/07/19(木) 07:55:48
>私は何もしてない考えてもないが肉体は自動運転で動いている
>その行動は「過去の性格、好みそのまま」のようだ。ただそれ。であるが、その肉体行動は「私ではない」
>「思考も感情も」わかるが「自己の持ち物ではない」。。。という感じですかね。
>楽ちんこ道さんは、私、自己としてるが、ここの違いかというところです。

これ全部 日和るさんの感じた事、思ったことですね。

また楽ちんこ道さんがどういうひとなのかわからないのでお答えしようがありません。
(だからいろいろ聞いたのですが、それだけではわかりませんね)

173日和る:2018/07/19(木) 07:56:55
あと、先の内面がないという私の理解が違うなら、わかってないねぇでなく、回答をってことですね。

174日和る:2018/07/19(木) 08:41:04
>これ全部 日和るさんの感じた事、思ったことですね。
そうですよ。だから、その違いは?どうでしょうか。楽ちんこ道さんは省きましょう。
追記、普通は自分の目で見てですが、「そのもの」の場合は、違う見え方?するのですか?
あ、もしかするとブログに詳細書かれてます?
私は掲示板からで、「自我消滅」で参入しただけであるのならそちらから読みますが

175日和る:2018/07/19(木) 09:03:40
釈迦の余談ですが、悟り後もバラモン教などからの抵抗迫害はあったようですね。(by ブッダ手塚治虫書)
あ、それから、自我、無我を行ったり来たりは、お坊さんなどは「呼吸と呼吸の間」って表現したりはしますね。

176苦集滅道:2018/07/19(木) 18:55:42
らぴ。さんへ・・・読み返してみました。改めて聞かせて下さい。

以下、らぴ。さんの記述より
>そうだなぁ。自我を別の言い方をすると、意識、意図、意志
>人は理由や目的が行動には必要ですよね?
>さぁ行動しよう!という意志が必要ですよね。
>嫌々行動する、、、という、嫌々も同じ。
>行動には必ず何かが付随していますよね?普通。
>自我がなければ理由、目的、意志は必要なく動けます。
>行動に付随するものがない。
>(理由、目的、意志、これらがないです)
>例えて言えばそんな感じ。
>苦集滅道wさんがこれらの言葉を聞くと、何とも言えない感じがしますか?

>私からしたらすべてがオートマチックでらくちんです。
>抵抗、苦悩それらもない
>ない、ない、ないです。
らぴ。さんの記述ここまでです。以下、苦集滅道wにて。

>>苦集滅道wさんがこれらの言葉を聞くと、何とも言えない感じがしますか?
反射的な行為・・・例えば、車から勝手に体が逃げる。猛獣?から 身を護ろうとする。
おぼれた子供を観て、川に飛び込む。
そうした行為には、目的を思考する「間」もなく、行為に直結することがありますよね。
反射的、刹那的、考えることなしの行為、特に 危険から身を護るトキに多く経験しますよね。
あと、スポーツとかで 身体を動かす場面では、やはり 条件反射的な「思考」なき行為もありますが。

・・・それは、らぴ。さんのおっしゃる、身体の名残・・・とは、違ったものですか?
その連続と考えることは、的外れなものでしょうか?

>>私からしたらすべてがオートマチックでらくちんです。

・・・「思考」が介在しないということは、楽であると私も思います。
ただ、総てがオートマチックという感覚は事件や出来事に際しては 
感動とか 歓びとかが 感じられないような気がしますが、そうではないのですよね?
オートマチックとして表現された らぴ。さんの体の名残からの感想っていうのは、
「何もしない」から、「していること」が、自動であると感じたものでしょうか?
何もしてないけど、何かが起きていくので、自動である。
そんなニュアンスですか?

177ラピ。:2018/07/19(木) 19:02:39
日和るさんって、何がしたいのですか?

178日和る:2018/07/19(木) 20:37:19
えっ? 何が。。。いま、ですか。
いまPC開けて、私の問いへのラピさんの回答が早く読みたい。
ですが。

179ラピ。:2018/07/19(木) 21:25:12
日和るさん

>えっ? 何が。。。いま、ですか。
>いまPC開けて、私の問いへのラピさんの回答が早く読みたい。
>ですが。

そういう意味の質問ではないのですが、ま、いっか。(笑)

>私は何もしてない考えてもないが肉体は自動運転で動いている
>その行動は「過去の性格、好みそのまま」のようだ。ただそれ。であるが、その肉体行動は「私ではない」
>「思考も感情も」わかるが「自己の持ち物ではない」。。。という感じですかね。
>楽ちんこ道さんは、私、自己としてるが、ここの違いかというところです。

そもそも、この質問の意味がわからないです。
私はそんなこと言ってないし、 日和るさんの解釈がわからないです。

>あと、先の内面がないという私の理解が違うなら、わかってないねぇでなく、回答をってことですね。

内が無かったら外って、、、。
内も外もないんです。

>普通は自分の目で見てですが、「そのもの」の場合は、違う見え方?するのですか?

見る、ではなくて見える、という例えで言えるかな。

>あ、もしかするとブログに詳細書かれてます?
さぁ、書きましたっけ? (ほんとに覚えていない(笑)

>私は掲示板からで、「自我消滅」で参入しただけであるのならそちらから読みますが
この文の意味がわからないです。

180ラピ。:2018/07/19(木) 21:29:15
苦集滅道さん

>反射的な行為・・・例えば、車から勝手に体が逃げる。猛獣?から 身を護ろうとする。
>おぼれた子供を観て、川に飛び込む。
>そうした行為には、目的を思考する「間」もなく、行為に直結することがありますよね。

そうですね。そう、その状態に近いかもです。
このときって、空っぽだよね。
行動そのものになっていませんか?
体なんて気にならず、どうやって、なんて思考もない。
何も考える必要なく、できてしまう、という感じ。
その状態が普通となっています。

>反射的、刹那的、考えることなしの行為、特に 危険から身を護るトキに多く経験しますよね。
>あと、スポーツとかで 身体を動かす場面では、やはり 条件反射的な「思考」なき行為もありますが。

反射的な行動とは違いますが、例えて言えば思考なくの行動です。

>そうした行為には、目的を思考する「間」もなく、行為に直結することがありますよね。

厳密には違いますが、近いですね。(そもそも目的や意図はないので思考しようがないです)

>・・・それは、らぴ。さんのおっしゃる、身体の名残・・・とは、違ったものですか?
>その連続と考えることは、的外れなものでしょうか?

身体の名残とは、
私は自我がないと言っていますがまったくの記憶喪失の状態ではないのですね。
(ただし、その記憶すらも かすか です。周りの人が覚えてくれているから、というのもあるかもしれない)
かすかな記憶があるのであれば、この世界と「 」をつなぐのは体です。
(つなぐ、というのは例えで厳密にはそうではありませんが)
それを例えで名残、といいました。

体の名残とはそんな感じです。


>>私からしたらすべてがオートマチックでらくちんです。
>・・・「思考」が介在しないということは、楽であると私も思います。

そうですね。

>ただ、総てがオートマチックという感覚は事件や出来事に際しては 
>感動とか 歓びとかが 感じられないような気がしますが、そうではないのですよね?

感動、歓びなど、 苦集滅道さんが今、感じているものとは違いますが
例えて言えば、あります。

ただ、感じる対象がないから、感動したり、喜びを感じたりするわけではないです。
うまく言えませんがやはり、そのもの、って感じ。
感動や喜びを感じるのではなく、感動や喜びそのもの。

>オートマチックとして表現された らぴ。さんの体の名残からの感想っていうのは、
>「何もしない」から、「していること」が、自動であると感じたものでしょうか?
>何もしてないけど、何かが起きていくので、自動である。
>そんなニュアンスですか?

この状態については体の名残はないです。
そして何もせず、しかし、できてしまう、といった感じです。

>「何もしない」から、「していること」が、自動であると感じたものでしょうか?
違いますね。
しないも、するもないのですね。また、感じることはありません。

>何もしてないけど、何かが起きていくので、自動である。
こっちのほうが近いかな。

ただし、何もしていない、というのは「何もしない」と決めてそうするのではなく
何もできない、のほうが表現的に近い。

自我がないからできない。しかし、できてしまう。
それを「〜することなくする」と言っています。

181日和る:2018/07/19(木) 21:44:01
>私は掲示板からで、「自我消滅」で参入しただけであるのならそちらから読みますが
この文の意味がわからないです。
深い意味はなく、ググったらたどり着いたの意味です。

>さぁ、書きましたっけ? (ほんとに覚えていない(笑)
記憶がすぐ消えるって方を知ってます。
忘れる(憶えていない)ってのは共通であるようですね。

>見る、ではなくて見える、という例えで言えるかな。
ぜひ例えを聞きたいですね。

>内が無かったら外って、、、。
内も外もないんです。
ええ。そのものってことでしょうが、もう少し具体的。。例えを。

>日和るさんの解釈がわからないです。
まぁ、その解釈の違いを書いてほしいと書いてるのですが、わかりませんでしたか。
一点、名残の肉体は書かれてましたが、記憶、性格、好みも残ってませんか。
それとも名残の肉体だけで、以前の記憶、性格、好みなどないのでしょうか。

そんな所ですが、通じませんか。

182ラピ。:2018/07/19(木) 22:43:21
>深い意味はなく、ググったらたどり着いたの意味です。

ほんとにわかりませんでした(笑)どんな深い意味?

>記憶がすぐ消えるって方を知ってます。
>忘れる(憶えていない)ってのは共通であるようですね。

さぁ、どうですかね

>>見る、ではなくて見える、という例えで言えるかな。
>ぜひ例えを聞きたいですね。

↑例えをすでに書いています

>>内が無かったら外って、、、。
>内も外もないんです。
>ええ。そのものってことでしょうが、もう少し具体的。。例えを。

どんなに例えたらいいでしょう?
外も内もない、それだけですが?

