[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
長年、悟り系真理探求してきた者だが質問あります?
1
:
り
:2025/10/11(土) 16:41:29 ID:xSAuVLWc0
私はこのサイトの存在は知ってるけど願望実現?系に特化したサイトだと思ってました。
久しぶりになぜかのぞいたら、真理系のスレもあったので、真理探求に興味ある人もいるのでは?と勝手に理解してスレ立ててみました。
この手のサイトのルールに疎いので、見当違いor邪魔だったらスルーしてください。
私も昔、願望実現、潜在意識、などの流れから、
じゃあ真理とはなんなんだ?と悟り系に流れて探求してきた者です。かなり地獄も味わいましたw
一応こんな自己紹介です。
ある程度放置してみて、レスつかなかったら、消えますw
369
:
り改め りょうせい
:2025/11/20(木) 19:08:11 ID:lkgau8Ng0
>>368
それは良かったです。
エゴではない、本当のあなたの立場というのは、本来「私はそれである」「私は存在である」という、とてもシンプルな在り方です。そこでは安心が当たり前すぎて、「安心?不安?なんのこっちゃ。私は″ただ在る″」という立場です。
なのに、不思議なことに
「エゴ(個)が私なんだよ?」
「あなたはこの物語の主人公なんだよ?」
という「世界的催眠ストーリー」が起こってしまった。
だからこそ「真理探求」という言葉が生まれたわけです。だから本来の「それである私」から見ると、
「真理?探求?なんのこと?
私はただ在るだけだけど・・」
くらいの感じです。笑
でも、エゴ側がふたたび素直に、本当の私を「求めたい」「取り組みたい」「思い出したい」と感じたのは、むしろとても良い流れです。苦しみながらやるより、少しでも楽しめたほうが早いし、なにより心が軽くなる。
探求って本来そんなに怖いものじゃないです。
だから落ち着いたり、じんわりワクワクしたりしながら理解が深まっていくものなので、
そのペースのままで大丈夫。起きることをそのまま起こらせてみてくださいね。
370
:
幸せな名無しさん
:2025/11/20(木) 20:35:21 ID:2PoGgBY60
>>369
>「安心?不安?なんのこっちゃ。私は″ただ在る″」
>「真理?探求?なんのこと?私はただ在るだけだけど・・」くらいの感じです。笑
ほんと、そーなんですよねー。笑
「一体今まで何やってたんだろ?ハハハ」みたいに力が抜けてニヤニヤしてたの、思い出しました。
このコメント読んで、思い出して、今ニヤニヤしてます。笑
思い出すだけでも、いいもんですね。
371
:
幸せな名無しさん
:2025/11/20(木) 22:34:40 ID:rBLNDXa.0
>>369
横から失礼します
>なのに、不思議なことに
>「エゴ(個)が私なんだよ?」
>「あなたはこの物語の主人公なんだよ?」
>という「世界的催眠ストーリー」が起こってしまった。
そうは言っても、そのストーリーの中で足をぶつけたら痛い、痛すぎます
372
:
幸せな名無しさん
:2025/11/20(木) 23:07:10 ID:FDP/5Drw0
>>366
いつも有難う御座います。
>エゴにとって「霊性プロセスが進む」
↑霊性プロセスという言葉を見てハッとしました。私はこういう話題を
誰かとやり取りするのは初めてでよく解っていなかったのですが
この話題の場合、不特定多数の見る場所で個人の深い話をする事は
身バレ以上に色々とマズイ事だったのではないかと…。
気付かせて下さり、有難う御座います。
大きな私は本当に大きいですね。イメージの中ではそこまででもないですが
これ位?と思うと、もっと大きいよ!となり、大きすぎて把握出来ない宇宙より大きいかも。
そういえば、アルティメットまどかも大きかったですね、漫画の封神演義の妲己ちゃんの最後も。
谷川俊太郎さんの「なんでも(+4文字)」の詩も、この気持ちの事かなと思いました。
>おれ空に背がとどくほどでっかくなれねえかな
>おれのからだ おれの気持ち 溶けてなくなっちゃいそうだよ
>でもこれじゃまるで〇んだみたいだなあ
↑個の私として読んだ時は???でしたが
大きな私を想いながら読むと共感しかありませんでした。
(妲己とかこの詩とかご存知なかったら御免なさい、スルーして下さい)
>個にとってそれは溶解なのにもかかわらず。
↑溶けたいと思います時々。ふと思ったのですが、このタイプの探求をしている時って
自分を守るバリアみたいなものが薄くなりますか?ここに書き込み始めて
快眠快食快便の話のところ辺りで2日続けて頭痛が起き、2日目の頭痛の時に
脳内で「お返しします!」と一度強く唱えたらスッと消えたので
もしかして…何か飛んできていた…?と思いました。
あと快眠快食快便の状態も崩れてしまいました。睡眠サイクルが変。
食事は以前より少量でも満足出来る様になりました。
そして、頭の中が探求ばかりに偏るのも良くないのかもと思いました。
なんかこう…干からびてしまいそうで。
今日は普通に外食と買い物を楽しんできました。うん普通。笑
普通にアニメ視聴も楽しみたいと思います。
そういえば「ぼのぼの」も時々、真理っぽい話がありますよね。
(ご存じなかったら御免なさい)
友人の1人がぼのぼの好きだったり、雑草をかわいいと思える優しい人だったりするので
こっち方向の話も大丈夫かな?と思い、軽く話題を振ろうと思っても
必ず、本当に必ずすぐ曇った表情になるので、あっマズイと思って話をそらしていました。
人を選ぶ話題なんですね…。
わたし探求の話題において初心者すぎて
書いていい部分とそうでない部分の区別がつきません。
なのでマズイ話題に触れている感じでしたらスルーお願い致します。
そういえば大きな私が「過去の」小さな私を癒す作業については
なんだか飽きてしまいました…。出てきた時に癒せばいいかなって思いました。
「今」は、いくらでもたっぷり癒されたいなと思いました。
(没入し過ぎず現実生活をしながら程々に、二人三脚程度のイメージで)
>悲しみ(=浄化) と 慈しみ(=癒し・許し)
だから寂しい感じがしたり、なんだか(個が)干からびそうになったり感じるのですね。
いつもありがとうございます!
373
:
幸せな名無しさん
:2025/11/21(金) 00:59:34 ID:8m3CrWoE0
372です。そういえば霊性プロセスって何だろう?と思い検索してみた所
こんなポストを見付けました。
ttps://x.com/kaori_garden/status/1989645549650206850
>自己否定、劣等感、恐怖心が一気に噴出し、魂は押し潰されそうになる。
>それでもなお、逃げず・誤魔化さず・すり替えず、自分の愚かさと現実から目を逸らさずに向き合う。
>この姿勢こそが、霊性の扉を押し開く第一歩となる。
↑自分はアレコレ書き込んでしまったこれに相当するものに対して
かなり長期間向き合い続けてしまいました。気付かない間に扉が開きかけていたのかもですね。
飽きたとか言わずに自己癒しを無理なく続けたいと思いました。
374
:
幸せな名無しさん
:2025/11/21(金) 01:18:08 ID:1zzzkaD60
お言葉に甘えて余談・雑談
大嶋信頼さんのことを書かれている方がいらっしゃいました。大嶋さんの本を読んで「お師匠さん」に憧れました。
「凪」は思考停止した、エックハルト・トールのアイデンティティシフト、静かな認識の変更した世界。その境地から生きるのが「無意識さん」の世界だと思いました。ついでにアニメネタでいうとドラゴンボール、悟空の身勝手の極意のようなものかなと。
375
:
幸せな名無しさん
:2025/11/21(金) 02:52:55 ID:8m3CrWoE0
>>374
こんにちは!大嶋信頼さんの事を書いたのは私です。
大嶋さんのお名前を見つけて、つい反応しちゃいました。笑
お師匠さん素敵ですよね、ガッハッハ!笑 私は催眠ガールを読んで(夏目ちゃん大好き!)
こんなお師匠さん(大嶋さんのお師匠さんがモデルですよね)のスクリプトを間近で聞けたり
励ましてもらえたりする夏目ちゃん、いいなぁ〜!と思っていました。(未読でしたらスミマセン)
認識の変更ができるとお師匠さんみたいになれるのかな?とも思いました。憧れますよね!
ドラゴンボールは知っている所と知らない所があるので「身勝手の極意」の記事を検索してみました。
すごいですねこの技!無意識さんパワー全開だと思いました。そして悟空だからこそ使える技な気がしました。
超の主題歌の一部分「 退屈は石になる 重くて落ちちゃう前に」の所
実践で退屈感にやられて敗北しがちなので、ああ〜と思いながら聞いてました。笑
376
:
幸せな名無しさん
:2025/11/21(金) 11:44:44 ID:bZ4tv5uY0
>>356
返信、ありがとうございます!!
是非書き込んでくださいと言っていただけホッとしました。
他の人への回答も含めて、やっぱりとても興味深く読ませていただいています。
りょうへいさんの回答を咀嚼しつつ、何か分かったような事を言いたかったのですが笑
分かるような、分からないような、分かりたいと思う事が違うというような、不思議な感じです。
生きてるって不思議です!訳分かんない!!
ただ、勇敢だと言っていただけたことがなぜか私の心に刺さりました。本当に私は何も出来ないな〜と落ち込んでいたので。
最近は、自分よりも大切なものなんて何もないんじゃないかという思考が出てきています。
ただの自分ではダメだから、何かを付け足さなきゃ!と思っていたけど、そんな事ないのかも?と。
まあ行ったり来たりなのですが。
AIと人間の違いというか、アイデンティティとは?みたいな思考も出てきて、色々興味深く考えています。
お話楽しかったです!ありがとうございました!
377
:
幸せな名無しさん
:2025/11/21(金) 11:47:40 ID:bZ4tv5uY0
>>376
りょうせいさんでした!間違えました!ごめんなさい!!
378
:
り改め りょうせい
:2025/11/22(土) 17:45:44 ID:7vU1r8f60
>>370
はい、笑
思い出すことを何度もくり返すとやがて、催眠が溶け、私の伝えているそれのリアリティが深まってきます。
※ここからは「思考観察を続けて混乱・停滞・ループに入った人向け」です。祈り・癒し・明け渡し型の方は読み飛ばしてOK
探求者が「エゴを何とかしよう」とすると迷いやすい理由があります。
それは、エゴが「自分を対象物として扱いはじめる」からです。
1.自分を観察対象として切り離す
2.原因を外側に探す
3.自分自身を直そうとして追いまわす
この循環が始まると、迷路に迷い込んだように混乱が強くなります。
ここで、シンプルで短いたとえ話
タイトル《世界会議》
世界中の偉い人が集まり、「エゴの正体を暴け!エゴを捕まえろ!」と真剣な捜査会議をしています。
スクリーンにはエゴの写真がドーン。
しかしその″エゴ本人″、なぜか会議室の最前列に普通に座ってるんです。笑
名札には「私」
真剣にメモしながら手を挙げて、
「すみません!そのエゴ捕獲のヒントについて質問があります!」
しかし、誰もその矛盾を指摘せず完全スルー。
・・いや、そのエゴってあなた本人だよ、というオチ。笑
この話が示すのは、エゴは「自分で自分を追いかける構造」になっているということです。
そしてエゴの本質は、
実体がないのに、追われるフリをしている存在
です。
探している「エゴ」は、
・思考
・感情
・記憶
・反応パターン
ただの寄せ集めで「私っぽく見えているだけ」です。だから本物のエゴは永遠に見つかりません。
そしてある時、起こります。
その「見つからなさ」に気づいた瞬間、
「え、全部この私の中の動きだったの?」
「エゴをどうにかしようとしてた″この私″がエゴだったの!?笑」
という、脱力・笑い・解放が自然と起き得ます。探求のある段階で体験する「ふっと力が抜ける」あの脱力感覚の正体はこういうわけなんです。
379
:
り改め りょうせい
:2025/11/22(土) 17:51:36 ID:7vU1r8f60
>>371
ほんとにその通りです。
痛みは、物語の中で「個としての私」が確かに体験します。このスレで話している内容は、
その痛みを否定したり、「痛みは錯覚だから気にするな」みたいな乱暴な話ではありません。
そして、これはすごく大事なポイントですが、
真理探求は「痛みを無かったことにする道」でも、「痛みに動じない鋼のメンタルを作る道」でもありません。むしろ逆です。
痛みを感じられるということは、
個としての私がちゃんと物語を生きている証拠でもあります。
そして、実はここに
大いなる存在と個の私の最大のラブストーリー
が隠れています。
エゴ(個の私)は、痛みも喜びも混ざった「人生そのもの」を体験している存在。
大いなる存在(真のあなた)は、
そのすべてを包み込んでいる側。
やがてエゴは自然と気づきます。
「私はずっと一人で痛みと戦っていたわけじゃないんだ」と。
その瞬間から、エゴは大いなる存在に少しずつ寄りかかり、やがて抱擁されるように静まり、溶けていく。
痛みがあるからこそ、
その「溶けていくプロセス」の温かさや深さが生まれるんです。(これは言語化するととても陳腐になりますが。)
痛みそのものが悪でも、間違いでもなくて、
そこで起きている一つ一つの体験を通じて、
大いなる存在とエゴが再び出会う道ができている。
だから、痛みを無視する必要はまったくないです。痛かったら「痛い」でいいんです。
痛みは物語の一部であって、
あなたの本質を傷つけることはできません。
そして、強い痛みや苦しみが起きたとき、
個としての私たちにできることは、
ただ静かに、
「どうかその痛みが少しでも和らぎますように」そんなふうに祈り、願うことぐらいです。
その祈りも願いも、また「存在」の優しさの現れなんだと思います。
380
:
り改め りょうせい
:2025/11/22(土) 17:55:14 ID:7vU1r8f60
>>372
こちらこそ。いつも丁寧に読んでくださってありがとうございます。
まずひとつだけ、とても大事なことを先にお伝えさせてください。
ここで扱っている内容は、
エゴの防衛エネルギーにとって かなり揺さぶりが強い領域 です。
あなたもおっしゃってるとおり、
たくさんの情報が一気に入りすぎている時期は、ここに書く量を増やすよりもまず、
「休む・静まる・静寂に触れる」時間。
つまり日常的な喜びを優先してあげてください。
「読む→考える→書く」だけを続けすぎると、
心が外側に開きっぱなしになり、
感受性の高い方ほど疲れが出やすく、
想念があちらこちらに暴走することがあります。これでは本末転倒になってしまいます。
私がお伝えしている実践は、日常生活の中に、概念を超えた静寂と平和がゆっくり浸透していく方向のものです。
必要なときに静かに触れてもらえれば十分です。
どうか無理のないペースで、日常生活と心身の健やかさを第一にされてくださいね♪
381
:
り改め りょうせい
:2025/11/22(土) 18:00:25 ID:7vU1r8f60
>>374
雑談どうぞどうぞ♪
382
:
り改め りょうせい
:2025/11/22(土) 18:06:03 ID:7vU1r8f60
>>376
→まさに。その「訳わかんない感じ」が大事なんです。探求って、「個としての私」が頭で理解するというより、触れているうちに、勝手に直接理解(=腑の底での納得)が起きてしまう領域なんですよ。
直接理解がほんの少しでも起きると、
個の私からするとこうなります。
「え?なんか分かった気がするけど全然わからん!」
「なんか変・・でも悪くない・・不思議!!」
この、わからんけど何かが反応してる感じはかなり良いサインです。
水面下では確実にプロセスが浸透しています。ゆっくりで大丈夫。アスファルトを突き破る芽のようにゆっくりでOK
>勇敢だと言っていただけたことがなぜか私の心に刺さりました。本当に私は何も出来ないな〜と落ち込んでいたので。
→これは気休めでもお世辞でもなく、本当にそうなんです。
もしあなたが友達とRPGゲームを一緒に始めて、相手がいきなり「ハードモード」を選んだらどう思いますか?
「いやあなた・・勇気あるなぁ。大丈夫か?笑」って思うはずです。
そして、ハードモードって確かに敵も強いけど、そのぶん経験値もデカいし、展開も深いんです。あなたが今体験していることもまさにそれです。
何もできてないのではなく、ハードモードで歩いてるから体感が強いだけです。
だから、起きること・人生の流れを「悪者扱い」にする必要は一切なくて、むしろ 飛躍と理解のチャンスが濃縮された道 なんですね。
焦らず、ゆっくり、今のリズムのままで大丈夫ですよ。グッドラック!
383
:
幸せな名無しさん
:2025/11/23(日) 13:26:48 ID:Tjnwg6io0
>>375
大嶋信頼さんの本は20冊くらい読んだことがあります。『催眠ガール』も2冊とも読みました。一番のお気に入りは『無意識さんの力で無敵に生きる』ですね。
384
:
幸せな名無しさん
:2025/11/23(日) 13:37:40 ID:gRYPzmxs0
>>378
370です。
他の方の質問が途切れてるようなので、お聞きします。
純粋意識の気づきがずっと続いてた時に、短時間ながらシフトが起こってます。
一旦世界が消えたあと、世界が再出現した時に意識としての私がありました。
意識としての私は、心の動きを眺めるだけでそれに影響されることなく幸福でした。
はっきり覚えていませんが1分間くらいかな?多分立ち上がって体を動かすうちにエゴに戻ったように思います。
あのようなシフトは自助努力では無理で、気づきの継続がなされた時のどこかのタイミングで起こるんだと思います。
エゴに戻らず安定して意識に留まるようになるには、何度も行ったり来たり繰り返すんでしょうか?
