- 1 :真ナルト信者 :2017/02/08(水) 19:12:46 ID:???
- 漫画・ライトノベル以外の書籍なら純文学でも文庫でも新書でもレピシ本でも攻略本でも難しい本でもOK
感想を書いたり、内容をまとめたりとかしてみたらどうでしょう
- 512 :修都 :2024/03/21(木) 19:57:20 ID:4qrqq.3Y
- 川島真「中国と世界」
中国は19世までは冊封朝貢関係だが、儀礼を伴わない貿易関係である互市もある→アヘン戦争後の南京条約は互市の調整なので冊封朝貢関係は維持 →日清戦争後、互市が対外関係の基礎になる。それ以降は、既存の世界秩序に対応する 江沢民、胡錦濤政権は党内民主化を推進した→習近平政権はその流れで成立しながら、党内民主化を止めた 社会主義市場経済→社会主義を大前提にして市場経済的要素を取り入れて社会主義を完全なものにする 胡錦濤はかろうじて改革開放路線を堅持し、党内民主化を推進した政権だが、保守派の台頭で「選挙」で習近平が選ばれた →格差解消、一党独裁堅持という胡錦濤からの課題を克服する政権として期待された→胡錦濤には無かった強いリーダーシップが求められた 中国は国際連合重視を唱えながらも、西側先進国の秩序、価値を批判するようになった→批判を主としたもので、既存の秩序に代わるものは提示していない
- 513 :修都 :2024/03/22(金) 19:44:11 ID:4qrqq.3Y
- 島田周平「アフリカの変容」
サハラ以南アフリカは80年代は経済の自由化、90年代は政治の民主化を遂げてきた→一党制の国は無くなった アフリカの紛争では最終的な停戦には国連や欧米諸国の平和維持軍の派遣が欠かせないが、初期段階でAU(アフリカ連合)や準地域機構が一定の役割を果たしている 21世紀、海外投資流入でサハラ以南アフリカは高い経済成長率を記録した。その投資の最大の国が中国だった →6ヶ国は対中国債務が危険水域に達しているといわれている。中国が直ちに政治的・軍事的要求を押し付けることはないと思われるが、高圧的に転じる可能性も否定できない ジンバブウェでは白人農場が無断占拠されたとして2001年に欧米から制裁を受けたが、もともとイギリスが国土の46%強を所有する状況を維持しようとした歴史的背景がある サハラ以南の医療関係者流出は深刻で元首や有力政治家が入院治療のために欧米やサウディアラビアに出かけることが常態化している サハラ以南ではキリスト教徒が多いと考えられている。推計ではキリスト教徒が人口の63%、イスラーム教徒が約28%→キリスト教系新宗教が弱者たちに拡大している 2000年以降急増した土地売買の中には、伝統的土地保有権で守られてきた耕作権や居住権を奪うものもあった
- 514 :修都 :2024/03/23(土) 11:04:25 ID:4qrqq.3Y
- 大串和雄「ラテンアメリカの模索」
20世紀後半、ラテンアメリカ諸国が採用したのは、国家主導の輸入代替工業化→80年代に経済失速。輸出志向工業化を追求したアジア諸国とは対照的に経済危機 →国際金融機関や先進国からの圧力でラテンアメリカは新自由主義の時代に→国営企業民営化、貿易の自由化、雇用保護弱体化、経済規制緩和など ラテンアメリカ諸国は19世紀初頭に独立して共和政を選択したときから民主化が始まっている→しかし、20世紀前半になっても非民主制が併存(制限選挙、クーデター、強圧的な政権) 2000年代以降、いくつかのラテンアメリカ諸国では、民主制から非民主制への揺り戻しが見られるが先進国並みの民主制もある 60年代から70年代にかけては、キューバ革命などの影響で、ラテンアメリカ各地で急進左翼運動が伸長した→弾圧→暴力革命放棄、自由民主主義・市場経済を受容 2000年前後から、一時はラテンアメリカ諸国の半数以上が、左派政権となった→穏健派はかつての急進左翼が穏健化したものだが、急進派は新たな勢力が多い 1960年代からラテンアメリカ諸国は米国から自律的な傾向を見せている→中国はいくつかの国では最大の貿易相手。存在感を高めている
- 515 :修都 :2024/03/24(日) 13:33:17 ID:4qrqq.3Y
- 森千香子「移民・難民」
