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「部室」板/3

1640志恩:2012/10/15(月) 10:28:29 ID:.QY5jUA6
〜日本人は「理屈」「論理」を弄んだり振り回したりしない〜


 日本人の農耕生活・弥生文化から生まれた信仰は、天地自然を神として拝む信仰である。
 天も地も山も海も川も樹木も、神の命としてこれを尊ぶ心が日本人の根幹にある。

 谷口雅春先生は、「万物全てに神のいのちが宿っている」と教えて下さいました。
 ですから、アミニズム精神は、もともとの、生長の家の教えから存在していたのです。

 『イデオロギー』のような論理とは全く異なった『自然神』の声を、昔からの日本人達は聞いていた。

 あまりべらべら喋りまくって自己主張をすることを、よしとしない考え方が日本にあるので、
古代から日本は「言挙(ことあげ)せぬ国」といわれている。

「言挙せぬ」とは言葉を全く発しないということではない。
「理屈」「論理」を弄んだり振り回したりしないということである。


 蓮田善明氏はその著『神韻の文学』において、
「日本人と西洋人の<ものの考え方><文化感覚>の違いを象徴することとして、
アランというフランスの思想家によると、古代ギリシアの数学者であったアルキメデスが掠奪の兵士に殺されんとする時、砂の上に幾何学図形を引き、
それを見つめたまま殺されたというが、大津皇子は死に臨んで『百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ』という歌を引用して、

古代日本人は不慮の死の際においてさえ雲を見つめた」と論じ、「雲というものは、幾何学的図形などとは反対に、混沌として定まりやうもない、
或は形式といふものにならない、否、心定めさせぬものであり、とりとめもないものである
…それに比べると幾何学的図形は数学的図形は数学的法則的に抽象し整理されたものである」と述べておられる。

 日本人は雲というものに特別の思いを持っていた。
雲は霊魂の象徴であり永遠の生命の象徴であると共に、無限の可能性をも表していると捉えられていた。

現に見えるものを通して、その奥にある見えない真実に迫ろうとするのが日本人の素の感覚である事を示している。

 かかる精神風土を持つ日本では、古の時代、
萬葉歌人の柿本人麿にしても近世の俳人松尾芭蕉にしても、彼らの偉大なる思想精神は、
詩によって表現されていた。

谷口雅春先生は、…天啓の真理の言葉とともに、最も深い日本精神を、哲学的に、しかも、分り易く説かれた我國では、類い稀なお方だと思います。

                                         つづく


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