385
:
り改め りょうせい
:2025/11/23(日) 15:49:04 ID:DwQ1vmLc0
>>384
素晴らしい体験です。
たとえば蜘蛛がいるとして(苦手だったらすみません)、
蜘蛛本体を「意識としての私」としましょう。
蜘蛛は糸を出します。その糸が「心」です。
糸の動きが、想念・思考・概念・観念・信念といった心のあらゆる動きです。
そして糸がどんな形になるか、それが潜在意識の中身であり、「世界・世界観」として表現されます。
蜘蛛本体に糸がシュルシュルと巻き戻り、完全に本体だけになったら世界は消えます。
世界観も消えます。
あなたのように直接体験するのが一番話が早いのですが、その状態を言葉で表すなら「私は在る」「・」のようなニュアンスになるでしょう。
ただし、思考よりもさらに微細な認識(気づき)という糸があります。
これは糸の出入口付近の繊細な層です。
そのため「意識─気づき(認識)─存在(在る感覚)」という三位が、ひとつの性質として重なっています。
>意識としての私は、心の動きを眺めるだけで影響されず幸福でした。
→はい、それが存在・意識・気づき・至福・愛・平和などと呼ばれる「それ」の平和・愛・至福の側面です。
影響されないとは、すべてを包み、許し、あるがままにさせている「母体としての立場」にいたということです。
>多分1分くらい。体を動かすうちにエゴに戻ったと思います。行ったり来たりを繰り返しますか?
→結論から言えば 行ったり来たりは普通です。
入口までは努力が起きますが、「努力者の私 → 意識そのものの私」への転換の瞬間はただ起きる非努力・非行為です。
だから恩寵・祝福と呼ばれています。
そして実は、誰でも日常で1〜2秒なら普通に「在る状態」になっています。
静かにボーッとしている時などね。
その自覚がなく、覚えていないだけです。
あなたの場合はそれを自覚的に体験した。それが「私は在る」という立場です。
あなたの1分間は、とても貴重な1分間でした。
「意識そのものの私として在る」これが安定するまで、どれだけ時間をかけようとも、何度も何度もそれ自身から呼ばれることになります。
ここから自然に安定していく方向へプロセスが進んでいきます。参考までに、禅の十牛図(悟りのプロセス)に当てはめると、
・牛を探す
・牛の足跡を見つける
・牛を見る(見性)
このあたりまでは来ています。
ここから先は、行ったり来たりしながら、
やがて「牛を飼いならす段階」へ自然に移行していきます。その過程では、あたかも
意識としての私と、エゴとしての私が
主導権を交替しながら前に出たり下がったりするように感じることがあるかもしれません。
でもこれは争いではありません。
古い私の慣性がふっと顔を出したり、
意識そのものの視座が再び前に出てきたりする、ただの自然な揺れです。
プロセスが進行している時ほど、この揺れが起きます。これは浄化です。
何も間違っていません。むしろ今の流れ良いものです。
ぜひ「私は在る」として在る時間を、
一日のうち1分でも5分でもいいので、日常の中で増やしていってください。それが、もっとも直接的な道です。
386
:
幸せな名無しさん
:2025/11/23(日) 21:36:04 ID:ubWIwmfE0
>>385
蜘蛛は大丈夫です。家の中も外も普通にいっぱいいて、自然好き生き物好きの私は、特に屋内のアシダカグモなんか大切な同居人扱いで見守ってます。笑
世界が消えてる間は、ボーッとする瞬間と同じ感じでしたね。熟睡中と同じで世界が消えてることを知りませんでした。
そこにポンと認識が生じ、心と世界を眺める「意識としての私」を把握した。あの「認識」がある状態、あれが一時的だった訳、あなたの説明と十牛図は参考になります。
ただ十牛図については、その後の更に先のプロセスはアドヴァイタによる解釈とは異なる点があるように思えるし、私に与えられている指針とどのように合致するのか分からず疑問が生じます。
まあ良く分からないので先のことは気にせず「意識としての私」を直接体験し続けることを目下のテーマとして歩んでいこうと思います。
大して重要な質問ではないと思ってましたが、訊いてよかったです。
ありがとうございました。
387
:
幸せな名無しさん
:2025/11/23(日) 21:48:13 ID:5srUCq8I0
専業主婦になりたい
なりたいが叶ってる?
388
:
幸せな名無しさん
:2025/11/23(日) 22:07:06 ID:u8u1zSvU0
主さんは、寝ている時に見る夢、あれをどのような位置付けで捉えていますか?意識ありきで存在する世界という見方では、夢も現実も似たようなものなのでしょうか。
自分は比較的エゴが静かな時に、ふいに夢で見た景色を次々に思い出すことがあります。
このような分野を知り、体感に落とし始めてから、明晰夢を見る機会も増えました。
夢について、よろしければ見解をお聞かせください。
389
:
り改め りょうせい
:2025/11/24(月) 00:45:32 ID:UfUQ97Lg0
>>386
>蜘蛛は大丈夫です
→それは良かった。意識そのものへ移行していくと、好き嫌いとは別の次元で、自然に共通項が成立してくるんですよね。お互いが「存在」という名前の同じところから生まれているから。笑
>世界が消えている間は
→はい。私がしつこくお伝えしたいニュアンスは、「意識そのものの私/気づきそのものの私/存在そのものの私 」は「一度垣間見たら終わり」ではなく、そこから 深まり・深度・徹底 という 大切なプロセスの仕事が始まるということです。大げさに言うなら、ここからが本格的な内なる冒険の本番です。
古来から純粋意識についてはこう言われています。「それを一度見たら終わりではない。何度も会いに行かなくてはならない」
なぜか?
一度や二度の接触では、エゴは納得しないからです。
「私は個であり、身体である」という感覚は、あまりにも根深い。エゴは幻影をつくる、超プロフェッショナルな魔術師です。
車の運転、自転車、仕事、スポーツのように、
意識へのアイデンティティ移行の道にも、
それらよりはるかに長く深く、ゆっくり安定していくプロセスがあります。
くどいけど重要なので、何度でも言います。笑
>ただ十牛図については
>アドヴァイタによる解釈とは異なる点があるように思える
>私に与えられている指針とどのように合致するのか分からず疑問が生じます。
→まさかそこを指摘されるとは思わなかった。笑 あなた、いろいろ学んでますね。笑
確かに、十牛図は「悟り」のプロセス です。
個人が悟り、悟りの境地を深めていくための地図です。
そして私がここで伝えているのも、
純粋意識を知る、そこにとどまる、それを深める。この「純粋意識」という存在を、
まずは集合意識に、世界に、種として、植えている段階です。
なぜそこから始めるのか?
純粋意識こそ、すべての鍵だから です。
「まず悟ってもらう」
体験者が残っていてもいいから、その入口を開く。これが逃げても、断っても、しつこく私の中に起きている意図です。
アドヴァイタの道筋で言えば、
悟り → 全体意識 → すべてを超えていく。
つまり、「私は悟った」というアイデンティティすら超えていく方向です。
それが非二元・超越・絶対、有/無すら超えた領域です。
ここでは当然、その最深部の話は控えています。この話が必要なのは、「私は在る」に安定した者に対してだけです。
禅でも、純粋意識を超える領域を語る人物はごく限られています。(でも、あるっちゃあります)聖書でも「エゴ・身体の死と、最後の復活」とかなり象徴的に控えめに表現されています。
つまり、普通は 見性(小悟)だけでも超絶難しい、一瞥体験すら極めて難しいという、今はそういう時代です。(もちろん一部で例外は起こり得ます)エゴ、概念や想念との同一化、催眠の強さは宇宙の歴史を見れば分かる通り、圧倒的です。
そのため、アドヴァイタでもまずは、
「純粋意識を、″私″として思い出すところから」伝えられています。ここが主流です。
>まあ良く分からないので先のことは気にせず「意識としての私」を直接体験し続けることを目下のテーマとして歩んでいこうと思います。
→そう、それが一番です。
意識に安定することが、本当に大切。
シンプルだけど、非常に奥深く、そして最重要テーマです。
あなたは純粋意識と「たまに会う恋人」ではなく、10分のデートではなく、完全に結婚して、深く結ばれる、一つになる。
その準備段階として10分間の恩寵・祝福が起きたというお知らせです。笑
>大して重要な質問ではないと思ってましたが、訊いてよかったです。ありがとうございました。
→そういうプロセスの方、本人は意外と無自覚なものですが、・・これがどれほど重要なのか。(板のテーマと大きくずれてスレ削除されそうだけど。笑)
何かしらお役に立てたなら幸いです。
またいつでもどうぞ。
390
:
幸せな名無しさん
:2025/11/24(月) 00:51:33 ID:zgiG0TDI0
>>388
横から失礼します
私自身が夜眠くなって寝る過程を観察したところでは、思考が映像化したものが夢だという認識です。
夜、寝る瞬間を捉えようと観察を繰り返しているときのこと。ウトウトして眠くなってきたときに、足元の方で声がしてうるさくて眠れないではないかと思って、意識を向けると自分の声、自分の思考だと気づきます。すると、それは意識の中心に移動してきたかと思うと一体化してしまい拡大し映像化して夢見が始まりました。
昼間に瞑想をしているときに雑念が湧いてきますが、雑念にとらわれて一体化してしまったときに映像化して妄想状態(夢を見ている状態と同じだと感じました)になってしまったことがありました。
391
:
り改め りょうせい
:2025/11/24(月) 01:35:44 ID:UfUQ97Lg0
>>387
願いが叶うかどうかを決めるのは、あなたが追いかける気持ちではなく、その願いが静かに育つ流れがあるかどうかだけです。
その流れがあるときは、抵抗しても逃げても、結局そちらへ運ばれます。
そして、願いの前後に必ずある
「静かに気づいている私」だけは、
叶う・叶わないに関わらずいつも変わりません。そこに一度戻ってから願いを見ると、
自然と今やることも見えてきますよ。
392
:
り改め りょうせい
:2025/11/24(月) 01:39:26 ID:UfUQ97Lg0
>>388
質問ありがとうございます。
>寝ている時の夢をどのように捉えていますか?
→私の立場を率直に言うなら、
夢は一度も起きていない、という位置づけです。
「夢って何?」というより、
「動きとは何かが知られていない」
という方が本質に近いです。
これが真の私であり、真のあなたの立場です。
ただ、これだけでは会話が成立しませんので、
ここからは 個としての視点から夢とは何か?の説明に切り替えます。
>意識ありきの世界という見方では、夢も現実も似たようなものなのでしょうか。
→まったくその通りです。
夢とは、想念、潜在意識、微細な心の動き
これらがそのまま 高速で映像化されたもの です。目覚め後の「現実」も同じ構造ですが、
夢より法則性・継続性を濃く設定してあるだけ で、本質的には、別物ではありません。
夢=短編映画(高速編集)
現実=長編映画(ゆっく〜り展開)
のような感じです。
しかし、どちらの映像も
同じ光=意識が映しているだけです。
映画の尺と演出が違うだけで、
映している光(意識)はまったく同じです。
なので、本当のところは、光だけが実在で
「夢/現実」はただ想念を通して映っている映画にすぎません。
>体感に落ち始めてから明晰夢が増えました。
→はい、それは自然な流れです。
気づきが深まると、夢の中でも「気づいている側」が働きやすくなります。
その結果、明晰夢が増えたり、夢の中でも観照が起きる、「変わらないで気づいている側」が、夢の中に巻き込まれながらも、同時にそれが顔を出す。これらすべてが気づきには深度があるという証拠なんです。
気づきは 「筋力」に似ています。
深まれば深まるほど、夢でも現実でも、
「変わらない側」の自覚が自然に強まり、少しずつ安定していきます。ぜひ、さらにあなたの体感を深めていってください。
393
:
り改め りょうせい
:2025/11/24(月) 01:51:57 ID:UfUQ97Lg0
>>390
大変参考になる、貴重な気づきのシェアありがとうございます。
おっしゃる通りで、思考 → 振動→ そのまま映像化、この流れが夢そのものの正体ですね。
眠気に飲み込まれる瞬間や、
瞑想中に雑念と一体化した瞬間に起きる「映像化」は、まさに心が夢の生成に切り替わる手前の動きです。
その境界をこうして自覚できるのは重要で、
この領域の観察はそのまま「気づき」の深まりと直結しています。
夢と目覚めの境界には、
真理のヒントが本当に多く詰まっていますね。
394
:
幸せな名無しさん
:2025/11/24(月) 02:23:30 ID:DzLCyQ.o0
夢についてのお話は、私もお聞きしてみたいです。昔はよく予知夢を見ていました。
点数を集めると賞品が貰える当たり付きのお菓子が有ったのですが、いつもハズレばかりでした。
ある遠足の時もそのお菓子を持って行こうと用意していたのですが、遠足の前夜に当たり券の夢を見ました。
そして翌日、開封したら初めての当たり1点券、夢で見た物と同じ色・同じ絵・同じデザインで驚きました。
当時はインターネットも無かったし、周りで同じ点数券を集めている人も居なかったし
ハズレしか引いた事のない自分は絶対に知る事のない当たり券がなぜ夢に出現したのか。
ここまではっきりとした予知夢は稀ですが、自分の未来に起こる事を先に夢で見ていた事は何度も有ります。
嬉しいけど少し怖いので「良くない未来の予知夢は見せないで」とお願いしていて
そのお願いは聞いてもらっている感じです。予知夢とは一体何なのでしょうか?
395
:
幸せな名無しさん
:2025/11/24(月) 11:57:35 ID:nGBwHiEo0
>>389
真理に向かう流れに乗ると大小いろいろ繋がりますよね。
中には「え?すごっ、なんか縁ある?」「なんだ何も意味なかったじゃん」なんてこともありますが。笑
結局夢なんでしょうね。意味に囚われるなという教え。笑
>>386
は、384の体験の軽視ではなくて、質問することにそれほど意味を感じてませんでした。
あの体験は結構前のことで1回きり、エゴが暴れた期間が長くて時間を無駄にした感があり、純粋意識に安定するのに何度も行ったり来たりしないとだめなら時間が足りないかなあ、こんなノリで質問しました。
回答もらって、やっぱり先は長いなあと少しため息ついて、焦る気持ちは邪魔だと思った次第です。
板違いの話題で躊躇しつつも進めます。
十牛図はあくまで悟りの段階なんですね。
霊的天才を多く輩出するインドは、本来語れない領域まで敢えて言葉にしてきた。
そんな雰囲気に浸ってきた私は、超越を超越したものを想像してしまう癖があるのか?
無意識に有りもしないものを捉えようと、無駄に足掻いてるかもしれない。
でも、語られないはずの言葉に触れたからこそ畏怖の念を持ったり、「それ」を想うことが起こったのかもしれない。
悟ったとされている方が主催する1週間ほどの坐禅会に参加した時は、今ひとつしっくりきませんでした。
私のグルは、やはり良い意味で超越的です。一体どこに導こうとしてるのか、ほんと分かりませんけど縁があります。
396
:
幸せな名無しさん
:2025/11/24(月) 15:46:04 ID:zgiG0TDI0
>>393
コメントありがとうございます。
寝る瞬間や夢見が始まる瞬間を捉えようとしていたころのことで、もう一つ思い出したことがありましたので、書いてみます。
夜、眠くなって寝る際に、まず身体が眠りました。次に自分が眠くなって眠りました。眠り始めました。でも、起きている誰かがいました。?と思いましたが、そのまま寝ました。
朝目覚めるとき、起きないといけない時間になって、一晩中起きていた誰かがいて、自分を起こしました。次に身体が起きました。
このころしばらく、24時間、起きている存在を感じている時期があり、その起きている存在と一体化してみようとしたところ、一体化できていた期間があり、そのときには夢を見ることがなくなっていたように思います。
397
:
り改め りょうせい
:2025/11/24(月) 20:06:15 ID:fhFt3uFE0
>>394
なるほど、その予知夢の話は普通におもしろいですね。>「当たり券を見たことすらないのに、夢で先に見て、そのまま当たる」
これは確かに、偶然では片付けづらいタイプの現象ですね。
さて、本題。
私はこの世界は(個の私の理解とは関係なく)かなり最適に動いていると表現しています。宗教とかスピとか抜きにして、ただ観察すると分かることが多いんです。
たとえば、
「心臓」は電池もコードもないのに、一生勝手に動き続ける。寝てても、泣いてても、落ち込んでても止まらない。「自分が操作してる」と言える人はいませんよね。非常に摩訶不思議。
DNAもそう。
私は専門家ではないけど、調べると細胞は とんでもなく長い設計図(DNA)を、ほぼミスなくコピーしているらしいのです。
コンピューターでも真似できない精度だと言われています。ここにも完璧すぎる仕組みが働いている。
赤ちゃんもそう。受精卵1つが、心臓・脳・目・骨・・誰に教わるでもなく、勝手に作り始める。「体の中で何かが知ってる」としか言いようがない動きです。
地球と太陽の距離も絶妙。少しズレたら生命は存在できない。偶然で説明するには、無理があるバランスです。
こういう例を、これ以外にも沢山見ていくと、
この世界を動かしている背景の力は、
「時間や場所の制限を超えた叡智そのもの」と考えた方が、自然だと思いませんか?
じゃあ、予知夢はなぜ起きるのか?
