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死刑制度についてひと言お願いします

1boro:2003/03/16(日) 14:16
死刑制度については他のサイトとかで
さんざんやってきたテーマだと思いますが
そのときの犯罪事情によっても意見が
違ってくると思います。そういう意味で
いま現在、どのように思っているかを
簡単でかまわないので意見をきかせてください。
場合によってはテキストを書く上で参考にさせて
いただくかもしれません。よろしくお願いします。

353tomokun:2003/11/11(火) 21:05
このスレで死刑制度につい皆さんの意見を聞いてきましたが、
単純に死刑を存続するとか廃止するというだけでは、
今抱えている問題は解決しないようですね。

死刑廃止論者が死刑を反対する理由として、
1.死刑が犯罪抑止につながらない
2.悪質な犯罪者にも更生の可能性がある
3.冤罪を生む可能性がある
4.死刑を死刑執行人に押しつけてよいのか
5.死刑は国家のよる殺人であり、到底許されるものではない

一方、死刑制度支持者の意見として、
A.死刑制度が犯罪の抑制につながる
B.凶悪な犯罪は自らの命をもって償うべき
C.被害者の苦しみや遺族の感情を考慮すれば存続すべき
D.再犯の防止につながる

正直なところ私自身、死刑制度の是非に迷っています。
特に、反対論者の意見5と、賛成論者のCおよびDの意見をどうしても
自分の中で解決できません。
同じように迷っている方もいるかと思います。

現行の刑法では、死刑と無期懲役の落差があまりに大きいのが事実です。
せめて終身刑の導入は必要ではないでしょうか。
死刑の存続については、その後に議論してもよいのではないでしょうか。

終身刑も残虐であるという意見もありますが、犯した罪の大きさを償うこと、
再犯の防止になることを考えればやむを得ないと思います。

あと、今の法律は犯罪被害者とその遺族への人権の配慮がかなり低いですね。
終身刑の導入の前に被害者・遺族へんぽ補償、ケアを充実するべきでしょう。
被害者・遺族へのケアと再犯の防止について考えることなく、ただやみくもに
死刑廃止を訴える人がいますが、その方法はまずいんじゃないかな。
本人にその気はなくても、エセ人権派と呼ばれるだけだと思う。

354歴史好き:2003/11/11(火) 21:06
ロムばかりでしたが、初めて書き込みます。
本題とずれてるかもしれませんが、私が学習した限りでは、江戸時代は、その刑罰の重さから、
犯罪は非常に少なく、大金を横に置いて遊んだとしても、だれも取ってゆくものがないほどだった
とあります。
なんせ、10両盗めば首が飛んでしまうのですから。
確かに犯罪がなくなるまでは行きませんが、現在と比較すると、ずっと安全だったようです。

355loveless:2003/11/11(火) 21:54
>>353
tomokunさん、箇条書きでの意見の集約、見やすくてよいです。

できましたら、私が
>>272 や
>>329 で書いた「その地域(国家)の宗教・文化・社会通念
に照らし合わせるべきである」という点も末席に加えて
いただけないでしょうか?
(上記、5およびB,Cを抽象化しただけかもしれませんが)

「死」や「罰」、あるいは「人権」というのは、宗教・文化・民族
間で意識がずいぶんと違うものと思い、人の死や生命を扱う問題
では避けては通れないものと思います。
(臓器移植や代理母なんかもそうですよね?)

また、揚げ足取り気味ですみませんが、3の冤罪については
別問題と考えます。
どんな刑であっても冤罪は許されない、これは死刑廃止論者
も一致するところと思います。

356瀬田:2003/11/12(水) 02:39
はじめまして。
K大法学部で死刑問題を専攻しています。

こちらのスレッドの内容はほとんど読ませて頂きました。
正直なところ、私自身はこの問題に明確な結論を出せていません。
何の罪もない人が残酷な方法で殺され、その犯人が死刑にもならないでいる
としたら、なんとも釈然としないのが普通ですし、まさしく「不正義」である
と思うのが当然だと思います。
そうした感情論は簡単に無視してよいものではないと思います。
それに、死刑を宣告されるような許しがたい犯罪者が一般社会から隔絶され
る(「死」による確実な隔離)ことによって、社会を守るという一般予防的
な見地からも、死刑の存在には意味があるのではないかと思います。

しかし、万が一にも誤判によって無実の人が処刑されるようなことがあれば、
それこそは言語に絶する不正義であると私は思います。
人間のやることに間違いはつきものです。誤判の可能性は裁判の性質上、
不可避だと言っていいと思います。現に、日本にも免田、財田川、松山、
島田の再審4事件がありますし、イギリスで死刑が廃止される大きな要因に
なったのも誤判の問題でした。
死刑囚にはよく『無罪妄想』というのがあるそうなのですが、全部が全部
そうではないことは想像に難くないでしょう。「自分がやったんじゃない」
と絶叫して絞首台に消えていく人たちの中に、もし本当に無実の人がいると
したら、いったい、こんな不正義なことがありますか。

そういう意味で、私の考えは死刑廃止論に傾いていますが・・・まだ明確な
結論は出せないでいます。tomokunさんとは少し違いますが、迷っている
点では私も同じですね。


lovelessさんは冤罪については別問題だと思うと言われましたが、確かに
私も、どんな事件についても誤判はあってはならないことだと思います。
懲役刑などで刑務所に長い間服役していた人が、あとで無実だということが
わかって釈放されたとしても、失われた時間は戻ってこないという意味から
言えば、これも確かに取り返しがつかないものです。
しかし、そういう利益はいくら重要な、しかも人格的利益であろうとも人間が
自分の持ち物として持っている権利ですが、生命はすべての利益が帰属する
主体であるところの人間そのものです。死刑は、すべての元にあるその生命
そのものを奪うのであって、同じ取り返しがつかないといっても本質的に全く
違うものです。
そうした点で、死刑事件以外の場合の誤判と、死刑事件の誤判とでは質的に
決定的な違いがあると思います。

わかりにくかったらすみません(汗)。

宗教・文化・民族等で死や罰に対する意識が違うという点については、私も
そう思います。ヨーロッパ諸国を中心に世界的に死刑が廃止されてきている
背景には、キリスト教の影響が少なからずあると思います。

357kazuko:2003/11/12(水) 14:39
歴史好き様

私の知る限り、江戸の防犯体制は万全でした。
(木戸の設置、住人同士の監視体制など)
犯罪率が低かったのはその為とも聞いております。

それで尚且つ犯罪も起きる、死刑は公開しておりましたので、
死刑になる前に死にたくないとわめく者もいれば、
見物人に説教する死刑囚もあり、最後まで堂々としていれば賞賛されたり
様々であったと聞きます。

このあたりはきちんとした資料で確認していないのですが
府中刑務所のはじまりは、極刑でもなお犯罪率が減らないことから
どのような犯罪者が多いのかを考慮し、技能が無い為に仕事につけないので
技能を身につけさせれば社会生活を送れるようになるのではないのか
そんなところからはじまったと聞いております。

事実、外国人で刑務所出所の際、自分の国語も読み書きできず、仕事につけないので
お金を沢山持っている日本人から物を盗んでも良いと思っていたが、刑務所内で
自国語(日本からみれば外国語)を習い、技能も身につけてもらって
故国に送り返してもらえる(強制送還)複雑な気持ちだと言った方がいらしたそうです。

生活が苦しくて窃盗などをする人にはこの方法が有効だったと言えるかと思います。

358元愛媛県民:2003/11/12(水) 19:02
>>353 
死刑廃止論者が死刑を反対する理由として、
1.死刑が犯罪抑止につながらない
2.悪質な犯罪者にも更生の可能性がある
3.冤罪を生む可能性がある
4.死刑を死刑執行人に押しつけてよいのか
5.死刑は国家のよる殺人であり、到底許されるものではない

この箇条書きは確かに素晴らしくわかりやすいです。
死刑賛成派としてこれに対する反論を書かせてください。
1.犯罪抑止につながらなくても刑罰は必要です。大麻、覚せい剤などの薬物使用による
 犯人は非常に再犯率が高いですが、この刑罰が必要ではないとは絶対にいえないと思います。
2.確かに犯罪者にも更正の可能性はあります。しかしそれに反して凶悪な殺人事件の犯人が出所してから
 再び犯罪を行う率のほうがはるかに高いと思われます。
3.冤罪と死刑反対というのは、直接結びつける問題ではないと思います。
 極論すれば窃盗犯でも、軽犯罪法違反の犯罪に対しても、冤罪の可能性はあります。
 宅間のような絶対に冤罪ではない犯人をそれによって救うことは納得できません。
4.これも死刑反対と直接むすびつく問題ではないような気がします。
 死刑執行人がそれほどいないならば、募集でもしたらたくさん集まると思います。
 そんなになり手がいないなら、私がなってもよいです。
5.これは常識的な相手間で議論されるなら正論ですが、相手が死刑になるような
 凶悪犯ではこんな正論を主張しているようでは、国家はたちいかないでしょう。
 ちょっと話がそれるかもしれませんが、「国連安保理の決議がなければ」と最近
 主張している政治家は、中国が台湾に核攻撃した場合(別にアメリカがキューバを
 攻撃した場合でも同じですが)には絶対に行動をおこさないということになります。
 どちらも国連安保理での拒否権を持っています。

359瀬田:2003/11/12(水) 21:57
>>358

1「犯罪抑止につながらなくても刑罰は必要」
死刑廃止論者は死刑囚を無罪にしろなどとは言っていません。罰を加えること
には反対していないのです。あなたのそれは誤った解釈であることを指摘して
おきます。この点は混同しないでください。たしかに刑罰は必要です。ですが
それは刑罰論の話ですので、死刑問題と同列に論ずるべきものではありません。
死刑に犯罪抑止力があるのか、という論点は重要なものです。
もし、死刑制度がなくなることで犯罪が増加し、一般市民の生命が脅かされる
ということが明らかであれば、公共の福祉論による死刑の正当化は説得力を
持つことになります。逆に、死刑に犯罪抑止力がないのであれば、その存置の
理由を他へ求める必要が出てくるのです。

2「凶悪な犯罪者は出所後、再犯を行う率がはるかに高い」
何を根拠にそういわれるのでしょうか?法務省の統計には再犯の統計は存在
しません。もし単なる憶測であるなら、それは議論の対象になりませんよ。
通説では交通関係業過をのぞいた刑法犯では4割ほどといわれますが、これは
薬物犯罪が大半を占めているのが実情です。殺人の再犯というのは、刑期が
長いので非常に少ないのです。一番再犯が多いのは無銭飲食であり、これは
刑期がせいぜい十月とか八月なので、幾らでも再犯ができ、前科数十犯という
のがいます。ところが窃盗になると常習累犯窃盗という犯罪類型があるので、
3回やれば刑期が3年以上になり再犯が難しくなる。だから再犯率というのは
一般的に非常に議論しにくく、罪種によって本当に違ってくるものなのです。

