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Web誌友会 板/2

3869a hope:2014/05/01(木) 00:40:28 ID:cEpBaIdo
>>3856 トキさま

小林春恵先生の「わが信仰の旅路」の小出タケさんの父親と後妻さんを許す話は、、
以前、信仰/体験板の>1527〜に謹写させていただいました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1333192083/1527n-

拝読して、とても感動して、これが本当の生長の家の「許し」なんだと思いました。

わたし自身、「生長の家の教え」に触れる前には、母親とよくケンカをしていましたが、
最近では、聖典を拝読したり、神想観をすることで心が整って来ているので、以前よりずっとすぐに許せる心境になってきました。

<<「今、わからないからと言って、そんなに悩む事はないよ。今わからない事
でも、勉強をしているうちに、自然にわかるようになるよ。」>>

ということは、生長の家に於いては、やはり、三正行を欠かさないことがそういう心境に近づける近道なんだと思いました。

トキさまのコメントで大切なことを再確認できました。

ありがとうございます。合掌。

(つづく)

3870a hope:2014/05/01(木) 00:41:52 ID:cEpBaIdo
(つづき)
ですが、わたしが考え続けている「公案」というのは、酷い仕打ちを受けた当事者の内面のことではなくて、
「真理において納得いかないこと」に対する、信仰者の態度に関してなんです。


例えば一例ですが、個人救済することが使命の宗教団体の信仰者が、自分の権力的な立場を利用して、
立場の弱い個人の魂を酷く傷つけ、運命を台無しにしてしまうような真理(神)からかけ離れた行為をしているのに、
そんなに非道な行為であっても「中心帰一」だからと容認してしまうことが、
本当に「生長の家」の信仰者の態度なのだろうか?と疑問に感じるのです。

もちろん、内面的には、小出タケさんのように、どんなにひどい罪を犯した「人間」であっても、
最終的には許し和解するのが「生長の家」の教えであり、本人が救われる唯一の道だと思っています。

でも、今、現在、犯され続けている「非道な行為(真理から外れた行為)」を容認てしまうということが、
本当の「生長の家」の信仰者の取るべき態度なんでしょうか?ということです。

それとも、本来「悪はない」のだから、そんな「非道な行為もない」と考え、
ひたすら実相礼拝をしつづけるのが正しい信仰者の態度なのでしょうか?


わたしは、そんなことを、三年間考え続けているのです。
そして、いまだ、答えがみつかりません。。

3871a hope:2014/05/01(木) 00:43:39 ID:cEpBaIdo
ところで、みなさま、そんなことを考えている間に、午前零時をまわり、5月1日になってしまいました。
5月になりましたので、第24回web誌友会を終了し、第25回web誌友会を開会させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第25回 web誌友会 案内

期間  5月1日〜5月31日まで
テキスト 「生命の實相」第13巻 倫理篇〈上〉
     

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

3872a hope:2014/05/01(木) 00:44:28 ID:cEpBaIdo

始めにいつものように祈りの言葉を掲載させていただきます。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

みなさま、今月もどうぞよろしくお願いいたします。

3873a hope:2014/05/01(木) 00:57:50 ID:cEpBaIdo

>>3868 曳馬野さま

お久しぶりです。

<<*本流側の偉才・縹さんと、同じく異才・トンチンカンさんを相手に論戦を挑んでおりますが、なかなか勝てそうにありません。>>

そうなのですか?

申しわけありませんが、わたしは時間があまり取れないので、
曳馬野さまと縹さま、トンチンカンさまとのやり取りはほとんど拝見していないのです。

また、【公平なる観察者さん】というのが、どういう方なのかもよくわかりません。

でも、曳馬野さま、ご投稿ありがとうございます。

>>3870にわたしの「公案」について、具体的な例も挙げまして、もう一度説明しましたので、
曳馬野さまのご意見を伺えたらとてもうれしいです。

よろしくお願いいたします。

3874トキ:2014/05/01(木) 20:21:10 ID:JRJ33pmQ
>>3871

a hope 様

 お祈り、ありがとうございます。

 一月の間、みんなで地道に勉強しましょう。
ご覧になられている皆様、どんどん投稿を御願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

3875曳馬野:2014/05/02(金) 01:12:05 ID:I/wU8psA
a hopeさん

**「真理において納得いかないこと」に対する、信仰者の態度に関してなんです。

**例えば一例ですが、個人救済することが使命の宗教団体の信仰者が、自分の権力的な立場を利用して、
立場の弱い個人の魂を酷く傷つけ、運命を台無しにしてしまうような真理(神)からかけ離れた行為をしているのに、
そんなに非道な行為であっても「中心帰一」だからと容認してしまうことが、
本当に「生長の家」の信仰者の態度なのだろうか?と疑問に感じるのです。

**最終的には許し和解するのが「生長の家」の教えであり、本人が救われる唯一の道だと思っています。

**でも、今、現在、犯され続けている「非道な行為(真理から外れた行為)」を容認てしまうということが、
本当の「生長の家」の信仰者の取るべき態度なんでしょうか?ということです。

**わたしは、そんなことを、三年間考え続けているのです。
そして、いまだ、答えがみつかりません。。
------------------------------------------------------------------------------------------
三年間考え続けているのに、生長の家で救われたと云う人から答えがないと云うのも寂しいことですね。ご自分が真理とはこういうものだろうと
思うものを心に掴んだものからでは納得がいかない、その例として教団の在り様を挙げているのでしょうか。今現在非道な事が為されていると
貴女が感じているのですよね。貴女は『生命の実相』をひたすら読み続ければ救われると云われました。

私の思うところは、『幸福生活篇』第三章「無碍の大道」p70-p77二行目辺りまでで答えになるのではと思います。
世の中に非道な事があるのでしょうか、されていると思う人は居るでしょうが、生長の家の信徒にして、そのように思うことはさて如何でしょうか。

教団の在り様が正しいと云う立場で言っているのではありません、あくまで真理に生きるとはどのような事かという視点からのものです。

3876a hope:2014/05/02(金) 22:46:33 ID:brQxC10.
>>3875 曳馬野さま

<<私の思うところは、『幸福生活篇』第三章「無碍の大道」p70-p77二行目辺りまでで答えになるのではと思います。>>

とのことでしたので、『幸福生活篇』第三章「無礙の大道」をもう一度拝読してみました。
この箇所はわたしも以前とても感銘を受けていて、赤線をあちこちにひいてあります。

前半部分は「生長の家とは何か」の定義のようなことが書かれていて、
そこのところは以前聖典引用板に謹写させていただきました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2678n-


曳馬野さまが、わたしの「公案」の答えになるだろうとご指摘くださった後半部分は、
p75からですが聖典引用板に謹写させていただきました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2834n-

とても素晴らしい真理が書かれていると思います。

要するに、全ての出来事を幸福であると見なし、すべてに感謝して生きる生き方ですよね。
これこそが、まことの「生長の家」の生き方なのですね。

そして曳馬野さまがおっしゃるように、当事者の内面的な面からみれば
<<真理に生きるとはどのような事か>>ということの答えになるのだと思います。

ですが、わたしの公案は、『真理に生きるとはどのような事か?』ではなくて、
『「生長の家」の信仰者の取るべき態度とはどのようなものか?』なのです。


ですが、曳馬野さまの

<<ご自分が真理とはこういうものだろうと思うものを心に掴んだものからでは納得がいかない、
その例として教団の在り様を挙げているのでしょうか。
今現在非道な事が為されていると貴女が感じているのですよね。
貴女は『生命の実相』をひたすら読み続ければ救われると云われました。>>


というご発言を何度も拝見していて、「はっ」と気が付きました。

要するに、わたしはもう自分で答えを出しているんですよね!

自分の頭で考えるのではなく、ひたすら聖典を拝読して神想観をして『神意』にしたがい行動すること。

それがまことの「生長の家の信仰者の態度」となるのだと思いました。

それに>>3867でトキさまも、

<<基本は”神意”なんでしょうね。>>

とお答えくださっていましたね!


a hopeは、ますます、聖典のお勉強に意欲が湧いてきました。
曳馬野さま、すばらしいご指導をありがとうございます。

合掌。

3877トキ:2014/05/03(土) 18:37:16 ID:EK75HwoA
>>3875

 これは、難しい問題だと思います。

 ただ、一つ言えるのは、本来、谷口雅春先生が説かれた「生長の家」という教えへの帰依
がポイントだったのに、いつの間にか、「生長の家」という組織への忠誠がポイントにすり
かわったしまった現実があります。もちろん、生長の家という教えを広めるためには、組織
は大事な手段です。しかし、手段と目的が入れ違ったら、おかしくなります。

 今回の騒動で、そういう基本的な部分をみんなが考えるようになったら、それも一つの
前進かもしれません。

3878曳馬野:2014/05/03(土) 19:26:32 ID:I/wU8psA
>>3877

>>本来、谷口雅春先生が説かれた「生長の家」という教えへの帰依がポイントだったのに、

教えへの帰依とはどういうことですか、其の為に無碍の大道に書かれている其の儘の真理を引用したのですが。
文句を言っている人は何処で生きて居ましょうとも、引用の真理を実践しているとは言えないと思いますよ。

>>いつの間にか、「生長の家」という組織への忠誠がポイントにすりかわったしまった現実があります。

私の云う文句の一つですね。

3879a hope:2014/05/05(月) 06:46:50 ID:cEpBaIdo
「児童教育に関する神示」

多くの母親は子供のことを余りに取り越し苦労するために、
かえって子供に悪思念を放送して子供の健康や運命を害している。
ある母親は一瞬間でも自分の眼の前にいないと心配でたまらないのである。
彼は自分の想像の中で、躓(つまず)いて転んでいる自分の子供の姿を思い浮かべる。
自動車にひかれかかっている自分の子供の姿を思い浮かべる。
水に陥って溺れかかっている自分の子供の姿を思い浮かべる。
世の母親よ、何故あなたはこの反対をしては可けないのか。
こんな取り越し苦労が起こるのは、
子供を神の子だと思わないで人間の子だと思うからである。
神の子は神が育て、人間の子は人間が育てる。
人間の子だと思うものは終世、取り越し苦労をして育てねばならぬ。
子供を神の子だと思うものは、子供を尊敬して出来るだけその世話をさせてはいただくが、
神が守ってい給うと信ずるがゆえに取り越し苦労は必要はないのでる。
人間力で子供を生かしうると思うなら終日終夜起きて子供の番をしておれ。
それはできなかろう。
できない間に子供を生かしているのは神の力である。

感謝 合掌

3880a hope:2014/05/05(月) 06:48:02 ID:cEpBaIdo

わたしの大切な「生長の家」のみなさま

おはようございます!
今日はこどもの日ですね。

今回のweb誌友会のテキスト第13巻には、最初に「本当の教育についての講演」があります。
これは昭和10年三月十五日に、横浜市浦島小学校講堂で全校生徒保護者たちのために
講演したものの筆記であると最後に述べられています。

拝読してみると、当時はまだ「生長の家」は宗教団体ではなくて『光明思想団体』として活動していたのがわかります。

だから、一公立小学校の全保護者に向けて「生長の家の教育について」講演が可能だったのかもしれませんね。

その後、色々な経緯があって、「生長の家」は宗教団体になりましたが、
そんな経過とともに、もちろん利点もたくさんあったのでしょうが、
発現当初のような自由自在さを失ってしまって、枠にはまってしまってきたような気もします。

本来の教えから言えば、教団信徒で出会っても信徒でなくても、「生長の家の教え」「實相哲学」を学ぶもの、信じる者、継承するものは、
全ての人が生長の家人であり、家族なんですよね。

そう思うと、なんだかとてもうれしいですね!

だって、「生長の家」や「谷口雅春先生」は『生長の家教団』だけのものではないのですから・・・
わたしたち、「生長の家」を愛するものみ〜んなのものですね!

みなさま、今日も素晴らしい一日をお過ごしくださいね!!

