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素朴な疑問

3026犀角独歩:2006/12/12(火) 08:30:51

問答さん

もはや、水掛け論のような体を為していますが、問答さんの論法は、功徳を具することと観心を混同することによって、その結論を敢えて枉げていると思います。

では、どのように枉げているのか。それはご自身の漫荼羅を本尊とする日蓮没後以降信仰から読むということに、その原因があるとお見受けします。つまり、固定観念から遺文を読むために、ご自身の望む形に遺文が見えてしまっているということです。

これは恰も、創価学会は「仏とは生命のこと」「仏教は生命を説いている」と教え込まれ、固定観念化した眼から見ると、仏典も、遺文も、生命を説いたものと読めてしまうことと同様のことと観察されます。

しかし、考証とは、確実な資料を素直に読むことによって、事実を見ていく作業ではないですか。

本尊によって観心をした。これは日蓮が漫荼羅を確立した以降のことであれば、その信徒ができることです。しかし、『本尊抄』が書かれたころの日蓮は、漫荼羅の試行錯誤を始めたばかりの時期に当たります。拝んでいたのは伊東流罪已来の持仏の釈迦一体像。心血を墨に替え書き込みをしていた注法華経は所持していたでしょうか。梵音声として、寓居に安置した仏像の前に置かれていたことでしょう。また、日蓮の門下との関わりは毎月の大師講を中心とし、さらにしばしば止観を読誦していたことが記されています。

これが『本尊抄』記述の、真蹟から窺える背景です。
この状況で、日蓮が本尊と呼ぶものがあったら、それはまさに生死を共にした釈迦一体像をおいては考えられません。この一体像に向かい唱題をされ、日々、所持された経釈に眼を晒されていた姿が彷彿とします。しかし、この結論は、漫荼羅正意という信念体系から受け容れがたいことでしょう。そのために、自分の欲する‘結論’から遺文を読んでしまうのが富士の所論でした。批判というわけではありませんが、問答さんの言説からも、そのような側面を、わたしは感じます。

止観は禅の指南書であり、その記述の従って行ずるところに一念三千の観法があります。ここで己心仏界を見ることは至難なことですが、この書を通じれば、そのことを確信できます。これは、わたしが、ということより、天台を師と仰ぐ人々であれば、誰しも感じることでしょう。このことは日蓮にしても同様でしょう。日蓮は天台沙門であったし、比叡山に法華六大部を学んだ学僧でもあったのでしょう。となれば、日蓮は、天台妙楽の釈を頼りに法華経に信行学を立てたのでしょう。

その天台宗と決別を意識され本朝沙門の自覚に至った日蓮はしかし、天台と決別したわけでもなく、止観と決別したわけでもありません。講ずるところは、終生、法華経であり、止観その他の天台妙楽の釈であったでしょう。

その日蓮が観心本尊というとき、本尊(妙法蓮華経)で観心したという論調は、事実に沿ったものとは思えません。それは、一念三千の観法を、止観をもって試みたことがある人であれば誰しもわかります。止観なくして、己心仏界など思いもよらないからです。妙法蓮華経の五字を眺めたところで、そんな結論は出ません。南無妙法蓮華経と口ずさみにしても同様です。

止観という明鏡があってはじめて可能なことです。この点は‘人間’日蓮も同様でしょう。先人と同じように己心仏界を止観という明鏡をもって知ったのです。日蓮は特別な人だから妙法蓮華経を本尊であるとわかり、己心仏界をわかることができるというのは、事実の前には、荒唐無稽の理想化された日蓮像ではないでしょうか。

では、天台が三千に思い至れたのは妙法蓮華経の五字かといえば、これも違います。方便品の諸法実相十如是によるでしょう。つまり、法華経典に依ります。

以上のような事実から考えて、『本尊抄』の段階で、日蓮が妙法蓮華経を本尊として、己心仏界に至ったなどということは時系列を反映しているとは思えません。止観の明鏡によって己心仏界を観じ、そこから末法当機の本尊を考えるに至ったという道筋であると考えます。

3027問答迷人:2006/12/12(火) 09:41:43

犀角独歩さん

>その日蓮が観心本尊というとき、本尊(妙法蓮華経)で観心したという論調は、事実に沿ったものとは思えません

本尊抄執筆は52歳、立宗は32歳。この段階で既に20年間、妙法五字を唱え続けておられるわけです。この事実は動きません。それでは一体、何の為に唱えておられたのでしょうか。単に化他の為だけで唱えられたのでしょうか。独歩さんのお考え通りとしたら、この20年間の蓮師の修行・言動は極めて不可解です。

>もはや、水掛け論のような体を為しています

そのようですね。とりあえず、このあたりで中断する事とします。

3028天蓋真鏡:2006/12/12(火) 11:15:40
漫荼羅の本意を考える時「法華経の題目を本尊として唱題する事は動かない」が「シャカを三徳を具備する(本)仏と見ると、観心(無始古仏)&題目 (注法華経)&本門(一尊四士)を志向せざるをえない」と言う事でしょうか。 シャカ本仏論≒漫荼羅本意論≒皆成仏道論は成り立ちますか。

3029犀角独歩:2006/12/12(火) 11:36:55

問答さん

唱える・唱えないの話ではないでしょう。
ここでもまた、日蓮を事績を唱題のみとして、他を差し置いていませんか。
『十章鈔』には以下のとおりあります。

「止観に十章あり。大意・釈名・体相・摂法・偏円・方便・正観・果報・起教・旨帰なり。前六重依修多羅と申て、大意より方便までの六重は先四巻に限る。これは妙解迹門の心をのべたり。今依妙解以立正行と申は第七の正観十境十乗の観法、本門の心なり。一念三千此よりはじまる。
一念三千と申事は迹門にすらなを許されず。何況爾前に分たえたる事なり。一念三千の出処は略開三之十如実相なれども、義分は本門に限。爾前は迹門の依義判文、迹門は本門の依義判文なり。但真実の依文判義は本門に限べし。
されば円の行まちまちなり。沙をかずえ、大海をみる、なを円の行なり。何況爾前の経をよみ、弥陀等の諸仏の名号を唱をや。但これらは時々の行なるべし。
真実に円の行に順じて常に口ずさみにすべき事は南無妙法蓮華経なり。心に存べき事は一念三千の観法なり。これは智者の行解なり。日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととなえさすべし。名は必体にいたる徳あり」
ここで一念三千は止観にあり、南無妙法蓮華経を唱えることによって体にいたる徳ありといいます。日蓮は、単に題目だけを唱え得ていたわけではありません。また、信者も本尊に向かって、観法していたわけではありません。この事情は、文永10年の段階でも、さして変わってはいないでしょう。

3030問答迷人:2006/12/12(火) 14:30:14

犀角独歩さん

>「心に存べき事は一念三千の観法なり。これは智者の行解なり。」

日蓮は自分で自分の事をはたして「智者」と言うのだろうか、と思いました。「名字凡夫僧」を標榜された蓮師と「智者」との自称とは馴染まない様に感じます。他の真蹟で類似表現をご存知でしたら、ご教授戴ければ幸いです。

3031犀角独歩:2006/12/13(水) 08:06:07

問答さん、おはようございます。
日蓮における智者の用法は、主に天台智邈を指すようですね。「一閻浮提第一の大智者たる舎利弗」とも言います。対語としては愚者、順位としては、聖人・賢人・福人・智者、さらに智人といったところでしょうか。

さて、自身を指していったかどうか『清澄寺大衆中』に若い頃を述懐されて「日本第一の智者となし給へと申せし事」といい、満願したわけですから智者の自覚ではあったと思います。晩年はさらに聖人の自覚に至ったわけですね。『十章鈔』の用法から見ると智者は在家を簡ぶようで、‘出家’というのが大前提のように思えます。

守護国家論「智者の由を称するは自身を重んじ悪法を扶けんが為なり」「天台智者大師」「権教には学者多く、実教には智者少なし」
顕謗法抄「天台智者大師」「一念三千の法門は天台智者の法門」
南条兵衛七郎殿御書「天台智者大師」
薬王品得意抄「天台智者大師の釈」
法華題目抄「「天台智者大師」「法華経を智者大師」
法門申さるべき様の事「仏天智者の御眼」
十章抄「「心に存ずべき事は一念三千の観法なり、これは智者の行解」「当世に開会を心え(得)たる智者も少なくこそをはせすらめ」「愚者は智者の念仏を申し給ふをみ」
寺泊御書「天台智者大師」
善無畏抄「智者にて御坐せし」「智者大師」
八宗違目抄「「智者 天台なり」
開目抄上「我が天台智者」「陳隋の智者大師」「華厳・真言等の権宗の智者とをぼしき、澄観・嘉祥・慈恩・弘法等の一往権宗の人々」
開目抄下「華厳経乃至諸大乗経・大日経等の諸尊の種子、皆一念三千なり。天台智者大師、一人此の法門を得給えり」「法然智者ならば」「智者に我が義やぶられずば用ひじとなり」「諸経は智者猶仏にならず。此の経は愚人も仏因を種ゆべし」
祈祷抄「智者は麟角よりも希ならん」
木絵二像開眼の事「智者あって法華経を読誦して骨の魂となせば、死人の身は人身、心は法身」「華厳・方等・般若の円をさとれる智者は、死人の骨を生身得忍と成す」「法華を悟れる智者、死骨を供養せば生身即法身なり。是を即身といふ」
如来滅後五五百歳始観心本尊抄「智者の弘法三十年」「真旦の智者大師」「天台智者大師」「比叡山竜象の如くなる智者ども」
法華行者値難事「天台智者大師」
聖密房御書「天台智者大師」
可延定業御書「日輪のごとくなる智者」
曽谷入道殿許御書「法蔵・澄観は華厳宗を置いて智者に帰す」「陳・隋の比、智者大師」
依法不依人御書「天台智者大師」
不如治大悪御書「今の智者万善を勧めしむるよりは一大悪を治するには如かず」
法蓮抄「「智者」
一谷入道女房御書「師のごとくひろ(弘)めなら(習)う人々を智者とはをも(思)へり」
撰時抄「天台智者大師」「智者大師」「天台を讃して云はく『思禅師・智者等の如き』」「天台真言の智者」「日本国のそこばくの智者ども」「智者」
三三蔵祈雨事「日本国の智者」「漢土・日本の智者」
大学三郎殿御書「智者大師」「智者と尊む」
高橋入道殿御返事「国中の智者げなる持戒げなる僧尼」
太田入道殿御返事「智者大師」
減劫御書「智者」
清澄寺大衆中「日本第一の智者となし給へと申せし事」
王舎城事「聖人・賢人・福人・智者」
兄弟抄「第六天の魔王が智者の身に入って善人をたぼらかす」「智者大師」
報恩抄「大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきわめ、智者とならで叶ふべきか」「漢土に一人の智人あり。始は智邈、後には智者大師とがう(号)す」「天台已前の百千万の智者」「慧観・慧厳・僧柔・慧次なんど申せし大智者」「智者大師」「智者なんども常の智人はしりがたし」「百余人の智者」「阿弥陀堂加賀法印、東寺第一の智者」「持戒の聖人も、富楼那のごとくなる智者も」「愚者と智者」
種々御振舞御書「天台智者大師」
一代五時鷄図「伝教大師…智者」「智者」
上野殿御返事「智者」
下山御消息「世間に智者」「智者賢王」「一閻浮提第一の大智者たる舎利弗」
富木殿御書「智者」
衆生身心御書「智者」「像法の中の陳・隋の代に智邈と申す小僧あり。後には智者大師とがう(号)す」「漢土日本に智者多しというとも」
千日尼御前御返事「天台智者大師」
大学殿事「智者疾を現じ」「智者」
日眼女釈迦仏供養事「天台智者大師」
滝泉寺申状「一閻浮提第一の智者」
諸経と法華経と難易事「天台智者大師」
大田殿女房御返事「天台智者大師」
上野殿御返事「智者も愚者も」
智妙房御返事「わわく(誑惑)のやつばらの智者げ」
越州嫡男並妻尼事「智者」