3「冤罪と死刑反対とは直接結びつけるものではない」
私はそうは思いません。>>356の後段で申し上げたとおりです。
他の論点では死刑制度を肯定的に捉えながら、誤判の危険のみを理由に死刑
廃止を訴える説も少なくありません。

4「死刑を執行人に押し付けてよいのか」
これは元愛媛県民さんの言うように、死刑問題と直接結びつく話ではありま
せんね。確かにそういう問題があるのは事実ですが・・・
なお、この点については大塚公子著『死刑執行人の苦悩』(角川文庫)に目を
通してみてください。関係者の語ったものをまとめたものだそうです。
日本の死刑制度は一切公開されず、関係者には法律上守秘義務が課されるため
その実情を知るのは困難ですが、数少ない刑務官の問題に関する書物です。
死刑執行が公開されないのは、おそらく公序良俗を害することになるからだと
私は思います。それをマスコミに生々しく書き立てれば、社会にショックを
与え、暴力的な悪い風潮を誘発・助長させるものになりかねません。
正木亮博士が死刑を「現代の恥辱」だといわれたのは、この意味で的を得て
いると思います。

5「凶悪犯相手にこんな正論を主張しては、国家は立ち行かない」
刑法が「人を殺すなかれ」という精神を以って殺人罪を規定している点には
異論はないと思いますが、では国が死刑という法律上の制度によって人を殺す
ことは許されるのですか、人を殺してはいけないという法自身が人を殺すのは
矛盾していませんか、というのがこの論点です。
ドイツでは死刑について「司法殺人」(Justizmord)という言葉が学説の中で
広く使われているほどです。
どちらかというと、倫理的な要素の強い問題ですね。
常識的な相手以外を議論に含めないのであれば、犯罪に関する学問は成立し
ません。哲学として論ずるならそれでもかまいませんが、制度として論ずる
場合には、それでは通らないのです。

360大森:2003/11/13(木) 00:26
こんばんは、初めて書き込みます。私は法律には詳しくないし、哲学的に
論ずることもできないですけど、凶悪犯が死刑になれば、少なくとも当該
犯人による累犯は未然に防げると思います。凶悪犯の更生が100%でない
限りは.....ただの算数の問題みたいですけど。
死刑が残酷な刑罰であるならば、仮出獄無しの終身刑を制度化しない
限り、罪のない人が累犯によって社会から葬られる可能性は常にあるのでは
ないでしょうか。終身刑を制度化することによる負のコストは社会が負わね
ばならないのですが、それを是か非とするところに死刑制度の存続の問題が
あると思います。有史以来、犯罪のない世の中など無いし、社会維持のために
犯罪にたいするコストは負担しないといけないのですから。

361人権:2003/11/13(木) 03:06
私もtomokunさんの
「あと、今の法律は犯罪被害者とその遺族への人権の配慮がかなり
低いですね。・・・、エセ人権派と呼ばれるだけだと思う」
の部分に全く同感です。

廃止派の方々に伺いたいのですが、仮に死刑を廃止したとして、
そのあとの事はどういうふうに考えておられるのでしょうか。

「刑法の条文から死刑の文言を削除すればそれでいい」或いは
「死刑の代わりに例えば終身刑を導入する」
「終身刑に限らず相当大幅に改正する(その中には所謂<修復的
司法>等の導入も検討する)」
 等等。
この他にも考えられると思いますが、廃止論のサイトを見ても
この点に関してはもう一つ明確でないように感じます。

362人権:2003/11/13(木) 03:25
「死刑の抑止力」については以前にも書いたことがありましたが、
些か疑問に思うのはなぜ死刑に限って殊更抑止力を問題にするのか
ということです。無期刑や一般の懲役刑についてはさほど問題と
されてはいないようですが・・・或いは私が知らないだけかも知れま
せんが。

法学部の方が仰っている「通説」とは刑法学者・学会の説という意味
でしょうか。でも「再犯の統計はない」のでは?研究者独自のデータ
が存在するのでしょうか。「殺人の再犯は非常に少ない」とのこと
ですが、具体的にはどれくらいですか。

363歴史好き:2003/11/13(木) 08:52
kazukoさま
レスありがとうございます
今よりも喰えない者が多かった時代、生きるため、あるいは破れかぶれになっての窃盗、
強盗の類は多々あったでしょうが、衣食足りてなお、人を殺める(死刑に通じる犯罪)
といった凶悪な犯罪は、やはり少なかったのではと。
防犯体制については、農村では、やはりゆったりしていたように思います。
私は昭和1ケタの田舎もので、子供のころ、出入り口に鍵などなく、棒もかうことなく
暮らしていたこと、江戸時代生まれのじいさまのずっとまえから、そうだったこと。
(そういえば、子供の頃はいつもお腹すかしていて、お墓の供え物をよく食べていました。
それも盗みではありますが、鳥がツツいて散らかす前に貧乏人の子供衆が食う、そういう暗黙の了解が
あって暮らしてたです)
玄関なんていうものが付いて、鍵を掛けるようになったのは、高度成長のハシリの頃からでしょうか。
また、読んだ資料では、やはり江戸でも人口を考慮すると、驚くほど犯罪が少なかった
と記してあったことなどから、刑罰の抑止力がないと、江戸時代を例にして言い切ってしまえる
のかなと疑問に感じ、ついくちばしを挟んでしまいました。
江戸時代といっても、元禄の頃と末期では全く違うでしょうし、文献もまた、まちまちなの
かもしれないですね。
kazukoさんのほうが、きっと、私などよりずっと当時のことを勉強してらっしゃるのですね。
大変申し訳ありませんでした。

すみません、また皆様の話の腰を折ってしまいました。

364瀬田:2003/11/14(金) 00:46
>>361
> 人権 様
死刑を廃止した、その後のことはどうするのかという指摘についてですが、
これについては学説上も散見されます(このあたりはウェブサイトよりも実際
に本を手にとって読まれたほうが把握しやすいと思います)。
私個人は、あくまでも現実の制度として論ずる以上、これは無視できない
どころか、非常に重要な問題であると思います。ただし、死刑問題そのもの
とは分けて考える必要があると思います。死刑制度と直接つながる話では
ありますが、死刑の是非を考える論理とはまた異質の話だからです。

私の知っている範囲で申し上げますが、死刑制度を廃止した後のことについて
次のような例を挙げておきます。
①絶対的終身刑(仮釈放の余地のない)の新設
 これは文字通り絶対的な、永久に拘置し続けるという意味です。廃止論の
 側からは、よく言われることだと思います。ただし、私はこれには賛同いた
 しかねます。
 受刑者に希望を失わせることは、反省の機会を奪うことになり、その後の
 生が贖罪として意味のあるものにならないからです。死刑囚には懲役刑の
 ような刑務作業は課されません。死ぬまで無限に続く暗い無意味な日々、
 それが何になりますか。そう思うからです。
 ドイツの刑法学者で、現代の教育刑理論の基礎を作った、リスト(Franz
  von Liszts,1851-1919)も、このような終身刑はむしろ死刑以上に残酷
 なものであると論じています。
 また、拘置所内の治安維持という見地からも望ましくないと思われます。
②無期懲役への減刑の余地を残した終身刑の新設
 絶対的なそれではなく、ある程度まで恩赦によって減刑される可能性を
 残した終身刑です(その適用に関しては運用の問題ですので、省きます)。
 一番現実的なのはこの案ではないかと私は思います。減刑の可能性を完全に
 否定するのは理論的にも困難でしょうし、現行の犯罪者処遇が教育刑論を
 基礎にしていることを考えても、その精神に合致すると思います。
 それに、誤判の場合の安全弁という観点だけから見ても、死刑に勝ることは
 確実だからです。
③執行されることのない名目的な死刑判決の制度
 いわゆる死刑執行停止制度です。死刑という罪名は残しつつ、実際に執行
 することは行わないといえばわかりやすいかと思います。
 刑罰とは犯罪に対する客観的評価ですから、極度に情状の悪い殺人などの
 犯罪を死刑に相当するものとして評価することも、世の中の常識から言って
 一概に排斥するわけにはいかない。しかし、死刑囚であっても死刑という
 極限の状況に置かれることで更正したケースがあるのは事実ですし、その
 可能性を無視して執行してしまうことは許されないのではないか(万一の
 誤判の保障のためにも)という考え方です。
 それなら無期刑と同じではないかという疑問も出ると思いますが、無期刑は
 10年服役すれば仮釈放の対象になりますが、この執行されない死刑には
 恩赦で無期刑に減刑された場合は別にして、そうでない限り仮釈放はありま
 せん。私はこれはこれで、筋が通るものだと思います。
 欧米にはこのような形態で死刑問題に対応している国もありますし、過渡的
 なものとしても、検討する価値のあるものと思います。

また、ここに挙げた例以外にも多数の説があることを明記しておきます。

365瀬田:2003/11/14(金) 01:21
>>362

刑法犯の再犯率がおよそ4割ほどと申し上げたことについてですが、実は私の
ゼミを担当する先生が元検察官でして、その筋の話なのです。実体験から出た
概ねこのくらいだという話ですので、具体的なものではありません(もちろん
私たち一般市民の予想よりもはるかに現実感のある話です)。その意味で、
一般的には主に学説という意味で用いられる「通説」という言葉を使ったのは
ちょっと不適切だったと思います。
また、具体的な数字については、再犯率について法務省のほうで統計を取って
いないことは事実です。ちょっと気になったので確認してみたのですが、刑務
所に再び収監された出獄者の率、『再入率』というのは統計が出ております。
ただし、これも罪種別のものは出ていません。殺人の再犯が少ないというのも
関係者の間ではよく言われることらしいのですが、具体的な数字は見当たら
ないのです(ただし、殺人などの犯罪は普通、審理も刑期も長くなるので、
窃盗犯などに比べると、再び罪を犯す率が低くなるのは比較的想像しやすいと
思います)。
もしそういった統計があるとすれば、法務省統計の元になっている警察庁統計
の膨大なデータの中にそういう類のものがあるのかもしれません。
国会図書館や矯正協会図書館などで閲覧することができるので、後日調べて
みたいと思います。
もっとも、もし殺人の再犯率が高いという統計があったとしても、それが直接
死刑の存廃に影響を与えるものとは思えません。犯罪者を隔離することが一般
社会の安全につながる、つまりは一般予防という考え方に結びつくと思います
が、それならば死刑でなくても良いのです。極端な話、ずっと閉じ込めておけ
ば一般社会の安全を脅かすことはないのですから。そういう点で、再犯率を調
べてもあまり有力な論点にはなりえないと思われます。