>>日和るさんの解釈がわからないです。
>まぁ、その解釈の違いを書いてほしいと書いてるのですが、わかりませんでしたか。

その解釈がわからないから違いを書きようがないです。

>一点、名残の肉体は書かれてましたが、記憶、性格、好みも残ってませんか。
>それとも名残の肉体だけで、以前の記憶、性格、好みなどないのでしょうか。

さぁ。

何を書いても 日和るさんは自分のものさしで解釈して意味づけて
私の言っていることをそのまま受け入れようとはしませんからね。

183日和る:2018/07/19(木) 23:14:41
あ、通じないのか振りなのかなんでしょね。
仕方ありません。
でも苦集滅道さんので「そのもの」って大体分かりました。
ので、もう、書込みはしません。よ。
ご安心下さい。

184日和る:2018/07/19(木) 23:50:46
掲示板のやりとりで思いましたが、「そのもの」でも、人同士、対人のやり取りでは、自我が現れる気がします。
楽ちんこ道さんもおっしゃってました。確か。
なるほどです。
あくまでも解釈です。

185苦集滅道:2018/07/20(金) 00:00:15
Ⓐ>その状態に近いかもです。
 >このときって、空っぽだよね。・・・空っぽの意味合いが伝わりました。

Ⓑ>感動、歓びなど、 苦集滅道さんが今、感じているものとは違いますが
 >例えて言えば、あります。・・・「今、感じているものとは違います」で、(私の場合は)了解です。

Ⓒ>ただ、感じる対象がないから、感動したり、喜びを感じたりするわけではないです。
 >うまく言えませんがやはり、そのもの、って感じ。
 >感動や喜びを感じるのではなく、感動や喜びそのもの。
 >自我がないからできない。しかし、できてしまう。
 >それを「〜することなくする」と言っています。
・・・ようやく、「対象」って言葉にしている「対象」の意味合いが、解けてきました。

で、Ⓐ〜Ⓑを総括して、言えることがあります。
勿論 私の勝手なイメージですが・・・
「 」が、人の意志をすりぬけて、直接に「歓び(例)」のままを感じている。
・・・って、書くと らぴ。さんには だめだしされます。(爆)

「 」は人を介さない。「 」は、何も介入するものがいない。
・・・これでも、ダメ出しは続きます(笑)

「  」は、私には 説明ができない。ただ、愛のあるトキ、感動のあるトキ、歓びのあるトキ
静寂にあるトキ・・・にだけ、そのスガタを あらわにするものである。
・・・うん、こんなカンジかな。渾身の詩集より。。。w

186苦集滅道:2018/07/20(金) 00:18:47
日和さん、お疲れ様です。よくぞ、らぴ。さんから 色々と 聞き出してくれましたね。ありがとう。
私も そこから(らぴ。さん語録w)質問しますからね〜〜。

↑のⒶ〜ⒷをⒶ〜Ⓒに訂正。www

187らぴ。さん語録:2018/07/20(金) 07:09:46
らぴ。さん語録(編集:苦集滅道)


【肉体の苦痛】
>自我が消滅してから、人と何が共通なのだろうとすると、体なんですね。
>切ったら血が出る。一緒ですよね。
>切れば血が出るし、たたけば痛い。
>だって体には神経があるからね。
>しかし、痛がる人はいない、う〜ん、表現しがたいです。
>痛いなら痛みそのもので、痛む人はいなくて痛みそのもの。
>例えて言えば、喜怒哀楽はあるでしょうね。
>悟る前よりストレートかもしれません、例えて言えば自我というストッパーがないですから。
>かといって、人に迷惑はかけませんよ、それくらい常識でしょう。
>(かつての人としての名残)

【人の法則】
>何度か書きましたが、悟る前の名残である、例えて言えば体が存在しているため
>(しかし、認識するものでない)
>人の法則は体には当てはまります。


【感情】
>また感情については、私はかつて例えて言えば人でしたので
>感情がわからない、という例えは使いません。
>感動や喜びを感じるのではなく、感動や喜びそのもの。

【オートマチック】
>ただ、何もできない、これはなんだ?という状態になったのですね。
>でもできるんですね。
>自我が消滅して苦から解放された。それだけなんです。
>だから私はこの状態を説明する必要もありません。
>その状態が私にとって、普通だから主張する必要もない。
>何もしないというのは、何もしないもするもない。
>する、しない、のしないではないのはご存知ですよね?
>本当に、私は意図なく動くことができるんですね。
>何もしなくてもできるんですね。

【行為者の不在】
>っていうか、私、そもそもなんもしてないんです。
>この掲示板に書き込みしているように見えます?何もしていないんです(笑)
>何もすることなくできるんですね。
>自我がある方であれば、苦しんでる方を手助けしたい、助けたい、
>お手伝いしたいからブログを書くんですかね。
>そんなのなくても書くことなく、書けるんですよね。
>続ける理由もなく、しかしやめる理由もない。

【自我】
>自我がないからできない。しかし、できてしまう。
>それを「〜することなくする」と言っています。

188ラピ。:2018/07/20(金) 16:17:16
>あ、通じないのか振りなのかなんでしょね。

ほんとにわかりませんのよ(笑)

>掲示板のやりとりで思いましたが、「そのもの」でも、人同士、対人のやり取りでは、自我が現れる気がします。

これは 日和る さんの常識に当てはめて見るからですよ。
現れたり消えたりするのなら「消滅」って言葉は使わないです。

日和る さんに嘘はまったくついておりません。
信じられないことばかりかもしれませんが、嘘はついておりませんので
ちょっと、「もしかして、そういうこともあるの?」と思っていただけたら。
少しでも、、、。
そうすれば日和るさんの可能性が広がるのではないでしょうか。
しかし、信じるひつようはないですよ、もちろん。

189ラピ。:2018/07/20(金) 16:20:51
苦集滅道さん

>「 」が、人の意志をすりぬけて、直接に「歓び(例)」のままを感じている。
>・・・って、書くと らぴ。さんには だめだしされます。(爆)

はい、ダメ出しを、、、笑
「 」の状態ではすでに人も意志はないのです。
そして歓びを感じるのではないですよ〜。
直接、という言葉を使って 苦集滅道さんが表現したいことはわかりますが
感じるのではないのです。


>「 」は人を介さない。「 」は、何も介入するものがいない。
>・・・これでも、ダメ出しは続きます(笑)

なはは〜
苦集滅道さんの言いたいことはわかります。
「 」の状態で人はそもそもいないからなあ、、。
>「 」は、何も介入するものがいない。
これはちょっとイイ感じかな。

>「  」は、私には 説明ができない。ただ、愛のあるトキ、感動のあるトキ、歓びのあるトキ
>静寂にあるトキ・・・にだけ、そのスガタを あらわにするものである。
>・・・うん、こんなカンジかな。渾身の詩集より。。。w

すてきな詩となっております、、が!(笑)

ちなみに常に「 」であり、姿を現したり消えたりするものではないのです。
「 」そのもの、常にそうであります。

「 」はなにもすることなく愛であり、感動であり、歓びである
何も遮るものはなく、ただただそうであるのみ。


らぴ。さん語録 !!

あの、、。何も書いていないのでこれらの言葉はラピ。のものではないんです、例えていえば。
そう、書いたっけな〜(と例えて言えば他人事なのでした笑)

190らぴ。さん語録:2018/07/20(金) 17:21:01
らぴ。さん語録 !!・・・を らぴ。さん個人が所有するものでないことは 承知よw
じゃさ、真理の言葉・・・でいい?はずかしいでしょ?(爆)
うん、この言葉集は いいものとなってます。これだけ 読めば ぴんとくる人もいる。
何か この中から質問をしたかったのですが、もともとが解答なので、質問がないです。

さて、いじってもらったようですので、感想など 書いてみます。

>ちなみに常に「 」であり、姿を現したり消えたりするものではないのです。
「 」そのもの、常にそうであります。
・・・そう、そうであって 悟り?なのだと思う。
一切皆苦・・・は、自我ありきの諸相。。。一切皆空だけが 悟り人の諸相なのでしょう。

らぴ。さん語録を 読むと、既読したことのない 新しい表現に充ちていることがわかる。
今までの情報・知識には なかった、初めて聞くようなことで 充ちている。
それは、言葉でもそうだし、その言葉に表現する感覚も、勿論 その感覚・感性自体が、今までには、なかった。(かすっている部分は、あるにはあるが。)
この感性・感覚・状態?の中で 生きていること。たぶん、それが 真正の悟りなのだろう。
では、今まで 私が「悟り」として 組み立ててきた「理解と体感」とは 何だったのか?と言えば、それこそが 自我の活動そのものであったに違いにない。
今まで、自分と同じように 自我の活動範囲の中で 自我の活動を悟りとして提示している「自称覚者」様の言葉や示唆に左右されてきた事自体が、自我(笑)

で、別に、誰が目覚めとか覚醒とかを語るとも、それ自体が・・・自我。で、私自身も全部が自我であることが
通説に認識されました。結局、どこかで 自分は違っている、悟りに近い精神にある・・・っていう自負があったのだけれど、もう そんな考えも思いも 無関係に、自我だとわかったwww

すると、自分が何らかのカタチで苦しんでいるのは、自我だから、っていう簡単な結論で終わり、
「悟って苦しみから脱却したい」という思いが、実は 自我をいじくりまわすことに繋がっていただけで、根本的な解決の道には 通じていなかったことが、わかりました。

悟ると苦しみがない。これは、苦しむ人がいないから 苦しみがなくなる。。。に、認識が変わりました。
苦しむ人がいない。・・・うん、確かにそれは わからないわ(笑)想像もしようがないわ。

191ラピ。:2018/07/20(金) 21:37:16
らぴ。さん語録さん

くーさんよね?(笑)

>じゃさ、真理の言葉・・・でいい?はずかしいでしょ?(爆)
わははは!ほんとやね!(笑)

>うん、この言葉集は いいものとなってます。これだけ 読めば ぴんとくる人もいる。
>何か この中から質問をしたかったのですが、もともとが解答なので、質問がないです。

くーさん、いろんな点でセンスあるよね。さすが!

>それは、言葉でもそうだし、その言葉に表現する感覚も、勿論 その感覚・感性自体が、今までには、なかった。(かすっている部分は、あるにはあるが。)
>この感性・感覚・状態?の中で 生きていること。たぶん、それが 真正の悟りなのだろう。

感性・感覚はないかな。状態は例えで使うかな。そして生きることなく生きています。わけわからんよね(笑)

>では、今まで 私が「悟り」として 組み立ててきた「理解と体感」とは 何だったのか?と言えば、それこそが 自我の活動そのものであったに違いにない。
>今まで、自分と同じように 自我の活動範囲の中で 自我の活動を悟りとして提示している「自称覚者」様の言葉や示唆に左右されてきた事自体が、自我(笑)
そうですね。自我がしっかりあるのに、悟ったと勘違いしてしまうことは問題です。

しかし自我の活動 (自称覚者の活動はだめだけど) 、すばらしいのですよ。自我があるから頑張れる、例えていえば自我があるから悟れる。
そして例えていえば、その自我の活動を極めたところに
うんと、、例えていえば、自我が存在できないくらい究極に極めれば
自我が存在できなくなって勝手に消滅します。

自我を消滅させようとしても決して消滅できません。消滅させようとすると、消滅した気になることもある。
消滅させようとするのではなく、自我が存在できない状態にすること(くーさんなら、なんとなくわかるかな)
そうしたら例えていえば ある変化によって「?」という時が来る。
この時「あ!消滅した!」なんて言葉は全く当てはまりません。全くですよ。
「消滅した!」なんて言えるときはまだ自我が残っています。

>で、別に、誰が目覚めとか覚醒とかを語るとも、それ自体が・・・自我。で、私自身も全部が自我であることが
>通説に認識されました。結局、どこかで 自分は違っている、悟りに近い精神にある・・・っていう自負があったのだけれど、もう そんな考えも思いも 無関係に、自我だとわかったwww

私もクーさんと同じ状態の時がありました。その状態を悟った後にこう例えました。
「悟りに近くて、最も遠い」
いいとこ行ってるんだけど、それ自体が道を邪魔する。
そう、かつての経験はさっぱり捨てなければならない。私も同じでした。基本にもどることが大切。私はそうでした。

>すると、自分が何らかのカタチで苦しんでいるのは、自我だから、っていう簡単な結論で終わり、
>「悟って苦しみから脱却したい」という思いが、実は 自我をいじくりまわすことに繋がっていただけで、根本的な解決の道には 通じていなかったことが、わかりました。

