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世界の情報ボックス
1
:
管理者
:2002/04/16(火) 07:34
今、世界で起こっている、憂慮すべき事態で、マスコミによっては、詳しく報道されていない事柄がたくさんあります。仏法者として、世界を揺るがすような憂慮すべき事態に対して、目を開いておく必要があると思います。あまり報道されていない事柄で、知っておくべきであると思われる事柄をご存知の方、書き込んでください。
83
:
犀角独歩
:2005/02/01(火) 00:52:20
いま、ようやく長岡から戻り、東京での些事を終え、帰宅しました。
> 犀角独歩氏は、イラクやイランのキーパーソンの個人情報を求めていました
わたしは、そんなことは求めていません。
平和提言をする池田さん、並びに創価学会が具体的に、イラン、イラクと、どのような対話をしているかを聞いているのです。
> 犀角独歩さんが、答える義務が無いとおっしゃる
わたしが何に対して、答える義務がないと言ったというのでしょうか?
下らない論理のすり替えをしないで、イラン、イラクに対して、具体的に池田さん、創価学会がどんな対話を求めたか、ここに挙げればよろしい。
「何もやっていない」が答えでしょうが、それを取り繕って、スレッドの無駄遣いはやめなさい。
実際にやっているのであれば、ここに書けば、よい。
国家、公人、宗教団体がやっていることは、個人情報の記述にはなりません。念のために。
言葉を換えれば、「ノーコメント」とは、「わたしは答えられません。参りました」という意味とわたしは解しました。違うというのであれば、池田さん、創価学会のイラン、イラクとの対話をここに挙げればよろしい。ただ、それだけのことです。
もちろんのこと、「ノーコメント」なる言い逃れにはわたしは全く応じません。
そんな言葉が通用するのであれば、わたし自身、一切合切、「ノーコメント」として、答える義務を放棄することは可能なわけで、となれば、ここで議論は成り立たないことになります。
そんな卑怯な姑息な真似は、もちろん、わたしはしません。反面、そんな卑怯な言葉を使うのであれば、「話し合いは終了」です。もとより、「ルール無用」のアウト・ローに真摯に、まじめに答えるほど、暇でもありません。なお、このような愚かしいことを言い出すものを、創価学会(員)の典型とは判断しませんから、他の創価学会(員)の方はご安心ください。
本日は、疲労困憊のため、他は明日に。
84
:
犀角独歩
:2005/02/01(火) 13:39:38
まあ、敢えて言葉を継ぎますが、現段階で、創価学会・池田さんがイラン、イラクに何らアクションをしていないであれば、それはそれで現実としてとらえればよいことです。
ただあとは、平和提言をただの評論、空文としないために、それに伴う実践活動を池田さんがすればよいだけのことです。もし、池田さんができなければ創価学会がすればよい、創価学会が出来なければ、池田さんを師匠と仰ぐ政府与党・公明党議員がすればよい。
対話の力で「平和の王道」が開けるぐらいなら、いまの戦禍はないだろう…、そう思うのは一般的な感覚だとわたしには思えます。
しかし、もし対話の力で平和を開く人・団体があれば、わたしは心から敬意を表します。
昨日、わたしは長岡から帰りましたが、創価学会会館は、災害時、その門戸を開き、被災者を受け入れたことを、その場所にボランティアで入り、パンを配りに行かれた日蓮宗僧侶から直にお聞きしました。
積極的に被災者を受け入れた新潟創価学会にわたしは敬意を表します。また、その地にボランティアに入り、そこが創価学会の会館であるとわかっていながら、食料を配布した日蓮宗僧侶にも敬意を表します。
平和提言を絵に描いた餅にするか否か、それは師匠・池田さんと、その弟子創価学会(員)の今後にかかっているのでしょう。
その道程でしかし、『平和提言』を掲げながら、他者に対して、侮蔑的な言辞を吐きかけ、蔑視をあらわにする言説を省みない愚考には『平和提言』にいう対話も、平和の二文字も、少し垣間見られないことを、わたしは指摘します。
口だけならまだしも、平和・対話をうそぶく、言説の返す刀が言葉の暴力であれば、そんな提言を推薦する人間を相手にするものはいないということです。
それが自称弟子というのであれば、師匠の顔に泥を塗る行為であることを申し添えるものです。
85
:
吉祥仙人
:2005/02/02(水) 22:50:40
犀角独歩さんへ
現地へ足を運んでの書き込みは、おおいに説得力があります。
公明党も、インド洋大津波の被災地を調査し、小泉首相に報告と要望をいたしました。
(去年の公明新聞はもうダストボックスへ入れてしまいましたが。)
実際に行動するか、座して論評するかは雲泥の差だと賛同いたします。
なおイラン・イラクに対して私が知っていることは、公明党がメソポタミア湿地の
復元にむけて現地調査し、日本政府と国連に対し要望を述べたということだけです。
86
:
吉祥仙人
:2005/02/03(木) 08:50:34
補足
>現地へ足を運んでの・・・
学会の会館で、日蓮宗の御僧侶がボランティア活動をされたというのは一般に
知られていない事実であり、貴重な証言と思います。
(このような活動をされる方は御僧侶と呼ぶにふさわしいと思います。)
87
:
犀角独歩
:2005/02/03(木) 12:29:20
> このような活動をされる方は御僧侶と呼ぶにふさわしい
わたしは行いで「僧侶」「御僧侶」「尊師」「御尊師」、ひいては「坊主」などと使い分けることには、あまり賛成しかねます。が、まあ、それを置きます。
わたしがお話を伺った僧侶御自身、寺坊を地震の被害に遭っているにも拘わらず、さらに被害深刻な地に赴いたと、他の方から、伺ったのです。こうした尊い姿を拝するにつけ、宗派・宗教・主義・主張で人を差別することがいかに愚かしいことであるか、その背が訓えてくださっていると思うものです。
88
:
愚鈍凡夫
:2005/02/03(木) 13:22:52
2004(平成16)年12月4日付聖教新聞「<座談会> 正義と真実の歴史」に
新潟県中越地震での創価学会の対応について語り合っておりますが・・・・・。
れいの如く、日蓮正宗の悪口を言うのも忘れていません。 (¨;)
「<座談会> 正義と真実の歴史」
http://www6.plala.or.jp/mockun-f/soka-20041020-04.htm
#20041204
89
:
犀角独歩
:2005/02/03(木) 19:32:02
愚鈍凡夫さん、件の如しですね。これをやるから、「昔と変わらない」と言われることが、わからないのでしょうかね。
もう、いい加減、憎悪操作を卒業するべきですね。
他を悪く言うわけだから、外部の人は一様に「自分のこともよく言うわけはない」と、こう判断されることになります。石山の悪口を言う口汚さが本性であろうと、他からの信頼は損なわれます。もちろん、この事情は石山も同じ、顕正会も同じですね。
憎悪と恐怖、反対に「功徳の体験を声高らかに」語り続けて、自分の信心強盛であることをアピールし続けなければならないダブルバインド、こういう構造は端から見ると丸見えですから、やめたほうがいいんですよね。折角なのに「台無し」になってしまいます。
90
:
卞氏
:2005/02/04(金) 10:55:19
アップの希望者はいらっしゃいませんか?
入手希望者のみなさんは、入手されたと考えて宜しいですか?
91
:
愚鈍凡夫
:2005/02/04(金) 12:52:48
>>89
:犀角独歩さん、レス有り難うございます。
でもなんですね、中越地方の創価学会(員)が救援活動に精を出したのは分かりましたが、学会本部はどのような救援活動をしたのでしょうか。その辺が気になります。
92
:
ROM専
:2005/02/04(金) 16:20:28
本当に横レスで申し訳ありません。
>87 犀角独歩さん
>わたしは行いで「僧侶」「御僧侶」「尊師」「御尊師」、ひいては「坊主」などと使い分けることには、あまり賛成しかねます。
確かスッタニパータには「生まれでバラモンになるのではない。行為でバラモンになるのだ」という
一節があったように記憶しています。
資料が手元に無い為、うろ覚えですが、、、
私としては吉祥仙人さんが書かれる
>このような活動をされる方は御僧侶と呼ぶにふさわしいと思います
との見解の方にむしろ同調しています。
※お目汚し大変失礼致しましたm(__)m
93
:
犀角独歩
:2005/02/04(金) 17:49:48
ROM専さん、はじめまして。
わたしへの問いかけですね。ちゃんと応じましょう。
引用されるところのスッタニパータを載せるサイトには、たとえば、以下のようなものがあります。
http://aireach.client.jp/vasetta.html
ここでいうバラモンは、しかし、「御僧侶」とはまったく関係がありません。
よく読めば、その点は理解できるでしょう。梵の言語に関する論功は、たしか以前、どなたがしてくださったと思います。ここに重複しません。唯、一点、書けばカースト制度(バルナ)における特権支配階級であるバラモンをここでは指すのではないということです。
また、大乗義に基づけば、正しい行いをすると「御僧侶」なのではなく、その業(カルマン)をなすところが菩薩道であり、菩薩様であるというのであれば、まだわかります。また、菩薩と言わないまでも、真の沙門(シュリマーナ=精進する者)というのであれば、納得がいきます。
僧とは、サンガのことで、原意は集団ということです。
http://www7.ocn.ne.jp/~jagannat/sunskrit/so.htm
侶もまた、同義であると解せます。そうなると、それに御をつければ、現代語で言えば「御集団」とでもなりましょうか。いずれにしても個人を指す言葉ではないでしょう。
真の沙門、真の菩薩、真の比丘(尼)などというのであれば、まだしも、「御僧侶」、どうもぴんとこない印象があります。なにより、日蓮宗僧の方に、「御僧侶」などと声をかければ、ぎょっとされるでしょう。この場合の尊敬語は、やはり、「上人」でしょうね。
それよりも、わたしが、「御僧侶」という言葉を聞いて直ちに気になったのは、現在の創価学会では石山僧を「坊主」と一般流通の出版物にも書いているからです。この対句が「御僧侶」であろうと思えたからです。
出版物、その他で石山僧=坊主という誤報が定着すると、学会員は一様に「坊主」を使いだします。わたしが学会にいた頃は、石山僧は「先生」でした。法華講は、そんな創価学会に眉をひそめ「御尊師と呼べ」と陰口をたたいたものでした。また、わたしが法華講であった頃、他宗の葬儀に出た折、導師に、何気なく「御尊師…」と礼を尽くしたつもりで、声をかけたら、「オウムの浅原じゃあるまいし、尊師はやめてください」と中啓を振られた経験があります。
他に例を採れば、たとえば顕正会では昨年暮れから、阿部さんを「阿部日顕」と呼び捨てにするようになりました。創価学会は破門後(学会の側から言えば独立後)、「日顕」と呼び捨てが公然化していますね。
まあ、どう呼ぼうと勝手ですが、その点を問題にしているのではなく、組織が言い出せば、それに直ちに右へ習いをする操作された姿は、どうかということです。
吉祥仙人さんが、沙門でもなく、菩薩でもなく、比丘でもなく、また「上人」でもなく、「御僧侶」なる語彙をなぜ選択したか、この背景は気になります。また、この経緯にはわたしが挙げたような区別・差別による称号差異も横たわっているわけでしょう。善いことをすれば「御僧侶」、悪いことをすれば「坊主」と言った具合です。しかし、その行い如何は別として「坊主」などという言葉を使えば、使った本人の品位を疑われることになるでしょう。また、「御僧侶」という語彙は、石山周辺では慣用語であっても、他日蓮門下では一般的ではありません。