理由はシンプルで、その背景の力はもともと「時間を超えているから」です。
私たちの心は「過去 → 現在 → 未来」と見ていますが、本当はその3つは同時に並んでいるようなものです。
時間に区切りをつけているのは「心側」であって、背景のほうにはその区切りがありません。
だから、未来の断片が、夢に「先に」映る
という現象は普通に起こり得ます。
これは夢に限らず人によっては日常の中でもあります。これは能力というより、心が素直で透明なときにだけ起きやすい自然な現象。
なので、幼少期に不思議体験が多いと言われるのもこの理由です。
そして、あなたの「悪い未来は見せないでほしい」が通る理由も同じです。
背景の力は、その人の成長に必要のない恐怖は決して見せません。
言い換えると、必要な浄化しか恩寵は起こしません。恐怖や疑念などの固さは、探求の邪魔になるだけだからです。だから怖がる必要はまったくありませんよ。
結局、予知夢ってのは、未来を当てているのではなく、時間を超えて流れている「情報の断片」が夢という形でふっと、漏れただけです。
悪い未来は、基本見せる必要がないので出ない。そして、それは怖がらせるための現象でも、占いごっこのようなものでもなく、
「時間に対する固定観念を溶かすため」の
恩寵からのゆる〜いヒントのようなもの。
そういうニュアンスで受け取ると一番しっくり来ると私は思います。
398
:
り改め りょうせい
:2025/11/24(月) 20:08:33 ID:fhFt3uFE0
>>395
>真理に向かう流れに乗ると〜
意味に囚われるなという教え。笑
→繋がりますよね。笑 なんていうか、私の場合も、その時その時の深まり具合によって、ふさわしいガイド(グル含む)が必ず現れていました。あとから振り返るとですが。
「意味なかったじゃん」というパターンも、実はかなり大事で、最後にはすべての二元を超えていかねばならないので、そういう無意味に見える出来事にもちゃんと役割があります。
夢の中の現れにも大きく2方向あります。
1.夢の囚われを強める方向
2.夢の囚われから目覚めさせる方向
結局夢だけど、「夢の中の目覚め」を促す現れは素直に活用すべきですね。
>焦る気持ちは邪魔だと思った次第です。
→なるほど、焦る感じはよく分かります。
ただね、
「エゴが暴れた期間が無駄に思える」
「安定までに時間が足りなさそう」
こう感じること自体が、実はかなり重要なんですよ。
これは純粋意識で在る、を理解している段階の人にだけ言う話ですが、本当に必要なのは、
・純粋意識を得ること
・そこに到達すること
・そこに居続けようとすること
ではなく、「私はまだそれではない」「私はエゴだ」という疑い(妄想エネルギー)が自然と抜けていくことだけなんです。その疑いが癖として上がって来てるだけなんですよ。
だから大事なのは、純粋意識にとどまる努力を続けること。これは言い換えると、
「すでにあなたは純粋意識であり、それではなかったことは一度もない」だから、他の選択肢が本当は存在しない。
だからこそ、エゴと戦うことの不毛さ、ナンセンスさを徹底的に腑に落とす必要がある。
それだけなんです。シンプルでしょ?
>十牛図は悟りの段階なんですね。
→そう。けど、最後に「牛も自己も消失する」という部分は、アドヴァイタ含め他の伝統とも結構共通しています。表現は違えど、指し示している究極地点は同じです。
>インドは語れない領域を言葉にしてきた〜
→まさにその通り。インドは文化的にも「超越」を表現しやすい土地柄がありました。
今はどうか知らないけど。また、日本もそこまで悪い国じゃないですよ。静けさに敏感な人が多い土地なので。
>超越を超越した何かを妄想して足掻いてるのかもしれない。
→それでもいいんですよ。「それ」に惹かれた者だけが探求スイッチ入りますから。語られないはずのものに惹かれたという時点で縁があります。
>悟った人の坐禅会に行ってもしっくりこなかった。
→私も同じです。「悟ったとされる人」のところにいろいろ行きましたけど、
「なんか違う」「うーん・・」これは普通にありました。その中で、だんだんと霊性的な見抜く目が育ってきた感覚はあります。
>私のグルは良い意味で超越的。どこに導こうとしてるのか分からない。
→その種類の縁は明確にあります。
そのレベルのグルは、もはや 「人であって人じゃない」んですよ。段階的な教えより、ただ″直接性″で伝えてきます。実際起きていることの本質は、言語的なやり取りじゃなくて、
・ただ伝わる
・ただ理解が落ちる
・一緒にいるだけで浸透する
そんな領域です。エゴの隙を出し抜くには″直接性″しかないんです。これは、ただ焚き火のそばに座っているだけで、火の温度がそのまま身体に移るようなものです。
超越そのもののグルは、言葉より先に 「存在そのもの」がまた、「超越のそれ」が伝わってしまうんです。なぜなら、形になる前のこの世界は、固定したものではなく「流れ」「響き」として立ち上がっているからです。だから超越そのもののグルは、言葉より先に響きそのものを伝えてしまうんです。
399
:
り改め りょうせい
:2025/11/24(月) 20:47:20 ID:fhFt3uFE0
>>396
こちらこそ。それ、まさに「核心の入口」です。
あなたが書かれていた 「起きている誰か」という存在、あれはそのまま言えば純粋意識そのものに直で触れた瞬間の記録です。いい線いってますよ。
そして「一体化した」と表現されていますが、実際にはそうではなく、
身体・思考・感情・呼吸・五感・外界
あなたの中で起きている全部が、もともと 自動運転で流れているだけという事実を見抜いた状態なんです。
外側の現象も、心も、思考も、感情も、
あなたが動かしているわけではなく、
前で勝手に流れているだけ。そこにあなたの気づきが向いた。そしてあなたが感じていた、
「24時間起きていた存在」
「夢が消えたような静けさ」
これはまさに、生まれてから一度も眠らない
背景の気づき(純粋意識)が前面に出ていたときの典型的な特徴なんですよ。
構造にするとこうなります。
・個人の私 →眠る/起きる/夢を見る
・純粋意識 →眠らない・消えない・常に在る・常に気づいている
あなたが触れたのは後者です。
だから、夢(=心の映像活動)が薄くなったり消えたりした。背景の静けさが強く前に出ると、映像のほうが自然に消えるから。
※ただし「夢を見ないことを目指す」必要は全くありません。自然にそうなる時期がある、というだけ。
そしてここが一番大事。
心・思考・感情・呼吸・身体・五感・周りの現象。これ全部が 「自分の意志で動いているわけではなく、自然発生しているだけ」
と見抜かれ始めると、純粋意識との距離が一気に縮まります。
(実際には距離なんてないんだけど、体感的にはね)
あなたの今の体験は、純粋意識を自分自身のこととして思い出し始めた時に自然と起きる現れ
そのままです。なので、その方向性でそのまま進んでいってOKです。
400
:
幸せな名無しさん
:2025/11/24(月) 22:10:16 ID:yR.4D0c.0
りょうせいさん
こんばんは。
教えていただきたいことがあります。
真理の観点から見て、カルマの法則とはどういったものなのでしょうか?
401
:
幸せな名無しさん
:2025/11/24(月) 23:12:48 ID:k7JpUivs0
大変興味深くスレを拝読しております
最終的にはあらゆる二元論を越えていかなければならないとのことで気になったのですが、
明らかにこれはおかしいだろとエゴ視点で感じることに一定の勢力で擁護論が巻き起こる(兵庫県知事の件が良い例)ことも、そこに導くための過程として現れているのでしょうか
402
:
幸せな名無しさん
:2025/11/25(火) 21:56:01 ID:1rtETg6k0
個人的に色々と試行錯誤した感想。
全て手に入れていると全て失うは同じ。
世界=自分なのに、予想外のことが起こって嬉しいは意味が分からない。
全て完璧ならば何が起こっても完璧なのだから感情の起伏が起こるはずがない。
常時穏やかな気持ちは分かるが、常時ハイなのは無理。幸不幸というのは期待と現実のギャップでしかないから。1000円払って2000円の価値が得られれば幸、1000円払って100円の価値しか得られなければ不幸。何にも期待しない=全てある=全てない状態であれば穏やかで生きれるが、常時ハイは常に現実が理想を超えて居なければ無理。だが、世界=自分ならば、現実=理想なので、事象が起こるのは必然であり、そこに感情が乗るのは矛盾する。1000円払って1000円の価値が得られた時は何の感情もない。起きて当たり前なのだから。そこで感情が顕になる時点で達人ではないしたまたまであり、世界=自分ではない証明。むしろ全て完璧だと思っていたらが上手くいかないことがあった時に不幸になる。ならば、最初から上手くいかないと思っていた方が楽。
全て手に入るという確信があれば感情の起伏など有り得ない。そしてそこに幸福もない。
全ての物が瞬時に手に入るのであれば理想=現実なのでギャップがなく、幸福もない。
=全て手に入れてない状態と精神的には同じ。つまらない、退屈。
だから人間は縛りプレイを自分に課して、達成感を味わおうとする。達成ではなく達成感。
だが結局手に入れても満足せずに、欲望は果てしない。
その縛りプレイから脱却した結果、全ては無価値でありゴミが結論。
403
:
幸せな名無しさん
:2025/11/25(火) 22:10:40 ID:WGB29L4M0
>>398
最近はジェットコースターのように気分の浮き沈みが激しい。思考もエゴ視点が前に出たり真理視点が前に出たり目まぐるしい。
エゴ視点が強い時に話を聞くと修正されるので有り難いと思っています。
「時間を無駄にした、時間が限られてて焦る」この思考を、<純粋意識><意識としての私>を思い出して眺めてみました。
エゴがエゴと闘ってるのに、その上エゴが純粋意識のふりをするとか、エゴの暴走じゃないかと思いますが敢えて続けます。(またしても闘ってますね)
「私は幸せだなあ。ん?そんな思考が出てきたか。心が勝手に何か言ってる。まあ、そのうち消えるね」
「いろいろ感情が出てきてるな。私は関係ないけどね」
こんなふうに見える。
エゴがこれを聞いたとしたら「そんなこと言われてもこの世界では現実で大変なんだ!」と言って反発する。
純粋意識はどっしりと余裕で「うん、うん、抵抗したいだけしなさい」みたいに見てる。
私は人生通して疲れ気味でした。きっと過去の人生でも長くエゴと闘ってたんでしょう。
>日本もそこまで悪い国じゃないですよ。静けさに敏感な人が多い土地なので。
それは思います。静かに内に向かうのに適した場所だと思います。インドはカオス過ぎて落ち着きがない。笑
グルについては仰る通りで、人間視点での段階を踏まえた懇切丁寧な優しい指導なんかではないです。
予測不能、言葉でなく体験でエゴを揺さぶる。深い啓示を直接体験で与えてくれるけどエゴの間隙を突いてしか来ない。
こんなだから決して生易しいものではない。でも不思議がいっぱいでワクワクする。
楽しくもあるけど、忍耐や識別力がないと付いて行けないですね。
404
:
幸せな名無しさん
:2025/11/26(水) 03:30:32 ID:f4.yBxtM0
人生とは実在が実在であること忘れる "遊び・幻想・映画・楽しみ"ですか
405
:
幸せな名無しさん
:2025/11/26(水) 14:43:50 ID:7.pT/oCk0
この前草彅剛主演の舞台、ヘルマンヘッセ作のシッダールタを観てきました。完全に悟りについての話でした。草彅さんも舞台についてのインタビューで言っていましたが悟ってるっぽいですね。
雑談失礼しました!
406
:
り改め りょうせい
:2025/11/26(水) 15:47:08 ID:qGOuOf2U0
>>400
こんにちは。カルマの話は、段階によって説明が変わる分野でかなり複雑な層に根を張っている概念なので、ここでは詳しい解説は避けできるだけシンプルに答えますね。
私はよく「世界は夢のようなもの」と言います。
なぜなら、その前提そのものが「解放」に繋がるからです。本来の私たちに深刻さや、束縛は相応しくないからです。
ただし、この夢の世界は無秩序なカオスではなく、ちゃんとバランスの法則が働いています。夢だからといって、エゴ中心に無秩序にやりたい放題やるとやはりブーメラン現象はあります。
そこは同時に捉えていく必要がありますね。
そして、そのひとつがカルマの法則。
ごくシンプルに言えば、
「蒔いた種が、そのまま夢の展開に反映される」ってこと。
なぜか?夢全体は心でもあり、潜在意識でもあり、潜在的傾向でもあり、すべてが私である意識そのものだからです。
だからこそ、本当の願望の種を蒔くことが遠回りを避けるうえでも、効率の面からいっても大切になります。
RPGゲームでいうと、
あなたがRPGの中に入っているとしましょう。
その世界の中で、
・優しくすれば好感度が上がる
・意地悪をすれば敵が増える
これはゲーム内の「内部ルール」としても法則的に成立します。
しかし、コントローラーを握っている本当のあなたには、一切の影響は起きません。
この世界のカルマに関してもまったく同じです。
現象世界ではカルマ・因果が成り立っています。
だから、3分しか筋トレしない人と、3年続けた人では、当然まったく違う結果になります。
あと、たとえば、YouTubeやTikTokのアルゴリズムで言えばこう。夢の世界の動きは、YouTubeやTikTokの「おすすめ欄」にもよく似ています。心が何に反応したか、何を見続けたか、どんな感情が動いたか。この「心のログ」がそのまま現実の現象に反映されます。
これは潜在意識的な話からでもわかりやすいかと思います。
ただし重要なのは、動画を見ている視聴者そのものは傷つかないし変化しない。
意識である私は「コントローラを握ってる私/視聴者の私」これらと比べて、完全に姿も形もありませし、思考も感情も超えていますが、
立場構造としては同じなんです。
それと、カルマ浄化について。
「瞑想・ワーク・祈り・マントラ・感情解放など」のカルマ浄化は、この相対世界では実際に効果があります。重いパターンが薄まったり、反応が柔らかくなったり、引き寄せる現象も変わる。
心=世界なので、心を癒すアプローチ、これらを否定する必要はまったくありません。夢の中ではちゃんと機能するルールだからです。
あなたの問う >真理の観点では?
真理の立場から見ると、
・カルマ
・カルマの浄化
・カルマを背負う主人公(個人)
これら全部、夢側で自然発生している運動にすぎません。別の言葉にすると、夢を映している本当のあなた(純粋意識)は、
カルマの影響を一切受けていません。
なぜなら、一度も動いたことも変化したこともないからです。ゲーム内でイベントがどう変わろうと、ストーリーが変化しようが、敵にやられようが、仲間が減ろうが増えようが、コントローラーを持っているあなたは影響的には無関係・無傷ですよね。同じです。
想像してください、子どもが悪夢を見て泣いて起きたら、母親はこう言います。
「それは本当に起きていないから、怖がらなくていいよ。もう大丈夫。よしよし」
カルマとは、まさにその夢の中の一つの法則的な概念なんです。
407
:
り改め りょうせい
:2025/11/26(水) 15:57:06 ID:qGOuOf2U0
>>401
ありがとうございます。それは何よりです。
そして結論から言えば、YES、その通りです。
ただしこれから書くことは、あくまで私個人のいち意見としてライトな感覚で読んでください。
探求に入った人なら誰でも、ある時期から似た流れを通ります。
まず、この世界の奥に「帰るべき何か」「本当の核心」が確かに存在するという予感が生まれる。同時に、この世界そのものが完全にはできていないという微妙な感覚が滲み出てきます。
ただ、この不完全さをエゴに真正面からぶつけると、ショックが強すぎて耐えられない人も多い。だから恩寵(真理と個をつなぐ流れ)は、いきなり直球を投げません。
まずは「あれ?なんか変じゃないか?」という軽い違和感として世界を少しずつほぐしていく。
ゆっくり、でも確実に、目覚めの方向へ誘導するわけです。
そして今、集合意識レベルではここ数年で
「世界の不完全さの暴露」が一気に噴き出しました。政治、社会、教育、メディア、人間関係・・どこを見ても隠しきれないズレが露出している。
現代の若い世代はじつはこれを敏感に感じ取っています。エゴの限界、世界の壊れ方、外側への不信感。それらを漠然と理解しています。
しかし宗教にも決定的な答えはない。
哲学・スピリチュアル・量子論も、結局は思考の枠から出ない。恋愛や富にも永遠はなく、寿命の法則にも逆らえない。つまり外側には「確かな拠り所」がほとんど残っていない。そこに追い打ちをかけるように、SNSは情報だけを増やして、分離と混乱を加速させる。
では一体なぜこんな状況になっているのでしょうか?
理由はシンプルです。
世界そのものが「自己誤認の夢」だからです。
自分が誰なのかを誤解したまま動く夢は、
必ずどこかで歪みを露出します。
では、その裏で何が起きているのか?