ちなみに付け足すと「悟って苦しみから脱却したい」これは悟りの道のきっかけにはなりますね。
しかし、それはきっかけとして使い、その後捨て去るべきものです 、ご存知の通り。ここを間違うと例えていえば絶対悟れません。
私のかつての場合を例にすると。私は完璧な良い人になりたかった。そしてどうすれば良い人になれるかを考えまくった。
自分なりの答えがでた。それを一生し続けようと決心した。それが私の生きる道となった。
それを実行すると決めたら、「完璧に良い人になる」という目標は忘れて、自分の決めたことをひたすら実行し続けた、結果を思うことなく。
(自分は良い人になった!と思った時点で終わりなのです。なんとなくわかるかな。偉そうだよね(笑)
結果を思ってしまったら、それは想像、幻想、妄想で終わる。(悟りについても同じ)
結果を想像することは、道の妨げになります。本物になりたかったら、想像しないことです。想像の結果が嫌なら。

>悟ると苦しみがない。これは、苦しむ人がいないから 苦しみがなくなる。。。に、認識が変わりました。

うん、苦の根源が消滅したから苦が起こりようがない。例えていえば起こそうとしても起こりようがないのです。

>苦しむ人がいない。・・・うん、確かにそれは わからないわ(笑)想像もしようがないわ。

くーさん?(笑)キャラクター変わってる?(笑)あは!(と勝手に苦集滅道さんをくーさんと呼ぶ(笑)

192日和る:2018/07/20(金) 22:29:59
嘘とは思いませんが。。。
やりとりの中で、深い意味はないに、対して、>どんな深い意味??。。??話の噛み合なさと、
>さぁ。。。。っていう回答。
至極希少であろう「そのもの」との対話が、「書込み」と「そのもの」自体に興味が失せました。

です。ね。

193日和る:2018/07/20(金) 22:30:50
あ、ありがとうございました。(もれです)

194苦集滅道:2018/07/21(土) 07:46:12
生涯苦悩ありき(一切皆苦)で、生きるしかないと 思ってきましたが、そうでも ないかなぁ・・・と、心が動いてきました。

自我を終わらせても いいかも・・・って、納得してきました。

苦しみの根本は 自我にある。・・・これも人生の学習知ですね。

たいていの人は、自作自演の苦の正体には届かないし、また どうしようもなく、

生きられないような 苦悩になんて 滅多に遭遇しませんからね。

(遭遇したら、起因にはなる。自我終焉へのね。)

苦・楽を交互に体験している内に 生涯が終わっていることでしょう。

幸いにも 私は、もう 自我の苦悩に あきがきた。

苦悩の度に、自我でそれを解決させていく作業が、面倒なのだ。

いっそ、自我を終わらせて 苦悩というめんどくさい体験値を 終わらせようと

思い始めました。(わりと、真剣。わりと、本腰)

苦悩の根本が 自我だとわかってるのだから 自我を終わらせて 苦悩なき・・・を 過ごそうと思う。

歩き出すか、最後の人の道筋を。・・・と、思い始めているだけ(笑)

195苦集滅道:2018/07/21(土) 11:13:47
まぁ、苦悩という仕組みにあきがきたからといって、終わるほど自我は 甘くないよなぁ〜。苦悩は 仕組みだと思う。こうすれば こうなるという 計算できる 因果応報、原因と結果。その体感・体験が 言ってみれば自我。
自作自演の一人芝居の主人公・自我意識。ここから 経験者が 抜かれた状態が 「  」である。(のだろうw)・・・こう 書いとかないと うるさい人いるからなwww

>至極希少であろう「そのもの」との対話・・・って書いてる人もいるので、聞けることは 何でも聞いておこう(笑)

Q1:おみうけしたところ、ユーモアのセンスもあり、感情の入る文面もちらほら感じとれるのですが、個性・・・って多分に 名残があるのでしょうか?
  
Q2:私達が 持つ、これはこう、あれはああだ・・・といった、固定観念、別名 概念って言われてる 思い込み・・・って、悟り後に、残るの?
  ・・・会話の中で 相手を「こうだ」って 決めてかかるものが、多々見受けられますが、
  人時代?の名残は 相手への先入観とか 経験知からの「こうだろう」といった 分析能力もそのままなのですか?
  常に 新しい 真白の観点から 物事が観られている訳でもないのですか?

Q3:昨今のスピ系ブログとかでは、目覚め・・・というロゴがさかんに使われています。なじみがなくて意味が解らないかもしれませんので、簡単に説明しますと
  自分の正体に気が付く、地上の「夢」から 目覚める、っていう意味合いなんです。
  
『人は その目覚めを目指しているものであり、たくさんの人が目覚めることで、地上の変革・進化向上が著しく 促されていく。全員の目覚めが、目的で、そうなっていく。』
・・・こんな風なニュアンスを語る人がスピちゅあるリーダーと言われる人には多いのですが、・・・この観点っていうのは、全く悟ってない人の 自我への啓蒙と妄想に、私は思えますが、
らぴ。さんは どう思われますか?

Q4:スピに傾倒する人達が、瞑想法を習うにお金かけたり、セミナーや講演会にあししげく通い詰めることは 珍しくもなく、彼らの自由ではありますが、もし 悟りへと向かおうとする人がいれば、彼らの行為は
的を外れたものように 思うのですが、どう 思われますか?つまり 瞑想法にお金かけて、神社参りに時間とお金かけて、講演会の追っかけをすることも・・・悟りへの重要なポイントなのでしょうか?

Q5:よく、世界も個人も 根底は「ひとつ」であり、我々の意識も 根底では「ワンネスの意識」である。そうした ことが、まことしやかにスピリーダ達から語られていますが、
「ひとつ」「ワンネス意識」について 思うところがあれば、教えて下さい。

Q6:この世界(社会・地球上の国々・生きている人達等)は、今のままでいいと、納得されますか?世界の不幸も 個人の不幸も あるがままに思いますか?それとも 違和感を感じていて 進化・変革・変容が
必要であると思われますか?

196日和る:2018/07/21(土) 11:36:09
苦集滅道さんへ

苦が消滅は宜しいのですが、どうも自我という観点はまだ疑問は残るのですね。頭の整理をしてみました。自我の捉え方は同じかなと思い再度書いてみます。「見える」世界は幻想ですと学んできました。
自我が生まれて創造されるものだと。
死して、苦は消滅。自我消滅して苦が消滅する。
このふたつは「見える」の存在が消えるのだ思います。
さて、「見える」世界はそのままで、「そのもの」だから「苦」は一切無い。のでしょうが、それだと自我は消えてますかね。先に記した見える世界は自我の投影ではあり、そう学んで理解してます。
つまり、自我が消滅なら「見える」世界も無くならなければ話が合わないわけです。とすると「見える」世界は自我の投影だけでは無いということになりますね。または、自我が消えたのでは無く、そうだとするなら「意識」に統一されたのではとも。そうすると「見るもの」だけであり「苦」は無い。わかりますかね。ありがとうございました。

197苦集滅道:2018/07/21(土) 13:47:51
うん わかるよ〜〜。

自我が無かったら 死んでるやないかい〜〜〜って ことでしょ?

でもね、らぴ。さんは 生きてる、たぶんね、肉眼で確認してないけど、たぶん どっかにはいると思うよ(笑)

だから、らぴ。さんが ないとする自我と、我々が ないと死んでるとする・・・自我の示すものが違ってる。

だから、自我って何か・・・この共通の認識が最初にないと、お互いが違うものを 自我だと定義しているので、

かみ合わないことは 必然よね?

我々が 自我だと思う 事象?中味?内容?で、らぴ。さんが 保有しているものは、らぴ。さんに言わせれば 自我じゃないことになる。

肉体は たぶん、らぴ。さんも持ってる。アンドロイドでないとすればね(笑)あとコンピュータ頭脳だけっていう線も消せないかな?(笑)

肉体は自我じゃない。で、ちゃんと 考えて話してるよね?(書いているよね)だから 普通に思考回路も 持ってるよね?コンピュータ頭脳かもしれないけどw

で、ウイットにとんだ会話もついていってるから、普通に 人の感性ってあるよね?

たぶん、眼に見えるものも 見えるだろうし、臭いものは臭いと判断する 能力もあるw

おそらく、我々が五官によって 感知・感得するものは らぴ。さんも 同じように 感知・感得できるのだと思う。

肉体の痛みも 痛いってわかってる風だし、切れば血がでるらしいから アンドロイド説は消えるよね?

コンピュータ頭脳だけって線も 消えるwww

たぶん、見た目には 町中を歩く お嬢さん(よいしょw)と 何も変わらない。

すると、自我っていうのは、内面あるものだと、誰にでも想像がつきます。

じゃ、内面にあるものって、何か?

これは、誰に聞かなくても 私なら私の内面にあるものがわかるし、日和さんなら日和さんの内面にあるものがわかるよね?

で、らぴ。さんが 例えば宇宙人で、地球人とは内面が違っているなら、想像もできないけども、

たぶん 日本国籍はあると思うので、その 内面も私達とは変わらないと仮定wする。

さて、私と日和さんが 内面に所有しているもので、らぴ。さんには 無いものがあります。

それは 何でしょう?それが、らぴ。さんが、自我を指し示している ものです。

・・・答えは 全部です。だって らぴ。さんは 内面がないって書いてるからね。

故に 我々が 内面として感じているもの 一切が その内容のどうこうに関わらず、らぴ。さんには

・・・じゃ、じゃん・・・ない。

内面が ない・・・? 内・外の判別認識が・・・ない?

でも 肉体の痛みもあり、眼も見えているし、たぶん 話せる。

肉体の機能も そのままにあるから 生きるには、困らない状態にあるのが らぴ。さんなのだ。

だから 我々が考えている 自我のイメージが たぶん、生命とか 魂とかに置き換わっているので、

らぴ。さんが ちゃんと生きている、ことに 疑問がわくのでしょうね。

君の名誉は はらしといたぜぃw

198苦集滅道:2018/07/21(土) 14:32:22
>「見える」世界は幻想・・・?は、見える世界に「幻想」を加えているように 私は 思いますよ。
だから、自我の消滅は 見える世界への幻想の消滅。私風には ですが。

>「意識」に統一されたのでは・・・これは 私も「  」と自我の溶け込み、とか 融合とか、壁がなくなるとか、
色んなイメージを持ちましたし、自我は最初からなかった、とも定義しましたが、それも ある人にだめだしされました。

なくなったことが わかるのだから、やはり あるものとして認識が可能なのでしょう。
近いのは 心。心がない・・・なんて 想像もつかないでしょう?私もよ(笑)

199苦集滅道w:2018/07/21(土) 15:23:16
心とは?