冷戦終結以降、欧米を中心とする移民受け入れ国では治安の悪化や失業の増大などを移民のせいにする排外主義の機運が高まり、移民を厳しく管理する政策への転換が進んだ 2001年の同時多発テロ事件以来、移民は国家の安全保障上の脅威とみなされる。EU諸国はアフリカや東欧に資金を与える対価に移民・難民を取り締まる役目を課した 80年代より欧米を中心に、家事労働などに従事する労働者として国境を越える女性の姿が顕著になった→女性たちが社会進出したことの代行 →移民女性には出身国に子どもや親がおり、家族を養うために出稼ぎに来ている→途上国の家族の世話をする人がいなくなる→さらに貧しい女性を雇い面倒を見てもらうという連鎖 日本では80年代以降、性産業と結婚の枠組みで女性移民の導入が行われてきた→前者は2004年に米国国務省から人身売買と批判をうけ05年に入管法改正 強制移住者の大半を受け入れているのは低中所得国で先進国の受け入れは24%にすぎない →しかしシリア内戦が本格化し2015年に100万人を超える人が欧州に渡ると欧州難民危機が叫ばれ、移民の排除の議論が広がる 21世紀以降、ライフスタイル移民の増加→日本でも国外移住者は89年から30年間で2.3倍に増加。移民は途上国の人間が先進国にむかってするものだけではない
- 516 :修都 :2024/03/25(月) 19:39:03 ID:4qrqq.3Y
- 田村慶子「ジェンダーとセクシュアリティをめぐるアジアの政治」
東南アジアの伝統社会では欧米よりも女性の地位は高く、セクシュアリティの多様性も認められていた→商売に関わることは女性の仕事。一方で、女性の教育は無視されていた 中国とベトナム北部では儒教道徳によって男性による女性の支配は正当化されていた。インドのマヌ法典も同様で女性は男性に支配されていた キリスト教会や欧米諸国がアジアに進出しても女性の地位は向上していない→ヴィクトリア王朝的性道徳にもとづく男女の理想像が持ち込まれている →東南アジアでは近代的生活様式を取り入れるにつれて女性が公共の場から撤退していった。同性愛者は犯罪者となった 日本でも比較的穏やかであった性生活やセクシュアリティに関する風俗習慣を明治政府はヨーロッパを範として矯正した 独立を獲得したアジアでは、家父長制が採用された。若い未婚女性は単純・未熟練労働者として動員されたが、男性との賃金や昇進での差別は深刻で、税制面でも差別された 中華人民共和国では、憲法に男女平等が規定され、男女平等になった→しかし、女性労働力の評価は男性より低く、同一労働同一賃金は達成されなかった →80年代から改革開放が始まると、女性労働者は過酷な競争に晒されリストラの対象になり、家庭内の性別役割分担も強化された →一人っ子政策が始まると、男児を産まない妻への虐待、女児の間引きや捨て子が急増 国際社会の動きの中で80年代になって、アジア各国で女性の地位の向上が謳われる→天安門事件で失墜した信用を回復するため95年、中国で第4回国連世界女性会議が開催される 中国のジェンダー格差指数順位は下がり続けている→女性の貧困が拡大している。現在の新指導部には女性はいない。日本では、性別分業を前提とした制度と慣行が続いている 男性の発言が受け入れられやすいアジアでは、レズビアンよりもゲイの発言力の方が大きい イスラームの道徳言説が大きな影響を与えているマレーシアやインドネシアでは、同性愛は危険な存在とみなされる傾向が強い 台湾で2019年に同性婚が合法化されたのはアジアではユニークな事例→ただし、法案成立までに賛成派と反対派が激しく対立しており、台湾でも異性愛規範は根強い
- 517 :修都 :2024/03/26(火) 20:03:08 ID:4qrqq.3Y
- 喜多千草「コンピュータの普及とメディアの変容」
1978年、ベル電話研究所がUNIXを搭載したコンピュータ間の通信を電話回線を利用して可能にする仕組みを発表した →カリフォルニア大学バークレー校版UNIXの完成度が高く、現在に至るまでのネットワーク用サーバの基盤的なソフトウェア設計に大きな影響を与えた さまざまな情報通信ネットワークが存在していたが、90年代に複数のネットワークをつなぐ仕組みであるインターネットに合流していく →コンピュータ通信を介して、情報交換しようとするユーザたちがあったからこそ、商用解禁後すみやかにインターネット利用者が拡大していった 1957年から、米国の防空システムのために量産されることになった高速コンピュータの製造を請け負ったのが、会計機製造会社のIBMだった 今日のインターネットは起源の異なる多様な機能を実現しているため、現代社会のインフラとみなされている 情報技術の導入による社会の変容を革命になぞらえることは50年代から見られ、何が革命的かという内容は時代によって変換している かつては新聞・テレビ・雑誌が担っていたプロパガンダの器としての機能はインターネット上のメディアでも担われるようになってきた
- 518 :修都 :2024/03/26(火) 20:53:01 ID:4qrqq.3Y
- 以上、岩波講座世界歴史全24巻まとめ終わり
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