BBS |
1 / 訃報 (3) |
先生からは本当に多くのことを学び 気づかされたした 心よりご冥福をお祈りいたします。 Xで石平氏のツイで訃報を知り、公式ブログのアナウンスを確認しようとしたらまだ出ていなくて、でも、福島香織氏が訃報をXで言っていて、その後公式ブログのアナウンスを見た感じ。 公式ブログのコメント欄に書き込むのは珍しいのですが、今回書き込みました。冥福を祈ります。 https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2881 |
2 / コチラに移動しました。 (347) |
エロ投稿の削除にばかり気が行ってしまって、 もしかして、そういうメッセージが出ていたかもしれないんですけど、気づかずに申し訳ないです。 こちらの掲示板への誘導もなにも出す暇さえありませんでしたけど、 気づいてここを見つけたあなたは偉い!!!www というわけで、最近、暴君小沢と死んだ魚のような鳩山、それに群がるアホ民主議員団が 目に入るたびに、ムカついてネットにつなぐのさえ、憂鬱になる日々ではありますが これからものんびりと皆様の意見を拝聴したいと思っていますので、よろしくお願いします。 とりあえず、準確定申告しないといけないのですが、年金の源泉徴収票の期限がぎりぎりです。 あってはならないことが起こってしまい 言葉もありません 本当に残念です 本当に安倍元総理の殺害はショックな出来事でした。 奈良県警ではなく警察庁主導の捜査チームで徹底的に捜査して欲しいです。 それと、管理人様、スパム投稿が溜まっているので、削除作業をお願い申し上げます。 副管理人を任命して、削除作業に当たってもらう事は出来ないのでしょうか? 荒間宗太郎氏が2ヶ月も生存確認さえ出来ない状態(Xでリポストがない…)が続いていたりします。ここのみなさまにとっては、喧嘩して別れた方だったりするのでしょうが、掲示板のログがネットから失われ易くなったという点で、重大ニュースかなと思う次第です。 これまでも、サービス終了やら管理人の死亡でネット上にある資料が失われる事は多々ありましたが、それを防ぐ手立てが必要だなとか、そんな事を思ったりします。 https://www.nikkansports.com/battle/news/202312300001087.html |
3 / Emmanuel Chanel サイト移転のお知らせ (10) |
不注意でアカウントを消失してしまったからそうなったのか,そんなの関係なく有料化されたのか分かりませんが,他に無料サービスがあったのもあり,そちらのダイナミック DNS に私のサイトも移動です.(鯖自体は全く無事で,データも支障なく残っています.ドメイン名だけの移転となります.) Le Grand Salon d'Angelix http://popup.tok2.com/home/chanel/legrandsalon/ を自宅鯖サイトから tok2 のサイトに移動した以外は, chanel.ath.cx を emmanuelc.yuuna.org に置き換えただけの感じになっています. リンク集の移転先は, http://www.emmanuelc.yuuna.org/links/ になります. また,TGVより新幹線 の過去ログ関係で, 2ch が落ちた時や私のメインの掲示板が落ちた時などの予備でつくった 画像アップ機能つき 予備掲示板 http://popup.tok2.com/home/chanel/board/imgboard.cgi を,こんな時などに使うようにしようとも思っています. IRCでは、IRCサービス・デーモンを使っている場所もどうやらなさそうな事や、常駐している 2ch@IRC がひろゆき追放騒動のゴタゴタで影響を受けて、最も人気の高かった irc.juggler.jp が独立し、必要とされなくなったら畳むと管理人が言ったのを見て、ふとやりたくなり、先月 27日に自宅鯖に IRC サーバーと IRC サービスデーモン( InspIRCd と anope )をインストール してみました。サーバー名・ポートは以下です。 サーバー名: irc.emmanuelc.dix.asia / ポート: +6697 (SSL) 最初は知り合いを集めて仲間内のチャットとしてこじんまりとやりたく、でも、ここや Facebook やあちこちの保守系の掲示板などでも、いろいろあったりして、場所を選び難く選択に迷い、 すぐに発表しませんでした。 P.S. TGVより新幹線 & 台湾新幹線 過去ログ URI を修正します。 正 http://ktxlog.emmanuelc.dix.asia/ 誤 http://www.emmanuelc.dix.asia/~emmanuel/ 家で待っていたのと、その日に使用予定だったのとで悲しかったです。 電話で謝罪されましたが結局次の日に。 