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素朴な疑問

3032犀角独歩:2006/12/13(水) 09:13:16

> 「名字凡夫僧」を標榜された蓮師と「智者」との自称とは馴染まない

とのことですが、わたしは名字凡夫が智者ではないという論法は、よくわかりません。先に挙げましたが『報恩抄』に「大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきわめ、智者とならで叶ふべきか」とあります。智者でないと報恩は叶わないというわけで、自ら報恩を勧める日蓮が智者でなければ空文となります。日本第一の智者としての自覚が唱題の勧めとなった考えたほうが自然ではないでしょうか。

ついでにもう一点。富士門下において、止観がなぜ軽視されるのか、それは、日蓮没後に捏造されていった相伝文などに原因があると思います。

「天台の漢字の止観を見て、眼目を迷はし心意を驚動し、或は仮字を漢字と成し、或は「止観明静・前代未聞」の見に耽(ふけ)りて本迹一致の思ひを成し、我が内証の寿量品を知らずして止観に同じ、但自見の僻目を本として予が立義を破失し三悪道に堕つべし」

けれど、日興作である証拠のない『遺誡置文』の

「当門流に於ては御抄を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞くべき事」

という如く、当初はもっと緩やかであったと想像されます。
遺文の重視は、日興に見られるところでしょうが、やがて、遺文は止観を凌駕していった爪痕が、上に引用した『本因妙抄』等に散見されます。
しかしながら、止観の重視は、むしろ、日蓮の特徴なのであって、真蹟遺文でざっと数えただけでも100近い使用が見られます。

また日寛の但行唱題といった解釈を日蓮の教えだと思うと、日蓮が止観などの学問を自らもしたにも進めていた実像がかき消されます。しかし、「止観云」とたびたび引用する日蓮が止観を廃していたなどとはとうてい思えません。むしろ事態は逆です。廃されていたものがあるとすれば、それは参禅ではなかったでしょうか。資料名を失念しましたが、日蓮出現前夜の比叡山では、参禅は廃れていたといいます。このような背景は、むしろ、称名念仏が流行る素地となったのかもしれません。次いで称名流行という背景は、唱題を受容する役割となったとも云えるかもしれません。

いずれにしても日蓮遺文は、弟子僧と入道といった学識のある‘智者’との熱心な経釈学習という日常の所作があり、そこから手紙の遣り取りであると見ないと、「日蓮の風景」は見えてきません。


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