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1586goro:2012/10/04(木) 15:46:16 ID:Cc8Z7oOY
 
 李明博大統領に謝罪と発言の撤回を求める〜竹島・慰安婦・歴史認識 2012.9.7

<目次>

1.李大統領が竹島に上陸、天皇陛下を侮辱
2.韓国は日本から独立したのではない
3.慰安婦問題を巡る対韓外交の失敗
4.わが国は慰安婦の碑と博物館に対抗すべし
5.慰安婦は超高給取りの売春婦
6.韓国の売春事情は今もそう変わらない
7.わが国政府は河野談話等を見直し、歴史認識を正せ

1.李大統領が竹島に上陸、天皇陛下を侮辱


 平成24年(2012)8月10日、李明博(イ・ミョンパク)大統領は、
韓国の大統領として初めてわが国の固有の領土である竹島に不法上陸した。
許しがたい暴挙である。わが国政府は、強く抗議しなければならない。

 平成22年(2010)9月7日尖閣諸島沖で中国漁船の衝事件が起こった。
同月27日メドベージェフ大統領(当時)と胡錦濤国家主席は、中露共同声明を発表した。
共同声明には、中露が連携して、日本に大戦の責任をかぶせ、自己を正当化して外交を有利に進める姿勢が示され、
わが国は北と南の両方から圧力をかけられる状況になった。尖閣事件でわが国の中国への弱腰外交を見たメドベージェフは、
11月1日北方領土訪問を強行した。韓国資本は北方領土への投資を行っているから、
私は中露韓が連携して日本に向かってくることをわが国民に警告した。

1587goro:2012/10/04(木) 15:46:51 ID:Cc8Z7oOY

 昨23年東日本大震災でわが国が多大な損害を受けて窮地に陥ると、ロシアは一層北方領土の実効支配を強め、
中国は尖閣諸島への領土的野心を表した。韓国はこうした周辺諸国の動きを見て、竹島の実効支配を一段と推進してきた。
そして、このたび李大統領は竹島を訪問するというかつてない暴挙に出るに至った。
この間、わが国の民主党政権は、外交で失策を重ね、竹島についても韓国から侮られる情けない姿をさらしてきた。

 韓国はさらに8月19日、竹島で李明博大統領直筆の石碑の除幕式を行った。石碑は「独島守護標石」と名付けられ、竹島の実効支配を誇示している。
高さは1・2メートルで、表にハングルで「独島」、裏に「大韓民国」、側面には「2012年夏 大統領 李明博」との文字が刻まれている。
わが国政府は、これに対しても強く抗議し、石碑の即刻撤去を求めなければならない。
 李大統領は、竹島に不法上陸した4日後、8月14日、天皇陛下の訪韓に言及し「(天皇陛下が)韓国を訪問したいのなら、
独立運動で亡くなった方々に対し心からの謝罪をする必要があると(日本側に)伝えた」と述べた。
また「『痛惜の念』などという単語ひとつを言いに来るのであれば、訪韓の必要はない」と述べた。

 天皇は、現行憲法において「日本国の象徴」及び「日本国民統合の象徴」と規定されている。
天皇に対する侮辱は、日本国及び日本国民に対する侮辱である。わが国は李大統領に強く抗議し、発言を撤回させ、謝罪を求めねばならない。

 李大統領は、天皇陛下が「韓国を訪問したいのなら」と述べたというが、天皇陛下は韓国訪問を希望するというお言葉を述べてなどおられない。
過去にわが国の政府・政界には、天皇陛下の訪韓を進めようとする動きがあったが、これは国民の良識によって抑止されている。
平成4年(1992)宮沢内閣は、天安門事件後、国際的に孤立した中国に対し、天皇陛下の訪中を進め、天皇陛下の政治利用をした。
その過ちを繰り返してははならない。そもそも現在の韓国には、天皇陛下がご訪問されるような環境が整っていない。
韓国では、マスメディアが、天皇について天皇という正式名称を持ちずに、「日王」と呼ぶ。反日感情を持つ国民が多く、
仮に天皇陛下が訪問した場合、どのような不測の事態が生じるかしれない。私は断固反対してきたし、多くの日本国民は反対だろう。

 李大統領は、このたびの暴言で天皇陛下を天皇陛下と呼んだのではない。「日王」と侮蔑的な名称で呼んだ。
そして李大統領は、あたかも天皇陛下ご自身が韓国訪問をされているかのようにとれる言い方をし、
独立運動で亡くなった韓国人への謝罪を受け入れの条件とするという無礼な発言をした。これは、歴史を歪曲したまったくの言いがかりである。
日韓併合は政府間の協議によってなされた合法的なものであり、戦前日本皇室と韓国王室は友好的な関係を結んでいた。
梨本宮家の方子様は韓国皇太子・李垠の妃となり、日韓の懸け橋に努めた。平成元年(1989)に逝去した際、
葬儀は韓国皇太子妃の準国葬として執り行われ、わが国から三笠宮崇仁親王夫妻が参列した。天皇陛下が韓国人独立運動家に謝罪するなど全くの筋違いである。

1588goro:2012/10/04(木) 15:47:25 ID:Cc8Z7oOY

 李明博氏は、平成20年(2008)大統領に就任するに当たり、「成熟した韓日関係のために、
(日本には)謝罪や反省は求めない」と述べ、同年4月の訪日の際にも、「過去にこだわって未来が損なわれてはならない」と語っていた。
ところが今回は、韓国の歴代大統領が誰も行わなかった竹島上陸を敢行し、さらに天皇陛下に対して常軌を逸した暴言を吐いた。
李氏は任期があと半年と迫っているが、実兄の前国会議員や側近が金銭スキャンダルで逮捕されるなどで政権の求心力を失っている。
そこで、8月15日に韓国が日本による統治からの解放を祝う「光復節」を前にし、反日的な言動を行うことで人気の回復を狙ったのだろうと見られる。

 野田首相は抗議のため李大統領に親書を送ったが、韓国外交通商省はこれを返送すると発表し、8月23日韓国大使館員が返しに来ると、
わが国外務省は受け取りを拒否した。韓国側は書留で返送してきたので、外務省はわが国品位を保つため、これを受け取った。

 国家のトップがトップにあてて出す親書を送り返すのは、外交儀礼に反する行為である。野田首相は8月23日衆院予算委員会で、
李大統領の天皇陛下謝罪要求発言について、「玄葉外相が言動を改めるようにと抗議した。抗議の中には謝罪、撤回が入っているが、
改めて謝罪と撤回はやるべきだ」と述べた。また「天皇陛下から韓国を訪ねたいと要請したことはなく、韓国大統領からの招請はあった。
事実関係としておかしい」とも指摘し、「発言の中身は相当に常識から逸脱している」と強い不快感を示した。
李大統領に対し発言の撤回と謝罪を求めるのは、当然の要求である。
野田首相には、支持率維持のためのポーズではなく、一国の宰相として本気で要求してほしい。

 李大統領の言動は、日韓の信頼関係を壊し、日米韓の連携を崩すものである。
共産中国が軍事力を増強して海洋に進出し、北朝鮮が核・ミサイル開発を進めているなか、東アジアの安定には、日米韓の緊密な協力が不可欠である。
そうした時に、李大統領が常軌を逸した言動で日韓関係を損ねるのは、北朝鮮を喜ばせ、ひいては北朝鮮の韓国への圧力を強めることになるだけである。
李氏には、自分の言動を反省し、姿勢を改めることを強く求めたい。

1589goro:2012/10/04(木) 15:49:22 ID:Cc8Z7oOY

2.韓国は日本から独立したのではない

 李明博大統領は、天皇陛下の訪韓に言及し「韓国を訪問したければ、独立運動をして亡くなった方々を訪ねて
心から謝罪してほしい」と述べたが、韓国は日本から独立したのではない。独立したのは米国からである。

 昭和20年(1945)年8月15日、日本の降伏とともに朝鮮は自治権を得た。独立ではなく、自治権だった。
この日、朝鮮総督府に韓国旗が揚がった。だが、9月8日に米軍が韓国に進駐し、韓国旗を降ろし、替わりに日章旗を掲げた。
米国は韓国を独立国として認めず、日本の一部とみなしたのである。この時点で米国には韓国を独立させる意思はなかった。

 第2次世界大戦の終了時、朝鮮半島は南北に二分され、38度線以北はソ連軍に、以南は米軍に占領された。
カイロ宣言に基づいて朝鮮の独立が確認され、米ソ共同委員会が設置された。21年(1948)ソ連は北朝鮮人民委員会を設立し、
米国は軍政庁を過渡的政府に改組し、23年(1948)5月、国連の監視下で総選挙を行った。
同年6月、南朝鮮の国会は大韓民国憲法を制定し、8月13日に独立した。これに対抗して、
ソ連側では同年8月に最高人民会議代議員の選挙を経て、9月に憲法を採択し、朝鮮民主主義人民共和国が成立した。

 韓国の独立は、日本を戦って韓国民が勝ち取ったというものでは、まったくない。
米ソ冷戦のなか、米国が朝鮮半島でソ連に対抗するため、韓国を戦略的意図を以て独立させたのである。

 今日、韓国の独立記念日は、昭和20年(1945)8月15日とされ、8月15日が「光復節」とされているが、
本当の独立の日は23年(1948)8月13日である。敢えて8月15日を「光復節」としたのは、
日本の終戦の日を解放記念日とすることによって、韓国が日本の植民地支配から解放されたという物語を創作し、
愛国心を高揚しようとしたのだろう。だが、本当の独立の日を伏せているところに、韓国という国家の出生の事情がある。
韓国に真の愛国者がいるならば、自国の由来を知るべきである。

1590goro:2012/10/04(木) 15:53:08 ID:Cc8Z7oOY

 次に韓国にとっての8月15日について、稀代の碩学・小室直樹が書いた文章を掲載する。
小室直樹著『韓国の悲劇』(光文社カッパブックス、昭和60年)からの引用である。

 「韓国においては8月15日は、解放記念日として祝われる。ここから、すべての誤りがはじまる。
その第一の理由は、この日に、韓国・朝鮮は解放されたのではないからである。
そして第二に、韓国における根本的不幸はこの日からはじまったからである。
昭和20年8月15日、日本はポツダム宣言を受託した。しかし、このことによって朝鮮が解放されたわけではなかった。(略)

『解放』なんて言ったところで、決して、自力で『日帝』を追ったのではない。本当のところ、ほとんど何もできなかったのだ。

 日本が降伏した後も同じであった。日本は、8月15日、ポツダム宣言を受託したが、日本の朝鮮支配は、まだ終わっていなかった。
『解放の記念日』といわれた8月15日以降も、日章旗は、日本の朝鮮支配のシンボルたる総督府にも、李王朝のシンボルたる景福宮にも、
役所にも工場にもひるがえっていたのである。自由朝鮮の国旗たる大極旗は、すぐに下されてしまった。
これに対し、革命の指導者も、独立の志士も、何ひとつできなかった。民衆も、昨日のごとく今日もありなんとばかり、座したままであった。
このことは、銘記されなければならない。

 たとえばもし、フィラデルフィアで、自由の鐘が鳴り響いているとき、星条旗を引き下ろして
ユニオン・ジャックを掲げたらいったいどうなるか、想像してみればよい。

 アメリカが、交渉相手として選んだのは朝鮮総督府であり、アメリカ軍が気にしたのは、
上月良夫(うえつきよしお)中将の朝鮮軍管区軍(もちろん、これは日本軍)であった。

 8月15日のポツダム宣言受託から、9月9日の、朝鮮総督府、朝鮮軍管区軍の沖縄二十四軍団の降伏がなされるまで、
韓国における統治は、なお総督府の手にあり、朝鮮軍管区軍によって治安は保たれていた。群民蜂起もなく、いわんや革命もなかった。
『反日帝』の指導者はみんな、まごまごするだけで、何をどうしてよいかわからなかった。このことがもつ、歴史的重大性は、強調されすぎることはない」

 韓国は日本から独立したのではなく、米ソの冷戦の中で、米国から独立した。その独立は南北に分かれた朝鮮の南半分の独立である。
そして、北半分が独立した北朝鮮と韓国は、昭和25年(1950)から朝鮮戦争を戦った。南進統一を目指す金日成がスターリンの支援を受けて、
韓国に侵攻した。同じ民族が二つに分かれて激突した朝鮮戦争は、韓国に甚大な被害をもたらした。その被害の大きさは、
韓国民が日本国民として米英等と戦った大東亜戦争での被害をはるかに上回る。朝鮮半島が今も二分され、民族が分断されているのは、
日本がもたらしたものではなく、米ソ冷戦期に朝鮮民族が相別れて戦った代理戦争の結果である。韓国に真の愛国者がいるならば、
自民族の抗争の歴史についても知るべきである。

1591うのはな:2012/10/04(木) 16:03:34 ID:0OK1Hwak

 心がポカポカするニュース  日本新聞協会編

 「ままへ。」無邪気な寝顔に涙

「リアス式海岸に点在する小さな漁村はどうなっているのだろう」。
震災から1週間後に現地入りし、岩手県内の海岸線を南から北上した。
高台にまで津波の被害を受けた宮古市の千鶏地区。そこで昆愛海(こんまなみ)ちゃん(5)
と出会った。

 祖母、幸子さん(63)から、愛海ちゃんと3歳の妹、両親の一家4人が津波で自宅ごと流され、
愛海ちゃんだけ助かったと聞かされた。その境遇と、笑顔が少なかったことが気にかかり、時間を
見つけては愛海ちゃんを訪ねるようになった。

 出会って5日目くらいだった。トランプをしていると、突然、「ママに手紙を書く」と、ノートを広げた。
愛海ちゃんは、ゆっくり考えながら、一文字一文字書き進めた。途中でわからない字があると、幼児雑誌の
「めばえ」を広げ、調べた。「ままへ。いきてるといいね おげんきですか」

 涙があふれた。途中眠ってしまったところを撮影した写真が、3月31日朝刊に掲載された。
インターネットの掲示板に、こんな書き込みがあった。「俺はニートのどうしようもない男です。でも、愛海ちゃんの
記事を読んで、自分が甘えていたことに気付きました。これから仕事を探しに行きます」。

 記事や写真には、震災の傷痕を伝えるだけでなく、読者を奮い立たせる力があると初めて実感した。
母方の祖母・根木静江さん(59)は「マナの記事が載ってから震災孤児の報道が増えた気がする。この問題を喚起する意味で、
役立てたとしたらうれしい」と言ってくれた。今後も、愛海ちゃんの成長と、震災孤児の問題を伝えていければと考えている。

読売新聞 2011年5月11日付 朝刊  写真部 立石紀和

1592goro:2012/10/05(金) 10:19:19 ID:Cc8Z7oOY

以下の4項目については割愛します。
なを御希望があれば転載しますのでよろしくお願いいたします。

3.慰安婦問題を巡る対韓外交の失敗
4.わが国は慰安婦の碑と博物館に対抗すべし
5.慰安婦は超高給取りの売春婦
6.韓国の売春事情は今もそう変わらない

(3〜6=A4サイズ5枚分に相当します)
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7.わが国政府は河野談話等を見直し、歴史認識を正せ

韓国・李大統領は、8月10日竹島に不法上陸し、14日には天皇陛下への暴言を吐いた。
常軌を逸した言動の背景には、慰安婦問題があることを、李大統領は公言している。

李大統領の竹島上陸後、慰安婦問題に関して河野談話の問題点を最初に指摘した政治家は、橋下徹大阪市長だった。
橋下氏は「慰安婦が日本軍に暴行、脅迫を受けて連れてこられた証拠はない」「河野談話は証拠に基づかない内容で、
日韓関係をこじらせる最大の元凶だ」と述べた。安倍晋三元首相は、橋下氏の発言を「大変勇気ある発言」と評価し、
河野談話を見直して新たな談話を発表すべきだという考えを示した。さらに安倍氏は、宮沢官房長官談話、村山首相談話を見直す意思も表明している。

宮沢談話は教科書の近隣諸国条項のもとになったもので、河野談話につながるものである。村山談話はわが国が行った戦争を侵略、
旧日本領の統治を植民地支配と断じたもので、なんら法的拘束力がないにもかかわらず、政府の見解としてわが国の歴史認識を束縛している。

1593goro:2012/10/05(金) 10:20:09 ID:Cc8Z7oOY

 河野談話については、平成9年(1997)4月、石原信雄元官房副長官の証言で、
日本政府が集めた二百数十点に及ぶ公式文書の中には強制連行を裏付ける資料はないにもかかわらず、
韓国人元慰安婦16人の聞き取り調査だけで強制連行を認めたことが明らかになった。
同月の参院予算委員会で当時、内閣外政審議室長だった平林博氏は、元慰安婦の証言の裏付け調査が行われなかったことを明らかにした。

だが、その後、歴代内閣は河野談話の見直しを怠った。安倍氏が首相になって、初めて河野談話の検証作業が行われた。
安倍内閣は、平成19年(2007)3月、「政府が発見した資料の中には、
軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」との政府答弁書を閣議決定した。
当時、米国下院議会では慰安婦問題に関する対日非難決議案が審議されていた。マイク・ホンダ議員らによるこの決議案は、
「日本軍は第2次大戦中に若い女性たちを強制的に性奴隷にした」など事実誤認の内容を多く含んでいた。
これに対し、安倍首相は、河野談話に言う「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れていくという強制性はなかった」として狭義の強制性を否定した。
だが、「間に入った業者が事実上強制していたケースもあったという意味で、広義の強制性があった」とも述べ、
広義の強制性という論理を打破し得ていなかった。そのため、安倍氏の発言は当時のブッシュ政権や米国社会に十分に理解されるものとならなかった。
国内的にも、中途半端な対応に終わった。河野談話を撤回した上で、新たな談話を出さなかったからである。
また河野談話の元になった韓国人元慰安婦の証言を公開しなかったことも、説得力を弱くした。

河野談話に基づく強制連行説は、平成9年(1997)4月の時点で完全に破綻している。
それにもかかわらず、歴代内閣は、河野談話を踏襲してきた。その結果、慰安婦問題を理由に、
韓国大統領に竹島に不法上陸をされ、さらに天皇陛下を侮辱する暴言を受けるまでの事態に至っている。
政府は、河野談話を再検証し、談話の誤りを認め、撤回すべきである。国会は河野洋平氏らを証人喚問し、
談話発表の経緯を国民の前で徹底究明すべきである。また、外務省は米国や国際社会に広がった慰安婦問題の誤解を解き、
日本の汚名をそそぐために、粘り強い外交努力を重ねなければならない。

1594goro:2012/10/05(金) 10:23:52 ID:Cc8Z7oOY

ところで、李大統領の竹島不法上陸、天皇陛下への暴言以後、多くの政治家・有識者が発言している中で、
私が最も強靭で明確な姿勢を感じたのが、稲田朋美氏の発言である。

 稲田氏は弁護士で自民党所属の衆議院議員である。保守派の論客として知られる。
稲田氏の発言は、産経新聞平成24年(2012)8月31日号の「正論」欄に、
「領土は歴史認識と二正面作戦で」と題して掲載されたものである。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120831/plc12083103290002-n1.htm

非常に密度の高い文章なので、要約的な紹介は困難だが、大意を記す。


 ーーー相次ぐ「隣国からの領土侵犯行為の根底には、歴史認識の問題がある」「相手側が歴史認識を論じる以上、それにも冷静に反論することが必要だ」。
その前段として、河野談話、村山談話、菅談話のような「有害無益な談話類は受け継がないと宣言する新談話を即刻出すべきだ」。

 昨年8月韓国の憲法裁判所は、「慰安婦問題が昭和40年の日韓請求権協定の範囲外で、慰安婦の賠償請求権は消滅しておらず、
それを解決できていない韓国政府の不作為が、憲法違反に当たる」という判決を下した。わが国政府が「事実関係を否定しない限り、
謝罪と補償を要求され続ける」。今年5月韓国最高裁は、「戦時中の日本企業による朝鮮人強制労働に関する裁判で、
日韓基本条約にもかかわらず個人賠償請求権は消滅していない」という判決を下した。
これで、「日本での戦後補償裁判では法的に解決ずみという理由で勝訴してきた日本企業が、韓国国内で再度裁判を起こされれば、敗訴することになった」。

 日本政府は「戦後補償、慰安婦裁判では、事実関係を争わない方針」なので、「日本での判決には証拠のない嘘が書き込まれている」。
「韓国の裁判でそんな日本の判決書が証拠として提出されれば、日本側に勝ち目はない」。

「政府は、戦後補償裁判でも事実関係を争う方針に転換すべきだ。」「今までのような抽象的な贖罪意識に基づいた、
あるいは、日本特有の寛容の精神で相手と接してきた、配慮外交を改め、戦後補償であれ慰安婦であれ、
言うべきことを勇気をもって主張する外交へと方向を転換することである」。
「そうしないと、日本の名誉も韓国国内の日本企業の財産も守れないし領土侵犯も続く」ことになる。

1595goro:2012/10/05(金) 10:25:40 ID:Cc8Z7oOY

 最後に稲田氏は、次のように言う。
「領土侵犯の理由に歴史認識を持ち出されれば、政治家が歴史認識をもって対抗しなければならない時代がきた」と。

―――

 稲田氏の主張のうち、韓国の憲法裁判所及び最高裁の判決に関する部分は、特に重要である。
政府間のレベルだけでなく、司法が絡んできたことを、我々はよく認識する必要がある。

 いまや政治家が鍛え上げた歴史認識をもって外交に臨まねば、周辺諸国の攻勢から
日本の領土・資産・誇りを守ることのできない窮地に、わが国は本当に追い込まれている。
この窮地を脱し、日本の再建を進めるには、わが国の政府が発して、わが国を呪縛している談話類を見直し、政府の見解を改めねばならない。

 ただし、政治家が周辺諸国に確固とした歴史認識で対抗するだけでは、今日の窮地を真に脱することはできない。
外交は軍事力の裏付けなくしては、有効に展開し得ない。外交は裁判とは違う。言葉と論理だけでは、正義と公正を実現できない。
自分の国、自国の領土と主権を自分で守るための国防力を強化してこそ、国益を守る外交を展開することができることを、
政治家も国民もともに肝に銘じなければならない。

 日本人が日本精神を取り戻し、国民が団結しなければ、わが国は窮地を脱し得ない。日本精神を復興し、日本の再建を進めよう。

1596神の子さん:2012/10/05(金) 13:40:01 ID:???
いつもコピペをご苦労様です。
お陰様で部室板は貴方以外誰もいなくなりました。
ご自分のブログでやられてみてはいかがでしょうか?

