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Web誌友会 板/2

1トキ:2013/01/20(日) 11:50:32 ID:UVsStHb2
「今の教え」と「本流復活」を考える・「web誌友会」 板 です。

*web誌友会についての話題は、このスレッドでお願いします。

 このスレッドは、生長の家信徒の人達のweb誌友会のために作成したスレッドです。

 上記に関連する話題なら、狭く解釈しないで、広く受け付けます。また
どの立場の人の投稿も歓迎しますが、基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教え
を支持、共鳴する人のためにサイトです。生長の家の信仰と谷口雅春先生へのご批判をされる内容
の投稿はご遠慮下さい。
 投稿の削除はしない方針ですが、アダルトサイトや出合い系サイトの勧誘を含む内容など
明らかに目的外の投稿は、削除の対象となります。明らかな他団体や特定の霊能力者の宣伝となる投稿も削除の対象になります。
 目的外の投稿の判断は、最終的には、管理人である「トキ」の判断になります。
ご理解下さい。


投稿に当たっての注意点

*このサイトは、「生長の家“本流宣言”掲示板」等と違い、自分の発言を自分で削除できません。
 削除御希望の場合は、管理人までご一報下さい。(削除要請は、削除希望の記事を投稿したのと同じ端末から投稿をして下さい。)
*必ず、スレッドのトップにある「掲示板の使い方」をご覧下さい。
*インターネットのサイトという性質上、不特定多数の人が閲覧します。プライバシーに触れる問題
 や名誉毀損の可能性のある表現などは、控えて下さい。
*サイトの運営方針としては、削除は原則としてしない方針です。他者の投稿が問題のある投稿だと感じた場合は、
「削除要請」ではなく、ご自分の意見を投稿するという方向での解決をお願いします。
*生長の家の共鳴者を対象にしたスレッドです。下品な表現や特定の人物を侮辱する言葉はご遠慮下さい。
 たとえ、自分と違う意見の人でも、敬称はつけましょう。相手に対する敬意と礼儀を忘れない様に
 お願い申し上げます。
*谷口雅春先生への批判は、目的外ですので、投稿をしないで下さい。
*「したらば」は長文の書き込みをした場合、一部が表現されない場合があります。その場合は、「下部左
 部分」にある「全部読む」を押して下さい。

このサイトについて

*宗教法人「生長の家」、「谷口雅春先生を学ぶ会」「ときみつる会」「生長の家社会事業団」「新教育者連盟」
 などの諸団体とは関係はありません。
*「ポスティング ジョイ」や「生長の家“本流宣言”掲示板」などのサイトとは一切関係がありません。

管理人からのお願い

*投稿者の身元の詮索は止めましょう。ただし、最初に簡単な自己紹介をして下さると、後のトラブル防止になります。
*「工作員」も歓迎します。同時に、特定の人を「工作員」などと議論をする事はしないで下さい。
*教団援護派、本流復活派、中間派、分裂肯定派など、どなたも歓迎します。また、相手の存在そのものを否定するような内容
 の反論はしないで下さい。
*議論が感情的になった場合は、管理人がストップをかけます。その時は、協力をお願いします。
*その他、ご不明の点は、管理人である「トキ」まだお尋ね下さい。

 原則として、身元がわかるような内容の自己紹介は避けたほうが無難です。

身元をかくすため、多少の作為(年齢を少しごまかす、住まいを変える)は、悪意がない限り、問題とはしません。

どの立場でも、(教団援護派、学ぶ会など)歓迎しますから、それは明らかにしても大丈夫です。

削除について

 投稿した文章を削除して欲しい場合は、削除希望の文章の番号を書いて、同じスレッドに、同じ端末
から「削除要請」と書いて、投稿して下さい。削除要請の文章も削除して欲しい場合は、其の旨も書いて
下さい。削除は、原則として、投稿者本人からの要請があるものに限ります。管理人が気がついたら、削除
しますが、深夜早朝や用事のある時は、気がつくのが遅れる場合があります。ご理解下さい。

 出会い系サイト等のリンク、明らかに目的外の投稿、他団体の宣伝、犯罪を予告する書き込み等以外は、削除はしません。
それ以外で、問題となりうる投稿は、原則として、相談の上で、削除します。

 その他、御不明の点は、お気軽にお尋ね下さい。

管理人「トキ」 敬白

573トキ:2013/03/12(火) 14:09:15 ID:RT7caOUo
>>571

 どうも当方が行き届かず、すみませんでした。

 復活を心からお待ちしています。今までのご功績に厚く御礼を申しあげます。
ありがとうございました。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

574木綿豆腐(=志恩):2013/03/12(火) 14:23:56 ID:.QY5jUA6
>>572:復興G様

え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ (*>_<*)

575復興G:2013/03/12(火) 14:28:55 ID:AB6RqYXc

今朝の日経新聞「文化」欄に、

「がれきに花を咲かせよう」
<<福島の美術教諭、生徒と被災者を絵で元気に>>

という話が載っています。

≪ すべてが押し流され、色を失ってしまった風景。その中で、ピンク色の花がひときわ鮮やかだった。「桜を見ているだけで元気になれる」。がれきを片づけていた被災者の方は、1本だけ残った桜の前でそう語った。がれきに油性絵の具で花の絵を描いていく「がれきに花を咲かせよう」プロジェクトのきっかけとなったできごとだ。

 プロジェクトは、私(番匠あつみ)が美術教諭を務める保原高校(福島県伊達市)の生徒と2011年春から行っている。ヒマワリやスイセン、チューリップ。がれきの上に思い思いの絵をつける。昔話の「花咲かじいさん」では「かれき」に花を咲かせた。ならば「がれき」にも花を咲かせ、少しでも見た人に元気を出してもらえないか。美術部が中心だった活動も続けるうちに、今では30人以上がかかわっている。

 キャンバスとなるがれきは、主に震災で半壊した保原高校の校舎だ。(中略)

 プロジェクトを始めるとき、迷いもあった。住む場所や食べるものにも苦労している方がいるのに「アートなんてのんきなのではないか」という思いもあった。周りから非難を浴びることも覚悟していた。

 震災直後、半壊した校舎を見て生徒のショックは大きかった。先日まで学んでいた場所が、廃虚のようになっていることが信じられないようだった。そんな生徒たちをみて、「やろう」と決意した。がれきに花を描くことは見る側だけでなく、作る側にも元気を与えると思った。
 実際、私も描くことで救われた。……≫

 ――「花咲かじいさん」は、枯れ木にハイをまいて花を咲かせました。

 福島では、絵の具でガレキに花を咲かせました。

 生長の家では、「素直にハイ」をまいて、枯れ木にも、がれきにも、花を咲かせます。

 その「ハイ」は、「人間は神の子である、神である」という真理を素直に「ハイ」と承認すること、そして使命感に「ハイ」と従うこと。きっと、神様の花が美しく咲き香ります。

576木綿豆腐(=志恩):2013/03/12(火) 14:41:04 ID:.QY5jUA6
復興G様

おっしゃったこと 分ります。(^^)
ますます おげんきで いらして下さいませ。

合掌 ありがとうございました。

577復興G:2013/03/12(火) 14:44:23 ID:AB6RqYXc

前記、「ガレキに花を咲かせよう」の記事の続きです。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

≪震災が起きた際、私は学校で会議の真っ最中だった。突然、立っていられないほどの揺れが襲ってきた。長い時間それが続き、やっとのことで外に避難した。

 幸い家族は無事だった。ただ、自宅は電気が止まっており、近くの実家に身を寄せた。テレビに映し出される津波の映像や、原発のニュースを見ていると、不安で息が詰まりそうだった。「絵を描きたい、描かなきゃ」。なぜか強くそう思い、画用紙の上でボールペンを動かしつづけた。15枚を一気に描き上げたとき、心が深呼吸できたように少し楽になれた。

仮設住宅の壁にも絵

 高校では仮設校舎ができる2011年の秋まで、学年ごとに日替わりで登校し、体育館や武道場で授業を行うという状態が続いていた。生徒にも不安はあったに違いない。花を描くことが救いになったかどうかは分からない。それでも「自分たちのかつての校舎に絵を描くのは、最初は悲しかった」と言っていた生徒も、次第に楽しそうに作業をするようになっていった。

 避難されてきた方たちとも交流が生まれた。12年春からはグレー一色の殺風景な仮設住宅の壁に、絵を描かせてもらった。浜通りから避難されてきた福島県浪江町の方々からは、「海の絵を描いてほしい」と言われた。住民の方たちも参加してくれて、行くたびに新たな絵が追加されていることもあった。

 こうした活動を続けられるのは多くの人の支えがあるからだ。新聞やニュースで私たちのことを知った人から、絵の具が送られてきたこともあった。非難されるのを覚悟して始めただけに、こうした人たちに私も生徒も勇気をもらった。

東京・銀座で展示

 今年の2月には、東京・銀座で作品を展示してもらう機会もいただいた。がれきに描いた花には再生への思いが込められている。被災地のメッセージを、多くの人が集まる銀座で展示できたことは、生徒にとって貴重な経験になったと思う。

 もちろん除染し、放射線量を測った上で、問題ないがれきだけを使っている。福島というだけで色眼鏡で見られるのではとつい思ってしまう。会場には作品とともに測定器を置いた。

 プロジェクトがいつまで続くかは分からない。がれきの撤去も進む今、その段階を過ぎつつあるという気もする。それでもアートを通じ、何かを発信したいという思いが生徒たちには芽生えている。福島から何が伝えられるのか、生徒とともに考えていきたい。(ばんしょう・あつみ=美術教諭)≫

578復興G:2013/03/12(火) 14:49:35 ID:AB6RqYXc

>>576 :木綿豆腐(=志恩)様。

ありがとうございます。

お元気で、お幸せに。またそのうちにお目にかかりましょう。

579「訊け」管理人:2013/03/12(火) 17:41:25 ID:???


>>復興Gさま


 いろいろとご指導賜りまして、厚く御礼申し上げます。ところで、でありますが
「ガレキに花を咲かせよう」に関しまして以下の歌(合唱)を貼り付けます。


 今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。





○「花は咲く」 ――東日本震災復興支援ソング
http://www.youtube.com/watch?v=hGNEIPOCllE

作曲:菅野よう子
作詞︰岩井俊二

(歌詞)

真っ白な 雪道に 春風香る
わたしは なつかしい
あの街を 思い出す
叶えたい 夢もあった
変わりたい 自分もいた
今はただ なつかしい
あの人を 思い出す
誰かの歌が聞こえる
誰かを励ましてる
誰かの笑顔が見える
悲しみの向こう側に
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう
夜空の 向こうの 朝の気配に
わたしは なつかしい
あの日々を 思い出す
傷ついて 傷つけて
報われず 泣いたりして
今はただ 愛おしい
あの人を 思い出す
誰かの想いが見える
誰かと結ばれてる
誰かの未来が見える
悲しみの向こう側に
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
いつか恋する君のために

580a hope:2013/03/12(火) 19:41:57 ID:TqpbsVIM

みなさま こんばんは。

あの震災から、もう2年の歳月がたったのですね。
昨日、3月11日のその時間、わたしの職場でもサイレンがなり、仕事をやめて皆で黙とうをしました。

今、「訊け」管理人さまの貼ってくださった復興ソング「花は咲く」を聴きながら、
復興Gさまの「ガレキに花を咲かせよう」の記事を読ませていただきました。

そして――

<< ――「花咲かじいさん」は、枯れ木にハイをまいて花を咲かせました。
 福島では、絵の具でガレキに花を咲かせました。
 生長の家では、「素直にハイ」をまいて、枯れ木にも、がれきにも、花を咲かせます。
 その「ハイ」は、「人間は神の子である、神である」という真理を素直に「ハイ」と承認すること、そして使命感に「ハイ」と従うこと。きっと、神様の花が美しく咲き香ります。>>

――この復興Gさまのお言葉のところで、感動して涙がこぼれました。

そうですよね。
神さまは、別の所にいるのではない。
わたしたち自身が神なのだから、わたしたち一人ひとりが咲けば、枯れ木にもがれきにも花が咲くのですよね!

わたしも大切なことを思い出しました。
復興Gさま、「訊け」管理人さま 素晴らしい投稿を本当にありがとうございます。

お二人に、心から感謝します。


志恩さまも、またすぐに登場してくださいね。
心よりお待ちしています。

581復興G:2013/03/12(火) 21:21:17 ID:AB6RqYXc

トキ様、トンチンカン様、rei様、「訊け」管理人様、うのはな様、木綿豆腐(=志恩)様、クソ様、a hope様、観覧者の皆さま、そして復興G様。(自分にも感謝します)

今日は本当に充実してうれしい一日でした。
皆々さまに、心から感謝と祝福をささげます。
ありがとうございました。

神の智慧と愛と生命の祝福をいっぱい戴いて、美しい花がいっぱい、いっぱい咲き香りますように。

では、ちょっと早いですが、おやすみなさい。

582トキ:2013/03/12(火) 21:32:07 ID:RT7caOUo
復興G様

 長時間に渡り、素晴らしいご指導を賜り、ありがとうございました。
こちらこそ、御礼を遅れました。すみませんでした。

 多くの閲覧者様と同じく、私も多くの事を学びました。深く感謝申し上げます。

今後ともご指導のほど、お願いいたします。

合掌 ありがとうございます

583元青年会員です:2013/03/13(水) 06:38:27 ID:Jt3SRsQg
皆さんへの返事を長々と書いていたのですが、どうも話が暗い方へ暗い方へと流れてしまい、「これはおかしいなあ」と思って返事できずにいました。

復興Gさまのおっしゃるとおり、私の言う「良心」は、小懺悔に過ぎないのかもしれません。
生長の家は明るい教えですから、やっぱり大懺悔が基本ですよね。

罪意識は罪なしへと飛翔する可能性を持っていますが、まだ救いの相ではありませんから、実相と呼ぶべきではないかもしれません。
罪意識は、実相を悟る萌芽が生じ始めた状態だ、というのが正しいような気がします。
殺人にすら罪意識がないような人は、罪を感じる所からスタートする必要がありますからね。

皆様、失礼いたしました。もっとよく研鑽してまいります。

584rei:2013/03/13(水) 07:19:25 ID:bo95azFI

おはようございます

復興Gさま
素晴らしすぎて目がくらむようです。
私も、ただ、喜んでいれば良かったのですね。

ようやく私も大地に足をつけれた思いです。

ご指導、本当にありがとうございました。
失礼な言葉があったかもしれません。
お許しください。

合掌

585a hope:2013/03/13(水) 09:55:28 ID:TqpbsVIM
みなさま おはようございます。

元青年会員さまが素晴らしいご投稿をくださり、それについて考え、クソさまが率直なご意見を投稿してくださったおかげで、
復興Gさまが、生長の家の大切な真理を再確認してくださって本当によかったですね。


>>583元青年会員ですさま

>>544のわたしの投稿へのお返事も書いてくださっていたのでしょうか?
お手数をおかけして申し訳ありませんでした。
お返事を拝見できないのは残念ですが、この「真の愛の実行」の課題も、
自分自身で追究していくところに意味があるのかもしれませんね。

元ところで元青年会員ですさまは、禅修行をされているのですか?
わたしも「生長の家」に出会い神想観をするようになる前は、坐禅をしていました。
ですから、元青年会員ですさまのお話にとても惹かれるのかもしません。
またそんなお話も聞かせていただけるととてもうれしいです。

ところで、復興Gさまと、元青年会員ですさまのお話の中に、「小懺悔」と「大懺悔」という言葉がでてきましたが、
これは、過去のweb誌友会で、復興Gさまがとてもわかりやすいお話を例にして説明くださっているので、
それを紹介させていただきます。

web誌友板>>1602
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1602

>>1629〜1633
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1629
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1630
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1631
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1632
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1633

>>548でreiさまもおっしゃっていますが、復興Gさまのご指導の素晴らしさには、
わたしも目がくらんでしまいそうです。
このトキ掲示板には、あちらこちらに復興Gさまの真理の言葉が埋もれています。
みなさま、探してみてくださいね!

わたしは今日は仕事がお休みなので、「小懺悔」「大懺悔」についてお勉強しなおしてみます。
でも、その前に、久しぶりに子供たちの部屋の掃除をしてみようかと思います。
子供たちの「小懺悔」の材料がたくさん見つかりそうです(笑)

それでは「生長の家」のみなさま、今日も素晴らしい一日をお過ごしください!