表向きは絶望のようでも、内部では
「目覚めを加速させるための下準備」が静かに進んでいます。人はやがて、どうしようもなく背中を押されて「気づき側」に向かわざるをえなくなる。信じる必要はありませんが、これは非常に自然な流れです。
言い換えればこうです。
「楽しい夢なら、そのまま夢だと気づかず楽しめる。でも、不完全な夢(=悪夢)が続くと、人は自然と目覚めようとする」
この仕組みは驚くほどシンプルで、驚くほどよくできています。
歴代の覚醒の波も、実はすべてこのパターンです。大きな覚醒が起こる直前には必ず、世界の不完全さの露出が起きています。
だから、あなたが挙げたような
「これはさすがにおかしい」という出来事に対してなぜか擁護が湧く、奇妙な現象。
あれも世界そのものの夢構造と目覚めの準備と考えれば、ある意味で自然な動きなんです。
408
:
り改め りょうせい
:2025/11/26(水) 16:00:40 ID:qGOuOf2U0
>>402
コメント読みました。
あなたの書いていることは、個の私(心と身体)を自分の中心に置いた視点の中では、たしかに筋が通っています。
ただ、ズレが起きているのは論理そのものではなく、「その前提として置いているレイヤー」のほうです。その点だけ整理して返します。
1.「世界=自分」は「肉体の私」の話ではありません。あなたの文章はすべて、
・得た/失った
・理想/現実
・価値がある/ない
・幸/不幸
・期待とギャップ
といった 「個人の心理構造」を基盤にした結論です。
でも「世界=自分」という地点は、
そもそも その個人の心理が成立する前の立場 の話です。そこには、
・得る
・失う
・退屈
・幸・不幸
・ギャップ
こういった個人の物語を成立させる土台がありません。だから、その構造を持ち込む限り、どれほど頭が良くても矛盾が必ず出ます。
2.感情が動くのはキャラ側であって主体ではありません。
あなたは、「世界=自分なら感情が動くのは矛盾」と言っていますが、これは映画の主人公の反応を、観客の反応と混同しているのと同じです。
・感情が動くのはキャラ側
・見ている側(主体)は動かない
矛盾が生まれているのは、キャラの反応を「自分そのもの」だと思い込んだまま、主体の話をしているからです。
3.「全部ゴミ」「全部無価値」は崩壊の入口で出る声。
あなたの言う、全部無価値、全部ゴミ、退屈、何も意味がない。これは 真理の結論 ではありません。
これはむしろ、「個」が支えられなくなったときにマインドが必ず言う、崩壊手前のサインです。多くの探求者が一度は通る場所で、終点ではなく入口です。
あなたのロジックは否定しません(ただ、レイヤーが違うだけです)
あなたが語っているのは、「個の私が世界をどう捉えているか」という心理の吐露。
私が語っているのは、「個も世界も映している側(意識)の話」
この二つを混ぜて議論すれば、
矛盾が出るのは当然です。レイヤーを分ければ自然に収まります。
つまり、あなたが今語っているのは、
「世界そのものがどう見えるか」ではなく、
それを見ている主体をまだ個人だと思っている地点の表現なんです。
そこが消化され、整えば、あなたの中で矛盾は自然に溶けて、プロセスが静かに深まっていくと思います。
409
:
り改め りょうせい
:2025/11/26(水) 16:04:05 ID:qGOuOf2U0
>>403
はい。雲の間から太陽が顔を出し、地上のたくさんのエゴたちが持っていた「私」というアイデンティティが、太陽(真の主体)のほうへ吸収・回収されていく。
あなたの中の「エゴたち・私としての想念たち」からすれば、まさに世界の終わり・終末です。しかし実際には、ただ催眠が解け、現実に戻っているだけです。本来回帰です。
だから「ジェットコースターのように浮き沈みが激しい」「目まぐるしい」これは当然で、むしろ気づきに主体が確立してきている証拠です。
>「時間を無駄にした、時間が限られていて焦る」この思考を、<純粋意識><意識としての私>を思い出して眺めてみました〜
純粋意識はどっしりと余裕で「うん、うん、抵抗したいだけしなさい」みたいに見てる。
私は人生通して疲れ気味でした。きっと過去の人生でも長くエゴと闘っていたんでしょう。
→私の返信も、ちょっと恐ろしい雰囲気の表現が続いてきたので、笑 ここは少し明るめに。
まず、純粋意識を知り、そこに深まった分、そしてエゴとの同一化を回収した分のデータは絶対に消えません。ゲームでいえば、真理探求・霊性探求で培われた叡智や経験値は、確実に引き継がれる。だから
「時間を無駄にした」「時間が足りない」と焦る必要は(本当の意味では)ありません。
あなたは「実際には一度も探求をしたことはない」からです。
本当のあなたは過去も今も未来も、場所も、
すべてを超えています。
>こんなだから決して生易しいものではない。でも不思議がいっぱいでワクワクする。
楽しくもあるけど、忍耐や識別力がないと付いて行けないですね。
→まさにそうですね。どんな表現でも状況により正しく当てはまると思います。
起きていること、起きてきたことには本当に無駄がありません。恐れる必要はまったくない。
ただ同時に、油断するとすぐに眠ってしまうのも事実です。
だから、あらゆる敵に囲まれた子ライオンを命がけで守る親ライオンのような集中、
そして幻想たちを切り裂く不動明王のような爆発的な熱(=忍耐・識別力)も必要です。
探求は優しい側面もあるけど、同時に鋭く、容赦のない側面もある。
その両方をあなたはちゃんと通っている最中です。
410
:
り改め りょうせい
:2025/11/26(水) 16:16:13 ID:qGOuOf2U0
>>404
たしかに、昔からよく使われる表現ですね。
ただ私は、その明るい側面だけを切り取った説明にはあまり賛成していません。笑
理由は単純で、意識の内容物には光と影が同時に存在しているからです。
光だけで語れば偏りになるし、影だけを強調すればただの悲観になる。
どちらか一方では、どうしても真実からズレてしまいます。少し整理して言うと、
光(意識側)
・存在そのものの愛
・自己への愛
・創造の喜び
・境界のない自由さ
・変わらない静けさ
これらは、確かに 遊び・映画・夢という表現と相性がいい。でも同時に、
影(個・世界側)
・分離
・変化
・喪失
・痛み
・誤解
・物語の重さ
・生命の新陳代謝としての「苦」
これらも同じひとつの運動として必ずセットで現れます。そして一番重要なのは、光と影は別の二つではなく、同じ流れの両極だということ。
「人生は遊びです」「映画です」「幻想です」
と光だけで語れば、影の中で苦しんでいる人を切り捨ててしまう。逆に、「人生は苦です」「修行です」「地獄です」と影だけで語れば、光の意味を見誤る。
だから私は、どちらか一方に寄った表現は意図的に避けています。
人生にはたしかに 遊び・映画・幻想の側面がある。でも同時に、
痛み・喪失・変化・緊張の側面も、まったく同じ重さで存在します。両方をしっかり見ていると、光と影を分けていた「主体」そのものが、だんだん消えていきます。
その地点に立つと、遊びと言っても違う、
苦と言っても違う、どちらにも収まらないクリアな本質がある。
だから「それ」は、語るより沈黙のほうが近くなります。それで在ればもう言葉はいらないからです。
だから最後は、語るより沈黙のほうが本質に近くなっていきます。
そこに在るだけで足りてしまうので、もう言葉は必要ないんです。
「みなさん、少し静かにお茶でも飲みましょう」ふと耳を澄ませると遠くの方で、ひと息つくように小さな鳥が鳴く。
ピヨピヨ、と。
ただ、それだけで世界が十分に満ちてしまう。
これは比喩ですが、まるで、そんな感じです。統合された立場というのは、そういう地点です。
なので私は、どちらかだけの表現は誤解されるので、なるべく使いません。
(もちろん、たまに偏る時もありますが、そのときは不思議とブレーキが入りますね・・)
つまり、光と影は、ひとつの同じ運動です。
そんなお話でした。
411
:
り改め りょうせい
:2025/11/26(水) 16:18:32 ID:qGOuOf2U0
>>405
雑談どうぞどうぞ。
おーいいですね。
舞台や映画は見ていませんが、ヘルマンヘッセの小説は私も昔読んで感動しました。
シッダールタ、あとはデミアンとか?
ヘッセは後期から悟りや真理に関する媒体役としてそういった傾向の作品が沢山ありますねー。
412
:
幸せな名無しさん
:2025/11/26(水) 18:17:59 ID:E9Aj3Vrg0
>>406
りょうせいさん、返信ありがとうございました。
わかったようなわかってないような‥汗
子どもの頃よく母に、自分が行動で行った良いこと悪いことは必ず自分にかえってくると教え込まれました。
でも、まず良い悪いみたいな善悪はないんじゃないかと思うようになりました。
悪いと思えるようなことをしてる人はたくさんいます。でもそれでも幸せそうに生きている人もいます。
したら自分が与えた波動(エネルギー)がそのまま自分に返ってくるのか?
心からやりたくて(あり得ませんが)、楽しみながら悪行をはたらいても、エネルギーがワクワクなら返ってくるものもワクワクなのか?
いつもここで引っかかってしまいます(^^;;
413
:
幸せな名無しさん
:2025/11/26(水) 20:01:45 ID:f4.yBxtM0
結局の所りょうせいさんのようになるには何をしたらいいんでしょうか
414
:
幸せな名無しさん
:2025/11/26(水) 20:53:21 ID:Z4few98g0
>>409
「本当の私は探求などしたこともない」本当はそうなんですけどね。汗
悟りとは本来極めてシンプルなこと。
この感覚は始めからあって、ただ心を全部投げ出して「それ」に委ねて静かにすればいいよなと、
やってみたけど全然だめ。なんでだ!と喚くしかなかった。
結局、探求などしてない「意識としての私」を発見するまでに10数年かかった。
そして見つけたのになぜか失う。しかも、まだまだ先がある。(真理視点では世界が見せるトリックですけど…)
時間に縛られてるのは現象として事実で、夢の中のゲーム、リーラだからと自分を納得させる。
この人生では無理でも、いつかストンと落ちて決着するのは既定路線だからと自分を納得させる。
でも正直言って、もう終わりにして欲しいんですよね。完全無知の状態からやり直しなんか、もう勘弁してほしい。祈るしかない心境です。
415
:
幸せな名無しさん
:2025/11/27(木) 00:14:26 ID:WjNOd.bo0
>>380
有難う御座います、落ち着きました。大きな私に癒される方法として昨日思いついたのが
以前観ていた妖怪ウォッチのアニメにヒントを得て(御存知無かったら御免なさい)
大きな私→コマ母ちゃん 個の私→コマさん のイメージで
大きなお母ちゃん私に、小さなコマさんの私が、ペタッとくっついて幸福感を感じる
そんな感じで癒されておりました。
(これは過日パニック発作の時、大きな私に助けられた時のイメージと少し似ています。)
お母さんみたいな大きな私と、個(子)の私が公園で遊ぶイメージもしてみました。
母私は、子私が、砂遊びをしていてもブランコに乗っていても、ニコニコ笑顔で見守ってくれている。
転んでも、泣いても、怒っても、笑っても、そのまま眠ってしまっても、見守ってる。大きな安心感。
そして、大きな私には輪郭が無いので、世界全体が大きな私かもしれないと思いました。
個の私には体という輪郭が有るので融合出来ないけど、意識だけなら融合出来るような気がしました。
その方法については未だ解っていませんが、ゆっくり実践を続けて行きたいと思います。
などと思っていたら大きな私が個の私を抱きしめに来てくれました。あれ?輪郭が有るような。
イメージだから解りやすいように輪郭を作ってくれているのかも?笑
416
:
幸せな名無しさん
:2025/11/27(木) 01:13:42 ID:3DwlfONU0
>>407
ご回答どうもありがとうございます
「あらゆる二元論を手放せるように導かれている」という観点で世の中の動きを俯瞰してみると、その精巧さに畏怖の念を抱くばかりです
それと同時に「二元論が消えたら俗物的な楽しみが無くなるじゃないか!」とエゴの抵抗もありますが(笑)
417
:
幸せな名無しさん
:2025/11/27(木) 01:25:32 ID:WjNOd.bo0
>>383
初期の本も含めて20冊も読まれたなんて凄いです!
私はブログを読む方がメインで、本は7冊位です。
418
:
幸せな名無しさん
:2025/11/27(木) 14:28:16 ID:DZj0YiJk0
あるのか。二元論を超えた幸せが。
エゴの想像もつかない幸せがあるというのか。
419
:
幸せな名無しさん
:2025/11/27(木) 14:51:23 ID:C2qv1U2Q0
>>412
りょうせいさんではありませんが、気、エネルギーの専門家としての意見を言わせてもらえば
人の本質、生存や幸福、に反する行いは邪気、負のエネルギーを発生させます
巡り巡ってといいますが、悪行を行う人間の気はめちゃくちゃ悪いです
巡ってる訳じゃなく自分で発生させてる、タレントなど多くの支持者がいてもそういう人はいます
そして気というものは必ず消費されるのでどこかで消費され何か結果が起きます
死に逃げした所で消える事はないと思います
どんなにワクワクしようと本人が幸せでも良いと思っていても人に好かれていても無駄です
その判断はその人の魂、本質、ハイヤーセルフ、真我、呼び方は何でもいいですがそういう上位自己が判断します
そしてそれは必ず「その人にもわかるように」なっています
仏教はカルマをとてもシステマチックに解説しています
阿頼耶識(潜在意識)に撒かれた種子(意識、行動)は必ず良いも悪いも芽吹いて実を為す
自分の蒔いた種は自分で刈らねばならないという奴です
この言葉の出典は聖書らしいのですが、仏教もまんま同じ事を言っています
あらゆる行いには結果が発生します
りょうせいさんじゃないので不要なレスだったら申し訳ない
420
:
幸せな名無しさん
:2025/11/27(木) 19:56:58 ID:fXN9tIg20
>>419
ご回答ありがとうございました。
専門家の方から教えていただけるのは大変ありがたいです。
どんなにワクワクしようと本人が幸せでも良いと思っていても人に好かれていても無駄です
↑この部分とてもすっきりしました。
この世に(いるかどうかはわかりませんが)本当の悪行を働いている存在たちがいるとしたら、なぜそれがうまくいくのか、そしてまた続けられるのかが不思議でありました。
また色々教えてください。
ありがとうございました(^^)
421
:
幸せな名無しさん
:2025/11/27(木) 23:25:29 ID:.l17reJ.0
414です。カルマの話が続いているので私も加えてください。
スレ主さんの言うとおりで、様々な階層があり単純ではないので、善行悪行における因果応報という点に絞って説明してみます。
まず大前提として、
世界は認識から離れては存在し得ません。認識があって始めて心=世界があると見えます。
次に、この現象世界は、生じ回帰していく定めです。二元を超えたものへの回帰です。
世界と個人を説明する時に、大海と波としてよく例えられます。
波は心の動きです。波は決して定まることなくうねり続けます。どこかに境界があるわけでもありません。
それにも関わらず私達はある特定の範囲で起こる波に自己同一化します。これが個人、エゴ、一人の私という感覚です。
波は生じ消えるを繰り返します。心は静まったり活発に動いたりします。
仮にこの大海の波が全て完全に静まったらどうか?
平安そのものですよね?全ての生命が帰ることを望む、本当の幸福の源が確かにあるのです。
波への自己同一化が解消されればそれが見つかります。
さて、世界創造が起こり源へ回帰していくという有り難く嬉しい定めの下の法則(心の動きの決まり事)があります。
例えば、むしゃくしゃするという理由でウサを晴らすために誰かを殴ったとします。
これでスッキリしたと感じたなら満たされます。この満たされた思いを味わい続けたいと願う。これが欲望の本質です。
同じ満足を味わうには満たされない思いをする必要がある。不足、つまり苦しみです。
殴られる苦しみを得なければ殴ることの快感は得られない。
逆に良いことをして喜んでもらったとします。喜んでもらえたのが嬉しかったら同じことを繰り返します。そこで喜んでもらえない体験がどこかで起こります。
見返りを期待していたなら、失った気持ちがあるということなので、どこかで得する体験をします。
したことが返ってくるというより、心の動きが現象として現れている。
ただし、心の動きは自己完結しなくて、他の誰かの心との相互作用、連鎖反応であって複雑に絡み合っています。
波は何処かへ動いていき、別の波と融合したりぶつかり合ったり、そしてどこからかやって来る。
だから、いつ、どこで、何を体験することになるか本当にわからない。
わからないので個人は体験の一つ一つの理由を注意深く観察する必要に迫られる。それはもう不可能に近い大変な作業になります。
この理由でカルマの法則が当てはまらないと思えることが多い。
ということで、このカルマの法則があるおかげで、ひたすら苦楽を繰り返す訳のわからない一見不条理に見える人生に疑いを持ち、本当の幸福があったことを思い出して、そこに帰ることを願うようになるのです。
ここで別の疑問。何かの拍子に無私の行動が起こった時は?
謎です。笑
私の個人的な体験としては源から不思議な何か(恩寵)が流れ込んできます。
この話は真理探求に興味のあるひと向けです。苦楽の世界で学び生きることに充実を感じる人もいて、歩んでいる段階が異なります。
しっくりこない人はスルーでお願いします。
422
:
り改め りょうせい
:2025/11/28(金) 02:09:52 ID:XcRiBmjM0
>>412
どういたしまして♪
>子どもの頃よく母に、自分が行動で行った良いこと悪いことは必ず自分にかえってくると教え込まれました。
でも、まず良い悪いみたいな善悪はないんじゃないかと思うようになりました。
→ それは素晴らしい教訓ですね。
ただ「良い/悪い」は人間がつけたラベルで、
時代や文化でいくらでも変わります。
だからその基準だけを使い続けると、逆に迷いも生まれます。あなたが感じている
>「出したエネルギーが返ってくるのでは?」
このほうが本質にずっと近いですよ。
この世界はすべて「循環」でできています。
・出す → 返る
・与える → 戻る
・動く → 巡る
お金も、人間関係も、食物連鎖も、性も、
そして思考や感情すらも循環で動いています。
カルマというのは、その内側の循環がそのまま外側の現実に写って返る仕組みのことです
>悪いことしてても幸せそうな人がいる理由は?
