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「部室」板/3
1633
:
goro
:2012/10/15(月) 00:37:26 ID:Cc8Z7oOY
(5)日中国交回復後に核大国化
●核が生じた米中接近・日中国交回復
昭和44年(1969)の中ソ国境紛争を契機に、ソ連は、中国が核大国になる前に叩こうとした。
これを察知したアメリカは、中国に接近し、中ソを分断させることに成功した。昭和47年(1972)2月、
ニクソン大統領が北京を訪れた。電撃的な米中首脳会談によって、米中共同声明が発表された。
この時、アメリカは、イデオロギーより、バランス・オブ・パワーを優先した。
こういう行動は、初めてではない。第2次大戦では、連合国VS枢軸国の対立を、
民主主義VSファシズムと粉飾して、アメリカは、「民主主義」のソ連と手を結んでいる。
米中接近は、わが国に事前協議なしに行われた。従属国的被保護国的地位にあるわが国は、
アメリカに追従せざるを得ず、同年9月、田中角栄首相が北京を訪問し、日中共同声明が調印された。
これにより、わが国と中国は、戦争状態を終え、はじめて国交が開かれた。
最も重要なことは、この時点で、中国はわが国を核ミサイルで攻撃する力を持つに至っていたことである。
中国が日本及び日本にある米軍基地を核攻撃できる軍事力を持ったために、アメリカは中国とソ連を分断し、中国と結んだのである。
台湾は、核時代の国際政治の力学の狭間で、国連から脱退し、アメリカから断交された。旧本国であるわが国も断交した。
わが国の戦後処理は、サンフランシスコ講和条約に従って行われた。中国、台湾はともに講和会議に招かれなかったが、
台湾は昭和27年(1952)4月の日華平和条約で、「日本国民に対する寛厚と善意の表徴として」、戦争賠償請求権を放棄した。
同条約は47年(1972)9月の日中国交正常化で終了したと日本政府は認識していている。
国交正常化に伴う日中共同声明は、「中華人民共和国政府は中日両国民の友好のために、
日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する」ことを確認している。
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