3881a hope:2014/05/05(月) 06:51:07 ID:cEpBaIdo
>>3880訂正

教団信徒で出会っても信徒でなくても、→教団信徒であっても信徒でなくても、

3882トキ:2014/05/06(火) 21:25:39 ID:027zaSsg
 戦前は、例えば、生長の家の講習会を比叡山や高野山で開催されていました。
それも数日間に渡り開催されていました。たくさんの受講生が来ていたみたいで
す。同志社と言えば、八重の桜で有名なキリスト教の学校ですが、同志社の講堂
でも講演会がなされていました。それだけ尊敬を集めていたのですね。

3883a hope:2014/05/07(水) 01:03:43 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第13巻 p56 3行目〜

人生の目的とは、要するにこの世に神の生命を顕現することであります。
神がこの世にあらわされた生活を示現することであります。
音楽は音楽家の永遠の生命が、五官に触れる形式であらわされたのであるがごとく、
人生は神の永遠の生命が、五官に触れる形式にあらわれたものでなければならないのです。
完全な意味においては、人間とはひっきょう「神人」でなければならないし、
人生とはひっきょう「神生」でなければならないのであります。

「神」なる「永遠の価値者」と諧和(かいわ)した生活であってこそ、
その人の人生が永遠価値あるものとなるのであります。
「生長の家倫理学」とは要するに、「人生に永遠価値を生きる生活の指導学」ということになるのであります。
それは神の生命がこの世に顕現する道の指導学、神なる「永遠の価値者」を
正しく人生に投映する生活はいかにすべきかの指導精神の解明となるのであります。

3884a hope:2014/05/07(水) 01:06:10 ID:cEpBaIdo

>>3883 a hope所感)

思い返せば、わたしは今までいろんなことを考えながら、疑問に思いながら生きてきました。

「何のために生まれてきたの?」
「なぜ、この両親の子どもなの?」
「なぜわたしは日本人なの?」
「何のために勉強するの?」
「何のために仕事をするの?」
「どうして、人を好きになるの?」
「どうして思いどおりにいかないの?」
「何のために結婚して、子供を生んで、育てるの?」
「いったい本当の幸せってなに?」・・・

そんなことをいつも考えながら、心の中で葛藤しながら、
「人間として生まれて来ちゃったんだから、とりあえずは人並みなことをして生きて行かなくては・・・」
と思って、それなりに人並みなことをして生きてきました。

ですが、聖典「生命の實相」に出会い、わたしは本当に幸せでした。
だってそれを拝読していると、今までのわたしの人生に対するすべての疑問がするすると解決していってしまうのですから・・・。

<<人生の目的とは、要するにこの世に神の生命を顕現することであります。
神がこの世にあらわされた生活を示現することであります。>>

うーん、まだまだ、わたしの私生活は、『神がこの世にあらわされた生活』とはとてもいえませんが、(;´∀`)
人生の目的が明らかになった今、わたしの心はとても落ち着いています。

文中にもありますが、この 倫理篇の『永遠価値の生活学』とは、いい換えると「生長の家倫理学』です。

「倫理」とは、webで調べると、

――――――――

りん‐り 【倫理】

1 人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。「―にもとる行為」「―観」「政治―」
2 「倫理学」の略。

――――――――

とありました。

ということは、この篇をきちんと理解すれば、
どのように行動することが「生長の家」人として守り行うべき道なのかがわかるのだと思います。

とても難しそうですが、ゆっくり、丁寧にお勉強を進めたいと思います。
みなさま、ご参加、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

3885a hope:2014/05/07(水) 10:08:43 ID:cEpBaIdo
>>3882 トキさま

生長の家の30年史、40年史なんかにある昔の写真を拝見しますと当時の生長の家がどれだけ勢いがあり、
人々に必要にされていたかがわかります。

「生長の家」教えはむずかしいですが、その真理をちゃんと悟っている雅春先生や、
その他の講師の先生が講演会などでお話になると内容はしっかり理解できなくても、
その波動が人々に伝わり元気になったり、運命が好転したりすることが多々あったのではないかと思います。
だからこそ、人々が集まったのですよね!

「訊け」管理人さまが今、UPしてくださっている榎本恵吾先生のご講話を拝聴していると、
それぞれ講演会のテーマはあるのですが、どのテーマであっても、
同じ真理「実相独在」のみをず〜と繰返しお話されているような印象をもちます。
だからこそ、その説得力がすごいんですよね!

本当に、どんな罪を犯していると自責している人であっても、恵吾先生の講演を聞いたりご指導を受けたりすると、
「歓んでいいんだ、こんなわたしでも、歓んでいいんだ!」心がどんどん軽くなり救われたのだと思います。

「生長の家の運動」は、この「実相独在の悟り」があって初めて成立するものなのではないでしょうか?

中心に「生命の實相」のない運動は人々の心に響かず、なんの影響力ももたないと思います。

3886a hope:2014/05/08(木) 00:11:05 ID:cEpBaIdo
(a hope まとめ)

「生命の實相」第13巻 p56〜63

『古来からの人間の世界観』

○唯物的世界観 とは・・・
この世界は物質と物質の偶然的集合によって成り立つ存在であり、われわれを進歩に導いていく目的意志とか統一知性とかを認めない世界観

(結果)→ 人生に意義はなく、永遠価値もないので、無目的な、生き甲斐の無い、暗中模索的な生活になる(自暴自棄なデカダン生活)


○唯心的世界観(4種類)

① 多元的唯心論(多元的世界観)とは・・・
宇宙のいろいろの神を認めて、おのおのの神が、おのおのの目的意志をもって、おのおのバラバラに世界の各部各部を支配しているという世界観

(結果)→ 宗教争いが起こる


②二元的唯心論(二元的世界観)とは ・・・
世界を支配している「心的存在」に、悪魔と神、悪と善との二大潮流がある事を認め、それが対立していると認める世界観
(現今の多くのキリスト教信者の抱く世界観)

(結果)→ 悪は戦って克服しなければならないとか、人間は苦しむことが必要で、苦痛により進化する、などという自己虐待のような病的人生観が生まれる


③一元的唯心世界観とは・・・
二つ以上の相争う意思がなく、世界全体が一つの心に支配されている、という調和ある世界観
(生長の家の唯神実相哲学、万教帰一の教え  一神展開して多神を生ずる日本神道の世界観)

(結果)→ 実相世界の顕現、地上天国の実現


④不完全な一元的唯心世界観 ・・・
「一個の天地を貫く力」は認めるが、それは「盲目的意志」でありとするショーペンハウエルのような世界観

(結果)→ 不完全な世界の成立を予想するため、「念の具象化する法則」によりその人の人生観が厭世的になり、現実生活が不幸になり、病気や貧困が具象化する


↑ 間違いがあれば、ご指摘、ご指導をよろしくお願いいたします。

3887a hope:2014/05/08(木) 00:14:37 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第13巻 p59 後ろから3行目〜

何宗の信者でも、本当の生命を把(塚)んでいる人の宗教は生きているし、同じ名前の宗教でも、形骸や名称だけを摑んで、本源真実の生命を摑んでいない人の宗教は、死んでいるのであります。そこで松の木やいろいろの樹木がある、何々教の神やいろいろの神がある、それが離れ離れに勝手にほしいままに生きており、勢力を主張している――こういうように観るのが多元的唯心論でありまして、一つの生命と他の生命とが勢力を争い、一つの宗教と他の宗教とが勢力を争っているのであります。世界を支配する「心的支配者」はみとめるが、その「心的支配者」が複数であって一つに統一されなていないのであります。それを一つに統一する本源真実の生命を認め、松の木も梅の木も同時に認めながら、キリスト教も神道諸派も仏教諸宗も同時に認めながら、それを生かしている一つの本源真実の生命を認めしめるのが「生長の家」であります。


(a hope 所感)

<<何宗の信者でも、本当の生命を把(つか)んでいる人の宗教は生きているし、同じ名前の宗教でも、形骸や名称だけを摑んで、本源真実の生命を摑んでいない人の宗教は、死んでいるのであります。>>

「本当の生命」、「本源真実の生命」とは明らかに「生命の實相」のことですね。
いい換えると、

<<生長の家の信徒でも、「生命の實相」を把んでいる人の宗教は生きているし、同じ「生長の家」という名前の宗教でも、その形骸や名称だけを摑んでいる人の宗教は、死んでいる>>

となりますね。

雅春先生の言葉(神さま)のお言葉ですが、なんか、とってもシビアな批評に感じてしまうのはわたしだけでしょうか・・・?

3889a hope:2014/05/08(木) 09:48:14 ID:cEpBaIdo
>>

3890a hope:2014/05/08(木) 09:51:46 ID:cEpBaIdo
>>3887 訂正

把(塚)んでいる人→把(つか)んでいる人
雅春先生の言葉(神さま)のお言葉ですが、→雅春先生(神さま)のお言葉ですが、

誤字等多くすみません。気を付けます。

3891a hope:2014/05/08(木) 22:40:44 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第13巻 p62 2行目〜

こういうふうな多元的唯心世界観や、神や悪魔との対立する二元的唯心世界観は、世界を支配する意志が複数にあって、それらが互いに和協統一していないことを認めるのでありますから、かかる世界観を抱く人々は「われ欲する」と「彼欲する」との間に矛盾衝突があることを想定し、その矛盾衝突を克服してゆくためには苦痛困難の来ることを予想し、予想するものは皆来るの「心の法則」によって、彼の人生には苦痛困難が具象化してくるのであります。

だから世界観や人生観などは、哲学者のもてあそぶ閑人の閑事業で、忙しいわれわれにはなんの用事もないと思っていられますと大変なまちがいでありまして、遮二無二多忙に立ち働いたからとて、その人の人生が必ずしも幸福になるものではなく、正しい世界観、人生観が確立していなければかえって苦難を呼び迎えるような働き方にもなりますので、することなすこと不幸な結果を招くようになる人々は、必ずやその人の世界観人生観が正しくないからでありますから、まず世界観人生観の方向転換をしておいて働き出すということにすれば、その人の働きが幸福を現実に持ち来すような結果になるのであります。

いくら走っても方向がまちがっていては目的地に達しないのと同じように、働くばかりが目的を達するゆえんではない、まず世界観人生観の方向転換が緊急事なのであります。

3892a hope:2014/05/08(木) 22:45:08 ID:cEpBaIdo
(a hope所感)

<<いくら走っても方向がまちがっていては目的地に達しないのと同じように、
働くばかりが目的を達するゆえんではない、まず世界観人生観の方向転換が緊急事なのであります。>>

雅春先生は、世界観人生観の方向転換が緊急事だとおっしゃっています。

「生長の家」の運動であっても、この世界観、つまりは立ち位置を間違ってしまうと、
世界暗黒化運動となってしまうのだと思います。

現象世界での運動にしても、わたしたち「生長の家」人は常に実相世界の完全円満さを信じながら、
愛念をもって行動しなければいけないのだと思います。

「地区会員」板 >1197のトキさまのお話では、最近の生長の家は「このままでは地球は滅びる」と言っているそうですが本当ですか?

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1345969132/1197


わたしも訊商業さま同様、「地球が滅びるはずがない」と信じています。

「生長の家」の信徒がそんな恐ろしいことを予想して、その対応のために環境保護運動をしていたら、
それは光明化運動ではなくて、世界暗黒化運動になってしまいます。

「生長の家」の教えを信仰していれば、常に「美しくて優しい地球」に感謝しているはずですから、
そのままで、無理なく地球環境にさやしい生活が実現していくのだと思います。

「生長の家」教団のする環境保護の運動は、現象の悲惨さに対応していくような運動ではなくて、
「美しくて優しい地球」への感謝を中心とした信徒の自発的な運動であってほしいです。

3893トキ:2014/05/09(金) 10:04:07 ID:2noOJG2s
a hope様

 ご投稿、ありがとうございます。

 最近の生長の家が好きなのは、国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)
第2作業部会の最新報告書です。この報告書は、このままでは、今世紀末までに世界
全体で年鑑最大148兆円の損失が世界規模で起こるとかで、他にも、これでもか、
これでもか、という恐ろしい内容が書いてあります。総裁御自身は「地球が滅びる」
という表現は使われていないですが、このようなご指導を受けた幹部は、「地球が
滅びる」という表現をしている人が複数おられます。

3894a hope:2014/05/09(金) 11:16:05 ID:cEpBaIdo
>>3893 トキさま

そうなのですか!
そんな恐ろしい内容なのですか!!

テキストのp63の後ろから6行目〜

『だから、われらの把持する世界観人生観は、それは世界の支配者が唯心的一元であるというだけでは、
健全なというはできないのでありまして、その唯心的一元が、無限に完全な知恵と愛と能力と調和を備えている
大知恵大愛大能力者なる神であって、世界はこの無限に完全なる神によって支配され動かされているゆえに、
不完全のありようはないという「生長の家」式唯神実相世界観になってこなければ健全な世界観にならないのであります。』

と書いてありますよ!!!


<<総裁御自身は「地球が滅びる」という表現は使われていないですが、
このようなご指導を受けた幹部は、「地球が滅びる」という表現をしている人が複数おられます。 >>

雅宣総裁は、この『「生長の家」式唯神実相世界観』を理解されていないはずがありませんから、
「地球が滅びる」という表現は、口がさけてもされないと思います。
その報告書は、あくまでも、資料の一部として啓示されただけなのではないでしょうか?

