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巷では、あまり話題になっていない口蹄疫の大流行について

1新八:2010/05/08(土) 21:29:19
いろいろと、ネット上では大騒ぎの最中のようですが、全くと言っていいほど
報道されないことの不思議に、いささか思うところ有りという感じです。

さて、皆様方は如何?


宮崎県も児湯郡は、私も住んだことがある地域なので、些かなりとも力になりたい
と思う次第です。現地の方々は、良くやっていると思います。

2キラーカーン:2010/05/09(日) 01:44:29
 私も、親戚が宮崎にいますので、気にはなっています。
 断片的には報道されていますが、ネットでは、民主党の緘口令だとか、農相が帰国後「矢継ぎ早」に対策を打ち出して政権浮揚の手がかりにするだとか言われていますが、民主党に危機管理能力が無かったというのが実際のところでしょう。

 陳情の唯一の受付窓口である民主党幹事長が宮崎県にいったのにもかかわらず、その幹事長は、選挙以外の話は受けつかなかったようですから。
http://kuyou.exblog.jp/10571132/
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100507_kouteieki_matome/

3御前♂±♀:2010/05/09(日) 08:49:47
まさか、クワンタム・ヒーリングでなんとかするとか言ってんじゃないでしょうね。>鳩山夫婦

4新八:2010/05/09(日) 11:03:04
御前様の仰ることが、冗談に見えなくなっている私が居ます。

5キラーカーン:2010/05/09(日) 23:36:08
>>御前様の仰ることが、冗談に見えなくなっている私

同じく私もです。
「万物は流転する」ではなく「万物は量子(クワンタム)の『ゆらぎ』である」という、Mr. Loopyですから。

6キラーカーン:2010/05/10(月) 00:08:03
 それと、現在、各省には大臣だけではなく、副大臣、政務官という「政務三役」がいるのですから、大臣が外遊中でも、副大臣が留守居役として主導権を発揮すれば(あるいは、大臣外遊中に全権を委任しておけば)、それはそれで「政治主導」ということにもなりますし、

こんなこともあろうかと、副大臣、政務官を設置しておいた

というはずだったのではないかとも思うのですが。
 新型インフルエンザのときも、副大臣、政務官は全く目立たず、大臣に注目が当たりすぎて(これは、舛添大臣(当時)の性格にもよるのでしょうが)、それで「大臣は忙しい」という本末転倒の状態になっていたのと同じ状態になっています。こんなことなら、副大臣、政務官を置いた意味がありません。

7新八:2010/05/10(月) 21:08:27
その外遊中の、代理者というのが、宮崎出身の福島瑞穂というオチが…

この政権の…

駄目だ、表現のしようがない。言葉が出てこない。

8キラーカーン:2010/05/11(火) 00:52:48
しかも、デスブログに宮崎県のことが触れられていたらしい。
この時点で、宮崎県の運命は決まっていたのかもしれない。

9新八:2010/05/11(火) 22:06:58
デスブログに一縷の望みが…

616 名無しさん@十周年 ▼ New!2010/05/11(火) 21:37:36 ID:OwD1IB7v0 [2回目]

考えても見ろよ
谷は柔道メダリスト勿論柔道家に太いパイプを持っている
勿論谷と民主党をメダリストたちが応援するだろう
その中には『元金メダリスト井上康生』もいるはずだ

もちろん井上の『妻』もブログで大々的に応援するんだろう

奴が民主党の応援にまわるかもしれないんだ

これは喜ぶべきことだな

10見て^^:2010/05/12(水) 13:06:47
一見、普通の女の子の日記ですが、
ある事をした後に更新しています。
かなり中毒性が高いので注意が必要かもしれないです。

ttp://stay23meet.web.fc2.com/has/

11キラーカーン:2010/05/15(土) 02:01:04
>>デスブログ
井上康生の出身地は、実は、宮崎県と言う微妙な状況。

この口蹄疫騒ぎは、ネットでは 「赤松口蹄疫」 とも言われているようです。で、この一件で有名になったのが江藤拓議員(自民党)ですが、彼はあの江藤隆美元運輸相、江藤・亀井派代表の息子です。隆美氏が引退して、息子(拓氏)を後継候補とした際に放った啖呵が

世襲でなぜ悪い

というものでした。その啖呵は間違いではなかったようです。
拓氏は世襲候補には珍しく、出身地も宮崎のようです。
(世襲候補は、選挙区は親の出身地でも、自身は東京生まれの東京育ちと言うのが多いですから。)

