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鬼和尚の仏教購読会 別館
46
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/11/07(水) 22:00:10 ID:1d4drIFg0
小周天によって頭に気を上げるのを進陽火というのじゃ。
陽の気を頭に導くのじゃ。
頭の中で気は陰の気にかわるのじゃ。
それを丹田に向けて下ろすのを退陰符というのじゃ。
この陰陽の循環を何度も繰り返すのじゃ。
47
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/07(水) 22:11:13 ID:LC3de7YgO
>>46
そうでありますよね。くまは光よりも熱感として、感じたであります。
人体の不思議であります。
虹色の光もちょぴっとの間だけ見えたであります。
けど、なぜかとらわれなかったであります。
(´・(ェ)・`)つ
48
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/08(木) 04:00:13 ID:LC3de7YgO
>>45
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第一話 催眠術を解く(つづき)
より抜粋
『黄金の華の秘密』は言う。人は男性的であってもいけないし女性的であってもい
けない、どちらの極にも傾かず、ちょうど真ん中にいなければならない、と。
そうなったらバランスがうまれる。そうなったら活動的でありながら、しかも
内側深くではくつろいだままでいることができる。
そうなったらくつろいでいながら、しかも外側では活動を続けることができる。
外側では太陽を重視し、内側では月を重視するがいい。
太陽と月をあなたの内側で出会わせ、あなたはちょうどその真ん中にいればよい。
そして真ん中にいることに超越がある。
光を巡らせる瞑想は、ひとえに逆流の動きにかかっている。
それにより思考の集中が起こる。 天上のこころハートは太陽と月のあいだに位置
している。
人間は中心であると同時に周辺でもある。
周辺に向かって動いてゆくと、たくさんの思考が湧き起こってくる。
周辺は”多”から成っている。中心はひとつだ。
中心に向かって動いてゆけば、思考は消えはじめる。
まさにその中核においては、いっさいの思考が消え、ただ覚醒のみがある。
この秘法の書が述べているのはそのことだ---それにより思考の集中が起こる。
光は内側に向かって動いてゆかなければならない。
樹を見ているとき、あなたの目は、その光を樹に向かって放出している--- 光は外に向かって動いている。
目を閉じると、光は内側に向きを変えはじめる--- メタノイア、悔い改め、回帰が起こる。
そして光があなた自身の実存に降り注ぐとき、自己認識、自己知が生まれる。
その自己知はあなたに自由をもたらす--- いっさいのしがらみからの自由、 いっさ
いの執着からの自由、死からの自由、肉体からの自由を。
それはあなたの内部に魂をつくりだす。
グルジェフがよく弟子たちに言っていたのはそのことだ。
あなたがたは魂をもって生まれてきたのではない、あなたは”メタノイア”によっ
てそれをつくりださねばならない、と。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
49
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/11/08(木) 22:44:31 ID:1d4drIFg0
>>47
そうじゃ、昔の本では呼吸法によって丹田に光を感じるまで修業するのじゃ。
それから光を巡らせていくのじゃ。
今は進歩して熱だけでも感じたら逆流させてよいというのじゃ。
効果は変らないのじゃ。
大量の気が頭頂にまで達すれば心は停止してサマーディが起こるのじゃ。
50
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/09(金) 05:44:23 ID:LC3de7YgO
>>48
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第一話 催眠術を解く(つづき)
より抜粋
黄庭経にはこう記されている。 「一尺四方の家の一寸四方の場所で生命を統制する
ことができる」あなたの肉体のこの小さな寺院のなかで、生命を統制することがで
きる。
一尺四方の只なかには、光輝く者が住んでいる。 碧玉の都の紫の広間には、最も空
虚で生命力のある神が住んでいる。
いかにも矛盾した言明だ--空虚さと生命。
生命は男性的であり、空虚さは女性的だ。
生命と空虚さ---両者は内なる神がもつふたつの顔だ。
そのどちらかを選り好みしなければ、まったく選ぶことをせず、ただ見守り続けて
いたら、人は一方には死の顔を、もう一方には生の顔をもつ神に---一方には完全無
欠な顔を、もう一方には無の顔をもつ神になる。
ゆえに、光が巡ると、全身の気が玉座の前に現れる。
そして光が内側に向かって動き、あなたの実存のなかを巡るとき・・・というのも
、出口が残されていないからだ。瞑想とはまさにそれだ。
仏陀が菩提樹のもとでやっていたのはまさにそれだ。
あなたは静かに座り、すべての扉を閉める。
すると光が内側で巡る。
そのときあなたは肉体と肉体のなかにあるすべてのものに、そのすべての神秘に気
付くようになる。
この小さな肉体のなかに宇宙のいっさいの神秘が含まれている。
肉体は小宇宙だ。
ゆえに、光が巡ると、全身の気が玉座の前に現れる。 それはあたかも聖王が都を建
設し、支配の基本原則を定めると、すべての国が貢物を携えて来るようなものであ
る。
あるいは主人が寡黙で穏やかであれば、男女の召使が進んで主人の命令に従い、各
自の仕事につくようなものである。
そしてこの光がそこにあり、あなたの内側を巡っているとき、肉体は召使になる。
五感は従順な召使になる。それらをコントロールしようとする必要はない---それら
はひとりでにあなたに従う。
これがタオの美しさだ。
けっして何も強制することがなく、品性を磨きたいという欲求もない。
タオは言う。
ただ光に満ちあふれればいい、そうすれば他のことはすべてついてくる、と。
ゆえに、汝の為すべきことは光を巡らせることのみ、 これが最も深遠で霊妙な秘法
だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
51
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/11/09(金) 21:35:24 ID:1d4drIFg0
道教の昔の法では頭の中に一つの家をイメージするのじゃ。
両目両耳が窓で頭の天辺が玉座なのじゃ。
そのようにイメージして正確に頭頂に気を導くのじゃ。
それはヨーガではブラフマランドラというブラフマンの座と同じなのじゃ。
気がそこに至ればサマーディは自然に訪れるのじゃ。
クンダリニーヨーガと同じく強い精神の集中なしにサマーディに入れるゆえに貴重な法といわれるのじゃ。
52
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/09(金) 22:40:51 ID:LC3de7YgO
>>51
くまがやった時は、首筋から頭蓋骨の付け根から後頭部の表面くらいまでは熱感を上げられたでありますが、脳内にまでは行かず、取敢ず、そこから、額に気を飛ばしたことにして、そこから丹田まで降ろして、
小周天完成として、安心を得たであります。
(´・(ェ)・`)つ
53
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/10(土) 09:12:17 ID:LC3de7YgO
>>50
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第一話 催眠術を解く(つづく)
より抜粋
光は動きやすいが、一点に定めがたい。だが久しく巡らせば、光はおのずと結晶す
る。
『汝は黙して朝あしたに飛翔す』と記された境地はそれだ。
非常に重要なことがこの経文のなかで語られている。
光は動きやすく、固定させるのがむずかしい。
だから光を一点にとどめておこうとしないこと。
ここでヨーガは容易にできないことをやろうとする。
ヨーガがむずかしく、骨が折れるのはそのためだ。
ヨーガは光を一点にとどめておこうとする。ヨーガはまた両目のあいだ---眉間のち
ょうど真ん中、第三の目のセンターに光をとどめておこうとする。
ヨーガは光を一点に固定させようとする。
タオとヨーガの違いはそこにある。
ヨーガは光をとどまらせようとする。「第三の目に意識を集中させなさい」---要約
するなら、ヨーガの哲学はそれにつきる。
「すべての意識を第三の目に集中させることができたら、人は変容する。両目はひ
とつになり、人は光で満たされる」
そして第三の目を超えると---第三の目はヨーガの意識の地図では第六のセンターだ
---六番目を超えると七番目のセンターがある。
第七のセンターは「一千枚の花弁をもつ蓮華」と呼ばれている。
光を第三の目に集中させると、容量の限界に達した光は、第七のセンターを押し開
こうとする。
それは貯水池の水のように上昇しはじめる。
第七のセンターに圧力が加えられることで、何世紀にもわたり、何百万もの生にわ
たって閉じたままだったつぼみが開く。
タオは別の観点から働きかける。タオは言う---光を一点にとどめておくことはひじ
ょうにむずかしい。
光をとどめておくことに気を取られてはいけない。
光を巡らせるやり方が簡単だ。
心マインドにとっては巡らせることがいつもやさしい。動くことが心の本性だ。
心にとって集中することはつねにむずかしい。そうだとしたら、なぜ心の潜在能力
を使わないのか?なぜそれを活用しないのか?
タオは自然であることを大切にする科学だ。
手を加えないこと。無理強いしないこと。
自分で不必要なもめごとをつくりださないこと。
心にそなわる自然な能力---動くという能力、動くことを好むという能力、さまよう
という能力を活かしなさい。それを使うのだ。
光を巡らせなさい
---光を巡らせる方法については後で語り合うことになるだろう ---
経路を見いだして、光を巡らせなさい。
(´・(ェ)・`)つ
54
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/11/10(土) 22:24:08 ID:1d4drIFg0
>>52
オショーが丁度それを語っているのじゃ。
シンクロニシティという奴じゃな。
光を一点に定めるのは難しいというのじゃ。
気はエネルギーであり、本来激しく動くものであるからコントロールは困難なのじゃ。
ヨーガでは何が何でも集中するから難しくなってしまうというのじゃ。
タオではとにかく何度も何度も光を巡らすとよいというのじゃ。
そうすれば自ずから光は玉座に入るであろうというのじゃ。
それが自然で善い方法なのじゃ。
経絡により気の導かれる道が在るから光が強くなれば自然にそこに入って玉座まで行くのじゃ。
実践で確かめるのじゃ。
55
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/10(土) 23:11:13 ID:LC3de7YgO
>>54
鬼和尚、ありがとうであります。
くまが虹色の光を見れたのは2〜3回だけだったのでありますが、その後熱感を意念で動かしてた時は、光が見えてると言うよりも、臍下丹田に生じた熱をもやっとした白い光の玉としてイメージして体内を
回していたであります。
(´・(ェ)・`)つ
56
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/11(日) 01:59:05 ID:LC3de7YgO
>>53
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第一話 催眠術を解く(つづき)
より抜粋
光を巡らせることで、道家の人々は七〇〇の鍼はりの経穴つぼを発見した。
光を全身に巡らせることによって、 彼らは光が強烈に輝くポイントが七〇〇
あることに気付いた。 彼らはそれらを正確に数えあげた。
今や科学がそれを立証している。正確に七〇〇の経穴がある。
今や人体の七〇〇の経穴を画像でとらえ、どの経穴で光が失われているか、どの経
絡けいらくに気エネルギーが 流れていないかを示す機械さえもが発明されている。
道家の人々はどのようにしてそれを知ったのだろう? 彼らには機械も科学技術もな
かった。彼らの唯一の技法は、内側に入って光を巡らせることだった。
どのようにして光を巡らせるか、その具体的な技法についてはあとで触れる。
今は道家の人々の方法がどういうものかを 正確に理解する下地をつくっているだけ
だ。
彼らは言う---光を巡らせ、さらにそれをまわし続けてゆくと、ある地点で光はおのずと結晶化する、と。
光を一点にとどめておくことは心配しなくてもいい。
それをぐるぐるぐるぐるまわしてゆくと、ある瞬間、すべてのものが止まっている
のに気付く。
ヨーガが懸命に起こそうとしていることが起こっている。
タオにおいては、それは自然に起こることだ。
ヨーガにおいては、それは長く険しい努力の旅になる。ヨーガは男性指向だ。
タオは女性指向ではない。 タオはその両方---それらの統合だ。
巡らせるのは男性的なエネルギーであり、 一点にとどめておくのは女性的なエネル
ギーだ。
行為を通して無為に到り、受動性にたどり着く。 努力を通して無努力を達成する。
この根本原理を実践する際には、他の技法を探し求める必要はない。
ただ汝の思考をそれに集中させればよいだけだ。
思考を集束させることによって、人は飛翔することができ、天上に生まれる。
黄金の華とは生命の仙薬のことだ。
これがあらゆる不死なるものの奥義だ。
西洋の錬金術師たちが「賢者の石」と呼んでいたものはこれだ。
これはインドでは「アムリタ」---霊薬、甘露---と呼ばれている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
57
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/11/11(日) 22:24:42 ID:1d4drIFg0
>>55
そうじゃ、どんどん続けるのじゃ。
廻している内にそれは玉となり、仙薬となるというのじゃ。
それは丹と呼ばれるのじゃ。
インドでは肉体に固定した円光をチャクラと呼ぶが、タオではそれは肉体を動くものであるというのじゃ。
それが丹なのじゃ。
58
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/12(月) 07:12:00 ID:LC3de7YgO
>>56
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第一話 催眠術を解く(つづき)
より抜粋
『黄金の華の秘密』は錬金術の論所であり、体内化学を錬金術に変容させ、卑金属
を黄金に変容させる秘法をあなたに授ける。
今現在のあなたは卑金属にすぎない。が、あなたはその秘法を内に秘めている。
もしその秘法が成し遂げられたら、あなたは黄金に変容する。黄金は不滅だ。
黄金の華とは生命の仙薬のことだ。効き目は実に確かだが、ひじょうにとらえがた
いので、最高度の知性と明晰さ、そして完全な受容性と静謐せいひつさが必要とさ
れる。
この最高度の知性と理解力をもたない者は、道を見いだすことがない。
この受容性と静謐さをもたない者は、それをしっかり保つことができない。
二つのことが求められている。
第一に、人は知性と明晰さを必要とする。
これらのことは気にかけなくてもいい。
自分に知性がなかったらどうしようなどと考えはじめたりしないこと。
人はみな知性をそなえて生まれてくる。
知性とは内在する資質だ---誰もが息をしながら生まれてくるように、人はみな知性
をそなえて生まれてくる。
聡明な人もいれば聡明でない人もいるという考えは完全に間違っている。
この考えはじつに多くの人々の人間性を奪ってきた。
じつに屈辱的で、人を見下した考え方だ。
人はみな知性をそなえて生まれてくる。
むろん、ひとりひとりの知性の現れ方は違うかもしれない。
音楽に知性を発揮する者もいれば、数学に知性を発揮する者もいる。
だが、数学を基準にすれば、音楽家には知性が欠けているように見える。
数学を判断基準にする試験を二人に受けさせれば、音楽家は落第する。
基準を変え、音楽をもとに判断する。そして音楽が決め手となる試験を二人そろっ
て受けさせれば、数学者は馬鹿に見える。
私たちは一定の基準を選んできた。多くの人が馬鹿だと言って非難されるのはその
ためだ---彼らは馬鹿なのではない。私は馬鹿な人間にはただのひとりも出会ったこ
とがない---そんなことはありえない。
だが、その人の知性は知性の種類が違うのかもしれない。
詩には、商売をするときとは別の種類の知性が必要とされる。詩人は商売人にはな
