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死刑制度についてひと言お願いします
2279
:
紫煙狼
:2009/07/15(水) 18:01:08
本格的な復帰にはまだ時間がかかりそうだわ(笑)
なにしろ幸か不幸か忙しくてたまらんのだわ。
ってか、通勤時間が長すぎるんだな。実働時間はそれほどでもないのに
毎日日付変更付近になるまで家にたどり着かん(苦笑)
2280
:
ufloat
:2009/07/15(水) 19:48:46
>>2275
>>2278
>そんなにしたらあかん質問をしたのか
私が
>>2271
でやや強めの表現をしたことについて疑問を持っておられるようですが、
あれは必ずしもトーフさんのみを意図した書き込みではなく、ゆえに紫煙狼さんの
記事への反応となっていますし、トーフさんへの名指しもしておりません。
もしトーフさんのお考えに対して何かを言及したいのであれば、
>>2271
の後半部分の
ように、紫煙狼さんではなくトーフさんの記事に対して直接返信しているでしょう。
このBBSは、事件や死刑といった非常に難しいテーマを扱っていながら、boroさんや
優れた論客の方々により、冷静な雰囲気とレベルの高さが維持されています。
しかしながら、公開掲示板である以上は「あおり」や意味不明な書き込みが
発生するのはどうしても避けられないところで、私は紫煙狼さんがおっしゃる
「不幸自慢」以下の部分を現実的な可能性として受け取りました。
しかも、怒りや悲しみがさめない本当の遺族が「死刑は必要だ」と主張するなら
まだしも、遺族でも何でもない人間が「遺族でもないくせに死刑反対を唱えるな」
などと言い出そうものなら、「遺族以外は死刑廃止を唱えてはならない」なる
意味不明な状態となってしまいます。
そして実際、死刑反対の意見の人に対して「家族が殺されてもそう言えるのか」と
踏み絵を迫る人物は、決して少なくありません。遺族になった経験なくして、
この質問に対して「絶対に死刑は望まない」と断言できる人はまれでしょう。
そこで私は、
>>2271
において「そのような踏み絵は死刑存廃論とは無関係」であり、
「仮に死刑反対の人から「家族が殺されたら死刑を望むかもしれない」という言質を
取ったとしても、それは何の意味も成さない」という旨の意見を述べたわけです。
言葉足らずであったのはお詫びしますが、紫煙狼さんの記事を読まれてから、続けて
私の先の記事を読んでみれば、私の意図が多少なりともご理解いただけるでしょうか。
# 本音を言えば、私は紫煙狼さんの記事に対する反応として先の記事の前半部分を
# 書いたので、トーフさんから返信をいただいたのには少し驚きました。
2281
:
ufloat
:2009/07/15(水) 20:22:25
ただ、先に「必ずしもトーフさん"のみ"を意図した書き込みでは〜」と書いたように、
トーフさんの書き込みに対して全く疑問がなかったわけではないことは付記しておきます。
実は朝方にトーフさんの書き込みを読み、考えをまとめて夜に返信しようとしていたら
その間に紫煙狼さんとトーフさんの書き込みがあり、今となってはほとんど意味を成さない
疑問となってしまっている気がしなくもありませんが、これを書いておかなければ
前の記事が中途半端に終わってしまうので、一応書いておきます。
トーフさんは以前に
>
>>2242
で遺書のお話を書いておられますが、「私=紫煙狼さん」の部分を「ご兄弟」「ご両親」
>「ご友人」等に置き換えても、その遺書にあらわれたご信念は成り立つものなのでしょうか。
と紫煙狼さんに質問をなさっていますが、私はこの質問の意図に疑問を抱いたのです。
紫煙狼さんは大切な方を亡くされた経験より、「家族が殺されても死刑は望まない」と
返答されていますが、世の中ではそのような経験を持たない人が圧倒的です。
たとえ死刑に反対の人であっても、大事な肉親・友人がコンクリート詰め殺人、あるいは
栃木リンチ殺人の被害者のように殺されれば、加害者には死刑を望むかもしれません。
「どんなことがあっても決して死刑を望まない」人などそうそういるものではなく、
「もしそうなったら、加害者には死刑を望むかもしれない」人が大多数でしょう。
それでは、仮に紫煙狼さんが「死刑を望むかもしれない」と返答していたら、
トーフさんは一体いかなる反応をされるおつもりだったのでしょうか。
あえて困難な質問をしておきながら「はいそうですか」ということはないでしょうし、
「踏み絵など行っていない」と主張なさっている以上、「ほら、やっぱり死刑に賛成
しているじゃないか」と返したり、覚悟を試すなどという意図でもないでしょう。
そうなると、私の発想力貧困な頭では、この質問の真意を測りかねたのです。
2282
:
無精髭
:2009/07/15(水) 21:14:02
>>2281
いや、本当にトーフさんは何の意図もなく、それどころか深く考えもせずに思いついたことを
口に出しただけなのかも知れませんよ。でも、私はむしろそういうことの方がダメなんじゃないか
と思うんですけど(苦笑)。(理由は以下後述。)
正直に申しますと、シェンさんがなぜ個人的なことをここで披瀝なさるのかが私には不可解でした。
お話の内容に対してよりも、スレ進行のこの唐突な方向転換に対する戸惑いの方が強かったです。
ただ、シェンさんがトーフさんの意図をいち早く読み取ろうと焦る余り、先回りをした(先走って
しまった)結果がこれであるようですから、今では納得できないことではないですけど。私もトーフさんが
>>2205
を投稿された辺りから、シェンさんがトーフさんに対して抱いたのと同じような憶測染みた
考えを持って参りましたが、もしトーフさんが自説を補強するために犯罪被害の当事者たちの気持ちを
代弁しているのなら、腑に落ちない論旨展開ではあるが、それはそれでさもありそうなことでもあるので
(ufloatさんが
>>2280
で指摘なさっているのと同じ事を指します)、わざわざ問い質したりするほどの
ことでもないだろう、スルーしておくことにしよう、だいいち犯罪被害者や遺族と加害者それぞれの
心境を死刑存廃に関連付けて議論することの是非についてはここでやることではなかろう、と思った
ため犯罪被害云々の件については失礼を承知で等閑に付す覚悟でした。
まあしかし、
>>2265
の末尾に関しては、それこそシェンさんにメールを出して直接聞くのが筋でしょう、
と申し上げたかったくらいでしたがね。トーフさんも仰っていたでしょう? 犯罪被害者や遺族の方々は
周りの無神経な言動によって傷付けられるって。犯罪被害の体験を聞く理由が、その体験談が議論の展開
にとって無視できないほど深く関係するからということならともかく、ただの興味本位ということなら、
「お止め頂きたいなぁと思います。そういう話の聞かれ方もつらいのですよ。遺族にとり。」(
>>2205
より)、
もとい無二の親友にとり、ということですよ。
ただトーフさんからしてみれば、最初に犯罪被害者を議論に絡めたのはシェンさんではないかと
思っていらっしゃるかも知れませんね。カレーさんとのやり取りの時も
>>2127
で犯罪当事者たちを
話題にお出しになったのはシェンさんでしたからね。
一方シェンさんの方では、存置派や賛成派がしばしば自説の有効性の根拠として掲げる、犯罪被害者
及び遺族の立場特有の苦痛や、それに対する共感的な理解を相対化する意図があったため、いち早く
廃止派側からの解釈(
>>2204
)を書き込んだのだと思います。それともう一つ大事なことに、他の人
も自分と同じように犯罪被害者や遺族の方々から話を聞いたことがあるのなら、その際どんな感想を
持ったのかを聞くことにより、自分のイメージする犯罪被害者・遺族像を相対化乃至拡張したかった
という意図がおありだったのではないか、とまあこのようにも考えられますね。
とにかくですね、犯罪被害者の苦しみや怒りを知っているのはあなたよりもわたしの方だ、とか、
私は犯罪被害者や遺族の心を引き継いだり代弁したりする権利を持っている、とか、あなたは
犯罪被害というものを何も分かっちゃいない、みたいな己の経験による判断で相手の経験による判断
を否定することは死刑存廃に限らず、あらゆる議論に共通して、厳密な論証抜きにはやっちゃいけない
ことですよ。トーフさんとシェンさんはそれぞれ異なった視点とバックグラウンドから犯罪被害という
ものを見ているわけでしょう。その点については、お互いに相手の意見を尊重しつつ自説を修正すべき
であれども、その情報や体験を議論の勝敗を決するためには利用すべきでないと思いますがね。
2283
:
トーフ
:2009/07/15(水) 22:07:07
あのー無精髭さん。
紫さんが犯罪被害にあわれたこと、というのはこのレスでは周知のことなのでしょうか。
私は質問時点では知りませんでしたよ。知っていてその質問をした、ということなら
「興味本位で聞いたこと」自体が私の過失でしょうが。だから、
引用開始
まあしかし、
>>2265
の末尾に関しては、それこそシェンさんにメールを出して直接聞くのが筋でしょう、
と申し上げたかったくらいでしたがね。トーフさんも仰っていたでしょう? 犯罪被害者や遺族の方々は
周りの無神経な言動によって傷付けられるって。犯罪被害の体験を聞く理由が、その体験談が議論の展開
にとって無視できないほど深く関係するからということならともかく、ただの興味本位ということなら、
「お止め頂きたいなぁと思います。そういう話の聞かれ方もつらいのですよ。遺族にとり。」(
>>2205
より)、
もとい無二の親友にとり、ということですよ。
引用終わり
これはちと不当なご理解ではないですか。
>>2265
の末尾には「さしつかえなければ」
「過去のレス番号でも」とも入れてあるではありませんか。
>>2262
で私の質問にお答え頂いた後、さいごに「過去にこういうことがなければ〜」
と書いてありゃ、そりゃ聞くでしょ。これを無視すべき、とおっしゃるのか。私には無理でした、
というほかございません。
2284
:
oft
:2009/07/15(水) 22:16:12
無邪気に質問するのも悪くはないが、自分が何を言おうとしているかより、
相手にどう受け取られるかの方がはるかに大事じゃないですかね。
言論を鍛えるあまり、相手を慮る気持ちを鍛え忘れましたかナ
誰かさんはどなたかさんの気分を害しても意に介さずですか。
>ヒゲさんのおっしゃる議論相手への思いやりやら、マナーなどは完全に尊重しますよ。
うそだぁ(笑)
2285
:
無精髭
:2009/07/15(水) 23:42:07
>>2283
はっきり申して、あの場合トーフさんも他の方と同様、丁重にスルーすべきでした(と私個人は思います)。
しかしながら、思わせぶりなことをお書きになった紫煙狼さんにも当然責任があるでしょうな。
>まぁ、過去にそういう経験が無かったとすれば、こう断言することも無かったんでしょうが…。 (
>>2262
)
トーフさんには上の文面だけで「紫煙狼さんは犯罪被害に遭われたのだな」と察知することは無理ですか?