>体に対し(しかも体の中に宿るものとしての)知識・感情・意志などの精神的な働きのもとになると見られているもの。
>また、その働き。 「―ここにあらず」(うわのそらだ)

意志は自我と らぴ。さんは、言ってるので、知識と感情はどうか?知識は 忘れていくものが大半だが、一時的には記憶に残ってるらしいw
感情は 喜怒哀楽はあるが、僕の喜怒哀楽とは 違っているらしいw

・・・そこから導き出される 答え・・・とは?・・・続く。。。つづくんかい〜〜〜w

200日和る:2018/07/21(土) 15:56:51
苦集滅道 さん
一点だけ。
>「見える」世界は幻想・・・?は、見える世界に「幻想」を加えているように 私は 思いますよ。だから、自我の消滅は 見える世界への幻想の消滅。私風には ですが。
この「幻想」は精神世界の入りはじめに、とあるA氏に問い掛けました。応えはなかったですが、他の方にも期待しましたがなかったです。仏道では「全部、夢の中」と表現されますね。
それから、量子物理なんたらも現実はホログラムという説の発表されてるらしいです。理解するは全部が幻想、夢。しかし、書かれた「個」の幻想も加えられる仕組みと思います。
A氏への質問には、他者間同士の絡み具合はどうなのかも含めての問いでした。その後も一瞥者でも応えていませんね。

201苦集滅道:2018/07/21(土) 17:17:47
>仏道では「全部、夢の中」・・・ですか、・・・らぴ。さんに聞きましょう。
その表現は 的確ですか?

202苦集滅道:2018/07/22(日) 09:24:07
>・・・そこから導き出される 答え・・・とは?・・・肉体を着た「  」。肉体を着た「私」ではない。

203ラピ。:2018/07/22(日) 09:50:49
苦集滅道 さん
>Q1:おみうけしたところ、ユーモアのセンスもあり、感情の入る文面もちらほら感じとれるのですが、個性・・・って多分に 名残があるのでしょうか?

かつての私とは違うかもですね。かつては結構真面目でしたから(たぶん笑)
例えて言えば、もう固定するものがないので何にでも応用が利く、といった感じかな。
適当です(笑)しかし嘘はついてませんよ(笑)

>Q2:私達が 持つ、これはこう、あれはああだ・・・といった、固定観念、別名 概念って言われてる 思い込み・・・って、悟り後に、残るの?

これは苦集滅道さんがそう捉えているだけで実は違います。
悟りについては私の状態を言えばいいわけで
私の状態でそういいようがないことについては「違うよ」としか言いようがないです、
それでいて、そう例えることができないよ!ということがほぼ全部、なんです。

私の状態でそう例えれないことについて、別に指摘する必要もないのですが(どう思おうと自由ですもんね)
それでいいなら、否定はしません。そう例えられないけど、苦集滅道さんはそう思っているのね、で終わりです。

>Q3
説明ありがとう。目覚めも気づきも私からしたら思い込みだと思います。
しかし、そう言いながらそのご本人が苦から解放されているならいいと思いますが、、。
しかし、私の状態では目覚めもないし、気づきもないです、
なぜそんな言葉を使うのだろう、私の状態ではありえない、という時に
それは悟りではない、という言い方になります。

>Q4
そのようなことは全く必要ないことが、私のかつての経験からわかると思います。
出家、ひつようなし!お金、かける必要なし!
>瞑想法にお金かけて、神社参りに時間とお金かけて、講演会の追っかけをすることも・・・悟りへの重要なポイントなのでしょうか?
全く必要ありません、もちろん自由ですが私はそういったこと、やってなくて今の状態になったので。
神社詣りについては心の支えくらいにはなるのかな?なぜ行くのかな。

>Q5「ひとつ」「ワンネス意識」について
どういう例えでそう言っているのかわからないけど 例えば誰かが本や記事などで一度そう表現すると
それに当てはまる事柄を自分で見つけて「ワンネス意識」と言っているんじゃないかな。
多分、 それぞれが「ひとつ」「ワンネス意識」という言葉を使っても
それぞれが違うことを言っていると思います。(それぞれが違く感覚)
私の状態だと感覚そのものが例えて言えばないので、そうなったら(例えて言えば悟ったら)誤解しようがないです。

>Q6
言いたいことはわかります。
基本に戻れば私の状態では世界がないので、そして何もできないのですね。
しかし言えることは私の状態になれば
誰かに危害を加えたり、自分のことだけを考えて周りはどうでもいいということはあり得ない、ということです、対象がないから。
そして私の状態では苦もありません。
例えですがうまく伝わるといいです。

204ラピ。:2018/07/22(日) 10:29:16
>自我の消滅は 見える世界への幻想の消滅。私風には ですが。
この表現だと、世界はあって、その世界を幻想と捉えることなく世界そのものを見ることができる、という意味ですか?

>この「幻想」は精神世界の入りはじめに、とあるA氏に問い掛けました。応えはなかったですが、他の方にも期待しましたがなかったです。仏道では「全部、夢の中」と表現されますね。

まず、普通に生きていたら幻想は存在します。
どうやっても幻想はあるんですね。
どうやって悟るかというと(←例えですが)その幻想を利用します。
愛という幻想を心底精一杯生きていくと幻想は存在できない状態になって幻想の愛が消滅する。するとどうなるか?そうなる。
(愛という幻想を否定しない。これらは喜びを生むのだから、ある意味、素晴らしい)
心底そこまで精進することが大切です。

>理解するは全部が幻想、夢。しかし、書かれた「個」の幻想も加えられる仕組みと思います。
>A氏への質問には、他者間同士の絡み具合はどうなのかも含めての問いでした。その後も一瞥者でも応えていませんね。

人の世界はある意味、幻想で出来ていると言えるかもしれない。
思い込み、誤解、言っていることが伝わらない、この時点で例えて言えば幻想。
なぜなら、自分はそう言っていないのに、とうまく伝わらないことが多々ある。
本当に幻想でなく真実であれば必ずみんなに伝わるはずだから。
そして伝わらない、誤解されることから苦は生じる、ご存知の通り。

その幻想を打破するために精進して幻想の原因である「思い込み」「誤解」「人それぞれ違う」が消滅する。

悟った人と、そうでない人の間では
そうでない人に疑惑、誤解が生じている。(この掲示板でもそう)
しかし、悟った人からしたら全部見えているので、疑惑も誤解もない。

言っていることが伝わらない、と思われているかもだけど
そもそも的外れな内容(質問)は、応えようがないです。
言いたいことはわかるけど、、、という感じもある。
または幻想を言っている場合、本当にわからない。(つじつまがあっていない)
だから誤解なく「わからない」と例えていえば言う。

>理解するは全部が幻想、夢

これが真実だとして、ではどう生きるか?
私の場合、普通に生きている間は「絶対的な真実がある」と信じて精進しました。
全部が幻想、夢だからどうでもいいや〜、では全くなかったです。

幻想も夢もいいじゃないですか。
それが真実への道の一歩になるのですから。

まぁいろいろ自由ですが、かつての私ならこの世界が幻想であろうがなかろうがどうでもいいことであって
ただただ自分の真実を生きるのみ、でした。

205ラピ。:2018/07/22(日) 14:17:32
>Q2:私達が 持つ、これはこう、あれはああだ・・・といった、固定観念、別名 概念って言われてる 思い込み・・・って、悟り後に、残るの?

ちょっと答えがずれていました(;・∀・)
残らないです。
でもこういう質問が出る時点で
悟っても残ってるんじゃないの?と感じているのでないでしょうか。
そして上記の文章に続きます。

206日和る:2018/07/22(日) 20:56:48
性格は変わった、苦が無いと自由に書き込めるのでそう言う意味で性格が変わったとはいえず、普通はタガはずれるという、本人の言われるストッパーが外れると同じででしょう。また、この掲示板に書き込むには知識が必要。その知識はいわゆる智慧からなのか。いや、従来の名残肉体の記憶なのかどうかという疑問は残りますね。智慧としても日本語、外国度多岐言語はある。他言語なんてなんでも可能よ。っていう智慧なのか。
そのあたりの自己(?)分析されたかどうかは、どうなんでしょうね。苦集滅道 さんどう思われますか。(という手法)

207日和る:2018/07/22(日) 21:02:27
分かってはいたが、長期間A氏のブログに居座り続けたのがほんと「無駄」だったとは思う。と、苦集滅道 さんへグチを言ったりした。いま。。

208日和る:2018/07/22(日) 21:11:32
過去の私。という照らし合わせが出来るわけだから、この掲示板で表現も出来るだろうと考える「過去の私とそのもの」との比較は、自己分析という表現が合ってるかどうかはわからないが一応注釈ふうに書いてみた。苦集滅道 さんと私が知りたいのはそういうことだと思いますが、苦集滅道 さんどう思いますか。

209日和る:2018/07/22(日) 21:23:30
「見える」という視覚的な要素なのだが、悟る前後の視覚的差があるのかないのか、いや、それはもう世界的でも宇宙にも拡大可能だというSF的視野にもなれるんですよ。なんて言ったら苦集滅道 さんどうします?。

210日和る:2018/07/22(日) 21:34:28
苦集滅道 さんへ
性格は変わった、。。いやなんでもなれると書いてあるので、ココは無かったことに。

211苦集滅道:2018/07/22(日) 22:03:42
らぴ。さん、お応え頂き ありがとうございました。完全に 答えになっています。(わかる わからないは別としてですが、w)

聞いたことに関しては、もう疑問はありません。というか、疑問の出所自体が 呑み込めました。

驚くべきことに、これだけの長い会話の中で、一貫した状態を言葉にされてますね。そこが、ぶれてない。
私なんかは 考え方を変えることや、思いを変える事で、色んな変化や状況や立場や気分といったものに
対応しようとしますので、一貫性なんてなく、その場 その場で生きてますが、
卓越した人は その根本自体をとらえてられるのでしょう。
変わるものが ない。
変えようとするもの自体が すでにない。と、お見受けします(って時代考証せえよ、w)

聞いて得た 答えは、基本身につかないもので、思考知に 居座るだけですが、私は そうはさせないですから。

なんか わかりませんが、今 聞いていることには それなりに意味があるものと思います。
そういう意味では 日和さんも これを読まれている読み手の方も 同様であるはずです。

お互い、そうなんだぁ〜〜、そういうことなんだぁ〜〜〜で、終わらないようにしましょう(笑)

212苦集滅道:2018/07/22(日) 22:27:13
>そのあたりの自己(?)分析・・・分析しつくしたので、全部なくなったのではないかなぁ?瞑想で観るもの(内面)が・・・じゃじゃん♪・・・ない・・・って、普通書けない。
ハートに集中して ハートを拡大してって、言ってる人もいるけど、そのハートが・・・じゃじゃん♪♪・・・ないのですよ。だから、瞑想する意味がないって・・・書いてる人は初めてです。
やっぱり、ハートとか、心とかって、自分でないものを指しているのでは ないかなぁ〜?認められるものは、直接の自分では ないですよね?認識できるものは、自分の外ですよね。

私は らぴ。さん個人を信じてるわけでなく、らぴ。さん個人の考え方など どうでもいいですよ〜。
「  」そのものにある状態?にしか 興味ないですよ。聖者探しに 興味はないですろ〜〜w