1597goro:2012/10/05(金) 15:36:04 ID:Cc8Z7oOY

「神の子」殿 

時節柄領土問題などについて皆さんの
理解の手助けになればと思い投稿してきましたが、
貴方が投稿内容について是非の判定者でしたら仰せに従います。

1598goro:2012/10/05(金) 15:37:54 ID:Cc8Z7oOY
訂正
  投降→コピペです。

1599志恩:2012/10/05(金) 16:15:23 ID:.QY5jUA6
goro様

稲田朋美議員は、稀に見るほんものの政治家だと、多くの有識者が、太鼓判を
押している政治家です。祖父母の代からの生長の家だということも、公言されてます。

こういう人こそ、総理大臣になって,頂きたいというのも、多くの方々の声です。

ここで、なんといわれようと、ここをご覧になられてる方々の為に,今後も貴重な
投稿をお続け下さいますよう、期待しています。

1600goro:2012/10/05(金) 16:52:51 ID:Cc8Z7oOY

 志恩さま

我らが祖国日本のことや周辺諸国のことについて
理解を深めていただくために今後も転写させて頂きます。
有り難うございます。

決して上から目線で「訊け、初心者!」などと言うつもりはありません。
念の為に申し添えます。

1601役行者:2012/10/05(金) 16:58:45 ID:MKVy1OhE
 goro 様

 コピペとはいえ、内容の深い投稿文、ありがとうございます。
 いちいち、頷きながら読んでおりました。

 結局、歴史認識を裏付けにした外交力でしょう。
 今の政治家、官僚がまず、金にも、ハニートラップにも、世界権力の脅し、如何なる誘惑にも負けないような胆力を付けないことにはどうにもならないでしょう。

 また、日本人がもっと人間力、経済力を付けて、世界に堂々とモノが云えるようになったとき、国際法で解決するよう導くのも一つかと思います。
 中共ではないですが、世界の力関係をみて、ここぞ!と思ったとき、一気に領土問題について踏み込んでもらいたいものです。

 いまは、尖閣諸島から南シナ海までのラインを結ぶ国々と協力し合って、不法な中国の言い分に対し、断固譲らない不動の団結力を堅持する必要があると思います。

 一方、現総裁が仰っている「平和」「環境」「資源」の三つの問題について、日本から世界のどの国も納得するようなグランドデザインを地道に発信してゆくべきときかと存じます。

1602goro:2012/10/06(土) 21:08:55 ID:Cc8Z7oOY

現代中国をどう見るか〜ファシズム的共産主義の脅威 2006.10.02

◆ファシズムと共産主義に共通するもの

 ファシズムの最も狭い定義は、イタリアのファシスト党の思想・運動について言う。
より広い定義は、ドイツのナチスを加えて、ファシスト党と共通する特徴を取り出して、政治学の概念としたものである。
これに、昭和戦前期のわが国やスペイン等の国家体制を加える見方もある。

ファシズムは、共産主義の側からは、共産主義革命に対する「反動」であり、「反革命の最も先鋭な、最も戦闘的な形態」とされる。
その点で、ナチス・ドイツは、ファシズムの国家だった。一方、当時のソ連は、共産主義の国家である。
ヒトラーとスターリンは、独ソ戦争を戦った。その限りでは、ファシズムと共産主義は、敵対関係にある対立物である。

しかし、ファシズムと共産主義には、共通点がある。

 例えば、わが国有数の政治学者・丸山真男は、ファシズムを定義する際、次のような特徴を挙げた。

①独裁者の出現とその神格化
②議会政治の否定による一党独裁
③非立憲制
④言論・集会・結社・団結の自由と自主的コミュニケーションの禁止
⑤テクノロジーとマスメディアの駆使による大衆の画一化
⑥テロ・暴力の駆使による「恐怖の支配」

 これらの特徴は、ほとんどが共産主義にも当てはまる。
マルクス=エンゲルスの思想は、理論上必ずしもこうではないから、ロシア型共産主義の場合は、と補足しておこう。
ただし、歴史的現実的に実現した共産主義体制は、ロシア型つまりレーニン=スターリンの系統である。
21世紀に生き延びている中国も北朝鮮も、同系統である。本稿にいう共産主義は、この意味で言う。

1603goro:2012/10/06(土) 21:09:28 ID:Cc8Z7oOY

 ファシズムと共産主義は、全体主義という概念でとらえることができる。
フリードリッヒ・ブレゼンスキーの『全体主義的独裁と専制』によると、全体主義には、次のような特徴がある。

①首尾一貫した完成したイデオロギー(世界征服を目指す千年王国論)
②独裁者の指導による単一大衆政党
③物理的・心理的テロルの体系
④マスコミの独占
⑤武器の独占
⑥経済の集中管理と指導

 これらの特徴は、ナチス・ドイツにも旧ソ連にも当てはまる。
特にスターリン時代のソ連は、国家主義的・民族主義的傾向が強く、ナチス・ドイツとの共通点が多い。
違いは、ソ連はマルクス・エンゲルス・レーニン等の思想を掲げるが、ナチスは彼らの思想を敵視するところにある。
それを除くと、政治体制・統治方法・行動形式は、よく似ている。

 経済体制は、ソ連には私有財産制が存続し、共産党官僚が権力を利用して富を獲得し、新しい支配階級に成り代わった。
その正当化のために引き続きマルクス=レーニン主義を利用していた。世界の共産化という戦略も、
自国の利益追求のための膨張政策を、マルクス・レーニンの文言を切り貼りして粉飾していたようなものである。

 ともあれ、スターリン以後もソ連は、資本主義に対抗して、計画経済を行なっていた。
また、マルクス=レーニン主義による革命運動を世界に指令していた。共産主義のイデオロギーで、
自由主義と思想闘争を行なっていた。そういう外形は保っていた。だから、旧ソ連をファシズムとは呼ばない。

◆中国はナチス・ドイツに似てきている

 中華人民共和国は、もともとスターリン時代のソ連の指導と援助を受けて革命に成功し、また国家建設を進めた。
毛沢東は、シナのスターリンというべき独裁者だった。彼らをイワン雷帝と始皇帝に比せられよう。

 毛時代の中国は、ソ連ほど工業化が進んでおらず、社会主義体制というより、
アジア・アフリカ・ラテンアメリカにおける軍事政権による開発独裁に近い体制だった。
開発独裁は、政府主導の近代化・産業化であり、資本主義化の道と社会主義化の道を選択しうる。

1604goro:2012/10/06(土) 21:10:10 ID:Cc8Z7oOY

 革命国家は、資本主義経済体制と社会主義経済体制の過渡期にある。
資本主義から社会主義への過渡期においては、資本主義への逆戻りがありうる。
社会主義国で資本主義的要素が多くなることは、社会主義建設の後退と考えられる。

 中国の場合、毛沢東の時代には、まがりなりにも社会主義経済体制をめざしていた。
しかし、毛の政策は、大躍進政策や文化大革命等、破壊と混乱を繰り返すばかりで、
ほとんど経済成長ができなかった。核の開発だけが突出して推進された。

 毛の死後、実権を握った訒小平は、走資派の頭目だった。走資派とは、資本主義に走る者という意である。
訒は「社会主義市場経済」という原理的には矛盾した政策を掲げ、資本主義的な近代化・産業化のコースに舵を切った。
政治的には共産党支配の正統性を保ちながら、経済的には外国資本の投資を呼び込んで経済成長をめざした。

 旧ソ連の革命は、新しい貴族階級「ノーメン・クラツーラ」を生み出した。中国の革命も、同様である。
権力を握る共産党官僚や人民解放軍幹部が富を獲得していくという国家に、中国は変貌している。

 もちろん現在も、政治思想は共産主義であり、マルクス=レーニン主義・毛沢東思想を掲げている。
しかし、共産主義の理想である私有財産制の否定、それによる貧富の格差の解消は、かなぐり捨てている。

 社会主義的全体主義が、私有財産制を認め、資本主義的要素を多く取り入れれば、資本主義的全体主義に近づく。
資本主義的全体主義をファシズムと言うならば、現在の中国は、共産主義がファシズムに変質しつつあると見られる。
とりわけ、対外戦略は、ナチス・ドイツに似た思想と行動を表している。

 現在の中国は、かつてのソ連以上に、もっとナチス・ドイツに似てきているのである。
「社会主義市場経済」という原理的に矛盾した言い方にならえば、このファシズム化しつつある共産主義を、
「ファシズム的共産主義」と呼ぶことが出来るだろう。ファシズムそのものではない。
マルクス=レーニン主義を掲げている以上、いかに変質してもなお共産主義である。

1605goro:2012/10/06(土) 21:15:31 ID:Cc8Z7oOY

◆中独の具体的な類似点

 中国はナチス・ドイツに似てきていると書いたが、もう少し具体的に類似点を挙げてみよう。

①武力による政権奪取

 ナチスはテロと議会制圧によって、権力を奪取した。中国共産党は国共内戦を通じて、権力を奪取した。
過程は違うが、ともに武力によって政権に就いている。

②一党独裁

 政権奪取後、ナチスは一党独裁、中国共産党は事実上の一党独裁を維持している。
ともに個人の自由は極度に制限され、思想統制が行なわれている。政権または党への批判は、徹底的に弾圧される。

③国家資本主義

 経済政策では、ナチスは、自由主義的な資本主義に対して統制をかけ、一部事業の国有化を行ない、政府主導型の国家資本主義体制を取った。
中国は「社会主義市場経済」の導入により、政権は共産党だが、経済は政府主導型の国家資本主義となっている。

④弱者の復讐

 ドイツは、第1次世界大戦の敗戦国であり、ベルサイユ条約で過酷な制裁を受けた。
これに対するドイツ国民の反発が、ナチスの台頭を生んだ。ナチス・ドイツは、フランス・イギリス等への復讐心に燃えていた。

 中国は、第2次大戦の戦勝国ではあるが、アヘン戦争以後、西洋列強の侵略を受けていた。またシナ事変以後、日本との戦いでは、連戦連敗だった。
戦後はアメリカの核で何度も脅された。こうした屈辱が、日本への復讐心、アメリカへの対抗心となっている。

⑤極度の民族主義(アルトラ・ナショナリズム)

 ナチズムは、ユダヤ民族の選民思想を、ゲルマン民族に置き換えた性格を持つ。中国は、古来、中華思想を持ち、周辺諸民族を蛮族と見て、朝貢体制を築く。
この中華思想と共産主義が結合した。さらに江沢民以後の反日愛国主義教育が、中華思想と結びついた民族主義を高揚させている。

1606goro:2012/10/06(土) 21:16:01 ID:Cc8Z7oOY

⑥民族浄化

 ナチスは、ユダヤ人の虐殺を行い、ユダヤ民族の絶滅をめざした。中国共産党は、チベットに侵攻し、
チベットの人口の4分の1に当たる120万人のチベット人が殺害された。チベットの女性はみな断種手術を強制されたため、
民族の絶滅を迎えようとしているという。今日、中国国民の中には、愛国主義反日教育の結果、日本民族の殺戮・強姦・絶滅を叫ぶ者が出ている。

 これは共産主義の思想ではなく、ナチズムの思想に近い。

⑦猛烈な軍拡

 大戦間期のドイツは、猛烈な軍拡をした。中国は18年間連続で、軍事費が2桁の伸びをしている。ドイツは、優秀な科学者を結集し、
当時、世界最高水準の科学兵器を開発・製造した。中国は成長する経済力をもって、核ミサイル、原子力潜水艦、空母、宇宙兵器等の科学兵器を開発・製造しつつある。

 軍拡の目的は、中独とも、生存圏の確保、地域覇権の確立、世界支配であろう。

⑧生存圏の思想

 ナチス・ドイツは、「生存圏(Lebensraum)」の拡大、すなわち、増大する人口を完全に許容し、民族を自給自足体制に移行させ、
世界強国との闘争を可能とする資源をも産出する広大な領土の獲得を目指した。中国共産党は、江沢民時代以来、
「民族の生存空間の確保」を打ち出している「13億の中国人にとって海洋は絶対に欠かすことのできない民族的生存空間だ」と公言し、海洋への進出を強化している。

 これは共産主義の思想ではなく、ナチズムの思想である。

⑨地域覇権主義

 ナチス・ドイツは欧州における覇権をめざし、一時的にそれを実現した。中国共産党は現在、アジアにおける覇権の確立をめざしている。
ナチス・ドイツは、オーストリア・チェコ・ポーランド等に触手を伸ばしたが、中国は既にチベット、モンゴル、新疆等を支配し、
さらに台湾、尖閣諸島、東シナ海等に版図を広げようとしている。

 この行動は、共産主義による民族解放・共産党政権の樹立とは関係ない。ファシズムの行動である。

⑩世界支配の野望

 ナチズムは、ナチスという党が世界を支配することをめざした。大陸に拡散した古代ゲルマン民族の膨張願望に通じるものがある。
中華思想は、世界統治の思想である。共産主義は、世界の共産化を目指している。中国共産党は、中華思想的共産主義によって、
世界を支配しようとしているように見える。

 以上、中国とナチス・ドイツとの共通点を10点上げた。「ファシズム的共産主義」と呼ぶ論拠である。
このような国が、わが国と海を隔てて隣接しているのである。

 違いも、もちろん多くある。特に、現代中国は核兵器を持っていること。膨大な人口を持っていること。この二つは見逃せない。

 膨大な人口を周辺諸国に流出・移住させ、世界核戦争の際は人口力による生存・支配を図るという戦略は、ナチス・ドイツにはできなかったものである。

1607goro:2012/10/10(水) 00:58:41 ID:Cc8Z7oOY

 11■共産中国の覇権主義 2006.10.31

21世紀の人類の最大課題――それは、世界平和の実現と地球環境の保全である。
これら二大課題への取り組みにおいて、私は日本と中国の緊密な連携が極めて重要になると考えている。
もはや近代西洋が生み出した文明は自壊に進むしかない。東洋アジアの文明が、現代文明の欠陥を補い、新たな文明を創造する必要がある。

 ところが、現在、世界平和の実現と地球環境の保全にとって、最大の障害になりつつあるのは、中国である。
その原因は、中国を支配している共産主義であり、とりわけ近年、その性格を変貌させてきたファシズム的共産主義にある。

 世界平和の実現と地球環境の保全への取り組みを成功させるには、中国が自由化・民主化され、
東洋の伝統的な思想・文化が再興されることが不可欠である。そのために、日本が果すべき役割は大きい。
私は、このように考えている。

 現在、世界平和の実現と地球環境の保全の最大の障害になりつつあるのは、中国だと書いた。
ここでは、世界の平和と安全保障を揺るがす現代中国の思想と行動について考察したい。

●猛烈な軍拡とその目的

 中国は、軍事費が18年連続で2桁増加という猛烈な軍拡を行っている。軍拡を開始したのは、1980年代の末期である。
平成元年(1989)、共産圏では、民主化の波が起こった。中国では6月3〜4日、天安門広場に集まった学生・市民による民主化運動は、
人民解放軍によって制圧された。約2千人が殺害され、3万人の負傷者が出たという。中国は強圧的な対応で、民主化運動を押さえ込んだ。

 しかし、東欧・ソ連では、巨大な崩壊が起こった。同じ年、ポーランドで自主管理労組「連帯」が選挙で圧勝し、民主化革命が起こった。
これをきっかけに、東欧諸国では、次々にソ連型の一党独裁体制が放棄された。11月には、東西ベルリンを隔ててきた壁が取り払われ、
翌年(1990)10月、東西ドイツが統一された。共産圏の盟主・ソ連では、この年、ゴルバチョフが共産党の一党独裁を放棄し、
翌年(1991)12月、ソ連は崩壊した。

 中国では、訒小平が昭和53年(1978)に主席になって以来、市場経済の導入が積極的に推進されていた。
自由主義諸国の資本が投資されるとともに、自由主義・デモクラシーの思想が中国に流入した。
それが天安門での学生達を先頭とする「自由」と「民主」の要求だった。
中国共産党は、国内における民主化運動を抑圧しなければ、ソ連・東欧の共産党政権の二の舞になることを、痛感したに違いない。
「社会主義市場経済」によって共産主義の原則を曲げているから、共産主義思想では、もはや国内を統治できない。
そこで導入されたのが、愛国主義である。排外的な民族主義は、国内の矛盾への目を外に向けさせる常套手段だ。

1608goro:2012/10/10(水) 00:59:27 ID:Cc8Z7oOY
 
 平成5年(1993)に国家主席となった江沢民のもと、愛国主義の政策が推し進められ、反日的な教育が徹底された。
その教育は、文化大革命の時代に毛沢東が、紅衛兵世代に行ったのと同じような、徹底的な統制の中での洗脳教育である。

 軍拡は、こうした動きと並行して行われてきた。5年間で軍事費が倍増という猛烈さである。
単なる軍拡ではなく、国民の意識を排外的・好戦的にさせており、共産党の指導による国家全体のファッショ化と見ることができる。

 急激な軍拡は、何が目的だろか。経済的に豊かになれば、中国は民主化し、国際協調路線を歩むようになるという期待があるが、
それは疑わしい。経済的に豊かになった国は、その富を守ろうとし、また資源の確保のために、軍事力を増大する。
地政学の権威、シカゴ大学政治学部教授のジョン・ミアシャイマーは、大意次のように主張する。

 すべての大国、または列強と呼ばれる国々は、本質的に力を拡大する傾向を持っている。
ある程度の『パワー(人口力・軍事力・経済力の三位一体)』を得ると、必ず世界覇権国の地位を目指しはじめる。
なぜなら世界覇権を手に入れてしまえば、誰も逆らうものがいなくなってしまうからである。
ところがどの大国にとっても世界覇権を完全に達成することは不可能だから、せめて周辺国家を服従させて、
自国の安全保障を確実なものにしておきたいと考える。だから、大国は、機会があれば
他国よりもなるべく多くの力を得ようとして、攻撃的に振舞うようになる、と。

 ミアシャイマーは、中国について、次のように予想する。中国が現在の経済の近代化を維持することに成功すれば、
世界で最も豊かな大国となり、その富を強力な軍隊を築くために使うだろう。そして、地域内のいかなる国も
中国に挑戦できないほどの軍事力を築き、日本や韓国、その他の国々を支配しようとする。アメリカのアジアへの干渉を許さなくなる。
中国は、アメリカが20世紀に直面したナチス・ドイツ、ソ連などの大国より、はるかに強大で危険な潜在覇権国になり、
北東アジアではアメリカよりも決定的に有利な状況を手に入れることになる、と。

 潜在覇権国とは、ある地域ですべての大国を支配する可能性がある大国をいう。
(『諸君!』平成17年9月号、「20XX年―中国はアメリカと激突する」)