12キラーカーン:2010/05/17(月) 22:47:56
遅まきながら、民主党が対策本部の立ち上げなどの対策を採り始めたので、これからは「報道統制」がなくなるでしょう。

13キラーカーン:2010/05/18(火) 00:04:37
ついでにネタとして
「民主党政権になって続発する神社仏閣での変事」
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-date-20100514.html

2009年10月8日 伊勢神宮「樹齢数百年」巨木倒れる
2009年10月8日 伊勢の夫婦岩の大しめ縄が切れる
2009年10月14日 灘のけんか祭りで見物客1人が死亡
2009年11月21日 神社の大木が倒れ七五三参拝の女性直撃 
2010年3月10日 鶴岡八幡宮のご神木の大イチョウが倒れる
2010年4月3日 三重県の上げ馬神事で上がり損ねた馬が即死
2010年4月18日 妻科神社のご神木のケヤキ倒れる
2010年4月27日 永平寺 樹齢700年のご神木が真っ二つ
2010年5月8日 長野の御柱祭 ワイヤーが切れて柱が落下し2人死亡
(御柱祭で事故が起きたのは「春宮(はるみや)一」という組:「春宮(「東宮」ともいう)」は皇太子の別名)

◆現代に宿る神々を求めて/山村明義
由緒ある神社に去年の春、鳩山由紀夫が願掛けに来た。選挙勝利の祈願だったが、その日の朝なぜか宮司が剃刀でひげを剃ろうとした時手元が狂い、顔から出血し血が止まらなくなってしまったという。

だそうです。
「ネタ」として笑い飛ばすにはあまりにも・・・

14新八:2010/05/31(月) 20:41:28
宮崎県で猛威を振るう家畜伝染病の口蹄こうてい疫問題は、全国各地のブランド牛肥育に大きな影を落とし、
山梨県のブランド牛「甲州牛」の生産にも影響が出始めている。宮崎の多くの種牛が殺処分されることになり、
子牛の買い付けは東北などに
頼らざるを得ない状況。

 21日までの3日間、岩手県雫石町の全農岩手県本部中央家畜市場で行われた競りでは、子牛の平均価格が
前回(4月)に比べ8・4%上昇した。全農岩手の担当者によると、これまで参加したことがない中部や関西地方の
バイヤーもいたという。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


おいおい、そんな分かりやすい事で良いのか?

甲州>輿石
岩手>小沢

15キラーカーン:2010/05/31(月) 22:39:18
しかも、現地で陣頭指揮を取っていた副大臣は長崎で牧場を経営していて、中国牛を輸入していたらしく、宮崎牛は「商売敵」だったとのこと。

16キラーカーン:2010/06/07(月) 23:18:28
とうとう、その副大臣が農水省に昇格したようです。
その一方で

「「松阪牛」のブランド保護要望、「市長が反民主なのでダメ」…民主党本部」

という記事があったようです
http://hurriphoon.blog89.fc2.com/blog-entry-1002.html

ソース(中日新聞):
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2010060590161609.html

【食】「松阪牛」のブランド保護要望、市長が「反民主党なので受け付けない」…民主党支部
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1275731755/

17新八:2010/06/08(火) 23:13:04
ひでぇ

18キラーカーン:2010/06/13(日) 17:43:39
ついでに、現地選出の自民党議員である江藤拓(年配の方であれば、自民党にかつてあった「江藤・亀井派」江藤隆美氏の息子と言ったほうがわかりやすいでしょうか)氏の本会議における代表質問における民主党の野次が想像を絶するほど酷いものです。
動画は、ここでも見られます
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1196.html


 口蹄疫の対策に日々追われている現地の方々に対する、侮辱、嘲笑、罵倒、いくら言葉を重ねても足りません。
民主党の国会議員がこれでは、国が効果的な対策を打てるはずがありません。

農家の切実な訴えを代弁する江藤議員に対する民主党議員の野次(しかも笑い声もあったようです)
〔左動画〕
5分30秒前後:野次「そういう悪口しか言えねんだろお前〜」
9分30秒前後:江藤「私は、野党の一代議士でありながら、地域の皆様にお詫びを申し上げながら日々を過ごして参りました。」
       野次「ずっと謝ってろ」
時刻確認中 :野次「お涙ちょうだいはいらないんだよ!」
時刻確認中 :野次「金が欲しいのか」
時刻確認中 :野次「お前らだけでなんとかしろ」