尊称差異で区別するのは、わたしはあまり好ましいとは思わないというのが一点。もう一点は、尊称は的確に使ったほうがよいと思うのが一点。
吉祥仙人さんの斯かる投稿はけっして悪意ではなく、むしろ、善意であることはわかります。しかし、表現としては、以上、記したように幾重にも、あまり適切なものとは思えません。なにより、尊称、ないし職業・地位呼称で、区別するような在り方は、わたしのような特定信念体系集団から出たものにとっては、かなり奇異な印象を拭えないと言うことでもあります。
ROM専さんは、そんな同一信念体系のなかからご覧になるから、、わたしが感じる奇異さを、感じないと言うことではないでしょうか。
94
:
犀角独歩
:2005/02/04(金) 18:04:57
93の気分とは別に、やや語彙の用法について陳べれば、
「(御)僧侶」の対句は、真跡遺文で見る限り、「悪侶」です。
まあ、これは創価学会への提案ですが、使用者の人格・品性を疑われる「坊主」という蔑称はやめて、蓮師の語法に基づいて「悪侶」にしたら、どうでしょうか。まあ、実際は、悪侶でも僧侶にカテゴライズされる矛盾はしかし、「坊主」語の使用同様、越えられません。
「僧侶にあるまじき振る舞い」などという表現にとどめたほうが、文作成者の人格・品性を損なわないとは思います。
95
:
愚鈍凡夫
:2005/02/05(土) 08:30:44
横レス失礼します。
ここでも「スッタニパータ」が読めますよ(黒枠の該当部分をクリックしてみて下さい)。
【仏教の部】
http://sugano.web.infoseek.co.jp/butu/index.htm
96
:
真実 探求者
:2005/02/05(土) 20:28:59
失礼します。 雑誌「潮」最新号で、多くの批判、論評は「わが方に対する嫉妬」が主因、と報じています。 また、北朝鮮は、ブッシュ大統領の「自由の拡大が民衆の為、」との一般教書演説を「世界を火の海にする魂胆」と喝破・批判しました、、。 体まがれば影は斜め、、?? 共同通信 13:15分。
97
:
吉祥仙人
:2005/02/05(土) 21:52:37
真実 探求者さんへ
お書きになった意味が良く分かりません。(潮も読んでないので)
もう少し詳しく、また解りやすくご解説願います。
98
:
吉祥仙人
:2005/02/05(土) 22:08:22
犀角独歩さんへ
弁明をすこし
犀角独歩さんが日蓮宗僧侶とお書きになっていたので、はじめは私も単に僧侶と書いたの
ですが行いの立派な方なので、やはり尊称で書いた方がいいと思っただけでした。
むかし大石寺に登山していたころ、指導会で石山僧のことを「御僧侶」と呼んでいたので
それが出家者への尊称と思っていただけです。
99
:
犀角独歩
:2005/02/06(日) 00:01:08
98 吉祥仙人さん、了解しました。
宗派毎に、尊称も区々です。
この点は、やはり、わかりづらいところですね。
100
:
真実 探求者
:2005/02/08(火) 20:19:22
97 吉祥仙人さん、ご面倒でしょうが次のホームページに「嫉妬」などが参考になります。
http://messages.yahoo.co.jp/index.html
を開き>政治>公明党>”「逆切れ」は創価学会の特許”のスレッド および
http://members.at.infoseek.co.jp/netplane2/seikyou-jittai.html
など、です。 S会さまが 批判や苦情を総て「敵=悪」と判断し「相手の嫉妬」が主因、、には?です。 庶民は、何もウラヤマシー(嫉妬)とも、思いませんのに勝手にアチラさまがお思いのようですが、、。影では「嫉妬ではなく、軽蔑や嘲笑の対象」のほうが本当でしょうか、? では。
101
:
真実 探求者
:2005/02/08(火) 20:40:18
追伸、、。
http://members.at.infoseek.co.jp/netplane2/seikyou-jittai.html-51k
でした。
102
:
真実 探求者
:2005/02/08(火) 20:44:36
ご免。
http://members.at.infoseek.co.jp/netplane2/seikyou-jittai.html-51k-
103
:
真実 探求者
:2005/02/08(火) 20:52:10
ご免、。 HPの検索用の枠内に「政教一致」と入力されて検索>>>”政教一致の実態”の一覧表示、、。 上から四番目に「野中元自民幹事長〜、、」関連のところを左クリックしますと、OKです、、。
104
:
犀角独歩
:2005/03/19(土) 21:29:15
本日、3・19 地下鉄サリン事件10周年記念集会に参加してきました。
高橋シズエサンガ招いた9・11被害者(世界貿易センタービル・テロ)者の代表の方が参加され、アメリカの国歌並びに人々の対応を報告してくださいました。
日本との差に愕然としました。犯罪被害者保障という側面で、日本はまったくの更新国であることをまざまざと見せつけられました。アメリカその他の諸国ではテロを未然に防げなかった国家的な責任を重んじ、3000近くいる被害者に、それぞれ2億円相当の損害賠償をしたとのこと。それに対して、日本では見舞金程度。それも被害責任をオウムそのものとして、10年経ったいまでもそれがすんでいないというあるまじき状況。
パネルディスカッションで救済に関与した弁護士連は厳しく、日本の在り方に警鐘を鳴らしていました。
会場に参加していた議員の一人は「被害者救済の立法についても国民一人ひとりの世論の高まりがないと…」とコメント。会場に白けた雰囲気が流れました。わたしは「だったら、議員の高給、退職金、議員特権は国民世論の賜物か」と怒鳴りつけたい衝動に駆られました。まったく、なんたる程度の低さ。それまでの3時間の議論は、どうやら、この議員の耳には何も届かなかったようです。
自分たちの都合のいいことは世論無視、責任は世論になすりつける。日本も早急に犯罪・災害費会社救済の世界レベルの立法をいち早く成立させてもらいたいというのが、本日、集った他のすべての参加者の思いでした。
この集会の模様については、追ってまた、報告させていただこうと思います。
105
:
犀角独歩
:2005/03/19(土) 21:56:19
【104の訂正】
誤)日本はまったくの更新国である
正)日本はまったくの後進国である
106
:
真実 渇仰者
:2005/03/20(日) 19:08:20
、、ゴメン下さい。「集会の御参加は誠に意義が深く、、その行動の力に最大限の賛美を御送り、、致します、、」、、。 サリン事件の十年特集番組をジックリと拝見しました、。 某TV局の発言、、「、、変わろうとスル、、のは被害者、!!、、」、、「、、変わりたくは、、無い、、無い、、と言う、!=、旧教団、!、」 、。 これには、ムナクソが煮え返りました、。 当該団体には、、「、、厳しい、、法律的、な 、規制、、もヤムナシ、!?、」でしょうか、?
107
:
吉祥仙人
:2005/03/21(月) 06:41:43
犀角独歩さんへ
たしかに馬鹿な政治家が多いですね。件の発言の議員が公明党でないことを祈る限りです
ただ、そのお蔭で市民が自覚し目覚め、NPOという新社会勢力が力をつけた
現在は、新たな希望があると思います。
108
:
犀角独歩
:2005/03/21(月) 10:25:49
107 吉祥仙人さん:
> たしかに馬鹿な政治家
「馬鹿な」という表現はともかくとして、この人間は公明党ではありませんでした。そのことはお伝えします。
ここは政治問題を考える掲示板ではないので、あまり論及はしませんが、しかし、日本の政治家の質というのは、実にひどいものであると思います。また、この政治に蠢く評論家その他、実に質が低いものであることには慨嘆を禁じ得ません。
仰るようなNPOに、わたしももちろん、期待しますが、これらに擬態し、悪事を為す連中も後を絶たないわけです。法制の整備が望ますが、それを作る側の、質のひどさ、難題・課題山積みであると思う次第です。
109
:
犀角独歩
:2005/03/29(火) 23:23:13
今回の地震では、津波が発生しなかっただけでも、まだ被害が留まったわけですが、今回は、しかし、家屋倒壊が目に付きました。
110
:
犀角独歩
:2005/03/29(火) 23:39:43
日本で派遣するのは11人??
アメリカでは1000人でしたか。
まったく、呆れ果てます。
111
:
問答迷人
:2005/08/16(火) 16:46:32
毎日新聞 記者の目
戦後60年、「小泉翼賛政治」の亡霊=牧太郎(社会部)
◇私的激情に、道理が埋没−−言論も堕落、危うい日本
政党人・小泉純一郎は「靖国」を“おもちゃ”にしている。衆院選を郵政民営化一本で戦うために終戦記念日の参拝を取りやめた。「平和と戦争の諸問題」は最も重いテーマなのに、彼はこれを人気取りの道具に使い、選挙になると決まって争点外にする。イラク派兵も、憲法も……そして、彼の「私的激情」が日本をアメリカの軍事的属国に仕立て上げていく。郵政は踏み絵。ぶっ壊す!の掛け声が、自民党を「誰も文句の言えない私党」にする。戦後60年。翼賛政治が亡霊のように頭をもたげた。
僕は60回目の終戦記念日を60歳10カ月で迎えた。戦中に生を受けたが、もちろん敗戦の記憶はない。正直に言えば、映像で「玉音放送」を聴き、「泣き崩れた人々の姿」を見ても、ドラマを見る感覚。今や日本人の大半が戦争を知らない。
1945年3月10日の東京大空襲。乳飲み子の僕を背負った母は「日本は負けた」と東京の下町を逃げ惑った。首都が焼け野原になって勝てるわけはない。
しかし、新聞は違った。被害は最小限に報道し、7月26日、連合国が「ポツダム宣言」を発表すると「敵の謀略宣言をあくまで排撃」と書いた。鈴木貫太郎内閣は正面から「排撃」と言わず「黙殺」と発表し、小さな記事を期待したが、新聞は大々的に報じた。連合国は「徹底抗戦」と判断、広島・長崎の原爆投下。非力な新聞が権力に過剰にこびを売り、大胆になっていた。
言論統制にもかかわらず、母の周辺では「負けてアメリカの属国になればいい」というやけっぱちな声が聞かれ始めていた。そのころ、昭和天皇は内大臣・木戸幸一に「戦争終結は一日でも早い方がいい」と述べられた。新聞に「冷静な勇気」が求められた時だった。
「玉音放送でホッとしたよ」という母の本音は「映像の終戦」とも違うし、新聞の「玉砂利握り締め 宮城を拝した涙」とも違う。
元々、市民の多くはかなり前から日中戦争を予感していた。昭和9(1934)年の大凶作。東北から若い女性が次々に身売りされた。当時の文献によると、芸者2300人、娼婦4500人、酌婦600人……僕の実家がある東京・柳橋の花柳界は“身売り”の受け皿。母は銭湯の便所に「おかあさん、助けて!」という“落書き”を目撃した。
東北の疲弊。姉妹が売られる矛盾に青年将校は「革新」を叫び、二・二六事件を起こす。内政の行き詰まりが日本を大陸に向かわせた。「誰に頼まれたわけでもないのに中国へ行った」と母は皮肉を込めた。
戦争には常に「大義」が用意される。近衛文麿元首相のブレーン「昭和研究会」は「日本が大陸に出ることで、新しい東洋文化を形成する」と信じたが、庶民から見れば、戦争は「東亜統一の大義」ではなく「実利」で起こった。経済、金融、エネルギー……戦争は限りない欲望で、限りなく人命を奪う。
政党と新聞は「大義」に追随した。40年9月の日独伊3国同盟締結に政党は混乱して、一党として反対することはなかった。新聞も意見する勇気を放棄した。政党と新聞は軍部よりさらに無責任だったかもしれない(海軍は当初、締結に反対した)。