3032犀角独歩:2006/12/13(水) 09:13:16

> 「名字凡夫僧」を標榜された蓮師と「智者」との自称とは馴染まない

とのことですが、わたしは名字凡夫が智者ではないという論法は、よくわかりません。先に挙げましたが『報恩抄』に「大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきわめ、智者とならで叶ふべきか」とあります。智者でないと報恩は叶わないというわけで、自ら報恩を勧める日蓮が智者でなければ空文となります。日本第一の智者としての自覚が唱題の勧めとなった考えたほうが自然ではないでしょうか。

ついでにもう一点。富士門下において、止観がなぜ軽視されるのか、それは、日蓮没後に捏造されていった相伝文などに原因があると思います。

「天台の漢字の止観を見て、眼目を迷はし心意を驚動し、或は仮字を漢字と成し、或は「止観明静・前代未聞」の見に耽(ふけ)りて本迹一致の思ひを成し、我が内証の寿量品を知らずして止観に同じ、但自見の僻目を本として予が立義を破失し三悪道に堕つべし」

けれど、日興作である証拠のない『遺誡置文』の

「当門流に於ては御抄を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞くべき事」

という如く、当初はもっと緩やかであったと想像されます。
遺文の重視は、日興に見られるところでしょうが、やがて、遺文は止観を凌駕していった爪痕が、上に引用した『本因妙抄』等に散見されます。
しかしながら、止観の重視は、むしろ、日蓮の特徴なのであって、真蹟遺文でざっと数えただけでも100近い使用が見られます。

また日寛の但行唱題といった解釈を日蓮の教えだと思うと、日蓮が止観などの学問を自らもしたにも進めていた実像がかき消されます。しかし、「止観云」とたびたび引用する日蓮が止観を廃していたなどとはとうてい思えません。むしろ事態は逆です。廃されていたものがあるとすれば、それは参禅ではなかったでしょうか。資料名を失念しましたが、日蓮出現前夜の比叡山では、参禅は廃れていたといいます。このような背景は、むしろ、称名念仏が流行る素地となったのかもしれません。次いで称名流行という背景は、唱題を受容する役割となったとも云えるかもしれません。

いずれにしても日蓮遺文は、弟子僧と入道といった学識のある‘智者’との熱心な経釈学習という日常の所作があり、そこから手紙の遣り取りであると見ないと、「日蓮の風景」は見えてきません。

3033問答迷人:2006/12/13(水) 10:22:52

犀角独歩さん

お手数お掛けしました。ありがとうございます。

>いずれにしても日蓮遺文は、弟子僧と入道といった学識のある‘智者’との熱心な経釈学習という日常の所作があり、そこから手紙の遣り取りであると見ないと、「日蓮の風景」は見えてきません。

この点は、全く賛同します。何ら異存ありません。

>止観がなぜ軽視されるのか、

この点に付いては、治病大小権実違目に蓮祖が次の様に述べられている教義に起因すると思います。「一念三千の観法に二あり。一には理、二には事なり。天台・伝教等の御時には理なり。今は事なり。観念すでに勝る故に、大難又色まさる。彼は迹門の一念三千、此は本門の一念三千なり。天地はるかに殊なり」

3034犀角独歩:2006/12/13(水) 20:15:44

問答さん

この一念三千の理事と止観をどのような関係でお考えになっていらっしゃいますか。

3035問答迷人:2006/12/13(水) 21:46:30

本尊抄に「像法の中末に観音・薬王、南岳・天台等と示現し出現して、迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して、百界千如、一念三千其の義を尽くせり。但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊、未だ広く之を行ぜず。」とあります。この文に依って

止観→理の一念三千

南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊→事の一念三千

という関係であると拝しています。

3036犀角独歩:2006/12/13(水) 23:18:36

問答さん

やはり。富士方で教学をすると、そのように考えることになりますね。
本迹は止観ではなく、法華文句に載るところです。
また、引用された『治病大小権実違目』の論理構造は以下のようではないでしょうか。

迹門:理:(方便)百界千如、一念三千其の義を尽くせり
本門:事:南無妙法蓮華経の五字並びに(寿量)本門の本尊

ここで、特に止観を簡ぶ理由は見当たらないと思いますが、如何でしょうか。

3037犀角独歩:2006/12/14(木) 08:46:55

【3036の訂正】

誤)富士方で教学をすると
正)富士方の教学ですると


『四信五品鈔』に「妙法蓮華経五字非経文 非其義 唯一部意耳。初心行者不知其心 而行之自然当意也」とあります。『治病大小権実違目』とあわせて考えると以下の関係になると思います。


┌──┬──┬──┬─┬─┬──────────┬──┬────┬───┐
│像法│天台│迹門│理│義│百界千如、一念三千 │禅 │    │方便品│
├──┼──┼──┼─┼─┼──────────┼──┼────┼───┤
│末法│日蓮│本門│事│意│南無妙法蓮華経の五字│唱題│本門本尊│寿量品│
└──┴──┴──┴─┴─┴──────────┴──┴────┴───┘
(図が乱れるときはhttp://www.geocities.jp/saikakudoppo/msfont.html

3038問答迷人:2006/12/14(木) 10:13:01

「百界千如、一念三千・禅」これは天台によつて「止観」に説かれます。
「南無妙法蓮華経の五字・唱題」これは日蓮によつて「観心本尊抄」に説かれます。

やはり、僕の頭では、どう読んでも、「止観」を簡んでいるとしか思えませんが・・・

3039犀角独歩:2006/12/14(木) 10:27:18

問答さん

『本尊抄』は『摩訶止観』によって書かれています。
その結果、日蓮は唱題行を採りました。けれど、天台は禅でした。
問答さんが仰っているのは、行の部分でしょう。

また、止観と本尊抄を比較することはできないでしょう。
最高位は法華経、ついで止観、そして、日蓮の著述。この順位は崩せません。
ただし、末法適時の行としては、禅ではなく、唱題であるということではないですか。

学として考えたとき、天台当時も、日蓮当時も、出家は止観を学んでいます。
そのことはいまもって、同様でしょう。学ばない僧侶がいれば、それは怠慢なだけでしょう。

こんな基本のことで、同意が得られないことを実に不思議に思います。
行と学、出家と在家、それらがごちゃ混ぜになっていませんか。

3040問答迷人:2006/12/14(木) 11:03:49

犀角独歩さん

>問答さんが仰っているのは、行の部分でしょう。

そうです。「摩訶止観」は「禅」の指南書だと認識しています。この認識が正しければ「行」についての指南書という認識で良いと思いますが・・・。

本尊抄は、「唱題」という「行」についての指南書であると認識していますから、止観と本尊抄を比較することは可能だと考えています。

3041犀角独歩:2006/12/14(木) 17:54:16

問答さん

では、『本尊抄』において、なぜ、『摩訶止観』が引用されているのでしょうか。

3042問答迷人:2006/12/14(木) 18:22:13

犀角独歩さん

>『本尊抄』において、なぜ、『摩訶止観』が引用されているのでしょうか。

本門の事の一念三千を説くために、先ず、迹門の理の一念三千を示されたのだと思います。

3043再挑戦者:2006/12/14(木) 20:52:06
 済みません、、。 何ゆえに「マカシカン」が重要視されるのでしょか、?
 やはり、、流れを無視・不可でしたでしょうか、、? 本佛さまならば「、、ショウムナイことはお見通しでしたでしょう、、」??
 しかるに「日蓮」、、といえど、「、、凡人、、??」、、かも知れません、???、、!!!

3044犀角独歩:2006/12/15(金) 00:10:25

問答さん

何度か申し上げたところと思いますが、最近の問答さんの論調は、挙証が曖昧です。引用されるところも、ご自身の考え … というより、富士方の学び … 文を取り違えていると、わたしには思えます。

話が、横に滑ってきていますが、ともかく、いまの議論は、日蓮は止観を軽視したということになってきています。この点はしかし、事実と違うとわたしは申し上げました。一つ、端的な証拠を挙げます。日蓮の晩年、弘安2年卯月、身延の山中での書です。

「我が身は釈迦仏にあらず、天台大師にてはなけれども、まかるまかる昼夜に法華経をよみ、朝暮に摩訶止観を談ずれば、霊山浄土にも相似たり、天台山にも異ならず」(松野殿女房御返事)

以上のように記されています。これでも、日蓮は止観を軽視していたことになりますか。止観を簡んでいますか。

> 「摩訶止観」は「禅」の指南書だと認識しています。この認識が正しければ「行」についての指南書という認識

章安は当然、そのつもりでまとめたのでしょう。しかし、この行の部分を日蓮は唱題と改案したということでしょう。天台法華宗の人々は止観を学んで禅を行じ、日蓮法華宗は止観を学んで唱題を行じた差です。

> 止観と本尊抄を比較できる

この点の根拠は、たぶん引用された『富木入道殿御返事』(治病大小権実違目)の「一念三千観法に二あり。一理、二事なり。天台・伝教等の御時には理也。今は事也。観念すでに勝る故、大難又色まさる。彼は迹門の一念三千、此は本門一念三千也。天地はるかに殊也こと也」に根拠を求めているのではないかと、想像します。

ここで、問答さんは理・一念三千は天台・止観、事一念三千は日蓮・本尊抄だというわけです。しかし、一念三千観法とはまさに止観なのであって、その相違は、前項に述べたとおり、行法にあります。止観は簡ばれるのではなく、唱題のための釈証となっているのでしょう。日蓮が終生、止観を講じ続けたことは、先に挙げた『松野殿女房御返事』からわかることです。また、先に問答さんが引用された「不見法華経並天台大師所述摩訶止観等明鏡 不知自具十界百界千如一念三千也」の一節からわかるとおり、日蓮は止観を明鏡として重視しています。(‘等’が本尊であるという挙証は畢えておられませんね)