しかも、「やまと新聞社」によれば、このような大問題なのに、この本会議にはマスコミはほとんど来ていなかったようです。まさに、原口総務相の言う「対策」の結果なのでしょうか。

(以下「やまと新聞社」のサイトより抜粋)
このように酷いヤジが与党から発せられるということは記憶にありません。 それにしてもこれほど酷いヤジが飛んでいるのになぜ放送されないのでしょう。(中略)ニュースは(中略)ヤジの音が(拾わない様にしている)からです。(中略)しかし満員電車のような記者席で(中略)可能だろうか・・・でもやってみようと本会議場に向かいました。(中略)この日はなぜか誰もきません。テレビカメラマンは所定のカメラ位置にきていますが、筆記記者は限りなくゼロに近く、スチールカメラもほとんどみあたりません。(中略)傍聴席は満員なのに記者席はガラガラ(中略)。誰も映さない、だれも報道しないから言いたいことを言って話を聞かない、それどころか早くやめさせようとする。 宮崎のことなど何も考えていないのです

19キラーカーン:2010/06/15(火) 22:56:01
>>「他国が国でやってるから」

何か、勘違いされてませんか。私が例に出したのは、阪神大震災という20年近く前の 「わが国」 の例です。決して他国の例ではありません。
 また、私は出来ないことをやれと入っていません。今回の事案について国が危機感を抱いていたのなら農水省が出来るはずの方策であり、また、やらなければいけなかった方策を提示しただけです。それをしなかったのは

しなかったことを正当化する理由が、する方策より正しい

という判断を農水省首脳部(政務三役)ひいては民主党内閣が行ったということです。そして、現状から見て、その政務三役の判断が間違っていたのではないかという批判が投げかけられ、宮崎県やネット上では結果としてその批判に賛同する声が圧倒的でした。私もその批判に原則として同意・同感です。(ネット上で「赤松口蹄疫」といわれているのもその証左)
 農水省が「対策本部」をその日のうちに設置したということは、「国」として何らかの危機意識を持っていたという証左です。その「その日のうち」に対策本部を設置したことと、 「県の権限」 だから挙手傍観するのは、一般論として一貫性がありません。県から国に陳情する(できる)事項があるように、国から県に陳情する(できる)項目も存在します。現在は自民党政権によってなされた 「地方分権」 改革の時代というというのであれば、国から県に陳情する(できる)案件は増大しているはずですから、国から地方への 「陳情(働きかけ)」 はより多くなってもおかしくはありません。
 つまり、この論点で地方分権改革も影響はありませんし、ましてや

「ジミンガー」

ありえません。
 国と県との権限配分が(0:100でない限り)どのようなものであったとしても、この論点は存在します。 「『県の管轄』 だから農水省は出来ないという」 という言葉が逆説的に、国から県に陳情する(できる)項目も存在を示す何よりの証拠です。その日のうちに対策本部を設置する程度には危機意識があったのだからこそ、農水省は県に対し、○○すべき(出来る)と 「助言」 するのが物事の筋というものです。
 現時点では、前者については東国原知事の言動からその存在が明らかになっているのに対し、後者は明らかになっていません。
 県の管轄事項だから農水省が 「挙手傍観」 するのと、 「行動を促すよう助言」 するのとは天と地ほどの差があります。この一点において、東国原知事と農水相(農水省?)との違いは明らかです。
 逆に東国原知事は後者(国への陳情)まで踏み込み、その判断は知事(政治家)として 「(相対的に)正しい」 と現在では思われています。

20キラーカーン:2010/06/15(火) 22:56:25
 私が批判しているのは、「対策本部」を立ち上げたほどの危機意識を持っていたのにもかかわらず、そして、口蹄疫という事象上県を越える対応は求められることは必定であるのにもかかわらず、農水相の行動が前者に留まっていた(ように見える)からであり、そのことについて、本来的には政治家としての判断が問われる場面であるのにもかかわらず

法律で決まっているから

と法律のせいにして逃げるのは、論点のすり替え以外の何者でもなく、農水相の行動が前者に留まっていることを正当化する理由には 「なり得ない」ものです。
 さらに言えば、 「法律で決まっている」 領域を「仕分けた」後、正規の権限がある他者に対し、その権限を行使するよう 「助言(陳情)」 するのは(法律の規定がない限り)法律の次元の話にはなり得ない。この件について特別措置法が出来たということは、この「仕分け」業務を行っていたことを逆説的に示しているのです。
 あえて言えば、一般国民がメールで農水省に対し「○○という方策を採るべし」というメールを送るのが法律上問題がないのと同じとように、農水省が県に対して「○○という方策を採るべし」と助言するのも法律上問題がありません。