箱を開けると謝罪の手紙や、お詫びの品もなく。 配送先のやり取りに関しては店舗側から、メールでの返信を指示してきたのでイライラして終わりました。気持ちよく商品を使い始めたかったのですが、モヤモヤが消えません。 激安 ロレックス時計格安 https://www.kopi356.com/category-65-b0.html ロレックス偽物激安 https://www.jpbrandok.com/brand-20-fake-0-min-0-max0-attr0-4-sort_order%20Desc,goods_id-DESC.html 商品すごく綺麗 新品で感じ またいいものあったら、絶対にリピートします。 信用100点お店です ★Cartier カルティエ★ミニラブリング★750(K18PG/ピンクゴールド)★サイズ48★ スーパーコピー 時計 柵 フェンス https://www.kopi567.com/goods-46904.html |
4 / デル・ピエロJリーグ移籍希望だって! (9) |
日本に戻ってこないと!(笑) デル・ピエロといえば、御前様を思い出す私。 最近では、国外追放になったカメラマンもね。 デルちゃん、頭薄くなりはじめた感じよ。たしか3人の子持ち。(もう小学生じゃないか) Jリーグっても、まさか現役選手じゃないですよね。コーチかな? >国外追放になったカメラマン え、誰それ? というか、今シドニーにいたことを始めて知った。 (シドニーと日本なら時差は殆ど無いし・・・) そうですか。いいとこあるじゃん! >国外追放になったカメラマン ああ、誰かわかりました。うーん、あれはちぃっと濃すぎかな... 日本代表は、4カ国にリーグ突破のチャンスがあるという点では屈指の「混戦」でしたが、結局一番悪い目が出てしまいました。 ということで、もともとサッカーはゲルマン派である私はドイツ代表を応援することとします。 ゲルマン派の私にとっては、オランダも3位だったので、結果には満足しています。 ただし、準々決勝以上は勝負に辛い試合が多く、観客的にはあまり楽しめませんでした。その意味では、決勝トーナメント一回戦が一番面白かったとも言えます。 草サッカーではキーパーが本職の私にとって、キーパーとスイーパーの両方を兼ねたドイツのキーパーのノイアーは現時点で自分の理想に一番近いキーパーです。 フォーメーション的には、最近流行の「4ー2ー3ー1」を採用しなかったドイツの(「4ー1ー2ー3」)とオランダ(「3ー4ー3」)が上位を占めたのは面白かったです。 特にオランダはディフェンスが弱いといわれていたので、どうするかと思ったら、「オランダスペシャル」の「3ー4ー3」で、しかも、本職が右のフォワードであるカイトを右サイドのディフェンダーとしても使うという、なかなかに開き直った戦術を取った潔さに感動しました。 ドイツは、一次リーグと決勝トーナメントで布陣(ラームの位置)を変えるという、優勝した90年ワールドカップの布陣を採用していました。 もちろん、決勝トーナメント仕様の方が手慣れた形で、手堅く、リスクが小さい布陣でした。 |
5 / 緊迫する世界情勢と国内情勢 (30) |
北朝鮮の首魁が訪中したり、ロシアが20カ国から断交されたり大変な事が起こっているのに 国内情勢も動いていますが、参議院で予算が成立するぐらい政治的は安定しているように見えます。 なぜか、日本のマスコミは、そば屋かうどん屋はたまたイタメシ屋で盛り上げようと必死という、 なんだか分からないいつもの狂騒状態ですね。 なんか、ここで意見交換するのももどかしい。 いっそ、オフラインしたいところですね。 体力もメンタルも持つかしら? 1期4年が暗黙の前提とされているようで、他人事ながら 同情してしまいます 攻撃しようとする発想は間違っていなかったと今更ながらに感じました 人口が比較的少なかったせいか母の二回分の予約に成功しました。 それにしても、お役所のIT化に対する抵抗勢力のしぶとさは呆れるばかりですね。 びっくりですわ、三日半かかりましたもの。 インターネットのトラフィック考えたら信じられない目にあいましたよ。 逆に高市氏なら、議席取り戻すこともできるかも。 すべて結果論になりますが、このほとんど変化を好まない政治決着は、日本人の持つ好ましい伝統ではないかと感じ入っております。 感染対策が最重要事項ですが、並行して雇用を基軸とした適切な経済対策が見込まれています。 衆議院の選挙で多少の議席が与党から失われるかもしれませんが、おそらくそう大した変化が起きることはないでしょう。 しかし、経済対策がしょぼいことになると、次の参議院選挙でねじれを発生しかねないので 次の有事に備えた憲法の改正などの重要な課題が消化できないことになってしまうことを恐れています。 本来なら、ご祝儀相場になるはずが、有価証券などの利益に対する課税率の話で市場が急に冷え込んだぐらいセンシティブな状況です。 いずれにせよ、大型補正予算をちらつかせて選挙に持ち込むことになりますので財務もぐぬぬと大盤振る舞いに付き合うことになるでしょう。 昨日、RDDの電話世論調査に当選したのでwおもいっきり右寄りに返答しておきましたw 日暮里・舎人ライナーなんですが、なんか見たことあるなーっと思ったら 豊栄新潟東港インターから搬出入されている車両と酷似していることに気が付きました。 新潟で造ってたやつかーw |