112
:
問答迷人
:2005/08/16(火) 16:46:56
つづきです。
この8月14日付の朝日新聞は長い社説で「検閲があったとはいえ、新聞も追従する紙面を作った。重い戒めとしたい」と報道責任を数行で済ました。この言い逃れこそが、言論の堕落ではないのか。
原爆投下が悲劇を拡大した。「残虐な行為ではあるが、最終的には日本に降伏を強要し、結果的に多くの人間の命を救った」とアメリカは原爆を正当化した。民間人への無差別攻撃は国際人道法違反だ。9・11アメリカ同時多発テロを上回るテロが行われたのだ。
日中戦争開始(37年7月7日)から終戦までの8年間で約310万人の日本人が死んだ。
小泉首相は、その重みを知りながら「靖国」を“おもちゃ”にしている。「不戦の誓いのために参拝する」と言い張った。靖国は「不戦を誓う場所」にふさわしいのか。東京招魂社の昔から、靖国神社は「天皇が行う戦争は聖戦」と信ずる原理主義の社だ。祭られているのは、お国のために死んだ人であって、戦争の犠牲になった一般市民ではない。中国や韓国はA級戦犯合祀(ごうし)を問題にするが、参拝の是非は日本人の意思で決めることだ。僕が批判し続けるのは、民間人を祭らない原理主義である。
戦争は感情に「道理」が負けた時に起こる。
希代のアジテーター・小泉純一郎の「私的激情」が「道理」を負かし、政党は混乱し、マスコミはむしろ「激情」をあおっている。
この国は危うい。
………………………………………………………………………………………………………
ご意見、ご感想は〒100−8051 毎日新聞「記者の目」係へ。メールアドレスkishanome@mbx.mainichi.co.jp
毎日新聞 2005年8月16日 東京朝刊
113
:
パンナコッタ
:2005/08/16(火) 20:22:05
問答迷人さんが提示された記事に対する意見は新聞社に送るとしまして、ちょっと恣意的にも感じましたので鈴木内閣の時間的な動きを記すと、
『七月二十六日、ベルリン郊外のポツダムで協議した米大統領トルーマン、英首相チャーチル、中国主席蒋介石は、連合軍として、日本に対し
最後の降伏を呼びかける「ポツダム宣言」を発表した。鈴木内閣が発足一ヶ月目にドイツが無条件降伏し、イタリアは
すでにその二年前に連合国の軍門に下り、日本は国際的にも孤立。鈴木が「和平の機会」と考えていた沖縄での戦いも全滅した。敗北は目に見えている。
天皇は六月二十二日、鈴木ら六人の最高戦争指導会議構成員に対し「このさい従来の観念にとらわれることなく、戦争終結について、
速やかに具体的研究を遂げ、その実現に努力せよ」と終戦の意思を表示され、これを受けて、政府は中立条約関係にあったソ連に和平の
仲介を依頼すべく動いていた。
このため、政府首脳の間では「ポツダム宣言についてはノーコメントでいこう」と申し合わせていたのに、軍部の強い要望に押された鈴木は、
内閣記者会との会見で、「私は三国共同声明は、カイロ会談の焼き直しと思う。政府としては何等重大な価値あるものとは思わない。ただ黙殺するだけである」
と答えてしまう。「黙殺」ということばは、「IGNORE」(無視)ではなく「REJECT」(拒否)ということばで、むこうの新聞に出た』
114
:
パンナコッタ
:2005/08/16(火) 20:22:27
続き
『それを待っていたかの如く、八月六日広島に原爆投下、八日にはソ連が宣戦布告をしてきた。ソ連は、すでにその年の二月の
ヤルタ会議で対独戦終了後に参戦することを米英に約束していたのだから、この「拒絶回答」が
絶好の参戦理由となった。
いかに「一介の武弁」をもって任じた鈴木とはいえその政治感覚のなさにはあきれるばかりである。
「この一言は、後々に至るまで、余の誠に遺憾であると思う点である」(鈴木貫太郎述 終戦の表情)
と鈴木は悔いている。
ソ連の参戦を知ったとき、鈴木は迫水らに「いよいよ来るものが来ましたね」と語り、
「陛下の思召を実行に移すのは今だ」とホゾを固めた。そして「沖へ向けていた」舳を「終戦という港」
に向け、取舵いっぱい、突き進んだ』
岸田英夫 「2・26事件と終戦の宰相 鈴木貫太郎」 より引用
115
:
パンナコッタ
:2005/08/16(火) 20:27:32
新聞記事の内容が少し恣意的に自分は感じた、という意味です。
116
:
犀角独歩
:2005/08/17(水) 09:45:19
パンナコッタさんの感性、同意するところが多いですね。
政治家は、靖国参拝に行く前にもっと行くべきところがあります。
東京都慰霊堂
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E6%85%B0%E9%9C%8A%E5%A0%82
この場所で拝めというのではありません。目をこの慰霊に向けろと言う意味です。
その意味からは、その表層を、この文章はわずかに撫でてはいます。
アメリカの、日本の一般市民を焼き尽くした都市大空襲、原爆投下。戦争終結の理由になんかなりはしません。戦争責任を果たすべきは、死後、名も身元も分からず、永久に合祀されたこの人々にこそ、頭を下げるべきでしょう。
わたしの母、そして祖母も、関東大震災で逃げまどい、東京大空襲で家と、その土地までを奪われました。そして、多くの累々とした焼け焦げた死体の山を越えて生き延びました。わたしの知人の父は、長崎に原爆が落ちた次の日からその地に入った医師でした。もう20年程前、原爆症からの悪性腫瘍で亡くなりました。生前、「その日々」を決して語ることはありませんでした。言語を絶したこの世の地獄を見た経験が、その口を閉ざさせたのだと思います。原爆慰霊碑にしても、日本人が大陸から強制労働で拉致してきた多くの朝鮮の人々を入れない、保障もしないできたというのは、いったい、どういうことか。
ヒロポンまで飲まされて、特攻で死んでいった人々にわたしな落涙を禁じ得ませんが、しかし、数十万、数百万規模の一般市民の戦死者に頭一つ下げず、靖国参拝するような政治家「先生」に一片の尊敬も懐こうとは思えません。
> 戦争は感情に「道理」が負けた時に起こる
という決め台詞は、事の本質を突いているのでしょうか。この一節で、この文章全体は駄文と化していると思えました。
117
:
犀角独歩
:2005/10/08(土) 22:40:02
パキスタンの巨大地震は、どのようなのでしょうか。
先の災害を悲しむ間もないように、折り重なることに悲しく思います。
また、日本にあって、何もできないことを申し訳なく思います。
118
:
藤川一郎
:2005/10/08(土) 22:55:03
靖国は「不戦の誓い」の場ではありません。
「国に事あるときに立ち上がる誓い」をする場であります(by西尾幹二)。
119
:
犀角独歩
:2005/10/09(日) 00:39:33
不戦というのは、憲法で定めることであって一神社とは関係ないでしょう。
国とアメリカは日本の非戦闘員の大量虐殺にはどういう見解を持っているんでしょうか。
120
:
犀角独歩
:2005/10/31(月) 23:24:30
日本の総理大臣ほかの靖国参拝は、韓国の民族・原理主義者と、中国共産党保持のための必須条件であり、アジア列強国の権力維持のための必須条件である…、とは、わたしの親しい‘とある僧侶’のご意見でした。もっともなご意見であると思った次第です。
もう一つ。いよいよ、憲法改正は、イコール、自衛隊、自衛軍というなの軍隊に関することですが、つまり、これは‘徴兵制’の復活が必須要項になることをわかって、国民は賛成しているのでしょうか。
自分たちが軍隊に徴兵され、戦争と殺人、戦争という他殺の当事者になるという実感に基づく賛成であるのかどうか、職業として自衛隊(軍)ではなく、もはや、国民、一人ひとりにとって、問題なのだということ視点から議論が望まれます。
121
:
通りすがり2
:2005/11/01(火) 00:29:03
自衛隊、自衛軍=徴兵制は如何にも短絡では?論証をお願いします。
122
:
犀角独歩
:2005/11/01(火) 02:31:14
> 121
短絡というのは仏教を哲学というようなことを言うのです。
問われたことに答えもしない人間の問に答える必要はありません。
123
:
犀角独歩
:2005/11/01(火) 02:54:42
軍隊=徴兵制が短絡ということが短絡なのです。
国家防衛というのは本来、国民一人ひとりの問題です。
国が軍隊を作り、防衛に当たるのに戦士が必要となれば、徴兵制を布くというのは、当たり前のことです。
永久に戦争と武装を放棄する憲法下であれば、徴兵制がないのは当然ですが、集団自衛権から自衛軍、それがさらに軍隊、軍備とスライドしていけば、その軍備を運用する兵隊が必要になるのであって、それが国民が担う、つまり、徴兵制に基づくようになることは当然のことです。
軍隊を作る、しかし、兵隊は自衛官だけで済むという煙幕で、真相を隠す多段階説得詐術を弄している論法への警告です。これを短絡としか捉えられないから、仏教を哲学などと短絡的愚論を吐くことになるのでしょう。
124
:
犀角独歩
:2005/11/01(火) 02:56:22
なお、いちおう、注意しておきますが、『現代人が納得できる日蓮教学』スレで荒らす「通りすがり」と、ここで新たに「通りすがり2」とする投稿は、同一IPです。
このような姑息なやり方をして、自分は論証せず、(というより、語るに足りる知識もないのでしょうが)難癖をばかりを付ける態度は、あらし行為に該当します。馬鹿なことはおやめください。
125
:
通りすがり2
:2005/11/01(火) 10:20:48
> 123は、軍隊=徴兵制の短絡性を繰り返し述べただけで論証にはなっていません。愚論を吐くことのないようにお願いします。
126
:
問答迷人
:2005/11/01(火) 11:10:10
通りすがり2 さん
>軍隊=徴兵制の短絡性を繰り返し述べただけで論証にはなっていません
それでは、質問します。世界の国々の中で、徴兵制に依らず軍隊を保有している国名を挙げてください。
世間一般の感覚は、軍隊=徴兵制だと僕は思います。それが短絡的愚論だと言われるのなら、そうなっていない国の実例を挙げて論証されるべきだと思います。
127
:
犀角独歩
:2005/11/01(火) 12:44:27
通りすがり+通りすがり2さん
すでに126に問答さんが質問されているとおりです。
また、123は繰り返しではなく、説明です。
あなたは、ただ、難癖を付けるばかりで自分の意見を何ら論証していません。
このような態度を「あらし」というのです。おやめください。
128
:
通りすがり2
:2005/11/01(火) 13:34:58
> 126
多くの国の軍隊が、徴兵制を取ってません。そんなことも知らないのですか?
> 127
自分の吐いた言葉が投げ返されるだけですよ。それでは、さようなら。
129
:
問答迷人
:2005/11/01(火) 14:57:10
通りすがり2さん
いやいや、仰るとおりですね。アメリカも徴兵制は廃止されているんですね、これは知らなかった。有難う御座いました。
『米国の徴兵制は、ベトナム戦争の停戦が合意された1973年1月のパリ和平協定調印後に廃止された。80年にカーター民主党政権は、徴兵制復活に備え、18−25歳の男性について「選抜兵役制度」のリストに登録だけは行うことを義務づけ、現在も続いている。徴兵制復活には連邦議会の承認が必要。』
軍隊=徴兵制というのは、少し短絡的で有るかもしれません。軍隊も持つ事は、徴兵制の可能性が出てくる、と言うが正しい認識であるように思います。
130
:
藤川一郎
:2005/11/01(火) 15:21:53
徴兵制はどのような時代に成立したのでしょうか?