586「訊け」管理人:2013/03/13(水) 10:02:52 ID:???

>>583元青年会員ですさま


 私はもっと、貴殿のお話を拝聴したいです。よろしくお願い致します。なお、スレ違いならば
他でも、構わないと思います。

 貴殿のご意見ですが、素晴らしいです。気づきが得られます。




587うめ:2013/03/13(水) 12:22:37 ID:/3nxKE2Q
元青年会員です様

私も、もっと、元青年会員です様のお話を拝聴したいです

考えさせられること大です。

元青年会員です様は今も青年の心を持ちつづけておられるのですね。素晴らしい。

588a hope:2013/03/13(水) 16:35:29 ID:TqpbsVIM
>>539 復興Gさま

<<今回の誌友会では、発言者は少なかったですが、でも、こうして続けることに意義があると思います。
50時間というのは長いような気もしますが、でも、この形体のままもうしばらく続けさせて頂きましょう。
次回は、4月第二金曜日の12日夜から14日(日)夜まででお願いしたく思います。
テキストは『生命の實相』第3巻に入りますが、第3巻は冒頭に8つの神示が掲載されています。
これらの神示は大切ですから、一回(1ヵ月)に2つずつ、4ヵ月かけてじっくりと勉強させていただいたらどうでしょうか。というのが私の提案ですが、ご意見をうかがいたいと思います。>>

こちらの提案に賛成させていただきます。
実際、今回は期間中は発言者が少なかったですが、後夜祭で盛り上がりました。
そして、素晴らしい気付きがあったと思います。
わたしもこうして続けていくことが意義あることなのではないかと感じています。

4月は年度が代わるので、仕事や、子供の学校の予定等がまだはっきりしませんが、
また、自分のできる範囲でお手伝いをさせていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。

589トキ:2013/03/13(水) 19:55:15 ID:YhbQL.kw
復興G様

 私もご提案に賛成です。やはり、web誌友会は閲覧者様に貴重な学びの場だと感じます。

よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

590復興G:2013/03/14(木) 00:19:09 ID:AB6RqYXc

皆さま

私は今日、同期会などの会合があり、只今帰ってまいりました。

元青年会員です 様、rei様、a hope様、「訊け」管理人さま、うめ様、トキ様。

ご投稿、只今拝見しました。ありがとうございました。

もう遅いし、寝ぼけていますので、また明日、必要なものにお返事あるいはコメントを差し上げます。

おやすみなさい。

591元青年会員です:2013/03/14(木) 02:39:39 ID:8TYsXug.
>>585 a hopeさま
私は、a hopeさまに愛を講釈できるほどの立派な人間ではありません。
あの私のコメントは、実相と迷いを私なりに考えてみた結果です。
私は、形ばかりの真理の(ように聞こえる)言葉よりも、心深くからの正直な声に値打ちを感じる人間ですので、あのようなお話になったのです。

禅については私なりの意見はありますが、修行をしたことはありません。
少し座禅してみたことがある程度です。
禅について詳しく述べると、この掲示板の趣旨から離れてしまいますので、ご勘弁ください。

592元青年会員です:2013/03/14(木) 02:40:57 ID:8TYsXug.
>>586 「訊け」管理人さま
>>587 うめさま
お褒めいただき大変うれしいですが、これ以上私の解釈を述べることは控えたいと思います。
私はまだ真理に達している人間ではありませんので、色々話し出すと、混乱を生み出してしまいかねません。
私の話よりも、吉田國太郎先生の「常楽への道」と藤原敏之先生の「あなたは必ず救われる」を読まれることをオススメします。
この二冊は、求道の心を知ることの出来る素晴らしい本です。
生長の家信徒であるか否かに関わらず、真理を求めるあらゆる方にオススメしたいですね。

593復興G:2013/03/14(木) 10:35:08 ID:AB6RqYXc

皆さま、ありがとうございます。

遅くなりましたが、昨夜お約束しました、昨日中の皆さまのご投稿にお返事、あるいはコメントをさしあげたいと思います。

まず、>>585 :a hopeさま。
「小懺悔」と「大懺悔」につい、過去のweb誌友会での私の投稿文を6つ、懇切に貼ってくださいまして、ありがとうございました。私もまたあらためて文献を再確認し、勉強させて頂きました。お礼を申します。

次に、>>588 :a hope様、そして>>589 :トキ様。

<<次回は、4月第二金曜日の12日夜から14日(日)夜まででお願いしたく思います。
テキストは『生命の實相』第3巻に入りますが、第3巻は冒頭に8つの神示が掲載されています。
これらの神示は大切ですから、一回(1ヵ月)に2つずつ、4ヵ月かけてじっくりと勉強させていただいたらどうでしょうか。というのが私の提案ですが、ご意見をうかがいたいと思います。>>

という私の提案に対して、ご賛同くださり、ありがとうございます。
ご両人のご協力がなければweb誌友会はできません。感謝して、次回

第13回web誌友会は
4月12日(金)21:30より、14日(日)23:30まで
テキスト 『生命の實相』第3巻「はしがき」〜p.3の終わりまで

として、開催させていただきましょう。
それまで、テキストを深く拝読しておきましょう。


次に、>>591>>592 :元青年会員です 様。

ご投稿に感謝致します。

>>私は、形ばかりの真理の(ように聞こえる)言葉よりも、心深くからの正直な声に値打ちを感じる人間ですので・・・・・<<(591)

というお言葉は、私にもずしんと響きました。

私も、「形ばかりの真理の(ように聞こえる)言葉」を発していることが多々あると思います。いっそう「心深くからの正直な声」を大切に、発して行きたいと思います。

>>592でオススメいただいた、吉田國太郎先生の「常楽への道」と藤原敏之先生の「あなたは必ず救われる」をあらためて繙いております。そして特に目にとまったところを、元青年会員です 様に代わって、謹写掲示させて頂こうと思います。しばらくお待ちください。

594a hope:2013/03/14(木) 10:38:32 ID:TqpbsVIM
>>591元青年会員ですさま

お返事ありがとうございます。

<<私は、形ばかりの真理の(ように聞こえる)言葉よりも、心深くからの正直な声に値打ちを感じる人間ですので、あのようなお話になったのです。>>

聖典を拝読するにしても、表面の言葉の意味だけ理解するのではなくて、
その言葉の奥にある真理の響きをとらえないと、魂が震えるような感動は味わえないと感じています。
わたしは、「生命の實相」やその他の雅春先生の聖典は、真理の言葉の詰まった聖典だと信じているのです。
そこは、元青年会員さまと、意見が分かれる所かもしれませんが・・・。

でも、「心深くからの正直な声に値打ちを感じる」このお言葉には、たいへん共感させていただきました。

ある講師の先生が、教えてくれた言葉を思いだしました。

「直心」(じきしん=そのままの心。我を出さない素直な心。空っぽの心。すなわち神の心)

わたしは、この掲示板に書き込みときには、神想観で心を空っぽにして、できるだけ、この「直心」になって、
書きこもうと努力はしているのですよ(笑)
まだまだ、我が出てしまいますが・・・。

禅についてですが、勝手に元青年会員ですさまが、禅修行されているんどと推測してしまい申し訳ありませんでした。
以前、どこかの板で、禅寺での修行を考えていらっしゃるというようなお言葉を拝見した気がしましたし、
今は「生長の家」も信仰されていらっしゃらないようなので、勝手に思い込んでしまいました。

でも、禅についてはご意見があられるようですね。
別に禅について語ることが、この掲示板の趣旨から外れるということはないとわたしは感じています。
他の皆さまも、元青年会員ですさま投稿からたくさん学ばれているようですので、禅のお話に限らず気が向かれましたら、
また、信仰/体験板などで、是非お話を聞かせてくださいね。

わたしは最近、混乱から大きな「気付き」が生まれるような気がしてきました。

今日もこれから仕事ですので、また、夜戻ります。
それでは「生長の家」のみなさま、行ってきます。

595復興G:2013/03/14(木) 12:02:46 ID:AB6RqYXc

>>593の続きです。
元青年会員 様に<592>でオススメいただいた吉田國太郎先生の「常楽への道」と藤原敏之先生の「あなたは必ず救われる」を繙き、目にとまったところを、元青年会員です 様に代わって、謹写掲示させて頂きます。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

■ 吉田國太郎先生著『増補新版 常楽への道』p.346〜より

 皆さんはそこに坐ってらして、今、“何”が坐っていらっしゃいますか? 今坐っている自分をジッと見ていただきたいのであります。(私の顔を見なくてもいいですから……笑声)

 坐っている自分をじっと見ていただきたい。……この時足が痛くて、あるいはあの先生の話はちょっとむつかしくて、頭が痛くてというような風に、脳味噌が坐っているか、足が坐っているか。今、肉体が坐っていますか? 皆さん、そこに。

 そこに肉体が坐っておりましたらばですね。皆さんは……“有難うございます”と言っても駄目です。……生長の家でいうところの“有難うございます”ではありません。

 あるいはこうして声を出しますときに、歌を唱うときに、あるいは、私のように演壇から話すときに、あるいは雑談的に誰かと話すときに声帯でものを言っているような気がしませんか。今、今、しゃべっているのは、やっぱり喉だ、というような気がしますか。

 どうですか皆さん。休憩時間に楽しそうに話した時に、今楽しそうに“誰々さん、何々何々”と話した時に、そういった現実の主人公は、“私の喉だ”とこう思ったですか。……そう思った人は今神の子ではありません。今ここに坐っているのは肉体だと思う人は、今、神の子ではありません。

 そうしたあたりのところが、よく私たちの魂の中できれいに整理をされるところから、私たちの本当の信仰というものが生まれてまいります。

 すべて、本当の信仰というものが権威を失いまして、形式的になり、本当の教えそのものの中にはすばらしい光と有難さがあってもですね、私達の生活の中にそれが出て来なくなるのは、そうしたあたりのところが崩れて行くことが、根本なのであります。

 ともかくそうしたあたりを崩れさせて、崩れたままで、それから先きに使う、使う心の使い方ばかりを運んでいってしまうのが、いわゆる脳髄の人間であります。肉体人間であります。

 生長の家では“肉体は無い”ということがですね、“物質はない”ということが、これが教えの一つの根本になってまいります。

 皆さん、肉体はあると思いますか、無いと思いますか。
 肉体あり、と思う人は顔洗って出直して来るんです。……ここで三、四日の間に洗えばいいんですけどね。……

 肉体があると思って、肉体があると思っていて、それで“嬉しいッ”と言っても駄目ですよ。明日になったら危ない嬉しさですよ、それは。それは影にだまされる嬉しさです。物にだまされる嬉しさです。今のその自分の心を使いながら、神の子として使えばいい言葉を使って感謝していっても駄目です。

 今現実に神の子として、使えばいい言葉を、そのまま素直に使って、その通りにただやりなさいということをただやって、それでいいと言うようなそんなナマやさしいものではないのです。そういうものは神の子が行ずる行ではございません。

 『肉体は無い』ということですね。(黒板に字を書く)これを説いて下さっている教えは、この生長の家以外にはないのです。あらゆる宗教は、本当の神の光を、、本当の自分、ですから生命の解放を……本当の生命が解放されることが本当の幸福なのであります。幸福は外にあるのではないのであります。裸のままで無限の幸福なのであります。

 生命が解放されたら、青空の中に、皆さん、無限の輝きが見えるんです。雀がおどっている姿の中に、すばらしいところの、あの鳴き声の中に、あのはばたきの中に、すばらしいところの美しさや、限りない懐しさがある。いわんや、人と人との、いのちの眼差しと眼差しとのやりとりの中にそれがあるのですね。

 しかし、『肉体は無い』『物質は無い』ということを、私たちがこれを通さないで、ここがうやむやのままですね、うやむやのままで、神や仏を拝むようになってしまっているのが、あらゆる宗教なのです。ここに宗教が人類を解放出来なくなった、人類の本当の幸福をですね、与えることの出来なくなったところのガンがあるのです。このガンを摘出することを完全にやったのが生長の家なのです。

596復興G:2013/03/14(木) 12:03:32 ID:AB6RqYXc

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

■ 藤原敏之先生著『あなたは必ず救われる』p.67〜より

  乗り物を間違えた!

 京都の人が東京に行こうと思って駅に行き、新幹線の超特急のひかり号に乗りこんで、ドアがしまり発車し、大阪の方に走り出したとしたらどうでありましょう。東京にはいけないで、そのままにしておれば岡山にいってしまうのであります。もしも時間でも決めて待ち合わせでもしていたら、大変なことになります。「さあ困った、どうしよう」ということになり、あわてなければならないことになります。

 目的は東京であるのに、岡山にいったのでは、どうすることも出来ません。乗ってしまったのだから仕方がない。電車はこのままで、東京にいけますよう神様にお願いしましょうとどんなに祈ったって、東京にいけるはずはないのであります。

 この場合、まず第一に気づかなければならないことは、「乗り物を間違えたな」ということであります。その次に大切なことは、さっそく東京行に乗りかえることなのであります。これ以外に解決する方法は絶対にないのであります。

 人生に於きまして、その人その人によって、それぞれ違った矛盾があり、悩みがあるのであります。健康を願いながら病気になって苦しんでおられる人、繁栄を願って努力しながら倒産して悩んでいる人、いついつまでも仲良く暮しましょうと誓って結婚式を挙げた夫婦が、半年も経たないうちに、夫婦別れをしなければならないと悩んでおる人、世の中のため、人のために役立つような立派な人問になってもらいたいと切に願いながら、世話して育てた子供が、赤軍派やいろいろな革命組織等に入って暴れまわって、沢山の人に御迷惑をかけるような子供になって、外に出て歩くのさえも遠慮し、小さくなって生きなければならないようなお気の毒な親、せっかく育てた子供がノイローゼや分裂症になって、人様のお役どころか、何の働きも出来ないような廃人になって泣いている親、親子が互いにいがみ合ってバラバラになって生活しなければならない悲しい家庭であるとか、例をあげればきりがありません。このように大概願いとは丸っきり反対のような結果を招いて苦しむということは、何といっても悲惨という外ありません。

 このようなのを矛盾といいますが、このような矛盾がどうして現れるかと申しますと、前にかいた例のように、東京にいく目的で列車にのりこんだのが、下りで岡山行であったのと全く同じであります。これは大きな矛盾であり、困るわけでありますが、この矛盾を解決する道はただ一つ、乗り物を間違えたことに気づく(自覚)ことと、次は気がついたらすぐに正常な列車(東京行)にのりかえることであります。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ありがとうございます。

 深く打たれるところがあり、そして元青年会員 様が、真摯に「本物」を掴もうと精進していらっしゃることが、ひびいて来ます。

 うれしいです。必ず、素晴らしい真の生長の家の御教えに回帰し、生長の家は本来の使命を達成することができると思われます。

 ありがとうございます!

597うのはな:2013/03/14(木) 13:24:35 ID:beC6QScM
 ・・・以前、私が司会をした誌友会ですが、「私に落ち度はありません」です。この点を振り返りましたが、自己弁解ではなく心底からそう、思えます。(「落ち度がある」との御主張あらば、その我が投稿ですが堂々、「ここに貼られたし」であります)ええ、今、振り返っても先の誌友会ですが、司会の私に落ち度は、「ない」ことをここに、表明します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
わたしに落ち度はありませんというのなら、なぜ、責任をとって司会者を控えるといった
発言をするのでしょうか?
 訊け氏は以前、本流を書きこみ禁止になったことを、わたしの不徳のいたすところだというように
発言していましたが、その反面執拗に、本流のことを排除だ背教だとも批判しています。

 もう出てこないといいながら臆面もなく出てきます。
 訊け氏のいうことは支離滅裂で信用できません。

598「訊け」管理人:2013/03/14(木) 17:18:40 ID:???


