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Web誌友会 板/2
4211
:
神の子さん
:2014/08/25(月) 17:53:00 ID:zTvAOV2w
>>4209
志恩さん
あなたのそのような書き方、ユタカさんのあまりの変わりように思わず出てきて讃嘆した復興Gさん。
あまりにも暗い所にいるのですね。やはり分派はメクラなんですね。
せっかくa hopeさんが真面目に求めて、たった一人頑張っている版に、投稿した思いを完全に蹴散らかし、自己満足の投稿をする。
あなたは旦那に拝で引っ込むのが一番だと思います。
4214
:
志恩
:2014/08/25(月) 18:56:41 ID:.QY5jUA6
うのっち
ありがとう。フォローして下さって。
でも,私は、ここの掲示板が立ち上げられたときから、思った事は言って参りました
このような性格です。
反論があったら、どなたでも、反論されてください。
それで、私の方が、まちがっていたと思いましたら,考えを改めますので。
4215
:
神の子さん
:2014/08/25(月) 19:16:21 ID:zTvAOV2w
またや,神の子様で、私にお説教ですか。
私の意見に反論があれば、具体的に、おっしゃればいいでしょう。
それが、掲示板というところだと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まったくつんぼだな、版違いとはっきり言ってるでしょ。純粋に真理を求めている人たちに、メクラが物言う版じゃないということ。
説教なんてもんじゃない、あまりにうるさいスピーカーだってこと。『生命の實相』を求めて『悔い改めの真理』を研鑽している、そこに
共感したユタカさんが、真情を吐露したんでしょ。あなたの言ってることは分派の言っていること、宇治の錬成で生命の実相を学び、
悔い改めの何たるかを、自分の言葉て述べたユタカさんの邪魔。ここはweb誌友会なの、だからどこにでも出たがりで同じこと繰り返す
スピーカーは邪魔だから引っ込めといったんだ。自分がいかにも立派なことしてるつもりなんだろが。
こんなこと書かせるなあほ女。版違いだから終わり。
4218
:
a hope
:2014/08/25(月) 19:19:35 ID:cEpBaIdo
みなさま こんばんは。
今夜は、web誌友会板がにぎやかになっていて、わたしはとてもうれしいです。
ユタカさま 素晴らしい貴重なお話をたくさん聞かせていただきありがとうございます。
また、復興Gさまの本当にお久しぶりのご参加くださりありがとうございます。
わたしも、ユタカさまの素晴らしいお話を拝見して、仕事の疲れも吹っ飛んでしまいました!
宇治の練成って、本当に素晴らしいのですね!
それなのに、楠本加美野先生が人事異動するなんていうお話がでているのですか?
それは、信じられないですね。
その他にも、志恩さんや神の子さん、そして流氷さま(うのはなさま)もご参加ありがとうございます。
なんか、今仕事から帰ってきたばかりなので、このweb誌友会板で何が起っているのかまだちゃんと把握できていませんが、
すみませんが、このweb誌友会板では、一応、聖典「生命の實相」をお勉強しているので、
もしご参加くださるのであれば、「人間神の子」「実相礼拝」の生長の家の教えに見合った発言を心がけてくださるとありがたいです。
よろしくお願いいたします。 感謝 合掌。
4220
:
トキ
:2014/08/25(月) 20:02:07 ID:QvXjW8KE
>>4215
すみませんが、常連投稿者様はHNをご使用下さい。
よろしくお願いします。
また、板の趣旨にそった内容のご投稿を御願いします。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
4221
:
トキ
:2014/08/25(月) 20:07:08 ID:QvXjW8KE
ユタカ様
ご投稿、ありがとうございました。素晴らしい内容で感激しました。
宇治は魂の故郷。練成に参加されてご先祖様もおよろこびだと思います。
どんな状況にあろうと、真理を学ぶ。その姿勢が大切ですね。
今後ともよろしくお願いします。
合掌 ありがとうございます
4222
:
ユタカ
:2014/08/26(火) 11:36:21 ID:N20ePDNw
復興Gさま
ありがとうございます、一言メッセージを有難うございます。
生長の家は進化をしながら素晴らしい方向に向かって伸びてゆくと信じます。
練成会で、善のみ唯一の実在と何度も読みましたし、長崎の大雨、広島の土石流本当に気象異常が手に取るようにわかります。
みんなが分からない時に分かっていたのは総裁だったのでは?などと反省もしています。
それから、純子先生が、キャビンアテンダントになったのは、雅春先生や清超先生を空の旅を行くときにご案内したいと思ってCAという職業についた事を聞いて、
なるほど、かっての教化部長さま達が純子先生の飛行機に乗り合わせるのは、当時の純子先生の「生長の家の方をご案内したい」という祈りがあったからなのでしょうね。
生長の家は、宇治は素晴らしかったです。愛と救いの霊波が充満して、すべての人、物(宇治の自然も含む)、事を愛し、祝福してくれていました。
そして、練成を受講する人数は、だいぶ減っていましたが、私のあくまでも個人的な見方をするなら、その少ない人達の信仰レベルが高い人が集まっているような気がしました。
それは、起床放送中に朝のお祈りをいたしましょうと放送されているのに、無視して、布団片付けや身支度をする人が多かったのですが、今回はお祈りの時は全員がしっかり布団の上で祈っていました。
そして、生長の家の宇治の大祭の奉仕員打ち上げがまた素晴らしい!!! これは絶賛ものです!!さすが、雅宣先生率いる生長の家、楠本先生が長く総務でいた生長の家!!
打ち上げには、お酒を飲まないでください!と放送があり、現場でも一切禁酒でした。
雅宣先生以前の職員 は大酒飲みで、下品に笑いこれが、信仰をリードする本部講師か??情けない!!とずーーっと思っていました、
なので、飲酒癖のある本部講師で有名な人は意外と分派に行ったのかもしれません。
とにかく、聖なる場所で飲酒する本部講師を見なくて、有難かったことも、
全部、雅宣先生のおかげ、楠本先生、堀端先生のお蔭です。
こんなことは、復興G様に申し上げることではございませんが、書いてしまいましたので、送信させていただきます。
4223
:
ユタカ
:2014/08/26(火) 12:13:36 ID:N20ePDNw
志恩さま
ありがとうございます、志恩様は本当に生長の家が好きなんですねえ。
私の鏡です、ありがとうございます、感謝合掌。
大宇宙の運行は、善なる神様が支配されているので、善くなっていくしかないのだそうです、
私は、それを信じていきます。
4224
:
ユタカ
:2014/08/26(火) 12:31:45 ID:N20ePDNw
a hopeさま
宇治は本当に、一歩入っただけで、心が安らぎます、、、。
私たちのご先祖さまが私達を、愛の霊波で抱きしめてくれているんでしょうね。
練成最終日に、涙を流して感謝の思いを起こして体験談を語る人の多いことよ!それをみて、みんなが救われた!
一人残らず救われた!って思い、ますます、神様に感謝しました。
教団にいる人も、いない人も、「人間神の子」を知っている人から、内なる神の子を生きて光明を放ってそれが世界中に拡散されたときには、世界平和となるのでしょうね。
本当に、「真理への道はただ一つ、人間は神の子である ということである。」 の一言につきるなぁ。
雅春先生素晴らしい!総裁先生がいらっしゃって、生長の家が続いていることが有難い。
みんな神の子、有難う。
4225
:
ユタカ
:2014/08/26(火) 12:35:19 ID:N20ePDNw
トキさま
ありがとうございます、これからもお世話になります、よろしくお願いいたします。
4226
:
a hope
:2014/08/26(火) 23:39:47 ID:cEpBaIdo
>>4224
ユタカさま
ありがとうございます。 合掌。
本当のことを言えば、わたしも宇治の練成には一般、短期と何度か参加したことがあるので、
ユタカさまの感動が手に取るように伝わってきています。
宇治の練成に参加される方々は病気や人間関係、家族問題等で、深刻な悩みを抱えた状態の方が多いですよね。
ですが、
<<練成最終日に、涙を流して感謝の思いを起こして体験談を語る人の多いことよ!それをみて、みんなが救われた!>>
とあるように、初日は暗い顔をしていた人たちも、日に日に笑顔が多くなり、最後には感謝・感謝で大調和して救われて行くのですよね!
宇治別格本山はわたしにとっても魂の故郷なのです。
だから、いつまでも変わらないでいてほしいです。
そして、
<<教団にいる人も、いない人も、「人間神の子」を知っている人から、
内なる神の子を生きて光明を放ってそれが世界中に拡散されたときには、世界平和となるのでしょうね。
本当に、「真理への道はただ一つ、人間は神の子である ということである。」 の一言につきるなぁ。
雅春先生素晴らしい!総裁先生がいらっしゃって、生長の家が続いていることが有難い。
みんな神の子、有難う。 >>
このユタカさまのこのご心境こそ、「実相一元」の光明化運動なのだと思いました。
このような「実相一元」の心境でいつもいたいな〜と思います。
ユタカさま、これからもお時間のある時でかまいませんので、web誌友会へのご参加をどうぞよろしくお願いいたします。
4227
:
a hope
:2014/08/27(水) 22:35:04 ID:cEpBaIdo
本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か p26 4行目〜
○迷わぬ人こそ悟りにくく、迷う人ほど悟りやすいというのは、薄曇りの空がなかなか晴れ難く、
密雲さかんに低迷している空ほど大雨とともにカラリと晴れた青空が来るようなものであります。
p26 10行目〜
○「悔い改め」の先行状態として来るのは「仮我の否定」であります。
「今の自分は善い」――こう考えている限りにおいて、「われの置き換え」というものの必要が感じられないのであります。
親鸞聖人は「罪悪深重の凡夫である」といわれた。
「地獄に堕(おと)されても、文句のいえない悪い悪い自分である」といわれた。
こういうように「自分で努力しても、自分で善くなれるものでない」と思って自分を放棄する。
こうして今の自分を悪い悪い、自分を無力無力と思うはてに、旧我が忽然と放下されて、
それは驟雨(しゅうう)によって大空の暗雲がことごとく放下されて、日光輝く青空が燦然と輝き出ずるように、
旧我が消えて新我が輝き出でるのであります。
4228
:
a hope
:2014/08/28(木) 19:51:02 ID:cEpBaIdo
本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か p 27
○黒雲のままでこれで空は晴れているのだと思う、空の色というものは本来黒雲の色をしているのである。
この黒雲こそ「本当のわれの顕われである」と思う――これでは「偽我慢心(ぎがまんしん)」というものであって、
悔い改めの先行状態とはならないのであります。
自分の内に「自分でないもの」がある、だからこれは「本当の自分」ではない、
「阿弥陀仏と一体の自分」ではない、「キリストと一体の自分ではない」――と解る
――かく解ってそれを捨ててしまうところに本当の「悔い改め」――「われの完全な置き換え」というものができてくるのであります。
4229
:
a hope
:2014/08/28(木) 19:52:34 ID:cEpBaIdo
(
>>4228
a hope 所感)
宗教を信仰していて、一番怖いのがこの「偽我慢心」に陥ることではないでしょうか?
