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なぜエスペラントは普及しないのか?

115松戸彩苑:2008/03/20(木) 19:22:19
>>113
> 特に E の様な人工言語の場合にはハッキリと云える事ですが、諸民族語の伝統的慣用
> 的表現の影響を強く受けたもの(例、eldoni)以外は単語を構成する形態素が示す意味で
> のみ、その語義範囲は判断されるべきものなのです。
> skribacxiの意味はskrib-acxiという二つの形態素が絡み合う意味範囲を示しているとしか
> 云えない訳で上に挙げた日本語の三つの和訳は、いずれの表現もその意味範囲に該当
> するものであるいうことです。
> 三つ以外にも考えればまだあるでしょう。例えば、「ぞんざいに書く」等々。

エスペラントを観察しますと、「単語を構成する形態素が示す意味でのみ、その語義範囲は
判断される」などということには必ずしもなってないんですよね。

たとえば mon-ujo という表現がありますね。
これは理論的には「おカネを入れる、ありとあらゆる種類の容器・袋など」を表わすことにな
るはずなんですが、しかし現実には「財布」の意味でしか使われないわけですね。
「金庫」なんかは kaso、mon-ŝranko、mon-kesto などと言うわけです。

また libr-ejo という表現も、理論上は「本に関係のある、ありとあらゆる場所」を表わして良
いはずなんですが、現実には「本屋」「新刊書店」に限定されてるわけです。
「出版社」は eldonejo、「図書館」は biblioteko、図書館などの「書庫」は libro-tenejo、「古
本屋」は libro-brokantejo などと言うわけですね。

それから『改訂 新撰エス和辞典』の boli の項に bol-ilo という表現が載ってるんですが、
「湯わかし」「ボイラー」という2つの訳語が与えられていたんですね。
もちろん、どちらも「boli に関係のある ilo」なわけですから、どちらも間違いではないんです
が、しかし「湯わかし」と「ボイラー」が区別できないのでは不便です。
ですから Waringhien が編纂した『Grand Dictionnaire Espéranto-Français』においては
「やかん = bol-ilo」「ボイラー = bol-ujo」とされたんですね。
これが旧版のPIVやNPIVにも踏襲されまして、『エスペラント日本語辞典』にも収録されてい
るわけです。

それから「やかん」を表わす表現としては bol-kruĉo というのもあるんですね。
これは『Esperanta Bildvortaro』の 41/73 に載っています。

ということで、意味を限定したうえで使われている表現の実例をお見せしましたが、このよう
に意味を限定しておかないと、精密な意思疎通ができなくなるんですね。
現在の skrib-aĉi というのも、あまりにも多義的ではないかと思います。


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