6 / 小沢民主党は加藤憲政会のように「苦節十年」となるか (184) |
という訳で、お題は表題の通りです。 第二次大隈内閣の与党だった同志会(後の憲政会、民政党)を主体としたは対華21か条などの「失策」により、党首の加藤高明(第二次大隈内閣の外相)も含めて「政権担当能力」がないとみなされ、原政友会内閣が原首相の暗殺後、弱体化して政権担当能力が疑問視されても、元老西園寺が加藤憲政会に政権担当能力がないと判断していたため、なかなか政権の座が憲政会に回ってきませんでした。 その中で、いわゆる第二次護憲運動のさなかに行われた総選挙で憲政会は第1党となって、加藤高明は「苦節十年」を経て与党に返り咲きます。 首相となった加藤は普通選挙法や治安維持法の制定など、加藤憲政会が政権担当能力を持つことを実証し、その後の2大政党制による政権交代といった「民主政治」が当時の日本においても可能であるという歴史的実績を作りました。そのため、護憲三派連立内閣が崩壊して、加藤首相も含めた閣僚全員の辞表を提出した際も、加藤の辞表は受理されず、加藤憲政会単独内閣が発足します(この憲政会単独内閣は、かつて第二次加藤内閣とも言われていましたが、最近では第二次内閣ではなく「連立崩壊による内閣改造」とされているようです)。 小沢民主党は加藤憲政会のように「試験」に合格して、政権担当能力がある政党とみなされるでしょうか、それとも、試験に落ちて、自民党政権の延命に手を貸すでしょうか。それは、遠からず行われる総選挙とその結果組織される内閣の実績で明らかになります。 自民党からみた考察は、またの機会に 各都道府県連は党員の意向を勘案して都道府県連票を投ずることができる ので、 その方式でも「党員の意見を聞いた」と言う体裁をとることができます。 究極の方法として「新政権の信を問う」と言う名目で解散総選挙に打って出る と言うものもあります 10月25日投票日とからしいですが。 解散するには国会を開かないといけない。それには開くことの大義名分が必要。 私の希望的将来予想は以下の通りです。 自民党総裁決定後、可及的速やかに臨時国会召集 所信表明に第三次補正予算案の提出を表明。 ワクチンとかは、先に予備費充ててますし、主に経済対策になるかと…。 この際、この財源を国債発行、日銀買い付けで対応することを表明。 で、代表質問受けないで解散。 野党第一党になるであろうナンタラ党が、補正予算自体に反対しないつかできない 出所に難癖をつけてもめてるところに選挙戦を完勝に導くための政策として「時限的消費税減税」を打ち出す。 というものです。 マスコミとかアッチの方の方々は、「この大変な時に総選挙なんてやるなー!」的なキャンペーンを張るみたいなんですけど 消費税減税を唱えれば、打ち負かされるでしょw Z官僚も文句言えなくなるしw そうなれば、本来の意味でのアベノミクスが開花するのではないかと思うのですが どうでしょう? また、前回総選挙からそろそろ3年経つので、今秋の臨時国会での 解散総選挙は充分にありえました。 例えば、安部総理が解散総選挙の「勝利」を手土産に、任期延長か 三選規定の撤廃を行なうのではないかという推測も、安部総理の 辞任前にはそれなりにありました。 とにかく「余計なこと」しないで欲しい、それだけです。 未だに総理がこの問題の「パンドラの箱」を開けたのか分かりません。 総理がその気なら、そのまま放っておいても実害はありません。 ただ、内閣人事局によって、省庁幹部人事の実権が総理官邸に属することで 各省庁への睨みが桁違いになるように、人事権というのは権力の中でも 最大のものの一つです。旧軍の権力の源泉の一つが軍部大臣現役武官制 であったというのもその例です。 先日の検事総長と東京高検検事長人事や、今回の日本学術会議の事例が 軍部大臣現役武官制や「統帥権の独立」とのアナロジーで語られること があるのも、それなりの理由があります。 首相への権力集中も元をたどれば、軍部大臣現役武官制と統帥権の独立 という「独立王国」への反省という側面もあるので、首相の権限が形式 的という論立ては、日本国憲法の建前とは相性が悪いものです で「人事権の所在は総理にあり」というのを誇示という観点で語るのも ありなのですが(法学者や実務家では、総理の人事権の範囲)という 行政法的観点に特化術視という見解も少なくありませんが、 相手側が「学問の自由」など、憲法上の自由権を主体に任命拒否への 講義を行ない出したものですから議論が学術会議のあり方も含めて 拡散しつつあります。 