問答さんは、止観か・本尊抄かという二者択一を考えているようですが、これは択一するものではなく止観によって本尊抄があるという関係です。まったく止観は簡ばれていません。

> 本尊抄は、「唱題」という「行」についての指南書

これも事実と相違していませんか。
本尊抄とは、観心本尊と本門本尊を勘えた書であって、唱題の指南書ではありません。その証拠に、この書の中に「唱」「唱題」に類する説明はただの一カ所も出ていません。それとも、これまた、証なきところを言わざるを得ません。

3046問答迷人:2006/12/15(金) 07:07:05

犀角独歩さん

>止観を学んで禅を行じ、日蓮法華宗は止観を学んで唱題

止観には座禅の作法が事細かく述べられていると理解していますが、唱題の作法についても述べられているのでしょうか。そうでなければ、「日蓮法華宗は止観を学んで唱題」というのは、無理が有りませんか。唱題はあくまでも、蓮祖の教えによると思いますが。


>観心本尊と本門本尊を勘えた書であって、唱題の指南書ではありません。

それではお聞きいたします。蓮祖は観心本尊をなんの為に勘えたのでしょうか。また、「妙法五字の受持」「事行の南無妙法蓮華経」とはどのような内容であるとお考えでしょうか。これらはいずれも唱題の為か、或いは唱題を意味していませんか。

3047犀角独歩:2006/12/15(金) 07:39:40

問答さん

> 「日蓮法華宗は止観を学んで唱題」というのは、無理が有りませんか

これは、意味とを取り違えていらっしゃるのでしょう。
日蓮が朝暮に講義する止観等の天台学を学びながら、行としては、唱題にいそしんだと言うことです。

日蓮が「止観を簡んだ」証拠を挙げてください。

> 唱題の為か、或いは唱題を意味していませんか。

では、反対にお聞きしますが、本尊抄のどの文が、唱題を意味しているのでしょうか。拡大解釈、類推的決めつけではなく、明確に該当する文を挙げてください。

むしろ、経・釈・書を挙げて、挙証をすべきは、問答さんのほうではないでしょうか。

3048問答迷人:2006/12/15(金) 08:37:15

犀角独歩さん

>挙証をすべき

平行線だと思いました。もう、何も申し上げる事はありません。

3049犀角独歩:2006/12/16(土) 08:13:56

問答さん

平行線というより、御説に関して、挙証未説と承っておきます。

わたしはいくつか図形化を試みましたが、このような整理をしていて気づくことは、日蓮の教説は実に簡潔で整合性が採れていることです。論理的も美を尽くしています。だからこそ、図形化が容易だという側面があります。

その日蓮の論理的整理を掴んでかかれば、理として詰まらず、挙として挙げざるはなしという実感を懐いています。

3050犀角独歩:2006/12/16(土) 08:48:10

【3049の訂正】

誤)その日蓮の論理的整理を掴んでかかれば、理として詰まらず、挙として挙げざるはなしという実感を懐いています。

正)その日蓮の論理的整理を掴んでかかれば、理として詰まらず、証として挙げざるはなしという実感を懐いています。(もちろん、日蓮の論法という範疇での話ですが)

3051しゅんかん:2006/12/18(月) 21:01:27
問答迷人さんお久しぶりです。
独歩さんとの論議に一段落着かれた様なので書き込ませて頂きます。
2920にて誠にご丁寧なおことば有難うございました。
大変な時間等を費やし折伏と言うものを行っておいて、自分は考えが
変わったから知りませんなんて事は無いだろうなあと、
その様な行為は何か無責任な感じを抱いてしまいますのでお聞きさせて
頂きました。
私は、人間と言うものは何らかの意味付けをしなければ何も出来ない動物
だと考えています。
例えば、店に行って商品を買う時(選択する)何がしかの意味付けをします。
歯を磨くのも、デートをするのも、仏壇の前に座るのも、ダイエットをするのも、
正月を迎えるのも、この様に板に書き込んでいるのもです。
意味付けをしなければ人は動きが取れなくなります。
でなければ自動販売機の前で固まってしまいます(早よ買えっちゅうねん、と
喧嘩になります)これはいけません。
折伏の対象者は事物の判断の出来る人だと思います。
つまり大人ですね。大人(二十歳以上を指していません)とも成りますと
そこそこ人生を経験しておられます。
自分はかくかくしかじかの物だとか、このような時はこうする
ものだとか、私は男だから(女だから)等です(しかしこれらは非常に不安定な
ものです、なぜなら人間は現実を直視出来ない生き物だと考えているからです)
折伏=今までの貴方の考え方(生きて行く術)を変えなさい。
といった所が内在されていると思われます。
先にも少し触れましたが、人間は生きて行くのが非常に不安定です
(これでいいのか?嫌われないないだろうか?躓かないだろうか等々)
不安定なところに新たに折伏されると言う未知の不安定要素が入り込んで
来て七転八倒の末受け入れたら自分に勧めた相手は何の報告も無く、
そそくさと居なくなってしまうのはあんまりだなあと思ってお聞き
したしだいであります。



(ちょっと大きく出ましたねヘヘヘ)

3052天蓋真鏡:2006/12/22(金) 22:45:52
日蓮の弟子の一人・日興は身延の貫首で導師を仰せつかったのでしょうか?漫荼羅の事、堂宇建立の事、ブレが多いのでは無いかと感じます。 《日蓮聖人の花押は前半不動、後半法華(ポロン)だそうです。》  教学大系に纏められていなかった事が、墓輪番制等を崩壊させた一因でしょうか。結果論で見れば「信じさせ給え」の漫荼羅が、成仏得道の基軸であっても可笑しく無いと想います。本尊(仏像)+戒壇(漫荼羅)+題目(法華経典)の三位一体で法華一乗に臨む。

3053犀角独歩:2006/12/23(土) 08:04:09

> 花押は前半不動、後半法華(ポロン)

違うと思います。

3054パンナコッタ:2006/12/23(土) 18:48:16
梵字に関しては、こちらのサイトがたぶん一番とっつきやすいと思います。
 http://www.tctv.ne.jp/tobifudo/bonzisyo/bindex.html

3055犀角独歩:2006/12/23(土) 23:38:08

パンナコッタさん、このサイト、わたしも愛読しています。

3056パンナコッタ:2006/12/24(日) 12:25:23
通常、蓮祖漫茶羅の向かって右が不動・右が愛染(例外もあり)、花押初期がバン
後期がボロン。 天蓋真鏡さん、ぜひ引用したサイトで形状を確認してください。


独歩さん、
梵字・花押に関してブログとの兼ね合いのところもありますが、元亀三年の妙本寺文書
日我授御判之筆法にでてくる「或時ニハキリク阿ミ陀字ヲ為 正ト」あたりをみると、
この時点で蓮祖から伝えられた直の相伝(この手の意味合いについて)は、ほとんど
無くなっているように思えますね。 御義の成立時期にも当たりますし、
むしろ直の相伝など日興のヘナヘナ不動の形状や、独歩さんが今試みられている
空間的な捉え方が弟子達には理解されていないような感じですね。
後代に無理矢理、陰陽道を当てはめるような事をしていますし、
極論ですが、初めから蓮祖の相伝など無かったんじゃないかと思えますね。

3057パンナコッタ:2006/12/24(日) 12:28:26
失礼、
 右が不動、左が愛染 です。(両愛染もあるけど)

3058天蓋真鏡:2006/12/24(日) 18:19:05
①書き出し母字バン字 ②終筆鍵手 ③バン字からポロン字 ④終筆蕨の穂先のような渦巻 ⑤一気筆運び蕨手 【シャクソンから法華経を本尊とする】

3059天蓋真鏡:2006/12/24(日) 19:07:58
パンナコッタさん、梵字サイトのバンとボロンに相当するかと見えます。

3060犀角独歩:2006/12/24(日) 20:50:39

パンナコッタさん、有り難うございます。
日我の相伝文は考慮していませんでした。
キリークですか、なるほど。これは面白い。

ただ、パンナコッタさんがご紹介くださったサイトの用語を使えばキリーク「右横に点々」が、では、花押のどの部分に当たることになるのかという点が読めないのです。
この点はボロンでも同様で一番右の「<」型の点が、では、花押のどこに当たるのだろうかで、頷けないわけです。

弘安元年から変わる花押のデザインは、しかし、その後、5年間、一定であるというより、前期はア字の如く、中期はボロンの如く、晩期には闊達になりすぎて原形を読み取るのが困難という変遷があります。ロールシャッハ・テストではありませんが、いったん、見えてしまった形が、頭にインプットして見ると、どうしても、そのように見えてしまうという視覚錯覚の側面も考慮しなければならなりませんよね。

わたしは当初、タラーク(虚空蔵菩薩)だと思ったのですが、すると、キリークと同様「右横に点々」の説明が付かないので躊躇いが出ました。

一往、ア(不軽菩薩)ではないかと‘仮設’したわけですが、もちろん、断定ではありません。山川師の‘ロールシャッハー’をいったん離れ、自由に、考えてみるという試みです。

山川、田中の亡霊に、21世紀になってまで、振り回されるのはゴメンという気持ちと、興風などというのは、「本弟子六人」と、当の日興が筆記した日蓮の意に反するという思いもあります。これらの権威を、ちょっと、いったん、横に置いて、自由に考えたいという気分があります。

殊に、談所への敬意は、はっきりと彫刻本尊の偽造を論証し、日興正嫡という偏向を停め、日蓮本仏も否定したあとでの話です。あと、坊さんでないのであれば、坊主頭と法号もやめたほうがいいですよね。坊さんならば、四弘誓願をしっかりと唱え、「愚痴の在家にお導きを」と申し上げたい。

まあ、こんなことを記すので、「坊さん」から憎しみを買うわけですが、折伏批判、田中智学批判をやると、途端に目の色が変わる人というのは、富士門下のみならず、田中の信念体系下でも同様で、大同小異、まるで変わらないという印象を懐いたここ半年でした。

もちろん、これはパンナコッタさんに申し上げているわけではありません。失礼しました。
ご教示につき、御礼申し上げます。

3061犀角独歩:2006/12/24(日) 21:26:05

大事な点を書き落としました。

> 初めから蓮祖の相伝など無かったんじゃないか

このご意見、大いに賛同します。
特に石山が歴代と呼んでいる蓮・興目道行時(阿が抜け)影有の本尊を、一つ不動梵字だけ取ってみても、まるで一貫性がありません。
この点は『日蓮と梵字』(6)で書きました。

それにしても、富要に堂々と本尊相伝を載せながら、頒布する印刷本尊は、その相伝と不一致、また、彫刻本尊とも違うわけです。本尊頒布につき、石山も、学会も、顕正会も、正信会も、もっと真面目に考え、責任を取らなければいけませんよね。