 近未来小説『ショーダウン』は、副題を「なぜ中国は米国との戦争を欲するか」としている。
同書は中国の猛烈な軍拡が、やがては米国と対決するためのものだという前提に立って、
シミュレーションの形で予測されるシナリオを打ち出している。

『ショーダウン』の著者たちは、中国がアジアからやがては世界覇権を目指し、
米国と正面から対決する意思を固めている、と断じている。

1609goro:2012/10/10(水) 01:00:16 ID:Cc8Z7oOY
 
 ●資源の確保と地域覇権をめざす

 米中対決は、まだ先の予想だろうが、中国は、北東アジアでは、地域覇権の取得を目指しつつある。
わが国の海洋権益を侵し、東シナ海の石油・天然ガス等を略取しようとしている。
大陸では、北朝鮮への影響力を強め、韓国にもそれを広げている。外モンゴルを属国化しつつある。

シベリアに大量の移民を送り、豊富な地下資源を取得しようとしている。新疆を前進基地として、
中央アジアのイスラム諸国に対し、政治的・経済的・軍事的な影響力を行使しつつある。

 中国は、地下資源が枯渇しつつある。経済成長を続けるためには、大量の資源を輸入しなければならない。
平成5年(1993)に石油輸入国に転落した中国は、ますます石油の需要を高めている。

中国が1980年代以降、兵器を供与している国は、
イスラム系中東諸国、産油国と世界の戦略的要衝となる国であり、
わが国のシーレーンに沿った国やアメリカの世界政策と抵触する国々である。
石油以外にも、経済成長に必要な様々な資源を確保するため、中国はアフリカ、
中南米等にも貪欲に手を伸ばし、世界各地で資源確保に躍起になっている。

石油を中心とする資源の争奪と軍拡によって、中国はアメリカの最大のライバルとなっている。
その成長・拡大の勢いは強い。既に米中冷戦の時代に入ったと見る識者は多い。
こうした中国が、やがて北東アジアにおける地域覇権の確立のために軍事行動を起こす可能性は、高い。

 展開されつつある中国の覇権主義を把握するには、そのもとにある中国の国家目標・国家戦略を理解する必要がある。

1610掲示板・運営/方針 板より:2012/10/10(水) 01:07:51 ID:???
トキ様

「部室」板/3の1596でコメントした者です。

現在、部室板はgoro様の投稿が大半を占めており、その内容もgoro様ご自身が書かれた者ではなく、コピペによるものであります。

goro様からは

>時節柄領土問題などについて皆さんの
理解の手助けになればと思い投稿してきましたが、
貴方が投稿内容について是非の判定者でしたら仰せに従います。<

とのレスをいただきました。

本来であれば、ご自分のブログで訴えるべきことであると思いますし、本流対策室/3において、goro様は和解派の人たちに領土問題について質問しておきながら、ご自分の考えを述べず、「もう結構です」と、一方的に議論を終わらせてしまいました。

まともに議論すらできない状態では部室板におけるgoro様の投稿が「理解の手助け」になるとは思えません。

領土問題など日本人として学ぶべき部分はあるかと思いますが、部室板はそのような目的で設立されたものではないと認識しております。

ただ、従来の部室板は傍流掲示板/別板の開設によってその役割を終えたとの見方もできます。

部室板の閉鎖、ならびにgoro様がこれまで通りの「コピペ投稿」できる板「時事問題板」の開設を希望します。

何卒ご検討のほどよろしくお願いいたします。

1611goro:2012/10/10(水) 17:29:19 ID:Cc8Z7oOY

 正体不明殿 トキ管理人殿

私がある人のブログから転載を始めるにあたり、
皆さんに投稿しないようにと
言ったことはただの一度もありません。

数回の感想や投稿はありましたが、
皆さんが遠慮されているかどうかは
私には良く分かりませんが
この板を独占している気持ちは全くありません。

1612トキ:2012/10/10(水) 18:24:57 ID:zMNmzvVU
「掲示板・運営/方針 板より 」様ならびにgoro様

 ご投稿、ありがとうございます。
 いつも素晴らしいご文書をご投稿下さり、深く感謝申し上げます。

 規約では、投稿者と投稿内容には制限がないので、今の時点では「部室」板の閉鎖は
考えていません。ただ、まもなく「部室」板がいっぱいになりますので、そのときに、
継続するか、「コピペ投稿」できる板「時事問題板」を作るかを議論したいと思いま
す。ひろく皆様のご意見をお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1613goro:2012/10/10(水) 22:08:25 ID:Cc8Z7oOY

 トキ管理人殿

御配慮感謝します。
今後も可能な限り時事問題などを中心にして
皆さんの参考にして頂けるようなものを転載させて頂きます。

宜しくお願いいたします。

1614goro:2012/10/10(水) 22:13:30 ID:Cc8Z7oOY

 12■共産中国の国家目標 2006.11.02

現代中国は、共産主義国家である。マルクス=レーニン主義、毛沢東思想に基づく国家である。
現在の中国は、ファシズム的共産主義に変質しているが、マルクス・レーニン・毛沢東は否定されていない。

●共産主義の目標

 共産主義の目標は、私有財産制を廃止し、生産手段を社会の共有にすることにより、貧富の格差を解消することにあった。
共産主義社会の高度の発展に伴い、階級がなくなり、階級間の暴力的な抑圧装置としての国家(=政府)は死滅する。
自由な諸個人の連合による社会が実現するという将来像を抱いていた。

 共産主義社会は、一国だけで実現することはできない。
資本主義は世界的な規模で発達したから、
資本主義から共産主義への移行も世界規模で行われねばならない。
革命に成功した国家は、他国及び植民地において革命を実現すべく、
国際共産主義運動を組織・指導しなければならないとされていた。

●ソ連・中国の共産主義の異同

 共産主義革命は、最初ロシアで成功した。革命の当初は、上記のような目標と方法をもって運動が行われた。
しかし、ソ連の実態は、プロレタリアート独裁ではなく、共産党の官僚による人民に対する独裁であり、レーニンへの個人崇拝が芽生えていた。
 レーニンの死後、スターリンが権力を握ると、個人崇拝が著しくなった。スターリンは、一国で社会主義建設が可能であるという理論を唱え、
またナショナリズム(国家・国民・民族を中心とする主義)を強調した。その結果、ソ連の指導する国際共産主義は、
ソ連の国益を拡大するための思想・運動に変貌した。これをスターリニズムという。

 中国共産党は、ソ連の指導・支援のもとに、革命を実現した。中国の共産主義は、スターリニズムのシナ版である。
共産党による官僚独裁、毛沢東への個人崇拝、ナショナリズム等の特徴が共通する。 もちろん違いも多くある。
重要な違いの一つは、アヘン戦争以来、シナ(清・中華民国)は欧米列強の支配・収奪を受けてきたことである。
シナの革命は、日本を含む列強の支配からの民族解放という性格を持っている。

1615goro:2012/10/10(水) 22:14:13 ID:Cc8Z7oOY

 ●共産中国の国家目標

 革命後、中華人民共和国は、明確な国家目標をもって、国家建設を行ってきた。目標は、共産主義による世界の共産化か。
否。軍事評論家の平松茂雄氏は、「中華帝国の再興」であると指摘する。
 毛沢東は昭和11年(1936)、アメリカの作家エドガー・スノーに「すべてわが国が失った領土を取り戻すのが目前の事業です」と語った。
毛沢東は、シナ史上最大の版図だった清朝最盛期の版図を、中国の持つべき領土だと考えた。

平松氏によると、それが「中共政権が建国当初に描いた中国の将来像」だった。中国の領土はアヘン戦争を契機として、
欧米、次いで日本に奪われたと考え、奪われたものを取り返そうという「失地回復主義」が、共産中国の膨張政策を支える思想の一つなのである。
失地回復の範囲には、台湾、朝鮮半島、ベトナム、カンボジア等が含まれている。驚くべきことに、沖縄、ビルマ、ブータン、ネパールなど、
アヘン戦争以後の歴史とは関係のない地域までが含まれている。

 この中華帝国の再興、失地回復主義という思想は、共産主義本来の思想とは本質的に異なる。ソ連の共産主義とも異なる。
スターリンは、ソ連を中心とした世界の共産化をめざした。それは、帝政ロシアの膨張政策に似た傾向を持ってはいたが、
なお共産主義思想を発展させたものだった。 しかし、毛沢東の思想は、逆に中華思想的なナショナリズムに、
共産主義を取り入れたものという性格が強い。毛沢東をはじめ中国共産党の指導者達が、どれだけマルクス・エンゲルス・レーニンらの
理論を理解していたかは疑わしい。シナにおいて権力を奪取し列強に対抗するには、共産党の方法とソ連の指導・支援が有効と思われたから、
共産主義を学習・模倣しただけではないかと思われる。

●一貫して国家目標を追求

 平松氏は、共産中国は「常に明確な国家目標を掲げ、それを達成するための国家戦略を持って、
国家の総力をあげて着実に目標を実現してきた国である」と言う。氏によると、中国の国家戦略は、
昭和24年(1949)、中華人民共和国が建設された初期の段階で、毛沢東が決定したものだ。その国家戦略は、
昭和33年から40年前半期(1958-1960)にかけて推進した大躍進、33年(1958)から推進された人民公社運動、
40年から51年(1965-1976)にかけての文化大革命等の中で、ぶれることなく、現在まで貫かれている。この指摘は重要である。

 この間、粛清、内戦、餓死等により、6,500万人が共産主義の犠牲になったと推計される。毛沢東は、史上最悪の殺戮者である。
その犠牲者の数は、スターリンやヒトラーの比ではない。毛沢東の経済社会政策は、破壊と混乱を生み出すばかりだった。
人民公社にしても生産性が上がらず、1980年代からは生産請負制の導入で各農家に土地を貸与する方式に移行し、
昭和60年(1985)には解体が完了された。文化大革命は、失政によって権力基盤を失いかけた毛沢東の権力回復の闘争だった。
この過程で、社会は荒廃し、伝統・文化は徹底的に破壊された。

 しかし、こうした破壊・混乱の繰り返しの中でも、中国共産党の国家目標は、ぶれることなく、追求されてきた。
それが、中華帝国の再興、失地の回復である、と平松氏は説く。私は、このような見方をすることによって、
現代中国のファシズム的な世界政策を深く理解することができると思う。

1616goro:2012/10/10(水) 22:16:01 ID:Cc8Z7oOY

 ●陸から海への拡大

 共産中国の国家目標は、中華帝国の再興、失地の回復である。このことは、中国の歴史に跡づけられる。
中国は建国以来50年足らずの間に十数回の戦争を行なっている。朝鮮戦争、台湾国民党軍との戦争、チベット侵攻、
中印国境紛争、中ソ国境紛争、中越戦争等である。これらはすべて、中国の主権・領土・国境にかかわるものだった。
中国は、地政学的に言えば大陸国家、「ランド・パワー」である。中国が行ってきた戦争は、主として陸の国境をめぐる戦争だった。
ところが、1970年代以降、中国の軍事行動は、海の境界線に関するものにまで広がっている。

 意外なことに中国は、早くも昭和31年(1956)から海洋政策を進めてきた。43年(1968)に東シナ海に、
中東に匹敵するほど豊富な石油資源がある可能性が分かると、国益をむき出しにした。わが国が実効支配してきた尖閣諸島に、
領有権を主張するようになった。 軍事評論家の平松茂雄氏は、著書『中国は日本を併合する』(講談社インターナショナル)で次のように語っている。
「ようやく日本政府と日本国民は中国という国に眼を開くようになった。だがそれは尖閣諸島や春暁というスポットを見ているに過ぎない」

 「中国の海洋進出の現状は凄まじく、このままでいくと南シナ海、東シナ海は『中国の海』となるのも時間の問題である。
南シナ海と東シナ海が中国に抑えられると、台湾はその生存空間を失い、中国に呑み込まれることになるであろう。
そして次には日本の領土である尖閣諸島や沖縄諸島などの南西諸島、そればかりか、朝鮮半島も呑み込まれていくことになるだろう。
中華帝国史上最大の版図への回復は徐々に進んでいるのである」


●戦略的辺疆という概念

 ここで私たちは、シナ独特の国家観を理解する必要がある。中国人の持っている国家観は、近代西洋的な国家観とは異なる。
その基本にあるのは、中華思想である。
中華思想では、「中原(ちゅうげん)の地」にある自民族を中心とし、それより外の地域を「化外(けがい)の地」とみなす。
化外とは、天子の教化の及ばない場所という意味である。周辺の異民族は、東夷・西戎・南蛮・北狄と呼んで蔑む。文明と野蛮というより、
人間と禽獣という対比である。シナ文明は、周辺の国家や民族を軍事・政治・文化の力で同化吸収してきた。
その範囲は、シナの側の力の度合いによって決まる。その周辺地域を「辺疆」と呼ぶ。

 こうした伝統的な世界観に基づいて、中国共産党は覇権主義的な思想を打ち出している。
平松氏によると、中国は昭和61年から62年(1986-1987)に、「戦略的辺疆」という概念を提起した。
 戦略的辺疆とは、従来の領土・領海・領空の限界を指す地理的国境という考え方に相反する考え方である。
これは、「国家の軍事力が実際に支配している国家利益と関係ある地理的空間的範囲の限界」を、その国の「生存空間」とする概念である。
「地理的限界(国境)」が「国際的に承認され」「相対的に安定性と確実性を持っている」のに対し、
戦略的辺疆は「領土・領海・領空に制約されず、総合国力の変化に伴って変化し、相対的に不安定性と不確実性を持っている」。

 最も注目すべきは、次の点である。この考え方によると、「国際法的に承認されない地理的境界から外に出て、
戦略的辺疆を長期間有効に支配すれば、それはその国の領土、領海、領空となる」。
 1980年代後半からの中国の急激な海洋進出は、この戦略的辺疆論による。戦略的辺疆論は「周辺諸国、
海域の安全保障を脅かし、侵略を正当化する非常に危険な考え方といえるだろう」と平松氏は言う。

 「生存空間」は、ナチス・ドイツが主張した「生存圏(Lebensraum)」と瓜二つである。
ナチスは、生存圏の拡大、すなわち、増大する人口を完全に許容し、民族を自給自足体制に移行させ、
世界強国との闘争を可能とする資源をも産出する広大な領土の獲得を目指した。
 中国共産党は、江沢民時代以来、「民族の生存空間の確保」を打ち出している。
「13億の中国人にとって海洋は絶対に欠かすことのできない民族的生存空間だ」と公言し、
海洋への進出を強化している。これは共産主義の思想ではなく、ナチズムに似た思想である。

1617goro:2012/10/10(水) 22:16:41 ID:Cc8Z7oOY

 ●核開発・地域覇権・世界支配

 中国の軍拡は、単に軍事力の増大なのではない。軍拡には、目的がなければならない。
軍拡の目的は、中華帝国の再興、失地回復を目指すものであり、地政学的に言えば、生存圏の確保、地域覇権の確立である。
さらに、その目的は、アメリカと対決して、世界支配を達成するところにまで、延長されつつあると思われる。

 中国共産党は、当面、アジアにおける覇権の確立をめざしている。中国は既にチベット、モンゴル、新疆等を支配し、
さらに台湾、尖閣諸島、東シナ海等に版図を広げようとしている。これは「戦略的辺疆」という考え方のもとに、
建国以来の国家目標を実現しようとするものであり、中華思想的な国家観の膨張だろう。台湾を呑み込んだなら、
次は朝鮮半島も併合し、さらにはわが国へと貪欲に口を広げてくるだろう。

 覇権確立を実現するために、最大の力となっているのが、核兵器である。中国は1950年代から、核兵器の開発を進めてきた。
大躍進、人民公社運動、文化大革命等、破壊と混乱が繰り返され、権力の担い手が代わっても、核開発だけは、一貫して推進されてきた。
毛沢東の執着は、核を手に入れて、アメリカに対抗することにあった。一見理解しがたい大躍進と人民公社は、核兵器を開発し、
核戦争を生き延びるために採られた政策だった。文化大革命は単なる権力闘争ではなく、核ミサイル開発と人民戦争の組み合わせによる
「二本足軍事路線」を貫くために、反対派を駆逐しようとしたものだった。

 中国が国際社会で強い発言力を持つに至ったのは、核を手にしたからである。
さらに近年、中国は、大陸間弾道ミサイル、原子力潜水艦、空母、宇宙兵器等の科学兵器を開発・製造しつつある。
 かつてソ連は、世界の共産化のために、アメリカに対抗して軍拡を行った。ソ連がその競争に敗れて崩壊した後、
中国はその遺志を継いだかのようだ。しかし、その行動は、共産主義の理想を実現しようというより、ファシズムに近い。
また、その思想は、伝統的な中華思想をアジア規模、地球規模に拡張するものと思われる。

 中華思想は、世界統治の思想である。共産主義は本来、世界の共産化を目指していた。ナチスに代表されるファシズムも世界支配を目指した。
中華思想は今日、共産主義・ファシズムと結びつくことによって、アジアから世界へと支配を広げる思想に成長しつつあるように見える。
 シナの歴史においては、「辺疆」はその時々の帝国の力によって、拡大・縮小した。
この21世紀においては、戦略的辺疆は、大陸から海洋に広がりつつあり、西太平洋・インド洋・中央アジアへ、
さらに、今後、資源と市場のあるすべてのところ、地球規模に拡大していくだろうと推察する。
 失地の回復、生存圏の確保、地域覇権の確立、世界支配への挑戦。そのために、中国共産党が、
まず掌中にしたいのが台湾であり、屈服させたいのが日本なのだろう。

1618goro:2012/10/12(金) 15:48:03 ID:Cc8Z7oOY

13は割愛します。御希望があれば転載します。

13■人類史上最も危険な思想〜中国の積極的核戦争論 2006.12.1

●中国の核開発
●朱成虎少将の核先制攻撃発言
●朱発言は中国指導部の共有思想
●ヒトラー・毛沢東を超えた危険思想
●人類と地球を守るために
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14■『ショーダウン』〜米中冷戦・両雄対決 2006.10.18

『ショーダウン(対決)』――副題は「なぜ中国は米国との戦争を欲するか」。北京オリンピックが終わった翌年2009年の7月。
中国が日本にミサイルを撃ち込み、尖閣諸島への攻撃を開始した。米国の新大統領は日米安保条約の発動を拒み、日本を支援しないと言明した。
そして、新たな日中戦争が始まるーーーこのような軍事シナリオを描いた本が、本年(平成18年)6月アメリカで刊行された。
来年(平成19年)春には、全訳版が産経新聞出版から刊行されるという。

●尖閣諸島侵攻にはじまるシミュレーション

 著者は、元国防総省の高官2人。ジェッド・バビンは先代ブッシュ政権の国防副次官、エドワード・ティムパーレークはレーガン政権時代の
国防総省の動員計画部長だった。ともに軍事全般や中国の軍事動向に詳しい専門家である。

 産経新聞記者の古森義久氏は、本書刊行後、いち早くわが国に紹介している。
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/i/25/index.html
古森氏によると、本書は、中国のいまの強烈な軍拡が、やがては米国と対決するためだという前提から、
具体的な人民解放軍の現実を論じ、シミュレーション(模擬演習)の形で予測される軍事シナリオをいくつか打ち出している。

 著者たちは、ものすごい勢いで軍拡を進めている中国は、アジアからやがてはグローバルな覇権を目指し、米国と正面から対決しようという意図を固めていると断じている。
そして、本書は、米中の最終対決となる戦争を回避することを目的として、いくつかのシナリオを提示している。
そのシナリオのうちの一つが、日本と中国の戦争である、という。

 『ショーダウン(対決)』において、新日中戦争は、2009年1月20日を出発点として描かれている。
前年の2008年、アメリカの大統領選挙で民主党リベラルの女性政治家が勝ち、初の女性大統領に就任したという想定である。
ヒラリー・クリントンをイメージしているに違いない。

古森氏の要約によると、本書の示す日中戦争のシナリオは次のように展開する。
 「日本の首相が米国の女性大統領に尖閣諸島の至近海域で中国とロシアの海軍が合同で大演習を始めたことを告げ、
米国として中国とロシアにその中止を求めることを要請する。だが同大統領は『対中関係が大切だから中国を刺激したくない』と断る」。
「中国では北京オリンピックを成功裏に終えたが、貧富の差が広がり、失業者が急増した。共産党政権は人民の不満を抑えようと、国内ではナショナリズムを高揚させ、
外部では周辺諸国、特に日本への覇権行使を行い、『中国人民は日本の首相の靖国神社参拝を中国への戦争行為だとみなす』と宣言する」。

