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Web誌友会 板/2

4526a hope:2014/10/21(火) 22:28:10 ID:cEpBaIdo

>>4525 a hope所感)

ここに、『高貴なる魂』と『浅薄(シャロー)な魂』という言葉がでてきていてわたしは少し驚いています。
なぜなら、「実相を礼拝せよ」と言っている一方で、人間の魂に優劣をつけて表現しているからです。

<<およそこの世の中で最も高貴なる魂とは、・・・>>

とあるところの『この世の中』とは、明らかに現象界、もしくは霊界のことを指していていると思うのですが、
これらは、「本来無い世界」の事ですから、ここのところは読者に判り易いように方便的に説明しているのだと感じました。

わたし自身は、「人間の魂に優劣などない」と信じています。


○『高貴なる魂』・・・接する人ごとにその相手の実相の美しさを観、いかにその外見が醜かろうとも、
その実相を敬し礼しうること

●『浅薄(シャロー)な魂』・・・逢う人ごとの魂の実相を観ず、外面の、見せかけの醜悪なる部分のみを強調して、
自分自身に失望し自分自身を軽蔑し、同時にすべての他の人々も自分自身と同様に醜いのが本当だなどと、
暗黒方面のみを探し出して、いやに皮肉にひがんでしまう


と説明されていますが、わたしは仕事で何度か職場を転勤しているのですが、
どちらのタイプの上司や同僚と一緒に仕事をするかで、その職場の雰囲気がガラッと変わるのを経験しています。

一方の職場は和気あいあいと助け合っていますから、明るい雰囲気で満たされ仕事の能率も上がります。
(ありがたいことに今の職場はこちらです!)

ですが、もう一方の職場は陰険な陰口や悪口、そして足の引っ張り合いなどが絶えなかったので、
体調を壊す職員も多く、仕事の能率も上がりませんでした。

特に、上に立つ立場の人間(上司、教師等)の影響力は大きいと感じています。

4527a hope:2014/10/21(火) 22:52:01 ID:cEpBaIdo

>>4524 春さま

<<時代は変わっても、説かれている真理は、変わりませんし、
生長の家の運動は日本国実相顕現のためであり、人類光明か運動なんですよ。>>

上の春さまのご説明は、わたしも十分理解しているのですが・・・

どうやら、春さまのおっしゃる「縦の真理」とわたしの理解している「縦の真理」に隔たりがあるようです。


<<貴女は、これからの希望ですから、ごゆるりと学ばれれば十分では?と思っております。
頑張って下さいませ。>>

わたしは昔からやや協調性に欠けていたので、独学で勉強するタイプでした。
ですからこれからも、聖典をテキストにyou-tubuのご講話を聴きながら、
自分のペースで、納得いくまで「生長の家の教え」を勉強していくつもりです。

春さまのわたしへのありがたい励ましのお言葉に、心より感謝いたします。合掌

4528シャンソン:2014/10/21(火) 23:07:43 ID:MVhE5szo
>>4527 合掌 ありがとうございます。

上記のa hope様の補足になればと思い、リンクさせていただきます。
 もし、見当違いならお許し下さい。

 再拝 http://www.el-aura.com/201210038/

4529a hope:2014/10/22(水) 00:01:08 ID:cEpBaIdo

>>4528シャンソン(うのはな)さま

素晴らしいスピリチュアリズムのお話をご紹介くださりありがとうございます。合掌。

わたしが心の中で漠然と感じていた「魂に優劣などない」ということに関して、
とてもわかりやすく書かれている文章だと思いました。


<<なぜバラバラな段階の魂が集う必要があるのでしょうか?
それは学びの為です。
全員が優しい魂だけだったなら、誰もが傷つける事もなければ、誰もが傷つけられる事はありません。
誰かに傷つけられることがなければ、許すことができません。
全員が意地悪な魂だけだったなら、誰も許すことができません。
誰も許すことができなければ、誰も愛や感謝を学ぶことができません。
なので私たちは、色々な成長段階の魂と共に生きて学ぶのです。>>

たしか、生長の家の教えでも人生は「魂の学校」であるとか「魂を磨く砥石」であるとか説かれていると思います。
「許すこと」「愛すること」「感謝すること」これらの事をを学ぶためにわたしたちはこの人生を生きているのですね。

そして、

<<全ての魂に優劣がないことを知ったなら、誰かと比べる事も、誰かを羨む事も、差別することも、もう誰の事をも裁く事は出来ません。
しかし、私たちには出来る事があります。
後続の魂を教え導く事が、先を行く魂に出来る事です。
教え導くことは、押しつける事ではありません。
自らの生き方を見せ、自らが善き方法を実践すること、これが一番の教えと導きの方法です。>>

人間は一人残らず「神の子」で、本来ひとつなんですから、「自分が変われば、周りも変わる」」ということですね!


それにしても、うのはなさまって、ほんとに不思議なお方ですね。 


それでは、うのはなさま、みなさま

おやすみなさい。 いい夢見てくださいね!

4530a hope:2014/10/22(水) 23:11:40 ID:brQxC10.

「生命の實相」p108

現実の悪はどう改善するか

しかし、「悪」が現にここにあるのを見ないでもよいものでしょうか。
「悪」そのまま放置してそれを改善するためのなんらの手段方法をもめぐらせないでもよいものでしょうかとは、
わたしがしばしば質問を受けることであります。

しかしわれわれは「悪」には執着しないでも「悪」を改めしめることは可能であるのであります。
それが「悪」であるとわれわれが知るのは、そこに「善」がないということであって、
悪が積極的にあるということではないのです――これは実に大切なる真理であります。

「悪」は無でありますから、「悪」を除かずとも善をつけ加えれば「悪」はおのずから消尽してしまうのであります。
「善」をつけ加えるにはどうすればよいかといえば、どこまでも、どこまでも相手を理想化し、
さらに理想化してどこまでも無限に相手を高め上げてゆくことにすればよいのであります。

どこまでも人間を理想化して眺めても、人間は理想化しすぎるということはありません。
なぜなら人間の実相は神の子であり無限に善さを備えているからであります。

(つづく)

4531a hope:2014/10/22(水) 23:12:38 ID:cEpBaIdo

>>4530 a hope所感)

<<しかし、「悪」が現にここにあるのを見ないでもよいものでしょうか。
「悪」そのまま放置してそれを改善するためのなんらの手段方法をもめぐらせないでもよいものでしょうかとは、
わたしがしばしば質問を受けることであります。>>

これは、ほとんどの人が感じる疑問なのではないでしょうか?

ですが聖典には『「悪」ありと見て現象処理せよ』との答えはどこにもありません。
謹写を続けます。

4532神の子さん:2014/10/22(水) 23:53:36 ID:eZjWifCU
それが「悪」であるとわれわれが知るのは、そこに「善」がないということであって、
悪が積極的にあるということではないのです――これは実に大切なる真理であります。

「悪」は無でありますから、「悪」を除かずとも善をつけ加えれば「悪」はおのずから消尽してしまうのであります。
「善」をつけ加えるにはどうすればよいかといえば、どこまでも、どこまでも相手を理想化し、・・・・・

この真理によって雅宣総裁を見るとき、

ですが聖典には『「悪」ありと見て現象処理せよ』との答えはどこにもありません。・・・・で終わりでは話が進みません

a hopeさんは今の総裁、教団はおかしいと云いますが、どのような行動をするのがよいのでしょうか?

4533a hope:2014/10/23(木) 10:24:36 ID:cEpBaIdo

>>4530 つづき)

およそ相手を良くするには自分を良くすることが第一であります。
自分がよくならないのに相手をよくなしうるということは困難であります。

そしておよそ自身を良くするための方法は、自分の心の中に光明の精神波動を照り輝かすことであります。
自分の心の中に光明の精神波動が波立っているときその人は善き人であり、
自分の心の中に光明の精神波動が波立っていないとき、暗黒の思念が押しかぶさっているとき、
その人は悪しき人なのであります。

人の欠点を見るとき、その欠点に自分の心が捉われ、それをとやかく言挙(ことあ)げするとき
自分の心の中には暗黒の思念が波打たずにはいられないでしょう。
「暗黒の思念」は決して相手を良化することはできないのです。

(略)

相手を良化しようと思うならば、まず自分の心の中から「暗黒の思念」を除去(とりさ)らなければならない。
まず自分自身を、「光明思念」でみたさなければならない――換言すれば相手の悪を見るような心になってはならないのです。
結局相手の悪を見ないで実相を見る心にならなければならないのであります。
ここにこそ自分自身が光明化し、さればまた相手が光明化してくる可能性があるのであります。

われらが何人に対してでも相手の実相を見るようにするとき、われらは相手と調和するようになってくるのであります。
実相においてはわれらは本来自他一体であるからである。

4534a hope:2014/10/23(木) 10:34:50 ID:cEpBaIdo

>>4533 a hope所感と>>4532 神の子さんへのお返事)

聖典の真理に照らし合わせて考えれば、「悪」と見える相手の心を変えるためには、
批判し続けたり、裁判で戦ったりするのは逆効果だと思われます。

ですが、雅宣先生は「生長の家総裁」という責任あるお立場で、本来は自らが光明波動を照り輝かし、
信徒を光明思想に導いていくべき使命をもったお方なのに、
実際には、その光明波動を発するには欠かせない聖典「生命の實相」とその真理をないがしろにし、
独自の教義と運動を展開されているように見えてしまうのです。

ですから、わたしは雅宣先生の実相(本来の御人格)は素晴らしいと信じていますが、
その教義や運動方針については、本来の「生長の家」の教えや運動からみれば『虚説』なのではないか思っています。
(わたし個人の見解です)


<<a hopeさんは今の総裁、教団はおかしいと云いますが、どのような行動をするのがよいのでしょうか?>>

とのご質問ですが、わたしは雅宣先生や教団の教義や運動方針はおかしいとは思っていますが、
雅宣先生ご自身を「悪」だとは思っていません。

むしろ、信徒を目覚めさせてくださる大切な使命をもたれた大観世音菩薩さまだと思っています。

ですから、雅宣先生の虚説(教義や運動方針)には決して和解はしませんが、
その大観世音菩薩さまとして信徒の前に立たれている雅宣先生の実相のお姿には心から感謝しています。

4535神の子さん:2014/10/23(木) 19:41:58 ID:ZWlCT05o
a hopeさんの御主人が無理を云ったり真理に反することを云ってばかりいたとしました時、「あなたの言うことは真理に反していますので
云う事をハイと聞くことはできません、あなたが無理を云ったり真理にはずれた事を云うのは、私の真理の理解を深めようという観世音菩薩様の
働きであると思い、あなたの実相には感謝いたしますが、云う事に拝と従うことはできません。

と云っているように聞こえるのですが、聞き間違いですか。

よく言いますよね、「ご主人が無理ばかり言うというご婦人に、そんな無理を云うようなご主人はいないのですよ、あなたが御主人に素直に
ハイと云えた時には、素晴らしいご主人であったと解りますよと、そして家に帰りハイと云えた時素晴らしい旦那さんがそこにいることが
分かった、」ということが。

非真理の教団と共に歩むより、自分で生命の実相を読んでいる方がよいと云う事は、非真理の旦那とは一緒に住めない、そんなことより一人で
生きていく方がよいと云っているように聞こえます。

4536a hope:2014/10/23(木) 22:45:32 ID:cEpBaIdo

>>4535神の子さん

わたしの主人は、「生長の家の総裁」ではないのです。
だから、「生長の家総裁」である雅宣先生とは比較にならないと思うのですが・・・。

たとえばわたしの主人が「人間は罪深い生き物である」というような「虚説」を信じていたとしても、
その主人の「思想や考え方」には共感(和解)はできませんが、主人のことを嫌いになって別れるということはありません。

ですがもし、主人に、「人間は罪深い生き物だから、お前もそのことを信じなさい」と命令されたら、
「そんなことを信じなければいけないのであれば、離婚させていただきます。」と離婚をお願いすると思います。

わたしが、現教団を退会したのもまったく同じ理由です。

4537a hopeさん:2014/10/23(木) 23:08:31 ID:Og4p/UYQ
そうしますと教団に残っている普通の人たちは真理とは何か分からない人ということですね。
虚説を強要されていることも解らず、退会もしないのですから。

4538「訊」:2014/10/24(金) 08:16:34 ID:???

