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科学と疑似科学とを判別する(2)

1diamonds8888x:2021/03/06(土) 19:44:21 ID:Qix9q/lA
「科学と疑似科学とを判別する」のバート2です。1000件越えたら、こちらにどうぞ。

2Ken:2021/04/03(土) 22:25:14 ID:l3c2r2bk
>[>>943]は全文その通りです。

そうであるなら、私の方から指摘したいことがあります。その中で、下の要請にも答えられると思います。

>[>>942]と[>>944]の「【重点項目】」以降の文章についても、合わせてのレスをいただけますか?

私からの問題提議は、この部分に関連します。

>「Pではない」という表現を「命題Pは正しくない」という意味で使って来ました

diamonds8888xさんの文意を私が正しく理解しているという前提で問いますが、このような意味で「P∧¬P」はありえないというのは、「基準」なのでしょうか? その切り口での問題提議なので、diamonds8888xさんの意図を理解してないように思える文章がしばらく続くかもしれませんが、忍耐をお願いします。

まず、私たちが議論している「基準」とは、具体的な科学理論を対象とし、ある理論は、例えば反証可能であるというような、正しいステップを踏んで構築されたが、別の理論はステップを踏み外した疑似科学と判定するもののはずです。そして、正しい科学理論であれ、疑似科学であれ、科学理論であるなら、なにかの具体的な事象を予測するはずです。たとえば、

光は粒子である ∧ 光は波動である

という理論を考えてみましょう。この理論がどういう具体事象を予測するかを考察するには、まず、なにをもって「粒子」とみなし、「波動」とみなすかの定義が必要になります。そこで、私は>>687で、

粒子とは離散的な「かたまり」
波動とは周期的な変化

と定義しました。あるいは、この定義に異論をもたれるかもしれませんが、今は、定義することの例に挙げているだけなので、お付き合いください。つまり、

光は粒子である ∧ 光は波動である

という命題は、ただちに、

光は離散的な「かたまり」である ∧ 光は周期的な変化である

という命題になり、そこから、

光は離散的な「かたまり」の事象を示す ∧ 光は周期的な変化の事象を示す

になります。つぎのステップは、それぞれの事象の例を挙げることですが、その事象の例が、古典力学と量子力学で異なります。今は、古典力学で話を進めましょう。

古典力学では、光が示す粒子性の例として、

A:回折しない / 真空中を伝わる / 質量移動を起こす

ことが挙げられ、波動性の例としては、

B:屈折する / 交差する / 質量移動を起こさない

が挙げられました。この場合とくに「質量移動を起こす」と「質量移動を起こさない」に注目すると、

(光は粒子である ∧ 光は波動である)

という理論から、

(光は質量移動を起こす ∧ 光は質量移動を起こさない)

という事象が予測されるのであり、その予測内容から、「光は粒子である∧光は波動である」という理論を検証できることになります。とくにこの場合には、基準05が違反とみなす「P∧¬P」に該当するかの検証が可能になります。

具体事象を予測できるのだから「光は粒子である∧光は波動である」は、疑似科学かどうかはともかくとして、すくなくとも科学理論であり、科学理論であるから基準の対象になります。

重要なことは、粒子と波動の定義が、

粒子とは離散的な「かたまり」
波動とは周期的な変化

であることで、そこに古典力学の知識体系を適用することで、

粒子は質量移動を起こす
波動は質量移動を起こさない

が導かれるわけです。

ところが、もし、粒子と波動のそもそもの定義が、

粒子とは質量移動を起こすもの
波動とは質量移動を起こさないもの

であったらどうでしょうか? その定義から出発して、

粒子は質量移動を起こす
波動は質量移動を起こさない

を導くのは、科学理論でしょうか? 私には、到底そうは思えません。そして、どう考えても、今回diamonds8888xさんが言われていることは、これの同類ではないかと思うのです。

「太陽が昇らない」の定義は、「太陽が昇る」の定義の補集合といわれるわけですね。でも、そこから「太陽が昇る∧太陽が昇らない」に該当するどんな具体事象を想定できますか? というよりも、具体事象は想定不可能だから、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は絶対に実現不可能、というのがdiamonds8888xさんの主張ではないのでしょうか?

ですが、具体事象を想定できないのなら、そもそも科学理論ではないし、基準の対象でもないでしょう。逆の言い方をするなら、判定対象がないのなら、基準05自体の存在理由がなくなりませんか?

結局、基準05とは、なんのために、そこにあるのですか?

3Ken:2021/04/03(土) 22:32:34 ID:l3c2r2bk
diamonds8888xさんの最後の投稿番号が947だったので、まだ同じスレッドでいけると思いましたが、強制的に新しいスレッドに入れられました。

4diamonds8888x:2021/04/04(日) 08:24:13 ID:Qix9q/lA
>>3
 了解です。
 なお新しいスレッドでは、[>>番号]の形で旧スレッドのコメントを直接参照することはできません。仕方ないですね。

5diamonds8888x:2021/04/04(日) 08:32:29 ID:Qix9q/lA
>>2
> 結局、基準05とは、なんのために、そこにあるのですか?

 一番簡単に言えば。我々が検討している基準は「科学理論ではない」ものを除くためのフィルターです。基準に反するものは「科学理論ではない」のは当然です。

> 粒子とは離散的な「かたまり」
> 波動とは周期的な変化
>    〜中略〜
> (光は質量移動を起こす ∧ 光は質量移動を起こさない)
> という事象が予測されるのであり、その予測内容から、「光は粒子である∧光は波動である」という理論を検証できることになります。

 ここまでは全くその通り。「とくにこの場合には、基準05が違反とみなす「P∧¬P」に該当するかの検証が可能になります。」というのが具体的に何をすることと想定しているのかわかりませんが、普通はこのあと次のように推論が続きます。

  ・「P∧¬P」と矛盾が生じたのだから、この理論は正しくない。つまり、ここまでの前提のどこかが正しくない。
  ・どこが正しくないのか検討する。

 これは基準05も何も、普通の科学理論研究そのものです。

>であったらどうでしょうか? その定義から出発して、

> 粒子は質量移動を起こす
> 波動は質量移動を起こさない

> を導くのは、科学理論でしょうか?

 論理的に間違いではありませんが、省略可能な推論ですよね。でもやったのはもっと複雑な推論でしたよね? やったのは次のような推論でしょう?

A:回折しない / 真空中を伝わる 
   =>故に光は粒子である =>粒子の定義により /(光は)質量移動を起こす

B:屈折する / 交差する
   =>故に光は波である =>波の定義により / 質量移動を起こさない

   =>故に 「(光は質量移動を起こす ∧ 光は質量移動を起こさない)」

 この後は上記と同様にして、この理論は正しくない。つまり、ここまでの前提のどこかが正しくない。

 以上のように、「これの同類ではないかと思う」というところの「これ」というのが何かが私にはわかりませんが、それ以降の文は独立して理解できますよ。


>ですが、具体事象を想定できないのなら、そもそも科学理論ではないし、基準の対象でもないでしょう。逆の言い方をするなら、判定対象がないのなら、基準05自体の存在理由がなくなりませんか?

 まともな科学理論と科学理論と自称していて実は科学理論ではないものとが判定対象です。その2種類を識別するのが基準の目的です。「そもそも科学理論ではない」というような判断をくだすための基準です。

 具体事象を想定できるか否かは基準には入れていません。Kenさんが独自基準として入れるのは勝手ですが、今はKenさんの基準をテーマにしてはいないでしょう? 入れてもよさそうにも思えますけど、それは基準01-06とは別の基準ですから、今の我々の議論で考慮すべきことではありません。

6diamonds8888x:2021/04/04(日) 09:03:22 ID:Qix9q/lA
>>2,>>5
> 結局、基準05とは、なんのために、そこにあるのですか?

 念を押せば、Kenさんが「科学理論ではない」とすぐにわかるから対象にするまでもない、と考えるような理論をも含めて判定するための基準です。トンデモさんはどんなとんでもない理論を「科学的だ」と自称してくるかは予測できませんからね。判定すべき対象は判定者が選べるわけではないので、条件は付けられないんですよ。

7Ken:2021/04/07(水) 23:04:56 ID:l3c2r2bk
はじめに、

>[>>番号]の形で旧スレッドのコメントを直接参照することはできません。

旧スレッドは、どうやら、

jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/

というディレクトリにあるようなので、たとえば、これまで「>>800」のようにして参照してきた投稿は、

jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/800

と、そのディレクトリの中の番号を指定すると呼び出せるようです。私が作ったプログラムではないので、保証はできませんが。

8Ken:2021/04/07(水) 23:05:45 ID:l3c2r2bk
さて、本題です。

>具体事象を想定できるか否かは基準には入れていません。

考えてみれば、そもそも、なぜ、特定の理論を「疑似科学」と判定して、人々の注意を喚起したり、教育の場から排除する必要があるのでしょうか? そのような「疑似科学」が、「正しい科学」の発展を妨げるからこそ、「基準」を設けて、ふるいにかけるわけですよね。

ですが、具体事象を出さない「疑似科学」に、いったい何ができますか? 具体性をもたない抽象論と、具体事象を追求する科学には、そもそも接点がなく、抽象論が具体論を妨げることなどできません。そして、今回、明らかになったのは、diamonds8888xさんが基準違反の例に挙げられた「太陽が昇る∧太陽が昇らない」も、その抽象論のたぐいということでした。私は、ここが分からなかったので、長い行き違いが生じたのです。

当初、私は、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」が意味するのは、同じ1つの太陽が「ω>0」と「ω≤0」という2つの速度を示すという具体事象と思っていました。だからこそ、これはまだ「東に昇る∧西に昇る」を論じていた時でしたが、コンピュータ・シミュレーションの話までして、それが実現可能と主張しました。

ところが、diamonds8888xさんの論点は、「ω>0」と「ω≤0」の並立は「太陽が昇る∧太陽が昇らない」そのものではなく、法則aが破れないことを前提にした場合の具体例にすぎないので、法則aが破れ、現実に「ω>0∧ω≤0」が観測されたら、「昇る」「昇らない」の定義が変わり、「ω>0∧ω≤0」(正確には「ω₁>0∧ω₂≤0」)は「昇る∧昇らない」ではなく、「昇る」か「昇らない」のどちらかに含める、というものですね。943で確認したのはそのことでした。

jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/943

でも、それなら「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は、抽象論になります。そして、私の問題提議は、抽象論が科学の発展を妨げるか、というものです。