まあ、それはともかくとしてね。
>>2282
が不当な理解とのことですが、申し上げるまでもなくご指摘の部分を考慮に入れた上で
>>2282
の該当箇所を
書き記した次第です。トーフさんは、犯罪被害者が自らの体験を語ることそれ自体に伴う苦痛について
考えたことはありませんかしら? 犯罪被害者から直に話を聞くことにおいて予想されるさまざまなリスク
について思いを巡らせたことはございませんか? もちろんKenさんが仰るように恨みや不満を打ち明けたくて
仕方がないという被害者の存在を否定するつもりはありませんが。もしかしたら、自身の犯罪被害体験について
話したいんだけど話したくないといった葛藤を懐いている人もいるかも知れませんよね。
私はトーフさんを貶めるために
>>2282
を投稿したつもりは全くありませんでしたが、
ずいぶんとお気に障る内容のようでしたので、その件については謝罪いたします。
誠に申し訳ございませんでした。
まぁ堅苦しい話は止めにして最後に言わせて頂きますが、前にトーフさんも同様の失態を
演じてKenさんに戒められているでしょう?(
>>2208
) 犯罪被害というものを議論で扱う
上ではお互い慎重にならなければいけませんね。
2286
:
無精髭
:2009/07/16(木) 00:34:16
>>2266-2268
とは言え、シェンさんがつらい体験を話して下さったので、
出来るだけシェンさんの思い出を汚さぬよう・今現在分かっている
情報だけで考え、それ以上はなるたけシェンさんの内心に立ち入る
ことは避けるべく、気をつけてレスしてみたいと思います。
>私の投稿を読んだ者の多くは「それって作り話でしょ?」と思っているはずだ。(以下略)
シェンさんに憧れの人がいて、その人が犯罪に遭った後、自殺を図り、
病院に運ばれ、知らせを受けてシェンさんが臨終の場に駆けつけて、
遺言を聴き、最期を見取った、、、その数年後に加害者に会って、
ひと悶着あった、、、そしてその経験がシェンさんが死刑廃止論を
唱える動機の根底に今も息衝いている。。。
もしもこういう話が嘘っぽく聞こえる原因があるとしても、それは話(全体)の展開が
ドラマティックだからということではないと思いますね。「事実は小説よりも奇なり」
という言葉もありますしね。私が思うに嘘っぽく聞こえるとしたら「精神に異常を来たし…」
の部分ではないでしょうかね。そんな微罪で精神に変調を来たしたり自殺したりすること
なんてありうるのか、にわかには信じがたい、といった感想を懐く者は多い気がします。
あと、これは遺族であるご両親やシェンさんに関わることですが、元詐欺犯に対して
被害者が自殺したことまで責めていらっしゃるようですが、当事者でない者からして
見ればこういった心境にも共感・同情しにくいのではありませんかね。むしろシェンさんの
被害体験のケースでは、第三者は被害者サイドの人間に対して共感・同情しない方が良い
のではないか、と私は思うのですが。なぜならばそういったケースでの具体的応報感情は
抽象的応報感情に回収されることをどこまでも拒み続けるでしょうから、それこそ「刑の
軽重」など定まりようがないわけです。私のケースのような復讐感情を基礎に立法しちゃう
とかなりやばいことになりますよお、というのがシェンさんの狙いですね。
被害者が自殺したことを犯罪のせいにできるかという問題は、加害者が殺人を犯した
ことを生育環境(や周囲からの冷遇)のせいにできるか、という問題に似ているような
気がします。この二つを同列に論じることはとんでもない冒涜に相違ないであろうと
重々承知しておりますが、私は世の中のタブーを破ってでも自身の疑問に拘泥します。
いずれにせよ、シェンさんの憧れの人とその方が遭われた犯罪被害についてあれこれと
論じようにも情報が全然不足していますし、そもそも私の経験則にないことも沢山お話
に出てきているようですから、結局、私にも憧れの人が出来るなどの条件が揃った上で、
実際に体験してみなければ確かなことは何一つ分からないと言わざるを得ません。
だからといって、犯罪被害という事象についてあれこれと疑問を巡らす上でシェンさんの
個人的な体験を基にするということは、己の感性から生ずる疑いの念と他人の感性への
盲信とが反目し合う事態を招来しかねませんから、これも避けたいところ。
一言で言えば、シェンさんの犯罪被害については言葉がない、ということです。
ただし一つだけ確かなことがあります。それは、犯罪被害はそれに遭った者とその周囲の
者の人生を狂わせるのだということ。たとえどれほど微罪であろうとも、被害者が自身の
経済状態やメンタリティ等において、犯罪に限らず自然災害や不慮の事故などの不測の
事態に対する十分な抵抗力を持っていなければ、つまり条件が悪かったら、当の犯罪被害
の規模はいくらでも増大しうるということでしょう。犯罪被害が元でPTSDを発症するという
のは稀有な例ではないみたいですからね。犯罪に対する耐性に個人差がある以上、精神に
変調を来たしたり自殺したりしても何らおかしくはないわけでしょう。
2287
:
紫煙狼
:2009/07/16(木) 01:29:33
帰って来たらこの時間よ(苦笑)
えっと、一つだけ。私が自分の経験談を載せたのは、トーフさんがきっかけではあるけど、
トーフさんに向けて書いたものではないんですよ。むしろ、無精髭さんだったりkenさんだったり、
ufloatさんだったり、boroさんだったり、そういう、昔からの私のスタンスを以前から知っている、
もしくは過去ログをちゃんと読んでいる、そういう人へ向けての告白なんです。
で、正直に言うと、これって「通りすがりの人」に読んで欲しいと願ってのものではないのです。
(無論、通りすがりの人が読むことを拒絶するような意図はありませんけど。)
私と言う人間が、どういう経験をつみ、どういう経緯で今に至るかを知ってほしい。
まぁ、一種の自己顕著欲ですね(笑)と、いうのも、暫く忙しくて投稿できない
(いや、なんだかんだ言って投稿してますけどね。)事に対して、これを読んだkenさんなり
無精髭さんなりufloatさんなりは、私が絶対に戻ってくることを確信してくれるでしょう?
それほどまでに忙しいというのが一つ。(今日も昼飯抜きで投稿しちゃいましたが、あれはもう無理。)
それと、そろそろ、話しても大丈夫かな…という皆さんへの信頼の現われね。
信用できぬヤツに聞かせたい話ではありませんから。ただ、信用できる人に聞かせるために
話していることが信用できぬヤツに聞かれるとも特に恐れない。そういう心境の変化ですよ。
ってか、5時間後には家を出なければなりませんので、寝ます。
ごきげんよう。おやすみなさい。
2288
:
無精髭
:2009/07/16(木) 02:05:40
>>シェンさんへ
ご復帰のほど、心よりお待ち致しております。
(「信用できぬヤツ」とのくだり、またトーフさんのご気分を害しそうですな。
信用値ゼロということから、イコール憎悪の対象でもあるみたいに誤読されかね
ません。信用できる人と信用できぬヤツとの間には、友人と赤の他人ほどの違い
しかないのにもかかわらず(つまり友人と仇ほどの違いはない)。「否定」って
むつかしいですね。)
>>トーフさんへ
はっきり言ってトーフさんは
>>2268
を気にしすぎですね。議論の勝ち負けに
拘ること自体は別に傲慢でも謙虚でもない、そういったことには関わりが
ないんだ、とでも言い返しておけば宜しかったのに、議論の勝ち負けに拘る
方が謙虚なんだ、なんて不可解極まりない反論をされたから当方としては
訳が分からなくなりました。一言で言って、謙虚さとか傲慢さとは他者との
関係において初めて意味を持つものとして成り立つというのが私の理解なので、
他者との関係を度外視したところに成り立つような個人レベルの言動において
謙虚だの傲慢だのと言うのは、はっきり言うと言葉の誤用、すなわちナンセンス
な言い回しとしか思えません。議論に勝つために努力することは、謙虚と言う
よりも真面目、勉強熱心・知識欲旺盛(文字通りだなw)、探究的・求道的と
言った方が適切でしょうね。悪く言えば貪欲ということになるのでしょうが。
でなければ、誠実・忠実(欲求には)とは言えるかも知れません。
トーフさんの見解では、不特定多数の人間から同意・賛意を得るために自論を
研鑽するのは謙虚だということですが、この場合一体誰に対して謙虚なのですか?
素性も何も掴めないような不特定多数の人間に対して? んなアホな。
シェンさんはお怒りになるかも知れませんが、私はこのくらいのピリピリした
緊張感―――すなわち感情的な対立も議論に必要かなと思います。いかんせん
話題が犯罪被害から論者個々人のネチケットだとか議論哲学だとかに移りつつ
ある点が残念ですがw
(議論する者の謙虚さについては後日補足致すかも。。。)
2289
:
主婦A
:2009/07/17(金) 08:51:59
読んでいてすごく不思議な感覚に包まれました。
殆どデータやエビデンスを持ち出さずご自身の考え方を
訥々と語るだけの紫煙狼さんと、学問上の通説とかデータを
挙げながら論じているトーフさん。
感情で人を裁いてはいけないと語る紫煙狼さんと、刑法とは
もともと感情の上に成り立つというトーフさん。
普通はデータのようなものを挙げた方が説得力が増すはずなのに、
むしろ紫煙狼さんの方が心に訴えかけかけるものがあるのは
なぜでしょう。
感情で人を裁いてはいけないという紫煙狼さんのほうが
人間的感情を感じさせて、それが多数決の原則だから感情の
ために犯罪者を死刑にしても問題はないと論じるトーフさんの
ほうが機械的なものを感じさせてしまうのはなぜでしょう。
結局、トーフさんがご自身の考えを語っていらっしゃるのは
何千何百と人を殺しても殺した者の命を保証するのはおかしい
と言うところだけで、あとは教科書に載っていることや自分に都合の
よい通説をひけらかしているだけ...だからでしょうか。
自分に都合よいデータくらいいくらでも持ってくることができる
だろうに、そこまで頑なに御威光をふりかざさない紫煙狼さんの
語り方は何を目的としているのでしょう。
これが選挙なら、私は死刑が必要だと思っているのに、
トーフさんより紫煙狼さんに国政を任せたいと思ってしまうのは
どうしてでしょう。
本当に第三者の視線を大切にしているのがどちらか、どちらがより謙虚かは明らかなような気がします。
2290
:
老婆心
:2009/07/19(日) 22:05:52
わたしが言うこと自体も、ひとの立場を決めつけたり、それは違うんでは、
ということで、傲慢になってしまうのかもしれませんが、「謙虚」か「傲慢」
か、ということは、いろいろな見方があると思える中で、そのことについて
ああでもない、こうでもない、と、自分の見方・論理・感覚の中で、
人を「謙虚でない」とか、謙虚であるためには「こうであるべきだ」的な
ことで、何か、相手をねじ伏せようとするのは、少し違和感を感じます。
2291
:
ねね
:2009/07/21(火) 14:04:44
>2289
私は、主婦Aさんはご自身の思ったこと・感じた事を素直にシンプルな形で書いて
いらっしゃいますね。
感覚的にビビッと来るものが有ったのでしょうね…?ちょっと参考になりました。
こんなに長く続いて白熱しているトピ、私は少し頭がこんがらがって来てます。(笑)
2292
:
え
:2009/07/24(金) 18:46:04
「応報の感情」って珍説はどこから出てきたの?
カント以来、応報論は「理性」的に刑の量を決める物だと思うけれど。
深刻な犯罪には、それに比例する重い刑。多少、大小、比例の認識は
理性の領域であって感情じゃあない。
2293
:
loveless
:2009/08/03(月) 23:35:56
民主党のマニフェストが出たので、ざっと読んでみました。
時期尚早と見てか、「死刑廃止」に関する文言はありませんでした。
(まあ、ないだろうなと思っていましたが、、、)
もっとも、民主党が執心している「外国人参政権」「人権擁護法案」
もなかったので、ここに書いてないからといって、今後4年間(?)の
民主党政権下で実現しないということもないと思います。
さて、いずれにせよ、次の法務大臣は、「ネクスト法務大臣」の
細川氏になる可能性が高いかと思いますが、この人は、いわゆる
「人権派弁護士」出身で死刑反対論者です。
つまり、事実上、日本は、今後、死刑停止状態になる可能性が
高くなると思っています。
(ただし、オウム関連の死刑は、例外的に執行されるでしょう)
個人的には、大した議論もないまま、政治主導で死刑停止状態になるとしたら、
なんとも日本的な感じもしますが、現在の政権交代に対する期待を考えると、
ある程度はやむを得ないかと思います。
ただ、さらに、なし崩し的に刑法まで改正してしまうのは反対。
2294
:
誘導されて来た
:2009/08/19(水) 23:23:12
現状では死刑廃止を唱える意味も意義もないし、環境も全く整っていない
廃止を唱える人はなぜその辺りを先に変えようとしないか疑問
死刑の前に終身刑があれば、死刑の件数は減るだろうし廃止に納得する人は増えるだろう
越冬のために入りたくなるほど刑務所が快適でなければ、死刑より終身刑を望む人も減るだろう
犯罪被害者の心のケアをする機関があれば、被害者に対する何らかの保護があれば、被害者の怒りも和らぐだろう
そこまですれば、どうしようもないほど馬鹿な犯罪者以外は死刑を適応したくないという人も出るだろう
何でそこから始めないの?
2295
:
無精髭
:2009/08/20(木) 01:07:01
>>2294
そうそう。死刑廃止よりも先に死刑制度の必要がない社会を作るのはとても大事なことです。
それを考えもせずに、やれ死刑はダメだ、やれ廃止だと叫ぶ輩は廃止論者の風上にも置けぬ
でしょうな。いや、そんな奴らは放っておいても、言っていることが滅茶苦茶なんですから
誰も相手にしないでしょう。どんな言動を起そうが、奴らには死刑を廃止することなんて
出来やしないという風に、存置派は安心していて好いんじゃないでしょうか。
>越冬のために入りたくなるほど刑務所が快適でなければ(後略)
いや、そこはホレ、終身刑導入に反対する存置論者の方もいらっしゃるからw
(詳しくは過去ログをお読み下さい。)その方からすれば、終身刑と言うのは
死刑よりも非人道的な刑罰だということです。ただし、身体的な苦痛ではなく
精神的な苦痛の大きさを問題視されているところが>2294さんとは違うのですがね。
まあ、終身刑を導入しようとする「廃止派」の目論見を、何だかんだと理由を
つけて阻止しようとする存置派の詭弁かも分かりませんが。
ところで、刑務所の環境を今よりももっと悪くするなんて提案は、終身刑受刑者
のみならず死刑囚や他の有期刑受刑者にも(もちろん冤罪で刑務所にいる無実の
人にさえも)関わるような大きな人権上(あんまり使いたくない言葉ですが)の
問題を引き起こしかねません。論外ですよ。
>犯罪者の心のケアをする機関があれば(後略)
これは廃止論者だから考えなきゃいけないということではないですよね。
存置論者だって同じように考えなきゃいけないことではないでしょうか。
死刑論争なんてくだらないことは今すぐ止めて、この共通の課題に一緒に
取り組むべきですね。
2296
:
無精髭
:2009/08/20(木) 01:27:52
補足。
これも過去ログに出た話ですが、現在、日本の無期懲役刑は仮釈放の見込みの
非常に薄い相対的終身刑として運用されているとのことで、諸外国のそれと
比較してもかなり重い刑罰となっているようです。なので、日本の場合は
死刑に替わる刑罰として新たに絶対的終身刑を導入せずとも、現行の無期
懲役刑を実質的に絶対的終身刑として運用することも可能なわけでして、
つまるところただ死刑を廃止するだけで好いと言う見方も出来るのだそうです。
日本の死刑廃止派が終身刑導入に消極的というか乗り気でないのは、上記の
ような事情もあるのではないでしょうかね。
2297
:
誘導されて来た
:2009/08/20(木) 05:42:17
>いや、そこはホレ、終身刑導入に反対する存置論者の〜
それはよく言われることだが、それを言う人に逆に聞きたい
「一般人の人権を蹂躙した重犯罪者の人権を守ってやることがそれほど大事かね?」
終身刑であれば冤罪の可能性がある人間に関しては、戦い続けられる可能性という希望なんでは?