となると、雅宣総裁のご指導を、幹部の方々が間違って理解されている可能性がありますね。

でも、「生長の家」幹部の方でしたら、「聖典」をちゃんとお勉強されているはずですから、
「念の具象化する法則」を知らないはずはありませんのに、どうしてそのような発言をされるのでしょう・・・。

『世界はこの無限に完全なる神によって支配され動かされているゆえに、
不完全のありようはないという「生長の家」式唯神実相世界観になってこなければ健全な世界観にならないのであります。』

教団は、現象の暗黒面を見て環境運動に取り組むことをやめて、この「生長の家」式唯神実相世界観に立って運動しなければ、
まことの生長の家の運動とは言えませんよね。

それにトキさまや訊商業さまも危惧されていますが、わたしもそのような指導の仕方は、一宗教の指導としても健全であるとは思いません。

3895a hope:2014/05/09(金) 11:47:43 ID:cEpBaIdo
>>3894 訂正

資料の一部として【啓示】 → 、資料の一部として【掲示】

3896トキ:2014/05/10(土) 20:14:00 ID:ZEoPpauM
 以前、聞いた話ですが、ブラジルなどは、移民された一世の方は、日本の仏教や神道を
信仰するが、二世や三世になると、キリスト教を信仰する人が多く、従来は、家庭内で
信仰の争いが起きていたみたいです。しかし、生長の家の信仰が広まると、仏教でも神道
でもキリスト教でも実は同じであることがわかり、家庭内が円満になったという話を聞き
ました。

 さらに言うと、キリスト教でも、現在のキリスト教と過去のキリストが説いた教えとの
間に齟齬があるのはわかっています。有名な死海文書などがそうですが、過去の文献が
最近、次々と発見され、当時のキリストの教えがわかってきました。それを見ると、実は
谷口雅春先生が説かれている教えとほぼ同じみたいな感想を持っています。

 親鸞上人について、これは出典の本を失念したのですが、最近、親鸞上人の蔵書を調べて
いると、「景教」の文献があったそうです。これは、中国に伝わったキリスト教の事です。

 これらの事を総合すると、谷口雅春先生の説かれた事は、歴史的にも、また現在の世界
情勢にも適合すると考えています。

3897曳馬野:2014/05/11(日) 10:09:28 ID:I/wU8psA
a hopeさん

●『世界はこの無限に完全なる神によって支配され動かされているゆえに、
 不完全のありようはないという「生長の家」式唯神実相世界観になってこなければ健全な世界観にならないのであります。』

●教団は、現象の暗黒面を見て環境運動に取り組むことをやめて、この「生長の家」式唯神実相世界観に立って運動しなければ、
 まことの生長の家の運動とは言えませんよね。

○【教団は、現象の暗黒面を見て環境運動に取り組むことをやめて】と思うことが
 【不完全のありようはないという「生長の家」式唯神実相世界観】で見ていることになるのですか?

○ イタイイタイ病、足尾銅山鉱毒事件、水俣病、カネミ油症事件、四日市公害、貴女がこれらの地域で関係被害者であったとしまして、
  【不完全のありようはないという「生長の家」式唯神実相世界観】に立つとは、どのように生きていきますか?

3898a hope:2014/05/11(日) 11:27:49 ID:cEpBaIdo
>>3897 曳馬野さま

素晴らしい問いかけをありがとうございます。合掌。

わたしは現在、「生長の家」の「唯神実相哲学」をまさにお勉強中の身ですから、
曳馬野さまのようなご質問があると、さらに深く考える事ができるのでほんとうにありがたいです。

今、現在のわたしの思うことを素直にお答えしたいと思います。

○【教団は、現象の暗黒面を見て環境運動に取り組むことをやめて】と思うことが
 【不完全のありようはないという「生長の家」式唯神実相世界観】で見ていることになるのですか?

( a hope 答え) 
はい そのつもりです。

○ イタイイタイ病、足尾銅山鉱毒事件、水俣病、カネミ油症事件、四日市公害、貴女がこれらの地域で関係被害者であったとしまして、
  【不完全のありようはないという「生長の家」式唯神実相世界観】に立つとは、どのように生きていきますか?

(a hope 答え) 
どんな現状であっても、全てに感謝して生きていけたらいいなと思います。
ですが、実際に公害被害に遭われた方々は本当にお気の毒だと感じます。
本当の「生長の家」の教えを伝道して救ってあげたいと思います。

3899曳馬野:2014/05/11(日) 13:06:58 ID:I/wU8psA

a hopeさん

【現象の暗黒面を見て環境運動に取り組むこと】をしたことにより、タイイタイ病、足尾銅山鉱毒事件、水俣病、四日市公害、とうの
原因が企業の垂れ流しにあったことが分かり、昭和45年ごろの水質汚濁防止法、大気汚濁防止法やらの公害防止になったのです。

(a hope 答え) 
どんな現状であっても、全てに感謝して生きていけたらいいなと思います。ですが、実際に公害被害に遭われた方々は本当にお気の毒だと感じます。
本当の「生長の家」の教えを伝道して救ってあげたいと思います。

この答えですと、垂れ流しの企業の生き方と、被害にあった人の生き方の両方についてのものになっていないように思いますが如何ですか。
無限の繁栄の裏側に、犠牲になった人がいた。その人たちを真理を伝えることにより救うとはどのようなことですか?
【どんな現状であっても、全てに感謝して生きていけたらいいなと思います】ということですと企業の責任は問わずと聞こえるのですが。

これを教団の在り様を虚説に基づくとして非難する事により、生長の家の環境をきれいにしようとする事の整合性が分かりません。

3900a hope:2014/05/11(日) 14:19:32 ID:cEpBaIdo

>>3899 曳馬野さま


<<この答えですと、垂れ流しの企業の生き方と、被害にあった人の生き方の両方についてのものになっていないように思いますが如何ですか。
無限の繁栄の裏側に、犠牲になった人がいた。その人たちを真理を伝えることにより救うとはどのようなことですか?>>

「生長の家」の教えでは、『現象は本来ない』『現象は影である』ですから、
その真理から言えば、現象世界における無限の繁栄など影であり、犠牲になった人などもいないということになります。

本来、実相(神)しかないわけですから、その実相(神)の心が呼び起されれば、現象(影の世界)も変わるのだと思います。

その真理をお伝して、人々を救済するのが「生長の家」の使命なのだと思うのです。



<<【どんな現状であっても、全てに感謝して生きていけたらいいなと思います】ということですと企業の責任は問わずと聞こえるのですが。>>

わたしは、あくまでも、「生長の家」の「生長の家」式唯神実相世界観の立場から考えて発言しています。

現象世界の企業の責任問題を追及するのは、「生長の家」の役割(使命)なのでしょうか?


<<これを教団の在り様を虚説に基づくとして非難する事により、生長の家の環境をきれいにしようとする事の整合性が分かりません。>>


ですから、もし、経団の考え方(在り様)が現象人間の環境を破壊した罪を認めてしまっていて、
その償い(対策)として環境保護運動をしているのであれば、それは物質(破壊された環境)も、人間の罪も認めた運動ということになってしまいます。

「生長の家」の教えは「物質なし」「罪なし」が教義の基本です。

だから、わたしは、もし、現教団が上記のようなお考え(立ち位置)で環境保護運動をされているのであれば、
それは、「生長の家」の教えからみれば間違った運動方針(虚説?)なのではないかと感じてしまうのです。

誤解して欲しくないのは、わたし自身は「環境保護運動」には大賛成なのです。

問題は、それが「生長の家」式唯神実相世界観の立場からのものでないといけないのではないかと思っているのです。

曳馬野さま、これがは今のわたしにできる精一杯のお答えです。
わたしは、完全に「生長の家の唯神実相」を悟ったわけではないので、これ以上のお返事は無理だと思います。

ご理解いただけるとうれしいです。

また、こちらをご覧のみなさま、ご意見をいただけるとさらにお勉強になると思います。

よろしくお願いいたします。

感謝 合掌。

3901曳馬野:2014/05/11(日) 17:07:31 ID:I/wU8psA


●「生長の家」の教えでは、『現象は本来ない』『現象は影である』ですから、
 その真理から言えば、現象世界における無限の繁栄など影であり、犠牲になった人などもいないということになります。

○実相はまことに無相なり。真に甚大久遠なり。これを夢想という。実に月潭底を穿って水に迹なし、昔ながらに。看よ看よ。
 有りと見て無きは常なり水の月。無しと見て有るは常なり水の月。全く 夢の世を夢の世じゃとて怨にすな、夢の世ばかり己が世なれば

と云った人がいます。

●現象世界の企業の責任問題を追及するのは、「生長の家」の役割(使命)なのでしょうか?
 物質(破壊された環境)も、人間の罪も認めた運動ということになってしまいます。

○みんながみな環境を支配できる心の持ち主ではないので、政治という形で環境を整備する必要があるとは、生命の実相の一巻にある言葉
 ではないですか。環境が破壊されたと思うことと、病気で困ると思うことは実相を観ないことによる、として見方を変えてもらい、その結果
 環境を望ましいものに変えることが、生長の家の本義という事でしょうか。環境破壊が人間によって為された時、そこに罪有として憎みとか、
 怒りの心を持つのでなく、過っての公害が罪の意識失くして、知らずして起こされた罪は重いと云うものとして、その解消をしていくことが
 必要ではないですか。

病人が居なければ病気治しはいらない、環境が東洋の神秘と云われた昔の日本であれば、環境運動もいらない、経済優先で環境破壊をする人が
居なければ、今の運動もいらない。
【本来、実相(神)しかないわけですから、その実相(神)の心が呼び起されれば、現象(影の世界)も変わるのだと思います。】
と云われるその心を忘れ、儲け主義に走っている結果の環境破壊ではありませんか。

精神疾患の人が増え、子供を産むことさえできなくて少子化という。人間個人の心も、環境を動かす心も二つあるものでないと思うのです。
個人の心が正常に働くことと、環境を美しく維持していく心とは、同じではないでしょうか。そういうことで、個人救済を主にする本流もよし、
環境と云うより大きにものに、心を向うことにより個に執着する心を離れる教団もよし、其処にいがみ合いの心を持ち込むことがいけないのでは
ないですか。誠の心を生かしさえすれば生きる様子はどの様でも好いのでは。

こたえは結構ですよ、私の独り言、つぶやきです。  ごきげんよう ahopeさん

3902a hope:2014/05/11(日) 18:01:18 ID:brQxC10.
「生命の實相」第13巻 p64、65

物質の法則は神の法則か

(まとめ)

○「『物質の法則』も『愛の法則』も神の法則である」とする考え方
※物質の法則・・・ 神は物質世界も創造したとの考え方(物質ありの考え方)

(結果)→『物質の法則』は『愛の法則』に打ち勝つので、地上には天国も理想世界もない、ただ薄情な、巧者に物質の法則を立ち回るものが勝利を得るという不合理な世界になってしまう

(例)
1、溺れている子を助けるという愛の行為をした人が肺炎にかかって死ぬ
2、肺病を看護した人が、肺病に伝染して自分が先に死ぬ


○「物質の法則は本来無い、『愛の法則』のみが神の法則である」とする考え方
※物質の法則は神の法則ではなく『念の具象化の法則』である

(結果)→ 愛の行為が人間を肺炎にしたり結核にしたりするようなことは断じてない、という自覚に到達し、まっしぐらに愛行の中に飛び込める

(例)
1、寒中、水中に飛び込めば風邪を引くと思う人は風邪を引き、そういう『念』をもたない人は風邪を引かない
2、結核菌にふれると肺病になるという『念』をもっている人は肺病になるが、そういう『念』をもたない人は結核菌に触れても一向に病気にならない

3903a hope:2014/05/11(日) 18:03:00 ID:cEpBaIdo
>>3902 a hope所感)

この「物質の法則は本来無い、『愛の法則』のみが神の法則である」とわたしがテキスト内の文章をまとめた言葉は、
即ち「生長の家」式唯神実相世界観と同義になるのだと思います。

曳馬野さまの>>3901の「おひとりごと」にはお返事を控えさせていただきますが、
この世界観が人類に確立されれば、たとえ、公害にあっても発病しなくなるでしょうし、
発病した人も治癒するでしょうし、それ以前に公害すらも起らない、自然破壊すらも起らない、
という理想世界が実現するのだと思います。

「生長の家」の人類光明化運動とは、この「生長の家」式唯神実相世界観を人々に知らしめることなのではないでしょうか?
そうとしか、今のわたしには考えらませんが・・・。


雅春先生この唯神実相をまことに悟られていて、その世界観から現象世界を見つめられました。
だから、現象世界の運動をされてもそこに何の矛盾も生じなかったのだと思います。

雅春先生のいらっしゃらない今、わたしたちがすべきことは、まずは聖典「生命の實相」を真剣にお勉強してその世界観に立つことだと思うのです。

すべての「生長の家」の運動は、そこから出発しないと本物ではないような気がしています。

3904トキ:2014/05/12(月) 01:02:16 ID:Ug6wWcqQ
>>3903

a hope様

 私もご意見に賛成です。と、言うよりも、現実にやってみて、どちらの考え方が成果を
出しているか、明白だと思います。

3905a hope:2014/05/13(火) 07:47:36 ID:cEpBaIdo
>>3904 トキさま

賛成コメントをありがとうございます。 合掌。


みなさま おはようございます。

今、わたしはテキストである「生命の實相」第13巻のp66〜76を何度も拝読しなおしています。

そこには、「生長の家」式唯神実相的世界観とはどういう世界観なのかが、とても詳しく述べられているのですが、
その真理は余りにも深く、究極的で、超人的な内容なのでa hopeはどう所感をのべていいのかわからないのです。

また、わたしが適当な言葉でまとめてしまうことにとても抵抗を感じるので、
時間がかかるかもしれませんが、聖典引用板に前文謹写させていただきたいと思います。


感謝 合掌。

3906a hope:2014/05/13(火) 22:29:21 ID:cEpBaIdo

テキスト第13巻 p66〜67

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2841

(a hope 赤線部分)

『ところが、われわれが外界にも生きて行く上に「善」を※云為(うんい)し、魂が一種の善(ただ)しさを要求し、
「善」とか、「人道」とか、「愛」とか、「※憐憫」とかいうものに関心をもたずにいられないというのは、
自己の存在の根底において、われわれは内界において自由であるとともに、
外界においても自由であるとの根本自覚をもっているからであります。』