れないし、商売人も自分は詩人にはまずなれないということに気付くだろう。
政治にたずさわる者にはある種の知性が必要とされる。
絵を描くには別の種類の知性が必要とされる。
そして数限りない可能性がある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
59
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/12(月) 21:25:57 ID:LC3de7YgO
>>57
鬼和尚、ここ数年は瞑想も気功もできてないのであります。
失業中は、40分くらいづつ、1日に5〜8時間座ってたのでありますが、職を得てからは、飲む機会も多く、とは言い訳でありますが、もっぱら意識的にあろうと心掛け、推薦図書を毎日読むばかりであり
ます。
残念なくまであります。
(´・(ェ)・`)つ
60
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/11/12(月) 22:05:54 ID:1d4drIFg0
錬金術とは卑金属を貴金属に変容することなのじゃ。
卑金属は鉄などのように時によって錆びたりしてしまうものなのじゃ。
貴金属は金のように千年経っても錆びないものなのじゃ。
故に永遠の象徴なのじゃ。
そうであるから人を死という限界の在るものから、死を超越した者とする方法は錬金術に例えられるのじゃ。
61
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/13(火) 06:43:30 ID:LC3de7YgO
>>58
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第一話 催眠術を解く(つづき)
より抜粋
いいかね、人はみな知性をそなえて生まれてくるのであって、ただひとりの例外も
ない。
あなたは自分自身の知性を---それがどこにあるかを見つけ出すだけでいい。
ひとたび自分自身の知性を見出したら、あなたは明晰になる。
人々は明晰さを欠いたままで生きている。
それは彼らが間違った自己観念を抱いて生きているからだ。誰かが---先生が、校長
が、大学教授が「おまえは知性的ではない」とあなたに言った。だが、彼らの基準
はあくまで択一的なものであり、その基準をすべての人に当てはめることはできな
い。
大学はまだ普遍的ユニヴァーサルなものにはなっていない。あらゆる種類の知性を
許容しているわけではない。知性があらゆる形で顕現するのを認めているわけでは
ない。
ひとたび自分自身の知性を受け入れて、その知性に敬意を表しはじめたら、あなた
は明晰になり、問題は何もなくなる。
詩人は、商売がうまくやれないために自分は馬鹿だと感じる。
さあ、そうなったら混乱が生じる。彼は自分のことを劣っている と見なして、冷笑
的になり、非難するようになる。商売で成功しようとしても、できるものではない。
彼はひどい煙に巻かれて自分が見えなくなってしまう。 もし彼が「私は詩人であっ
て商売人には向いていない。 商売人として成功することは自殺行為に等しい。 私は
詩人として成功するべきだ」 とあっさり理解したら---それが彼の知性であり、そし
て彼の知性は彼なりの仕方で花開かなければならない。 彼は誰の真似もするべきで
はない。社会はその代価を払わないかもしれない。なぜなら、詩は爆弾ほどには必
要とされていないからだ。 愛は憎しみほどには必要とされていないからだ。
映画やラジオやテレビで殺人が許されているのはそのためだ。
殺人を猥褻わいせつな行為とは呼ばない。 ところが愛の交歓は許されず、「猥褻な
行為」と呼ばれる。
この社会は愛ではなく憎しみを通して生きている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
62
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/11/13(火) 22:41:57 ID:1d4drIFg0
>>59
少しずつでもやるとよいのじゃ。
一日五分の実践でも進歩は在るのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
63
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/13(火) 22:56:41 ID:LC3de7YgO
>>62
その通りでありますね。
ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ
64
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/14(水) 05:43:16 ID:LC3de7YgO
>>61
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第一話 催眠術を解く(つづき)
より抜粋
誰かが人を殺していても、少しも騒ぐことはない。誰かがあなたの心臓に短剣をつ
きさして、血が泉のように噴き出しても、少しも騒ぐことはない。だが、誰かがあ
なたを抱きしめ、キスをして、あなたを愛すれば、社会は恐れる。 これはおかしな
ことだ---愛は卑猥な行為だが、殺人は卑猥な行為ではない。 恋人たちは非難される
のに、兵士たちは称賛される。
戦争は正しいが、愛は間違っている。みずからの知性を受け入れたら、自分自身を
受け入れたら、あなたは明晰に、このうえもなく明晰になる。
雲はすべて晴れる。 そして第二に、あなたには受容性と静謐せいひつさが必要だ
ということ。
知性と明晰さは男性的な精神の一部だ。
受容性と静謐さは女性的な精神の一部だ。
吸収することができるのは女性だけであり、 だからこそ女性は妊娠する---子宮を
もっている。
これら二つのことが同時に必要とされている。
知性が欠けていたら、あなたは何を言われているのか理解することができない、 師
が何を分かち与えてくれているのか理解することができない。
そして女性的でなかったら、あなたはそれを吸収することができない、それを子宮
に宿すことができない。
その両方が必要とされている。
要点を見抜くために、あなたは知性的でなければならない、このうえもなく知性的
でなければならない。
そしてそれを内側で保つために、あなたは このうえもなく受容的でなければいけな
い。
そうすれば、それはあなたの一部になることができる。
これはたんなる下地だ。 徐々に徐々に、私たちは光を巡らせる具体的な手法へと
入ってゆく。
注意深く聴きなさい、知性を働かせながら聴きなさい。
それを吸収するがいい。
それはあなたの生涯における最大の体験のひとつにもなるうるだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)
65
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/14(水) 05:49:10 ID:LC3de7YgO
>>64
10月17日からはじめた、第一話「催眠術を解く」おわりであります。
今後が楽しみであります。
(´・(∀)・`)つ
66
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/11/14(水) 21:33:22 ID:1d4drIFg0
>>63
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
オショーは知性と受容性が必要というのじゃ。
知性で理解したことも受容性があって始めて自分のものになるというのじゃ。
知識だけでは何も新しいことは受け容れられないのじゃ。
受容できれば知識も役に立つものとなるのじゃ。
67
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/15(木) 06:21:43 ID:LC3de7YgO
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み
より抜粋
呂祖師は言った。
原初の精神と真の本性のみが時空を克服する。
原初の精神は両極の違いを超えている。天と地は此処ここより生ず。
原初の精神をとらえるすべを体得すれば、学人は光と闇の両極を克服し、もはや三
界にとどまることはない。
だが、人間がもって生まれた本来の顔を洞察した者のみが、これを行うことができ
る。
人が体内から解放されるとき、原初の精神は一寸四方のなかに住むが、意識的精
神は下方の心臓ハートのなかに住む。
この心臓は外界に左右される。もし人が一日でも食べなければ、心臓は極度の不快
感を覚える。
恐ろしいことを聞くと動悸を打ち、腹の立つことを聞くと鼓動を止める。
死に直面すれば悲しみ、美しいものを見れば目がくらむ。
だが、頭蓋ずがいのなかにある天上のこころハートは、 少しでも動いたことがある
だろうか?
「天上のこころは動かないのか?」 と問うならば、「一寸四方のなかにある真の思
考がどうして動くだろう」 と答えよう。
低次の心臓ハートは、強い力をもった将軍のように振る舞い、 天上のこころハート
をその弱さゆえにさげすみ、国政の指導権を奪い取った。
だが、根源の城の防備を固め、防御することができれば、強力で賢明な君主が王座
についたようなものである。
両目は、左右の大臣がこころを尽くして君主を補佐するように光を巡らせはじめる。
中央の支配はこのようにして整い、反抗する英雄たちはみな槍を倒して列席し、進
んで命令に従う。
生命の仙薬への道は、種子の水、精神の火、思考の土--- これら三つのものを至上
の秘術として知っている。
種子の水とは何か?それは真実にして一なる気(エロス)のことだ。
精神の火とは光(ロゴス)、思考の土とは直観のことである。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
68
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/11/15(木) 22:44:08 ID:1d4drIFg0
悟りを得るというのも何かを得たりするものでもないのじゃ。
本来の認識に回帰することなのじゃ。
そして原初からあった永遠の意識に戻ることなのじゃ。
それだけが実在し、不死に至ることができる境地なのじゃ。
69
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/16(金) 07:16:34 ID:LC3de7YgO
>>67
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
『 ある日のこと、王は道化師を呼ぶと、宮廷にいならぶ人々の面前で一本の杖つ
えを渡してこう言った。
「この杖を職杖としてもってゆくがいい、おまえよりも愚かなやつが見つかるまで
あずけておこう。見つけたら、この杖をその者に渡すのだ」
その後しばらくして、王は病にかかり、死の床についていた。
王はその誠実さを厚く信頼していた道化師に会いたがった。
道化師がやって来ると、王は彼にこう言った。
「おまえを呼んだのは、長い旅に出ることを告げるためだ」
「どこへ行かれるのです?」と道化師は尋ねた。
「はるか彼方の国---あの世へだ」
「あの世への旅支度はもうおすみですか、御主人様?」
「まだ、何もできておらん、このたわけもの」
「あちらには、どなたか出迎えてくれる友人がいらっしゃるのですか?」
「いや、ひとりもいない」と王は答えた。
すると道化師は、悲しげに首をふりながら、例の杖を王の手に握らせてこう言った。
「この杖をお取りください、陛下。これはあなたのものです。旅支度もせず、あの
世に行こうとなされているのですからね。この杖は誰のものでもない、他ならぬあ
なたのものです」
生とは、死と彼方の世界にそなえて身支度を整える機会だ。
死と彼方の世界に対する準備を怠っているとしたら、あなたは愚か者だ。
あなたは大いなる機会を取り逃がしている。
生とは機会にすぎない。
本当の<生>は、まさにこの生のどこかに隠されている。
だが、それはよびおこされねばならない、目覚めさせられねばならない。
それは深く眠りこけていて、まだみずからに気付いていない。
そしてあなたの本当の<生>がみずからに気付いていなければ、あなたのいわゆる
生はたんなる長い夢にすぎなくなる。
しかも、それは甘いものではありえない---それは悪夢になる。
本当の<生>に根を下ろさずに生きることは、大地に根をもたない樹のように生き
ることだ。
美が欠けているのはそのためだ。優美さが欠けているのはそのためだ。
ブッダたちが語る人間の輝きがあなたに見えないのはそのためだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
70
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/17(土) 07:51:40 ID:LC3de7YgO
>>69
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
イエスは何度も何度も言っている、「神の王国はあなたの内側にある」と。
だが、あなたは帝王のようには見えない。イエスは弟子たちに言う。
「野の百合ゆりを見なさい。なんと美しいのだろう!
偉大なソロモン王ですら、いかに華麗に飾り立てても、この貧しい百合の花ほどに
も美しくはなかった」
なぜ百合はこうも美しく、人間はこうも醜いのだろう?
なぜ人間だけが醜いのだろう?
醜い鸚鵡おうむや醜い孔雀、醜いライオンや醜い鹿を見たことがあるだろうか?
醜さは人間特有のもののように思われる。
孔雀は孔雀であり、鹿は鹿だ。だが人間はかならずしも人間であるとはかぎらない。
人間は仏陀のような人、キリストのような人、クリシュナのような人であってはじ
めて人間だと言える---みずからの全一な存在に気付いてはじめて人間だと言える。
そうでないとしたら、あなたは暗闇のなかを手探りしながら生きている。
あなたは無意識の暗い洞窟のなかで生きている。
あなたは意識があるように見えるだけだ。
あなたの意識はひじょうにもろい。
それはひじょうに移ろいやすい。それはとても薄い表層だ---皮膚一枚の厚さもない。
少しでも引っかけば、意識はどこかへ行ってしまう。
誰かがあなたを侮辱する。ほんのひと言、ささいなまなざしで、あなたの意識はす
っかり影を潜めてしまう。
あなたはかっとなり、腹を立て、凶暴に、攻撃的になる。
一瞬、あなたの人間性は影を潜め、あなたは野性にもどってしまう。再び獣にもど
ってしまう。 そして人間は獣以下まで落ちてしまいかねない。
なぜなら、人間が落ちるときには、まったく歯止めが効かなくなってしまうからだ。
人間は天使よりも高く昇ることができるが、それはまれにしか起こらない。
なぜなら、天使よりも高く昇ることは、坂道を昇るように骨が折れることだからだ。
人はそのために働きかけなければならない。
それには厳しい働きかけが必要だ。
未知なるものを探求する気迫、勇気が必要だ。
何百万もの人々が生まれては死んでゆく。
だが、彼らはけっして生きてはいない。彼らの生は見かけにすぎない。
彼らは無意識のなかに根を下ろしたままだからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
71
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/11/17(土) 22:26:23 ID:1d4drIFg0
光が玉座に入ったならば心は不動となり、なにものにも惑わされなくなるのじゃ。
自然に自我を忘れてサマーディに入るのじゃ。
五感もすべて統御されてしまうのじゃ。
弱く惑わされやすい心は光をめぐらすことにより強い不動のものとなるのじゃ。
72
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/18(日) 09:33:28 ID:LC3de7YgO
>>70
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
あなたがうわべで何をやろうと、それは あ な た に関する真実を何ひとつ含んで
いないかもしれない。
実のところ、実情はまったく逆さまだ。
ジークムント・フロイトが、あなたの真の姿を見るために夢を調べなければならな
いのはそのためだ。
その皮肉を見るがいい。あなたの真の姿は、あなたの日常の現実ではなく、あなた
の夢のなかに究明されねばならない。
あなたを、あなたが自分自身について述べることを信じるわけにはゆかない。
あなたの夢に尋ねなければならない。あなたがあまりにひどい偽者になり、あまり
に多くの仮面をかぶっているために、あなたの本来の顔を見抜くことはほとんど不
可能になっているからだ。
だが、夢や夢分析によってすら、あなたの本来の顔を知ることは ひじょうにむずか
しい。
誰が分析するというのだろう?