 いわんや 「政治主導」 を標榜する民主党内閣において、政務三役の権限と責任において、県に対して助言することに何ぞ躊躇することがあろうや。

 したがって、まず、問われるべきものは「法律で決まっているから」という解釈が 『正しいと判断した理由』 は何かということなのです。
 そして、その次の段階として、その理由(県の所管事項であるということが)法解釈として 「正しい」 ものだったとして、

なぜ、対策本部を設置しておきながら、正当な権限を有する県に最善の行動を求めなかったのか

という問いは依然として残ります。
 そして、この問いに対して 「法律で決まっているから」 という答えがありえないというのは上述のとおりです(簡単に言えば、法律の規定の対象外のことに対して、法律で決まって 「いる」 から、という答えはありえない)。
 この問いが、先の投稿での主たる問いであり、その問いに対する答えの補助線としてあげた実例が、阪神大震災の例だったのです。正確にいえば、阪神大震災の例は、 「法律の問題ではない助言を行うか否かという問題」 に加えて、 「グレーの領域に踏み込んだ」 という2つの例が絡み合っています。
(農水省側からの助言を宮崎県側が正当な理由なくして 「拒否」 したのであれば、政府(民主党)が知事や自民党の陳情を拒否したのが 「不適切な判断」 と批判を浴びたのと同じ理由で、 「判断が不適切」 と県側が批判され、農水相側の免責事由になります。つまり、「法律で決まっているから」という反応に加えて、そのような反論が農水相側から 「漏れて」 来ても不思議ではありませんが、そういう話は寡聞にして聞いていません)

21キラーカーン:2010/06/15(火) 22:56:53
 ここまでが口蹄疫問題に対する本論であり、ここから、「法律で決まっている」ということと、「感情論」という派生的な問題に対する補足的な検討です。
 システム工学的に言えば、法律は社会という「OS」に対応した 「『不完全』なプログラミング言語」です。なぜ、「不完全」かといえば、法律には 「解釈」 という行為が欠かすことが出来ませんし、その解釈にも一定の幅があるからです。つまり、法律の文言では 「全て」 の事象について、「○」か「×」かが一義的に決定できない。
 言い換えれば、法律の文言それ自身には

1 この法律の対象となる範囲か否か
2 この法律の対象であったとしても、白か黒か判別できない

という二重の 「グレー」 の領域があるということです。
 いわゆるプログラミング言語ではそういう 「グレー」 の領域が存在することは許されません。プログラムの対象となる業務範囲が一義的に確定され、その範囲内の 「全て」  の事象について、「0」か「1」で振り分けなければいけません。 「0.5」 というのはありえない(仮に存在する場合、桁数を増やして「0.5」も「0」と「1」で表現する)のです。これがデジタルの世界では全ての事象は「0」と「1」で表記できるということの意味です(上述のように、「0」と「1」の2通りでは足りなければ、桁数を増やして対応します(2桁なら4通りまで対応できます。)。この「桁数」を「ビット」といいます)。
 閑話休題、阪神大震災の例と口蹄疫の例で言えば

1 法律で定められていない「助言」を 「積極的」 にすべしと判断(阪神大震災)
2 法律で定められていない「助言」を行わなくても 「問題がない」 と判断(口蹄疫)

という違いです。そして、今回の事案において、農水省ひいては民主党政府は後者を選択したのです。
 阪神大震災のときは積極策に打って出て、今回の口蹄疫のときは消極策に留まりました。その 「グレー」 の領域、言い換えれば、法律の次元ではなく政治家としての判断が問われる領域の問題に対して、どのように対応するのかということについては、法律の次元を超えて、その判断に迫られる人の思想・信条、もっと言えば 「正義感」 という 「感情」、「意思」  の領域の問題となります。その端的な例が、憲法9条と自衛隊の問題です。ということで、憲法9条論争の例を見るように、法律の解釈論争は 「神学論争」 になりやすいのです。身もふたもない言い方をすれば、法律の解釈論争とは

