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素朴な疑問

3112犀角独歩:2007/01/20(土) 16:27:12

れんさん

仰る「室町」、やはり、この時代辺りがネックですね。正行日源はまさに室町時代の人でした。結局のところ、相伝の類というのは、ここら辺で文献化されているのかなと思います。

各本弟子門下の相伝類を俯瞰して、首を傾げたことが一つあります。
ブログで書いていることとも関連する判形相伝のことです。
常門を含む五老門下では、たいがい、その象りがボロン字であることを言っているわけです。ところが、興門にはこれがないのですね。「在御判」だと言います。日尊実録なんかも併せて、善意に解釈すれば、祖師の花押を模写しない矜持のように取ることもできます。しかし、実のところはどうなんでしょうか。知っていて書かないことと・知らないことでは天地雲泥の相違があります。

(日興が、ではなく、日興に仮託して)興門の本尊相伝を文書化した人々は、実のところ、判形ボロン字の相伝を持っていなかったように見受けます。

全門下の本尊相伝を集大成するのは、身延の行学日朝なのだと思います。
正行日源と本成日實の授受があったわけですね。
これら一度文書化されたものというのは、どんな動きをしたのでしょうか。

石山では日寛が六巻抄などとまとめるわけです。
ここら辺の論調を読んでいると、この相伝は日興のものである、日興のものであるということは日蓮直授、日蓮日興のものであれば、すべて当山のものといった、いわば「他人のものは自分のもの、自分のものは自分のもの」といった強弁が罷り通って、日寛の虚構は成り立っていますね。それ以前、日精の蒐集が、その前提となっているわけですね。

富要に日亨氏が参考資料を記した結果、石山には日興以来伝わっている相伝文書など、何もなく、すべて他山の写本ばかりだったことが明るみに出る結果となりました。そんななかで、「日源」写本ばかりは、自山のものであるといった論調です。

ここで二つ問題があります。まず一つは、石山の歴代でもない水口日源が「唯授一人」に係るはずの相伝を何で写しているのかという疑問です。
もう一つは、先より記しているとおり、写本に記される日源とは、本当に水口日源なのかという疑問です。

諄い文章になりましたが、れんさんも、疑っている点であると確認でき、少し安堵しました。


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