3062しゅんかん:2006/12/26(火) 20:01:53
独歩さん叉、お願いできますか。
① 数珠の持ち方ですが、多くの情報物を見てみましたが。
 梵天三つ(左)二つ(右)となっております。
 正宗系に於いては、逆ですね。
 私の記憶が正しければ、約35年以前では正宗系も梵天三つが(左)
 だったと思います。ある日、母から(今日から今までと反対の持ち方に
 しなさい)と言われた記憶があります。
 私の記憶が正しとすれば、この経緯をご存知ですか。
 先月、要山系のお寺へお会式に参加いたしましたが(左)三つと
 見受けられました。
② 独歩さんは本尊の奉安様式において一尊四士(二尊四士)とおっしゃっ
 ておられますよね(曼荼羅のみは良しとしないと)
 私が幾つか足を運んだ仏具店では(一塔両尊)や(曼荼羅に鬼子母神と
 大黒天)と言います。四士像は無いですと言う答えが返ってきます。
 どの仏具店でも(一塔両尊)や(曼荼羅に鬼子母神・・)で祀るのです
 と言われます。(口調としてはこうするものです言った感じです)
 ネット上で真門流のお檀家の仏壇が載っていましたが、四士像を奉安
 していました。独歩さんも四士像を奉安されているのですか?
 叉、(一塔両尊)や(曼荼羅に鬼子母神・・)は関西圏に多く見られる
 物でしょうか?宜しくお願い致します。

3063犀角独歩:2006/12/27(水) 09:39:29

しゅんかんさん

> ① 数珠の持ち方… 梵天三つ(左)二つ(右)

そうですね。ただ、日蓮宗では、読経などでは二つ輪にして左親指にかけます。

> 正宗系に於いては、逆ですね。

これは「学会が」ということでしょうね。

> 約35年以前…ある日、母から(今日から今までと反対の持ち方に
 しなさい)と言われた記憶

この点は、わたしも共有しています。
第一次紛争(所謂・52年度路線)で、学会が宗門から修正を求められた点の一つです。当時、わたしの地域では、それまで学会が逆にかけていた理由を「牧口先生が、御授戒の際に、日亨上人がかけていた数珠を、両手を差し出されてかけてもらった。向かい合っていたので、左右が逆になった…」などと言っていました。公式見解ではなく、口コミでした。

なお、石山系では、左右の大きな珠を親珠(父珠・母珠)といい、四つの小さな珠を四菩薩といいます。また、母珠に付される小さな珠を「心一境法性珠」といい、これは二房側に付いています。

ただし、数珠の形が左右、二房・三房になったのは、近代のことです。
以下、富要に載る図です。(ジャンプしないときは、アドレスバーにコピペしてください。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/_geo_contents_/juzu.gif

> ② 独歩…本尊の奉安様式において一尊四士(二尊四士)

この点は、一般の家庭での話ではなく、四菩薩が出現して立てる仏像奉安のことです。

> (曼荼羅のみは良しとしないと)

是としないというか、日蓮が漫荼羅を拝んでいた形跡がないということです。
真蹟遺文から見る限り、授与した漫荼羅を奉安し、仏像を拝むようなことはさせていた形跡も感じられないということです。
パンナコッタさんもご指摘なさっていましたが、日蓮は一体像を拝んでいたことは明白です。

> 仏具店でも(一塔両尊)や(曼荼羅に鬼子母神・・)で祀る

地域差があることだと思います。関東では、むしろ、漫荼羅で、プラス祖師像というのが一般的だと思います。

> 独歩…四士像を奉安

わたしは楠山泰道師がお手書きなさった曼荼羅二幅を頂戴し、かつ、中村行明師がインドから招来された仏像も頂戴しています。ですから、一方は曼荼羅の前に釈迦座像、もう一方は曼荼羅の前に二体の仏像といった形です。
ただし、これは信仰上の信念に基づいて、ということではなく、頂戴した以上、不敬に扱うことはできず、そのようにお飾りしているということです。

> (一塔両尊)や(曼荼羅に鬼子母神・・)は関西圏

このお話は、関東のわたしには、むしろ、新鮮な響きがあります。
わたしの交友では、自宅に一塔両尊四士を奉安されているのは、中村行明師お一人です。

3064犀角独歩:2006/12/27(水) 10:23:18

三学無縁さん
モーニングさん
藤川一郎さん

昨日は、どうも。
「櫻井よしこを読まずに批判している」という決めつけには驚きました(大笑)

わたしが櫻井氏の感覚を問題にするのは、防衛大学校教授の村井友秀氏を肯定的に捉えた軸から中国問題を論じているからです。
何故か、この教授をもって他国侵逼難をプロパガンダしているもう一人いるからです。言わずとしれた顕正会の浅井さんですよ。
同じ石山系で社会的影響力がある人物が村井氏を軸にして中国を語り、日本の軍備増強を語ることに問題を感じるということですよ。

http://blog.yoshiko-sakurai.jp/2006/05/post_437.html

かつてオウムは中沢氏の論調を大いに利用した。統一協会は島薗氏でした。
今回は村井氏から櫻井氏、それが一方で布教に悪用され、一方では軍需利権に塩を送る形になっています。

愛国心から自国防衛を考えるのは、結構なことですが、政治家連中のいう軍備増強は、結局のところ、軍需産業にまつわる利権が本音にあるのであって、その利得を肯定するために愛国家ぶっている構造がそこにあるわけでしょう。自ら武器を手にとって国を守る話ではなく、武器を持たせて自分を守らせる論法を、わたしは虚しいと言っているのですよ。

それが法華講であれば、では、石山信徒は国を守るために兵士になるのか、自衛省を奨励する公明党を支持する創価学会は、会を挙げて、会員が兵士になることを奨励するのか、それはしないが軍備増強賛成。では、誰に守らせるというわけなのかという疑問が残ります。

軍事増強を煽る論調は、結局のところ、軍需利権者の蜜を吸わせる方便になっている構造がある以上、櫻井氏の論を、わたしは手放しで賞賛するわけにはいかないということです。

3065天蓋真鏡:2006/12/27(水) 13:43:30
横レス失礼します。小学生の昔ですが●胸に合掌し「法」の字を唱える●廻向の題目、ぐらいでしょうか。愚痴に染まれば呪術になりかねないような気がする昨今。創価学会のみならず、鎌倉時代の僧・日蓮を信奉する人々は[信心、学問、修行]を重んじ『一念三千因果倶時唱題』を祈る事を思い考えて人生を歩まなければならないと想起します。其れから、仏像ではビジュアル的に『正念場』が統一出来辛いので漫荼羅正意なのですが【仏像・漫荼羅・経】が「本門」形成に不可欠なら揃えなければと感じます。

3066天蓋真鏡:2006/12/27(水) 14:00:27
連続?書き込み失礼します。軍国主義的システムに日本が成っても、アメリカと(専守)ミサイル防衛構想が実現するかしないかの話で、ロシアの原潜解体や中国等大気汚染をどう解決するか先決な案件が深刻な事態を突きつける現在、看板を「省」にするかしないかはどっちでも良い話。自衛隊の海外派遣が増えるか増えない話でしょう。自分が北朝鮮指導者なら日本の原子力発電所に(核)ミサイルで潰すだけで日本に兵を送るなんて遣りません。

3067しゅんかん:2006/12/27(水) 14:54:42
独歩さん、早速のお返事ありがとうございます。

>これは「学会が」ということでしょうね。

数日前ですが、正宗の僧侶も左二つだったと拝見したように記憶しているのですが。

>このお話は、関東のわたしには、むしろ、新鮮な響きがあります。
 
(一塔両尊)のことですかそれとも(曼荼羅に鬼子母神、大黒天)のことでしょうか、それとも両方でしょうか。
(一塔両尊)とは仏具店に於いては三宝尊のことです。塔中に首題(南無妙法蓮華経)一段下に釈迦、多宝が並座しています
雛壇のような型をしており私が幾つか見かけたものは一体物ですが、ご存知ではありませんでしょうか。
抜け落ちていましたが、奉安様式は(一塔両尊「三宝尊」)にも曼荼羅を掛けるようにも勧められます。
(曼荼羅に鬼子母神、大黒天)様式には(鬼子母神、大黒天)が掛け軸物か像物かを選択するようです。
(曼荼羅、一塔両尊「三宝尊」)も(曼荼羅に鬼子母神、大黒天)にも共通して最前列(下段)祖師像を奉安します。
数店におきましては祖師像のさらに前に八の巻(法華経の事のようです)を置きます。
(正確に八つ有ったかは判りません)私が八の巻の事を驚きますと、お寺などでは置いているでしょと言われました。
確かに身延系で見かけますよね。店員は八品派の檀家を捉えて言っているのでは無いようです。
沢山の選択様式があるようです、一塔両尊には曼荼羅の有無。祖師像の有無。八の巻の有無などです。
独歩さんのお住まいの関東方面では少し違いますでしょうか。

3068しゅんかん:2006/12/27(水) 15:01:15
3067の訂正
誤(一塔両尊)とは仏具店に於いては三宝尊のことです。
正、私が言う(一塔両尊)とは仏具店に於いては三宝尊のことを指されている様です。

3070犀角独歩:2006/12/27(水) 20:22:10

しゅんかんさん

わたしは学会を去ること16年、石山を去ること11年で、昔の記憶が曖昧になっていました。
しゅんかんさんが仰るところが合っていました。石山は、日蓮宗とは逆だったんですね。
写真は、聖教新聞社発行『日蓮正宗』の丑虎勤行のショット。日達氏です。わかりづらいかもしれませんが、二房が左になっています。
手前の鶴丸バッジ(創価学会・財務部員の証)を付けた青年は左が三房ですね。
話題からは逸れますが、この写真、大客殿なのでしょうが、導師の前まで在権信者が入り、小僧さんも後ろになっています。学会登山の盛況ぶりが窺えます。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/juzugyaku.html

いま藤川さんに尋ねたら、この件では顕正会も学会と同様で、批判されていたということでした。わたしはほとんど見ることがないサイトですが、以下を紹介されました。

珠と母珠を逆に指導
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hanamizuki/1558/page019.html#gyaku

日蓮宗一般では以下のとおりです。

お数珠の持ち方と基礎知識
http://www2.117.ne.jp/~daishoji/q&a2.html


>> このお話は、関東のわたしには、むしろ、新鮮な響きがあります。
> (一塔両尊)のことですかそれとも(曼荼羅に鬼子母神、大黒天)のことでしょうか、それとも両方でしょうか。

両方です。
もっとも、わたしは、仏具店というのはあまり行きませんし、まして、仏像、漫荼羅の類を買ったことはありませんから、知らないだけかもしれません。

> (一塔両尊)とは仏具店に於いては三宝尊

これは、仏壇屋さんの慣習は間違っていますよね。三宝は仏・宝・僧ですから、僧は日蓮大菩薩とした祖師像ではないでしょうか。一塔両尊とは別のはずです。

> 「三宝尊」)にも曼荼羅を掛けるようにも勧められます。

それはそうでしょうね。門下一般、漫荼羅は法本尊ですから、三宝というのであれば、必須となります。
日蓮宗では、購入した漫荼羅掛け軸を寺院に持っていき、裏書きをし開眼とするのだそうです。その段階ではじめて本尊となります。

> 祖師像のさらに前に八の巻(法華経の事のようです)を置きます。

これは一般的です。石山は日有化儀抄で定められてありますが、いまの宝前の経箱は空箱という杜撰さです。

> 関東方面では少し違いますでしょうか

違わないと思いますが、漫荼羅に祖師像というのが、まあ、一般信徒の家での奉安ではないでしょうか。

3071しゅんかん:2006/12/27(水) 21:08:59
独歩さん、重ね重ね誠に懇切丁寧な御文有難うございます。
勉強になりました。

3072犀角独歩:2006/12/28(木) 09:06:35

【3070の訂正】

誤)珠と母珠を逆に指導
正)父珠と母珠を逆に指導

3073しゅんかん:2006/12/28(木) 17:14:40
ご存知のお方宜しくお願い致します。

富士宗学要集 史料類聚別巻 富士宗学要集 10冊 11巻欠
著者名:雪山書房 刊行年:昭14
下記書店のHPで見かけました。
有限会社 東陽堂書店 東京都千代田区神田神保町1-1
http://touyoudou.jimbou.net/

上記の富士宗学要集は堀 日亨師によるものではないのでしょうか?