>>元青年会員さま


 ありがとうございます。私も両書共に大好きであります。あらためて拝読させて頂きました。さて今回、私は『常楽への道』を紹介させて頂きます。たしか以前、ここに投稿される「解説者」さまも同書、拝読しておられる旨を表明されて、おられました。私は特に、この箇所が好きであります。

○ 「往相精進の境を超えて」前編
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65584652.html
○ 〃 後編
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65585101.html

 再度拝読する機会を与えてくださり、ありがとうございました。



追伸

 ちなみに藤原先生では、「六文の定やん」が、特に気に入っております。

599うのはな:2013/03/15(金) 09:42:00 ID:IOWqcpLo

 トキ管理人さまへ

 あれだけ誌友会前後にいろいろな人から意見をいわれて、自主的に諸々の責任を
取って司会者を降板するといっていた訊け管理人さんが、最近ではぼくは全然悪いと思っていないと
表明されています。誌友会のとき、女神の部屋など訊け氏のブログのこととかでももめたと思います。
そのブログでさえ、ぼくは全然悪いと思っていない、これは僕が好きでつくったわけではない、
トキさんのためだ、というふうに話していました。

今後、訊けブログのリンクを貼らせないようにしてください。

600うのはな:2013/03/15(金) 09:48:35 ID:N1eT4w22

 訊けからいやな思いをさせられた志恩さんが休養されるにあたり、
これまで誌友会に参加し貢献してくださった方々、金木犀さんやマリーゴールドさん
などが思い出されます。

 彼女たちも、訊けからマイナスの影響を受け、それだけが原因でもないでしょうが、
ここの場から引退されたような形になっています。
 それなのに、ぼくは全然悪いと思っていない、と公言する人の神経を疑います。

 如月さんなどにも迷惑がかかったことと思います。
 わたしには何もできませんが、彼女たちの健康と幸運を祈らせていただきます。

 拝

601うのはな:2013/03/15(金) 09:59:25 ID:bT.UNkoo
30 :さくら:2013/02/05(火) 08:56:39 ID:earcshwI
>たとえ、さくらさまに理解されなくても、その気持ちに偽りはありません。


それはこちらのセリフです。
ただ、私の方が、ここでも器用に裏と表を上手に使い分けられないだけで、
真の生長の家のホープ様を混乱させ、理解されないのはこちらだと充分分かっておりますので、
どうぞお気遣いなくお願い申し上げます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜^

さくらマネは表裏の使い分けが出来なくても、訊け監督はそれができるようです。
今後は訊けブログで遊んでください。

602トキ:2013/03/15(金) 09:59:47 ID:6CVlXLL2
うのはな様

 この板は、web誌友会の会場です。個人に対する苦情やクレームは、別板でお願いします。
 また、「訊け管理人」様への苦情は、ご本人へのメールか、ご本人のブログでお願いを
します。

 この板は、誌友会の場所で、他の投稿者様へのクレームの場所ではないです。

 管理人として、強くお願いを申しあげます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

603うのはな:2013/03/15(金) 10:07:09 ID:EebPmb4M
追伸


 もう、「さくら」も来ないそうです。

 ですんで私もそろそろ、退散します。いやだって、人に「愛」だの「智慧」だの求める前に、反省することがあるんじゃないんですかね。「アナコンダ」「頭がおかしい」等の発言はOKです。さらには「死ね」「あの世へ行け」なんてものまで許容、されてます。一方で、上記三項目程度の話すら不能ならば、まあ普通・・・(中略)・・・もう、こんな掲示板じゃ「人が来ない」ですわ(^^)。いやだって、「ツマンネエ」もの(^^)。

604うのはな:2013/03/15(金) 10:09:18 ID:waBExT6Y
 トキ管理人さまへ

 誌友会に関係する話だから誌友会版に載せたんですが?
 それと別版でも訊け氏が自分のブログの苦情をここに持って来ていいわけですねとか
 他の人もいろいろ意見をいってますが、トキさんは回答されたのでしょうか?

605「訊け」管理人:2013/03/15(金) 10:27:11 ID:???


>>602トキ理事長

 (誌友会板でこんなことは書きたくないが)

 「ブログでの苦情」は、困ります。全て「メールにて」を、ご指示ください。

 さらにこの掲示板ですが、管理人は「トキ」さまです。他女性投稿者では「ない」のです。
管理人殿が「メールでの苦情」を申されて、早や9ヶ月経過してます。「ブログでの苦情」
は、困ります。全て「メールにて」を、再々度指示ください。





606「訊け」管理人:2013/03/15(金) 10:31:13 ID:???


>>元青年会員さま

 >>598に貴殿宛の返信を、掲載しております。念のためお知らせ致します。





607うのはな:2013/03/15(金) 10:32:18 ID:s3N.v/UY
トキ管理人さまへ

 以下の記述はこの版にあったものです。以下のようなものは個人の苦情の範疇に
入らないかご検討ください。

104 :さくら:2013/02/14(木) 12:49:54 ID:xQj6jtN.
真の生長の家人じゃなくても、心があるのは、わかりますか。
あなただけじゃないんですよ。
健気に生長の家を生きているのは。

ここでは書きたくありませんが、
見えないところで、
わたしにも傷つくこともあるんです。

608トキ:2013/03/15(金) 10:33:40 ID:6CVlXLL2
>>605

「訊け」管理人  様

 了解しました。失礼をしました。「ブログ」に関する部分はお詫びして、撤回をいたします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

609うのはな:2013/03/15(金) 10:35:12 ID:s3N.v/UY
101 :さくら:2013/02/14(木) 12:45:17 ID:xQj6jtN.
訊けさんには、なにがわかるんですか?

うのちゃんの気持ちも考えたことがあるのですか?


102 :さくら:2013/02/14(木) 12:46:27 ID:xQj6jtN.
こういう人の気持ちも感情も
おもいやることができない、真の生長の家って、なんですか?

きれいごとで、終わりでしょう。

610うのはな:2013/03/15(金) 10:37:03 ID:s3N.v/UY
604 名前:うのはな 投稿日: 2013/03/15(金) 10:09:18 ID:waBExT6Y
 トキ管理人さまへ

 誌友会に関係する話だから誌友会版に載せたんですが?
 それと別版でも訊け氏が自分のブログの苦情をここに持って来ていいわけですねとか
 他の人もいろいろ意見をいってますが、トキさんは回答されたのでしょうか?

611うのはな:2013/03/15(金) 10:40:20 ID:s3N.v/UY
 
 トキ管理人さまへ

 誌友会版ができる前の前夜祭では、訊け氏がうのはなさんをユカタ氏へのいけいえ
にとかマンガ絵などを掲載していました。他の方から誌友会前に苦情意見もあったと思いますが、
それらのとうこうに関して何か指示を与えましたか?

612「訊け」管理人:2013/03/15(金) 10:41:23 ID:???

BGM
http://www.youtube.com/watch?v=r9w5UpWRccg


>>トキ理事長

 こうしませんか。

 この方の投稿ですが、別板に貼り付けます。そして、ここの場所のものは「全て削除」で、
よいのではありませんか。

 ・・・・それくらいは対処、可能だと思います。そして、別板で訊け撃ちですが、継続して
頂きましょう。公論妨害さえなければ、まあ「よし」とします。





613うのはな:2013/03/15(金) 10:43:16 ID:s3N.v/UY
 訊け管理人さまへ

 あなたが開示するのに弁護士を通せといってきたクレーム対策室でも
なんでもトキさんこっちに誘導してください、とトキさんが関係しているので、
トキさんにここへ訊けのブログリンクは貼らせないようにしてください、と
トキ管理人あてにいっているのです。
あなたは口出ししないでください。

614うのはな:2013/03/15(金) 10:47:13 ID:YQQhliME
 
 部室版が出来たら落ち着くだろうと思います、のトキさんが部室版で訊け管理人氏が
割り込んできて長口論になった後に、うのはなさんは訊け管理人さんと直接話さないで
僕を間にはさんだらどうかというアイデアを選択して書いています。
訊け管理人さんは口出ししないでください。
あなたが、ここの管理人では{ない}のです。

615トキ:2013/03/15(金) 10:49:21 ID:6CVlXLL2
うのはな様

 管理人への連絡先です。
他の方に迷惑にならない形で、うのはな様のお考えをゆっくりと拝聴したので、以下へご連絡下さい。

tokirijicyo@yahoo.co.jp


合掌 ありがとうございます

管理人敬白

616うのはな:2013/03/15(金) 10:50:28 ID:N/iESTBo
 トキ管理人さまへ

 別版で、ということですが、その別版うのはな島では解説者さんがトキさんに
苦情していました。それについて明確な回答をされましたか?

617うのはな:2013/03/15(金) 11:18:06 ID:2.aydpeU
その女神の部屋の規約違反者であるリサさんという方が出席しなかったから、
わたしが訊けからさんざんな目にあったのです。トキさんに相談しても見なかったらいいという
事で、訊けからはわたしをアク禁にしてといえば許されるろ思っているとか
腹の立つことばかりいわれました。だからトキさんにもうリンクさせないでくださいといったんです。
訊けは口出さないでください。

618うのはな:2013/03/15(金) 11:18:51 ID:2.aydpeU
1169 :志恩:2012/02/21(火) 12:02:19 ID:.QY5jUA6
訊け君

私も、ぼるぼ様のご意見に賛成です。
こんなことを言うと、また、うのはなさんに叱られられそうだけれど、、

訊け君とうのはなさんが、ここでやりとりするから、
二人ともに華やかさを増し、二人ともに、スポットライトが、当たるのだと思います。

コントっていうと、うのはなさんは、激怒にちかく嫌うけれど、他人からみたらそうですよ。
他の人を,楽しくさせるから、コントに見えるのかな、人それぞれで、中には,嫌う人もいるけれど、、、、、

訊け君は、
訊けブログのほうに、うのはなさんを、ここからスカウトしようと、懸命で、あちらに
「女神の部屋」を増築して、うのはなさんを、盛んにご招待していたけれど、うのはなさんは、そこの部屋のつくりを見に行き、
ここへ帰って来て、「あの部屋は、好みでない」と感想を言うと、

それを聞きつけた訊け君は、ものすごくあせった様子で、慌てて部屋を作り直し、模様替えまでしました。

私は、それを遠くから眺めていて、微笑ましいやら、おかしいやらで、笑ってましたよ。

訊け君のやってることって、
まるで、オーストラリアに生息してる《アオアズマヤドリ》という鳥みたいだなって(笑)

アオアズマヤドリって鳥、知ってますか?

その鳥の、オスは、全身が光沢のある暗青色で被われていてね。そして、
オスは、メスに気に入って来てもらえるようにと、小枝などを組み合わせて「あずまや」(構造物)を作り、
その
周囲を《青い物》で、装飾しまくって、メスをご招待するのです。

だけど、オスの努力の甲斐もなく、メスが来て、それを見て、気に入らないで行ってしまうと、
オスは、慌てて、また、作り替えるわけです。
がんばるのよ、こんどこそ、メスに気にいってもらおうと思ってさ。
    
部屋も作り直し、青い装飾品も、変える、変える。
似てるでしょ?訊け君のやってることと(笑)

警察のほうは、トキさまに、おたずねしたら、知り合いの法律に詳しい人に、すでに
問い合わせてくださっていて、それは、最高裁で、社会事業団を、有罪にさせることより、むずかしい。つまり、
あなたが、おまわりさんに捕まる確率は、0に近い。とおっしゃってましたから、もう、それについては、安心されて、
逃亡生活には、終止符を打つことを、私も、ぼるぼ様同様に、おすすめします。

あなたは、だいたい、ひっそり自室に籠って、生きていられない性格ですものね。
ここのトキ様の集会所の窓から、ちょくちょく、ここの室内のうのはなさんの様子を覗きにきていることも、
みなさんから、ばれてますよ。

619トキ:2013/03/15(金) 11:33:56 ID:6CVlXLL2
うのはな様

 お返事はこちらに書きません。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11788/1346745644/

に書きましたので、以後、この件は、こちらへ書かないで下さい。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

620元青年会員です:2013/03/15(金) 18:27:49 ID:eZSv1gos
>>598
>>606 「訊け」管理人さま

抜粋箇所を読みました。
胸に切々と染み入ってまいりました。

私が吉田國太郎先生を好むのは、そのひたむきな求道姿勢にあります。
服部先生がおっしゃっていたように、吉田國太郎先生は実相の中心を悟りきった方ではありません。
抜粋箇所のお話のとおり、迷いつつ手探りで必死に真理に向き合っていらっしゃった方です。
その姿勢の純粋さに、私は敬意を表したくなるのです。

お顔にも、その純粋な浄らかさが現れていますね。
私には、命を捨てる特攻を間近に控えた兵士のように感じられます。
健康状態はひどい方でしたから、いつ死ぬとも良し、の覚悟が定まっていたのでしょう。

求道というものの何たるかを教えてくださる稀有な方だと思います。

621「訊け」管理人:2013/03/15(金) 19:31:20 ID:???

>>620


 國太郎先生ですがあの御文章、なんと ――30歳だったはずです。

 30歳であの御文章、お書きになられたわけです。特攻隊にも似たという、貴殿のご指摘は
その通りだと、思います。

 若くして亡くなった同先生でございますが・・・・・平成の世においても私や「解説者」さま等、多々お救いに
なられておられます。まさに、特攻隊のような方です。

追伸

 たしか同先生は、「20万人を救った」と、言われていたとか、嗚呼。

622トキ:2013/03/15(金) 20:30:58 ID:6CVlXLL2
 吉田國太郎先生をご存知の方に話を聞いた事があります。

 戦前はまだお元気で、青年とハイキングに行かれた事もあったみたいです。しかし、
その頃から、「普通の人とは違う、高い心境におられ、私達も近寄りがたい雰囲気が
あった」と言われていました。

 戦後、体調を崩すと、ご講演に行かれても、会場につかれて30分ぐらいは寝て
体調を調えておられたようです。が、その後、起き上がり、病気無しの話を順々
とされたと聞いています。

 やはり、すごい講師だったみたいです。

623さくら:2013/03/16(土) 08:53:52 ID:nqdx2mHk
元青年会員ですさま
訊けさま

割り込みしてすみません、。
「常楽への道」のお話だったので、一言だけ・・
わたしもこのご著書には、目の覚める想いをした一人です。

・・わたしは生長の家にきたころ、講師を捕まえては
「人間には罪がないということは、わかりません」と質問しているような、
やっかいな信徒でした、笑。(その頃の自分にはとても大切な問題でした、)
・・そんなバカを、一人の講師だけは丁寧に対応してくれて、
「あなたはすばらしいね、あなたの質問はすばらしいね。」
といって、「聖道へ」「神をさばく」(これは絶版になったものだと思いますが、貸してくださいました)
「生命の実相 自伝編」など・・雅春先生のまだ、求道の途中にある頃のものとともに・・その他のいろいろなご著書を紹介してくださいました。
・・だからなんというか、いまでも、生長の家では一見迷いに見えるようなものでも、真摯な求道の姿というものに、
シンパシーというか、共感することが多いです、。
(生長の家で変わったのは、迷うにしても、「大安心して迷える」というようになりました、笑)

その頃、古い信徒さまに頂いたのが「常楽への道」でした。
なんともいえず澄んだご文章から、求道の真摯さに、いつもこころ打たれています。

わたしは、このように生長の家の初期に良い先生に出会いをして導いてもらいましたが、
実は、組織活動で、つまづいて生長の家に疑問をもって離れました。

その中でも、「常楽への道」を読んだときには、その真摯な信仰姿勢にこころが引き締まり、
いち求道者としてのこころを、ふりかえさせられるようなご著書です。

思い出させてくださり、ありがとうございます。




624SAKURA:2013/03/16(土) 12:33:47 ID:XKr/ryCE
「トキ様」 へ   「観覧者様」 へ
こんにちは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

┏ ─────────────────────────────────────── ┓
  ※尚、私! ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】と…
「ひらがなのさくら様」とは〜〜〜〜全くもっての“別人”です。御了承下さいませ…。】
┗ ─────────────────────────────────────── ┓

■□【 お知らせ… 】
只今『 「教区会員」板 』で【SAKURAの山口講習会…日記をパ−トⅢ】まで、投稿しており
ますので、お忙しい中…お時間がありましたなら閲覧してくださいますと幸いです。更に、今回
「管理人・トキ様の投稿文章」からの感想を投稿させて頂いておりますので…それも、含めて
閲覧して頂きますと〜〜〜。

❤では!また今日も“頑張る…ガンバルウ−マン【SAKURA】です。…が?皆様も、社会情勢が
複雑化しております古今東西…【魂の向上】が益々と必要になりますのではないのでしょうか?
経済的不況を吹き飛ばすには?そして、今のこの現状を打開致しますには?〜〜〜〜
【自分の心=神との一体の自覚!】ができますと、何も!不安とかは〜〜〜ないのですョネ!!

■ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】は❤「大安心の境地は!神地一体」でしょうかと。

更に、先日の「山口開催の講演会」…総裁先生がご指導されました【日々の三正行…】を実践して
いきますと、当に「大安心の境地〜♫」で〜〜〜す。必ずや『神様が導いてくださるのです』と…
確信!!確信!!(更に、体験談のお話を拝聴して…“不可能の文字はない!!”と…確信!)

❤〜では……今日も一日!忙しい皆様方と共に【SAKURA〜〜流?…にてSTART!!】
                                       再合掌

626SAKURA:2013/03/16(土) 17:13:52 ID:L0R9jzpQ
トキ様 へ   観覧者の皆様 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

【 インフォメーション 】
此処!投稿者の皆様方も、多くの書籍本を拝読されていらっしゃいますよう〜〜〜ですかと。
ところで……

■□※谷口雅春先生著「 聖 道 へ 」……に関しましては?
今でも「アマゾン…」にて購入出来ますが?但し?現在でも『日本教文社』にも在りましたかと。
尚!先程…新品の書籍を「アマゾン」にて購入させて頂きました。此処での最後の一冊…“ゲット”
此処の掲示板にて紹介…頂きました事に、感謝申し上げます。
それから、余談ですが〜〜「アマゾン…」にて残り少ない様ですが【10冊の中古本】があります。
価格は〜〜〜色々で〜〜〜す。(微笑…)

※尚!!「常楽への道」吉田国太郎著になりますのです〜〜〜ネ!
この書籍本も「アマゾン」で購入出来ますようです〜〜〜ネ!そして「日本教文社」でも〜〜〜
【 増補新版 常楽への道 】として発行されています様です。
私は、存じませんせしたが〜〜〜この「吉田国太郎先生」というお方は?
【昭和10年、生長の家本部に奉職。同21年、本部理事に就任。死の巖頭に立ち続けながら
永遠の生命のみを観つめ、生長の家の布教活動に挺身。昭和32年6月逝去。】
このような“経歴のお方”なのです〜〜〜ネ!

■改めて「良書…との出会い」は、自分自身の「魂の向上」にもつながりますので…ご紹介頂き
ました皆様に…感謝申し上げます…。           再合掌

627トキ:2013/03/16(土) 20:54:22 ID:0vm.eILM
>>623

「聖道へ」は絶版になったのですか? 残念です。

628さくら:2013/03/16(土) 21:03:32 ID:gtAGHPqg
>>627
わたしは、元青年会員ですさまと訊けさまが「常楽への道」について語られていたので、「求道や信仰」に共感をしたかっただけです。
「聖道へ」のことは、当時は購入しましたが、いまは存じません。

「聖道へ」は、内容に関わらず、わたしにとっては、恩師との思い出もある、大切な、ご著書です。
雅春先生の真摯な求道の軌跡でもあると思います。

「一部の個人の求道」のはなしは、この掲示板の趣旨にあわないこともありますので、
今後も投稿は差し控えますので、ご安心下さい。

629トキ:2013/03/16(土) 21:23:07 ID:0vm.eILM
>>628

 ご投稿、ありがとうございました。

>>「一部の個人の求道」のはなしは、この掲示板の趣旨にあわないこともありますので、
>>今後も投稿は差し控えますので、ご安心下さい。

 他の方々の勉強になることもあると思うので、御時間のあるときでも、ご披露下されば幸いです。

合掌 ありがとうございます

630SAKURA:2013/03/16(土) 23:51:11 ID:NvcmVTKk
管理人 トキ様 へ 観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■ 「管理 トキ様」へ  その①
此処の「2チャンネル…ボ−ド」は、勝手に投稿ナンバ−・各ボ−ドが、動くのでしょうか〜〜?
以前から、不思議に思っていたのですが〜〜〜?変です〜〜〜ネ!

■あら???>>627「管理人…トキ様」に於かれましたは〜〜〜
私(ロ−マ字)の【SAKURA】が>>624>>626 現在!投稿しておりますが〜〜〜
この間に…【>>625の管理人トキ様】の番号が〜〜〜ありましたかと。この記憶が……
―――・【一部抜粋】―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・
627 :トキ:2013/03/16(土) 20:54:22 ID:0vm.eILM
>>623
「聖道へ」は絶版になったのですか? 残念です。
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・――−・――

実は〜〜〜この削除されましたところの【>>625の管理人…トキ様】の削除された投稿文には???
私の記憶ですが〜〜〜下記のような内容でしたかと??
―――・【一部抜粋…記憶】―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・――
>>「聖道へ」は絶版になったのですか? 絶版ですか?
「初心者様から」頂いた…云々……              (アバウト的…です。…が?)
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・――−・――
※私の記憶では、この様な内容かと??この様に私は、この文章を閲覧しまして…
今回>>626のインフォメ―ションをさせて頂きました次第です…。が?

■現在の“コメント投稿の流れ…”で閲覧していきますと、まるで私達の“嫌がらせ?”に、
なるような感じに、当方と致しましては、受け取れますでしょうか〜〜〜?
>>625の管理人…トキ様 】の“幻のコメント!!!”が、すぐさま【削除…?】の様ですから
“流れ…”が、随分変わりますかと。そちら「管理人 トキ様」が消去されますのは、
いとも〜〜〜簡単でしょうが〜〜〜?

今回の私の“投稿文章”は❤【聖道へ…】は絶版?になったとの事すら?知らなかったといって過言では
ないのですが〜〜〜私は、前々から「絶版…?」になっているとの事を?記憶の中では【分派の皆様方達?】
が、おっしゃつておりましたから〜〜〜?又!そのように、信じておりました次第です。…が?“あるのかも?”
〜〜〜フト!インスプレーションにて“在る…”と、脳裏に…それにて「アマゾンを検索…」しますと、最後の
1冊(新書…)が…!しかしながら、後程入手可能な感じにも、文章から伺えました次第です。…が?

更に……
「吉田国太郎様…著書」の事も?【分派の皆様…】がよく紹介されていましたから〜〜〜❤【社会事業団の
出版関連…なのかと】と思いこんでいましたら、これも「日本教文社発行」でしたので〜〜〜“ビックリ”です。
戦前…からのご活躍の方…の様ですかと。それでしたら〜〜〜?

                                          つづく

631SAKURA:2013/03/16(土) 23:54:04 ID:NvcmVTKk
管理人 トキ様 へ 観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■ 「管理人 トキ様」へ  その②
>>630 の【SAKURA投稿の…】続きです…。

正直な話ですが?皆様が「戦争…」に関連しました事を、よく投稿されていましたので…今回「がてん!!」
が行きましたでしょうか?今回!!1冊残った事を知り、そうそう“購入…”致しましたので、これは、まさに
【神様の導き】でしょうか〜〜〜??思いますに〜〜〜今回!【たった一言の管理人…トキ様】の文章
>>625の管理人…トキ様】の幻のコメントが、“引き金…”になりましての【購入…更なる
真理探究】でした次第です。…が?これには感謝致します。改めまして“有難うございました…”

■さて!!これで、私はこのような“気持ち…”でのつまり新たなる【真理…探究!】閲覧の皆様
にも、良書を拝読します事は【人生へのプラス】になるものと“想い…”にて、私、同様に、拝読
されましたらとの“気持ち”が〜〜〜❤【蓋を開けます…】と、かなりの〜〜〜“イヤミ…!!”
なのでしょうかと。??

更に!この本の“感想…”も、特別待遇…「ひらがなのさくら様」への感想が求めていますので…
私も個人的に拝読しますが…「管理人 トキ様」のご要望の「ひらがなのさくら様」の感想を、
私も、拝読させて頂きます事を…楽しみに致しておきます。(こちらも読んでの感想〜は〜〜??)
是非とも「観覧者の皆様」にも…「雅春先生…」の初期の頃の著書と……思いますので如何かと?

❤〜やはり【管理人…トキ様】は、【分派…擁護派】ということが…益々と今回の件…及び
以前から「投稿…」しますと不思議な現象も…ありましたが?此処でも「管理人様は、中道では?」
そして「管理人側…」としては、当たり前の処置なのですかと?改めまして感じました次第です。

最後に…この【2チャンネル掲示板…】も【分派側…さくら様】推薦であります事が、今回、知らし
めくださいました事に…深く感謝いたします。『光明掲示板…含めまして』ですが〜〜〜
更に…「別板…」でも討論のようですので……!

■あくまでも…【現総裁…雅宣先生擁護派…】オンリ−の【SAKURA…(ロ−マ字“大”)】として、
投稿を引き続きさせて頂きます…。宜しくお願い申し上げます。

                                 再合掌

632SAKURA:2013/03/17(日) 03:37:41 ID:NvcmVTKk
管理人 トキ様 へ 観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>624 >>626 >>630>>631 のSAKURAの投稿の続きです…。

■「管理人…トキ様」 へ 【 追 伸 事 項 】
もう一度…よく閲覧してみますと〜〜〜殆ど「管理人…トキ様」は、
現総裁雅宣先生擁護派…としての!「オンリ−・ワン!SAKURA(ロ−マ字)」の投稿しております
投稿文章を、全く“拝読…”されていないのでは〜〜〜ないでしょうか??
こちらが>>626に投稿しておりました私の投稿の内容から、「 聖 道 へ 」に関して…
日本教文社から販売がされています。この事を、記載しています…が?

>>627 トキ様の返事の内容では、全くもっては「さくら様の投稿のみ」を、閲覧してのいつもの
“返事…”の様ですかと…ですから、この事から判断しますと、今までの全般に渡ります“投稿“
は〜〜〜閲覧がなされていない状況なのでしょう〜〜〜ネ!更に、今までの返事の内容から、冷静に
判断しますと【つじつまの合わない?“ふ…”に落ちない事もあり?…】今にして思いますと、
私の返事は【いやいやながらの返事……】でしたと判断しました。

■□ある時の事です。「神の子様」がおっしゃつていました事が思い出されます。それは〜〜〜

「管理人…トキ様」は、実に【嫌がっているので、返事を求めるな…】この様な事を…頂きました。
〜〜〜この時の私は【 生長の家の本部職員…】少なくとも?現時点での【奉職…】ですから、
多くの事を「2代目…清超先生時代からご指導を受けている方」ということは【魂ははるかに上…】
この様に思いました次第です。…が?ですから「神の子様…の言葉」が、そのように云われても?
当時としては、全く信じられませんでした。…が?【中立…派】かと〜〜
現実的に「神の子様…の言葉」は、本当と理解致しましたので、正直「意気消沈…」しております。

そして、時々【障害者である私に対しての…人道的な擁護の言葉…】これも、あくまでも【表面上】
ということが、今回の内容にて理解致しました。『管理人…トキ様』自身が【分派…擁護派】のよう
ですから……当然のことながら、「学ぶ会」「トキみつる会」「靖国見真会」…の皆様方の捉え方〜〜〜
【分派…障害者は?人間失格論…】とみなしているとの判断になりますでしょうかと〜〜〜!
この事は、ある面では【信仰とは…差 別 性 あ り】と捉える面も考慮ということでしょうか?

■結局は「本部職員のみ?元の仲間意識のみ?での事…この事が明確に判明致しましたでしょうかと。
信仰とは【信 者 と か 全 く 関 係 な い 事 で あ る】なのでしょうネ!!
では〜〜〜【奉 職 と は …】この事が?疑問点になりますでしょうか???

そして、いつも“不思議…”に思いましたが?こちらが“投稿…”しましても、いつもの事ながらと?
【全て…なしのつぶて!!】で、あくまでも【そちらの仲間同士…】とか?【お気に入りの方】は、
すばやくの対応にての“返事…”ですから、なるほど…今回も「ひらがなのさくら様」の方には、
【お気に入りの仲間】としての“お返事…”ですからと、考えなくても自然に思えます〜〜〜
投稿内容の流れでしたかと、今更ながら感じました次第です…。

■しかしながら、私は、本当に現在【生長の家…お家騒動】の事で…真剣に将来を考えての
“投稿…”しておりました次第なのです。…が?
もっと「生長の家…現総裁先生擁護派」としまして“真剣…”に投稿させて頂きます予定です。
…【お邪魔虫?】でしょうが〜〜〜その点は、ご了承くださいませ…。
最後に…「閲覧者…」の中で「賛同して頂けます皆様方々=現総裁雅宣先生擁護派…」の皆様が、
益々と…つたない【SAKURA投稿内容文章】を、閲覧して頂けますと…幸いに存じ申し上げます。

                                    再合掌

633神の子さん:2013/03/17(日) 09:16:50 ID:???

 トキさん、女難の相ありとみました。

634トキ:2013/03/17(日) 10:28:33 ID:NNa6VHMQ
>>632

 いえいえ、いつも楽しく拝見させていただいております。本当に感謝申し上げます。

 別にスルーしていてるのではなくて、SAKURA様の文章は続くので、完結してからご
感想を申しあげるつもりでいました。ご気分を害されたら、深くお詫びします。

 今後とも、ご投稿のほど、お願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

635SAKURA:2013/03/17(日) 13:01:25 ID:1meWUCC2
「管理人 トキ様」 へ  「観覧者 の 皆様」 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>624>>626>>630>>631>>632 のSAKURAの投稿の続きです…。

>>632についての“お返事…”と解釈して宜しいのでしょうか?早速の“お返事”頂きありが
とうございます…。そして【消去された>>625トキ様のコメント】が、存在していましたなら、
まだ私は、このような感情?はなかったはずだと思います。…が?「管理人…トキ様」?更に…
今回の私の意見は【つづき投稿…】では、ありませんのですが?(一つだけ?追伸事項は投稿かと)

事の発端としての流れを申しますと「>> 623 ひらがなのさくら様のコメント」から…その後ですが?
「管理人トキ様」が返答されましたのが、投稿ナンバ−が消去されました【>>625トキ様のコメント】
であります。そこの部分を、たまたま閲覧させて頂きまして、それについての私…
>>626 ロ−マ字のSAKURA】が、投稿コメント致しましたら〜〜私で事不在の後に、PCを開き
ますと後に【>>625管理人トキ様のコメント】が消去されていまして、閲覧しますと、更に…
>>626 ロ−マ字のSAKURA】がコメント後に【>>627管理人のトキ様のコメント】が投稿されて
おりました。…が?此処での【>>627トキ様の投稿の内容】にて、今回の返事が〜〜〜?疑問点と?
新たに感じましたでしょうか?しかも、私が投稿された“内容…”を、閲覧されて頂きましたなら、
>>627 管理人…トキ様のコメントの内容の返事】では〜〜〜無い筈です。…が?
❤〜此処が一番の私の「ポイント…」なのですが?これは?男性?女性ン?としての捉え方…かとも、
思いましたが〜〜〜やはり、私自身の全般にわたりましての「投稿内容…閲覧」は、ある面、殆ど
なれていないとの…管理人様は「分派…擁護派」ということなのでしょうかと。仲間意識?ただ〜〜

私が、投稿内容しましての伝えたかった主旨事は〜〜〜?更に、何故?この様に投稿する原因が生じ
ましたかの意図は、何度も申し上げました様に再度【>>626…書籍本のインフォメ−ション】それに、
これについては?この書本の廃版ではないのでは?まだ!まだ!日本教文社にて販売されています
事の「お知らせ…」なのですが、全くもって閲覧されていないのではないでしょうか???

更に【>>630>>631 SAKURAの投稿】は、上記の流れに到る内容を詳しくコメントしておりますが、
【現総裁先生…擁護派】としての文章は?…個人的に感情はあられますでしょうが?閲覧して頂き
ますと…幸いに思います。…が?「管理人であるトキ様」が「ひらがなのさくら様」に、返事の前に
こちらが、一応【書籍本についてのインフォメ―ション】はしておりますので【廃版…云々…】の
この様な内容の「管理人トキ様」の返事となるのでしょうか?これも【スル―…】という事なので
しょうか??これに到る経過を、何度も記載コメントしております次第なのですが…?