私が・・・「  」そのものでありたいのよね〜〜。

>「無駄」・・・って わかったのは 本物に近づいたからですよ。。。大いなる 無駄さに・・・乾杯www

213日和る:2018/07/22(日) 22:54:15
苦集滅道 さんはそうでしょうけど、私はまず、「仕組みに」興味がありますね。
「そのもの」ったってこういう「掲示板に書く」文字、文章、理論ってどっからで出てるの?って考えますね。
「そのもの」、「無」、「何もない」「誰でもない」だったら、[書かない」「書けない」「なんもしない」で終わる思います。
「こういうやり取り自体成り立たない」思いますね。
でも、こうやって書いて、やり取りできる不思議さです。書くには「知識」って必要でしょ。それはどっから?
だから、その元はどこだってことですね。「 」にほど遠いから仕組みは知っておきたいんでしょうね。って自己分析。

214日和る:2018/07/22(日) 22:58:20
>「 」にほど遠いから仕組みは知っておきたいんでしょうね。って自己分析。
いや、いま思う、こういう考え方、(仕組み)昔から、いままでも、そういまも。。。あるって思った。を書く。

215日和る:2018/07/22(日) 23:02:37
他力じゃないって書いてた。確か。なら、自力?そのものは、自力なのか。(メモ代わりに書く)

216日和る:2018/07/22(日) 23:23:53
「無駄」。。いやA氏には、始めから「おかしい?」があって結局「間違い探しの執着」をやってた自我の性格でしょうね。いまもか。いや、これぞ仕組みを探る手段ってことも。

217日和る:2018/07/22(日) 23:48:12
「思い込み」これはいえる。、。最近そう思ってた。なにしろ、PC に弁天様はでるし、つい最近は韋駄天だって。なんですかぁ。。。「祈り」やら、「まんとら」ってね。(夏祭りで酔いました。とさ、あ、Aさんです)

218苦集滅道:2018/07/23(月) 07:39:01
>「そのもの」ったってこういう「掲示板に書く」文字、文章、理論ってどっからで出てるの?って考えますね。
>「そのもの」、「無」、「何もない」「誰でもない」だったら、[書かない」「書けない」「なんもしない」で終わる思います。
>「こういうやり取り自体成り立たない」思いますね。
・・・うん、私もそう思ってたから、探りを入れてきました(笑)
だから、何を自我としているかを質問に混ぜ込んで 聞いてきました。
私の思っている自我がないとしたら、すでに死んでいる人なのですが、どうやら生きてるらしいので、
私が思っている自我の定義が彼女とは違ってると思います。
「  」そのものでも 生きている。で、生きるには困らないことを彼女は しきりに書いている(聞いてもないことも含めてね)
生きることは、できなくなるはずって私は思ってきたけれど、どうも そういうことにはならないらしい。
で、ここで私の頭の中では、超絶な整合性を求めての「考える」ことが起きてくるのだけれども、その一切を終息させて 今は それほど考えていないです。

で、理論的に書くとすると・・・

自我って、最初から無い。無いものを有るとしている「だけ」。
「  」でしかないけど、今は 肉体という「よりどころ」を得ているので、
記憶・思考・感情・肉体感覚・社会的な配慮・認識・意識・個性(概念・観念)
が 持てています。
・・・ここに自我っていう定義を持たせて 認識しているのが「私」という「意志」です。
で、「私」という「意志」を自我って 総称している。
記憶・思考・感情・肉体感覚・・・といったものは、記憶・感情・思考・肉体感覚でしかなくて、「私」とは言えなくなる。
そこが 自我がなくなる意識上の場所ですね。

「  」の後(上)に自我があるわけでなく、「  」の以前(下)に自我があるものでもない。
肉体として生まれたトキから、その肉体感覚、五官によって、頭脳が「自我」なるものを「想定」します。
この単に 想定されたにすぎない「自我意識」をあると言ってもいいし、無いといってもいい・・・表現者のセンスによるものです。

>文字、文章、理論、知識、社会通念、常識感覚、生活態度、こみゅにゅケーション能力、個性・・・は 記憶からでしょうね。
単に記憶であって、そこには 誰もいないのでしょう。記憶そのものを自我だと定義すれば、自我がないは 嘘になり、定義しなければ 自我がないは 本当になります。

前者と後者が かみ合うことはないです(笑)

219日和る:2018/07/23(月) 08:45:32
苦集滅道さん。すばらしい。
私も自我意識というのが表現すればですが当てはまるというか、簡単に言うとその自我としてたものが「思い込みだった」、
そうタガがはずれたのだと思います。「強固の思い込み」がはずれるのは簡単ではないでしょうが。。。
すると痛みやら感覚、なにより、よくいう「ありのまま」見えるということでしょう。
いずれにしても、至極稀な希少な「そのもの」さんとの会話ができたのはこれからの苦集滅道さんにとって善いことには違いないですね。
って、私は電柱の陰から聞き耳たててましたよ。

220:2018/07/23(月) 09:15:46
皆さん小難しく考え過ぎです。

赤ちゃんの頃は「 」でした。その後、物心がつく=自我が芽生えます。
意志力という自我の一つを強化し筏にして、その他の自我の激流の中を渡る事で至ります。
至れば筏も激流も私も世界も無い「 」に。体は大人のままで。

そうした覚者といえど物質である肉体の期限はあります。いわんや、修行の道にすら立っていない者をしてをや。です。

それともう一つ。本物の覚者は夢を見ないと思います。
夢に限らず、見る者と見られる者がいません。なのに身体には眼があって映像は映る。
それは想像もつかない有様でしょうね。言葉にしようがないから、だってそうだもんとしか言えないかも。笑


さて。お邪魔しました。私もまた持ち場に戻ります。

らぴ。さん。ご無沙汰しております。あれからの私はコツコツ歩いていますよ。命は案外短いのです。
こうやって時折、あなたがまだ居るか覗いて確かめてしまいますが (すなわち気が散ってます)
いつか道の終わりにたどり着き、まだその先に行きたい誰かの為になりますように。

221苦集滅道:2018/07/23(月) 16:39:16
楓さんが きれいにまとめてくれて、らぴ。さんの解答も 日和さんの疑問も 私には、過去を洗い流すには 充分な「素材」となりました(笑)

みなさん どうもありがとうございました。(って、しきってんじゃね〜www)

222ラピ。:2018/07/23(月) 20:55:37
楓 さん お久しぶり!

>命は案外短いのです。

うん、そうだと思う。後悔ないよう、だよね。
書き込み、どうもありがとう。お元気そうでよかったです!

いつまでも応援しております!

223ラピ。:2018/07/23(月) 20:56:41
苦集滅道さん

しきってくれてありがとう!
ほんとに、ほんとに!

@(*・ω・*)ポッ

224ラピ。:2018/07/23(月) 21:15:20
ちなみに瞑想は悪くないと思いますよ。
ただ瞑想にお金をかける必要はない、という意味です。無料でできるよね。

ちなみに私はかつては日常を瞑想としていましたので(例えですけど)
目をつむって静かにすごす時間を作る、といった瞑想はほとんどしたことがありません。

生きることが瞑想となるよう生きました
瞑想となるよう、という表現はちょっと変かもしれないけど
例えて言えば精進すること=日常=当たり前
という感じでした。

普通に日常を生きて、それが終わったら瞑想、って感じだと
瞑想の時間がすくないな、と思いました。
24時間、無駄にしたくなかったのです、かつてですよ。

225苦集滅道:2018/07/23(月) 21:15:44
そろそろ、あなたの今の記事を 読ませて下さい。あ 私には もう 伝えることがないかなぁ〜〜〜・・・なんちゃって!

226inri1225:2018/07/24(火) 00:14:03
>そろそろ、あなたの今の記事を 読ませて下さい。

これがエゴですよね。こういう思いが出る余地が無い程に精進すればエゴの居場所が無くなり勝手に消滅すると何度も書かれてますよ。
精進、精進また精進ですね。
たとえ納得できる答えが出たとしても想像出来る範囲ならそれは違うという事ですよね。
エゴの働きに無駄なエネルギーを使わないのが本当のエコですねo(⌒0⌒)o。
神社に鏡が祀っているのは、カガミの真ん中のガ(我)が抜けるとカミになるという教え。
わからないものを分かろうとするのもエゴの働きですよね。

227苦集滅道:2018/07/24(火) 05:55:23
inri1225 さん 善意なコメントありがとう。

お互いに 精進に励みましょう。

ちなみに、これがエゴですよね。・・・は、思い込みですよ、受け止め方は自由ですが、私の意図は そこではなかったです(笑)

228inri1225:2018/07/24(火) 07:35:12
これは失礼致しました。

何事にも負けず突き進む強靭なエゴは善玉エゴで激流を渡るイカダとして使うとも書かれてました。

お互いに最後まで諦めないで頑張りましょうね。

229苦集滅道:2018/07/24(火) 08:10:52
楓さんにも あなたにも も少し ↑の方で、お会いしたかったです(笑)

230日和る:2018/07/24(火) 09:38:21
まぁ、作業を没頭するなどは、「そのもの」にはなれる気はします。
が、はたして対人はどうなんでしょう。相手への思いやり、場の空気なんてそんなものはなく「そのもの」として「見れる」で対人のやりとりができるのか。
「なんもしない」「なにもしてない」いふには。。。「流れ」である。としてるのか。(めも、めも)

231ラピ。:2018/07/24(火) 18:35:24
苦集滅道さん

まだまだ突っ込みたいことはあるかも、、、。(笑)
しかし、書くことがないです、例えて言えば(笑)

ブログの方ではコメントのやり取りが更新されています。
よかったら!@(*・ω・*)ポッ

232ラピ。:2018/07/24(火) 18:38:35
inri1225さん

お久しぶりです!書き込みありがとうです。

エコに座布団3枚!(笑)
そのパワーを日常に生かしていただければ
日常もよくなるし、いろんな点で良くなりますね。

ありがとです@(*・ω・*)ポッ

233苦集滅道:2018/07/24(火) 19:12:21
>そもそもなんもしてないんです。・・・らぴ語録187頁よりの引用w
・・・これね〜、読み取りにくいですよね。
何もしていないが、何かしているようにしか周りには見えませんからね。
>何もしないというのは、何もしないもするもない。
>する、しない、のしないではないのはご存知ですよね?・・・同らぴごろくよりの引用

以下にらぴ語録未収録集wからの引用です。
>ただし、何もしていない、というのは「何もしない」と決めてそうするのではなく
>何もできない、のほうが表現的に近い。
>自我がないからできない。しかし、できてしまう。
>それを「〜することなくする」と言っています。
・・・うん、すごく難解で わかりにくいですよね?
私はね、ヒントを体験してます。二瞥目って、らぴ。さんには、全然受けなかったけど(笑)
日常生活の中で、何も 起きていない、起きようもない素の空間を経験?してるので、
「  」には、何も起きようがない、何も起きてなどいないことを知ってます。
何かが起きていると判断してるのが、頭の中でした(笑)
もし、私が「  」でなく、頭の中が私自身だと思いこんだら、私が 考え、私が 悩み、
私が 空気を読み(笑)私が対人とのやりとりをしている・・・流れがあるとかないとかも私が考えているように
思いこむでしょう。この文面の「私」がいない(らしい・・・って書いとかないと添削されるからなぁwww)
この文面で言えば、最初の「 」だけが いつもある状態?(でないけどもw)にあるのが、
悟り人(らしい・・・以下同文w)

これで 日和さんなら、読める(理解の方ね)でしょ?