自らの正義感という「感情」(「意思」)を法律学の領域、法律学のルールで戦わせる (特殊な)「感情論」の議論

にしか過ぎないということだと個人的見解として思っています。
 したがって、法律の解釈・運用(ひいては「法治行政」)の観点から言う 「政治主導」 とは

法律の文言上「グレー」の部分について、政治家はその意思を示し、その妥当性を常に社会、国民に問い続け、判定され続ける。そして、その 政治家の「意思」 は、基本的に結果によってその妥当性を国民によって判定され、最終的には選挙の洗礼を受ける(命題A)。

ということだと思っています。
 そして、命題Aの発展系として「グレー」の部分について意思を示す資格があるものは、国民に直接判断される資格のある人物、つまり、選挙の洗礼を受ける者(又はリコール対象官職の者)であるである。従って、「(選挙の洗礼を受けず、リコールされることもない)官僚にその種の判断をさせてはいけない」という命題 (命題B) も導き出されます。ただし、命題Bは命題Aの「裏」であるために、論理学上、命題Aが正しいからといって命題Bが正しいとは限りません。

22キラーカーン:2010/06/15(火) 22:57:13
 そして、現実問題として赤松前農水相、山田現農水相(前農水副大臣)はその 「判断」 の妥当性を問われました。そして、菅首相は新内閣発足に伴う更迭という日本的な 「傷のつきにくい」 方法で処理をしました。といっても、「共犯」といってもよい山田副大臣を農水相に昇格させたので、「本心」から赤松農相の対応に問題があったと思っているかは不明です。
 そして、ややこしいことに、その 「グレー」 の部分は一定しているのではなく、場合によって変化する(=「白」あるいは「黒」の部分も変化する)ものだということです。その有名な例が、他のスレで行われている 「在日外国人参政権付与問題」 です(在日外国人に参政権を付与するのはかつての学説上「黒」だったのが、今では「グレー」になりつつある)。したがって、その 「グレー」 の部分をいかにして作り出すかということも政治家(活動家)の能力といえるかもしれません。
 例えば、今回の例で言っても、農水相外遊中の間の農水相臨時代理の権限について

1 農水相としての権限を 「全て無制限」 に行使できる
2 外遊中の臨時代理であるから、現状維持に徹し、出すぎたまねをしない

という2つの解釈・運用がありえます。そして、この双方とも、法律学的に一応の理由はつきます。つまり、この2つの解釈・運用のうちどちらが正しいかと言うことについては、法律学の次元では決着がつきません。すなわち、
・当事者がどのように判断したかという「正義感(感情論)」の次元、
・当事者の結果を多くの国民の「正義感」に合致したと納得するという「感情」の次元
・そのもたらした結果がどうだったかという「現実」
という法律学以外の次元によってこの決着が与えられます。つまり、「感情論」次元で法律学の決着がつくという事態になるのです。
 その意味で、法律の解釈・運用論争というのは「感情論」(あるいは人の「意思」。理系的に言えば「AI(人工知能)」で表現できないもの)を排除することはそもそも不可能なのです。法律学でも、ある法律の解釈・運用を巡って「実務」と「学説」とで対立するものもあります。当世風に言えば

強制執行は裁判所で起きているのではない。現場で起きているのだ

 ということになるでしょうか。その現場という 「感情」 と法律学という 「理性」 との均衡点を探るのが法の解釈なのです。その「感情論」を排除(無視)して法律論を行うことは、 「法匪」 への道の一里塚です。といいつつ、その「法匪」もその奥底に正義感という感情やイデオロギーというという意思が垣間見えることも往々にしてあります。その典型例がいわゆる「人権派弁護士」です。
 さらに言えば、法律学に「法哲学」という分野がある事から見ても、ある議論を「感情論」として法律の議論から排除するのは短慮に過ぎるというのは理解できるかと思います。
 「大岡裁き」というものは、法律の解釈・運用を巡る「感情」と「理性」との均衡点を探るという意味で日本史上におけるひとつの到達点であり、また、その理念型(理想型)として現在でもなお、その輝きを保っています。
(この、人の意思・感情というもの(いわゆる「感情論」)を排除できないがゆえに、法律学や政治学というものが自然科学のような「科学」たり得ない理由であると個人的には感じています)

23キラーカーン:2010/06/19(土) 00:51:10
>>国から助言を出すのは、地方分権の流れに水を差すような物でしょう。

本件で国が助言を行うことは
・緊急避難
・利害関係者の当然の権利
・国家緊急権
と言うように、法律学の世界に限定しても、(多くの人の支持が得られるか否かは別として)いくらでも理屈はつきます。ところが、どの理屈を 「選択」 するかということは、法律学の次元を超えて、