これに関しましての、「返答…」を、ご多忙とぞんじますが?頂けますと幸いに存じ申し上げます。
尚!【生長の家…公務】のと多忙中の時間の合間にて、お返事を頂けます事をお待ち申し上げます。

                                        再合掌
PS: 最後に「ネット…文章投稿」に関しましては?やはり…“理解…?判断…?”改めて
難問題かと…思いました次第ですかと。

636トキ:2013/03/17(日) 14:10:26 ID:63q.dM7Q
>>635

 ご投稿、ありがとうございました。

 先のコメントは、あまり適切な内容ではなかったので、消しました。
その件はお詫びします。

 聖道へ、については、昨日、私もゆっくりと拝見し、いい内容だなあ、と感激しました。
末尾には、50年後の谷口雅春先生のコメントが書かれているので、また勉強になります。

 この聖道も、もですが、吉田國太郎先生のご本も今でも教化部で発売されています。

 どうぞ、周囲の人にもどんどんと進めて下さい。

よろしくお願いします。

637SAKURA:2013/03/17(日) 22:46:07 ID:TuM1gF6c
管理人 トキ様 へ 観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>624>>626>>630>>631>>632>>635 のSAKURAの投稿の続きです…。

>>636 「管理人 トキ様」早々の“お返事…”ありがとうございます。
「コメント投稿」後、私事になりますが、今日は「亡き母」の菩提寺にて…【納骨堂の落成式…】
に、参加しましたので…先程(10時頃)今、戻ったところです。…が?そして、久しぶりに、
【甘露の法雨のお経…】を、新しい納骨堂の場所で、唱えて来ました。…何となく背後に両親が?
ヘタな私の“お経の読誦”を聞いてくれているような〜〜〜感じでしたかと。

■さて、私も、いつも流れを考えながら(考慮不十分カモ?)の投稿なのです。…が?今回
閲覧しました時、何とな〜〜〜く【ロ−マ字のSAKURA】の投稿が?流れから浮羽状況ナノ?おか
しく感じましたので…そのように見えてくるのですョネ!何度も見直しますと、こちらも分けが分
からずの“感情…”が、吹き出してしまったのです。…が?後程、考えますと「トキ様…」は
“男性”ですし、私は“女性”です。従いまして「感情の捉え方」が、男女違う事に、後で思い
なおしました。…が?「トキ様…」よりの早々の“お返事”で、納得しました。…が?前回?記憶
が定かではありませんが〜〜〜「goro様」が、似た様な投稿がありまして、その時の私はどうして
?と…云った感じでした。…が?今回の私も、似たような“体験…”をしたわけなのです。…が?

■本当に「文章投稿伝達…の難しさ」とか?「感情の伝え方」とか?いろんな意味合いにて、私も
いい勉強になりました次第です。私も、最初の「トキ様…」の文章から【アマゾンで検索】して、
書籍「聖道…」を購入いたしましたが、“戦前の時代の背景”から何処まで“現代の若者”に伝える
事が?表現が?〜〜〜出来るかが課題に思いますし「トキ様…」の感想から、まだ!手元には届いて
おりませんが、拝読してみることへの楽しみが増えましたでしょうか〜〜〜と思います。
【 50年後の谷口雅春先生のコメントが書かれているので…】早く〜〜特急便にて手元に〜♫〜

❤さて今日は「菩提寺」で【甘露の法雨…】を唱えて来ました。帰りには〜〜〜
【落成の饅頭…】を頂きまして〜〜〜ウキ!ウキ!気分でした。…天気も【雨のち晴れ??】
きっと!!「亡き両親…」が、ニッコリ・スマイルと…思います。       再合掌

PS: お忙しい中での「トキ様」からの早々の“お返事”改めまして、感謝申し上げます…。

638うのはな:2013/03/21(木) 14:54:03 ID:feieQgHk


1065 :「訊け」管理人:2013/03/16(土) 09:43:26

>>1060

 馬見て鹿だと言ってますが。

 だれもあなたのこと、言ってませんけども・・・・ホープさんの投稿でも、御覧になれば?


 あと、復興Gさまに謝罪、したら?あと、ついでに●ちゃんにもね・・・(不手際でバレましたとか)

 とか、書くと大変なことになりますんであとは、トキさんよろしく。(ハァ・・・)

639トキ:2013/03/21(木) 15:39:18 ID:lXU7i4ic
>>633

 本当にそうですね。痛感します。

640うのはな:2013/03/21(木) 15:46:21 ID:YCbLw2eM
トキさまへ

 みんなの意見をききましょうと、あなたが丸投げした別版方針版では
訊け管理人氏が「落ち着く」の定義についてゴタゴタいったまま、他の人の
身元詮索や、バカ女について議論しましょうなどの話題に脱線していってます。
言い逃れもいいことあるのかなの川柳版などの話もどうなったのでしょうか?

641うのはな:2013/03/21(木) 15:47:37 ID:YCbLw2eM

トキ様へ

 それと訊け管理人氏から、ウェブ誌友会版で復興Gさまに謝罪するべきだと
いわれましたが、トキ管理人さまの意見をお聞かせください。

642うのはな:2013/03/21(木) 15:51:40 ID:YCbLw2eM
960) 本部では今春から、倒れる職員や講師が続出。 投稿者:事情通
本部では今春から、倒れる職員や講師が続出。4月には宇治でも練成部から倒れた講師が2人出たという(1人は講話中に失神したと練成参加の方からお聴きした)。情けなや。「サラリーマン講師」の証ではないか。

どうなっているのか。

人を救う前に「自分たちを救ったほうがいいのではないか」とは、初めての練成参加者の言。

情けない。人類光明化の看板を下げて、「環境は心の影」なのに「環境問題」「環境問題」と騒ぐこと自体が、一番「問題なのではないか。」

谷口雅春先生の御教えではそうだが、これも「原理主義」なのだろうか。

643復興G:2013/03/30(土) 21:41:23 ID:AB6RqYXc

本掲示板の管理人 トキ様
ほか 皆々さま。

4月度の第13回WEB誌友会日程について、お伺いです。

第13回web誌友会は
4月12日(金)21:30より、14日(日)23:30まで
ということでご了承をいただいていましたが、私としては変更させて頂きたい都合が出てきました。

最終日の14日(日)、午前・午後とも、出かけなければならない行事予定が入りました。

1週間後の
≪19日(金)夜から21日(日)夜まで≫

に変更させて頂けないでしょうか。お伺いを申し上げます。

テキストは、『生命の實相』第3巻「はしがき」〜p.3の終わりまで です。(巻頭に掲げられた二つの神示について、重点的に学びます。)

ありがとうございます。 合掌 拝

644a hope:2013/03/31(日) 07:43:40 ID:TqpbsVIM
>>643復興Gさま

第13回 WEB誌友会の開催日の変更、わたしは大丈夫です。
今回も、どうぞよろしくお願いいたします。


みなさま

先日テキストになっている部分を確認しましたら、復興Gさまがおっしゃる、
『巻頭に掲げられた二つの神示』は、わたしの持っている神示集では、
「声字即実相の神示」と、「万教帰一の神示」という名前がつけられています。

ところで『神示』って、具体的にはどういうことなんなんだろう?
と、今、ちょっと思いまして、webで辞書検索してみましたら、

―――――――
1.神示

⇒七つの燈臺の點燈者の神示
――――――

とでました。

あらためて、「生長の家の教え」の偉大さを思い知りました。

645復興G:2013/03/31(日) 09:45:13 ID:AB6RqYXc

>>644 :a hope様。

コメント、ありがとうございます。
私も、webで辞書検索してみましたら、次のように出ているのを見つけました。

   * * * * * * * * * * *

Weblio 辞書
七つの燈臺の點燈者の神示の概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/12/20 04:55 UTC 版)

大調和の神示では「汝ら天地一切のものと和解せよ」と天地一切のもの、特に親・先祖・子孫・上司・部下・皇恩・神に感謝する様に説く。特に親に感謝する事を重視し、親に感謝しない者は神を感謝しても神の心にかなわないと説く。神は天地一切のものと感謝し調和したところに顕れるとも説く。

梅の花の神示では日本を世界でただ一つの光でありそれ以外は全て偽りの光であるとし、それ故日本は「日(霊)の本」というのであると説いた。また日本は精神で世界を統一する運動であるがそれに対して当時のソ連を世界を物質で支配しようとする運動であるとも説いた。またスターリンや無中心主義を「無明(迷い)の塊」であるとしそれらを中心にして世界が幸福になれるなどというものは愚か者であると批判し、一種の唯心論的体裁を持っている。

終戦後に著された4つの神示では天皇・国家の大権・神聖性の喪失について、国民自身の神聖さの自覚の欠乏が原因であると説いた。新たに導入された民主主義については国民が「民主」で天皇は「客」であると説いた。

33の神示
1.大調和の神示(昭和6年9月27日夜)
2.完成の燈臺の神示(昭和6年1月15日)
3.萬教歸一の神示(昭和6年4月5日)
4.新天新地の神示(昭和6年5月6日)
5."心の法則"と"平和への道"の神示(昭和6年5月30日夜)
6.歸幽の神示(昭和6年6月26日)
7.生死の教(昭和6年9月5日)
8."最後の審判"に就いての神示(昭和6年9月28日朝)
9.信仰生活の神示(昭和6年12月5日)
10.聲字即實相の神示(昭和7年1月11日)
11.自他一體の神示(昭和7年2月4日)
12.上求菩提・下化衆生の神示(昭和7年2月9日)
13.『いのちのゆには』の神示(昭和7年3月14日)
14.使命邁進の神示(昭和7年3月15日執務中)
15.無相圓相一切相の神示昭和7年4月10日)
16.無限供給の神示(昭和7年5月5日)
17.久遠天上理想國實現の神示(昭和7年5月27日)
18.萬教包容の神示(昭和7年7月7日朝)
19.懺悔の神示(昭和7年8月12日)
20.實相金剛身の神示(昭和7年9月2日)
21.無病常樂の神示(昭和7年11月10日)
22.本來生、不滅の神示(昭和7年11月25日)
23.梅の花の神示(昭和8年1月6日)
24.自然流通の神示(昭和8年1月25日)
25.至上者の自覺の神示(昭和8年3月16日)
26.本當の信仰に就いての神示(昭和8年8月5日)
27.靈魂進化の神示(昭和8年9月15日)
28.兒童教育に関する神示(時期未詳)
29.生長の家の食事(昭和5年11月4日)
30.終戰後の神示(昭和20年11月27日未明)
31.日本の實相顕現の神示(昭和20年12月28日未明)
32.君民同治の神示(12月28日午後12時、年未詳)
33.大和の國の神示(昭和21年1月6日朝、啓示)

尚、「大和の国の神示」はGHQの検閲で没収されたものが後に生長の家側へ戻り検討の結果神示として採用されたものである。

   * * * * * * * * * * *

646復興G:2013/03/31(日) 09:59:06 ID:AB6RqYXc

さて、私の提案と申しますか、お願いは、4月度の第13回web誌友会は、下記日程で開かせて頂きたいということです。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

『第13回web誌友会』

≪日時≫
4月19日(金)21:30から
4月21日(日)23:30まで

≪テキスト≫
『生命の實相』第3巻はしがき〜p.3まで

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

ご意見があればおっしゃっていただきたく、お願い申し上げます。

647トキ:2013/03/31(日) 10:48:18 ID:ZOYJ1Hoc
>>646


復興G様

 いつもご多忙の中、すばらしいご指導を賜り深く感謝申し上げます。

 ご提案の件、私は賛成をさせていただきます。
よろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

648トキ:2013/04/01(月) 10:08:47 ID:Esid1Gs2
 天地一切の物に感謝せよ、で思い出した事がありました。

 ずいぶん前に生長の家宇治別格本山の研修生だった方から聞いた話です。
その方は、榎本恵吾先生から指導を受けていたのですが、ご一緒に行動をする事が多かったみたいです。

 宇治でも別格本山がある地域は田舎ですが、道路には自動車がよく通るので、犬や猫が自動車にひかれて
死んでいる光景をよく見たそうです。普通の人なら「気持ち悪い!」と目を背ける光景ですが、榎本先生は
自動車から降りて、死んでいる猫や犬を抱き上げ、抱きしめてから自動車に乗せて、適当な空き地まで運び
そこに穴を掘って埋葬し、懇ろに祈ってから、その場を立ち去られるそうです。そういう光景を何回も見た、と
その人は話していました。

 なかなか、普通の人はそこまで出来ないですが、「自然との調和」とはそういう事かもしれないと
思います。

649復興G:2013/04/01(月) 19:58:49 ID:AB6RqYXc

>>647
トキ様。

4月のweb誌友会日程について、ご賛成、ありがとうございました。

他にご異論はないようですから、第13回web誌友会は
     ○
≪日時≫
4月19日(金)21:30から
4月21日(日)23:30まで
≪テキスト≫
『生命の實相』第3巻はしがき〜p.3まで
     ○
で開催の予定とさせて頂きます。よろしくお願い申し上げます。

>>648

「自然との調和」について、榎本先生の逸話ご紹介、ありがとうございました。
本当に、榎本先生は実行の人だったんですね。感心させられます。

ところで、最近ある方から、「4千万本の木を植えた植物生態学者 宮脇昭の映像記録 『未来を照らすいのちの森』」というDVDを頂き、今日、拝見しました。

宮脇先生は今84歳ですが、ものすごいバイタリティーで全世界にいのちの森づくり活動をひろめておられる方で、私は飛田給道場で先生のご講演を聴いたことがありますが、今回のDVD作品を見、そのメッセージにあらためて感銘を受けました。それをちょっと謹写させていただきましょう。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

≪宮脇昭先生、植樹活動でのメッセージより≫

 生物社会は、競争しながら少し我慢して共に生きる。
 これが健全な状態です。
 好きな奴だけを集めない。
 今日はたった47種類を植えますが…(中略)…
 植物は命をかけて、根がスポットいっぱいになっています。ご覧のように、根が充満しています。これが本物なんですよ。

 死んだ材料は定規が使えても、人の顔は定規では描けません。
 それほど自然は多様性に富んでいます。
 違うことが大事なのです。
 違う人間を異質なものとして除(の)けないで――
 生物多様性とは、嫌な奴とも我慢しながら一緒に生きて行く。
 これが、40億年続いた生物社会の姿です。

 人類はここまで、愚か者は破滅していますが、日本民族が生き延びてきたのは、この生物社会の掟に従ってきたからであって、我慢できない生き物は一時も生きていけない。
 残念ながら戦後の日本の社会は、我慢を忘れているのではないか。
 人間はひとりでは生きていけない。人類も同様に、ひとりでは生きていけません。
 木を植えれば落ち葉の掃除がやっかいだし、日陰になるから伐れという。
 これは、刹那的にはそれでよいかも知れないが、生物社会ではむしろ危険な状態です。
 生物社会は、嫌な奴とも我慢して生きて行くこと。

 人類が地球で生き延びるために、最低限の 生産―消費―分解―還元 の生態系のシステム維持ができる程度に、すべての生き物と、我慢し、助け合い、共生していきましょう。
   <以上、宮脇昭先生のメッセージより>

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 私は上記を読んで、これは雅宣総裁も常に言っておられることに近いと思いましたが、同時に、

≪自然は多様性に富んでいます。
 違うことが大事なのです。
 違う人間を異質なものとして除(の)けないで――
 生物多様性とは、嫌な奴とも我慢しながら一緒に生きて行くこと。≫

 ということを、自然に対してだけでなく、同志である人間に対しても、嫌な奴を除(の)けないで、和解、感謝し調和して行かなくてはならないのではないか、と強く思いました。

650トキ:2013/04/01(月) 20:44:40 ID:Esid1Gs2
 よろしくお願い申し上げます。
ご多忙の中、ご指導を賜ります事を深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