→ 短期ではそう見えることがあります。
ただ、長期スパンでは必ず出したエネルギーは回収されます。
これはたとえば、「地球の自転だけを見るか、公転まで見るか」〜の違いに似ています。
地球は1日で一周するから、短期だけ見れば「ぐるぐる回ってるだけ」に見える。でも実際は、1年かけて太陽の周りをゆっくり回っている。自転だけ見ていると本当の動きがわからない。公転まで視野に入れてはじめて、
「地球ってこういう軌道で生きてるんだ」とわかります。
カルマも同じです。短期(=自転)だけを見ると「悪いことしてるのに、なんか楽しそう」という現象が起きます。
でも、長期の軌道(=公転)まで見ると、
出したエネルギーは必ず本人に戻ってきます。
※ただし、お伝えしたいのは、
「個の私」がカルマを
完全に理解しよう・把握しようとする必要は全くありません。
・半分は「まあ、そういう仕組みもあるかも」
・半分は「気にしなくていい」
このくらいがいちばん自然です。
なぜなら、カルマそのものが恩寵の流れとして、目覚めへ向かわせるために緻密に配置されているルートだから。
むしろ、個の私がカルマを″精巧に理解しようとしないほうが″、プロセスはスムーズに進むことがよくあります。細部を知りすぎるとマインドが介入して、本来の浄化の流れを止めてしまう場合があるからです。それに真理探求する方はカルマを超えていく方向ですから。
>悪行をワクワクしながらやったら、ワクワクが返るのか?
→ 結論はNOです。理由はシンプルで、返ってくるのは「表面の感情」ではなくその行為を支えている「前提のエネルギー」だからです。
どれだけ本人が「楽しんでるつもり」「ワクワクしてるつもり」と言っていても、奥には必ず
・不足
・依存/中毒
・焦り
・空虚感
・恐れ/罪悪感
こうした土台のエネルギーが存在します。
そして反映されるのは、その土台のほうです。
だから、
・表向きは「ワクワク」
・内側は「恐れ」
この状態なら、返ってくるのは「恐れの現実」です。そしてよくいう、「嘘をついてはいけないよ」という教えの理由も実はここにあります。表面をごまかしても、内側(前提)のエネルギーは嘘をつけない。
自分の本音に嘘をつくと、その「嘘の前提」が返ってくる。これは道徳の話ではなく、意識の構造そのものがそうなっているという話なんですね。
423
:
り改め りょうせい
:2025/11/28(金) 02:17:57 ID:XcRiBmjM0
>>413
言語としては確かにこういう聞き方になりますが、実際に私が話しているのは「りょうせい個人」のことではありませんよ。
あなたにも私にも共通している 真のあなた(=真のわたし) のほうです。
その前提のうえで、あなたの質問の意図にお答えすると。
>個としての私は何をすればいいのか?
まず、お伝えしたいのは真理探求というのは、深いところのスイッチが入らない限り始まりません。「やりたい」と頭で思っても、
その段階でなければ本当の意味では起きません。
もしあなたが今、マズローでいう 個としての願望・欲望(愛されたい、成功したい、お金がほしい、承認されたいなど)
を優先しているなら、そこに集中が起こるのは自然だしそっちを満たすべき。
なぜかというと、真理探求が深まるのは、
欲望とある程度付き合い味わい切ったあと
→「それでも満たされない」という地点に来たとき。ここから自然に始まるからです。
真理探求が自然に始まる順番
1.個の欲望をちゃんと味わい切る
2.それでも満たされないという事実に出会う
3.そこから自然に本当のことを知りたくなる
これが自然に起きる探求のプロセスです。
真理探求は、「エゴ・私は個人である」を手放していく方向性だから。
ただし、あなたのいまの状態次第では話が変わります。
もしあなたがすでに、
・欲望を満たしてもなんか不思議と虚しい
・本来の自己にどうしようもなく惹かれる
・気づくと真理の方向に意識が向いてしまう
・探求をやめたくてもやめられない
こういう状態なら、探求は静かに始まっています。その場合はこちらも伝えられることがあります。
あなたは、どんな感じでしょうか?
追伸
ただ、願望実現の人でも、真理に興味があるならOK
願望実現を頑張りつつ、
同時に真理にも惹かれてしまう。
そういう方でも私はウェルカムです。
理由は→私も真理探求の前は、潜在意識の取り組みをやっていたから。
そういう方には、
「いつか真理探求が始まるとき用の種」
を渡す形になることが多いです。
ただし、願望実現だけで、真理に興味ゼロです
と言われると、私は潜在意識・願望実現の達人ではありませんし、深くお役に立てるかは微妙です。
ただし、
・エゴがどこで誤解しているか
・どこに引っかかっているか
・なにと同一化しているか
これくらいなら見えることはあります。
あと、これは掲示板なので、
・あなたの精神的な傾向
・今いる段階や温度感
・背景や状況
こういう本来は重要な情報がちょっとした質問の文章だけだと読み切れません。
(もちろん質問者のプライバシーを守るため、それで構いませんが)
そのため、伝えるにしても、踏み込めるところ・踏み込めないところの境界がどうしても出てきます。そこだけはご了承ください。
424
:
り改め りょうせい
:2025/11/28(金) 02:23:21 ID:XcRiBmjM0
>>414
あなたに起きたその祈りは、とても意味深いものですよ。なぜならその種類の祈りは、
偽りの「私」をそのまま差し出す、個としての最終段階の祈りだから。そしてその祈り自体が、
あなたである純粋意識そのものから湧き上がっている。
意識が静まっているとき、
あなたは時間にも、記憶にも、物語にも縛られていません。悟りという言葉は、悟った瞬間に役割を終えます。それは世界の中の、ただの一つの物語のラベルでしかありません。
もし本当に「決着をつけたい」のなら、
ひとつだけ受け入れてください。
「真のあなたが気づけるもの・認識できるもの・知れるものはすべて私ではない」
この事実が、静かに浸透していくでしょう。
もちろん、表面ではまた巻き込まれて
「いや、これは私だ」と握ることも起こります。
それでいいんです。それも現象の動きのひとつですから。
そして大事なのは、どちらを選ぶかではなく、
純粋意識が自然にその動きを起こしていくということ。あなたは行為者ではありませんよね。
「あなたは、在る」です。
純粋意識が私として目覚め始めると必ず、
「じゃああなた本当にそこに留まれるのか?」
という恩寵的レッスンが始まります。
神々からのレッスンといってもいいかもしれない。
レッスンが進むほど、
疑いはあなたである意識に観照され、
消えるのが早くなる。
あるいは、残っていても平和な無関心が深まる。
そしてもうひとつ重要なこと。
あなたが「完全無知からまたやり直しだ!嫌だ、怖い!」と信じる限り、
意識はその信念に沿った風景を見せてきます。
見たいもの・避けたいものこれがこの世界のリアルさを構成しているから。
だから、未来のストーリーは一旦忘れてください。それは全部、夢の中の概念です。
遠い過去も、未知の未来も、想念でできた森です。気づきの光で燃やしましょう。
もし本当に決着をつけたいなら、
個が見る外側の「教え」を一度すべて置いて、
あなたである意識そのものに対してだけ語られた「事実」だけを採用してください。
知りたいことは「私は在る」が教えてくれます。
あなたが前におっしゃっていた外側のグル。
そして、あなた自身である内側のグル。
そこに、どんな想念を投げてもいい。
どれだけ暗黒でも、どれだけドロドロでも。
グル(=主体であるあなた)は
明け渡した想念。それを受け取り、溶かします。
こうして、起きてくる出来事ひとつひとつが
だんだん「直接的な理解」に変わっていきます。
それが本当の祈りであり、
祈る者と祈りの対象が一つに溶ける地点です。
追伸・余談
たしかにあなたも前言ってたように、だいぶ板違いな話のやり取りになってきました。
うーむ。笑
425
:
り改め りょうせい
:2025/11/28(金) 02:33:18 ID:XcRiBmjM0
>>415
それは良かったです。
あなたが言うように「大きな私」を想うことを続けていると、やがてそれは努力して行うものではなくなっていきます。
何かのために、一生懸命に、頑張って思い出す。そういう段階を越えて、「ただ、思いたいから思う」「自然にそこへ戻りたいから戻る」
という変容が起きてくるかもしれません。
こういうのは、エゴの辞書には載っていないタイプの動きです。
だからこそ、それは個の私にとっては受け入れ難い。でもどこか懐かしい感覚として起きてくる、かもしれない。
この地点に入ると、
それはもうメソッドではありません。方法でもアプローチでもなく、ただ大きな私の無条件さが小さな私に沁みてくる現象になります。
同じ「実現」でも
・願望の実現=個の私のための動き
・真理の実現=大きな私が小さな私を溶かしていく動き。この違いがハッキリ分かれます。
>大きな私は、転んでも、怒っても、泣いても、疲れて眠ってしまっても、ただニコニコ見守っている。
うん、まさにですね。
その絶対的な安心感そのものが、大きな私の本質です。
そしてあなたが気づいた通り、大きな私には本来、輪郭がありません。世界全体がそれでできているからです。
これは輪郭がないからこそ、どんなものにでも変身できる。輪郭があるように見えるのは、
小さな私が理解しやすいように
大きな私が 仮の姿を取ってくれています。
本当は輪郭などないのに、
個の私に安心を伝えるために輪郭のある姿をとる。その優しさ、あるいはユニークさ、子供のような無邪気さは、大きな私の本質そのものです。
だんだんと、マインドや思考の考察・解釈に頼るよりも「体感・直感・軽さ・平和・静けさ・安心感」これらを通して感じていくことを優先していくと良いでしょう。
「なぜかわからない、うまく説明できないけど、
嬉しい、楽しい、落ち着く、安心」
こういった線でプロセスが深まるといいですね。
あなたの場合、アニメを観て癒される
↓
それがそのまま大きな私との交流になる
まさに、大きな私は、本当にあらゆるところに現れるということですね。
426
:
り改め りょうせい
:2025/11/28(金) 02:34:21 ID:XcRiBmjM0
>>418
そうですね。想像もつかない幸せというよりも、エゴという小さな箱に閉じ込められていること自体が苦なんですよ。二元論を超えた「それ」の正体こそ、他でもないあなたのことなんですよ。
427
:
り改め りょうせい
:2025/11/28(金) 02:38:54 ID:XcRiBmjM0
>>419
>>420
お二人ともカルマの補足、ありがとうございます。
私だけの表現だと伝わりにくい部分もあると思うので、こうして別の視点から表現・説明してもらえるのは本当に助かります。
あと、私がレス返しないときでも、
挙がっているテーマや関連するテーマでの、
雑談や意見は全然ウェルカムですからね。
私は「質問されたら答える係」みたいなスタンスなので、気が向いた方は気軽に書き込んでくださいね。(返信遅くなることもありますが)
よろしくです。
428
:
り改め りょうせい
:2025/11/28(金) 02:43:12 ID:XcRiBmjM0
あ、ミス。上のは
>>419
と
>>421
さん宛てでした。ごめんなさいー
429
:
り改め りょうせい
:2025/11/28(金) 02:53:28 ID:ZGcl1I760
>>419
さんでしたw
このように何度も打ち間違えるくらいカルマの構造の話はとても複雑だということですね。笑
それではみなさんおやすみなさいzzz
430
:
り改め りょうせい
:2025/11/28(金) 07:24:59 ID:XcRiBmjM0
>>416
そうなんです。精巧さ、畏怖の念。
まさにですね。
この世界の構造は本当に奇跡的。
なので、世界に対して祈るにしても、
祈り方の質が自然と変わってくるかもしれませんね。
あと、俗物的な楽しみを我慢する必要は まったくありませんよ。楽しめるなら、むしろ楽しんだ方がいい。我慢すると逆にエゴが暴走してしまいます。もちろん、
「欲望を見境なくやりましょう!」と推奨してるわけじゃないですが。笑
でも、正直なところ、やるときはやることが起こるし、落ちるときは自然と落ちる。
これがほんとうのところです。
なので、無理やり抑えたり戦う必要はありません。起こることは必ず落ち着く場所に落ち着いていきます。
その流れを、恩寵に委ねてしまえば充分ですよ。
431
:
幸せな名無しさん
:2025/11/28(金) 09:53:03 ID:FhZYQpAY0
>>422
返信ありがとうございます。
はぁ〜ほんとに納得です。
複雑な内容をわたしにもわかりやすいようにお答えくださり感謝いたします。
個のわたしがカルマを完全に理解、把握しようとしなくていいんですよね。これまた囚われていたことに気づけて楽になりました。りょうせいさんのおっしゃってくださったように、「まぁ、そんな仕組みもあるか」で気にせずにおります(^^)
嘘の話もとてもわかりやすかったです。
419さん、421さん、カルマについて答えてくださりありがとうございました。
また何かに囚われたら質問させてください笑
432
:
幸せな名無しさん
:2025/11/28(金) 10:16:49 ID:O6AGuUnc0
>>423
質問を書き直しますと、本当の自己に惹かれるが
あえて個の私として現段階でやれることはあるのか?でしょうか
別に欲望を全て満たしたわけではないですが前から真理・非二元系の話にも興味があったではダメですかね
願望実現系の達人の話を聞いても何か真理系に寄ってくんですよね、エゴは本当の自分じゃないみたいな
願望実現欲求も持ちつつ真理系と共通して言われる本当の自分とは一体?となってる私の様な人は多いのではないでしょうか
まぁワンネスとか愛とか制限ない存在とか在るとかいろんな呼び方は聞き及んでますが結局実感ないし起きないし悔しいしどうすりゃいいんだよて感じですかね正直に申し上げると
433
:
幸せな名無しさん
:2025/11/28(金) 12:20:22 ID:Grpy2/6E0
>>411
雑談おっけーありがとうございます!!
ダミアン!それも読んでみようと思います!
そうなんです!意味のない厳しい修行をしたと分かって思わず笑いが込み上げてくる所、1人で孤独を選び(というか全てを自分で捨てているようにも思える)問いへの答えを探し続ける所、愛を知れば全て分かるんじゃないかと恋愛にはしるところ、自分は本当に想ってくれていた仲間をただ真理探求に理解がないというだけで切り捨てたんじゃないかと思って子供のように泣く所、愛を知ったと思ったのに肉親さえも上手く愛せない所、私は本当に愚かな人間だと全て手放す所。
私は決して真理探究が深く進んでいる訳ではないですが(肝心の最後はやっぱ分かんなかったし笑)とても共感する所が沢山ありました!!
この板を見ている時のような気持ちになりました!
それにとにかくつよぽんが素晴らしかったです!あの人面白いですね〜!!
434
:
幸せな名無しさん
:2025/11/28(金) 15:11:19 ID:46wG4EY60
>>420
参考になったのなら何よりです。一つだけ補足させて頂くと
例えば、人の肉体は良いものを食べれば健康に、悪いものを食べれば病気になる
これは、どんなに悪知恵を働かせてもどうにもなりません
カルマとはこのようなもの、これもカルマの一種とも言えます
>本当の悪行を働いている存在たちがいるとしたら、なぜそれがうまくいくのか、そしてまた続けられるのかが不思議でありました。
これも誰も解説する人がいないんで、疑問に持つ方がいたら是非私にやらせてくれ、となってしまうんですがw
気にはプラスマイナス、陰陽があるというのはご存知だと思います。ここに法則にあります
「プラスとマイナスは引き合う」「プラスは生命力、マイナスは反生命力」これもまぁ分かると思います
そして悪人という存在は極マイナス、マイナスの力がとても強いという事になる
普通はそのままだと健康を害したりで死にます、でも、何故かそういう人ほど長生きしたりする
そういう疑問を持っている方は多くいると思います
ここで法則を思い出してください、極マイナスは周囲からどんどんプラスの気を引き寄せる事が出来ます
例えばマフィアのボスが沢山の美女を侍らせている、そんなイメージでしょうか
悪行で成功した人間には本能的にそういう事ができてしまう人間がいます
スピなどの業界ではこれを「エナジーバンパイア」と呼んでいます
そして極マイナスは法則により弱いマイナスの力を受けない、つまり呪いや祟りのようなものを全て無効化します
極マイナスは、極極マイナスのような存在からしかマイナスを受けないのです
そして受け流した強いマイナスの力は周囲や子孫の最も弱く善良な人間に行きます
呪いや祟りが「悪人」に効いた話なんて聞いた事ないですよね?
これは相当なカルマを産むと考えられます
普通の人は気を循環させながら生きていて、悪い気を押し付ける事もあれ良い気を与える事もある
しかしこのケースは一切プラスの気を産まず人から奪うだけ、借金、負債を全て他人に押し付けるようなものです
死に逃げしたとしても死後や来世といったものに持ち越される可能性が高い
信じる、信じない、ではなく転生、前世というのは法則、物理現実の一部としてあるとしか思えない気を調べるとそういったものが出てくる、これが私の見解です
また信用と能力のある方々も、どうにも調べるとそういうものが出てくると言っています
最後に実例を、私のケースです。私は父方の祖父母の顔を知りません
私が生まれる前後に亡くなったの事です、確か癌だったはず
母方の祖父母は私が40の頃はまだ存命でした、私は母方のひいお婆ちゃんの葬式に出た事もはっきり覚えています
そして父方の私世代は私以外全て女性で結婚し籍を変えていますし、私も継ぐ気がなく結婚できるなら姓を変えたいと思っています
つまり私の代で滅びる事が決定しています
私は父方と非常に強い確執、因縁があり、それは毒親という一言では説明しきれないほどです
最低でも一人は父方に強い恨みを持って死んだ親戚がいるらしい事が分かっています
死亡した年齢に40年もの差がある。家系が滅ぶ事が決定している。全て偶然でしょうか?