フロイトはあなたと同じくらい無意識だ。
ひとりの無意識な人物が、もうひとりの無意識な人物の夢を解釈しようとしている。
彼の解釈はひじょうに限られたものにならざるをえない。
彼の解釈には、あなたよりもむしろ彼自身のことが映し出されるからだ。
あなたが同じ夢をフロイト派の分析家のもとにもち込むと、ユング派の分析家やア
ドラー派の分析家のところへ行ったときとは 違う解釈を受けるのはそのためだ。
しかし今やたくさんの流派がある。
あなたは途方に暮れるだろう。たったひとつの夢に様々な解釈が加えられる。
それらはあなたに関しては何も述べてはいない。
それらは彼ら自身に関する何かを述べている。
ユング派の人々は「私はユング派だ。私の解釈はこうだ」と言っている。
夢があなたの正体を明かすことなどありえない。
意識的な行為を見てもあなたがわからなければ、眠りの活動を見てあなたがわかる
はずがない。
が、それでもフロイトは正しい道の上にいる。
人はフロイトよりももう少し深く入ってゆかねばならない。
人は夢を超えてゆき、思考、夢、欲望が存在しない心の状態に到らなければならな
い。
すべての思考が止んだとき・・・夢見は思考の一種であり、原始的な思考、絵によ
る思考だが、それが思考であることに変わりはない。
あなたが思考を超越して、しかもなお目を見張り、覚めたままでいられたら
---あたかも人がぐっすり眠りながら、しかもなお目を見張り、その実存の奥深く、
中核ではランプが、小さな蝋燭ろうそくの光が ともり続けているかのように
---そうなったら、あなたは自分の本来の顔を見る。
そして自分の本来の顔を見ることはエデンの園に戻ることだ。
そうなったら、あなたは着物をすべて脱ぎ捨てる。
あなたの人格は、着物に次ぐ着物に次ぐ着物 ---幾重にも重なる着物から成り立っ
ている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
73
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/11/18(日) 22:19:20 ID:1d4drIFg0
何故今まで述べたように光を頭頂の玉座に導き、忘我に達しなければならないのかといえばそれは心の虚飾を剥ぎ取ってくれるからなのじゃ。
自我が在る限り人は自分について虚飾のイメージを作り続け、自己の本性にさえ到達しないのじゃ。
弱さを隠すために逃避として強さを装い、更に逃避を続ける理由さえも隠すというようにのう。
サマーディに達すれば全ての虚飾は剥がれ落ち、真の本性を見ることができるのじゃ。
74
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/19(月) 06:08:47 ID:LC3de7YgO
>>72
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
この風変わりだが、計り知れない価値のある『黄金の華の秘密』という書物を
理解するうえで、ひじょうに重要な意味をもつ二つの言葉を覚えておきなさい。
ひとつは「本質(精髄)エッセンス」という言葉、 もうひとつは「人格パーソ
ナリティ」という言葉だ。 「人格」は仮面を意味する「ペルソナ」という語源
からきている。古代ギリシャ の演劇の俳優たちは仮面をつけたものだ。「ペル
ソナ」は仮面を意味する。
「人格パーソナリティ」という言葉は「ペルソナ」からきている。
ギリシャの俳優たちは一枚の仮面をつけていた。
あなた方はたくさんの仮面をつけている。
状況が変われば、仮面を変える必要があるからだ。
社長に話しかけているときには、ある種の仮面が必要になる。
使用人に話しかけているときには、当然、別の種類の仮面が必要になる。
どうして同じ仮面を使うことができるだろう?
観察したことがあるだろうか? 社長に話しかけているときのあなたは、顔中
に笑みを浮かべ、一息ごとに 「わかりました」と言っている。
たとえ気分を害し、腹を立てていても、 相手の足に口つ”けさえしかねない。
使用人に話しかけているときに見せる、自分の尊大な顔に気付いたことがある
だろうか? あなたは一度も微笑んだことがない。どうして微笑みながら使用人
に話しかけることができるだろう?それは不可能だ。 あなたは彼の人間性を剥
奪しなければならない。彼をひとりの人間として認め 、微笑みながら話しかけ
ることがどうしてできるだろう? あなたは彼を「もの」として所有しなければ
ならない。彼は奴隷だ。 あなたは社長の前で見せるのとは違う態度を取らなけ
ればならない。 社長の前では、あなたが使用人だ。社長は尊大で、横柄な態度
を取り続ける。
友人に話しかけるときには、違う仮面を使っている。見知らぬ人に 話しかける
ときには、もちろん、違う仮面が必要になる。
あなたはたくさんの仮面を使わなければならない。あなたはたくさんの顔をもっ
ていて、周囲の状況が変わるにつれて、それらを次から次へと変え続けてゆく。
あなたの人格は、たくさんの偽りの顔から成っている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
75
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/11/19(月) 22:43:41 ID:1d4drIFg0
オショーの言うとおり誰もが仮面を持っておる。
そして長年使う内にそれが自分と思ってしまうのじゃ。
それが本心を観ることをますます困難にしてしまうのじゃ。
仮面の持つ思考の条件付けに囚われてしまうからのう。
76
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/20(火) 06:00:01 ID:LC3de7YgO
>>74
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
では本質とは何だろう?
本質とは、仮面をつけていない、あなたの本来の顔のことだ。
本質とは、生まれたときに、あなたが世界にもち込んだものだ。
本質とは、子宮のなかで、あなたとともにあったものだ。
本質とは、神---あるいは全一性、全体、<存在>なんと呼んでもいい ---
によって、あなたに授けられたものだ。
本質とは、<存在>からあなたに授けられた贈り物だ。
人格は社会、両親、学校、大学、文化、文明からの贈り物だ。
人格はあなたではない。それは偽者だ。
私たちはこの人格を磨き続け、本質を完全に忘れ去っている。
この本質を想起しないかぎり、あなたは虚しい生を送ることになる。
なぜなら、本当の生は本質的なものから成り立っているからだ。
本当の生とは本質を生きることだ。
それを「魂」あるいは「内なる神」と呼んでもいい。 どんな名前で呼んでもいい。
だが、その違いを覚えておきなさい。
あなたは着物ではない、心理的な着物ですらない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
77
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/11/20(火) 22:20:43 ID:1d4drIFg0
自己の本質をどこまでも追い求めることは賢者が常に忠告することじゃ。
東洋でも西洋でもそれは同じなのじゃ。
自分の本質とは何であるのか、それを追及する事が人に課された共通の主題なのじゃ。
それがわかれば生まれてきた意味もあったということになるのじゃ。
78
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/21(水) 06:36:25 ID:LC3de7YgO
>>76
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづく)
より抜粋
モーゼのことを思い出してほしい。モーゼが神に直面したとき、 山上で緑の茂
みから燃えあがる火のような神を見たとき
--- 茂みは燃えてはいなかった、茂みはいつものように青々として、鮮やかだった
---モーゼは当惑した。彼は我が目を疑った。ありえない光景だった・・・
このような火が!茂みは炎のように燃えているのに、焼けてはいなかった。
と、そのときモーゼは茂みから声が響いてくるのを聞いた。
「モーゼよ、靴を脱ぎなさい。おまえは聖なる地にいるのだから」
これは最も美しいユダヤ教の寓話のひとつだ。
神は火だ。あなたの人格はまさに茂みだ。そして神は涼しい火であり、 あなた
の人格を焼くことはない。人格は緑の葉を繁らせ続けることができる。
神はあなたに多くの自由を与えた。
あなたが偽者でいたいと望むなら、それは許される。神には何の支障もない。
あなたがまがいものでいたければ、それは許される。
自由とは、正しくあってもいいし、間違っていてもいい
--- それはあなた次第だということだ。 あなたの本質はそこにある。
その炎はそこにある。 そしてまたあなたの人格もそこにある。
人格は偽者だ。だから 「内なる火はどうして人格を焼かないのだろう?」と思
うのも無理はない。
その火は涼しい。その火は人格を焼くことがない。
あなたがその人格をまとうと決めたら、火はそれを許す。
あなたはその人格という緑の葉をまとい続け、人格はその葉むらをもっともっ
と繁らせ続けてゆくことができる。
あなたはますます偽者になってゆき、完全な偽者になってしまうこともある。
あなたは人格という虚構のなかに我を失うことができるが、 神はそれを邪魔し
ようとはしない。 このことを、神はけっして邪魔をしないことを、 自由は全面
的なものであることを覚えておきなさい。
それが人間の尊厳、人間の栄光であり、苦悶でもある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
79
:
素人A
:2018/11/21(水) 11:04:22 ID:gOqWUDAs0
本質なんて 元々が本質解らないから 代わりに求める修行者にやらせても
誰も本当なんて解ら泣くて 元の木阿弥駄 ?解らないという事元々は解って星意野鴨
80
:
素人A
:2018/11/21(水) 13:57:47 ID:gOqWUDAs0
答えが無いということは 無責任なようだか 全ての答えが正解という事なのかも
81
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/11/21(水) 22:05:20 ID:1d4drIFg0
本質とは何かと言われても多くの者はわからないじゃろう。
それでも自分とは何か追求していくことが肝心なのじゃ。
本質を追求し続けた者だけが安楽の境地に進むこともできるのじゃ。
意志は自由でも進む道によって大きな違いがあるのじゃ。
82
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/22(木) 03:37:07 ID:LC3de7YgO
>>81
人格という仮面=自我を観続けることにより、それが偽物であることに気づけるのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
83
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/22(木) 03:44:17 ID:LC3de7YgO
>>78
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
自由が与えられていなければ、あなたは偽者にはならない。
他の動物は偽者ではない。動物は人格をもっていない。
ただし愛玩動物ペットは別だ。彼らは人間とともに生活することで、 破壊さ
れ、人格をもちはじめるからだ。 飼い犬たちはみずからの本質を忘れてしまう。
飼い犬は腹を立てていても尻尾を振り続ける。 これは人格だ。
彼は主人が誰か知っている。 主人のエゴをどうやって満足させるか知っている。
彼は駆け引きを身につけている。彼はニューデリーに住んでいる人々と同じく
らい駆け引きがうまい。彼は尻尾を振り続ける。
ときどき犬が当惑しているのを見たことがあるだろうか? 見知らぬ人がやって
来ると、犬はどう振る舞えばいいのか、見知らぬ人にどんな顔をすればよいの
かわからなくなる。
わけがわからなくなって、彼は吠え---たぶんそれが一番いいやり方なのだろう
---それでも尻尾は振り続けている。
犬は家に入ってきた人が敵なのか味方なのか 、主人がそれとなく示してくれる
のを見守っている。敵であれば、 尻尾を振るのをやめる。味方であれば、その
人に吠えかかるのをやめる。
犬はしるしを、合図を、主人がどう振る舞うのかを待っている。
犬は主人の影になってしまっている、もはや本当の犬ではない。
人間とともに生活することで影響を受け、人間たちに損なわれてしまう。
人間は生活をともにする動物たちさえ破壊してしまう。
あなたは動物が生まれながらにもつ本質を許さない。
あなたは自分が文化を身につけたように、彼らに文化を教え込む。
あなたは本性が自然の道すじをとることを許さない。
あなたはタオがみずからの道すじを流れることを許さない。
本質とは、あなたがこの世にもち込んでくるものだ。
人格とは、世間がその本質の上に押しつけるものだ。
世間は本質をひどく恐れている。なぜなら、本質はつねに反逆的だからだ。
本質はつねに個的なものだからだ。 そして世間はいかなる<個>をも必要と
しない。 それが必要とするのは羊だ。 世間は反逆的な人々を必要としない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
84
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/11/22(木) 21:20:09 ID:1d4drIFg0
>>82
そうじゃ、自らの本心を観察し続けることが大事なのじゃ。
そうすればいずれ本質にも辿りつけるのじゃ。
それがどんなものかわかるのはその時だけなのじゃ。
本質を求めることが修業なのじゃ。
85
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/23(金) 08:12:28 ID:LC3de7YgO
>>83
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
世間は仏陀、クリシュナ、老子のような人々を必要としない。 いや、こういっ
た人々は危険だ。 世間はおとなしい人々---現状に従う、既得権益に従う、組織
化された教会に 従う、国家や愚かな政治家たちに従う、従順な人々を欲している。
社会は服従を求める。社会は効率を求める。
あなたが機械的になればなるほど効率はあがる。
もっといきいきとしているときには、あまり効率をあげられない。
機械は人間よりも効率がよい。
社会はすべての人間を機械におとしめようと努力する。
人間を機械におとしめるにはどうすればいいか?
もっともっと無意識にさせればいい。
もっともっとロボットのようにならせ
ればいい。
人間の意識から本質を完全に消してしまえばいい。
人間を完全なまがいものにしてしまえばいい。
夫にしたり、妻にしたり、使用人や、社長や、あれやこれやにしてしまえばいい。
が、けっして本質的な自己にならせてはいけない。それを許してはならない。
なぜなら、その本質的な自己は神以外の誰にも従順ではないからだ。
それは他のものには身をゆだねない。
それは源泉にしか身をゆだねない。
それは他の主人を知らない。
こういったタイプの存在は、現行の社会にとってひじょうに都合の悪いものになる。
なぜなら、成長すればするほど、あなたの自立はいっそう高まるからだ。
成長が遅れれば遅れるほど、あなたの依存は長びくことになる。
そして依存している人間はうまく操ることができる。
なぜなら、依存している人はいつも恐れているからだ。
依存している人はつねに寄りかかる相手を必要としている。
かたときでさえ寄りかかる相手なしではいられない。彼は幼稚だ。
彼は両親によりかかっている。彼は聖職者によりかかっている。 彼は政治家により
かかっている。
彼は自分の足で立つことができない。
社会は、ありとあらゆる着物を使って---物質的な着物だけでなく、心理的な着物も使って、人間を覆い隠し続ける。
社会は肉体があらわになることをひじょうに恐れている。 肉体があらわになれば、
心もあらわになってしまうからだ。
社会が裸の人を見ると狼狽するのは、それが口火を切るからだ。
肉体をさらけ出すなら、彼は最初の一歩を踏み出している。
さあ、彼が心理的に裸になるのを誰が止められるだろう?