653a hope:2013/04/16(火) 20:57:02 ID:6kIbHHgs

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

『第13回web誌友会』

≪日時≫
4月19日(金)21:30から
4月21日(日)23:30まで

≪テキスト≫
『生命の實相』第3巻はしがき〜p.3まで

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


第13回web誌友会が近づいてきましたので、予告させていただきます。

わたしはここのところ、毎朝の神想観と「甘露の法雨」の読誦は欠かしませんでしたが、
聖典をゆっくりする拝読する時間がなかなか取れませんでした。

最近、少し仕事が落ち着いてきましたので、このweb誌友会に向けて、
「聖典」等の拝読をまた少しずつしていきたいです。

ところで谷口雅春先生は、神さまのお言葉を「生命の實相」、「神示」、「聖経」、
「『真理の吟唱』「神想観』等の祈りの言葉」、「智慧の言葉」などなどと、
様々なかたちで残してくださっています。

わたしは今、「生長の家の教え」=「真理」を様々な角度から、
飽きることなくお勉強できる幸せをしみじみと感じています。

復興Gさま、トキ様、みなさま、今回もどうぞよろしくお願いいたします。

654復興G:2013/04/18(木) 17:26:26 ID:AB6RqYXc

>>653 :a hopeさま。

ありがとうございます。

明晩からですね。第13回web誌友会。

私も、リアル世界での誌友会やいろいろな方面での活動をしながら、web誌友会に向けての勉強は始めています。
が、反応が遅くて、すみません。

『生命の實相』第3巻の最初の「はしがき」から、本文の3頁までを謹写。本文の最初には、「七つの燈台の点燈者の神示」が掲げられています。

それで、関連する神示講義『到彼岸の神示』の「声字即実相の神示」のご講義、それから『神ひとに語り給う』の「万教帰一の神示」ご講義も全文謹写しました。(まだ掲示板にアップはしていませんが)

そして今、生長の家本部が東京の原宿から山梨県の八ヶ岳南麓に移転することになって、原宿本部に鎮座されていた、七つの燈台の点燈者なる「御神像」も山梨へ移転されるということで、そのことについての総裁のブログ記事(唐松模様)を読んだり、いろいろな人の意見を聞いて学び、考えたりしています。「本流対策室」板にトンチンカン様が転載紹介された中村晃生さんの記事も読みました。

そうしたことについても、ご一緒に考えて行きたいと思っています。


皆々さま。

ある方が、昭和29年に原宿本部会館ができたときの谷口雅春先生・輝子先生の御文章を謹写して、次のようなアピールの文章を送ってくださいました。それを、次に転載させて頂きましょう。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

≪本部会館を創建当時に復原、保存を!≫という、ある友人のアピール

 いよいよ今年の10月には、生長の家本部が“森の中のオフィス”(山梨県北杜市)に移転されます。すると東京原宿の現本部会館はどうなるのか、いろいろな情報が飛びかっていますが、尊師・谷口雅春先生や、海外を含め全国の先輩信徒の思いがこもった、貴重な歴史的文化遺産でもあり、くれぐれも取り壊すこともなく、是非とも創建当時に復原し、永久保存をしていただきたいと思う。

 昭和29年(1954)3月1日、立教25周年を迎えたよき日に、百三十万信徒の真心の結晶として、足かけ4年の歳月を費やして原宿の本部会館は落慶した。ここに雅春先生の当時の御文章と、当時を回想された輝子先生の御文章を掲載させていただきます。
<つづく>

655復興G:2013/04/18(木) 17:27:37 ID:AB6RqYXc

<つづき>

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

   百萬信徒の「まごころ」の結集  谷口雅春

 光明の塔部の最上層の室は、「栄光の間」と名付けられ、その下の塔部の室は「祈りの間」である。「栄光の間」は、維摩の居室が「空っぽ」であったと同じく「空」であって何の置き物もない。「空」にして無礙光であるのが神であるからである。栄光の間にて拍手して礼拝すれば、四壁にその拍手の響がこもって天地に感応するような感じがするのである。

 教主(※)室、総持室、理事室はあるけれども、教祖の室はこしらえてないのである。これには深い意味があるのである。教祖は過ぎ行くが、教主も理事も永遠につづいて行くであろう、と云う意味はこの本部の建物は「私のもの」でないと云うことである。

 私が本部の建物を建設するために、「特信」の手紙を書いたり、礼状やお願い状を書いたりしているのは、私の室をつくるためでもなければ、私の機関をつくるためでもないのである。この建物は神に捧げられたる建物である。建物はただの物質であるけれども、それは百萬信徒の「まごころ」の結集である。

「まごころ」と云うものは肉眼に見えないから、肉眼で見ると、ただの実業のビルディングでもこう云う聖堂でもただの「形」である。けれども「まごころ」が結集してこれだけの建物が建つと云うことは「容易ならぬこと」である。それは太陽の光を凸レンズで結集すると紙を焼くことが出来るように、「まごころ」が結集してこれだけのものが建つとき、人類の魂に一層容易に火をつけることが出来るのである。これから人類光明化の力が一層早くなるであろう。

  (『明窓浄机』「近頃思うこと」 『生長の家』昭和29年4月号より)

    ※教主=当時、雅春先生を教祖先生、清超先生を教主先生と呼んでいた。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

   雅春先生、信徒たちの献身で  谷口輝子

 ――現在、東京の原宿に在る生長の家本部の建物は、昭和二十九年に落慶した。昭和二十年八月に終戦となったが、それから後、何年も何年も、日本中は貧しかった。生長の家本部も貧しかったが、教えの伝道のためには、どうしても教団の中心であり本拠となるべき建物が必要であった。

 原宿の生長の家学生寮の焼跡に、隣地の東郷神社の敷地の一部を購入して、そこに教団の本部を建てることになった。

 一流の建築会社である清水建設の当時の社長清水釘吉氏は、生長の家に非常に厚意をもって居られたので、建築費を一時払でなくとも建てて下さることになり、月賦払で何年もかかって支払ったことであった。その月賦の支払についての谷口総裁の苦労は非常なものであった。

 一万円の教団債を発行して全国の信徒に協力を願ったところ、各地より続々と応募して下さったので、それで清水組への支払いを月々つづけたり、三千円以上を本部へ奉納した人に、半折の揮毫を送ったりもされた。また全国へ講習に出かけ、その受講奉納金は大部分清水組への支払に提供された。自らの身を、ローソクの火のように灯して、総裁は清水組へ支払い、そして信徒たちへの教団債を返すことに努力をつづけて居られた。
<つづく>

656復興G:2013/04/18(木) 17:28:29 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 半折に揮毫しつづけられる総裁のために、我が家の家族と本部員の二、三人は墨をすり、私は朱印を押して、指を痛くしていた。

 総裁は地方巡講から帰京して、雨の日は原稿を書き、晴れた日は半折の画箋紙に大筆をふるって居られた。痩せ形の身を前屈みにして、大筆は長時間、画箋紙の上を走りつづけていた。その部屋も、次の部屋も、廊下にも、墨痕あざやかに墨の香りが満ちていた。六十歳を過ぎた人には重労働のように思えた。来る日も来る日も働きつづけて居られた。あの生長の家本部会館の建築費のために。私は夫の後姿を見て「御苦労さま、御苦労さま」と合掌した。

 誰のために建てる本部会館であろうか。谷口雅春の住むための家ではない。信徒みんなの集る家なのであった。信徒みんなとの、いろいろのことを連絡する事務の家でもあった。みんなのための家であった。

 建築中は、東郷神社境内の隅っこを借りて、清水組は飯場を建てていた。その飯場には百人ばかりの職人が出入りしていたと聞いた。百人の中に、生長の家の信徒が四、五人いた。赤見元二郎君はその一人であった。

 赤見君は毎朝五時に起きて飯場を出てその四、五人の友と建築現場に立った。瞑目合掌したそれらの人たちは、ひたすらに、その建築がスムーズに進行し、一人の怪我人もなくて完成に到りますようにと祈りつづけて居られた。あれほどの大建築中に、一人の死者も怪我人もなかったことは珍らしいことだったと私は聞かされた。わずか四、五人の人の祈りでも、真心からの純真な祈りは諾かれるものだと信じた。

 総裁の無欲恬淡な献身と信徒たちの純粋な献身とによって、生長の家の本部会館は、原宿の一角に美しく凛然と落成の日を迎えた。

 落慶式の日は、全国各地より信徒の幹部が集ったばかりでなく、教団外の団体の代表者なども来会されて、温い祝辞を述べて下さった。誰も彼も、明るい喜び溢れる顔をして、新築の美しい建物の中を右往左往して動いていた。信徒たちは、私の顔を見ると「お芽出とうございます。有難うございます」の喜びの声を浴びせかけた。私はうれしくて浮々としていた。(以下、略)

  (「人それぞれ」『理想世界』昭和56年6月号より)

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

※ この本部会館は「落成式典」ではなく、生長の家の大神に対して、この会館を捧げるという「捧堂式典」として挙行されている。神様に捧げたものを勝手に壊すのはいかがなものか。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ――以上は、ある友人から送られて来たアピールの文章を転写させていただいたものです。

 雅宣総裁の「唐松模様」も拝読して、皆さま、どうお考えになりますか。ご一緒に考えてみたいと思います。

657復興G:2013/04/18(木) 17:45:06 ID:AB6RqYXc

 明晩からの第13回web誌友会テキスト

『生命の實相』第3巻の本文3頁までのところを謹写しましたので、以下にアップロードさせて頂きます。

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一人の生命が全体の生命のために生命を投げ出したとき、その生命は、全体の生命と一つになる。ひとりの生命がはなれ離れに動き出そうとするときには、いろいろの衝突や摩擦が起こるが、全体の生命とひとつになって、宇宙といっしょに動き出すならどこにもわれわれの活動に無理はおこらない。

 われわれが各個人(ひとりひとり)離ればなれに動き出すのは、たとえば、時計の針が針の力ばかりで動き出そうとするにもひとしい。そこには無理があり摩擦があり、ひょっとすればその時計の針が折れるかもしれないのである。

 しかし時計が全体の力で動いているときは実に小さなバネの力で長時間なめらかにそれは運転をつづけるのである。全体といっしょに動く生活、全体の力で生きる生活、自分だけの力で生きない生活、「我」で生きない生活、捨てたときおのずから生きてくる生活、これならいつまでたっても行きつまる気づかいはない。これが「生長の家」の生活である。

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    七つの燈台の点燈者の神示

          ○

 わが第一の神殿は既に成れり。名付けて「生命の実相」という。完成(ななつ)の年になりてわが第一の神殿が完成するのも生命の顕現には周期的波動があるからである。
 七つが事物の顕現の周期律になっている。われに神殿は不要であると嘗て示したことがあろう。われは道(みち)であるから、わが道(ことば)を語るところに吾が神殿は築かれる。わが道(ことば)を載せた『生命の實相』こそわが神殿である。

 『生命の實相』はわが本体であり、無形の「生命の実相」を形にあらわしたのが『生命の實相』の本である。「言葉」を載せた書物を「本」と云うのも、「言葉」こそ事物の本(もと)であり、本質であり、本体であり、本物であるからである。「言葉の宇宙」が先ず出来て、「形の宇宙」がその映像(かげ)としてあらわれるのである。

 今迄の宇宙は、「言葉」が実相を語らず、不調和で濁っていたから、宇宙の万物の運行が乱れて生活苦や病気や、天災や戦争など色いろ不調和なことばかり起こったのである。『生命の實相』の本が出た以上は、言葉が実相を語り、善き円満な調和した言葉の「本」が調うたのであるから今後何事も急転直下する。

 『生命の實相』を開くだけで病念は去り、煩悶は解決し、人々ただ自己の生命の実相を知り、歓喜踊躍して手の舞い足の踏む所を知らないに至る位はその三番叟(さんばそう)に過ぎない。その歓びの相(すがた)こそ人間の生命の実相である。

 わが道(ことば)を「生命の実相」と呼ばしめ、それを本の形にして、披(ひら)いて読むものにさせたのも象徴的因縁あることである。『生命の實相』が展開(ひら)けば形の理想世界が成就するのである。

 今は過渡時代であるから、仮相の自壊作用として色々の出来事が突発する。日支の戦いはその序幕である。神が戦いをさせているのではない。迷いと迷いと相搏(う)って自壊するのだ。まだまだ烈しいことが今後起こるであろうともそれは迷いのケミカライゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない。
   (昭和七年一月十一日神示)
<つづく>

658復興G:2013/04/18(木) 17:45:53 ID:AB6RqYXc

<つづき>

          ○

 われに姿かたちがあるように云うものあれどわれは姿なきものである。われは道(ことば)である。われは霊性である、知恵である、愛である、生命である、われは如来である、われは一つにして多である。信仰深き諸方の霊覚者にわが神姿を示したることあれども、そはわが真の姿に非ず、見えたる神姿は霊覚者の心識の所現にも非ず。そは、われ神通力によって、疑う者の蒙を啓(ひら)かんがために、異る場所と異る人とに同じき一定の神姿を示して、神の客観的存在を実証したに過ぎない。

 されど、本来われに一定の神姿はない。如何なる姿も欲(おも)いのままに現ずることが自由である。されば、嘗てわれ汝に告げたのである「われに神殿は不要である」と。われは神殿がないとて身の入れ場所に困るような神ではない。供え物も要らぬ。わが姿を見んと欲(ねが)うものは『生長の家』を読め。われは言葉である。わが言葉を盛る雑誌こそわが神殿である。この雑誌がひろがるのこそわが神殿の大きくなることである。

 われにすがた形はない。われは霊の海である。大海原である。すべての宗教(おしえ)流れ来りて吾れに入らん。吾れは完成する者である。われは「七つの燈台」に燈(ひかり)を点ずる者である。古道も、仏教も、キリスト教も、天理教も、金光教も、黒住教も、大本教も、すべての教え我に流れ入りて生命を得ん。

 われは大(おおい)なるものなるかな。すべての教えを呑吐(どんと)してこれに生命を与え、すべての相争う教えをその神髄に於いて握手せしめる。吾れはすべてを包容し、すべてに光を与え、すべてに栄養を与え、すべてを生かす地下水である。他の如何なる宗教をも誹(そし)らず批(う)たず常に讃頌(たたえごと)と、善き言葉とを雨ふらして、それを浄めその神髄に燈(ともしび)を点ずる。

 あらゆる宗教がその神髄を礼拝して手をつなぐようにならねば此の現実世界の改造は完成せぬ。精神界が先きで現実界はその影である。元乱れて影完(まっ)たからず、宗教家よ、宗派争いをしている時ではない。
   (昭和六年四月五日神示)

659トキ:2013/04/18(木) 18:29:57 ID:gl5PbSBA
復興G様

 貴重なご文章をご投稿下さり、ありがとうございます。

 また、ご多忙の中、web誌友会でご指導を賜る事、深く感謝申し上げます。
皆様にもご参加を呼びかけたいと思います。
たいへん、勉強になる内容です。閲覧者様も、どんどん感想、疑問や質問などをお願いします。


 よろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

660a hope:2013/04/19(金) 09:06:36 ID:6kIbHHgs
みなさま おはようございます。

いよいよ、今夜 21時半(9時半)より、第13回web誌友会が開会されます。
いつものように、わたしa hopeが、開会30分前くらいになりましたら、
「準備祈願」としての祈りの言葉と、「真理の吟唱」より、『人類全体を祝福する祈り』を謹写させていただきます。

今回は復興Gさまが、『原宿本部に鎮座されていた、七つの燈台の点燈者なる「御神像」も山梨へ移転される』件や、
『今年の10月に、生長の家本部が“森の中のオフィス”(山梨県北杜市)に移転された後の東京原宿の現本部会館はどうなるのか』について、
みなさまに一緒に考えてくださいと呼びかけられています。

わたしは偶然にも独身時代、原宿本部のすぐ近くのビルで仕事をしていたことがあります。
その威厳ある「御神像」の鎮座する建物の雰囲気に心が清まる思いがしいていたことを思い出ししました。

そのことに関しては、以下の復興Gさま紹介の雅春先生の御文章を拝読すると納得がいきました。

< 私が本部の建物を建設するために、「特信」の手紙を書いたり、礼状やお願い状を書いたりしているのは、私の室をつくるためでもなければ、私の機関をつくるためでもないのである。この建物は神に捧げられたる建物である。建物はただの物質であるけれども、それは百萬信徒の「まごころ」の結集である。
「まごころ」と云うものは肉眼に見えないから、肉眼で見ると、ただの実業のビルディングでもこう云う聖堂でもただの「形」である。けれども「まごころ」が結集してこれだけの建物が建つと云うことは「容易ならぬこと」である。それは太陽の光を凸レンズで結集すると紙を焼くことが出来るように、「まごころ」が結集してこれだけのものが建つとき、人類の魂に一層容易に火をつけることが出来るのである。これから人類光明化の力が一層早くなるであろう。>