例を挙げましょう。優れた業績を上げた科学者で、神を信じている人はいます。アインシュタインは難解な表現をするので判定が難しいのですが、それでも彼の語録を総合すれば、やはり神を信じていたと思います。ましてや、ガリレオやニュートンなどは、時代背景からして無神論者だったとは考えられません。それでも、原理主義者でもない限り、そこに矛盾はみないでしょう。「神が存在する」などは、抽象論だからです。

歴史を見ると、「疑似科学」が科学を妨げたと評価されるのは、抽象論の域を越えて、具体論を出した時なのです。

例えば、17世紀のアッシャー(James Ussher)という人は、旧約聖書を詳細に研究して、世界が誕生したのは、前4004年と算出しました。旧約聖書には、最初の人間アダムからの系譜と、父親が何歳のときに息子が生れたという記述があるので、年代が確定した時代から遡れば、算出は可能です。それでも研究者によって結論は異なり、同じ経典に拠りながら、ユダヤ教では創世は前3760年、ギリシャ正教では前5508年とされたと、アジモフは著書の「The Wellsprings of Life」の第3章で述べます。いずれにせよ、創世から数千年しか経っておらず、アッシャーの結論では、今年(2021年)は、世界ができてから6024年後になります。

問題は、世界が前4004年に誕生したというのは、抽象論ではなく、具体論であることです。そこから、自然科学との衝突が起こりました。

アジモフはアッシャーの結論を紹介した後、1世紀以上を経た18世紀末の歴史を語ります。この時代には地質学の研究が進み、岩がどういうプロセスで形成されるかが分かってきました。そこから、現存する地層が、たかだか数千年でできたはずがないという結論になり、創世が数千年前という理論と矛盾します。そこで、旧約聖書を字義通りに信じる人は、地質学の結論を否定しました。宗教と科学が対立した1事例で、原因は、「創世は前4004年」という具体論を出したことにあります。

また、旧約聖書では、神は創世の5日目に魚のような水中生物と鳥のような飛行生物を作り、6日目に人間を含む陸上生物を作ったとあります。ここから、それぞれの生物種は別々に作られたという具体論が生じ、人間を含むあらゆる生物は共通先祖をもつという進化論との対立が生じました。

どちらの例をみても、「疑似科学」が「正しい科学」を妨げるのは具体論を出す時で、抽象論にとどまる限りは、ことさら「疑似科学」などと称して、問題にする必要がないだろう、というのが私の考えなのです。

9Ken:2021/04/07(水) 23:06:17 ID:l3c2r2bk
では、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という「疑似科学」はどうでしょうか? これが、正しい科学の発展を妨げることができるか、思考実験をやってみましょう。

今の私たちは法則aを支持してますから、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は実現しないと考えます。正確に言いますと、法則aが破れないのだから、これは、同じ太陽で「ω>0」と「ω≤0」という2つの速度が観測されることはない、という意味です。

そこに、それは起こりうるという主張が現れた場合を考えます。その場合、主張者に向けて「正しい科学」が発する最初の言葉は、

〜では、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を表す事象を見せてください

になるはずです。もしも主張者の側が、「今は観測できないが、理論的にありうる」と主張するなら、今度は、

〜では、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を具体事象として語ってください

になるでしょう。今回の議論で、diamonds8888xさんが私に求められたのは、これでしたね。普通はこれで決着がつくはずですが、もしも「具体事象」の定義が不明確で議論が混乱するなら、このように要求すればよいのです。

〜では、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を、コンピュータ・シミュレーションで実現してください

もしも、具体事象として表せるのなら、たとえば法則aのように、現在支持されている法則と一致しようがしまいが、シミュレーションで実現できるはずです。シミュレーション結果を見れば、「ω>0」と「ω≤0」の並立が可能かどうかはすぐに分かり、論争は終わります。

慎重を期すため、今度はその逆。正しい科学が「太陽が昇る∧太陽が昇らない」がありうると主張し、「疑似科学」の側が、それを否定する場合を考えましょう。

もしも、正しい科学が「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という主張をするなら、必ず具体事象を示すはずです。最初に「昇る」とはω>0が観測されること、「昇らない」とはω≤0が観測されることと定義し、その上で、ω>0とω≤0という速度を示す2つの太陽が、実は同じものであると示す事象を挙げることでしょう。私が何度も挙げたことです。

(1)2つの太陽の大きさ、等級、質量、スペクトル型等が同じ
(2)黒点やフレアが同じ形状で同じタイミングで現れる
(3)巨大天体が衝突してどちらか一方が破壊されたら他方も同時に破壊される

これに対して、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を否定する側が、「太陽が昇らない」は「太陽が昇る」の補集合であるから、ω>0とω≤0の観測だけでは、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」の命題が成立していない、と言ったところでどうなりますか? 正しい科学の主張はあくまでも「ω>0∧ω≤0」の具体事象であって、抽象表現ではないのだから、関係のないことです。

「ω>0∧ω≤0」の状態を、ある人は「太陽が昇る」と表現するかもしれないし、別の人は「太陽が昇らない」と表現するかもしれません。「太陽が昇る∧太陽が昇らない」と表現する人だって現れるかもしれませんが、どうでもよいことで、言わせておけばよいのです。抽象論でだれが何を言っても、具体事象を否定することも、それが世に及ぼす影響を妨げることもできません。そういう人は仲間内で神学論争をしているだけです。

非常に重要な点ですので、再度強調します。かつて地質学や進化論が反対されたのは、そこに旧約聖書の記述という具体論があったからです。

抽象論だから「疑似科学」ではない、とまで言い切るつもりはありませんが、具体事象を挙げないのなら、「神を信じる」と同列のものであり、科学が相手にするべきものではないだろう、というのが私の考えです。もしそれを問題にするのなら、科学的根拠に基づかないあらゆる信仰や思想まで問題にせねばなりません。

よって、やはり基準05の存在理由は私には見えません。

10diamonds8888x:2021/05/29(土) 07:51:48 ID:Qix9q/lA
>>8, >>9
 リンクの間違いでしばらくアクセスできずお待たせしたと思います。すみません。
 ただ、またしばらく忙しくて発言が途絶えると思いますので御了承のほどを。


 抽象と具象とを区別し過ぎていませんか? 抽象は具象から生まれたものであり、無関係ではありませんよ?

 典型的には、りんごの数、皿の数、人数、星の数、などから個別に異なる属性は捨ててしまって(つまり抽象して)得られたのが"個数"という抽象概念です。この抽象概念を使えば、「どんな具体的対象に関しても」4個の塊が3個集まれば総個数は3✕4で知ることができます。星は星で具体的に確認しないとだめだ、なんて言う人はいません。

 自然法則も抽象概念で、例えばニュートンの第1-第3法則は、様々の具体的な固体粒子の運動に共通する性質を抽象化したものです。論理法則もそうで、諸々の自然法則や数学定理、そこまでまとめられていなくても日常の正しい推測のパターンなどに共通するパターンを取り出した抽象概念です。

 ¬(P∧¬P)もその共通バターンのひとつであり、Pがどんな文でも成立するものです。具体的な文にしたら違うかも知れないなどというのは、星の数の場合は3✕4=12個にはならないかも知れない、というようなものです。

11名無しさん:2021/05/30(日) 23:33:56 ID:l3c2r2bk
問題は、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」などと表現する人を、

「あの人は疑似科学者ですよ。気をつけましょう」

と、注意を喚起しますか、ということです。具体論でないのなら、論理的整合などは、科学が知ったことではないのでは?

たとえば文学としてなら、「太陽が昇り昇らず」なんて表現が現れても、だれも問題にしないと思いますよ。あるいは、昔の軍歌に、

「見よ東海の空あけて、旭日高く輝けば」

という一節がありましたが、「旭日」とは日の出の直後の太陽だから、高く輝くはずがありません。水平線か地平線の近くの低い位置にあるはずです。でも、この歌のせいで、日の出の直後の太陽が高角座標に位置すると、そんな誤解が生じると思われますか?

結局、ただの文学表現なのか、それとも科学表現なのか。それを分けるのは、現実に起こる具体事象と主張するかではないのでしょうか?

>第1-第3法則は、様々の具体的な固体粒子の運動に共通する性質を抽象化したものです。

ニュートンの法則は、抽象化というよりも、具体論をまとめた一般化というべきでしょう。重要なのは、ニュートンの法則からは、物体がどう動くのか、個別の具体事象を導けますが、

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」

からは、それができないのです。(できるとするのが基準05だと、私は長く誤解してたのですが。)もしも、

同じ太陽で「ω>0∧ω≤0」という速度が観測される

という具体論にできるのなら話は別ですが、そうではないのですよね。

>星の数の場合は3✕4=12個にはならないかも知れない、というようなものです。

たとえば文学表現として、

3つ星の星団が4つで、星の数は11

というだけなら、科学の知ったことではありません。

具体事象として、11個の星があるというのなら、科学の対象になります。そして、その場合は、私が「東に昇る∧西に昇る」や「昇る∧昇らない」で行なったのと同様の考察が、つまり、3つ星の星団が4つあるという事象と、合計11の星があるという事象の並列が、絶対に起こりえないか、を考察することになるでしょう。

ただし、diamonds8888xさんの基準として、抽象表現でも、科学を妨げるからアウトだといわれるなら、本スレッドでは従いますが、そうなると、禅問答などは軒並みアウトになると思います。芸術や宗教などは、科学とは関係のないところで存在していると思うのですが、その存在も許されなくなるでしょう。

12Ken:2021/05/30(日) 23:35:23 ID:l3c2r2bk
>>11は私の投稿です。失礼しました。

13diamonds8888x:2021/06/06(日) 12:03:48 ID:Qix9q/lA
>>11
 論理法則は抽象的とは言えますが、文学ではなく、具体的事象と無関係でもありません。
 抽象的な万有引力の法則と同様にりっぱな科学の法則です。
  (科学ではなく数学だとかいう重箱の隅のツッコミは却下)

 抽象的ならば文学?? あんまりふざけないでください。

 言葉の使い方、というより概念の分類がおかしいですよ。次のものは抽象ですか具体的ですか? そして、それは文学ですか?
   万有引力の法則
   マクスウェルの方程式
   ピタゴラスの法則
   シュレジンガーの波動方程式
   熱力学第2法則
   エトセトラ

14diamonds8888x:2021/06/06(日) 12:10:56 ID:Qix9q/lA
>>11,>>8,>>9
 まず旧の942,944,については理解してもらえてますか?
[tps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/942]
[tps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/944]

 Kenさんの941の認識を追認しているだけですけどね。
[tps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/941]
> 太陽が昇る ∧ 太陽が昇らない
> 「太陽が昇る」が正しい ∧ 「太陽が昇る」は正しくない

> この2つが論理構造上、同じであるとは思えません。もっとも、


 まあでも、まずは「抽象論は科学には不要」みたいな偏見をまず正してもらうのが先ですね。
 このコメントはメモとして残します。

15diamonds8888x:2021/06/06(日) 12:26:39 ID:Qix9q/lA
>>11,>>13
 ああ、なるほど躓いたのはここですか?
 論理法則はまさしく、おっしゃる通りの一般化に他なりません。

>ニュートンの法則は、抽象化というよりも、具体論をまとめた一般化というべきでしょう。重要なのは、ニュートンの法則からは、物体がどう動くのか、個別の具体事象を導けますが、
>「太陽が昇る∧太陽が昇らない」
>からは、それができないのです。(できるとするのが基準05だと、私は長く誤解してたのですが。)もしも、

 基準05の論理規則は「¬(P∧¬P)」ですからね。個別の具体事象では、
 「(太陽が昇る∧太陽が昇らない)という事象は起きない」ですからね。

>同じ太陽で「ω>0∧ω≤0」という速度が観測される
>という具体論にできるのなら話は別ですが、そうではないのですよね。

 だから、具体的にはそんな現象が「起きない」という命題です。

 否定命題はすべて具体論ではないとでも言うのですか?