 「日本を屈従させるため中国指導部は中国内で働く日本人技師らをスパイ容疑で逮捕して裁判にかけ、死刑の判決を下す一方、中国全土で反日デモを組織するが、
そのデモが2000万人参加にまで膨れあがる。中国は日本の首相が靖国を参拝したことに対し、全面的な謝罪を求め、さらに尖閣諸島の放棄を迫る」。
「2009年7月8日、中国軍は日本列島の上空を通過する弾道ミサイルを発射し、日本を威嚇して、全面謝罪と尖閣諸島放棄を要求する。
日本の首相は米国に支援を求め、ミサイル防衛強化のためのイージス艦増強などを要請する。だが米国大統領は『日中二国間の問題だから』と拒む」。

 「中国側は『日本人スパイ』数人を処刑し、サイバー攻撃で東京証券取引所や各地の航空管制システムを混乱させる。日本側は尖閣諸島近くに自衛隊艦艇を出し、
演習を開始する。中国側は8月3日、靖国神社に巡航ミサイルを撃ち込んで破壊するとともに、尖閣侵攻の戦闘作戦を始め、日中の海戦がついに始まる」。
「米国大統領は日本側からの再三の防衛支援の要請にも応じず、日本の首相に『米国は中国との戦争はしたくない』と告げて、不介入を表明し、国連への調停を求めるように通告する」。
安保理常任理事国の中国が拒否権を使えば、国連は何の行動もとれない。シナリオ記述はまだ先があるが、結局、日本は大被害を受け、中国に降伏するという破局的な結末に終わるという。

1619goro:2012/10/12(金) 15:49:01 ID:Cc8Z7oOY

 ●なぜ尖閣諸島が狙われるか

『ショーダウン』は、中国がわが国に尖閣諸島の放棄を迫るというシナリオを書いている。戦争には目的が必要である。
中華人民共和国は、台湾侵攻を国家的課題としている。尖閣諸島は、これとは直接関係がないように見える。その点を補足したい。

 台湾侵攻は、中国共産党にとって、どうしても成し遂げなければならない課題なのだろう。シナ大陸には、中華民国があった。
中国共産党は、内戦起こして、国民党政府を台湾に駆逐した。蒋介石は、台湾に侵攻して、ここに中華民国政府を移した。
大陸では、共産党による中華人民共和国が建設された。その結果、中華民国と中華人民共和国が並立する状態となった。
中国共産党が政権の正統性を誇示し、世界戦略を進めるためには、中華民国台湾を併合し、「祖国の統一」を成し遂げなければならない。これが政治的・思想的理由だろう。

 しかし、台湾侵攻の現実的な理由は、実利的なものだ。軍事評論家の平松茂雄氏が、
中国共産党が台湾に固執するのは「ひとえに台湾の戦略的地政学的位置の重要性にある」と言っている。
中国が太平洋に進出するために、「重要なカギとなる位置に存在するのが台湾」なのである。
台湾は東シナ海と南シナ海の間に位置し、渤海・黄海・東シナ海と南シナ海を二分する位置にある。
もし中国が台湾を統一できれば、中国は太平洋に面した国になる。
しかも台湾海峡・バシー海峡という日本のシーレーンの重要な拠点を押さえたことになる。

 「日米からすれば、台湾は西太平洋防衛の要の島である。とくに日本にとっては生命線であり、ここが中国の手に落ちれば、
日本が窒息することは必定である」「仮に台湾が占領され、日本のシーレーンが中国に扼された場合、そのとき日本は簡単に、
その国の属国となってしまうだろう」と平松氏は言う。(平松茂雄著『中国は日本を併合する』講談社インターナショナル)

 いずれ、中国は台湾を侵攻する。中国を中国共産党が支配している限り、必ず台湾を併合するために、戦争を起こす。
しかし、現在の中国の軍事力では、まだ台湾侵攻を成功させるのは難しい。2010年代に入ると、軍事的なバランスが中国に有利になる。
その時期に作戦を行なう可能性が高い。
ただし、侵攻を行なわない場合もあり得る。それは、台湾が大陸に併合される道を、選挙によって民主的に選んだ場合である。
中国共産党は、軍事的な圧力をかけ、台湾の媚中派に工作することで、戦わずして台湾を掌中にすることができる。
台湾のマスコミを多く押さえている中国共産党は、宣伝による世論の誘導に力を入れている。
 しかし、反日愛国主義で辛うじて国民を束ねている中国政府が、「祖国統一」の「聖業」に遅れると、「祖国統一」以前に、共産党政権が自壊する危険性がある。
そこで、台湾侵攻の前に国民の感情を納めるため、第一段階として尖閣諸島を狙う可能性はあると思う。

●台湾の「身代わり」としての尖閣侵攻

 国際ジャーリストの日高義樹氏は、中国は尖閣諸島を台湾の「身代わり」として侵攻するという説を唱えている。
日高氏は、次のように考察している(日高義樹著「ポスト小泉 媚中派政権なら中国は尖閣諸島を占領する」月刊『正論』平成18年8月号)
中国では、貧富の差が拡大し、社会不安が高まり、平成17年には1年に5万回を超える暴動が起きている。
「国民の不満を抑え、国を一つにまとめておくのに一番効果的なのは、台湾を攻撃し占領することである。
だが台湾攻撃は準備に時間がかかるだけでなく、ブッシュ政権がいるかぎりほとんど不可能である。
ブッシュ大統領が『台湾を守る』とはっきり宣言しているからだ。このため狙われるのが尖閣諸島なのである。
尖閣諸島は台湾に近く身代わりとして最適である。日本が領土と言っているところを占領すれば当分の間、国民の不満の爆発を抑えることができる」と日高氏は述べている。

 一点、私見を述べれば、日高氏が「国民の不満」と言っているところは、人民解放軍幹部の突き上げという意味を含むと思う。
中国は、自由主義的デモクラシーの国ではなく、ファシズム的共産主義の国だからである。

1620goro:2012/10/12(金) 15:49:37 ID:Cc8Z7oOY

 ●日米安保条約の時代は「終わった」

 中国による尖閣諸島占領といった「最悪のシナリオを避けるために日本がなすべきことは何か」、日高義樹氏は、次のように言う。
「まず日米安保条約の時代が終わったことを肝に銘じることである。次に中国のやり放題を許さないだけの軍事力を持ち、それを行使できるように憲法を改正することである。
その上でアメリカと対等の軍事同盟を結ぶ。日本には『アメリカという強い味方がある』ことを中国にいつも認識させておくためである」と。
氏の主張は、私の意見とほぼ一致する。その実行を欠いて、わが国の平和と安全を守る道はない。外交による努力は、国防の整備に裏付けられて始めて有効なものとなる。

 日高氏の論のうち、「日米安保条約の時代が終わった」という点には、説明が要るだろう。
日高氏は、大要次のように述べている。アメリカは、現在世界的なトランスフォーメイション(軍隊の配置転換)を行っている。
その動きを見れば、アメリカは軍事的には孤立主義に向かっていることがわかる。米軍をすべて米国本土に引き揚げる。
必要なときはいつでも、本土から世界のどこへでも出撃させる態勢を取ることが第一と考えている。
今後は、アメリカの安全が脅かされない限り、軍事行動は取らないということである。アメリカの世界戦略が大きく変わったのである。

 日高氏は言う。「アメリカにとって日本は経済的に重要な存在であることは間違いない。
日本が中国にのみこまれたら困るとは思っているが、冷戦時代のように日本に何かあったらただちに駆けつける、という態勢にはない」
「これまでの行きがかり上、日本が軍事的に攻撃されたり、戦闘行為にまきこまれるようなことがあればアメリカ軍を出動させるだろう。
だが紛争程度であれば、たとえ日本の相手が中国であれ、動かないだろう」「日本に危険が迫っても、アメリカの安全を脅かすものでない限り、助けに駆けつけたりはしない」と。
これが、日高氏が「日米安保条約の時代が終わった」と言う意味である。私見を付け加えれば、日米安保を無条件の前提とし、米軍を補完する自衛力を持てばよいという時代は終わった。
自力の国防力を整えたうえで、アメリカと対等の軍事同盟を保持するのでなければ、アメリカによる保証はない時代に、日米関係は移行しつつある。

 アメリカの世界戦略の変化は、9・11以後のテロリズムとの戦争という従来の国家を単位とした戦争とは異なる戦いへの構えである。
さらに、米中が冷戦の時代に入ったための構えである。中国は、急速に軍事力を増強し、共産主義でありながらファシズム的な思想と行動を露にしている。
米中冷戦は、米中が「ショーダウン」つまり最後の対決に立ち至るような緊張をはらんでいる。
わが国は、自力による国防力を整えないと、独立と生存を守ることが出来ない、激烈な世界に直立しているのである。

●中国は、やがて動く

 アメリカの世界戦略の変化に伴って、中国の脅威は、日本にとって一層現実的なものとなっている。中国は昨平成17年夏、94型原子力潜水艦から、
アメリカがJL−2と名づけるミサイルの発射実験に成功した。これによって中国は、米国本土をも攻撃できるようになった。
さらに、アメリカの第一線クラスの戦闘爆撃機に匹敵するJ10戦闘爆撃機を大量に生産している。J10はミサイルを搭載して日本列島に飛来して攻撃する能力を持つ。
いまや中国はその気になりさえすれば、日本を壊滅させる軍事力を保有している。

 今のところ中国は、軍事行動には出ていない。それは、アメリカが怖いからである。だが、日本の指導層を媚中派が占めるようになったり、
ポスト・ブッシュに『ショーダウン』が想定するような民主党リベラルの女性大統領が登場したりしたならば、中国が思い切った行動に出ることが予想される。
幸いポスト小泉は、媚中派ではなく、自尊外交を展開する安倍晋三氏となった。2008年、平成20年のアメリカ大統領選挙は、果たしてどういう指導者を選び出すか。
わが国の国益にとって、非常に注目される選挙となろう。

 中国の対日政策は、尖閣諸島だけでとまるわけがない。尖閣の略取は、東シナ海の資源が、中国のものになることを意味する。
尖閣の軍事占領の次は「中国の一部」としての沖縄の返還要求が出てくるだろう。特に沖縄県民の皆さんは、ファシズム的共産主義がいいのか、
自由主義的デモクラシーがいいのか、覚悟を決める必要がある。単なる米軍基地移転問題や日本の経済的負担等に、見方を狭くしてはならない。
沖縄の次は九州、そして本土と、中華共産主義の手は迫ってくるに違いない。
 こういう構図の中で、『ショーダウン』の提示するシミュレーションを検討することは、日本人にとって有意義なことだと思う。

1621goro:2012/10/13(土) 01:02:02 ID:Cc8Z7oOY

15■核大国化した中国、備えを怠る日本〜日中戦後のあゆみ 2007.1.16

第1章 中国はこうして核大国化した

(1)毛沢東は核を求めた
(2)「6億人いるから半数が死んでも」
(3)ソ連と対立しても核を開発
(4)日本は核ミサイルの標的に
(5)日中国交回復後に核大国化
(6)激烈な反日と猛烈な軍拡
(7)中国は核戦争で勝利を目差す

第2章 日本は対米依存で、非核・専守防衛に

(1)中国とは対照的なわが国の道
(2)憲法を放置し、国防は他に依存
(3)鳩山・岸は自主的かつ現実的だった
(4)国防の回復より経済中心に
(5)非核三原則の欺瞞
(6)70年安保の危機後、中国の核の標的に
(7)米中の密約と専守防衛の変質
(8)中国は工作、北朝鮮も核開発
(9)国防の基本から外れた日本

第3章 わが国の国防の現状と課題

(1)うそ寒い国防の現状
(2)これでは日本を守れない
(3)急がれる根本的な見直し


わが国とシナは、19世紀の中半、西洋列強の挑戦を受けた。わが国は明治維新を成し遂げ、アジアで初めて近代国家の建設に成功した。
シナでは、清国が列強に半植民地化された。日本と清は激突し、わが国が勝利すると、シナは日本の近代化に学んだ。シナでは、
清を倒した中華民国が誕生した。その後、わが国と中華民国との間では、対立・摩擦が続き、昭和12年(1937)7月に日支事変が勃発した。
わが国の早期解決の努力はむなしく、日中間では泥沼の戦争が続いた。わが国は、さらに大東亜戦争に突入し、大敗を喫した。

敗戦後、わが国は、連合国軍の占領下に置かれ、「民主化」の名の下に、日本弱体化の政策が強行された。
GHQによって憲法が押しつけられ、わが国の国防は制限された。その憲法が放置されたまま、昭和43年(1968)に、
わが国は、非核三原則の政策を掲げた。さらに昭和47年(1972)には、国防を受動的な防御に徹する専守防衛に限定した。

 一方、戦後、シナでは、共産主義が勝利し、中華人民共和国が建国された。共産中国は建国後、繰り返しアメリカから核攻撃の威嚇を受けると、
1950年代中半に核を保有する方針を決め、国力を集中して核開発を進めた。昭和39年(1964)に最初の核実験に成功し、
昭和45年(1970)に、日本を射程に収めるIRBMを完成させた。わが国は、この時点から、中国の核ミサイルの標的になっている。

戦後日本と共産中国は、まったく対照的な道を進んできた。その結果、わが国は、強大化する中国に併合されるおそれが出てきている。
本稿では、最初に、共産中国の歴史と核開発の過程を概観し、その後、戦後のわが国のあり方との対照を試み、最後に、わが国の国防の現状と課題について述べたい。

1622goro:2012/10/13(土) 01:02:59 ID:Cc8Z7oOY

第1章 中国はこうして核大国化した

(1)毛沢東は核を求めた

●シナでは、6500万人が共産主義の犠牲に

平成9年(1997)にフランスで『共産主義黒書』が刊行された。本書は、20世紀の世界を席巻した共産主義の犯罪を厳しく検証している。
著者たちは、共産主義による犠牲者を8000万から1億人とする。中でも中国の犠牲者は、6500万人にのぼると推計する。
世界の犠牲者のうち、3分の2から8割までが、中国で発生しているというのである。
この中国の惨禍は、毛沢東という冷酷非情の大量殺戮者、権力欲の権化、恐怖と恫喝の支配者、世界制覇をもくろむ誇大妄想狂によるものだった。
毛の悪行は、スターリンやヒトラーを上回るものだった。

 ユン・チアンとジョン・ハリデイの共著『マオ―誰も知らなかった毛沢東』(講談社)は、新しい膨大な資料や多数のインタビューをもとに、
このことを圧倒的な説得力で明らかにしている。さらに、そのすさまじさは、20数カ国で翻訳されている『九評共産党』(博大)が、生々しく報告している。

 毛沢東は、中国の軍事大国化をめざし、地球の支配者となろうとした。生前には、その野望は達成されなかったが、彼の死後、中国共産党は、
超大国化の道を歩み続けた。そして、21世紀の今日、共産中国は日本への脅威となり、アジアへの、また世界への脅威となっている。
その憎悪と謀略の反日思想によって。また、核ミサイル、原子力潜水艦、自然破壊、食料不足、エネルギー争奪、エイズの蔓延等によって。

共産中国は、建国の初期から核開発を行い、核大国となった。核の開発・保有こそ、毛沢東が最も執着したことだった。
現代中国の歴史は、核開発の過程を抜きには理解することができない。

●核開発が中国を軍事大国にした

 中華人民共和国は、昭和24年(1949)、シナに誕生した。建国の初期に、毛沢東は、核兵器を保有して米国の世界支配に挑戦するという国家目標を掲げた。
以来、半世紀を超える間、中国はその国家目標を実現するために、核兵器開発を最優先とした国家戦略を立て、国家の総力を集中して核兵器を開発してきた。
国際社会で、中国が大国として発言力を持つようになった理由には、核兵器を保有したことがある。
核を持ったことで、中国は、米ソが侮れない存在となり、台湾に替わって、昭和46年(1971)に国連での代表権を獲得した。

 核開発から始まった中国の国家戦略は、大陸から海洋・宇宙空間へと発展している。今日、共産中国の国家戦略は、核・海洋・宇宙という
三つの領域に明確に焦点を定め、それらが総合的に機能し始め、アメリカに対抗してアジアでの覇権をめざすものとなっている。

1623goro:2012/10/13(土) 01:03:34 ID:Cc8Z7oOY

●共産中国の国家目標・国家戦略
 
 共産中国の歴史を見ると、反右派闘争、大躍進、文化大革命、毛沢東死後の四人組の粛清等、混乱や権力闘争が繰り返されてきた。
その間、6500万の命が犠牲になった。しかし、こうした時期を経ながらも、核ミサイルの開発は、一貫して進められてきた。
そこに共産中国という国家の特質がある。そのことを明確に指摘したのが、平松茂雄氏である。平松氏は言う。
「中国という国は常に明確な国家目標を掲げ、その目標を実現するための国家戦略があり、その目標を実現するために強い国家意思の働く国である。
そのためにパイの配分が行われ、よほどの政治的混乱、経済的停滞がない限り、それが実施される国である。中国の核ミサイル開発の過程はそれを教えてくれる」と。

 この過程を現代中国の歴史の中でたどってみよう。
軍事的な側面は、平松氏の著書『中国、核ミサイルの標的』(角川Oneテーマ21)、
共著『日本核武装の論点』(共著、PHP)に多くを負っている。

●毛沢東の決断

 昭和24年(1949)9月、毛沢東は、中華人民共和国の建国の意義を次のように語った。
 「中国人はもともと偉大な、勇敢な、勤勉な民族であるが、ただ近代になって落伍してしまった。
こうした落伍は、まったく外国の帝国主義と自国の反動政府による抑圧と搾取の結果にほかならない。
だが中国人民が立ち上がってつくった新中国は、国防は強化され、いかなる帝国主義者に対しても、われわれの国土を二度と侵犯することを許さない」と。

 中国共産党は、日中戦争、国共内戦の中から権力をつかみ取った。毛沢東は「鉄砲から権力が生まれる」と言い、政策の根本を軍事に置いていた。
ところが、中国は建国後数年の間に、アメリカから核兵器で繰り返し威嚇された。昭和25年(1950)に勃発した朝鮮戦争、29年(1954)のインドシナ戦争、
29〜30年(1955)の台湾との大陳諸島解放作戦、同じく33年(1958)の金門島砲撃の際である。毛沢東は、アメリカの核攻撃の瀬戸際に立たされた。
 この経験から、毛は、アメリカに対抗するには核兵器を保有することが不可欠と考えた。そして、核兵器とそれを運搬する弾道ミサイルの保有を決断した。

 昭和31年(1956)4月、毛沢東は中共中央政治局会議で、「今日の世界で、他人の侮りをうけたくなければ、原爆を持たないわけにはいかない」と演説した。
毛沢東は、現代の国際社会で政治的発言力を持つためには核兵器が必要であり、核兵器は中国を米ソが無視できない地位に引き上げる政治的な兵器であると認識した。
 独裁的な指導者・毛沢東の決断によって、中国は1950年代中半から、核開発を進めた。開発は、ソ連の援助と協力を受けて進められた。
以来、中国は、国民生活の向上や通常戦力の近代化を後回しにして、核兵器の開発・保有を遂行した。
その半世紀の過程は、戦力不保持・専守防衛・非核三原則を国是としてきたわが国とは、まさに正反対の歩みである。

1624志恩:2012/10/13(土) 07:50:42 ID:.QY5jUA6
★ガンジーが求めた世界★ ネット情報


 ガンジーは、人間として正しい生き方、善の生き方をした人だ。

 ガンジーは善人だが、多くの人間は彼ほど善人ではない。

 ガンジーが望んだ世界を手に入れられなかった原因は、すべての人が自分と同じことを望んでいると信じたところにある。

 ガンジーは死を恐れないし、富を求めない。
 だが、支配されることを拒絶し、自由を得るためには犠牲を払うことをいとわない。
 そして、国民みんなに自分と同じ思いを持ってほしい、だれしもそれを望んでいるはずだと信じ、人間は善人であるとの前提の元に運動を押し進めた。

 欲のない生き方というのは、強欲な生き方でもある。

 ガンジーも然り。彼は欲深く、その欲がある一定方向のみに傾いた人だ。欲の持ちどころが人と違うだけで、決して欲のない人ではない。


◇しかもあれだけ多数の民衆が、なぜ“無抵抗の抵抗”をなし得たのか?