私は恐らく、この因縁、絡繰りを唯一理解できる人間として生まれています
長くなるので詳細は説明しませんが、見えない力が働いた必然である事は確かです
なぜ憎まれっ子世に憚るのか、この世には神も仏も地獄もないのか、多くの人がそう思っています
この現実世界や気の法則には極めて理不尽な面もあります、しかし、全てに理由があり
一面においては正しくても全体としてみればそうではないのです
435
:
幸せな名無しさん
:2025/11/28(金) 22:57:31 ID:FhZYQpAY0
>>434
またお返事をいただけるなんて、ありがとうございます。嬉しいです。
疑問に持つ方がいたら是非私にやらせてくれ、となってしまうんですがw
↑頼り甲斐があります笑 教えてください!
プラスとマイナスの法則、そのように作用するんですね。教えていただいたことから考えると、マフィアのボス的な人たちが美女を侍らせているという理由は理解出来ました。
そしてカルマはやはり持ち越しされるんですね。。
実例も交えてご回答くださり感謝いたします。
わたしの考えつかないところまで教えていただき大変勉強になりました。
カルマって深すぎるし知れば知るほどやっぱりなんかこわいです。
436
:
幸せな名無しさん
:2025/11/28(金) 23:40:31 ID:jgCCpg7M0
>>425
いつも有難う御座います。アニメは個の楽しみという感じで
自然(暖かい日差し・綺麗な落ち葉など)を大きな私からの贈り物の様に感じています。
幼い頃からずっと一緒に居てくれた存在に気付けて、温かい気持ちに包まれています。
「私は私と仲良くなりたい」という思いを抱いて11年、真理の実現が叶いました。
そういえば自己向き合いを始めてから数年は趣味のイラストを殆ど描いていませんでした。
このままでは描けなくなるかも?と思っていると描く流れが起き、心に聞く方法を知り
実践も兼ねてしばらくは楽しく描いていたのですが、何故かどうしても描けなくなってしまい
探求を始める流れが起きました。結局まだ描けてはいません。
もし絵を楽しく描き続ける事が出来ていたら探求の流れには入っていなかったと思います。
絵は「願望の実現=個の私のための動き」に該当し、真理の実現とは両立出来ないみたいです。
真理の実現の方へ進めているのはとても嬉しいですが
自分は(絵に限らず)願望実現の方じゃなかったんだ、と思うと少し寂しい気もします。
ただ、私が本当に幸せを感じられる、私にとって本当に必要な事は
きっと大きな私が叶えてくれるから心配しなくて大丈夫、という安心感も有ります。
(そしてそれは、小さくて地味だけど大切な何か、のような気がします。)
>マインドや思考の考察・解釈に頼るよりも「体感・直感・軽さ・平和・静けさ・安心感」
↑考える事よりも感じる事の方が好きなので楽しく実践していけそうです。
本来、実践とは頑張るものではなく
ラクに楽しみながら自然に出来るものなのかもしれないと思いました。
>優しさ、あるいはユニークさ、子供のような無邪気さは、大きな私の本質そのものです。
↑大きな私に対して「かわいいね」と言ったら「テヘペロ☆」と返ってきました。笑
(古い表現だとは思いますが、そう返ってきたので 笑)
>ただ大きな私の無条件さが小さな私に沁みてくる現象
↑温かいですね、とても心地良いです。そして何だかボーっとしてしまいます。
私は幼い頃からボーっとしがちな子だったのですが、大きな私の恩寵を
気付かないうちにたっぷりと受け取っていたのかもしれないなと思いました。
437
:
幸せな名無しさん
:2025/11/29(土) 09:37:44 ID:N3qdyC.Q0
436です 追記
願望は叶うと願望ではなくなるので
個の私が気付かないうちに叶ってしまっている願望も
本当はものすごく沢山有るのではないかと気付きました。
438
:
幸せな名無しさん
:2025/11/29(土) 18:24:20 ID:7CznLdjk0
だからカルマなんて把握できるわけがないのでしょうね。
地球上に人間だけでも90億。近しい人に限っても、誰がいつ何を思い何をするか、どんなことをしてくるかわからない。
自分のことさえ未来に何が起こり何を考え何をするかわからない。まして見ず知らずの人のことなどわかるわけがありません。
この世界は把握できない法則・カルマに従って動いている。理解できず不完全にしか見ることの出来ない人間視点に困惑し疑問を持った人は、真理探求に入るのでしょう。
439
:
幸せな名無しさん
:2025/11/30(日) 09:42:24 ID:NC6EcvNA0
身に起きたことは己の行為の結果であると認めることは少なく、多くのことの原因を外部に求める。
大部分は偶然にしか見えず、カルマはあるようでいて不完全であり疑わしいと感じる。
つらい事ほど外部の責任だと思いたがるのがエゴである。このために世界が争いに満ちてしまう。
この相対世界では、あらゆることは巡回し流れ展開するスクリーン上のドラマのようなもの。そこに私というエゴが介入し、現実であると錯覚し好ましいことのみを求める。
この愚かさに気付いた者だけに、真の意味での真理探求が始まる。
440
:
り改め りょうせい
:2025/11/30(日) 11:59:03 ID:6HBHTTIc0
>>432
※長くなってしまったので二つに分けました。
>あえて個の私として現段階でやれることはあるのか?
>欲望を全て満たしたわけではないですが前から真理・非二元系の話にも興味があったではダメですかね
→全然間違ってないですよ。
ぜひ同時に真理探求にも進んでください。
>「やれることはあるのか?」
これはもちろん熱量を込めて、「YES」です。
前にも少し触れましたが、探求者ってざっくり分けると
・直接知識タイプ
・明け渡しタイプ
・両方・または交互タイプ
この3つに落ち着きます。
これは自分の経験だけじゃなく、歴史上の宗教やスピ系のアプローチを全部並べても、結局この分類になります。軽く例を挙げると、こんな感じです。
1. 直接知識タイプ
「気づき」「観照」「洞察」「問いかけ」「識別」で私じゃないものを落としていくタイプ。
たとえば、
・アドヴァイタの、
「私は誰か?」「何が真で、何が偽か?」のアプローチ。
・仏教(ヴィパッサナー)
感情も体感も全部観察して、無常・無我を見抜く方向。
・禅(臨済宗)
「これは誰か?」系の公案。分別まるごと切る。
問いを使い、二元を超えてくアプローチ。
・スーフィー(知の道)
実在と影、観照者と対象。みたいな哲学的な切り込み。要するにこれらは「理解 → 静寂 → それ以前」に落ちる流れ。
2. 明け渡しタイプ
こちらは「委ねる、祈る、愛、溶ける」のライン。思考を使わない分、スムーズに個の柔らかさ・軽さ・聖なる愛や感情浄化のプロセスが進みます。
・バクティヨーガ
神に捧げる、涙・信頼・抱かれ感・聖なる歓喜。これはエゴの浄化にとても有効。
・浄土宗
ナムアミダブツ=完全委ね。阿弥陀に丸投げ。
これも上記と同じ。
・キリスト教の祈り・黙想
「御心のままに」自我を返す方向性。
これも上記と似てるけど、恩寵・奇跡・静寂の要素も加わる。
・スーフィー(愛の道)
愛で燃える系。「私を燃やしてください」みたいな陶酔。永遠の愛のためなら私は燃えても構わない。といえるような純愛型タイプの道。
3. 両方タイプ(統合型)
私もこれでしたが、二つを行き来しながら落ちていくタイプ。このパターンは、二つの仕事のかけもちのような負荷と、矛盾による迷いが増える分、日常のことも大切に捉えて包括的に行う必要があります。
・ヴェーダンダ(インド)
意識の階層を総合的に直接体験する。
・ゾクチェン(チベット)
理解+ 明け渡しのハイブリッド。
・ヨーガ全般(インド)
行為を捨てる学び・観照・静寂・献身・マントラ・チャクラ全部入ってる。
・曹洞宗(只管打坐)
ただ坐る=理解と明け渡しの中間。
・現代非二元・ノンデュアリティ
教えは知、体験はバクティという合体型。
ただし、探求初期や、取り入れるタイミングを間違えると虚無(ニヒリズム)や空虚(無意味さ)にも陥りがち。また知的理解で止まってしまう危険さと、エゴの精神的なトラウマが暴走し魔鏡に陥る可能性もあるので、探求の終盤に触れるのがおすすめ。(下に続きます)
441
:
り改め りょうせい
:2025/11/30(日) 12:08:46 ID:6HBHTTIc0
>>432
他にも挙げれば沢山あるでしょう。みなさんにも、聞き馴染みがあるものがあるかもしれないし、全くないかもしれない。ただ難しく捉える必要はなく、これらの話を一切全く知らなくても全然構いません。
で、「今の私ができることは?」について。
これはあなたのタイプによって違うんだけど、
ざっくり言うと 今の自分が自然に惹かれる方向が「まずの道」です。無理に選ばなくても、意識が勝手に方向づけしてきます。
私の経験でいうと、「純粋意識(私は在る)にとどまる」をひたすらやってたころは、
瞑想しかないな。と、思ってましたし、
「すべてを意識そのものに明け渡そう」
と、やってたころは、明け渡ししかないな。と、思ってましたし、
「神を全力で想う」をひたすらやってたころは、それしかないな。と、思ってました。
非二元の時は、非二元を吸収していました。アドヴァイタの時はアドヴァイタ・・禅の時は禅・・つまり、時期によって、モードによって、まるで人が変わっていました。笑
しかし、ある時、実際に「それ」が起きたら、
結論→「まったくどれも、なにも関係なかった。これは、ただ起きるか、起きないかだ。ガーーン」となりました。
しかし、同時に何一つ無駄がなかったと明らかになりました。つまり、探求してなかったら、発掘した宇宙一輝く宝石を、宇宙一価値のない石ころだと勘違いして、スルーしてただろうなということです。
そのため、私は、探求者に対して、「絶対このアプローチ、この教え、この哲学、この宗教、この聖者、この賢者、このスピリチュアル、この人だけが素晴らしいからそれをやりましょう」とは言えなくなってしまいました。
あなたが惹かれたもの、起きるアプローチ方法や、気質的にやってしまうこと、
その方向にひとつも無駄はなく、完全に最適。また、上に挙げたジャンルとは全く違うもの。たとえば、趣味や仕事、恋愛や結婚、人間関係などの様々な人生体験。誤解を恐れずいえば、たとえ人前で言えない系のどんなヤバい系の体験でも。また、強烈な悲しみの体験でも。
確実に真理探求に繋がり、確実にプロセスが深まります。
そのため、大枠では「すべては最適に恩寵が運びます」という発言になってしまいます。
>願望実現欲求も持ちつつ真理系と共通して言われる本当の自分とは一体?となってる私の様な人は多いのではないでしょうか
→もちろんです。潜在意識や真理探求のことを全く知らない人でも無意識下ではそのように感じているはずです。本当の自分を知りたいと。
それほど、エゴとの同一化は苦しいからです。
>ワンネスとか愛とか制限ない存在とか在るとかいろんな呼び方は聞き及んでますが結局実感ないし起きないし悔しいしどうすりゃいいんだよて感じです
→私も何十年もそんな状況でしたよ。
それが起きてしまえば、その過程自体は消えてしまう。だけど、ふと蘇るときがあります。
なので、おっしゃってる気持ちは痛いほどわかります。ただ、すでに起き続けているものは、起きない。
なぜならすでに在り続けているから。
その事実が確信的に明らかになるとき、
想像を絶する実感は、起こり得ます。
長くなってしまいましたが、
ちなみにあなたは、アプローチ、メソッド、修練など、なにかやってますか?
442
:
り改め りょうせい
:2025/11/30(日) 12:16:26 ID:6HBHTTIc0
>>433
雑談おっけーありがとうございます!!
ダミアン!それも読んでみようと思います!
ぜひぜひ。現代小説と違い、少し読みづらいかもしれないけど、私は印象に残ってます。
霊性的な啓示のある優れた小説や映画、ドラマ、アニメなどは、全体意識を理解するために非常に有効になりますしね。
ちなみに、「デミアン」です。笑
「ダミアン」はオーメンの悪魔の子の名前ね。爆笑
間違えて、「りょうせいさんに勧められてオーメン観ました!なるほど、ダミアンから真理探究に繋がる考察を得ました!」と書いてくれても、面白かったけど。笑
それはそれで、悪魔をテーマとして話せるしね。(てか、オーメン古すぎて誰も知らないか。笑)
>意味のない厳しい修行をしたと分かって思わず笑いが込み上げてくる所〜
→大丈夫です。その一連の流れは完全に恩寵によって真理探究が深く進んでいますよ。
>1人で孤独を選び〜(というか全てを自分で捨てているようにも思える)
→これなんかは、真理探究が深まると、ケースとして普通に起こり得ます。つまり、余計な人間関係との変化が起きたり、意識それ自体に深まる過程で、不必要なものは物語から消えていくことがあります。もちろん、これは一時的で、探究が完全に終われば、再び自然な営みや日常に溶け込んでいきます。もちろん、ケースによっては様々ですが、なんであれ、気にする個人がもはや成立しなくなります。全体の最適な表現になってしまいます。
>この板を見ている時のような気持ちになりました!
→この板があなたにとって何かしらの励ましとして機能しているなら私も嬉しいです。
つよぽん素晴らしかったんですね。
確かにシッダールタ役に抜粋されてさらに観客を納得させるなんて、かなり役者を選ぶからね。素晴らしい舞台に触れられて良かったですね♪
443
:
り改め りょうせい
:2025/11/30(日) 12:21:42 ID:6HBHTTIc0
>>436
>絵は「願望の実現=個の私のための動き」に該当し、真理の実現とは両立出来ないみたいです。
>真理の実現の方へ進めているのはとても嬉しいですが
>自分は(絵に限らず)願望実現の方じゃなかったんだ、と思うと少し寂しい気もします。
→あなたの場合、起きてる流れは、
「願望実現」というよりは
「自己実現・生き方・天職への切望」みたいな方が近いんじゃないかな、と感じます。
だから、そっちの流れにしっかり集中してみるのもありですよ。絵は、あなたにとって
「個の私(エゴ)の心を映し出す鏡」みたいな役割をしているように読めます。
真理探求もそうですが、絵との向き合い方も、
すぐに答えを出そうとせず、時間をかけてゆっくり「根深い想念や、潜在的な傾向」をしっかり見ていくテーマに感じます。
「真理探求があるから、個のやりたいことは諦めなきゃいけない」という話では全くありませんよ。
起きる時は起きるし、起きない時は起きない。
それでもどうしても続けてしまうことは、
その人にとって大事なテーマだから繰り返し浮上してくるのです。
>大きな私の恩寵を気付かないうちにたっぷりと受け取っていたのかもしれないなと思いました。
はい、恩寵は、特別な誰かだけではなく、
世界全体に、もれなく行き渡っているものです。その働きは、浄化や癒しとして現れます。
それが少しずつ、
・「これは私のもの」
・「私の思考」
・「私の気づき」
と同一化して握っているものを、
ゆっくり溶かしていきます。
もしあなたが「大きな私」にもっと委ねたい、信頼を深めたい、と思うなら、
少しずつでいいので、あらゆるものを彼女(大きな私)に捧げていく必要があります。
そのためには、時間をかけて、
決して急がず・焦らず、静寂としての大きな私の声なき声に触れ続けることです。
真相レベルでは、本当に存在しているのは彼女(大きな私)だけですから。
444
:
り改め りょうせい
:2025/11/30(日) 12:27:48 ID:6HBHTTIc0
>>434
わかりやすいご説明ありがとうございます。またまた、みなさんの参考にもなるお話ですね。
445
:
り改め りょうせい
:2025/11/30(日) 12:29:49 ID:6HBHTTIc0
>>438
まさに、その通りです。
宇宙や世界の構造・法則性を研究したり、
それを体系づけていく専門家の方々の働きというのは、ある意味では 「世界の流れの中で配置された役割」 のようなものだと思っています。その探究が積み重なり、世界全体の理解や進化につながっていくことも確かです。
ただ、個として真理探求の道を進んでいくと、
世界や宇宙の仕組みをどれだけ追いかけても、
ある地点で必ず視点の転換が起こる瞬間があります。
それが、
「これを知りたがっている私とは誰なのか?」
「法則を掴んでコントロールしたがっている私とは何なのか?」
という問いが自然に立ち上がってくる地点です。
このあたりから、探求は外側の仕組みを解明する方向から、それを知ろうとしている主体そのものを見る方向へゆっくりと性質が変わり始めます。そして深まっていくと、次第にこう見えてきます。
「夢の展開は、それ自身の力で進んでいる。
そして夢から目覚めることこそが真理探求だった」
外側へ向いていた関心が、ゆっくりと、しかし確実に 内側へ反転していくそんなプロセスが起こってしまうのです。
446
:
り改め りょうせい
:2025/11/30(日) 12:32:17 ID:6HBHTTIc0
>>439
おっしゃる通りです。
ある意味、本当に真理探求の直接的な知識が開き始めるのは、まさにその地点からかもしれません。
エゴが自分の、(ある意味で)愚かさを、
直視し外側の責任にしてきた構造を見抜き、
「これは夢のドラマを本気で信じ込んでいただけだった」と理解する。
そこに至ること自体が恩寵であり、祝福であり、そして厳しい浄化のプロセスに耐え抜いた者だけの気づきです。
447
:
幸せな名無しさん
:2025/11/30(日) 23:21:36 ID:FdQYoOu20
最近こちらのスレッドを読むのが楽しいです!りょうせいさん、皆さん、ありがとうございます。
今私は、その時その時の自分(個)に最適なものが用意されているという感覚が強いです。
このような掲示板の書き込みに興味を持ったり、書き込みをしたりすることも。何かしらに後押しされている感覚がずっとあります。
全てが恩寵なのだと少しでも感じられると、エゴで嫌がっていたあれやこれやをも微笑ましく見守る視点が、微かかもしれないが確実にあると感じます。
特に質問があるわけではないのですが、今のこの感覚をこのスレッドに書き留めておきたくなりました。
448
:
幸せな名無しさん
:2025/12/01(月) 06:08:27 ID:0krOS45w0
>>440
詳しくありがとうございます、真理系の勉強にもなりますね
結局これに方法も関係もないんだけど色々ある中からやりたいことやるしかないって感じでしょうかね
やってることと言えば自己観察(思考観察?)とか瞑想の時間を設けるですかね
あとエゴとエゴ以外って何だろうと考えるとか 本当の私とは何かと考えるとか
書いてある中だとアドヴァイタが近そうですね
あとここでりょうせいさん(真の)の文を読んだりやり取りすることにも期待感があるかも
449
:
幸せな名無しさん
:2025/12/01(月) 10:27:22 ID:bP0USNok0
>>424
>レッスンが始まる
ええ、試されます。疑いが強まり全部否定していた時も、頭の片隅では試されてるのかという理解はありました。
なんだかんだで今はかなり楽になっています。ただ他のことで誤魔化した部分もあるのか深層では残ってるようで、夢の中で出てくることがある。
実現させないといけないことかもしれません。これに関しては自分から動く気はさらさらなくて、起きてほしいような起きてほしくないような、起こるんなら起こるんでしょ、というスタンスです。
そうは言っても、真の私はそんなあれこれに縛られてはいない、問題など始めからない。
しかしストンと落ちて定まることはない。で、原因は?となってループにはまる。そこで祈りが起こる。
こんな感じです。
>>440
の話、私も統合か交互タイプですね。
最初に直接知識と強いバクティが起こり、しだいにバクティは弱くなっていきました。
でも智慧の道(直接知識)も最後は明け渡し(バクティ、「それ」を想い全託する、祈る)で最終決着する予感がある。
知識も明け渡しも、その他瞑想などどんな修練も「それ」の目前で終わる時は同じことになっている。
ただ静かに在る時は、知識も明け渡しも瞑想も祈りも全部同じです。
同じではあるが、最後は辿ってきた道自体が超えられない壁になる。
ラーマクリシュナはバクティでは決着せず、最後は識別を授からなければならなかった。
一つの道だけではいけないと思いますが、どうなんでしょうか?