※情報のお願いを致します。
富士宗学要集(堀日亨師、編纂)ですが1.2.3.6巻が入手出来ません。
聖教新聞社(現在の取り扱い者)に問い合わせましたが、絶版で上記四巻も在庫なしとのことです。
どなたか入手方法をご存知の方お知らせ頂けますでしょうか。(古書でもけっこうです)
宜しくお願い致します。

3074しゅんかん:2006/12/28(木) 17:49:59
追記
日興門流上代事典、(興風談所 発行 非売品 限定500部)
上記、書物も合わせて宜しくお願い致します。

3075ラキ:2006/12/28(木) 22:18:46
「富士宗学要集」現在古書で入手可能なのは、下記の分が出ております。
http://www.kosho.or.jp/servlet/bookselect.Kihon_result

3076しゅんかん:2006/12/29(金) 17:27:14
ラキさん早速の情報ありがとうございます。
6巻を申し込ませて頂きました。

3077んっ?:2006/12/30(土) 06:53:00
犀角独歩さん、挙げられたページの次のページに
「今曰く数珠を指に掛ける事、父玉のほうを以って右手の人差し指に掛け
母玉の方を以って左手の中指に掛く・・・、日芳愚意して曰く左右共に
中指なるべきか・・・」とあります。
むしろ逆になったのは宗門側ではないでしょうか?

3078犀角独歩:2006/12/30(土) 07:57:32

んっ?さん

はじめまして、で、よろしいでしょうか。

> むしろ逆になったのは宗門側

話が錯綜してしまい、ややこしいことになってしまいました。仰るとおりです。

引用なさったところは保田妙本寺日我の義の部分ですが、父珠・右(今の二房、心一境法性珠のある方)、母珠・左(今の三房の方)という点は同じわけです。

引用は石山33代日元の文章です。
つまり、石山の数珠の掛け方は「御歴代上人」に反していることになります。

3079再挑戦者:2006/12/30(土) 21:03:34
、、、横から失礼いたします、、。  
 些細と言える一見ではございまするが、、。 小生には、、グッサッ、、感じました。
  「清く、綿々、、よどみ無き血脈(?)、誠に麗しゅう事事」ばかりが言い伝えられていたようでしょうか、、(?)  昨今の諸賢方の御努力に依りまして、次々と「過去の団体様による日蓮・聖人化傾向への短絡的逃避的なエエカゲン、さが、主流を占め、一時しのぎの、ダマシの手口、が勝ち組になった」、、という化けの皮(?)、、が少しずつ判明しつつ有るようでしょうか、。 
真の「ホトケ」を本当に体感・体現などが可能か、、??、、それに、、繋がるよう(?)ですので、今後ともご期待して居ります。早々、。

3080大晦日:2006/12/31(日) 12:56:40
右左の手どちらが優位なのでしょうか。
亡者に懸ける時は数え珠は切って懸けるのだと聞いたことがあります。

3081しゅんかん:2007/01/02(火) 13:08:26
皆さん明けましておめでとうございます。

菊水護国さんはじめまして、しゅんかんと申します、菊水護国さんの古い書き込みで
下記の件に付いてお教え頂けますか。

『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

39 菊水護国
> 宗教法人日蓮正宗と宗教法人創価学会の間には「包括法人関係がありません」・・・・
 だからこそ「準信徒扱い」として、会員は原則御形木様しか下付せず、学会本部にすら紙幅の常住御本尊しか無・・・・

では、法華講員として正宗の檀信徒となると先ずどの様な御本尊さまを御下付され、
宗門への貢献度が大きいと認められた場合にはいかような御本尊さまと換わっていくのでしょうか。

宜しくお願い致します。

3082ろばくん:2007/01/07(日) 11:56:07
私はこの富士門全般のコーナーを毎日読んでいます。信仰対象としての日蓮正宗末寺の参詣も途切れました。何を信仰対象にすればよいか迷っています。自分の心の中にお題目を保てばよいのかと思います。難しいことは分からないのですが、信仰とは何かがよく見えなくなりました。これまで日蓮宗や神社参詣は絶対いけないと教えられてきました。これもわかりません。ちなみに私は正信会でしたが、信者獲得のために僧侶がお金に目がくらんでいることも残念です。大石寺そのものが腐っているからですね。毎日このコーナーを読んで真の意味で覚醒してきたことに感謝しております。どこに書いたらよいかわからず、ここにしました。間違っていたら申し訳ありません。

3083問答迷人:2007/01/07(日) 12:26:13

ろばくん さん

始めまして。

>何を信仰対象にすればよいか迷っています。

色々と不明な部分があるにせよ、蓮祖が弟子檀那の為に夥しい数の紙幅曼荼羅を認められた事、そして、蓮祖が自ら、弟子檀那の為に残された信仰対象が紙幅曼荼羅以外に無い事、これらを勘案すれば、少なくとも紙幅曼荼羅を信仰対象ではないと否定された遺文は有りませんので、日蓮門下の信仰対象から紙幅曼荼羅を外す必要はないと思います。

僕は、67世日顕師書写の形木曼荼羅を仏壇に掛け、仏様と拝して御給仕申し上げています。勤行・唱題も、日蓮正宗の勤行要典で行っています。

大石寺戒壇板本尊が後世の贋作で有る事は、犀角独歩さんの研究により、もはや動かないと思います。今なお日蓮正宗が、蓮祖の出世の本懐だとして、御開扉し続けている様は呆れるばかりです。

形木曼荼羅は、戒壇板本尊の写しだからご利益がある、というアナウンスは、出鱈目ですが、蓮祖曼荼羅の形式を踏んだものであれば、蓮祖の本意からそう離れるものではないと僕は思いますので、他に、紙幅曼荼羅を持ち合わせていませんし、どなたに書写しもらえば、一番蓮祖の本意に叶うのかも、判然としませんので、現状を続けています。

まぁ、これから先の方法としては、適切な蓮祖曼荼羅を選んでネットからダウンロード・印刷し、表具屋さんに表装してもらうのが良いのかな、等と思っていますが・・・

3084しゅんかん:2007/01/07(日) 13:09:35
問答名人さん、おめでとうございます、今年もよろしくお願い致します。
>ネットからダウンロード・印刷し、表具屋さんに表装してもらうのが良いのかな、等と思っていますが・・・

〇このお考えに私も賛同いたします。私はすでに表具屋さんより曼荼羅に適した紙を購入し
印刷をしております。後は表装に出すのみですが。
蓮祖曼荼羅のダウンロードは立〇〇〇〇より行いました(日蓮〇〇〇〇〇集よりの・・・・
私の思うサイズに拡大印刷するとドットが荒くNGでした)
他にも可能なHPご存知でしょうか、良ければお教えいただけますか?

3085犀角独歩:2007/01/07(日) 14:50:58

しゅんかんさん

御本尊集のサイトとしては、海外に以下のところがあり、ここでは大きなサイズでも収蔵されています。

http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/001.html

ただし、日蓮の大漫荼羅は白黒ではありません。
信者会員に配布されているような墨跡のわからないようなものはありません。
また、たぶん、紙の色は正式には黄色で、軸は朱とするべきではないかと思います。経巻がそうであるからです。

以下は、わたしが所有している御真筆の写真です。実際は色が少し違います。大きくアップしたいところですが、とある方から、わたしを信頼して下さり贈呈されたものなので、この程度で勘弁してください。
写真でも筆跡はある程度、確認できるほどです。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/rinmetudo.html

3086しゅんかん:2007/01/07(日) 18:28:00
独歩さん、明けましておめでとうございます、本年も宜しくお願い致します。
>海外に以下のところがあり、・・・

〇私が明記させて頂きました、(日蓮〇〇〇〇〇集よりの・・・・)はまさにこのHPなのです。
ただ拡大印刷するとドットが荒くNGでした。とは正宗下付の様なサイズにしたかったのです、
NGと言うのは私がこの様な事に関する技術、知識不足に起因するものかもしれません。

>紙の色は正式には黄色で・・・

〇表具屋さんに曼荼羅に適した紙は?と問うと、黄色い紙で妙法紙と言いますとの事でした。
大変薄く透けていますが、私が御経本で見かける物よりも濃い黄色でした。
S会二世の者には黄色い曼荼羅には違和感がありまいた。(私の認識不足?)
{私は此処数ヶ月の内でこの黄色い曼荼羅には出会っていました、京、本圀寺と此処最近
出入りさせて頂いている日蓮宗の(関西唯一の末寺)お寺です}
蓮祖の御真筆曼荼羅をダウンロード印刷には或る程度の妥協(譲歩)が必要なのかと思っています。
それは、①この黄色い紙②蝋燭による煤煙、③経年劣化(②以外によるその他の劣化)
以上のことより正宗や、S会よりの下付曼荼羅のみを見て来た物にとっては、
もう少し綺麗に出来ない物かと抱いてしまうのですが致し方ないのでしょう。

3087しゅんかん:2007/01/07(日) 18:50:06
独歩さん、他の御方に問合せた物と特定をしていないの物でお返事の無い物が
ございます、宜しければお答えいただければ幸いです。

①日興門流上代事典、(興風談所 発行 非売品 限定500部)は入手はほぼ不可能でしょうか。
②当スレッド3081の件ですよろしくお願い致します。(菊水護国はご自身で海外転勤と何処かの
スレッドで見かけた様な記憶があるのです?)
③万年救護本尊(保田妙本寺の)の万年救護とは曼荼羅の何処かに記されているのですか、
記されているのでしたら叉、それは誰が記したと言われているのでしょうか。
ただの通称名でしょうか。
以上、宜しくお願い致します。