>ところで、刑務所の環境を今よりももっと悪くするなん〜
別に一律に悪化させる必要は無いだろ
重犯罪者と再犯者に対しての待遇を悪くするだけでいい
>これは廃止論者だから考えなきゃいけないということではないですよね。
そのとおり
さらに言えば、刑事罰以外にも民事訴訟の面でも考えなければならない
例えば詐欺
100万騙しても、1億騙してもほとんど同じ刑事罰で、さらに民事で返済能力がないと判断されたらチャラで騙された方には全く返ってこない
一度チャラになってしまえば、その後どんな暮らしをしようと関与しない
こんなことがまかり通るから、加害者は親族などに合法的に財産を分散させて安心して刑務所に入る
納得行く?
2298
:
誘導されて来た
:2009/08/20(木) 05:46:50
>これも過去ログに出た話ですが、現在、日本の無期懲役刑は仮釈放の見込みの〜
であれば、死刑を執行しないで事実上の終身刑として運用するでも問題は無いはず
まじめに勤めれば15年なんておかしな言われ方をしている間は、一般の意識では無期懲役は有期刑でしかない
2299
:
誘導されて来た
:2009/08/20(木) 06:12:43
さらに言えば、死刑を廃止せずとも終身刑を導入することで死刑囚となる人の数を減らせるのでは?
結局は無期と死刑の間が開き過ぎていたために、事件の社会的な影響などにより死刑に分類された人も多いだろう
間に終身刑を入れることにより、より弾力的な最高刑の運用が出来る
また個人的に気になるのは、最近発生している「死刑になりたかった」系の犯罪者に対しての刑の執行
ほとんどが現行犯逮捕で冤罪など考えられないケースとなっている
このような場合は速やかに執行するのではなく、カウンセリングを行い「生きること」に対しての考えを変えてから執行してほしい
そうでなければ、法を悪用した傍迷惑な自殺は無くならないだろうから
2300
:
無精髭
:2009/08/20(木) 08:38:12
>重犯罪者と再犯者に対しての待遇を悪くするだけでいい
えっ?
その点について刑期の長短だけではご不満なのですか?
それ以上の注文は日本の刑法の理念では土台無理な話だと思うのですが。
>>日本の無期懲役について
仰るとおりです。ですから一般の意識を変える必要と言うか、もっと
世間に日本の刑罰事情に対する正しい理解を伝える必要がありますね。
2301
:
無精髭
:2009/08/20(木) 12:37:12
重犯罪者と再犯者に対する待遇を悪くすることについて、刑期を長く
する以外に方法がないのではないかと書きましたが、そうとは限りませんね。
上記のような受刑者に対しては特別な更正プログラムを受けさせたり、
初犯者や軽犯罪者とは異なる労働(質・量ともに良識?の範囲内で)に
従事させることは可能なのではないかと思い至りました。
誘導さんが越冬云々と仰ったので、私はてっきり誘導さんの考える
受刑者の待遇について、食事を粗末なものにしたり、ダンボールか
茣蓙でも巻いて寝かしたり、ろくな休みも与えず過酷な労働に従事
させたり、病気や怪我をしても治療を受けさせなかったり、刑務官が
むやみやたらに暴言・暴力を振るったりみたいなことを想像して
おりました(苦笑)。
2302
:
誘導されて来た
:2009/08/20(木) 15:12:24
>その点について刑期の長短だけではご不満なのですか?
例えば昔の網走刑務所は犯罪を犯すものにとっての恐怖の代名詞だった
それは脱獄の困難さや寒さなどの環境の劣悪さなどイメージ先行だったかもしれない
だがそれでも通常の刑務所の「お勤め*年」などという軽さに反して「網走送り」という一種の負のステータスにはなっていた
現状の更生プログラムではまったく効かないから再犯を犯すわけだし、懲役という罰を軽視・無視できるから重い犯罪を貸す
さらに刑に対する変な相場観もあいまって、同様の罪なら何度犯しても大丈夫とかここまでなら平気なんて感覚まである
要するに、一般人でも行う危険性がある軽い犯罪意外、刑罰による抑止力なんて働いていない状況なんだよ
しかも入れば三食食べれて寒さをしのげるのだから、秋も木枯らしが吹く頃になると「またご厄介になります」なんて言って入ってくる馬鹿もいる
ここで彼らに対する国の厚生事業の不備を指摘する人もいるだろうが、それはまた別の機会に語ってもらうとして、問題としたいのは世間より刑務所の方が楽という状況だ
これが再犯率をさらに増やしているのではないだろうか?
じゃあ世間を変えろという人もいるだろうが、それはそれを語る人にやってもらいたい
話を死刑などの重犯罪に戻すが
現状では、人によってはその危険を冒しても重犯罪を犯すメリットがあると考えている人がいるわけだ
その現状を作ったのは、犯罪者自身の想像力の無さ以上に、制度を構築してきた側の想像力の欠如もあるはず
路上生活よりも安全で安心な刑務所暮らしや、年金生活よりも優雅な生活保護などがそれに当たる
また、死という姿を隠匿することにより、死への恐怖が薄れ、生命そのものへの尊厳さえ失われている気がする
自分の生命を軽視する人間にとっては、相手の生命など路端の草も同様だろう。そんな人に殺人の重さを理解させるのは困難だろう
それら社会的な不均衡を持ったゆがみからモラルの崩壊、刑罰に対する意識の低下などが発生し、重犯罪を気軽に犯すようになったのではないだろうか
犯罪者予備軍に、今行おうとしていることが犯罪で、その犯罪を犯すリスクを想像してもらえれば犯罪は減ると考える
現状では人権というオブラートに包まれることによりそのリスクが非常に軽くなっていると思えてしまう。例えそれが「思えるだけ」であったとしてもだ
であれば、見せ掛けだけの人権なんて無意味だ
人権を尊重しない人の人権を擁護することにより、人権を尊重する人の人権が失われるのであれば、人権とは奪われることへの容認でしかない
下手に人としての尊厳を守ろうとするから、こりない人や軽視する人が出てくる
下手な懲役刑よりも、尊厳を度外視した羞恥刑の方がはるかに効果的と考える。それには刑罰を見て「こうは成りたくない」という意識を持ってもらうことで犯罪予備軍を抑える効果もある
江戸の昔、晒し首は腐り果てるまでその首を晒したことにより犯罪の抑止を行ったが、現代では生きながらそれを行うことで更生と抑止を同時に行っているところもある
何を守って、そのために何を犠牲にするのか、もう一度考え直すべきじゃないのか?
2303
:
誘導されて来た
:2009/08/20(木) 15:23:20
長々と書いたが、簡単にまとめると
「犯罪者の人権を度外視し、それを世間一般に広めることが抑止力につながり、結果的に無用な犯罪を減らすことが出来るのではないか」
ということ
犯罪を一般化せずにおくことこそが重要である
もちろん初犯の軽犯罪や意識しない犯罪行為に対してはこの限りではないが、社会的に問題となるのは重犯罪と再犯なのでこれらには適応しても良いのではないだろうか?
最後に、更生プログラムに力を注ぐ以上に、社会復帰プログラムに力を注ぐべきだろうと考えている
もちろん無期や終身刑や死刑囚には関係の無い話だが
2304
:
無精髭
:2009/08/21(金) 01:17:28
うーん。網走の行き着く先には鎖塚やタコ部屋があるわけでして、
手放しでは賛同しかねますなぁ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%96%E5%A1%9A
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%B3%E9%83%A8%E5%B1%8B%E5%8A%B4%E5%83%8D
北海道開拓と囚人の関係は中々興味深いトピックになるでしょうけど、
美談化、もとい今こそ復活すべき刑罰として理想化するわけには参りません。
網走刑務所の環境は改善されたのはなぜかといった問題は一考に値すると思いますが。
犯罪者の再犯・累犯については以下のような事情もあるようなので、これに目を通しても尚、
馬鹿とかモラル低下とか生命軽視とか言って済ませられたら本当に簡単なのですがね。。。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AF%E7%8A%AF%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/bookreview/12/index.html
何も上記のような深刻なケースに限らないことですが、娑婆よりも刑務所の方が居心地が
好いから再犯すると言っても、犯罪者に対する世間の風当たりが必要以上に強いのであれば、
これは犯罪者の社会復帰を妨げるものと思われますので、もうちょっとどうにかならんものかね、
と感じます。
ちなみに世間よりも刑務所の方が居心地がいいとは私にはどうしても思えないのですが、
これは私が刑務所送りにされるような悪さをしたことがないからなのでしょう(笑)。
それと引っかかったことがあるのですが、誘導さんは刑務所に戻るために犯罪を繰り返す
累犯者と死刑になるために凶悪犯罪を犯す自殺願望(?)者を一緒に論じていらっしゃる
ご様子ですが、よく混乱しませんね? 後者に関しては刑務所の環境を劣悪なものへと変えた
ところで抑止において効果が見られるものでしょうか?
>>2299
では「カウンセリングを行い
「生きること」に対しての考えを変えてから執行してほしい」と仰いましたが、最近流行りの
「死刑になりたかった」系の犯罪者予備軍に対する抑止効果はあるでしょうかね??
更正の見込み無しと判断された者については仮出所を認めないという風に、無期懲役刑を
絶対的終身刑として運用することは可能なのですが、それでも名目上、仮出所の可能性が
ある無期刑の上に、絶対的終身刑が設置されているのとないのとではインパクトが全く
違うでしょうね。絶対的終身刑を導入することで、これまで死刑相当とされて来た犯罪を
犯した者に対してもその新たな刑罰が適用されるかも知れませんので、仰るとおり死刑判決は
減るでしょう。死刑よりも絶対的終身刑の方が多く適用されることになれば、後者の犯罪
抑止力が死刑のそれに替わる程のものかどうかも調べることが出来そうですし、死刑を
残したまま無期懲役の上に絶対的終身刑を設置するのは何かと好都合かも知れませんね。
2305
:
誘導されて来た
:2009/08/21(金) 23:03:31
網走は行きすぎとしても
http://blog.livedoor.jp/onisoku/archives/54176326.html
このような形で、犯罪を犯したらどのようになるかをもっと身近に教訓となる形で置くべきと考えています
想像力や社会的な計算能力を養えば、現在の日本では犯罪が割に合わないものと気づくでしょうね
例えばバイクを使った引ったくりなどは簡単に考えてしまえば泥棒ですが、実際のところ強盗致死傷罪で最悪死刑まで行く犯罪です
しかし得られるものはせいぜい財布に収まる程度の現金と、使い道の無い数枚のカードや個人の持ち物のみ
捕まれば最低でも窃盗で10年以下の懲役または50万円以下の罰金となります
さらに受刑するともれなく裸踊りのおまけ付き
きっちりこれらを知らせ、場合によってはその光景を見せることで、簡単に犯罪に手を染めたうちの何割かは踏みとどまるのでは?
なお、犯罪者の多くに隠れ障害者の割合が…と言うのであれば、障害者に対する偏見や差別に繋がるか、責任能力の有無による刑の減刑を削除するか、犯罪者の何割かは生涯精神病院行きという結果をもたらしますよ
また、障害を持つから社会から弾かれて犯罪に走ると言うのは一種の可能性であって、障害を持つものの多くが犯罪に走るわけでも、障害が無いから犯罪に走らないわけでもない
障害を持つ人の犯罪を本気で考えるのであれば、刑法などの観点よりも社会システム、とりわけ障害者福祉や企業の地域社会への貢献の方向性、社会そのものの精神的なバリアフリー化などを考えていくべきであり、ここで語るべき事は少ないのではないでしょうか?
死刑になりたいと言う犯罪者は、あくまで殺してほしいのであって拷問を受けたいわけじゃないんですよ
自分で死ぬ気力も無いから、他者に楽に殺してほしいだけ
例えば死刑までの過程に長く不定期な拷問が待っているのであれば、彼らは実社会で社会不適合でありながらもなんとか暮らしていくか、自分で荒縄か崖までの旅費を用意するかどちらかだったでしょうね
彼らは結局のところ生きていくよりも自殺よりも死刑の方が楽と判断して犯罪を犯してるのですから
2306
:
無精髭
:2009/08/22(土) 02:28:23
>>晒しの刑について
ソース読みました。なかなかユニークな罰則ですねw 自由の国アメリカらしいと言えば
アメリカらしいですが。私よりも前からこちらに投稿されている常連さんの中に、アメリカに
お住まいの方がいらっしゃるのですが、その方も似たようなことを書いておられましたね(
>>1500
)。
まあ、抑止効果は大いに期待できそうな気がします。ただね、、、私はこの刑にはやっぱり
問題があるなと思うんですよ。とは言っても、別に受刑者の人権が侵害されている云々みたいな
ことを言いたい訳ではないんです。私にとって気がかりなのは受刑者の側の事情ではなく、むしろ
今正にみせしめの刑を受けている者を目にしなければならない立場にある一般市民の存在の方ですよ。
リンク先の記事にも次のように書いてありますよね、「看板を見た人々は口々に「ひどい仕打ち」だと
話しているという。」って♯。多くの通行人にとって、そんな看板をぶら下げたヤツに出くわすという
事態は、何の義務も義理もないにもかかわらず受刑者の身を案じてしまわざるを得ないという事情から
結果的に不快な気持ちを招くものになるのではないですか? まあ、みせしめ的な効果を狙った罰則
だからこそ、通行人が不快を感じてしまうのも致し方ないと言うか、むしろ感じてもらわねばみせしめ
の意味がないのだから非常に困ると言ったところでしょうけど。しかしながら、こういう刑罰が世間に
広く知れ渡り、適用例もどんどん増えて街中に受刑者が数多く立ち並ぶようになれば、不快な気持ちも
起こらなくなるかも知れませんが。慣れって怖いですな(苦笑)。
♯これってたぶん受刑者が無罪を主張しているから、ではないですよね?