234苦集滅道:2018/07/24(火) 19:30:16
@(*・ω・*)ポッさんへw

>書くことがないです・・・これは わかります。しいて言えば 全部ここに書いてますしね(例えていえばw)
いらん気ぃつかったかな、私。(らぴ。さんには これで通じますのよw)

ブログのコメ欄ね〜〜、すっごい難しかったよw 脳天から煙でましたからね〜www

もしかして・・・誘ってくれてる〜〜?

(*・ω・*)ど しよかなw

235日和る:2018/07/24(火) 20:08:49
そう、わかります。追加で、赤ちゃんの時って表現がありましたが、もし、その赤ちゃんの時、悟った人つまり「そのもの」になった人が、私へその事を教えようと「表現」ってできますか?
対人への対応?、年を経てつまり学力、経験を経て対人対応のいまがあるわけでそれを「知識」「社会通念上」っていいますね。それなくして「いまのブログも掲示板のやりとりもできませんね」
それから、その幼児段階で悟った人(らしき)方もいまして、その方はそう、「ご苦労なさったそうです」わかりますよね。「知識」の漏れ、「常識を知らないががないため」、「社会通念が理解できないでそのまま歩んできたわけです。
わからないをわかろうとするがエゴって書き込みもありましたが、『ベース』になるものも『必要』だし現にそれを元に『成ってるとお見受けしてます』といいたいわけです。。。。。これも、通じないかな?何が言いたい?何が聞きたい?

236日和る:2018/07/24(火) 20:16:25
エゴはエゴイストに特定しがちに思うんですよ。苦集滅道 さんと私がいってる自我は、そのエゴというものだけでなく、生まれて学んだ知識というものを正確にはあるでしょうということです。全てが悪い要素ではないですね。『精進』には全く知識は論理は使いませんか?

237苦集滅道:2018/07/24(火) 21:00:51
>『精進』には全く知識は論理は使いませんか?

いい観点ですね。精進は いらないです。知識も論理も 精進だけに関わらず 無意味です。自我=知識論理と言い換えても いいぐらいです(笑)あと、聖者の言葉と その意味合いの「模倣・コピー」ね。それも 無意味ではありますが、
とりあえず、有意義な人生は送れるでしょうね。無駄に 過ごすよりも 聖者の言葉やその意味合いを コピーして それをよすがにして 生きる方が ずっと気が利いています。でも 悟りとは無関係ですね。

そこに気が付くまでに らぴ。さんが精進を重ねただけであって、精進と悟りは「無関係」です。

らぴ。さんが、精進しないといけない・・・って結論を持ってるわけではありません。ただ 読んだ人は 「そうか、自我を目いっぱい経験しきらないと 悟れないんだ」って 思うことは、別に害はないですね。

むしろ 悦ばしい。原因と結果の因果関係は 自我には必須の項目です。自我を めいっぱいのばせば、自我が 終わるって考えることは ある意味では「進化」です。

238苦集滅道w:2018/07/25(水) 18:38:33
我ながら くだらないことを書いてましたね(笑)あまりにひどいので、つっこみようもないかw

さて、らぴ。さんの登場で、悟りって そんなカンジなんだぁ〜〜〜ってことが、なんとなく 腑に落ちました。誰も 悟っていない中では、悟りって観えてこないですよね。
釈尊さんは、悟っていたのだろうけど、時代が古く、経典の解説とか読んでも、らぴ。さんの悟りの観念?とは、違ったものです。どこか 曖昧で、遠巻きに眺めてる印象をうけるかな。
とんでもな 悟り解説って、たくさんありますね。らぴ。さんの解説を基にすれば、ですが。

で、らぴ。さんの解説が 本物であれば、あるほどに・・・その悟りの状態?は、雲の上にあるようなもので、そうなれる(至る)・・・なんて気は 全くしませんね。
夢の中での 夢見さえも 打ち砕かれました(笑)

らぴ。さん
自我の世界で 自我が終ると この世界はどのように 映りますか?

239苦集滅道w:2018/07/25(水) 19:15:48
記事のコメ欄から、ひとつ聞かせてください。(まだ、続いているようなので、ここで聞きます)

>かつてのかつては「自分を捨てて」を実践していましたが
>最後の道では自我への挑戦でした。
>よって最後は自我の放棄ではなく、挑戦でした。

自我を捨てての実践から、自我への挑戦で、至ったと大筋として理解しますが、自我への挑戦を激流に例えていますか?
どうも ぴんと来ないのですが、自力で総てが終ったのでしょうか?自我の延長線上で 総てが終ったのでしょうか?
その結果が、自我がなくなって なにもできない・・・と 表現されてますか?

・・・自我への挑戦・・・って、例えが よくわかりませんのですが?

240ラピ。:2018/07/25(水) 23:35:07
色々書かれているけど、違うなぁ、、、
まぁ、自由です(笑)

私がしてきたことは自我への挑戦、例えて言えば限界への挑戦。
限界に挑戦している時、自我が言うよね。
(もうやめたほうがいいんじゃない?死ぬよ?大丈夫?これ意味ないんじゃない?)
この言葉を無視してさらに究極に精進したのです。

そしたらある時、その挑戦が終わったのですね。
終わらそうとして終わったわけでもなく
自分が終わった、と決めたわけでもなく。
挑戦しようとしても挑戦する人がいなくなった。

何もできなくなったのです。例えて言えば。

241苦集滅道:2018/07/26(木) 07:56:12
らぴ。さんはたいへんだなぁ〜と思う。悟ったから悟ったと書いてるだけで、それは どんな状態で、どうやってそうなったのかを
しつこく追及を受ける(笑)ほんとは説明するような義務も必要性もないのだけれど、応えずにはいられない。或いは 答えない理由もないので、
答えてはくれる。そうやって 真摯に応えても、相手(私)は強固な自我の塊なので、そのままが伝わることもない。でも そうしたことも気にはならないのでしょうね。

時折、書かれる(何を考えようと、受け止めようと)自由です。の言葉は、自我で生きてる人には、様々な人の持つ個性の自由として受け止められるのでしょうが、
そうではないはず、自我が何を考え、どんな反応(感想や意見)をしようとも、本質には無関係・であるが故の 自由なのでしょう。
これを読まれる人の中には、突き放した言い方に聞こえる人も いるかもしれませんが、そうではないことを補足しておきます。

さて、思考(人間が考えたり 思ったり、理論だてたことなど)は、日替わりで変化し、トキにはさっき考えていたこととは正反対の結論を
持ったりしますので、全く あてにはなりません。その場その場で変化して、思考そのものが不変なる事実になることはないでしょう。
私も 思考そのものが真実だと 思いこむことが少なくはありませんが(笑)

そんなこととは 無関係に、不変なる自己を突きとめていこうと思っています。

興味本位や自己の考えとのすりあわせの為の質問など、自我のある人なら 無視されるような低位な発想に、誠実にお応え頂きまして
ありがとうございました。

242日和る:2018/07/26(木) 13:50:09
苦集滅道さん
彼女のいまのブログは読みましたが、そう、何をやったかがわからない。ですが、その前のブログで書かれてたのでしょう。仏道でいえば『「成りきり」の継続』かと勝手に想像します。
成りきりについては、否定はしません「没頭する」ことで自身が消えますから、しかし、継続されて日常生活、そのまま生きるは疑問が湧きますね。何をされたかで「考察」は可能ですが。。
成りきり。。そう、坐禅の「坐るが坐る」あのフレーズです。

243日和る:2018/07/26(木) 17:39:33
坐ったまんま。。。戻らない?ヒトっているのでしょうか? 違う表現で、坐ったまんま日常生活に戻る? (もれです)

244苦集滅道:2018/07/26(木) 18:16:50
日和るさんへ

「 」そのものを体感した人が、「 」そのものになり切ることはないです。もともと「  」だから、なり切るのは自我の行為です。
とりあえず、一瞥の体験者が、「 」になり切ろうなんてことは 無意識であっても 在り得ないです。
だから、今 私は自我を生きてることが 明確に自覚されています。

あの「 」の空間は 今には どこにもありません。ですから その空間に生きている らぴ。さんに すごさを感じています。

普通は 悟った人って聞くと おお それは すごい・・・って思考が反応しますが、私の おお、すごいっていうのは 悟りの状態で
この地上を生きられていることに対してです。「  」そのものは、すでにわかっています。で、その感覚がしばらくは続くことも経験済で、
苦悩のしようがない精神状態も 二年位は体験しましたが、それは 今には続いてないです。で、そのトキの状態が「 」のままなのか?と言えば
私にとっては、ごく普通の状態でしかありません。悟ったなんて自覚は起きない「  」ならばね(笑)

だから、悟りがその状態が続く事、変化しないことを らぴ。さんが書いてますので、それが 事実なら、驚愕すべきことなのです。

肉体に付随する 後付けされた意識が自我です。肉体があれば、自我は在り続ける。この認識を らぴ。さんは覆してみせたのです。

245苦集滅道:2018/07/26(木) 18:43:30
>坐ったまんま。。。戻らない?ヒト
>坐ったまんま日常生活に戻るヒト?

面白い観方ですね。

「  」は実際の我ですから、いったきり戻らなければ、地上は虚無で夢で幻で 相手にしなくなります(笑)
いわゆる暗黒の世界観、現実が「無」で、あの世が「有」へと逆転したままです。アブない人ですね。その場合は。

で、現実に引き戻すのが自我の意識。とりあえず、生きてる間は 自我が必要となるのは、いったきりだと生活できなくなるからね。
そこには、自我への「理解」が必要です。一瞥あたりで、地上も自分も「夢」なことが 認識されます。
じゃ、なんで自我という夢が 見られているかと言えば、肉体の眼や機能が、認識を可能にしていて 頭脳に集積された知識情報学習知、
趣向や概念・観念といったものが個性という塊をカタチづくります。それが、自我。
だから 自我で生きることに 何も 不思議さってないんです。普通、そうでしょ・・・の認識でしかない。

そのことが、腑に落ちると「  」が自我を生きてることに 違和感がなくなるし、別個のものとしての観点って抜け落ちる。
肉の身の経験が 自我を成り立たせているだけのことで、「  」に変わりはないです。誰もがねw

で、座ったまま日常生活に戻ることが できるのは、自我の意識そのものを 見抜いた人ね。
それ以前に「  」の体感は必須ではあります。そこで 精神の仕組みは全部わかるようになってます。
自分への疑問は その時点で消えます。わかるから。単に。

ま わかったとは言っても、自我に左右されることは 避けられなくて、それさえも 自覚して 生きることが可能となってます。
私の場合だと、くだらないたわごと(思考の変化する様、別にどうでもいい脳内での論理・感覚)だと、自覚はしていても、書かざるを得ないとかね、
無意味だとわかっていても、当面必要があれば 書いてみる、とかね。極論を書けば らぴ。さんの経験もどうでもいいこと。私の持ち物じゃないからね、
でも達観してみても うずくものがあるので、こうして 足しげく通い詰めて、無意味な会話に 意味を持たせたりしています(笑)

まぁ、私も日和さんも 自我である場面で 考えることなんて、同じようなことですよ(笑)
だから わかりあえる・・・ともよwww

246日和る:2018/07/26(木) 19:04:20
何れにしても、「そのものは」全知全能ってわけではなさそぉー。はわかりました。
しかしながら『苦』は無くなった(小さな、細かな苦はありそうな?)ということと、他力ではない、じゃ自力か、いや、「そのもの」というでしょうが、結局、自身とか、「個」の範疇、言い換えれば個の身の回りだけのことであり、つまり神の領域や、宇宙規模のようなとまでは言えず。。
ぐらいが途中経過。・・・何か言いたい?何か聞きたい?