 以下の命題は抽象論であり科学ではないのでしょうか?
 ・エネルギー保存則に反する事象は起きない
 ・物質が理由もなく消滅することは起きない
 ・1+1は4ではない
 ・ エトセトラ

16Ken:2021/06/06(日) 19:05:09 ID:l3c2r2bk
どうも「抽象的」という言葉でひっかかってるようですが。

>抽象的ならば文学?? あんまりふざけないでください。

「抽象的」でなければ、何と表現すればよいのでしょうか?

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」が論理的にありえないことは分かってるつもりです。私が言いたいのは、論理的にありえない表現は、世にあふれているではないか。それをすべて「疑似科学」として問題にされますか、ということなのですが。

前回は軍歌を挙げましたが、今度は童謡の例を出しましょう。

春の小川は さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
姿やさしく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやきながら

この歌を字義通りに解するなら、「川」という無生物が、意思をもって語りかけてることになりますから、これも立派な「疑似科学」になりませんか? しかもこれは文部省唱歌だから、学校という教育の場に疑似科学を持ち込んだわけで、天地創造論を学校で教えるのと同列でしょう。

でも、そんな理由で、こういう歌を学校で教えることが問題視された話を聞いたことがありません。なぜでしょうか?

理由は簡単です。上記の歌は文学表現で、科学的表現ではないからです。では、文学表現と科学表現はどこが異なるのでしょうか?

私は、こう考えます。言葉で表現されることが、現実の具体事象であると主張するのが、科学表現であると。もしも、「川」が意思をもって語るという事象が現実に起こると主張するなら、それは科学表現であり、よって、科学として正しい形をとっているかが問題になるでしょう。でも、上記の歌は、そうではないのだから、問題にされないだけではありませんか?

さて、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という表現ですが、ここからは、

同じ太陽で「ω>0∧ω≤0」という速度が観測される

のような具体論にならない、というのがdiamonds8888xさんの論点ですよね。それなら「旭日高く」や「川がささやく」とかわるところがなく、ことさら「疑似科学」などと問題視する必要がないのでは、と指摘してるのですが。

17Ken:2021/06/06(日) 19:42:42 ID:l3c2r2bk
たとえばニュートンの法則からは、どういう具体事象は起こりえて、どういうことは起こりえないか、が導けるのです。ニュートンの第2法則は、

F = ma

ですから、

1kgの質量に1Nの力が働けば1m/s²の加速度を生じる → 正しい
1kgの質量に1Nの力が働けば2m/s²の加速度を生じる → 正しくない

のように。

ですが、

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」

からは、具体事象が出てこないのです。それなら、この論理式が正しかろうが誤りであろうが、科学の知ったことではない、と私は思うのですが。

18diamonds8888x:2021/06/12(土) 17:07:01 ID:Qix9q/lA
>>16,>>17
 基準05の文章とはまるで質の違う歌やら文学やらの文章を長々と書くのは記憶容量の無駄使いです。そりゃまあテキストだし、ほぼゼロに等しい量だけど。

>どうも「抽象的」という言葉でひっかかってるようですが。

 「抽象的」の普通の意味を狭くして、ひっかかってるのはKenさんの方ですが、それはともかく。

>「抽象的」でなければ、何と表現すればよいのでしょうか?

 御自分で言ったでしょう?「具体論をまとめた一般化[>>11]」でいいですよ。

>「太陽が昇る∧太陽が昇らない」

>からは、具体事象が出てこないのです。

 >>15 参照。

 「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は抽象論だと考えるのですか?

 「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は「決して実現しない具体事象」です。「実現しない具体事象」「存在しない具体事象」という概念が使えなければ背理法も使えず、論証というものが使えなくなります。ついでにゼロが発明だか発見だかされることもなかったでしょう。
 で、Kenさん好みの言葉を使うならば、「P∧¬P」というのが一般化された命題ですね。そして「決して正しい具体論はあり得ない一般論」というのがピッタリでしょう。

19Ken:2021/06/13(日) 00:51:28 ID:l3c2r2bk
問題はここですね。

>「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は「決して実現しない具体事象」です。

私がいう「具体事象」とは、どのような観測がなされたらそれが実現したといえるか、が明示的に定義されることをいいます。「ω>0∧ω≤0」が具体事象であるのは、それを成立させる観測事象が明らかであるからです。繰り返し挙げていますが、

--------------------------------------------------------------------------
2つの太陽が観測され、一方は ω > 0 の角速度を、他方は ω ≤ 0 の角速度を示す。また、この2つの太陽は、

(1)2つの太陽の大きさ、等級、質量、スペクトル型等が同じ
(2)黒点やフレアが同じ形状で同じタイミングで現れる
(3)巨大天体が衝突してどちらか一方が破壊されたら他方も同時に破壊される

という特徴を示す。
--------------------------------------------------------------------------

科学理論とは、このように事象を具体的に定義するものです。そして「疑似科学」が科学を妨げるものであるなら、少なくとも、科学と同じ土俵に登らねばなりません。事象の具体化は、疑似科学にもまた必要なのです。

私は、当初、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は、上記のような観測事象を意味するもので、diamonds8888xさんは、そういう観測事象が起こり得ないと主張されているものと思っていました。ところが、そうではないことが分かったのです。

上のように定義される「ω>0∧ω≤0」と、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」はイコールではない、という点が問題の根幹になります。「ω>0∧ω≤0」が現実に観測されたら、「昇る」「昇らない」の定義が変わり、「ω>0∧ω≤0」は「昇る」と「昇らない」のどちらかに含まれるわけですよね。旧スレッドの943でそれを確認しました。

でも、それなら、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は、具体事象として、どういう観測がなされるべきかという定義がないのです。それは「科学」でないのみか「疑似科学」にもならないのではありませんか? 

こう考えてみてはどうでしょうか。

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という主張が現れたとして、それが「正しい科学」のどの部分を妨げるのでしょうか? どんな理論、どんな知見を否定しますか?

天動説は地動説を妨げたし、アッシャーの理論は地質学を妨げました。でも、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」にそんなことができますか?

ただし、「論理式として正しくないものは、それだけで疑似科学の要件をみたす」と言われるのなら、それは1つの見識ですから、本スレッドで反対することはありません。ただ、それなら、「旭日高く」や「川がささやく」のような文学表現も、多くの経典に現れる宗教表現も、すべて、科学を妨げる疑似科学として、排除の対象になりますが、それでよろしいですか、とお尋ねしています。

20Ken:2021/06/13(日) 07:10:19 ID:l3c2r2bk
「一般化」について、もう少し、語りましょう。

ニュートンの法則は、たしかに一般化です。それは個別事象をまとめたもので、法則から個別事象を予測することができます。第2法則(F=ma)からは、

1kgの質量に1Nの力が働けば1m/s²の加速度を生じる
1kgの質量に2Nの力が働けば2m/s²の加速度を生じる
2kgの質量に1Nの力が働けば0.5m/s²の加速度を生じる

のような具体事象が予測されますし、もし予測がはずれ、

1kgの質量に1Nの力が働けば2m/s²の加速度を生じる

のような具体事象が観測されたら、一般化された法則は否定されるのです。

ところが、

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は実現しない

という法則はどうでしょうか? ここから、なにかの個別事象を予測できますか?

当初、私は、予測できるのが当然の前提であり、予測される観測事象としては、

「同じ太陽がω>0とω≤0の2つの速度を示す」は実現しない

であると考えたのです。ここでは「昇る」の定義は「ω>0」、「昇らない」の定義は「ω≤0」としています。

ところがdiamonds8888xさんから、もしも現実に「ω>0∧ω≤0」が観測されたら、「昇る」「昇らない」の定義が変更され、「ω>0∧ω≤0」は「昇る」か「昇らない」かの、どちらか一方になる、という指摘がありました。

それなら、

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は実現しない

という法則は、予測に反する個別事象で否定されることはありえず、言い換えれば個別事象を予測してないことになりますから、一般化とはいえないでしょう。

「一般化」でないとすれば、何と表現すればよいのでしょうか? 私は「抽象論」「文学表現」「神学論争」という言葉で表現しようと試みてきました。「神学論争」と呼ぶのが適当かもしれません。個別事象を予測するのではなく、観測される事象をどういう言葉で表現するかを、問題にしてるのですから。

私の論点はお分かりでしょうか? 私は、

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は実現しない

が間違いといってるのではありません。間違いではないが、具体的な観測事象を対象とする科学には応用することができず、そもそも科学と接点がないのだから、疑似科学の判別もできないのでは、と言っています。

21ゲジゲジ:2021/06/13(日) 12:47:18 ID:ceF1Bqvc
久しぶりにヨコから失礼します。

どうやら科学と疑似科学とを判別する「基準」を議論する以前の所、“「基準」を適用する対象は何か?”という所で食い違っているようですね。

私は単純に次のように考えていますし、そういう認識でお2人の議論を見守ってきたのですが、どうやらKen様は違っていたようです。
diamonds8888x様は如何でしょうか?