冗談はさておき、晒しの刑について特に私が問題にしたいのは、その刑罰本来の機能が遺憾なく発揮
されるために、わざわざ汚らわしいもの(?)を立ち止まって見物する野次馬の存在が期待されている
ことなんですよ。寄って集って言葉や仕草で受刑者を嬲る存在がなければ、晒しの刑なんて効力半減
でしょう? しかも、通行人はみーんな看板なんかには目もくれず、それどころか受刑者の存在すら
無視して、忙しそうにそのそばを通り過ぎるというような感じだったら、、、晒しの刑くらい楽ちんな
罰則は他にないでしょうねぇ。したがって、晒しの刑にはそのあるべき様相から考えて必然的に当の
刑罰を監視する複数の人間の加担・協力が必須となるでしょう。こんなことに問題を感じているのは
私ぐらいでしょうが(でもまあ、頭の固い人権屋なんぞが思い及ばないのは致し方ないことでしょう)、
アメリカの刑罰事情を伝えたニュース記事をコピペしてスレッドを立てる心性はともかくとしても、
それについて面白おかしくレスを付ける人たち(全員がそうだとは言いませんが)の心性にはどうしても
同調できないのです。街で見かけた晒し者についての感想を笑いの種としてネットに書き込むだけなら
可愛いものですが、たとえばネット上で好反応だった(勿論悪い意味でw)受刑者の居場所(執行場所)
についての書き込みを読んで、実際にそこへ出向くような正義感に満ち満ちたオツムの足りない若者が
輩出するやも知れません。
はっきり言ってしまいましょう。晒しの刑に欠陥があるとすれば、民間人の手を借りなければ―――
しかも受刑者や彼の犯した罪状にも大して詳しくない癖に、ただ見た目の面白さから受刑者を冷やかし
つつ石をぶつけるような阿呆の力を借りなければ刑罰として完成しないところですな。
2307
:
無精髭
:2009/08/22(土) 02:28:56
誘導さんが仰るように、私も更正プログラムよりも社会復帰プログラムの方を重点において刑罰を調整
すべきだと思うのですが、いくら国が行刑施設を通じて社会復帰をバックアップしたところで当の社会
の側において元犯罪者を受け入れる体制はおろか、お勤めを終えた方々に対して何を勘違いしてか更に
社会的制裁を加えてようとするほどにまでモラルや良心の欠如が顕著であるならば、笊で水をすくうとは
正にこのことでしょう。要は、元犯罪者に対する社会・市民の許容度が低ければ全く話にならないわけです。
私はですね、、、「犯罪者の人権を度外視し、それを世間一般に広めることが抑止力につながり、結果的に
無用な犯罪を減らすことが出来るのではないか」と仰る誘導さんの気概には心底敬服いたしておりますが、
「犯罪者に人権などない」という考えを市民の間に浸透させることと元犯罪者の社会復帰・更正を促す
ことは容易には折り合いが付かないのではないかと思われてなりません。それどころか誘導さんの考えを
推し進めてしまうと、先述した社会における元犯罪者への許容度が著しく低下してしまう可能性が頭を
もたげて来るのではありませんか? このような事態もまた別の施策でフォローできるのなら良いのですが。
2308
:
無精髭
:2009/08/22(土) 02:29:39
>>犯罪者=軽度の知的障害者について
そうなんですよ。犯罪が割に合わぬものだという私たちにとって至極自明なことが理解できずに犯罪に走る
社会不適合者には、その自明すぎる道理を一から教えてやらねばなりません。そこで、犯罪者に対して彼ら
向きの社会教育を受ける権利とそれに付随する些細な権利(主に生きることと学習することのために最低限
必要な)くらいは保障してやっても構わないのではないかと思いましたので件のソースを挙げて見た次第です。
こちらの意図は伝わったみたいなので安心しました(笑)。さすがに「犯罪者になど人権イラネ」の一点張り
では不味いだろうと思っていたところでした。まあ、ここ二ヶ月位前の過去ログはもうお読みになったかと
思いますが、監獄で本来やるべきは何かということに関してはかなり突っ込んだ議論がされております。
ちなみに存置論者の方々に対しては、今のところ死刑廃止傾向にある国際社会において日本が存置国として
あり続け、しかも廃止諸国の理解を取り付けられるような十分に説得的な存置論を展開して戴きたいものです。
国際的な批判がありながらも死刑制度を存置するからにはちゃんと巧い言い訳が用意されているのでしょう。
万が一、諸外国から日本が死刑制度を存置する理由を問われた際に、下手なことを言って反感を買ってしまったり
したら。。。更にその反感を無視して刑罰制度に「下手な考え」を反映させたりしたら、、、私は国際社会で
孤立した国には住みたくありませんのでね。。。
こういう私は生粋の廃止論者ではありません。なので、国際的な廃止論―――人権思想に対抗できるような
存置論があるならば、内容次第ではそちらを支持しても良いと考えております。
>>死刑になりたい系の犯罪者について
何度も言うようですが、拷問はダメですよ。憲法の一部を改正・もしくは36条を抹消するというのなら話は
別ですが。拷問を是認するくらいなら、安楽死・尊厳死(自殺権)を合法化すべきだと思います。こちらの
方がハードルは低いでしょう。誘導さんの見解が正しければ、死刑になりたいという目的から悪事を働こう
と考える者もその方へ流れることでしょう。無論、この場合にも憲法を弄くる必要は出てくるでしょうけど。
2309
:
ufloat
:2009/08/22(土) 09:25:07
色々書きたいことはありますが、無精髭さんが大抵の疑問を書いてくださっているので、
私からは今のところ1つだけ。
>死刑になりたいと言う犯罪者は、あくまで殺してほしいのであって拷問を受けたいわけじゃないんですよ
>自分で死ぬ気力も無いから、他者に楽に殺してほしいだけ
>例えば死刑までの過程に長く不定期な拷問が待っているのであれば、彼らは実社会で社会不適合でありながらもなんとか暮らしていくか、自分で荒縄か崖までの旅費を用意するかどちらかだったでしょうね
>彼らは結局のところ生きていくよりも自殺よりも死刑の方が楽と判断して犯罪を犯してるのですから
これで本当にその種の犯行がなくなるのかどうか。
自分が死刑になる(= 自殺を遂げる)ために人を踏み台にすることもいとわない人間なら、
「1人で死にたくはない」「後に引けない状況を作る」などという(普通に考えると無茶な)理由により
無差別殺人を犯してから自殺する、あるいは自殺に失敗して逮捕されるケースが出そうな印象です。
それから、社会への怨恨型であれば、「死ぬ前に社会への恨みを晴らしてやる」などと考え、
最終的な死の形が死刑であれ自殺であれ犯行に及びそうな気がするのですが。
外国の事件では、立てこもった末に散々銃を乱射し、最後に自分の頭に一発、というケースが
たびたび報じられますし、もし大量殺人の末が拷問刑(日本では導入はあり得ませんが)
であったとしても、せいぜい結末が「死刑」から「自殺」に変化するだけではないでしょうか。
2310
:
sienn
:2009/08/23(日) 01:08:21
ただいま…と言っても、まだ忙しいのは変わらないんだけれども…(泣)
ufloatさんと完璧に重なるけれど、
>彼らは結局のところ生きていくよりも自殺よりも死刑の方が楽と判断して犯罪を犯してるのですから
うん、まぁ、そういう人も含まれるとは思うのですが、全てそういう人で構成されているとも思えないんですよね。。。
誘導さんの言うことを字面通りに受け取るとして「彼ら」はまず「死を熱望している」けれども「自殺するのが怖い」
「自分で自分を殺す度胸がない」故に「誰かに他殺されたい」と思うに至った被他殺願望の持ち主…ってことですよね?
ならば、銃なり包丁なり持って暴力団事務所に乱入した方が他殺してもらえる可能性は高そうなんですが…。
やっぱり暴力団事務所に乱入する度胸があれば自殺くらいワケナイって事でしょうかねぇ。
私はむしろ「彼ら」は「世間の脚光を浴びる」中で「自分勝手な主義主張を広く知らしめる」目的のためなら
「死刑になることを厭わない」人たちなのではないかなぁ…と感じています。つまり「死にたい」が先ではなくて
「自分を苦しめてきた世間を『ギャッ』と言わせたい、一泡吹かせたい」が先なのではないか?と思っています。
俺がひっそり自殺したところで、世間は自分たちが犯した罪(俺を苦しめてきたという罪)に気づきゃしない。
もはや生への執着もありゃしない。今こそ復讐の時は満ちたり!!差し違える(結果として死刑になる)とも
構ゃしない!でっかい花火を打ち上げて、華々しく散ってやろうぞ!そういう心理なのではないでしょうか…。
たとえば、宅間守元死刑囚も「自分みたいにアホで将来に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でも
わずか5分、10分で殺される不条理さを世の中に分からせたかった」と言っていますよね?これって遺族感情を
害して死刑判決の可能性を高めるための暴言ではなく、本当に犯行目的なのではないかな、と。
つまり「彼ら」にとって「自分が死ぬこと」は目的ではなくて交換条件なのだと思います。
従って、死刑を廃止し終身続く拷問刑なる物を導入することが可能になったとしても、この手の犯罪が減ると言うより、
この手の裁判が減る((自殺による)被疑者死亡により不起訴)に止まるのではないでしょうか?
2311
:
紫煙狼
:2009/08/23(日) 01:09:26
ごめん。
>>2310
は私の投稿。
2312
:
誘導されて来た
:2009/08/24(月) 22:09:21
>何の義務も義理もないにもかかわらず受刑者の身を案じてしまわざるを得ないという事情から
>結果的に不快な気持ちを招くものになるのではないですか?
悪いけど、そこまでは面倒見切れない
特定の行動を万人が見て、見た万人が満足行く行動を取れというのは不可能
現状ではソース先のやり方は、罰と言う面と、更生と言う面と、規範の土台固めという面から有益
行うのは、地元でなく多少路線的にも離れた場所で、駅前交番の前辺りで紙袋で顔隠して一人で行うのが良いでしょうね
それから、罵ったりするのは厳禁ですよ
どちらかと言えば、哀れんだ目でちら見ぐらいのほうが効きます
>「犯罪者に人権などない」という考えを市民の間に浸透させることと元犯罪者の社会復帰・更正を促す
>ことは容易には折り合いが付かないのではないかと思われてなりません。
正確には、営利や快楽目的などの自分の利益を図るために他人を殺傷するようなひとや、更生する気の無い人にはですね
それ以外の犯罪者には今までどおりで、別の施策で社会にパイを作っていく方向が良いです
非常にさじ加減が難しいとは思いますが、実際にそれに近いことは起こってます
駐車違反の取り締まり強化にはブーブー言いますが、飲酒運転の罰則強化は社会にすんなり受け入れられましたよね
特定の事件をスケープゴートにして、その事件に関連するものの社会的ウエイトのみをあげることは可能ですよ
>ちなみに存置論者の方々に対しては、今のところ死刑廃止傾向にある国際社会において日本が存置国として
>あり続け、しかも廃止諸国の理解を取り付けられるような十分に説得的な存置論を展開して戴きたいものです。
改めて聞きたいけど、なぜ刑の存在そのものが批判される対称になってるの?
人権思想というけど、中国なんかと違って日本では他人の人権を踏みにじるような事をしなければ死刑にはならないのが現状ですよ
>何度も言うようですが、拷問はダメですよ。憲法の一部を改正・もしくは36条を抹消するというのなら話は
何かを自白させるための拷問は当然ダメですよ
でも、残酷な刑罰って何を持って残酷とするの?かんかん踊りだって十分拷問だと思う人も多いでしょう
残酷な刑罰を法の取り決めなく起こすのではなく、最初から法制化して決めてあれば、それは唯の刑罰の一種類になってしまいますよ
別に爪を剥げとか、100叩きにしろとか言ってるわけじゃなく、「ああは成りたくない」という環境にするだけですよ
世界の例を見る限り、刑務所の環境で人権違反とみなされる事は、実情に比べてずっと少ないようですし
こっちの方がよっぽど批判受けそうですし実現性はないですけど、例えば「ベネズエラの刑務所にて3ヶ月」とか「北朝鮮の収容所で5ヶ月」とか言われたら、内情を知れば「殺してくれ」と言うかもしれませんね
そこまで行かなくとも、アメリカの刑務所は州の予算などによって大きく待遇が違うようですが、待遇が悪い施設でもそれは違法とはなりませんよね
再犯の場合、現在より1〜2ランク設備を無理やり落とした施設で生活していただいても批判の対称になるでしょうか?