247苦集滅道:2018/07/27(金) 07:07:30
日和さんは、自我とエゴを同じと認識していますか?それとも 自我は肉体感覚をも含めての自己で、
エゴっていうのは その中の独善的・利己的・自己顕示・自己中心的な素養として認識していますか?

私は後者で、自我=エゴという意味を持たせてないです。エゴっていうと 何か人間の悪い側面っていう印象を受けます。
自我がない・・・は、肯定できないけど、エゴがない・・・は肯定ができて 自分もそうありたいと思います。

そんなことかもしれませんし、そんなことではないかもしれませんが(笑)

248苦集滅道:2018/07/27(金) 08:02:01
自己中心・自己保存の思考・行為を 戒めていくことは、実践として成り立ちますね。
目的と結果が一致します。自我を消す?となると、結果には 消そうとする自我がいませんので、目的と結果に矛盾が生じます。

エゴを 戒め、自己中心から利他中心へとなるように 精進を試みようと思う。

一瞥の後の数年間って、自我は最初からないことがわかったので、自我をどうこうしようって気分にはなりませんでした。
でも、自我で生きるしかない諦めの中にあって、自我に向き合わないと すすめなくなっていました。

・・・起死回生の一手は。。。エゴイズムへの挑戦。

249苦集滅道:2018/07/27(金) 10:42:38
らぴ。さんへの質問で始まって、私が得た回答は エゴなき我を目指す行為(精神の)そのものです。

らぴ。さんはじめ、おつきあい頂いた方々に感謝申し上げます。とちゅう、生意気なことを のたまっていますが、
エゴって そういうものだと ご理解下さい。www

250日和る:2018/08/16(木) 18:53:42
らぴ。さん、おひさ。ぶりです。
コメントの「大丈夫」。そうですね。まったく使い方は同じ、この世だけに使う言葉です。
苦集減道さんのA氏の死んでも大丈夫のニュアンスはおかしい思ってます。
それから、一生懸命生きるもいいですね。これっておそらくですが、仏道「成りきり」と同じと思いました。
「いつも瞑想」も分かる気がします。
ということで、らぴ。さんは「そのようだ」とは思います。

さて、しかしながら、掲示板でいろいろ書きましたが、どうでしょう文章の捉え方の差異という観点から、
「そのもの」であるは、エゴが無くなって「自分」「他人」つまり自他の境界線がなくなったことを言われてるように思えるのですが
苦集滅道さんも書かれた>エゴなき我・・のことなのでは・・・
対象がない。だけでは、普通に読むと、「対象物が見えない」ともとれます。そうではないでしょう?

だいぶ日が経って書込みました。

251苦集滅道:2018/08/17(金) 18:59:22
日和さま  お久しぶりです。
小池龍之介住職という方が、Aさんと同じようなことをブログの対談で言ってます。

http://www.ohtabooks.com/press/2017/03/31115800_4.html

ジェットコースターを降りる・・・のくだりと、降りてるには、持続的な訓練が必要である云々のくだりって、
Aさんとかが言ってることと一致すると思うのですが、如何でしょう?

私は これを読んで、なんと単純シンプルだけど・・・できかねる(笑)と思いましたよ〜。

252日和る:2018/08/17(金) 20:47:14
苦集滅道さん。
小池さん自身が、議題も「死の恐怖」に対してで、体感しわかり、それを、自我の小池さんが「納得の感想として大丈夫」と使ってる普通の表現だと思います。(ってか小池さんについては否定しない)
A氏の「大丈夫」も普通に取れることも多々ありますが、。。。もう忘れましたがまったく理解出来なかった「大丈夫」の使い方の印象だけが残ってて。。って感じ。です。
>・・できかねる(笑)と思いましたよ〜。。。。ですが以前からっぽを確認できるって書いてませんでしたか?同じ事だと思ますが。。。らぴ。さんのは、なんか幼少時代から「自我(エゴ)を消すことを長期にやってきたと何処かで読みました。結局は同じ思いますね。
小池さんは普通に自我ですが、瞬間、瞬間、あの隙間という表現では確認できるようですが、(例えです)そのものと理解します。つまりジェットコースターを降りれる。らぴ。さんは降りたままの継続でそのままという、そのようである。

253苦集滅道:2018/08/18(土) 08:13:11
日和さん、私もそんな風に思います。

Aさんも 小池住職も 降りた場面においては 同様の状態にあると思います。ジェットコースターに乗ってしまえば 個性とか執着とか
普通に使っているでしょうね。説き方もアプローチも、お二人にはやはり個性があると思います。
私達が マッチするかしないかだけでしょうね(笑)

254苦集滅道:2018/08/18(土) 10:55:36
ジェットコースターから 降りたことがあります。死んでもここにくるなら、全然怖くなくて むしろ安心・安全・至福・静寂なので、
はやいとこ ここに戻りたいものだ(笑)と、今でも思っています。
その精神状態が、Aさんにも 小池さんにも、常時ではないにしても、継続はあるのでしょう。
その継続を妨げているのは、生きて身に着いた理解と認識、思考と記憶なのでしょうね。
その状態をジェットコースターに乗っていると表現するならば、では そこから降りるには 如何なる方法か精神行為が必要なのだろう?
となります。両者共に瞑想・禅定を選んでいます。私は本格的な?瞑想も禅定も 一瞥以後は行ってませんが、内観という大雑把な精神の行為は
幾度となく行ってきました。その中で、問題意識自体が浮かばない感覚、何も内面にはない「からっぽ感」もありますが、いつも それらは
通り過ぎていくだけで、気が付けば また 自我の苦悩に入っています(笑)
今は もう、苦悩は苦悩として苦悩していることに気が付く事が精一杯で、降りた状態にある 苦悩がそもそもがない場面には 出逢ってないです。

Aさんでも 小池さんでもが書かれる文面からは、降りればいいことが理解はされますし、その通りだとわかってもいますが、
実際に そこに降り立つには、簡単なことではあるという理解はあっても、行うには 難易度が高いですね。
わかっては いるけど、なかなかそこにはいけないのです。小池さんの解説による禅定は始めてはいます。続くかどうかw

Aさんの書き方からは、降りた場所が「  」なのか、気休めでしかないのか、自我の「いまここ」という思い込みなのかが
よく判別がつきかねるのですが(Aさんは「 」の意味で書いてると思うけど読者には自我の範囲でしか読み取れてないと思う。
小池住職の「ジェットコースターを成り立たせているベースの部分に心がどんと落ち着く感じ。表面での心が気持ちよかろうが苦しかろうが
そのベースの部分は全く影響を受けなくて完璧に幸せである」・・・の記述が示す状態っていうのは、自我と「 」の関係性がよくわかる書き方で、
私も これなら経験してたので、なるほどと思っています。それで いいなら、そうなれるかと思ってはいます(笑)

ネックになるのは、自我への執着心と 現実社会への対応ができなくなるのでは?といった不安ですが、そこも 小池さんは、「ベースの『絶対的な幸せ』に
心がいると、やる気がわかないっていう時間は基本でてこない」と書いてくれていますので、打ち消すことができそうではあります。
で、自我への執着心っていうのは、ないんだけど、今までに信じてきたような観念みたいのが へばりついてるカンジで 難儀してます。
ここの自我を修身する方向が らぴ。さんが言われる 幸せに向かうことなのでしょう。一切の自我を修めて、幸せでしかない自我を目指すこと、
全力で努力することなどです。・・・で、私は そこの方法は向きません。そもそもが 自我がないことを知っていますので、今更物語を創れないです。
自我を鍛えたり、概念を落としていったり、私心を消すような作業を行ったりは、今は できないですね。やる気の問題ではなくね。

ジェットコースターから降りる。これで、自我の企てる一切の問題意識から 解放されます。それは すでに わかっていることですが、
そう うまくは運びません。禅定から始めてみます。

255日和る:2018/08/18(土) 19:59:04
>降りればいいことが理解はされますし
でもふたりの大きな違いは、降りると決めたのは?、が、「全体」か「個」だと思います。加えれば、瞑想も「するは」個の意志がする
小池さんは「私はいない」いってますが、個の要素からの組立で話されてる思います。A氏は「あなたがしてるわけじゃない」「全体」だそうです。
だから、瞑想するも決めたのは「全体」という話です。そこの根底が違ってると思います。よ。

256日和る:2018/08/18(土) 22:40:02
追記
で、全体が「決めて」「個人から・・取る」っておかしかないですか。話が・・・。
小池さんは、あくまでも「個」だから個に伝えてますね。。。はっきりしてます。

257苦集滅道:2018/08/19(日) 08:39:56
そうですね、そういうことも書いてましたね〜、全体の中で個の意志は ない。自動操縦的な、個人が決めてないようなニュアンスのこと。

小池さんは、禅定を通して個人の内面が 観察されていき、苦悩なき 絶対的な幸福感に至る・・・ニュアンスで書いてます。
目覚めも 悟りも 覚醒も、確かでてこない。個人の努力とか、戒めを守るとか、そうした個人の意志から入ることを薦めています。

もし、ジェットコースターを降りることが、最短最速の真理?への道筋ならば それを直接書くのでしょう。で、Aさんは 直接書いてますよね?
お二人の間に 認識の違いがあると思います。Aさんは 全体とか自動操縦とかの結論を書き、小池さんは 簡単には降りれないことを知り 
自我というジェットコースターを終息させないといけない結論を持っているのではないかなぁ?

個人の意志を 最初から、夢だとするAさんと、夢であっても現実であり そこには、カルマもあり、感情の堆積もあり、概念の蓄積もあるので
それらを きれいにすれば、おのずと「それ」は顕れてくるのだと、言いたいのではないかなぁ?