すなわち、【科学と疑似科学とを判別する「基準」は、「科学を称している理論」を判別するものである。】
具体論とか抽象論とかではなく・・・

私の考えをもう少し具体的に述べておきます。
ken様の投稿 >>8から

---以下引用---
例を挙げましょう。優れた業績を上げた科学者で、神を信じている人はいます。アインシュタインは難解な表現をするので判定が難しいのですが、それでも彼の語録を総合すれば、やはり神を信じていたと思います。ましてや、ガリレオやニュートンなどは、時代背景からして無神論者だったとは考えられません。それでも、原理主義者でもない限り、そこに矛盾はみないでしょう。「神が存在する」などは、抽象論だからです。
---ココまで---

「神は存在するという考えは科学的に正しい」とか
「神は存在することは科学的に証明されている」といった主張は疑似科学です。

「(私は)神は存在すると思う」とか、あるいは
「(科学では解明されていないが)神は存在するのが真実だ」という主張は疑似科学ではありません。


---以下引用---
また、旧約聖書では、神は創世の5日目に魚のような水中生物と鳥のような飛行生物を作り、6日目に人間を含む陸上生物を作ったとあります。ここから、それぞれの生物種は別々に作られたという具体論が生じ、人間を含むあらゆる生物は共通先祖をもつという進化論との対立が生じました。
---ココまで---

「神は創世の5日目に(略)陸上生物を作ったと考えるのが科学的だ」なら疑似科学、
「神は創世の5日目に(略)陸上生物を作ったと私は思う(信じる)」だったら疑似科学ではありません。


実際には「科学を称している」かどうかというのは、前後を含めた文脈で判断されるケースが多いと思います。

「旭日高く」や「川がささやく」のような文学表現は、文学表現として語られるのであれば疑似科学ではありません。
多くの経典に現れる宗教表現も、信仰の場で語られるなら疑似科学ではありません。
しかし科学の議論をする場で同じ事を言ったなら、疑似科学として批判されるでしょう。
これらは具体論であろうが抽象論であろうが、科学の議論の場からは排除されねばなりません。

そもそもの議論のきっかけになったID論も、ドーキンスが「疑似科学だ」と批判したのは、「科学的仮説の1つとして科学教育の場で教えよ」という主張だったからです。
もし「科学とは別の考え方として、宗教教育の場で教えよ」という主張だったなら、「疑似科学だ」という批判はできないはずなのです。
いや、もしそれでも「疑似科学だ」という批判があったとしたら、「科学が信仰に口を出すな」という反論ができるはずだし、そういった反論は妥当なものであるはずです。


(余談)
アメリカでのID論は、「公教育の場で科学的仮設の1つとして教えよ」と主張されました。
もし本当に「公教育の場で宗教教育として教えよ」という主張がなされたなら、「政教分離の原則に反する」という批判が起こりそうですが、科学か疑似科学かの議論とは関係のない事です。

23diamonds8888x:2021/06/20(日) 09:35:48 ID:Qix9q/lA
>>21
>すなわち、【科学と疑似科学とを判別する「基準」は、「科学を称している理論」を判別するものである。】

 うーん、その点ではKenさんも私も同じだとは思うのですが。
 むしろ抽象と具象との区別とか、概念上の分類の違いが微妙に食い違ってて唖然とすることがあるし、未だにわかりにくいんですよね。使う言葉の意味がずれちゃってるという感じなんですよ。

24diamonds8888x:2021/06/20(日) 10:03:47 ID:Qix9q/lA
>>19
>上のように定義される「ω>0∧ω≤0」と、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」はイコールではない、という点が問題の根幹になります。「ω>0∧ω≤0」が現実に観測されたら、「昇る」「昇らない」の定義が変わり、「ω>0∧ω≤0」は「昇る」と「昇らない」のどちらかに含まれるわけですよね。旧スレッドの943でそれを確認しました。

 定義が変わった(変えざるを得なかった)原因は「ω>0∧ω≤0」が現実に観測された」からではありませんでしたよ。Kenさんが角速度や位置というものの定義を変えたからです。同時に2つの値を持つ量である、とね。


>>20
>予測される観測事象としては、

> 「同じ太陽がω>0とω≤0の2つの速度を示す」は実現しない

> であると考えたのです。

 その通りですよ。それで問題ないのに。

>ところがdiamonds8888xさんから、もしも現実に「ω>0∧ω≤0」が観測されたら、

 それはKenさんの想定でしょう? そして、あたかも「ω>0∧ω≤0」が観測されたような事態において、「同じ物体が同時に2つの角速度や位置を持てる」という理論を提案したのはKenさんであって私ではありません。私はただ、そのKenさん提案の理論では定義を変えざるを得ないということを指摘したに過ぎません。

 ちなみに私なら「同じ物体が同時に2つの角速度や位置を持てる」という理論など提案しませんよ。観測されたのはあくまでも2つの太陽の視覚的像ですから、次の理論が有力と考えます。
  ・2つの像は別の天体のものである
  ・2つの像は同一天体の2つの像である

25diamonds8888x:2021/06/20(日) 10:19:44 ID:Qix9q/lA
>>19,>>20
 少し順を変えて話して見ましょうか。

>「ω>0∧ω≤0」が具体事象であるのは、それを成立させる観測事象が明らかであるからです。繰り返し挙げていますが、
> --------------------------------------------------------------------------
> (中略)
> --------------------------------------------------------------------------

  (中略)部分の3つの現象(角速度含めれば4つ)が具体事象でもあり観測事象でもあることには同意しますが、「ω>0∧ω≤0」すなわち「同じ太陽の角速度が同時に正値と負値とを持つ」は、これらの観測事象を説明しようとする理論であって、具体事象とは言えません。理論と言っても公理というよりは、「異なる位置にある2つの太陽が、実際にその位置にある同一物である」という公理から導かれる定理というべきでしょうね。
 今までの議論の流れではKenさんが、「上記1-3が観測されたら同一の太陽とみなす」と勝手に定義しただけです。

 ここで基準05に従えば、「異なる位置にある2つの太陽が、実際にその位置にある同一物である」という理論は疑似科学と判定されます。基準05に反する命題「ω>0∧ω≤0」が導かれたからです。

 ここで「同一質点が異なる2つの位置を取れる」という仮定を使えばどうか? というのがKenさんの理論でしたよね?
 この仮定自体も別の意味で疑似科学の匂いはしますが、これまでの基準01-06ではカバーしてない話ではあるので、そこは保留しておきます。

 しかしこの場合は昇ると昇らないの意味を明確にしないと「太陽が昇る∧太陽が昇らない」の意味が曖昧になることを私は指摘しました。そして明確にするならば基準05には反しないことも互いに了解できましたよね?
 あくまで反するというなら、それが証明できると言うなら、当然ながら「同一質点が異なる2つの位置を取れる」という仮定を含む理論は、基準05に従い疑似科学と判定されます。

 では基準05に反しない理論が考えうるかといえば、例えば[>>24]で示した理論です。
>  ・2つの像は別の天体のものである
>  ・2つの像は同一天体の2つの像である

26diamonds8888x:2021/06/20(日) 10:25:25 ID:Qix9q/lA
>>20
> 「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は実現しない

> という法則は、予測に反する個別事象で否定されることはありえず、言い換えれば個別事象を予測してないことになりますから、一般化とはいえないでしょう。

 もしかして、基準05は(論理法則における矛盾の否定は)ポパーの反証可能性がないから科学理論ではない、と言いたいのでしょうか?

 Kenさんが反証可能性の意味をちゃんと理解したのかどうかも不明なのですが、きちんと答えてください。そんな意味とは考えてもいないとかなんとか。

27Ken:2021/06/20(日) 22:46:18 ID:l3c2r2bk
まず、問われたことに答えます。

>もしかして、基準05は(論理法則における矛盾の否定は)ポパーの反証可能性がないから科学理論ではない、と言いたいのでしょうか?

具体事象を出さないのなら、反証以前に、そもそも検証ができないから、科学/疑似科学の対象にもならないのでは、と言いたかったのです。

>使う言葉の意味がずれちゃってるという感じなんですよ。

その対策は1にも2にも具体化することです。この投稿も、徹頭徹尾、具体化の試みと思ってください。

3段階に分けて質問しましょう。すべて、これまでに論じたことですが、明示的な回答をいただいたという認識がありません。

まず、科学とは具体事象を扱うもので、疑似科学が科学を妨げるものであるなら、疑似科学も具体事象を扱わねばならない。そうでなければ、妨げるどころか科学との接点がない。この点には、同意をいただけますか?

天動説もアッシャー理論も具体事象を語ります。カール・セーガンは「Broca's Brain」という著書で、幽体離脱や算数ができる馬をpseudoscienceの例に挙げましたが、これも具体事象です。むろん、私が出した「ω>0∧ω≤0」の例も具体事象です。

これらが具体事象である証拠は、コンピュータ・シミュレーションで実現できることです。シミュレーションでは、私たちが知っている物理法則と矛盾する事象は実現できても、具体化されない事象は実現できません。私の「ω>0∧ω≤0」の例がシミュレーション可能と示すため、旧スレッドの840でstar_Xの変数構造を示しました。star_Xには、独立して変化できる2つの位置情報があるのです。

疑似科学理論であっても、シミュレーションで実現可能な、具体事象を語らねばならない。この点に同意をいただけますか?


同意をいただけるとして、ではdiamonds8888xさんが想定する「太陽が昇る∧太陽が昇らない」の具体事象とはどういうものですか? 私の例が、例として正しくないのなら、ご自身が考える具体事象をお示しください。その具体事象をコンピュータで実現するとして、どういう構造の変数を用いますか? これが第2の質問です。まずは、変数の構造定義からお願いします。


第3の質問は、上の前提が誤りである場合です。具体事象を出せなくても疑似科学は疑似科学と主張されるのなら、「旭日高く」のような、世にあふれる論理矛盾と、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」はなにが異なるのですか? なぜ一方は基準05違反の疑似科学で、他方はそうではないのでしょうか?


まとめます。

(1)疑似科学も、具体事象を出さねばならないことに同意されるか?
(2)「太陽が昇る∧太陽が昇らない」の具体事象はどういうものか?
(3)「太陽が昇る∧太陽が昇らない」と「旭日高く」は何が異なるのか?