ですが、人間は何かに夢中になっていたりすると、この「偽我慢心」に陥っている自分に気づかないことが多いのではないかと思います。
そういうわたしも、聖典をお勉強していて少し「真理がわかった!」と思うと、相手の気持ちや状況も考えずに思ったことをすぐに発言してしまいます。
そえが、本当の「愛(善)」から出た言葉なのか、それとも「偽我慢心」による自己顕示欲から出た言葉なのか、自分自身よくわかりません。
ですが、「悔い改め」には「本物のわれ」と「ニセ物のわれ」の「篩い分け」が必要だとあります。
それは、なかなか難しそうですが、
>>4201
のユタカさまの投稿に、
「愛すること、感謝することが神の子なんだ、みんな神の子だから、愛したい、感謝したいと思っているね、
愛したり、感謝すると気持ちがいいのは、みんなの本質が神の子だっていう証拠だね。
どんなに都合の悪いことにも感謝できるのが神の子、自分の心を変える、観方をかえるんだ、現象は変わらなくとも自分が変わっているね。」
という加美野先生の素晴らしいお言葉がありますが、
<<どんなに都合の悪いことにも感謝できるのが神の子、自分の心を変える、観方をかえるんだ、現象は変わらなくとも自分が変わっているね。>>
というところに「篩い分け」のヒントがあるような気がします。
よく考えてみれば、現象を変えようとしてもなかなか変わらないけれども、心は自分次第でどうにでも変えることができますものね。
聖典や雅春先生の愛弟子といわれるような先生方のご著書を拝読していると、
「愛せなくても、愛するんだーーー!」
「感謝できなくても、感謝するんだーーー!」
「肉体はあるように見えても、無いんだーーー!」
みたいに、昔の「生長の家」の指導って、なかなか強引だったように感じます。
そんな雅春先生や講師の先生方のちょっと強引な指導を、昔のほとんど信徒さんは素直に「ハイ」と受けているのです。
だからこそ、心を変えることができて、和解が成立したり、病気が治ったりという奇蹟が頻繁に起きていたのですね。
4230
:
ユタカ
:2014/08/29(金) 11:34:38 ID:N20ePDNw
>>宗教を信仰していて、一番怖いのがこの「偽我慢心」に陥ることではないでしょうか?
ですが、人間は何かに夢中になっていたりすると、この「偽我慢心」に陥っている自分に気づかないことが多いのではないかと思います。
そういうわたしも、聖典をお勉強していて少し「真理がわかった!」と思うと、相手の気持ちや状況も考えずに思ったことをすぐに発言してしまいます。
(^◇^) 真理に感動している神の子さんの発信は素晴らしいと思います。自信を持って突き進めばいいと思います、
ただ、その学んだ真理で、人や団体を裁くと偽我になってしまうのではないでしょうか?
そえが、本当の「愛(善)」から出た言葉なのか、それとも「偽我慢心」による自己顕示欲から出た言葉なのか、自分自身よくわかりません。
ですが、「悔い改め」には「本物のわれ」と「ニセ物のわれ」の「篩い分け」が必要だとあります。
それは、なかなか難しそうですが、
>>4201
のユタカさまの投稿に、
「愛すること、感謝することが神の子なんだ、みんな神の子だから、愛したい、感謝したいと思っているね、
愛したり、感謝すると気持ちがいいのは、みんなの本質が神の子だっていう証拠だね。
どんなに都合の悪いことにも感謝できるのが神の子、自分の心を変える、観方をかえるんだ、現象は変わらなくとも自分が変わっているね。」
という加美野先生の素晴らしいお言葉がありますが、
<<どんなに都合の悪いことにも感謝できるのが神の子、自分の心を変える、観方をかえるんだ、現象は変わらなくとも自分が変わっているね。>>
というところに「篩い分け」のヒントがあるような気がします。
よく考えてみれば、現象を変えようとしてもなかなか変わらないけれども、心は自分次第でどうにでも変えることができますものね。
聖典や雅春先生の愛弟子といわれるような先生方のご著書を拝読していると、
「愛せなくても、愛するんだーーー!」
「感謝できなくても、感謝するんだーーー!」
「肉体はあるように見えても、無いんだーーー!」
みたいに、昔の「生長の家」の指導って、なかなか強引だったように感じます。
そんな雅春先生や講師の先生方のちょっと強引な指導を、昔のほとんど信徒さんは素直に「ハイ」と受けているのです。
だからこそ、心を変えることができて、和解が成立したり、病気が治ったりという奇蹟が頻繁に起きていたのですね。
(^◇^) 肉体人間から 神の子人間という事実を生きることを悔い改めて、人類のために尽くそうと決意して神様の御心に沿って、御心を
祈って聞いて生きることが(内部理想を生きる)事が、 環境に負けないことが、神の子の生き方と 練成会で聞きました。
4231
:
ユタカ
:2014/08/29(金) 11:45:17 ID:N20ePDNw
宇治の練成会は素晴らしかったです。
藤原講師の娘さんの榎本先生が、何度も、私の父の藤原がよく練成でこうお話していました。。。
と藤原先生のお話を引用してお話下さいます、チャンスをゲットできると、素晴らしいお話をいただけます。
宇治には、まだまだ、救いの霊波が充満しています、、、。光明一元、神愛充満!!
ユタカは、また神さまに、ご先祖様に愛されに宇治参りに行きたいです。宇治最高!!
みんな神の子有難う。
4232
:
ユタカ
:2014/08/29(金) 12:16:27 ID:N20ePDNw
宇治に行く前はケチなユタカでしたけど、
宇治練成に行って、地球の気持ちが分かる素晴らしい、尊敬できる総裁先生と分かったから、
ソーラーパネルに沢山協力するよ!!
人類に尽くすんだ! 多くの人のお役に立ちたい! 神様の御心が分かるということは、人類のために尽くそうという願いをもって使命の祈りを祈りながら目の前を感謝して全力を尽くすことだそうです。
神さまが必ず善に導いて下さる、宇宙を貫く生命、宇宙を貫く法則 神こそすべてのすべて。。。
との言葉が頭の中を グルグルと泳いでいるよ。。。
生長の家は素晴らしい! みんな神の子! 有難う。
4233
:
ユタカ
:2014/08/29(金) 12:20:16 ID:N20ePDNw
あ、すみません。
別に、ソーラーシステムの宣伝でもなんでもありません、
トキ様、4232は、ウザかったら削除でOKです。 すみません。。」
4234
:
トキ
:2014/08/29(金) 21:49:31 ID:X0bsm7xM
>>4233
いえいえ、気にしないで下さい。
では、誌友会を続けましょう。
合掌 ありがとうございます
4235
:
a hope
:2014/08/29(金) 23:53:01 ID:cEpBaIdo
ユタカさま
<<(^◇^) 真理に感動している神の子さんの発信は素晴らしいと思います。自信を持って突き進めばいいと思います、
ただ、その学んだ真理で、人や団体を裁くと偽我になってしまうのではないでしょうか?>>
ホントですね。
「真理」は人や団体を裁くためにあるのではないですよね!
自他一体の真理から言えば、他を裁く=自分を裁く ことですものね。
素晴らしいアドバイスをありがとうございます。合掌。
ですが、『「虚説」には決して和解してはいけない』というのが、「生長の家の教え」ですよね?
「真理」ではないこと、つまり、「誤った見解(教え)」にしたがっていると、信徒の人生がどんどんおかしくなってしまうと思うのです。
わたしも雅宣先生は、信徒の大観世音菩薩さまであり、大きな使命をお持ちの素晴らしいお方であると信じていますが、
雅宣先生の「教え」は、「真理」からかけ離れていると感じているのです。
現象の地球は物質ですから、生長の家の教えでは「物質本来無し」です。
だから、その地球が「痛がったり、苦しんでいる」という見方は、「誤った見解」つまり「迷い」だと思うのです。
実相の地球は完全円満なのですから、実相一元を信じる生長の家の信徒がすべきことは、
完全円満な実相の地球を礼拝し、そして感謝することだけなのではないでしょうか?
そうすることで、地球や人類を救うのが、「生長の家」の信徒の本来の信仰の姿なのだと思うのです。
だから「生長の家」がメガソーラー建設などという現象問題に対応する事業をすることも、とてもおかしなことだと感じています。
4236
:
ユタカ
:2014/08/30(土) 08:26:19 ID:N20ePDNw
a hopeさま
宇治の練成では、七つの燈台の点燈者の神示から生長の家の教えが生まれた と聞きました。
虚説と和解するな、とは生命の実相にかいてある前後の文章に対して書かれている箇所ではないのでしょうか?
それが、生長の家の教えなんて聞いたことは私はありません。
谷口雅春先生のCDでも、「袖振り合うも他生の縁」こうして同じ場所で真理を聞く人は前世においても親しくしていた人間柄で、その人にあうと、
なんとなく、懐かしい感じがするのだから、
「みなさん、仲良く、仲良くして下さい」 と繰り返し繰り返し仰っていらっしゃいます。雅春先生の最後のご講話です。
ご遺言のように思えました。 みんなと仲良くする、それが生長の家の教えでそれ以外が虚説だと思います。
4237
:
ユタカ
:2014/08/30(土) 09:17:11 ID:N20ePDNw
>>わたしも雅宣先生は、信徒の大観世音菩薩さまであり、大きな使命をお持ちの素晴らしいお方であると信じていますが、
雅宣先生の「教え」は、「真理」からかけ離れていると感じているのです。
(^◇^) 私も宇治の練成に行く前はそのように考えていました、ですが、宇治に行きすべての物が神様で、救いの霊波で私を包んでくれて私は神様に導かれて目が開き真っ直ぐな道に乗りました。
たとえば、昼食のために食堂にかかっていた日めくりに目たまたま目をやると、
一人一人が神につながることが大切なことである・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 谷口雅宣著・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・。は省略します。) などとすべてが神さまと一体となるように導いてくれました。それを受けて、私は、素直にすべてに感謝していきます、私は神の子です。神の子は感謝すること、愛することが神の子。愛したり感謝すると、本当に気持ちがいいです。だから。私は絶対神の子に間違いないです。目の前の現象は変わらなくても自分が変わっているね。
本当に、自分が変わっています、今、私は人類に自分のできることで貢献したいと祈る自分になっって、アイデアをいただき始めたことも生長の家の御教えのお蔭です。
現象の地球は物質ですから、生長の家の教えでは「物質本来無し」です。
だから、その地球が「痛がったり、苦しんでいる」という見方は、「誤った見解」つまり「迷い」だと思うのです。
実相の地球は完全円満なのですから、実相一元を信じる生長の家の信徒がすべきことは、
完全円満な実相の地球を礼拝し、そして感謝することだけなのではないでしょうか?
そうすることで、地球や人類を救うのが、「生長の家」の信徒の本来の信仰の姿なのだと思うのです。
だから「生長の家」がメガソーラー建設などという現象問題に対応する事業をすることも、とてもおかしなことだと感じています。
(^◇^) 私はそうは思わなくなりました。最初に書きましたが、この異常気象で、津波、竜巻、大雨の崖崩れなどの災害も起こっている中で良いと思うことを実行していっていると今回思えました。
a hopeさまは、生命の実相を勉強して、人間は神の子で肉体は無いから、物質はないからたとえ怪我をしても病気をしても祈っているだけですか?
現実対処しているのが雅宣先生でありましょう。
それと、a hopeさまのちょっと怖い考えが、「地球を物質」 と捉えているところです。 地球を単なる物質と思いますか??
私は、違います、地球にも「生命」があります、意識もあるように直観します、地下で核実験などをすると地球痛むのが分かります。地球も命です。
宇治に行き、宇治の森、川すべての自然が生き生きとして私を祝福してくれました。地球からの愛の波動もいただきました。私のこの悦びは練成会を直接受講しないと理解できないかも知れません。。。。
次に輝子先生の御文章を謹写いたします。
物、物にあらず
神のいのちの現れである
つつましく水を使ふこと
つつましく火を使ふこと
一片の菜も、一切れの芋も
人参の牛蒡も生かして使ふこと
一枚の小皿も傷つけたら詫びること
有機物も無機物も一切の物のいのちを永持ちするやうに心がけること
一切の物は神からの預かりものである
あぁ、雅宣先生、素晴らしい! 雅宣先生は間違っていないって思うな、今のユタカは。。
今のユタカは、もう違うステージにいるよ!