感情、正義感、意志

という領域の問題になります。
 その前に、そもそもの問題として、

「地方分権」が宮崎県の畜産業ひいては日本の畜産業を犠牲にしてまで守るべき崇高な理念

とは思えません。このように、現実の重みを無視して、 「自分勝手な正義感」 に基づく 「感情論」、 「空理空論」 を法律学の名前でいかにも 「絶対の真理」 かのように語ると言うのが「法匪」への一里塚です。そして、そのような 「空理空論」 が、いかにも 「理性的」 で 「学問的」 だと思い込むのも、法律を生半可にかじった者(場合によっては法律の「プロ」)が陥りやすい陥穽です。

>>国がやる仕事は前回も今回も同じ事ですよ

 ということで、同じことであるのならば、農水相(農水省)の対応は前回と今回と対応が同じであるべきです。しかしながら、前回と比べて、今回の国の初動は遅いという声は、当初から現地ではありました。
一例を上げれば、前回では、初日から農水省から山のようにFAXが来て、農水省からの指示もあったのに、今回は全くといっていいほどなかったという証言があります。つまり、

法制度(国がやる仕事)は同じでありながら前回ではできたことが今回では何らかの事情でやらなかった(あるいは出来なかった)

ということです。そこには、法律論の次元では測ることの出来ない農水相(農水省)の「意思」、「感情」というものが確実に関与しています。

24キラーカーン:2010/06/19(土) 00:51:49
 そして、管轄権外の事項については
1 東国原知事は積極的に国に働きかけ
2 国は 「県の事項」 だからと 「挙手傍観」 した
のように県と国とで対応が分かれました。
 法制度上同じ土俵に立っているのにもかかわらず、両者の行動が対照的だった(その両者とも 「違法」 とはされていない)ということは、その法制度が両者とも許容しているということを意味します。
東国原知事が国に対して支援を要請した行動について

国に要請するのは、地方分権の流れに逆行する許されない行為

と言う批判は寡聞にして聞いたことはありません。つまり、この法制度は、どちらの行動をとるのかが正しいのか否か(「黒」か「白」か)判定できない 「グレー」 の領域であったということです。
 少なくとも世論は、口蹄疫という 「非常事態」 における東国原知事の国への要請を

地方分権の流れに水を差すような物

とは看做していません。つまり、その逆(国から地方への要請)もありうるということです。非常事態における対応をどのようにすべきかという問題では、口蹄疫も阪神大震災も同じです。阪神大震災のときでも、 「知事本人の要請がない」 として、自衛隊は動かないことも選択できました。しかし、自衛隊がやっとつながった県庁の係長に対する、 「あなたの言葉を緊急時における知事の代理要請」 として処理しますという 「助言」 に対して、その係長も「阿吽の呼吸」で答えたと言うことでしょう。その係長には

私にはそのような代理権限は「法律上与えられていません」

と答える「権利」はありました。しかし、彼らにとって、「緊急時の知事の権限代理規定」と言うものは、阪神大震災という「現実」の重みに比べると格段に軽かったと言うことだったのでしょう。そして、輿論はそれを支持しました。

25キラーカーン:2010/06/19(土) 00:52:08
 これらのことから考えて、少なくとも、口蹄疫というような広範囲に影響が及ぶような事案においては、 「国は県に口を出すな」 というような解釈は妥当しないというのが私の主張であり、日本国内でも私の主張に賛同するのが多数派ではないかと推測します。菅首相も