28diamonds8888x:2021/06/26(土) 19:48:12 ID:Qix9q/lA
>>27
 ポパーの反証可能性とは関係ないという点は了解です。

 さて以下の説明ならわかるのかな?
 以下の2つの観点で発言を分けてレスします。
  1.疑似科学に基準なし。疑似科学と文学等との違い。;本発言の主要
  2.具体性のない事象は科学か?;別発言にて


第1の質問
>まず、科学とは具体事象を扱うもので、疑似科学が科学を妨げるものであるなら、疑似科学も具体事象を扱わねばならない。そうでなければ、妨げるどころか科学との接点がない。この点には、同意をいただけますか?

 同意しません。ていうか・・・、「疑似科学がどうあらねばならないか?」なんてのは私が答える筋合いの質問ではありませんよ。
 私は疑似科学を唱えるつもりもないし、疑似科学のための基準を設定する役目もありませんから、この質問は疑似科学を唱える人に聞いてくださいな。
 疑似科学を唱える人は各人それぞれの基準はもってるかもしれませんけど、それは私が提案した基準01-06とは異なるものなんでしょうね。
 Kenさんから見れば取り上げるのもアホらしいくらいにデタラメで具体性のない理論であっても、科学的理論だと称して唱える人はいるのです。科学を詐称している限りは、それは疑似科学です。

 なお、以下の命題になら、やはりいずれも同意しません。
  ・具体事象を扱っていない理論は科学的理論ではない (2.の論点ゆえ別発言にて)
  ・具体事象を扱っていない理論は疑似科学と認定する必要はない
     (理由のいくつかは本発言に述べるもの)

第2の質問はこれですね?
>疑似科学理論であっても、シミュレーションで実現可能な、具体事象を語らねばならない。この点に同意をいただけますか?

 答えは質問1に対するものと同じです。

>第3の質問は、上の前提が誤りである場合です。具体事象を出せなくても疑似科学は疑似科学と主張されるのなら、「旭日高く」のような、世にあふれる論理矛盾と、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」はなにが異なるのですか? なぜ一方は基準05違反の疑似科学で、他方はそうではないのでしょうか?

 文学は科学だと自称してはいません。科学と自称しているにもかかわらず科学的手続きに従っていない理論が疑似科学理論です。
 聖書の記載を神話として信仰として述べるだけなら、それは信仰です。科学的な事実だと主張すれば疑似科学です。これは第1掲示板でも多くの人から何度となく指摘されていることで、基本的常識といえます。

>>8
>ですが、具体事象を出さない「疑似科学」に、いったい何ができますか? 具体性をもたない抽象論と、具体事象を追求する科学には、そもそも接点がなく、抽象論が具体論を妨げることなどできません。

 妨げることはできますよ。いわゆる神話や聖書の記述という抽象論がそうだったではありませんか。そもそも抽象論と具象論とがいつでも明確に区別できるとは限りません。

 Kenさんから見れば取り上げるのもアホらしいくらいにデタラメで具体性のない理論であっても、科学的理論だと称して唱える人はいるのです。科学を詐称している限りは、それは疑似科学です。そしてKenさんから見れば取り上げるのもアホらしいくらいにデタラメで具体性のない理論であっても、事実だと信じ込む人は一定数出てくるものなのです。全人類がKenさんのように適切な判断ができるわけではありません。
 それゆえに、Kenさんから見れば取り上げるのもアホらしいくらいにデタラメで具体性のない理論であっても、科学的理論だと称して唱えられていれば、疑似科学と認定して誤りを正す必要があるのです。
 以上のことは[>>6]でも簡潔に書いたことです。

 また基準05,06と同じく論理法則を基準とした基準03,04の提案時に「当たり前のこともきちんと述べるのが数学と法律の精神なので」と述べているのも同じ精神です。
  基準03,04: 旧59[ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/59]
  基準05,06: 旧353[ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/353]
 ついでに
  基準01,02: 旧56[ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/56]

29diamonds8888x:2021/06/26(土) 19:50:47 ID:Qix9q/lA
>>21,>>23
 [>>28]を書いていたら[>>21]でおっしゃっていたことが、そうだったのかもと思えてきました。疑似科学とは科学を自称している(詐称している)理論である、ということがはっきり意識できていなかったのかも知れません。では何を対象と考えていたのでしょうか?
 へそ理論とかKenさんの想像を超える疑似科学理論は想定範囲外だったのかな?

30diamonds8888x:2021/06/26(土) 20:01:03 ID:Qix9q/lA
>>27,>>28
【補足】改めて基準の紹介

 基準01-06は以下で提案しています。基準05,06はかなり遅いものでした。私も忘れてて、基準01-04と同時期だと勘違いしていました。
  基準01,02: 旧56[ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/56]
  基準03,04: 旧59[ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/59]
  基準05,06: 旧353[ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/353]

 基準05,06提案の経緯はKenさんが「科学的なはずの理論でも矛盾を容認せざるを得ないこともある」と主張したので、それは違うという私の見解を基準として設定したということです。
 私の見解は「矛盾しているように見えるだけであり、容認しているのではない」というものです。すなわち、論争する両陣営とも論敵側の理論が矛盾していることを示そうとし、自分たちの理論には矛盾がないことを示そうとして努力しているのであり、基準05,06は正しいと認めているのです。それが具体的に論争に登っている理論に当てはまるかどうかという点で互いの意見が異なる状態が続いているだけなのです。


 最初から「太陽が昇る∧太陽が昇らない」と例示できるような主張をする理論はさすがにまともな科学者は否定するでしょうし、正しく解釈すれば(*)Kenさんも直ぐに否定すると思いますが、否定するさいの根拠を言葉にすれば基準05になります。

 そういえば、Kenさんは現時点では上記の私の見解には同意しますか? このときの議論はもう忘れましたか?

*) 旧941,942 で互いに「○○しない」の使い方の違いを認識しましたが、私の使っていた意味で解釈すればというのが「正しく解釈すれば」の意味です。

31Ken:2021/06/26(土) 23:30:56 ID:l3c2r2bk
>妨げることはできますよ。いわゆる神話や聖書の記述という抽象論がそうだったではありませんか。

疑似科学とは正しい科学を妨げるものである。疑似科学を排除する理由はここにある。 ← この点は同意をいただけるのでしょうか?

それなら、私が>>19で行なった質問に回答をいただけますか?

-------- 引用はじめ --------
「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という主張が現れたとして、それが「正しい科学」のどの部分を妨げるのでしょうか? どんな理論、どんな知見を否定しますか?

天動説は地動説を妨げたし、アッシャーの理論は地質学を妨げました。でも、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」にそんなことができますか?
-------- 引用おわり --------

これへの回答をうかがった上で、話を進めたいと思います。

32diamonds8888x:2021/06/27(日) 12:49:41 ID:Qix9q/lA
>>31
>疑似科学とは正しい科学を妨げるものである。疑似科学を排除する理由はここにある。 ← この点は同意をいただけるのでしょうか?

 同意しません。まず「正しい科学を妨げる」という状況がたくさんありすぎてよくわかりません。

 ずいぶん前に論じたと思うんですが、疑似科学理論とは正しい科学的方法に従っていないにもかかわらず、科学と自称している理論です。要するに科学的真理の追求のためには間違った方法論だから排除するのです。どこから排除するかというコトがありますが。

 まっとうな科学者はうっかりして疑似科学理論にはまり込むことを自分で排除すべきです。
 他人が疑似科学理論を科学と自称していれば、ピアレビューの精神で批判すべきです。


 仮に「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という主張が科学と自称して現れたなら、上記の理由で批判されるでしょう。
 科学だと自称したならば、全世界の科学者からの批判(賛成にしろ反対にしろ)を受けるのは当たり前です。批判し合うことで科学は発展するのですから。

33diamonds8888x:2021/06/27(日) 12:50:38 ID:Qix9q/lA
>>27
【確認】具体と抽象と区別
 「その対策は1にも2にも具体化することです」と言われても、肝心の何が具体で何が抽象かという区別がKenさんと私では異なるので困るんです。その一部ではありますが、ひとつ確認させてください。

 Kenさんは「熱力学第2法則は純粋数学である確率論に基づいている」という趣旨の主張をしていましたよね? では、確率論は抽象ではないのですか?純粋数学とは抽象ではないのですか? それとも熱力学第2法則は科学ではなくて文学なのですか?

 純粋数学が抽象ではないとしたら、論理法則はどうなのですか?

 Kenさんが考える、この辺りの事柄の具体と抽象と区別を教えてください。

34diamonds8888x:2021/06/27(日) 13:09:25 ID:Qix9q/lA
>>27,>>28,>>31
【一例】1.の観点から
 ひとつのシミュレーションをしてみます。

 2080年の○の月に「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という現象が起きて世界が滅ぶ、という預言者が現れました。多くの者、特に科学者達は「何を非論理的な事を」と完全無視でしたが、信じる者は増えていきました。
 いつしか信者は増え続け議員などの政治家の中にも浸透し、遂には「論理法則が絶対とは限らない」「自然には抽象的な純粋論理だけでは計り知れない事も起きるものだ」などという理論を建てる自称科学者も現れました。
 やがてとある国では信者たちの作る政党が実権を握り・・・・。批判的な科学者達は弾圧されることに・・・。

 小説を書くつもりもないのでこれくらいにしますが、わかるでしょ?
 科学を詐称するなら何でもありですよ。たぶん我々のまだ知らない手口も含めて。

35ミケ:2021/06/27(日) 16:49:38 ID:liYNNt7Y
diamonds8888xさんへの参考情報です。

発展を妨げる云々というのは
前スレッド430、436、438と関係していると思われます。

ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/430
>本スレッドの議題は「正しい科学の基準」であり、そのような基準のもとで科学的知見がどのように増進されるのかを検証しています。
(Kenさん)

ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/436
>「科学的知見の増進」というのは、
(中略)
>「科学の基準」を決めるのには必要ないテーマです。
(diamonds8888xさん)

ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/438
>私は、diamonds8888xさんが「正しい科学の基準」を論じるとき、そもそも「正しい科学とは何か」という点に関しては、言わずもながの前提を想定していました。つまり、
>〜科学の進歩に寄与するのが正しい科学、阻害するのが正しくない科学(別名疑似科学)
>であると。
>違うのでしょうか???
(Kenさん)

ちなみにこれらに対してゲジゲジさんがこう助言されています。
ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/482
>Kenさまは[481]で
> >まずは思考実験の可否を話し合いませんか?
>と仰いますが、その前に以下の点を確認しておいた方が良いかと思います。
>1.基準に従わない(基準を満たさない)理論は排除される。
>2.基準の目的は、「科学の発展」のためではない。
>3.基準は【理論】に適用される。
(ゲジゲジさん)

このあたり、
diamonds8888xさんは、
「今回設定している基準とは
『その理論が科学の発展に寄与するか』を見分けるためのフィルターではなくて
『その理論が検証できるか否か』を見分けるためのフィルター」
と端的に
明言されておられなかったように思います。

だから>>8で似たような形として復活し、
>>31での問いかけとなったのではないかと思います。

36diamonds8888x:2021/06/27(日) 18:30:49 ID:Qix9q/lA
>>27,>>28
 では以下の観点からです。
  2.具体性のない事象は科学か?