訂正:>>359の「司法殺人」(Justizmord)という語は特に誤判によって
   無実の人を処刑することを意味するものでした。訂正しておきます。


>>363
> 歴史好き 様
江戸時代の話はなかなか興味深いですね。社会的背景が現代とは全く異なる
ので、同列に取り上げて考えることができないのが残念です。

死刑の予防的効果には、一般に死刑を法律に規定しておくこと自体の威嚇に
よるものと、死刑の執行による威嚇によるものがあるといわれますが、昔は
後者に重点が置かれていたようですね。
中国には斬の一種に「陵遅」というものがありました。元の時代以降、清朝
まで残っていた刑罰で、荻生徂徠によれば陵遅とは「ずたずたにきることなり
」と説明されています。 街頭で犯人を杭に縛りつけ、大きな刃物を持った
執行吏が犯人の腕や胸から次々に肉を無残に削り取っていくのです。
こんな例を挙げるまでもなく、昔から、火刑、車裂刑、鋸引き、曝し首、磔、
ギロチン、等々、洋の東西を問わずまさに人知の限りを尽くしたかのような
すさまじいものが無数にあることを、私は大学に入ってから知りました。
現代ではさすがにそんな野蛮なものはなくなりました。反対に、死刑をいかに
苦痛のない人道的なもの(人道的な死刑執行というのも妙ですが)にするか
ということで、ガス死刑や電気椅子、薬殺など、いろいろと工夫されている
のが実情のようです。

おそらくご存知かもしれませんが、我が国には平安朝時代に350年近く、ほん
のわずかな例を除いては死刑が行われなかった時期があったようですね。
ひとつには比較的平和だった社会的・政治的背景があるに違いありませんが、
当時の日本に強く影響していた仏教思想が関係していると言われています。
私はこのあたりにはあまり詳しくないのですが・・・(汗)。

366心変わり:2003/11/14(金) 13:31
はじめて書きこみいたします。
さて、瀬田様
>死刑の是非を考える論理とはまた異質の話だからです。
これはおかしいと感じます。
なぜならば、変革を希望するのであれば、様々な疑
問・問題点への対応を提示してはじめて人(や法律)を
動かせるからと考えるからです。
>死刑制度と直接つながる話ではありますが、
とお考えであればなおさらです。
私は、望まない「死」に突然直面した本人、関係者の
感情、犯罪抑止効果、われわれが一生懸命働いて税金
を納めることで、結果的に当の犯罪者を「食わせる」
というバカらしさを勘案しますと、死刑制度の存続は
当然の帰結であると考えます。
何よりも加害者が居なければ被害者も居ないというこ
とを考えなければ意味がない。
しかも死刑を言い渡されるくらいなら、複数人殺す事
件なわけでしょう。更生なんかしませんよ。というか
更生されても被害者遺族には無意味でしょうね。

367元愛媛県民:2003/11/14(金) 15:30
瀬田様へ
私の書き込みに対して、きちっと意見を述べていただいてありがとうございます。
ただ死刑制度について反対の人たちには遵法精神はないのでしょうか。
現行の刑法で死刑を執行することには、法律上は何の問題もありません。
逆に、過去何年かまったく死刑が執行されない時代がありましたが、そちらのほうが
問題です。なぜなら法務大臣が法を守っていないわけですから・・・・・。
死刑制度を廃止するには大学の先生がいくら理論をもって、私たちを説得させようと
そんなことは意味がありません。国会で刑法を改正しなければ絶対に死刑は廃止にはなりません。
「死刑廃止議員連盟」というのがありますが、法案を国会に提出し、死刑制度を議題にのせないのは
なぜなのでしょうか。
私も学生時代には法律を学んでいました。しかしあなたのように優秀な学生ではなかったし、なによりも
「犯罪とは構成要件に該当し、違法かつ有責な行為である」という一見正論のように思えるが、無茶苦茶な
「きめつけ」ではじまる刑法はさっぱり理解できませんでした。
宅間がこれまでの犯罪では「責任能力なし」であったのに、今回の事件で「責任能力あり」とされたのは、なぜなのですか。
理論からいけば、これは絶対にあてはまらないでしょう。
ただ刑法が国家の維持のためにあるという大局にたって、この宅間という男を死刑にしなければ
ならない、という理由だったらわかります。
刑法理論に照らし合わせて、この事件を解説していただけないでしょうか。

368瀬田:2003/11/14(金) 20:30
>>366
> 心変わり 様
そうかもしれません。死刑を、制度としてその是非を問うなら、廃止した後の
ことも含めて考えるべきなのかもしれないとも思います。私個人としては一線
を引いて考えたいという意味です。死刑問題は調べれば調べるほど、わけが
わからなくなってしまうのです。私には、存置論の側の意見も廃止論の側の
意見も、どちらも無視できません。自分なりにわかりやすく理解するために、
分けて考えたほうが良いという考えから、そうしました。もちろん制度全体に
ついて論ずるとき、廃止した後のことを考えなくてはならないのは言うまでも
ないことです。

犯罪について、昔はその人だけが悪いのであって、その一個人を処罰すれば
済むという考え方が普通でした。現代においては、犯罪は社会の側にも責任が
あると考えられています。人は育った環境や境遇によって、あるいは教育等に
よって人格を形成されますが、そういった環境によっては凶悪な犯罪者が
作られることは想像に難くありません。人格障害、精神病質といったものは
その典型でしょう(このあたりは犯罪学の分野になりますね)。
ですので、税金で犯罪者に飯を食わせる、それ自体まったく筋の通らないもの
ではないと思います。それが否定されるとしますと、刑務所そのものが制度
として成立いたしません。
死刑の犯罪抑止効果について、私は否定的に考えています。普通に考えて、
死刑になると怖いから犯罪を犯すのはやめよう、と思いとどまる犯罪者がいる
でしょうか?死刑に処されたいがために望んで殺人を犯す異常人格というのは
欧米でも数例報告されておりますが、(稀有な例ではありますが)そういうの
にはむしろ逆効果といっても良いくらいです。
欧州においては死刑廃止国が大半ですが、死刑を廃止した後、刑事政策的に特
に凶悪犯罪が増加したとは認められないという報告がされていますし、米国に
おいても同様の調査結果があるようです。
また、死刑判決を受けるような者は更正しない、などとは断言できないと思い
ます。もちろん更正しない者がいることも確かでしょうが、人間には様々な
人がいます。人間にはどんな転機が起きるとも限りません。死刑囚というある
種の極限状況に置かれることで変わったともとれるので、難しいところでは
ありますが、一概に決め付けられるものではありません。
被害者遺族には無意味、それは確かでしょうね。更正しようがしまいが、また
死刑になろうがなるまいが、殺された人が戻ってくるわけではないのですから
、もっともなことです。しかし、おそらく犯人をなぶり殺しにしたところで、
遺族の気が済むとは思えないのです。むしろ、空虚な気持ちだけがいつまでも
胸の中に残るような気もいたします。また、犯人を死刑にしないで欲しいと
いう被害者もいるようですので、これも一概にまとめることは困難です。
法的な制度としては、被害者感情を十分に考慮に入れつつ、客観的かつ合理的
な考慮のもとに刑罰制度を考えなくてはならないのです。そうでなければ、
単なる私的復讐の代行に過ぎません。刑法で考えるべき「応報」は単なる「復
讐」よりも次元の高いものが要求されるものと思います。
そもそも日本は被害者のための法がほとんどないというような状態ですので、
死刑問題は抜きにしても、早急にそういった制度を確立すべきなのは言うまで
もないでしょう。欧米に比べ、日本の被害者保障制度は20〜30年遅れていると
まで言われる状態なのです(これは私も大学に入ってから知りまして、大変
ショックを受けました・・・)。

369瀬田:2003/11/14(金) 21:28
>>367
> 元愛媛県民 様
法務大臣が判を押さない、というあれは確かに問題があります。
死刑執行命令書の決済が法務大臣のもとにくるまでには、これは省内で刑事局
から矯正局、保護局というように順次まわしてくるわけですが、特に刑事局
では一人の局付の検事が記録を綿密に精査するのです。そのうえで間違いが
ないということで各局へまわし、最後に法務大臣のところへくるので、本来
ならば何らかの特別な考えがあるのでなければ、判を押すべきです。
それを自分の在任中は絶対に押さないと初めから宣言して、その大臣のときは
押さなかったというのは、いやなことを避けたといわれても仕方ないでしょう。
また、自分の在任中に片付けるといって記者を集めて、数珠か何かを持って
現れ、二十何人だかの執行命令書にサインしたところを写真に撮らせたような
人もいたようです。これなどは自己顕示的なところがあるうえ、死刑を自分の
宣伝に使うとはとんでもないことだと思います。
刑事訴訟法では確定後六月以内に執行の命令を出すとされていますが、実際の
運用はこのようにだらしない面もあり、困ったことです。

法は守りさえすれば良いというものではありません。それが本当に自分たちに
とって必要なのか、別の方法があるのではないか、という議論を絶えず続けな
ければ、法はおそろしい方向へ向かう可能性を持っています。政治の恣意的
判断によって歪められることさえありえます。法律上問題がなければよいと
いうものでもありませんし、死刑の憲法との整合性については論争が続いて
いることも事実です。学説が最高裁の判断を変えることもありえます。
仮に憲法解釈が死刑を許さない方向に落ち着くとすれば、下位法である刑法は
それに従う形になり、刑として死刑宣告がされても、実質的には執行が行われ
ないことになります。もっとも、現在は死刑制度が憲法に反するという判断は
されておりませんし、いま死刑を廃止あるいは停止するのは非常に困難である
と私も思います。

私も刑法は難しいと感じます。民法は基本的に悪意の人よりも善意の人が保護
されるという精神のもので、ある意味わかりやすいのですが、刑法関連の問題
にはなかなか理解できないものもあります(中止犯論、因果関係論などは私は
苦手です)。
「宅間」が責任能力ありとされたのは精神鑑定の結果であり、私などは口を
出す能力も知識もありません。検察庁のほうで供述調書を読んだりすれば
あるいはわかるかもしれませんが、それは公開されていませんので・・・。
私はこの事件について、報道されている以上の情報は持っていませんし、
未決の事件について安易にお答えすることは非常に不適切だと思います。

370loveless:2003/11/15(土) 04:12
>>356 瀬田さん、
私が、「冤罪」問題が死刑存廃議論とやや離れていると感じたのは、
次のような理由から、存廃の決定的な対立軸にならないと思ったからです。
(でも、皆さん対立してますね。笑)
 1)死刑が存在している状態であっても冤罪を無くす努力は可能
 2)終身刑などの冤罪と死刑の冤罪とで本質的な差は無い

1)については異論が無いと思います。
2)については、時間を奪うことも取り返しのつかないことであり、
人生を奪うという行為を考えるとあまり変わらないというのが、
私の意見です。
(ここが廃止派と存置派で意見が分かれるところでしょうか?)