>> a hopeさん

 うーん。以下の件に関してなのですが、コメントします。


>>>その教義や運動方針については、本来の「生長の家」の教えや運動からみれば『虚説』なのではないか思っています。<<<


 との事ですが、「虚説」ってのは言い過ぎの様な気がします。説明しますが、現総裁の問題は「優先順位の付けマチガイ」だとは思えても、虚説とまでは思えません。虚説と云うのは「雅春先生御教えの真逆の線の内容or完全否定となる」はずですが、雅宣総裁の説にはその種のものは、ありません(※1)。傍証としては『生長の家ってどんな教え』などの御著書がありますけれども、内容面ですがいずれも、雅春先生を完全否定するものは一切ありませんでした。故に、雅宣総裁ですが、御主張内容を「虚説」というのは言い過ぎだと思います。

 総裁の問題は優先順位の付けマチガイ、だとは思えますが「虚説とまでは思えナイ私」です。(※2)




<註>

※1 雅宣総裁の説にはその種のものは、ありません。

 本流側は「天皇を語らない=御教えの否定」と云った認識の様子ですが、これは暴論です。実相を語る際に「天皇から語らナイ」からとて、それだけで「雅春先生の完全否定」とはならぬのです。環境問題から実相を語る切り口だって、万教帰一の生長の家では「アリ」のはず。ですから、真理を語る際の〝入り口〟は問題とはならぬのです。

 問題を検証するならば〝奥座敷〟の方です。雅宣総裁が実相を語ってイナイのであればそれこそ、雅春先生の否定となるでしょう。しかし、未だかつてどなた様もこの点に関し、つまり、「環境問題は実相を語っているか」の点への検証が、見られないのです・・・・・本流派はココを、検証されるべきです。間違っても「天皇を語らない」という理由だけで総裁を、「御教えの完全否定者」等、発言されないことが肝要(さもなくばこれ、御教えを解してイナイのは「いったいどっちなのか」になろうもの)

※2 総裁説を「虚説とまでは思えナイ私」です。

 ・・・・こんな事を書くと破邪サンから、こう書かれます。曰く、「総裁の狡猾さに騙されている人がいる!」「読解力の問題なのか!?」「枝葉末節に捉われて、全体像を見てイナイ!」と・・・・・・・・・しかし(笑)。

 しかし私が具体論を求めますと、彼らは逃げていかれます。「具体的にどの(雅宣総裁)御記述箇所が『御教えの完全否定』なのですか?」と再三問うたこの3年間ですが、いまだかつて一度たりともその様なもの・・・・・出てきません。話が具体的になればなるほど現総裁ですが、少なくとも「虚説と言われるような言動はみられナイ」ってことに、なるんじゃないかと。

4539a hope:2014/10/24(金) 13:42:46 ID:cEpBaIdo

>>4537 神の子さん >>4538「訊」さま


貴重なご意見に心から感謝いたします。 合掌。

ですが、私の「虚説」に関する見解は、自分なりにレポートまでまとめてありますし、

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4056

どうして雅春先生のご教義が「虚説」であると思えるのかも以前ユタカさまが紹介してくださった「生長の家ってどんな教え」をもとに説明済みです。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4340


ですが、これはあくまでもわたしの見解であって、誰でも同じ解釈をするとは考えられません。


ですから、わたしの「虚説」に対する見解は上の虚説についてのレポートに書いてある通りで、
「訊」さまが、

<<虚説と云うのは「雅春先生御教えの真逆の線の内容or完全否定となる」はずですが、>>

とおっしゃるようなものではありません。

雅宣先生は、雅春先生のみ教えの真逆を説いたり、完全否定されているのではなくて、
実相世界の存在を肯定されながら、現象世界やその世界での罪や悪も認められてしまっている、
つまり、生長の家で「虚説」とされている、「実相現象二元論」を説かれているとわたしは解釈しています。

雅春先生も「横の真理」として現象界や霊界の「心の法則」を説かれていますから、一見、現象も認められているようにも見えますが、
ですが、それはすべて、「現象あり」を信じて迷っている人々の魂を、「唯神實相」に目覚めさせ、
救済するための方便として説かれていると思うのです。

「甘露の法雨」なども、二元論的に展開していますが、実相世界の実在以外はすべて、
「なし」「なし」「なし」「あらず」「あらず」と完全否定しています。

また、雅春先生の起こされた現象問題に対応する運動にしてもすべては、「人類の魂の救済」することが最終目的になっていると思うのです。

ですがわたしには、雅宣先生の環境保護運動は「人類の魂の救済」が目的なようにはどうしても見えません。

(つづく)

4540a hope:2014/10/24(金) 13:44:04 ID:cEpBaIdo
>>4539つづき

本当は、もうこれ以上、雅宣先生の教えや運動に関して自分の見解を述べたくないのですが、
今回は、また、神の子さん(仏心さま?)から質問をいただき、また、「訊」さまからも、
ご意見をいただきましたので、
自分の見解を素直に述べさせていただきました。

最後になりますが、これはあくまでも a hopeの個人的見解です。

<<そうしますと教団に残っている普通の人たちは真理とは何か分からない人ということですね。
虚説を強要されていることも解らず、退会もしないのですから。>>

どの「教え」が本当にわたしたちを幸福に導いてくれる「真理の教え」であるかを判断し、
信仰していくのかどうかを決めるのは、信徒ひとりひとりの自由意志に任されているのだと思います。

4541a hope:2014/10/24(金) 14:45:04 ID:cEpBaIdo
>>4539 訂正

どうして【雅春先生】のご教義が「虚説」であると思えるのかも
 ↓
どうして【雅宣先生】のご教義が「虚説」であると思えるのかも

4542「訊」:2014/10/24(金) 16:48:31 ID:???


>>a hopeさん


 おもしろいやり取りになって参りましたね。これから少年野球の指導があるためバタバタでして、無愛想返信で恐縮なのですが、貴女さま解釈は「単純に間違いだと思い」ます。以下ご発言を確認して頂けますか。


>>>雅宣先生は、雅春先生のみ教えの真逆を説いたり、完全否定されているのではなくて、実相世界の存在を肯定されながら、現象世界やその世界での罪や悪も認められてしまっている、つまり、生長の家で「虚説」とされている、「実相現象二元論」を説かれているとわたしは解釈しています。<<<

 ここです。この箇所で「二元論」との言葉がありますが、単純に間違いです。雅宣総裁ですが、「二元論から語られたわけではナイ」と思います。以下に論拠を示しますが、長いのが難点(笑)。ただ、この『生長の家ってどんな教え』のこの箇所の「全体を拝読されれば」、私が言っていることがコジツケ・過剰擁護の類ではナイことがハッキリすると思います。以下、謹写致しましたが、総裁ご著書からです。



http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3084
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3085
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3086
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3087


 さて、「原因」ですが・・・・・いや、なんで二元論に見えちゃったのかの原因の件です。これもはっきりしてまして、これは、「質問者の論点が関係している」のです。総裁ですがあたかも、「現象人間もアル」かのような観点から論を展開されておられますが、これは「質問者の論点がそうだったため」だと察せられます。a hopeさんが心配されて虚説とまで言ってしまわれてますけれども、「どうではナイ」のです・・・・・既述ですが雅宣総裁が「現象人間は迷う」と云われた話は質問者の投げかけ、つまり、以下にこの質問を引用しますが、

――――――――――――――――――――――――――
唯心所現について

Q:

〝唯一絶対〟の神様が、どうして有限の世界に人間をつくられたのでしょうか。そして、人間は神の子であるのに、どうして病気や争いを心に描いてしまうのでしょうか?(二十九歳・女性)

――――――――――――――――――――――――――

 という、問いかけが関係していると思います。相手方(29歳女性)が有限世界に人間をつくったのはなぜか?と問うているのですから、雅宣総裁もその次元から回答をされたのでしょう。全文を確認されておられないと恰も現総裁ですが、「二元論なの?」になるのは理解できますけれども、やはり、虚説と云うのは言い過ぎの感が拭えないような気もします・・・・・

 いや、ちょっと長いですけれども上記「雅宣総裁のご主張」ですが、確認されてみてください。私見ですが虚説どころか現総裁、「素晴らしい対機説法だと思う」のですがね(クドイが長いのは難点とは云え・・・・)



4543「訊」:2014/10/24(金) 16:51:11 ID:???

(×)虚説とまで言ってしまわれてますけれども、「どうではナイ」のです・・・・・
(○)「そうではナイ」のです・・・・・

4544「訊」:2014/10/24(金) 17:02:26 ID:???

<余談>

>>破邪サン

 さあ、この部外者ですが「総裁論を擁護しております」・・・・・・・(笑)。しかも厄介なことに、論拠まで示して(笑)示した上での擁護論です。(まあ、実際に擁護しているのは総裁ではなく「真実」なんですが余談)さて、この、擁護論に関してですが、破邪サン・・・・・・

 なにか、御反論はございませんか?(笑)

 日本男児の破邪サン・・・・・(笑)。

 ・・・・さて、ここは誌友会会場です。異論反論大歓迎です。どうぞご登場なさってこの、まぬけ(?)な訊けによる「総裁擁護論」ですが、論破してみてください。たまには、いかがでしょうか・・・・・対外試合など。そうすりゃ「現総裁=虚説が確定」し貴殿等の運動ですが、大盛り上がりになること必至です(笑)。

 どうぞ、ご登場ください。ご登場されサクッと、「現総裁の虚説っぷり」ですが、天下に晒してみてはいかがでしょう(笑)。期待してます。



4545a hope:2014/10/24(金) 17:17:53 ID:cEpBaIdo

>>「訊」さま

たいへん長文の雅宣先生のご文章を謹写してくださりありがとうございます。

今、ひととおり拝読させていただましたが、眩暈がして気分が悪くなりました。

本当に雅宣先生には申し訳ないのですが、わたしは雅宣先生のご文章(特に教義に関する文)を拝読していると、
体調がおかしくなってくるのです。

「訊」さま、そういう訳で、具体的に詳細なお返事することはできませんが、
わたしの見解が間違いと思われるなら、それは、「訊」さまのご自由ですからどんどん、反論してくださいね。


ですが、ふたつ質問させてください。

「訊」さまは今回謹写された雅宣先生のご文章を読まれて、魂が救われますか?
そして、その雅宣先生のご著書「生長の家ってどんな教え」をご家族や、
人生に悩まれているご友人なんかに差し上げることができますか?

4546秋だけど春:2014/10/24(金) 21:27:04 ID:SfBCfho2
監督は、本当に本流のアタマと論議したいのだよね。。。

私は、どっちもまかりなりに見知っているので、本当に両者が論議を尽くして、分かりあって欲しいと思っている。
けれども、監督がきぼうしているお相手からは、その期はないと言うことも聞いている。
私は良く読んでなかったけど゛、色々議論したんでしょう?
その結果、お相手は、もう監督とは、話する気は無いと伝えられました。


余り、他人を挑発するのは、どうかと思いますよ。

4547秋だけど春:2014/10/24(金) 21:54:24 ID:H/HqaC4s
監督の御発言は、

まず、破邪酸に対しても愛を持っていますか?


監督の言動は、日本国実相顕現に繋がっていますか?

おもしろくなってきた、という下卑た感性も、復興G閣下の以前に逆鱗に触れた御自身の思考過程を、
内省なさることをお勧めします。

破邪酸さんは、素晴らしい方ですよ。
私は、兄として敬愛しています。

根本的に、監督は、正統な生長の家は理解していないと思っています。

4548秋だけど春:2014/10/24(金) 21:56:28 ID:H/HqaC4s
訂正 ⇒破邪酸⇒ 破邪さん です。

4549「訊」:2014/10/25(土) 08:17:16 ID:???

>>秋だけど春さん


 先ず以て「相手方の主張を聞こうとする態度」ですが、これは下卑た感性なんですか。当方は言いまくりを潔しとシナイのです。相手方の主張、つまりここでは、「なぜ破邪サンは『総裁=背教』だと思っているのか」を指しますが、ここを確認したいと言っているのです。

 そして、その種の初歩的な問いかけすらも「逃げられている」のでは、運動は「成り立たない」とも思っています。いや、現段階ですが「現総裁」ですけれども・・・・・濡れ衣を着せられている状況です。そうですよね。なぜと申して「背教者」と云われる現総裁に関して、破邪サンですが、「なんら具体的な指摘はナイ」のですから・・・・・そして、それを問うているのが当方です。

 「相手方の主張を聞こうとする態度」ですが、これは下卑た感性なんですか。話が具体論になれば「すぐに逃げていく」・・・・・・こんな状態では、まあ、なんて云うのか。



追伸

 そもそも破邪サンですが「待っていました!」にならなきゃ、おかしいです。そうは、思いませんか。

 今回当方は破邪サンに、発言の機会を設けたのです。(または発言をしやすいように「促した」)>>4544みたいな投稿あらば、「待ってました!」にならなきゃおかしいのです。「総裁思想のオカシサを、指摘できる機会を得ました!訊けサンありがとう!」になろうってものです・・・・・・違いますか。

 ・・・・この程度の問い合わせで戸惑いがあるようであれば、まあ、その運動ですが、「しょぼいの一言」です。具体論に移った瞬間に総裁が有利になるようでは、破邪サンですが戦術変更をされるべきです。

4550「訊」:2014/10/25(土) 08:32:42 ID:???