原宿本部の建物は、〝百萬信徒の「まごころ」の結集〝であり、
また、輝子先生の御文章からもわかりますが〝谷口雅春先生の人類光明化運動〝への熱い思いのこめられた
「生長の家の教え」の伝道にとってはなくてはならないとても大切な建物だったのですね。

その建物が立ったからこそ、わたしはこうして、今、「生長の家の教え」をお勉強ができるのかもしれません。
そう考えると、心からの感謝の気持ちがわいてきます。
復興Gさま、本当に貴重な文章を紹介してくださりありがとうございます。

それではa hopeは、今夜みなさまとお会いするのを楽しみに、今日も元気に仕事に行ってきます。

661復興G:2013/04/19(金) 11:37:37 ID:AB6RqYXc

>>659 :トキ様。
>>660:a hope様。

積極的なご協力、ありがとうございます。

皆々さま、心を空しくして、生長の家の神髄を、楽しく、深く学ばせて頂き、わがものとさせて頂きましょう。
前夜祭がすでに始まっているところです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、テキスト『生命の實相』第3巻は、最初に「七つの燈台の点燈者の神示」と題して8つの神示が掲示されています(生長の家の神示は全部で33ありますが、第3巻の巻頭に掲げられているのはそのうちの8つです)。

今回は、その8つのうち最初の2つを、重点的に学ばせていただきます。これらの神示は、第3巻では特定の名称は付けられていませんが、『神示講義』や『神示集』では、「声字(しょうじ)即実相の神示」・「万教帰一の神示」と名づけられている神示です。

生長の家の神示はすべて、「七つの燈台の点燈者の神示」とされています。その意味は――

頭注版『生命の實相』第3巻の頭注には、次のように記されています。

     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「七つの燈台」
新約聖書の『ヨハネ黙示録」第一章にある文字で、その当時あった七つの教会の象徴として、使徒ヨハネが神からの啓示(黙示)を受けた時に霊視した、七つの燭台のこと。ここでは「世を照らすすべての宗教」の象徴として、それに灯をつけ、唯物論にくらまされて今や消えようとしている形式だけになってしまった宗教に光を与える使命を受けて出現した天使を「七つの燈台の点燈者」といっている。(『生命の實相』第3巻の頭注より)

     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

これは、詳しくは、神示講義『神ひとに語り給ふ』の44頁以下に、谷口雅春先生が次のようにお教え下さっています。
<つづく>

662復興G:2013/04/19(金) 11:40:34 ID:AB6RqYXc

<つづき>

神示講義『神ひとに語り給ふ』(44頁〜 )より

   「七つの燈台」の意味するもの

 さて、聖経の巻頭に「七つの燈台の点燈者の神示」という言葉が出ているのでありますが、爰(ここ)に生長の家は一宗一派ではないということが、ちゃんとこの神示に書かれているのであります。「我は七つの燈台に燈を点ずる者である」と生長の家の教えを創(はじ)められた神様がみずから言っておられるのであります。この「七つの燈台」という言葉は、キリスト教の新約聖書の一番終に『黙示録』というのがありますが、その第一章を披(ひら)いて御覧になりますと次のように書かれているのであります。

 「われ振反(ふりかえ)りて我に語る声を見んとし、振反りて見れば七つの金の燈台あり。また燈台の間に人の子のごとき者ありて、足まで垂るる衣を着、胸に金の帯を束(つか)ね、その頭(かしら)と頭髪(かみのけ)とは白き毛のごとく雪のごとく白く、その目は焔の如く、その足は爐にて焼きたる輝ける真鍮(しんちゅう)のごとく、その声は衆(おお)くの水の声のごとし。その右の手に七つの星を持ち、その口より兩刀(もろは)の利(と)き剣(つるぎ)いで、その顔は烈しく照る日のごとし。……彼その右の手を我に按(お)きて言いたまう「懼(おそ)るな、我は最先(いやさき)なり、最後(いやはて)なり、活ける者なり、我れ曾(かつ)て死にたりしが、視よ、世々限りなく生く。また死と陰府(よみ)との鍵を有(も)てり……」

 此の「人の子」というのは、じつは「神の子」であって、イエス・キリスト自身が、常に自分を「人の子」と言っておられた。そして「我れ曾て死にたりしが」とあるのは一度は十字架にかけられて死んだように見えたがということであります。それで「人の子のごとき者」というのは、イエス・キリストのことであることがわかるのであります。肉体のイエス・キリストは三十三歳で磔けにかかりましたから、老人ではないのでありますが、それが復活して久遠の古(ふ)りたる無始の昔からの存在として白髪の老翁の姿を以ってこの七つの燈台の間を歩んでおられるのであります。

 ヨハネから見たら、どうも人相が「人の子」即ちイエスに似ているけれども老人の姿でありますから、どうも、イエスでないかも知れない、それで「人の子そのもの」と書かないで「人の子のごとき者」と書かれているのであります。ところが、その人の子のごとき者は、「我は最先(いやさき)なり、最後(いやはて)なり、世々限りなく生く。また生と死との鍵をもてり」と仰せられているのであります。

 白髪というのは老人の老いぼれという意味ではなくて、また今漸く三十歳になったばかりのイエスであるという意味ではなしに、久遠の昔から永遠に続いている生き通しの生命を象徴した「白髪の老翁」というわけでありまして、決して老いぼれのお爺さんという意味ではないのであります。「久遠の生命」というのは百五十歳位の数えられる長寿ではなくて、無限の長寿というものを象徴した白髪の老翁の姿で示されたので、その「頭と頭髪とは白き毛の如く雪の如く」白衣(びゃくえ)を足先まで垂れた姿であらわれられたのであります。

 これはヨハネというキリストの弟子の中で、一番霊感の秀れた弟子が、キリストが磔(はりつ)けになりましてから、ローマ帝国の迫害を受けて、パトモス島という小アジアの小島へ流されて居ったときに神に祈って居りましたら、霊感的に、眼は瞑(つぶ)っておっても眼の前に七つの燈台の有様が見えて、白髪の老翁の姿がその間に歩みたまうのが見えたというのであります。

 その白髪の老翁は――我はα(アルファ)でありω(オメガ)であり――始めであり終りであり、生と死との鍵をもてり」と宣言したもうたことによって「宇宙の根元の神」であるということが明かであります。その神様が出て来られたので、ヨハネはその威厳にうたれて、そこに平伏(ひれふ)してしまった。そして「死したるものの如くなれり」と聖書には書かれています。
<つづく>

663復興G:2013/04/19(金) 11:56:29 ID:AB6RqYXc

<つづき>

神示講義『神ひとに語り給ふ』より

 単に土下座したというくらいのものではないのであって、地面に平伏(ひれふ)してしまって、もう再び起き上る事は出来ないという様な状態になった。そのとき“吾はアルファなりオメガなり、最先なり最後なり、生と死との鍵をもてり”とこう言われた。この神様が、生長の家の神様であって「七つの燈台に燈を点ずる者」でありたまうのであります。キリスト教的に言えば「久遠のキリスト」であります。

 肉体のキリストは三十三歳で死んだけれども、「本当のキリスト」は、久遠不滅であらせられるのです。『生命の實相』の中には真理と書いて、「キリスト」とフリ仮名をつけてある箇処が所々にあるのであります。「キリスト」というと、三十三歳でハリツケになったユダヤ人の男の事だと、こう思っている人もありますけれども、あれはキリストの応現身であって、肉体的に或る時代に適するように応じて現れた姿であって、「本当のキリスト」は「真理」そのものであり、始めなく終りなく宇宙に充ちている所の真理そのものである訳なのです。その真理そのものは久遠不滅であるから、初めであり終りであり、永遠に不滅である、というので白髪の老翁の長寿の姿をもって人格化して出て来られている――こういう事になっている訳であります。

   内にやどるキリスト

 さて、新たに生れる問題でありますが、キリストの弟子のパウロという人が言っておりますが、「も早われ生くるにあらず、キリスト我れにあって生くるなり」この自覚が「新たに生れる」生れ更りであります。肉体の自覚からキリストの自覚に新たに生れるのです。自分という肉体的な存在が生きているのではなくて、「キリストわれにあって生くるなり」という所の自覚を得ることが、新たに生れることであります。

 「谷口先生はキリストの再来である」なんておっしゃる人もありますけれども、キリストは真理であり、普遍的な存在でありますから、私だけがキリストの再来じゃない、皆さんすべてにキリスト――即ち真理が宿っているから、パウロと同じように「キリストわれにあって生くるなり」という自覚を得るならば皆さんは「われキリスト」の自覚を得られたのであって、キリストの再来であるわけなんです。

 諸君、「汝自らを知れ」というソクラテスの言葉を、深い意味に於て如実に知ってですね、「自分というものは神の生命なんだ。最早われ生くるに非ず、キリスト我にあって生くるなり」と自覚するんですね。これを忘れるから不可(いか)んのですよ。これが根本問題であって、戦争が起るのも、人類の一人一人がキリストだという事を忘れているからですよ。自分が「愛」そのものであるところのキリストだという事を忘れているところに、色々の争いが起り、奪い合いが起り、色々面白からざる事が起ってくるのであります。自分がキリストであるという事を忘れて、自分は「煩悩の猿(ましら)」であると、ダーウィンの進化論などから、人間は獣類の子孫だなどと思って、人間が神の子であり、キリストであるという事を忘れている――其処に一切の混乱の源があるんですよ。

 仏教では「キリスト」と言わないで「仏性」と言うんです。つまり自分に宿っている処の仏性――仏なる本性がキリスト教では「内在のキリスト」であります。日本的に言えば「ミコト」なるものであります。何宗教にも偏らない用語を使えば「真理」と言うべきであります。神道でもキリスト教でも仏教でも同じ事です。生長の家は万教帰一であります。

 だから此の講習会に集って居られる方々には、いろいろの宗教の方々がいられる。仏教各宗の人も居られるし、キリスト教の各派の人も居られる。或いは教派神道の方々も居られる。こうして色々の宗教の人が生長の家に来て教えに触れられる。すると、“自分の信じておった宗教の神髄は本当はこういう意味であったのであるか”という事が判って其の宗教が本当に有りがたくなるのが生長の家であります。それで、自分が燈台だと言わないで「七つの燈台に火を点ずる者」というのであります。
<つづく>

664復興G:2013/04/19(金) 11:57:08 ID:AB6RqYXc

<つづき>

神示講義『神ひとに語り給ふ』より

 七つは完成の数でありまして一切を包容する意味であります。燈台というのは世を照らす光であって、世の光となる宗教の象徴であります。ところで、現在はまだあらゆる世を照らす光である筈の宗教が眠っていて其の法燈が消えているのであります。もう大分眼が覚めたらしい宗教もあるのですけれども、生長の家が二十七年前に出現した時分は、大抵の宗教は眠っておって燈がついていなかったのであります。

 だからどの宗教でもみな教祖の時代には、いろいろの奇蹟が現れたり、魂を本当に目覚めさせて如実に人間を救う事ができたのでありますけれども、それが段々弟子から弟子へ伝わり、それが「又弟子」に伝わりしてゆく中(うち)に、教えが段々水増しをするように迷いで薄まって、到頭、レッテルだけが「キリスト教」と書いてあって中身は別物が入っていたり、或いはレッテルは「仏教」と書いてあって、中身は釈尊のお説きになった真理がない水だけが入っているというような宗派ができて来ました。

 そして、そういう様な中身の異るものを「キリスト教」とか「仏教」とか言って売っているという様な事でありますから教祖が出現せられた時代にあらわれていた奇蹟があらわれなくなった。そしてその奇蹟があらわれないことを弁解する為に、奇蹟のあらわれる宗教を治病宗教とか新興宗教とか言って攻撃しておれば、自分の宗教が偉いように見えるだろうと思うような間違を犯して、テンとして恥じないようになって来たのであります。

 イエスでも釈尊でもはじめて出現したときには、既成宗教にあきたらないで出発した新興宗教であって、奇蹟が続々あらわれていたのであります――ところがその法燈が途中で消えて居たのですから、人生という航路を行く舟が難破するというのは無理がないという訳であります。

 其処で神様がそれに燈を点(つ)けなければいかん、という訳で、世を照らす光の燈台である各宗の教えに、生きた火を点ずる役目として出現せしめられたのが、生長の家であります。燈をつけるのであって、決して各宗の燈台を壊すのではないんですから安心せられたいのであります。だから私たちは決して生長の家へ改宗してやって来いとは言わないのであります。皆さんの信じていられる今迄の宗教のそのままでそれに本当に世を照す事のできる燈がついたらそれでいいんでありますから、生長の家にあらわれた神さまは『七つの燈台の点燈者』と呼んでも好いという風に「新天新地の神示」に示されているのであります。

   (神示講義『神ひとに語り給ふ』より。原文は正漢字・歴史的仮名遣ひ)

665トキ:2013/04/19(金) 12:13:24 ID:4obc7AKc
 スエーデンボルグについて研究をしている渋谷協さんという人が書いた
「スエーデンボルグに啓示された死後の世界」(神智と神愛社、昭和42年
12月10日)という本に、谷口雅春先生の「続 人間死んでも死なぬ」
について、谷口雅春先生が霊媒の言葉をありがたがる事の危険性を指摘され
た点について、霊媒の言葉だからと言って信用できないとは限らないと反論を
しています。渋谷さんは、日本スエーデンボルグ協会の創立者のようです
から、渋谷さんの立場からは、それは当然かもしれません。

 確かにスエーデンボルグは詳細な著書を遺しており、それは貴重であると
は思います。

 しかし、こういう霊的なレベルでの信仰で留まっているのが本当に人間
の向上につながるのか、という疑問はあります。

 私の知り合いの霊能力者の方も、多くの人の相談にのっていましたが、その
相談の内容があまりにも物質的な利益を目的としたものであることに失望し、
相談をやめてしまった、という事がありました。

 青年の書のはしがきにもありますように、霊的な部分の研究は限定的にされる
べきもので、やはり、本道は神様の事にあると知るべきかと思いました。

 その観点から見て、神様について勉強ができる機会を提供して下さる復興G様
には深く感謝申し上げます。

666復興G:2013/04/19(金) 14:00:42 ID:AB6RqYXc

さて、『生命の實相』第3巻巻頭に掲げられた最初の二つの神示について、谷口雅春先生の「神示講義」にはどのように書かれているか、今夜からのweb誌友会のために資料として、謹写掲示させて頂きます。

まず、最初の「声字即実相の神示」です。
これは、『到彼岸の神示』125頁〜から。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

〔ご講義〕

   「吾が第一の神殿は既に成れり。名付けて『生命の實相』と云う。完成(ななつ)の年になりて吾が第一の神殿が完成するのも生命の顕現には周期的波動があるからである。七つが事物の顕現の周期律になっている。吾れに神殿は不要であると嘗て示したことがあろう。吾れは道(みち)であるから、吾が道(ことば)を語るところに吾が神殿は築かれる。吾が道(ことば)を載せた『生命の實相』こそ吾が神殿である。『生命の實相』は吾が本体であり、無形の『生命の実相』を形にあらわしたのが『生命の實相』の本である。『言葉』を載せた書物を『本』と云うのも、『言葉』こそ事物の本(もと)であり、本質であり、本体であり、本物であるからである。『言葉の宇宙』が先ず出来て、『形の宇宙』がその映像(かげ)としてあらわれるのである。……」

 新約聖書の『ヨハネ伝』第一章には「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言(ことば)は神なりき」とありますし、旧約聖書の『創世記』には「元始(はじめ)に神天地を創造(つくり)たまえり。地は定形(かたち)なく曠空(むなし)くして黒暗(やみ)淵(わだ)の面(おもて)にあり。神の霊、水の面(おもて)を覆いたりき。神光あれと言いたまいければ光ありき」とあります。万物の最初の創造――光の創造は「言いたまいければ」即ち“言葉”によって行われているのであります。弘法大師も『声字即実相』と仰せられており、「声」即ちコトバ及び「字」即ちコトバが形象化したものは、事物の「実相」即ち「本質」であると説いていられるのであります。

