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素朴な疑問

3124犀角独歩:2007/01/25(木) 07:58:26

3123 しゅんかんさん

> 成就曼陀羅本尊とは常住(常什)本尊の事でしょうか?

そうですね。打ち間違えています。
慣例で一部、やっと手書きの本尊が授与される=成就といった言い慣らしがあったので、そう打ってしまったのだと思います、5年前のことなので記憶は定かではありませんが。

> 御影とは身延派等の信徒のお方が仏壇内に奉安される祖師像

たしかに日蓮の祖師像です。ただ、身延に限ることではなく、石山の信徒でも行います。しないのは創価学会、顕正会だけでしょう。
石山の実質的な本堂は昔から御影堂であり、当然、ここには祖師像が祀られています。また、末寺でも、ある程度、格が認められた寺院は祖師像を置き、さらに日興像と並べ下種三宝(仏宝=日蓮、法宝=漫荼羅本尊、僧宝=日興)とします。御影堂奉安を一体三宝、後者は石山では客殿の奉安で別体三宝といいます。
しゅんかんさんはどちらのお住まいか存じ上げませんが、東京で言えば、新宿の大願寺などは祖像が奉安されています。

> …常住…数量及び体力等、鑑みましても不可能と思われます。

そうですね。しかし、これは信徒になれば、100%漫荼羅本尊が下付されるという近代の‘商い’に関連することでしょう。上古は、不惜身命の一部の僧俗にしか漫荼羅は下付されなかったわけです。これが日蓮日興の規範です。信者に漫荼羅を絶対に下付しなければならないということは、まったくもってありません。

> 創〇〇会…入信時=形木…その後数年間、信心が確かと認められれば常住さまの下付が認められた

なにも伏せ字にすることはありませんよ。創価学会ですね。
たしかに仰るような手順です。これが、法華講になれば、さらに板本尊に改め、また、御影も置くといった具合に進捗することになります。
石山は何故か、どんなに創価学会が発展寄進を繰り返しても、板本尊を下げなかった。それで勝手にやったのが本尊模刻という一連の騒ぎでした。しかし、近代は、板に改めるのに、一々、石山に連絡をしていたと思われず、要は「入仏式」を坊さんを呼ばず、池田さんが自分でやった点を「越権行為」だと立腹したのがはじまりだったろうと思います。

> 現時点に於いては、成就=(常住)の下付は池田教と組していない現在では可能ではないかと思いますがいかがでしょうか?
(当然以前の様に数年と云う時間では無理でしょうが)

池田教という団体はないわけで、単に、宗門に言わせれば破門、学会に言わせれば独立した創価学会があるのみです。この掲示板では、斯様な別称は馴染みません。

仰るのは石山末寺の信徒に関することでしょうが、仰るような手はずで、実際に行われているでしょう。

> 御影=祖師像であるとすれば現在、石山は信徒に於ける祖師像の奉安は認めていませんよね。

これは日顕さんの段階、もっと言えば、創価学会が力を持つようになった頃からそうですね。
しかし、祖師像を奉安する信者はいくらでもいるでしょう。
当掲示板の常連さんにもいらっしゃいます。
だいたい、それを制する根拠などあり得ません。祖像信仰は日興已来のことです。

> 石山は創〇〇会の教えに習って撤廃したのでしょうか?

教えを習うということはないでしょう。
ただし、創価学会は小樽法論の昔から、なぜか御影像が嫌いでした。
池田さんが第2次紛争の時に、説法がわからないと奥さんと話し合った件が、石山に伝わり、日顕さんとその取り巻きは激怒したということがありました。これは御影像での説法についてでした。これが関連するかどうか知りませんが、なんら日蓮に関わる遺物を有さない創価学会、新興宗教ならではの、古物アレルギーみたいな鋳物ではないでしょうか。

> 石山は御影=(祖師像)の撤廃に付いていかような見解であったかご存知でしょうか?

いま、具体的な文献は挙げられませんが、日顕さんは、今後は漫荼羅本尊のみの安置を主流とするような発言をしたことを覚えています。これは、しかし、化儀の簡略化に重点があったのではないでしょうか。
祖像撤廃などという意図は皆無だと思います。


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