>>4545 a hopeさん

>>>今、ひととおり拝読させていただましたが、眩暈がして気分が悪くなりました。<<<

 そうですか、それは残念ですね。しかしまあ、何て云うのか・・・・・少なくとも「二元論ではナイ」のです。その点は確認して頂けますと、幸いなんですがね。
 いや、「ところで」なんですが、ところで・・・・・・既述ですが「なんで二元論に見えちゃったのか」の件です。これははっきりしてましてこれは、

「質問者の論点が関係している」

 のです。
 総裁ですがあたかも、「現象人間もアル」かのような観点から論を展開されておられますがこれは、なぜそうなったか(二元論から語ったか)と云えば、「質問者の論点がそうだったため」だと察せられます。a hopeさんが心配されて虚説とまで言ってしまわれてますけれども、「そうではナイ」のです。以下、総裁ご主張ですが、

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 この方の質問は、「〝唯一絶対〟の神様がどうして有限の世界に人間をつくられたのでしょうか?」というものです。けれども、私は、「神は現象世界に人間をつくった」とは言いませんでした。そうではなくて「もともと実相世界しかない」という話をしました。しかし、この方は「いやこの世界はある」と思っている。だから、「有限の世界に人間をつくった」という質問になる。しかし私は、「有限の世界はナイ。実相世界がある」という話をしたのです。だから、神の創造された実相世界に、人間は今も神の子、仏として存在しているのです。どこか別の所にいるのではないのです。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 と、お述べになられておられます。で、当方は昨日、その事を示したつもりなんですが、気分がすぐれないのであれば、しょうがナイですね。次に移ります。



>>>「訊」さまは今回謹写された雅宣先生のご文章を読まれて、魂が救われますか?<<<

 気づきは、ありましたよ。たとえば以下に転写しますが、この箇所の対機説法ですけれども雅宣総裁、実に見事です。一緒に読んでみましょう。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 「どうして人間は神の子であるのに、病気や争いを心に描いてしまうのでしょうか?」――
 時々、こういう種類の質問を受けることがありますが、それらは「なぜ神の子である人間が間違うのか?」という質問に帰結すると思います。これと似た質問は、「神の子だったら、なぜ罪を犯すのか?」「なぜ間違いを犯すのか?」「迷いがどうしてあるのか?」などいろいろあります。(つづきhttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3086

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 いかがでしょう。結構、説明がむずかしいそんな概念ですが、「案外やりおるわい、三代目」ではないですかね・・・・失礼な表現ですが(笑)。


>>>そして、その雅宣先生のご著書「生長の家ってどんな教え」をご家族や、人生に悩まれているご友人なんかに差し上げることができますか? <<<

 出来ます。総裁ご著書の同書に関しては、自信を持って勧められますね。ただし、『小閑雑感』は・・・・・・・・難解です(笑)。読んでも意味不明ですんで、勧めることはナイでしょうね。

 まあ、こんな感じです。また何かレスでもしてください。



4551a hopeさん:2014/10/25(土) 09:21:03 ID:RdJh7Ydg
ahopeさん
 今、ひととおり拝読させていただましたが、眩暈がして気分が悪くなりました。

 本当に雅宣先生には申し訳ないのですが、わたしは雅宣先生のご文章(特に教義に関する文)を拝読していると、体調がおかしくなってくるのです。

訊けさん
 そうですか、それは残念ですね。

わたし
 どんな声が聞こえてきても、どんな文章を読んでも、どんな行動が見えても、私の「こころ」には関係ないです。
 自分の心に気持ち良いものは素晴らしいもので、自分の心に気持ち悪いものはよからぬものと感じるのでは、救われていないのではありませんか。
 すべてを映し出す「こころ」そのものが自分であり、映し出されたものは単なる映像ではないのですか。

 わたしにはa hopeさんこそ観念で実相独在を云われながら実相現象二元論の最中にいると映ります。

4552「訊」:2014/10/25(土) 09:32:13 ID:???

>>4551

 この、不生仏心生徒の論に補足しますが、以下なにも「 a hopeさんへの非難でもなんでもナイ」点は強調しておきます・・・・・いやまあ、雅宣総裁の「御文章に関し」です。余談ですが、掲載しておきます。

 さて、1年くらい前でしょうか、私はあるイタズラを掲示板で行ったのです。雅宣総裁の御文章を掲載し、「誰の御文章かわかりますか」と、クイズを出したんです。そしたら・・・・・・・いろいろな答えが来て面白かったですね。ある人は「榎本恵吾先生だ」で、またある人は「徳久克己先生だと断言します」と・・・・・・・(笑)。

 いや、この話のポイントですが、先入観です。

 先入観なしに読めば雅宣総裁の御文章ですが、「読める」んです。

 そして、先入観なしに読めば雅宣総裁の御文章って、榎本先生や徳久先生の書かれたものと、そんなには変わらないのです。(つまり「雅春先生を否定するような思想はナイ」の意味) まあこれは、「a hopeさんへの非難でもなんでもナイ」点は強調しておきますが雅宣総裁・・・・・・そんなにヘンな思想は語ってはおられないと観ます。

 以上、余談でした。



追伸

 「相性のよしあし」はあるでしょう。ですんで、a hopeさんが気分を悪くするようなことは、あるのかもしれません。その点は理解できます。

4553a hope:2014/10/25(土) 17:14:06 ID:cEpBaIdo

>>4550「訊」さま >>4551 さま

お返事やご意見をありがとうございます。

雅宣先生の御文章はひととおり拝読させていただきましたが、>>3084〜3086
(聖典引用板)の内容は例え話もされたりして、
「生長の教え」を丁寧にご説明されている御文章だと感じました。

ですがその後の>>3087は、もう完全に現象ありを前提にお話され、この部分が「虚説」だと感じます。


具体的な一例をあげさせていただければ、

<<人間以外に、神様は自由のない生物を数多く創っておられる。>>
↑ これって、「生長の家の教え」でしょうか?

現象世界は影であり、神さまの創造ではないですよね?

たとえ、対機説法だったとしても、「現象世界の人間や生物」を神が創ったなどと考えるご思想には、
わたしはとてもついていけません。

「訊」さま、わたしは雅宣先生のご文章自体が二元論だというよりも、
むしろその「ご思想や考え方」が二元論なのではないかと感じています。

ですから、その文章の内容も違和感だらけですが、その文章から伝わる波動が、
雅春先生や、恵吾先生、徳久先生のものとは全く異なってわたしは感じてしまうのです。

その件に関しましては、まだわたしが本流の掲示板に書き込みをしているころから主張していましたし、
山科さまや明鏡さまという「生長の家」の大先輩が、聖典の文章を根拠に、とても丁寧な素晴らしいご指導をしてくださっています。

http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=383&submitlog=383

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1743&submitlog=1743


「訊」さまや、神の子さまと雅宣先生のご教義に関して、議論するつもりはありませんので、
すみませんが、これ以上はこの話題へのお返事は控えさせていただきます。

4554秋だけど春:2014/10/26(日) 19:18:59 ID:IVp5xRE.
>>当方は言いまくりを潔しとシナイのです<<

これは、納得です。

ただですね、違いについてはきちんと破邪さんは書いていたと思いますよ。
判り切ったことを、今更また指摘する事はしないでしょう?

本流の方たちは、若かりし頃からの現総裁を見知っていたり、色んな思いこみもあって、
聞きもしない、これは確かにそうですね、当方は言いまくりを潔しとシナイのですに、合致します。

神示を読めば、わかるんですが、
監督の理解している生長の家の教えと、本流が復古すべきと言っている御教えは、
天皇国日本が違う、ここが境目だと思います。
勿論、私は天皇国日本の側ですから、監督の言われた"実相には、天皇なんて書いてないじゃん、どこにも"発言には、
嗚呼、やはりわかってないんだろうなあ、神示読んでねって言ったのに。。みたいな感じです。

破邪さんは、私直接聞きましたから、もう監督とやり取りする気は無いです。
お忙しいしね。

監督は、論議の体裁をとりつつ、本当の生長の家の御教えを、教えてほしかったんでしょうかね。

4555「訊」:2014/10/26(日) 19:45:11 ID:???

>>秋だけど春さん

 簡潔に書きますが、

>>>勿論、私は天皇国日本の側ですから、監督の言われた"実相には、天皇なんて書いてないじゃん、どこにも"発言には、嗚呼、やはりわかってないんだろうなあ、神示読んでねって言ったのに<<<

 こういうのが、「言いまくり」です。どの神示でしょうか、それは。そして「そもそも」なんですが、そもそも実相を語る際に「私は天皇国日本側」とかの、そんな言葉が出てくるものなんでしょうか。天皇国日本って「そんなモンなの?」という感じです。

 あるのは唯、「実相」です。語り口が多種多様なのであり、天皇国日本は「そのひとつに過ぎない」のです。そして、ひとつの切り口に過ぎない天皇国日本を、こう評するのはマチガイだと当方は、主張しているのです。その、間違った解釈とは、「天皇国の切り口から実相を語らないのは生長の家ではナイ」になります。ここは、お分かりですか。

 「天皇国の切り口から実相を語らないのは生長の家ではナイ」・・・・・もしもあなた様のご意見がかくの如しであれば、断言しますが「私ではなくあなた様が間違い」です。ですんで、以下のご主張ですけれども、微妙に違います。

>>>監督の理解している生長の家の教えと、本流が復古すべきと言っている御教えは、天皇国日本が違う、ここが境目だと思います。<<<

 その通りなんですが、私の理解の方が正しいのではないですか。なぜと申して天皇国日本「以外からも」実相ですが、語られるのが雅春先生の御教えだからです。そうでは、ありませんか。



追伸

>>>破邪さんは、私直接聞きましたから、もう監督とやり取りする気は無いです。お忙しいしね。<<<

 忙しくとも聖典は、読まれるべきです。聖典を読んでおられナイからわたしと、交流不能になるのです。そうでは、ありませんか。そもそもですが、私の誘い(>>4544)ですが、「待ってました!」と喜ばねば、ウソになります。今回当方は破邪サンに、発言の機会を設けたのです。(または発言をしやすいように「促した」)>>4544みたいな投稿あらば、「待ってました!」にならなきゃおかしいのです。「総裁思想のオカシサを、指摘できる機会を得ました!訊けサンありがとう!」になろうってものです・・・・・・違いますか。
 ・・・・この程度の問い合わせで戸惑いがあるようであれば、まあ、その運動ですが、「しょぼいの一言」です。具体論に移った瞬間に総裁が有利になるようでは、破邪サンですが「戦術変更をされるべき」です。

4556a hope:2014/10/26(日) 20:07:13 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p111

失錯(しっさく)は向上の段階

むろん、実際生活においては、家族の各員は誰でも時々何かの事柄で失錯を演ずることはあるでしょう。
しかしこういう失錯はいちいち拾い上げて咎め立てする必要はないのです。
それはよりいっそうハッキリと完全なる実相があらわれるための段階でしかないのです。

成長期の幼児は一つ躓いて倒れるごとに、いっそう十分立ち上がることを覚え、いっそう巧みに歩行することを覚えるのであります。
われらは無限生長の前途から考えればまだ幼児であるのである。
側(かたわ)らにいる人が、その倒れたことを非難せず、またむやみにその顕われた弱さに同情せず、
冷厳なしかし知恵深き愛をもって、「あなたは強いのです。実相は起きられるのです。」との励ましの一語でその実相の強さを引き出すとき、
その幼児はいよいよ強く生長していくのであります。

無限の善さを相手に見よ。
その善さを引き出しうるものであると信ぜよ。
これが本当は知恵深き愛なのであります。
弱さや醜さをそのまま本当の相(すがた)であるとして同情する甘き安価な表面の愛に陶酔するな。・・・

4557a hope:2014/10/26(日) 20:08:25 ID:cEpBaIdo

>>4556 a hope所感)