※云為・・・言ったり、したりすること。言葉と動作。
※憐憫・・・いとしく思って憐れむこと。


『われわれはいっさいのものを外界をも完全に支配する自由を与えられているのであります。』


『だから、人の世に内外両面、主客相(あい)貫いた「善」というものの価値と権威を確立するには、
心の自由は同時に行為の自由であり、心に描かれたことは必ず客観世界にも実現する、
心の世界と客観世界とはただ一つのものの両面である――客観世界は心の世界の影であるという、
「生長の家」の※所説に基づいてこなければならない。
※倫理学は要するに、「生長の家」に来なければ主客両面、内外相(あい)貫いた
その本当の根拠がつかめないということになるのであります。』

※所説・・・主張している事柄。述べている意見。
※倫理学・・・善悪の標準や行為・欲求の規範など道徳一般を研究する学問。

(※は頭注より)

3907a hope:2014/05/14(水) 22:12:29 ID:cEpBaIdo

テキスト第13巻p67〜71

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2844

(a hope 赤線部分)

『唯一の「善」は神のみである。
ということであります。「善(グッド)」は「神(ゴッド)」の別名なのであります。
「神」のいます処、そこに、「善」があり、「神」のいまさない処、そこに「善」がないということになるのであります。』

『自と他と、我と彼と、心と物と相離れているように見えますけれども、実は相離れているのではない、
本来、自他一体なのであります。神を愛するには、神と、神より出でたるものすべてを愛さなければならない。』

『「神は愛である」とは、『ヨハネ第一書』以来今日にいたるまで、神について下された最も要領を得た定義であります。
では愛とは?「おのれのごとく隣人を愛すべし」何故(なにゆえ)であるか。
答えて曰く、神はすべての親であるから、自己と他とは一体であるから、その答えは大いによろしい。
自他包容の渾一体(こんいったい)――すなわち「自他一体」そのものが神なのであります。
自他一体を生きるということが神を生きるということ、神をこの世に顕現することであります。』

『自他一体を生きることが神を生きることになるのでありますから、軽くいえば自己のごとく他を愛する。
いっそう切実にいえば自己そのものとして他を愛することが、神を生きることになるのでありまして、
「神を生きる」すなわち永遠価値の生活を生きることは「愛」を生きることにほかならないのであります。 』



(a hope所感・・・少しだけ)

これが「生長の家の愛」すなわち「自他一体の自覚」ですね。

<<神を愛するには、神と、神より出でたるものすべてを愛さなければならない。>>
<<自己そのものとして他を愛することが、神を生きることになるのでありまして、
「神を生きる」すなわち永遠価値の生活を生きることは「愛」を生きることにほかならないのであります。>>


これこそ、まことの「実相礼拝」なのではないかと思いました。
それにしても、すごい真理ですね!!

3908a hope:2014/05/15(木) 10:23:17 ID:cEpBaIdo
みなさま おはようございます!

最近、yahoo検索で「中絶」と検索すると、大熊先生の「いのちを守る親の会」の公式ブログが第1ページに表示されます。
そこで表示されるのは、「胎児を殺さないで」というメッセージのついた、衝撃的な中絶画像です。
わたし自身は、そのショッキングな写真の数々を、正視することはできません。

そして、正直に言えば、いくら「ちいさな命を守る」ためだとはいえあのような画像を一般に公開して、
妊婦に罪の意識を起こさせるようなやり方が本当に光明化運動につながるのであろうか・・・と疑問に思っていました。

ですが、今日の同じブログの記事を拝見して大熊先生の本意をやっと理解できました。

http://blogs.yahoo.co.jp/inoti333mamoru777/MYBLOG/yblog.html

大熊先生の「ちいさな命を守る運動」が「赤ちゃんを殺さないで」運動ではなく、
「お母さん産んでくれてありがとう」運動であるのは、それがまことの「光明思想」から生まれたの運動だからなんですね!


大熊先生は、日本国内で年間100万といわれるいう胎児が中絶されているという現実に慈悲の心を起こされて立ち上がられました。
そして、「生長の家の愛」「自他一体の自覚」に立たれて、それこそ、命がけで「ちいさな命を守る」運動をされています。

これは、谷口雅春先生が、人類光明化運動に立ち上がれた時とソックリです。


わたしは大熊先生はまことに「唯神実相」を悟られているのだと確信しています。
こちらの大熊先生のブログを拝見すると、人類光明化への情熱が伝わってきてパワーをもらえますよ!


http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/folder/172638.html

3909a hope:2014/05/15(木) 20:41:53 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第13巻 p71〜72

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2846

(a hope 赤線部分)

<<「神は愛なり」とは、神は万物の本源でありますから、「神はすべてのものを自己そのものとして観給う」
――これが「神は愛なり」という意義であります。>>


<<「われわが子を愛す」といえば、「われそのものとして観る」ということであります。
子を愛する母は、わが子の噛んだものを口移しに食べても「穢(きたな)い」と感じない、
それはわが子をわれそのものとして観るからであります。
「穢い」などという感じ、すべての軽蔑の感じは自と他と相疎隔した感じによって起るのであります。>>

<<「美とはそこに生命があらわれていることである」と『智慧の言葉』にありますが、
ある種の美術はちょっと見るとどこが美しいのかわからない、
じっと見ていると美しさがわかってくる、それはその美術に顕れている「生命」を見いだし、
その「生命」を自分の「生命」と同じものとして感じる、
すなわち自他一体の感じを受けるから「美しい」と感ずるのであります。
だから「美」も「愛」も「生長の家」から観れば同じことでありまして、
自己と同じ生命を見出すとき、そこに美を感じ愛を観ずるのであります。 >>

3910トキ:2014/05/15(木) 22:15:39 ID:5KIvbXvk
>>3905

 ありがとうございます。続きを楽しみにしております。

3911a hope:2014/05/16(金) 10:29:13 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第13巻 p73〜76

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2849n-

(a hope 赤線部分)

<<では「神を愛する」とはなんであるかと申しますと、
「愛する」とは自己と一体として認めることであるという一般定義に従いますと、
「神を愛する」とは神と一体であると認めることをもって第一とするのであります。

妻を愛するとは妻と一体であると認めること、子を愛するとは子と一体であると認めること、
隣人を愛するとは隣人と一体であると認めること、この「一体であると認める」すなわち愛するということが第一であって
いろいろの律法――「殺すなかれ」とか、「盗むなかれ」とか「姦淫するなかれ」とか、「偽りの誓いを立つるなかれ」
とかいういろいろの外形的な細目は、「神と一体であると認める」(すなわち「神を愛する」)という中心自覚とがととのえば
自然にととのってくることなのであります。>>


(a hope 所感t)

ここに、「中心自覚」という言葉がでてきました。
また、後半部分には「中心善」という言葉も出てきます。

この二つのことばは a hopeの解釈ではほぼ同義になると思いますが、
要するに、「中心自覚がととのえば、おのずと中心善もととのう」ということなのだと思います。
その説明が、上の抜粋分に詳しくされていますね。

『いろいろの律法――「殺すなかれ」とか、「盗むなかれ」とか「姦淫するなかれ」とか、「偽りの誓いを立つるなかれ」
とかいういろいろの外形的な細目は、「神と一体であると認める」(すなわち「神を愛する」)という中心自覚とがととのえば
自然にととのってくることなのであります。』

生長の家の教えでは「罪なし」「悪なし」ですから「生長の家」を信仰しているものが、
「罪」や「悪」を認めてしまえば「生長の家」からみれば、それが「虚説」となるのだと思います。

わたしたち、「生長の家」人には、そんな人々の罪を認め、罰するような考え方や法律は全く必要ありませんね。

だって、すべての善き行い(善)は『「神と一体であると認める」(すなわち「神を愛する」)という中心自覚とがととのえば
自然にととのってくる』わけですから・・・

そして、これが、人類光明化運動の基本なんだと思います。

ほんとうにありがたい教えだと思います。
a hopeは、この「生長の家の教え」に出会えたことに、いつも、心から感謝しています。

合掌。

3912a hope:2014/05/16(金) 23:16:10 ID:cEpBaIdo

みなさま こんばんは。

a hopeは、今夜からテキスト13巻の第二章に進みたいと思います。

第一章では、「人間の世界観」、「念の具象化の法則」、「自他一体の真理」等を勉強することで、
「生長の家」式唯神実相世界観がどのようなものなのであるかをよく理解できました。

この後の二章から五章までは、主に「神性隠蔽」について書かれているようです。

見方を変えれば「神性隠蔽」とは、第一章で学んできた「生長の家」式唯神実相世界観に立つことを阻害するような考え方、見解であるともいえると思います。

それはいったいどのような考え方、見解であるのかということが、第一の神性隠蔽、第二の神性隠蔽、第三の神性隠蔽、第四の神性隠蔽、
というように、このテキストに順を追って詳しく説明されています。

第五章「実相を隠蔽する驕慢と自卑」の冒頭に、二章から四章までの内容のまとめ的な文章があるので、
まず最初にその個所を聖典引用板に謹写させていただきました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2854

みなさま、a hopeは名前の通りほんとにアホみたいな普通の主婦なんですが、「生命の實相」が大好きなんです。
だから、ここで「生命の實相」をお勉強させていただけるのはとても幸せなのですが、なんか、みなさまの反応が少ないのが少々気になります。

それに、a hopeの「生長の家」というか、「生命の實相」信仰歴はまだ4年目に入ったばかりです。
だから、まとめ方や所感、解釈等におかしなところもあるのではないかと思うのです。
ですから、間違いがあればぜひ、ご指摘、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。


ところで、今回のこのテキスト13巻14巻には、今の「生長の家」全体の問題を解決する重要な内容がいくつも含まれているような気がします。

わたしたち信徒がこの「生命の實相」のお勉強がおろそかにしているから、現在の「生長の家」がこのような有様になってしまったのだと思うのです。


テキスト p125

『「自他一体」の事実が悟れないゆえに、利己主義が生じ、利己主義が、「物あり」という迷いと混合して、
貪欲、怒り、憎み、嫉妬、虚栄などの諸罪を構成するのであります。』


みなさま、このテキストをお勉強してこの「自他一体」の事実を悟れば、全ての悪感情はなくなるようですね。

そうすれば、病気が治ったり、家計が楽になったり、商売がうまくいったり、人間関係が改善されたり・・・と、
かつての生長の家で奇蹟と呼ばれたようなことが必ず起こると思います。
(でも、本当は当たり前【本来の姿】に戻ることなんですよね!)

みなさま、a hopeと一緒に、ここで聖典「生命の實相」をお勉強して奇蹟を起こしていきましょう!!

3914a hope:2014/05/17(土) 21:47:59 ID:brQxC10.
(a hope まとめ)p77〜

第一の神性隠蔽 とは・・・「神我一体」の実相を包んで見ざること  

【第一の神性隠蔽についての仏教的見解】
「浄土は毀(やぶ)れざるに、しかも衆(ひとびと)は焼け尽きて憂怖(うふ)諸々(もろもろ)の苦悩のことごとく充満せりと見る」(『法華経』「寿量品」)

【第一の神性隠蔽についてのキリスト教的見解】
実相の天地はすでに造られ、山野の果樹野菜はすでに繁茂し、すでに実相の人間は神の像(すがた)として完全に造られたるに(『創世記』第一章)
国土にはなお植物生ぜず、人間造られず、やがて人間は土の塵にて不完全に造られ、蛇の知恵に騙され、エデンの園を追い出され、労苦して、本来土の塵(ちり)に帰す(『創世記』第二章) アダムの原罪

【第一の神性隠蔽についての生長の家の万教帰一的見解】
「実相人間」から「仮相人間」への墜落、「本物の人間」から「ニセ物の人間」への墜落。
「実相人間」は本来、壊せず、毀(やぶ)れず、墜落せず、今も実相常楽の国土に、悠々歓びの創造を続けているにもかかわらず、夢のごとく、幻のごとく、物質の人間ありと観、土の塵にて造られたる人間ありと観ている。
だから、『法華経』と『創世記』は同じことが書いてある。


○実相の国土(「神の国」)・・・確実にあるもの。生滅増減しない。全部完全に儼存(げんぞん)する。

●現象世界・・・自分の念をもって賦彩(いろづ)けし投影した状態を見たもの。念に従って、生滅増減する。本来無いもの。

3915a hope:2014/05/17(土) 21:49:06 ID:cEpBaIdo
(a hope まとめ)p80 6行目〜 p81 2行目

第一の神性隠蔽 = 最初の迷い「包み」(罪)【アダムの原罪】 とはどのような見解をすることか・・・ 

1、 霊的実在を包み隠して、物質的存在と観る
2、 霊的人間の実相を包み隠して物質人間と観る
3、 神の国を現世の次に来る世界と観る
4、 「神の国」を今すでにある永遠無辺の世界だと観ず、吾人の物質的存在が終わらなければ「神の国」へ誕生できないと観る
5、 「神なる人間」を久遠常住の存在だと悟らない


以下、テキストを謹写  p80 後から 5行目〜

<<この原罪(第一の神性隠蔽)によって、人間をば「土の塵」――すなわち「物質的肉体だ」と観じ、世界をば物質的存在だと観じ、
自己を物質的存在だと見る限り、肉体は各人互に離れ離れのものでありますから、そこに利己主義の萌芽を顕わし、
物質は一見有限のものでありますから、与えれば減るの観念を増長せしめ、争闘、劫掠(ごうりゃく)、奪い合いを現出するにいたったのであります。

ここに「実相の『神の子・人間』は争闘、劫掠、奪い合いを現にしていないのに、現象人間は争闘、劫掠、奪い合いをなせる有様を現している」というふうになってきているのであります。>>

3916a hope:2014/05/18(日) 10:21:22 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。

テキストp81〜 は、主に、現代のキリスト教の問題に言及していて、
その原因がキリスト(神)を肉体イエスに見いだそうとする「偶像崇拝」によるものであると、
述べられています。

<<キリスト教では形あるものを崇拝することを偶像崇拝といって、非常に軽蔑して忌み嫌うのでありますが、
「永遠の神性」を礼拝の対象にせず、二千年前ユダヤに生まれた肉体イエスを通さねば救われないなどと、
肉体を礼拝の対象にしているなどは、みずから忌み嫌う偶像崇拝に陥っていることになるのであります。
こうして「永遠神性(かみそのもの)」に背を向け顔をそむけて、ある特定の肉体を崇拝の的にすることは神の実相を見ざるもの、
本当の神を「自己の迷い」をもって包み隠せるはなはなしき罪なのであります。>>


この現象世界だけが唯一の実在であり、その世界の出来事だけが事実である信じている人間であれば、
自分自身に「永遠の神性」が宿っていて、自分自身が「神」そのものであるなんてことは、
絶対に受け入れられない事実だと思うのです。

だって、一肉体人間の力なんて、宇宙全体の壮大さから考えれば蟻粒よりももっと小さいですものね。
特に、実際に、人生で絶望感を一度でも味わった人ならば、
何か別の偉大な力に頼りたいと思うのはあたりまえの心情だとも思うのです。
だから、偶像崇拝のようなことが起きてしまうのですね。


本来の「生長の家の教え」はそんなんではないですよね?