 それでは「言(ことば)」とは何であるかと言いますと、「太初(はじめ)に言(ことば)あり」でありまして、事物の生れる「太初(はじめ)」に言(ことば)がある。「太初」というのは根本原因のことであります。「第一原因」と言っても宜しい。第一にあるものがコトバであって、それが創造力をもっていて、第二、第三と、次々に現象が生れて来るのであります。そのことが「『言葉』を載せた書物を『本(ほん)』と言うのも、『言葉』こそ事物の本(もと)であり、本質であり、本体であり、本物であるからである」と爰(ここ)には示されているのであります。

 生長の家はコトバの宗教でありまして、コトバの力によって人類の心を浄め、地上に起る事件を浄化し、この世から一切の不幸を除去し地上に天国浄土を建設しようという運動であります。

 宇宙創造の本体にまします神はコトバであり、『ヨハネ伝』に「万(よろず)の物これ(註・コトバ)に由りて成り、成りたる物に一つとして之(これ)によらで成りたるはなし」とありますように、万物は悉くコトバの創化力によって出現したのであります。

 だから事物の「成就」することを「成る」(鳴る)と言います。即ち「成る」と「鳴る」とは語源が一つでありまして、事物の第一原因はコトバであり、コトバは鳴り響くから「鳴る」即ち「成る」と言うのであります。すべての「事物」を「事」と言うのも、「事」の本質は「言」であり「事」と「言」とは同一語源であるからであります。

 私たちは事物を確認するときに、「これは何々と言うものである」と申しますが、「言うもの」とは「言」にほかならないのであります。「これは陶器と言うものである」と言えば、陶器は「陶器と言うコトバ」であると、その本質がコトバであることを顕わしているのであります。

 これを文語体で表現しますと、「これは陶器なり」と申しますが、「なり」(也)と言うのは「鳴り」であります。「これは陶器也(なり)」とは「これはコトバが鳴りひびいて陶器として顕れているのだ」という意味であります。そのようにコトバは事物の本質でありますから、コトバを載せた書物を「本」と言うのであり、コトバが世界を左右することにもなるのであります。
<つづく>

667復興G:2013/04/19(金) 14:01:26 ID:AB6RqYXc

<『到彼岸の神示』より 「声字即実相の神示」ご講義のつづき>

 ――(中略)――

 神はコトバであり、コトバが実相であり、形は現象でありますから、そういう宇宙普遍の真理のコトバ――実相のコトバ――であるところの神のお住いとしては神殿や社殿よりも「真理の言葉」を載せ、それを披(ひら)いて、読む人々が自然に救われるような書物こそ、真に神の坐し給う「神殿」と称すべきでありましょう。だから、神様は、

  「吾が第一の神殿は既に成れり。名附けて『生命の實相』と云う。」

 と、『生命の實相』の初版の本が出たときに宣言せられたのであります。

 いくら、そのような宣言が書かれてありましょうとも、それが唯の人間の作文であって、何等の効果もないような書物なら無価値でありますけれども、実際にその本を披いて読むことによって、医界不治の癌が治ったり、死刑囚さえも死刑から免除されて幸福な生活に入ることができるという――そういう事実があらわれて来るのだから、(拙著『私はこうして癌が治った』及び遠藤義雄氏著『真理は死刑の鎖も断つ』日本教文社刊参照)この『生命の實相』の本は、ただの人間たる「私」が書きおろした本ではなく、「私」を媒介として、或る神秘なる力が書いたればこそ、そのような神秘的力を発揮するのだと考えられるのであります。

 ――(中略)――

 この神示にある「吾が第一の神殿は既に成れり。名付けて『生命の實相』と云う」とあるのは最初の革表紙三方金の『生命の實相』の本が、私がまだ兵庫県住吉村にいた頃にはじめて出た最初の版の『生命の實相』のことでありまして、それが昭和七年一月に製本が完成したことを、昭和七年の七に因んで、それが決して偶然のことではないと教えられている訳であります。

 『言葉の宇宙』即ち「神の想念による宇宙」が先ず出来て、それが『形の宇宙』即ち「現象の宇宙」として時間的序列を通して出現するときには、“数霊”による周期率を以って展開して行くのであります。

 大体、生命の発展周期は三と五と七との倍数で展開して行くのでありますが、爰には昭和七年に『生命の實相』の初版が出たことに連関して「七」についての因縁だけが説かれているのであります。男の大厄が四十二歳というのも、これは七の六倍で、人間の運命転換の数になっております。必ずしも悪い転機になるのではないのでありまして、私などは四十二歳の男の大厄の年、そして家内が三十九歳(三の倍敷)の女の大厄の年に上京移転して、生長の家の人類光明化運動が大発展を途げたのであります。

 「今迄の宇宙は、『言葉』が実相を語らず、不調和で濁っていたから、宇宙の万物の運行が乱れて生活苦や、病気や、天災や戦争など色いろ不調和なことばかり起ったのである。『生命の實相』の本が出た以上は、言葉が実相を語り、善き円満な調和した言葉の『本(もと)』が調うたのであるから今後何事も急転直下する。

 『生命の實相』を披(ひら)くだけで病念は去り、煩悶は解決し、人々ただ自己生命の実相を知り、歓喜踊躍して手の舞い足の踏む所を知らないに至る位はその三番叟(さんばそう)に過ぎない。その歓びの相(すがた)こそ人間の生命の実相である。吾が道(ことば)を『生命の實相』と呼ばしめ、それを本の形にして、披いて読むものにさせたのも象徴的因縁あることである。『生命の實相』を展開(ひら)けば形の理想世界が成就するのである。……」

 「『言葉』が実相を語らず、不調和で濁っている」というのは、人間の想念及び言語が実相の円満さをそのまま讃美し感嘆するような言葉を内容とせず、対立感情で悪口を互いに言い合っているような言葉で濁っていることなのです。

 実相の世界は、神の創造そのままでありますから、実相の世界には、生活苦や、病気や、天災や、戦争など色々の不調和なことはないのであります。それなのに現象世界にそのような不調和ばかり頻繁に起っているのは、「実相世界」の風光が現象世界に展開する過程に於て、人間の「心のレンズ」が曇っていて、実相と同調しない濁った想念(コトバ)を発しているからなのであります。

 しかし、『生命の實相』の本が出た以上は、それに書かれている言葉は、言々これ実相の言葉でありますから、「言葉の本が正されることになったのだから何事も急転直下してよくなる」と示されているのであります。
 (嘗て、鶴見の総持寺の管長で、一代の傑僧と言われた伊藤道海老師が『生命の實相』を『宇宙』誌上で評して「言々これ佛の語(ことば)」と書いたことがありました。)
<つづく>

668復興G:2013/04/19(金) 14:02:23 ID:AB6RqYXc

<『到彼岸の神示』より 「声字即実相の神示」ご講義のつづき>

 兎も角、実際、『生命の實相』を披いて読むだけで病念が去り、病気の治った人もあれば、煩悶が解決した人もあり、人間の生命の実相は“神の子”であるという真理を語って歓喜踊躍した人は幾千幾万あるか数え切れないのであります。

 これは何故かと言うと、すべて現象世界の善きものは、「実相世界」にあるものの展開でありますから、「実相」を心で観ずることによって展(ひら)いたら、現象界にも実相界の円満完全な有様が投影されて実現することになるのであります。その象徴として『生命の實相』の本を披くことによって、現象界にも家庭調和や病気の治癒や色々の功徳が実現するようになっているので、そのことを、神示には、

 「吾が道(ことば)を『生命の實相』と呼ばしめ、それを本の形にして、披いて読むものにさせたのも象徴的因縁あることである」

 とお示しになっているのであります。次に神示はこのように説いておられます。――

 「今は過渡時代であるから、仮相の自壊作用として色々の出来事が突発する。日支の戦いはその序幕である。

 神が戦いをさせているのではない。迷いと迷いと相搏って自壊するのだ。まだまだ烈しいことが今後起るであろうともそれは迷いのケミカライゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない。」

 これは日支事変中に啓示された神示でありまして、「日支の戦いを序幕」として、「まだまだ烈しいことが今後起る」と書かれているのであります。

 日支事変から大東亜戦争にかけて戦争中には“日本軍は皇軍であり、皇軍は神軍天兵である”とよく言われたものでありますが、この神示には、日支の戦いも、それを序幕として起る戦いも「神が戦いをさせているのではない。迷いと迷いと相搏って自壊するのだ」と書かれています。

 実相の世界には「戦争」そのものが無いのでありますから、戦って敵を傷つける神軍というものは存在しないのであります。すべて戦って互いに相傷つく者は「迷い」と「迷い」との衝突であります。
 過去の人類の迷いの念が具体化して戦争が起るのは、過去に蒸発した水蒸気が或る時期が来れば大雨となって降下し、一時大いに荒れるが、台風一過して空気が澄み切るように、一時戦争としてあらわれて人類の過去の「迷い」(憎みや民族的嫉妬、憎悪等)が消えるのをケミカライゼーションと言ったのであります。
 こうして日支事変に継続して起るであろうと予告された大東亜戦争も「迷い」と「迷い」とが衝突して消えるための自壊作用であったのは論(い)うまでもありません。

 併し私は、正直に言って、大東亜戦争中、日本軍が勝つように努力協力致しました。
 “言葉の力”を知る私が、当時軍の指導によって、“必死”(必ず死ぬ)“決死”(きまって死ぬ)を掛声とし、「海征(ゆ)かば水漬(みづ)く屍(かばね)、山征かば草生(む)す屍……」の歌をうたって、国に報いるには「一死報国」のほかはないと、言葉の力をきわめて「死」を讃美している日本国の有様を見ましては、黙っておれませんでした。
 そんな死を讃美し「草生す屍」を礼讃する言葉を使っていては日本海軍は「水漬く屍」になり、日本陸軍は「草生す屍」になり、結局は日本の敗載になるほかはないと思いまして、到る処の講習会場で、私は「必死、決死、水漬く屍」の掛声をやめよ。「皇軍必勝・必勝生還」の標語をつくり、その“言葉の力”を強力に日本全土にひろめなければならないと講演したのであります。
 そのため、私は各講習会場でその講話をし、且つ「皇軍・必勝」の四文字を講習会毎に五百枚ずつ短冊に揮毫して、講習会員に無代進呈し、その短冊を自宅の壁又は柱に掲げて家族全部がその文字を観ながら『皇軍必勝』の“言葉の力”を念ずるようにお願いしたのでありました。
 私はその短冊を書くために毎夜午前二時頃まで労することもありましたが、終戦までにやっと五万枚を書くことができましたが、「海征かば水漬く屍…」の歌を念ずる人は、満洲国だけでも三千万人、日本人の軍需工場や軍隊でその歌を唱っている人が数千万人……私の五万枚の「皇軍必勝」の短冊のコトバの力は、数千万人の「水漬く屍」のコトバの力に対してはまことに衆寡敵せずでありました。
 ついに日本海軍はレイテ沖の海戦で目ぼしい軍艦の殆ど全部があの「海征かば……」の歌の言葉の通りに海の藻屑と化してしまったのでありました。
<つづく>

669復興G:2013/04/19(金) 14:03:08 ID:AB6RqYXc

<『到彼岸の神示』より 「声字即実相の神示」ご講義のつづき>

 実に「言葉の力」は恐ろしいものであります。こうして、「迷い」と「迷い」とは相搏って自壊いたしましたが、「生命の実相をしつかり握って神に委せているもの」はその恐るべき自壊作用の中に於ても、何等傷つくことなく、原子爆弾の放射を近距離に於て受けても、少しも傷つくことがなかったのであります。

 その一例を申しますれば、終戦後、宮崎県北部の生長の家連合会長や青年会長をしておられた甲斐信佳(かい・のぶよし)君であります。
 この人は満鉄につとめておられましたが、結核にかかったため、内地へ還って養生するよう社命を受けて日本へ帰って来たのでありました。
 日本へ帰ると生長の家に触れ、『生命の實相』を読んで、「人間神の子、本来無病の真理」を知り、結核が癒やされて健康になりましたので、恰も大東亜戦争の末期に臨んで、召集令状を受けたのであります。

 甲斐君が考えるには、
 「僕は生長の家に触れて病気が治ったのであるから、応召して行く前に、一度でよいから、谷口先生の直接の講習会を実地に受けて、自信力をつけて戦場へ行きたい。」
 そこで何処に講習会があるかと調べてみると当時、久留米に私の講習会があったので、宮崎県から態々(わざわざ)久留米へ来て講習をお受けになったのであります。その時、私は例の通り、死を讃美するような歌や、「水漬く屍」になるような歌を唱ってはならない。言葉はカリソメに言った言葉でも実現するから――と言って講義していたのであります。
 すると甲斐信佳君が、戦場で腹巻にする布をもって来て「これに皇軍必勝、必勝生還と書いてくれ」と言って墨を摺ってもって来られたのであります。その通り書いてあげましたら、甲斐君は悦んで応召して行かれた。
 任地は先ず九州長崎であったのであります。甲斐君は長崎に原子爆弾を落されたときには高射砲隊に属していて、測高機によって敵機の高度を測って、高射砲の射手にそれを伝える役目をしていたのであります。
 昭和二十年八月九日は非常に暑い日だったので、隊員は上着もシャツも脱いで上半身は裸になっていました。甲斐君は裸の背を空に向けて前にかがみ込んで測高機の目盛を見詰めていました。彼の裸の背には何の遮蔽物もないのでした。そのとき可成り近い距離で原子爆弾が爆発した。
 裸の背には明かに放射能に触れて一時薄赤く陽にやけたようになっていましたが、甲斐君はその後、何らの肉体的故障を経験することなく、元気で今も光明思想普及に活躍していられるのであります。
 まことに、此の神示にありますように「生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない」というのは事実でありまして、原子爆弾と雖も、甲斐君を傷つけることはできなかったのであります。

670復興G:2013/04/19(金) 14:21:24 ID:AB6RqYXc

>>665 :トキ様。

ありがとうございます。

「至上者の自覚の神示」に、次のようにありますね。

        ○

 (前略) 人間の偉大な仕事を皆憑霊(ひょうれい)の仕事のように説いて、人間をただ憑霊の傀儡(かいらい)のように教える者があるが邪教である。人間の本性に憑霊の示唆よりも偉大なものがあることを教えるものこそ正しき教である。人間は肉体でもなければ傀儡でもない。人間は霊であり神であり自主である。若し憑霊が『霊』であるが故に、偉大なる教を説き、偉大なる仕事が出来るならば、人間自身も『霊』であるが故に偉大なる教を説き、偉大なる仕事が出来ることも当然でなければならぬ。ただその教や仕事に高下があるのは霊界の霊にも、人間にも、自己内在の無限性の掘りさげ方に差があるからである。
 釈迦は決して憑霊の傀儡ではない、キリストも決して憑霊の傀儡ではない。いずれも自己内在の無限性を掘下げて、ついに仏性に達し、神性に達したから、霊界の諸霊来って此の二聖に事(つか)えたのである。釈耶の憑霊ばかりを観て釈迦が自覚したところの仏性、イエスが自覚したところの神性を見ない者は憐れである。憑霊が説くほどの教なら人間自身も霊であるから説き得べきであるのに、釈耶の教を釈耶自身の教ではなく憑霊の教であると説くスピリチュアリズムは自己撞着に陥っているのである。人間よ、人間自身の尊厳を自覚せよ、これを自覚することは人間自身の尊厳を奪還することである。『生長の家』は人間自身の尊厳を奪還せんがために出現した人生の燈台である。
(昭和八年三月十六日神示)

        ○

 ありがとうございます。

671トキ:2013/04/19(金) 18:35:47 ID:4obc7AKc
>>670

復興G様

 的確なご指導、ありがとうございました。確かにそうですね。

672トキ:2013/04/19(金) 19:45:42 ID:4obc7AKc
>>669

 素晴らしい記事をご紹介下さり、ありがとうございました。

 少し前まで、教区の先達には兵隊さんに行った経験のある人が多数おられました。
その中には、招集当時、既に生長の家に触れておられた人もおられましたが、そういう先達は
不思議に激戦地を避け、自分も負傷しないし、敵兵も殺さない、という体験をもった人ばかり
だったと記憶しております。


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