2313
:
誘導されて来た
:2009/08/24(月) 22:10:02
>これで本当にその種の犯行がなくなるのかどうか。
完全にはなくならないでしょうね
10年位前に「人を殺す経験がしてみたかった」なんて馬鹿な理由で殺人を犯した人もいますから
また
>社会への怨恨型であれば、「死ぬ前に社会への恨みを晴らしてやる」などと考え、
とか
>私はむしろ「彼ら」は「世間の脚光を浴びる」中で「自分勝手な主義主張を広く知らしめる」目的のためなら
>「死刑になることを厭わない」人たちなのではないかなぁ…と感じています。
などの人にも完全な防止効果はいでしょうね
ただ、凶悪な犯罪が10件から7件に減るだけで、確実に人命は3名以上救われます
脚光を浴びる交換条件の対価が一定期間以上の「陰惨な」余生であれば、対価が高すぎると感じる人も出てくるでしょう
私は「10名の不幸な凶悪犯罪者を擁護する社会」よりも「7名の悲惨な凶悪犯罪者に目をつぶって3名の一般人と3名の犯罪者予備軍を不幸に落とさないようにする社会」の方を求めたいです
2314
:
無精髭
:2009/08/30(日) 19:40:40
>悪いけど、そこまでは面倒見切れない
>特定の行動を万人が見て、見た万人が満足行く行動を取れというのは不可能
それは誘導さんが単なる提案者・「アメリカ式晒しの刑」の賛同者に過ぎないから言える事ですよ。
どんな刑罰であれ、国家がそれを採用・運用するからには、どのような結果になるかを予測できない・
リスクを計算に入れられないなんてことは言ってられないはずでしょう。しかしながらそれ以上に私が
懸念していることは、国会で晒しの刑を導入するという話が真剣に議論されたときに、国民がどういう
感想を抱くのかということなんですよ。その時点で国民の大半が不快に感じるようでは、晒しの刑の制定が
実現するわけはないですよね。だから、国民の全てとは言わずとも大半が納得できるような弁論なり論理
なり構想なりで晒しの刑導入論を展開しなければならないだろうと思うのです。もちろん現在の日本の
国民性が晒しの刑のような刑罰の導入に対して寛容であろうということが分かっているのであれば、
国民の反応を窺う必要は余りなく計画を進めることができるでしょうが。
まぁ、仮に晒しの刑が新たな刑罰として制定・実施されたとして、その後、市民がどういう気持ちを抱くかは
自由と言うか統制することは確かに不可能ですので、心理面に関しては別に文句はないですよ。というか
ご指摘の箇所については一応冗談であると断ったはずなんですが…(苦笑)。但し、行動面においては
自己責任という条件付きで受刑者に危害を加えることが可能でありますから、その点の対処について十分に
議論する必要があるでしょう。罪状によっては受刑者襲撃の危険性は高まるとも考えられるわけですし。
私も全員が全員良心的・理想的な行動を取るように指導せよとまでは国に対して要求しませんし、国民が
皆そうならなければ晒しの刑を導入すべきでないとも主張しませんけれども、一般市民を巻き込んだ刑罰
論争であることに間違いはないわけですから、誘導さんも晒しの刑導入に積極的でいらっしゃるのなら、
国民をなだめすかす位の面倒事は避けて通れないのではないですか?
でも、誘導さんはきちんと対策を考えていらっしゃるので余計な心配は無用でしたね。交番前で執行させる
というのはナイスアイディアかも知れません。警官なり刑務官なりが付き添うことが可能ならもっと良いのですが。
あと、話には出ませんでしたが、次のことは重要なので付記しておきますね。例えば晒しの刑を受けている者に
対して何らかの危害を加えた場合は通常の罰則の他に、当の晒しの刑を妨害した罪にも問われなくてはならない
でしょう。……刑罰を妨害する罪とは何ぞや、と思われるかも知れませんが。しかし、晒しの刑に含まれるのでは
ないかと危惧される私刑的な要素を排除するためには、刑法におけるそこらへんの調整は致し方ない処置だと私は
考えております。
>現状ではソース先のやり方は、罰と言う面と、更生と言う面と、規範の土台固めという面から有益
更正というのは? 刑罰とは言え屈辱を与えることで却って国や社会に対して逆恨みをする兵六玉が
出てくるとも考えられますが。まぁですから、ソース先の例のように自らが受ける刑罰を選ばせる
というのも好い考えかなと思うのです。誘導さんは罰金や懲役などの従来の刑罰において更に晒しの刑を
付加すべきというお考えなのでしょうけど、それは晒しの刑は罰金や懲役や拘留といった刑罰から独立した
新たな刑罰として制定・運用するという理解で勿論宜しいのですよね? その場合併科と言うことになる
ようですが、こうなって参りますと、やはり刑法の根本的改正なり全体的改正は必須なのではないでしょうか。
2315
:
人権
:2009/09/01(火) 20:07:28
こんばんは。
民主党政権が成立するわけですが、死刑廃止の方向に向かうのでしょうか。
一気に廃止まで行かなくても、当面の執行停止ぐらいは可能性があるよう
にも思いますが。法務大臣に誰がなるかにもよるでしょうけれど。
2316
:
Ken
:2009/09/02(水) 13:48:05
>>2305
記事読んでみましたけど、ウォルマート(ドンキホーテみたいな安売りの小売店)でたった7ドルの商品万引きして捕まるいい年したおばさんって、悲惨だな、としか。ディープ・サウスのアラバマか。住みたかねーな。
これ読んで日本にも導入汁とか言ってる人、入り口に知らないおばさんが「私は万引きしました」って看板持って恥ずかしそうに立ってる店に入りたいんですかね。私はすごくいやな気分がしそうなんですけど...。
こういうの裏取らないと気が済まない性質なんですけど、実際にはこの「晒し刑」を受け入れるかどうかでウォルマート側と判事の間でぐだぐだしたみたいですね。
http://www.talkleft.com/story/2007/5/9/221635/8178
敷地内で物投げられたり車で轢かれたりしたら店の責任問題にもなりますし。万引きに困っている店の方がこの記事に快哉をおくるのは理解できるんですけど、小売業を営んでいるわけでもないのにこういうの見て「いやっほう!ざまあ!」とか思う人って万引きはしないんでしょうけど、なんだか別の問題を抱えていそうでちょっと近づきたくないです。
見せしめにして再犯予防や万引き犯予備軍の抑止にするってことなんでしょうけど、それより重要なのは店側が万引きには毅然とした対応をとることを実際に示すことでしょうね。判事さんもそういう旨のこと言ってます。
Judge Roberston Jr says yes, it will not only encourage the shoplifters and customers not to steal but show that the store is taking the law and their business seriously.
http://www.associatedcontent.com/article/237228/a_new_form_of_punishment_shoplifters_pg2.html?cat=17
万引きが減らないのは罰が軽いからじゃなくて、まず捕まらないし捕まっても警察に通報されないからです。効果的な対応は万引き犯を見つけたら必ず警察に突き出して裁判を受けさせることですね。駐車違反を減らしたかったら罰則を引き上げることよりも取締りを厳しくするほうがはるかに効果的なのと同じです。以下毎日新聞からの引用。
―――
引きなどの再犯者226人を詳しく調べたところ、発覚回数と通報回数を比べた通報率は21.5%で5回のうち4回は見逃されていた。同委員会は「万引きしても通報されなかった経験が安易な犯行の繰り返しにつながっている」と指摘している。
少年に動機を尋ねたところ「ゲーム感覚」との回答が26.8%と最多で、高齢者を含む全検挙・補導者の約6割が「捕まると思っていなかった」「何も考えていなかった」と回答した。同委員会は、代金を弁償すれば警察に通報しない店側の対応も規範意識の乏しさの一因になっているとみて、店舗責任者に全被害を届け出るよう求めた。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090827k0000m040049000c.html
―――
いつも書きますけど、日本で凶悪犯罪が少ないのは死刑に代表されるような厳しい刑罰が抑止力になってるわけではなくて、検挙率が高いからですね。すごく悪いことしたらほぼ確実に捕まるんで。
日本の刑罰体系が多様化するのは歓迎しますけどね。江戸時代には、姦通の罪を働いた男女はござに座らされて晒し者にされたらしいです。米国はコモン・ローの国なんでこういうのもありですけど、日本は大陸法なんで法律にきっちり書いてないとダメなのでちょっと難しいかも。
2317
:
Ken
:2009/09/02(水) 14:48:38
>>2303
犯罪者の人権を度外視し
中国なんかだと殺人じゃなくても覚醒剤とかでも死刑になりますよね。まさに犯罪者の人権が度外視されてますよね。
>>それを世間一般に広めることが抑止力につながり
北朝鮮なんかだと公開処刑がありますよね。まさしく、犯罪者の悲惨な末路が世間一般に広められてる。
>>結果的に無用な犯罪を減らすことが出来るのではないか
なるほど!日本も全体主義の独裁国家になれということか!
>>2302
人権を尊重しない人の人権を擁護することにより、人権を尊重する人の人権が失われるのであれば、人権とは奪われることへの容認でしかない
この考え方が間違ってますね。人権って普遍的な権利ですから犯罪者・一般人の分け隔てはないですよ。中国や北朝鮮のような独裁国家では人権がそもそも大事にされてなくて、とりわけ犯罪者の人権はないがしろにされる。EUのような自由民主主義先進国では人権が大事にされているから、犯罪者もその恩恵に被れる、と。どっちかの人権を尊重するのと同時にどっちかの人権を無視するという事態はありえないです。
いつも紫煙狼さんが書いてますけど、刑罰というのは国家が秩序を維持する装置という側面が強いですから。秩序維持のためには犯罪者の人権なんてどうだっていいんだっていう国では、犯罪ではなくても国家の邪魔になるおそれがあるということで一般市民の権利もいろいろと制限されるでしょうねえ。そういう国はやだなあ。
というか、今の日本は過去や他国と比べて凶悪犯罪が多くなったということはないんで。なんかそういう印象・デマを振りまいてる人が多いんですよね。それで、無期懲役は15年で出てこれる軽い罰だとか。
2318
:
ufloat
:2009/09/16(水) 06:52:39
>>2317
「人権を尊重する国では、犯罪者もその恩恵を受ける。
犯罪者の人権が保証されない国では、一般人の人権も保証されない」。
これ、ものすごく重要な点ですね。
「犯罪者に人権はない」という状況は、すなわち政府にとって都合の悪い人間を
適当な罪状なり何なりで投獄したり、国家にとって役に立たない人間を取り締まる
規定を作ってしまえば、何でもありということですから。
北朝鮮のように、国家の役に立たない者、気に入らない者、政治的思想が政府に反する者は
労働所・収容所送りとなり、そのまま行方不明となるような世の中は御免こうむりたいです。
少なくとも北朝鮮より何倍もマシなはずの日本でも、冤罪事件では人権を完全に無視した
取調べが話題になったり、「転び公妨」などという言葉も存在するほどですので、
犯罪者の人権を度外視するのが、一般の人権を度外視することにつながるのは容易に理解できます。
死刑を存置するにせよ、廃止するにせよ、抑止効果を見込んだ何らかの刑罰を導入するにせよ、
犯罪者の人権が一般人より相対的に制限されるのは仕方ないとしても、最低限の基本的な人権は
保障されるのが前提でなくてはなりますまい。
>>2315
今のところ、法務大臣は千葉景子氏との記事が出ていました。Wikipediaの記事
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E6%99%AF%E5%AD%90
によれば、氏はアムネスティ議員連盟所属などと書いてありますが、果たして
死刑に関して何らかの動きは生じるのでしょうか。
2319
:
loveless
:2009/09/17(木) 01:35:19
>>2315
法相が千葉氏になりました。
個人的には、ほぼ最悪の人選。。。
死刑は執行されないでしょう。
人権擁護法案は可決、執行されるでしょう。
不法滞在外国人の検挙は少なくなるでしょう。
てか、検察に圧力かかるかも。
2320
:
紫煙狼
:2009/09/17(木) 20:06:23
死文化し適応されることがなくなった刑罰が法律上残されていることには一定の意味が有ったとしても、
裁判の判決として下され確定したにもかかわらず、執行されない刑罰には全く意味がありません。
そういう意味ではlovelessさんの意見は無理からぬことだと思います。
ただ…無罪を主張する囚人の再審請求の門戸が針穴に身を通すよりは、いくばくかでも緩和されるのであれば、
唯一の救いと認めてもいいかな、とは思います。
とはいえ…今までは少数意見の代弁者としての役割が主な存在理由であった野党でも、多数意見を実現する役割を
担う与党となったからには、そして「善政を行う実力あり」と認められて与党の座を守り通すには、適切な落とし
どころを見つける技量が問われるのであって、少なくとも、今までどおりに少数派の意見だけを最重要視するが
ごとき政権運営を行えば、次は別の党に取って代わられること必定。最悪の場合、いつぞやのごとく、結局自民党に
与党を奪われ返されるという「あまりに恥ずかしくて見るに耐えない醜態」を晒すことになりかねません。
少なくとも現行法に則った法手続きの一環としての責務たる死刑執行命令書への自署を拒否する人物は
法務大臣として、ひいては国民の与えた責務を全うする閣僚としてふてきかくな人物であるという事だけは、
死刑存廃に対する考え方の差を越えてlovelessさんに前面同意できるものです。
2321
:
Ken
:2009/12/01(火) 13:50:39
あの人権後進国のロシアでさえ死刑が停止されてるんですね。知らんかった。
死刑執行の停止継続へ 憲法裁が判断
http://ruvr.ru/main.php?lng=jap&q=2101&cid=59&p=20.11.2009&pn=1
極東の島国でも陪審員(裁判員)制度は導入されたんですけどねえ。
日本はまだかいのう(きんさん風に)
2322
:
kuro
:2009/12/02(水) 10:30:10
世論の圧倒的な支持を理論によって飛び越えて死刑を廃止をしたいなら、
まずお互いに矛盾する複数の廃止論が存在する状態を解消しなければならない。
そこが死刑容認派と議論をするためのスタートラインだろう。
2323
:
無精髭
:2009/12/02(水) 23:35:22
世論を無視してまで死刑を廃止したいとは思わないですねぇ。その世論というのが
<実際の>社会の大多数の人の意見を反映しているのだとすればですが。時に、
廃止派の人たちというのは矛盾なき理論で死刑を廃止できるなんて考えを持って
いるのでしょうか? はたまた死刑を廃止するには死刑容認派と議論しなければ
ならないと考えているのでしょうか(笑)。
国に死刑を廃止させることと(結果として、国が死刑を廃止する)、国民に死刑を
廃止させること(結果として国民が死刑を廃止する)―――つまり死刑廃止の声を
上げるよう国民に呼びかけることは似ているようで違います。一応どちらの方法でも
廃止可能であるとして、「理論」が必要なのは果たしてどちらでしょう?