<<弱さや醜さをそのまま本当の相(すがた)であるとして同情する甘き安価な表面の愛に陶酔するな。>>

家族や友人が間違いを犯しているのがわかったとき、相手の強さ(実相)を本当に信じていれば、
ハッキリと、「あなたのしていることは間違っている。」と言ってあげることができるのではないかと感じました。

中途半端な同情や優しさで、相手の間違いを黙認してしまうのは、相手が弱い未熟な人間だと感じ、相手を下に見ているからなのではないかと・・・。

わたしは今迄ずっと、この掲示板で「雅宣先生のご教義や運動がおかしいのではないか?」と言い続けていますが、
例え、「虚説」に和解しないためとはいえ、何かを批判するというのは気持ちのいいものではありません。

破邪顕正さまはじめとする本流の先輩方だって、「生長の家」の「人間神の子」の教えを信仰されているのですから、
雅宣先生を批判し続けるのは心の奥底では気持ちよく感じているはずはないと思います。

ですが、今回の謹写部分を拝読していて、もしかしたら本流の先輩方は雅宣先生の「実相」を信じているからこそ、
激しい批判を続けていらっしゃるのかもしれない・・・とそう信じたくなりました。

わたしたちが客観的にみれば、雅宣先生は明らかに失錯を演じていらっしゃるのですが、ご本人はそれに気づいていらっしゃらないご様子です。
(もしかしたら、気づいていて気づかないふりをされているのかもしれませんが・・・)

冷厳なしかし知恵深き愛をもって、それに気づかせてあげることもとても大切なのではないかと・・・。

4558秋だけど春:2014/10/26(日) 20:59:15 ID:IVp5xRE.
>>どの神示でしょうか<<

この間、hopeさんが出していた神示。

もうね、破邪さんを引き出してきてどうこうって、彼方が決めることじゃないでしょ?
ここは、で出来てしかるべきだ、なんて。


相手は、うんざりしているんですよ。

4559秋だけど春:2014/10/26(日) 21:06:24 ID:Vjog84hY
>>「天皇国の切り口から実相を語らないのは生長の家ではナイ」
もしもあなた様のご意見がかくの如しであれば、
断言しますが「私ではなくあなた様が間違い」です<<

何度も言っていますが、真理にたどる道など、いくつもあります。

生長の家では、神示に顕して、雅春先生が体現されたほど、天皇国日本の切り口なんです。

他の(私など)人たちが、真理を知って、生長の家を聞いて、ふんふん、と納得するのも、原点が一緒だからです。

4560「訊」:2014/10/26(日) 21:40:47 ID:???


>>>生長の家では、神示に顕して、雅春先生が体現されたほど、天皇
国日本の切り口なんです。<<<

 すみませんが、ご解説頂けませんか。いや、「真理にたどる道など、いくつもあります。」とのことですよね。その部分は賛成なんですが、そうなると、上記(>>>で引用した)部分の意味がわからないのです。

>>>もうね、破邪さんを引き出してきてどうこうって、彼方が決める
ことじゃないでしょ?<<<

 そりゃまた、どうしてなのですか。

 雅宣総裁の虚説ぶりですが、指摘するのが破邪サンのお役目であったはずです。「総裁のマチガイを世の中に訴えていく!」運動でしょう。ならば・・・・・・・喜んで、現れなきゃオカシイでしょう。意味は伝わりますか。

 総裁説、その「具体論」です・・・・具体論で議論できるのですから、そしてそれを当方は担保したんですから破邪サンですが、現れなきゃオカシイですよ。「忙しい」ですって?なんですか、それ(笑)。みんな、忙しいんですよ・・・・・

 忙しい中、わたしも総裁説ですが「別段おかしくはナイ」と主張しているのです。総裁説がオカシければ、破邪サンですが「堂々と登場されればイイ」んです。だって、それが彼の仕事なんでしょう?ちがうんですか。「総裁のマチガイを世の中に訴えていく!」のが、彼の運動であり「仕事」でしょうよ・・・・・

 ・・・・・・議論が具体論に移行した瞬間、彼らは「常に逃げていきます」よね。それじゃ(少なくとも)外形的には、破邪サンですが「総裁に濡れ衣を着せていることになる」のではナイですか。



4561秋だけど春:2014/10/27(月) 19:51:25 ID:dLN.fF0c
>>上記(>>>で引用した)部分の意味がわからないのです。<<

うん? 意味が分からない?
私も解説の仕方が分からない。

>>「総裁のマチガイを世の中に訴えていく!」運動でしょう。<<

これは、違うと思いますね。
憲法改正と優生保護法改正が運動の目指すとこだと思われます。

>>総裁説がオカシければ<<

おかしい事は、もう言ってある。

>>だって、それが彼の仕事なんでしょう?ちがうんですか<<

違います。
生長の家の本来の教えを正しく伝え、現教団を救う目的らしいです。

>>議論が具体論に移行した瞬間、彼らは「常に逃げていきます」よね<<

議論など、必要ないからです。
判っている人に、来て欲しい、
教団の縛りから解放されて本来の真理の道を歩んでほしい、
というのが
運動の原点みたいです。

いちいち議論しなくても、分かる人にはわかる、分からない人は永遠に議論していても仕方ないと、
見切りをつけたんでしょう。

忙しいと言うのは、私のすいさつですので、あしからず。

4562秋だけど春:2014/10/27(月) 19:57:58 ID:dLN.fF0c
監督、神示は全部読んでますか?

私、今手元にないので、先日ahopeさんが書いたのと言いましたが、違う神示すも読んでますか?

4564「訊」:2014/10/28(火) 06:13:39 ID:???

>>秋だけど春さん(WED誌友会スレの件)

 誌友会の論点と違ってますんで、本流対策スレに返信しました。同スレの9326以降をご覧ください。



4565a hope:2014/10/28(火) 08:58:04 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。

「訊」さまと「春」さまが、天皇信仰についてお話をされていますが、
わたしは、web誌友会のテキストの内容を進めさせていただきます。

天皇信仰と「生長の家の教え」に関しては、わたしもこれからお勉強して行かなければいけない大切なテーマだと思っていますので、
お二人の議論を拝見してお勉強させていただきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。


ところで、テキストのお勉強は「生命の實相」14巻の『第八章 無軌道の倫理』p113に入ります。

この章は、主に、「人格の自由」について説明されています。
「人格の自由」に関しては、第13巻の第六章でもお勉強しましたが、
今回はその真理をより身近な家庭生活でどう生かしていくかが具体例をあげて説明されています。

今月のテキストの範囲はこの第八章までですので、あと4日ほど、この章をお勉強して、
来月からは、『教育篇 「生長の家」の児童教育法』へ進みたいと思います。

4566a hope:2014/10/28(火) 09:18:51 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p114 後から3行目〜

生命は神であるから、それを縛らないで伸ばすとき、いくらでも無限に善くなり美しくなるのです。

それが善くならず、美しくならないのはそこに生命が出ていないからであります。
生命を物質と見て固定してしまっているからであります。

そこになんらかの善または美をつけ加えようとするならば、生命は過去において自発的に行って発現した
美や善を形式的に模倣せしめなければならなくなるのであって、芸術の型や道徳の型はそれである。

しかし型を真似たとき、もう生命は死んでいるのであって、ただそれはただの形骸であり、ただの人形にすぎないのであって、
もう本当の善も美も去ってしまっているのであります。

それは過去には善であり美でありえたのは、生命が自発的に、その自由衝動によって発現し行動した道であったからであります。

4567a hope:2014/10/28(火) 09:23:30 ID:brQxC10.

>>4566 a hope所感)

この文章の後、三つの事例が紹介されています。

①母親が息子を「健康の法則」で縛らなくなったとき息子の肺病が癒された実例。

②母親の「勉強させねばならない」の念波を捨て、「この子はよく勉強する子だ」と信じる気持ちになった時、
勉強嫌いだった娘が勉強好きになった実例

③形の道徳家であったキリスト教の牧師の妻が、浮気をし、その牧師を捨てて浮気相手に身を投じてしまった実例

どの実例も、相手を法則や形式で縛ってしまい、自由を奪った為に起きた不幸ですが、
①と②のケースは雅春先生の助言により、母親が心を変えることで子どもの本来の姿が現れました。

ですが③の悲劇の牧師さんの事例に対しては、雅春先生は周囲の人々にこうご助言されています。

「なぜ十五年も良人とした牧師からその妻がのがれたのか、それが問題です。
きっとその牧師は道徳家であって、その妻を縛ろうとしていたのに違いありません。
形の道徳家は不道徳家を作るのです。縛ろうとする時、ハミ出ようとするのが生命です。
今度もその情人を引き離そうと思って強制はしなさるな。
かえってその両人は反抗して強烈な力で結び合うことになるでしょう。
誰も縛らないで、生命そえ自身の衝動に信じまかせ切ってしまうとき、生命は正しく動くほかはないのです。
二人が離れるべきものなら自然に離れるでありましょうし、二人が即(つ)くべきものなら、
二人の前途をそのまま祝福してやらねばなりません」

ここで間違いを犯してしまっているのは牧師の妻ですが、この牧師の妻に「善(神の子)の自覚」つまり「本当の道徳観」があったならば、
このような悲劇は起きなかったと思います。

時々、「道徳的でなければいけない」の『ねばならない』に縛られた学校の先生や警察官がわいせつ行為等で捕まってしまうのも、
そういうことが原因なのではないかと感じました。

「善(神の子)の自覚」の伴わない形だけの道徳観(法則や形式)に縛られ続けたとき、
人間は衝動的に間違いを犯してしまう危険があるのかもしれません。
 

p117 後から3行目〜

<<真に「生命」それ自身の自由に委ねられるとき、「生命」は真を発揮し、
それが真であるがゆえに善を発揮し、美を発揮することになるのであります。>>


人間にとって『「人格の自由」が保障される』ということがどれほど重要なことであるかがわかります。

4568不生の仏心:2014/10/28(火) 11:06:00 ID:zTvAOV2w
>>4567

相手の自由を縛るな、と云いつつ「公人は斯くあらねばならない」と何故縛るのでしょうか。

雅春先生も清超先生も縛らず自由にされたと云うのに。

4569a hope:2014/10/28(火) 12:51:37 ID:cEpBaIdo

>>4568 仏心さま

何をおっしゃいますか。

雅宣先生のことだったら、誰にも縛られてなんていないではないですか。

森のオフィスにしても、世界平和にしても、自転車レースにしても、キノコ採りにしても、
公人として、自分のお好きなように、充分ご自由になさっているではないですか!

違いますか?

これから仕事ですので、お返事は夜になります。

4570a hope:2014/10/28(火) 12:58:40 ID:cEpBaIdo
追伸

雅宣先生は「生長の家」の総裁で、頂点に立っていらっしゃるのだから、
誰にも縛られるということはないと思いますよ。

唯一、縛ることが出来るの人物は、奥さまの純子先生でしょうか・・・?

4571不生の仏心:2014/10/28(火) 13:18:52 ID:zTvAOV2w
>>4569 >>4570

何云うのかな〜 業には身口意の三業があるんだよね

意業であなたをはじめ皆さんが縛っているんでは。意業だけで済まない人は身口の業で縛っているのでは。

貴女の真理の理解って面白いです。

4572a hope:2014/10/28(火) 18:44:53 ID:DrHwZkWE

>>4571 仏心さま

そうすると仏心さまは、雅宣先生の今までの言動は、わたしや本流の先輩方からの意業の束縛に反抗した言動であるとお考えなのですか?

もしそうだとしたら、それは「生長の家」総裁としてはあるまじき、物凄く自己中心的な幼稚な反抗だと思いませんか?

まさかそのようなことはないでしょう。

わたしは、雅宣先生はご自分の言動やその失策を他人のせいなだとはお考えになってはいないと拝察しています。

すべての責任は自分にあると「一切者の自覚」をもたれ、これから教団がどんな状態になっても、お一人で責任を取られる覚悟がおありだとわたしは信じたいです。

4573神の子さん:2014/10/28(火) 19:50:50 ID:???
雅宣さん、あなたを誰も縛ってはいないよ

貴方を縛っているのはあなた自身の心。つまり自己劣等感ですよ。

他人のせいではありません。

4574不生の仏心:2014/10/28(火) 20:19:19 ID:zTvAOV2w
>>4572

意業の束縛に反抗した言動であるとお考えなのですか?
もしそうだとしたら、それは「生長の家」総裁としてはあるまじき、物凄く自己中心的な幼稚な反抗だと思いませんか?