4238
:
ユタカ
:2014/08/30(土) 09:30:12 ID:N20ePDNw
まことにすみませんが、
宇治に行って、自分が真っ直ぐに神様の方を素直に向いています、ですが、ここを見て、
また、以前のユタカに戻りたくないので、
神さまを真っ直ぐ
しっかり、信念になるまで、こちらにくるのは、やめておきます。何か、引っ張られるといけないので、、、。
みんなが仲良くする御教え、生長の家教団に帰属して、世界平和をお祈りします。
今年、末一稲荷での雅宣先生のあげた祝詞のないようには、「職員みな大調和で仲良く仕事ができるように」との言葉がありました。
地球と自然と人、大調和でありますように・・・・・。
みんな、神の子幸せ、有難う。
4239
:
a hope
:2014/08/30(土) 09:39:57 ID:cEpBaIdo
>>4236
ユタカさま
<<『「虚説」には決して和解してはいけない』というのが、「生長の家の教え」ですよね?>>
という質問に、
<<虚説と和解するな、とは生命の実相にかいてある前後の文章に対して書かれている箇所ではないのでしょうか?
それが、生長の家の教えなんて聞いたことは私はありません。>>
とお答え下さりましたが、
こらからこのweb誌友会えお勉強する予定の14巻の「和解の倫理」p55には、
虚説とは何か、が詳しく説明されています。
わたしは、聖典「生命の實相」に書かれてある教え = 「生長の家の教え」だと信じているので、
「虚説と和解してはならぬ」=「生長の家の教え」だと思っています。
ですが、ユタカさまもおっしゃっていますが、前後の文章をちゃんと拝読しないでその個所だけを拝読して解釈すると、
誤読の恐れもあるので、今迄このweb誌友会では、時間がかかってもテキストを飛ばし読みするようなことせず、
丁寧にお勉強しています。
来月の第27回web誌友会は、第3章「和解の倫理」をじっくりお勉強したいと思っています。
ユタカさまもご参加くださるとうれしいです。
4240
:
a hope
:2014/08/30(土) 09:51:48 ID:cEpBaIdo
>>4237
4238 ユタカさまのご投稿を拝見せず、
>>4239
を投稿しました。
ユタカさま
人それぞれ、使命は違うと思います。
わたしは、聖典「生命の實相」の独学を選びました。
このweb誌友会でたくさんの「生長の家」の先輩方に見守られながら、
自己反省しながらこれからもお勉強を続けていきます。
ユタカさまは、ユタカさまのご使命を邁進してくださいね!
感謝 合掌。
4241
:
a hope
:2014/08/30(土) 12:19:47 ID:cEpBaIdo
≫4237ユタカさま
<<(^◇^) 私はそうは思わなくなりました。最初に書きましたが、この異常気象で、津波、竜巻、大雨の崖崩れなどの災害も起こっている中で良いと思うことを実行していっていると今回思えました。
a hopeさまは、生命の実相を勉強して、人間は神の子で肉体は無いから、物質はないからたとえ怪我をしても病気をしても祈っているだけですか?
現実対処しているのが雅宣先生でありましょう。
それと、a hopeさまのちょっと怖い考えが、「地球を物質」 と捉えているところです。 地球を単なる物質と思いますか??>>
ユタカさまは、もうこのweb誌友会にはご参加くださらないかもしれませんが、
ご質問をいただいたので、それにはお答えしたいと思います。
ユタカさまのご質問
①a hopeさまは、生命の実相を勉強して、人間は神の子で肉体は無いから、物質はないからたとえ怪我をしても病気をしても祈っているだけですか?
(a hopeの答え)実際、「生命の実相」をお勉強するようになって、自分自身もそうですが、家族や職場の人たちというように、
自分が日々身近に関わっている人たちが、怪我や病気をすることがほとんどなくなってきました。
また、雅春先生やお弟子さんの書かれた「生長の家」の本には、たくさんの信徒の方が祈り(自分の心を変えること)だけで怪我や病気を消されています。
ユタカさまもそのような体験談を御存知ないはずはないと思うのですが・・・・
②a hopeさまのちょっと怖い考えが、「地球を物質」 と捉えているところです。 地球を単なる物質と思いますか??
ユタカさま、わたしも人間を始め、植物、動物、微生物、宇宙に生存する命あるすべてのものは神さまのお心の現れであると思っています。
だから、神さまのお心(実相)がそのままあらわれた地球には、すべて命あるものは大調和していて幸せに暮らしているので、
ケンカやいじめ、犯罪やもちろん自然災害などありえない完全円満な実相世界が広がっているのだと思うのです。
だから「生長の家の教え」から言えば、その完全円満な実相の地球の姿を見ることができないのは、
それはわたしたちの心の目が曇っているからということになってしまうのです。
ユタカさまは、 わたし a hopeのちょっと怖い考え、とご表現してくださいましたが、これは、わたしの考えではなくて、
谷口雅春先生のお悟り、つまり、「生長の家」の真理なんだとわたしは解釈しています。
4242
:
a hope
:2014/08/31(日) 18:13:11 ID:cEpBaIdo
本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か
『悟りとは「実相」に目覚めること』p30 8行目〜
○「覚り」というものは、実に妙なハタラキをするものでありまして、ふつう、覚らない人にとっては、
五官に視え触れられる世界が実在であり、五官に見え触れられる人間が実在の人間である。
この生存競争をしているわれ、血みどろな争いに満ちたように見えているこの世界が実在に見えていて、
争いも戦いもない完全な、相互が自他一体に調和した、一連一連の別はあれども、
その一連一連が孤立せず相傷つけず互に一体となって美妙な大調和をなしている一大交響楽のような常楽実相の世界が、
五官に見えない奥に真実の実在としてあると申しましてもウソだと思われるのでありますが、
覚ってみますと、生存競争をし、互に噛み合い、殺し合いをしている世界はかえって無い
――あるように見えても無い ―― ことがわかるのであります。
たとえば、獅子と羊とが互いに草を食って遊んでいるような大調和の世界、
そんな大調和の世界はありえないので、たんに預言者イザヤや谷口雅春の空想のように考えられますけれども、
獅子が羊を食っている世界の方がかえって本来無いのであって、
それはわれわれの妄想(こころのまよい)が活動写真のように映じているのであります、
前節で申しましたように「悔い改めよ、天国はそこにある」でありまして、
心が一転、実相の方を振り向きますと、夢から現実世界に覚めて出るように、
強食弱肉の争闘世界がたちまして消えて、常楽大調和の実相世界があらわれてくるのであります。
そんなことは理屈では駄目、空想では無価値でありますから、強食弱肉の不合理世界、不幸災厄の不合理世界が、
今までは実際あるように思ってもいたし、実際あるように顕れてもいたのが「生長の家」所説の真理を知った結果、
夢からさめるように忽然(こつねん)、旧の不合理悲惨世界が消えて、大調和の世界が実現した実話を次に掲げます。
4243
:
a hope
:2014/08/31(日) 18:19:48 ID:cEpBaIdo
(
>>4242
a hope 所感)
上の謹写文の最後に「実話を掲げます。」とありますが、その後に『猫と雛鳥とはかくのごとく調和している』という小見出しで、
「祈り」によって猫が雛鶏(ひなどり)を食べなくなった、という二つの実例があげられています。
両方の祈りともに効果があり、猫は雛(ひな)をねらわなくなったのですが、
前者の猫は、その後、電車(汽車?)にひき殺され、
後者の猫は、その後、雛鶏を追いかけず、食べないという雛鶏との大調和が成立したのです。
その結果の違いは、「祈りの言葉」にあったようです。
●前者の祈りの言葉・・・「兄弟なる猫よ、兄弟なる鶏の雛を食うなかれ」
○後者の祈りの言葉・・・「猫と雛鶏とはその実相において完全に調和している。決して噛み合い殺し合いなどは存在しない」
前者の祈りでは、「兄弟なる鶏の雛を食うなかれ」と、「猫が雛を食べた」という現象の出来事を認めてしまっています。
一方、後者の祈りの方は、「猫が鶏の雛を食べる」という現象の出来事を完全否定して、
実相世界の完全に調和している状態しか認めていません。
この後者の祈りこそ、本来の「生長の家」の実相一元の祈りであると思いました。
4244
:
a hopeさん
:2014/08/31(日) 18:44:21 ID:zTvAOV2w
前者の祈りでは、「兄弟なる鶏の雛を食うなかれ」と、「猫が雛を食べた」という現象の出来事を認めてしまっています。
一方、後者の祈りの方は、「猫が鶏の雛を食べる」という現象の出来事を完全否定して、
実相世界の完全に調和している状態しか認めていません。
======================================================================================================================
虚説を唱える雅宣総裁がいる、貴女は言っていますよね。
つまり現象の雅宣総裁がしようとしている、原発からの撤退目的の行動は虚説から出発していると云っていませんか。
私にはあなたの実相論がよくわからないです。
4245
:
a hope
:2014/08/31(日) 23:15:03 ID:cEpBaIdo
>>4244
さま (曳馬野さま?)
誌友会ご参加ありがとうございます。
実相世界を悟っていないわたしの発言は「わたしの実相論」などという大それたものではなく、
あくまでも、聖典「生命の實相」のわたしなりの解釈なのです。
わたしが雅宣先生のご著書や祈りの言葉を拝見して感じていることは、
雅宣先生は実相世界の存在は認められていらっしゃいますが、同時に、
自然破壊等の現象世界の出来事も見つめられていて、人間の罪を肯定してしまっているのです。
>>4244
に再掲してくださったわたしの発言に『雅宣先生の教え』と『本来の生長の家の教え』を
あてはめててみまるとわかりやすいかもしれません。
――――――――――――――
『雅宣先生の教え』では「人間よ自然破壊するなかれ」と、
「人間が自然破壊した」という現象の出来事を認めてしまっているのです。
一方、『本来の生長の家の教え』は 「人間が自然破壊する」という現象の出来事を完全否定して、
実相世界の完全に調和している状態しか認めていません。
――――――――――――――
ですから、わたしの解釈では、雅宣先生の教えは、実相世界の存在を認めながらも、
現象の悪や人間の罪をも認めた二元論で虚説ということになってしまうのです。
ですが、前述しましたが、わたし自身も「実相世界」を悟っていませんから、
わたし自身のすべての発言も、二元論であり虚説であると自覚しています。
本当の「真理のお言葉」(真説)を発言できるのは、「実相世界」を完全に悟った人でなければ不可能だと感じています。
>>4244
さま これで少しはわかっていただけましでしょうか?
4246
:
a hope
:2014/08/31(日) 23:33:47 ID:cEpBaIdo
>>4245
訂正 m(__)m
あてはめててみまるとわかりやすいかもしれません。
↓
あてはめてみるとわかりやすいかもしれません。
4247
:
a hopeさん
:2014/09/01(月) 02:55:26 ID:zTvAOV2w
①自然破壊等の現象世界の出来事も見つめられていて、人間の罪を肯定してしまっているのです。
②『雅宣先生の教え』では「人間よ自然破壊するなかれ」と、
「人間が自然破壊した」という現象の出来事を認めてしまっているのです。
③一方、『本来の生長の家の教え』は 「人間が自然破壊する」という現象の出来事を完全否定して、
実相世界の完全に調和している状態しか認めていません。
私の疑問は、③の実相論を信じる方が、①,②のような総裁の存在を肯定していることが、分からないということです。
環境問題に特化した総裁、と云うように外界の現実を見るから、二元論の総裁という判断をしているのでしょう?
ですから、わたしの解釈では、雅宣先生の教えは、実相世界の存在を認めながらも、
現象の悪や人間の罪をも認めた二元論で虚説ということになってしまうのです。
_____________________________________________________________________________
虚説を言う総裁が存在する、総裁よ虚説を言うことなかれ、というのが分派の言い分であり、またあなたの言い分ですね?