>(略)まずお互いに矛盾する複数の廃止論が存在する状態を解消しなければならない。
ある廃止論者個人の中で矛盾する考えをどうにかする、という話ではなく?
申し訳ありませんが、「複数の廃止論」というのが何を指すのかが分かりませんので
いくつか挙げていただけませんでしょうか。また、それらがどのように「矛盾する」
のかを教えていただけませんでしょうか。
>そこが死刑容認派と議論をするためのスタートラインだろう。
いやいや、廃止論者同士で意見調整して一つの矛盾なき理論を提出できなければ
議論してやらないもんねーという態度を取るような存置論者の方とは、理路整然
かつフェアな論客ですらちゃんと議論することができないでしょう。死刑容認派
においても「お互いに矛盾する複数の存置論が存在する」可能性は否定できない
わけで、そういうところに無自覚・無反省であればその者の言語活動に支障が
出てくることは明らかですから。
もし死刑容認派の皆さんがお互いに矛盾する複数の存置論が存在する状態を
「仲間内のことだから…」というなあなあな気持ちで放置しているのだとすれば、
それは世論の圧倒的な支持に胡坐をかいているだけと言われても仕方がないことです。
こんなことを言うと、「存置派の言論においては(もはや)矛盾は存在しない!
それぞれ特徴を持った・個性的な存置論が相当数あるにしても矛盾は生じていない!」
という反論(?)が返って来そうで恐い。まあ存置派が一枚岩であるかどうかとか、
その理論に欠陥があるかどうかということは抜きにして考えても、己の言論に矛盾は
ないということを理由に、議論してもいない相手に対し矛盾を失くせと要求するのは
相変わらず変な話です。議論をして行く中で矛盾を指摘してやれば済むでしょうから。
その方が、ただ矛盾を見つけただけでそれを失くせと言うよりは論理的でしょう。
自分が矛盾していなくて、しかも相手が矛盾しているから議論してやらないというのは、
自分が議論の中で矛盾したことを言うかも知れないということを棚に上げて議論を避けて
いるだけではないでしょうか。否、自分はマジョリティーに属するのだから・自分の考えは
世論と変わらないのだから、そういう理由で議論を拒絶しても構わないというのなら、
そんな人と好き好んで議論したいと思う人はまずいないでしょうね。議論したとしても
その傲慢な態度にうんざりさせられそうです。
議論を始める前から、専ら対立する側にのみ高度な論理性や主張の一貫性や立場の統一
といった制約を課そうとする姿勢については全く理解できません。相手が矛盾した考えを
持っていたり事実誤認をしている場合、繰り返しますが、議論の中で逐一その間違いを
指摘してやれば好いではありませんか? というか、そういうことをしなくっちゃ議論
する意味が薄れますよ。
「文法を守れ」とか「感情を排して論理的に話せ」とかいった議論において最低限守られる
べき規則なら相手に要求しても当然でしょうが、だからといって自分にはその規則を破る
ことが許されているのだとしたら、それは規則を相手に要求しているのではなく自分の
勝手な都合を相手に押し付けているだけに過ぎません。まずは自分が規則を守らなければ
相手に規則を守れと言う資格はないでしょうし、相手も実際に規則を守ってはくれないでしょう。
2324
:
ufloat
:2009/12/03(木) 05:00:37
>>2322
最大限好意的に解釈しまして・・・。
「日本では圧倒的多数が死刑に賛成しており、反対している人は極めて少ない。
ゆえに、反対派は意見を集約しなければ、まさに泡沫同然の状態であるので、
賛成派の側と理論的な話し合いを持つどころではない状況である」
このような意味でしょうか。
2325
:
無精髭
:2009/12/03(木) 08:35:20
kuroさんご自身が死刑容認派だとすれば
>>2322
の発言はゴーマンの極みですが、
kuroさんご自身が死刑廃止派だとすれば
>>2322
の発言は謙虚この上ないですね(笑)。
2326
:
loveless
:2009/12/03(木) 21:42:35
>>2321
気に入らないヤツは暗殺すればいいので死刑が不要なんでしょ。
こんな国が日本より人権意識が高いということはないですね。
2327
:
きょくタン
:2009/12/04(金) 09:13:49
権力者から見た邪魔者→暗殺すればよい(リトヴィネンコやユシュチェンコ)
民衆により引きずり落とされた権力者→法に守られたい
2328
:
紫煙狼
:2009/12/04(金) 23:42:02
>2322
あまりに説明がなく断片的に主観のみで書かれているのでkuroさんの仰る事の真意は
私にはわかりませんが、字面だけを追えば私も同じ表現を用いることが可能です。
以前、何度か書き込みましたが、死刑廃止運動をビジネスとしている団体は実在します。
これらの団体の活動は死刑容認派が死刑廃止に対して、より強く嫌悪感を抱くように、
犯罪被害に遭われた方々の神経を逆なでするような運動を繰り広げているのです。
これらの団体の幹部の本音はビジネスチャンスをつぶさぬように、死刑が廃止されて
新しい矛先、新しい運動のお題目、新しい支援者を探さなくてもすむように、表面的に
死刑廃止運動を繰り広げつつ、死刑廃止の実現可能性を一層弱めるのが上策という
わけです。
つまり「廃止を望む廃止派」と「廃止を望まない廃止派」という矛盾が廃止派という
大きなくくりの中には存在していることになります。この矛盾自体を解消しないことには
死刑容認派の見解を軟化させる土壌は生成しないと思いますので、
>まずお互いに矛盾する複数の廃止論が存在する状態を解消しなければならない。
には強く納得せざるをえません。以前、ここに現れた菊田何某のように死刑廃止派は
塀の中の人々の人権に偏重していたり人としてのマナーや人格に何らかの問題がある…。
という認識を強く植えつける活動家が多数いるのです。これは死刑廃止派内の自浄作用に
よって駆逐しなければなりませんね。そこがスタートライン、仰るとおりです。
ただし、複数の廃止論を比較したときに、A論はA論として前提条件から展開結論に至る
まで矛盾なく、B論はB論として前提条件から展開結論に至るまで矛盾ないものであれば、
A論とB論が矛盾し相反するものであっても、この二つなりそれ以上の廃止論がそれぞれ
潰しあう必要はまったくないと考えますので、それを求める意味合いでの忠告であるなら、
少々同意しかねます。
あまりに端的に表現すると、幅広い解釈が生まれますね。
2329
:
無精髭
:2009/12/07(月) 12:32:22
ある人々にとっては死刑廃止運動は思いのほか儲かる。でも、だからと言って
その活動を目的に向かってより推進させるようなことをして万一、死刑廃止が
実現してしまったら利得第一のビジネスとしては本末転倒なので、方針として
およそ死刑廃止とは程遠い趣旨の活動を展開する。(一)
他方、本当に死刑廃止を目的に活動する団体もあるが、先の人々にとっては
ビジネス上の競争相手であることはおろか、ビジネスそのものを終わらせて
しまいかねないものである以上、一言で言って邪魔な存在でしかないわけだから、
これに対して間接的に妨害乃至は足を引っ張るかのごとく振舞う。無論、直接的に
・表立ってそんなことをするわけにはいかないので、もう一つの方針として
己も含め死刑廃止派全体の評判が悪くなるような活動を展開するよう心がける。(二)
(一)をやりすぎたら「この組織では死刑廃止を実現することは不可能じゃないのか」
というムードが構成員の間で広がってしまいかねず、失望した者による脱退なんて
ケースが相次いで起こることも考えられます。(二)をやりすぎたらこの国の社会に
おいて死刑廃止運動そのものが許容されなくなる虞があります。(一)も(二)も
匙加減が難しそうですね。まぁそれは好いとして…。
「廃止を望まない廃止派」についてですが、これは端的に表現すると(肯定形に
直すと)「死刑存置派」に他なりません。従って問題なのは死刑廃止派の中に
死刑存置派が紛れ込んでいるということです。「廃止を望む廃止派」は己と
そういう存置的思想を有した団体なり人物を明確に区別するべきではありますが、
せいぜい可能なのは己からこれを駆逐するまでで、そこから先、つまり(『北斗
の拳』風に)滅殺に努めなければならないのは、むしろ実質的な同類である存置派
の方かと思われます。「どうも身内の中に表向きはこちらと親しくしていても陰で
悪口を言っている者がいるなと思っていたら実は身内ではなく他人で、しかも日頃
仲の悪い某々の仕業だった」というだけの話ですよ。身内の不始末は身内が処理
しなければならないと言うのでしたら、「廃止を望まない廃止派」の問題は存置派の
方々に片付けていただくのが筋ってものでしょう。余計な一言ですが、存置論者が
「世間≒存置派」という思い上がった考えを持つのなら猶更ではないかと思います。
2330
:
無精髭
:2009/12/07(月) 12:33:09
また、廃止派の自浄作用によって似非廃止派が駆逐されることで初めて死刑存置派に
論理的矛盾、元い言説的問題があることが世間に示されるわけですが、これはこの国で
死刑が廃止されても立場が逆転して再燃しうる問題ですよね。死刑復活運動をビジネス
とする団体の出現については簡単に予想できると思います。ですから、存置か廃止かを
選択する上でより儲かるのはどちらかという視点に立つ者の存在は死刑存廃問題の本質
には全く関わらないんですよ。存置後と廃止後いずれのビジョンにも付いて回る問題なので、
言わばこういう金儲けの手段や人に不快感を与える言動を是とする存在を許すべきか否か
といった、社会全体のモラルの問題だと思われます。
以上、全体としてみれば死刑廃止派は論理的矛盾を抱えていたのではなく、単に言動
不一致だったというだけで、議論で取り上げるべき問題ではあったとしても別に議論を
妨げる問題ではないです。kuroさんは「議論を可能にする問題」と「議論を不可能にする
問題」をごっちゃにされているみたいですねえ。
シェンさんが問題を感じていらっしゃるように、廃止派に対し理論を一本化するように
求めるのは無茶苦茶な話ですが、仮に理論的統一を以て議論をスタートさせる条件と
見なすなら存置派だって例外ではないでしょ、ということです。実際日本においては
存置派のほうが規模も人数も比較にならないほどでしょうし、私の感覚ではバリエーション
にも富んでいそうな気もするので、、、廃止を結論とするよりも存置を結論として
理論的統一を実現するほうがずっと困難だと私は思うのですがね(苦笑)。
2331
:
無精髭
:2009/12/07(月) 12:35:06
ところで気になったことが一つ。シェンさんが仰った「塀の中の人々の人権に偏重して
いたり人としてのマナーや人格に何らかの問題がある…。」ような廃止派については、
確信犯であるかそうでないかによって廃止派内でとことん処理すべきかどうかも変わる
のではないでしょうか。たとえば菊田先生氏やしげる様御一行は、「廃止すべきだ。
それしかありえない」と本気で思っている廃止派ではありませんかね?
http://blogs.yahoo.co.jp/uandi_ooo/34615889.html
↑お金目的ならもっと賢いやり方がありそうなものですが。。。
浜崎茂氏のブログ
http://shigeeru.blog78.fc2.com/
選挙に行く香具師は非国民byしげる Part162 (現行スレ)
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1248054087/l50
「本気で思っている」と書きましたが、「あの時は」そうだったのかも知れませんけど、
http://shigeeru.blog78.fc2.com/blog-entry-426.html
今は違います。「死刑でしか罪の重さを自覚させられないのではないか」
「死刑は究極の情け」これは含蓄がありますよ。少なくともこの方には実質はなくとも
ポーズだけではないと思わせる何かがあります。「形式だけで内容がないというのに
他に何が残っているというのか?」ですって? 形式を支える(でも、中身がないから
色々と間違った)信念ですよ。つまり勢いだけですよ(笑)。
ビジネス目的の「廃止」(存置)派の場合だと幹部は論外だとしても、
組織の末端の人たちは「どんな手段を使ってでも廃止すべきなんだ」とか
「被害者遺族が言ってるほど加害者は悪くない。むしろある面では被害者と
言えるし、当の被害者にだって落ち度はあるかも知れないじゃないか」てな
信念で思考もスタンスも凝り固まっているかも知れませんよ。まあ、こういう
確信犯の人たちについては死刑廃止派内でどうにかしたほうが好いかも知れませんね。
理想は駆逐するよりも力の限りを尽くして説得することではないかと。
所詮キレイごとですがね。
2332
:
Ken
:2009/12/08(火) 13:06:58
しげる先生の近況...なんだか切ない気分っすね...