3088れん:2007/01/07(日) 22:40:08
横レス失礼致します。
しゅんかんさん、初めまして。
日興門流上代事典は、私が耳にした範囲では、もう在庫が無い由で、東京神田の東陽堂書店で出るのを気長に待つ以外無いと思います。
日蓮正宗の御本尊につきましては、法華講所属の方にお聞きしたほうが良いと思います。
保田妙本寺奉蔵の万年救護大本尊につきましては、“万年救護”は通称で、山中喜八師の御本尊集目録に拠る限り、万年救護云々の添書はないようです。保田妙本寺日侃師門下と思われる薩摩日長師の書状に「万年救護之御本尊」また、日侃師の相伝目録に「末法万年御本尊 流布之日本堂ニ可奉懸之」とあり、日侃師の代には“万年救護”の通称が妙本寺奉蔵の蓮祖御筆文永十一年十二月の御本尊に使用されていたようです。なお“千葉県の歴史 資料編中世3”によりますと、同御本尊には「本門寺建立之時懸本御影堂可為末代重宝也」云々の別幅の副書がある由であり、“万年救護”の通称はこの別幅の副書に由来するのかもしれません。
興門一般では、どうも蓮祖御筆漫荼羅への興師の添書で特に「末代重宝」「万年重宝」云々と記されたものを“万年救護”と通称しているようですね。
取り敢えず右、ご参考まで。

3089犀角独歩:2007/01/08(月) 10:06:49

しゅんかんさん

> 表具屋…黄色い紙で妙法紙…御経本で見かける物よりも濃い黄色

誤解はないと思いますが、わたしが「経本」と記したのは、経紙と漫荼羅紙が、同じ紙という意味ではもちろんありません。「黄紙朱軸」が常套句であるという意味です。いわば、仏教界の常識だと言うことです。別段、白だろうが紺だろう各人の嗜好の問題だと思います。
軸も同様で朱軸より、たとえばわたしの個人的な嗜好で言えば水晶のほうが好きです。
表層の織紋も同様だろうと思います。
日蓮聖人の漫荼羅を表具するのに鶴丸というのは、通日蓮からすれば、むしろ、違和感があるところですが、興門にとってはかくありたいとなるかもしれません。

ただ、せっかく、日蓮漫荼羅をダウンロードし、お金をかけて表層するのであれば「木に竹を接ぐ」ようなというか、着物にシルクハットをかぶるような、見る人が見れば、嗤われてしまうようなものにしないようにしたほうがいいという意味で申し上げたのに過ぎません。

> ①日興門流上代事典

これはれんさんがお答えになっていますので、省略しますが、一点、申し添えれば、日蓮仏教系教団の図書館であれば収蔵されています。

③万年救護本尊

これまた、れんさんがお応えになったので省きます。
この「万年救護」という語彙については、2年半前に投稿しました。
以下記したとおりの変遷があります。
万年救護本尊、戒壇本尊神話というものは、いつのころからか醸造され、その漫荼羅がどれか、「うちのものこそ、そうだ」、「あっちが万年救護本尊というのなら、こちらは戒壇本尊だ」「うちなんか、もっとすごい、万年救護戒壇本尊だ」という、言い合いが実は富士門下で過去に起きた結果を、いま真面目にとらえすぎている側面があると、わたしは考えます。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015557630/552

3090しゅんかん:2007/01/08(月) 12:58:01
独歩さん、ありがとうございます。

>誤解はないと思いますが、
〇おっしゃられます通り読解しております。(紙類に濃淡、薄厚は当然でしょうねエ)
>仏教界の常識だと言うことです。
〇そうなんですか!黄紙を使用するは常識だんたんですか、勉強になりました。
>別段、白だろうが紺だろう・・・
〇そうでしたね、このHP内でも紺紙金泥・・・(でしたかね?)記してましたよね、
思いかえすに、とある日蓮宗寺院の宝物館でも紺紙金泥・・・を拝見していました。
(お恥ずかしいかぎりです直ぐに忘れてしまいます)
>お金をかけて表層・・・嗤われてしまうような・・・
〇ありがたいお言葉、御指導、心にとめておきます。

3091しゅんかん:2007/01/08(月) 13:20:41
れんさん、初めましてお返事有難うございます。
勉強になりました。叉、情報ありがとうございます。チェックする様に致します。
これからも宜しくお願い致します。

3092れん:2007/01/09(火) 13:25:51
“万年救護”の語彙についての犀角独歩さんの御投稿、読ませて戴きました。
なるほど、保田、石山、北山の間で、本尊をめぐって言い争いみたいなことがあったのですね。時系列から見れば、先ず保田妙本寺が同寺蔵の文永十一年の蓮師御筆大本尊に“万年救護御本尊と命名して口火をきり、ついで石山が彫刻本尊を作成して“戒壇本尊”を言いだし、最終的に北山が禅師授与漫荼羅を万年救護戒壇本尊と命名して、三つ巴で正当性を争った、西山でも万年重宝と興師添書のある興師祖父授与の蓮師御筆漫荼羅を万年救護と称してますから、富士四山四つ巴ですね。文献的には江戸時代直前中世末期あたりから、本尊をめぐってのこの手の争いがあったろうことは保田日侃師の弟子薩摩日長師の書状から伺えますね。

3093犀角独歩:2007/01/09(火) 18:06:43

れんさん、補完有り難うございます。
日侃書状に、その模様が窺えますか。となれば、わたしの類推も、大きくははずれていなかったわけですね。

3094れん:2007/01/09(火) 21:25:46
犀角独歩さん
房山日侃師の門弟と思われる薩摩阿闍梨日長師の書状(無年号、三月八日付け)に「代門・道門等与問答之為申候、日目付法之御文言、並ニ万年救護之御本尊授与之御文言等、為未来写御こし可有候」とありますので、房山侃師の代に本尊や相伝をめぐり、房山と石山・西山との間に問答があった様ですね。公開されている文書の中では、天正年間頃と推定される日長師書状が“万年救護御本尊”の名称の初見だと思います。

3095犀角独歩:2007/01/09(火) 22:54:42

れんさん、重ねがさね有り難うございます。
参考になりました。

3096再挑戦者:2007/01/10(水) 17:59:05
、、、横からゴメン致します。
 さすがはIT(情報化時代)の現代のようでせしょうか。
 小生は、個々の曼荼羅・本尊はいかようにも細工可能な現今ですので、一宗・一派のメシの種になる犠牲になるよりも、一応はご理解できますです、、。    

 ただ、、、やはり、死んだ時の”葬儀”が難儀で御座います、???     

 ワシは、役所の福祉係員と地元民生委員が持参した「白い袋に無造作に入れられて〜斎場〜無縁墓地埋葬への一本道の途上にある身分です、、。 
 今後、、いかなる死期を迎えるのが理想的なのか、?、素朴に、?、、愚考・愚疑問に執着するアホの一人で御座います、、。

3097不可解者 2:2007/01/10(水) 20:08:21
 >> 、、、死期、、。
  自分が死んだら、その後のことを「自分が果たして、意識が存在」するのでしょうか、、。 
 自分では意識が不可能 =、、死、ですから、、。   その後の件は、誰が?どの方? がご判断するのでしょうか、、。
 マーー、−−、、だから、こそ、、宗教の、、???、、が存在、、でしょうか、、???

3098一字三礼:2007/01/15(月) 22:51:05
素朴とは言えないかもしれませんが。

「法華経方便品の譬喩の成立に影響を与えた書ではないか」との見解を持たれている方から、「南伝大蔵経 第二十七巻 小部経典5」というのをお借りしてきました。
この本は、パーリ五部のうちの小部(クッダカ・ニカーヤ)と総称される15経のうちの『譬喩』もしくは『宿世物語』と言われる経です。

南伝小部の中には、『法句』や『経集』といった経典の中でも最古層に属するものと、比較的遅れて成立した『天宮事』、『釈義』などのような経とが混在しているのですが、私のお借りした『譬喩』は、かなり遅れて成立したもののように思えます。
もしかしたら、『法華経』より後に成立したのではないか、との疑いからなかなか集中できないでいるのですが、私には解らない語が出てきたので、この掲示板の碩学の方にご教示いただきたく思います。

「長者の譬喩(畢隣陀婆蹉)」の157詩

「煙管を勝者と最勝最上衆なる僧伽に施せしかば、我が業に適はしき三つの利益を享けたり。」

この詩に出てくる「煙管」は「喫煙の道具」という意味なのでしょうか。

喫煙の文化はアメリカ大陸から世界に広まったというのが私の理解でしたが、インドにも固有の喫煙とそのための道具の文化が古代からあったのでしょうか。

3099顕正居士:2007/01/16(火) 11:53:35
>>3098
「煙管」の他の意味はボイラーなどの用語しかないようです。
南伝大蔵経が今日の形に編纂されたのはそう太古ではないのですが、
大航海時代以後の事物が出て来るのは変ですね。
巴利、英訳のどこに相当するか、わかりますでしょうか?

巴利南伝大蔵経(フォントはトップページにあります)
http://www.metta.lk/tipitaka/
英訳南伝大蔵経(小部は全文はない)
http://www.accesstoinsight.org/

3100パンナコッタ:2007/01/16(火) 14:08:24
経典に"煙管"って、何か変ですね。
『語源については異説もあるが、カンボジア語で管を意味する『クセル』が、
 訛ったものとされる(渡邊實「日本食生活史」- 吉川弘文館)』
割合新しい言葉のようですし、南伝大蔵経65巻の訳出は昭和10〜16年ですので、
語彙の意訳っぽい気がしないでもないですね。

また、インド発でイスラム圏に広まった水パイプを指しているようにも思えますね。
(時代的に錯誤しているかもしれません。すんません)

3101一字三礼:2007/01/16(火) 16:37:12
顕正居士さん

私のお借りした南伝大蔵経は、「巴利聖典出版協会」Mary E.Lilley女史刊本(1927)を底本として邦訳されたものです。
各詩の行頭にローマ数字が付されているのですが、それは底本と対応しているようです。

先に挙げました経文を正確に。
譬喩経(阿波陀那)二 
第四十 畢隣陀品
三八八 畢隣陀婆蹉
の、一五七詩目にあたる箇所のものでした。
「煙管を勝者と最勝最上衆なる僧伽に施せしかば、我が業に適はしき三つの利益を享けたり。」

そこから考えますと、顕正居士さんの挙げてくださった「巴利南伝大蔵経」では、
Khuddhaka Nikaya、Thera Apadanaの40Pilindivaccha Vagga
2531. Dhumatette jine datvà saïghe gaõavaruttame, Tiõànisaüse anubhomi kammànucchavike mama.
に該当するのではないかと思うのですが、翻訳をお願いできますでしょうか。

