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「部室」板/3

1621goro:2012/10/13(土) 01:02:02 ID:Cc8Z7oOY

15■核大国化した中国、備えを怠る日本〜日中戦後のあゆみ 2007.1.16

第1章 中国はこうして核大国化した

(1)毛沢東は核を求めた
(2)「6億人いるから半数が死んでも」
(3)ソ連と対立しても核を開発
(4)日本は核ミサイルの標的に
(5)日中国交回復後に核大国化
(6)激烈な反日と猛烈な軍拡
(7)中国は核戦争で勝利を目差す

第2章 日本は対米依存で、非核・専守防衛に

(1)中国とは対照的なわが国の道
(2)憲法を放置し、国防は他に依存
(3)鳩山・岸は自主的かつ現実的だった
(4)国防の回復より経済中心に
(5)非核三原則の欺瞞
(6)70年安保の危機後、中国の核の標的に
(7)米中の密約と専守防衛の変質
(8)中国は工作、北朝鮮も核開発
(9)国防の基本から外れた日本

第3章 わが国の国防の現状と課題

(1)うそ寒い国防の現状
(2)これでは日本を守れない
(3)急がれる根本的な見直し


わが国とシナは、19世紀の中半、西洋列強の挑戦を受けた。わが国は明治維新を成し遂げ、アジアで初めて近代国家の建設に成功した。
シナでは、清国が列強に半植民地化された。日本と清は激突し、わが国が勝利すると、シナは日本の近代化に学んだ。シナでは、
清を倒した中華民国が誕生した。その後、わが国と中華民国との間では、対立・摩擦が続き、昭和12年(1937)7月に日支事変が勃発した。
わが国の早期解決の努力はむなしく、日中間では泥沼の戦争が続いた。わが国は、さらに大東亜戦争に突入し、大敗を喫した。

敗戦後、わが国は、連合国軍の占領下に置かれ、「民主化」の名の下に、日本弱体化の政策が強行された。
GHQによって憲法が押しつけられ、わが国の国防は制限された。その憲法が放置されたまま、昭和43年(1968)に、
わが国は、非核三原則の政策を掲げた。さらに昭和47年(1972)には、国防を受動的な防御に徹する専守防衛に限定した。

 一方、戦後、シナでは、共産主義が勝利し、中華人民共和国が建国された。共産中国は建国後、繰り返しアメリカから核攻撃の威嚇を受けると、
1950年代中半に核を保有する方針を決め、国力を集中して核開発を進めた。昭和39年(1964)に最初の核実験に成功し、
昭和45年(1970)に、日本を射程に収めるIRBMを完成させた。わが国は、この時点から、中国の核ミサイルの標的になっている。

戦後日本と共産中国は、まったく対照的な道を進んできた。その結果、わが国は、強大化する中国に併合されるおそれが出てきている。
本稿では、最初に、共産中国の歴史と核開発の過程を概観し、その後、戦後のわが国のあり方との対照を試み、最後に、わが国の国防の現状と課題について述べたい。


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