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素朴な疑問
3107
:
れん
:2007/01/20(土) 12:18:10
水口日源師は、興師御筆漫荼羅の脇書きなどによりますと、寂日坊日華師の弟子で、讃岐公・讃岐阿闍梨を名乗った方で、正和年間には興師より熱原法難にかかる興師宛ての蓮師遺文の興師写本を授与され、師の確かな真筆としては、先に挙げた興師写本遺文への師の書き入れと立正安国論の写本二巻が北山本門寺に現存します。岩本実相寺の日源師の確かな真筆は同寺所蔵の本尊問答抄の正応年間の写本があるくらいでしょうか。
堀日亨師は“本尊三度相伝”の筆者を水口日源師の筆とされたのは、どのような理由によるか、分かりませんが、独学徒さんがアップされる資料で分かるかもしれませんね。但し、先行する“伝説”としては、完則宝蔵目録には実相寺日源の筆との伝承がありますから、堀師の鑑定のみをもって水口日源師の写本と断定するのは、やや早計かもしれません。
本尊論資料では、朗門や常門にも同内容の文献が見え、順師撰とされる本門心底抄にも三度相伝と同内容の文章が引用されますから、本尊三度相伝に記される個々の法義やその原書は、室町中期の成立と見られる両巻血脈の法義の影響が見える本尊七箇相承よりも、そこそこ上代(富士で言えば早ければ興師の直弟の世代か孫弟子の世代)にその成立を遡れる可能性はあると存じます。
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