(以下、長いし哲学っぽくなるので暇なときに読んでちょ)
356の後段について、私としては、「時間」は個人に帰属する利益
とは異なるものと考えます。金銭とか財産・地位などは、確かに
個人としての生命に帰属するものでしょう。そのため、主体の個人が
存在していれば、従であるそれらのものを再び帰属させる(賠償する)
ことも可能です。

「時間」はどうでしょうか?
個人への時間の影響としてわかりやすいものに、「老い」や「寿命」
などがあるかと思います。これらは、確かに主体である個人が存在
してこそ意味のあるものです。ところが、時間そのものは個人を
無視して勝手に進んでいたりもします。ある時刻の瞬間にある個人が
とれる行動は唯一つだけです。これが、時間は取り返しのつかないもの
であるという理由だと思います。
例えば、仮に50年前に瀬田さんと全く同一の個人が生きていた
としましょう。この瀬田ドッペル君は、現代の瀬田さんと全く
同じように年をとり、老い、寿命を迎え亡くなるものとします。
でも、瀬田さんの人生と瀬田ドッペル君の人生は全く同じになる
とは思えないですよね?

浅学の身なので、瀬田さんの論を誤解しているかもしれませんが、
私が時間も生命そのものと同じように取り返しのつかないもの
(なので終身刑などの冤罪と死刑の冤罪に本質的な差はない)と
考えるのは以上からです。
(。。。その割には時間を無為に使っている。。。 自爆)

371人権:2003/11/16(日) 03:03
瀬田さんの言われる「刑事政策的に特に凶悪犯罪が増加したとは
認められない」という箇所の<刑事政策的>とはどういうことでしょうか。
それと、「米国」とは死刑を廃止した諸州という意味ですか。

以前述べたことの繰り返しになりますが、抑止力に関しては廃止派の
方々が主張される如く「既に決着がついている」とは必ずしも言えない
と思います。
例えばこのサイトにリンクしている『死刑執行人もまた死す』という
サイト内の「また会う日まで」の【補足1】に引用されている文献
によれば、イギリスにおいてホミサイド(謀殺・故殺・嬰児殺)認知
件数の人口100万人あたりの人口比すなわち「発生率」は廃止から
1993年までの23年間で6.8から11.8へと、およそ倍近い伸びを
示しているとのことです。

もとよりこのデータが信頼するに足るものか否か小生には判断しかね
ますし、仮に信頼できるものだとしてもこれだけを以って凶悪犯罪の
増加と死刑廃止とを短絡的に結びつけることはできないでしょう。

でも抑止力というものは万人に対して100%同等の効力を以って
働くものではないでしょう。働く場合もあれば、働かない場合もある
のではないでしょうか。ただ、抑止力が働いた場合には現実の犯罪事実
としては現出しないので証明しようがない、と考えることはできませんか。

「犯人を嬲り殺しにしたところで、遺族の気が済むとは思えないのです」
小生も多分そうだと思います。
でも多くの遺族の方々が仰るのは
「殺したところで生き返って来るわけではないが、最愛の人間を殺した
者が生きて自分と同じ空気を吸っていること自体が耐えられないのだ」
ということです(もちろん全ての遺族がというわけではありません)。

「生き返らないことは承知しているが、だからこそせめて犯人には
この世から消えてほしい」と。

これを「情緒的な報復の論理」であると批判するのは容易い。
でも、このような被害者の無念・遺族の絶望をも包摂するような
廃止論でなくてはなかなか受け入れられないと思います。

372人権:2003/11/16(日) 12:57
廃止論の方々は欧州の廃止国を高く評価されるようですが、廃止後の
状況はどうなのでしょう。イギリスなどにおいても死刑復活を求める
声は根強くあるように仄聞します。ドイツでは脱走を図った終身犯が
躊躇なく刑務官を殺害する事件がしばしば発生していると聞きます
(つまりこの上何人殺そうとも現に服役中の終身刑以上の刑がないから)

私も今の死刑制度に全く問題がないとは思いません。ただ、廃止すれば
廃止したで様々な問題が付随してくる可能性をも充分考慮すべきだと
考えます。

373瀬田:2003/11/16(日) 15:54
>>370
> loveless 様
うーん、そういわれると哲学的な反論は私には難しいですね・・・。
瀬田ドッペル君と瀬田君の違いの話はちょっと、難しいですよ(笑)。

主観の問題かもしれませんが、私は生命とは全ての権利の元になる根幹をなす
もの、人間そのものだと思うのです。収監されることで時間というか、自由権
は奪われますが、その自由権を持つ主体であるところの人間そのものまでは
奪われないわけです。・・・やっぱり違いませんか?
花だけを摘むのか、球根まで掘り起こすのか、といえばわかりやすいでしょう
か。花を摘んでも翌年また咲く可能性はあるでしょうが、球根を掘り起こせば
翌年は絶対に咲きません。その違い・・・かなと思います。
この点に関しては、過去に私が団藤重光博士の著書に多分に影響を受けたせい
かもしれないと思いますが、死刑は他の刑罰と質的に異なるという見解には
疑問を持っておりません(団藤博士は元最高裁判所判事で、自らの実務経験
から死刑廃止論を提唱しています)。

2)が肯定派と廃止派で意見が分かれる論点のひとつであるのは確かでしょう
ね。1)は死刑があろうがなかろうが、冤罪自体あってはならないものです。
これに異論がある人はおそらくいないでしょう。
終身刑に処された人が仮に無罪だということがわかって、釈放された場合、
時間は過ぎていても社会に帰って、残りの人生を使うことができるわけですが
、死刑に処された人は無罪が判明したとしても帰ってこれません。刑事補償法
に基づき賠償金が遺族に支払われて、おしまいです。その意味で、少なくとも
「重さ」は違うのではないかなと思います。


>>371
> 人権 様
犯罪とは年によって発生する数が(実数として)変わるものです。近年日本の
警察の検挙率が下がりつつあるのは、窃盗犯の急激な増加が多分に影響して
いますし、グラフを見るとわかりやすいのですが、経済や社会情勢によっても
犯罪の数は変わります。これは犯罪学的な話ですね。「刑事政策的に云々〜」
と申し上げたのは、そうした時代の変化等を含めて考えると、誤差といえる
程度の差しかない、決定的・有意的な差は認められない、という意味の報告が
されている、ということです(たしか、ヨーロッパ司法閣僚会議におけるもの
だったと思います)。

374瀬田:2003/11/16(日) 15:58
>>372
> 人権 様
死刑の廃止が犯罪の増加に結びつくものではないという点に関して、たとえば
ドイツの刑法学者リープマンは、刑法の歴史に現れた事例(死刑の執行方法や
適用範囲の変更などの関係)によって検証したり、あるいは、死刑を廃止した
国について廃止前後の殺人罪等の犯罪数を統計的に比較検討する方法によって
、廃止が犯罪の増加につながらないことを示しております。
「米国には云々」と申し上げたのは、これは誰によるものかは失念してしまい
ましたが、もっと厳密に、死刑廃止州と存置州の中で、他の点で社会的条件の
近似したものを取り上げて、両者の殺人罪の数を比較した結果、有意的な差が
認められなかったという研究です。
他にも、死刑に犯罪抑止効果はないとするセリン(Thorsten Sellin)以降の
研究や、反対に抑止効果があるとするエールリッヒ(Issac Ehrlich)の研究が
あります。
もっとも、これらは統計的な見地から見た調査結果であり、科学的に実証され
たものではないので、心理学的・犯罪学的な要素も含めて、きちんと実証され
るべきでしょうね。そうでなければ抑止力があるともないとも言い切れない
でしょう。

私が死刑の抑止力に対して否定的に考えているのは、心理学的な意味合いから
です。死刑に他の刑罰には期待できないような強い威嚇力・予防的効果がある
か、言い変えれば、死刑を廃止すればそれだけ殺人その他の犯罪が増えるか、
という問題ですが、殺人犯人が犯行にあたって死刑のことを思い出して実行を
思いとどまるということは、滅多にないのではないでしょうか。激情にまかせ
て行われたような殺人の場合にはなおさらですし、計画的な謀殺の場合でも、
第一、自分は絶対に捕まらないつもりで犯行に出ることはあっても、捕まって
死刑に処せられる可能性のことまで真剣に考えているでしょうか。怨恨による
殺人の場合には、たとえ自分が死刑になろうとも犯行に出るでしょう。また、
少し違う方面になりますが、思想犯的・確信犯的・政治犯的な殺人の場合等に
ついても、やはり同じことが言えるように思われます(当然逆の場合も暗数と
して存在する可能性はありますが・・・)。
もちろん、実証されていない以上は断定的に申し上げることはできません。

375瀬田:2003/11/16(日) 16:24
確かに死刑を廃止したらしたで、様々な問題が起きるでしょうね。
死刑の執行数自体は年間せいぜい10名以下程度で、廃止=日本の社会情勢の
悪化、に直結するとは思えませんが、影響はあるとは思います。
一度、試験的に5年とか6年とかの範囲で死刑を停止して、調査してみるといい
のですが、まずそれを始めるのが難しいでしょうね・・・

> 脱走を図った終身犯が躊躇なく刑務官を〜

これは刑務所の運用の問題ですし、まだ終身刑が導入されると決まったわけ
ではありません。確かにそういう事案は出てきそうに思われますが、日本と
ドイツの刑務所を単純に比較できるものでもないですよね。
私はドイツの刑務所がどういう形態なのかは詳しく知りませんが、たとえば
米国の刑務所の一例を挙げますと、日本のような刑務作業は課されず、監視
も緩やかで、私語もOK、バスケットボールなどを囚人が楽しんでいる刑務所
があったりします(あくまでも「自由刑」なので行動の自由だけを奪う、と
いう考え方だそうです)。日本の刑務所は相当に厳しく、全ての行動が規則に
よって決められ、嘘みたいな話ですが、廊下を歩く位置まで決まっています。
私語は厳禁、運動などの場合も複数の刑務官がつく場合があり、私はかなり
軍隊的な印象を持ちました(刑法犯を入れている刑務所はどこも同じような
ものだそうです)。そうした環境の違いはおそらくあると思います。