 すでに述べた点に話は尽きます。
[>>14]まずは「抽象論は科学には不要」みたいな偏見をまず正してもらうのが先ですね。
[>>15]否定命題はすべて具体論ではないとでも言うのですか?
   以下の命題は抽象論であり科学ではないのでしょうか?

 「具体的だろうが、抽象的だろうが、シミュレーションだろうが、実現できない」と言っています。否定命題が使えなかったら語れないことがあるでしょう? 「¬(P∧¬P)」がそうです。論理法則はあらゆる科学的推論で使われているものであり、文学などではありません。

 これ以上、何をどうやって説明しろと?
 ゼロや空集合を理解できない人とはまともな話ができません。

 「Pではない」「まずPの具体例を示せ」「・・・?」

 具体例を示すのは「Aである」と主張している者の責任であって、「Pではない」と主張している者の責任ではありません。その具体例がないと言っているのですから。

37diamonds8888x:2021/06/27(日) 18:58:21 ID:Qix9q/lA
>>35
 ミケさん、ありがとうございます。
 「正しい科学を妨げる[>>31]」というのは「科学の進歩を阻害する」「科学の発展を妨げる」という意味だと解釈なさったのですね? なるほどそうかも知れません。本人に確かめて見ましょう。

38diamonds8888x:2021/06/27(日) 19:01:38 ID:Qix9q/lA
>>31
 [>>32]で書いた通り、私には「正しい科学を妨げる」の意味がよくわかりませんでした。が、ともかく私の考える疑似科学理論批判の理由を挙げてみました。

 まず[>>35]をお読みください。注意しますが、[>>35]は私の見解や意見ではありません。参考データとして引用するものです。

 さて質問です。「正しい科学を妨げる[>>31]」の意味や具体的内容とは、[>>35]に書かれており、[>>37]で私が要約したような意味なのでしょうか?

39Ken:2021/06/27(日) 23:29:34 ID:l3c2r2bk
>「抽象論は科学には不要」みたいな偏見をまず正してもらうのが先ですね。
>否定命題はすべて具体論ではないとでも言うのですか?

肯定・否定は関係ありません。具体事象を導かない抽象論は、科学に無意味という意味なのですが。

ニュートンの法則「F = ma」は抽象論でも、観測可能な具体事象を導けるのです。

1kgの質量に2Nの力が働けば2m/s²の加速度を生じる → 正しい

「F < maはありえない」といえば、否定形の抽象論になりますが、これも具体事象を語ります。

1kgの質量に1Nの力が働けば2m/s²の加速度を生じる → 正しくない

どちらの例も観測で是否を語れるから具体事象といっています。ですが、

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」はありえない

という抽象論から、観測で是否を語れる具体事象を導けますでしょうか?

>2080年の○の月に「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という現象が起きて世界が滅ぶ、という預言者が現れました。
>多くの者、特に科学者達は「何を非論理的な事を」と完全無視でしたが、信じる者は増えていきました。

上のような主張が現れたなら、しかも社会的な影響が出るほどに信者が増えるのなら、「完全無視」をするのではなく、問いただすべきなのです。

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」とはどういう具体事象を表すのか?
その事象と世界の滅亡がどうつながるのか?

そもそも、信者が本当に世界の滅亡を恐れるなら、彼らこそが、根掘り葉掘り問いただすはずです。そして、問いただされた側が、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を具体事象として表せないのなら、そこで答えに窮してしまい、誰も信じなくなるでしょう。

それとも「信者」とは、そのような判断もできない人を意味するのでしょうか? そんな人がいるのか、それも社会に影響を与えるほどの数がいるのか、私には疑問です。天地創造論であれ、幽体離脱であれ、超能力であれ、一定の信者を得てきた話はすべて具体事象を語ります。問いただされた側が具体事象を語れるということです。

逆に、具体事象を語らない「太陽が昇る∧太陽が昇らない」にも引っかかるほど判断能力のない人なら、「旭日高く」や「川がささやく」にだって引っかかることでしょう。

〜低い位置にあるはずの太陽が高い位置で輝くと、空間が狂う〜
〜無生物の川が意思を持ち、やがては人類に挑戦する〜

そうなると、あらゆる文学、歌、芸術、さらには宗教的な経典から、同様の表現を追放せねばなりません。

あるいは、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は「科学と自称する」からアウトで、「旭日高く」や「川がささやく」は、科学を自称しないからセーフなのですか?

ですが「科学と自称する」とはどういうことを意味しますか? 「これは科学理論です」と「科学理論」という文言が入っていることでしょうか?

そうではないでしょう。それなら「科学理論」という文言を避けつつも、「事実はこうだ」と言って、トンデモ理論を広められるはずです。

「科学と自称する」とは、語っている内容が、現実に、具体的に、起こると主張することではないのですか? 「太陽が昇る∧太陽が昇らない」が具体事象を語れないのなら、科学を自称できません。反対に、もし具体事象を語らなくても科学を自称できるのなら、「旭日高く」も「川がささやく」も、科学を自称しています。

>科学的真理の追求のためには間違った方法論だから排除するのです。

意味が分かりません。科学を妨げることでないのなら、どんな実害を「間違った方法論」がもたらすのでしょうか? それこそ、上の例にある「世界が滅ぶ」のような社会不安を生じることですか?

でも、社会不安なら、正しい科学からでも生じるでしょう。本当に世界を危険にさらす天変地異が予測されるのなら、それを語るのが正しい科学のはずです。

40diamonds8888x:2021/06/28(月) 19:59:37 ID:Qix9q/lA
>>39
>「F < maはありえない」といえば、否定形の抽象論になりますが、これも具体事象を語ります。

>1kgの質量に1Nの力が働けば2m/s²の加速度を生じる → 正しくない

 ならば、
  「太陽が昇る∧太陽が昇らない」はありえない、といえば、否定形の抽象論になりますが、これも具体事象を語ります。

 太陽が昇る、そして太陽が昇らない → 正しくない

 いいですか。「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という理論は、この現象が具体的事実だと主張しているのです。Kenさんがそれを具体的にイメージできるかどうかは関係ありません。もちろん、私がそれを具体的にイメージできるかどうかも関係ありません。
 [>>34]の預言者は、まさに未来にそれが具体的事実になると言っているのです。


 次の話なら、具体的であることがよりよくわかるでしょう。

 太陽が昇る、このとき太陽が昇らない、過去のどの日の観測でも。
    → 「太陽が昇る∧太陽が昇らない」はありえない、という理論は極めて確からしい


 そもそも[>>30]で示した基準05,06の登場のときには、Kenさん自身が「P∧¬P」を容認せざるを得ないことがある、と主張したではありませんか?
 あの場合は「質量を運ぶ∧質量を運ばない」でしたっけ? つまり、これなら具体的なんでしょ?

41Ken:2021/06/29(火) 00:10:12 ID:l3c2r2bk
>私がそれを具体的にイメージできるかどうかも関係ありません。

そうでしょうか? 科学とは、この世の具体事象を説明し、かつ予測するものですから、具体イメージは不可欠だと思いますよ。

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を考察するには、まず「昇る」と「昇らない」を具体的にどう定義するのか、から始まるはずです。そして重要なことは「昇る」と「昇らない」の定義の中では「昇る」「昇らない」を用いてはいけないということです。

私は角速度ωを持ち出して、「昇る」を「ω>0」、「昇らない」を「ω≤0」と定義しましたが、その定義は否定されました。ところがdiamonds8888xさんの論を伺っていると、「昇る」の定義には結局「昇る」しか出てこないし、「昇らない」の定義は「昇る」の補集合つまり「昇らない」しか出てきません。

「昇る」の定義は「昇る」、「昇らない」の定義は「昇らない」・・・・・そんな定義がありますか?

どうやら、抽象と具体が、問題の根幹で、かつ意思疎通を妨げる要因になっているようです。もう一度ニュートンの法則を例にして整理を試みます。

「F = ma」自体は数式で表した抽象論でも、ここからは具体事象が導けます。たとえば、

「1kgの質量に、1Nの力を加えると、1m/s²の加速度を生じる」

1kgと1Nと1m/s²という3つの物理量は、それぞれが観測可能な値ですから、上の具体事象が実現しているかは、観測で判定できます。

非常に重要な点は、「F = ma」を検証する際のFとmとaは「F = ma」を利用して定義してはいけないということです。例えばmとaの積をFの観測値と見なしたら検証になりません。F(力)はそれ以外の形で、例えば1アンペアの電流が流れる導線間に働く力のような形で観測します。

次に、否定形を考えましょう。たとえば「F < maはありえない」という抽象表現ですが、この命題を科学の問題として検証するには、「ありえない」とされることがもしも実現したら、どういう具体事象が観測されるかを考えます。ここでは、質量(m)と加速度(a)の積が、力(F)よりも大きくなるといってますから、具体事象の1例として、

「1kgの質量に、1Nの力を加えると、2m/s²の加速度を生じる」

などがあります。そして、1kgの質量に1Nの力を加えても2m/s²の加速度は生じないことは観測で確かめられます。

このように、否定形の命題であっても、もしも実現したらどういう具体事象が観測されるかを挙げることから始まります。思考プロセス上は実現を前提としなれば、具体化のやりようがありません。

では「太陽が昇る∧太陽が昇らない、はありえない」という抽象論は?