最後に道からジャンプして離れる瞬間は語れない領域の恩寵ですかね。
>>438
>>439
は両方とも私です。
カルマの話の流れで段階の違う過去の記憶が出てきたようで、書いてしまいました。なんかキャラも少し変わってます。
混乱状態の間に失った知識や気づきが、書くことによって戻ってくるようです。それが良いのか悪いのか、書いた直後は後悔しました。
先ほどの話のように、得た知識気づきの記憶を失うのは祝福なのでしょうか?
p.s.
しかし、もう完全に願望実現の話とは離れてしまいました。
探求の道に入ろうとしている方にはぶっ飛びすぎていて、変な人が訳分からんこと言ってると思うでしょう。
なんか不思議で面白そうくらいに思ってもらえるとありがたい。
450
:
幸せな名無しさん
:2025/12/01(月) 15:01:35 ID:rOulcmJI0
>>443
ありがとうございます。
>「根深い想念や、潜在的な傾向」をしっかり見ていくテーマ
↑そう思います。沢山の観念が貼り付いていて身動きが取れません。
絵と言っても、そんなすごいものを目指しているわけではなく(そもそもすごいものなんて描けない)
ちょっとしたもの、何かそれが描いてあるとホッと和むような、そんな感じの
楽しく気軽に描けて、絵に楽しい気持ちを込められて、見た人が少しだけホッとしたり
和んでくれたりしたら嬉しいなあ、というその程度のものです。ただ肝心の「楽しく描く」が
出来なくて、気持ちも乗らなくて、抜け殻みたいなものしか出来なくて、それが嫌で
今は描くのをストップしている状態です。
大きな私には輪郭がない。愛にも輪郭はない。個の私には輪郭がある。
個の輪郭=エゴのような気がしました。なので輪郭を消して大きな私に触れてみたら
個の私の中に大きな私が入ってくるような感覚になりました。
>>440
に書かれていた、2. 明け渡しタイプの中の
>「私を燃やしてください」みたいな陶酔
>純愛型タイプの道
↑これ良いですね〜!強く惹かれます。大きな私くんor大きな私ちゃんに
メロメロになって溶かされたいです。あなたはコーヒー私はミルク、溶けあうふたり
って頭沸いてるじゃないですかー!?コーヒー飲むなら沸かすのはお湯だっ!笑
451
:
幸せな名無しさん
:2025/12/01(月) 15:35:58 ID:dqO9v4aA0
カルマの質問をした者です。
こういう探究を始め、また深めると、知ったわたしが出てきてしまいます。
心のどこかで無意識のうちに他人を見下してしまってるんじゃないかって感じるんです。「そうじゃないよ〜」とか思ってる瞬間に気づいて自己嫌悪というか。。
分離していることに気づいて都度修正していくようにしているのですが、こういう時はどうすればよいでしょうか?
452
:
幸せな名無しさん
:2025/12/01(月) 19:32:59 ID:oFQTBAsY0
>>451
あなたの言う探求が心理観察(エゴによるエゴの観察)であれば、エゴが付いて回るのも分離感も当然です。
しかし心理観察は真理探求のための大切な土台になる。
これをやり切ろうとするなら非常にきつく苦しい。私はそうでした。
エゴの世界の苛烈さを味わい尽くした子供時代、20代での苦しい心理観察は、大きな宝となった。
エゴの構造を徹底して見破れば、「私」の正体を突き止める真理探求に入ってから楽に進歩するし、得られる恩寵も大きい。
分離感で苦しむほどやり切ったのなら、真理探求に入る準備が整ったということだと思います。
エゴの中身を調べるのではなく、「私」という感覚は一体何なのかを突き止めることです
私はあなたのような状態から真理探求に入るまでの間は、3年ほど好きなことやって思いっきり楽しみましたね。
それでエネルギーが充電されてから自然と真理探求に入った。まずは真理系の本を読むことと瞑想でしたね。
苦しみながらじゃなく、ワクワクしながらでしたよ。
焦燥感で何をすればと悩まず、ひとまずボケーっとして楽になり、したいことが出てくればなんでもいいと思います。
453
:
幸せな名無しさん
:2025/12/02(火) 00:34:54 ID:Y9lz6.oM0
悟りを得た者は因果やカルマがわかるとか?
実際りょうせいさんは相当な洞察力を持ってそれらを語っているように思えます
>>451
>>分離していることに気づいて都度修正していくようにしているのですが
それでいいんですよ。435の人かな?情報の価値って「恐れ」なんですよ
ニュースで可愛い動物のニュースしか流れなくなったら困るじゃないですかw
454
:
幸せな名無しさん
:2025/12/02(火) 02:04:59 ID:ErSnlWAY0
りょうせいさんに質問です。
どうしても許せないこと、受け入れられないことにはどう向き合えば良いでしょうか。
例えば、親のこと。
こんな親の下で生まれたくなかったと思います。
憎んでいます。何十年も、感じきっても消えません。
455
:
幸せな名無しさん
:2025/12/02(火) 15:51:57 ID:yfC47Eig0
>>452
お返事ありがとうございます。
他者を否定するような声が出てきたら気づいて観察に入る感じです。
自己顕示欲のようなものがまだあるようでそれにいつも足を引っ張られるような気がします。
エゴの中身を調べるのではなく、私という感覚は一体何なのか
とてもいいヒントになりました。
ワクワクしながら。とりあえず力を抜いて楽になろうと思います。ありがとうございます!
456
:
幸せな名無しさん
:2025/12/02(火) 15:55:04 ID:yfC47Eig0
>>453
お返事ありがとうございます。
はい、435です!
ニュースで可愛い動物のニュースばかりが流れることを無意識に希望していたようです笑
はぁ〜。何かを恐れているのかな。。
でも、それでいいんですよと言っていただき嬉しかったです(^^)
457
:
り改め りょうせい
:2025/12/02(火) 21:18:20 ID:nQcRHfoo0
>>447
ありがとうございます。お気持ち嬉しいです。
>今私は、その時その時の自分(個)に最適なものが用意されているという感覚が強いです。
→ まさしくその通りですね。
>このような掲示板の書き込みに興味を持ったり、書き込みをしたりすることも。何かしらに後押しされている感覚がずっとあります。
→ はい。それは、あなたの内側で準備が水面下で進んでいたからです。悟り・覚醒・目覚めの方向へ心が開かれていないと、そもそもその「後押しのような気配」は生じません。すでに内部のプロセスが動き始めていた証拠です。
>全てが恩寵なのだと少しでも感じられると、エゴで嫌がっていたあれやこれやをも微笑ましく見守る視点が、微かかもしれないが確実にあると感じます。
→ そうですね。恩寵は、世界やすべての存在を常に世話しています。もちろん、恩寵は人格的な存在ではありません。感謝した分だけ見返りをくれるわけでもなく、反抗したからといって見捨てるようなこともありません。
これはつまり、真のあなたの本質が「完全に無条件である」ということです。
そこには条件づけや損得の概念が最初から存在していません。
この無条件性というものは、条件づけが当たり前の私たち個の視点や世界の一般常識からすると、全員が「まさか!!ありえない!!」と、驚愕するほど異質なものです。笑
そして私たち(エゴ側)が「恩寵という流れが常に働いている」という事実を理解し始めると、それだけでエゴの持つ原初的な罪悪感・恐れ・思い込みが少しずつ溶けていきます。
そのとき、内側では少しずつ次のような変化が起きてきます。
・重さや深刻さがゆるんでいく
・世界や人生への不信が薄まる
・過去のわだかまりが少しずつ癒えていく
・真理探求への誤解や抵抗が弱まる
・また、真理を知ることは破滅の道ではなく、自由への道なのかもしれないと感じ始める
その結果、一見地獄にしか見えなかったものの背景に、ずっと天国の下地が流れていたのだと分かり始めます。もちろんこれらはゆっくりと時間をかけて消化されていきます。
恩寵の存在を知り、それを信頼し、理解が深まっていくにつれ、あなたの内側では、ポジティブ/ネガティブを超えた意味でのあらゆるものとの和解が、ゆっくりと静かに進んでいきます。
>「楽しい!」
→あなたのその感覚。これがなにより大切です。実のところ真理探求者たちは、なぜ探求してるかというと・・
超絶大変なときもあるけど、その何倍も理屈を超えて「楽しい」からなんですよ。笑
魂の喜びというか、深いところで整合性がとれるというか、言葉にできないスッキリ感、聖なる陶酔、不思議なエクスタシーのようなものが水面下で流れるわけです。笑(もちろん、怪しくない安全なやつね)
あなたの中で起きている変化は、とても自然で正しい方向ですよ。ぜひその方向の流れに乗っていってくださいね。
458
:
り改め りょうせい
:2025/12/02(火) 21:27:09 ID:nQcRHfoo0
>>448
良かったです。あくまで参考程度で大丈夫ですよ。私も、宗教や哲学を体系的に研究してきたわけではなく、あくまで「自分の探求に役立つもの」だけを拾ってきただけです。
だから、みなさんに「世界の宗教や哲学を全部学びましょう」と言いたいわけではありません。むしろ大事なのは、
・人類史の中で、確かに真理探求者はずっと存在してきた
・実現者たちも実在した
・「探求と実現」は絵空事や妄想ではなく、リアルに起こる出来事である
という事実なんです。
そして、一見真逆に見えるアプローチでも、最終地点ではすべて統合されること。
個の気質によって向き不向きがあって当然で、向いてないことに落ち込む必要はまったくないということ。そして、最終的には、なんであれ、すべてはただ起こります。笑
>結局これに方法も関係もないんだけど色々ある中からやりたいことやるしかないって感じでしょうかね…
→ まず、瞑想ができる方は、瞑想のルートで純粋意識を直接知る流れで全然OKです。
瞑想って、気質的に向いてなければ、そもそも「瞑想しよう」という発想すら人生で起きません。
瞑想のやり方・重視する点・流れの組み立てなどは、掲示板ではさすがに説明しにくいですが、いつかタイミングが揃って、希望される方が多ければ「純粋意識に直接触れる瞑想法」はどこかでお伝えします。それも、また起こるなら起こるでしょう。
それと「瞑想」と一言でいっても、明け渡しと同様に種類がめちゃくちゃ多いんです。
・悟り目的の瞑想(私がやってきたタイプ)
・潜在傾向・カルマの浄化
・感情や心の癒し(ヒーリング系)
・願望実現系(恋愛・富・人間関係修復)
・インナーチャイルド系
・チャクラ開発
・健康・集中力アップ
・ダイエット目的の瞑想。
ほんと幅広い。笑
>あとエゴとエゴ以外って何だろうと考えるとか 本当の私とは何かと考えるとか
→ その思索そのものがとても大事です。
思考や考察は、真理探求では無駄どころか、むしろ必須の土台になります。頭の理解が、いずれ直接理解へ発展していくので。
>書いてある中だとアドヴァイタが近そうですね
→ アドヴァイタは完全なる「ド直球の悟り系」です。そのぶん、思想も深淵で、体系も広大です。最初は「頭での理解」からゆっくり馴染んでいく形になるかとおもいます。
ただ、最初は聞きなれない用語だらけで難解に感じるはずです。笑
特に日本人には馴染みが薄い単語が続きます。
(インド哲学・ヒンドゥー系は、とにかく奥が深いので)
少し触れてみて、吸収するかどうかは、何か響くものがあればで構いません。ハートにどう響くか?そこの感覚的な相性の部分を大切にしてください。
また、仏教から禅が派生したように、アドヴァイタから「非二元」が派生しています。
非二元で混乱した経験がある人ほど、アドヴァイタに触れると、非二元の位置づけや全体図が見えてくるかもしれません。
>あとここでりょうせいさん(真の)の文を読んだりやり取りすることにも期待感があるかも
→ そうだといいなと私も思います。笑
私も何十年も探求しましたが、探求の前半期は「グルやガイドと接触する前の準備期間」だったように思います。
私は独覚(ひとりで完成するタイプ)ではなかったので、グルやガイドの背中押しや伝達や恩寵がなければ、到底無理でした。
感謝や愛、魂としての命の恩人・・
あらゆる言葉を総動員しても足りないほどですが、同時に、全部ひとつの中の運動にすぎないのです。 運動とはいえ、奇跡的な美しい運動ですが。
459
:
り改め りょうせい
:2025/12/02(火) 21:29:56 ID:nQcRHfoo0
>>449
(二回にわけます)
神々から試される、と聞くと恐ろしく聞こえるかもしれませんが、
私の言っている「神々」とは、人格を持つ存在ではなく、五つの元素的エネルギー(意識の五つの動き)を象徴的に神々と呼んでいるという意味です。つまり構図としては、五元素の運動・法則(=意識のダイナミクス)そのものをあなたが超えていくという話です。
だからこそ、霊的な実現を見守り、支え、背中を押す神々(エネルギー)恩寵、あるいは歴代の真理実現者たちの加護が大切になるわけです。マントラや祈りはその加護(=恩寵の働き)をスムーズに受け取りやすくします。
>なんだかんだで今はかなり楽になっています。
→ 良かった。
どの段階でも、DNAの螺旋のように、一段登ると必ず「作用と反作用」が起きます。プロセスは常に螺旋状に進みます。昨日理解が深まったのに、今日は疑念モード。これは反動ではありますが、進んだからこそ起きている「祝福の揺り戻し」です。落ち込む必要は本来ありません。あなたのいうように、表面的に落ち込むけど、実相としては大丈夫。YES、まさにそのとおり。
>ただ他のことで誤魔化した部分もあるのか深層では残ってるようで、夢の中で出てくることがある。
→ これは「エゴの同一化の残り滓たちが燃えている」と捉えてください。潜在的傾向が意識のスープで煮込まれ、成仏していくプロセスです。夢の方が、起きている時よりも微細で根深い想念をあらわにするので。
>実現させないといけないことかもしれません。これに関しては自分から動く気はさらさらなくて、起きてほしいような起きてほしくないような、起こるんなら起こるんでしょ、というスタンスです。
→ 今はそのスタンスがベストです。
意識の安定が予定の地点まで進めば、
個の人生テーマに関しての願いはただ自然に満たされるか、あるいは「もうどちらでもいい」という本当の意味で自由な地点に落ち着きます。
>真の私はそんなあれこれに縛られてはいない、問題など始めからない。しかしストンと落ちて定まることはない。で、原因は?となってループにはまる。そこで祈りが起こる。
→ それは時空を超える準備運動です。
時空の縛りが溶け、複数の視点を切り替えられるようになりつつあります。
これは、純粋意識の安定が深まる過程で
サードアイ(象徴としての洞察の中心)が目覚めだす運動でもあるため。そして、
そこからだんだんと、純粋意識 → 全体意識へ自然に流れていきます。
>私も統合か交互タイプですね
→ そうですね。大正解。
>ただ静かに在る時は、知識も明け渡しも瞑想も祈りも全部同じです。
→ YES。愛が極まれば自由になり、自由が極まれば愛になる。最終的にはすべてのアプローチが一つへ収束します。
>最後は辿ってきた道自体が超えられない壁になる。
→ そのとおりです。純粋意識を深める段階までは努力・熱意と比例しますが、
最後の探求者の終わりは時空を超越する領域から、因果を超えて訪れます。
ただし逆説的に、そこまで強烈に探求できている時点で、
・すでに絶対のギリギリの領域から吸引されている
・世界側の加護(恩寵)が働いている
だからこそ、「その熱量を燃やせていることが可能である」とも言えます。
また、だからこそ成熟した果実のように、ある瞬間に、ただ枝から落ちるのです。
460
:
り改め りょうせい
:2025/12/02(火) 21:33:06 ID:nQcRHfoo0
>>449
>ラーマクリシュナの件
→( ※これはあくまでも私の個人的な見方です。ご興味ない方は読み飛ばしてください)
ラーマクリシュナがバクティだけで決着しなかった理由の一つは、初期段階で彼は、「二元を残したままカーリーを見たい」という願いがあったためです。
ただしこれは決して彼の欠けではなく、
彼の生まれ持った使命(世界の霊性計画の一部)として起きたことでもあります。
当時のインドではバクティが衰退し、
霊性が唯物論に浸食されていた時代でした。
そのタイミングで彼が現れ、その人生物語そのものが「バクティ復活・またインドの霊的な再建の装置」として働きました。(もちろん、彼だけじゃなく弟子も関わってますが)
彼は、
・文字通り命がけで、寝食も惜しんでカーリー女神を求め続け
・あるタイミングでカーリーが目の前に実際に現れました→ 物語を霊訓的に読み解くなら、この時点で彼のエゴは完全消滅。また、純粋意識・全体意識に安定と見るのが自然です。
・のちに不二一元論の師に出会い、即座に「絶対」へジャンプ
・それだけではなく軽々と多宗教のアプローチから実現を統合
この物語の流れは圧倒的です。
これは普通の探求者の動きではあり得ません。
なので、彼は絶対意識のギリギリの地点から現れた、まるで遊戯(リーラ)的な、「それ」の化身のような存在と見るのが自然でしょう。それもたった150年ほど前のつい最近の話です。笑
つまり、
・バクティ一本で実現は可能
・智慧の道一本でも可能
・混合型も可能
あなたのいう通り、頂点付近では全部同じ性質に撹拌(かくはん)され収束される構造になります。
ラーマクシュナはあえて世界に対して、また未来に対しての霊訓の波としてそのような物語のプロセスを恩寵が起こしたわけです。
>最後に道からジャンプして離れる瞬間は語れない領域の恩寵ですかね。
→ YES。恩寵も純粋意識も非人格ですが、ある種の方向性のようなものを持っています。
しかし、ジャンプ、超越の、その領域は言葉や概念では全く表現できません。一切が成立しない領域です。あなたにジャンプが起きたら、
真理探求に関する全ての動きは自然に完全に消滅していきます。
>
>>438
>>439
は両方とも私です。
カルマの話の流れで段階の違う過去の記憶が出てきたようで、書いてしまいました。なんかキャラも少し変わってます。
→どうぞどうぞ。
キャラ変オッケーです。笑
>先ほどの話のように、得た知識気づきの記憶を失うのは祝福なのでしょうか?