376loveless:2003/11/17(月) 01:48
>>373 瀬田さん
>主観の問題かもしれませんが、私は生命とは全ての権利の元になる、、、
この辺りが、人生観の違いでしょうかね。。。
私は、人生というのはただ生きているのが目的ではなく、
その中で何を成し得たかが重要と思っていますので、、、
たとえば、終身刑の冤罪が晴れて60過ぎて無罪を勝ち取った
状態と死刑が執行されて40くらいで死んだ状態に、あまり
差を感じないのです。
現状の日本の裁判の進行速度を考えれば、死刑に相当するような
重大犯罪の冤罪を晴らすとなると、数十年はあっという間に
たってしまいます。当然その失われた時間の間に築いたであろう、
社会的地位や財産などを取り返すのは至難のわざです。果たして
そのような状態で余生を幸福に送れるか?という疑問もあります。
でも、この辺りは個人の哲学や人生観が出てくるので何が正解とは
言い切れないですね。
また廃止派も存置派も冤罪を限りなく0に近づけるよう努力する
という目的は変わらないわけで、限りなく0に近いならば0と
みなしてしまうという理系的な考えはNGですかね?
いずれにせよ、死刑廃止論はこの辺りの人生観・哲学・宗教観など
が避けて通れないので難しいです(355で、その辺を追加してほしいと
書いたのはそれが理由)

。。。話変わって、EUに加盟するため、トルコで死刑廃止して
1年余りですが、ここにきてテロが相次いでいます。
政治的にも地理的に危なっかしい状態で死刑廃止をしてどうかな?
と思っていましたが、大丈夫でしょうかね?
テロリストなんて元々命がけで事を起こすいわば確信犯ですが、
死刑が無いと、捕まった仲間を救出できる確率も高くなるので
泥沼化しそうな気もします。
トルコも(どちらかというと)外圧で死刑を廃止したので、
今後の行方が気になりますね。
個人的は、刑法のような市民生活に直接影響するような法律は
安易に外圧とかで変えるべきでないと思っています。

>>375
>一度、試験的に5年とか6年とかの範囲で死刑を停止して、、、
菅さんが首相になれば、その試験は案外と早期に実現の可能性が
あるのではないかという気がします。幸か不幸か民主党も政権奪取の
可能性が出てきたので、廃止派としては先が明るいかもしれませんね。

377人権:2003/11/17(月) 18:54
瀬田さんは米国等の刑務所に比べてわが国の施設が「軍隊式」だとやや
否定的に捉えておられるようですが、服役囚の中には暴力団組員等粗暴な
人間も多い現実を考えると「複数の刑務官がつく」ことも止むを得ない
場合があると思います。一対一では刑務官の側に身の危険が及ぶことも
なくはないでしょう。

少し話がそれましたが、諸外国の事例・経験は尊重すべきだとは思います
が、あまりそれに引きずられるのはどうかな、という思いもあります。

死刑は確かに一種の殺人行為であることは否定できません。でも殺人犯
の行った「殺人行為」と同列に並べて「人殺しという点では同じである」
という考え方にはどうしても違和感を覚えます。

「いかに多くの人間をいかに残虐なやり方で殺してもその殺人犯の生命
は必ず保証される」
端的に言えばこういう一種の倫理を社会的に認めることになるわけですよね。
「全ての権利の元になる根幹をなすもの、人間そのもの」である「生命」を
奪った者の<生命>が保証されるという点がどうしても納得しかねます。

378人権:2003/11/18(火) 00:44
廃止論の方々が高く評価される団藤氏は死刑廃止論の中で、「遺族の中には
苦悩した末に応報感情を昇華させて死刑廃止を唱えるようになった人もいる」
として尊いことであると述べておられます。

確かに遺族の感情・考え方・加害者との向き合い方等は最大限尊重すべき
だと思います。
ただ、団藤氏の論に見られるように廃止を唱える方が何か次元が高くて
「犯人をこの手で殺してやりたい」と叫ぶ遺族の方が低次元であるかの
如き見解には賛同できない。

犯罪被害者・遺族はそれだけでもう充分悲惨な目に遭っているのです。
その上なぜ被害者ばかりに「崇高さ」のようなものを求めるのでしょうか。

379大森:2003/11/19(水) 23:39
なぜ皆さんが欧米の制度を尊んでいるのかが私にはよく理解できません。
欧米諸国が日本以上の凶悪犯罪発生国であるにもかかわらずです。

380人権:2003/11/20(木) 12:46
>379
廃止派の立場からは「残虐な刑を廃止した人権先進国」という位置づけ
になるのでしょう。
でも、例えばイギリスは今般のイラク戦争に参加してイラクの人々を
傷つけたり、命を奪ったりしています・・・(テロリストによる犯罪は
一般の殺人事件とは異なるということでしょうか)

381SBM:2003/11/22(土) 16:21
命には命をもって償うべきで 難しい問題だとは思わない。
死刑制度は必要です。

382SBM:2003/11/22(土) 16:22
命には命をもって償うべきで 難しい問題だとは思わない。
死刑制度は必要です。

383変態弁護士:2003/11/24(月) 01:47
死刑は必要。ただ、日本の問題は、終身刑がないこと。死刑と無期懲役の差が大きすぎる。

384黒たん:2003/11/24(月) 09:43
死刑にしたところで、殺された人間は還って来ない&遺族や周囲の人間の心の
傷は癒えないけれど・・やはり、命をもって償わないといけない。私も死刑制度
は必要だと思います。

>>383
ただ、日本の問題は終身刑がないこと。死刑と無期懲役の差が大きすぎる。

変態弁護士さんのおっしゃるとおりだと思います。特に「無期懲役」ってなん
なんだろうって。とてつもなく重い罪というイメージがあり、恥かしながら終
身刑と同じ様な・・「無期刑=終身刑」のイメージがあったのです。なにせ無期
刑でも10年20年で出られると聞いてビックリしたぐらいで・・ホントにお恥ずか
しいのですが(苦)。
でも特にいつ迄って決まっているワケではないって事で、半永久的かもしれな
いし、先述の通り10年20年で出られる可能性もって事であって、全然違うんで
すよね。でも、だからこそ、安易に無期刑という判決に走りすぎていないかな
あという気がします。最近、とみに無期刑が多いですよね。それだけの罪を犯
したからと言われればそれまでだと思いますけど・・なんか、そんな気がするな。

死刑制度については勿論だけど、無期懲役刑というものについても考えないと
いけないと言いますか・・見直さないといけないんじゃないかなあと。むしろ、
無期懲役について・・。

385st:2003/11/24(月) 18:37
>>682
>命には命をもって償うべきで 難しい問題だとは思わない。
>>683
>死刑は必要。

死刑制度は、僕にはそんな単純な問題だとは思えませんし、こういった
自分の意見は絶対で、違った意見の存在を認めないともとれる発言は危険
だと感じます。

僕は基本的には条件付き死刑廃止派ですが、死刑制度の存在意義を否定する
つもりはありません。僕は死刑の本質は「復讐」、つまりこんな極悪人は
許し難いという、ごく自然な人間感情に基づく物であると考えます。そして
この本質に基づく死刑存続の声には、僕も同意せざるを得ません。

ですが、なぜ僕がそれでも死刑は廃止するべきと考えるかと言うと、存続派
の意見には、現在の警察、司法制度には問題がないと言う前提に基づいた
意見に聞こえて仕方ないからです。言い替えれば、自分は正義側の人間で、
正義側の人間の言う事、やる事に間違いはないと思っているように感じられ
るのです。

僕が死刑に反対する理由はまさにそこにあり、人間は間違いから逃れる事は
出来ないという前提があります。先の書き込みに、死刑だろうが有期刑だろ
うが冤罪は許されないから、それが死刑廃止の理由にはならないというのが
ありましたが、僕はそうは思えませんし、それ以上に死刑存続派の、司法の
下す死刑判決は正しいと言うその傲りが怖いのです。

ですから、現在日本では死刑が存在しますし、それを支持している方が大多数
だという事実も尊重します。ですがこの問題は単純どころか、非常に重い問題
であり、今後日本が死刑を存続するにせよ廃止するにせよ、それは十分に議論
された上での結論であるべきだと思っています。

386変態弁護士:2003/11/24(月) 20:39
日本の司法制度は、もちろん問題が無い、誤りが無いという前提に基づいて
いるわけですが、それでも帝銀事件の平沢貞通氏のように死刑判決が確定し
てから、結局執行されなかったという例があるように、日本の司法当局もや
はり自分達に問題があると認めているのです。これは決着のつく問題では
ないですが、近年世界では、死刑廃止論が高まっています。ただ、日本の場
合、被害者にたいした保障もされず、殺され損みたいなところがありますか
ら、これを見直してから議論したほうがよいと思います。

387loveless:2003/11/25(火) 02:54
>>380 人権さん、
戦争での人権と平時の人権では、また別の話とは思いますが、、、
イラク戦争では、最初は大量殺戮兵器およびそれらの生産施設の破壊が
目的とされましたが、戦争が進むにつれ、独裁者に支配された民衆を
開放するのが目的となっていきました(苦し紛れの大儀のため、誰も
支持しませんでしたが)
ユーゴ内戦のように、多少の犠牲で人権派の人達の期待に沿う社会が
完成するならば、その戦争は「正義」ということになるのかもしれません。
(私は、この意見には多少賛成)

ただし、(国連含む)EUや米国を中心とする社会が、安易に「人権」を
振りかざして他国(特に途上国)へ過剰に干渉するのはどうかと思います。

個人的に、この辺が、アムネスティのモットーの一つである
「すべての人にすべての権利を」にちょっと違和感を覚えるところです。

388E:2003/12/01(月) 18:23
死刑は不要です。合法的な殺人など存在しなくてよい。
ただの封建遺制ですよ。

金キロウは無期懲役ですが 10年や20年で釈放されたんですか?