理系や若手学者の側から、学術会議の「暗部」を「告発」している現状から、所謂「右」の側からすれば、このような展開で、「学術会議の 将来像も含めた抜本的改革」となれば、妨害の成果でしょう。 学術会議は「学問の自由」の成果をどのように政府に吸い上げるかに 焦点があるようですから、「学問の自由」で反対運動を立ち上げたのは 悪手だと思います。 さっそく反撃にあってますね。 ・基本的に、国家公務員である ・国家公務員は、その職について法律で定員が定められている。 ・交代予定要員の定数を超えた推薦人を上申した。(上申で合ってるか自信なし)しかも、推薦理由なし。問い合わせても答申なし。 ・実績の薄い人を除外。 だと思ってますけど、間違ってますかね? まぁ、総理が「俯瞰的に云々」と仰ってますんで察しておりますがw というのが、個人的には違和感が残ります。 その話題で戦うのは「無理筋」だと会長も思ったのでしょうか |
7 / いまさらながら「天皇論」を読んでみた (100) |
ブックオフで「天皇論」を見つけたので買ってみました。 小林が自説を展開しているところは眉に唾つけて読むとして、 祭祀のことなど詳しく書いてあったのでその点は役に立ったのと 陛下に対する小林の想いそのものには共感できました。 「いわゆるA級戦犯」も読んだのですが、 こちらは全体としてはまずますうなずけるとしても、「戦犯」それぞれを美化しすぎ。 木村兵太郎などビルマでほとんど敵前逃亡に近い行動をとっており、 軍人以前に人間として全く評価できません。 (東京裁判で裁かれたことの是非とは別ですが) そういうところまで是々非々で評価したうえで東京裁判の不当性を訴えるのでなければ、 左翼とベクトルが違うだけと言われても仕方ない。 新しくスレッドを立てるほどの話ではないのですが、 どこに書いていいものやら見当がつかず……スミマセン。 何かしら重い雰囲気があった中での改元でしたが、 今回の改元はそのような変事とは無縁の改元ですので 単純に「お祭り騒ぎ」ができるという点でも、生前譲位は 良かったと思います。 また、改元で「リセット」されて新しい時代が始まるという 雰囲気を作り出せるのも、天皇と元号の持つ「魔力」なのでしょう 良い表現ですね。 良い世になりますように! ほんと、良き御代になるもならぬも、われわれ次第です。 或いは秋篠宮殿下が75歳を超えれば、皇位継承順位の変更があり、 今上陛下から、悠仁親王への直接皇位継承が行われるかもしれません。 停会されたということです。 このように、前例を参照できない状況の時には、国王大権を 「デウス エクス マキナ」として使うのも、立憲君主制の 特徴でもあります。 国王大権よりも議会主権が優先されるということでしょう。 とはいっても、「どのような場合に国王大権で停会措置に出来るのか」 ということについての研究が始まるかどうかはわかりませんが。 の元会長など法律の専門家と思しき人々からなされていますが、これは 戦後の憲法学の成果を全く無視するものです。 「天皇は象徴に過ぎない(故に政治面に影響を及ぼしてはいけない)」 というのは、日本国憲法の大原則の一つで、それこそが、日本国憲法を 第二次世界大戦後の君主国が手本とすべきスタンダードの地位を確立 させたのです。 そして、その裏面として、国政に関する政府の活動は終局的には総理が 負うということになります。先帝陛下が譲位の希望を示された際も、 「憲法違反ではないか」という声はありました。 先帝陛下の意向は法律の制定という政治的行為を必要とする以上、 その声は的外れというわけではありませんでした。 |
8 / 新潟J1残留! (21) |
親の欲目もあるのでしょうが、ワタシは仙台にいってほしかったんですけど 近所の大学に決まりました。 志望校に入学できたのだから良いことなんです。 で、何で、このスレにレスをつけたかというと、入学生代表で壇上に上がったその人が ハルヒさんだったんですね。(実際は漢字が当てられていますが) 医学部生が代表と踏んでいたのに、歯学部生だったことで (ひょっとして、名前で選んだ?) という疑念が浮かんだのでした。 私の家の近所にも「はるひ会」というものがあるらしい。で、夙川の桜は綺麗だったです。 今年の新潟酒の陣は、昨年にもまして来場者が増え、だいたいルート2倍くらいの増加です。 ワタシは、初日に行きましたが、なんかすごい人で人に呑まれそうでした。 おめでたいことに、甥が次男の後輩に決まりまして、なんとなく周辺がにぎやかになりそうです。 からくも、2016年も残りました。 名古屋が、J2陥落かぁ… 対水戸戦だったのですが、見事に勝利したのでそれはそれで嬉しかったのですが、 水戸のGKがゴールポストに頭をぶつけて救急搬送されたのです。 先ほど、ネットのニュースで無事を確認し安堵しているところです。 で、 報道の中に「場内が騒然とした中云々」と書いてあったのですが、 実際は、ホームチーム勝利直後にもかかわらず お通夜のように静まり返る微妙な空間だったのです。 観客は、みんな倒れた選手の容体が心配のあまり固唾をのんで搬出されてもなお静かにしていたというのが事実でした。 プレスの人達が集まっているところは、騒然としていたのかもしれませんけれど… |