(´・(ェ)・`)
(つづく)
86
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/11/23(金) 22:59:50 ID:1d4drIFg0
隠蔽は社会を続けさせるために起こるものじゃ。
それを覆して新たな社会を創っても又それを尊属するために隠蔽が始まるのじゃ。
真の革命は個人の心の中で起こるものじゃ。
もはや何の隠蔽も必要としない本質そのままの人間があり得るのは心の変容を経てからなのじゃ。
87
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/24(土) 00:53:17 ID:LC3de7YgO
>>85
6黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
燃えあがる茂みから、モーゼに呼びかけた声はこう言った。
「靴を脱ぎなさい」 これはひじょうに象徴的だ。
それは「着物をすべて脱ぎ捨てなさい」 と言っている。
「靴を脱ぎなさい」靴はあなたの足を覆っている。靴はあなたを覆っている。
「靴をはかず、裸足で地面に立ちなさい」 靴は人格を現し、裸足は本質を表し
ている。
「おまえは聖なる地に立っている。靴を脱ぎなさい」
みずからの本質、みずからの内側で燃える茂みに遭遇した瞬間、あなたは靴を
脱がなければならない。着物をすべて脱ぎ捨てなければならない。
あなたの本質を隠しているものをすべて脱ぎ捨てなければならない。
それが革命、メタノイアだ。それは生の転換点になる。
社会は消えて、あなたは<個>になる。
そして<個>だけが神と関わることができる。
だが、大いなる意識が必要とされる。
一九三三年に、グルジェフはニューヨークで借りていたヘンリー・ハドソン・
ホテルの一室にピータースを呼び、このことを証明してみせた。
ピータースは グルジェフの若い弟子だった。
グルジェフはかつて世界に知られた最も偉大な導師マスターのひとりであり、
それも型にはまった師ではけっしてなかった。
というのも、導師というのは型にはおさまり切らないからだ。
型を守ろうとするのは導師ではなく、聖職者の特質だ。
導師はつねに革命的だ。そしてこれはすばらしい実験だ。
よく聴きなさい。 ピータースが到着すると、夕食にやってくる”あるとても重
要な人々” のために、皿を洗い、野菜を用意するようにと命じられた。
グルジェフはピータースに、辞書には載っていない肉体の部位や働きを 表す英
語を片っぱしから教えてくれるように頼んだ。
グルジェフが卑猥な言葉や淫らな言い回しを習得した頃には、客人が到着しは
じめた。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
88
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/24(土) 07:46:51 ID:LC3de7YgO
>>87
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
客人たちは、十五名ほどの身なりのいい、礼儀正しいニューヨークの住人 だっ
た。そのなかには報道関係者や、新聞記者もまじっていた。
遅れて客の機嫌をうかがいながら入ってきた主人は、席につくと、彼の仕事や
アメリカ訪問の理由を尋ねる客のぶしつけな質問に答えはじめた。
そこで”英語教師”に目くばせすると、グルジェフは急に声の調子を変えて、
人間の悲しむべき堕落や、虚しい卑猥な言葉によってしか描き出せないものに
なりはてた人の姿が、この国ではことに顕著に見られること、彼がやって来た
のは、この現象を実地に観察するためであることを講釈した。
「この悲惨な状態の背後にある原因は」と彼は続けた。
「人々、特にアメリカの人々がけっして知性、あるいは礼節の命に従わず、自
分たちの性器にのみ従うことにある」と。
さらに彼は、顔立ちの整ったひとりの女性に目くばせして、その身なりや化粧
を褒め讃えたあと、彼女が美しく着飾る真の理由は、ある特定の人物に対して
抱いている抗しがたい性的衝動のゆえであると、いならぶ人々の前でぬけぬけ
と言ってのけた。
グルジェフは覚えたばかりの言葉を使って、一字一句それを生々しく表現した。
客人に反論するいとまも与えず、グルジェフは自分の優れた性的能力について
講義をはじめ、様々な人種や国々の性的慣習を微に入り細をうがって描いて見
せた。
夕食が終わるころには、”例の年代物のブランデー”をしこたま勧められた客
人たちは、自制心を失い、卑猥な言葉のやりとりに加わっていたが、まもなく
言葉だけではおさまらないようになってきた。
グルジェフが、屈辱的な言葉を投げつけた相手の女性を連れて席をはずすと、
これから乱交パーティが始まるのだと錯覚した人々は、あられもない姿でもつ
れ合いながら、アパートの他の部屋にころがりこみはじめた。
乱痴気騒ぎが最高潮に達したとき、グルジェフは、ぱっと身をひるがえして平
静にもどり、くり広げられる狂態を大声で制止してこう宣言した。
「授業はここまでだ。君たちの振る舞いによって、先ほど夕食の席で話した私
の見解が間違いでなかったことがもう充分に明らかになった」
客人たちは自分たちの真の状況を少しでも認識できたことをグルジェフに感謝
し、グルジェフは”重要な教訓”を与えた報酬として、悪びれずに彼らから小
切手や現金を受け取った。
---グルジェフを知っていれば、驚くほどのこと ではないが---その額は”数千
ドル”に達した、とピータースは書きとめている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
89
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/11/24(土) 23:29:29 ID:1d4drIFg0
多くの者は仮面を剥げば浴の虜になっているのじゃ。
オショーはそれをグルジェフの小噺で教えているのじゃ。
欲を隠蔽するために仮面を被り、更にそれを隠すために又仮面を被るのじゃ。
そのようにして自分でも自分の本心がわからなくなってしまうのじゃ。
90
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/25(日) 08:19:56 ID:LC3de7YgO
>>88
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
みんなが帰ると、グルジェフは台所にやってきて、ピータースの皿洗いを 手伝
いながら、夕べの集いは楽しかったかねと尋ねた。
「うんざりしました」とピータースは答えた。
グルジェフは笑い、”射るようなまなざし”で彼を見つめた。
「うんざりしたとはすばらしい。だが、次には自分自身に問いかけてみる必要があ
る。誰にうんざりしたのか?とね」
これが本当の状況だ。表面に現れた姿がすべてではない。
その客人たちは、人類はひどく堕落していて、うわべで行なっていることと、内側
深くで本当にやりたいことが一致していないというグルジェフの見解にいらだち、
腹を立てていた。
あなたは釈明をし、理屈をつけようとするかもしれない。理屈はあくまでも理屈だ。
奥深くでは、別の何かが無意識のなかで 作用し続けている。
あなたはそれに気付いてさえいない。
心理学者たちは、女性が強姦される場合、大半は強姦されたいという思い、 願望が
女性の側にあったと言う。彼女はそれを招き寄せていた。 彼女はある仕草をつくっ
ていた。その歩き方、その服装、その話し方、それらすべての振る舞いが強姦を招
き寄せていた。
と、やがてある日、 それが起こる・・・そうなると彼女は、いかにも驚いたように、
怒り、荒れ狂った顔をして、警察に駆け込
み、法廷で争う。
だが、もし彼女が自分自身の心のなかを深くのぞき込めば、もっと驚くことだろう。
それは彼女自身が努力して、みずからの願望を成就させたものに他ならなかったの
だから。
内側にある真の動機に気付くことさえなく、 この二重生活を送り続けている人々が
いる。
見守りなさい。
すると、そのように見守ることで、あなたはごくごく注意深くなってくる。
ただ見守りなさい。
あなたの真の動機は何なのか? そんなはずはないと、自分自身を納得させようと
してはいけない。
ただ鏡になって、自分の行動を見守るの
だ。
ただ自分の行動を黙って見守り、なぜ自分があることをしているのか、それはどこ
から来ているのか、つねに注意を怠らずにいることだ。
そうすれば自分が二人いることに気付くだろう。
ひとりはあることを言う人格。
もうひとりはまったく逆のことをやり続けるあなたの本当の姿だ。
その二つはなんとか互いにやりくりしてゆかねばならない。
それゆえの葛藤であり、軋轢あつれきであり、エネルギーの浪費だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
91
:
素人A
:2018/11/25(日) 12:27:25 ID:gOqWUDAs0
ホカホカ以降としたらくだらないネタが飛び出して此処にネタは訳書こうまた誤変換
でも時間も焦って御免。
時は金成というしブラフマンは金は無限にあるから。全世界の食い物買い集めて
一度に全部丸ごとたべてダイス満腹なのか 世界中から女の人集めて一度に相手できるのか
煩悩の大爆発だあ。それとも大金持ちだから何もつかわないであれも出来るこれもできる
で何もしないでも満足なのか。我々貧乏人は一度に色々食べられる5戊馳走まえにしたら
慌ててたべて腹痛おこすし兎に角くだらない書き込みだと今思うホカホカに囲碁飯食い5分で
あせあせ焦るなあ
92
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/26(月) 06:39:20 ID:LC3de7YgO
>>90
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
ひとつの願望を内に抱きながら、外側ではまったく逆の行動をしてしまう とい
ったことが往々にして起こる。なぜ逆の行動をとるのか? それはあなたが逆の
行動を通してその願望を抑圧しているからだ。
奥深くで劣等感を感じている人は、外側ではひじょうに優れているふりをする。
優秀でありたいと思うのは劣った人々だけだ。
本当に優れている人々は少しもかまわない。
劣等感で苦しんでいる人々はみんな政治家になる。
なぜなら、自分たちが大いに優れていることを証明する方法はそれしかないからだ。
「俺は、おまえよりも高潔だ」といった表情を浮かべている人は、実情はまっ
たく逆であることを奥深くでは知っている。
彼は罪の意識にさいなまれている。
彼は奥深くでは自分には価値がないと苦しんでいる。
彼は自分が高潔ではないことを知っている。
今や世間からそれを隠す唯一の方法は神聖さの仮面をつけることだ。
あなたがたのいわゆる聖者たちは、罪人たちとこれっぽっちも変わらない。
ただひとつの違いは、罪人たちは正直だが、世のいわゆる聖人たちは不正直だ
ということだ。
百人の聖者のなかからたったひとりでも真の聖者を見つけることができたら、
それだけでもう充分だ、充分過ぎるほどだ。
それ以上は期待できない。
九九人はただふりをしているだけだ。
私は、彼らは他人に対してだけふりをしていると言っているのではない。
そのふりがあまりに板についてくるので、彼らは他人をだましている だけ
ではなく、自分自身をもだましはじめるようになる。
実際、自分自身をだますためには、まず他人をだまさなければならない。
それでようやく、あなたもそれを信じることができるようになる。
真の聖者は、他人のことなど少しも気にしていない。
彼は自分が誰であるか知っている。
全世界がその男は聖者ではないと言ったとしても、どうということはない。
彼の理解は内なるものだ。
彼は自分自身に直じかに遭遇している。
彼の体験はあいだを置かない、実存的なものだ。
彼は自分の本質を知っている。
そしてみずからの本質を知ることは、神を知り、不死の人となり、死を超え
てゆく最初のステップになる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
93
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/11/26(月) 22:01:59 ID:1d4drIFg0
自分の本質とは何か気付いた者が悟りを得るのじゃ。
本質とは何かといえば、本来の性質とか本当の資質とかなのじゃ。
自分とは本来何であったかのか観察して気付くのじゃ。
思考している時、自分は思考の対象となるのじゃ。
認識している時は認識の対象が自分なのじゃ。
思考や認識の対象である自分に気付く時、自分の本質を気付いたことになるのじゃ。
94
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/27(火) 07:18:26 ID:LC3de7YgO
>>90
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
ひとつの願望を内に抱きながら、外側ではまったく逆の行動をしてしまう とい
ったことが往々にして起こる。なぜ逆の行動をとるのか? それはあなたが逆の
行動を通してその願望を抑圧しているからだ。
奥深くで劣等感を感じている人は、外側ではひじょうに優れているふりをする。
優秀でありたいと思うのは劣った人々だけだ。
本当に優れている人々は少しもかまわない。
劣等感で苦しんでいる人々はみんな政治家になる。なぜなら、自分たちが大い
に優れていることを証明する方法はそれしかないからだ。
「俺は、おまえよりも高潔だ」といった表情を浮かべている人は、 実情はまっ
たく逆であることを奥深くでは知っている。彼は罪の意識にさいなまれている。
彼は奥深くでは自分には価値がないと苦しんでいる。
彼は自分が高潔ではないことを知っている。
今や世間からそれを隠す唯一の方法は神聖さの仮面をつけることだ。
あなたがたのいわゆる聖者たちは、罪人たちとこれっぽっちも変わらない。
ただひとつの違いは、罪人たちは正直だが、世のいわゆる聖人たちは不正直だ
ということだ。
百人の聖者のなかからたったひとりでも真の聖者を見つけることができたら、
それだけでもう充分だ、充分過ぎるほどだ。それ以上は期待できない。 九九人
はただふりをしているだけだ。
私は、彼らは他人に対してだけふりをしていると言っているのではない。
そのふりがあまりに板についてくるので、彼らは他人をだましている だけ
ではなく、自分自身をもだましはじめるようになる。
実際、自分自身をだますためには、まず他人をだまさなければならない。
それでようやく、あなたもそれを信じることができるようになる。
真の聖者は、他人のことなど少しも気にしていない。
彼は自分が誰であるか知っている。
全世界がその男は聖者ではないと言ったとしても、どうということはない。
彼の理解は内なるものだ。 彼は自分自身に直じかに遭遇している。
彼の体験はあいだを置かない、実存的なものだ。
彼は自分の本質を知っている。
そしてみずからの本質を知ることは、神を知り、不死の人となり、死を超えて
ゆく最初のステップになる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
95
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/11/27(火) 22:28:27 ID:1d4drIFg0
更に本質を知ると善いのじゃ。
96
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/28(水) 06:34:30 ID:LC3de7YgO
>>94
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
ヘンリ・ベルグソンは今世紀の初頭にこう述べている。
彼は言った「科学技術に よって肉体に付与されたものは、それにふさわしい魂
への付加物を求めている」
現代人には、他のいかなる時代にもまして魂が欠けているように見える。
その 理由は科学と技術テクノロジーが肉体に多くのものをつけ加えたことにある。
肉体はより強靭になり、より長生きするようになった。
頭脳はより強力になり、より博識になった。
肉体や頭脳と比べると---頭脳は肉体の一部だ---魂はきわめて貧弱なままだ。
魂はほとんど無視され、打ち捨てられている。
誰ひとり魂の世話をする者はいない。
自分の本質について誰が考えるだろう?
教会や寺院に行くことは助けにはならない。
あなたは自分自身の内側に入ってゆかなければならない。
あなたは靴を脱がなければならない。
あなたはみずからのあらわな本質に入ってゆかなければならない。
そうしてはじめて、あなたは自分自身を宇宙と結びつけることができる。
あなたはそこからはじめて実在に橋をかけなおすことができる。
さて、経文だ---
呂祖師は言った。
原初の精神と真の本性のみが時空を克服する。
本質について私が話していたことを、呂祖は
「原初の精神」と呼んでいる。
原初の精神とは、あなたの本質をなす魂のことだ。
それはあなたが母親の胎内にいるときに神から授かったものであり、教え込ま
れたり、条件付けられたものではない。
あなたは母親の胎内でどのようなあり方をしていたのだろう?
あなたは何も教わらなかった。
あなたは心マインドをもっていなかった。
あなたは無心ノーマインドの状態で存在していた。
そこにその至福に満ちた状態の秘密がある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
97
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/11/28(水) 23:00:12 ID:1d4drIFg0
禅でも父母未生の自分をみよというのじゃ。
まだ何の条件付けもされていない自分を想うのじゃ。
思考することも感情を起こすことも認識すらも無い状態なのじゃ。
それを想うことで本来の性質に達することもできるのじゃ。
98
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/29(木) 06:00:01 ID:LC3de7YgO
>>96
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづく)
より抜粋
心理学者たちは、この母親の胎内での九ヶ月の経験ゆえに、人間は神を探し求
めてきたのだと言う---この九ヶ月の経験ゆえにと。
その記憶は人間にまとわりついている。
この九ヶ月にまさる美しい日々をあなたは知らない。
おそらくあなたは意識の上では忘れているだろう。
が、あなたの肉体の細胞そのもの、あなたの身体組織そのものの奥深くでは、
それらの日々が今もなお脈打っている。
今もなおあなたの存在のなかに宿っている。
それはあなたの心には意識されていないかもしれない。
だが、それはそこにある。
夜になると、深い眠りに落ちて、自分がどこへ行き、何が起こったのかは覚え
ていないけれど、朝になると、ゆったりとして、さわやかで、楽しい気分にな
るように。生が再びあなたによみがえっている。
あなたが集めた塵ちりはすべて消え失せている。
あなたは再び気力がみなぎり、若返っている。
あなたの肉体はその感覚を覚えている。
あなたの肉体は穏やかで、静かであり、何かを覚えている。
その思い出は頭脳のなかにあるのではない。
何が起こったのか---自分がどこへ行っていたのかはっきりと覚えてはいない。
仏陀のような人だけが、深い眠りのなかで自分がどこへ行くのか気付いている。
なぜなら、彼は深い眠りのなかにあってさえ、油断なく醒めたままでいるからだ。
あなたは目覚めているときでさえ、日常の気付きのなかにあってさえ油断なく
醒めてはいない。
いわゆる目覚めた状態にあるとき、あなたは油断なく醒めてはいない。
目は開いているが、心は千とひとつの思考を紡ぎ出しては織り続けている。
内なる会話が続いている。
内なる騒音が続いている。
見てはいるが見ていない。
聞きはするが聞いてはいない。
それは内側深くに思考の壁があるからだ---
あなたの意識の空には夢が途切れることなく漂っている。
あなたは目覚めているときですら油断なく醒めていない。
覚者ブッダは深く眠っているときですら油断なく醒めている。
覚者ブッダだけが自分がどこへ行くかを知っている。
彼はどこへ行くのだろう?