389E+:2003/12/01(月) 22:21
私は、死刑が犯罪の抑制になっているとは思いませんが、死刑には賛成です。
ほとんどの人は良心に従って生きているので、死刑が怖いからといってあなた
が犯罪をおかさないわけではないと思います。
罪を犯した人間は、法によって裁かれるべきです。それは、被害者の人権にも
つながると思います。では、死刑に値するひとを生かしておいて、長期的に社会に有
益なことがあるでしょうか?封建遺制などではありません。最近は、ひとにやさしい
意見が、正しいみたいな風潮も困ったものです。金キロウさんは、幼い頃から差別などで苦労しま
したが、彼の犯した罪は重いです。

390黒たん:2003/12/02(火) 20:21
>>389
金キロウさんは、幼い頃から差別などで苦労しましたが、彼の犯した罪は重い
です。

その通りだと思う。重罪の陰に不遇な過去があった、でも罪は罪だと思う。
「散々辛い思いしたんだな・・」「かわいそうだな・・」
という風に見る事はあるとは思うけれど、でもだからといって何をしてもいい
って事はないんじゃない?まして被害に遭った側にとっては
「ふざけるな!!」
しかない・・不遇な過去があったから許す、なんて事は絶対無い筈ですよ。
・・いや、絶対許せないでしょうね。だって、どんなに手を施したって死んだ 
(殺された)人間は生き返らないんだし、それによって出来てしまった周囲の
人間の心の傷だって消えないと思うから・・。

391河童の川流れ:2003/12/02(火) 21:47
劣悪な環境で育った人でも犯罪を犯さずまともに生きている人はいることは確かです。でも、通り魔などの一面識もない人を殺害する場合は別として加害者と被害者がお互い顔見知りで、殺害の動機などが育った環境による違いによるもので、そのことで被害者からいじめを受けたりした場合でも被害者にとっては関係ないと言えるかどうか疑問ですよね。

いじめとかでなくてもたとえば75歳の女性が80歳の夫を介護する毎日に疲れ果ててつい首を絞めて殺してしまったというような事件は実は頻繁に起きています。ただ、ニュースとして扱われることはほとんどないので知られていないだけですが、こういう加害者を一方的に悪いと責められるのかどうかだと思いますね。

私は永山則夫のような劣悪な環境で育ったわけでもなく、朝鮮人でもないのでそういう差別扱いを受けたことがないのでそういう人たちの気持ちは分かりません。だからそれ以上のことは言えないのです。仮にですが、私が永山だったら同じようなことをやっぱりしていたかもしれないですね。「仮に」と仮定しても何も意味はないですが・・・。

392人権:2003/12/03(水) 23:19
私は所謂存置派ですが、現在の警察、司法制度に問題がないとは
思っていません。代用監獄・全く蚊帳の外に放置されている犯罪被害者・
交通事犯に対する刑の軽さ・判例と相場に基づいた裁判等等、問題
はむしろ山積していると思います。

「死刑判決が正しいと言うその傲りが怖い」
司法が下す判決に対する不信感は小生にもあります。死刑判決のみならず
どうかな?と思われる判決は時としてあるように感じています。
警察に関しても問題が多々あることは間違いありません。いい加減な捜査
・引いてはそれに起因する犯罪者の取り逃がし・適切でない取調べ・組織
犯罪等裏社会との癒着とも称すべき不明朗な関係等等。

その意味では改革が是非とも必要だと考えています。
ただ、だからと言って直ちに死刑廃止となるかというと、どうなんで
しょうか。その論理を貫徹すれば全ての刑罰を廃止しなくてはならなく
なるのではありませんか。

小生は別に「正義の味方」を気取っているつもりはありません。
ただ、行った犯罪事実に相応しい償いを求めているに過ぎません。

393黒たん:2003/12/04(木) 22:06
>>390では言葉が足りなかったと言いますか、言い方が悪かったかも知れません、
スミマセン。
某かあっても被害者と加害者との間で和解成立ということもありますし、審判
で情状酌量が認められるといったこともありますものね。
でも、やはり「罪は罪」だと思うから・・。数学の公式や英語国語の文法みたいに
(ここでこの表わし方ってそぐわないのかも知れませんが)この場合はこれで
決まりだ、となっているわけではないだけに難しい事ではあると思う、だけど
「罪は罪」だとは思います。

その、罪に対する罰・・確かに>>392で人権さんがおっしゃるように、犯した罪に
見合った罰が本当に下されているのかなぁと思う事、私もあります。死刑判決
や有期懲役刑以上に、無期懲役に対してとみにそう思う事があります。ホント、
無期懲役って何なんだろうか・・と。

394草田男:2003/12/05(金) 18:12
金嬉老が殺した相手はヤクザではなかったかしら。
仮釈放後韓国に帰国し放火でまた逮捕されてます。

395ふむ:2003/12/07(日) 01:17
>>394
その通りです。
要するに瞬間湯沸かし機みたいに短気なんです。

396仕置人:2003/12/07(日) 16:13
死刑を無くすなら無くしてもいいと思う。その変わり懲役は最長で80年迄にしたらいいと思う。十代で凶悪犯罪を犯して捕まり、判決で懲役80年をくらい出所したら9〇代。職も無く後は死ぬだけ。それなら死刑は無くしてもいいと思う。

397白たん:2003/12/07(日) 23:44
そんな理由で、死刑を廃止できますか??みなさんの税金で、犯罪者を
一生食わしているのですよ。

398ふむ:2003/12/08(月) 01:19
死刑執行でも、その時に税金がかかりますからね〜。

囚人に自分が刑務所で生活する分を働かせて、
更に国民の利益のために果てしなく働かせてOKかな?

399仙道:2003/12/08(月) 16:03
そうですね。最低でも自分の食い扶持くらいは何とかして欲しいです。
更に一般の国民の利益になるようなら、なお良いと思います。

懲役80年で、死ぬまで自由も無く働かされる日々が続くのは、
死刑よりも厳しいかもしれません。

400仙道:2003/12/08(月) 16:09
こういう事を書くと「人権」が云々と言われると思いますが、
殺人などを犯した場合、被害者の人権を無視して殺害した訳で、
加害者側に「人権」は無いに等しいと思います。
先に人権を無視した族が、人権を唱えるのは変ですよね。
事故ならともかく、、と言っても事故なら懲役80年なんて
判決は下らないと思いますが。

401黒たん:2003/12/08(月) 20:40
>>400
私も同感です。被害者の人権を無視して殺していて、それで今度自分の身の事
になると
「自分にも人権が・・」
みたいな、そんな馬鹿な話があるのかよって。ただの自分勝手じゃん。・・いや、
そんな自分勝手だから凶行に及ぶのか・・一概に決め付けちゃいけないのかも知
れませんが。
ただ何よりも、自分の犯した罪というものがいかなるものか、犯した罪は一生
消えない、償わなければいけないって事。己の人権どうこう以前に、それをよ
く考えなきゃ駄目だと思います。ホントのホントに心から。
でも実際は「お題目」なだけなところがあるのでしょうかね・・。

402白たん:2003/12/08(月) 22:06
人権を持ち出して死刑反対を唱えるひとも少なくないですが、泣いて馬謖
を斬る です。世の中の統制を考えると、やはり死刑は必要だと思います。

403人権:2003/12/09(火) 14:43
日立市の放火殺人事件の控訴審判決(一審の死刑から無期に減刑)が
出ましたが、遺族の「遺品はすべて燃え、葬儀で着せる服も残らなかった
のに、被告は法廷でバカなことを何度でも言える。同じ命なのに重さが
違うのか」との言葉を<感情論>だと批判することはできないと思います。

人権はもちろん大切なものですが(死刑囚にもあるでしょう)、それを奪った方
にも奪われた方と同等に保証されるとすれば些か不公正ではないでしょうか。

404路傍:2003/12/09(火) 23:31
久々に書き込みさせていただきます。
>僕は死刑の本質は「復讐」、つまりこんな極悪人は
許し難いという、ごく自然な人間感情に基づく物であると考えます。

死刑の本質から考えようとするのはいいことだと思います。
しかし、死刑の本質を「復讐」ととらえるのはどうでしょうか。
「復讐」や「あだ討ち」といったことをみとめないのが法治国家の前提です。
国家が代わりに加害者を捕らえ、処罰してくれることを考えると、国家
が「復讐」役をになってくれるようにも聞こえますが、国家がしているのは
復讐ではなく、社会秩序維持です。刑事法はそのために存在しています。
そして死刑はそのための道具です。
したがって死刑の本質を「復讐」と考えるのは、間違っていると思います。
国民(国会)が法を作り、司法がその法を解釈して、適用する。根底にあるのは
社会通念であり、社会(裁判所)が罪人に下す刑という行為に「復讐」という言葉は
なじまないでしょう。
刑事法は個人に制裁を加えるというよりも社会秩序維持のために存在しているので
すから。

>死刑存続派の、司法の
 下す死刑判決は正しいと言うその傲りが怖いのです。

私は死刑存続派ですが、司法の下す判断は常に正しいとは思いません。
おっしゃりたいことは「人間の判断には間違いがある。そしてそれが
罪のない人を死刑にしてしまうかもしれない。だから死刑反対」という
こと、つまり冤罪の危険性を恐れておられるのだと理解しています。
しかし、現在の日本の司法制度は過去の経験から、冤罪にならないように
非常に緻密に設計されているといえます。冤罪につながる可能性はほとんど
ないといえます。その傾向は昨今の人権意識の高まり、マスメディアの発達
などでますます強まっています。
したがって冤罪を理由とする死刑廃止論はあまり説得力がありません。
テレビ・映画の見すぎといわれるのがオチです。

つぎに司法判断は「正しい」と言う点ですが、なにをもって正しいというので
しょう。数学の世界ではないので司法判断に100%はありません。
証拠、供述等で「疑いを挟む余地がない」程度に犯人と断定されればいいのです。
それは裁判官の確信によります。そしてその判断に行くまでには証拠の証拠能力
など、一つ一つ調べられます。
裁判官が法を解釈適用した結果、死刑が相当となったとしても、それは国民が
つくった法の理念に照らした結果で、誰の独断でもありません。
正しさとは社会通念の下した判断でもあるのです。
これを「傲り」いうのは間違いです。

社会通念を形成する人々がさまざまいて、死刑が刑罰として残っているのは
存続すべしという社会通念が出来上がっているためです。

おっしゃるようにいずれにしても議論が必要なテーマですが、廃止論として
冤罪を理由とするのは弱いし、司法判断は正しいということを前提に存続を
唱えるひともほとんどいないと思われます。

405さぶ:2003/12/10(水) 22:24
>404
いえ、死刑は復讐権の代行だと私は思います。復讐という響きがえげつないとお思いの方多いようですが、
死刑は「えげつない、あって然るべきもの」だと思います。そこを認めない事が、
このスレッドが400を超えるのに、同じようなやり取りの繰り返しに終止してる原因だと思います。

406仙道:2003/12/11(木) 01:29
考えたり思ったりするのは個人の勝手。

407白たん:2003/12/11(木) 15:32
統計によっても日本人の大部分が死刑制度に賛成ということですから、
現状でいいのではないのでしょうか????

408黒たん:2003/12/11(木) 20:09
死刑制度の是非以上に感じる事。
犯した罪に見合った刑罰が、審判が下されているのだろうかと思う事がしばし
ばあります。
「あれだけの酷い事をしていてこんな(軽い刑)なの?」
って思う事が・・。
死刑制度どうこう以上に、むしろこちらの方が・・って気がします。
なんか、こんな風に書く事自体がこのスレッドに見合ってませんかしら、スミ
マセン。でも、そう思うんですよね・・。いかがでしょうか?