おかしな総裁がいるその原因が何かと云う事を云っているのではありません。
縛らなければよきものが現れるのが真理と云うから、顕れていないというのであれば、彼を縛るものがある、と云っているだけです。総裁の良し悪しを問題にしているのではありません。真理の言葉を学びながら現実の環境を見たときに、真理から考えていないように思えるのですよ。

4575神の子さん:2014/10/28(火) 21:06:42 ID:???
雅宣さん、あなたはこんな匿名の掲示板の本流とか自称している誰だかわからない人に

縛られていると感じているのですか。

もしそうならば、やはりそれも自己劣等感。貴方自身の心の問題です。

4576不生の仏心:2014/10/28(火) 21:18:30 ID:zTvAOV2w
>>4573 >>4575

a hopeさんと同じこと云うのですね。総裁が周りをどのように観ているかとか、感じているのかとか、そんなことは一切関係ないです。
不都合な人間がいると云うのであれば、それは彼を縛るものがあることを示しているというだけのこと。

日本語読めないのですか。

4577a hope:2014/10/28(火) 21:46:27 ID:cEpBaIdo

永遠の女性なるもの p118

生命は、それ自身の自由に委ねられたとき最も進歩し発達するものでありますから、
もし家庭において、良人が妻を、妻が良人を、形で(のみならず心でも)縛ろうとするとき、
その良人は思う存分発達することができず、常に「後顧の念」に縛られて社会へ出て十分の活動ができなくなり、
妻は自分自身独特の個性の美しさを発揮することができなくなって、その知識においても、
感情においても容姿においてもギコチない、型にはまった、停滞したものとなってくるのです。

そこにおいて、妻は女性としての魅力を失い、良人の進歩に雁行してゆくことができず、
良人の伴侶となることができず、良人から愛されないことになり、
その家庭は悲惨なカタストローフ【破局】を見ることになるのであります。


妻は家婦であると同時に、「永遠の女性」でなくてはならないのであります。

「永遠の女性」とは『創世記』の第一章にある、「神が神の像に肖(かたど)りて人を造り、男と女に造り給えり」
とあるところの、「神としての女性」であります。

内にすでに備わっているところの無限の女性美が、
滾々(こんこん)として常に顕れるところの女性でなければならないのであります。

常にいっそう「永遠の女性」であり、常にいっそう新鮮美がなくてはならないのであります。

年と共に老けゆく女性は本当の女性ではない。

歳とともにいよいよ新鮮に「永遠の女性」美が顕われるのが本当の女性なのであります。

4578a hope:2014/10/28(火) 21:53:06 ID:cEpBaIdo

>>4577 a hope 所感)

<<年と共に老けゆく女性は本当の女性ではない。
歳とともにいよいよ新鮮に「永遠の女性」美が顕われるのが本当の女性なのであります。>>

そうなんですか。
「永遠の女性」美 が顕れなければ、本当の女性ではないのですね・・・(;’∀’)
ちょっと厳しいですが、でも、なんだか嬉しい真理ですね!

わたしは、その「美」の秘訣は「神想観」にあるのではないかと感じています。

「神想観」をして、神にすべてを委ねる気持ちになった時、不安が消え、感謝が溢れ、
自分が神聖に輝くような気がするのです。

女性でも男性でも、「永遠の生命」や「神」を信じている人は、心穏やかで何歳になっても美しいです。

こちらをご覧の女性のみなさん

わたしと一緒に「生命の實相」の真理を学び、神想観ををして「永遠の女性」美を手に入れましょう!!

4579a hope:2014/10/30(木) 22:24:05 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p123 

相手を強制するな

相手を自分の考える善にまで強制してはならないのは、その強制によって相手はますます悪くなると共に、
自分自身がいっそう悪くなるからであります。

他を縛ろうとするならば、常に自分の尺度をもって相手を測っていかなければならないでありましょう。

その間に最も自分に大切なる自分自身のエネルギーが効果もなく失われてゆくことになるのです。

それはまったくエネルギーの浪費であります。

浪費であるばかりかそれは自他を傷つけるエネルギーとなるのです。

常に相手の欠点を見て、それを心に印象し、その印象を相手に念送するならば、
夏川静江の『ひとり静か』の放送物語を聞いてさえ、その物語のとおりに皮膚に斑点を生ずるのが人間の感性です。

それほど過敏でないにしても、悪を認めてそれを心に印象すれば、その想念は必ずや、自分自身を内部より破壊し、
その想念を送られた相手は、その悪しき想念の放送を受けて外部から弾丸を受けるかのように害されているのであります。

「善くしてやろう、という想念は相手を害し、すでに善いとの想念は相手をよくする」という「智慧の言葉」は実に真理であります。

自分自身の心を常に健全に、自分自身の肉体を常に健康に、自分自身の精力を百パーセントに善用しようと思う者は、
相手をして自分の好む軌道をのみ通らせようと思ってはなりません。

軌道のないところに本当の天道がある。無軌道の飛行機は脱線するおそれはないが、
ここを通らなければならぬと定められた汽車や電車は脱線転覆の惧(おそ)れがあるのです。
(つづく)

4580a hope:2014/10/30(木) 22:25:08 ID:cEpBaIdo

>>4579 a hope 所感)

<<常に相手の欠点を見て、それを心に印象し、その印象を相手に念送するならば、
夏川静江の『ひとり静か』の放送物語を聞いてさえ、その物語のとおりに皮膚に斑点を生ずるのが人間の感性です。
それほど過敏でないにしても、悪を認めてそれを心に印象すれば、その想念は必ずや、自分自身を内部より破壊し、
その想念を送られた相手は、その悪しき想念の放送を受けて外部から弾丸を受けるかのように害されているのであります。>>

やはり、「悪」を認める想念は、相手のみならず自分自身をも傷つけてしまうのですね。

「自分自身を内部より破壊する」とは、なんと恐ろしいことでしょう。
さらに、相手は「弾丸を受けるかのように害される」とあります。

「生長の家の教え」は「悪なし」の教えですから、現象の「悪」や「罪」を認めたような『虚説』は断固として排撃しつつも、
相手の仮相(迷いの姿)はあくまでも自分自身の心を映した鏡であるわけですから、その姿には感謝して、
自分と相手は一体である事を心に念じて、実相を礼拝することが本当の「生長の家」の信仰の姿なのではないかと感じています。

4581a hope:2014/10/31(金) 10:06:22 ID:cEpBaIdo

p124 後から7行目〜

軌道があるから脱線する。軌道がなければ脱線せぬ。

「ねばならぬ」に縛られた人たちは、自分も脱線して苦しみ、人をも脱線せしめて苦しむ人たちであるのであります。

電車なら線路がなくては人生の行路が歩めぬかもしれぬが、人間は神の子であるから、それ自身の自由にゆだねられたときかえって、
それ自身の中心を得て完全に回転するのであります。

すべて自主的運動をなすものは、それ自身の自由にまかされたとき、少しの歪(いびつ)もなしに回転し、
他から束縛しようとせられるとき、その回転が乱調子となり、一定の所からかえって撥ねて飛ぶのは、
廻っている独楽(こま)と同じであります。


竹はすべて真っ直ぐに生長するのが本性であり、藤蔓(ふじづる)は巻き付くのが本性であり、
笹芝は地を這うのが本性であります。

そのそれぞれに美があり、個性があり、個性の中に天意があり、神があるのである。

竹を竹して竹たらしめよ。藤蔓を藤蔓して藤蔓たらしめよ。笹芝を笹芝して笹芝たらしめよ。

藤蔓をして竹のごとく真っ直ぐならしめんとし、竹を藤蔓のごとく巻きつかしめようとする時、
竹も枯れるで、なおいっそうよくないのは、かく外部から強制せんとしつつ自分自身が奔命に疲れて滅んでしまうでありましょう。

人をいわゆる「自分の尺度」で測って、善ならしめようとして、相手をそこない、
自己をそこなっているのはちょうどこれと同じであります。

4582a hope:2014/10/31(金) 10:08:39 ID:cEpBaIdo

>>4581 a hope所感)

<<電車なら線路がなくては人生の行路が歩めぬかもしれぬが、人間は神の子であるから、それ自身の自由にゆだねられたときかえって、
それ自身の中心を得て完全に回転するのであります。>>

わたしは母親として子供達を見ていて、この事はすごくよくわかるような気がします。

身近なことですが、子供たちが学校から帰って来、宿題をやらないで遊び始めたとき、
「宿題を先に終わらせてよ!」とわたしが強制的にやらせた場合、子供たちは一応やり始めますが、
子供達の心の中に「遊びたい!」という気持ちが残っているので、集中力に欠け、時間ばかり食って、
能率が上がりませんし、せっかくの学習も身につかない様子です。

ですが、子供が遊び始めた時に、「今日は宿題はあるの?夕飯は6時の予定なんだけど?」と声掛けすると、
子供達は、「じゃあ、一回ゲームやってからやるよ。」とか、「夕食、食べ終わってからやる。」とか、
それぞれが、答えるのですが、そうすると本当にその時間になると必ずやり始めるのです。
そして、ものすごい集中力を発揮して、短時間で終らせます。

ここで、大切なのは母親の声掛けした後の態度なんだと思います。
わたしも何度も失敗しましたが、一度声掛けした後は、子供を信じて黙って見守ってあげなければいけないのですね。

子供が自主的にやりだす前に、「ほら、ゲーム一回終わったでしょ?早く宿題やりなさい。」とか、
夕食を食べている最中に、確認するように「あなた、夕食食べたら宿題やるのよね?」とか言ってしまうと、
子供は母親に信頼されていないと感じ、ますますやる気をなくすのだと思います。

身近な家族を信頼する、特に自分からみればまだまだ未熟に見える子供達を信頼し、
自由にさせるというのはなかなか難しいですが、
母親にそれができたとき、子供たちは本来の「神の子」の無限に伸びる力を発揮してくれるのだ、
ということがやっとわかってきました。
(つづく)

4583a hope:2014/10/31(金) 10:10:45 ID:cEpBaIdo
>>4582 つづき

p126 8行目〜

<<決して相手を縛って導こうとしてはならない。
自分自身が得ている真理で何か相手に捧げる実行的奉仕を為しつつ、相手自身を相手の思考の自由にまかせておくのがよいのであります。
相手の「神の子たる善さ」を信じてその自由にまかせておくのであります。
かくて人は本当の自由にまかせられるとき、廻っている独楽を触らないで自由に委(まか)すとき、
心軸を中心として立ち上がるように正しくいきるようになるのであります。>>

ここに、まさにわたしが「子供達への対応」に関して感じている結論の正しさを証明してくれるような文章が書かれていました。

聖典「生命の實相」はわたしの「座右の書」であり「人生のバイブル」です。

4585トキ:2014/10/31(金) 10:59:24 ID:O7P5.4T.
 そうですね、最近、感じるのですが、「千里の道も一歩から」という言葉の意味です。

 国家や環境の問題も重大ですが、まずは、目の前に、困っている人がいるのなら、その
人のために何かをする。個人なら家庭を明るくする。そういうところから始めてこそ、
国家の問題についても、環境の問題についても、説得力が出て来る、と感じます。

4586a hope:2014/10/31(金) 22:44:11 ID:cEpBaIdo

トキさま みなさま こんばんは

今月も今日が最終日になり、明日からは第29回web誌友会が開催します。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第29回 web誌友会 予告

期間  11月1日〜11月30日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p127〜p199
内容 「生長の家」の児童教育法
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆



わが家の子供たちもそれぞれ順調に成長してくれていますが、まだまだいろいろと心配事も多いです。
ですが最近は、子どもの問題行動もすべて自分の心の影なのだから、
自分の心を変えることが問題解決への近道だということがわかってきました。

今回さらにお勉強して「生長の家」の児童教育法をしっかりと自分のものにしたいです。
子育て中のみなさまも、そでないみなさまもどうぞご気軽にご参加くださいね。

それでは、明日になりましたら「開会の祈り」と、p128にある「児童教育に関する神示」を謹写させていただきます。

4587a hope:2014/11/01(土) 08:07:46 ID:cEpBaIdo

11月に入りましたので、第29回 web誌友会を開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4588a hope:2014/11/01(土) 08:09:19 ID:cEpBaIdo