赤ちゃんの命を大切にしようとする元本部講師は素晴らしいとあなたは言いますよね。失われる命がある、という認識のもとに彼の活動は
ありませんか?実相の地球は痛まないから、地球が痛んでいるとみるのは迷いであると、あなたはユタカさんに言いませんでしたか?
そういう言い方をすれば、堕胎される赤ちゃんは、エゴまみれの親を救う観世音菩薩の働きをしているだけで、可哀そうでも何でもないと
云えませんか?
広島の水害がしきりに報道されていますが、温暖化の影響か?巨大自然災害が地球規模で起きている。そして命が失われる。
親のエゴの犠牲になる赤子の命を救うことが素晴らしいのであれば、人類のエゴの結果起こる巨大自然災害の防止に努める総裁も素晴らしくは
ないですか?
_____________________________________________________________________
ですが、前述しましたが、わたし自身も「実相世界」を悟っていませんから、
わたし自身のすべての発言も、二元論であり虚説であると自覚しています。
本当の「真理のお言葉」(真説)を発言できるのは、「実相世界」を完全に悟った人でなければ不可能だと感じています。
●であれば虚説であると断言するのはいかがでしょうか?
4248
:
a hope
:2014/09/01(月) 07:35:47 ID:cEpBaIdo
みなさま おはようございます!
9月に入りましたので、本日より、第26回web誌友会を開催させていただきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
第27回 web誌友会 案内
期間 9月1日〜9月30日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p34〜p126まで
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
本当は、前回の26回web誌友会でp126まで終わらせる予定だったのですが、
p33までしか進みませんでした。
ですので、今回もまことに勝手ですが予定の変更をさせていただきます。
4249
:
a hope
:2014/09/01(月) 07:37:39 ID:cEpBaIdo
それでは、開会の祈りを掲載させていただきます。 合掌。
それでは、開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
住吉大神様 住吉大神様 谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます
世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。
光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
4250
:
a hope
:2014/09/01(月) 08:23:57 ID:cEpBaIdo
>>4247
曳馬野さま(ですよね?)
<<私の疑問は、③の実相論を信じる方が、①,②のような総裁の存在を肯定していることが、分からないということです。
環境問題に特化した総裁、と云うように外界の現実を見るから、二元論の総裁という判断をしているのでしょう?>>
あくあでもわたしは、聖典「生命の實相」をお勉強していて自分の理解力の範囲内で、
その「真理」に照らし合わせて自分なりの判断をしているだけです。
ですから、わたしの発言が正しいとは言っていません。
ですから、
<<虚説を言う総裁が存在する、総裁よ虚説を言うことなかれ、というのが分派の言い分であり、またあなたの言い分ですね?>>
というご質問には、少なくともわたしのお返事は「NO」です。
何度も言いますが、言い分なんてものではなくて、自分なりの解釈をこのweb誌友会で発言しているだけです。
また今回、曳馬野さまは、「赤ちゃんのいのちを守る運動」に関しても言及されていますが、
わたしが、大熊先生を支援しているのは、大熊先生が「赤ちゃんのいのちをを守る」ことで、
お母さんやお父さん、その他の家族、そして、ブログを通しては人類全体に「生命の大切さ」を伝える、
人類光明化運動を展開されようとされているからです。
たしかに、大熊先生は、現象の切り刻まれた胎児の写真をブログで公開したり、
血なまぐさい現象の殺人事件等をブログで検討されたりしています。
正直に言えば、わたし自身は、そのような記事を公開することが、実相一元の光明化運動だとは思っていません。
ですがたぶん大熊先生は、人々の目を実相一元の世界に目覚めさせるための一手段(方便)として、
そのようなことをされているのではないかと拝察しています。
ですから、あくまでも「いのちを守る親の会」の運動の基本は、「お母さん生んでくれてありがとう運動。」
と「産婦人科のお医者さんありがとう運動。」であるとわたしは認識しているので支援させていただいているのです。
http://blogs.yahoo.co.jp/inoti333mamoru777/MYBLOG/yblog.html
そして最後のご質問ですが、
<<●であれば虚説であると断言するのはいかがでしょうか? >>
これは、自分自身の心は、自分自身が一番よく分かっているので断言できるのです。
聖典をお勉強して、頭では真理がわかっていても、現象生活で実践できていなければ「悟った」とは言えないからです。
人が本当に悟ったときには、その周りからどんどん人類光明化が展開されると思います。
4251
:
a hopeさん
:2014/09/01(月) 09:14:14 ID:zTvAOV2w
<<●であれば虚説であると断言するのはいかがでしょうか? >>
これは、自分自身の心は、自分自身が一番よく分かっているので断言できるのです。
聖典をお勉強して、頭では真理がわかっていても、現象生活で実践できていなければ「悟った」とは言えないからです。
________________________________________________________________
やはりあなたの考えがうまくわかりません。
●であれば虚説であると断言するのはいかがでしょうか? は書き方が悪かったでしょうかね。
総裁の説くところを虚説であると断言するのはいかがでしょうか? という意味でした。
4253
:
神の子さん
:2014/09/01(月) 20:56:55 ID:5pNnMYt.
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様有難うございます
守護神様有難うございます
五井先生有難うございます
天皇陛下有難うございます
皇后陛下有難うございます
4254
:
トキ
:2014/09/01(月) 22:11:41 ID:vK1CuS12
>>4523
何度もお願いをしておりますが、
白光真宏会の投稿はこの板の趣旨と異なります。
この投稿はご遠慮下さい。
合掌 ありがとうございます
管理人
a hope様
きにせず、そのまま続けて下さい。
応援しています。
合掌 ありがとうございます
4255
:
レンゲソウ
:2014/09/02(火) 07:54:17 ID:hW7QlQFE
>>4251
「その実を見て、その木を知れ」と谷口雅春先生は説かれています。
谷口雅春先生が説かれた教えは、多くの人を救いました。今の環境保護に特化した
『今の教え」では、救われた、という人は私は会った事がありません。新経本も、
読んで救われたという人は知りません。かえっておかしくなった、という人が何人
かいます。
それほど総裁を支持するのなら、まずは『新経本」で、悩んでいる人を救った
という実例を作って、掲示版にアップしてみて下さい。
それに、ここは誌友会板です。静かに谷口雅春先生の教えを勉強する板です。
そういう発言は場所に合わないと思います。
*管理人様、適当な時期にこの投稿を消して下さい。誌友会の山をしてすみません
でした。
4256
:
a hope
:2014/09/02(火) 09:08:07 ID:cEpBaIdo
みなさま、おはようございます。
>>4253
神の子さん 素晴らしいお祈りの言葉をありがとうございます。合掌
でも、それは白光真宏会というとこのお祈りの言葉なのですね?
トキさまがおっしゃっていますが、ここは、「生長の家」の教えについて学ぶ場所なので、
お祈りをしていただけるのなら、「生長の家のお祈り」にしていただけるとありがたいです。
よろしくお願いいたします。
>>4255
レンゲソウさま
久しぶりにご登場くださりありがとうございます。
<<雅春先生が説かれた教えは、多くの人を救いました。今の環境保護に特化した
『今の教え」では、救われた、という人は私は会った事がありません。新経本も、
読んで救われたという人は知りません。かえっておかしくなった、という人が何人
かいます。
それほど総裁を支持するのなら、まずは『新経本」で、悩んでいる人を救った
という実例を作って、掲示版にアップしてみて下さい。>>
本当ですね。
わたしも、是非、「今の教え」や『新経本』で救われたという体験談を伺いたいです。
ですが、曳馬野さまが正直に
<<やはりあなたの考えがうまくわかりません。>>
と、ご発言くださっているのは、わたしはとてもうれしく感じています。
「生長の家の教え」に関することなら、どんなご発言でもweb誌友会どんどんご投稿していただけるととてもありがたいです。
みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。
4260
:
a hope
:2014/09/03(水) 09:38:52 ID:cEpBaIdo
>>4247
のご投稿文を再掲します。
―――――――
4247 :a hopeさん:2014/09/01(月) 02:55:26 ID:zTvAOV2w
①自然破壊等の現象世界の出来事も見つめられていて、人間の罪を肯定してしまっているのです。
②『雅宣先生の教え』では「人間よ自然破壊するなかれ」と、
「人間が自然破壊した」という現象の出来事を認めてしまっているのです。
③一方、『本来の生長の家の教え』は 「人間が自然破壊する」という現象の出来事を完全否定して、
実相世界の完全に調和している状態しか認めていません。
私の疑問は、③の実相論を信じる方が、①,②のような総裁の存在を肯定していることが、分からないということです。
環境問題に特化した総裁、と云うように外界の現実を見るから、二元論の総裁という判断をしているのでしょう?
――――――――
わたしは、先月までこのweb誌友会テキスト「生命の實相」をもとに、「悔い改め」(生まれ更わり)についてお勉強してきました。
そしてこの「悔い改め」には旧我(偽我)の否定、と新我(真我)の肯定が必要だと知りました。
完全円満な実相世界の立場から観れば、「環境破壊し続けている人間」というのは明らかに旧我(偽我)であり、
妄想であり否定しなければならない存在です。
そして、本当の「悔い改め」には「環境破壊などすることのない自然と大調和している人間」の肯定が必要だということになります。
ですから、本来の「生長の家の教え」によって、環境問題に対応した運動をしていくのであれば、
この「悔い改め」真理を応用すればいいのだと思います。
それには、やはり「環境破壊などすることのない自然と大調和している人間」=「神の子人間」の実相を礼拝することが基本だと思います。
ですが、雅宣先生の運動を拝見していると「人間の実相礼拝」よりも「現象の自然」を礼拝しているように見えてしまうのです。
<<私の疑問は、③の実相論を信じる方が、①,②のような総裁の存在を肯定していることが、分からないということです。>>
わたしは、雅宣先生の存在自体を虚説だと思っているのではなく、雅宣先生の教えと運動の仕方が本来の「生長の家の教え」ではないと思っているのです。
今まで何度も発言してきましたが、雅宣先生の存在自体は、信徒に本来の「生長の家の教え」とは何かを考えさせてくれるためにあらわれた、
ありがたい大観世音菩薩さまだと思っています。
4261
:
a hope
:2014/09/03(水) 10:20:14 ID:cEpBaIdo
テキストのお勉強に戻りたいと思います。
第三章の「自他一体と個性生命」には、「自他一体であれば、個性生命は存在しないのか?」ということが、
「個人の心」が肉体とは別に存在していることを証明する実例をいくつかあげて検証され(p38〜)、
さらに『エーテルと生命(p48〜)』では、科学的にも検証されています。
わたしは、あまむし庵さまのブログは欠かさず拝見するようにしているのですが、
今回の第三章「自他一体と個性生命」の特に、『エーテルと生命』の部分は理論物理学的にも検証されていて、
丁度、あまむし庵さまも昨日そのことに関して持論を展開されています。
この部分に関しては、あまむし庵さまのブログを拝見して、さらに理解が深まりました。
すごいですよ!!!