→ はい。それは「記憶そのもの」ではなく
「私の」というラベルが消える現象です。
必要な記憶は残り、不要なものは透明になり、
誰のものでもない記憶になっていきます。
これは記憶に苦しめられていた私からの解放・祝福です。
>しかし、もう完全に願望実現の話とは離れてしまいました。探求の道に入ろうとしている方にはぶっ飛びすぎていて、変な人が訳分からんこと言ってると思うでしょう。
→ そのとおりです。笑
突然スレが削除されてもまったくおかしくありません。笑
しかし、これらの流れもまた、最適にただ起きています!
461
:
り改め りょうせい
:2025/12/02(火) 21:37:41 ID:nQcRHfoo0
>>450
>そう思います。沢山の観念が貼り付いていて身動きが取れません。
→ アニメ鑑賞が癒しの瞑想になっていて、
絵と向き合うことは今は厳しく感じるかもしれないけど、実はとても大切な通り道になっている気がします。
>絵と言っても、そんなすごいものを目指しているわけではなく〜
→ それで十分すぎるほど良いと思いますよ。
あなたの中で自然に起こる描きたいという衝動は、個の私より前にある大きな私から生まれているものです。
それに対して、
・自分を小さく見積もる
・比較してしまう
・自分を卑下する
こういったマインドが出てきたら、一度ぜんぶ大きな私に捧げてみてください。判断しているのは個の私であって、衝動の源はもっと奥にありますから。
そして、ゆっくりでいいので
・行為は起こるものか?
・個の私がコントロールしているのか?
という根本の部分も、少しずつ見ていくと良いですよ。
>ただ肝心の「楽しく描く」が
出来なくて、気持ちも乗らなくて、抜け殻みたいなものしか出来なくて、それが嫌で
今は描くのをストップしている状態です。
→ よく分かります。
真理探求も、創作も、願望実現も、どれも同じで時空という制限の中ではゆっくり進むしかありません。
始める → 続ける → 少し変化
また
始める → 続ける → 少し変化
この地味な繰り返し以外の道はないんですよね。
だからこそ、私たち個は定期的に癒しや、励ましが必要になります。恩寵の流れは常に最適に動くけれど、世界側はのんびりしている。
真の呪いとは、この「のろい」ことである。
と冗談めかして言いたくなるほど!笑
しかし、それでも、ある時、飛躍は起きるのです。
そういえば、あなたの近くに弁財天を祀っている神社やお寺はありませんか?
もしあれば、一度お参りして、絵にまつわる全部を捧げてみてください。悩みも迷いも、正直に全部渡してしまう形で。
>大きな私には輪郭がない。愛にも輪郭はない。個の私には輪郭がある。個の輪郭=エゴのような気がしました。なので輪郭を消して大きな私に触れてみたら個の私の中に大きな私が入ってくるような感覚になりました。
→ その理解、いいですね。輪郭があるからこそ、思考も物語も人生も区別や比較も成り立つ。そして輪郭が少しふわっとする時、大きな私の方が前景に出てきやすくなります。
>純愛型タイプの道
>これ良いですね〜!強く惹かれます。
→ いいですね。大きな私くんは、あなたが悩んでも動けなくても落ち込んでも、何をしても一切変わらずにただそこにいます。表向きは二元に見えても、本質的にはあなたと大きな私くんはひとつ。
千と千尋の、「千尋とハク」のような関係です。
もしあなたが真実の意味での愛に惹かれるなら、
愛は喜びや平和や癒しや明るさだけでなく、
大きな悲しみや寂しさや失敗さえも含んでいることを少しずつ知っていくといいです。
大いなる悲しみは、大いなる慈しみにつながります。だから、あなたに今起きていることに無駄はなく、意味がないものもないんです。
462
:
り改め りょうせい
:2025/12/02(火) 21:42:21 ID:nQcRHfoo0
>>451
探究をしていく中で「他人を見下してしまう感じ」が出てくるのは、正直に言うと、ほとんどの探究者に一度は起こる現象なので、まずそこまで自分を責めなくて大丈夫です。
なぜかというと、探究が進むというのは、
エゴの暗雲だらけの空に、少しずつ光が差してくるような流れだからです。
当然、探究者にとっては進歩を望み、退化を恐れるものです。
そして今の世界全体を見れば、
探究して目覚めの方向へ向かう人よりも、
「そっちには向かわないようにしている人」「まったく興味がない人」の方が圧倒的に多いですよね。笑
その中で、あなたの中には
・「ちゃんと目覚めの方向に進みたい」
・「無明のままではいたくない」
という志がすでにあります。
すると、エゴに眠っている人や、あまりにも無自覚に生きている人を見たとき、反面教師のような形で、
(ああはなりたくないな・・)
という気持ちが自然に立ち上がります。
それが「見下し」のような形で心に出てくることがある、というだけのことです。
相対的なレベルで見れば、たしかに段階の違いは確実にあります。
だから、
・直接本人に「見下し」をぶつけて攻撃すれば当然トラブル。
・心の内側で一瞬そう感じる → 正直、そこまで問題ではない。
という区別で見て大丈夫です。
それと、他人への見下しや嫌悪の感覚の中には、
「過去の自分」への嫌悪や恥ずかしさが含まれている場合も多いです。つまり、その人の中に「昔の自分」を見てしまうから、
余計にモヤっとする、というパターンですね。
その残りかすがまだ心に残っているからこそ、
似たものを外側に見たときに反応してしまう、という側面もあります。
いずれにせよ、最終的に、真のあなたがはっきりしてくると、
・段階やレベル
・他人の未熟さ
・自分の過去の愚かさ
こういったものは全部「一つの大きな運動の中の表面的な物語」にしか見えなくなっていきます。
なので結論としては、
・見下しが起きても「うわ、ダメだ・・」と過剰に責めない
・「ああ、こういう心の動きも今ここでただ起きてるだけなんだな」と眺める
・必要以上にストーリーに乗らない
これで十分です。
もしこれが何年も何十年も続き、
四六時中「見下しと自己嫌悪」に囚われ続けてしまうなら、そのときはもう少し深くテーマとして扱う必要が出てきますが、
今あなたが書いてくれた感じなら自然な通過点として起きている現象の範囲内だと思いますよ。
463
:
り改め りょうせい
:2025/12/02(火) 21:52:12 ID:nQcRHfoo0
>>453
横入りすみません。笑
>悟った者が因果やカルマを「理解している」?
→これは、「私や/あなた」という分離構造そのものが薄れていくことで、出来事や流れを全体として見る視点が自然に開けてくる、という方が正確です。
真相としては、個の私(りょうせい)という分離した夢の中のキャラとしての主体が特別な理解を得ているわけではありません。
「本当の私=本当のあなた」という境界のない領域の中で、ただこのやり取りそのものが自然に動いているだけです。
ただ、相対的に見るなら、探求者が「私は在る」「純粋意識」へ安定して深まるほど、
純粋意識と全体意識、さらにそれすら超えた領域の境界には、たしかに叡智と呼べる光のようなものがあります。
個が努力して洞察を得るというよりも、
個が透明になっている瞬間に、その光がただ通り抜ける。そういうニュアンスのほうが本質に近いでしょう。
本来、「それ」を正確に伝えるなら沈黙、
つまり「その立場としてただ在る」ことが最も適切です。しかし沈黙では会話が成立しないので、沈黙のすぐ手前の領域から言葉が自然に生まれてくるわけです。
世界という相対の視点で見れば、
この叡智はたしかに特別で不可思議に見えるでしょう。けれど、私自身の立場からは個の私は完全に気づかれる側にあります。
だから、個の私も、世界も、個のあなたも、
すべては「真のあなた」の中でゆらめくひとつの流れです。
ここに現れている個としての私たちは、
ただ「それ」のさまざまな元素的な運動、エネルギーの働きであり、それの表現にすぎません。
なので、個としてのりょうせいに特別な力があると思わないでください。笑
私が恩寵を扱っているのではなく、
恩寵が個の私を扱い、動かし、この会話すら起こしているだけです。そしてこの恩寵の働きは、あなたにもまったく同じように流れています。
探求が深まるにつれ、この「誰のものでもない叡智」は、個のあなたが成長するという意味ではなく、個が静まった分だけ、また同一化が消えた分だけ、自然に流れ込んでくるようになります。それは「個の私が得るもの」というより、ただ真のあなたの側が前面に現れてくるだけのことです。
必要なときには、必要な分だけ、静かにやってきて、自然に働き始めます。これも真理における、不思議でとても楽しい側面ですね。
464
:
り改め りょうせい
:2025/12/02(火) 21:59:16 ID:nQcRHfoo0
>>454
まず最初にはっきり言っておきます。
許せないなら、許せないままでいいんです。
無理に許す必要はどこにもありません。
親や身内のテーマは「個の私の物語」の根源的な層なので、扱いが難しく、深い痛みが出るのは自然です。
意識が身体と名前と同一化して最初に出会う存在が親なので、ここで大きく揺れるのは当然です。
そして大前提として知っておいてほしいことがあります。
「許そうとする」「受け入れようとする」という行為は、個の努力だけでは完全には達成できないということです。
なぜなら、個の私がどれほど努力しても、真のあなたである
・愛そのもの
・自由そのもの
・無条件そのもの
・平和そのもの
・許しそのもの
・豊かさそのもの
・完璧そのもの
といった本質そのものの領域には完全一致できないからです。
もし個が完全に本質と一致してしまえば、その瞬間、個の私はどこにも見つからなくなる。
つまり、心やマインドや精神は、本質そのものにはなりきれない構造を持っています。
だから、あなたが完璧に許せないのは当たり前で、努力不足でも弱さでもありません。
むしろ、「許せないまま」のほうが「動きとしての個」の正しい構造でもあります。
ただし、真理探求が進み、本当の私の側に立場がゆっくり移っていくと、見え方が少しずつ変わってきます。
・許せても許せなくても、どちらも意識の中のひとつの動きだった
・ひどいことをした人もされた人も、真相としては自然発生した記憶の中の動きだった
・加害でも被害でもなく、その状況ではそれ以外が起きようのなかった必然の流れだった
・また、短期的には痛みでも、長期的には個が物語そのものを超える動機になることがある
・真理実現した瞬間、黒だらけのオセロが全部白に変わるように、意味が反転する場合がある
こうした視点は探求が深まるほど自然に開いていくものです。
※ただし、この視点を早取りして現実の傷を雑に扱うのは絶対に避けてください。
(探求者が非常に落ちやすい罠です)
なので結論としては、
・絶対的視点では物語は夢のように存在していない
・相対的視点では、親を許せなくてOK。ただし個の私の心の傷は丁寧に扱い癒す必要がある
この二段構造で向き合うのが最も正しいです。
相対的な側では、
・加害者を反面教師として見る
・「自分はこうはならないようにしよう」と方向性を決める
・同時に行為は自然発生的に起こるというパラドックスを理解していく。これが成熟した探求です。
たとえば親について。
>こんな親の下で生まれたくなかった。憎んでいる。何十年も感じきっても消えない。
こういう場合、まず知っておいてほしいのは、
「感情そのものをどうにかする」というより、もっと深いレベル、身体感覚の微細なエネルギーに硬直や詰まりが起きている、ということです。
だからこそ、これは感情論よりも、
時間をかけて「体感的に」解放されていく必要がある領域なんです。
意識そのもので在る、というのは、
この身体感覚にも気づいている領域のことを指します。
だから個のあなたは、
・許せないままでいい
・癒えていなくていい
・どう扱えばいいかわからないままでいい
この「そのまま」の状態でいる方が、実はずっと早く癒えていきます。
なぜかというと、個がコントロールしようとしないことで、真理側(恩寵)が扱える余地・余白が残るからです。
逆に、個が必死に許そう、感じきろう、解決しようとすると、その余白はすぐに潰れてしまう。
私たちの心の奥には、多くの「傷ついた記憶」や「痛みを抱えた私たち」が地下に住んでいます。
それらを癒せる方法はただ一つ。
個の私が何かするのではなく、
本当の私の立場から気づいてあげること。
その気づきの光(純粋意識)を静かに当て続けること。つまり、本来のあなたとしてただ在ること。
これが超絶シンプルでありながら、
純粋意識であるあなたが、心や想念、物語たちにしてあげられる最も優しい行為です。
そうして少しずつ同一化がほどけ、
それらは浄化され、至福・平和・安心としての本来のあなたへ還っていきます。
深い意味での癒しやヒーリング。これもまた、真理探求者にとって見逃しがちな、とても大切な側面です。
465
:
幸せな名無しさん
:2025/12/02(火) 22:14:50 ID:yfC47Eig0
>>462
りょうせいさん、ありがとうございます。
的確かつ解答が優しく丁寧で言葉が出ませんでした。
まず、そこまで責めなくてもよいとのことで大変安心いたしました。わたしの中では自分がよっぽど偉いとでも思ってるのか!と自分が気持ち悪くなる瞬間があり、これさえなくなれば!と思うことがありましたが、四六時中囚われているわけではありません。
わたしも独学と自分の感性でだけで真理探究を続けていますが、やはり限界があり立ち止まることが何度もあります。
前の方の書き込みでグルやガイドの背中押し、と書かれていましたが、どうしたらそういう方の手助けが得れますか?
466
:
幸せな名無しさん
:2025/12/03(水) 11:26:44 ID:7HC/qxrg0
意識としての自分がただあるだけ。
世界としての現実がただ起こっているだけ。
であれば、
自分=世界が腑に落ちない。
467
:
幸せな名無しさん
:2025/12/03(水) 11:32:03 ID:7HC/qxrg0
全く関連性がないじゃないか。
何が起ころうとも意識は傷つかないように。
468
:
幸せな名無しさん
:2025/12/03(水) 12:47:06 ID:HMF.9dYw0
>>464
詳しいお答えありがとうございます。
大変明快で、わかりやすいです。
特に
>>本当の私の立場から気づいてあげること。
その気づきの光(純粋意識)を静かに当て続けること。つまり、本来のあなたとしてただ在ること。
というのが、ミソなのかなと思いました。
私は今、許せないということに加えて、孤独感と無気力にも悩んでいます。
これらも同じように、「孤独を感じているのだな」「何もしたくないんだな」と本当の自分が気づいてあげ続ければ良いのでしょうか。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板