409猫に小判鮫:2003/12/11(木) 21:52
>「あれだけの酷い事をしていてこんな(軽い刑)なの?」

たとえばどんな事件が当てはまりますか? 分かりやすい例をあげてみてください。

410変態弁護士:2003/12/11(木) 23:13
新潟女性監禁事件 懲役14年
飲酒トラック高速道路追突事故 懲役4年7ヶ月 (業務上過失致死は5年以下
の罪)
サカキバラ事件他少年犯罪全般。

411おはようチワワ:2003/12/11(木) 23:19
動物虐待に対する罪が軽すぎ。

412黒たん:2003/12/12(金) 07:38
>>410の変態弁護士さんのご意見と重なりますがS63〜H元年にかけてありまし
た、女子高生コンクリ詰め殺人が顕著な例だと思います。因みに
主犯A:懲役20年
B:懲役5〜10年
  C:懲役5〜9年
  D:懲役5〜7年
  E,F,G:少年院送致
でしたが・・この事件のスレッドでも最近出てきた話ですが、主犯Aが近々出所
らしいです。

413変態弁護士:2003/12/12(金) 12:39
山口の母子殺人は無期懲役。これは納得いかん。

414のる:2003/12/12(金) 15:56
堺市通り魔事件
一審懲役18年。
しかも心神喪失を理由に無罪を主張。控訴。
覚せい剤やシンナーやアルコールによる心神耗弱・心神喪失は、はっきり言って納得できん。
自分の意志で使用したんやん。

415ssts:2003/12/16(火) 12:43
僕は死刑制度に大賛成です。理由は見せしめ的効果と、もう一つが
大事なのですが、彼ら犯罪者に私の払った税金を使われるのが腹立たしい
からです。一ヶ月じゃ早すぎると仰る方もいらっしゃいましたが、
裁判中の勾留期間を含め、相当の「無駄銭」を使ってるのです。
量刑にも納得いかないが、犯罪者の待遇にも納得いかないですね。

416とと:2003/12/16(火) 14:06
昨今の刑務所の収容率は100%を超えたとかという話も聞きます。また、刑務所内では
最低でも衣食住は保障されることから、刑務所に入るためにほどほどのレベルの犯罪を
犯す人もいるとか…。確かにもう少し刑というか待遇を下げてもいいんじゃないのかと
は思いますが。まぁ、人権問題もある以上、一定の質以上に待遇を下げるのは無理なの
でしょうね。

417人権:2003/12/16(火) 14:38
先般「行刑改革会議」の提言要旨が報道されていました。それによると
<8時間の刑務作業の短縮・外部との電話許可・服役態度によっては
外出・外泊も可・医療水準の引き上げ等>が盛り込まれているようです。

某委員などは<健康保険の適用>を求めています。
確かにあらゆる人間に人権はあるでしょうから、刑務所だからといって
余りにも非人道的な扱い方は問題でしょうが、相変わらず犯罪被害者の
権利は後回しにされている感はぬぐえませんね。

418府中ホテル:2003/12/16(火) 14:49
務所は運動はするし、三食食えるし、薬はやらない。健康になりまっせ!

419名無し:2003/12/18(木) 00:03
法律とは、平和を願う人が平和に暮らせる為に存在していて欲しいですね。
平和な日常を本当に保証してくれるのであれば、
別に税金を使ったってかまわない。

420人権:2003/12/18(木) 15:25
報道によれば、今般刑法に関して明治以来の大幅な見直し作業が
検討されるそうです。

例えば、強姦罪の刑期引き上げ等が考えられているようです。
私も基本的には賛成です。我が国には死刑制度があるため、
何となく刑が重いような感覚がありますが、実際には必ずしも
そうではない。特に生命を奪うような凶悪犯罪に対する刑が軽すぎ
ます。殺人事件でも刑期が一桁というケースも稀ではない。
交通事犯も軽いですね(もちろんただ重くすればいいというもの
でもありませんが)。

そもそも「人生50年」と言われた時代と「人生80年」に近づいて
いる今とでは、時効の問題一つとってみても再検討する必要があるの
ではないでしょうか。

死刑の存廃問題が検討されるかどうかわかりませんが、犯罪行為に
相応しい償いとしての刑罰を考慮してもらいたいですね。
あと、言うまでもないことですが、犯罪被害者の人権にも配慮した
法体系を確立すべきだと思います。

421償い:2003/12/19(金) 16:17
実名を公表したほうがいいと気持ちの中では思ってしまうのですが…。
本当に加害者の方たちは悔い改めているのかと思ってしまいます。

422それでも:2003/12/19(金) 16:34
凶悪な犯罪者は死刑にするのではなく、残りの人生で自分の犯してきた過ちを反省させる。
これって死ぬことよりいちばん苦痛だと思います。

423草田男:2003/12/19(金) 18:09
先日放火事件で4人が死亡するという事件が起こりましたが、殺人では起訴されないような
雰囲気。
放火罪で死刑は今までにありますか?

424草田男:2004/01/15(木) 14:07
http://share.dip.jp/soba/soba0303.html
これを読んでいると上田大の強盗殺人をしかたのないことと捉えているように
思える。

425むむ・・・:2004/01/15(木) 14:36
痴漢・婦女暴行・強姦等女性に対する罪の引き上げが時々話題になりますが、この手の犯罪は証拠がなくても女性の虚言だけで有罪になることも多々あるようです。
米国ではDNA鑑定を導入した結果、百名単位の男性の無実が後から証明され、晴れて刑務所から出獄したそうですが、日本ではこういう改善すらまず無理でしょう。
冤罪救済についてほとんど取り上げられないのは、やはり日本人が理屈に弱く、雰囲気に流されやすい民族であることがかなり影響していると思います。
外交交渉でも日本はとても弱い。知人の外国人は、日本政府は「外交が弱い」のではなく「外交がない」と言っていますが、私も反論材料がありません。

426人権:2004/01/15(木) 15:27
316の方が触れておられた三島女子学生焼殺事件の一審判決が
出ましたね。死刑の求刑に対して判決は無期。理由は(新聞報道によれば)

(1)殺人など人を傷つける前科がない
(2)周到な計画に基づく犯行でない
(3)幼少期の劣悪な生活環境は量刑上考慮されるべきだ

とのこと。(1)は平たく言えば「殺したのが1人であれば死刑には
ならない」ということでしょう。「幼少期の劣悪な生活環境」の
形成に仮に被害者が深く与っている様な場合であれば、(3)の如き理屈も
成り立つかもしれませんが、今回の被害者とは何の関係もないことです。

いつも思うことですが、「反省・謝罪している」か否か果たして確実に判断
することが可能なのでしょうか。人の心の中など他人には窺い知れない
部分があり、職業裁判官といえども見誤る場合がないとは言えないのでは
ないでしょうか。


−とし「死刑をもって処断することは、
ちゅうちょせざるを得ない」と結論づけた。

427人権:2004/01/15(木) 15:32
すみません!上の書き込みの最後の

とし「死刑をもって処断することは、
ちゅうちょせざるを得ない」と結論づけた

は余計なので無視して下さい。

428ガイブレイブ:2004/01/16(金) 19:22
>423さん
現住建造物等放火の罪は、死刑又は無期懲役若しくは5年以上の懲役。
殺人の罪は、死刑又は無期懲役若しくは3年以上の懲役。
放火の方が少し刑が重いようになっていますね。
刑法ができた明治41年頃は、家と家との間が狭く、燃えにくい素材を使っている
わけでもなかったので、一軒に火がつくと何軒も被害に遭うために放火の方を重く
したと思われます。
現在は、当時と状況がかなり変わっていますので、刑法改正ということが出てきて
いるのでしょう。

429loveless:2004/01/21(水) 01:28
>>426 人権さん
最近、このような「残虐極まりないが、被害者が一人なので、求刑死刑
判決無期懲役」というケースにだんだん驚かなくなりました。
(やはり数年前に、検察が、被害者一人という理由で無期はおかしいと
上告した件が却下されたのが大きいと思います。このとき却下した
最高裁の判事は誰だったか。。。)

それにしても、(3)のような理由で死刑回避の理由を説明する判事
がほかにもいたような気がしたのですが、これって世間一般的に
容認されている理由なんでしょうか?
私は、人権さんと同じように「へぇ、だから?」くらいにしか
思いません。

また、ひょっとして、今が、人権さんが420で触れられているように
刑法の抜本的見直しで、死刑廃止を盛り込むための準備段階
なのでしょうか?
(微妙な時期には死刑判決は出さない。。。オウム除く)

430松葉屋:2004/01/21(水) 22:01
死刑の執行をためらう法務大臣を国民の側から法的に制裁を加えることは
できないのでしょうか。

431黒たん:2004/01/23(金) 06:29
>>429
 (3)のような理由で死刑回避の理由を説明する判事がほかにもいたような気が
 したのですが、これって世間一般的に容認されている理由なんでしょうか?
 私は、人権さんと同じように「へぇ、だから?」くらいにしか思いません。

同感です。おかしな言い方かも知れませんが、どうしてこれだけの酷い事して
いてこんな軽い刑...といいますか、納得いかないところがありますよね。傍で
見聞きしている我々でさえそう思いますもん、当事者(原告側、被害者)はもっ
ともっとそう思うのではなかろうかと。

確かにどれだけ酷い事をしでかしたとしても、逆に幼少期の劣悪な家庭環境下
で犠牲になっていた。そういう意味で言えば「被害者」であるのかも知れない。
だけどそんな中でも真面目に一生懸命やっている人だっていくらでもいると思
うし、劣悪な環境だったから(罪を犯すのは)至仕方ないというのは理由になら
ない、言い訳だとさえ思います。何をしてもいいのかよ...って。

>>426
 「反省・謝罪しているか」否か果たして確実に判断することが可能なのでしょ
 うか。人の心の中など他人には窺い知れない部分があり、結局裁判官といえ
 ども見誤る場合がないとは言えないのではないでしょうか。

人の心ほど難しい部分ってないと思うから、そういう事もおのずと出てきます
よね。又人間だから間違いはある、裁判官だって人間だから...でも極端な話、
人の命だって係わってくるワケじゃないですか。「見極め違い」が生じてしまっ
たが為に、新たな犯罪・被害者・死者が出る場合だってあるのだから、そうい
う意味において人命が係わって...とも、なりますよね?
そういった事等を、考慮しているのだろうかという気がします。

432人権:2004/01/29(木) 15:20
沼津ストーカー殺人事件で、又「求刑:死刑→判決:無期」という判断
が出ましたね。しかも三島事件の時と同じ裁判長(高橋祥子)。
マスコミ報道によれば、

「残虐かつ凄惨(せいさん)な犯行だが、計画性はなく、
 被告に矯正の余地は残されている」
「被告は犯行当時、境界性人格障害で、家庭や学校など成育環境の影響を
 否定できず、量刑上考慮せざるを得ない」
「人格障害や犯罪傾向の改善は困難だが、矯正、治療の余地は残されている」

とのことですが、「計画性」があろうがなかろうが、被害者にとっては
関係ないでしょう。
「人格障害や犯罪傾向の改善は困難」とまで言っておきながら、
「矯正、治療の余地は残されている」と判断する根拠はどのあたりに
あるのか、直接聞いてみたい気がします(無理でしょうけど)。