 洗脳と集団心理。
 戦中日本の特攻隊と同じだ。

 一般の人間の世界はピラミッド構造だから、一人ずつなら従えないことでも上の層がOKすると、その下もOKしたくなるという心理が働く。
 ガンジーの場合はそれが末端まで行き届いた。

 集団で何かをするときには、少数派は影を潜める。
 ガンジーの運動も、インドの人民が一致団結したわけではない。叛逆して仲間割れした者は大勢いた。

 集団で同じ行動を取るとき、自分だけが従えなかったら裏切り者扱いされる。
 みんなが前に向かっているときに自分だけ後ろに向かうのは、勇気のいる行為だ。
 だから天秤にかけた行動になる。

 人間が集団で動くときは、自分の意志とは関係なく、集団の行動と同じ方向に向かうようになっている。
 多くの人が自分の意志を持って動いているわけではない。




 ガンジーが求めた世界は理想の国であって、非現実的なものだ。
 彼は宗教世界の天国、楽園を夢見ていた。

 民衆が、神ではない、ある人間の指導者を崇拝し、妄想を抱いて行動しても、我に返ったとき(マインドコントロールから醒めたとき)、
 自分をコントロールしていた存在に対する不信と自己喪失感を覚える。
 マインドコントロールはいつか解けるときがくるものだ。

 マインドコントロールから解けたときに、コントロール下にあった自分に対して、「どうして自分はあんな人物の言うことに従い、
 暴力に対して屈服したのか」と、暴力的支配と精神的支配のジレンマに苦しむことになる。

 そういう内面的な鬱積はいずれ何らかの形で爆発する。
 そうなったとき、知性の勝る人ならば演説で自己主張してストレスを発散する等の方法を採れる。

 だが、ほとんどの民衆は無能だから、暴力をふるうことによって自己解放しようとする。
 ガンジーの考えにはそこが欠けていた。

 ガンジーの功績は多くの人が讃えるところではある。
 だが、彼がしたことは非人間的で、自然の流れに反する行いだった。

1625「訊け」管理人:2012/10/13(土) 08:01:50 ID:???

>>熊本鎮台殿


 そう云えばこういう問い合わせを受けておりました。やや他話題と趣を異にするためこちらへ掲載します。
 その、貴殿から賜った問いかけはこれです。


>>西郷さんは体制側についたか<<


 というものです。これに対して返信致しておきましょう。・・・なお現時点、返信趣旨を略記すれば概略こうなります。


○ ウドさあ(大西郷)はその、「体制派」「反体制派」なる単純思考を忌み嫌った御仁である。
○ 「悲壮感」よりも「成果」に焦点を合わせるのが薩摩である。


 以下詳細に触れて参りましょう。


<「体制派」「反体制派」なる単純思考を忌み嫌った御仁>


 ウドさあ(大西郷)は大義名分を明らかにされた方です。そしてその、大義名分ですがこれが、明らかとなった方を「慈愛を以て全面擁護」なさった方です。たとえば、新政府を作らなくては「外国の侮りを招く」、そう判断した際は幕府を倒しました。でもしかし、鹿鳴館の乱舞等を見て、「こんな政府を作るために〝にせどん〟(若者)達を、殺した次第か」と判断されるや、即下野致しました。(反体制派となる)・・・これを準え話を、生長の家関連で語ります。

 ・・・・単純に申し私は、教団攻撃をやりながら酔うことが出来ません。自分を「反体制派だ!西郷どんだ!」なんて単純思考でこれ、舞うことが出来ぬ男です。(むしろそんな狂乱を、抑える方向に努力する男です)「体制派」とか「反体制派」とかそんな単純思考で仕分けしてこられる方々とは、たぶん交際は困難だと思います。いやなぜと申してその種の、その単純思考こそがウドさあ、最も忌み嫌った行動様式なのですから。(云うまでもなく「聖典擁護派」としてならば、堂々共闘可能です。私は谷口雅春先生を、心底敬愛しております。)



(つづく)

1626「訊け」管理人:2012/10/13(土) 08:02:21 ID:???

(つづき)

<「悲壮感」よりも「成果」に焦点を合わせるのが薩摩である。>

 長くなります。できるだけ短く返信できるよう努力します。と、云う事で以下動画を先ずは、ご視聴ください。内容はあの「出陣学徒・壮行会」です。奇しくも関ヶ原と同じ10月21日に開催された同壮行会ですが、これを材料に語ります。

○出陣学徒・壮行会(文部省製作)
http://www.youtube.com/watch?v=iEd1WI-3mSU


 さて同動画ですが、これを視聴しどのような感想をお持ちになられましたか。まあ、「感動した」とかそんな感想でも構わないのです。そしてどんな感想であれそれを表明する自由は、あるものと思います。ですが・・・・・これを材料に私の行動様式、解説すれば以下のごとしです。もしもこんな事態、つまり学生を戦場に送らねばならぬ事態を招いたならば、少なくともこれは「薩摩では恥である」――以下説明します。

 学生を戦場に送るシーンですが、これを見て「これじゃダメだ」と判断するのが真の指揮官です。(少なくとも薩摩系の指揮官)このシーンを見て「懸命な学生さん達」等、ここに焦点を合わせていては、思考停止なのです。そしてそれ(学生を戦場へ)を「戦略の欠如」と見るのが正しい薩摩思考です。ですんで少なくとも私は、悲壮感に晦まされ大切なことを見落とすことを、恥とします。

 ちなみに壮行会の開催された10月21日――同日は島津勢、関ヶ原で「敵中突破」をした日です。ですがあれ、薩摩では「反省材料」として反芻された事件だったのです。けっして「悲壮感いっぱいに頑張った薩摩隼人」とは総括、されませんでした。あの敵中突破を経験した薩摩は、多数のにせどん(若者)を失います。そしてあの「敵中突破」を、情報の欠如がもたらした悲劇と結論し以降は、情報収集に特化していくのです。(「情報があれば、人が死なずに済む」という意味です。)

 大切な点ですので繰返しますが、あの「敵中突破」は薩摩では、少なくとも「評価されぬ戦い」です。悲壮感よりも「成果」に焦点を合わせる限り、そうなるのです。もしも組織が成果よりも、たとえば「悲壮感」に焦点を合わせ過ぎると「泣く人が多数」出てくるためです。たとえば「赤字覚悟で!売れない本を出版!」てな社長が、いるとしましょうか。これ、社長としては失格なのです。
 「赤字覚悟で!」とはこれ、会社にとっては「利益が出ない」を意味します。そして利益が出ないことはそのまま「(たとえば)社員給与3割〜5割カット」につながるわけです。「赤字覚悟で!」は社長だけ、いい格好が出来る言葉です。裏では多数の人がしわ寄せをくらい、泣いているわけですよね・・・・・話を戻せばこれ、こんな行動様式は少なくとも薩摩では「恥」です。成果よりも「悲壮感」に焦点を合わせ行動することは、「恥」なのであり私も、そうありたいと考えております。社長だけエエ格好、しようと思えばいくらでも出来ます。でもそれしちゃうと・・・・社員や家族が泣くわけです。やはりそんな選択は「しない男でありたい」と思います。


 ・・・・ところで、いやなにか、ぐちゃぐちゃな話になりました。ですが同文を以て冒頭設問返答と致します。何か第二弾の問い合わせ等あらばこれまた、堂々返信致します。どうぞよろしくお願い致します。





追伸

 だいやめすっど、鎮台さあ(訳:飲み会でもしたいものですね。見真会殿)

1627志恩:2012/10/13(土) 08:12:27 ID:.QY5jUA6
 ★ガンジーの名言★

一、原則なき政治
二、道徳なき商業
三、労働なき富
四、人格なき教育
五、人間性なき科学
六、良心なき快楽
七、犠牲なき信仰


★ガンジーの生き方★

ガンジーと言えば-非暴力無抵抗-といった言葉を瞬間的に思い出します。

ちょっと調べるだけでわかりますが、
インドは、ガンジーのいたころは、人種差別はひどく、有色人種は西洋人からしたら奴隷、
もしくは自由にいじめてよいけだもの、そんな存在でした。インド人は自国で塩を作ることさえイギリス人に禁じられていたとは驚きです。

圧倒的な不平等、考えられない差別が蔓延したインドで、ガンジーは最後、インド人の中で差別されている不可触浅眠と生活をしたり、イスラム教徒の子供をひきとり、
イスラム教徒として育てる...そんなことを提唱したりしました。

ガンジーの生涯のエピソードを聞くと、無抵抗をつらぬくこの人のしなやかな強さがそこかしこに見られます。
ガンジーは非暴力をとなえました。そして非暴力とともに訴えたのが、

【不服従】です。

強い西洋人、イギリス人に強いられても納得できないことには従わない...

【不服従】です。

ガンジーの動画などを見ると、ひとりの【不服従】が、だんだんみんなを巻き込んでいくことが見てとれます。

【不服従.】..これは、今の日本にも言えることです。

納得できないことには【不服従】、【NO】、と言いたい。。。
/////////////////////////////
しかし、ガンジーの死後、まもなく 内乱が勃発しました・・・
非暴力無抵抗主義は、続きませんでした。無理が、あったといえましょう。

1628うのはな:2012/10/13(土) 18:17:27 ID:qU4FkNo.

 誌友会版では、有意義な講話や意見交換がなされていますが、
 谷口貴康先生も雅春先生の引用をしてくださっています。

  http://geocities.yahoo.co.jp/gl/tachiyan50

1629goro:2012/10/14(日) 01:28:53 ID:Cc8Z7oOY

(2)「6億人いるから半数が死んでも」

●「6億人いるから半数が死んでも」と毛沢東は言った

 最初に核開発に成功したアメリカの後を、ソ連が追った。ソ連は、昭和24年(1949)に原爆保有を公表し、28年に水爆実験を行った。
その後、間もなく昭和32年(1957)8月、ソ連は、大陸間弾道ミサイルの発射実験に成功した。アメリカは先を越された。
10月には人工衛星スプートニク1号、続いてライカ犬を搭載したスプートニク2号の打ち上げにも、ソ連は成功した。ソ連はアメリカに対する軍事的優位に立った。
 しかし、ニキータ・フルシチョフは、核の破壊力を増大していくと、いずれ米ソは核戦争に突入し、人類の絶滅につながると認識するようになった。
フルシチョフは、軍事よりも経済でアメリカを抜くことを目指す政策に転じた。「大砲よりバター」で、社会主義体制の優位を示そうとした。

 毛沢東は、違う考えを持っていた。毛は朝鮮戦争(1950-1953)の時、途中から北朝鮮の意思を越えて、戦争を拡大した。
戦争を拡大することにより、スターリンから核開発への援助・協力を取り付けようとしたのである。
 昭和32年(1957)10月、ソ連は、毛沢東の強い要望に応えて、中国と核兵器開発の技術援助を行う協定を結んだ。
以後、中国の核兵器開発は、ソ連の技術援助により進められた。

 当時、毛は、ソ連が大陸間弾道ミサイルの発射実験に成功したことをもって、「東風は西風を圧倒している」と認識した。
東側の諸国が西側の諸国に対して力の優位に立ったというわけである。そして、毛は、ソ連を中心とする社会主義陣営が団結して、
アメリカの核を恐れず、「原爆は張子の虎」であることを暴露すれば、世界戦争は起こらない、そればかりか帝国主義を絶えず弱体化させ、
究極的には圧倒することができると主張した。

 「中国は人口が6億人いるから、仮に原水爆によって半数が死んでも、3億人が生き残り、何年がたてばまた6億人になり、もっと多くなるだろう」と、毛は語った。
 これには、フルシチョフも呆れ果てた。毛の思想は「核兵器のいかなるものかを知らない」人間の「非人間的な考え方」であり、「野獣の考え方」であると厳しく批判した。シナの伝統である人命軽視の価値観は、ソ連の指導者をも驚かせ、警戒させたのである。

 やがて中ソに亀裂が生じた。ソ連は昭和34年(1959)6月に中国に対する核開発技術援助供与を一方的に打ち切った。打ち切りに対して、
中国はソ連に反発した。毛沢東は、ソ連との同盟関係を反故にし、ソ連の社会主義陣営を離脱し、自国を危機にさらしてでも、自力で核開発を推進しようと考えた。

1630goro:2012/10/14(日) 01:29:34 ID:Cc8Z7oOY

●核開発のためだった大躍進・人民公社

 こうした中国の核開発の初期に、大躍進(1958-1960)が試みられた。毛沢東は、建国10年を迎える中国が社会主義建設を進めるためのスローガンとして、
「大躍進」を打ち出した。これは、生産大躍進として、人民公社革命・社会主義建設総路線と並んで、三面紅旗の一つをなすものだった。
 「大躍進」という名目で、全国民を挙げての製鋼事業が行われた。伝統的な工法による粗鋼の生産に労力が集中されたため、農作物の収穫が満足に出来ず、
作物は腐るまで放置された。その結果、ひどい食料不足を招き、少なくとも2000万人、多く見て4300万人が餓死したといわれる。餓死者続出のなか、
鍋・釜まで供出して民衆が作った鉄は、ほとんど使い物にならなかった。

 壮大な失敗に終わった大躍進政策は、実は中国の限られた財源・資源を核兵器開発に集中するために行われたものだった。
 中国が大躍進政策を始めた昭和33年(1958)から、毛沢東は、核ミサイル開発と人民戦争の組み合わせによる「二本足軍事路線」を取った。
 毛沢東は、核開発を進めるとともに、核攻撃を生き延び、侵略した敵を「人民の大海に埋葬する」という人海戦術を打ち出した。
そして、広大な農村に「星をちりばめたように散在する」人民公社が設立された。人民公社は、革命後の土地改革で農業の集団化が進められた。
その発展形態が、人民公社である。

 人民公社は、単なる農業生産組織ではない。政治・経済・文化・軍事など国家・社会のあらゆる機能を兼ね備えた一種の「自給自足社会」であり、
「小国家」であった。かつまた人民公社を単位として民兵が組織された。万が一、アメリカの核攻撃を受けた場合は、人民公社で生き残ることを、毛沢東は考えたわけである。
 毛は、原爆で中国の人口の半分が死んでも、半分は生き残って、また元に戻っていくという発言によって世界を驚かせたが、その根拠は人民公社にあった。

 大躍進と人民公社は、毛沢東の愚劣さを示す代名詞となっている。しかし、それらは核兵器を開発するために採られた戦略だった、と平松氏は言う。
核開発と大躍進・人民公社は、一体のものとして推進されたのである。
 人民公社は、農業政策としては失敗だった。農地の共有化と農業の集団化は、農民の労働意欲をそぎ、生産性は低迷した。
1980年代には、土地を貸与する方式に転換され、昭和60年(1985)には人民公社の解体が完了した。
しかし、毛沢東の強引な政策によって、独自の核開発は進められた。4300万ともいわれる犠牲者を伴いながら、やがて中国の核は産声をあげることになる。

●共産党指導部の路線対立

 毛沢東による「二本足軍事路線」の採用は、建国以来のソ連を雛型とした中国近代化路線の転換となった。人民解放軍の内外の反対と抵抗は大きかった。
また、大躍進政策は、生産活動に混乱をもたらし、食糧生産が低下したため、多数の国民が餓死した。食人はシナ文明の特徴であるが、飢えた民衆は、人肉を食べた。
 あまりの悲惨さに心を痛めた彭徳懐は、昭和34年(1959)の廬山会議で三面紅旗を批判した。そのため国防部長を解任され、自分を粛清する決議に署名させられた。
毛沢東は、彭に同調する幹部を免職・監禁して反対意見を押しつぶし、軍事路線の転換を断行した。

 核開発は進んだ。国民は困窮した。大躍進の後、経済再建を指導したのが、34年に毛沢東に替わって国家主席となった劉少奇であり、その盟友の訒小平である。
彼らは、毛の破滅的な政策をやめ、現実的な政策を行った。それによって、中国経済は回復した。
 実権を失った毛沢東は、劉少奇に深い恨みを抱き、復讐のチャンスを狙った。復讐は、文化大革命(1965-1976)という形で実行されることになる。

1631goro:2012/10/14(日) 01:30:10 ID:Cc8Z7oOY

(3)ソ連と対立しても核を開発

●最初の核実験に成功

 毛沢東による「二本足軍事路線」への転換は、ソ連との同盟関係の悪化につながった。
 少し時期をさかのぼるが、昭和28年(1953)にスターリンが死んだ。31年(1956)のソ連共産党第20回大会からスターリン批判が開始された。
批判の中心となったフルシチョフは、第一書記から33年に首相となった。彼は、積極的に平和共存政策を提唱し、外交政策の基本路線として定着させていった。
これに中国が反発し、中ソ論争が始まった。論争は、昭和35年(1960)から表面化した。

 中国は、毛沢東への個人崇拝を中心とする共産党の専制を続けている。スターリン主義を堅持する中国共産党は、フルシチョフを修正主義者と非難した。
平和共存政策は階級闘争を放棄するもの、マルクス主義の原則を逸脱するものとして糾弾した。

 そういう中で起こったのが、キューバ危機である。昭和37年(1962)10月15日から13日間、米ソは一触即発の状態になった。
キューバにミサイル基地を建設しているソ連に対し、アメリカのケネディ大統領が抗議し、戦艦と戦闘機で海上封鎖した。
米ソによる世界核戦争の脅威が現実に近づいた事件だった。
 危機は回避された。その後、米ソは急速に接近し、翌年米ソにホットラインが作られ、部分的核実験停止条約が結ばれた。平和共存と「雪解け」が進んだ。
 しかし、米ソの共存を打ち破るように、中国は昭和39年(1964)10月、最初の核実験を行った。42年(1967)には、水爆実験にも成功した。
核を持った中国は、ソ連への対抗的な姿勢を強めた。根底には、アメリカへの挑戦があった。核を持った毛沢東は、地球の支配者となることを目指していた。


●中ソは対立へ

 核実験成功の翌年、文化大革命が開始された。文化大革命は、文学者への批判に始まったので「文化」大革命といわれるが、
実態は毛沢東が劉少奇から権力を取り戻すために起こした奪権闘争である。
 劉少奇は、大躍進政策の途中で国家主席となった。毛沢東の荒唐無稽、実態無視の政策による混乱を見た劉少奇は、
民衆の生活を考慮した建設的な政策を進めた。毛は、こうした劉に個人的な怨恨を抱いていた。
 毛は、劉少奇らを、社会主義を裏切り資本主義に走る「走資派」と呼んで、激しく批判した。
毛は、若者を洗脳して紅衛兵を組織し、彼らを扇動して、奪権を進めた。劉を悪者に仕立てて共産党から除籍した。

 毛は劉を監禁状態において虐待した。劉少奇は、まともな治療も与えられず、苦悶の中で病死した。劉は偽名で埋葬され、その死は長年、国民に発表されなかった。
 こうした共産党指導部内の権力闘争には、私闘的な性格が色濃いが、根本には国家建設の方針の違いがあり、核開発・核戦争戦略をめぐる路線の対立があった。

 一時主席となり、後に失脚した胡耀邦は、文化大革命では「約1億人が連座された。中国の人口の10分の1に相当する」と述べた。
犠牲者数は、少なくとも773万人と推計されている。明記すべきは、虐殺の大部分は、紅衛兵によるものではなく、
人民解放軍の将兵、武装民兵、党員幹部によるものだったことである。

 文化大革命によって、実権を取り戻した毛は、核ミサイル開発計画を推進した。ソ連との対決を辞さずという決意で開発を進めた。

 中国で文化大革命の火が燃えさかっていた当時、ソ連は「社会主義大家族」という理念で、東欧を支配していた。
昭和43年(1968)、チェコで民主化運動が起こった。ソ連は、これを鎮圧せんと戦車で侵攻した。「プラハの春」事件である。
 以後、中ソ論争は激しさを増した。中国はソ連を「社会帝国主義」と決め付け、ソ連も中国を「反レーニン主義」と規定して対立した。
遂に、昭和44年(1969)、中ソは国境で数回にわたって武力衝突した。ソ連は、中国の各施設を破壊するため、本格的な侵攻を計画したほどだった。

 このように中国とソ連は、同盟関係から敵対関係へと急速に変化した。敵対関係にいたった最大の要因は、中国の核兵器開発であり、核戦略思想だった。

1632goro:2012/10/14(日) 01:30:48 ID:Cc8Z7oOY

(4)日本を核ミサイルの標的に

●核の第二撃は都市住民を狙う

 20世紀後半における核戦略は、どういうものだったか。
 核戦争では、一般に核兵器の精度と破壊力に優れた側が、第一撃によって相手の報復力を先制攻撃する。
これを対兵力戦略(カウンター・フォース・ストラテジー)という。相手の核ミサイル基地を攻撃して、核ミサイルを破壊するわけである。
 これに対して劣勢側は、相手に先制攻撃を思いとどまらせる手段を持たねばならない。それには、相手の第一撃で生き残り、第ニ撃を行う能力を持つ必要がある。
第一撃との違いは、第二撃は相手の住民を目標とすることである。これを対都市攻撃戦略(カウンター・バリュー・ストラテジー)という。