上の例に従えば、もしも「太陽が昇る∧太陽が昇らない」が実現したら、どういう具体事象が観測されるかを考えるわけですが、この段階で停滞しているのです。

私は、コンピュータ・シミュレーションの話をしたときからずっと、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を具体的な観測事象とみなせる例を提案してきましたが、それは例になっていないと言われてきました。ところが、>>27のように、それではdiamonds8888xさんが考える例を出してくださいと求めても、出していただけません。

これでは、具体事象になってない、と考えるしかありません。

まずは「昇る」と「昇らない」を定義してみてはどうでしょうか? おそらく「昇る∧昇らない」が具体イメージになると思うのですが。

>「質量を運ぶ∧質量を運ばない」

その問題を持ち出すと長い話になるのですが。

質量移動の話をしていたときと最も条件が異なるのは、エントロピーの起源問題に関連して、メカニズムを説明できないことを想定してもよいという、私が予想もしなかった論点が出されたことです。古典力学の知識体系の中で、メカニズムが明らかな知見をベースにするなら、「質量を運ぶ∧質量を運ばない」はありえませんが、メカニズムの説明が不要で、いくらでも都合のよい想定をしてもよいのなら、話は異なってくるでしょう。

42Ken:2021/06/29(火) 19:48:21 ID:l3c2r2bk
>>41の話は込み入っていて、分かりにくいかもしれません。ポイントをまとめておきます。

(1)否定の抽象論も、肯定形の具体例を出さねばならない

肯定形の具体事象を出した上で、そういうことは起こらないと主張するのが、否定論というものでしょう。まず「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を具体事象で表す必要があります。

(2)具体事象を語るには、その中の部分を具体的に定義する

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を具体的に表すには、「昇る」とはどういうことか、「昇らない」とはどういうことか、を、まず定義しておかねばなりません。

(3)「昇る」「昇らない」の定義は、「昇る」「昇らない」とは異なる表現でなければならない。

私の「ω>0」と「ω≤0」は、そのための試みです。この定義が誤りなら、別の形の定義が必要です。


>>40で出された、

>太陽が昇る、このとき太陽が昇らない、過去のどの日の観測でも。

が具体例になっていないのは、「昇る」「昇らない」という言葉を、そのまま無定義に使用していること、そして「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を、肯定形の具体事象で表現していないことなのです。

43Ken:2021/06/30(水) 00:12:05 ID:l3c2r2bk
質量移動の話が出たのはよい機会です。抽象理論と具体事象の関係を、もう少し考察してみましょう。

「P∧¬P」という抽象的な論理式を、それだけ見れば、むろん、こんな命題は成立しません。

しかし、これを現実世界の具体事象に適用するには、何をPと見なすか、すると何が¬Pに該当するかを、まず考えねばなりません。その際には、必ず何らかの前提を置くのです。

たとえば「P∧¬P」を

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」
「質量が移動する∧質量が移動しない」

と具体化します。多くの人は、そんなことは実現不可能で、たしかに「P∧¬P」の具体例と考えることでしょう。しかし、そこには、無意識のうちに誰もが置く前提があるのです。

「同じものは、同時に1つしか存在できない」

という前提で、私たちが「法則a」と称してきたものです。量子はともかく、マクロな対象に限るなら、法則aは正しいでしょう。太陽のようなマクロ的存在で、法則aが破れるメカニズムは、現在の知識体系では説明できないからです。

しかし、「起源問題」の例にならい、説明できないメカニズムを想定し、法則aが破れることを認めるなら、話は変わってきます。同じものが2つ存在し(同種のものが2つ存在するのではなく、1つのものが2つの存在を示す)、一方は昇るが他方は昇らない、一方は質量を移動させるが他方は移動させない、そういう事象は想定が可能になります。

重要なことは、1つのものが複数の存在を示すこと自体に論理矛盾はない、ということです。それを示すために、私は「star_X」のデータ構造を出しました。コンピュータ・シミュレーションでは、今の私たちが支持する物理法則と矛盾する事象は実現できても、論理矛盾を実現することはできません。「star_X」の構造を具体定義できるという事実が、そこに論理矛盾はないことを示します。

言い換えれば、

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」
「質量が移動する∧質量が移動しない」

は、「P∧¬P」の具体例になっていないのです。さらにいえば、「P∧¬P」の具体例など出しようがないということです。

44ゲジゲジ:2021/07/01(木) 08:05:46 ID:eBsfVGr6
ヨコからですが、いくつかの重要な論点が入り乱れているように見えるので、整理してみます。
少しでも効果的に議論を進めて頂く助けになれば・・・


【論点1:「具体現象」の定義】
diamonds8888x様
>>18
>「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は「決して実現しない具体事象」です。

Ken様
>>19
>私がいう「具体事象」とは、どのような観測がなされたらそれが実現したといえるか、が明示的に定義されることをいいます。

お2人で「具体事象」の意味が異なっていますね。敢えて確認するまでもないですが。



【論点2:論理矛盾する理論はあり得るか? 検証できるか?】
>>43
>コンピュータ・シミュレーションでは、今の私たちが支持する物理法則と矛盾する事象は実現できても、論理矛盾を実現することはできません。
>「P∧¬P」の具体例など出しようがないということです。

言葉の定義はともかく、「P∧¬P」すなわち論理矛盾する理論は決して実現しない、という一点について、漸くお2人の見解が一致した事が確認できました。
そして決して実現しないのだから、論理矛盾する理論は検証できない、という事もお2人で一致できたようです。



さて、diamonds8888x様がどの様に議論を進めて、どこに議論を収束させようとされているのか、私には分かりかねるのですが、私は現時点で最も優先度の高い論点は以下なのではないかと思います。

【論点3 論理矛盾する理論に「疑似科学の資格」はあるか?】
>>39
-----以下引用---------------
あるいは、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は「科学と自称する」からアウトで、「旭日高く」や「川がささやく」は、科学を自称しないからセーフなのですか?
ですが「科学と自称する」とはどういうことを意味しますか? 「これは科学理論です」と「科学理論」という文言が入っていることでしょうか?
そうではないでしょう。それなら「科学理論」という文言を避けつつも、「事実はこうだ」と言って、トンデモ理論を広められるはずです。
「科学と自称する」とは、語っている内容が、現実に、具体的に、起こると主張することではないのですか?
-----ココまで---------------

ここで言う「現実に、具体的に、起こると主張すること」というのは、Ken様の「具体事象」の定義に従えば、要するに検証され得る現象が起こると主張する事、と読み取れます。

>>21>>23>>29
【科学と疑似科学とを判別する「基準」は、「科学を称している理論」を判別するものである。】
どうやらこの文言自体についてはお2人の見解は一致していますが、肝心の「科学を称している」の意味がお2人で違っているようです。

ここをまず一致させないと、どんなに「科学と疑似科学を判別する基準」を議論しても、決して噛み合う事はないのではないでしょうか?
>>39にはKen様の根本的な誤解・・・というよりKen様の「こうあらねばならない」という信念のようなものを感じます。
第1掲示板で議論していた時にも、「『霊魂はいる』というのは疑似科学だ」とか「宗教法人が運営する学校で宗教を教えるのは疑似科学」のような発言がありました。
その際に私は「科学を主張しなければ疑似科学ではない」という事をお伝えしたし、diamonds8888x様も仰っていたと思うのですが・・・

幸いにKen様は「diamonds8888x様の基準に合わせる」と言っていますから、ここは問答無用でdiamonds8888x様の見解を明言して頂いて、そこに合わせて頂くようにしたら良いのではないかと思います。

45ゲジゲジ:2021/07/01(木) 21:35:21 ID:eBsfVGr6
ここで、失礼ながらdiamonds8888x様が出された>>34の例は適切ではないと思います。
>2080年の○の月に「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という現象が起きて世界が滅ぶ

Ken様が>>39で仰る通り
>それなら「科学理論」という文言を避けつつも、「事実はこうだ」と言って、トンデモ理論を広められるはずです。
疑似科学でなくても同様の事は起こり得るので、疑似科学が科学の発展を妨げる例としては不適切ではないでしょうか?

疑似科学がなぜ科学を妨げるのか、こんな説明はどうでしょう???
活用できるようであれば使ってください。


*************************
まず大前提として、科学とは仮説を立てて、それを検証して行く、そういう過程であり思考である、という事にはdiamonds8888x様もKen様も同意頂けると思います。

という事は、正当な科学理論であれば、どんな理論も正しい可能性があるし、逆にどんな理論も間違っている可能性もあるという事です。
で、あるならば・・・

1)
絶対に正しい理論は疑似科学である。
言い換えると絶対に間違っていない仮説、間違っている事を絶対に証明できない仮説、要するに反証できない仮説、反証可能性のない仮説、という事ですね。
これについては後々に論点になるでしょうから、ここではこれ以上触れません。

2)
絶対に間違っている理論は疑似科学である。
言い換えると検証するまでもなく、提唱の時点で間違っている事が確実な仮説です。
これには2パターンあって・・・

2-1)
論理的に矛盾を含む仮説
2-2)
過去に検証され、間違っている事が判明した仮説


2-1が正に「P∧¬P」を含む仮説という事になります。
例えば「物体は1つの位置にしか存在できない前提において太陽が昇り且つ昇らない」といった理論ですね。


ここで少し横道に逸れますが、
Ken様が「太陽が昇る ∧ 昇らない」を「ω>0 ∧ ω≤0」と表記していますが、これは誤りですね。
太陽が2つの角速度を持つと仮定しているのだから、[>>8]で【「ω>0∧ω≤0」(正確には「ω₁>0∧ω₂≤0」)】とされているように、「ω₁>0 ∧ ω₂≤0」としなければなりません。
で、「P∧¬P」である「太陽が昇る ∧ 昇らない」が正に「ω>0 ∧ ω≤0」です。すなわち「ω」が「ω>0」と「ω≤0」を同時に満たす値を取るという事。
コンピューターでシミュレーションしようとするなら、「ω」という変数に「x>0」と「x≤0」を同時に満たす数値「x」を代入するプログラムを書かねばなりません。
言うまでもなく絶対に不可能です。「0より大きくて且つ0以下の数値」などあり得ないからです。

46ゲジゲジ:2021/07/01(木) 21:35:47 ID:eBsfVGr6
さて、もし「(物体は1つの位置にしか存在できない前提において)太陽が昇り且つ昇らない」なんていう仮説が提唱されたらどうなるでしょうか?
科学は仮説を検証するものですから、提唱された仮説は検証されねばなりません。どうしたらこの仮説を検証できるか、色々と考えねばなりません。Ken様がやったように、「物体は2つの位置に存在できる」という仮定を置くかもしれません。しかしそれは命題である「太陽が昇り且つ昇らない」ではありません。

結局、「検証の意味がない仮説の検証方法を検討する」わけですから、まったく無駄な労力を費やされるわけです。これだけで「太陽が昇り且つ昇らない」は科学の発展を妨げていると言えませんか?
本来なら、意味のある別の仮説を検証したり、あるいは意味のある仮説を提唱したりするための時間と労力が奪われるわけだから。

また、もし「『太陽が昇り且つ昇らない』を学校の科学教育で教えよ」なんていう主張をする人が現われて、実際にそうなったとします。
しかし学校カリキュラムの時間は限られていますから、こんな意味のない理論を教える時間だけ、正当な科学を教える時間が削られてしまいます。
子どもたちも、こんな意味のない理論を学習する事に時間と労力を奪われます。
これだけで「太陽が昇り且つ昇らない」は科学の発展を妨げていると言えませんか?