ちなみに、前の156詩は、
「三昧に於て動ぜず、三昧に於て自在にして、衆分裂することなく、言常に信頼されき」
です。この詩は
2530. Samàdhisu na kampàmi vasi homi samàdhisu, Abhejjapariso homi àdeyyavacano sadà, Jàyati bhogasampatti bhàve saüsarato mama.
にあたるのではないかと推理(?)しました。英訳南伝大蔵経からは探せませんでした。

3102一字三礼:2007/01/16(火) 18:07:46
パンナコッタさん
ご無沙汰しております。

> 経典に"煙管"って、何か変ですね。

私もご指摘のような違和感を感じたのですよ。
仏と僧達が、みんなで煙管で煙を燻らせている、というのも絵的にありえないような気がしますし。

> 語彙の意訳っぽい気がしないでもないですね。

そうですね。お調べいただいた昭和10年〜16年の学者達が、「煙管」という語で、何を連想させようとしたのか。時代の隔たりのせいでしょうか、さっぱり検討がつきません。

3103顕正居士:2007/01/16(火) 20:21:56
>>3101
一字三礼さん。

その箇所と思います。Dhumatetteを「煙管を」と訳しています。
dhuma=dhūmaなら「香 incense」の意味です。
「香を燃やし」という意味ではないかと。
何で煙管と訳したのかはわかりません。
あるいは現代パーリ語で煙管を意味するのかも知れませんが。
(パーリ語は上座仏教圏の僧侶の共通会話語になっています)

3104一字三礼:2007/01/16(火) 23:35:50
顕正居士さん

ご教示ありがとうございます。

Dhumatetteが「香を燃やし」という意味であれば、意味がすんなり通りますね。

仰るように、「煙管」と訳した意図は謎ですが、もしかして「香炉」のようなものを意識していたのではないか、とも考えました。

それにしても、完成されたアビダルマの六因・四縁の用語が頻繁に使われているので、このアパダーナは内容的にかなり新しい成立のように思えてなりません。

3105犀角独歩:2007/01/20(土) 08:23:23

彰往考来さん、独学徒さん、れんさん、他諸賢

相伝書などの書写で知られる「日源」が、水口であるとするのは、どのような根拠によるのでしょうか。ご教示いただければ幸甚です。

3106独学徒:2007/01/20(土) 09:35:07

犀角独歩さん、先日はブログにて種々ご紹介賜りましてありがとう御座います。

「日源」については、もとは「水口説」と「岩本説」とがあったようですが、堀日亨師が筆跡から「岩本説」を否定し、現在に至っているようです。
堀日亨師の文献に出ているかどうかはわかりませんが、創価学会最初の建立寺院といわれる相模原の正継寺住職で、元富士学林教授であった大橋慈譲師が、大白蓮華95号「富士宗学要集の解説③」にて述べています。
これから一寸出かけてしまいますが、帰宅後該当の文献が見つかりましたら談議所の方にアップします。

3107れん:2007/01/20(土) 12:18:10
水口日源師は、興師御筆漫荼羅の脇書きなどによりますと、寂日坊日華師の弟子で、讃岐公・讃岐阿闍梨を名乗った方で、正和年間には興師より熱原法難にかかる興師宛ての蓮師遺文の興師写本を授与され、師の確かな真筆としては、先に挙げた興師写本遺文への師の書き入れと立正安国論の写本二巻が北山本門寺に現存します。岩本実相寺の日源師の確かな真筆は同寺所蔵の本尊問答抄の正応年間の写本があるくらいでしょうか。
堀日亨師は“本尊三度相伝”の筆者を水口日源師の筆とされたのは、どのような理由によるか、分かりませんが、独学徒さんがアップされる資料で分かるかもしれませんね。但し、先行する“伝説”としては、完則宝蔵目録には実相寺日源の筆との伝承がありますから、堀師の鑑定のみをもって水口日源師の写本と断定するのは、やや早計かもしれません。
本尊論資料では、朗門や常門にも同内容の文献が見え、順師撰とされる本門心底抄にも三度相伝と同内容の文章が引用されますから、本尊三度相伝に記される個々の法義やその原書は、室町中期の成立と見られる両巻血脈の法義の影響が見える本尊七箇相承よりも、そこそこ上代(富士で言えば早ければ興師の直弟の世代か孫弟子の世代)にその成立を遡れる可能性はあると存じます。

3108れん:2007/01/20(土) 13:23:10
蛇足ながら、讃岐阿日源師を“水口”日源と称するのは、同師が貞和五年(1349)五十四歳の時書写した立正安国論の奥書に「貞和五年已□卯月十三日、富士上方上野郷水口に於いて日源五十四歳にて之を書写す」とあることによると思います。

3109犀角独歩:2007/01/20(土) 13:33:32

独学徒さん

有り難うございます。資料のアップを楽しみにしております。


れんさん

ご無沙汰しております。レス、有り難うございます。

わたしが、疑義を懐いたのは、日亨氏が、文字鑑定を経た結果として、各相伝書などを水口日源としたのかという点です。

たとえば、単に、文献に「日源」とあった。日源ならば、れんさんがお示しくださったような日興に係る富士門下の僧侶がいる、これに違いないといった形で当て嵌めてしまったのではないかという危惧です。

『本尊論資料』をお読みのようなので、この点に沿って記します。

「日源」の名は本尊相伝ではお馴染みのところですね。常門では、日實の文献を載せますが、ここで語られる伝法の次第は 日源―日實―日得―日怡 ですね。
たとえば『日蓮上行等之事』では「日源自(よ)り之を聴聞す」(原文漢文 P515)などとあります。

執行師『日蓮宗教学史』(平楽寺/昭和29年9月15日2刷) 第2篇 室町時代 第1章 中山門流の教学 第2節 中山系教学の展開 1正行日源(P67) 2本成日實(P68)に載ります。

「妙覚寺の正行日源」と名声を博した人物であるわけですが、「著述には、講演法華義抄23巻、四宗要聞私聞書、御書音義等」(P67)というわけです。
こんな日源の著述や、署名を為した写本が、ある時期、石山が手に入れ、所蔵された。その後、日源とあるので、水口に違いない、水口日源といえば、日興に係る人物である、となれば、この相伝は日興が日蓮が受けたものだ… といった連想ゲームの結果、これらが、日興相伝と思い込まれていった可能性はないのかという疑問です。

この点を証するためには、れんさんがお示しくださったような水口日源直筆の文献があれば、それと相伝類の文字を対校してみればよいわけです。実際のところ、日亨氏は、この手順を踏んで断定したことなのだろうかというのが、わたしの疑問です。

重ねて、独学徒さん、れんさんほか、諸賢のご教示を期待します。

3110犀角独歩:2007/01/20(土) 14:08:05

読み直して、誤解が招きやすい拙い文章だったので、ひとこと。

「れんさんがお示しくださった…形で当て嵌めてしまった」という一連の記述は、もちろん、れんさんが当て嵌めたということではなく、日亨氏が、ということです。

3111れん:2007/01/20(土) 14:51:33
犀角独歩さん、こちらこそ大変御無沙汰致しております。
仰るところの疑惑、私もその可能性があると思います。いつの時代か他門徒の“日源”師の写本を石山が入手し、事情が分からなくなった後代の石山門下が連想ゲーム的に日源→実相寺日源師或いは水口日源師に当てはめた可能性は確かにありますね。水口日源師・実相寺日源師の書蹟は現存しますから、堀師がしかるべく筆跡鑑定したのか否か、した上ならば、水口日源説は一応首肯できますが、現時点では、疑惑は拭えませんね。
富士においても、伝日順師撰の心底抄に引用、房山に室町中期の写本があるのでそれなりに古い文献ですが、石山蔵の日源筆については、犀角独歩さんの仰るように疑う必要があると考えます。

3112犀角独歩:2007/01/20(土) 16:27:12

れんさん

仰る「室町」、やはり、この時代辺りがネックですね。正行日源はまさに室町時代の人でした。結局のところ、相伝の類というのは、ここら辺で文献化されているのかなと思います。

各本弟子門下の相伝類を俯瞰して、首を傾げたことが一つあります。
ブログで書いていることとも関連する判形相伝のことです。
常門を含む五老門下では、たいがい、その象りがボロン字であることを言っているわけです。ところが、興門にはこれがないのですね。「在御判」だと言います。日尊実録なんかも併せて、善意に解釈すれば、祖師の花押を模写しない矜持のように取ることもできます。しかし、実のところはどうなんでしょうか。知っていて書かないことと・知らないことでは天地雲泥の相違があります。

(日興が、ではなく、日興に仮託して)興門の本尊相伝を文書化した人々は、実のところ、判形ボロン字の相伝を持っていなかったように見受けます。

全門下の本尊相伝を集大成するのは、身延の行学日朝なのだと思います。
正行日源と本成日實の授受があったわけですね。
これら一度文書化されたものというのは、どんな動きをしたのでしょうか。

石山では日寛が六巻抄などとまとめるわけです。
ここら辺の論調を読んでいると、この相伝は日興のものである、日興のものであるということは日蓮直授、日蓮日興のものであれば、すべて当山のものといった、いわば「他人のものは自分のもの、自分のものは自分のもの」といった強弁が罷り通って、日寛の虚構は成り立っていますね。それ以前、日精の蒐集が、その前提となっているわけですね。

富要に日亨氏が参考資料を記した結果、石山には日興以来伝わっている相伝文書など、何もなく、すべて他山の写本ばかりだったことが明るみに出る結果となりました。そんななかで、「日源」写本ばかりは、自山のものであるといった論調です。

ここで二つ問題があります。まず一つは、石山の歴代でもない水口日源が「唯授一人」に係るはずの相伝を何で写しているのかという疑問です。
もう一つは、先より記しているとおり、写本に記される日源とは、本当に水口日源なのかという疑問です。

諄い文章になりましたが、れんさんも、疑っている点であると確認でき、少し安堵しました。

3113独学徒:2007/01/20(土) 17:14:42

れんさん、お久しぶりです。

>独学徒さんがアップされる資料で分かるかもしれませんね。

いえいえ私がアップしようと思ったのは、大橋住職が「富木公胤」のペンネームで書いていた、昔の大白蓮華の記事ですから、画像でもなく、文書でもなく、ただ大橋住職は堀日亨師の水口説を紹介しているといっただけのものです。

それをみれば、犀角独歩さん、れんさん、のもたれている疑義は全くその通りで、ほとんど根拠らしいものは見当たらず、「堀上人が言ったからきっとそうだ」的なものだけで、「本尊三度相伝」の日源が、水口日源といわれているだけだとわかると思います。