「児童教育に関する神示」

多くの母親は子供のことを余りに取り越し苦労するために、
かえって子供に悪思念を放送して子供の健康や運命を害している。

ある母親は一瞬間でも自分の眼の前にいないと心配でたまらないのである。
彼は自分の想像の中で、躓(つまず)いて転んでいる自分の子供の姿を思い浮かべる。

自動車にひかれて死にかかっている自分の子供の姿を思い浮かべる。

水に陥って溺れかかっている自分の子供の姿を思い浮かべる。

世の母親よ、なぜあなたはこの反対をしてはいけないのか。

こんな取り越し苦労が起こるのは、
子供を神の子だと思わないで人間の子だと思うからである。

神の子は神が育て、人間の子は人間が育てる。

人間の子だと思うものは終世、取り越し苦労をして育てねばならぬ。

子供を神の子だと思うものは、子供を尊敬してできるだけその世話をさせてはいただくが、
神が守ってい給うと信ずるがゆえに取り越し苦労は必要はないのでる。

人間力で子供を生かしうると思うなら終日終夜起きて子供の番をしておれ。

それはできなかろう。

できない間に子供を生かしているのは神の力である。


感謝 合掌。

4589a hope:2014/11/02(日) 11:55:31 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p129

われわれを神が造った。神と呼ぶのが嫌な者は生命といってもよい。

神の力を疑うものは馬鹿者だ。神が造った万物のなかでその主位にある人間の力を疑うものは真理を見る目のない者だ。

われわれの内に無限が宿っている。この無限を掘り出せば人間はみんな天才となるのだ。

天才を、人間は皆もって生まれて来ているのだ。それに人間はみんな天才にはならない。それは不合理だ。

その不合理は誰がするか。人間が真理を知らないからだ。親たるものが真理を知らないからだ。

ダイヤモンドをもっていながら石だと思って捨てて顧みないからだ。

人間を信ぜよ。神の創造を信ぜよ、生まれたままの人間を信ぜよ、それは幼児だ。

幼児に宿っている天才はまだ彫琢しないダイヤモンドだ。傷のつかない高貴だ。

表面にまだなんの天才の閃(ひらめき)がないからとて失望するな。表面を見て神の創造を疑うな。

神が天才を造って人間ひとりひとりの中に埋蔵(かく)しておいたのは、神が人間をして安価な怠惰の中に腐敗せしめないためだ。

人間みずからの努力と発見とを神が喜び給うからだ。

なぜなら人間は一個の生命であるから、発見と創造とに生きねばならぬからだ。

天才の閃きがわが子にあらわれないからとてわが子を軽蔑するものは、生命を軽蔑するものだ。

神を軽蔑するものだ。子供をわが子だと思うな。子供の生命の背後には無限生命がある。

神がある。明日火に投げ入れられるべき野の草の小さな花すら、神でなければ造られない装いがあることを知るものは幸いだ。

いわんや造られたるものの主位に位する人間の子供の天才を疑うな。

子供の天才を生長させるために必要な根本事項は神の創造に対する信頼だ。

親はわが子を神の創造だと信じ、できるだけ子供自身が神の創造を自覚し神の創造をはずかしめてはならない
という魂の高貴さを養成するように努力しなければならないのだ。

4590a hope:2014/11/02(日) 12:06:15 ID:cEpBaIdo

>>4589 a hope所感)

ここには、現象世界からではなく実相世界からの見解でわたしたち人間が神の創造であるということが
とても力強く述べられていて、拝読していてもとても元気になりますし気持ちがよいです。


そして、

<<子供の天才を生長させるために必要な根本事項は神の創造に対する信頼だ。
親はわが子を神の創造だと信じ、できるだけ子供自身が神の創造を自覚し神の創造をはずかしめてはならない
という魂の高貴さを養成するように努力しなければならないのだ。>>

とあり、母親が子供の「天才」を生長させるためには、その神の創造を信頼ることと、
魂の高貴さを養成する努力が必要だとあります。


p131
<<子供を礼拝せよ。子供の内に埋蔵された才能の宝を拝み出せ。信ぜよ。
なんじ癒えたりと信ぜば病も癒えるのである。
いわんや、あなたの子を信じて、あなたの子が善くならないということはないのだ。
子を信ずるものは人の父を信ずるものである、神を信ずるものである。>>

これは、子供だけに言える事ではないですね。

人間は一人残らず「神の子」なのですから、誰一人として、信ずるに値しない人間はいないのだと思いました。

4591トキ:2014/11/02(日) 18:02:54 ID:AXe06p4A
a hope様

 web誌友会の開催、ありがとうございます。

 真理を勉強する場所が少なくなっているので、こういうネット上での
勉強はとても大事だと思います。皆様のご参加を心からお待ちしており
ます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

4592a hope:2014/11/03(月) 10:54:59 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p131 後から2行目〜

生命の目的は「生長」することである。そして生命は生長の営みによってのみ生長する。

生命の営みとは「活動」である。生命はきざしているところの「動」を現実の「動」に変えることによって生長する。

わが子が弱いとか、まだ発達期でないとか思うな。わが子に今あるところのすべての能力を発揮せしめよ。

きざしている芽のすべてをすくすくと伸ばさしめよ。

4593a hope:2014/11/03(月) 10:57:23 ID:cEpBaIdo

>>4592 a hope所感)

この後、なぜ「幼児」が乱暴をしたり、いたずらをしたり、物を破壊したりという脱線をするのか、
そのような「幼児」の脱線行動に大人はどのように対応すべきなのかが説明されています。

谷口雅春先生は児童心理学者でも教育学者でもありませんが、本当によく「幼児の心理」を理解されていると感じます。
まあ、「幼児の心理」というよりも、「生命の本質」と言った方がいいのかもしれませんが・・・。

p134 2行目〜
<<子供のさわがしさを叱る者は生命の生長に重大な障礙(さまたげ)を置くものだ。子供の伸びようとする生命はおさえられて浪費する。
かかる抑圧が永続的に行なわれるときそれは浪費される以下である。
なぜなら生命の発露を常におさえつける習慣をつけるとき生命は委縮するからである。
使わない能力は発達しない。使わない生命は生長しない。いな、それ以下である。

抑圧された衝動が子供の成長後いろいろの精神障礙および肉体的症状となってあらわれてくることは、
最近の精神分析が証明しつつあるところだ。>>

4594a hope:2014/11/03(月) 10:59:20 ID:cEpBaIdo

>>4591 トキさま 

こちらこそ、このトキ掲示板があるからこそ、わたしは大好きな聖典「生命の實相」のお勉強がみなさんと一緒にできるのです。
管理人のトキさまにはいつも心から感謝しています。

といいながら、わたしは事情がありまして、明後日から1週間〜10日ほど自宅のパソコンをつかえない状態になります。

時々、この掲示板は拝見するつもりでいますが書き込みはほとんどできないと思います。

今回のweb誌友会の範囲は、「生命の實相」第14巻の『教育篇』p127〜199までとしてありますので、
トキさま、「訊」さまなどで、お勉強を進めてくださるとありがたいです。


閲覧者のみなさま

ただ、自分が感動したところ、赤線を引いたところを、こちらに謹写し紹介してくださるだけでもお勉強になります。

もし子育て中の方でしたら子育てに関する質問をされてもいいですね。

この掲示板は、志恩さま始めたくさんの「生長の家の教育法」でお子様方を立派に育てられた
先輩方も閲覧してくださっていると思うのです。

きっと、よいアドバイスをいただけるのではないかと思います。

4595a hope:2014/11/04(火) 21:43:18 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」p136  2行目〜

白百合にバラの花をつけさせようと思うな。白百合の清さは一つの天才である。バラの花の美しさも一つの天才である。

諸君は「鈴懸(すずか)け」の小さな白い花房や、萩の可憐な赤紫の荳(まめ)のような小花(おばな)にも、
ほかの花卉(かき)とは取りかえることができないそれぞれの美をばみとめないであろうか。

どんな小さな花にさえも人工は及ばない。

「ソロモンの栄華の極み」の時の装いだも、その美しさは野辺に咲く名なし草の小花にも及ばないのだ。

いわんや、造られし物の首位にある人間の天才は、それがどんな種類の才でも、自然を曲げたものよりは高貴であるのだ。

生命を信じて礼ぜよ。

子供の生長、人間は常にここから始まらなければならない。

大地に根をおろさなければ偉大なる生長はのぞまれない。大生命に根をおろさなければ、偉大なる生長はのぞまれない。

天才は、それが偉大なのは大地に根をおろした生長であるからだ。

大地に根をおろした生長であれば、大工になる時左甚五郎のような巨匠となるであろう。

粘土細工の好きな鼻垂らしもロダンのような巨匠となるであろう。

4596a hope:2014/11/04(火) 21:44:39 ID:cEpBaIdo

>>4595 a hope所感)

<<いわんや、造られし物の首位にある人間の天才は、それがどんな種類の才でも、自然を曲げたものよりは高貴であるのだ。>>

「天才」とは、個性生命が大生命から与えられた「使命」のことではないかと感じました。

何物にも拘束されず自由に生きることができたとき、誰にでもその天才は発揮されるのだと思います。

わたしの子供達にはどんな「天才」があるのか、そしてわたしの中にも必ず「天才」があるはずです。

考えただけでもワクワクしますね!

「生長の家」はその教えを信仰すれば、全ての人間が「天才」に生長するから「生長の家」というのでしょう?

「生長の家」の信仰といえば、やっぱり「人間神の子」の自覚を得るための三正行ですね!

4597トキ:2014/11/08(土) 22:10:43 ID:9laNyN1c
 生命の実相第14巻の193pより、御文章を紹介させていただきます。

 「毎朝『馬鹿者!」だとか、「強情」だとか、「仕事のない悪い子だ」とか、
親たちや教育係からいわれでないで育ちえた子供はほとんどこの世界にないと
はなんという悲しいことだろう。「生長の家」は敢然かかる教育法に反対する
ために出現したのである。」

 これは中学や高校で体育会系の活動をした人なら、体験があると思います。

 どうも、努力や根性の押しつけが横行し、まるで軍隊の内務班のような押し
つけが普通になってました。

 しかし、最近のスポーツの世界では、こういう極端な上下関係の存在は
功少なく、弊害が多い事が指摘されています。例えば、喧嘩空手で有名な
極真空手などは、この種の「シゴキ」がなく、かえって広がったともいわ
れています。

 最近では女子柔道の世界で、この種のシゴキをして問題になっています。

 戦前、谷口雅春先生が言われた事が、21世紀になって常識になったの
は知るべきだと思います。

4598「訊」:2014/11/08(土) 23:00:50 ID:???


>>4597トキ理事長

 ・・・・誌友会論点からはややずれますが、以下の件にコメントを。

>>>しかし、最近のスポーツの世界では、こういう極端な上下関係の存在は
功少なく、弊害が多い事が指摘されています。例えば、喧嘩空手で有名な
極真空手などは、この種の「シゴキ」がなく、かえって広がったともいわ
れています。<<<
>>>戦前、谷口雅春先生が言われた事が、21世紀になって常識になったの
は知るべきだと思います。 <<<

 これは確かに、その通りです。最近では所謂「しごき」ですが、部活動から姿を消しつつありまして、私なんかも非常にうれしく思っています。いやホント、しごいたって「スポーツは上手くならない」のです(笑)。考えれば誰でもわかることなんですが、まあ、誰も分っちゃいなかった(笑)。しごかれて野球がウマくなるなら例えば、私なんか今頃「ヤンキースでエースになっているハズ」です(笑)でも、なってイナイんです(笑)・・・・・・しごきなんて、無意味。それが一点目です。

 で、二点目に述べたい点なんですが、「なんで最近野球界ではしごきがなくなってきたのか」に関して触れます。これ、「オリンピック・マター」なんですよ、実は。さてこの「オリンピック・マター」の意味とは・・・・・・

 ・・・・・ご存知か知りませんが、野球競技ですがなんと、「五輪から外れた」んです(!)。これ、野球界では激震が走っておりまして、もう、プロもアマもおろおろしているんです。

 で、五輪競技復活!を目指す野球界ですが、高野連が着手したのが「しごき・いびりの根絶」なんです。最近は強豪校の済美高(愛媛)や日南学園(宮崎)が出場停止処分になったんですが、これ、今までであれば「OK」だったケースです。今までであれば「騒動の責任者である選手個人だけを処分」にし、「チーム全体は出場してもよい」てな裁可がくだったはずの、軽罪だったんですが・・・・・・・両校ともに「出場はNo」となったんでありました。そしてこの、済美高(愛媛)と日南学園(宮崎)への処分から我々は、「ああ野球界・・・もう、ホンキだな」と察しているわけです。前段で述べた五輪競技の復活ですが、野球界はホンキになってます。そして、今後はしごき・いびり等は「厳格に処分されるであろう」、そんな流れです。

 ・・・・・まあ、トキさんは、「戦前、谷口雅春先生が言われた事が、21世紀になって常識になったのは知るべきだと思います。」とお書きでしたが、まあ野球界に関して云えば、ややニュアンスが違いますかね(笑)。正確に描写すれば、「自壊作用(=五輪競技から外れた)により、野球部部員たちは今まで以上に、野球そのものを楽しめるようになって来た」かな、と。もっと誉め言葉で盛り上がるようになれば、野球界もホンモノなんですがね(笑)。まあ以上、誌友会テーマからはやや外れますが、ちょっと補足したくなった事柄でございました。



4599「訊」:2014/11/08(土) 23:19:43 ID:???