住民を攻撃の対象とすることによって、劣勢側は、相手に先制攻撃を思いとどまらせることができる。これが最小限核抑止力である。

 先制攻撃する側は、第一撃で相手の核兵器・関連施設のすべてを破壊しなければならない。
一つでも核ミサイルを残してしまうと、自国の都市を報復攻撃され、住民が犠牲になる。
反対に、劣勢側は一発の核兵器でも第一撃を免れることができれば、第ニ撃で相手に反撃することができる。
実際に攻撃しなくとも、核兵器で攻撃するぞと威嚇することによって、住民をパニック状態にすれば、よい。
デモクラシーの国家では、世論が政策を左右するから、特に有効である。優勢側は、戦力で優っていても、
自国の住民多数を生命の危険にさらし、政権の支持を失う危険を冒してまで、先制攻撃をすることを控えるだろう。

 それゆえ、劣勢側は、相手より少ない数であっても、ある程度の水準の核兵器を保有すれば、相手と対等の立場に立つことができる。
中国の核開発は、このような核戦略のもと、最初からアメリカを敵国とし、アメリカに対する核攻撃能力を持つことを目標として推進されたと思われる。

●日本が核ミサイルの標的に

 中国は、短期間に独自の核開発に成功し、アメリカに対する最小限核抑止力を獲得した。開発は、次のように進んだ。
 昭和39年(1964)に核実験に成功した中国は、昭和45年(1970)年4月、人工衛星を打ち上げ、IRBM(中距離弾道ミサイル)が完成していることを世界に示した。
人工衛星打ち上げの成功により、中国は、日本とわが国にある米軍基地を攻撃することができるようになった。アメリカ本土を直接、核攻撃することはできないが、
いわば日本人と在日米軍を人質に取ることによって、アメリカの核攻撃を断念させる「第二撃能力」を保有したわけである。
文化大革命の大嵐の最中にも核ミサイルの開発は、着々と進んでいたのである。

 この年つまり昭和45年(1970)年に、中国は、わが国を核攻撃の対象とした。わが国は、中国の核ミサイルの標的になったのである。
 本年、平成18年(2006)の7月、北朝鮮がミサイルを乱射し、10月には核実験を強行した。それによって、国防について真剣に考える人が急増した。
結構なことだが、わが国は、昭和45年以来、今日北朝鮮から受けている以上の脅威を、共産中国から受けているのである。
政治家がそれを言わず、マスコミがそれを報じない。国民は、高度経済成長による「もの」の豊かさに酔いしれ、いまそこにある危機を、見て見えずという状態が続いてきた。

●核開発は一貫して実行

 現代中国研究では、1960年代は「不毛の10年間」とされる。だが、その10年間に、中国は核兵器を開発した。
核兵器を保有することによって、中国は国際社会での存在感を強め、昭和46年(1971)に、台湾に替わって国連への加盟を果した。
一気に、安保理の常任理事国となり、拒否権を持つ大国として強い発言力を持つに至った。
 平松氏は、1960年代は「不毛の10年間」どころか、「実りある10年間」だったと言う。中国は、大躍進や文化大革命によって、混乱・混迷を続けてきた。
しかし、「政治・軍事の中枢は『正常』であり、『健全』に機能してきた」と平松氏は表現している。これが、共産主義国家の特質だと思う。
 全体主義においては、軍に対する民主的な規制はない。国民が生活に窮しても、軍は自律性をもって成長し得る。
中国の共産党と人民解放軍の関係には、よくわからないところがあるが、党の指導部で権力争いの転覆闘争が繰り返されても、
軍は核兵器の開発を遂行してきたものと見られる。それが、「実りある10年」をもたらし、1970年代以降、中国が飛躍する土台となったのだろう。

1633goro:2012/10/15(月) 00:37:26 ID:Cc8Z7oOY

(5)日中国交回復後に核大国化

●核が生じた米中接近・日中国交回復

 昭和44年(1969)の中ソ国境紛争を契機に、ソ連は、中国が核大国になる前に叩こうとした。
これを察知したアメリカは、中国に接近し、中ソを分断させることに成功した。昭和47年(1972)2月、
ニクソン大統領が北京を訪れた。電撃的な米中首脳会談によって、米中共同声明が発表された。
 この時、アメリカは、イデオロギーより、バランス・オブ・パワーを優先した。
こういう行動は、初めてではない。第2次大戦では、連合国VS枢軸国の対立を、
民主主義VSファシズムと粉飾して、アメリカは、「民主主義」のソ連と手を結んでいる。

 米中接近は、わが国に事前協議なしに行われた。従属国的被保護国的地位にあるわが国は、
アメリカに追従せざるを得ず、同年9月、田中角栄首相が北京を訪問し、日中共同声明が調印された。
これにより、わが国と中国は、戦争状態を終え、はじめて国交が開かれた。
 最も重要なことは、この時点で、中国はわが国を核ミサイルで攻撃する力を持つに至っていたことである。
中国が日本及び日本にある米軍基地を核攻撃できる軍事力を持ったために、アメリカは中国とソ連を分断し、中国と結んだのである。
 台湾は、核時代の国際政治の力学の狭間で、国連から脱退し、アメリカから断交された。旧本国であるわが国も断交した。

 わが国の戦後処理は、サンフランシスコ講和条約に従って行われた。中国、台湾はともに講和会議に招かれなかったが、
台湾は昭和27年(1952)4月の日華平和条約で、「日本国民に対する寛厚と善意の表徴として」、戦争賠償請求権を放棄した。
同条約は47年(1972)9月の日中国交正常化で終了したと日本政府は認識していている。
 国交正常化に伴う日中共同声明は、「中華人民共和国政府は中日両国民の友好のために、
日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する」ことを確認している。

1634goro:2012/10/15(月) 00:38:24 ID:Cc8Z7oOY

●毛沢東の死、実権の移動、対中ODAの開始

 文化大革命は、毛沢東最後の権力闘争だった。しかし、昭和51年(1976)、独裁者・毛沢東は死んだ。
その後、国家主席となった華国鋒は、毛一派の江青ら四人組を逮捕した。その後、毛沢東に近い立場にあった華国鋒は、
毛沢東批判勢力によって、失脚させられた。それにより、かつて走資派と呼ばれていた者たちが、復権を成し遂げた。彼らの頭目が、訒小平である。
 訒は、毛沢東の生前、3度失脚し、また復権した。訒が実権を掌中に収めるに従い、中国は大きく路線を転換していく。

 日中国交回復後、わが国は、中国に対して賠償金を支払うのではなく、経済援助を行うことにした。
昭和53年(1978)、中国と日中平和条約を結び、翌54年(1979)から、本格的に中国への政府開発援助(ODA)の供与を始めた。
 日本のODAは、中国の経済成長に大きな助力となった。ODAは総計3兆円支出された。
民間からの援助金を含めると、6兆円にもなると推計されている。こうした日本の金は、中国の経済発展にのみ使用されたのではない。
日本の金は、中国の核ミサイルの開発・製造にも使われたのである。わが国は、中国に金を出して、
わが国に向けた核ミサイルを作らせ、中国に従属させられるために、せっせと金を貢いだようなものである。
 しかも、中国からは、一切感謝されていない。中国の一般国民は、日本からの経済援助の事実を知らされていない。
そのうえ、中国指導部は、わが国からもっとむしり取ろうと、遺棄化学兵器の処理問題など新手を繰り出してきている。

●増大し続ける中国の核戦力

 中国は、訒小平の指導のもと、昭和53年(1978)に「開放経済」に踏み切った。
彼の打ち出した「社会主義市場経済」という概念は、明らかに資本主義を取り入れる政策だった。
訒は、共産党と人民解放軍を掌中に収め、高度経済成長を指導した。訒小平は平成9年(1997)まで中国の最高指導者の地位にあった。

 この間、中国は、昭和56年(1981)に、核ミサイルの多弾頭化をめざす実験に成功した。
また63年(1988)には、原子力潜水艦からの弾道ミサイルの水中実験に成功した。
 こうして中国は、1980年代には、第1世代の核兵器を完成させ、最小限核抑止力、
すなわちアメリカの本土を攻撃できる「対米第二撃能力」を保有した。
中国は、米国本土を核攻撃するとアメリカを威嚇できるところにまでいたったのである。

 これによって、アメリカが同盟国を保護する「核の傘」は、事実上無効になった。
同盟国が核攻撃を受ける脅威にさらされても、本土を核攻撃するぞと脅されたら、
アメリカは自国の国民の生命を犠牲にしてまでも、他国を守るはずがないからである。
日本は、中国の核から国民を守れない状態になっている。
国民に「核の傘」が機能していると思わせてきた政治家の行いは、犯罪的である。

1635goro:2012/10/15(月) 00:43:14 ID:Cc8Z7oOY

(6)激烈な反日と猛烈な軍拡

●日中友好から反日愛国主義への大転換

 中国の反日は、戦後ずっとそうだったのではない。日中国交回復の際、毛沢東・周恩来は日本の戦争責任を追及し賠償金を求めるようなことはしなかった。
訒小平が昭和53年(1978)に主席になり改革開放政策が推進されたが、海外からの技術と資金の導入を求める中国は、日本との積極的交流を国策とした。
中国人評論家・石平(せき・へい)氏が書いた感動の書『私は「毛主席の小戦士」だった』(飛鳥新社)によると、昭和59年(1984)に訪中した中曽根首相は熱烈歓迎を受け、
石氏が学生だった北京大学でも親日ムードで一杯だった。俳優の高倉健や栗原小巻は、中国で国民的なアイドルとなり、山口百恵を知らない中国人はいないくらいの人気だった。
 それが一転、反日愛国主義に転じた。この極端な転換は、天安門虐殺事件の後のことである。日中人民の真の友好を妨げているのは、中国共産党指導部なのである。

 市場経済の導入で外国資本が投資されるとともに、自由主義・デモクラシーの思想が中国に流入した。当時、ソ連を中心とする社会主義陣営は、崩壊の時を迎えていた。
アメリカは、ソ連に軍拡競争を仕掛け、ソ連は経済的に逼迫した。ソ連から植民地のように収奪を受ける東欧諸国では、民主化運動が起こった。
それが本格化したのが、平成元年(1989)だった。  6月、中国でも自由と民主主義を求める学生・民衆が行動を起こした。共産党政府は、
天安門広場に集まった学生・民衆を虐殺した。中国共産党は、国内における民主化運動を抑圧しなければ、ソ連・東欧の共産党政権の二の舞になることを、痛感したに違いない。

 平成5年(1993)訒小平は、江沢民を総書記に抜擢した。開放経済によって、国家資本主義的な発展を続ける中国社会は、マルクス=レーニン主義、
毛沢東思想の理論とは、大きく乖離し始めた。共産主義では、国内を統制できなくなってきた。そこで江沢民が導入したのが、愛国主義である。
 排外的な民族主義は、国内の矛盾への目を外に向けさせる常套手段だ。国民、特に青少年に反日教育が徹底された。
その教育は、文化大革命の時代に毛沢東が、紅衛兵世代に行ったのと同じような、徹底的な統制の中での洗脳教育だった。
今日、異常なまでに激化・興奮している反日感情は、共産党専制体制を維持するための意識操作なのである。

●世界の大勢に逆行する軍拡

 天安門虐殺事件の年、ポーランドで自主管理労組「連帯」が選挙で圧勝し、民主化革命が起こった。
これをきっかけに、東欧諸国では、次々にソ連型の一党独裁体制が放棄された。
11月には、東西ベルリンを隔ててきた壁が取り払われ、翌年(1990)10月、東西ドイツが統一された。
共産圏の盟主・ソ連では、この年、ゴルバチョフが共産党の一党独裁を放棄し、翌年(1991)12月、ソ連は崩壊した。

1636goro:2012/10/15(月) 00:43:44 ID:Cc8Z7oOY

 この結果、米ソの冷戦は終結した。世界は対立と闘争から対話と協調の時代に入ったかと思われた。
しかし、その動きに異を唱えるように、中国は猛烈な軍備拡張を開始した。かつてキューバ危機の後に米ソが平和共存に転じたが、
その際も共産中国は核開発を進め、共存でなく闘争の旗を振ったことが思い起こされる。

 中国は、平成元年(1989)から18年間、毎年2ケタ台の伸び率で軍事予算を増加している。5年間で軍事費が倍増という猛烈さである。
しかも、この数字は実態を表わすものではない。中国は、世界の武器貿易の約4割を占めるペースで、ロシアなどから新しい武器を購入してきた。
輸入量は世界一である。こうした武器の購入費は、軍事予算に入っていない。宇宙兵器の開発費なども入っていない。
実際の軍事費は、公表されている数字の約3倍だろうと見られている。実態はそれ以上かもしれない。

 危険なことは、猛烈な軍拡と、排外的・好戦的な思想教育が結びついていることである。
共産中国は、単なる共産主義ではなく、ファシズム的な共産主義に変貌しつつあるのである。

●高圧的・傲慢な態度は、核の裏づけによる

 中国は、核拡散防止条約(NPT)に平成4年(1992)に加盟したが、平成7年のNPTの無期限延長の採択後も、条約の特権を濫用して、核実験を行った。
平成8年9月の包括的核実験停止条約の締結を前にして、小型化・軽量化、複数弾頭化を目的とする実験を実施したものである。

 中国のアメリカや日本への態度が、高圧的になったのは、平成7年(1995)からと見られる。この年から、中国は台湾侵攻のとき、アメリカが軍事介入すれば、
中国は米国に核攻撃を行うという威嚇を、米国政府高官に対して何度も行っていると伝えられる。それは、移動式・多弾頭の核ミサイルを完成させたからである。
 移動式のものは、先制攻撃で破壊することができない。中国の対米第二撃能力は、ここに完成した。これによって、中国はアメリカに対し、強気の姿勢を示すようになった。
日本に対しても、傲慢な態度を取るようになった。歴史教科書、歴史認識、靖国神社参拝等に関する理不尽な要求は、核の裏づけによる。

 中国の核技術の向上の過程で重要なことは、中国はアメリカから先端技術を盗み出し、それによって、移動式の多弾頭ミサイルを完成させたことである。
国際政治アナリストの伊藤貫氏によると、ビル・クリントンが大統領だった時期(1993-2001)、中国は移動式・多弾頭の核ミサイルに関する先端技術をアメリカから盗んだ。
それによって中国はアメリカ本土を核攻撃できる能力を手にした。 クリントン政権は、この窃盗事件に関して対抗策を取らなかった。
理由は、クリントン夫妻やゴア副大統領、ケリー上院議員、民主党の幹部・有力者が、中国のスパイ組織を通じて、共産中国から多額の賄賂を受けていたからである。

1637志恩:2012/10/15(月) 09:15:20 ID:.QY5jUA6
  〜日本精神とは〜


古代日本の農耕文化と日本人の伝統的な<ものの考え方>

西洋人や中国人は、表現の仕方では、言いたいことはすべて言い尽くし、自己の能力についても、持てるものを全て並べ立てて見せるのが一般的である。

 日本には、「以心伝心」という言葉があり、「言わず語らず心と心」という歌謡曲の歌詞もある通り、日本人は、ちょっとした言葉の端・さりげない態度物腰から、
その人の言いたいこと・思っていることそして人柄や教養までも判断する。

 日本人は理屈でいくら説得されても、「駄目なものは駄目」「嫌なものは嫌」という態度を取ることが多い。
「腑に落ちない」という言葉があるようにどんなにうまい理屈を並べられてもそれだけでは絶対に納得しないところがある。
つまり,頭でなく、<情念><感性>で納得しないと、だめなのである。

 

 弥生文化と呼ばれるところの古代日本の農耕文化は、稲作生活によって成立している。
ということは種まき・田植え・収穫という毎年同じことが繰り返される生活である。そして日本の気候は四季の変化が規則正しい。
 毎年同じことを同じ場所ですればいい文化である。

弥生文化の特質が家族共同体的な結合・仲間関係を生んだのである。
そして家族共同体的な社会は、何でも規則や法律で規制しなければ秩序や共同体が維持できないというような水臭い社会でないのである。
稲作生活の祭り主である天皇を中心とした信仰共同体社会がそこに成立したのである。

 稲作を基盤とし規則正しい四季の繰り返しの中に生活してきた日本民族は、人間関係のみならず文化も宗教も政治も経済活動も、
自然の摂理に準じることを基本として来た。自然との調和が日本民族の生活原理であった。自然に逆らったり自然を作り替えることは、
むしろ共同体の安定と繁栄を害することが多かった。

 これは狩猟文化とは決定的な違いがある。狩猟文化は何が起きるかわからないという偶然性が稲作文化より圧倒的に強い。
また一定の場所にずっと定住するということもない。だから何でもかんでもいちいち規則や法律によって規制しなければ秩序を維持できない。
西洋には契約国家思想が生まれたのもこれが原因である。

                                    つづく

1638うのはな:2012/10/15(月) 09:30:44 ID:9TO4H8Ho
1412 :神の子さん:2012/10/14(日) 22:45:16 ID:??? うのはな様

貴女のコメントは、誌友会とは無関係の、ただの人格攻撃です。しかも、貴女は参加してもいない「部外者」です。今後は上記のような発言を慎んでください

================================================================

それにさくらさんはわたしやほかの投稿者の話を聞いては、訊けブログで
低次元だと批判したり、ここの掲示板の人達の○○を疑う、など批判発言をしています。
訊け氏と同様、わたしとトキさんとの会話に割り込んでは攪乱的なわけのわからない
こともいってきます。
こんなことで人格攻撃だとかいうのなら、訊けブロコメント者たちはどうなるのかと思います。

1639志恩:2012/10/15(月) 10:03:44 ID:.QY5jUA6
>>1638:の

うのはな様のご意見に同意します。

1640志恩:2012/10/15(月) 10:28:29 ID:.QY5jUA6
〜日本人は「理屈」「論理」を弄んだり振り回したりしない〜


 日本人の農耕生活・弥生文化から生まれた信仰は、天地自然を神として拝む信仰である。
 天も地も山も海も川も樹木も、神の命としてこれを尊ぶ心が日本人の根幹にある。

 谷口雅春先生は、「万物全てに神のいのちが宿っている」と教えて下さいました。
 ですから、アミニズム精神は、もともとの、生長の家の教えから存在していたのです。

 『イデオロギー』のような論理とは全く異なった『自然神』の声を、昔からの日本人達は聞いていた。

 あまりべらべら喋りまくって自己主張をすることを、よしとしない考え方が日本にあるので、
古代から日本は「言挙(ことあげ)せぬ国」といわれている。

「言挙せぬ」とは言葉を全く発しないということではない。
「理屈」「論理」を弄んだり振り回したりしないということである。


 蓮田善明氏はその著『神韻の文学』において、
「日本人と西洋人の<ものの考え方><文化感覚>の違いを象徴することとして、
アランというフランスの思想家によると、古代ギリシアの数学者であったアルキメデスが掠奪の兵士に殺されんとする時、砂の上に幾何学図形を引き、
それを見つめたまま殺されたというが、大津皇子は死に臨んで『百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ』という歌を引用して、

古代日本人は不慮の死の際においてさえ雲を見つめた」と論じ、「雲というものは、幾何学的図形などとは反対に、混沌として定まりやうもない、
或は形式といふものにならない、否、心定めさせぬものであり、とりとめもないものである
…それに比べると幾何学的図形は数学的図形は数学的法則的に抽象し整理されたものである」と述べておられる。

 日本人は雲というものに特別の思いを持っていた。
雲は霊魂の象徴であり永遠の生命の象徴であると共に、無限の可能性をも表していると捉えられていた。

現に見えるものを通して、その奥にある見えない真実に迫ろうとするのが日本人の素の感覚である事を示している。

 かかる精神風土を持つ日本では、古の時代、
萬葉歌人の柿本人麿にしても近世の俳人松尾芭蕉にしても、彼らの偉大なる思想精神は、
詩によって表現されていた。

谷口雅春先生は、…天啓の真理の言葉とともに、最も深い日本精神を、哲学的に、しかも、分り易く説かれた我國では、類い稀なお方だと思います。

                                         つづく

1641志恩:2012/10/15(月) 11:09:41 ID:.QY5jUA6
1640:
訂正です。アミニズム→アニミズム。
/////////////////////////////////