口蹄疫は国家的な危機

であると表明していますから、少なくとも現時点において(私は農水省が「対策本部」を立ち上げた時点以降が妥当すると考えます)は、菅首相も私の解釈の方が 「正しい」 と支持しているということになります。
つまり、上記「1」「2」のどちらが正しいというのは、 「法律論」 の次元ではなく、口蹄疫の蔓延という 「事実」 の重みとそれを放って置けないという 「感情」 によって判定されたのであり、「法律論」で判定されたというわけではありません。それは、菅内閣発足に伴い、赤松農水相が再任されなかったことからも伺えます。
 したがって、事情が変われば、私の解釈・主張が 「誤っている」 と判断される場合も十分ありえます。
 一般論で言えば、結果さえ良ければ、どちらを選択しても 「正しい」 ということであり、それは法律論でいくらでも正当化できます。しかし、それ以後は「法的安定性」という観点から、この選択に 「拘束」 されます。これが、法治政治における先例拘束性の実際上の意味。
 ということで、上記の「1」「2」のうちどちらかを「正しい」と主張するのは、突き詰めれば、主張する人の「意思」、「感情」の次元の話です。まぁ法律学上の言葉で言えば、「社会通念上」、「社会正義上」相当かどうかということで表現できますが、それも、俗な言葉で言えば、その主張にどれだけの人が共感・賛成できるかという 「意思」、「感情」 の次元の話に還元できます。
 法律改正についても、当事者が、この法律では都合が悪いので法改正しようという 「コンセンサス」 が出来たということです。コンセンサスが出来なければ(あるいは多数の意思が調達できなければ)、憲法9条のように 「解釈改憲」 という場合もあります。もちろん、法改正しなければどうにもならないことも存在しますが。これも、突き詰めれば、法律論ではなく、 「意思」、 「感情」 の問題に還元されます。
 この(解釈・運用指針に関する)問題でコンセンサスが取れない限り、 「法律論」 で何が出来て、何が出来ないか議論しようとしても、 「空理空論」 という 「法匪」 の領域に足を突っ込むか、あるいは、憲法9条論争のように 「神学論争」 に陥るのは目に見えています。私の政治学の師匠(と勝手に呼んでいる人)の一人は

法律学の(助)教授同士の議論があれほどイデオロギー論争になる(イデオロギッシュ)とは思わなかった。これにはびっくりした

という内容のことを述べていました。これも、法律学の解釈論争では、その論者の 「意思」 というものが必ず入り込むという 「必然」 を示したものでしょう。
 そういえば、殺処分しようにも埋葬する土地がないので、県が国有地の提供を要請したのにもかかわらず、現地の状況も確認をしなかったために、埋葬できる土地を提供できず、挙句の果てに、 「金を出すから、勝手に土地を買い付けろ」 というオチになった。
 農水相は「県有地、私有地 (除く 「国有地」) など隠している土地を吐き出させろ」という旨の発言をしたらしい。
後は「天漢日乗」というブログに詳しいです。
 まぁ、東京のマスコミは、農水省の 「失態」 ひいては 「民主党政権の失態」 を隠蔽するために、東国原知事を 「悪者」 に仕立て上げたい。そのために、宮崎県の初動に問題があったのが 「(唯一)最大」 の原因としたいという方向で一致しているのでしょう。宮崎県在住の親戚が、東京に来た際、宮崎と東京都の報道の温度差にびっくりしていました。

26新八:2010/06/19(土) 13:34:05
今年からは、年に一回の提出で済むらしいのですが(汗
課題図書をモトに論を張れとか言う宿題のせいで、今「学問のすゝめ」を読まされております。
そこに

そもそも政府と人民の間柄は、前にも言える如く、ただ強弱の有様を異にするのみにて権理の異同あるの
理なし。百姓は米を作って人を養い、町人は物を売買して世の便利を達す。これ即ち百姓町人の商売なり。
政府は法令を設けて悪人を制し善人を保護す。これ即ち政府の商売なり。この商売をなすには莫大の費え
なれども、政府のには米もなく金もなきゆえ、百姓町人より年貢運上を出だして政府の勝手方を賄わんと、
双方一致の上、相談を取り決めたり。これ即ち政府と人民との約束なり。故に百姓町人は年貢運上を出だ
して固く国法守れば、その職分を尽くしたりというべし。政府は年貢運上を取りて正しくその使い払いを
立て人民を保護すれば、その職分を尽くしたりと言うべし。早々既にその職分を尽くして約束を違うる事
なき上は、さらに何らの申分も有るべからず、おのおのその権理通義を逞しうして少しも妨げをなすの理
なし。

とあって、
口蹄疫の話に当てはめるなら、悪人が口蹄疫で、善人が宮崎の農業、(実際は、そんな生やさしい状況で
はなくなってきましたが、ここは仮にそうしておきましょう。)というところでしょうか。
宮崎の農業を守ることことが、「政府の商売」ならば、宮崎県という政府の支店が、手持ちが薄いので、
本店に掛け合うことの何に不合理があるかと云うことですよね。
産業を守ることは、経済を守ること、税収を守ることになり、字義通りの「政府の商売」でしょう。
この部分に着眼すれば、本店の番頭が、人(獣医)も物(消毒液)も権限(国有地の使用)も何一つ、支
店に与えることなく、物見遊山の旅を優先したことで、商売全体に穴を開けただけでなく、同業他社の信
用を失ったことは、まさしく背任と言えるでしょう。
イデオロギー論争も結構なんですが、そういった論争をする場合、真面目に働いて税金を納める「国民」
をどう守るかという視点を何処か遠くに置いておいて欲しくはないですね。