ですが、わたしはどうもテキストのここら辺を拝読していると、
「生長の家」人であっても『「谷口雅春先生」を超えられるような偉大な人物はいない!』
などというふうに考えてしまうことは、この「偶像崇拝」なのではないかと感じてしまうのですが・・・。
それとも、これは、わたしが増上慢なのでしょうか?

P82 5行目の 「宗教争いは偶像崇拝より起こる」を、聖典引用板に謹写させていただきました。

みなさな、ご意見、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

3917a hope:2014/05/18(日) 10:26:19 ID:cEpBaIdo
>>3916 追記

「生命の實相」第13巻 P82  「宗教争いは偶像崇拝より起こる」

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2855

3918a hope:2014/05/20(火) 08:43:47 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第13巻 p83 「人間の不自由の萌芽(ほうが)」

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2857

3919a hope:2014/05/20(火) 08:44:40 ID:cEpBaIdo

テキストp84〜 キリストとニコデモ より

( a hope赤線部分)

<<現代でも多くのニコデモがいて、※わたしの主張に対して「いかでかかることどものありうべき」と反駁するでありましょう>>

※「わたし」・・・谷口雅春先生
「主張」・・・「現象人間から心の眼を一転して実相人間を見ることだ」ということ。

<<「すべて信ずる者の彼によりて永遠の生命を得んがためなり。」この一節は、今までキリスト教徒が、イエスを通さなければ永遠の生命が得られないと主張する根拠となった一節であります。

しかし、何故、イエス御自身の言葉として、「すべて信ずる者の彼によりて永遠の生命を得んがためなり」と三人称でいわれて、「われによりて」といわれなかったのでありましょうか。

イエスはここで特に「人の子」といったり「彼」といったりしているのであります。

それは「人の子」というのはイエス自身が注釈して「天より降りし者をいう」といっている。言い換えると実相世界に誕生した者――実相人間全体を普通名詞としていっているのであります。

イエスは「われを信ぜよ」といったのではなく、「人の子を信ぜよ、実相人間を信ぜよ、わたしはその一例だ、『久遠の実在』としての実相人間を信ずる者には肉体は死んでも、永遠の生命が与えられるのだ」といったのであります。>>

3920a hope:2014/05/20(火) 08:46:45 ID:cEpBaIdo

>>3919 a hope所感)

<<【イエス】は「われを信ぜよ」といったのではなく、「人の子を信ぜよ、実相人間を信ぜよ、わたしはその一例だ、『久遠の実在』としての実相人間を信ずる者には肉体は死んでも、永遠の生命が与えられるのだ」といったのであります。>>

↑を置き換えてみたいと思います。

<<【谷口雅春】は「われを信ぜよ」といったのではなく、「人の子を信ぜよ、実相人間を信ぜよ、わたしはその一例だ、『久遠の実在』としての実相人間を信ずる者には肉体は死んでも、永遠の生命が与えられるのだ」といったのであります。>>

このような考え方をしてしまうわたしは、増上慢であり、まことの「生長の家」信徒ではないのでしょうか?

谷口雅春先生は確かに偉大な宗教家で、哲学者で、人間的にも素晴らしい人格の持ち主だったと思います。
だから、わたしはもちろん、谷口雅春先生には直接お会いしたことはありませんが、心より尊敬していて信頼しています。

でも、だからこそ、谷口雅春先生の残された聖典「生命の實相」のお言葉を素直に信じたいのです。

「谷口雅春先生は神から選ばれた偉大な人だったから「唯神実相」が悟られたのだ」
「自分たち弟子には同じことはできない」などと考えてしまうのは、
谷口雅春先生がおっしゃっている「第一の神性隠蔽」「偶像崇拝」の罪を犯すことになってしまわないのでしょうか?

先輩方が今、憲法改正運動や、環境保護運動等、さまざまな「生長の家」の運動をされているようですが、
「自分が神の子である」「自分も谷口雅春先生と同じなんだ」というこの大切な真理を悟らなかったら、
その運動は、まったく谷口雅春先生のご意志とは、別の方向に行ってしまうのではないでしょうか?

教団も、本流の先輩方も何が『本当の「生長の家」の光明化運動』なのかを思い出されて、
その基本に戻って運動されたら、「生長の家」は一つになれると思うのですが・・・。

それこそ、谷口雅春先生が一番よろこばれることで、本当のご遺志だったのではないでしょうか?

3921a hope:2014/05/21(水) 09:15:40 ID:cEpBaIdo

(a hope 赤線部分)

第二章の後半(p88〜)には、「罪」について書かれています。

<<アダムの原罪(第一の神性隠蔽)以来、罪悪の観念は、すべての肉体人間の心の奥底に横たわっている観念であります。>>

<<罪なき者――本来無罪清浄なる人間に、なぜ、罪の観念が起こるかといいますと、われらは本来「無罪」なればこそ罪の感じが起こるのであります。>>

<<この「本来の相(すがた)」でないという自覚が、「罪」の観念であります。それは本来の完全な相を、本来の自由な相を、表出せんと喘ぎもとめている心の呻きなのであります。>>

<<そのように、われわれの「完全なる実相」そのものは罪なきもの迷いなきものでありますから、罪の意識はわれわれ自身の本姓にはないものであります。>>

3922a hope:2014/05/21(水) 09:17:28 ID:cEpBaIdo
(a hope所感)

みなさん おはようございます!

このテキストの部分には、人間の「罪の意識」を「炭火」から立ち上る「煙」に例えて、説明しています。
「炭火」そのものからは「煙」は立ち上がらない。
そこに、塵埃(じんあい)=「迷い」 があるから「煙」が発生する。

炭火の火力の強さ=生命の実相の悟りの深さ
塵埃の量=迷いの量
煙のあらわれ=罪の意識のあらわれ

<<宗教というのは、この「生命の実相」のうちに眠っている炭火の火力を熾盛(しじょう)ならしめる働きをするものであります>> p91 9行目

この、テキストの部分の説明はすごくわかり易いと思いました。

煙ばかりたくさんたっても、炎が燃え上がらなければ不完全燃焼です。

同じように、「罪の意識」をおこし、「迷い」の「塵埃」の存在に気づくことは必要だが、
それだけでは救われないのですね。

「人間神の子」の真理に目覚めて、「実相」の炎を燃え上がらせて初めてわたしたちは本当に救われる、というわけですね。

ここにも、また、素晴らしい真理が書かれていますね。

「罪は本来ない」という真理を本当に悟るには、この一連の作業が必要なようです。

a hopeは、「生長の家」の「浄心行」の本当の意味がだんだん解ってきましたよ!

3923a hope:2014/05/22(木) 09:00:52 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます!

どうやら今現在、信仰/体験板は試合会場になっているようですので、
こちらに投稿させていただきます。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1333192083/1855

わたしは、↑の投稿をして、「偽善」という言葉に関して自分の意見を述べて、
その後、大熊先生のブログを紹介させていただきました。

今朝、大熊先生のブログに行きましたら、なんと、また、シンクロニシティ現象が・・・

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/folder/172638.html

↑唯神実相を悟られた、大熊先生の素晴らしいご指導が受けられますよ!

必見です!!!

3924トキ:2014/05/22(木) 20:23:46 ID:Z9No9Nic
>>3923

 どうも、申し訳ありません。

3925a hope:2014/05/23(金) 00:04:21 ID:cEpBaIdo
>>3924 トキさま

全然、気になさらないでくださいね。

トキさまのおかげで、いつでも自由にこの掲示板でお勉強させていただけることに心から感謝しています。

合掌。

3926a hope:2014/05/23(金) 08:47:21 ID:cEpBaIdo
( a hope所感)

テキストp95〜101には、自己審判(自己処罰)または「良心の審判(さばき)」について述べられています。

「生長の家」の教えでは「神罰」はないとされていますが、
悪念(罪)は「念の具象化の法則」により現象界に不完全な状態(病気・不幸など)として現れでてしまうようです。

ただし、「悔い改め」=「魂の転向(コンパーション)」により、その罪を超越できるとも説明されています。


p101 4行目〜

<<・・・「罪」が現実的不幸として、客観化して現れるのは、罪自身がその存在権を主張するためではなく、
神のみ業――すなわち神の創造(つく)給いし完全なる実相のあらわれんがためであるとしますと、
「悔い改める」 すなわち心が「実相」の方へ完全に転回(コンパーション)してしまいますと、
さらに換言すれば「われ神の子なる実相」と「神の創造(つく)給える実相浄土」とを直接体験で把握してしまいますと、
罪はそのまま超越されてしまいまして、「包み」はそのままひらかれてしまい、
中味がそのまま握られてしまいますから「包み」の模様はもう問題とならない。

「包み」はその模様などに頓着なく解かれて捨てられてしまうのであります。>>


この、「悔い改め」=魂の転向(転回)が、「人間神の子(実相)の自覚」になるのだと思います。
聖典「生命の實相」をお勉強していると、色々な角度から、色々な方便で、この事が説明されているのがわかります。

(つづく)

3927a hope:2014/05/23(金) 08:50:46 ID:cEpBaIdo
>>3926 つづき)

次の、第三章には、第二の神性隠蔽「自他一体の実相の隠蔽(利己主義)」と第三の神性隠蔽「罪の弁解」がどのようなものであるか詳しく説明されているのですが、
どうも、この部分を拝読しているとわたしは心が重くなってきてしまうのです。

なぜなら、その内容は、信仰/体験板の【訊商業×熊本鎮台】の試合の内容にそっくりだからです。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1333192083/1743

訊商業さまとわたしの共通点は、どとらも、聖典「生命の實相」に感銘して「生長の家の教え」にのめり込んでいる、という点だと思います。

訊商業さまが、試合などという「対立的」な形で質問をされているのはどうかと思いますが、
わたしも、訊商業さまとほとんど同じ疑問を、熊本鎮台さま(破邪顕正さま)の数々のご発言から感じてしまうのです。


破邪顕正さま

この聖典「生命の實相」大好きな、生長の家の新入生ふたりに、是非、納得のいくお返事をいただけたらとても嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

3928a hope:2014/05/24(土) 20:25:40 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第13巻  隣人に対する罪 p102 より謹写

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2864

(a hope 所感)

これもすごい真理だと思いました。

「神人一体なるがゆえに、自他一体なり」ですね。

だから、他を批判するということは、自分を批判することになり、神をも批判することになってしまい、
神性隠蔽の罪を犯すことになってしまうのですね。

そんな罪を犯さなくても、「雅宣先生の教え」が間違っているのであれば、それに従わなければよいのであって、
また「教団の方針」が自分の信念にそぐわないのであれば、自分が正しい信仰をしていけばいいのであって、
そしてそれが本当の意味の、「虚説に和解しない」ということになるのだと思いました。

そういえば、訊け管理人さまもよく、「別れた女の欠点を、クドクド述べるような行為」はしない方がいいようなことをおっしゃっていますよね。


ただ、ふつうの信徒がその「教え」が間違っているかどうかを判断するのは、とても難しいことだと思います。
わたし自身、入信直後は、教団の「今の教え」を盲信して大変な目に合いました。
そして、本流宣言の掲示板での破邪顕正さまの投稿に命を救われ、
その後、この掲示板で3年近くも復興Gさまやトキさま他のみなさまにご指導いただきながら、
聖典をお勉強して、やっと本当のことがわかってきたのも事実です。

ですから、「生長の家」という看板を立てているのであれば、もしくは、「生長の家」の本流復活を目指す団体であるのであれば、
ぜひとも、聖典「生命の實相」に忠実な内容を伝道して欲しいです。