「古事記」「日本書記」「万葉集」

古代日本の精神を今日まで文献的に伝えているものは『古事記』『日本書紀』『萬葉集』です。
これらの文献は、日本の神々と日本国の歴史が叙述され魂の表白たる歌が収められている。

日本人が、あくまでも真実を尊び人間の感性を重んじ、抽象的な論議や理論を重んじなかったかの証拠です。

 篤胤は、儒教や仏教という外来思想が、日本に入り来る前の 純粋な古代日本の言葉で、天地生成の起源からの事実を、素直に記述し、
その事実の上に立って、日本民族固有の『道』を明らかにするのが、日本伝統精神を学ぶことだと言っています。


これらが、日本文化の発展の基礎であり、日本が、古代以来仏教や儒教などの外国思想を幅広く受け入れて自己のものとし、
さらに、それをより高度なものにし、さらに近代においては西洋科学技術文明を取り入れた原点であると言われています。



 樋口清之氏は「日本人は、一般的傾向として、経験的な知恵や、合理的知識の分析を、説明をこえた先験的・信仰的なとらえ方で身につける。
  このため近代分析科学的な理解方法しか身につけていない人からは、前近代的な迷信だと誤解されることもある。」と述べています。

 しかし分析に対する総合、対立に対する 調和という伝統的な思考の中に、先人の生きざまの英知を発見できると思います。


 日本の伝統精神とは、イデオロギーではない日本の自然と風土と生活の中から生まれた日本民族の自ずからなる歴史の精神であるからです。。

1642初心者:2012/10/15(月) 12:37:32 ID:qBrfhCPc
志恩様

>〜日本人は「理屈」「論理」を弄んだり振り回したりしない〜

理論も論理もなしに、どうぞお好きな方向へ突き進んでいってください。

1643志恩:2012/10/15(月) 12:51:03 ID:.QY5jUA6
初心者様

「論議をする」ことと、
「理屈」「倫理」を弄ぶこととは、違うと思います、

1644初心者:2012/10/15(月) 12:52:27 ID:qBrfhCPc
こちらが理論や理屈を持ち出したところで、その持ち出された理論や理屈の内容
を批判するのでなく、持ち出したことをもって批判する、これが生長の家のいつも
のやり方ですね。

宗教で宗教を語ったところでさしたる意味はない。宗教を、宗教を超えたところで
語ろうとすれば、理論、理屈は必須の用具ということになりそうですね。

1645うのはな:2012/10/15(月) 13:00:11 ID:SXwG/Idc
 記憶間違いかもしれませんが、雅春先生はどこかに、生長の家では
理論はいらない、信心していたらよいというのではなく、理論で説明納得できる
ようにしているとかいう意味の文章を読んだ気がします。

 そういう意味の理論や議論の大切さはわかるのですが、初心者様やここでの
お話は難解すぎると思うことがあります。

 左翼の手法だとか、理屈だけ踊っているような話にならなければ、基本的に
「理論」の追及は大事かなと思います。

1646志恩:2012/10/15(月) 13:32:22 ID:.QY5jUA6
初心者様

 ・個人の救済に関しては、生長の家は、近年、すごく疎かになっているようですね。

いじめ問題や、自殺問題1つ取り上げましても
2006年〜の「いじめの急増現象」の特性は、1)量的拡大、2)高学年化、3)IT化、4)いじめ自殺連鎖、
5)いじめの隠蔽などが挙げられるそうです。

・いろいろな,生長の家組織の情報によりますと、講師が、雅春先生の本をテキストにして、日本精神の講義をしますと、
 それが、上層部にばれますと、出講が禁止になると聞きます。

この問題を、どう思われてますか?

これらの問題に触れず、000哲学者やら000物理学者やらを、もち出して、いかにも〈深い〉似非哲学的議論をしていると、
論議を、弄ぶなど論外だと、いわれたり思われても,仕方のないことです。

……人類や信徒にとって楽しい生長の家の教え、毎朝起きると、生きていてよかったなと思える本来の教えをとりもどすことが最大の課題です。
哲学や物理学を、あなたが述べて、

それが、1000人のうち、5人しか、理解できないとしたら、論議しているメリットが、ないではないですか。

1000人に語って、過半数の人の理解を得てこそ、ここで,論議する意義があると思います。

1000人に語り、5人しか,分らないのでは、語った人にとっても、聞く人にとっても、デメリットが大きい。
1000人に語り、過半数が、理解すれば、語った人にとっても、聞いた人にとっても、メリットが、大きい。


生長の家の再生を考えるには、総裁としての役割を見直していかなければならず、

生長の家は、本来の姿を取り戻し、講師や信徒が、明るく自由に、自信を持って活動できる環境を再生し、
整備のやり直しをしていかなければならないと思います。……

でも、総裁先生が、創始者の雅春先生のことを、どうしても尊敬できないとしたら、どうにも、目も当てられません。

1647初心者:2012/10/15(月) 14:20:08 ID:qBrfhCPc
>これらの問題に触れず、000哲学者やら000物理学者やらを、もち出して、いかにも〈深い〉似非哲学的議論をしていると、
論議を、弄ぶなど論外だと、いわれたり思われても,仕方のないことです。

似非哲学的議論とは、どういう意味でいっておられるのでしょうか。どこがどう
「似非」であり、どこがどう「哲学的」であり、どこが「議論」であるのか、このあたり
のことがらについて、まずは説明してくださいますでしょうか。

以前、さくらちゃんが光明掲示板を追放になったおりには、あちらの管理人様が
決めたことだからなんともいえない、とおっしゃられましたよね。そんな志恩様が、
「出講」にかんする制限規則を本部が決めたことにたいして、わたしになにを言え
といっておられるのですか。

しかも、これらの問題にふれなければ、なにがどうだといわれるのですか。なぜ
これが、わたしがふれなければならない問題なのでしょう。

1648初心者:2012/10/15(月) 14:31:07 ID:qBrfhCPc
うのはなさま〜

それまでは信じるしかないとおもわれていた宗教的真理を、生長の家は、理論、
理屈でも解き明かしてくれるとおもったからこそ、わたしは雅春先生の教えを
学ぼうという気になったのですよね。

それが、理論、理屈、知識は役には立たず、信じるしかない、という話になって
きてますよね。これでは、生長の家もふつうの宗教と変りがないではないかと、
いまさらながらにおもわされているところなのですよ。

1649うのはな:2012/10/15(月) 14:42:49 ID:j/a0WopM

さっき、初心者さまの昔記事を読んで「フムフム」ってなってたとこだから
びっくりしました。

本流の人達は「理論」を勉強していますよ。でも「議論」はしんどいものが
あるんじゃないかな。

個人の救済と宗教に関する本を一冊だけ読んだことがあるのですが、
やっぱり初心者さまの話は予備知識がいるから読むだけで大変です。
たまには良い音楽でも聴いてください。ビートルズ以外で(笑)

1650西向く人:2012/10/15(月) 16:01:47 ID:M7ribEwU
雅宣くんが、47年の理想世界誌に『生長の家の理論、イデオロギー・・・云々』と書いていまっせ。

1651うのはな:2012/10/15(月) 16:31:38 ID:O14KGmdU

この流れで雅宣くんの「イデオロギー」記事の話が出ると笑いますね。

雅宣氏は世界なんとか理事の肩書きで、子供の紙オムツについても書かれていました(笑)

1652志恩:2012/10/16(火) 10:26:04 ID:.QY5jUA6
おなじ『・・・オロギー』でも、

『コ オロギー』の方が、心が癒されるよね、うのはなさん。

庭で、涼しげに鳴く 『コ オロギー』の鳴き声(羽音)を聴きながら 思っている。

そんな あほ なことを言っても、笑って許される 生長の家 であって、ほしい……(笑)

 http://www.youtube.com/watch?v=LTwK9X0f3gQ&amp;feature=related

1653志恩:2012/10/16(火) 11:03:28 ID:.QY5jUA6
誰かさんに似た『バッタ』が居ました
あまり、他人を 飛ばしてばかりいたので、、
己に返って来たのです。

 http://www.youtube.com/watch?v=AYBW9LJeQjQ&amp;feature=related

1654志恩:2012/10/16(火) 15:47:20 ID:.QY5jUA6
〈神道〉


 日本の神道は、太古のアニミズムに、はじまりました。
 太陽、雨、風、雷、海、湖、山、森、岩、石などに、神聖なものを感じ取っていました。

 細石(さざれいし)が巌(いわお)に成長するという考えも、ここから由来しているそうです。

 やがて、卑弥呼などにみられる神官(シャーマン)のような存在が出現し、神社もつくられました。
 一方、天皇家や豪族たちの祖先崇拝が行われるようになり、氏神というかたちで表れて…

 奈良時代、平安時代と来て、室町時代には、逆に仏や菩薩は日本の神々が姿を変えたものであるとする「逆本地垂迹説」を唱えた
 吉田兼倶(かねとも)が吉田神道をかたちづくりました。

 江戸時代には、本居宣長や平田篤胤らを中心とする国学者は、日本古来の精神を追求し、「復古神道」と呼ばれるようになりました。

 明治維新により「神仏分離」が行われましたが、「廃仏毀釈」となって寺院、仏像、仏画、経典、什器など多くが破壊されたりしまして、

 神道は、天皇を「現人神」とする国家神道となるのですが、第二次世界大戦の敗戦により終わりをとげました。


 本来の、多くの日本人は、基本的な発想には古来からの、アニミズムである神道の思想が色濃く影響し、
 次のように考えていたと思います。

「自然界のさまざまなものに霊的なものを感じ、人間はその自然界のなかで生きている。

 現在の自分や社会があるのは、天皇や、多くの祖先たちのおかげであり、今を生きている者は、自然も含めて、これをより良いかたちで子孫へ伝えていかなければならない。」と、

 谷口雅春先生も、そのことを、説かれ、叫ばれた数少ない愛国者のお一人でいらっしゃいました。
 
 こうした考え方が、廃れ、戦後…日本が文明の発展とともに、唯物思想が蔓延し、自然破壊につながっていったのは、自分だけが、良ければいい、自分だけが、もうかればいいというような、
 エゴの戦後の新しい教育や、新しい思想を、吹き込まれた日本人が、本来のアニミズムの精神を忘れ、悪い思想に、洗脳されていったからでは、ないでしょうか。

1655志恩:2012/10/16(火) 16:01:31 ID:.QY5jUA6
訊け君が「神道」について、別板で、いい発言をされていましたので、
貼付させていただきます。

【ひとりごと板】

1042 :「訊け」管理人:2012/10/16(火) 12:38:56

>>神道の根本にあるのは、「それがなんであるかを
言い当てることはできない」とする考え方ではないかと想像いたします。<<

 ・・・・つづけてこう来るのが、(雅春先生解釈の)神道なのではないでしょうか。それは、言い当てることが出来ぬくらいに、
「神は姿を隠している(※)」と。




<註>


※ 神は姿を隠している

 神さまはその存在を、「意識しない時ほど、よく働く」という意味です。
(全文未拝読での返信を、お許しください。)
さらに「全てが神の顕現である」と観るのが、雅春先生ご解釈での日本神道になろうかと、思います。

 まとめるならば「それがなんであるかを言い当てることはできない」なぜならば、
「神は姿を隠しておられるのだ」となります。

そしてその意味は、
「神は『わたしがこうした』と主張されずあくまでも、『貴方たちのお蔭です。』『貴方たちがおられるから、私(神)も存在しております』」と、
礼拝されておられるからになります。少なくともそう、思います(あくまでも生長の家の解釈では)。

1656志恩:2012/10/16(火) 17:55:37 ID:.QY5jUA6
訊け君が、おっしゃりたかったのは、

(日本の神道は、太古のアニミズムに、はじまりました。そして、)

 天皇を中心に奉り、日本民族、太陽、雨、風、雷、海、湖、山、森、岩、石など、全ての全てに、神聖なものである『神がお隠れになっている』

ということかな、と思いました。

 
それから、以前に、私は、

生長の家の作法は、神道の作法だと聞いていました。。

世界の正しい宗教の本尊を本尊とし、

それぞれが説く真理は唯一つ(万教帰一)と説く「生長の家」は、その宗教作法については神道の作法をとっていると聞いていました。。

それが日本人にとって最大公約数的な宗教であるからです。
お正月は、殆どの日本人なら皆様、それぞれの神社をお参りし、抵抗なく二礼二拍手一拝(一揖)をして神様に手を合わせるからです。

日本の天皇陛下も国民の幸福を祈願して、同じ神様に日々手を合わせられていることは日本国民もよく知ることです。
宗教を生活に活かす意義と神道の作法を学び、霊供養をし、日本人は知らず知らずにのうちに、「日本精神」である日本神道を生きている。

なのに、「生命の実相」から、日本人として学ぶべき、最重要部分である「神道篇」をぬきとってしまったので、
初心者様、自らが、「神道」が、わからない人間に、陥ってしまって、おられるのだと思います。

1657志恩:2012/10/16(火) 20:28:32 ID:.QY5jUA6
 〈言葉についてですが、”テレパシー’も、言葉だと思います。〉

人間には元々、言葉以外の通信手段が、あったのだと思っています。

じゃあ、なんで今は、言葉しかないのか。 テレパシーはどこに行ったのか。

それを考えるには、テレパシーがいつ消えて、話し言葉がいつから始まったのかを、考える必要がありますよね。。

創世記の、バベルの塔の話、あたりにこう書いてあります。

「さて、全地はひとつの言葉、ひとつの話し言葉であった。」

つまり、この段階では、コミュニケーションは、話し言葉で行われていたとわかります。

これ以前は、どうだったのでしょう。
いつ、人間のテレパシーがなくなったのでしょう。

あの事件ですかね。
あの、善悪の知識の木の実を食べたという事件です。

あの時から、人間はテレパシーをなくし、言葉で話し始めたのかもしれません。
これは、単なる推察にすぎませんけれど。。

今の時代でも、言葉のしゃべれない人がいます.失語症の人がそうです。
そういう人は、言葉を失った代わりに、(手話も使わずに)、テレパシーで会話が、できる人もいると聞きます。

1658西向く人:2012/10/17(水) 03:58:42 ID:M7ribEwU
 『生命の實相』1ー24

 「生長の家」では必ずしも耳に聞こえなくともエーテル波動(ラジオ等)でも

 思念波動でもすべて波動を指して、コトバというのであります。

1659志恩:2012/10/17(水) 10:35:25 ID:.QY5jUA6
西向く人様

ほんと、おっしゃる通りです。
生長の家では、口から いわゆる 言葉 として発しなくても、
心の中で、思念 することが、
波動(コトバ)となって、発しているのだと、教えて頂いておりますね。

思念波動も、言葉です。

1660「訊け」管理人:2012/10/18(木) 11:24:54 ID:???

>>ハマナスさま

 一点お知らせがございます。私にメールをくださったある方の話です。

 この方は下記のブログ記事を読まれて、「自殺を思い止まった」と申されておられます。そしてその、自殺を思い止まれた記事ですが、いずれも貴女さまのご謹写箇所でございました。


http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65633351.html
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65659004.html

 上記謹んで、ご連絡致します。これからも、よろしくお願い致します。




追伸

 また最近、なぜか「初めて谷口雅春先生を知りました」という方が増加しております。私のブログをきっかけに雅春先生の御名が高まれば、嬉しく思うところです。ハマナスさまご謹写はいずれも良いものですので、今後も使用させてください。しかしこういう思想は皆さん、実は求めておりますね・・・・論拠を挙げますが最近のビジネス誌等、宗教やメンタル関連の特集が増えています。昔は「ネタ不足の際は戦国大名」とか、まあそれがビジネス誌でしたけどメンタルを病んでいる方が増えているんでしょうねえ・・・・あの「プレジデント」までもが近刊で「仏教」を特集という・・・(まあ記事自体はあまり、好きにはなれなかったかなあ。雅春先生と比較すれば段違いですからね。)

1661さくら:2012/10/18(木) 16:25:45 ID:P2/aMU1Q
>>1660
訊け管理人さま

聖典謹写と、すばらしい体験、感動しました。
ありがとうございます。

ハマナスさまのご愛念もすばらしいですね…、こころ励まされました。
真理の前では、みな、平等に、学ぶことがありありがたいとおもいます。

ありがとうございます、拝。

1662うのはな:2012/10/18(木) 18:42:03 ID:xLFONGJY
 武士道の中で一番厳しい掟

 義は武士道の中で一番厳しい掟である。武士は卑怯なこと、醜い不正な行いをもっとも憎む。
義の概念は間違っているものや狭義にすぎるものがあるかもしれない。
 林子平(江戸時代中期の経世家)という武士は、義を次のように定義している。
義とは勇気と対になるもので、道理に従ってためらわず決断する心をいう。死すべきときに死に、討つべきときに
討つことである。

 また別の武士、真木和泉(幕末の尊王攘夷派の志士)は次のようにいう。
義はたとえるなら人体の骨のようなものである。骨がなければ首も正しく座ることができない。
したがって人間は才能があっても、学問があっても、義がなければ世の中に立つことはできない。
義があるなら、たとえ無骨でも不調法でも、武士たる資格がある。

 孟子は「仁は人の心なり、義は人の路なり」と語り、「その路を捨ててそれに従おうとせず、その心を
失えばこれを探し求めるが、心を失ってそれを求めようとしない。人は鶏や犬を失えばこれを探し求めるが、
心を失っても探し求めようとしない」と嘆いた。

 この孟子からはるかに時を経て異なる国に生まれたキリストは、「私は失ったものを見いだすことのできる義の路である」と
いったが、この比喩は、鏡の中に見るようにおぼろげにだが、孟子との類似を見ることができよう。
少し脱線したが、僕がいいたいのは、孟子が語る義とは、人が失った楽園を取り戻すためのまっすぐで狭い道である、ということである。
封建時代の末期、武士は太平の世に慣れて安逸で遊惰な生活を楽しみ、風流芸術をたしなむようになった。
しかしこの時代にあっても、「義士」という称号は、学術技芸に優れていることを表わすどんな称号よりはるかにまさっている、と考えられた。
赤穂の忠臣四十七人は「義士」と呼ばれ、国民の徳育に大いに用いられたのである。

 謀をもって戦術とし、人を欺くやり方が戦略とされる時代にあっても、義と呼ばれるこの率直で正大な男らしい徳は、光り輝く宝石のように、人々の
賛辞を受けたのである。

『武士道と修養』 新渡戸稲造 著

1663ハマナス:2012/10/19(金) 01:09:50 ID:x2zmnlqw

訊け様
こんばんは。
 >この方は下記のブログ記事を読まれて、「自殺を思い止まった」と申されておられます。
そしてその、自殺を思い止まれた記事ですが、いずれも貴女さまのご謹写箇所でございました。<

とても嬉しいニュースありがとうございます。本当に良かったです!!
尊い神の子さんの生命を救えたこと、谷口雅春先生のご文章のお陰ですね! 
そして、訊け様が素晴らしいブログに載せて頂いたお陰でもあります。

また、大好きなルノワールの絵を背景に選んで下さり、ありがとうございます。
真理の言葉は素晴らしいです。これからも、謹写させて頂きます。
どうぞブログでご紹介ください。よろしくお願いいたします。

I saw some of Renoir’s paintings when I visited The Metropolitan Museum in New York
two weeks ago. They are indeed marvelous !
Thank you for letting me know.