彼は本質、源泉、原初の精神へとおもむく。
夜、ほんの数瞬でも原初の泉に身を浸せば、あなたは若返る。
深い眠りに落ちることのできない人はまさに地獄にいる。
彼は疲れ、消耗し、生にうんざりしながら床につく。
ところが朝起きてみると、疲労感、倦怠感、消耗感はさらにつのっている。
彼の生は地獄になる。
深い眠りのなかで、あなたはみずからの実存の原初の泉に引き込まれるように
してもどってゆく。
その原初の泉はつねにそこにある。
あなたはそれを失ったのではなく、ただそれを忘れているだけだ。
そしてその原初の泉はあらゆる二元性を超えている。
あなたが知るのは生でもなく、死でもなく、超越的なものだ。
それはあらゆる種類の二元性を超えている。
それは神だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
99
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/11/29(木) 23:15:51 ID:1d4drIFg0
神とは人格を持つものではないのじゃ。
オショーの言う神は永遠の意識そのものなのじゃ。
神を信じるものにも分かりやすく説いているのじゃ。
神を信じる者には究極の存在であり、考えも及ばないものとして神は在るはずであるからのう。
100
:
避難民のマジレスさん
:2018/11/30(金) 06:43:44 ID:LC3de7YgO
>>98
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
原初の精神と真の本性のみが時空を克服する。
原初の精神の内にあるとき、あなたは真の本性の内にある。
人格の内にあるとき、あなたは本物ではない。
あなたは作り物の現象にすぎない。よく見守ってみれば、あなたは自分の内側
にどれほど多くの作り物があるかを知って驚くだろう。
あなたはハートが微笑んでもいないのに微笑を浮かべている。
だとすればそれは作り物だ。あなたは憐れみを感じてもいないのに同情する。
だとすればそれは作り物だ。あなたは嬉しくもないのに喜んでみせる。
だとすればそれは作り物だ。あなたはハートに何も感じていないのに、泣き叫
び、涙を流すことさえできる。だとしたらその涙は作り物だ。
あなたの内側にいかに多くの作り物があるか見守りなさい。
そして作り物はどれもあなたではないことを覚えておきなさい。
神はあなたをプラスティックでつくりあげたわけではない。
神はあなたに永遠の生を与えた。だが、その永遠の生は、あなたが靴を脱いだ
ときにはじめて見いだすことができる。
あなたの人格を脱ぎ捨てなさい。
すべてのペルソナを、すべての仮面を落としなさい。
仮面をひとつ残らず消えてゆかせなさい。
それは痛みに満ちている。
なぜなら、あなたはそういった仮面に同一化してしまっているからだ。
あなたはそれらの仮面を自分の顔だと思い込んでいる。
それは苦痛に満ちた死のプロセスに近いものになるだろう。
しかも一度だけではない---あなたは何度も死ななければならない。
というのも 、ひとつの顔が落ちるたびに、あなたは死が起こったと感じるから
だ。
だが、そこで再び新しい生があなたの内側で解き放たれる
--- より新鮮で、より深く、より活気に満ちた生が。 すべての顔が消え、本質
のみが残されるとき、あなたは いっさいの二元性、時間と空間の二元性すらも
超越している。 深い瞑想に入ってゆくと、みずからの本質的存在に入ってゆく
と、そこには時間も空間もない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
101
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/11/30(金) 22:43:33 ID:1d4drIFg0
時間も空間も観念であるから観念が無い意識ではそれもなくなるのじゃ。
自分の記憶から変化を認識し、それを解説するために時間という観念もうまれたのじゃ。
自分が存在するところと存在しない場所の解説として空間も生まれたのじゃ。
自分も観念も無ければ時間や空間も無いのじや。
102
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/01(土) 07:50:33 ID:LC3de7YgO
>>100
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
あなたは自分がどこにいるのか言うことができない
--- ”場所”そのものが消え失せている---その空間を正確には指し示せない。
あなたはどこにもいないか、あるいは至るところにいるか、ありうるのはこの
いずれかだ。どちらも同じことを意味している。
「人は至るところにいる」と言うことを選んだ小数の者たちがいる
--- ヴェーダーンタ学派は「深い瞑想のなかで人は至るところにいる
--- アハム・ブラフマースミ、我は神なり」と言うことを選んだ。
「神」とは、至るところにいる者、全存在にゆきわたっている者という意味だ。
あなたは空間そのものになる。
「私はつねに在った、永遠に在る」とは、あなたが時間のなかに遍満している
という意味だ。 これがそれを表現するひとつの方法、肯定的な方法だ。
仏教は別の方法、否定的な表現を選んだ。
仏陀はこう言う---深い瞑想のなかでは、あなたはどこにも存在していない。
空間はすべて消えている。そして時間も存在せず、あなたは時間のない状態 に
ある。
時間も空間もないとしたら、あなたはどうして存在できるだろう?
人間は時間と空間が交わる地点においてのみ存在する。
時間の線と空間の線が交わると、その交点に自我エゴが立ち現れる。
この二つの線を取り去れば、自我という点は消えてしまう。
それは二本の線の交差にすぎない。 それは誤った観念だった。
だから仏陀は「誰も存在していない」と言う。
深い瞑想のなかでは、時間が消え、空間が消え、そしてあなたが消える。
いっさいのものが消え失せ、そこには<無>、シューニャ、ゼロのみがある。
これは同じことを否定的な仕方で語ったものだ。
肯定的な表現を選ぶなら、「私は神だ」と言うこともできる
--- それにはそれなりの危険があり、また独自の美しさもある。
あるいは否定的な表現、アナッター、無我、<無>、にゃはんニルヴァーナ を
選ぶこともできる。これにも独自の美しさがあり、またそれなりの危険もある 。
<無>というまさにその観念が人々の意欲をそいでしまう
---危ないのはそこだ。 <無>でありたいと誰が望むだろう?
四十年にわたる伝道生活において、仏陀は何度も何度も尋ねられた。
「なぜ人は<無>であろうとしなければならないのですか? それは死、究極の
死ではないですか?」すると仏陀は言う。
「その通りだ。それは究極の死だ。だが、それは美しいものだ」
質問者が尋ねる 「ですが、それは誰にとって美しいのですか?
だって誰もいないはずでしょう?」
すると仏陀は言う。 「ただ美しさだけが、至上の幸福だけがあって、それを体
験する者はいない」 人間の心マインドがこう言うのも無理はない。 「でも、自
分がそこにいないのなら、何もならないじゃないか・・・。 それがとても美し
いというのはすばらしいけど、自分がいなければ、美しかろうとなかろうと何
の違いもないじゃないか。 どうして自分を無くさなければならないのだろう?
(´・(ェ)・`)
(つづく)
103
:
素人A
:2018/12/01(土) 09:54:55 ID:gOqWUDAs0
網何念この世うに振り回されて生きているの駄老化。私は本で読んだ坐禅や瞑想の基本的な事は入門書で読んでいたのに?
基本的な最初の気が散らない訓練もしなく次次と先先で修行3日でマスターがまだまだなのに修行理解しマスタと新しい野
本で読み。ヨーガ仙道の船頭さんに迷い出て結局何やつているのか自分でもわからない。その前に何故修行しなければ如何
のか遊び回ったほうが楽.必要な時やれば良いと修行避けている。気が散っているそれは月末すぎたからかもいやいつも?
やりかたの基本はコツコツ実行でしょう。理屈では解っているのだが.静かな所で気が散らない様に色々な頭の思いの蝋燭
の火を息を整えて消すんで使用。基本の基本は空のコップから水空始める。そこに一念のエネルギーを根根と根気よくそそぐ
野鴨?それでエネルギー溢れたらジョウロで妄想世界いや瞑想世界に放水すれば三昧に行きつけると根本経典に書いてあった。
あまた本の思いで実行は?実行はあしたからいや明後日から要するにいまやる気が無い色々やる事が覆い。明日も明後日も
永遠に未だ来ない。未来に巡り合いたくないのか??未来は未見て来いという観字七日悟って空見ないと解らんのか
今朝も情けなく不満足な朝。飲めばやる気が出る薬は危険だし、まあぼちぼちの朝位でもまあ良いか
ミストラル
https://www.youtube.com/watch?v=mFsecDrY_oA
別に何も考えず過去のメモコピーしてすましたやる気ない朝さあホカホカ以降だめだこりゃ
104
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/12/01(土) 22:51:37 ID:1d4drIFg0
時間という観念と空間という観念が更に又自己が在るという観念を支えることにもなるのじゃ。
何世紀のこの場所に自分が居るという観念が生まれるからのう。
このようにたまねぎの皮のように観念を次々にはがしていかなければ自己という観念にも辿りつかないのじゃ。
全てが自己であったり、神であったりするのもその途中に感じることなのじゃ。
105
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/02(日) 08:06:10 ID:LC3de7YgO
>>102
7黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み3
より抜粋
すると仏陀は言う。
「ただ美しさだけが、至上の幸福だけがあって、それを体験する者はいない」
人間の心マインドがこう言うのも無理はない。
「でも、自分がそこにいないのなら、何もならないじゃないか・・・。 それが
とても美しいというのはすばらしいけど、自分がいなければ、美しかろうとな
かろうと何の違いもないじゃないか。どうして自分を無くさなければならない
のだろう?大して美しくはないけれど、少なくともこの私が存在している世間
にいるほうがまだましだ」
<無>という終着地は人々の意欲をそいでしまう。
仏教がインドから姿を消したのはそのためだ。彼らは教訓を学んだ。
それは中国では否定的な言語を落とした、チベットでは否定的な言語を落とし
た 。
インドの仏教、原始仏教は完全に否定的だった。
仏陀の感化を受けて何千もの人々が変容を遂げたのだが、仏陀のような人をつ
ねに見いだすということはできない。
仏陀の影響力はあまりにも大きかったので、人々は死んで<無>になる用意さ
えできていた。
それは仏陀ゆえに起こったことだ。
さもなければ<無>であることには何の魅力も、人を誘う力もない。
が、仏陀の磁力があまりにも強かったので、仏陀のカリスマがあまりにも強か
ったので、何千もの人々がみずから進んで<無>になろうとした。
「仏陀がそうおっしゃるのなら、それは正しいにちがいない」と。
仏陀の言葉にはそれほどの重みがあり、その目がすべてを実証していた。
「彼が消えてしまったのなら、私たちも消えてしまおうではないか。
仏陀がそうおっしゃるなら、信頼してもいい」 だが、ひとたび仏陀がこの世か
ら姿を消すと、仏教の僧侶たちは人々を説得することができなくなった。
彼らはインドから完全に姿を消さねばならなかった。
彼らはそこで教訓を学んだ。
インドの外で、仏教は肯定的な言語を使いはじめた。
仏陀が否定したすべてのことを使いはじめた。それは生き延びた。
だが、仏教として本当に生き延びたのではなく、ヴェーダーンタ学派として生
き延びた。
肯定的な言語として生き延びた。
だが、仏陀の最大の貢献は否定的な表現にあった。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
106
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/12/02(日) 22:50:44 ID:1d4drIFg0
全てを否定するのは本来アートマンの教えなのじゃ。
認識できないものであるアートマンを教えるには全てを否定しなければならないからのう。
正しい教えを伝えれば間違った教義を持っていた衆生はそれを拒むのじゃ。
習慣とはそれほど強いものであるからインドは未だ大勢が苦の中に居るのじゃ。
107
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/02(日) 23:04:00 ID:LC3de7YgO
>>106
フムふむ。
否定によってのみあらわされるアートマンと、無我の違いはそこにあるのでありますね。
無であるのは我であり、我が無であり、主体ではないが、意識はある・・・・うぅぅ やっぱり、難しいでありますが、アートマンより、無我の方が、スッキリするでありますね。
OSHOは無我だと、衆生は魅力を感じないていうが、主体への執着を消し去るのが難しくなるでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
108
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/03(月) 06:56:35 ID:LC3de7YgO
>>107
訂正
OSHOは無我だと、衆生は魅力を感じないていうが、主体への執着を消し去るのが難しくなるでありますね。
→アートマンだと、主体への執着を消し去るのが難しくなる
(´・(ェ)・`)つ
109
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/03(月) 07:08:09 ID:LC3de7YgO
>>105
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
否定的な表現の美しさは、人の自我エゴを少しも満足させたり、少しも喜ばせ
たりしないことにある。
肯定的な言語の危うさはそこにある。
アハム・ブラフマースミ--「我は神なり」、アナル・ハック--「我は真理なり」
と言うときに危険なのは、真理が二義的なものになり、 その「我」が一義的な
ものになってしまいかねないということだ。
真理はあなたの影になってしまうかもしれない。
力点が 「私」という言葉に集まり、「私こそが神だ」となってしまうかもしれ
ない。
神に力点が置かれ、「私」が神に対するたんなる影であり続けるならば、何も
問題はない。
だが、それはひじょうにむずかしい。
その「私」はじつにずる賢い。
自我エゴの手口はじつに巧妙だ。
それは機会をとらえ、その観念に飛びついて、こう言う。
「その通り、私が神であり、他の者たちはそうではない。私が真実であり、他
の者たちはみな偽物だ」
だが、そうなったら肝心な点がそっくり見逃されてしまう。
いずれにせよひとつだけ確かなのは、時間と空間が消えてしまうということだ。
あなたは「私はすべてだ-すべての空間を満たし、すべての時間を満たしている
---私は至るところにいる、時を越えて存在している」と宣言するか、あるいは
「私はいない。時間というものはない。空間というものもない。永遠から永遠
にわたって、絶対的に静まりかえった<無>があるのみだ。さざ波すら立たな
い静寂が」という仏教徒の表現を使うしかない。
だが、いずれの言明も同じことを指し示している。
表現は異なり、指は異なっているが、それらは 同じ月を指さしている。
その月があなたの本質だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
110
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/12/04(火) 00:51:49 ID:1d4drIFg0
>>107
そうじゃ、何らかの主体が在ると教えるとそこに妄想も生じてしまうからのう。
オショーの言うとおり修行中に見た幻影を信じてわしは神だとか思ってしまうのじゃ。
全てを否定によって説けばそのような妄想も無であると知って囚われないのじゃ。
それが正しい教え方なのじゃ。
111
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/04(火) 07:17:24 ID:LC3de7YgO
>>109
7黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み3
より抜粋
呂祖師は言った。
原初の精神と真の本性のみが時空を克服する。
時間と空間を克服しないかぎり、あなたは死を克服することができない。
死は時間のなかに存在し、空間のなかに存在している。時間と空間を克服しな
いかぎり、あなたは心マインドと肉体を克服することができない。
理解しようとしてみなさい。
肉体は空間に対応し、心は時間に対応している。
心は時間的な現象であり、肉体は空間的な現象だ。
肉体は あ る 場 所 に存在し、心は あ る時 間 に存在している。
時間のない心を想像してみても、あなたはそれを思い浮かべることができない。
心とは過去、現在、未来のいずれかだ。
記憶、想像、現在の事実のいずれかだ。
心マインドは三つの時制のなかに存在する。
あなたがたは注意深く、意識をとぎ澄まして私に耳を傾けている。
心は現在にある。
他のことを考えながらここにいるなら---聖書で何かを読んだことがあり、それ
が私の言うことに当てはまったり、当てはまらなかったりする---
あなたは自分の想像や記憶のなかに入り込んでいる。
時間が消えてしまったら、心を思い浮かべることはできない。
時間と心は同じものを意味する。
人間は宇宙の縮図であり、小宇宙だ。
外界により、大きな規模で存在するものは、何から何まで人間の内部により小
さな規模で存在している。人間を理解することができれば、全宇宙を理解した
ことになる。「上のごとく、下もまたある」
人間はこの宇宙全体を構成する原子のような要素だ。
ひとつの原子を理解すれば、あらゆる物質を理解したことになる。
ひとりの人間を理解すれば、自分自身の神秘を読み解くことができれば、過去
、現在、未来のいっさいの神秘---万物を理解したことになる。
だからこの二つのことを覚えておかねばならない---肉体は空間であり、心は時
間だということを。
瞑想すると、あなたは肉体から消えてゆく。
あなたは自分が誰なのか、男なのか女なのか、美しいのか醜いのか、黒人なの
か白人なのかわからなくなる。
あなたは自分が誰なのかまったくわからなくなる。
内側に入ってゆくと、肉体ははるか後方に残される。
肉体の位置を確かめることすらできない、肉体の存在を感じることすらできない瞬間がやって来る。
あなたはもはや形にとらわれてはいない。
あなたは形なきものになっている。
そして同じことが心にも起こる。あなたは自分の心がどこにあるのか、その心
がどこへ行ってしまったのかわからない。
内側で途絶えることのないそのすべての騒音、その往来の騒音が遠くへ遠くへ
と離れてゆき、消えてゆく。
突然、大いなる静寂があなたの内側ではじける。
この時間も空間もない状態のなかで、あなたはみずからの本質を知るに至る。
そして自己の本質を知ることで、タオをはじめて垣間見る。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
112
:
素人A
:2018/12/04(火) 09:04:07 ID:gOqWUDAs0
どげんしても坐禅で死ん身脱落しないと片手の人の拍手の音は聞こえないというか
相手にしてもらえない野鴨 今は儚い身見守らないと
113
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/12/04(火) 22:08:00 ID:1d4drIFg0
時間という観念は常に記憶から起こるものじゃ。
昨日と違うものごとを解説するために時間がたったという表現をするのじゃ。
肉体の自己同一化さえも記憶から起こるものじゃ。
昨日と同じ肉体とその感覚が在る自分という観念から自分の肉体という観念も起こるのじゃ。
114
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/05(水) 06:17:24 ID:LC3de7YgO
>>111
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
原初の精神は両極の違いを超えている。
すべての両極の違いが消え失せる。
男/女、夏/冬、暑さ/寒さ、愛/憎しみ、肯定/否定、時間/空間、生/死。
いっさいの両極が消える。
原初の精神は両極の違いを超えている。
どちらの極にも愛着をもってはいけない、と私がしきりに強調するのは
そのためだ。
あなたがたはいずれかの極に愛着をもつようにと教えられてきた。
あなたがたのいわゆる宗教は、世間で暮らすか、それとも世を捨てて僧院に入
りなさいと説いてきた。
私は世間にとどまりながら、その一部にならないようにと言う。
そうでないと、あなたはひとつの極に愛着をもつようになる。
僧院に行けば、あなたは街の雑踏マーケットプレイスを恐れるようになる。
それがはたして成就と言えるだろうか?
恐怖があるなら達成はない。
私はヒマラヤに住んでいた人々を知っている。
彼らは恐れるようになる。彼らは世間に降りてきたくはない。
なぜならヒマラヤで体験してきたものが、街に入るとすべて消え失せてしまう
からだ。
街の雑踏でかき消されるようなものなら、それは成就ではない。
自分の静寂だと錯覚していたものは、ヒマラヤの静寂にすぎなかったのだろう。
それは借り物だった。確かに、ヒマラヤは静かだ。だからその 静寂のなかで暮
らせば、徐々にその静けさがあなたに浸透しはじめる。
だが、それはあなたの音楽ではない。それは借りてきたものだ。
ヒマラヤから遠ざかれば、それは消え失せてしまう。
これは錯覚を起こしているだけだ。
これは輝かしい光の残照を楽しんでいるだけだ。
街のなかで暮らしながら、ハートのなかにヒマラヤをつくりだしなさい。
騒がしさの只なかで静かでありなさい。
世帯主でありながら、求道者サニヤシンでありなさい。
私のサニヤシンたちは世間から離れないでほしい、と私がこれほど強調するの
はそのためだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
115
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/12/05(水) 22:42:33 ID:1d4drIFg0
観念は大体二つの極に分かれて記憶されているのじゃ。
在ると無いとか、好いと悪いとかのう。
どちらかに執着すれば反対のものもついてくるものじゃ。
観念が無くなれば両方消えるのじゃ。
116
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/06(木) 06:38:04 ID:LC3de7YgO
>>114
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
何ひとつ放棄しなければならないものはない。
放棄の道は逃避家の道だ。
そして放棄の道を選ぶことで、あなたは一方の現象に愛着を抱くようになる。
それはあなたに自由を与えない。
自由は超越のなかにある。
そして超越は、あなたが二つの極のなかで同時に生きるときにはじめて訪れる。
だから世間にありながら、世間をあなたの内側に入れてはならない。
愛しながら、そのなかに失われてはいけない。
関わりながら、しかも独りで、完全に独りでありなさい。
あらゆる関係がゲームだということを熟知していなさい。
ゲームを演じなさい。
それを可能なかぎり美しく、可能なかぎり巧みに演じなさい。
ゲームはしょせんゲームであり、だからそれは美しく演じられねばならない。
そしてゲームのすべての規則に従いなさい。
なぜなら、ゲームは規則なしでは成立しえないからだ。
だが、それがゲームにすぎないことをいつも覚えておきなさい。
それに愛着を抱いてはいけない。それに深刻になってはいけない。
いつも内側にはユーモアの感覚を息つ”かせておきなさい。
誠実ではあっても、深刻になってはいけない。
そうすれば、ゆっくりゆっくり、両極が消えてゆくのに気がつくだろう。
誰が世俗的であり、誰が宗教的なのだろう?
あなたは両方か、そのいずれでもない。
原初の精神は両極の違いを超えている。天と地は此処ココより生ず。
原初の精神をとらえるすべを体得すれば、学人は光と闇の両極を克服し、もは
や三界にとどまることはない。
天上の世界、地上の世界、地獄の世界---三界---は、両極をいかに超越するかを
知っている人にとってはすべて消え失せてしまう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
117
:
素人A
:2018/12/06(木) 10:24:54 ID:gOqWUDAs0
人と言う字も鬼さんの思想もトーナメントの表の様だし
枝分かれも元をたどれば一樹の幹にたどり着くでもその下はまた
根が枝分かれで大地にたどり着く野鴨
118
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/12/06(木) 23:48:06 ID:1d4drIFg0
観念によって成立する世界で演じられるのは観念遊戯なのじゃ。
現実とは関係のないゲームなのじゃ。
金や名声や権力を集めるのがその遊戯なのじゃ。
どれほど金や名声や権力を集めても死という現実には対抗できないのじゃ。
観念を超えることで死をも超えることが出来るのじゃ。
119
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/07(金) 07:11:48 ID:LC3de7YgO
>>116
7黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
つい先ほど私は、過去、現在、未来---これらが三つの世界だと言った。
過去は地獄であり、それは死んだ、暗い影のようなものだ---幽霊があなたにつ
きまとっている。
現在は地上であり、それは現実、事実、たった今ここにあるものだ。
そして未来は天上であり、それは希望、熱望、欲望、あこがれだ。
これらが三つの世界であり、そしてあなたはこれら三つの世界を絶え間なく動
いてゆかなければならない。
あなたは前へ後ろへ行きつもどりつする。
過去から未来へとジャンプし、未来から過去へとジャンプする。
そしてこれがどこまでも続いてゆく。
現在はきわめて微細なので、あなたはそれにほとんど気付かない。
それは過去と未来にはさまれている。そしてこの二つは広大だ。
ところが現在は極微であり、原子のような瞬間だ---あまりに小さいので、目に
とまることすらない。
あなたが気付くやいなや、それはもう過去になっている。
現在に在るためには、細心の注意深さが、このうえもない注意深さが必要にな
る。
現在に在ることが時間を超越する扉になるのはそのためだ。
過去からは進めない。過去はあまりに広大で、際限がないからだ。
どこまで遡っていってもきりがない。
精神分析が役に立たない、と私が言うのはそのためだ。
それは過去を調べ、過去を解明し、過去を掘り下げ続ける。どこまでいっても
終わらない・・・精神分析は、三年、七年と、何年にもわたって続いてゆくが、
それでも分析は終わらない。人はその精神分析家に愛想をつかして、相手を変
え、別の分析家のもとへ行って、一からやりなおすしかない。
ここで言っておきたいことがひとつある---遅かれ早かれ精神分析は、過去がこ
の生の出発点で終わるものではないことを必ず発見するだろう。
あなたはどんどん遡っていって、ヤノフが「原初の叫び」と呼んでいるものに
行き着くことができる。
原初の叫びは精神分析の最終地点だ。子供が呼吸をはじめたときの最初の産声
---その叫びを通して子供は呼吸をはじめた。その最初の絶叫。
だが、ひとたびそこに行き着けば、あなたは驚くだろう。
それもまた始まりではない。次は子宮のなかへもどってゆかねばならない。
東洋ではそれが試みられてきた。東洋には、深く深くもぐってゆく
「プラティ・プラサヴ」---回帰、帰還---と呼ばれる技法がある。
マハーヴィーラはそれを用いた、仏陀はそれを用いた---
彼らは子宮を通り抜けた。
そこであなたは再び死を通り抜けねばならなくなる。
なぜなら子宮に宿る前に、あなたは死んでいるからだ。
続いて何層にも何層にもわたるすべての生涯がよみがえってくる・・・
(´・(ェ)・`)
(つづく)
120
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/12/07(金) 23:40:38 ID:1d4drIFg0
悟りを得ようとするときには自分の観念が死ぬことを覚悟しなければならんのじゃ。
自分の観念とは自我なのじゃ。
自我を放棄し、捨て去る時にはそれによって培ってきた観念をも捨て去るのじゃ。
それが輪廻の観念なのじゃ。
121
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/08(土) 09:11:50 ID:LC3de7YgO
>>119
7黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み3
より抜粋
東洋が幾多の過去生という現象に気付いたのは、深い精神分析を通してだ。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教はそれに気付いていない。 彼らはそこまで
懸命に試みたことがない。彼らは精神分析を試みたことがない。
フロイトはそれを試みた最初のユダヤ人だ。
言うまでもなく、キリスト教徒や ユダヤ教徒やいわゆる宗教的な人々はこぞっ
て彼に反対していた。
そこには精神分析がもっと深く進めば、遅かれ早かれ、ヒンドゥー教徒の転生
の観念が正しいことが証明されてしまうという恐れが潜んでいる。
それが怖いのだ。どんどん掘り下げてゆくと、次から次へと層が現れてくる。
どこで終止符を打てばいいのだろう?
あなたは数知れない生を人間として生きてきた。
私たちはそれらすべてを見逃そうとするが、それもまたきりがない。
ある日突然、あなたは自分が過去生では人間ではなかったことに、象や虎や犬
だったことに気付く。
そうしてあなたは動物の生に入ってゆきはじめる。
さらに何百万もの生を通り抜けた後、ある日突然、自分が茂みや樹、さらには
岩であったことを発見する。
インドでは、人は何百万もの生を通り抜けてきたと言う。
それがどこに行き着くというのだろう?
過去を分析してもはじまらない。
それはあなたを狂気に駆り立てるだけで、どこにも到らない。
そして同じことが未来の場合にも当てはまる。
どこで止まればいいのだろう?どこまでゆけばいいのだろう?
「この先は見なくてもいい」と言ってどこで打ち切るのだろう?
東洋ではそれもまた試みられてきた。
私たちは時間という概念にとほうもなく働きかけてきたからだ。
だが、いずれにしてもきりがない。
記憶は尽きることがない。想像は尽きることがない。
その二つのはざまにこの瞬間がある。
ごく小さく、あまりに微細なので、 細心の注意を払っていなければそれに気
付くことはできない。
それはじつにすばやく動く。
それは飛ぶように過ぎてゆく。
だが、現在に気付くことができたら、扉が開かれる。永遠へと到る扉が。
心マインドはまさにそこから無心ノーマインドのなかへと入ってゆく。
人格はまさにそこから人格を超え、本質に入ってゆく。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
122
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/08(土) 19:29:10 ID:LC3de7YgO
>>121
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み
より抜粋
イエスが磔ハリツケにされたことはよく知られている。
イエスとともに磔にされた盗賊が二人いた。
ひとりはイエスの左側に、もうひとりはイエスの右側にかけられていた。
あなたがたはそれをとほうもない含みをもった象徴としてとらえたことはない
かもしれないが、イエスは現在の瞬間を表している。
盗賊のひとりは過去であり、もうひとりの盗賊は未来だ。
そしてイエスは、神に最も近い現在の瞬間を表している。
盗賊のひとりはイエスをあざ笑った---過去はつねにあなたをあざ笑っている。
彼はイエスを非難した---過去はつねにあなたを非難している。
もうひとりの盗賊は、イエスに未来のことを尋ねた。
「死ぬとどうなるのですか?天国であなたにお会いできるでしょうか?」と。
ひとりは過去であり、もうひとりは未来であり、そしてイエスはこの二人の盗
賊の真ん中にはさまれている。
彼らを「盗賊」と呼ぶのはなぜだろう?