そして、わたしたち信徒一人一人が聖典に忠実に信仰をしていけば、「生長の家」は必ず和解できるとわたしは信じています。

3929トキ:2014/05/24(土) 21:16:31 ID:oaDOQJ/.
>>3928

 私も同意いたします。

3930訊商業:2014/05/24(土) 23:49:32 ID:???
>>3928

 完全同意です。もう、アタリマエの話ですよね。

3931a hope:2014/05/25(日) 21:42:36 ID:cEpBaIdo
>>3929 トキさま >>3230 訊商業さま

わたしの意見に同意してくださりありがとうございます。 合掌。

わたしは最近、
『この掲示板で聖典「生命の實相」のお勉強を続けさせていただくことで、
自分自身も「生命の実相」の悟りに近づき、そしてこちらをご覧のみなさま全員にも幸せになっていただき、そんな形で人類光明化運動を展開していきたい』
という、とんでもない大きな希望を抱き始めてしまいました(笑)

ですが、自分の聖典の解釈や考え方に、100パーセントの自信があるわけではないので、
トキさま、訊商業さまに同意していただけるととても心強いです。

破邪顕正さまや、本流の先輩方は、このようなわたしの考え方には同意はしてはくださらないのでしょうか?
ぜひ、ご意見を聞かせていただきたいです。
(訊商業さまは、アタリマエとおっしゃっていらっしゃいますが・・・)

どうぞ、よろしくお願いいたします。

3932ももんが:2014/05/25(日) 23:03:34 ID:oI68lYAA
>>3928
>>a hope様

合掌、拝

a hope様、こんばわ。

昔なら、"完全同意"ですが、今は、"和解"を超えた、"大調和"と思うのしだいであります。

3933うのはな:2014/05/26(月) 00:59:00 ID:bbvLQDzg

志恩さんがどこかで、わたしがこうこう書くと、そのあとすぐにさくらちゃんが実相がどうとか
言いだして、って話のかみ合わなさみたいなものについて話していたことがありましたね。
 
 あれは、志恩さんは「運動」の話をしているのに、
 さくらさんは「教義」について話してるからかみあわないのだろうと思いました。
 上で、本流の人にこの意見の感想はどうか尋ねている人がいましたが、
 おそらく、読んでいないから感想は無理だと思います。

3934a hope:2014/05/26(月) 07:38:26 ID:cEpBaIdo
みなさま おはようございます!

>>3932 ももんがさま  

「大調和」そうですね。
わたしも、「和解」という言葉より、「大調和」のほうが、より自然な感じがしますね。

「生長の家」は、すでに大調和しているのですから、信徒の信仰が本来の「生命の実相」に戻りさえすれば、
おのずと「大調和」するのだと思います。

「和解」しようと努力しても、心が罪につつまれたままでは(神性隠蔽)本当の和解とは言えないと思います。

「生長の家」の大調和には、信徒の大懺悔が必要なのかもしれませんね。

3935a hope:2014/05/26(月) 07:40:04 ID:cEpBaIdo
>>3933 うのはなさま

コメントありがとうございます。

<< 上で、本流の人にこの意見の感想はどうか尋ねている人がいましたが、
 おそらく、読んでいないから感想は無理だと思います。>>

そうですか。
それでは本流の方先輩方は、生長の家の新入生が、大切が聖典「生命の實相」についてまちがった解釈をして、
「生長の家」関係の掲示板で虚説を説いていても一切気になさらないということですね。

志恩さまとさくらさまの会話のことはちょっと思い出せませんが、
それでは、本流の先輩方は聖典「生命の實相」に書かれている教義内容(真理)よりも、
現象の運動のほうが大切であり、その運動が教義内容(真理)に忠実でなくても構わないとお考えなのでしょうか?

わたしは、うのはなさまを責めるつもりはまったくありませんが、
ですが、わたしは本当に、信徒全員が聖典「生命の實相」をちゃんと拝読すれば「生長の家」は簡単に大調和できると信じていますし、
それ以外、現在の生長の家の信徒のするべきことはないのではないかとさえ思っています。

それに、現在、光明思想社さまは新版「生命の實相」を出版・販売されています。

わたしa hopeや、訊け管理人さまのような熱心な「生命の實相」ファンのに感じた 素朴な疑問に誠実にお答え下さらなかったら、
信徒のみなさまの不信感がつのるばかりだと思います。

3936a hope:2014/05/26(月) 07:48:41 ID:cEpBaIdo
>>3935 訂正

新版「生命の實相」→新編「生命の實相」

その他、誤字多くありますが、お許しくださいm(__)m。

3937a hope:2014/05/26(月) 08:28:23 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第13巻 p105〜 謹写部分

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2865


(a hope 所感)

この部分は、現在の「生長の家」が抱える重大な問題でもあると感じています。

<<恋愛そのものが悪いのではなく周囲との不調和がわるいのであります。>>

現在の「生長の家」が大調和することなく不調和のままでいたら、結局どの団体も行き詰まるということなのではないかとわたしは感じてしまうのですが・・・。

みなさんはどう思われますか?

3938ももんが:2014/05/26(月) 18:38:26 ID:oI68lYAA
>>3934
>>a hope様

合掌 拝

御返事、ありがとうございます、a hopeさま。

やはり、a hopeさま、素晴らしい、ですね。

全、同感でんす。

"人間の言語"を超えた、"神様の言葉"こそ、"大調和"の世界ですよ。

a hopeさまは、素晴らしい。

ありがとうございます。
合掌 拝。

3939部室版ができたら落ち着く:2014/05/26(月) 18:53:45 ID:T.KAOAfo
>そうですか。
それでは本流の方先輩方は、生長の家の新入生が、大切が聖典「生命の實相」についてまちがった解釈をして、
「生長の家」関係の掲示板で虚説を説いていても一切気になさらないということですね。

そんなことは知りません。正解であろうと、まちがいであろうと、読んでいなかったら
なにが書いてあるのかわからないわけだし、感想の仕様がないでしょう。
 光明掲示板では、トキ掲示板のことは知らなかったと書いている人もいました。
光明のほうへ行って尋ねればいいのではないですか?

3940トキ:2014/05/26(月) 18:57:25 ID:lWxxQQXc
>>3939

 いやいや、そんな事はないですよ。実際、先日も山ちゃん1952様が、この掲示板
をご覧になったご感想を書かれていますし、光明掲示板でも、この掲示板での感想が
書かれています。

 本流復活派だけではなくて、教団の偉い人達もこの掲示板は毎日チェックされてい
ます。

 返事、楽しみですね。

3941神の子さん:2014/05/26(月) 19:05:12 ID:T.KAOAfo
 本流復活派だけではなくて、教団の偉い人達もこの掲示板は毎日チェックされてい
ます。

なぜ、教区職員が教団の偉い人たちもこの掲示板は、、っていうことを
知っているのか不思議ですが、その方たちは、トキさんが誰かも知っているのですか?

 a hope さんはトキさんが上記のようにお答えですから、返事を気長にお待ちください。

3942a hope:2014/05/27(火) 09:10:03 ID:cEpBaIdo
聖典「生命の實相」第13巻 

貪欲・快楽・傲慢 p106〜

<<利己主義は、物質を実在として観、それに捉われる結果、「物」の霊なる実相を見ず、
「人」の霊なる「神の子」を見ず、ただ物に執し、物に捉われた結果、本当の人間を見失い、
かつ本当の人間と人間との関係を見失ってしまうのであります。>>


(a hopeまとめ)

本当の人間(実相の人間)を見失う → 三つの「罪の子」

○一つ目の罪
【貪欲】・・・物質ありと見るがためにそれを所有することに全生命をかける → 物質の奴隷

○二つ目の罪
【快楽主義】・・・物質的快楽を追及し、実相本然の快感から遠ざかる → 魂の苦痛(憂鬱なデカタン的情調)

○三つめの罪
【傲慢】・・・物質の量的多量および物質の感覚量の豊富に対する誇りは、他の人も同様の物質的迷いに引き入れる → 非常に危険

すなわち、
自分が神性隠蔽している以外に、その隣人をもその神性隠蔽に誘い込む → 二重の罪

3943a hope:2014/05/27(火) 09:14:11 ID:cEpBaIdo

>>3942 a hope所感)

聖典の著作権をめぐる争いや、数(信徒数など)への異常なこだわり・・・すべて物質ありと見ているからそのようなことが起こっているのだと思います。

まことの「生命の實相」とは物質の本のことではなくて、わたしたち一人ひとりの実相(神)のことですよね?

聖典「生命の實相」であっても、真面目に拝読して、その真理をちゃんと理解し実践していないから争いごとの火種となってしまっているのであって、
「生長の家」人としてこれ以上の神性隠蔽の罪はないのではないかとわたしは感じてしまいます。

本当に悲しい現実です。


教団のお偉さま方、また本流の先輩方

トキさまのおっしゃるように本当にこちらの掲示板を毎日ご覧になってくださっているのであれば、a hopeが心からお願いします。

わたしたち信徒の「実相」を開発してくださるどころか、争いごとに巻き込んで神性隠蔽の罪を犯し続けるのはもうそろそろやめて下さいませんか?

聖典「生命の實相」はまだまだ余るほど世の中に出回っているのですから、著作権などどこが所有していても同じです。

そんなくだらない争いごとのために信徒の浄財をつかうのはもうやめて、
一日も早く、「生長の家」らしい人間関係を取り戻して、本来の「生長の家」の信仰をしてください。

3944志恩:2014/05/27(火) 11:10:23 ID:.QY5jUA6
a hope様

a hopeさん、こんにちわ。今も、「生命の實相」の輪読会を継続して下さっていて、有り難うございます。
私、思いました。
a hopeさんが、私と同じくらいの年に生まれていらしてて、もしも、あの頃の原宿本部でご一緒に
奉職していたとしたら、きっと、ご一緒に、本部の有志でやっていた真理の勉強会をやっていたんだろうなって。

しかし、生長の家のこのような混乱期に、生長の家を見捨てないで、しかも、「生命の實相」の輪読会を
続けていて下さるa hopeさんて、本当に、すごいな、と思います。頭が下がります。

ところで、
ahope様が>>3937:で、

>>(a hope 所感)

この部分は、現在の「生長の家」が抱える重大な問題でもあると感じています。
<<恋愛そのものが悪いのではなく周囲との不調和がわるいのであります。>>

現在の「生長の家」が大調和することなく不調和のままでいたら、結局どの団体も行き詰まるということなのではないかと
わたしは感じてしまうのですが・・・。みなさんはどう思われますか?<<

と、本流の方々に呼びかけれましたけれど、まだお返事がありませんので、
私で、よければと、今回、ちょこっとだけ、もどる事に致しました。  つづく

3945志恩:2014/05/27(火) 12:05:29 ID:.QY5jUA6
この「大調和」の真理につきましては、
何に対して、「大調和すべきか」になると思います。
生長の家の一人一人が、生長の家の教えの本当の継承者なのですから、

(これは、山ちゃん19852様も、以前におっしゃっておられたことですが、)
第一義の問題として
一番たいせつなことは、

この生長の家の根本思想である教義を隠蔽しないこと。
そのままの教えを継承していくこと、この姿勢が、
生長の家で言う生長の家の教えと「大調和する」ということだと思います。

いうまでもなく、「生命の實相」は、生長の家の根本である教義ですから、
これを隠蔽してはいけない。

しかし、現教団は、「環境」一辺倒にしてしまいました。

組織や運動自体も、締め付けがひどい状況のようです。

そうした現象には光を当てれば自ずから消え去ると教えられていますが、
現象というのは、認めては為らないのか、どうかということも、考えてみましょう。

ahopeさんちの真ん前に、野良猫がフンをして行ったとします。祈ったら、フンは消えますか?
祈りながら、行動して かたずけるでしょう。

歪みをただし、正常化しますでしょう。
そのように、現象が歪んでいれば、歪みを正すのが「生長の家」の信徒としてのなすべき
大調和を生きるという行動ではないのですか?

生長の家が分裂しているのは、事実であり、一見、不調和にみえますが、
分裂という不調和よりも、
教えを隠蔽するという不調和のほうが、大問題でありまして

第一義の教えを護るためには、
分裂するしか 方法が、無いかったのだと思います。

「今の教え」の現象は、正常には程遠いといことは、多くの人たちの知るところです。
そのためには、批判と感じることも、言わなければ、ならないでしょう。

本流が利己的な精神で、あのような運動をされてると思っておられるのでしょうか?
私は、とても、そのようには、思えませんけれど。

ahopeさんは、お仕事にも行かれていて、お忙しいので、他の掲示板は、ほとんど読んでないと
前、おっしゃってましたよね。

以前からの、他の掲示板を、もっとお読みになれば、このようになっている経緯やこころざしも、
より理解出来るのではないでしょうか?と、思っております。



「生長の家」が分裂しているというのなら、分裂した原因を探れば、何故なのかという事が、
自然と、わかるような気がします。

そして、分裂してでも、正して行かなければならなかった原因を辿れば、
今後の、より一層の分裂を防ぐことになるやもしれません。


雅春先生が日の丸か赤旗かで徹底した論戦に挑まれたのを真摯に考える必要があると思います。

3946志恩:2014/05/27(火) 12:08:15 ID:.QY5jUA6
山ちゃん19852様ではなくて、山ちゃん1952様に訂正させて頂きます。

3947笑人形:2014/05/27(火) 18:33:15 ID:3yXShm..
>>3946

山ちゃんも19852 までになって、元宇治の美人職員さんから
笑われていることと思います。

3948志恩:2014/05/27(火) 19:21:30 ID:.QY5jUA6
3943:a hope様

>>(>>3942 a hope所感)

聖典の著作権をめぐる争いや、数(信徒数など)への異常なこだわり・・・
すべて物質ありと見ているからそのようなことが起こっているのだと思います。

まことの「生命の實相」とは物質の本のことではなくて、
わたしたち一人ひとりの実相(神)のことですよね?