http://56937977.at.webry.info/201409/article_1.html
4262
:
トキ
:2014/09/03(水) 11:11:37 ID:lMH/UsH2
藤原敏之先生のご著書で、終戦後、先生が京都で青年を指導されていた頃に、
ある学生さんから、「台風もある、地震もある、これでなんで、神さまがいるのだ」
と言われて、「それは、みんな現象の話ですね?」と言われてから、順々と実相の
世界について説かれたという話が書いてあったと記憶しております。
実相論から発言すると、実際に被害にあった人からは不愉快に思われる場合が
あるので、気をつける必要はあります。が、それはテクニカルな部分で、問題の
本質とは異なります。神様の世界には「悪」はない、という事です。
4265
:
a hope
:2014/09/04(木) 23:51:56 ID:cEpBaIdo
>>4262
トキさま
<< 実相論から発言すると、実際に被害にあった人からは不愉快に思われる場合が
あるので、気をつける必要はあります。が、それはテクニカルな部分で、問題の
本質とは異なります。神様の世界には「悪」はない、という事です。>>
例えば、災害等で身内を亡くして悲しんでいる人や病気で苦しんでいる人に、
いきなり『生き通しの生命』や『現象無し』『肉体無し』の真理を説いてみても、聴く耳は持ってもらえないのではないかと思います。
これは、わたし自身が実際に宇治の練成で何度か実修し、さらにこのweb誌友会でも復興Gさまから教えていただいたことですが、
相手も自分も「祈り」によって救われるという神想観に「祈り合いの神想観」がありますが、
その神想観の祈り方の方法として、完全円満な実相を観ずる(実相直視)前に、
祈って上げる相手の心の痛みや苦しみを自分のことのように観じる(「同悲の心」を起す)というご指導がありました。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/216n-
<<相手のために祈るということは、譬えてみると、相手のシャツの汚れを電気洗濯機で洗濯してあげるようなものである。
相手のシャツを洗濯するためには、まず、相手がどんなに汗臭かろうとも、相手のところに近づいて行って、
「さあ、シャツを洗濯しましょう。貸してごらんなさい」と言って、まずシャツを自分の手許に取り込むことが必要である。
祈ってもらいたいと出て来られた人に対し、
「あの人は、これだけお話をきいているのに、まだあんなことを悩んでいる。悟っていないねえ」
などという気持は、シャツを自分のもとに取っていないのである。
「友の憂いに我は泣き、我が喜びに友は舞う」という友情をうたった歌があるが、相手の悩みを見て、
「もしも、私があの人の立場だったら、どんなにつらいことだろう。あの人の悲しみは、我が悲しみだ。何とかしてあげたい」と、
真に相手の悲しみを我が悲しみと感じ、共に手をとり涙を流さんばかりの気持となるとき、
相手の悲しみが吾がうちに摂取されるのである。相手の汚れたシャッを自分の手許にとり込むことになるのである。
聖書には、イエスが他の人のために祈った心がよく示されている。
ラザロが死んで、その家族達が嘆き悲しんでいる所にイエスが来たとき、「イエス涙を流し給えり」とある。
相手の人の苦痛や嘆きに対して、この、共に涙を流すほどの同悲の心があってこそ、神癒が行われるのである。>>
「現象は本来無い」ものだけれども、それを完全に悟りきれなければ、わたしたち人間は誰だって現象の出来事に心を捉われて、
悲しんだり、苦しんだり、怒ったり、妬んだり、どうしても許せなかったり、怨んだりという悪感情をもってしまうものだと思います。
そして、それら悪感情をもてば必ず「心の法則」が作用し、病気になったり不幸な運命を招くということになってしまいます。
創刊号 の「『生長の家』出現の精神とその事業」を拝読すると、実相世界を悟った谷口雅春先生は、
そのような「心の法則」を知らず、自分自身を苦しめ不幸になるという悪循環に陥っている人類に同悲の心を起されて、
「生長の家の火」をかざし人類光明化運動を始められたようですね。
だから、『現象は無し』『肉体は無し』は確かに「生長の家」の真理ですけれども、目の前で悩み苦しんでいる人に対しては
まずは、同悲(愛)の心を持ち、じっくり話を聞いて心境を理解してあげることがとても大切なのではないかと感じています。
4266
:
a hope
:2014/09/06(土) 10:50:25 ID:cEpBaIdo
第四章 和解の倫理 p55〜
悪魔の試みにも和解すべきや
われわれが神の方へクラリと向きを変え、神に従って生活しようと決意したとき、
かえってその神に従う生活に反対し邪魔しようとするような環境があらわれて来ることがあります。
この状態をキリスト教では「試みに逢わせられる」と申しますし、ある教えでは「引っかけ戻しの仕組みである」といっています。
それはあたかもわれわれが神想観をして精神統一をして、ただひたすら「神と一体」になる観念に精神を集注しようとしますとき、
いよいよますます雑念が浮かび上がってくるようなものであります。
4267
:
a hope
:2014/09/06(土) 10:56:29 ID:cEpBaIdo
(
>>4266
a hope所感)
わたしは、4年以上前にもなりますが「生命の實相」に偶然出会い、魂を震わせました。
そして、その後すぐに「生長の家」の信徒となり、本来の生長の家の教えと今の雅宣先生の教えの両方をお勉強するようになりました。
そして、雅宣先生の現象問題を扱った難しいご著書を必死に拝読し、
雅宣先生の「新・四無量心の神想観」を毎日行ずることで、どんどん精神状態と体調を壊していきました。
わたしにとって、このことがまさに「試みに逢わせられた」ということだったのだと思います。
<<「生長の家」倫理学の中心思想は、「人と神と一体であり、万(よろ)ずのもの皆神より出でたるものであるから、
なんじを害するものは一つもないのであるから、天地一切のものと和解せよ」ということであります。
そこで天地一切のものと和解するには、天地一切のもの、すなわち異端邪説とでも和解したらよいかどうかが問題になるのであります。>>(p55 11行目〜)
今は雅宣先生の教えが、本来の生長の家の教え、つまり「生命の實相」からすれば、異端邪説であるとわかるようになりましたが、
信徒になったばかりのころは全く分からなかったわけですから、なにも考えずただただ「雅宣先生の教えを盲信し、その結果、生活が狂いだしました。
雅宣先生の教えは、ごく一般的な常識的なことをおっしゃっているわけですから、一般の方が読むぶんにはおそらくなんの問題もないものだと思います。
それに、世間一般の方からみたら、「肉体無し」「物質無し」などという本来の生長の家の教えの方の方が、よほど常識外れに感じられると思います。
ですが、それが、本来の生長の家の教えだと今のわたしは確信していますし、現在の雅宣先生の教えはまったく別物たと思っています。
ただ、「肉体無し」「物質無し」が本来の生長の家の教えだからと言って、「生命の実相」をしっかりと悟っていないのに、
病気になっても病院に行かず、薬も飲まないで祈りで治そうとするのはとても危険なことだと思います。
聖典にはその危険性を警告するような文章がところどころに書かれているのですが、ご自分で聖典をお勉強せず、
ただ、練成や講習会や個人指導等だけで「生長の家の教え」を学ばれていた信徒の方などには、
そのような生悟りのために亡くなられてしまった方もたくさんいらっしゃるのではないかと拝察しています。
おそらく雅宣先生が、「教え」の進路変更をされ始めたきっかけはそんな危険性の回避という理由もあるのではないでしょか・・・?
ですから、現在の生長の家がこのような混乱状態(不調和)にある中で、確実に「生命の実相」の真理を悟るためには、
独学、つまり聖典「生命の實相」の拝読が一番安全で確かな方法なのではないかとわたしは感じています。
4268
:
a hope
:2014/09/06(土) 10:59:49 ID:cEpBaIdo
<<しかし生長の家は必ずしも薬剤の不要を説くのではない。
生命のみ真に癒やす力であるが、生命の癒やす力を完全に発見しえない人は、
第二善としてその他の方法を用いてもよいのは、停電の時にはローソクを用いてよいのに似ている。>>
(生命の實相第20巻 p157 8行目)
4269
:
a hopeさん
:2014/09/06(土) 14:14:33 ID:zTvAOV2w
<<「生長の家」倫理学の中心思想は、「人と神と一体であり、万(よろ)ずのもの皆神より出でたるものであるから、
なんじを害するものは一つもないのであるから、天地一切のものと和解せよ」ということであります。
そこで天地一切のものと和解するには、天地一切のもの、すなわち異端邪説とでも和解したらよいかどうかが問題になるのであります。>>
_____________________________________________________________________________________
これは全くの詭弁ですね。異端邪説を天地一切のものに数えている。異端邪説はどこまで行っても説であり、考え、思想、念でしかない。
本来存在しないものと和解は端からしようがない。
4270
:
トキ
:2014/09/06(土) 17:07:42 ID:eK39pa7o
>>4269
提案ですが、「a hopeさん」と「a hope」とは、混同するような
HNです。ご訂正下されば、読み手に混乱がないと思います。
合掌 ありがとうございます
4271
:
名無し
:2014/09/06(土) 17:15:09 ID:zTvAOV2w
>>4270
相変わらずだね、『生命の実相』を否定してもそれには知らん顔
これからは『名無し』で2ちゃん風にしましょう。
4272
:
トキ
:2014/09/06(土) 17:47:57 ID:eK39pa7o
>>4271
この掲示板の方針として、常連さんには、適正なHNのご使用を
御願いしています。
よろしくお願いします。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
4273
:
トキ
:2014/09/06(土) 18:15:49 ID:eK39pa7o
話を戻しましょう。
戦前の信徒さんの中には、この医薬を廃する事にこだわられた人もいたみたいです。
しかし、谷口雅春先生ご自身は、そこまで極端な事を指導されていなかったとも聞いて
おります。
4274
:
ユタカ
:2014/09/06(土) 18:26:04 ID:N20ePDNw
有難うございます。 練成を受講して「神の子」温泉につかり、素晴らしい神の子になったのも束の間、娑婆にでたらーーーー。。。
拝めない事だらけ。。。。。 すみません、ここにお勉強にきました、よろしくです。
a hopeさん 名無しさん 楽しそうですね。よろしくです! ですが、2チャンネルふうは勘弁してください。
先に、生長の家大神様を お招きしての誌友会ですからね、 a hopeさまは、現時点で精一杯の勉強と素直な心情なのですから。
何事も段階を経ないと。。と思いますから、
名無し様これからもよろしくお願いいたします。。。
4275
:
ユタカ
:2014/09/06(土) 18:38:37 ID:N20ePDNw
>4273 生命の実相講義のテープを聞くと、生長の家は何も病院いっちゃいかんと言っているのではないのですよ。
とハッキリ仰っていました。。
ですが、藤原先生の本には、額に脂汗をかきながら 盲腸炎に耐えて? 完治させた事が書いてあります。
昔は、情報が少なくて、雅春先生の2時間の講演だけの真理で信仰していたのではないでしょうか??
それにしても、すごい信念だと思います。
4276
:
女狐に憑かれたノブタ
:2014/09/06(土) 18:46:07 ID:???
輝子奥様先生が 白内障 の手術を受けておられます
そのとき 雅春先生はどう仰言ったのか ・・・・
4277
:
不生の仏心を求めて
:2014/09/06(土) 19:36:21 ID:zTvAOV2w
>>4276
世の中に余りにも見たくないものが多いので、「見たくない」という私の心の影として白内障になった。と云ったのでしたか。
実相を観よと教えながら、私が実相を見ることが出来ないから、貴女をそんな目に合わせて申し訳ない、と云ったのか
そんな見たくないものを一刻も早く消すべく皆さん頑張ってください、と云ったのかどちらでしょうか。
ユタカさん、ご意見に従い名前変えました。
4278
:
ユタカ
:2014/09/06(土) 19:55:14 ID:N20ePDNw
ちょと、a hopeさんより遅れたところからの勉強ですが、、
P,悔い改めよ天国は近づけり の項7L
悔い改めよというのは、心をクラリと転向せよ、
今までこれが自分であると力んでいた「自分」はそれは「本当の自分」ではなかった、それは「ニセ物の自分」であった、「本当の自分」は別にあった、それは「神の子なる自分」であったと悟る。
ここに完全に「われの転回」というものが行われる。
これが悔い改めであり、新生であります。 (途中略)
「悔い改め」すなわち「われの根本的置き換え」と同時に
「神の国」− 幸福の国・常楽の国ー は実現するのであります。
P、7最後の審判が恐ろしいのは悔い改めができていない証拠
9L なぜなら「本当のわれ」というものは、火にも焼けず水にも溺れることのない金剛不壊のものだということを知ることが、すなわち
「われの完全な置き換え」すなわち「悔い改め」であるからであります。
P、8 1Lだから最後の審判が恐ろしいようでは「悔い改め」ができていないわけで、最後の審判を恐れて悔い改めよでは意味をなさないのであります。
8L 本来「悪」を犯さず、
動けばすなわち 「善」のほかになりようがないところの「神の子ーわれ」・・・・。
ユタカは宇治に行って、「神の子」に新生しました、また行きたいなぁ。
全館放送だから、どこにいても神の子、神の子って追いかけてくる・・・
有難いです。
4279
:
ユタカ
:2014/09/06(土) 20:03:01 ID:N20ePDNw
名無しさんから 仏心さまへ
素晴らしいHNを有難うございました。 長いので仏心様でいいですか?