実は平等主義と徴兵制は表裏一体なのです。
我が日本国でも、その昔は特権階級である武士のみが兵士でした。それが幕末に長州藩で崩れます。家柄に関わりなく有志を募りました。すなわち奇兵隊の成立です。この日本のほんの一部である長州藩での状況が武家封建社会が崩れる第一歩だったのです。
そして、その長州出身の村医者上がりの兵法学者大村益次郎(村田蔵六)及びその意志を継いだ山県有朋(狂助)により、徴兵制が導入されました。
つまり一部の特権階級、武士階級のみならず、全ての国民に兵を担わせる事により、全ての国民に兵士としての平等に誇りを持たせました。どんな家柄でも軍人勅諭の前では平等であるのです。それが証拠に、日本では譬え乃木将軍の子供であれ、東条首相の子供であれ、戦地に送られ、戦死する可能性があったのです(実際に乃木の男の子供は全員、また東条の長男も戦死しています)。封建時代だったら、徳川の将軍やその子供が自ら最前線に行くことは無かったでしょう。
131
:
藤川一郎
:2005/11/01(火) 15:26:33
徴兵制は若者を教育する意味でも役に立つようです。
韓国などは徴兵制がありますが、同じ世代の日本人と比べますと、かなりしっかりしています。数年という期限付でも教育的な観点でも徴兵制の復活はいいのかも知れません
132
:
通りすがり2
:2005/11/01(火) 22:59:43
> 129
ドイツなどは法律上は「徴兵制」です。しかし、近年は「良心的兵役拒否」と言うのが認められ、約50%の人が兵役を拒否し認められています。即ち、軍隊を有すること=徴兵制の可能性が出て来る、と言うような方向には無いと言うことです。
133
:
犀角独歩
:2005/11/02(水) 14:21:16
問答さん
何かロムの方の誤解を招くといけませんので、経緯を記します。
「軍隊=徴兵制」とは、わたしは言っておりません。これはわたしが「徴兵制’の復活が必須要項になる」と記したことを短絡的に記した通りすがりさん+通りすがり2さんが記したことです。ですから、わたしは、その言い方は短絡だと言ったのです。
ここでわたしが言わんとしたことは、「戦争という他殺の当事者になる」という前提で、議論がなされているのかに力点があります。
「徴兵制はない」という断言は、いまの憲法改正の流れではもっとも危険な短絡でしょう。
戦後、60年、日本は奇跡的な不戦を歴史に刻みました。それは軍隊がなかったからでしょう。
しかし、今後、軍隊ができ、この奇跡が崩れれば、いままでのような調子では行かない。戦争は特権階級にとって最大の浪費産業であり、これ以上に利益率の高い商売はありません。この商売において、より大きな戦争を可能にしていくためには、最終的には、徴兵制、部分的、志願的兵役であれ何にせよ、なさざるを得ない事態を招く、つまり、60年、不戦が当たり前であったことを支えた平和憲法が改正されれば、この60年の常識はもはや、通らないことになります。
最初の箍がいま外れようとしています。この段階で、甘い見通しを持って、事に望めば、かつての歴史を繰り返すことになります。
戦争ビジネスで消費されるものは、常に武器と人民です。
わたしは日本は軍隊を持つ、殺傷を目的とした軍隊に変更するということは、煎じ詰めれば、国民全員は、戦争という名の殺人を指示する選択をする意味になるだろうということがいい対話です。自分は兵役拒否すればよいから、軍隊にも、戦争にも賛成したわけではないとはならない選択が憲法改正ではないのかという視点です。
わたしは、現実の憲法改正、自衛から、攻撃を目的とする軍隊への変更は、参戦を意図したものである限り、その戦禍が拡大すれば、部分的であれ、全面的であれ、兵役、ひいては徴兵制の危険性を「なし」とする希望的観測で漫然としていてはならない。殊に非暴力という精神性を仏道が担うとすれば、なおさらのことではないのかというのが120における投稿の趣旨でした。
なお、その過程において、
> 軍隊も持つ事は、徴兵制の可能性が出てくる
というのは、当然、意識されるべき認識であろうと思います。
134
:
通りすがり2
:2005/11/03(木) 00:49:31
犀角さんとは議論になりませんが、他の方との議論が続いていますので継続します。
軍隊を有していても、徴兵制の方向から遠ざかっている世界の認識があるにも拘わらず、「徴兵制’の復活が必須要項になる」と主張するのであれば、繰り返しでなくそれを論証する必要があります。
他国から侵略を受けた場合においても、これから防衛する手段も「殺傷を目的にしている」と言うのは、多くの一般的国民の認識にはないでしょう。また、憲法が改正されても自衛のためにのみ、その戦力を行使すると唱っている以上、攻撃或いは侵略を目的とする軍隊にはなりえません。もし、自衛のための軍隊に限るとしているにも拘わらず、それは攻撃を目的とするものであると主張するのならば、何故そうなるのかその論証をしなければ単なる自己主張の繰り返しになります。
補足までに、私はかって航空自衛隊の幹部として、戦闘機操縦者として勤務していました。現在の自衛隊の幹部は、非常に合理的な判断をし、非常に右翼化を嫌いますし、その傾向があるものは一線から外されます。そして、何よりも専守防衛のためならば命を懸けて国民の安全を保証するために任務を全うしますが、それ以外の任務は例え政権からの圧力があっても防衛庁としては拒否することになるでしょう。何故ならば専守防衛の任務を外れるものは、自衛隊の存在意義を覆すことになりますし、法律上部下も自分自身も守れないからです。勿論、超法規的な判断等は、自己責任として何かあれば当然刑事事件として告訴されるのが現状ですから行いません。ですから、任務を全うする以上必要な法律及びROE(交戦規程)を明確に定めて欲しいと言うのが現場の意識です。
ちなみに、今の現状では、あきらかに日本を爆撃する意図を持った爆撃機が領空侵犯しても、これを撃墜することはできません。もし、パイロット及び指揮官の判断によって、これを撃墜した場合は法律違反の可能性がありますから、当然刑事責任を追及される立場になります。しかも、法制がきちんと整備されていない状態では、これを撃墜することが出来るのは、今当に爆倉を開いて爆弾を投下することが明らかでなければ出来ません。しかも、一般的な「緊急避難」の法律を自己責任において適応すると状態です。勿論、爆弾を投下した後の航空機を撃墜することもできません。刻一刻を争うスピードで進行する現代の戦闘では、とても対応できません。
専門家の立場からすれば、徴兵制はナンセンスです。現在の戦闘は、非常にスペシャリストであることが要求されますから、徴兵して訓練するような余裕はなく、徴兵する間もなくすべての戦力を使い切って戦闘は終了しています。
135
:
通りすがり2
:2005/11/03(木) 01:25:12
例えば、警察官の所持する拳銃は「人殺し」のためであるとか、警察官が拳銃を所持していたら「必ず人殺しをする」ことになると言うようなナンセンスな主張が、仏教を学ぶ者から出るとすれば非常に残念なことです。
136
:
犀角独歩
:2005/11/03(木) 01:41:36
通りすがりさん+2
論証云々というのであれば、ドイツが徴兵制を布いているが、50%は兵役拒否である、だから、日本は徴兵制にならないなどというのは馬鹿げた議論です。
ドイツがそうだからというのであれば、ドイツ人が風邪を引けば、日本人もくしゃみをするといっているような短絡です。
なお、わたしはいまの話をしているのではなく、将来の話をしています。
だいたい、聞きますが、では、憲法改正後に軍備した軍人は人を殺さないのですか。
戦争は人殺しではないというわけですか。
わたしが残念なのは、あなたがどこの所属なのか知りませんが、日蓮仏法の名の下に戦争を肯定し、戦争を恰も人殺しではないような詭弁を弄することです。このほうがよほど、残念なことです。
137
:
犀角独歩
:2005/11/03(木) 02:28:17
元航空自衛隊幹部からすれば、徴兵制はナンセンスですか。
しかし、靖国その他の動向から見て、日本という国家が、この札を捨てたとは絶対に思いません。また、そのように見せかける如何なる詭弁にも乗じません。
この世の中で、殺人という罪の自覚のない殺人ほど深刻なものはありません。
また、スペシャリストで戦争はすぐに終わると言っていますが、20世紀後半から21世紀初頭の戦争は、日本の特攻隊を模範にもするという自爆テロが主流になっています。派手な武器は軍備ばかり戦争ではないでしょう。このテロアタックは、そう易々とは終わりません。
しかし、いずれも、「非暴力」という仏教の規範からすれば、殺人という悪業であることはかわりありません。
あなたは「撃墜」「爆弾を投下」と平然と書きますが、これは殺人です。
ただ、任務と合法化されているから殺人として裁かれないだけです。
殺人に善いも悪いもありません。すべて殺人ですよ。
殺人は、「不殺生」という仏教の規範からすれば、悪です。
そのような悪を留めることを仏教は目的にするのであって、自衛隊という名の軍隊に荷担することに日本の全仏教界は賛同などしていません。
全世界の仏教とは「非暴力」「不殺生」の実現に歩んでいます。
138
:
単己
:2005/11/03(木) 06:41:40
ちょっと横レス失礼します。
>>137
>「殺人に善いも悪いもありません。すべて殺人ですよ。
>殺人は、「不殺生」という仏教の規範からすれば、悪です。
>そのような悪を留めることを仏教は目的にするのであって、自衛隊という名の軍隊に荷担することに
>日本の全仏教界は賛同などしていません。
これは、日本人のほとんどが仏教に基づく価値観を持った時、他国から軍事侵攻されて最後の一人まで殺されても、「相手の兵士を殺害する悪」を行わずにされるがままであることを選択すべきということなのでしょうか。
確かに殺人であることに変わりありませんが、一発の爆弾で何百人何千人の一般人が殺されている時に、その爆弾を投下している飛行機を打ち落とすことをしてはいけないのでしょうか。
独歩さんの言われていることは「九条があるから日本は戦争とは無縁」と言ってた左翼文化人の言いぐさのように聞こえてしまうのですが。現状で自分だけ非暴力不殺生では通用しないこともあると思います。失礼な点がありましたらお詫び致します。
139
:
犀角独歩
:2005/11/03(木) 10:13:12
単己さん
レス、有り難うございます。
> 「相手の兵士を殺害する悪」を行わずにされるがままであることを選択
この形を選んだのは、インド開国の父・マハトマ・ガンジーでしょう。
では、ヒンドゥー教徒・ガンジーが何故、非暴力の選択をしたのか、その影には日本山妙法寺・藤井日達師の影響があったわけですね。言うまでもなく、日達師は日蓮僧です。
インドの仏教滅亡を意味するヴィクラマシラー寺破壊と殺戮はまた、仏教側の無抵抗にあったとする説もあります。
チベットの中国侵攻にも、そうであったと言います。
仏教に係る知識人でわたしが、ここまで主張するのかと驚かされたのは、東洋大学の西山茂師で、師は「丸腰非武装論」を提唱していました。
> 一発の爆弾で何百人何千人の一般人が殺されている時
> 打ち落とすことをしてはいけないのでしょうか。
まず、わたしが先に申し上げたのは、何ら当然のことのように「撃墜」「爆弾を投下」に何ら罪悪感すら懐かない軍隊麻痺感覚に対して、本人の非仏教的側面を言っているわけです。
わたしの考え、ということに留まらず、仏教的な側面から見れば、如何なる理由であれ、殺人は殺人であるというのが仏教でしょう。殺人をしなければならない、人助けのために殺人をしなければならない、そのような形で人助けをしなければならないという点を考えていくわけでしょう。
人を助けた殺人だから殺人ではなく英雄だとは考えないのが、仏教でしょう。
人を助けるためであったけれど、それでも自分は殺人を犯した,その罪を考えるのが仏教でしょう。そこで懺悔滅罪という課題が生じてくるのだと思います。
また、逆の例はどうでしょうか。「エノラ・ゲイ」の機長だったポール・ティベッツが来日し、被爆者に面談したあと、「自分は軍人として命令に従っただけであるから、いまも何も悔いていないし、自分がやったことを誇りに思っている」と言ったようなことを語りました。わたしは、この大馬鹿野郎の発言を聞いたとき、この戦争、軍隊というものが、ここまで人間を狂わせるのかと計り知れない憤りを感じました。しかし、もし再生(生まれ変わり)があり、「生命が永遠」というのであれば、この人間が命令に従って一瞬にして命を奪った何十万の人々、そして、その後60年後を経て味わった数十万の人々の苦しみを万劫に再生しながら生々世々に塗炭の苦しみを経、無間地獄の業火に骨の髄まで永劫に焼き苦しめる罪を負ったということになるわけで、その意味からすれば、この上もなく哀れと言うことになるのでしょうか。この、わたしの憤慨と悲嘆は左翼文化人の一緒ですか。