聖典「生命の實相」であっても、真面目に拝読して、
その真理をちゃんと理解し実践していないから争いごとの火種となってしまっているのであって、
「生長の家」人としてこれ以上の神性隠蔽の罪はないのではないかとわたしは感じてしまいます。

本当に悲しい現実です。<<


この件は、
著作権のことで、信徒を巻き込んで、教団と社会事業団が争っている…
そんなばかばかしいことは、やめてもらいませんか!

という意味でしょうけれど、


これらのことも、実際の問題の具体的なことや 経過については、反復されながら、どこの掲示板にでも
書かれて来ている事ばかりなんですよね。


それに、巻き込まれるとか、 巻き込まれないとかいう 選択につきましても、
ご自分のご意志で いくらでも巻き込まれないための方法は、あると思います。

教団の活動指針などを読まれれば、今の教団が、信徒をどのような方向へ導いているか
一目瞭然で理解出来ることです。

数年前から、生長の家教団は、おかしな方向へ向かっていることも、ほとんどの人が
認識していることです。

常識的に考えましても、雅春先生が総裁でいらした時代から現在までを考えてみましたならば、
トキ様も常々ご指摘されてますように生長の家は、変節して来ているのは、間違いの無い
事実なのです。

大調和しかない、和解しかない、という真理につきましては、先に申し上げましたが、
何に大調和するか、和解するか、
そして、和解するためには、どうしたらいいかという要のところが、まだ未解決ですが、

ここのところは、縹様が、重要なポイントをトーキングステックボードで、教えて下さっています。

今は、預言にもある 変遷の時期ですから、
われわれは、これも、良い学びの体験であるとありのままを受け止めて、それぞれが、
真理を学び、実生活で実践しながら、自分が決められた選択の道を、心安らかに
歩んでいくのが、一番いい方向へ導かれると、私は、思っております。

3949a hope:2014/05/27(火) 19:26:57 ID:cEpBaIdo

>>3944 >>3945 志恩さま 

お久しぶりです。
また、わたし a hopeにもったいないようなあたたかいお言葉をありがとうございます。 

合掌。

ところで、本題にはいるまえに、ひとつ訂正させていただきますね。

>>3944で志恩さまは、

>>この部分は、現在の「生長の家」が抱える重大な問題でもあると感じています。
<<恋愛そのものが悪いのではなく周囲との不調和がわるいのであります。>>
現在の「生長の家」が大調和することなく不調和のままでいたら、結局どの団体も行き詰まるということなのではないかと
わたしは感じてしまうのですが・・・。【みなさん】はどう思われますか?<<

と、【本流の方々に】呼びかけれましたけれど、まだお返事がありませんので、
私で、よければと、今回、ちょこっとだけ、もどる事に致しました。 <<

とおっしゃっていられますが、このところではわたしは、本流の先輩方だけに呼びかけていたのではなくて、
この掲示板をご覧の「生長の家」のみなさんに呼びかけたのです。

わたしはこのweb誌友会板で聖典「生命の實相」をお勉強させていただいていて、
その内容から感じたことを素直に述べて、疑問に思ったことを率直に質問させていただいています。

ですから今回も、聖典をお勉強した結果、志恩さまが >>3945 でおっしゃっている『生長の家の根本思想である教義を隠蔽』の現実が見えてきましたので、
今回はそこのところをご指摘させていただいたつもりだったのですが・・・。
志恩さまにはそのことが正しくお伝えできなかったようで残念です。

今回の質問は、現在の「生長の家」全体の状態を見て感じたことだったのです。

ですが、志恩さまからのご質問、

>>本流が利己的な精神で、あのような運動をされてると思っておられるのでしょうか?<<

に敢えてお答えするのであれば、聖典の教義(真理)から解釈すれば、(たとえば「聖典の裁判」の一事例を考えてみましても)
残念ですが答えは「Yes」ということになってしまいそうです。
(これは、教団にも当然当てはまる「真理」だと思いますが・・・)

ですが、わたしの解釈が正しいとは限りませんから、みなさまのご意見を聞かせていただきたいのです。


そしてもうひとつの志恩さまの、

>>ahopeさんちの真ん前に、野良猫がフンをして行ったとします。祈ったら、フンは消えますか?<<

とのご質問ですが、本物の「大調和の祈り」ができていれば、猫は家の真ん前にはフンはしなかったと思います。 
わたしは、そのような本物の祈りができるようになりたいと思っています。

(つづく)

3950a hope:2014/05/27(火) 19:32:53 ID:cEpBaIdo
>>3949 つづき)

ところで、志恩さまは、わたしが聖典引用板に謹写した、

「生命の實相」第13巻 p105〜
利己主義すなわち自他一体の実相の隠蔽

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2865

↑は、お読みになってくださったのでしょうか?

わたしはその聖典の内容がまさしく、現在の「生長の家」の状態を言いあらわしているように感じたので、

『現在の「生長の家」が大調和することなく不調和のままでいたら、結局どの団体も行き詰まるということなのではないかと
わたしは感じてしまうのですが・・・。みなさんはどう思われますか?』

ということを質問させていただいたのです。
この真理からいけば、行き詰るのは本流関係の団体だけでなくて、当然、教団もということになりますが・・・。


志恩さまはそのことにははっきりとしたお返事をくださってはいらっしゃらないように感じます。

志恩さまのお返事は、

>>以前からの、他の掲示板を、もっとお読みになれば、このようになっている経緯やこころざしも、より理解出来るのではないでしょうか?と、思っております。
「生長の家」が分裂しているというのなら、分裂した原因を探れば、何故なのかという事が、自然と、わかるような気がします。
そして、分裂してでも、正して行かなければならなかった原因を辿れば、今後の、より一層の分裂を防ぐことになるやもしれません。<<

というところだと思いますが、ちょっと志恩さまのお答えの意味がハッキリとは理解できないのですが、
わたしの思う分裂した原因は「神性隠蔽」にあると思っていて、そのことは、>>3942 >>3943で説明させていただきました。


それに、「宗教争い」の問題は、過去の現象の出来事にいくら原因をさがしても解決はしないと思うのです。

すべての答えは、聖典「生命の實相」(久遠の今?)の中にあるような気がしていますし、前回も言いましたが、
「間違った教え」を正すには、「生命の實相」を真面目にお勉強し、理解して、その教えに忠実に行動していなければ正したとは言えないと思うのです。

ですから、わたしはこれからもこちらでお勉強を続けさせていただきたいと思います。
そして、祈りながら、出来るだけ「我」をなくして、発言していきたいと思っています。

志恩さま、お休み中ですのにコメントをくださりありがとうございます。
お蔭さまでこの問題をより深く考えることができました。

わたしと志恩さまとは、意見や考え方は違っても、「生長の家」を愛する気持ちは一緒だと信じています。

これからも、また、時々でかまいませんのでご登場くださるととても嬉しいです。

感謝 合掌。

3951志恩:2014/05/27(火) 19:33:51 ID:.QY5jUA6
笑人形様

久しぶりに書き込んだので、私、すごい誤字脱字だらけになりました。
山ちゃん様が、19852様だったら、、山ちゃん様は、未来の人ってことですよん。(笑)
19852年 生まれ・・・、タイムカプセルで 未来から過去の今の時代へ もどって来た人。

( 「・」は、「てん」で変換すると、出ます。)

3952ケセラセラ:2014/05/27(火) 19:44:51 ID:S9ZDz97U

 志恩さまへ

 志恩さんがお越しになって誌友会らしい雰囲気になったようです。
 なにも気にせず、マイペースでがんばってください。

 愛と追憶の真っ最中の人より

3953a hope:2014/05/27(火) 19:57:03 ID:cEpBaIdo
>>3948志恩さま

>>3948の志恩さまの投稿を拝見する前に、>>3949 >>3950を書き込みました。

<<これらのことも、実際の問題の具体的なことや 経過については、反復されながら、どこの掲示板にでも
書かれて来ている事ばかりなんですよね。>>

とありますが、
このweb誌友会は、あくまでも、聖典「生命の實相」のお勉強ですから、
わたしは、現象の問題であっても「生命の實相」の教義内容に合わせて発言しています。

志恩さまも、できれば現象の問題を考えるにしても、このweb誌友会板では、
聖典「生命の實相」の真理に照らし合わせてお答えくださるとありがたいです。

ですが、志恩さまの最後のお言葉、

<<われわれは、これも、良い学びの体験であるとありのままを受け止めて、それぞれが、
真理を学び、実生活で実践しながら、自分が決められた選択の道を、心安らかに
歩んでいくのが、一番いい方向へ導かれると、私は、思っております。>>

には、同感です。

わたしも、ここweb誌友会で学んだ「生命の實相」の真理をそのまま、実生活でも実践できるようにしていきたいと思っています。

ありがとうございます。合掌。

3954志恩:2014/05/27(火) 20:02:21 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

添付「生命の實相」第13巻 p105〜
利己主義すなわち自他一体の実相の隠蔽

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2865

読ませて頂いております。
宗教とは、創始者から二代目、三代目になりますと、いろいろと、どこでもあるようですね。

生長の家が、大調和しないと、教団も社会事業団も、未来、行き詰まる….という件は、
言えなくもないですよね。

大調和が謳い文句の生長の家が、大調和しなくて、どこの団体が、大調和するのだ、という
ご意見も、もっともに聞こえていますけれど

私は、雅宣様は、もとのままの教えでは、もう発展しないということで、
宗教者として、歩むべき道を、さんざん考えられた末に、自然、環境問題オンリーに運動を
されてみたのだと思うのです。

でも、もともとの教えを封印するこの運動の選択は、
社会事業団から、ご兄弟から、本部講師から、信徒から、おおくの人を敵に回さないと
出来ない運動でしたから、
その反動は、大きく、振り子のように、ご自分にもどって来るように思います。

雅宣様は、このまま、環境問題オンリーに突き進むと、言われていますよね。

果たして、どうなのでしょう。
私にも、未来の事は、分からない事です。

3955志恩:2014/05/27(火) 20:14:26 ID:.QY5jUA6
「生命の實相」につきましては、現実に生かしてこその真理だと思います。
現象に対処していかなければ、宝の持ち腐れになってしまうと思います。

ですが、同じ真理を聞いても、人それぞれの考え方、受け取り方があるんですよね。
だから、学びは、面白いのだと思います。

論戦も喧嘩では、ありません。

それから、さくらさんと私がバトルしたのは、随分まえのことです。
むしろ、昨年のこと、
a hopeさんと、さくらさんのバトルが、ここweb誌友会板で、行われていました。

その特集です。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/?q=%A4%B5%A4%AF%A4%E9

3956うのはな:2014/05/27(火) 20:31:22 ID:J.N9GUxQ

 a hope さんへ

 わたしが、こないだここで志恩さんは運動の話をしている、さくらさんは
 教義のことをといったのは、上の志恩さんの特集とは関係ないですよ。
 いつもわけもわからない割り込み攪乱をする人の話をひとつにまとめるのは
 大変なので、余力ができたときにやります。
 これで失礼します。有意義な誌友会が続きますように。

3957志恩:2014/05/28(水) 04:26:29 ID:.QY5jUA6
>>3949;a hope様

以下について、まだコメントしていませんでした。

>>a hope様ー
今回の質問は、現在の「生長の家」全体の状態を見て感じたことだったのです。
ですが、志恩さまからのご質問、

>>本流が利己的な精神で、あのような運動をされてると思っておられるのでしょうか?<<

に敢えてお答えするのであれば、聖典の教義(真理)から解釈すれば、
(たとえば「聖典の裁判」の一事例を考えてみましても)
残念ですが答えは「Yes」ということになってしまいそうです。
(これは、教団にも当然当てはまる「真理」だと思いますが・・・)

ですが、わたしの解釈が正しいとは限りませんから、
みなさまのご意見を聞かせていただきたいのです。<<

志恩ー
本流が利己的な精神で、あのような運動をされていると思っておられるのですか?
という私の質問に対して、

a hope様の答えが、「イエス」で、あったことにたいして、驚きでした。
あまりにも、認識不足というか、現実を見ておられない事に、驚きでした。

これについては、閲覧者の方々のほとんどの方々のほうが、認識されておられると
存じます。
これにつきましては、和解念仏和尚といわれていたトキ様だって、
認識されていることですが、
今更、改めて、a hope様にお話させて頂きましても、この感覚では、
あなたは、今は、聞く耳を持たれておられないと
感じますので、例え、お話しても徒労に終わると思いますので、説明は あえて致しません。



a hope様ー
>>そしてもうひとつの志恩さまの、

>>a hopeさんちの真ん前に、野良猫がフンをして行ったとします。
祈ったら、フンは消えますか?<<

とのご質問ですが、本物の「大調和の祈り」ができていれば、猫は家の真ん前にはフンはしなかったと思います。 
わたしは、そのような本物の祈りができるようになりたいと思っています。<<