よろしくお願いいたします。
4280
:
a hope
:2014/09/07(日) 08:33:05 ID:cEpBaIdo
web誌友会参加のみなさま そしてこちらをご覧のみなさま
おはようございます。
みなさんのお話、興味深く拝見させていただきました。
たくさん思うこと、お返事したいこともありますが、今日は一日行事で出かけますので書き込みできません。
医学博士であった徳久克己先生も、最初は「家生命の實相」を否定しまくったとご講話で伺いました。
ですが、どんなに否定しても真理(真説)は否定できないものだと思います。
何が生長の家」の真説であるか、このweb誌友会で明らかにしていけたらいいですね!
それではみなさん、素晴らしい休日をお過ごしください!!
4281
:
a hope
:2014/09/08(月) 08:20:06 ID:cEpBaIdo
仏心さま(でよろしいでしょうか?)
>>4269
再掲
<<「生長の家」倫理学の中心思想は、「人と神と一体であり、万(よろ)ずのもの皆神より出でたるものであるから、
なんじを害するものは一つもないのであるから、天地一切のものと和解せよ」ということであります。
そこで天地一切のものと和解するには、天地一切のもの、すなわち異端邪説とでも和解したらよいかどうかが問題になるのであります。>>
_____________________________________________________________________________________
これは全くの詭弁ですね。異端邪説を天地一切のものに数えている。異端邪説はどこまで行っても説であり、考え、思想、念でしかない。
本来存在しないものと和解は端からしようがない。
<<これは全くの詭弁ですね。異端邪説を天地一切のものに数えている。>>
↑で仏心さまがおっしゃりたいのは、「「天地一切のもの和解せよ」といいながら、
異端邪説を天地一切のものに含んでいるように表現しているにも拘わらず、
「異端邪説だけは和解してはならぬ」という内容のこの文章が矛盾を含んでいて、詭弁であると思われているのですね。
これに関しては、仏心さまとわたしの解釈は全く違うようです。
この場合の「天地一切のもの」とは「天地一切のものの実相(善一元の世界のもの)」という意味なのだと思うのです。
ですが、実相世界を悟っていない人間には、実相と現象との区別がハッキリつかないわけですから、
方便として、このような説明になっていると思うのです。
ですから、原文に補足の言葉を入れさせていただくと、
(原文)
『そこで天地一切のものと和解するには、天地一切のもの、すなわち異端邪説とでも和解したらよいかどうかが問題になるのであります。』
(a hopeの補足文)
『そこで天地一切のものと和解するには、【現象に現れてみえる】天地一切のもの、すなわち【実相(善)ではない】異端邪説とでも和解したらよいかどうかが問題になるのであります。』
という風になり、このようにわたしは解釈しています。
ですが、そのあとの仏心さまのご発言
<<異端邪説はどこまで行っても説であり、考え、思想、念でしかない。本来存在しないものと和解は端からしようがない。 >>
というご意見には、半分賛同させていただきます。全部賛同できないのは、お言葉が足りないからです。
a hopeの解釈は、
<<異端邪説はどこまで行っても【虚】説であり、【間違った】考え、思想、念でしかない。本来存在しないものと和解は端からしようがない。 >>
ということになります。
4282
:
a hope
:2014/09/08(月) 08:21:45 ID:cEpBaIdo
ユタカさま
web誌友会に戻ってきてくださりとてもうれしいです!
ユタカさまが戻ってくださると、web誌友会が活気づきますからとてもありがたいです。
わたしの進行速度や(所感)は気にされずに、ユタカさんのペースでご参加くださいね。
4283
:
a hope
:2014/09/08(月) 08:22:21 ID:cEpBaIdo
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
第27回 web誌友会 案内
期間 9月1日〜9月30日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p34〜p126まで
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
みなさま
一応、範囲を決めていますが聖典の真理に範囲はありませんので、あまり範囲に関しては気になさらずにご参加下さいね!
4284
:
ユタカ
:2014/09/08(月) 09:16:40 ID:N20ePDNw
ありがとうございます
a hopeさま ありがとうございます、これからもよろしくです。
ユタカは、、、昨日、神様から熱い鉄槌をくらってしまいました!!!! 帰宅する道路でカラスが鳩を殺して食べているのを見せられてしまいました、羽が飛んで散らばって悲惨でした、練成道場では「ありがとうございます」って簡単。
帰宅すると、、、拝めないことだらけ。。。。
これって・・・「現象はない!!!」 「実相世界にはこのようなことはない!!! これは嘘!!!」 「実相円満完全!!」
って叫んだんだけど、、、、
生長の家の 在家の生活 はこれでいいのでしょうか?? みなさんどう生活していますか???
目の前、弱肉強食しかみえないし!! ホント怖い=======!!! 悔い改めがぶっ飛んだ〜〜〜〜〜〜。
4285
:
ユタカ
:2014/09/08(月) 09:21:29 ID:N20ePDNw
それか、ユタカが、
現象に感謝していたのを、神様が注意されたのか???
本当に、気分悪すぎる。。。 ゲゲゲッゲ〜〜〜〜。。。。
みなさんは、ドショウもない現象を見てしまったら、どう対処していますか?? どのような言葉を使って現象抹殺をしていますか??
教えてください!!!
4286
:
ユタカ
:2014/09/08(月) 11:28:55 ID:N20ePDNw
教えていただきました。
現象はない、実相をはっきり見る訓練をさせていただいているのだ。
「有難うございます!」 って感謝したらいいらしい。。。。 生長の家って素晴らしい!なんでも感謝。
在家でも感謝、感謝なんだね。 このクソ現象世界でいかに感謝するか、「感謝ゲーム、感謝対戦、感謝バズーカ砲撃大会だね」(笑)
ありがとうございました。。。
4287
:
不生の仏心を求めて
:2014/09/08(月) 16:01:44 ID:zTvAOV2w
なんじを害するものは一つもないのであるから、天地一切のものと和解せよ」ということであります。
そこで天地一切のものと和解するには、天地一切のもの、すなわち異端邪説とでも和解したらよいかどうかが問題になるのであります。>>
_____________________________________________________________________________________
これは全くの詭弁ですね。異端邪説を天地一切のものに数えている。異端邪説はどこまで行っても説であり、考え、思想、念でしかない。
本来存在しないものと和解は端からしようがない。
<<これは全くの詭弁ですね。異端邪説を天地一切のものに数えている。>>
↑で仏心さまがおっしゃりたいのは、「「天地一切のもの和解せよ」といいながら、
異端邪説を天地一切のものに含んでいるように表現しているにも拘わらず、
「異端邪説だけは和解してはならぬ」という内容のこの文章が矛盾を含んでいて、詭弁であると思われているのですね。
これに関しては、仏心さまとわたしの解釈は全く違うようです。
この場合の「天地一切のもの」とは「天地一切のものの実相(善一元の世界のもの)」という意味なのだと思うのです。
ですが、実相世界を悟っていない人間には、実相と現象との区別がハッキリつかないわけですから、
方便として、このような説明になっていると思うのです。
(a hopeの補足文)
『そこで天地一切のものと和解するには、【現象に現れてみえる】天地一切のもの、すなわち【実相(善)ではない】異端邪説とでも和解
したらよいかどうかが問題になるのであります。』 という風になり、このようにわたしは解釈しています。
a hopeの解釈は、
<<異端邪説はどこまで行っても【虚】説であり、【間違った】考え、思想、念でしかない。本来存在しないものと和解は端からしようがない。 >>
ということになります。
●私の思うところとは少し違いますね。」天地一切のもの」は顕れているモノそのもの、人間が意を通して何かを考えたそのことは、
「考え、思想、念」であり縁に触れて心に浮かんだものであり、一瞬の後には何も存在していないもの、であり、端から『天地一切のもの』
ではないということです。
貴女は「実相世界を悟っていない人間には、実相と現象との区別がハッキリつかないわけですから」と言われる。とすれば何と和解し、
何とは和解してはいけないのですか、現象はどこまで行っても現象ですよね、現象には真象と偽象がある、と言われる。
真象であれ顕れたもの、現象であり消え去るものです。真象を好ましいもの、偽象を好ましくないものと普通考えますね、でも念の世界を
超越しない限り、因縁の世界から抜け出せないということのようです。
実相は無相か有相かの議論をしたことがあります。生長の家の実相を観るという場合の『実相』はそのものに相があるのか(理念)、
『真象』を指して実相と云っているのか、貴女はどう考えますか。
4288
:
不生の仏心を求めて
:2014/09/08(月) 16:35:30 ID:zTvAOV2w
ついでにお聞きします。無門関23に『不思善悪』の公案があります。
善とも悪とも考えない時の人間の本来のものはいかなるものか、というものです。
他人が善を行っているか、悪を行っているか、が問題でなく、その事を善である、悪であると認識する心とは何でしょうかということです。
本心、実相の心とか言われる、実在の心とは何かということです。
雅春先生自身が無門関解釈を書かれているのですから、それは禅の話で生長の家と関係無いというものではないと思っています。
如何に生きるかと心というか、思いを関係させていく生き方に疑問を持っています。
4289
:
a hope
:2014/09/09(火) 00:09:22 ID:cEpBaIdo
>>4284
〜4286 ユタカさま
そうですね。
現象の世界には素直に拝めないことも多いですよね。
わたし自身もたくさん家族がおりますし、仕事もしてますから、
現象生活をしていく上で、人間関係等で悩むことも多々あります。
でも、わたしたちには「生長の家の教え」がありますから、とても心強いですね。
最近は、わたしはどんなに心が不安になっても、聖典を拝読したり、
神想観をすることでほとんど自分の中で解決できるようになってきました。
すべてに感謝できるようになることがとても大切だとわたしも感じています。
4290
:
a hope
:2014/09/09(火) 00:12:15 ID:cEpBaIdo
>>4287
「 仏心」さま
<<●私の思うところとは少し違いますね。」天地一切のもの」は顕れているモノそのもの、人間が意を通して何かを考えたそのことは、
「考え、思想、念」であり縁に触れて心に浮かんだものであり、一瞬の後には何も存在していないもの、であり、端から『天地一切のもの』ではないということです。>>
↑の「仏心」さまお考え方が、もし、
「考え、思想、念」つまり人間の『心』が実在ではなくて、「顕れているモノそのもの」つまり現象に見える『物質』だけが実在するというお考えでしたら、
それって、唯物論なのではないですか?
それでは「仏心」さまのHNである『仏心』も実在しないものとお考えですか?