(×)野球競技ですがなんと、「五輪から外れた」
(○)野球競技ですがなんと、「五輪種目から外れた」

4600トキ:2014/11/10(月) 09:50:29 ID:4moBTNpA
>>4598

訊け管理人様

 うーん、野球というのは華やかな世界に見えますが、たいへんな背景があるのですね。

 明治時代など、野球をするのは不良扱いをされていた時期もあったみたいです。内村鑑三
の長男の内村 祐之は東大医学部教授として有名ですが、同時に、野球人としても有名です。
内村鑑三は長男が野球をするのは反対でしたが、「一高、東大でトップなら」という条件で
野球をするのを認めた、と言われています。

 戦前は野球人の地位が低かったので、地位向上を目指した人たちが熱意のあまり、つい、
シゴキのような事を始めて、その悪弊が今日まで残ったのでしょうか。

 ともあれ、ああいうシゴキみたいな事を根絶するのが、谷口雅春先生の願いかもしれま
せん。

4601a hope:2014/11/13(木) 10:38:41 ID:cEpBaIdo

生命の實相 第14巻 p138 2行目〜

善い言葉で暗示を与え、子供を十分信頼してやり、仕事の種類と時間とを子供の好きにまかしてやるならば、
子供はめったに仕事の選択に失敗するものではない。

子供を信ずること、および善い言葉で「あなたは善い子だからこれが上手だ」というふうに導くことを忘れてはならない。

4602a hope:2014/11/13(木) 10:39:59 ID:cEpBaIdo

>>4601 a hope所感)

「子供を褒める」というのはなかなか難しいことだと感じています。
ここでは、『善い言葉で暗示を与える』とありますが、それはだだ「褒めまくる」こととは、
まったく違うのだと思うのです。
ここで重要なのが「子供を十分信頼」するということで、それは、親の理想通りの子供に仕立て上げる(親の敷いたレールをおだてて走らせる)、
ということではないですよね?

まれに、親が子供を医者にしたいからと、眠っている子どもに「お前は将来医者になる」と暗示をかけ続けて育てたら
本当に医者になったというような話を聴きますが、その子に医者の天才(素質)がなかったら、
たとえ、親の希望通り医者になったとしてもその子の人生は決して幸せにはならないのではないかと感じています。

わたしは自分の子供達を同じように育てているつもりですが、それぞれ性格や得意なことが違います。

その子供の天才を無視して、親が自分の見栄や欲、または自分が出来なかった夢を実現させたいがために、
子供をおだてあげて自分の理想通りに育てようとすることの弊害は大きいのではないかと感じています。


ですが「人間神の子」という「生長の家」の祈りの言葉は万能ですね!

ジュニア「希望の祈り」―― 毎日の進歩のために―― には、
誰が読んでもその子(人)の天才が引き出されてくるような祈りの言葉がたくさん詰まっています。

たとえ、子供が反抗期などでその「祈りの言葉」を唱えたがらなくても、
母親や父親が子供の代わりに読んだり唱えたりすることでその子供の天才が引き出されてくるような気がします。

わたしにも現在、反抗期の子供がいますのでこれからその子に代わって「人間神の子」の祈りの言葉を唱えていきたいと思います。

4603a hope:2014/11/13(木) 10:42:17 ID:cEpBaIdo

トキさま 「訊」さま

わたしのいない間、web誌友会にご参加くださりありがとうございます。
また、パソコンが使えるようになりましたのでお勉強を再開させていただきます。

感謝 合掌

4604a hope:2014/11/15(土) 08:55:38 ID:cEpBaIdo

生命の實相 第14巻 p148 8行目〜

円満な神の姿を小児の心にえがかせよ。完全な仏の姿を小児の心にえがかせよ。

いかなる場合にも、自己が全能なる神または仏の愛の手にいだかれていてなんの危険もないものだ、という自信を子供の時代から人間に植えつけよ。

幼児からのこの自信は将来のその人の運命を決するものだ。


子供の教育に当たっては人前だからといって自分の子供を遜(へりくだ)って、「この子はとてもイタズラ好きで駄目なんです」とか「この子はずいぶん馬鹿でして」などというな。

かくのごとき謙遜は子供の想像力を自分の想像力を自分の欠点の方へ働かしめ、子供の自信力をめちゃめちゃにして子供の生長に邪魔を置くことになるのである。

自身を常に「駄目だ駄目だ」といわれているときは、その言葉の力でその子供の周囲や表情には、一種のダメな無力な沈衰(ちんすい)した感じがつきまとい、彼の将来の運命を真に駄目にしてしまうのである。


諸君よ、何も神がつくったところの人間を指して、それがたとい自分自身だからとて、自身の肉身の子だからとて、駄目だとか、馬鹿だとか、かりそめにも悪くいわねばならない理由はないではないか。

それは創造主(つくりぬし)への冒涜である。それはわれわれをつくって生命を与え給える「ある者」をけがすものだ。

けがすだけではない。自分自身の運命を、自分自身の子の運命を、知らず知らずのうちにダメにしつつあるものだ。


子供をして彼自身を「神の子なり」と信じせしめよ。

神父(ちち)はその子をその全能な力にて常に完全に導き給い、無限生長に導き給い、どんな不遇の場合にも必ず守りていたまうことを信ぜしめよ。

どんな場合にも失望しない心、取り越し苦労しない心、摂理に信じまかせ切って、晏如(あんじょ)たるを得る心、倒れても倒れてもまた起き上がることのできる心、これらは幼児の心にきざまれた完全円満なる神を父とする想像から力強く生まれ出て来るものなのだ。


神仏を礼拝する習慣、これがここにも幼児から人間の生長に必要なものであることがわかってくるであろう。


子供に彼を保護する神を想像させよ。しかし神を恐れさすな。神を父と思わせよ。愛深き全能の力をもて守りたまう神を想像させよ。

4605a hope:2014/11/15(土) 08:57:26 ID:cEpBaIdo

>>4604 a hope 所感)

<<子供の教育に当たっては人前だからといって自分の子供を遜(へりくだ)って、「この子はとてもイタズラ好きで駄目なんです」とか「この子はずいぶん馬鹿でして」などというな。>>

日本人には、それが謙遜であると勘違いをして、この間違いをしてしまう親がとても多いのではないかと感じています。

また、子供同士の間でも、「自分はバカだし・・・」とか、「どうせオレは駄目な奴だし・・・」自分を見下すような発言をして友達の気を引こうとする子供の様子もよく見られます。

反対に、あまり自信過剰になって派手に振る舞えば、いじめの対象になってしまう危険もあります。


自分だけが特別に「神」に愛されているのではなくて、「自他一体」であり相手も自分と同じ「神の子」である、という生長の家の「自他一体の自覚」があれば、
親子関係もお友達関係もすべてうまくいくのではないかと思います。

4606管理人さまへ:2014/11/15(土) 16:17:41 ID:aSbVs1pI
トキ管理人さまへ

 訊け管理人さんなどがルール違反しているので、注意してください。
 訊け氏が部室版で違反しているいるあいだ、わたしのほうでも
 ここや他の版で、トキさんが注意するまで書かせてもらいます。

4607管理人さまへ:2014/11/15(土) 16:21:01 ID:aSbVs1pI
8020 :シャンソン:2014/11/14(金) 20:31:23 ID:syXTb1eg>>7271

訊けさんがこないだからおなじことばかり主張しているのは知っています。
わたしが尋ねていたのはトキ管理人さんにです。
 訊けさんはトキさんではないのですから、横から割り込まないで下さい。
そして一人一役もできないトキさんは回答をさけているので、これについて今は
問い合わせていませんと書きました。
今後、訊け管理人さんがおなじことを繰り返してきた場合は、悪意のある妨害行為と
みなして、管理者にもその責任を問いたいと思います。

4608管理人さまへ:2014/11/15(土) 16:25:56 ID:aSbVs1pI
1859 :「訊け」管理人:2013/11/27(水) 07:20:49 ID:???


>>トキ理事長

――――――――――――――
1560 名前:トキ 投稿日: 2013/09/16(月) 18:22:04 ID:8wIrzEBg
追伸

 うのはな様も訊け管理人様を話題にしないし、逆もそう、という約束は有効だと思います。
――――――――――――――

 珍文の整理、よろしくお願い致します。

4609管理人さまへ:2014/11/15(土) 16:43:07 ID:nhF2iOV6
8048 :「訊」 :2014/11/15(土) 16:39:44 ID:???
>>トキ理事長

 在トキ会の同意の下、>>8046宣言文が「適用の運びとなりました」ことを、ここにお喜び申し上げます。今後は同宣言文の「厳格な適用」を求めたく、罰ゲームの提案などをさせて頂きました次第です。なお、その、罰ゲームの内容は>>8047文に明記致しましたので、ご確認の上今後、同宣言文の「公平なる判定者」としてのお立場を、貴殿に強く働きかける所存であります。

 最後に繰り返しではありますが、在トキ会の同意の下、>>8046宣言文が「適用の運びとなりました」ことを、ここにお喜び申し上げます。



4610「訊」:2014/11/15(土) 16:47:46 ID:???

>>>珍文の整理、よろしくお願い致します。<<<

 完全同意です。ここは、誌友会スレでありますからね。ですので、完全同意です。

4611トキ:2014/11/15(土) 17:22:46 ID:kJfjg7Wc
 皆様のご理解に感謝します。web誌友会ですから、誌友会に戻りましょう。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

4612a hope:2014/11/16(日) 23:06:03 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p151 7行目〜

真(しん)に人類の生長を望む者は人類が臆病になるべきいっさいの原因を一掃しなければならぬ。
「生長の家」がこの世に出現した一つの動機はこの目的を果たすためだ。

「そんなに悪いことをしては鬼が来て食べますよ」式におどしつけて子供を善導しようと思う者は、
ついに人類を不幸につき堕(おと)すことになるのだ。


元来、刑罰が恐ろしくて善き行いをする者は本当の善き人ではない。
刑罰の有無にかかわらず、善を愛する心から善をなす者にしてはじめて真に善人ということをうるのである。

形の上から見れば同じ行為をしたにすぎなくとも、刑罰を恐れて善事をするものは境遇に強いられた被征服者であり、
善を愛する心から善をなすものは自主独立の支配者である。

4613a hope:2014/11/16(日) 23:07:44 ID:cEpBaIdo

>>4612 a hope所感)

ここには、とても重要な事が述べられていると思いました。

人々に「善き行い」をさせるために、おどしつけてさせてはいけないということが書かれていて、
そうすると、人類を不幸につき堕(おと)すことになるとあります。

誰からもおどされたり強制されたりすることなく、信徒が「神の子」の自覚を持つことで、
喜んで自主的に善をなすようになるのが「生長の家の教え」なのですよね!

4614a hope:2014/11/17(月) 22:07:23 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p152 8行目〜

人間にとって、何よりも大切なことは、自分の脚で大地に立つということである。

何者にも強いられないところの不羈独立(ふきどくりつ)の精神で、自由に、のびのびと善事を行う生活こそ「生長の家」の生活であるのだ。

善を欲するがゆえにわれ伸び伸びと善を為す――かくのごとく幼児の精神を「生長の家」式に導いてゆくことによってのみ、
人間の人格の自由と強さと円満さと朗々たる明るさを得ることができるのである。

4615a hope:2014/11/17(月) 22:12:35 ID:cEpBaIdo

>>4614 a hope所感)

各自の人格の自由が保障された上で、自由にのびのびと善事を行うのが「生長の家」の生活なのですね!