>>2326
こんな国が日本より人権意識が高いということはないですね。
まさにその通り。しょっちゅうジャーナリストが暗殺されたり、大規模テロがあったり、内戦があったり。政府が強権的なロシアのほうが日本よりも人権意識が高いなんてことは絶対にないし、凶悪犯罪だってずっと多いでしょう。それでもいわゆる死刑廃止国になれてるんだから、日本にだってできないはずがない。
>>2322
なんで?
2333
:
loveless
:2009/12/08(火) 20:37:26
>>2332
日本も民主党になったので、実質死刑廃止国ですよw
(私は納得いきませんが。。)
日本人的には、法改正という手段をとるよりも、
こんな形であいまいに決着するというのが死刑廃止への唯一の道なのかも?
(京都から東京に遷都したときみたいに。。)
2334
:
森蔵
:2009/12/11(金) 14:48:16
井上の死刑判決は少し残念でした。
自分手を下さず、決定権はすべて麻原・・・
もし改心したり反省していたら無期懲役が妥当かと・・・
実行犯の林郁夫が無期ですから。
2335
:
泡麦
:2009/12/13(日) 00:38:36
千葉さんが法務大臣になって、妨害がひどくなるかもと思っていたけど、やはり千葉さんは
そんなものには負けずに、しっかりと人の道に沿った対応をしてくれていて感動しています。
中学校の時に、出稼ぎブラジル人の娘さんが同級生にいたので、千葉さんの外国人への
対応には正直感激してますよ。
官僚の言いなりの自民党ではできなかったことを、民主党政権は行っていて政権交代の影響力に
驚いています。
まさに、明治維新ならぬ平成維新だと思います。
2336
:
死刑已む無し
:2010/01/27(水) 02:18:26
初めまして、私の死刑に対する意見を書かせて頂きます
まず、死刑制度としては存在するべきだと思っております
どれほどの悪意をもって、私利私欲を満たすことを目的とし、どれほどの規模のことを行ったとしても許される
これではいけないと思います
死刑には明確な抑止力が無いなどと仰られる廃止論者の方も見受けられますが
上記のことを犯罪者が事前に認識しているというだけで、犯行に拍車がかかることは明白です
「仏の顔も三度まで」 だと思っております
現在での日本人の古くからの考え方からみれば
「死刑制度に抑止力がある」 というよりもむしろ、「死刑を廃止することが犯罪者を増長増大させる」 ほうが正しい表現です
人権を理由に死刑に反対する方も見受けられます
が、民主主義においての人権とは、「何をしようとも国家が護ってくれるもの」 ではなく
「国民1人1人がお互いに尊重し合うもの」 であるべきだと思っております
死刑相当の罪を予め認識していて尚、その罪を犯すものとはつまり、「他人の人権を侵害し、自らの人権を放棄する」 者であると考えます
他人の生存権は、自らの私利私欲の為に冷酷に奪っておきながら、自分の権利(だけ)は護りたいと訴えても、許すにも限度というものがあるだろうし
訴えることそのものが倫理としては間違っているというものです
だが、人には情けというものもあります
あまりにやりすぎていなければ・・・・真に反省の心が見られるならば・・・・
犯人に生きて更生してもらいたい・・・・という気持ちもあるでしょう
だがここで、「どんなに利己的で残虐な殺人を犯した殺人鬼でも人権は護るべきだ!」 などと高圧的に論じる者も居られるが、これは逆効果であると思われます
冤罪を理由に廃止論を唱える方もいらっしゃいます
冤罪はあってはならないものです
それは懲役刑だろうが死刑だろうが、あるいは不起訴であったとしても、絶対にいけないものです
冤罪の可能性が無い場合に限り死刑適用するべきだとは思います
冤罪死刑は絶対に許せないが、冤罪懲役は仕方が無いなどという意見も聞きます
一つ例を挙げます
真犯人からの直接の依頼を受け、本人が了解した上で、証拠品と現場の状況説明をひっさげて身代わりで出頭した場合はどうなるのでしょうか?
真犯人から報酬を受け取り、代わりに懲役を務めるといった具合ですね
これでは死刑相当の罪を身代わりに引き受けるものは中々存在しなさそうです
このケースで身代わり出頭したものが、ある機を境に、無罪を訴えたとしたらどうなるでしょうか?
殺人犯本人しか知りえない情報を、本人から直接聞いて自供し、証拠とした者が突然無実を訴え、DNA鑑定を求める
当然、真犯人のDNAと一致するはずもなく・・・・
これは・・・・冤罪なのでしょうかね
どちらにしても、冤罪を理由に死刑廃止するとは本末転倒も甚だしいです
真の冤罪被害者にとっての加害者とはこれつまり殺人真犯人なのですから
司法や検察の過失も重く見なければいけないですがね
死刑の抑止力に話を戻します
外国人犯罪者などには強力に抑止力になると言えるでしょうね
廃止論者が例にとって挙げる・・・・世界的には廃止国が増えてきていると
だが皮肉なことに、外国で死刑が廃止されればされるほど、その国から日本にやってくる外国人犯罪者にとっては日本の死刑制度が脅威になることでしょう
ここまで、被害者遺族の感情には触れていません
もちろん、加害者やその家族の感情にも触れていません
「身寄りの無いものならば殺したとしても罪が軽い」 「身寄りの無いものは、情状酌量が認められるようなケースであっても死刑になってしまう」
などという事態になっては絶対にいけないですから
ですが、遺族の感情は、加害者の人権、感情よりは重く見られて当然だと思います
なぜ、廃止論者は加害者だけを擁護するのでしょうね・・・・
全くの身勝手に1人殺害したとしても、現状の基準では死刑適用されないというのに・・・
私はこれだけで十分犯罪者は擁護されてると考えるのですがどうでしょうか?
2337
:
死刑已む無し
:2010/01/27(水) 13:18:46
>>2323
>申し訳ありませんが、「複数の廃止論」というのが何を指すのかが分かりませんので
>いくつか挙げていただけませんでしょうか。また、それらがどのように「矛盾する」
>のかを教えていただけませんでしょうか。
そうですね、まずは廃止論をざっと挙げてみます
①人権は平等に与えられるものだから殺人犯にも平等に与えるべき
②世界的には死刑廃止に向かっているのだから日本も廃止すべき
③どんなに凶悪な殺人犯にもそれなりの生い立ちや社会的背景があり、そちらに非がある
④冤罪で死刑になるのだけは絶対に許せないので死刑廃止、冤罪懲役は仕方が無い
⑤誰でもが死刑囚になる可能性を持っているので死刑囚の立場に立って考えるべき、そうすると死刑廃止
⑥死刑制度には抑止力が無いので、死刑は必要が無い
⑦⑤と重複するが、被害者遺族感情、つまり恨みや憎しみからは何も生まれないので、加害者やその家族のことを考えるべき
⑧死刑とは国家による殺人も同然であって、やっていることは凶悪殺人犯と変わらない
⑨ただ殺すだけでは勿体無いので、なにか役に立てさせたい
⑩凶悪な殺人犯も、他の一般人と何も変わらない普通の人間である。だから死刑反対
まだあるでしょうかね・・・・
廃止論とは、これらを軸にして、それを証明するために理論の後付をしているように感じます
これだけ見てみても、どこが矛盾しているかと言うよりもむしろ、まるで整合性が無いように思えます
また、これらの廃止論者同士での意見調整をしなければ議論ができないなどとは私は思いません
ですが、廃止論者にとっては不利であるとは思います
>ある廃止論者個人の中で矛盾する考えをどうにかする、という話ではなく?
廃止論者にとってそれでいいのであればそれで良いと思います
あくまでも個人的な考えであって、他の廃止論者の意見などは自分とは関係ない
と仰られるのならばそれでも構わない
が、それで果たしてその意見が社会的に受け入れられるものになるのかどうかは私個人としては疑問に思うところです
2338
:
紫煙狼
:2010/01/27(水) 18:30:46
>どれほどの悪意を(中略)規模のことを行ったとしても許される
「処刑されない=許された」ではないですよね?犯した罪の内容によりますが、
未来永劫許すべきではない犯罪というのは掃いて捨てるほどあると思いますよ?
しかし、その加害者が処刑されるか否かと、許されるか否かは全く別問題です。
>>2337
において「死刑已む無し」さんが挙げた10通りの典型的な死刑廃止論は
正当性は別として「処刑すべきではない理由」もしくは「処刑してはいけない理由」と
考えることが出来ます。別に「理由のバラエティー」で競うつもりは毛頭ありませんが、
「決定には慎重の上にも慎重を重ねた検討が必要な事案」に関しては
「現状を変更せざるを得ない理由」が満たされない限り「現状を維持させるべきだ」と
結論するのが無難ではないでしょうか?つまり「死刑を廃止する」には「廃止せざるを
得ない理由」を満たさない限り、現状を維持し「死刑を存続させる」のが無難な結論と
なります。
しかし相手が同情の余地のない凶悪犯であるからといって、その生命を奪うということには、
慎重の上にも慎重を重ねた検討が必要です。先ほどの論法をそのまま死刑囚の生命に当て
はめてはいかがでしょうか?「処刑せざるを得ない理由」が満たされない限り「現状を維持させ
生命を安直には奪わない」のが無難な結論となってしまいますね。
そこで「処刑せざるを得ない理由」を挙げれば、なんら支障なく処刑できるのですが、その際に
一番考慮すべき点は「処刑以外の方法では決して満たされない理由足りうるか」でしょう。
例えば再犯の可能性を例にするとして…。処刑してしまえば確かに再犯の可能性はゼロになり
ますね。しかし、終身拘禁刑でもその目的は達成できるはずです。このように突き詰めて行った場合、
「処刑以外の方法では決して満たされない」モノは何か?と考えたときに何が残りますでしょう??
2339
:
死刑已む無し
:2010/01/27(水) 19:09:58
>>2338
「満たす」 「満たされない」
と言う言葉をよく使用されますね
私が、何かを満たす為に死刑制度が必要であると申しましたでしょうか
「処刑されない=罪が完全に許された」 ではありませんが、生きて更生するチャンスを与えられると言うことは
少なくとも、他人の生命を奪った罪に関しては許されたと思えます
交通死亡事故を起こしてしまったドライバーは、とても重い十字架を背負っていかなくてはならないでしょう
が、それは、「死」を与えられた被害者の立場からみれば、許されているはずです
廃止論者には、被害者遺族や、その身内といえる人たちの感情論を否定する方が多く見受けられます
が、死刑を免れた加害者や、たとえば過失によって他人の生命を奪ってしまった人など
こういう人たちを最後に許すのは、「法」 では無いと思いますよ
2340
:
死刑已む無し
:2010/01/27(水) 19:14:50
廃止論には
「木を見て森を見ず」
「一本の枝が虫に食われていたら、その幹を切り倒す」
というような理論が多く見受けられるように感じます
私の主観ですが
2341
:
紫煙狼
:2010/01/27(水) 19:23:43
>私が、何かを満たす為に死刑制度が必要であると申しましたでしょうか
と、いうことは、死刑が目的を持たない…ということでしょうか?
私は死刑制度に「目的」があると捉え、それゆえに「満たす」という言葉を使用します。
逆に「目的を持たずに死刑にする」のであれば…それは空恐ろしいことだと思いますね。
そのあたり、ご教授いただければ幸いです。
なお…。
>廃止論には(中略)が多く見受けられるように感じます
に関しては、私は賛成論・存置論にも同じことが言えると思っています(^^)
2342
:
死刑已む無し
:2010/01/27(水) 19:36:13
廃止論者は、現場での射殺の判断は是であると言います
なぜでしょうか?
どんなに多くの人命を好き勝手に奪った凶悪犯だとしても、判断には慎重に慎重を重ね・・・というか死刑は絶対いけないと仰いますのに・・・
具体的に、どの程度危険が迫れば犯人を射殺しても許されるのでしょうか?
いえ、現場の判断が正しいと思えるのでしょうか?
いえ、現場の判断は已むを得なかったと思えるのでしょうか
私は、「死刑制度」 は「存在すべき」 だと言いました
だが、死刑執行が正義だとは思いません
あくまでも、「已むを得ない」 なのです
現在の死刑の適用基準について議論するというのならば良く理解できます
冤罪死刑を無くすため、その疑いを無くすために慎重に慎重を重ねる。これも良く理解できます
だが、どこまでいったとしても、どこかに、「限界点」 は設定すべきだと思います。それをどこに置くのかを慎重に議論すべきです
これが私の考え方です
2343
:
死刑已む無し
:2010/01/27(水) 19:39:01
>>2341
目的があったとしてそれをおこなったとしても、「満たす」 ことが出来ないものも存在すると思いますよ
あなたは世の中全てのことが綺麗に割り切れるとお思いですか?
