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なぜエスペラントは普及しないのか?
163
:
松戸彩苑
:2008/04/08(火) 04:08:48
D・クリスタル(著)『消滅する言語』(中公新書1774 中央公論新社 2004年)という本
のなかに、エスペラントに言及した箇所がありますので、これを引用してみようと思います。
言語の数が減ることは、人類にとっての利益であって悲劇ではないという、広く支持さ
れている ― だが、誤った ― 信仰がある。いく通りかの考え方がこれを支えている。
そのひとつは、聖書のバベル神話をはじめとするいくつかの神話に見られる伝統的な
考え方である。世界の言語の多様化は人類に科された罰であり、その逆のことが起こ
れば、もとの全き姿を回復することができるというものだ。この見方によれば、理想的な
世界ではただ一つの言語のみが存在し、それが相互理解と啓発と平和を保障すること
になる。世界の言語の数が減るということは、つまりこの目標に近づくのを可能にする
ことであり、したがって望ましいこととされる。
この見方には二つの大きな問題がある。第一に、単一の言語を話すことが相互理解や
平和、新たな国際協調と結束を保障するという発想はあまりにも短絡的にすぎる。これ
に反する例はあまりにも多く、枚挙にいとまがない。わかりやすい例を挙げよう。世界の
主な単一言語国家はすべて内戦を経験しており、二〇世紀最後の数十年に戦争が起
こった地域を見れば、その多くが主に単一言語の国々 ― ベトナム、カンボジア、ルワ
ンダ、ブルンジ(とくに後の二つは、多言語使用状況がないということでアフリカでは例
外的である)― であるという驚くべき事実がある。つまり、どの言語にせよ、単一の言
語を皆が話せば平和になるというのは、まったくの神話にすぎない。英語、エスペラン
ト語、あるいはほかのどの言語が最終的に世界共通語となったとしても、野心や敵意を
生む我欲を排除できるとは考えにくい ― 想像上単一の言語のみを使用していたとされ
るバベルの塔以前の時代においても状況は同じであったろう。
(同書40〜41ページ)
また、D・クリスタル(著)『地球語としての英語』(みすず書房 1999年)のなかにも、ほぼ
同趣旨のことが書いてあります。
地球言語の出現がもたらすであろうプラスは大きい。でもそれがもたらしかねない危険
性について指摘している論者もいる。地球言語は自己満足的で他言語に対し否定的な
考え方をもつ、単一言語のエリート集団の誕生を助長しうる。そのような地球言語を押
さえている人々 ― とくにそれが母語である場合 ― はそのことばで考え仕事をしてい
くことが容易なままに、自らの利益をはかるべく策動し、そうでない人々を犠牲にし、言
語の袖に隠れては富者と貧者との乖離を固定化しようと努めるだろう。地球言語の存
在は、母語以外のことばを習得することに怠惰で、その機会を減らすことに熱心な人々
を生みだすだろう。地球言語の存在は、少数言語の消滅を促進し、究極的な脅威であ
る、それ以外のいっさいの言語を無用の長物たらしめよう。「他者と話し合うには一つの
言語で足りるので」という論議も聞かれる。「だから世界言語がひとたびその地位に就く
や、他の言語は死に絶えるだけ」というわけである。この事態と結びつくのは、言語的
弱肉強食という何ともいただけない死である。つまり自分のことばの勝利を、他者の敗
北と引きかえに祝う、という状況が到来しうる危険性である。
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