テキストにはこの後、「悪」や「罪」の観念に支配されてしまい、
「万引きをすれば警察へ引っ張られる」と想像できても万引きをやめられない婦人の例や、
「甘い物をたべたら胃が痛む」と想像できても甘い物がやめられなかった作家の具体例があげられ、
「観念の強制力」がどれだけ強いものなのかが説明されています。

p154 1行目〜
<<この観念の強制力を「善」の方向に利用せよ。悪なるもの、不完全なるもの、
歪(いびつ)のもの、暗きものの想像をスッカリ子供の心から逐(お)い出し、
善なるもの、完全なるもの、円満なるもの、明るきもののみ心にえがきせしめよ。
観念の強制力が自ずから働いて、その子供の善をなそうという傾向、円満に達しようとする傾向、明るい快活な生き生きとしたことを好む傾向が増大してくるのだ。>>

4616a hope:2014/11/18(火) 22:48:40 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p155 5行目〜

直観力というものは実に不思議な力である。それはたんなる想像力とも異なって一種の洞察力である。

片鱗を知って全体がパッと明るく頭の中へ閃いてくるところの霊感的な力である。
たんなる想像力がこれよりあれへと外形をたどって連想や類推をかさねて、いろいろの形や物語の筋を組み立ててゆくに反して、
直観力は直接的に物全体に突き入って、そのもの全体を端的につかんでしまうものである。

この不思議な霊感的な洞察力はいかなる職業に従事する者にも必要であるが、特に宗教家、教育家、音楽家、芸術家、詩人等においては必要欠くべからざる性能である。

かくのごとき霊感的な直観力なくしては、何人も真の偉大に到達することはできないし、
真の偉大な事業をなしとげることはできないのである。

真の宗教家は天徠(てんらい)の声を語る詩人であり、真の教育家は霊感にみちびかれた預言者であり、
あらゆる芸術家は霊界よりインスピレーションを受けた者でなくてはならぬ。

・・・(中略)・・・

この直観力というものは類推によらず、分類によらず、実にパッと霊感的に、輝くように、
ものの全体の姿が心に映って来るところの天徠の閃光(ひばな)である。

子供においてはこの直覚の火花を十人のうち九人まではすでにその心のうちに燃やしかけているのである。

もし、この燃えかけている子供の直覚の火花を教育者や保護者が押し消さぬようにすれば、
ずいぶん宗教界にも、科学界にも、芸術界にも、
今よりズッと多くのいっそう偉大なる人物が輩出していたに相違ないと思われる。

しかし現今一般に流行している※唯物論哲学は、せっかく燃えかけているこの霊感の炎を押し消し、推し込むことになるのである。


宗教家にして※奇蹟を知らず、死後を知らず、生命のいずこより来りいずこに到るかを知らず、
科学者にして真に大なる発明のできないのは、すべてこの霊感的直覚の欠乏より来るのである。

・・・(中略)・・・

神秘を知らない人間ほど始末におえないものはない。

そんな人間にとってどこにも不思議と称すべきものはないのであって、至る所に満ちているのは、
ただ「当たり前」の興味のないガラクタ現象ばかりである。

彼は何を見ても不思議がらない、何もかも神秘ではない。だから何を見てもなんのインスピレーションもないのである。

リンゴの落ちるのは当たり前だし、湯気が鉄瓶の蓋をもち上げるのも当たり前だし、植物が生長するもの当たり前だし、
人間が生きているのも当たり前である。

(頭注より)
※ 唯物論哲学・・・ただ物質ののみが存在するものと考え、世界の存在のもとは物質であるという思想をもとにした哲学
※奇蹟・・・人間の常識では実際に起ることが考えられないような不思議なこと。

4617a hope:2014/11/18(火) 22:53:37 ID:cEpBaIdo

>>4616 a hope所感)

ここには宗教家にとって「霊感的直観」(直覚力)がいかに重要であるということが述べられています。

そしてそれは<<たんなる「想像力」がこれよりあれへと外形をたどって連想や類推をかさねて、
いろいろの形や物語の筋を組み立ててゆく>>ことつまりは、
「論理的推察力」とは反していると述べられています。

この「霊感的直観力」(直覚力)というのは、本来すべての人間が持っているのだと思いますが、
子供の頃から「唯物論的教育」を受け、その結果、魂や神の存在を認めず、奇蹟などの神秘現象を
偶然の出来事だと考えるような大人になってしまうと、その「霊感的直観力」が十分発揮できなくなるようです。

<<子供においてはこの直覚の火花を十人のうち九人まではすでにその心のうちに燃やしかけているのである。
もし、この燃えかけている子供の直覚の火花を教育者や保護者が押し消さぬようにすれば、
ずいぶん宗教界にも、科学界にも、芸術界にも、
今よりズッと多くのいっそう偉大なる人物が輩出していたに相違ないと思われる。
しかし現今一般に流行している唯物論哲学は、せっかく燃えかけているこの霊感の炎を押し消し、押し込むことになるのである。>>

谷口雅春先生が「唯物論」を虚説として激しく排撃しているのはこの理由からですね。

4618<削除>:<削除>
<削除>

4619a hope:2014/11/20(木) 23:36:36 ID:cEpBaIdo

>>4618 トキさま

トキさまはいろんな種類のたくさんの本を読まれているのですね。

そうなんですか、中国は<<文化大革命で伝統や文化、信仰が徹底的に破壊された>>のですね。

確かに、東日本大震災の時に東北の方々が秩序を乱さずお互いを思いやる態度をとることができたのは、
他の国の人々にとても賞賛され、それこそ日本人の「大和魂」だったのではないかと感じ、
あの時は本当に自分が日本人である事を誇りに思いました。

ですが現代の日本人のすべての人がそういう態度をとれるとは言い切れませんよね?
日本人であっても非常識な人はたくさんいますし、凶悪な犯罪を犯す人もいます。
それにむしろ現代の日本には「無神論」者や「唯物論」者の方が多いのではないかとすら感じています。

一方、中国の方々の中には、日本人にはないような素晴らしい長所を持たれた方もたくさんいらっしゃいます。

わたしは、どんな国の人であっても「人間神の子である」という実相一元の「生長の家の教え」を信仰していきたいです。

4620a hope:2014/11/21(金) 10:12:21 ID:cEpBaIdo

>>4619 補足

>>4618でトキさまが「中国人は雑巾と布巾の区別ができない」(西谷格著)というご著書を紹介され、
言わんとしていることはわたしにもなんとなく理解できます。

<<著者は、その差が生まれる根拠を「宗教」に求めています。
信仰や伝統が一応、存在する日本の社会と、文化大革命で伝統や文化、信仰が徹底的に破壊された中国の社会の差という事です。
その証拠に中国でも、チベットなどの宗教が存在する地域では、普通の常識や人情が存在すると指摘し
ています。>>

著者は「唯心所現」等で心の大切さを説く「宗教」が、
いかにに人間社会のモラル(秩序)を保つために重要なのかを実際の中国の現象をルポされて説明しているのですよね。

ですが、もし、この著書を日本語が読める中国人が読んだらどの様に感じるでしょうか?
または、この著書が中国語に翻訳されて多くの中国人に読まれるこになったらどうでしょうか?
反日感情をさらに掻き立てる要素となりませんでしょうか?
わたしは、例え日中関係であっても、日韓関係であっても、「合わせ鏡の真理」の例外ではないと思っています。

わたしには、実際中国人の友人がいます。
思いやりがあって親切で、行動力もある素晴らしい方です。

4621トキ:2014/11/21(金) 11:45:40 ID:ONqfu1kY
a hope様

 ご丁寧なコメント、ありがとうございます。私の書き方が悪かったみたい不快感を
与えたらお詫びします。

 個人的には仲の良い中国人の長年の友人がいて、中国にも見識、人格が立派な人が
多数おられるのも承知しております。ただ、私の友人自身が、この本に書かれている
事を同じ話をしており、嘆いていましたから、全ての中国の人とは言えませんが、
相当数の人は納得する内容かと考えています。

 最近の香港の反中国デモ等も、同じ民族で、似たような言語を話す香港の人たちが
本土の人達を強く批判している背景もこういう部分があると感じます。

 大手の貿易商社にお勤めで中国貿易を担当している生長の家の人の話を聞く機会があ
りましたが、

 「中国の社会は謎が多く、日本人は入っていけない。そして、残念な事に最近の中国
の社会は拝金主義が横行し、平気で人を騙す人が増えてきた。しかし、全部の中国の人
がそうではなくて、真面目で信頼できる人もいます。そういう人を見つけてビジネスの
パートナーにできるかがポイントだ。」

と話していました。

(つづく)

4622トキ:2014/11/21(金) 12:05:08 ID:ONqfu1kY
 マスコミがいう事と実際が合致するとは限りませんが、私が知る限り、実際に
中国でビジネスをしている人の感想もほぼ同じです。それがビジネスの世界にと
どまらず、最近は軍備を増強して近隣諸国を脅かしているのは洒落にならないと
思います。

 ただ、最近、中国のビジネスの社会で稲盛和夫先生の著書がブームになっている
とも聞いています。また、マスコミによれば、中国で宗教が民衆の間に浸透してお
り、キリスト教の地下教会や、法輪功などの信仰が、当局の弾圧にもかかわらず、
広まっているともいいます。

 私の中国人の友人も、「今の中国はまだ未成熟な社会で、公害問題なども、これ
から日本に学んで対策を立てる段階。それを知る必要がありますよ。」と話して
いました。

 つまり、人間としては、日本人も中国人も神の子であり、尊い存在ですが、
社会としては、中国の政府の政策が間違っており、中国の社会でいろいろと大きな問題が起きているの
は否定できないと思っています。

 しかし、中国人も賢い民族ですから、いつかは文明や文化、信仰についての
政策を改め、よりよい社会を作ると信じています。と、言うよりも、すでに、そう
いう点に気がついている中国の人が増えていると感じます。

 余談ですが、少し前に読んだ「 北京と内モンゴル、そして日本――文化大革命
を生き抜いた回族少女 の青春記」: 金佩華著、などを読むと、文化大革命の時期の
宗教の弾圧などは酷いものだったみたいです。

(つづく)

4623トキ:2014/11/21(金) 12:32:39 ID:ONqfu1kY
 ご指摘の通り、日本でも凶悪犯罪をする人が増えています。とても残念な事です。
昔、神戸の連続児童殺傷事件が起きた時に、ニューヨークに所用でいましたが、
ハーレムの人が「ハーレムでもあんな恐ろしい事件は起きないよ」と話していました。

 そう言えば、そのハーレムでは、教会があちらこちらにあり、黒人が教会で
ゴスペルをきれいな声で歌っていました。

 以上、要するに、民族や社会の優劣を論じたのではなく、社会における信仰の重要性
についての例としてあの本をあげたのですが、それが誤解を生んだとしたら私の本意で
はないので、お詫びします。

合掌 ありがとうございます

4624トキ:2014/11/21(金) 12:39:44 ID:ONqfu1kY
追伸

>>それにむしろ現代の日本には「無神論」者や「唯物論」者の方が多いのではないかとすら感じています。

 この本の著者も本の中で、a hope様と同じ部分について言及されておられます。
しかし、中国は国として積極的に宗教を否定し、または政府の管理下に置く方針にあり、
その点、日本と違うみたいです。ご指摘の通り、日本でも唯物論の人が増えて、それに
ともない日本でも社会の混乱が生じている点は全くその通りだと思います。

 貴重なご指摘に深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

4625トキ:2014/11/21(金) 22:05:35 ID:ONqfu1kY
 4618は削除させていただき、別の文章をかかさせていただきます。

 生命の実相第14巻の167pから謹写させていただきます。

 「そもそもわれらが日常感覚にふれるところの事物は、それがいかなるものにせよ、感覚
器官という入り口をくぐって、心の奥座敷まで這入ってしまい、心の奥座敷の住民となって
しまうのである。だから成人でも環境をよくすることは必要だが、発育期、生長期にある
児童にとっては、このことはなおいっそう必要なことである。環境にあるいっさいの事物が
幼い心にその姿を映す。心に映し込まれた姿は、一種の種子であって、すぐその時生えなく
ても、やがて、その種子の発芽に適する条件が揃ってくれば生えて来るのである。」

 これに関して、立花隆さんの「臨死体験」に興味深い話が紹介されています。

 ある男性は長年、なぜか自分の言動に自信が持てなかったのです。その理由が本人にも不明
でした。ところが、ある事で、その理由がわかったのです。

 男性は生まれた時に未熟児だったそうです。出産直後、産婦人科医が虚弱児で死にかけている
彼を見て言ったのが、

 「ほうってほけ。どうせロクに育たないよ。」

という言葉だったそうです。その言葉が彼の潜在意識に残っていたのです。
産婦人科医はわからないだろ、と思っていたのですが、赤ちゃんはちゃんと覚えていたのです。
 それが、その人を長年苦しめる結果になった次第でした。

 こういう実例があるのは驚きですが、注意すべきかと思います。


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