過去は盗賊だ。未来は盗賊だ。
それはその二つがあなたの現在を盗み続けるからだ。それらはまさに盗賊だ。
私にとってこれは寓話だ。
キリスト教徒が私に同意するかどうかはわからない。
だが、それは私にとってはどうでもいいことだ。
私は他人が私に同意しようとしまいと気にしない。
イエスは、現在、今ここにいて、本質に最も近く、いつでも死んで肉体と心か
ら消え去る用意ができている。
彼はわずかにためらっている---人は誰でもためらう。
現在にまみえるとき、人は自分を正面から見つめる永遠に出会う。
過去でもなく、未来でもない、永遠---まったく異なる次元に。
過去、現在、未来は水平であり、永遠は垂直だ。
私にとって、十字架は交差する二本の線の象徴でもある。
十字架は二本の線でつくられている。ひとつは水平であり、もうひとつは垂直だ。
これは時間と永遠の表現だ。
永遠、どこにもないもの、<無>、あるいはすべてのものに直面すると、人は
みなためらう。
それは耐えがたい。
人は水滴のようにそのなかへ消えてゆく ことになる。
大海はあまりに巨大で、人は完全に消息を絶ってしまう。
草の葉から大海に落ちてゆく露ですらためらう。
イエスはためらった。
私がこの男を愛するのは、彼がためらったからだ。
ためらうイエスを見れば、彼が人間であることがわかる。
ためらう彼を見れば、イエスが私たちの一員であることがわかる---彼は人の子
だ。
123
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/12/08(土) 22:54:22 ID:1d4drIFg0
過去も未来もただ妄想で在るのみなのじゃ。
自分という観念の上に成り立っている妄想なのじゃ。
ただ今だけが真に在るといえるものなのじゃ。
今ここに在るのが二元性を超えた原初の精神なのじゃ。
124
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/09(日) 00:04:17 ID:LC3de7YgO
>>122
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
彼は神に向かって泣き叫んだ。
「私をお見捨てになったのですか? 私をどうなさるのですか?私を見放された
のですか?もう私のそばには いらっしゃらないのですか?私は消えようとして
います。 なのに私を守ってくださるあなたの御手が見えません」
露が大海に落ちようとしている。
「あなたはどこにいらっしゃるのですか?私は深い<無>のなかに落ちようとして
います。死がやってきました。あなたは死のなかにあっても、そこで待ちうけ
、私を抱きしめ、包み込んでくださる、暖かい、愛にあふれた方だと思ってい
ました。なのにあなたはどこにいらっしゃるのです?私をお見捨てになったの
ですか?私を見放してしまわれたのですか?どこにもあなたの姿が見えません」
実際、目に見える神は存在しない。神は人物ではない。
神とはこの完全な<無>を表す肯定的な名前だ。
だが、イエスは神を人物とみなすユダヤ的観念を抱いて生きていた。
このような混乱が、このような恐怖が彼の心に起こるのはそのためだ。
彼には愛する者、天なる父に会いたいと待ち望んでいた自分が見えていない。
彼は天なる父を「アバ」と呼んでいた。彼は天なる父に会いたいと待ち望んでい
た。
だが誰もいないように思われる。
この世の幕が降りようとしているのに、彼方には大きな口を開いた<無>、底無
しの深淵しかない。
それはきわめて人間的だ。イエスの生涯はきわめて人間的だ。
そしてそれがその美しさだ。
彼の生涯が多くの人々の心をとらえたのはそのためだ。
---まさにその人間性が人々の心に触れる。
だが、やがてイエスは要点を見抜いた。
彼は永遠<無>を深くのぞき込んだにちがいない。
彼は大切なことを見抜いたにちがいない。
「神が人間の顔をしているはずがない。これこそが神の顔だ。 神が人間の手を
もっているはずがない。この<無>が私を抱きしめようとしている。そのふとこ
ろ深くに私を受け入れようとしている」と。
続いてイエスは神に言う。
「御国は到来しました。御業はなされました。 ですから、そのままに、御心の
ままに。 あなたは<無>なのです。覚悟はできています。私はあなたを信頼しま
す。あなたが<無>であることさえ信頼します」
キリスト教徒、イスラム教徒、ヒンドゥ教徒、ユダヤ教徒たちはみな--- 神の
人格という観念を抱いて生きてきた者たちはみな、このことに直面しなければ
ならない。
この不安な時、この苦悶を通り抜けなければならない。
神は<無>であり、<無>の別名だという仏教徒の観念や道家タオイストの観念が
美しいのはそこだ。まさにその始めから、その<無>という観念とともに 生きて
きた者はたじろぐことがない。彼はただそのなかに消えてゆく。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
125
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/12/09(日) 23:17:20 ID:1d4drIFg0
神を信じる者は大概神は人間の形と名を持っていると思っているのじゃ。
そのような者がたまたま何かの道とか瞑想を極めると最後には何も無いと驚いたりするのじゃ。
最後にはひげのじじいが出てきて天国に入れてくれるとか思っていたからなのじゃ。
何も無くて善いのじゃ。
そこに意識が在ると気付けば永遠への扉が開かれるのじゃ。
126
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/10(月) 07:13:54 ID:LC3de7YgO
>>124
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
原初の精神は両極の違いを超えている。
天と地は此処ココより生ず。
原初の精神をとらえるすべを体得すれば、学人は光と闇の両極を克服し、 もは
や三界にとどまることはない。
だが、人間がもって生まれた 本来の顔を洞察した者のみが、これを行なうこと
ができる。
みずからの内なる<無>が見えてこなければ、それを行なうことはできない。
まず瞑想をして、みずからの内なる<無>へと入ってゆきなさい。
そうすれば、存在そのものの<無>に入ってゆくことができる。
人が胎内から解放されるとき、原初の精神は一寸四方のなかに住むが・・・
これは道家の地図だ。
当惑しないこと。
人間の意識の地図は色々ある。
地図が変われば、用いられる象徴も変わる。
これは道家の地図だ。
道家の人々は言う
---子供が子宮から生まれ落ちると、原初の精神は第三の目のなかに住みはじめ
る、と。両目のあいだ、眉間の中央、まさにその中間に第三の目がある。
ヨーガの地図ではそれを「アジュナ・チャクラ」---第三の目のセンター---と
呼んでいる。
道家の人々が「原初の精神の住処スミカ」と呼んでいるものはそれだ。
人が胎内から解放されるとき、原初の精神は一寸四方のなかに住むが、 意識的
精神は下方の心臓ハートのなかに住む。この心臓は外界に左右される。
もし人が一日でも食べなければ、心臓は極度の不快感を覚える。
恐ろしいことを聞くと動悸を打ち、腹の立つことを聞くと鼓動を止める。
死に直面すれば悲しみ、美しいものを見れば目がくらむ。
だが、 頭蓋---すなわち第三の目のセンター---のなかにある天上のこころハ
ートは、少しでも動いたことがあるだろうか?
「天上のこころは動かないものか?」と問う ならば、「一寸四方のなかにある
真の思考がどうして動くだろう」と答えよう。
この肉体の心臓ハートは絶えず外界に左右されている。
それは外界の影響を受ける。
それは身体のなかにある外界の一部だ。
これは真のハートではない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
127
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/12/10(月) 22:25:13 ID:1d4drIFg0
自分の内なる無とは人の持つ本質なのじゃ。
それは全ての本質と同じなのじゃ。
そうであるから自らの内なる無に入れば、全てと同じ本質にたどり着くのじゃ。
アートマンの法と同じなのじゃ。
128
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/10(月) 23:14:57 ID:LC3de7YgO
>>127
釈迦もキリストもなく、叡知のみがあるのでありますね。
(´・(∀)・`)つ
129
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/11(火) 06:29:27 ID:LC3de7YgO
>>126
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
道家の人々は、真のハートは第三の目のなかにあると言う。
それは動くことがない。それは不動のものだ。それはつねに変わらない。
肉体の心臓はいつも混沌としている。
そして第三の目のなかにある霊的なハートはつねに秩序がとれている。
それは秩序そのものだ。
ヒンドゥー教徒がそれを「アジュナ・チャクラ」---秩序が生まれ、規律が生ま
れるセンター---と呼ぶのはそのためだ。
第三の目から来たものは、ただちに実行に移される。
肉体全体がそれに従う。実存全体がそれに従う。
それは命令が発せられるセンターだ。
だが、それは深く眠り込んでいる。
あなたは肉体の心臓ハートから生きている。
あなたは自分の霊的なハートをまだ知らない。
低次の心臓ハートは、強い力をもった将軍のように振る舞い、天上のこころ
ハートをその弱さゆえにさげすみ・・・
だが、肉体の心臓ハートは、霊的なハートが動かないので、それを弱いものと
見なす。
それが動いていないので、あなたがたは霊的なハートが動かないので、それを
弱者、死人に等しいものと見なす。
国政の主導権を奪い取った。
このために、低次の心臓があなたの主人になってしまった。
だが根源の城の防備を固め、防御することができれば、強力で賢明な君主が王
座についたようなものである。
だが、もっともっと注意深くなり、さらにいっそう意識しはじめると、第三の
目のなかにある城の防備を固めたことに気付くだろう。
醒めてゆくたびに、あなたは第三の目から機能しはじめることを知って 驚くだ
ろう。
少しでも醒めれば、第三の目にある小さな緊張に気付くだろう。
あなたが注意深くなるたびに、第三の目の緊張はつのってゆく。
何かが第三の目のなかで脈打ちはじめる。 何かが第三の目のなかで鼓動しはじめる。
ひとたび覚醒アウェアネスが第三の目を機能させたら、 ひとたび覚醒が第三の
目のなかに入り込み、第三の目が機能しはじめたら、 それが息つ”くようにな
ったら
・・・ ヒンドゥー教徒がそれを「チャクラ」と呼ぶのはそのためだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
130
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/12/11(火) 22:54:57 ID:1d4drIFg0
>>128
そうじゃ、全て一つなのじゃ。
一つの意識があるだけなのじゃ。
全ての法はそれにたどり着くためにのみあるものじゃ。
131
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/12(水) 01:28:06 ID:LC3de7YgO
>>129
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
チャクラとは車輪を意味する。その車輪はエネルギーを必要としている。
ひとたびエネルギーが入ってくると、その車輪はまわりはじめる。
”まわる”とは、それが機能しはじめるということだ。 そうなったら、あなた
の実存に偉大な革命が起こる。 低次の心臓ハートはただちに高次のハートにひ
ざまつ”く。
高次のものが訪れると、低次のものはつねにひざまつ”く。
低次のものが支配するのは、高次のものが不在のときだけだ。
それが真の宗教と偽の宗教の違いだ。偽の宗教はあなたがたに言う。
「自分自身を統御しようと努力しなさい。これをやりなさい。それをしてはい
けない。自分の感覚を統御しなさい。自分の肉体を鍛錬しなさい」と。
真の宗教は言う。
「ただ第三の目のなかに入ってゆきなさい。
そして霊的なハートを働かせるのだ。
そうすればすべては統御される。 そうすれば規律はすべて整う。
主人を到着させなさい。 そうすれば、即座にすべてが落ちつくだろう」
両目は、左右の大臣がこころを尽くして君主を補佐するように光を巡らせはじ
める。
中央の支配はこのようにして整い、反抗する英雄たちはみな槍を倒して列席し
、進んで命令に従う。
主人を招き入れるだけでいい。
そうすれば、自分の生に秩序をつくりだそうと努める必要はない。
品性を培う必要はない。品性のことは心配しなくてもいい、と私が言うのはそ
のためだ。
もてるすべてのエネルギーをもっと意識することに注ぎ込むだけでいい。
影があなたにつき従うように、品性は意識の後からついてくる。
品性を培おうと努力すれば、あなたの品性は偽物に、まがいものになり、あな
たは偽善者になってしまう。それは<究極なるもの>に到る道ではない。
生命の仙薬への道は・・・を至上の秘術として知っている。
これは至上の秘術だ。これを「秘術」と呼ぶのはなぜか?
ひとたび高次のハートが働きはじめたら、魔法のような奇跡が起こるからだ。
あなたの感覚にはまったく秩序がなかった。
あなたの心マインドはつねに混乱していた。
あなたはつねに「これをするべきか、それともあれをするべきか?