不戦、非暴力、非武装というのは、このようなことを阻止するために主張です。また、無駄な殺人の抑止力とならなければ、2500年の英智、「不殺生」を潰えることになります。
140
:
犀角独歩[TRACKBACK]
:2005/11/03(木) 10:13:52
―139からつづく―
しかし、末法無戒だとうそぶいて、まだ仏教だと平然としていられる名ばかりの仏教徒にとっては、何ら痛痒はないのかも知れませんが、単己さんが提示される二者択一は、仏教成立以来、最大、絶対の戒律である「不殺生戒」と命を守るための殺人という究極の選択を2500年来、仏教徒は考えてきたのだと思います。安直な問題ではありません。
> 「九条があるから日本は戦争とは無縁」
そうではなく、9条があるから、60年の不戦が守られたと言っているわけです。
無縁などとはまったく言っていません。
もし、9条がなければ、領海侵犯その他でも‘日本軍隊’は攻撃をし撃沈することも行ったのではないでしょうか。しかし、9条に基づく、矜持は、そのようなことをしなくても、国が守れるぎりぎりの自衛を歴史に刻んだのではないでしょうか。
ただし、わたしは基本的には自衛隊にも反対です。その反対の理由は憲法と齟齬を来しているからです。自衛隊は軍隊ではないという議論がありますが、軍隊以外の何ものもでありません。たですから、自衛隊を作る段階で憲法は改変されるべきであったという考えです。
いずれにしても、現行の憲法改正は、国家安全というお題目の裏に何があるのか、戦争という巨大利権でゴイムとされる日本人は、彼らが誦するタルムードに欺かれない見極めが必要ではないのかという現実的な提言です。
> 左翼文化人の言いぐさ
そうですか。わたしは別段、左翼ではありません。
憲法9条擁護、戦争反対、武装反対は、創価学会全を除く日本仏教界の採択です。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015575530/r745-753
> 自分だけ非暴力不殺生では通用しないこともある
当然ではないですか。
しかし、目指す理想、果たす役割において、非暴力、不殺生から考えるのか、戦争肯定、殺人肯定からはじまるのかの相違です。
戦争において軍人となって人を殺すことは国家の命令であるから罪ではない英雄だと考えるのか、仏教の上から考えるとき罪であるという点から、しかし、それまでそうせざるを得なかった、懺悔滅罪を期するとするのかでは、違いがあります。
> 現状で自分だけ非暴力不殺生では通用しないこともある
もちろん、そうでしょう。しかし、そのようなことが殺人の肯定論になったり、翼賛にならない「制動」をどう考えるか、どう実践できるのかを考え実践するところに今日的な仏教の存在価値があるとわたしは思います。
仕組まれた集団浅慮の乗せられない、仏教徒が仏教徒として、何よりの自戒は「不殺生」であり、しかし、実際に自分が殺される側、殺す側になったとき、その破戒から短絡するのか、いや、この自戒からどのように考え行動できるのか、後者に仏教の精神ありというのが冒頭に上げた例証にあったのだとわたしは考えます。わたしの発想は、左翼的ではなく、仏教的な見地からのものです。
141
:
単己
:2005/11/03(木) 16:36:22
独歩さん、丁寧なレスありがとうございました。
>仏教に係る知識人でわたしが、ここまで主張するのかと驚かされたのは、東洋大学の西山茂師で、
>師は「丸腰非武装論」を提唱していました。
先に挙げられたガンジーやヴィクラマシラー寺など、史実を捜せばこのような例は大小たくさんありそうですね。
ある所でガンジーによって目覚めた人達が、イギリス軍の「この境界から入るな」という制止を無視し、銃口が並ぶ境界に向かって歩き始める。境界を越えた一列目の人達が次々と撃ち殺される。そして、次の列の子供から老人が手をつなぎ血に染まったその死体をまたいでまた、倒れていく。そしてまた、静かに前を見ながら次の列の人達が死体をまたいで歩いて来る。その姿を見て、最後にはイギリス兵が逃げ出した、というエピソードを知った時、非暴力というものの凄まじさ、それをやり遂げた名もない人間の崇高さに衝撃を受けました。
やはり、非武装・非暴力を実践する真の仏教徒であればこういう選択をせざるをえないのでしょうか。
>人を助けるためであったけれど、それでも自分は殺人を犯した,その罪を考えるのが仏教でしょう。
これは、仰るとおりですね。よく分かりました。
>そうではなく、9条があるから、60年の不戦が守られたと言っているわけです。
>無縁などとはまったく言っていません。
大変失礼しました。
>憲法9条擁護、戦争反対、武装反対は、創価学会全を除く日本仏教界の採択です。
改めて池田さんの「武力発言」を見ると、確かにこれが宗教者の言うことかと異様に感じます。
私は軍隊は必要であると思っていますから、政治家が同じ事を言っても普通のことを言っているなと、別段気にもとめないでしょうね。
ただ、池田さんの立場から「あんたが言う言葉では無いだろう」という違和感は強く感じます。
>しかし、それまでそうせざるを得なかった、懺悔滅罪を期するとするのかでは、違いがあります。
軍人や警官として多くの人命を救うために殺生をやむを得ずやった、ということは日本国民の代表として我々の安全を守るために殺生をその軍人や警官個人に委託するということになるのでしょうか。そうであれば、仏教的見地からみると英雄として称えることはできず、罪としてとらえることになります。その罪は軍隊のみならず、日本国民一人一人がその罪を背負い、懺悔滅罪するべきなんでしょうね。その軍人個人だけ苦しめばいいというのも不公平な話のように思えます。
>わたしの発想は、左翼的ではなく、仏教的な見地からのものです。
池田さんのように世論に迎合すれば抵抗は少ないから楽でしょうが。仏教的見地からの不戦・非暴力・非武装は相当の覚悟が必要ということですね。
142
:
とんび
:2005/11/03(木) 21:54:14
犀角独歩さん、単己さん、横からのレス、すみません。
ここのスレッドから外れると思いますが..殺生について。
顕正会では、他国から攻められるというので自衛隊擁護でした。(自衛隊内に会員が増えたからでしょう)
国立戒壇が他国の侵略から守る、ただ一つの秘術と言っていながら、矛盾していますが。
そして、会長は講義などで、殺人はよくないけど、法治国家として、国家が行う殺人は許される..という
ようなことを言っていたと思います。(死刑制度容認みたいな)
知識豊富な先輩方にいうこともないですが、仏教では、不殺生について、人間だけではなく、他の生き物
にも及んでいると思います。ここが難しいところです。
人が生きるていくためには、植物や動物の殺生をしなくてはならない。
立正安国論あたりに出てきますが、「釈迦以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能仁の以後の経説は則ち
其の施を止む」。
ここらあたり、仏教とは言いませんが、教典では、殺生を正当化するものがあったのでしょうか。
かのオウム真理教が、殺人を犯したのも、教典からの引用で殺人を正当化していたのではないか..と
記憶しています。
たとえば、修行を積んだ位の高いものが、悪人を殺すと、かえってその悪人の悪業が緩和されて、良い
環境に転生するのだ..というような。
そんなような理屈だったような気がします。
143
:
単己
:2005/11/04(金) 07:48:23
とんびさん、初めまして。
>ここらあたり、仏教とは言いませんが、教典では、殺生を正当化するものがあったのでしょうか。
私も何を根拠に言っているのか分かりませんでしたが、調べたら、俗に「理趣経」と言われている真言宗の依経から理屈を盗っていたようです。
ここに、書いてありました。
ttp://homepage3.nifty.com/luna-sy/re06.html
オウムの殺人正当化で思い出したのが、学会の教学副部長だった野崎至亮氏が会合で「ゴキブリは見つけたらすぐ殺してあげた方がいいんですね。ゴキブリに生まれて来る悪業を横死することで軽くしてあげられるんです。こっちも善業を積めるし、両方いいんです」と、「宿業転換」の話の途中、余談でこんなことを言っていたのが印象に残っています。この人の言い方ですと、殺生も積極的に正当化できるものがあるということなんですね。
144
:
犀角独歩
:2005/11/04(金) 08:55:25
141 単己さん
> …非暴力…それをやり遂げた名もない人間の崇高さ
そうなんです。
結局、ここの部分に到達せざるを得ないわけです。
わたしは法華経について、種々論攷しながら、無謬神話については抗ってきました。しかし、この経典に描かれる菩薩の特徴が徹底した非暴力、不怒、そして、最後まで相手がいつしか菩薩道をし仏になろうと目覚める人になっていくことを信じた姿であることに、敬意を表します。つまり、法華菩薩信仰は、そのような人格の継承を意味するわけです。典型的な菩薩は、やはり、不軽菩薩ということになるでしょう。
隣国がちょっかいを出した、鉄砲ぶっ放して、やっつけてやれ。国を守る、軍備して攻めてくる奴を殺して何が悪い、そんなことは誰でも考えられる理屈です。たぶん、わたしが仏道を意識しなければ、その結論で済まして是としたでしょう。しかし、自分が法華の家に生まれて、虫一匹の殺生すら咎められて本日に至った精神的継承で、大きく不殺生が自戒として息づいています。
> 非武装・非暴力を実践する真の仏教徒t…選択をせざるをえない
「せざるを得ない」というより、もはや、自然なことになっているのではないでしょうか。
単己さんが記述されたインドの実写映像に類したものをわたしは観ました。
あの人々の表情は、奢るわけでもなく、興奮するわけでもなく、合掌礼をなしたままで足を前に進める人々もありました。そして、倒れます。後陣の人々も、騒ぐわけでもなく、嘆くわけでもなく、何の躊躇いもなく、前に進み出て、また、倒れていきます。
あれほど、静かな、穏やかな、死に臨んだ決意の表情は見たことはありません。あの倒れていった人も、その後陣の人々にも、恨みも怒りも看て取れませんでした。
この実写映像は、ガンジーが凶弾に倒れたあと、インドの独立を式典を映して終わっていました。なぜか、わたしは現代の法華経物語を見ていると自分のなかで認識していました。聖者・ガンジーは、精神となって、いまも人々の心に生きています。
> 池田さん立場…違和感は強く感じます
この違和感は、池田さんと創価・公明が、すくなくともこの時点で、法華経を紡がなかったことを意味するのではないでしょうか。
> 軍人や警官として多くの人命を救うために殺生…日本国民の代表…軍人や警官個人に委託する
わたしは、そう考えます。
自分は殺さなかった。しかし、この国と人命と財産を守るために代わりに殺人を犯した、また、殺された、他人事ではありません。各人の私事です。
ただ、実際の市民を巻き込んだ戦争は、こんなきれい事ではないでしょう。
145
:
犀角独歩
:2005/11/04(金) 08:56:51
―144からつづく―
> 日本国民一人一人がその罪を背負い、懺悔滅罪
不思議なことに戦争は、その始まりでは罪責感はなく、しかし、それが終わると懺悔が芽生えます。戦争が終わったあとに、どのような理由であれ、その戦争が正しかったなどという人はいないわけです。つまり、不殺生・非暴力を帯した側の主張は、至るべき結論を先取りしたところから出発している構造があるわけです。
> 仏教的見地からの不戦・非暴力・非武装は相当の覚悟が必要
そのとおりだと思います。前人未踏、人類が未だ到達できない国家レベル、否、全人類レベルのハードルを越える模索です。
しかし、もしこのハードルを越えなければ、やがて、人類は殺し合いの結果、滅んで行くでしょう。カール・セーガンが、もし、宇宙に高度な文明をもった生物がいるとしたら、彼らは必ず、平和的な存在であるはずだ。何故ならば、精神を獲得できない生物は殺戮しあい滅んでしまうからだといった内容を記していました。
非暴力・不殺生からどこまで考えることができるのか、不戦60年の日本の奇跡を放棄してはならない。何故、いとも安直に放棄するような流れができてきたのか。それは、日本がアメリカの無差別殺人で流した国民の血を省みないからです。
わたしの親は東京大空襲のなかを逃げまどい生き残りました。一夜明けた東京の町は瓦礫と山のような遺体、隅田川は遺体で水面も見えないほどだったと言います。わたしの友人の親御さんは長崎に原爆が投下された翌日、救済に入った医師でした。
そのような悲惨な経験が身体感覚として残っている人々は「戦争はもう嫌だ」というところからはじまります。しかし、結局のところ、政治的特権性を有する議員や、官僚、特権軍人は指示ばかり出して、本当に悲惨な人間の死を見ていない。それどころか、戦争は一部特権階級に莫大な富をもたらしてきたわけです。ここで煽動され、実際に一切を失い、そして、殺されていくのは一般の市民でした。実際のこの痛みを知っている人は誰一人、戦争という方法論を選択しません。一様に不戦・非暴力を訴えてきたでしょう。
