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素朴な疑問
3029
:
犀角独歩
:2006/12/12(火) 11:36:55
問答さん
唱える・唱えないの話ではないでしょう。
ここでもまた、日蓮を事績を唱題のみとして、他を差し置いていませんか。
『十章鈔』には以下のとおりあります。
「止観に十章あり。大意・釈名・体相・摂法・偏円・方便・正観・果報・起教・旨帰なり。前六重依修多羅と申て、大意より方便までの六重は先四巻に限る。これは妙解迹門の心をのべたり。今依妙解以立正行と申は第七の正観十境十乗の観法、本門の心なり。一念三千此よりはじまる。
一念三千と申事は迹門にすらなを許されず。何況爾前に分たえたる事なり。一念三千の出処は略開三之十如実相なれども、義分は本門に限。爾前は迹門の依義判文、迹門は本門の依義判文なり。但真実の依文判義は本門に限べし。
されば円の行まちまちなり。沙をかずえ、大海をみる、なを円の行なり。何況爾前の経をよみ、弥陀等の諸仏の名号を唱をや。但これらは時々の行なるべし。
真実に円の行に順じて常に口ずさみにすべき事は南無妙法蓮華経なり。心に存べき事は一念三千の観法なり。これは智者の行解なり。日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととなえさすべし。名は必体にいたる徳あり」
ここで一念三千は止観にあり、南無妙法蓮華経を唱えることによって体にいたる徳ありといいます。日蓮は、単に題目だけを唱え得ていたわけではありません。また、信者も本尊に向かって、観法していたわけではありません。この事情は、文永10年の段階でも、さして変わってはいないでしょう。
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