生きるべきか、それとも死ぬべきか?」とためらっていた。
あなたは絶えず「どこへ行くべきか?何を選ぶべきか?」と緊張していた。
すると、突然、誰かが奇蹟を行なったかのように、いっさいの混乱が消え、明
晰さが生まれ、生は透明になる。
あなたは為すべきことをただやる。実際、ひとたび天上のハートが機能しはじ
めたら、あなたがすることはすべてよい。
あなたはあやまちを犯せない---それは不可能だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
132
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/12/12(水) 22:53:36 ID:1d4drIFg0
眉間に集中するのは本来ヨーガの法なのじゃ。
集中していればサマーディに入るのじゃ。
そこまでいけば智慧も生じて観察力も高まるのじゃ。
なかなか難しいことではあるがのう。
光を巡らす事で容易になるというのじゃ。
133
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/13(木) 05:51:09 ID:LC3de7YgO
>>131
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
生命の仙薬への道は・・・を至上の秘術として知っている。
そして、この至上の秘術には三つの構成要素がある。
種子の水、精神の火、思考の土---これらは道教の象徴だ---これら三つのものを
至上の秘術として知っている。
種子の水とは何か?それは真実にして一なる気(エロス)のことだ。
精神の火とは光(ロゴス)、思考の土とは直観のことである。
あなたはこれら三つのものを理解しなければならない。
種子の水とはエロス、今あなたが性エネルギー、性愛のエネルギーとして知っ
ているエネルギーのことだ。
今現在、それはあなたにもめごとしか引き起こさない。
今現在、それはあなたの友人のふりをしているが、いずれ敵であることがわか
ってくる。
その後を追えば追うほど、あなたはますます惨めになってゆく。
愛は盲目だと言われるのはそのためだ。
ムラ・ナスルディンがよく私に言っ
ていたものだ。
「愛は盲目だけど、結婚すれば目が開くものさ」愛が盲目なのは、あなたがま
だ目をもっていないからであり、そのために大いなる祝福となりえた巨大なエ
ネルギーがたんなる惨めさになってしまう。
エロスがあなたのエネルギーだ。だからフロイトがあなたのエロス、あなたの
性エネルギーのなかにすべてを追求し探求するのは正しい。
だが、性エネルギーの通常のありようは、自然な状態ではなく倒錯した状態
であることを知らない点で、フロイトは間違っている。
自然な状態の性エネルギーは、高みへ高みへと昇ってゆく。
それは人を下方ではなく上方へと連れてゆく。
自然な状態の性エネルギーは、あなたの内側で黄金の華となる。
いわゆる通常の倒錯した状態の性エネルギーは、あなたを新しい監獄に連れ込
むだけだ。
なぜなら、それは外へ、下へと向かうからだ。
それはあなたを消耗させる。それは死をどんどん近くへ引き寄せるだけだ。
その同じエネルギーが上に向かいはじめたら、それは新しい生を、豊かな生を
もたらす。それは「生命の仙薬」になる。
まさに泥が蓮華と化しうるように---泥のなかには蓮華が、蓮華の種子が含まれ
ているように---人の性エネルギーのなかには、黄金の華の種子が含まれている。
だが、そ の エ ネ ル ギ ー が上昇すべきであって、 あ な た がそれを上
にあげることはできない。
それを上昇させようと努力する人々がいるが、彼らは性倒錯者になる他はない。
直接上昇させることはできないが、間接的に行なうことはできる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
134
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/12/13(木) 23:30:39 ID:1d4drIFg0
三つの要素とは精気神と呼ばれるものじゃ。
精を練って気に変えるのを錬精化気というのじゃ。
小周天の段階なのじゃ。
次は錬気化神になるのじゃ。
気を更に回して精神のエネルギーに変えるのじゃ。
135
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/14(金) 05:59:05 ID:LC3de7YgO
>>134
うむ。ちょぴっとやったことあるのでありますが、気の訓練は、筋トレやスポーツ等の訓練同様、続ければ成長し、やめれば衰える。
いったんやめて、再開しようとすると、ちょぴっと出来ていた時の効果を期待して、それを最初から強く求めてしまうことが邪魔をして、最初に始めた時よりも難しくなるような気がするであります。
何でも継続するのが肝心でありますね。
(´・(ェ)・`)つ
136
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/14(金) 06:15:32 ID:LC3de7YgO
>>133
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
より抜粋
ひとたびあなたの第三の目、あなたの霊的なハートが働き出したら、 エネルギ
ーはひとりでに動きはじめる。
あなたが第三の目をつくりだすと、 エネルギーはまるで磁石に引きつけられ
るようにそれに向かってゆく。
今現在、あなたのエネルギーは外に向かっている。
なぜなら、あなたが 内側にもっている磁石よりはるかに大きな磁石が外にある
からだ。
美しい女性を目にすると、エネルギーは外へ動きはじめる。
その女性は磁石のように作用する。
第三の目が機能しているときには、誰も
外に引き寄せる ことができないほど
強力な磁石があなたにそなわっている。
要は外側にある磁石よりも強力な磁石を内側にもっているかどうかだ。
そうなったらエネルギーは上へ、内へと向かうようになる。
外へ向かえば、あなたは二元性の世界に入ってゆく。
内へ向かえば、不二の世界に入ってゆき、あなたは無極になる。
これこそまさに私が「超越の心理学メタ・サイコロジー」あるいは 「ブッダの
心理学」と呼んでいるものの土台をなすものだ。
これが純粋な宗教だ---儀式の宗教ではなく、純粋な宗教だ。
これはキリスト教やヒンドゥー教とは無縁であり、 あなたのエネルギーの源泉
に関わるものだ。
二番目は精神の火だ。
それは光、ロゴス、すなわち顕在意識だ。
上昇する気、エロスは、人を顕在意識と無意識の彼方へと連れてゆく。
ロゴスとは顕在意識だ。
それは心理学であり、科学だ。
思考の土とは闇、無意識、直観のことだ。 これは超心理学パラサイコロジーであり芸術アートだ。
思考の土は直観、闇だ。
女性は思考の闇、直感的な洞察力のなかで生きている。
女性は無意識、非論理的な存在として生きている。
男性は精神の火、ロゴス、論理、顕在意識のなかで生きている。
芸術家は女性的であり、科学者は男性的だ。
そして種子の水、エロス、一なる気は不二だ。
それはあなたを芸術の彼方、科学の彼方へと連れてゆく。
それはあなたを意識と無意識の彼方へと連れてゆく。
それはあなたを男を超えた世界、女を超えた世界へと連れてゆく。
それはあなたを不二なるもの、超越的なものへと連れてゆく。
だが、その秘術の奥義は、あなたの両目のあいだにある天上のハートを働かせ
ることにある。
それが働くように助ける具体的な方法については後で触れよう。』
(´・(ェ)・`)
(おわり)
137
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/12/14(金) 23:01:51 ID:1d4drIFg0
>>135
そうじゃ、日々続けることが大事なのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
精を気に変えて暫くするともはや気だけが体をめぐるようになるというのじゃ。
更に神に変えると常にサマーディに入っているのと同じ状態になるのじゃ。
そこまでくればもはや完成は目前なのじゃ。
最後には錬神還虚になるのじゃ。
神を鍛錬して虚に還るのじゃ。
138
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/15(土) 05:23:41 ID:LC3de7YgO
>>136
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第三話 アニムスとアニマ
より抜粋
肉体のなかには魄アニマが存在する。魄アニマは女性(陰)であり、意識の基
体である。
けれども、これとともに魂アニムスが存在し、そのなかに精神が潜んでいる。
魂アニムスは両目のなかにあり、ものを見、夢を見る。
だが、暗く沈み込み、みずからの肉体の形に幽閉されている者はみな、魄アニ
マに束縛されている。
それゆえに、光を巡らせることで魂アニムスの集中が起こり、 そのようにして
精神が保持され、魄アニマは克服される。
この世を超脱するために古人が用いた技法は、純粋に創造的なものに還るため
に暗黒の滓カスをすべて溶かし尽くす。
これは魄アニマの力を削ぎ落とし、魂アニムスの力を完全にすることに他なら
ない。
光を巡らせることは、暗黒を縮小させ、魄アニマを制する力を獲得する秘術で
ある。
この技法に従うなら、種子の水はおのずから豊かになり、精神の火は燃えあが
り、思考の土は固まり結晶化するだろう。
このようにして聖なる果実は熟す。
一なる本性が創造力の宮殿に降りると、それは分かれて魂アニムスと魄アニマ
になる。
魂アニムスは天上のこころハートに住む。 それは光の性質を有している。
それは軽く、清らかなものの力である。
それは我々が大いなる虚空から得てきたものであり、 原初の始まりと同じ形を
している。
魄アニマは暗黒の本性を有している。
それは重く、濁ったものの力である。
それは物質的な肉体の心臓ハートに縛りつけられている。
魂アニムスは生を愛し、魄アニマは死を探し求める。
すべての感覚的欲望と怒りの衝動は魄アニマの作用である。
だが、学人が暗い魄アニマを完全に蒸留してしまえば、それは純粋な光に変容
する。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
139
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/12/15(土) 23:08:06 ID:1d4drIFg0
ここでは心の働きをアニマとアニムスに例えているのじゃ。
活発な心の働きがアニムスであり、静かな働きがアニマなのじゃ。
ヴェーダの三つのグナと同じような性質の説明なのじゃ。
そのようなものが本当に心の中にあるわけではないのじゃ。
140
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/16(日) 13:54:20 ID:LC3de7YgO
>>138
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
より抜粋
『 あるとき女帝、即天武后ソクテンブコウが導師の法蔵ホウゾウに尋ねた---
法界縁起ホッカイエンギの理(宇宙的な相互依存の法則)、すなわち一と多、
神と被造物、被造物どうしの関係の原理を、具体的に、単純明快に証明して見
せることができるかどうかと。
法蔵は仕事にとりかかり、宮殿の一室を使って、八つの方位に大きな鏡を八枚
立てた。
さらに彼は二枚の鏡を、ひとつは天上に、もうひとつは床に取りつけた。
部屋の中央には天上から一本の蝋燭ロウソクがつるされた。
女帝が入室すると、法蔵は蝋燭に火をともした。女帝は叫び声をあげた。
「なんとすばらしい!なんと美しいことでしょう!」
法蔵は十枚の鏡のひとつひとつに映る炎を指さして言った。
「ご覧ください、皇后陛下。これで一と多、神とその被造物との関係は証明されます」
女帝は言った。
「まさにその通りです、師よ。では個々の被造物と被造物の関係はいかがです
か?」
法蔵は答えた。
「よくご覧ください、陛下。一枚一枚の鏡が中央の炎を映し出すだけでなく、
それぞれの鏡が他のすべての鏡に反射する炎を映し出し、それらすべてが無数
の炎をたたえています。これらの影はすべて相互に等しいものです。つまり、
ある意味では置き換えうるとも言えますし、ある意味ではそれぞれが個別に存
在しているとも言えます。これは個々の事物とそれに隣接するものとの、他の
万物との真の関係を示しています。もちろん、私はこう指摘しなければなりま
せんが、陛下」
と法蔵は続けた。
「これは宇宙の真の状態の粗雑で、大まかで、静的な比喩にすぎません。なぜ
なら、宇宙は無限であり、そのなかではいっさいのものが永久に多様な運動を
くり返しているからです」
そう言うと、導師は反射する無数の炎のひとつを覆って、一見ささいなことに
思われる個々の干渉が我々の世界の有機的統一にいかに影響を与えるかを示し
て見せた。
華厳ケゴンの教えはこの関係を次のような公式で表現する。
一即一切(ひとつのなかにすべてのもの)
一切即一(すべてのなかにひとつのもの)
一即一(ひとつのなかにひとつのもの)
一切即一切(すべてのなかにすべてのもの)
(´・(ェ)・`)
(つづく)
141
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/12/16(日) 23:02:40 ID:1d4drIFg0
華厳では一粒の砂に三千大千世界が入っているという。
刹那の時に永遠が在るという。
全てが観念であるからそれもありえるのじゃ。
観念のみなのじゃ。
142
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/17(月) 06:22:06 ID:LC3de7YgO
>>140
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
より抜粋
続いて法蔵は、天覧劇の幕を閉じるために小さな水晶玉を取り出して言った。
「さあ、ご覧ください、陛下。これらすべての大きな鏡と、
その鏡が反射する無数の形がこの小さな玉に映る様を。
究極の実在においては、何の障害もなく無限に小さなものが無限に大きなもの
を内に蔵し、無限に大きなものが無限に小さなものを内に蔵している様をご覧
ください!
ああ、時間と永遠が、過去、現在、未来が、互いに妨げられずに浸透し合うこ
とを証明することさえできれば。
しかし悲しいことに、これは異なった水準で把握されねばならない。
生きて躍動するプロセスなのです・・・」
人間は孤島ではない。何ひとつ孤島ではない。
あらゆるものが相互に関連し合っている。
あらゆるものが相互に依存し合っている。
独立とは、まさにその言葉からして虚偽だ。
依存もまたそうだ。相互依存が実相だ。
万物は他の万物とあまりに深く結びついているので、何ひとつばらばらでは存
在しえない。
小さな薔薇の花を余すところなく全一に理解できたら、宇宙全体を理解したこ
とになる。
なぜなら、全宇宙がその小さな薔薇の花に内包されているからだ。
もっとも小さな草の葉にさえいっさいが含まれている。
だが、覚えておきなさい---法蔵が女帝に言ったように、すべての例証、 すべ
ての描写は静的だが、<存在>は躍動する流れだ。それは川のようなものだ。
ひとつひとつの事物が他のあらゆる事物のなかに浸透し続けている。
どこでひとつのものが終わり、どこで別のものがはじまるのか、 その線を引く
ことはできない。
境界線はない--そんなものはありえない。
したがって、区別はすべてたんに実用的な目的のためにあるだけであって、そ
れらに実存的な価値はない。
これがまず最初に理解すべきことだ。
これは道家タオイストの煉丹術のまさに基礎となるものだ。
ひとたびこれを理解すれば、道家の煉丹術の全容を把握できるようになる。
そうなったら、低次のものを高次のものに変容させることができる。
なぜなら、低次のものにはすでに高次のものが含まれているからだ。
卑金属を黄金に変容させることができるのは、何ひとつ分かたれているものは
なく、低次のものにもすでに黄金が含まれているからだ。
上のごとく下もあり、下のごとく上もまたある。
あらゆるものが相互に関連し合っているというとらえ方そのものが変容を可能
にする。
事物が相互に関連し合っていなかったら、いかなる変容の可能性もない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
143
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/12/17(月) 23:36:17 ID:1d4drIFg0
錬金術とは鉛などの卑金属を金などの貴金属に変えることなのじゃ。
それが変じて人の肉体をも変容するものとしているのじゃ。
金は何千年も腐食しないから人の体も金のように変えれば不死になるというのじゃ。
薬物で変えるのを外丹道といいい、気の精錬で変えるのを内丹道というのじゃ。
144
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/18(火) 05:47:26 ID:LC3de7YgO
>>142
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
より抜粋
もし世界がライプニッツの言うモナド---窓がなく、ばらばらに分離し、 窓が
ないため相互の結びつきをいっさいもたない原子のような単子--- から成って
いたら、そのときにはいかなる変容の可能性もない。
あなたが私であり、私があなただから、つまり私たちが互いに浸透し合ってい
るからこそ、変容を思い描くことができる。
ほんの一瞬でも自分自身を分離した存在として考えることができるだろうか?
分離した存在としての自分など思い浮かべることもできない。
花を樹から切り離すことはできない。
切り離したとたんに、花は死んでしまう。
樹は大地から切り離せない。
地球は太陽から切り離せない。
太陽は他の星から切り離せない。
それが果てしなく続いてゆく。
葉を切り離せば、その葉は死んでしまう。
花を切り離したら、その花は死んでしまう。
樹を大地から切り離したら、その樹はしんでしまう。
地球を太陽から切り離したら、地球は死んでしまう。
死とは分離しているということだ。
生とは分離していないということだ。
それゆえに自我エゴは死なざるをえない。
なぜなら、それは自分は分離しているという観念だからだ。
みずからの自己を自我の立場からとらえることはひとえに死を呼び寄せる。
なぜなら、自我にはもはや血が通っていないからだ。
息の止まった馬に鞭を当て続けることもできるが、いつまでそうしていられる
だろう?
その馬はやがて死んでゆく。すでに息が止まってしまっているので、やがては
死んでゆく。
あなたの内側で息つ”いているものは死ぬことがない。生命は永遠だ。
だが、生命はあなたのものではない。あなたはそれを所有できない。
生命は全体に属している。生命は広大なものであり、無限なるものだ。
死はちっぽけなものであり、個的なものだが、生命は宇宙的なものだ。
だから生きているときには、あなたは宇宙の一部であり、 死を迎えるときには
、自分は分離していると思うからこそ死んでゆく。
全体の一部であると感じれば感じるほど、あなたはいっそう多くの生を得る。
イエスは言う。「私のもとへ来なさい。私はあなたがたに豊かな生を与えよう」
(´・(ェ)・`)
(つづく)
145
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/12/18(火) 23:17:00 ID:1d4drIFg0
個我の観念を持つ者は自分を独立した独りの者としてみるものじゃ。
しかし、実際には全ては繋がっている故にそれは謬見となるのじゃ。
全てが繋がりあっている一つのものとして気付くことが正見なのじゃ。
それこそが真の不死の境地なのじゃ。
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