9 / 埴生の宿 (16) |
埴生の宿を聞きながら、号泣してしまいました。 「ビルマの竪琴」をご存じなら分かるでしょ(恥隠し) そうですよね、あれだけ、英国には助けられたのに、その事実が伝えられた歌に繋がっていたのに… 身近に感じられて居てもなを、打って出なければならぬと決めた先人の気持ちを慮ると自然と涙が出てしまうのです。 同時に「リパブリック賛歌」を用いている水島監督に敬意を覚える次第です。 (他にもありますが、それは、サントラの曲名を見れば、それなりに感じられると思います) ちなみに、ガルパンの監督は、「水島 努」さんです。 なんとも痛ましい気持ちでいっぱいです。 亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。 (事故による火災での死者では千日前デパートなどがありますが) こうしてみると、「国営漫画喫茶」と言われても、漫画やアニメの 国立アーカイブが必要だと思います。 法隆寺の金堂火災事件で文化財保護法が出来たように、 今回の事件でアニメについても何か対策が取られれば良いのですが こうなると、ガソリンの携行缶での販売は全面禁止にされ 発動発電機などの燃料が灯油に全面変更されるかもしれません あの状況では、京アニの建物全体がガソリンエンジンのシリンダー 状態になってしまっているので、どんな火災予防措置も無意味だったでしょう 政府がメディア・アーカイヴを作ると言った時に左翼が反対しましたけど、本当に、権力に必要もなく逆らうのが目的になっているが如しな輩には怒りを覚えます。 本当はこんな事件が起こる前に考えるべき事だったのですけど、この事件をきっかけにこの話が再開されてすんなり進むようになるのでしょうね。 今回だけの「特例法」ではなく、(当座は「特例措置」で凌ぐにしても) テロなどの凶悪犯罪で過重な損害を被った人や法人に対する 恒久的・一般的補助制度に昇華させる必要もあるでしょう。 現在でも犯罪被害者給付金制度はありますが、これは所謂「見舞金」 という性格のもので、今回の京アニの事件のように、法人(会社)が 損害を受けた場合における、被害補填は念頭に置かれていません。 例えば、事業再開資金の援助や被害に遭われた従業員やその家族に 対する補償などについて、何らかの救済措置を組み込むという方法 が考えられます。 また、当座の問題では、全世界から集まっている京アニへの支援募金 に対する課税の問題があります。おそらく、このままでは、募金は 京アニに対する「贈与」となってしまい、贈与税が課せられるという 事が十分に考えられます。 このような、募金に関しては、税制上の基準を作り、それを満たした 場合には、募金を非課税にするとか、募金した側も「ふるさと納税」 に準じた税金の減免措置が与えられても良いかと思います。 その他には、前にも少し述べたかと思いますが、ガソリンを用いた 放火テロ事件への対策として、携行缶に対するガソリン販売に対して 何らかの規制が必要になるかもしれません。 https://twitter.com/The_Sourkraut/status/1162590433748426752 での支援措置を取ることになりました。 今回は所謂特例措置で乗り切れるでしょうが、今後の課題は、同様の 事件が起きた際に対応できる「恒久法化」でしょう。 ちなみに毎日放送(tbs系の関西放送局)のHPでは 祈りの夏・聖地の声 ~京アニに伝えたい感謝の言葉~ https://dizm.mbs.jp/title/?program=inorinonatsu&episode=1 が無料配信中です。 (うまく表示されない場合には、MBSのトップページから辿って下さい) 元々は、関西ローカルの情報番組「ミント」の1コーナーとして 放送されていた京アニ作品の「聖地巡礼」特集を一本の報道番組 に編集し直したものです。 |
10 / 日本茶掲示板同窓会 (242) |