その意味では、深い考察の参考資料には到底なりえません。
一応今日中にアップしたいと思います。

3114れん:2007/01/20(土) 18:07:41
独学徒さん、ご無沙汰しております。
敢えて、富士門伝承の蓮師花押の梵字のボロンに関する文献を挙げるならば房山所伝の御本尊梵字口決(“千葉県の歴史”所収の妙本寺蔵のものは後欠で、宮崎県史の所収の“定善寺文書”の中に全文の翻刻文掲載)にボロン字の意義について述べられている位ですね。この御本尊梵字口決も常門の“本尊灌頂秘決”と内容が重なる部分があるのは、以前何方かご指摘の通りでした。
富士の場合、漫荼羅は書写様式で、首題の下は“日蓮聖人”か“日蓮在御判”(この両者の折衷で“日蓮聖人〈在〉御判”の例もありますが)と記して蓮師の御筆花押まで臨写する如きことはないので、どうも富士では、蓮師の花押に使われた梵字の意義についての伝承はされなかったか如き様子ですね。

3115独学徒:2007/01/20(土) 18:15:01

れんさん、

>どうも富士では、蓮師の花押に使われた梵字の意義についての伝承はされなかったか如き様子ですね。

実に的を射た御高察です。
花押だけでなく、以前の犀角独歩さんのブログでも紹介された通り、興師の不動・愛染は、かなり元の梵字とかけ離れているようですし、梵字自体の相伝が無かった可能性もありますね。

まさか何の相伝も無かったから「書写」にした、なんて事は無いですよね。

3116れん:2007/01/20(土) 19:39:09
独学徒さん、
過分のお言葉痛み入ります。興師の梵字は、犀角独歩さんのご指摘の通り、だ
いぶ元の梵字と違いますが、これは現時点では、相伝云々以前に、興師の個性
と言うか、センスに由来するものかもしれない思います。
興師も天台僧でしたから、梵字については蓮師に習わずとも、基本的な学問は
四十九院あたりで一般教養的に習学されていたと思います。
又、興師は蓮師在世の弘安四年三月五日に観心本尊抄を書写していますから、
興師も何らかの蓮師からの教示は受けていると思いますが、公開された資料か
らは、それを窺う資料は現存し無いと考えられるのが現状といった所だと思い
ます。

3117犀角独歩:2007/01/20(土) 22:09:14

独学徒さん

どちらで御礼を述べてよいのかわかりませんが、言い出した場所でということで、こちらに。

有り難うございました。参考になりました。
あとは、石山所蔵の日源の影本、また、正行日源の影本を対校すれば、ことの次第は解明することになります。例の興風ではやっていないのでしょうか。


れんさん

日興の不動の書法は、ブログでも記しましたが、初期の日蓮の如きで、またもし、梵字の知識があったとしたら、敢えて、日蓮と違う字を記した可能性がありますね。これが単なる書き癖であるとしたら、随分と軽薄だというのが正直な印象です。

日朗、また、日像などの本尊を見ても感じることですが、派祖の段階では、あまり、日蓮の書風に拘らず、むしろ、我流の筆跡を重んじている感がありますね。日蓮が考案気になって定型化していく書法より、書いてある諸尊に重があるように思えます。

3118犀角独歩:2007/01/20(土) 22:19:09

やってしまいました。3117の訂正です。

誤)日蓮が考案気になって定型化していく書法
正)日蓮が弘安期になって定型化していく書法

3119教えてください:2007/01/20(土) 23:23:56
玉井礼一郎さんは、今どうしているのでしょうか。また、顕正会に昔いた海老原さんという男子部だったかの幹部の方、私、以前電話でお話したことがあったのです。どうしているものなのか。そして、高橋公純さんのことも、知っている方がいれば教えてください。

3120れん:2007/01/21(日) 13:00:00
犀角独歩さん
3117
>日興の不動の筆法…初期の日蓮の如き…
興師の不動の筆法は独歩さんが御自らのブログで御紹介の通りですね。私は梵字についての知識が無いので、ここらへんのことは何とも言えないのですが、興師の御筆漫荼羅は年令を重ねる程に全体の筆法が草書化していくように感じますが、該当の梵字の“草書”で興師の如き崩し方は有り得るのか否か、知りたいところです。
>日朗…日像などの本尊…派祖の段階ではあまり、日蓮の書風に拘らず、むしろ我流の筆跡を重んじている感…日蓮が弘安期になって定型化していく書法より、書いてある諸尊に重がある…
仰る通りですね、興師に限らず、昭師や朗師・向師の御筆漫荼羅を見ますと、筆法そのものは、蓮師の弘安期の筆法(不動・愛染の●型の起筆など)などは、必ずしも継承したとは言えず、各々自分の書風で思い思いに書いていると私も感じているところです。ただ、勧請の諸尊は各師それぞれの定型的な形がありますから、仰る通り、「書いてある諸尊に重が」あったのではと、私も感じております。

3121犀角独歩:2007/01/21(日) 17:11:47

れんさん、有り難うございます。

どうも、一人で考えておりますと、いったい、自分の考えが正しいのかどうか、呻吟している時間が無駄になります。長らくご教示をいただいているれんさんにも、同様のお考えを存するとお聞きすると安堵するものがあります。

3122れん:2007/01/22(月) 18:51:06
「師範松寿院贈上人よりの聞書」(当方未見資料)に掲載されているという大石寺蔵「首題点画秘抄」とは、日蓮宗宗学章疏目録の興師著述の部にある「本尊点画伝」と同じものでしょうか?ご存知の方がおられましたらご教示戴ければ幸甚です。

3123しゅんかん:2007/01/24(水) 22:51:05
独歩さん、随分以前の独歩さんの論ですが、宜しくお願い致します。

富士大石寺の歴史についてに於いて。

>28・・・折伏大行進賑やかな頃、元よりの法華講衆を旧信徒と言って折伏対象とし、先祖伝来護持してきた歴代の
成就曼陀羅本尊、また御影を功徳のないものとして・・・
http://fujimonshinto.hp.infoseek.co.jp/keijiban/rekisi.htm

〇成就曼陀羅本尊とは常住(常什)本尊の事でしょうか?
〇御影とは身延派等の信徒のお方が仏壇内に奉安される祖師像の事でしょうか?

●成就=常住だとすれば創〇〇会→池田教と行動を一にしていた時代なら常住さまのご下付は数量及び
体力等、鑑みましても不可能と思われます。
創〇〇会と組する以前の常住さまの下付は、入信時=形木。その後数年間、信心が確かと認められれば
常住さまの下付が認められたとの事でした。
が、現時点に於いては、成就=(常住)の下付は池田教と組していない現在では可能ではないかと思いますがいかがでしょうか?
(当然以前の様に数年と云う時間では無理でしょうが)

●御影=祖師像であるとすれば現在、石山は信徒に於ける祖師像の奉安は認めていませんよね。
石山は創〇〇会の教えに習って撤廃したのでしょうか?
石山は御影=(祖師像)の撤廃に付いていかような見解であったかご存知でしょうか?

3124犀角独歩:2007/01/25(木) 07:58:26

3123 しゅんかんさん

> 成就曼陀羅本尊とは常住(常什)本尊の事でしょうか?

そうですね。打ち間違えています。
慣例で一部、やっと手書きの本尊が授与される=成就といった言い慣らしがあったので、そう打ってしまったのだと思います、5年前のことなので記憶は定かではありませんが。

> 御影とは身延派等の信徒のお方が仏壇内に奉安される祖師像

たしかに日蓮の祖師像です。ただ、身延に限ることではなく、石山の信徒でも行います。しないのは創価学会、顕正会だけでしょう。
石山の実質的な本堂は昔から御影堂であり、当然、ここには祖師像が祀られています。また、末寺でも、ある程度、格が認められた寺院は祖師像を置き、さらに日興像と並べ下種三宝(仏宝=日蓮、法宝=漫荼羅本尊、僧宝=日興)とします。御影堂奉安を一体三宝、後者は石山では客殿の奉安で別体三宝といいます。
しゅんかんさんはどちらのお住まいか存じ上げませんが、東京で言えば、新宿の大願寺などは祖像が奉安されています。

> …常住…数量及び体力等、鑑みましても不可能と思われます。

そうですね。しかし、これは信徒になれば、100%漫荼羅本尊が下付されるという近代の‘商い’に関連することでしょう。上古は、不惜身命の一部の僧俗にしか漫荼羅は下付されなかったわけです。これが日蓮日興の規範です。信者に漫荼羅を絶対に下付しなければならないということは、まったくもってありません。

> 創〇〇会…入信時=形木…その後数年間、信心が確かと認められれば常住さまの下付が認められた

なにも伏せ字にすることはありませんよ。創価学会ですね。
たしかに仰るような手順です。これが、法華講になれば、さらに板本尊に改め、また、御影も置くといった具合に進捗することになります。
石山は何故か、どんなに創価学会が発展寄進を繰り返しても、板本尊を下げなかった。それで勝手にやったのが本尊模刻という一連の騒ぎでした。しかし、近代は、板に改めるのに、一々、石山に連絡をしていたと思われず、要は「入仏式」を坊さんを呼ばず、池田さんが自分でやった点を「越権行為」だと立腹したのがはじまりだったろうと思います。

> 現時点に於いては、成就=(常住)の下付は池田教と組していない現在では可能ではないかと思いますがいかがでしょうか?
(当然以前の様に数年と云う時間では無理でしょうが)

池田教という団体はないわけで、単に、宗門に言わせれば破門、学会に言わせれば独立した創価学会があるのみです。この掲示板では、斯様な別称は馴染みません。

仰るのは石山末寺の信徒に関することでしょうが、仰るような手はずで、実際に行われているでしょう。

> 御影=祖師像であるとすれば現在、石山は信徒に於ける祖師像の奉安は認めていませんよね。

これは日顕さんの段階、もっと言えば、創価学会が力を持つようになった頃からそうですね。
しかし、祖師像を奉安する信者はいくらでもいるでしょう。
当掲示板の常連さんにもいらっしゃいます。
だいたい、それを制する根拠などあり得ません。祖像信仰は日興已来のことです。

> 石山は創〇〇会の教えに習って撤廃したのでしょうか?

教えを習うということはないでしょう。
ただし、創価学会は小樽法論の昔から、なぜか御影像が嫌いでした。
池田さんが第2次紛争の時に、説法がわからないと奥さんと話し合った件が、石山に伝わり、日顕さんとその取り巻きは激怒したということがありました。これは御影像での説法についてでした。これが関連するかどうか知りませんが、なんら日蓮に関わる遺物を有さない創価学会、新興宗教ならではの、古物アレルギーみたいな鋳物ではないでしょうか。

> 石山は御影=(祖師像)の撤廃に付いていかような見解であったかご存知でしょうか?

いま、具体的な文献は挙げられませんが、日顕さんは、今後は漫荼羅本尊のみの安置を主流とするような発言をしたことを覚えています。これは、しかし、化儀の簡略化に重点があったのではないでしょうか。
祖像撤廃などという意図は皆無だと思います。

3125犀角独歩:2007/01/25(木) 08:03:23

【3124の訂正】

誤)御影像での説法についてでした
正)御影堂での説法についてでした


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