志恩ー
これにつきましても、現世に於ける現象と実相の混在した中で、
いかに 対峙していかなければ、ならないか、
というのが、信仰生活ですからね。

祈っていれば、天候でも、晴れだけなのか、雨も台風も、来ないのか。

家庭問題でも、
何も問題は、発生しないものなのか、というものでは、ないです。

生きていれば、つぎつぎに課題は与えられるのです。
人間は、この世に魂の進化のための修行にきているのですから。

人生で、それぞれに課題は与えられる。その、与えられた課題に、どのように
対処して生きて行けるかが、信仰生活だと思います。

真理を学べば、自分にとって不都合な事が、何も起こらないのだということでは、ありません。

3958a hope:2014/05/28(水) 20:42:12 ID:cEpBaIdo

>>3954 >>3955 >>3957 志恩さま

お返事をたくさんありがとうございます。合掌。

>>3955
<<「生命の實相」につきましては、現実に生かしてこその真理だと思います。
現象に対処していかなければ、宝の持ち腐れになってしまうと思います。
ですが、同じ真理を聞いても、人それぞれの考え方、受け取り方があるんですよね。
だから、学びは、面白いのだと思います。
論戦も喧嘩では、ありません。>>


とのご意見、ごもっともだと思います。

わたしと、志恩さまは、聖典「生命の實相」の真理の解釈が大きく異なるようです。

それは志恩さまも、

<<同じ真理を聞いても、人それぞれの考え方、受け取り方があるんですよね。>>

とおっしゃっている通りだと思います。


ですが、わたしは、このweb誌友会ではできれば論戦はしたくないのです。


>>3953で書いたものを再掲しますが、

<<このweb誌友会は、あくまでも、聖典「生命の實相」のお勉強ですから、
わたしは、現象の問題であっても「生命の實相」の教義内容に合わせて発言しています。
志恩さまも、できれば現象の問題を考えるにしても、このweb誌友会板では、
聖典「生命の實相」の真理に照らし合わせてお答えくださるとありがたいです。>>

と、一度お願いいたしました。

「聖典裁判」のお話にしても、志恩さまが聖典の真理に照らし合わせてご説明くださるのであれば、
大歓迎ですが、そうでない現象の問題だけをとりあげて論戦するのであれば、
それは「生命の實相」輪読会の趣旨から大きく外れてしまいますので、
そのような内容のお話には、わたしは志恩さまのおっしゃる通り「聞く耳」はもてないと思います。



ですが、後半の志恩さまのお返事は、真理に関してのものですのでお返事させていただきます。

――――――

志恩ー
これにつきましても、現世に於ける現象と実相の混在した中で、
いかに 対峙していかなければ、ならないか、
というのが、信仰生活ですからね。

祈っていれば、天候でも、晴れだけなのか、雨も台風も、来ないのか。

家庭問題でも、
何も問題は、発生しないものなのか、というものでは、ないです。

生きていれば、つぎつぎに課題は与えられるのです。
人間は、この世に魂の進化のための修行にきているのですから。

人生で、それぞれに課題は与えられる。その、与えられた課題に、どのように
対処して生きて行けるかが、信仰生活だと思います。

真理を学べば、自分にとって不都合な事が、何も起こらないのだということでは、ありません。

―――――――――

本当に失礼ですが、これは本当に「生長の家の教え」なのでしょうか?

わたしは、今まで聖典をお勉強してきましたが、そのようなご指導内容は拝見したことはないです。


何を、不都合と見るかはその人によって違うとも思いますが、
本当の実相礼拝(祈り)ができるようになれば、実相世界がそのまま現象世界に顕れるわけですから、
自分に不都合なことなど全く起らなくなるのではないでしょうか?

それに真理は【学ぶ】だけではなくて、【悟る】ことが重要だと感じています。

そして本当に悟ったとき、自分にとって不都合な事など全く起らない理想世界(実相世界)が顕現するのだとわたしは信じているのです。

そのためにわたしは、こんなにも熱心に聖典のお勉強を続けているので、志恩さまのご指導内容には正直ショックを受けています。

3959志恩:2014/05/29(木) 05:30:09 ID:.QY5jUA6
a hope様

生長の家の元々の教えや、「生命の實相」が継承されず、隠蔽されてしまう現実を危惧されて、
立ち上がられた本流の皆様のこと、(著作権の裁判問題などのことも含めて)

それらのことを、a hopeさんは、本流は、利己的な心で、やっているのだと判断されました。
「生命の實相」に 照らし合わせてのお答えだと言われました。

「生命の實相」第13巻の
a hopeさんが、ご紹介された文のp124によりますと、「いっさいは自心の展開である」。。。
とありますので、今まで、復興G様があなたに教えて下さっておられた【合わせ鏡】という倫理で、
今の教団と、本流派のことを、あなたは捉えておられるのでしょうか?

この【合わせ鏡】につきましては、復興G様は、世界中で起きている全てのことは、自分の心の
展開したものであり、自分と、それらの世界中の事柄は合わせ鏡なのであるから、世界で起きている事柄は、
全てが自分の責任である、と教えて下さっておられました。

私は【合わせ鏡】の倫理につきましては、ごく身近な個人と個人との問題に適応する倫理だと主張。
しかし、復興G様は、そうではない、世界で起きている全てと、自分個人との倫理のことだと主張されました。
で、私は、その件は、納得出来ないままで終わっております。

此のたび、a hopeさんが、ご紹介下さった箇所も、「この世界は自心の展開である」ですから、
【合わせ鏡】の件につながると思います。

私は、残念ながら、まだ、その件は、理解出来ておりません。

ahope様ー
>>本当に失礼ですが、これは本当に「生長の家の教え」なのでしょうか?
わたしは、今まで聖典をお勉強してきましたが、そのようなご指導内容は拝見したことはないです。

何を、不都合と見るかはその人によって違うとも思いますが、
本当の実相礼拝(祈り)ができるようになれば、実相世界がそのまま現象世界に顕れるわけですから、
自分に不都合なことなど全く起らなくなるのではないでしょうか?

それに真理は【学ぶ】だけではなくて、【悟る】ことが重要だと感じています。

そして本当に悟ったとき、自分にとって不都合な事など全く起らない理想世界(実相世界)が
顕現するのだとわたしは信じているのです。
そのためにわたしは、こんなにも熱心に聖典のお勉強を続けているので、
志恩さまのご指導内容には正直ショックを受けています。 <<

志恩ー
先にも言いましたが、真理を学び、悟れば、何も「課題」が与えられないということではないです。
現象世界で生きていれば、つぎからつぎへと、われわれ現象人間の感覚から見ましたら、
思いもかけない不愉快に感じる事、悲しく感じることも、この現象世界で、自分の目の前に現れて来ます。

では、谷口雅春先生のお孫さんの雅宣様に、「課題」が大発生しておりますが、
雅春先生が悟っておられなかったから、このような「課題」が、発生したのでしょうか?

課題も問題も、何か意味があり、われわれに、与えられていると思っていますが、
全てが【合わせ鏡】だとは、私は思っておりません。

恵美子先生の、現在の身の上のことだって、考えますと、
最近は、高知でお見かけしたというおウワサが報じられていましたが、
つい最近まで、実の息子の雅宣様に、
母親である恵美子先生が、ご自宅で、軟禁状態にされていたのは、事実のようです。

それでは、恵美子先生が、悟っておられないから、そのような目に合う現象が現れたとおっしゃるのですか?
私は、難しい課題は、より悟ったからこそ、その方々に、与えられる場合もあると受け止めております。


p165,166,167に書かれてありますが、
>>この世には、業の法則、痕跡の法則、自然界の法則がある。しかし、
太陽の光の射すところに影は無いと同じく、実在の主張ー善の絶対権威の前には、自然界の法則も「不可不」の
法則も影を消して、無に帰してしまう。<<と書かれてございますが、

太陽の光も、照らさなければ、影は消えません。
そのお役目である光の進軍が、光明掲示板などの本流掲示板や、このトキ様掲示板の発言による行為、
光の進軍である行為であると思っております。

雅宣様のなさっておられることも、大きい目で見ましたら、何か大きな学びの意味があるのかもしれません。

                    つづき

3960志恩:2014/05/29(木) 06:12:58 ID:.QY5jUA6
第13巻p177に「善の三相応」という題で説かれている頁がございます。

>>「善」の動機説、精神内容説は古来から唱えられている。
その説に従えば、

動機さえよければ、その行為の精神内容さえよければ、
形はどうでもそれは「善」であるとみとむべきであるというのである。

人類のためだという動機ならば、手段としての行為はどのようなものでも、また
どのような結果を招いてもその行為は「善」であるというのである。

これは谷口倫理学では、排斥するところである。

動機が善であっても、それが不結果を招くのは、その動機としての彼の行為を指導し、
彼を行為にまで駆るところの精神内容に、すべての場合や条件を尽くさざるところの
不完全さがあるということを暴露しているのである。

不完全は「善」ではないから、不結果を招くような動機も手段も「善」とはいい難いである。
(略)
p179
・・・善を完うするのは、人間(肉我)にはできないことであるが、神にしてのみ
能うことである。(略) 自我の転換である。

・・小知で善をなしたと小善ぼこりをしていても、必ずそれは悪に変じているのである。<<

以上のように、
排斥すべきところは、しっかりと、排斥するのが、谷口倫理学。

3961志恩:2014/05/29(木) 06:18:10 ID:.QY5jUA6
悟ったら、自分の不都合と思う事が、現れなくなるのではなくて、
どのようなことが、あらわれようとも、
神の子人間を体得し、教えを、実践していれば、
時間という経過は、ありますけれど、良い方へ導かれて、いい結果になって解決して行くというのが、
私の生長の家信徒としての、今までの実体験からの感想です。

3962志恩:2014/05/29(木) 08:25:47 ID:.QY5jUA6
 藤原敏之先生著・「あなたは必ず救われる」より

【人生とは 魂向上のための 学校の様なものでありますから、何も問題がなくなるということはないのであります。
 人生とは問題のあるところだと考えた方がよろしいのであります。】

   {人生は魂修行の道場}は、聖典引用板に。。。。

3963志恩:2014/05/29(木) 08:47:29 ID:.QY5jUA6
>>3959:の訂正と補足

a hopeさんのご紹介下さった文は、p125ではなく、p105でした。
そこは、「神性隠蔽の章」。

私は、そのつづきの後の方の頁、
「実相隠蔽の章」の文を、取り上げて申し上げております。

3964a hope:2014/05/29(木) 10:08:18 ID:cEpBaIdo
>>3959 〜志恩さま

たいへん誠実なお返事をありがとうございます。

このweb誌友会には参加者がほとんどいなくて、わたしひとりが聖典を読み進み、
勝手に解釈していましたので、内心では少々不安に感じていました。

今日はこれから仕事なので、落ち着いて志恩さまの投稿を拝見できませんので、
ちょっと時間がかかるかもしれませんが、しっかりお勉強させていただき、
わたしも誠実にお返事させていただきます。

感謝 合掌。

3965a hope:2014/05/30(金) 08:50:24 ID:cEpBaIdo

志恩さま みなさま おはようございます。

昨晩、志恩さまからのお返事や、今回のテキストや自分の所感、それから志恩さまが一部ご紹介して下さった、
藤原敏之先生著の「あなたは必ず救われる」の『正しい人間観とは何か』p90〜を読み返しました。

そして、とても大切な真理を再確認することができました。
このような、貴重なお勉強の機会を与えて下さった志恩さまに心から感謝しています。合掌。

そして、自分なりに志恩さまへの返事ができる準備ができたのですが、
志恩さまはわたしの返事をお受け取り下さらず、この掲示板を去るご予定なのでしょうか?

そうであれば、わたしは直接のお返事は控えさせていただきたいと思います。

なぜなら相手がいない論議は、ただの批判になってしまうからです。

まして、わたしの大好きな「生長の家教え」の真理で、大好きな志恩さまを批判することはできないからです。


今回は、お返事の代わりに、

藤原敏之先生著の「あなたは必ず救われる」の『正しい人間観とは何か』からの抜粋文を聖典引用板に謹写させていただきました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2882n-

お察しいただけると、うれしいです。

感謝 合掌。

3966志恩:2014/05/30(金) 13:30:48 ID:.QY5jUA6
a hope様

どうぞ、なんなりと私に仰って下さいませ。私も、他にも色々とやっておりますし、
卒業生ですけれど、私でよろしかったら….すぐには、お返事できないこともあるとおもいますが。

3967志恩:2014/05/30(金) 15:29:10 ID:.QY5jUA6
追伸:
但し、私は、講師では ないですし、末端信徒ですから、
あなたの質問で、わからないところが あると思います。

そのようなときは、
私としては、私の先生のようなトキ様や、縹様に、お尋ねして、教えて頂きながら、
a hopeさんに、お答えさせて頂く場合もあるかと、存じます。

3968a hope:2014/05/31(土) 07:56:08 ID:cEpBaIdo
みなさま おはようございます。

志恩さま 掲示板に残って下さるのですね!

ありがとうございます。

それでは、志恩さまの広いお心に甘えて、正々堂々と論戦させていただきます。

ですが、わたしも仕事やいろいろの行事やらでなかなか時間が取れませんので、
ゆっくりひとつずつお返事させていただきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

そして、この論戦になるきっかけとなったわたしの投稿ですが、
どちらかというと、その内容に関して志恩さまや破邪顕正さまの本流の先輩方からから
ご意見をお聞きしたいと思っていたので再掲させていただきます。

よろしくお願いいたします。


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