スレ立てしました 2chなので匿名で良いと思うので(もちろんHN付きでも可)来て下さい 日本茶掲示板同窓会 http://anago.2ch.net/test/read.cgi/kova/1405456563/ 首相の急死による内閣総辞職であったため、次期総理も政友会から出すということは衆目の一致するところであった。とはいえ、 原という絶対的指導者を失った政友会は混乱に陥る。全政友会総裁でもある元老西園寺の再登板も取りざたされたが、後継総裁が高橋是清蔵相に決まり、高橋が首相兼蔵相となり、その他全閣僚留任の上高橋内閣が発足した。 このように、高橋内閣は「居抜き」で発足したが、高橋の指導力は原と比べるべくもなかった。程なくして閣内対立を招き、高橋内閣は約半年で総辞職を余儀なくされる。 高橋内閣が総辞職した後を襲うべき陸軍には、当時、衆目の一致する首相候補が存在しなかった。このため、ワシントン軍縮会議の後始末もあり、加藤友三郎が首相に就任する。首相が加藤友三郎に決定する過程で、当時の筆頭元老の腹案は「本命が加藤友三郎、対抗が加藤高明」であった。これを知った政友会が加藤県政系内閣成立を阻止すべく、加藤友三郎内閣への全面的閣外協力を申し出たことで、次期首相は加藤友三郎に決定している。このような軍(現役軍人首相)と内閣との協力形態はこれまで存在した、「情意投合」や「第一次山本内閣」とも異なるため、しなかったため、「変態内閣 」と称された。 加藤友三郎は海相を兼任し、海軍軍縮といったワシントン会議の後始末を堅実にこなしていたが持病が悪化し、在任1年余りで総理在任のまま死去した。 加藤友三郎が死去したことで、陸軍、政友会、海軍の首相候補が払底し、加藤高明憲政会総裁は未だ「首相の器」とはみなされていなかった。残る候補は、当時、唯一人の「元首相」である山本権兵衛か山縣閥(官僚系)の重鎮であり、山縣の後継者として現任の枢密院議長であり、「鰻香内閣」で「事実上の元首相」でもある清浦の両名しか残っていなかった。当時、両名を指して「準元老」という呼称もあり、名実ともに、西園寺に次ぐ長老政治家とみなされていた。 「最後の元老」西園寺は加藤友三郎路線の継続も含みで山本権兵衛を選択する。山本は海軍大将ではあったが、首相在任中(第一次山本内閣)のジーメンス事件の余波で現役を去っており、当時は退役海軍大将であった。このこともあり、組閣には薩摩人脈が活躍している。この他には錦城学校卒業生から4人の閣僚を輩出しており、政党から唯一入閣した犬養毅も一時期、薩摩の錦城学校の教員をしていた。しかし、この内閣も虎の門事件(摂政宮狙撃事件)で総辞職を余儀なくされ、約3カ月という短命内閣に終わった。 山本本人には責のない事件とはいえ、総辞職を余儀なくされ、政治の表舞台から退場した以上、残る首相候補は清浦しか残されていなかった。元政友会総裁という経歴を持つ元老西園寺は、清浦の後は非選出勢力(陸軍、海軍及び官界)の首相候補が払底するとの認識に立っており、清浦の後は体制を立て直した政友会を本命と見ていた。 清浦は超然内閣として発足した。この時点で、清浦内閣は来るべき総選挙までの「選挙管理内閣」となることが事実上決定した。加藤友三郎、第二次山本、清浦と非政党内閣が三代連続したことから、当時の二大政党である政友会と憲政会、そして、小政党の革新倶楽部は政党内閣復活を要求し、清浦内閣と対決姿勢を打ち出すに至った。この運動を「第二次護憲運動」という。この動きの中で、衆議院で圧倒的多数を有していた政友会が野党派と与党派(清浦からの禅譲路線)に分裂し、後者が政友本党を結成したという政友会の分裂が生じた。このため、運動の主体となった政友会、憲政会、革新倶楽部の三党を「護憲三派」と称するようになった。 このような中で総選挙が行われ、結果は護憲三派の圧勝であった。この結果を受け、清浦は退陣を決意し、後継首相は、比較第一党党首である加藤高明が就任し、政友会及び革新倶楽部と「護憲三派連立内閣」を組んだ。 非選出勢力にとって「最後の手札」というべき山本、清浦という「準元老内閣」であってに短命に終わり、陸軍以外の非選出勢力が政権担当能力を消失したことが明らかになった。清浦内閣の下で行われた総選挙で護憲三派連合が勝利したことから、山縣閥と政友会との棲み分けと相互依存による疑似二大政党的政権交代構造を基盤とする「1900年体制」は名実ともにその命脈が尽きた。 非選出勢力の主力ともいうべき山縣閥も転換期を迎えていた。第一次世界大戦が「総力戦」であったことから、政党の持つ民衆統合機能を活用し軍は政党を支援して総力戦体制を構築すべきという考え方が、後に「統制派」と呼ばれる軍人から出てきた 。 この考え方によれば、最早「現役(陸軍)軍人首相」に拘泥する時代ではないということになる。原内閣における田中陸相のように、強力な指導力を発揮できる(文民)首相と協調して(陸軍の組織的利益を確保することは前提としつつも)軍政優位の立場から総力戦体制を構築することが最適解となる。これは、「1900年体制」からの離脱に他ならない。 さらに、1900年体制というよりも大日本帝国憲法体制の保証人でもあった筆頭元老の山縣も天寿を全うし鬼籍に入る。山縣の死の直前には大隈も鬼籍に入っており、「元勲元老(格)」も過去のものとなりつつあった。政界、官界、陸軍を束ねる「扇の要」であった山縣が没すると、山縣閥自身が陸軍と官界・政界(貴族院勢力)に分割され、前者は「首相輩出勢力」から一歩身を引いた形となった 。 