聖経「甘露の法雨」には、
神が一切のものを造りたまふや
粘土を用い給はず、
木材を用い給はず、
槌を用い給はず、
鑿を用い給はず、
如何なる道具も材料も用い給はず、
ただ、『心』をもって造りたまふ。
『心』はすべての造り主、
『心』は宇宙に満つる実質、
『心』こそ『全能』の神にして遍在したまふ。・・・
とあり、神(仏)の心がすべてのもの(天地一切のもの)を作ったと詠われています。
ですが、一方で「生長の家の教え」では「現象人間の迷いの心」の方は「無い」と否定していますから、
「仏心」さまがおっしゃる<<人間が意を通して何かを考えたそのこと>>というのが、
「現象人間の迷いの心」のことで、「仏心」さまのお考えが、その「現象人間の迷いの心」が天地一切のものではないという意味であれば、
そのことに関してはわたしもそうなのではないかとも思いますが、神(仏)の心は実在だとわたしは信じています。
(つづく)
4291
:
a hope
:2014/09/09(火) 00:15:26 ID:cEpBaIdo
>>4290
つづき
<<貴女は「実相世界を悟っていない人間には、実相と現象との区別がハッキリつかないわけですから」と言われる。
とすれば何と和解し、何とは和解してはいけないのですか、>>
(a hope の答え)
真説に和解し、虚説には和解しなければいいのだと思います。
以下をご参考にしてください。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4056
――――――――――――
●虚説とは、「迷い」や「誤れる見解」のことである。
それでは、「迷う」「誤れる見解をする」とはどんなことか?
それは、自分自身や相手(対象物)の実相を見ず、悪であると思ってしまうこと。
または、罪を見てしまうこと。
つまりは、本来無い仮相の現象に心を捉われてしまうこと。
○真説 (虚説と和解しないために)
「迷わない」「正しい見解をする」とはどんなことか?
それは、自分自身や相手(対象物)の実相だけを見つめ、すべては善であると思うこと。
または、罪を見ないこと。
つまりは、実相世界の完全円満さを常に喜ぶこと。
――――――――――――
4292
:
a hope
:2014/09/09(火) 00:18:28 ID:cEpBaIdo
>>4291
つづき
<<真象であれ顕れたもの、現象であり消え去るものです。真象を好ましいもの、偽象を好ましくないものと普通考えますね、
でも念の世界を超越しない限り、因縁の世界から抜け出せないということのようです。>>
(a hopeの答え)
――――――――――――
●「虚説(迷い・サタン・異端・邪説・雑念)」→【現象世界に投映されると】→ 暗黒化し、「罪」「病」「死」など(仮相)が現れて見える。
○「真説(真理・神・生命・愛・知恵)」→【現象世界に投映されると】→光明化し、「真」「善」「美」などの(実相)が現れてくる。
――――――――――――
真説が現象世界に投映されたものが、真象(実相の投影)で、虚説が現象世界に投映されたものが偽象(仮相の投影)であるとわたしは理解しています
因縁の世界から抜け出すためには、念を超越するというよりも、虚説を否定し、真説ののみを実行すればいいのだと思います。
4293
:
a hope
:2014/09/09(火) 00:20:42 ID:cEpBaIdo
>>4292
つづき
<<実相は無相か有相かの議論をしたことがあります。
生長の家の実相を観るという場合の『実相』はそのものに相があるのか(理念)、
『真象』を指して実相と云っているのか、貴女はどう考えますか。 >>
(a hopeの答え)
わたしは実相世界を悟っていないですから、あくまでも聖典を拝読して解釈しているだけなので、
実相が無相か有相かなどということは実際のところはわかりません。
ですが、今現在のわたしの理解力だけでお答えさせていただきますと、
無相である実相(真説・正しい理念)が、現象世界にが投影され、芸術的活動で表現されたものが「美」であり、
道徳的活動で表現されたものが「善」であり、それらの現象人間の目でも確認できる真象が有相の実相なのではないかと思います。
『真、善、美と三つを同列に並べて説明する人がありますが、真とは本当にあるものということで、
「本当にあるもの」の道徳的活動が善であり、「本当にあるもの」の芸術的活動が美であります。
人生の目的とは何ぞや?といいますと、人生に「真」すなわち「本当にあるもの」すなわち実相を表現することであります。
実相が、本当の姿が、本当にあるものが実現したとき、人生に価値が実現したというものであります。
本当にあるものでないものには価値があるはずがないのです。
有るからこそ価値があるのです。なかったら価値がない。有るものだけが価値があるのです。』
「生命の實相」第13巻 p138 後から4行目〜
「仏心」さまが、素晴らしいご公案をたくさんくださるので、今回も、わたし a hopeはとてもお勉強させていただいています。
心より感謝いたします。 合掌。
>>4288
に関しては、後日お答えさせていただきますね。
4294
:
ユタカ
:2014/09/09(火) 22:58:55 ID:N20ePDNw
>でも、わたしたちには「生長の家の教え」がありますから、とても心強いですね。
本当にそうですね。。
現象無し!! LooK into reality !!
「実相を観る」と、日本語ではちょっと難しいけど、英語で、Look at ではなく Look into reality
と雅春先生がテープで仰って下さるのがありますが、それがとても分かりやすいですね。
そして、生長の家の先生に聞いたことは、嫌な事、拝めない事を見ても、それをいかに感謝として見るか楽しくゲームをする様にやっていくといいよ。。。
そしてね。。。。
教団にいる人もいない人も、今、難しい問題を与えられているのは、皆さんが高級霊だから、難しい拝めないような問題をどう解決するか神様に与えられているのだそうです。
本当に、現在は、昔の雅春先生時代の生長の家が大好きな人ほど、難しい問題を与えられていますね、みんな、みんな高級霊だそうです、とても素晴らしいですね!!
みんな生長の家高級神の子 素晴らしい!! みんな高級霊だから お釈迦さまだから、わざわざ難しい事をしてくれて、「これを拝んでご覧!!」としているところが素晴らしい!!
神の子同志の磨きあい!! 拝んだ人から感謝充満実相世界、みんな 神の子 有難う!!
4295
:
ユタカ
:2014/09/09(火) 23:00:26 ID:N20ePDNw
あのう・・ 上記の・・・
誰か、スペルチェックお願いします。
4296
:
a hope
:2014/09/11(木) 09:29:14 ID:cEpBaIdo
>>4294
ユタカさま
素晴らしいご投稿をありがとうございます!!
生長の家の教えは、「感謝」の教えですものね。
Look into reality!! (スペル間違いはないと思いますが・・・。)
直訳すると『(現象の中の)「本物」だけを観ぜよ!』みたいな意味でしょうか?
本来、「悪はない」のですから、現象に現れているすべての「不都合なこと」(悪と見えること)も、
自分の観方を変えればすべてが「感謝すべきこと」(善)になるということですね。
自分を苦しめている不都合な出来事に感謝できたとき、救われるのは誰でもない自分自身なんですよね!
4297
:
a hope
:2014/09/11(木) 09:36:01 ID:cEpBaIdo
>>4288
「仏心」さま
――――――――――――――――
ついでにお聞きします。無門関23に『不思善悪』の公案があります。
善とも悪とも考えない時の人間の本来のものはいかなるものか、というものです。
他人が善を行っているか、悪を行っているか、が問題でなく、その事を善である、悪であると認識する心とは何でしょうかということです。
本心、実相の心とか言われる、実在の心とは何かということです。
雅春先生自身が無門関解釈を書かれているのですから、それは禅の話で生長の家と関係無いというものではないと思っています。
如何に生きるかと心というか、思いを関係させていく生き方に疑問を持っています。
――――――――――――――――
わたしは無門関の『不思善悪』のお話も知りませんし、雅春先生の無門関解釈も未読ですが、その上で「仏心」さまの、
<<他人が善を行っているか、悪を行っているか、が問題でなく、
その事を善である、悪であると認識する心とは何でしょうかということです。
本心、実相の心とか言われる、実在の心とは何かということです。>>
というご質問にお答えさせていただきますね。
(a hopeの答え)
実相世界には存在しない「善」と「悪」の区別を認識する心とは現象人間の「迷いの心」であり、
実相の心とは、神の心、仏の心に他ならないと思います。
4298
:
不生の仏心を求めて
:2014/09/11(木) 19:47:07 ID:zTvAOV2w
(a hopeの答え)
実相世界には存在しない「善」と「悪」の区別を認識する心とは現象人間の「迷いの心」であり、
実相の心とは、神の心、仏の心に他ならないと思います。
_____________________________________________________________________________________________________
色々お答え下さりありがとうございます。a hopeさんの考えは承知しました。
ただ和解に関しまして真説に和解し、虚説には和解してはならない。とありました。
そこで判らないのです。善悪を認識する心は迷いの心であるといわれる。
真説虚説の判断は何によってなされるのでしょうか。
先の戦争では家族を亡くし言葉にできない辛酸をなめた人は大変多いと思うのです。
国体を守るためには戦争もやむなしとの考え方があります。結果に於いて戦に負けたのです。負けても今の日本はあります。
この場合に戦争はすべきであるというのは、真説なのでしょうか、虚説でしょうか。
雅宣総裁の発言は虚説であると貴女は言われます。虚説であると判断する心は、『本心』なのでしょうか。
「実相の心とは、神の心、仏の心に他ならないと思います。」は呼び名を変えただけのことで、どんなものかの説明にはなっていないのではありませんか。
4299
:
トンチンカン
:2014/09/11(木) 20:22:48 ID:JWwiWw8o
マサノブ爺さんは、<理性>で判断すると講釈していましたよ!!
<小閑雑感> (参考)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2008年11月10日
理性と教典解釈 (2)
前回は、茅ヶ崎市の男性からの質問に答えたので、今回は厚木市の女性の質問に答えよ
う。まず、ここでのテーマは「教典の解釈」であって「真理の解釈」ではないことを確認
しておく。
厚木市の女性は、古い時代に書かれた教典を現代人が読む場合、その解釈が昔のものか
ら変わる必要があることは認める。が、そうやって打ち出された新しい解釈が正しいか否
かをどうやって判断するか?−−という点を質問したのだ。私はこの時、黒板に「理性」
という文字を書いた。人間には理性があるから、それによって判断することができるとい
う意味である。そして、理性をめぐるイスラーム内部の考え方の違いについて触れたのだ
った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・『真説虚説の判断は何によってなされるのでしょうか』
・マサノブ爺さんは、『人間には理性があるから、それによって判断することができる』
と言っておりますが・・・
4300
:
不生の仏心を求めて
:2014/09/11(木) 20:48:50 ID:zTvAOV2w
トンチンカン女史さん
・『真説虚説の判断は何によってなされるのでしょうか』
・マサノブ爺さんは、『人間には理性があるから、それによって判断することができる』
と言っておりますが・・・
________________________________________________________________________________________
引用の文章にはそんなこと一言も書いてないでしょう?朝日みたいな思い込み発言はやめましょう。
4301
:
転載家
:2014/09/12(金) 03:15:43 ID:???
ますます冴え渡る異才「トンチンカン」氏のマサノブ評*(5097)
日時:2014年09月10日 (水) 07時47分
名前:怒れる信徒 某
サーチャーさんが此処に転載していただいている「トキ掲示板」の異才「トンチンカン」氏のマサノブ評、今回は特に痛快、痛快そのもの。
大ヒマ人・マサノブ君は、又もや、似つかわしくないHN「不生の仏心を求めて」という名で登場したが、又もやボコボコに叩かれてしまった。
雅宣君、次のHNを「モグラたたきで叩かれし者」に変えたら?