>また最近、なぜか「初めて谷口雅春先生を知りました」という方が増加しております。
私のブログをきっかけに雅春先生の御名が高まれば、嬉しく思うところです。
 そうなのですか! 
それだけ、魂のやすらぎを求めているのでしょうね。自殺者が3万人もいるこのご時世、
生長の家の使命は、大きいと思います。
どの書店、図書館にも、雅春先生の素晴らしいご著書がずらっと並び、多くの人を
救えますように。

感謝合掌

1664志恩:2012/10/19(金) 06:52:35 ID:.QY5jUA6
ハマナス様の書き込みのご文章を見られたお方が、自殺をするのを
思いとどまったとのこと、本当にうれしくすばらしいことですね。


うのはな様が武士道の、貴い文章をご投稿くださっていますが、
他の武士道と天皇制と日本精神について、載せさせて頂きます。


「天皇制と日本精神」

夫婦を初めとしてすべて社会は間柄で成り立っています。
その間は仁愛で結ばれていなくてはなりません。

天皇様の名が仁徳天皇を初め、明治天皇が睦仁、大正天皇が嘉仁、昭和天皇が裕仁、今上天皇が明仁、
皇太子様が徳仁と皆【仁】を理想としておられることから、日本の天皇制とは何かが明瞭に解ります。

我々はこの素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。

1665志恩:2012/10/19(金) 07:06:26 ID:.QY5jUA6
「天皇制と日本精神」 つづき

戦前の日本人に日本の国体の精華とは何ですかと問えば、

すぐに第一が「天皇制」、第二が「忠孝の精神」と答えられました。

忠とは愛国心のこと、孝とは親孝行のことです。
忠と孝はどの民族にとっても最高の徳目でした。

だからどんな小さな国でも教育の基本に忠孝をおいて教育の目的にしています。
ところが日本のみ戦後道徳教育を廃止し、忠孝は死語となって、教育界からも社会からも危険な言葉として口に出すのをタブーとされてしまいました。

この学校教育の基本を忘れた結果、いじめ、校内暴力、万引き、親殺し、神戸十四歳中学生のような殺人ごっこ、と少年の非行化が激増して教育の荒廃が極点に達してきました。
また国家観念を欠いた世界一愛国心の乏しい無国籍な青少年が巷にあふれてきました。

さてすべての動物は親は子を育て愛しますが、子は成長すると親の面倒など見ず、さっさと去っていきます。
蜘蛛の子を散らすが如しの譬えが代表しています。

動物は自分独りが生きていくのが精一杯で、親や兄弟の世話など見ていたら生きていけないからです。
してみると人間の子が、生み育ててくれた父母を敬慕し孝養を尽くすことは、人間のみの最高の文化だったのです。

人間社会のみが発展したのもこのためです。
孝こそ、人間を人間たらしめた至高の徳目です。

東洋の儒教の教えでは「孝は百行の本」として尊ばれてきました。
次に忠ですが、これも人間社会にだけに存在する至高の徳目です。
忠とは文字通り人間社会の中心にあるものという構成の字です。

人は生まれ育ててくれた郷土、国家に本能的に愛着を感じます。
所属する地域社会や国家を守るためには、生命をかけても惜しみません。
これがロイヤリティー(忠誠心)です。

日本人の心の中心には、この心が貫いています。

人間にとって最高の道徳、忠孝こそ、日本民族の精華だったのです。

教育の基本もここにあったのです。
これを忘れては動物以下になります。

戦前、この教育で育てられた大人たちが今の日本の発展を支えているのです。

戦後これを否定したところに、教育荒廃の原因があることが、最近、明らかになっております。

日本再建のためには、この当たり前の、国体の精華の原点に、復帰せねばなりません。

雅春先生は、この上記のことを、強く訴えておられました。それらの日本精神を書かれた著書が、絶版にされております。

1666志恩:2012/10/19(金) 07:12:43 ID:.QY5jUA6
「武士道と日本精神」つづき

武士階級が守るべき倫理道徳の精神面が強調されている傾向は、江戸時代が戦争の全くない平和が三百年近く続いた
世界でも珍しい安定した時代だった。

武士は、孔孟の教えである儒学を学び、忠君愛国の精神修養に励みました。

武士は、自分の命を捨てても守るべきもの主君、天下国家即ち「公」に捧げる奉公精神を養いました。
滅私奉公です。

佐賀藩の武士の道徳をといた『葉隠』では、「武士道とは死ぬことと見付けたり」と割り切っています。

武士とは死を覚悟して行動する者、これが葉隠れの心です。

この精神は、大東亜戦争で、神風特攻隊や人間魚雷に結実し、生命より大切な祖国を守ったのです。

我々はこの素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。

1667志恩:2012/10/19(金) 07:24:21 ID:.QY5jUA6

 表面的な知識は、どこまで極めても、知識でしかないと思います。

 武士道のような精神修養とは、別のものです。

1668志恩:2012/10/19(金) 07:33:39 ID:.QY5jUA6
1664,1665,1666,は、「武士道と日本精神」より、引用させて頂きました。

1669志恩:2012/10/19(金) 07:45:45 ID:.QY5jUA6
光明掲示板で、
童子様が、
  「天皇信仰と日本国体」というテーマで、謹写されておられます。

 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=459

1670うのはな:2012/10/19(金) 21:26:23 ID:JsVayk8A
   人の心が道をつくる

 道の種類には公道と私道がある。公道というのは普通に人が歩む公共の道であるが、
私道には程度の高いものと低いものの二種類があると思う。
 ローマには尼寺から寺院に通じる地下道があり、私生児がその中で育てられた、という不思議な
話を聞いた。

 これは私道の下等なものである。高尚な私道とは世間の人々が歩んでいる道の上にあるもので、
自己を修養した者が世間から離れて歩む道である。誰の歌であったか忘れたが、

 武蔵野にあちらこちらに道あれど 我が行く道は神のまさみち

というのは、この高尚な私道を歌ったものであろう。
道というものは自然にあるものなのか。「人よく道を弘む、道人を弘むにあらず」
というように、天然自然に存在するものではないないのではないか。

 道という字「辶(しんにゅう)」をつける。つまり首が走るところが道なのである。
人が踏んでいくところが道なのである。ニーチェの言葉どおり、山から山に達するもっとも近い道は
頂上と頂上を結ぶ道である。しかし人間の足は頂上から頂上に届くほど長くはないから、上ったり下ったり
迂回したりして道を作るのである。
 鳥羽天皇の御製だったと思うが、

  奥山のおどろがもとをふみわけて 道ある世ぞ人に知らせん

 という歌がある。道は自然にできていない、自分が踏み分けて、初めて世の中に
道あることをしらせる、という意味であろう。

 道は自然にできてはいない。ある起点と起点の間を人が足を入れて踏み固め、初めて道ができるのである。
さらに一歩進めていえば、道は人と共にあるものであり、各人がやっている行為が道なのである。
すなわち各々の心の内にあるものを、どこまでも踏んで行けば道になる。各々の心が至るところが道なのである。

 言い換えれば、個人、周囲、社会に対し天地に対して正しいと思うことを行っていく、それが道というものであろう。
我は道であるといえば、遠近、広狭などすべてなくなって、心外無別道となるのではないか。

※ 心外無別法とはわれわれが認識するすべての現象は心から出たもので、別にそのものが実体的に存在するのではないという仏教用語


『武士道と修養』 新渡戸稲造 著

1671うのはな:2012/10/20(土) 13:35:38 ID:547s0/J6
武士道の美学  なぜ世界の人々は「日本の心」に惹かれるのか 呉善花 著

 韓国や中国には、日本や西欧のような、武人統治下に成熟した封建制社会の歴史がない。
韓国でも中国でも、倫理・道徳の基本は儒教的な制度であり、その担い手は王朝国家の文人高級官僚
であった。朝鮮の王朝国家では武人の地位は文人よりもずっと低く、武人のなかから独自の倫理・道徳観が育つことはなかった。

 儒教の倫理・道徳は、朱子学による礼儀作法・冠婚葬祭の書『文公家礼』を通して、広く民衆の間に制度として根づいていった。
それに対して日本では、武人に発した武士道が、制度ではなく生き方の道として江戸時代には一般の町人階層にまで大きな影響を及ぼし、
以後の日本人の倫理・道徳の基本を形づくっていった歴史がある。

 封建社会は必ずしも君主絶対主義ではなかった。中世・近世の武家社会では、主命を絶対とする倫理や制度がある一方で、その主命がまちがっていた
場合は、さまざまな方法を用いての主命撤回への努力が行われていた。封建制度のもとで主命に背くには、死を覚悟しなくてはならなかった。
それでもなお、君主の過失を指摘して忠告し、異議を申し立て、それでも聞き入れられなければ君主の身柄を監禁したり、場合によっては退位させたりすることが、家臣
たちの間で行われてきたことはよく知られている。

 たとえば江戸時代中期の著名な武士道論書では、一方では「主君の命令には理非にかまわず従え」と説いており、他方では「主君の命令が自分の気にかなわなければ徹底
してその非を主張し続けよ」と説かれている。武士道は、こうした相互に、矛盾する倫理をともにもち抱えていたのである。
儒教の朱子学や陽明学にも、臣下の者は君主が天命に背けば忠告そ改めさせるべきだとする考えがある。日本の武士の倫理・道徳も、そうした儒教モラルに発すると見なす人もいる。
しかしながら文人と武人では生活事情が大きく異なっている。

 そもそも戦場で命を落とす覚悟で武士となった人たちは、命を預けられるだけの実力、器量をもった人物に従った。また、それぞれの統率力のある人物を求めたのである。儒教モラル
よりもこの伝統がまず先にある。これは漁師など海に生きる人たちの間でも同じことだった。船底の「板子一枚下は地獄」という、命のかかった海の仕事の統率者は、それだけ年季の入った
大きな器の人物でなくてはならない。そうでなくては命がいくつあっても足りないからだ。経験豊富で飛び抜けた器量の持ち主を統率者にして、全員が力を合わせて漁をする伝統が漁労民のものだ。
これは狩猟民でも同じことがいえるだろう。
 いいかげんな統率者、全体を危機に陥れるような統率者は排除されなくてはならない。そうでなくては共同体が維持できないのが、漁労民・狩猟民や武士団ー戦士共同体というものである。
日本の武士団というものは、そうした人々の体を張った生活を通して培われてきた倫理を自分たちのものにしていくことで、強固な連帯を維持してきたといえるだろう。

 少なくとも農民や王朝貴族の間からはけっして発生することのない倫理的な伝統を、武士たちの背景に考えなくてはならない。

1672うのはな:2012/10/28(日) 23:10:14 ID:YT9aDVnY

 代田健蔵先生の家庭教育講演会のお知らせ!!すぐです。
 10月29日(月) お待ちいたしてます!! 桃の實会 様より

 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=431

1673トキ:2012/10/29(月) 15:33:58 ID:W4kD3vME
 谷口雅宣先生の10月28日の「唐松模様」を拝読しました。

 http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/

谷口清超大聖師四年祭でのご挨拶です。

 拝読すると、肝心の谷口清超大聖師に関する話題は5行ぐらいで、あとは
ご自分の関心のある自然とか原子力発電とかの話題ばかりでした。

 通して読むと、なんだか政治家の選挙演説みたいだなあ、という印象が残りました。

 読後の感想は、自分がその式典の場にいなくて良かったと思いました。
出席者は、故人をしのぶために集まったのですから、こういう挨拶の内容は
私は、故人や出席者には失礼ではないか、と思いました。

 失礼をお許し下さい。

合掌 ありがとうございます

1674トキ:2012/10/29(月) 20:35:41 ID:W4kD3vME
 上記の投稿に関して、靖国見真会参加者様から、ご同情を頂戴しました。

 これを激励と受け止め、和解の道にますます邁進する決意であります。
だって、教区の人間は、「もう、教団も本流復活派も、いい加減にしてくれ」
と言っていますから、和解しかない! という決意をあらたにしているところ
です。

ご投稿、ありがとうございました。

合掌 ありがとうございます

1675SAKURA:2012/10/30(火) 19:29:56 ID:jH5uEFzM
トキ様 ヘ
観覧者の皆様 ヘ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1673>>1674の投稿から…感想を投稿させて頂きます。

■>肝心の谷口清超大聖師に関する話題は5行ぐらいで、あとは
ご自分の関心のある自然とか原子力発電とかの話題ばかりでした。< (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■「亡き谷口清超大聖四年祭」での行事開催時点での…“お言葉”…
【唐松模様ブログ…自然と人間は一体なり】を、拝読させていただきました事に関し…
「トキ様」感謝申し上げます。

さて!“捉え方”の問題でしょうか?
「亡き清超先生…」思い出しますと「写真家…?」先生のワンショットの“瞬間の自然の美”を、
個人的にも、思い出します。…が?つまり【自然をこよなく愛されましたのでは……】と思います。
そうしますと…この関連から「亡き清超先生…」が「真」「善」「美」心から愛された事…云々…が?

■更に“追悼グラフのはしがき”には……
【自然は“真・善・美”を兼ね備えている】このタイトルだそうです〜〜〜ネ!

そうしますと!今地球上で起きています【自然破壊…】この観点から?「亡き清超先生への想い」を、
現総裁雅宣先生なりに“言葉”として表現なされたのではないでしょうか??
例えば…今!こうしています間に、私達を取り巻く大切な“自然”が〜〜〜【破壊…】
更に、こうして“呼吸=息出来る〜〜空気…”そうです〜〜ョネ!活かされていますモノ〜〜〜♫
実は、私事ですが
…FUKの現県知事のマニエストでしたか??「車社会…」にします。><この“言葉”の記憶が?
それからでしょうか〜〜〜?「エコカ−」と申しますより?とにかく私の目の前の道路…
以前より“排気ガス…の排出量”が、多くなった様に感じます。…が?
ですから、余談ですが、今回の講習開催…「山口…」での“空気…オイシ〜〜〜イ!”と感じ
“きれいな空気〜〜”が〜〜〜やはり【自然との共有……】考えこんでしまいました。…が?

特に今回の“言葉”の中で…気になりました事が〜〜〜
〜〜〜【抜粋文】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■>「人間の迷いが自然の秩序を破壊すると、この世界の迷妄は限りなく広がり、遂に地球生物全ての
死滅にまで到るのである」と書いてあることに、私たちは注目しなければなりません。ここには、人間の
心と自然界との深いつながりが説かれているのです。
 
 また、その「“真・善・美”それ自体」は感覚にとらえられない、とあります。しかし、その神の国の実在を
信じ、これを観る訓練が「新世紀」には必要だと書かれています。ここで使われている「観る」という字は、
神想観の「観」の字ですから、肉眼の目で見るのではなく、「心で観る」という意味合いです。<
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

この【心で観る】…“心の目”と云うことは、“五感の目”ではない!!のです〜〜〜ョネ!
確かに【神想観・・・の「観」ですから、「心で観る」…】という意味合いですかと〜〜〜!【納得…】

ブレイクしますが…今回の【山口…講演】で、【前原先生…】も同じく〜〜〜
■【心の目で観る…】つまり、 自分自身を知る…「観る…」と云う事を、“講話…”の中でおっしゃって
いらっしゃいましたでしょうかと……

■この【観る…観世音菩薩…】でしょう〜〜〜か?
心の目…何を?どの様に?…つまりは【神想観=瞑想=イマジネーション】を、実際に観る…訓練!
でしょう〜〜〜か?【マインド・スクリーン】と云いますか〜〜〜♫

色々な“気付き”をさせて頂きました。ありがとうございます…。
                                            再合掌
PS:今回!“言葉”の使い方?にて、その【印象…】
如何にプラスにも?マイナスにも?なりえますのでしょうか?本当に【言葉は神…】でしょうかと〜〜〜?
実に、驚くばかりです。…が?

1676トキ:2012/10/30(火) 19:48:13 ID:F0NqbFEs
>>1675

 ありがとうございます。

 私は、和解を唱えている人間ですが、本当の解決は、やはり信仰しかない、と
感じています。いろいろな人がいて、その中でどう調和をとるか、というのは
生長の家だけではなくて、世界の平和のためにも大事だと思います。

 個人的な感想ですが、行をし、行いをただしていると、自然と喧嘩が嫌いに
なり、落ち着くのが理想です。

 今回の紛争は、その意味で、ある種の公案を頂戴したと思い、まずは自分が
反省する事から始めたいと思います。

合掌 ありがとうございます

1677うのはな:2012/10/31(水) 18:36:10 ID:eorGcccE

墓参

父方のご先祖のお墓のある萩の南明寺に墓参に行ってきました。
今年はこれで2回めになります。

10月28日は父の命日でしたがその日は講演会が山口であったので
翌日に墓参することが出来ました。

とても良いお天気で、レンタカーを借りてひとりでのんびりと萩までドライブをしながら父のことや維新に活躍した人たちを多く輩出した萩の歴史なども少しだけ散策したりして有意義な旅でした。

お墓には前日にお参りに来てくださった人がお供えして下さったお花が生き生きとしていたことが印象的でした。本当にありがたい事と思いました。

1678SAKURA:2012/10/31(水) 19:10:32 ID:jH5uEFzM
うのはな様 ヘ

こんばんは…… ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1677  【墓参…】
上記の【投稿文…】は、【谷口貴康先生…ブログ】 からの “抜粋投稿…”でしょう。

一言その旨を【記すべきかと??】思います。…が? 
     
再合掌

1679うのはな:2012/10/31(水) 21:33:22 ID:YWlg/x6w
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/tachiyan50

 上の1677 は 上記からのコピペです。

1680イカ:2012/10/31(水) 21:48:49 ID:AWG1OEtw
>>1679
うのはな様が行かれたのかと思いましたよ

1681うのはな:2012/10/31(水) 22:48:24 ID:wEsUJlf6

 不注意で、まぎらわしくて、すみませんでした。

1682うのはな:2012/11/02(金) 09:34:07 ID:TxSNXPsc
 訊け管理人さんは、いままで何回も嘘をついているので、
 もうここにはきませんと、はっきりと一筆書いてください。

1683さくら:2012/11/02(金) 10:42:34 ID:qQE/9vWk

本流対策室4>682で、
志恩さまが、貼ってくださった、山ちゃんさまのご文章を読みました。

山ちゃんさまのご指摘はさすがに、鋭く、こういう批判なら興味深く読めます。

本流派のアクエリアンさまは、何が起きてるか冷静に分析すると仰ってましたが、
本流派さまの冷静な分析とは、どういうことなのかわかりません。が、こういう批判は、考えて頂きたいとわたしもおもいます。

わたし自身、古事記の深い直感把握にもちろん認識不足ですが、
…総裁が、「古事記」と「日本人の自然観」と結びつけたところが、読んだ時やはり引っかかりました。

山ちゃんさまのご指摘で、
雅宣総裁が、宗教において偏狭な環境活動に偏ったことや、いまのような本流との思想的?対立に至ったこと、など…、ここが、総裁の論理の一つの種になってるからじゃないかな、と感じます。

おそらく、雅宣総裁が、志向されたいと思われる「自然観」は、むしろ、「古事記の起源にあるもの」とは、相対するものなのではないでしょうか。
いまの対立の思想背景にあるなら、こういうことかな、とおもいますが。

ロゴスの否定。無自覚にしろ、それが背後にあるようにかんじます。
…ただ、総裁は、西洋的エコロジーと、東洋的自然観とは、論じ分けておられなさそうです。
そこにも問題があるような気がします…、だから、ご自分も同じジレンマに陥ってらっしゃるのかもしれません。

「古事記」は日本国家形成の、ロゴスの起源であるようですので、
山ちゃんさまがご指摘のように、日本人の自然観の起源ではないのですね。

日本の自然観は、気候風土からうまれた思想、道教的仏教思想、神道的伝統との融合のなかで育まれて、
古来からの宗教的、精神的に当然深く浸透したものであるとおもいます。

万教帰一の生長の家のみ教えは、この仏教的、神道的自然観も説いていますので、
山ちゃんも雅春先生は、日本人の自然観や思想を説かれているとご説明されておられます。


一方、「古事記」の直感把握は、「はじめにことばあり」、からはじまり、ことば(ロゴス)によるこの世の形成の霊的実態ではないのでしょうか。
陰陽の法則、また、あらゆるものから産まれるアニミズム的な神ですが、すべてに「名前」がつけられていきますのは、ロゴスの起源であるとおもわれます。
ロゴスの秩序が古事記から始まっているのではないでしょうか。

これは、ロゴスが、善悪であるのもんだいではなく、その性質を理解する必要を感じています。

批判するのも、これからの宗教のあり方を考える余地があると、
っていうか、考えて頂きたいと、わたし自身はかんじてます。

1684トキ:2012/11/02(金) 11:52:14 ID:R6Vk4plg
 ここは、来るも自由、去るも自由な掲示板です。
うのはな様も、訊け管理人様も、大事な投稿者様です。

 神の子として、お二人を礼拝します。

合掌 ありがとうございます

1685うのはな:2012/11/02(金) 12:20:38 ID:Hn6nsTC2
 きのう、創作介護話に笑いますたといっていた訊けの迷惑投稿のいくつかを
思い出しながら仕事してたんですが、前から思ってたけど、志恩さんだとか
本流支持の女性投稿者というのは、訊け氏からなめられてるんじゃないでしょうか。

別に何派とかに関係なく、この人は女性をよく利用しています。

 英文相談でも、一人におわらずあちこちに書き、志恩さんなんかも教頭先生、教頭先生と
いわれて話しかけられていましたが、その志恩さんがいったん引退するほど疲労させ、
そして他の女性投稿者にもマイナスの影響を与えています。
あれこれ質問し、それについて答えた答えていない、身内びいきだ、とかいろいろ反論して
男性からも敬遠されていますが、和解派といわれる復興G様などから、注意されると
浄心行します、謹慎します、といったかんじで反論しません。

それはそれだけ本流や女性を見下しているということではないかと思います


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