どうもKen様は「科学の発展を妨げる」を「正当な科学が主張する事実を否定する事実を主張する」事に限定しているようですが、決してそうではないという事です。


最後に2-2ですが、これは例えば天動説などが分かりやすいでしょう。
かつて天動説は、天体の運行を上手く説明する仮説でした。天体の観測結果を、何ら矛盾なく説明できました。
ところが観測精度が上がって新たな知見が得られると、新たな観測結果と天動説は矛盾するようになりました。それで天動説は否定され、「間違った科学」として破棄されました。
正当な科学理論が検証の結果として「間違った科学」となって否定されるというのは、言い換えると理論に論理的な矛盾が見付かるという事です。

そしてひとたび間違っている事が確定した理論を再び提唱すれば、それは疑似科学です。
天動説は「間違った科学」であって疑似科学ではありませんでした。しかし現代において天動説を主張したなら、それは「疑似科学」です。
無論、既に間違っている事が確定しているのですから、それを改めて検証しようと試みたり、学校で正当な理論(正しい可能性と間違っている可能性との両方がある理論)と同列に教えたりすれば、他の理論を検証したり学習したりする時間と労力とを奪う結果となり、科学の発展を妨げます。


この辺りが「間違った科学」と「疑似科学」との違い、そして「間違った科学」と「疑似科学」との関係と言えそうです。

*************************
以上、私なりにお2人の議論を拝見していて気付いた観点から整理してみました。
長文失礼しました。

47diamonds8888x:2021/07/08(木) 05:55:42 ID:Qix9q/lA
 Kenさん[>>41,>>42,>>43]、ゲジゲジさん[>>44,>>45,>>46]、詳しい話をありがとうございます。プリントしてじっくり読んでからコメントします。画面で見るのと紙で見るのでは、やはり一度に頭に入れられる情報量が桁違い。と、つまらない話をしました。すみません。

 Kenさんにいくつかお願いします。

 【第1】私の回答に当たり、ゲジゲジさんのコメント[>>44,>>45,>>46]は引用する可能性がありますから、読んで理解しておいてください。時間はあるでしょう?

 【第2】私とKenさんで言葉の食い違いがあるのが、「抽象と具象」「正しい科学を妨げる」です。それに関して既に書いてある質問にお答えお願いします。これらの質問は議論ではなく、互いの認識を確認するためのものですので。
  [>>33]「抽象と具象」の一例として
  [>>38]「正しい科学を妨げる」の意味は?


 ちなみに、私自身の「具体イメージ」「具体事象」の例としていくつか出します。

 [>>43]より
 「同じものは、同時に1つしか存在できない」という法則が破れた状態
   =>これは私には具体イメージが浮かびません。
   (浮かばないことを説明するのは難しいですが、後ほど書くかもしれません)

 [>>43]より
  >さらにいえば、「P∧¬P」の具体例など出しようがないということです。
   =>これは、同意します。
  つまり、「P∧¬P」という状態は絶対に存在しないのです。ですよね?
  「「P∧¬P」という状態はありえない」という命題は正しい命題ですよね?

 おっと、「ちなみに」以下への議論よりも、まずは【第1】と【第2】の方をよろしく。まあ【第1】には答えは不要だし、理解は御自分なりに理解しようと務めるだけでよいのですが。私自身もゲジゲジさんのコメントを十分消化しているかどうかは不明ですしね。

48diamonds8888x:2021/07/08(木) 07:07:54 ID:Qix9q/lA
>>43
 このコメントでのKenさんの結論(見解)の確認ですが、
「太陽が昇る∧太陽が昇らない」
「質量が移動する∧質量が移動しない」
 どちらも同様に、具体例など出しようがなく、科学的命題ではない、ということなのでしょうか?

 だとすると、粒子説と波動説の話では「質量が移動する∧質量が移動しない」ことになるとか、矛盾を容認せざるを得ないといかいう話は、科学的議論としてどのように使われていたのでしょうか?

49Ken:2021/07/08(木) 23:06:32 ID:l3c2r2bk
順序が逆転しますが、>>48の質問にまず答えます。一番の要点に関連すると思われますから。

>「質量が移動する∧質量が移動しない」ことになるとか、矛盾を容認せざるを得ないといかいう話は、科学的議論としてどのように使われていたのでしょうか?

この問題のポイントは、「メカニズムを説明できないことを想定し、その上に議論を組み立ててもよい」という、私が予想もしなかった主張が、diamonds8888xさんから出されたことにあります。正直、驚きましたが、とにかくその主張に沿って議論を進めることにしました。

>>43で明言したつもりでしたが、私が「質量が移動する∧質量が移動しない」を矛盾としたのは、diamonds8888xさんの上のような主張を受け入れる前のことで、古典力学のメカニズムが前提になっています。説明なしにメカニズムが破れるといってもよいのなら、話は変わり、矛盾は矛盾でなくなるでしょう。

ここはひとつ、光の正体論争を振り返ってみましょう。

私たちの本来の論題は「光は粒子である∧光は波動である」というものでした。また、私は「粒子」と「波動」の定義として、旧スレッドの687で「粒子は離散的なもの、波動は周期的なもの」と述べました。しかしながら、diamonds8888xさんの考えを私が理解しておれば、これでは「P∧¬P」の例にはならないはずです。ちがいますか?

「P∧¬P」の例になるには「光は粒子である∧光は粒子ではない」とか「光は離散的なもの∧光は離散的でないもの」という表現になるはずですよね?

ですが、現実の歴史を見れば、光の正体論争が始まった17世紀から18世紀末まで、「光は粒子∧光は波動」が「P∧¬P」の例と考えられていたのです。このことは、粒子説と波動説の根拠とされたことを見れば分かります。

この時代、粒子説の根拠とされたのは、光が「回折しない」「真空を伝わる」といった事象でした。しかし、考えれば分かることですが、これは「離散性」という本来の定義から予測されるものではありません。単に、光が波動であることを、当時の知見に基づいて否定しただけです。

18世紀までに知られていた波動とは、水面の波、弦の振動、音などでした。そのメカニズムは古典力学で説明されており、そのメカニズムに従えば、波動は回折するはずだし、真空を伝わらないはずであるから、光は波動ではありえず、よって粒子である、というのが粒子説でした。

波動説の根拠も同様なのです。光が「屈折する」「交差する」という事象が挙げられましたが、「周期性」という本来の定義から導かれることではありません。これらの事象は、要するに、光が粒子ではないと言っているのです。砲弾や天体のような、古典力学でメカニズムが解明された粒子では、屈折も交差も起こりえないからです。

なお、「粒子説も屈折を説明したではないか」というたぐいの指摘があるかもしれませんが、それは今は関係ありません。波動説を唱える人は粒子では屈折は起こらないと考え、粒子であることを否定することで、光は波動と主張したのです。

つまり、18世紀までの、粒子説の根拠とは波動性の否定であり、波動説の根拠とは粒子性の否定でした。対立説の否定を自説の根拠とできたのは、「P∧¬P」の例と考えられたからです。

対立説の否定とは異なる、本来の定義に基づく根拠が出されるのは19世紀以後のことです。

まず、2重スリットを通る光が干渉縞を作ることが、波動説の根拠とされましたが、これは粒子性の否定ではありません。周期的に強弱を繰り返すという、波動の本来の定義から導かれることで、19世紀を光波動説が支配したのは、それまでとは異質の「直接証拠」が登場したのが理由です。

波動性の否定ではない、粒子説の直接証拠が現れるのは20世紀です。光のエネルギーは量子という離散的な値しか取りえないことが明らかになりました。その一方で、干渉縞、ドップラー効果、波動理論が導く伝播速度のような波動的特徴もありますから、「光は粒子∧光は波動」が「P∧¬P」という考えは、まず観測事実として崩れ、そして、量子の波動性とは存在確率が従うものと説明されることで、理論面でも崩れました。

まとめますと、かつて「光は粒子∧光は波動」が「P∧¬P」の例と考えられたのは、言葉の意味からそうなるからではなく、古典力学が説明するメカニズムが前提にあったからです。その古典力学が否定されることで「P∧¬P」の例ではなくなったのです。

50Ken:2021/07/08(木) 23:07:14 ID:l3c2r2bk
私の本来の考えは、ある主張が「P∧¬P」に該当するかは、説明されたメカニズムに基づいて判定され、光の正体論争はそのとおりの経過を辿ったというものです。そして、その前提に立つなら、熱力学第2法則は「P∧¬P」に該当します。エントロピー減少はありえないという主張と、過去にエントロピー減少が起こったという両方の主張を含むからです。

ところが、ここでdiamonds8888xさんから「メカニズムを説明できないことを想定してもよい」という主張が出されたわけです。それなら、熱力学第2法則も、18世紀までの「光は粒子∧光は波動」も、「P∧¬P」ではなくなるでしょう。

ただし、そうなると、今度は「P∧¬P」に該当する疑似科学理論はなくなってしまい、むろん「太陽が昇る∧太陽が昇らない」も「P∧¬P」ではなくなるではないか、というのが私の指摘です。

これに対するdiamonds8888xさんの回答を私が正しく理解しているなら、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」に具体イメージを求めるから混乱するので、「昇る」「昇らない」という言葉だけを考えれば、「P∧¬P」になる、と、主張されているのではありませんか? もしそうなら、問題は基準05が正しいかではなく、科学・疑似科学の論点になるのかに変わるのです。

理解をいただけるでしょうか? ここで、問題が変質し、基準05が正しいかではなく、基準05に存在理由があるか、になっているのです。

具体イメージを出さないなら、観測による検証もできないから、そもそも科学の対象になりえないし、科学の対象でないのなら、科学を妨げる疑似科学にもなりえないのでは、と私は言っています。

反対に、もし、具体イメージにならない「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を疑似科学として排除するのなら、同じく具体イメージにならない「旭日高く」や「川がささやく」も排除対象のはずです。


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