あと、こうも言ってます。

一身独立して一国独立すること。

第一条 独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず。(中略)
第二条 内に居て独立の地位を得ざる者は、外に在って外国人に接するときもまた独立の権義を伸ぶること
能わず。(中略)
第三条 独立の気力なき者は、人に依頼して悪事をなすことあり。(中略)

万々一も外国人雑居の場合に及び、その名目を借りて奸を働く者あらば、国の禍実に言うべからざるべし。
故に人民に独立の気力なきは、その取り扱いに便利などとて油断すべからず。禍は思わぬところに起こる
ものなり。国民に独立の気力愈々少なければ、国を売るの禍も随って益々大なるべし。即ち、この条の初
に言える、人に依頼して悪事をなすとはこの事なり。
 右三箇条に言うところは、みな、人民に独立の心なきより生ずる災害なり。今の世に生まれ苟も愛国の
意あらん者は、官私を問わず先ず自己の独立を謀り、余力あらば、他人の独立を助け成すべし。父兄は子
弟に独立を教え、教師は生徒に独立を勧め、士農工商共に独立して国を守らざるべからず。概してこれを
言えば、人を束縛して心配を求むるより、人を放ちて共に苦楽を与(とも)にするに若かざるなり。


ようは、立派な社会を作ろうとしたら、ちゃんと勉強しないとイケナイよ。と福沢先生は仰っているのであ
りますが、(耳が痛いところです)彼が理想とした国家観からは、ずいぶんとドリフトしてしまった感じですね、
今の状況は。

27キラーカーン:2010/06/29(火) 00:13:43
とうとう、「デスブログ」 に口蹄疫が話題に出たようです。
で、この 「解釈」 を巡って、意見が割れているようです。
(魔力が口蹄疫「拡散」に働くか口蹄疫「撲滅」に働くか)

28新八:2010/07/02(金) 20:17:12
今のところ、撲滅方向に進んでいるかに見えますが…






これで、喜ばれるとヤバイ。

29キラーカーン:2010/07/12(月) 00:53:43
こんな記事が・・・
ここまで、農水相が県に責任転嫁するとは、言葉も出ません。

(ここから)
宮崎県の口蹄疫(こうていえき)問題で、種牛の殺処分の特例要請について山田正彦農水相が東国原英夫知事を批判したことに対し、東国原知事が2010年7月10日のブログで反論した。

山田農水相は

(1)「口蹄疫の問題は第一義的には県に責任がある」、
(2)「宮崎県は口蹄疫という国家的危機管理に対する意識があまりにもなさすぎる」、
(3)「県の甘さがこれだけの被害を生んだと言ってもいいのではないか」

と宮崎県の対応を批判した。農水相の批判について、東国原知事は「これが本当なら、極めて残念なことである。これまで国や自治体等と連携・協力・協働し、口蹄疫対策に全力で取り組んで来ただけに、俄かに信じられない発言である」「広域災害や法定伝染病を地方の責任だという国家がどこにあるだろうか?」と指摘した。
(ここまで)
これが本当であれば、県知事や県選出国会議員の声を聞いてこなかった農水相(省)はどうなのかと。そもそも上記の(2)は国の職務放棄と取られても仕方がありません。

30キラーカーン:2010/08/10(火) 01:45:47
そういえば、東国原知事が、皇居で両陛下に対して口蹄疫の一件について御進講申し上げたそうです。

秋篠宮殿下も宮崎県を御訪問されているとのことなので、阪神大震災のような「癒し」としての皇室は機能しているようです。

31新八:2010/08/10(火) 20:04:16
せんにんとか言う者になって初めての夏ですが、今日の暑さは格別です。
フェーン現象を実感したい方は、ウチまで遊びに来てもイイですよ。

>東国原知事が、皇居で両陛下に対して口蹄疫の一件について御進講申し上げたそうです。

らしいですね、しかも侍従方々臨席されずにお話しされたとか…
大御心は何かを感じられる一事と思います。


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