このようにして、1900年体制の一方の主役であった山縣閥はその歴史的使命を終えた。それは、別の観点から見れば、国家体制整備が完成の域に達し、「元勲」や「元老」という属人的な統合ではなく、国家組織に基づいた統合或いは「縦割り」という時代に移行したともいえる。 高橋内閣の総辞職から加藤(友)、第二次山本、清浦と(政党からの支援があったことが明白であったとしても)非政党内閣が3代続いたことは1900年体制においても異例のことである。1900年体制の主役である政友会はもとより、第二党として政権交代構造に参画したい憲政会双方とも、この状況に不満を持っていた。このような中で、政党内閣を目指すという点で利害が一致した政友会、憲政会及び革新倶楽部の三党は清浦内閣打倒を目指すこととなる。 政友会内部では、①清浦内閣との対決路線、②清浦内閣からの禅譲路線、という政権奪取戦略を巡っての路線対立があり、後者は政友会から分離して「政友本党」を設立する。このような情勢を背景に、政友会、憲政会及び革新倶楽部の3党は俗に「護憲三派」と称されるようになる。 清浦内閣で行われる総選挙は日本初(そして大日本帝国憲法下では唯一)の「政権選択選挙」 となった。その選挙結果は ① 護憲三派の勝利 ② 憲政会が比較第一党(第二党は政友本党)かつ護憲三派内での過半数確保 という憲政会の「完全勝利」であった。 この選挙結果を背景に、加藤高明憲政会総裁は「苦節十年」の末に念願の首相の座に就いた。加藤内閣は途中で護憲三派連合が崩壊し、憲政会単独内閣となったが 、治安維持法、普通選挙法などの成立など課題を着実にこなしていった。加藤は元老西園寺の「追試」に合格し、「二大政党」の一角としての座を確実なものとし、「山縣閥と政友会」の政権交代構造から「政友会と憲政会(民政党)」という政権交代構造の変革に成功した。 以後、515事件まで二大政党による政権交代の時代を「憲政の常道」の時代という。ここにおいて、1900年体制はその歴史的役割を終えた。 西園寺は「最後の元老」という異名で語られることが多い。政治家としての西園寺を一言で言い表すなら、「桂園時代」よりも「最後の元老」の方が相応しいというのは衆目の一致するところであろう。 この時代のもう一つの特徴として、大隈も含めた元勲元老が全員鬼籍に入り、元老が「最後の元老」西園寺公望のみとなったことである。また、西園寺自身も70歳を超えており、決して若くはなかった。したがって、憲法習律上元老のみに与えられてきた機能、即ち、次期首相の奏薦機能を今後(特に西園寺死後)どのように担っていくのかという問題が政治問題するのもこの時期からである。 次期首相の奏薦以外にも、元老は和戦の決や宮中事項について関与してきた。しかし、和戦の決など国家の重要事項については第二次大隈内閣の加藤高明外相が元老に諮らず参戦を決定するなど、既に元老が関与することは憲法習律ではなくなっていた。また、宮中事項については元老の所掌とされているが、内大臣、宮内大臣、侍従長など宮中の官僚組織も確立されていることから、元老がいなくなっても特段の問題は生じないと思われていた。このため、「西園寺死去後」を見据えた元老機能再編問題は、次期総理選定の際にける「御下問範囲拡張問題 」に収束することとなった。 「御下問範囲拡張問題」の解決策として考えられるものは、①元老を補充するか否か、②元老を補充しない場合、どの機関(既存、新設)に元老の権限を代行させるかに大別される。 前者の元老の補充であれば、当時「準元老」とも称された山本権兵衛及び清浦圭吾の両名を元老に任命すれば当面の危機は回避できる 。但し、問題点としては、その次の世代の政治家で元老に相応しい者が軒並み鬼籍に入っており、元老候補の人材が枯渇していたことにあった。寺内は首相退任後程なくして無くなり、原、加藤(友)、加藤(高)の3名は在任中に死去(暗殺を含む)したため、彼らが「元首相」として活躍することはできなかった。 では、後者の「元老の機能を他に移譲する」という方策も同様の問題点を抱えていた。天皇の諮問機関としては、国務では枢密院、統帥(軍事)分野では元帥府或いは軍事参議院、宮中では宮中顧問官という機関が存在していたが、元老に匹敵する人的集団であるとは言えなかった。というよりも、そのような機関の一員に留まらない「大物政治家」だからこそ元老と呼ばれたのであった。そのような経緯からすれば、既存の機関に元老の機能を委譲することは「元老の格下げ」に他ならないということになる。そこで「大物政治家」を一堂に会した最高諮詢会議の設立も検討された。 しかし、西園寺はそのいずれの方策も取らず、一人で元老の職責を果たすことを決意した。しかし、完全に単独ではなく、内大臣と協議した上で次期首相の奏薦を行うこととした 。この時期まで、内大臣 の殆どは、元老(格)若しくは元老に準ずる政治家が就任しており、元老の相談相手或いは協議相手として最も適当であると考えられていたため「元老内大臣協議方式」はすんなりと受け入れられた。 