我々日本人は唯一の被爆国民として、そして、非戦闘員を無差別大量殺戮したわずか60年前のあの経験を忘れ、また、同じ過ちに歩みだそうとしています。しかし、我々日本は不戦60年の奇跡の歴史を刻んだ。この歴史を永劫のものにすることが、先の2度の大戦で殺されていった人々の死を無駄にしない唯一の方法です。
もし、我々が法華経を尊ぶのであれば、我々はいまの法華経を紡がなければなりません。それがどんなに困難で、考えあぐねることが難しい方法であっても、我々はいまの法華経を紡がなければなりません。
146
:
犀角独歩
:2005/11/04(金) 09:00:11
とんびさん
法華経に殺戮を肯定させたものは涅槃経です。
ですから、わたしは法華信仰から涅槃経を取り除くことを提唱しているのです。
単己さん
ご紹介の野崎さんの話は、オウム真理教のポアと同じですね。
しかし、オウム信者は虫を殺すことはしませんでした。
147
:
通りすがり2
:2005/11/04(金) 09:31:27
偏った考えを持つ人は、仏教より学ぶと言うよりも仏教を利用するようです。
平和を愛し、そして最も戦争を阻止したいのは、専守防衛の自衛隊です。なぜなら、戦争を防ぐために、侵略を阻止するために、相手の攻撃の意図を削ぐために存在するからです。他国に軍があり、他国からの攻撃を受ける、戦争と言う名の下に国民に対して「殺生」が行われようとするならば、身を以て相手の戦力を阻止します。その行為は、相手の国民を「殺生」するためのものではありません。
現実的には、戦争という「殺生」を阻止する手段には、様々な方法があります。そのような意識にある方々を、「人殺し」呼ばわりして偽善を気取る者に仏教を語る資格はありません。そのような者は、殺生を厭わない拳銃を持った強盗から身を守ってくれようとしている人を、後ろから「人殺し」呼ばわりする人であり、航空機をハイジャックして自爆攻撃をしようとするテロリストの行為を阻止しようと立ち向かう人を、後ろから「人殺し」呼ばわりするようなものです。
ちなみに自衛隊と違って、世界的に戦力を行使する先進国の軍隊においても、非戦闘員のみならず戦闘員に対しても「殺生」を目的とした行動は、厳しく軍法会議において処罰されます。
法律でも保証される「正当防衛」とは自らが行うものであり、「緊急避難」とは他に対して行うものです。「殺人」と同列に扱うような幼稚な考えしか持たないような人とは、まともな議論は出来ないでしょう。それでは、さようなら。
148
:
通りすがり2
:2005/11/04(金) 09:45:11
偏った考えを持っていない方に、誤解が生じないように補足しておきます。
ちなみに、原始仏教においても釈尊は「殺生」や「殺戮」を諫めていますが、自衛や治安のための兵力の保持を「否定」したことはありません。それが、どのような哲学思想に基づいているのか理解しようとしなければ、仏教から学ぶことは何もありません。自我に執着するだけです。
149
:
犀角独歩
:2005/11/04(金) 10:16:09
通りすがりさんの投稿は、実に巧妙な仕組まれた詭弁ですね。
> 偏った考えを持つ人は、仏教より学ぶと言うよりも仏教を利用する
まあ、そのような御自身を卑下することはありません。
あなたは、結局のところ、「仏教」を口にしながら、自分がどのような仏教を信仰しているのかという点はまったく示しませんでした。あなたが言う仏教とは何でしょうか。
また、自分の一方的な意見だけを言い、当初より、侮蔑的な批判だけを目的としています。このような態度が、あなたが語る一切を語っています。
あなたが示すことは仏教が示す規範とは違っています。要は、「あなたの自衛隊」の論法であって、その押しつけに過ぎません。
> 平和を愛し、そして最も戦争を阻止したいのは、専守防衛の自衛隊
なぜ、こんなことを言い切れるのですか。
本当に、平和を望んだのは、先の敗戦で、最愛の人を失い、家を失い、財産を失った戦争被害者です。それよりも戦争で命を失った人に魂が残っていれば、そう考えるでしょう。ところが自衛隊のほうがそう考えていると奢り、断言して省みません。
死んでいった御魂に恥じるところがないのですか。
富士門流信徒の掲示板という仏教の掲示板に来て、自衛隊の宣伝をすることがどんなちぐはぐなことか、それすら気付けない異常さです。
ただし、わたしは自衛隊を批判しようと言うのではありません。自衛隊経験を鼻に掛けて仏教を枉げるあなたの投稿を批判しているのです。
> 「人殺し」呼ばわりして偽善を気取る者に仏教を語る資格はありません
そうですか。では、日蓮その人こそ、仏教を語る資格がないことになります。
「武士に身をまかせたる身…後生こそをそろしく候へ」、武士とは人を殺めることを業とする故に後生は、主君のため、国のために仕えといっても後生善処は望めない、故に勤めて仏道の思いをなし、懺悔滅罪して後生を期せよというのは日蓮が武家信徒になした教訓であったはずです。使命であれば人殺しではないというのであれば、あなたは日蓮に仏教を語る資格が無いというのと同じです。
> …強盗から身を守ってくれようとしている…テロリストの行為を阻止しようと立ち向かう人を、後ろから「人殺し」呼ばわりするようなものです。
これはまったく詭弁です。
わたしはこんなことは、ただ一言も言っていません。
このように決め付けて、自分の意に合わない人間を詐弁によって葬ろうとする態度はまことに卑屈であり、人の善意という精神を殺めるものであると弾劾するほかありません。
150
:
犀角独歩
:2005/11/04(金) 10:16:31
―149からつづく―
> 非戦闘員のみならず戦闘員に対しても「殺生」を目的とした行動は、厳しく軍法会議において処罰されます。
そうですか。では、聞きますが、わずか60年前、非戦闘員無差別殺戮を日本各地の大空襲、殊に原爆投下は、あなたは殺生ではなかったというわけですか。また、そのアメリカが軍法会議で処罰されたとでも言うのですか。何を寝言を言っているのか。いい加減にしなさい。「正義」という偽りはとは勝利したものにしかなく、国土を焼き払われ、数十万の人民を殺され、数百万、数千万の民が路頭に迷ったあの戦争を、あなたは殺生ではないというのですか。馬鹿も休み休み言いなさい。
また、いまこの時、イランにおいて、一般市民が一人も殺されていない、また、誤爆その他で殺生された人々の無念の死がなかったとでも言うのですか。さらに劣化ウラン弾の残骸で人々は死に瀕しています。これが殺生ではないというのですか。そのアメリカ軍が処罰された出も言うのですか。理想化された戦争を夢見た空論など無用です。
理想化された、夢想された英雄願望に誣いられた夢を冷めしたらどうですか。
> 「正当防衛」とは自らが行うものであり、「緊急避難」とは他に対して行うものです。
そんなことは説明をしていただく必要はありません。わかりきったことです。
元自衛隊を名乗るあなたは、自分の意見が通らないと守るべき一般市民を、このように侮辱して憚らないわけですか。それがあなたのいう自衛隊ですか。
何ともはや呆れた姿勢です。
> 「殺人」と同列に扱うような幼稚な考え
ならば、シャキャムニ以来2500年に亘る仏教の視点が幼稚であると、あなたは言うわけですか。
自衛隊の攻撃機(自衛機ではなく攻撃機??)乗りというエリート意識から人を侮辱して已まない論法に平和は見えないと言うことです。
平和、防衛は、力弱く武器を持つことを許されない一般市民を守ることに使命があるのでしょう。ところが、あなたの発言は首尾一貫して驕り高ぶって、その一般市民であるわたしは見下げることでしか成り立っていません。そんなあなたがいう平和とは何ですか。自衛、防衛とは何ですか。あなたが自衛、防衛しているのは自分自身に過ぎないでしょう。
あなたのような差別主義は、命を賭して、自分よりも非力で、そして、武器を手にすることも許されない一般市民の必至で守る自衛隊そのものにも泥を塗っています。
> さようなら
やがて、あなたも菩薩道を歩むことが来るでしょう。
菩薩とは敬いの心を元にするのです。その心が持てるようになるまで。
その日まで、では、「さようなら」
151
:
犀角独歩
:2005/11/04(金) 10:24:20
> 原始仏教においても釈尊は「殺生」や「殺戮」を諫めていますが、自衛や治安のための兵力の保持を「否定」したことはありません
これはまったく嘘です。
シャキャムニは出家したのであって、国家という家からも出たのです。
国家の決定である軍隊を云々する理由はありません。
自衛隊は兵力・装備は、あたかも軍隊ではないと言った論調自体が詭弁です。
152
:
犀角独歩
:2005/11/04(金) 11:34:34
【150の訂正】
誤)イラン
正)イラク
他にも打ち間違いがあります。
ご判読ください。
153
:
藤川一郎
:2005/11/04(金) 13:53:33
現行憲法において自衛隊が合憲か違憲か?
日本国憲法を見てみましょう。
「第9条第1項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
ここでいう「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」は軍事行動を言っています。しかし「国際紛争を解決する手段としては」と言う限定がついております。
この限定により、防衛戦争は否定されていないとされております。
そこで2項を見てみます。
「第9条第2項
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
ここで「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」の前提に「前項の目的を達するため」とあります。この前提により1項の「国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄するための軍隊」以外は持てると言う解釈もなりたちます。
実は連合国が日本に押しつけたとされるこの条文には「前項の目的を達するため」と言う言葉はありませんでした。それを日本側の憲法改正小委員会委員長は芦田均氏が入れたのです。芦田氏は当時、この通称「芦田修正」についてその意図を明らかにしていない。
しかし、後に回顧談として「将来の再軍備への余地を残した」と語っている事からも、その意図は明らかであろう。
芦田修正
http://www5d.biglobe.ne.jp/~anpoken/sub4.htm
154
:
犀角独歩
:2005/11/04(金) 14:59:04
で、藤川さん、自衛隊は合憲ですか、違憲ですか?
155
:
犀角独歩
:2005/11/04(金) 23:29:04
149の引文に関連して。
波木井三郎殿御返事 文永十(1273.08・03)[p0745]
波木井三郎殿御返事(波木井第二書)(原文漢文)
文永十年八月。五十二歳作。
外二四ノ三四。遺一五ノ二。縮九八〇。類四七九。
「貴辺は武士の家の仁、昼夜殺生の悪人也。家を捨てずして此所に至つて何なる術を以てか三悪道を脱るべきや、能能私案有る可き歟。法華経の心は「当為即妙不改本意」と申して罪業を捨てずして仏道を成ずる也」
156
:
藤川一郎
:2005/11/04(金) 23:39:29
>>154
自衛隊は今のままでも十分合憲です。
しかし、曖昧な条文は混乱を招くので、はっきりと国軍(自衛隊ではない)の条文を載せるべきというのが私見です。
もう1つ。
もし自衛のための軍隊が持てないとなると国家たりえない。
万が一、海外が攻めてきたら、国軍が無ければ国民1人1人で自己責任で自分を護らなければならなくなる。そんな無責任な国家など意味が無い。
国軍は自動車保険と一緒です。誰も自動車事故を起こす気は無い。しかし万が一にでも事故を起こしてしまったときの保障のために自動車保険が必要です。
軍隊も同じで、誰も戦争など起こしたくは無い。海外が攻めてくることも、滅多に無いであろう。でも万が一海外が攻めてきたときの保障のために軍隊が必要です。
これが私が大学時代に唱えた「軍隊保険理論」です。
157
:
通りすがり3
:2005/11/05(土) 00:18:28
「法華経の心は「当為即妙不改本意」と申して罪業を捨てずして仏道を成ずる也」
偏った人間には、この意味が解らないようです。馬鹿馬鹿しくて泣けてきます。それでは、再度さようなら。議論するには、非常に気分の悪い掲示板ですね。
158
:
犀角独歩
:2005/11/05(土) 00:49:13
今度は通りすがりの3ですか。
あなたは議論何かしたんですか。
「さようなら」と言いながら、未練たらしく何度も書き込んでみっともないですね。
それで、あなたの仏教は何ですか。自衛隊教ですか?