両者のご健闘をお祈りする次第です。尤も、マサノブ君は全然「トンチンカン」氏の異才に歯が立たぬが・・・
4302
:
a hope
:2014/09/12(金) 09:06:53 ID:cEpBaIdo
少しテキストの内容を進めたいと思います。
「生命の實相」第14巻 p57 9行目〜
「生長の家」倫理学の特色といたしますところは、存在を「実相(ほんとうにあるもの)」と「仮相(まよい)」とに別けることであります。
そして「実相」だけが存在するのであって、その「実相」は完全であるというのであります。
例をあげていえば、人間に結核病を惹き起こす毒物としての結核菌は、それは仮相(かりのすがた)であって実相ではないのであります。
この場合、われわれが仮相(まよい)の結核菌を認め、許し、それに触れ、それを培養することにすれば、われわれ人類は滅びるのであります。
なせなら「仮相(まよい)」を実在だと思ってこれに和解し「仮相(まよい)」をことさらにのさばらせれば、実相はますます隠れるほかはないからであります。
ところが、神は結核菌を人間を害するようには作ってい給わないのであります。
結核菌は人間に対して無害に造られており、実在の世界においては、人間と結核菌とは調和して互に生かし合っているのであります。
調和が実相であって、「実在する結核菌」の本当の相(すがた)なのであります。
それで「結核菌と和解する」とはこの本当の姿を認めて、その心の投影(かげ)として自然に結核菌と人間とを互に相侵(あいおか)さない状態に至らしめるので、
われわれを害する「仮相(まよい)の結核菌」を認め、それに栄養を与え、培養するということではないのであります。
大体、「仮相」というものは、あるように見えても本来無い――「無いもの」と和解のしようがないのであります。
それでわれわれが和解するとは、ただ「本来あるもの」と和解するほかはない。
それでわれわれが、「天地一切のものと和解せよ」という場合は、
仮相(まよい)――われわれに対して毒性または敵性をもって顕れているウソのスガタ――に和解するのではなくて、
実相(すなわち、われわれと本来調和し、われわれと互に生かし合っているそのものの内性)と和解することなのであります。
4303
:
a hope
:2014/09/12(金) 09:08:34 ID:cEpBaIdo
(
>>4302
a hope所感)
ここの部分には「生長の家」倫理学の核心が「結核菌と人間との和解」を例にあげてとてもわかりやすく説明されていると思います。
この文章の「結核菌と人間との和解」について書かれている部分を、「【地球】と【人間】の和解」に置き換えて読んでみると、
「生長の家」の教えにより、どのように【地球】と【人間】が和解すべきかがとてもよくわかります。
4304
:
a hope
:2014/09/12(金) 09:15:28 ID:cEpBaIdo
「【地球】と【人間】の和解」(※注 a hope が聖典の言葉を置き換えた文章です。)
「生長の家」倫理学の特色といたしますところは、存在を「実相(ほんとうにあるもの)」と「仮相(まよい)」とに別けることであります。
そして「実相」だけが存在するのであって、その「実相」は完全であるというのであります。
例をあげていえば、【地球】に【自然破壊】を惹き起こす毒物としての【人間】は、それは仮相(かりのすがた)であって実相ではないのであります。
この場合、われわれが仮相(まよい)の【人間】を認め、許し、それに触れ、それを培養することにすれば、【地球】は滅びるのであります。
なせなら「仮相(まよい)」を実在だと思ってこれに和解し「仮相(まよい)」をことさらにのさばらせれば、実相はますます隠れるほかはないからであります。
ところが、神は【人間】を【地球】を害するようには作ってい給わないのであります。
【人間】は【地球】に対して無害に造られており、実在の世界においては、【人間】と【地球】とは調和して互に生かし合っているのであります。
調和が実相であって、「実在する【人間】」の本当の相(すがた)なのであります。
それで「【人間】と和解する」とはこの本当の姿を認めて、その心の投影(かげ)として自然に【人間】と【地球】を互に相侵(あいおか)さない状態に至らしめるので、
【地球】を害する「仮相(まよい)の【人間】」を認め、それに栄養を与え、培養するということではないのであります。
大体、「仮相」というものは、あるように見えても本来無い――「無いもの」と和解のしようがないのであります。
それでわれわれが和解するとは、ただ「本来あるもの」と和解するほかはない。
それでわれわれが、「天地一切のものと和解せよ」という場合は、
仮相(まよい)――【地球】対して毒性または敵性をもって顕れている【人間】のウソのスガタ――に和解するのではなくて、
実相(すなわち、【地球】と本来調和し、【地球】と互に生かし合っている【人間】そのものの内性)と和解することなのであります。
(a hopeが聖典の言葉を入れ替えたことに不快を感じる方がいらしたら、心からお詫びいたします。)
4305
:
a hope
:2014/09/12(金) 09:18:54 ID:cEpBaIdo
(
>>4304
a hope所感)
<<例をあげていえば、【地球】に【自然破壊】を惹き起こす毒物としての【人間】は、それは仮相(かりのすがた)であって実相ではないのであります。
この場合、われわれが仮相(まよい)の【人間】を認め、許し、それに触れ、それを培養することにすれば、われわれの【地球】は滅びるのであります。
なせなら「仮相(まよい)」を実在だと思ってこれに和解し「仮相(まよい)」をことさらにのさばらせれば、実相はますます隠れるほかはないからであります。>>
この場合の「仮相(まよい)」とは、地球に自然破壊をもたらすという罪深い人間(悪)を実在だと認めてしまう自分自身の「心の迷い」のことだと思うので、
わたしたちが、その「心の迷い」を否定せずに和解してしまうと、その自然破壊する人間の仮相の姿をのさばらす結果になってしまうということなのだと思いました。
<<それでわれわれが、「天地一切のものと和解せよ」という場合は、
仮相(まよい)――【地球】対して毒性または敵性をもって顕れている【人間】のウソのスガタ――に和解するのではなくて、
実相(すなわち、【地球】と本来調和し、【地球】と互に生かし合っている【人間】そのものの内性)と和解することなのであります。>>
これが、本来の生長の家の信仰の姿であり、「人類光明化運動」なのだと思います。
つまりは、「自然破壊などすることのない神の子人間に感謝せよ!」ということなのだと思います。
4306
:
a hope
:2014/09/12(金) 09:23:13 ID:cEpBaIdo
>>4298
「仏心」さま
(仏心さまご質問)
雅宣総裁の発言は虚説であると貴女は言われます。虚説であると判断する心は、『本心』なのでしょうか。
(a hopeの答え)
雅宣先生のご著書やブログ、祈りの言葉などを拝見していると、雅宣先生は「地球に自然破壊をもたらす罪深い人間」を認めていらっしゃるようにしか見えないのです。
ですから、「雅宣先生の教え」は「生長の家」の倫理学から見ると「虚説」となってしまうのです。
「虚説」であるかないかは、わたしの『本心』が判断しているのではなくて、「聖典の教え」をわたしが解釈するとそうなってしまうのです。
この説明で、わたしがなぜ、「雅宣先生の教え」が「虚説」であると感じているかわかっていただけたでしょうか?
あくまでも、わたしは順をおって、「生命の實相」をお勉強し、解釈し、感じたことを素直に発言しているだけです。
>>4299
でトンチンカンさまが転載してくださった雅宣総裁の御文章に、
<<人間には理性があるから、それによって判断することができるという意味である。>>
というご発言がありますが、「生長の家」の聖典を唯物的思想を持つ人間の理性で解釈しようとすると、
すべて否定しなくてはいけなくなります。
わたしは雅宣先生が「生長の家の教え」の基本である「人間神の子」を信仰していらっしゃるようにはまったく見えないのです。
4307
:
a hope
:2014/09/12(金) 23:02:51 ID:cEpBaIdo
トキさま ユタカさま 仏心さま みなさま こんばんは!
a hopeは、明日から数日間でかける用事がありまして自宅を離れるので、
いつものように書き込みができません。
ですが、わたしの返事がなくてもご自由にご参加くださいね!
来週中には戻る予定でいます。
それではみなさま、良い週末をお迎えください!!
4308
:
ユタカ
:2014/09/13(土) 00:20:48 ID:N20ePDNw
a hope様 いっていらしゃい! お帰りをお待ちしてま〜す、a hopeさま不在でも書きます。
>>4260
わたしは、先月までこのweb誌友会テキスト「生命の實相」をもとに、「悔い改め」(生まれ更わり)についてお勉強してきました。
そしてこの「悔い改め」には旧我(偽我)の否定、と新我(真我)の肯定が必要だと知りました。
完全円満な実相世界の立場から観れば、「環境破壊し続けている人間」というのは明らかに旧我(偽我)であり、
妄想であり否定しなければならない存在です。
そして、本当の「悔い改め」には「環境破壊などすることのない自然と大調和している人間」の肯定が必要だということになります。
ですから、本来の「生長の家の教え」によって、環境問題に対応した運動をしていくのであれば、
この「悔い改め」真理を応用すればいいのだと思います。
それには、やはり「環境破壊などすることのない自然と大調和している人間」=「神の子人間」の実相を礼拝することが基本だと思います。
ですが、雅宣先生の運動を拝見していると「人間の実相礼拝」よりも「現象の自然」を礼拝しているように見えてしまうのです。
<<私の疑問は、③の実相論を信じる方が、①,②のような総裁の存在を肯定していることが、分からないということです。>>
わたしは、雅宣先生の存在自体を虚説だと思っているのではなく、雅宣先生の教えと運動の仕方が本来の「生長の家の教え」ではないと思っているのです。
今まで何度も発言してきましたが、雅宣先生の存在自体は、信徒に本来の「生長の家の教え」とは何かを考えさせてくれるためにあらわれた、
ありがたい大観世音菩薩さまだと思っています。
--------------------------------------------------------------------------------------------
何か、ahopeさまのこの御文章が、ちょっと良く分からないのですが、
生長の家の本来の教えを実相から観た教えとして、 現象の環境運動とごちゃ混ぜになっていませんか?
1>ですから、本来の「生長の家の教え」によって、環境問題に対応した運動をしていくのであれば、
この「悔い改め」真理を応用すればいいのだと思います。
2>それには、やはり「環境破壊などすることのない自然と大調和している人間」=「神の子人間」の実相を礼拝することが基本だと思います。
3>ですが、雅宣先生の運動を拝見していると「人間の実相礼拝」よりも「現象の自然」を礼拝しているように見えてしまうのです。
ユタカは、この間の宇治の大祭に行って実際の雅宣先生を見ていました、この目ではっきりと!
先生は、歩かれながら参加者を拝んでくれていました、奉仕の我々の事も神の子として拝んでくれていました。これは私が自分の目で確認しましたので2>の引用はクリアです。
3>は、宇治や教化部では神の子、感謝のお話を沢山聞けます。前ほどではなくなりましたが。
で、最後
4>
わたしは、雅宣先生の存在自体を虚説だと思っているのではなく、雅宣先生の教えと運動の仕方が本来の「生長の家の教え」ではないと思っているのです。
a hopeさま、私は総裁の本を良く読んでいなかったときは同じように思っていましたが、宇治の練成や大祭奉仕で変わりました、何とこのユタカが総裁の本まで買ってしまったのです。
で、話は元に戻らせていただくと、a hopeさまは、実相を拝むことが生長の家のすべてのことで、環境のことも環境を侵していない実相を拝むことこそが生長の家の教えで、総裁はそれをしていないというように読めるのですが?そうでしょうか?
私は、宇治に行って、楠本先生に沢山聞いて、総裁の事は、総裁がすべての実相を拝んでくれていたからこそ、今こそ環境問題に動いて下さったとわかりました。総裁は、すでに、a hopeさまの仰る「環境破壊などすることのない自然と大調和している人間」をすでに拝んで、
そして、「今やらねばならないことを精一杯して下さっていらしゃる」ことがわかりました。
a hopeさま 総裁は信徒を神の子として拝んで、今必要な最前線の運動の指揮を執る素晴らしい総裁だと私は急に目覚めました。
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