また、丁度、憲政会が政権担当能力を身に着けつつあり、元老が消滅したとしても、英国のような「憲政の常道」路線で首相が決定される見込みが高い。そうであれば、元老の次期首相奏薦機能は形式的なものでよい。 このように、二大政党制の確立と西園寺の意思という二つの偶然が重なり、西園寺が「最後の元老」となることが決定した。しかし、時代はそれを許さず、515、226事件など、元老の機能が形式化することはなかった。そして、515事件以後、「御下問範囲拡張問題」は内大臣が主宰し、首相経験者と現任の枢密院議長が構成員となる「重臣会議」に移行し、昭和20年の敗戦を迎えたのであった。 このような交代大統領制或いは1900年体制のような「幅広い」或いは「節操のない」政権交代構造が可能となるためには、そのような政権交代が「些細な事」であると思わせる明野国家元首(大統領或いは君主)に絶対的権威があるということが必要なのかもしれない。そのような存在自身が「国内の分断を治癒する」存在となり得る 大日本帝国憲法の規定は簡潔であったため、幅広い政治体制の包含が可能であった。特に、大日本帝国憲法には「内閣」や「内閣総理大臣」という文言すらなく、「国務大臣及び枢密顧問」として第五十五条第一項に「國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ズ」、同第二項に「凡テ法律勅令其ノ他國務ニ關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス」とのみ規定されているだけである。したがって、内閣の性格はその時々の政治情勢によって変化し得る体制であった。これが、大日本帝国憲法体制において幅広い政体を採ることができる要因でもあった。 また、「元老」という憲法に規定のない「政治面での天皇の代行者」というべき存在もあり、元老と内閣との関係ひいては天皇大権の行使と内閣の権限行使の態様も両者の力関係により変化した。現実の歴史に見るように、大日本帝国体制下における内閣は(選挙を経ない疑似)大統領制的内閣である超然内閣から議院内閣制まで多様な形態を採り得た(「図3」のレベル2からレベル5)。このように憲法上許容される政体の幅が広いのも大日本帝国憲法体制の特徴である。大日本帝国憲法体制における政権交代、特に「山縣スタイル」の内閣を樹立するためには、タイのように「クーデター⇒民政移管⇒クーデター⇒以下繰り返し」のように憲法改正或いはクーデターを必要とする。 しかし、大日本帝国憲法体制においては、「平穏」な通常の政権交代手続で可能であった。そして、現代においても「平穏且つ公然、そして合法的で体制変革を伴わない」正規の政権交代としてある買われている。このような「柔軟な政権交代構造」により、クーデターや革命或いは憲法改正を経ずに政治状況に応じ最適な政権形態を選択することが可能であった。 この結果、非選出勢力との政権交代構造を維持することで立憲政友会に代表される選出勢力が政権担当能力を身に着ける時間を稼ぐことができ、他国に比べれば、円滑或いは平穏に権威主義体制路言ってもよい超然内閣から「憲政の常道」までの政治体制変革を成し遂げることができた。 もう一つの効果として、その時点における政治体制を憲法の枠に縛られず「自由」に選択できるということが挙げられる。諸般の事情から、政党内閣ではなく「各政党から中立な超然内閣」という選挙管理内閣で「政権選択選挙」を行い、その結果を見定めてから民選内閣制に移行するという手法も「当たり前のように」可能となる。これは、大日本帝国憲法体制下において西園寺が清浦内閣で使った手法でもある。また、類例は、現代のイタリアでも見られる(例モンティ内閣(2011~2013年)。。 このように、「1900年体制」はサルトーリが提唱した「交代大統領制」という概念を先取りしたものである。この観点からも、「1900年体制」特に「山縣スタイル」に代表される現役軍人首相(内閣)の果たした役割を「非民主主義的で権威主義的体制」であるとの否定的側面だけではなく、円滑に憲政の常道にまで移行させたという観点からの再評価をすべきではないかと思われる。実際に、政党政治家は元老、特に山縣という「巨大な壁」に挑むことで政権能力を身に着け「憲政の常道」時代を自らの力で引き寄せたのであった。 そして、現在、俗に「右傾化」(本稿では「ネトウヨ化」)と言われているものの要因とされてきた、「大統領制化」と「リベラル・左派の暴走・自滅」によってなされた「敵味方」を峻別する「1ビット脳的政治」によってもたらされた修復不能とも見える分断による隘路を潜り抜け、国民或いは国家統合を回復するための手掛かりを「1900年体制」は示しているのかもしれない。 実際には、ここに書き込んでから修正した個所は多多あります。 また、ここには掲載できませんでしたが、図表や脚注、参考URL などもあります。 |