自衛隊の面汚しとしか言いようがありません。
仏教とは無関係のナルシストでしょう。
この次の書き込みは再度の次、3度目の「さようなら」になるのでしょうか。それでHNは通りすがりの4ですか(大笑)
なお、気分の悪いのはあなた自身ですよ。
159
:
犀角独歩
:2005/11/05(土) 00:57:13
藤川さん、憲法から見れば、わたしは自衛隊が合憲だとは露ほども思わない。
その答は156のあなたの書き込みのなかに尽くされています。
しかし、日本が日本で自分を守るために軍隊を作るのがいけないのか。いけなくないでしょう。しかし、それを敗戦国日本が勝戦国アメリカからごり押しされたのが、いまの憲法でしょう。
あなたが仰る‘保険’も駄目だと言ったのが、この憲法の実態でしょう。
だから、憲法を改正しようじゃないかというのは、わかる。
ところがその改正がアメリカのご都合で、しっぽをふりふり、ワンワン、はい、お手をしながらじゃしようがない。国家防衛を言いながら、アメリカのワンちゃんに成り下がった憲法改正なぞ、糞食らえ。この点では、藤川さんとわたしは同意見ではないでしょうか。
160
:
犀角独歩
:2005/11/05(土) 08:42:54
たとえば、いまの自衛隊イラク派遣は「人道支援」とかいうが、実のところ、そんな形しかできないそうやっているのに過ぎない、エネルギーだ何だで威嚇され、親方のおいら(アメリカ)が血流してんのに、属国敗戦国のお前等(日本)が、楽していいのかと言った話。それでも、武器持たせるほど一人前じゃないから、やってる格好だけ付けて、イラクにだけは派遣しろよといったガキ扱い。日本が軍隊を持つも持たないも、アメリカの胸先三寸でやってきたわけです。
自衛隊は軍隊か。軍隊に決まっています。もし、軍隊でないというのであれば、あの服装、また、「隊」のまんまを使っているわけです。藤川さんの言うとおり、いつでも真性軍隊になる予行演習を60年間続けてきたに過ぎない。しかし、軍隊ごっこをやっていても仕様がないわけです。
一番、愚にもつかない話は、自衛隊は災害時に活躍している口上。災害時の救済を言うのであれば、災害救済の専門集団を作ればいいだけの話。それこそ、「攻撃機」何台かの予算でまかなえるでしょう。災害救済をやるのに、軍服を着る必要など全くないわけです。災害支援のためには火器使用の練習も要りません。そんなことより、崩落した建物を安全裏に解体し、怪我人を捜し出し、大型の装置の開発でもしたほうが善い。戦車数台の値段で何台も作れるでしょう。
本当に国を守るというのはどう言うことなのか。それは軍隊を作るしかないという考え方しか選択の余地がないというのは軍隊幻想でしょう。
> もし自衛のための軍隊が持てないとなると国家たりえない。
そうですよ。しかし、そのような憲法を、日本は敗戦という絶対不利の実質占領状態で受け入れざるを得なかった。自由自治は許されているものの、実際のところ、いまだにアメリカの統治下にあるのが現実でしょう。だから、この部分をクリアしない限り、この議論は成り立たないわけです。
> 万が一、海外が攻めてきたら、国軍が無ければ国民1人1人で自己責任で自分を護らなければならなくなる。そんな無責任な国家など意味が無い。
そのとおりです。しかし、それがアメリカが日本に課した現実でした。
このことはしかし、警察にも言えます。
「お前を殺すぞ」と殺人予告をされた。いつ殺されるかわからない。警察に身辺警護を願う。すると、「事件にならないと我々は動けません」と言うのが警察の常套句です。事件が起きたときは怪我をするか・殺されるかといった避けたい事態が起きることを意味します。しかし、それまでは動けないと言う。これでは市民など少しも守ったことにならないわけです。腰に拳銃を下げて、交番を襲われれば発砲するくせに、殺人予告をされようが、見て見ぬ振りをするのが警察です。
161
:
犀角独歩
:2005/11/05(土) 08:43:21
―160からつづく―
では、自己防衛をするしかないということになる。ところが、市民は護身のためでも武器を持つことを法律で禁じられているわけです。つまり、丸腰で凶器を持ってやってくる犯罪者に立ち向かえというわけです。そして、いま言ったとおり、警察官は自分たちは武器を持っているのにも関わらず、事件にならない限り動かないというわけです。護身のための武器を取り上げたのは国家であるにもかかわらずです。警察の言っていることは、むざむざ殺されろということです。しかし、この点を警察官に突くと、自分たちも法律に縛られてそうなっているんだというわけです。まあ、そのとおりでしょう。要するに法律自体が市民の緊急時予防のために整備されていないということです。
この市民と警察関係を日本国家に強いているのがアメリカでしょう。
日本国家は、では、アメリカの顔色で腰に拳銃を下げることを少しは許されるように憲法が改正され、実際にそうなったとしましょう。しかし、その‘拳銃’で守られるのは、本当に日本国民なのか?ということです。
> 軍隊も同じで、誰も戦争など起こしたくは無い
これは藤川さんが善良な人であるから、そういうだけでしょう。
この世の中には、戦争を起こしたい連中は、たくさんいます。
> 万が一海外が攻めてきたときの保障のために軍隊が必要です
この論法はなにも間違っていない。
しかし、こういった軍隊は、この主目的だけに留まらないのが、常です。
先に記したとおり、戦争を起こした連中に塩を送らない完全な整備が必ず等閑になる。莫大な利権が生じるわけです。そして、その利権は実際に戦争が起こり、それも適度な戦争、紛争、その他で、国家や世界が壊滅しない程度で、利権に関わる特権階級が決して危険にならない条件を満たし、大量に武器その他が消費され、国家予算から、それらの連中が莫大な利権が得られる程度の‘戦’という状況を常に作り出せれば、この利権は永続的に特権階級を満足させます。所謂、軍需産業とその利権というです。腐りきった本体のでかいヒルがいる。さらに肉を食むここに群がるテカテカ黒光りしたゴキブリのような連中がいる。血を吸われ、肉を喰われているのは国民です。
専守防衛だ云々という‘国民善意’が、この利権の方便に悪用されていないのか、という点が重要なわけです。この点で、歯の浮くような‘建前’を並び立て、国民を守るためだと言いながら、実際の本音は一部特権階級の利権のために、有事を作りだしているのが世界ではないのか、そこで最終的に命を奪われ、財産を搾取されるのは、そのような美名を疑わず信じた善良な、敢えてつければ‘無知な’国民という縮図ではないのかということですよ。
162
:
犀角独歩
:2005/11/05(土) 08:43:42
―161からつづく―
こんなことは他の国家経営にも言えるわけです。日本は莫大な借金を背負っている。‘株式会社’日本は大赤字だという。ならば、公務員の徹底したリストラをし、給与を引き下げ、無駄を徹底して廃して、殊に国会議員は黒塗りの大型車なんかに乗らず、電車か自転車にでも乗って、車の乗りたければ、軽にでも乗ればいいわけです。ところが、実際に大赤字を出している連中は、血税を湯水のように使って贅沢三昧をし、不足すれば、増税をして国民を苦しめるばかりで、自分たちの贅沢を止めないわけです。それを是認する連中はその腐敗した贅沢な餌に群がるゴキブリ、ハエだよろしく、その仕組みを守ろうとしている、いつか自分も、いつも自分はというご都合があるから、嘘っぱちの大儀をかざし、国民を騙し蔑むわけです。
以上のような状況下で言われる専守防衛、憲法改正論は説得性を持たないということです。
わたしは日蓮という人は、こんな仕組みを心底憤慨していた人であったと思います。その発露が『立正安国論』でしょう。しかし、以上のような利権構造に入らない一介の僧侶である日蓮が、では、何ができたのか。結局のところ、上一人の正直、善政を訴え、下万民の安寧を訴えた。そこで、日蓮は武器を取ったわけでも何でもなく、立正安国論の頃は、八十万億那由陀の菩薩の同意で法華精神を述べ、いざ身命に及べば、不軽菩薩絶命の精神に立ち、ついには地涌上行の自覚で「正直」を訴えた。孤高の流人生活、身延の隠遁生活に遭って、しかし、その境地を文字漫荼羅に昇華していったのは、その生涯の決算であったのかも知れません。
では、われわれがいま、法華を持ち、日蓮を仰ぐ。何ができるのか。以上のような構造腐敗の前で、専守防衛を言うのであれば、敢えて、非暴力、不戦、不殺生を言おうじゃないかということです。殴るならば殴れ、殺すならば殺せ、しかし、我々は絶対に服従しない、いつか到達する、いや到達しなければならない理想郷には暴力も、戦争もない、殺し合いもない、その理想を体し、訴えようと言うのは、わたしは全仏教界で心ある人々が言う、不殺生、非暴力、不戦だと言うことだと思います。
単に戦争反対を言っているわけではない。
ここに「当為即妙不改本意」の意義もあります。
163
:
藤川一郎
:2005/11/05(土) 08:52:34
今回の件に関して、昨日(今朝?)の「朝までなめるんじゃねえ(嘘・朝まで生テレビ)」で討論してましたね。
つい、見入ってしまった。
しかし、憲法改正はいいが、自民の改正案は出鱈目じゃ!
それと自衛隊反対派の共産党員への「攻められたら、桑と鋤で戦うんですね」には笑った。
しかし、田原総一郎が言ってたけど、最近の共産党って自衛隊を一応認めたようですね。共産党も骨が無くなったな!
独歩さんが言う、アメリカ云々は私も同意。もっとも小泉さんはアメリカよりもユダヤ資本と軍産複合体の犬だけどね。いずれにしても売国奴には違いない。
164
:
犀角独歩
:2005/11/05(土) 09:54:34
> ユダヤ資本と軍産複合体
ここまで話を広げると、もはや、お家「日本」から世界全般の話になりますね。
いずれにしても、政教一致に目眩ましを食らっているわけですが、それよりもっと冗談じゃないのか軍閥、軍事政権です。このような最悪の政権への逆戻りだけは阻止しなければならない。「守ってやるよ」という甘言を弄して、いざ、実質軍政一致となれば、国民を守るという名目で、国民は軍隊の奴隷とされます。守ってやるが言うことを聞けという口上です。
航空自衛隊だといいながら、自分の言うことを聞かなければ愚人扱いして憚らない特権意識。吐き気がします。しかし、この手の差別主義者もやがて菩薩道を歩み、仏になることを信じろと言うのが法華経制作者が紡いだ菩薩精神です。この精神を仰ぐからこそ、暴言を忍ぶわけですが、しかし、言い返さないという不軽までにはなかなか至れません。
それはともかく、こんな連中が大手を振る政権下には戻したくないという気持ちが、憲法改正、軍隊復活を拒む、60年前の反省からあるわけですよ。
軍閥支配の苦しみという身体感覚を持った国民が少数になってきたら、また、過去の2匹目の泥鰌を狙っているという危惧です。有事という危機意識を煽って、自分たちの権利を掌中に収めようとするのは常套手段でしょう。実際、自衛隊が日本を守っているわけじゃない。守っているのは実質、アメリカでしょう。そして、非参戦、非攻撃という憲法遵守を相手が熟知するからです。しかし、後者の安全弁を外す動きには危惧を抱かざるを得ない。隣国に攻撃の理由を与えることになります。アメリカからの独立は目指す目標です。実際に独自軍隊を持てば、アメリカだって日本を再攻撃する理由を与えることになります。攻撃しないのは交易利益を保護するためでしょう。
だいたい、いまの政府に軍隊など持たせたら、他国に対する軍隊の威圧ではなく、国民に対する威圧ということです。政治家に軍隊を持たせれば、苦しめられるのは国民です。そんなに信用できる政府じゃない。一部特権階級の利益を守るために血税を絞ることしか考えていない連中です。自分たちが議員バッジをつけた特権階級だと思っている連中でしょう。官僚もしかりです。この連中にこれ以上、権力を与えてはいけない。その権力の最たるものは何か。軍隊でしょう。
わたしは60年前の、この構造を日本国民は忘れちゃいかんと思うわけです。隣国にも緊張は高まります。攻撃の「理由」を与えることにもなります。隣国が神経質になっているのもこの点でしょう。
もっとも、ここら辺になると、藤川さんとはまた意見が分かれることになるかも知れません。
165
:
藤川一郎
:2005/11/05(土) 13:40:08
護ってやるよ思想(仮にそう呼びましょう)は封建時代の遺物なんですよね。
武家政権の時代がまさにそうでした。それを排除するために徴兵制を施行しました。全ての国民が徴兵により平等に国防を担う。さすれば一部特権階級の「護ってやるよ思想」が排除されるのです。しかし、軍である以上、指揮官が必要になる。それを要請するために士官学校を作った。すると今度は、士官学校出身キャリアが横行するようになり、これが同じ思想を持ち出した。これはある意味武士よりも性質(タチ)が悪い。武士は代々武士であったから良くも悪くも生まれたときから武士的な英才教育(洗脳?)を受けている。
しかし、士官学校には努力で誰でも入れた。ある意味出自も関係ない。そうするといわゆる成り上がり士官が跋扈しだす。
しかも大日本帝国憲法には重大な欠陥があった。これが「統帥権問題」である。戦前の日本の軍隊は天皇の統帥権の下にあって、内閣の下には無い。内閣を無視しても軍の意思が強行できる。何故なら内閣が軍隊をコントロールするシステムが存在しないのであるから。しかし本当に陛下が直接陣頭指揮をする訳にはいかない。ここに陸軍には天皇の名の下に「統帥部」海軍には「軍令部」が出来る。これらの長には士官学校出身のキャリアがついた。またその指揮からも外れる存在が出てくる。近衛師団である。この近衛師団はその名のごとく天皇の身辺を護る者たちであるから、自分らは大元帥(天皇陛下)直属の意識が出てくる。まるで徳川時代の旗本のような存在で「天皇の旗本気取り」である。
実は近衛師団ですら、天皇陛下にお会いする機会などほとんど無いのであるが、まるで見てきたかのような天皇談を語り、自分らを特権階級化していく。本来は陸軍大臣・参謀総長・統帥部長・近衛師団長に上下を付けるべきであるのに、これが平等に派閥化していく。
そして最後には本末転倒して天皇のご意思すら意のままにしようとする。これが宮城事件である。昭和20年8月14日翌日に終戦を迎えんとする日に陸軍及び近衛師団がクーデターを起こす。和平派の森近衛師団長を殺害し、偽に命令書を乱発し、それが発覚するや、宮中に乱入し、侍従長を脅し「終戦の詔勅」の録音板を奪って戦争継続を図った事件である。幸いにして徳川尾張分家の当主でもある徳川義寛侍従の脅しに屈せず、さらに録音板を2枚に分けるという機転で乗り切り、無事終戦を迎えるのであるが、天皇の名の下に結集した軍隊が、最後には天皇すら監禁しようとするという結末を迎えたのが大日本帝国陸軍の最後であった。
独歩さんの言うように軍には暴走の可能性がある。これを制止するシステムを同時に議論すべきなのは言うまでもありません。
166
:
藤川一郎
:2005/11/05(土) 14:10:35
>>164
実は独歩さんと同意の部分もたくさんありましてね、今の政府に軍隊を持たせたら云々については結構同意見でしてね。
私も闇雲に軍制強化を進言している訳では無いのです。
でも今のままではアメリカの植民地から脱し得ない。そのためにもまず国軍を創設する。最初から増強する必要は無い。自衛隊をそのまま呼称変更するだけでも良い。
その後、一歩一歩歩んでいく。
もう1つ私は個人的には大嫌いですが、韓国、中国との融和も必要でありましょう。
私は中韓が日本を敵視する歴史問題以外の理由の1つにアメリカとの関係が脅威になっているようにも感じております。
仮にも他国の軍隊が駐留している国では日本がアメリカのひも付きと考えられても仕方ないでしょう。
そもそもアメリカとは何ぞや?原住民を侵略して作った国家では無いか?そのためにネイティブアメリカンがどれほど迷惑したか!
