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「部室」板/3
1634
:
goro
:2012/10/15(月) 00:38:24 ID:Cc8Z7oOY
●毛沢東の死、実権の移動、対中ODAの開始
文化大革命は、毛沢東最後の権力闘争だった。しかし、昭和51年(1976)、独裁者・毛沢東は死んだ。
その後、国家主席となった華国鋒は、毛一派の江青ら四人組を逮捕した。その後、毛沢東に近い立場にあった華国鋒は、
毛沢東批判勢力によって、失脚させられた。それにより、かつて走資派と呼ばれていた者たちが、復権を成し遂げた。彼らの頭目が、訒小平である。
訒は、毛沢東の生前、3度失脚し、また復権した。訒が実権を掌中に収めるに従い、中国は大きく路線を転換していく。
日中国交回復後、わが国は、中国に対して賠償金を支払うのではなく、経済援助を行うことにした。
昭和53年(1978)、中国と日中平和条約を結び、翌54年(1979)から、本格的に中国への政府開発援助(ODA)の供与を始めた。
日本のODAは、中国の経済成長に大きな助力となった。ODAは総計3兆円支出された。
民間からの援助金を含めると、6兆円にもなると推計されている。こうした日本の金は、中国の経済発展にのみ使用されたのではない。
日本の金は、中国の核ミサイルの開発・製造にも使われたのである。わが国は、中国に金を出して、
わが国に向けた核ミサイルを作らせ、中国に従属させられるために、せっせと金を貢いだようなものである。
しかも、中国からは、一切感謝されていない。中国の一般国民は、日本からの経済援助の事実を知らされていない。
そのうえ、中国指導部は、わが国からもっとむしり取ろうと、遺棄化学兵器の処理問題など新手を繰り出してきている。
●増大し続ける中国の核戦力
中国は、訒小平の指導のもと、昭和53年(1978)に「開放経済」に踏み切った。
彼の打ち出した「社会主義市場経済」という概念は、明らかに資本主義を取り入れる政策だった。
訒は、共産党と人民解放軍を掌中に収め、高度経済成長を指導した。訒小平は平成9年(1997)まで中国の最高指導者の地位にあった。
この間、中国は、昭和56年(1981)に、核ミサイルの多弾頭化をめざす実験に成功した。
また63年(1988)には、原子力潜水艦からの弾道ミサイルの水中実験に成功した。
こうして中国は、1980年代には、第1世代の核兵器を完成させ、最小限核抑止力、
すなわちアメリカの本土を攻撃できる「対米第二撃能力」を保有した。
中国は、米国本土を核攻撃するとアメリカを威嚇できるところにまでいたったのである。
これによって、アメリカが同盟国を保護する「核の傘」は、事実上無効になった。
同盟国が核攻撃を受ける脅威にさらされても、本土を核攻撃するぞと脅されたら、
アメリカは自国の国民の生命を犠牲にしてまでも、他国を守るはずがないからである。
日本は、中国の核から国民を守れない状態になっている。
国民に「核の傘」が機能していると思わせてきた政治家の行いは、犯罪的である。
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