「いまここ」でしかないと言われるAさんと、「いまここにある」のは内観によって内面を自覚する(ような)ことだと言われる小池さん。
漠然とした気分を書くことと、具体的に細胞の動きまでに行き着くと書かれる 小池さん。
お二方共に 全部がわかっているにしても、行為として 何をどうすればいいかが 解かり易いのは小池さんと思います。

何にしても 思考は対象を持つと、際限なく 感想や意見や結論を堂々巡りさせるだけのようです。
ジェットコースターから降りたままに 日常をおくる場面は、思考でなく 感覚にフォーカスができるようになるまでは、来ないと思ってます。
そこの難しさを 今 実感しながら、これを書いています。

そういえば、先日 ひとつ・ワンネスの悟りを経験された方のブログを読みました。8年前の経験は 今でも鮮烈にはあるし、そこで得た真理は
動かないけど、現実の今は 自我で生きることに何も変化を与えてはいない。わかるけどワカラナイままに過ごしている。とのニュアンスが書かれていて、
私も同じだと思いました。知識経験では わかるんだけど、現実自我の中では 何も ワカラナイです(笑)

258日和る:2018/08/19(日) 09:09:27
何が言いたいか。といいますと。
自動運転。心臓、血液の流れ、歩くを憶えて歩行など自動です。他のお坊さん(外人さん)は、自動運転から手動運転をおやりなさいと言われてます。(立ち読み程度)
そうです小池さんは「個」の細部を観察して行くから教えてますね。しっかりそこに「個」があることも大事だと思うし、「胡蝶の夢」もその個も本来、
印象ですが、Aさんはこの世自体を捨ててるニュアンスが漂います、小池さんはこの世の生き方ですね。

259日和る:2018/08/19(日) 09:23:36
追記
>小池 瞑想の生徒さんたちでも、本当にそのことがわかりはじめてくると、一瞬怖さを感じる人はけっこういるんです。脳っていう牢獄に「私」が閉じ込められている状態から脱出しようとすると、まるでアラームが鳴るみたいに「脱出すると怖いことが起きるぞ」と脅すんです。
紹介のブログ2ページなのですが、「これ」でしたね。怖くて目を開けてしまいました。ここを抜出したら降りる事になるのでしょうね。

260苦集滅道:2018/08/19(日) 18:23:44
>ここを抜出したら降りる事になるのでしょうね。

そうなんでしょうね、私もちかづかないようにしました。
瞑想からそこに行くには そうした心理的な恐怖心も克服していくことになるのでしょうね。

小池さんはこうも書かれています。
>一定以上忙しくすると うっかり ジェットコースターに乗ってしまっているトキがあります。
>そこに間違えて乗らない為に訓練が継続的に必要で。

・・・これ、逆に言えば 訓練していれば、降りてられるってことなんでしょうね。。。すごいよねw

自動か手動か、起きているか起こしているか、この世に生きるか、この世を捨てるか・・・は、書き手のレベルによるのでしょうね。
自動・私はいない・起きているだけ・この世は夢幻・・・っていうのは、理論知で書いてて、その場では 自我でしょう(笑)

261苦集滅道:2018/08/19(日) 18:29:50
Aさんであれ、非二元の先生であれ、書いてることは真実でも、書いてる場面(日常)で、そう体感されているかどうかは疑問です(笑)

降りたり、乗ったりを繰り返していると思います。
だって、日常で生きられそうにないから、たぶん、内面で 高速の乗り降りが繰り広げられていそうです。らぴ。さんは 別ですが。

262苦集滅道:2018/08/19(日) 18:35:12
私も 日和どのも、自分は根源だって 書くことに問題はない。だって真実だから、動かない。
で、根源が日常で苦しむことはないから、苦しいと自我だって自覚できる。ああ、自我してるんだなぁ〜って自覚があるので、そろそろ
降りてみたいなぁ〜と 思い始めて、いまだ この世界に定住してる訳でしょ?www

263日和る:2018/08/19(日) 20:37:06
まぁわたしも小池さん流派ですからぁ・・・やってみます。
それにしても、らぴ。さんの掲示板のはずですが、返事ありませんね。お盆で帰省かもしれませんね。・・♪つけとこ。

264日和る:2018/08/21(火) 09:01:19
コメント欄より引用。

>この「私」はいろいろな言い方ができます。
>思考、意思、思い、意図、対象

そうなのでしょうが・・・

>何もしていない、と例えでよく言っていますが
>それは何かをしている自分がいない、とも言える状態です

コメント書くにも意志あって思考するし、意図も想いも対象もあるでしょうしぃ・・・
つまりは、仮の姿のらぴ。さんがしてること?なのか、そうすればその「私」と会話してないことともいえるかと。

思うに、それは・・・仮の姿と、「そのもの」が・・・分離してる・・のかな?
例えが多い印象を持つけど、ある程度、描写って表現はでそう・・・なのだけども?

疑問が湧いたので書いてみた。

265ファン:2018/08/22(水) 11:13:38
前のブログのコメント欄に御邪魔したことがあるファンです。
お久しぶりです。
お願いがあって、書き込みします。
「ポッ」はやめたんですか?
やめないでほしいんですが。

266ファン:2018/08/22(水) 12:57:38
失礼しました。
コメント欄には「ポッ」がありましたね。
よかったです(*^_^*)

267日和る:2018/08/24(金) 09:31:35
>対象とする(感じることのできる)世界は消滅し
わかることのできる対象が消滅するからです。

見えてる世界?になにも判断しないただ見えてる?だけ、イタイも、いや痛みでなく、イタミは在る。総じてそのものだけ、みたいな。でも、コメントは書く仕事もしてる高度であろう人のコミュニケーションも出来てる。じゃ、誰がしてる?他力が合致する。な。としか受取れない。
しかも「幸せ感はつねにあるそうな」感じるは誰と聞きたくなる。が、回答は「そうである」なのだろう。しかし、人はこの世を一生懸命生きると言う。当人?はどうなんだろう。至るがそれで、その後の一生懸命は「どこ」「だれ」がってことに。コメント上、端から見ると「分離?」「遮断」が浮かぶだけで、その幸せ感ってある?。
至ったあとの仮の姿は他力なのか、見てる「私」はなんなのかこの仕組みはどういうことなのか。「精査」されてない印象を持つ。「だからぁ、対象物がないのだから精査も何も無い」・・っていいそぉ。 もぉいいかな。・・・(笑)つけとこ。

268苦集滅道w:2018/08/24(金) 19:12:55
日和るどの・・・らぴ。さんが そういった疑問にどう応えられるかはわかりませんが、そういったあらゆる疑問さえも 彼女は超えていると思いますよ。

普通、自我って生活全般に在って、死ぬまでの間には、自己意識って持ち続けるものである。っていう理解も 勿論彼女にも以前にはあって、尚 そこを超えているのだと思います。

ただ、自我を「意志」として表現したのは、うかつだと思う。「意志」だけじゃないからね、自我って。感情は 勝手に起きてくると解釈するにしても、受け止める「器」って自我だから。

社会に適応しようとするのも、朝 顔を洗おうとする習慣が残ってるのも自我だよね。名残って 使っているけど、自我だよね。普通に。記憶を操るのも、条件反射も 何らかの受け答えや

反応も 自我ですよね。我々が使う 自我って、意志だけじゃないよね。そんなことも わかった上で、尚 自我がない。。。と記述してるってことは、もう 想像の範囲の外です。

だから 私は彼女の心境?に興味を持ちました。日和さんも ありえないことが書かれているから興味を持った訳でしょ?

自我がなくて生きている・・・っていうのは、目にしたことがないですよ、それくらい 斬新で奇抜で不可思議な領域なのです。

彼女はさらりと 書いてのけているけど、それが 実際なら驚天動地、世界があっと 驚く発見でもあるでしょう。たぶん そうなのでしょう。真実なのでしょう。

自我がなくても 生きていける・・・ってことがね。

これね、瞑想とか禅とかで、一時的に 自我がない状態って「空」で体感できる。小池さんも それを知っているから、禅定に重きをおいて、ジェットコースターから 降りた状態が

日常を支配してると思う。仕事が忙しかったの何らかの事情でもない限りは、ずっと おり続けてるはずです。これはね 私でも よくわかる。できないけど、できる。

で、ここまでのよた話しwっていうのは、自我を実体として認めている立場でのもの。

自我は 最初から ないからね。何も 起きてないし、何も 起きてこなかった、って言える。一切が 無でしかない。或いは 根源でしかないってことも 言えます。

その場合だと 自我はホントに幻で 根源しか実在がないことを 見抜くと、自我もないって観方が成立もします。

この観方っていうのは、何人かはいましたよ。日和さんなら 覚えているでしょう?花の名前のHNの人がいましたよね。デルフィーさんとかもいましたよね。

自我っていう観点がなくなった人達ね。楽しむとか 安心感とかのままに生きてるような 人達がね。

ただ その場合、輪廻っていう時間経過を伴う 発想ってもう でてこない。今だけしかなくなる(笑)

以上、よた話しであり、意味もない 単なる思考の論理ですがwww

269日和る:2018/08/24(金) 23:49:56
あ、輪廻。そう、それ。自我が無いなら輪廻もありませんね。だって、名残の「創作、作り話が残ってる」だけでしょうね。
死んだら、記憶もクリアで消えるでしょうし、それだけを残し・・ハイ、次っ!って?・・・自我がないんだからぁ〜さぁ。幼年期の記憶ってのも母親のお話だとか、神秘な絵本を聞かされた・・・記憶。じゃね?って思いますね。「しってた」じゃなくて・・さ。
でね、いつもしあわせ感ってのもいいんですが、あくまでも、生きてるうちの仮のからだ、または、名残、脳でもいいんですが・・それが処理して「しあわせ感」を出してる思いますね。そのものになってても仮の「からだ」という機能が処理して・・そこはかとなく・・ね。
なんとなく。思います。つまり、生きてる時だけの限定の「感覚?」とも言えると思ってます。そのものでも。そぉ。なんですかね。降りたあとでも・・「個」の範疇、範囲だというのが・・・やっぱり「個」を超えられてないで、「全体」って言えるのかどうかってね。・・・の感想は変わらない。
そぉ、「生きてるから」。・・・・・エンドロール流れて、By 日和る    でした。

270日和る:2018/08/25(土) 00:15:18
それから。「生きてる」って。・・・・年齢があり、昨日があった、いまがある。そして年を増す。時間が・・・「そのもの」でも幻想は、時間を元に記憶があり話もするし行動もしてる(例えね)ってことだから、厳然とその幻想は続いて(死まで)いる。つまり、「そのもの」でもその幻想の仕組みの中ってことになる。
あ、いや、ではなく、「そのもの」は全くその場面にはなく、あえて「次元」解釈として別個とみるなら・・・小池さんのいう降りた状態、らぴ。さんの「なにもしてない、でもしてる」という俯瞰、ではないと書いてたな。でもニュアンス的にはそんな感じかな。と。となると、「そのもの」は幻想の仕組みの外。なのかもしれない。
書くうちに、・・まとめてしまった。・・♪またつけとこ。

271日和る:2018/08/25(土) 08:48:09
誰も書かれてない疑問を書く。
ありのまま。観ている世界は幻想ともいう。そして、ひとり(個)だけの世界とも言う。それの視覚的世界観がはっきりとは誰も書いてない。というかおそらく書けないであろう。なぜなら、悟っても「個」の範疇、範囲内(個の世界のみ)だと思うから。そこで、私の考察する世界観を少しイメージしてほしい。その世界はひとりダケのもの他者はいない。そこに、他者共通のベースとなる世界はあるのであろう。身の回りの人々は私が創作した私だけに与えられた私仕様の人々。しかし、その人々も存在はするが別物、つまり、その人々もそれぞれの世界を持つものである。であるから同時にふたりが会話をしているとしよう。観ている世界は別物、しかし、共通の世界の部分はある。そこの部分は「透過的に存在している」(例えです)ような格好である。しかし、対相手はあくまでも私自身の仕様で現れた人物としてである。例えばそのふたりが会話をしてるが一方は相手が話が合わず怒ったように見えてるが、対相手の方には少しだけ違う意見を言ってるだけのように見える構図なのかと。
どうでしょう?・・・・面白い?


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