明治以降だけでもハワイを併合しているでは無いか。ハワイ王朝は日本の天皇家と深いつながりにあったことはあまり知られていませんが。
そしてハワイとは離れてますが、日本はそのうちアメリカの州の1つになると思われても仕方ないでしょう。そうすると順番からすれば日本の次は韓国・中国と狙っていると邪推されても文句言えんでしょう。
中国も侵略国家ですがあくまでも、隣接するところから行きます。しかしアメリカは違います。元々全然関係ないアメリカ大陸に渡ってきて、侵略を始めた国です。現在でも中国人で本気でアメリカが世界平定を企んでいると思っている人がたくさんおります。
167
:
犀角独歩
:2005/11/05(土) 18:19:48
藤川さんと同意の点があるとは嬉しいですね。
もっとも、わたしのご承知のとおりの出身です。親戚にはその筋の者もいます。
明治には武士だった親父方の祖先は刀をさすことを禁止され、戦後には庄屋だった母方のご先祖は農地改革で土地をみんな取られやむなく東京へ出てきたわけです。所持していた刀はすべて武器弾薬にしてもらうために、軍に納めもしました。父母共に東京大空襲で家財産の一切を失い、父親は特攻隊に志願しましたが、戦争は負けて終わったわけです。
軍人が戦争に勝たんで、何偉そうにご託並べているんだと言いたいわけです。お陰で、こちとら、先祖伝来の財産は失うは、身分は取り上げられるは踏んだり蹴ったりの100年だったわけです。それでも父は特攻隊に志願もしました。
父は風呂に入って頚を洗わないと、すごい剣幕で怒鳴ったもんです。戦争が終わって民主主義になっているのに、祖父から、また、その祖々父から、親から子に伝えられた、いつでも腹を斬る覚悟と、頚を斬られることを覚悟してろというのが親父の口癖でした。
「時代は代わったんだ。俺は仏道だ」と思いきや、風呂に入ると今でも無意識に後頭部の下の頚を洗ってしまう習慣は抜けません。
わたしには、こんな先祖伝来の血が流れています。昨日今日自衛隊になって飛行機乗ってるからって、偉そうなことを言われる筋合いはありません。
不殺生は自戒です。これを破ると決めたら、自爆テロでも、演説中の代議士の刀で叩き斬るぐらい気分は、勿論、持ち合わせています。金や権力に目を眩まして、民を欺く奴は軍人だろうが、代議士だろうが、命を懸けてでも、鉄槌を食らわす覚悟はあります。自衛防衛だとうそぶいて武器を持っても撃てない連中より、必至の一人のほうがやり遂げられることだってあるわけです。正当防衛だ、任務だから殺人じゃないなんて下らないことは言いません。やるときは殺人だと覚悟を決めてやるでしょう。抜刀とはそういう意味ですよ。
しかし、そのうえで、わたしは非暴力、不戦、不殺生だといっているわけです。
日本は同じ黄色人種の住処を奪って成り立ったアメリカなんて侵略者に尻尾を振っていてはいけない。これは民族の恥でしょう。
ですから、165から166に藤川さんが書いてくださったことには、こちらのほうこそ同意する点は多いのです。
しかし、子どものころから骨身に染みた法華精神は、その制動になっているというわけです。
168
:
01
:2005/11/06(日) 20:52:26
ほらほら、独歩さん、ぶっ飛ぶから、みんな引いてるよ。
最近、管理人さんも引いてるね(爆)
169
:
犀角独歩
:2005/11/07(月) 09:42:44
> 168
ぶっ飛んで見えますか。
ご忠告は受け止めておくことにします。
170
:
匿名
:2005/11/07(月) 12:23:56
>自爆テロでも、演説中の代議士の刀で叩き斬るぐらい気分は、勿論、持ち合わせています。
だから、政治家には護衛が必要であり、自転車、電車といった一般庶民と同じ交通手段というわけにはいかないんでしょう。
171
:
匿名
:2005/11/07(月) 13:01:47
でもね、一般の人間だって、常に危機にさらされているよね
なんで政治家だけ特別扱いなわけ?
平等なんでしょう、人間は。
172
:
匿名
:2005/11/07(月) 21:05:50
>171
政治家ゆえにさらされている危機とは、政治的(思想的)暗殺であり、一般国民がさらされている危機とは本質的に違うでしょう。
一般国民と、国政を担う政治家を同列に考えようとすること自体、無理があります。
一般国民がさらされている危機とは、まずは天災であり、治山、治水こそ政治の要諦です。次に人災から国民を守るための治安維持でしょう。これらの危機から国民の生命・身体・財産を守るのが政治家の責務であり、当然、その延長に、軍事的防衛問題も避けられません。
それら全てを包括した国家の安全保障こそ、一般国民がさらされている危機に対担う政治家の責任なわけで、そのような立場の政治家が日常的に暗殺されかねないような政治不安を、国民は本当に望むものなのでしょうかね。
173
:
犀角独歩
:2005/11/08(火) 00:16:13
> 170、172
当然のことでしょうね、それは。
ただし、わたしが言ったのは、日本が大赤字であれば、政治家、公務員は自粛せよということです。また、後者のことは、日本のように暴動もおろかストライキすら起きないような国家で政治家がやりたい放題をし、もはや、これ以上は国家存亡の危機という事態に至れば、命を捨てる覚悟はあるということです。
それは言葉尻をつなぎ合わせて、わたしの投稿の意図を変えて、恣意的に意図をねじ曲げたうえで、批判を加えると言うこと、また、特定のHNも決めず、投稿するようなやり方はフェアではないと思います。
174
:
匿名
:2005/11/08(火) 00:50:59
170、172を投稿した「匿名」です。
「匿名」というHNでは、いけませんでしょうか。
175
:
犀角独歩
:2005/11/08(火) 01:08:10
匿名さん、わたしはここで無駄な言い合いや、感情的な貶し合いはしたくないのです。
もし、あなたが、ちゃんと議論をしてくださるのであれば、HNを決めていただけると混乱はないと思います。
たとえば、読めば見当はつきますが、171の方とあなたは別人でしょうが、同一のHNということになります。
やはり、これはややこしいということです。
173にわたしが「>170、172」としたのは170の方と同じ‘名前’となっているから、それしか書きようがなかったからです。
そういうことです。
176
:
匿名
:2005/11/08(火) 01:48:13
私の希望としては「匿名」ということで投稿にて、ご容赦願いたく存じます。
177
:
犀角独歩
:2005/11/08(火) 09:32:44
> 175
わたしは、了解しました。
有効な議論ができればと存じます。
応答、有り難うございました。
178
:
匿名
:2005/11/10(木) 00:52:48
議論というほどの投稿をするつもりではありませんが、意見しておきたいことはいくつかありました。
まず率直な感想ですが、不戦や非暴力の立場を主張されるにしては、あまりに語気が闘争的で、論調もいささか乱暴で、少々極端な思想性の危うさに、ついつい突っ込みを入れたくなりました。
通りすがり2さんが、気分を害されたというのも、わからないではないところです。
論争を蒸し返すわけではありませんが、これは大事な問題ですので、投稿させて頂きます。
>120
>これは‘徴兵制’の復活が必須要項になることをわかって、国民は賛成しているのでしょうか。
という記述について、通りすがり2さんが、論証を求めたわけですが、今読み返してみましても、この点について、明確にお答えになっていらっしゃらないように見受けられます。
ちなみに、私の見解としては、軍隊=徴兵制が必ずしも短絡的な発想だとは思ってはおりません。
>129で問答迷人さんが書かれているように
>軍隊も持つ事は、徴兵制の可能性が出てくる、と言うが正しい認識であるように思います。
と同じ立場で、将来的に視野に入れておく必要はあると考えます。
ただし、目前に迫るであろう憲法改正で、今の三大義務に加えて兵役の義務が加えられることは、まずないでしょう。
よって、>120の「必須要項」という記述については、「短絡である」というご指摘は頷けるところかと思います。
この点は、如何でしょうか。
179
:
犀角独歩
:2005/11/10(木) 01:07:57
178のご意見には頷けるところがありますが、では、逆にお尋ねしますが、「ない」と断言することはできるのでしょうか。
徴兵制の可能性はまったくないという断言については、少しも問題はありませんか。
わたしは、いまの戦争翼賛者の夢想には国民軍体現荘があればこそ、靖国ありという点を危ぶんでいます。
このわたしの疑いは単なる杞憂に過ぎませんか?
180
:
犀角独歩
:2005/11/10(木) 01:09:40
【179の訂正】
誤)現荘
正)幻想
また、もう一点、付け加えれば、わたしの論調が強すぎると言うのであれば、わたしを貶す論調は強くないというのでしょうか。
わたしは178さんのご発言は公平さを欠いていると思いますが、如何でしょうか。
181
:
犀角独歩
:2005/11/10(木) 01:38:06
たとえば、現行憲法改正から軍隊保持、しかし、兵士に関しては、まったく議論に登ってこない点がおかしいのです。軍隊は、兵士によって構成されるわけですから、この兵士をどのように供給するかという議論があってはじめて成り立つ話です。
ところが、この肝心の部分は、たとえば178さんのように、希望的な一般市民の発言が先行するばかりで当の改憲論者から具体的な話が出ない。この国民にもっとも関係する兵士調達を話題にしないで、うやむやのうちに軍隊を法制化しようという論の進みに信頼性はないとわたしは言っているのです。
最高権力で軍隊を持った政府は、途端に態度を硬化させることは過去のの歴史が物語っています。あまり希望的な観測で甘い議論で、ここで、徴兵制を必須と考える、換言すれば軍隊保持には国民兵士は当然の前提である点をもっと詰めて考える必要があると訴えることがおかしなことであるという善意解釈は、わたしは危険であるといっているのです。
わたしは藤川さんのように、憲法改正から軍隊保持の前提で、国民教育のためにも徴兵制は韓国のようにあってしかるべきよき教育となるというような考えは、軍隊翼賛論者の本音である正直な意見であると思います。
具体的にお尋ねしますが、憲法改正後の軍隊は、では、どのような人々によって構成されるのですか。その点について論じた案件でもけっこうですからご紹介ください。
182
:
匿名
:2005/11/10(木) 01:49:28
>179
繰り返しになりますが、>178に記述したように、
軍隊=徴兵制が必ずしも短絡的な発想だとは思ってはおりません。将来的に視野に入れておく必要はあると考えるわけですから、当然、「ない」とは言いません。
ただし、「必須要項」と定義できるものではないというこです。
揚げ足をとるわけではありませんが、表記について少々神経質に追求したまでです。
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