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なぜエスペラントは普及しないのか?

99松戸彩苑:2008/02/25(月) 23:25:10
>>97
出典は、ちょっと調べないと判りません。

これは pvz で読んだのだったと思うんですけど、エスペラントの最初期(1887年−1895
年)とか、Theophile Carl と論争したころ(1904年−1905年)とかに、エスペラントについ
ていろいろと言ってるなかで言ってたと思うんですが、ちょっとはっきりしません。

ただし、「国際語思想の本質と将来」のなかに

  人工語の第二の特質は、その完璧性である。言い換えれば、数学的精確さと柔軟さと
  無限の豊富さだ。

  人工語が自然言語より完璧であり、またとうぜん完璧であるはずだということは、次の
  事情を考えれば、誰にでも分かる。

と書いてから、エスペラントの造語力について論じている箇所はあるんですね。
(水野義明(訳編)『国際共通語の思想』55〜58ページ)

でも、これ以外にも言ってたように記憶してるんですが、調べてみないと判りませんね。
ですから、『Lingvaj respondoj』や、先に言及した箇所なんかを調べてみようと思います。
たしかに、うろ憶えの状態で議論をしてはいけませんね。


>>98
よく考えましたら「テレビ」の場合は、複数の語が提案されましたが、そのために特別に揉
めたという話はありませんね。
ということで、これは撤回させていただきます。

しかし「コンピューター」のほうは、これはずいぶん揉めています。

これについて日本語で読めるのは、フランソワ・ロ・ジャコモ(著)『言語の発展』(大村書店 
1992年)の214〜227ページですが、詳しいのは、エスペラントで書かれたバーナード・
ゴールデンの「Terminologia kaoso: komputilo, komputero, komputoro」という論文です。

これは『Centjara Esperanto』(Fonto 1987年)と『Akademiaj Studoj 1988-1990』(Esper-
anto press 1990年)に収録されていますが、後者のものでは167ページのところで割り
付けのミスをしてまして、本来くるべきはずの文章が無くて、その代わりに168ページの文
章があるという問題があります(つまり167ページと168ページの文章がまったく同じになっ
ている)。

それから本当に揉めた事例としては、1932年に出版された、エスペラントで詩作をする人
のための『Parnasa Gvidlibro』という本があるんですが、この本に収められた「詩語」という
のが議論の対象となったことがあります。

その他にも、論争というほどではないんですが、たとえば「tajp-ilo という表現は要らない。
skrib-maŝino で充分だ」といった話を熱心にする人がいたり、あるいは、新しい書籍や辞
書が出版されると雑誌に書評が出ますが、そのなかで新語を批判しているということが、
よくあったりするんですよね。

「コンピューター」の事例は、時間のあるときに簡単に説明してみようと思います。


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