この男は以前にも同様のメッタ刺し事件を起こしているそうです。
将来出所したのちに再び犯行に及ぶ「余地も残されている」
のではないでしょうか(もちろん控訴されて異なった判断が
示される可能性はありますが)。

どうも裁判官自身なるべく死刑判決を回避したいという姿勢が
伺えるように思います。それが確固とした廃止論に基づくもの
なのか、単なる事なかれ主義の様なものなのかはよく分かりませんが。

433人権:2004/01/30(金) 01:19
続けて失礼します。先の沼津の事件の判決を受けての御遺族のコメント
が新聞に掲載されていました。

「極刑以外は全く考えていなかった。娘の人権はどこへ行ってしまったのか」

<死者には人権を想定することはできない>という考え方もあるよう
ですが、何か釈然としない思いが残ります・・・

そもそも登校時に待ち伏せているのですから、「計画的でない」とは
言えないのではないでしょうか。

434:2004/01/30(金) 05:51
まったく、法律って弱者の味方ではないのですね、
被害者の過去も未来も全て奪い、残された遺族を絶望においやり、あげく
計画性が無かったとか、反省しているとかで15年や20年の懲役ですから、
人生今時80才位までは生きる訳で、償いにしては短すぎますよね

435黒たん:2004/01/30(金) 06:17
>>432 
 どうも裁判官自身なるべく死刑判決を回避したいという姿勢が
 伺えるように思います。それが確固とした廃止論に基づくもの
 なのか、単なる事なかれ主義の様なものなのかはよく分かりませんが。

という人権さんのお言葉に同感です。又、人権さんがおっしゃっていたストー
カー殺人の一審判決の事が取り上げられてなおの事…。
どれだけ被害者が肉体的&精神的苦痛を大いに味わわされて→最終的に殺され
ても、そこに至るまでの経過等は一切関係ないのか…それこそ、言葉は悪いで
すが
「人一人殺しただけでは死刑にならないのか」
とか、「無期懲役」というのが便宜的に使われているのかとさえ思えてしまうと
ころがあります。最近とみにそう感じますね…。

ただホントのホントによく見極めた上でというならまだしも、もし「便宜的」に
なんていったらたまったもんじゃない。「ふざけるな!!」でしかないよねって思
います。傍で見聞きしている側でさえそう思いますもん、被害者(遺族)サイド
の方々はもっともっとだろうなと。

なんかスゴク穿った見方なようで申し訳ない&言い訳めいてるかも知れませんが、
が、でもそう思わせるようなところが感じられるなと。そういう見方をなくさせ
る様な、でもそれより何より中立かつ公正に見極めるのが裁判官の仕事であり立
場なのだから…。

436元愛媛県民:2004/01/30(金) 15:30
犯罪はもっと客観的に見るべきなのではないでしょうか。
犯人がどんな境遇で育ったのか、あるいは裁判で反省の態度を見せているかどうかなどは
犯罪行為とはまったく関係はありません。
法律学者は「因果関係」というものをあれだけ厳密に問うのに、犯人に対して「責任論」という場面になると、
犯罪者救済のためにそれを使っているとしか思えません。
「家庭環境が貧しいから犯罪をおかした」「犯行を心から反省している」
こんなことを大新聞が書くのはやめてほしいと思います。
そういったことが容易に「自分が犯罪者になったのは家庭環境のせいだ」
「反省しているのだから死刑にはならない」ととんでもない発想につながっていくのだと思います。

438bibo:2004/01/30(金) 22:14
あなたは、目前の罪を悔い改めた死刑囚の首を自分の手で
刎ねることができますか?

440miyuki:2004/01/31(土) 13:26
>>438
では、悔い改めているという判断はどういった所で出来るのでしょうか?

441loveless:2004/01/31(土) 22:56
>>432
その一方で、オウム真理教の土谷被告の判決が死刑となり、
これで教団関係者の死刑判決は11人となりました。

国家に対する挑戦には、やはり厳しい。。。

442loveless:2004/02/14(土) 18:17
中国で覚せい剤を密輸しようとした日本人が死刑判決(執行猶予なし)
を受けました。
日本に比べてあまりに厳しい。。。(で、こんな法律の中でも
めげずに犯罪を続けているような輩が日本へ出稼ぎに来たりする)

隣の国がこのような厳しい刑罰を科している状態で、仮に日本だけで死刑を
廃止しても、地域のバランスが崩れそうで、(廃止は)改めて時期尚早では
ないかと思いました(犯罪者を大量輸入しそう。。。)


ちなみに新聞によると、このように中国からの覚せい剤持ち出しで逮捕された
人の多くが、ホームレス等の普段あまり犯罪に関わらない人達で、見知らぬ人
から数十万程度の報酬で中国行きを頼まれるとの事。
法律を知らないと損しますね。。。

443ほげ:2004/02/21(土) 00:10
ワタシは死刑廃止論者ですが、
現時点では大勢の意見に従わざるをえないと考えています。

その個人的な死刑廃止論の根拠ですが、
まずしばしば語られる2点の問題点、
1.刑務官/裁判官の人権問題
2.冤罪の可能性 があると思います。
やはり合法的な殺人というものに
人間は手を染めるべきではないでしょう。

そしてもう1点、実は上の2点より重視しているのですが、
たとえば殺人という大罪に対して、死刑がその応報になっているか、
という点について強い疑問を感じています。
これは個々の生死観宗教観に依存する問題になってきますが、
死イコール絶対的な無だとはとても思えないのです。
(死後の世界についてオカルト的な与太話を信じているわけではありません)
生前に犯した大罪に対する応報は生前に与えられるべき。
死刑はその大前提を壊してしまうものであると考えています。
(そこで死刑廃止時は刑期の長期化や懲役の厳格化も必要でしょう)
もっとも、現在の多くの日本人はワタシとは違う生死観を持っているようであり、
現行の死刑制度をしぶしぶ認めているといったところです。

444むむ・・・:2004/02/21(土) 00:59
>>443
おっしゃる通り、死刑の賛否については個々人の思考に前提条件があり、議論して終息するものではないと思います。
私は死刑賛成派です。根拠は、「人を殺した者は死刑」という単純明快な発想で十分だと思っています。
情状酌量はそのあとの話です。

445Katsu:2004/02/21(土) 02:18
>>443

>生前に犯した大罪に対する応報は生前に与えられるべき。
>死刑はその大前提を壊してしまうものであると考えています。

この点については、ちょっと疑問があります。
死刑は生きているものに行う極刑です。
死んだものに対して死刑はありません。

446元愛媛県民:2004/02/21(土) 09:43
 これは個人的な意見ですが、いままでマスコミ、政治家の発言、行動をみていると、
死刑廃止派の人たちの多くは親中国、親北朝鮮の発言をしているのが非常に気になっています。
意見は人それぞれ自由ですが、死刑に反対ならば中国や北朝鮮のように人権が無視され、軽々しく死刑が
おこなわれている国に、なぜ批判的な発言をしないのか・・・・。
私は死刑賛成派ですが、中国の死刑はあまりにも軽微な犯罪に対しておこなわれすぎていると思っています。
死刑廃止派の人たちは、「日本でおこなわれる死刑」に反対ではなく「人間に対しておこなわれる死刑」に
反対しているのだと思うので、中国政府に対しても抗議すべきではないでしょうか。

447ikkuynn:2004/02/21(土) 12:25
 今回の中国の覚醒剤密輸(疑惑)事件、判決を受けた日本人は、死刑が確定した
のでしょうか?「判決を不服として控訴した」といった話を聞かないので…。それ
とも、もともと中国では三審制が採られていないのでしょうか?ややスレ違いかも
知れませんが、死刑判決に不服さえ述べられないとすれば、問題だと思うので…。

448草田男:2004/02/21(土) 14:23
中国は二審制です

449かわち:2004/02/21(土) 14:44
草田男さんのおっしゃるとおり、中国は二審制ですが、
ほとんど上訴して、覆ることはないようです。
また死刑判決の場合、嘆願で「執行猶予付き死刑」に
減刑されることもありますが、これは執行猶予期間に
重大な事件を起こさず、捜査に協力すれば(これは明記されてませんが)
最短懲役15年まで減刑されるという制度です。

いくら経済面で民主化が進んで来ても
人権・言論の点でまだまだ中国は民主化されて
いないようですね。こういった刑事罰の不均衡が
中国人犯罪者の日本流入を加速させている側面は
否定できないと思います。

450元愛媛県民:2004/02/21(土) 16:17
たしか、殺鼠剤を食べ物に混入し数十人を殺した犯人は、控訴しその日のうちに、棄却されて
死刑になったのではなかったでしょうか。

451ikkunn:2004/03/02(火) 03:29
 死刑制度の犯罪抑止力について、一言。
 マスコミが大々的にとりあげているせいなのかも知れませんが、最近、死刑判決
を覚悟の上で犯罪に及んだ、と思われる凶悪犯罪が発生しているので、気になって
書き込みさせていただきました。
 例の池田小の児童殺傷事件、及び神奈川西部の連続通り魔事件の(元?)被告人
らは、いずれも自ら死刑を望んでいるとの旨の意思を、公開の法廷の場で表明しま
した。
 仮に彼らが本心から死刑判決を受ける事を望んでおり、それを恐れないとするの
ならば、果たしてこれらの犯罪を国家権力によって抑止する術はあるのでしょうか?
 死刑に犯罪抑止力がある事は、疑い無い事実だと思います。大多数の人間は、い
かなる方法であれ、国家権力によって自らの生命を絶たれる事など望みはしないで
しょう。しかし「死刑になっても構わない」と考えて凶悪犯罪に及ぶ者がいるとす
れば、これらの者に対する「現行の」死刑制度の犯罪抑止効果(一般予防機能)に
疑問を感じざるを得ません。また実際にその者が死刑に処せられても、被害者の遺
族(等)の感情は、少しも癒される事はないでしょう。従って、その「報復機能」
をも果たせないと思います。
 死刑を恐れない(と表明する)犯罪者に、中世のような残虐な刑罰を望む訳では
ありません。また、本心から「絞首刑」を恐れないと思う犯罪者はごく稀だと思い
ます。しかし「死刑にしてくれ」と自ら表明する犯罪者には憤りを感じます。死ね
ば済むとでも思っているのでしょうか?
 私は、基本的には死刑制度の存続には賛成です。ただ、わが国の現行の死刑制度
が「極刑(=最も重い刑)」であるとは思いません。これに代わる極刑の創設を望
みます。憲法36条の範囲内で考えれば、それは絞首刑よりも、むしろ終身刑であ
ると私は思います。

452白たん:2004/03/02(火) 15:22
死刑判決を望むような生物的な危険分子は死刑によってその子孫を根絶しなくては
いけません。それが本人の望むことかは問題ではありません。


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