2344
:
死刑已む無し
:2010/01/27(水) 19:44:06
最後に一言だけ言います
人の生死に関わることを議論する場で、気軽に(笑い)を表現されるのはどうかと思いますよ
2345
:
ufloat
:2010/01/27(水) 23:13:23
>>2342
>廃止論者は、現場での射殺の判断は是であると言います
>なぜでしょうか?
ここでは死刑についての私論を挟まず、あえて中立的な立場から申し上げます。
「死刑」と「現場での射殺」では、そもそも比較対象とはなり得ないのではないでしょうか。
現場での射殺は、犯人が抵抗または逃亡などをする恐れがある際の、周囲や社会への危険を
防ぐためのやむを得ない判断なのであって、犯人が明らかに無抵抗の状態で投降してきていて、
射殺する必要がないのに射殺した場合には、射殺した者が罪に問われる場合があります。
「必ずしも射殺した側の判断が正しいとは限らない」のはもっともですが、通常の法の範囲でも
「錯誤」による正当防衛や過剰防衛もあり得るわけで、錯誤による射殺が間違っていると
主張なさるのなら、その他の「錯誤」をも否定しなくては道理に合わないでしょう。
死刑問題に関しては、少なくとも「犯人が社会を危険にさらす恐れ」を防止する効果については
死刑でも仮釈放なし終身刑でも同等なのですから、「社会の危険」を理由に射殺を容認する者が
死刑に反対したとしても、全く何の矛盾も存在しないのではないでしょうか。
>>2343
失礼ながら、ものすごく恐ろしい書き込みに感じました・・・。
様々な死刑存置論の
「ある目的のため、人の命を奪うことはやむを得ない」
ことには共感・賛同できるとしても、
「目的が充足できなくても構わない」
ともなれば、いくらなんでも到底賛同できるものではありません。
「条件Xを満たすため、人の命を奪うのは仕方がない」
のであれば、
「条件Xは満たせなくてもよい」
わけにはいかないでしょう。
「人の命を奪う」という苦渋の選択をするからには、それなくしてはどうしても実現不可能な
「目的X」を充足してもらわなくては困ります。命を奪っても奪わなくても「目的X」を
充足できない、あるいは目的自体がないのであれば、命を奪う必要はありません。
私も結構死刑存廃論は読んできたはずですが、大抵の存置派の方々は「この目的のため、死刑は必要」
と主張なさっており、「目的を満たせなくてもよい」との主張をなさったのは、私が見てきた限りでは
(イタズラ・暴言を除いて)死刑已む無しさんが初めてです。もしよろしければ、その辺のところを
もう少しご教授願えないでしょうか。
2346
:
死刑已む無し
:2010/01/27(水) 23:40:59
>>2345
>失礼ながら、ものすごく恐ろしい書き込みに感じました・・・。
あなたには私の考えは伝わらないようですね
私は、「目的が満たせなくても構わない」 などとは一言も言っていません
私はむしろ、「我々にはこういう目的があるから、そのためにこれを行うことは正しい」
という考え方、つまり、「正義は我にあり」 という考え方に恐怖を感じます
これは、人の生死に関わる問題など、その判断によって周りに大きな影響を与えることほど言えることだと思いますが
是非を問う場合に於いて、「これは是である」 と断言することそのものが、「非」 であると考えるのです
たとえば、子供にゲンコツを落とすのは躾であるから正しいことだ!
これは当然、「非」 であると思います
逆に、子供は絶対に叱ってはいけない、優しく言って聞かせれば必ず分かる
これも、「非」 なのだと思います
こうすれば良い!これならば正しい!
と、断言した時点で、その判断に正義は無いと思います
人の命を算盤で弾くのは無理があると思うのです
目的としては当然、「満たすことに全力を傾ける」 わけですが、満たせないものは満たせないのです
無理に満たそうとすれば、逆に枯れる場所が新たに出現するでしょう
目的とは、この一箇所だけを満たすのではなく
「全体を潤す」 にはどうしたらいいのかではないでしょうか?
2347
:
死刑已む無し
:2010/01/27(水) 23:55:07
>>2345
この程度のお答えしか返すことが出来ずに申し訳ありません
これが私の考え方であって、「私の考え方が正しいのだ」 などとは言うつもりもありません
ただただ、私というちっぽけな一個人の主観を述べさせて頂いたに過ぎません
駄文、失礼いたしました
2348
:
紫煙狼
:2010/01/28(木) 01:23:43
>>2344
では、最初に一言。
>人の生死に関わることを議論する場で、気軽に(笑い)を表現されるのはどうかと思いますよ
はい、人の生死にかかわる議論の場です。人の生死にかかわる話題に笑いを挿入するつもりはありません。
人の生死にかかわる話題ではなく「自分は森を見ている」かの如き人の生死にかかわらぬ「蛇足の部分」で
笑いを挿入いたしました。その点ご了承いただきたく存じます。
>>2342
「現場での射殺」を比較対象として出した点についてはufloatさんがご指摘なさっているので
私から補足する部分はございませんが、そもそも並列に比較すべき問題ではないという点、
ご理解いただいた上で、両者の決定的な相違点として「緊急非難」という性質に着目なさっている点は
私も同じ意見であると賛同いたします。つまり…
・現場の(緊急であるとした)判断が正しいと思えるのでしょうか?
・現場の(緊急であるとして下した)判断は已むを得なかったと思えるのでしょうか
という部分ですね。ここについては「その後の裁判で緊急の正当性が問われる」と考えます。
ただし「現に目前に迫りつつある危険からの回避」の緊急性は認められても、
「身体の自由を拘束され、被害の拡大を防いだ状態」には緊急性が認められないと考えるのが
妥当であると私は考えます。
武器を捨て投降した凶悪犯に対して警官が銃撃するのも「現場の判断として許される」という変り種の
廃止論者には、まだお会いしたことがありません。(そういう廃止論者がいたら、私も絶句します)
>>2343
>目的があったとしてそれをおこなったとしても、「満たす」 ことが出来ないものも存在する
これを是とした場合、考えるべき点は大きく2点上げられると思います。
・「満たす」ことが出来ないとわかっていても目的のためにそれをおこなう
これは愚の骨頂ですね。方法論についてもう少し検討する余地があるでしょう。
・目的のために(考えうる最良の方法として)それをおこなったが「満たす」 ことが出来なかった
こういう経験を次に生かすことも大切です。
2349
:
紫煙狼
:2010/01/28(木) 01:49:38
私は「死刑已む無し」さんのご意見が「正しい」とか「誤っている」とか判断する立場にはありません。
死刑已む無しさんのご意見は、死刑已む無しさんにとっての正解であり、それに賛同する人も少なくないでしょう。
ただ…死刑廃止論を戯言と一笑に付すのと、数多さぶらう死刑廃止論の一つ一つに耳を傾け熟考を重ねるのと、
どちらが死刑已む無しさんの言葉に磨きをかけるでしょう?どちらの方がより多くの人の心を動かす意見を生むでしょう?
私は死刑存廃論というのは「(あるのかどうかわかりもしない)永久不変の真理」に近づくための論議と考えています。
永久不変の真理が存在しうるか否かも分からぬのに議論する意味はあるのか?といぶかしがる向きもよく分かります。
しかし、その永久不変の真理を求めなければ、永久に真理の存在・不存在は確認できません。
私は、すぐに結論は出せなくとも、議論し続け考え続け、探求し続けること、求め続ける事が、犯罪によって奪われた
多くの故人たちの魂を無駄にせぬため、私たちに残された責務であると思っています。
2350
:
guest
:2010/01/28(木) 03:30:12
>>2341
>>廃止論には(中略)が多く見受けられるように感じます
>に関しては、私は賛成論・存置論にも同じことが言えると思っています(^^)
同じことが言える、というのは、日本では廃止論側にとって不利な要素でしかありません。
口喧嘩にしても権力闘争にしても、お前が力押ししてるんだから俺もやっていい、
という理屈が有利に働くのは多数派の方のみです。
>>2323
の
>死刑容認派においても「お互いに矛盾する複数の存置論が存在する」可能性は否定できないわけで
という反論も同じ理由で、廃止論側は自分の首を締めているものです。
存廃論ともに「お互いに矛盾する論が存在していい」のであれば、
それは統一できるだけの客観的理論がそもそも無く(もしくは見つかってなく)、
納得性が最大の問題、ということになってしまい、
「死刑を存置しながら死刑を廃止する」ということはできない以上、
結局は多数決で決めることにならざるを得ません。
つまり、現在絶望的に少数派である廃止派は、最低限、相手ができないことをする、例えば
矛盾する論を廃して理論の整合性を確保する、
相手がどうあれ自分は卑怯な手を使わない、
等の信用面で対抗しなければ、少なくとも民主主義の日本では、
廃止論が実現できる要因は全くなくなってしまうということです。
2351
:
ufloat
:2010/01/28(木) 07:09:14
>>2346
私の愚問に真摯にお答えいただき、ありがとうございます。
その後の書き込みを見る限り、私が申しました「目的の充足」という言葉の定義は、
おそらく死刑已む無しさんの想定された定義とは異なる部分が多く、
紫煙狼さんと多くの共通項があるものではないかと考えています。
「私が想定する言葉の定義」について、以下に少し書いておきます。
人の命を奪うからには、それなりの目的がなくてはならないと私は考えています。
しかも死刑は、冤罪の人を殺してしまう可能性すらあるという、かなりリスキーな方法です。
冤罪の話が出ましたので、
>>2336
にも一応回答しておきますと、
1.死刑以外の冤罪は良いのか
良くはありませんが、死刑存置の方が「生命の重さ」を刑罰とする生命刑の存在にこだわって
いるように、私も「生命の重さ」は他のあらゆるものと異質であると考えています。
生命刑を特別扱いする余地があるように、冤罪による生命の損失を特別扱いしても矛盾はないでしょう。
2.身代わり出頭による冤罪
物損交通事故レベルならともかく、死刑or仮釈放なし終身刑レベルの罪にて、身代わり出頭が
容易に行われるとはとても思えませんし、まして「ごくまれに発生するかもしれない」レベルではなく、
冤罪死刑問題論を揺るがしかねないほどそれが大量に発生するとは、私には全く思えません。
本題に戻ります。
さて、人の命を奪う上、冤罪など各種リスクを引き受けても充足すべき目的とは何でしょう。
ここは死刑存置論者の間でも色々な主張が出るところですが、いくつか例を出すと
「凶悪犯は死刑にしないと社会が危ない」
「死刑には犯罪抑止効果がある」
「費用がかかる。その分の金で犯罪対策を行えば、被害者が減る」
といったところでしょうか(別に上記の死刑存置論を攻撃しようというのではなく、ただの例です)。
「これらの目的が満たされうるなら、死刑は仕方ないのでは?」というわけです。
しかしながら、それらの目的が満たされないと分かった場合、具体的には
1番上の例は仮釈放なし終身刑で同等の効果があるとして、もし2番目は抑止効果がないと立証され、
3番目はこちらも実は終身刑の方が安上がりであると判明したとしましょう。
そうすると、「目的が満たされうるなら」「死刑は仕方ない」の条件が崩れてしまうわけです。
もし「目的を満たさずとも」「死刑は仕方ない」とするなら、目的もなく死刑を行うことになります。
以上が私の想定する「目的の充足」の言葉の定義と、「目的の充足」にこだわる理由です。
いくつかの書き込みから察するに、おそらく紫煙狼さんの定義も、これにある程度近いのではないでしょうか。
ただ、死刑已む無しさんの定義とは異なる部分があるので、かみ合わない部分が生じているのでしょう。
各自の意見を尊重するのは大前提として、とりあえず死刑已む無しさんの意図を正しく理解しなくては
受け取れていない意見を尊重もできないので、意図をご説明いただき大変うれしく思います。
2352
:
guest
:2010/01/28(木) 11:48:17
>>2351
>しかも死刑は、冤罪の人を殺してしまう可能性すらあるという、かなりリスキーな方法です。
「罪の無い人を殺す可能性がある」という意味では、
A.死刑廃止後に死刑相当の受刑者の再犯で人が死ぬ可能性
B.自由刑で冤罪獄死
というのも同じリスクと言えます。
1.罪の無い人の死を減らすのが目的の二者択一であるなら、
冤罪死刑の可能性とAを比較して犠牲の少ない方をとるべき、ということになります。
現在の前科者の再犯率から見ても、思いついたら即実行可能の
「受刑者の再犯による犠牲が出る可能性」の方が、
数年から十数年かけた裁判をくぐり抜ける「冤罪死刑の可能性」よりも高くなることは
廃止論者でも認めざるをえないはずです。
2.冤罪死刑という最悪の事態を想像して死刑に反対できるほど感性豊かなのであれば、
Bの冤罪獄死での最悪の事態も想像できて然るべきです。
終身刑は「緩慢な死刑」とも言われており、絞首でなくとも殺していると見ることは十分可能です。
死刑でなければ冤罪が必ず晴れるというわけではない以上、当然長期勾留の後獄死する可能性もあり、
生きていればこそ死刑よりも残酷になるという見方もできます。
死刑の特別予防力を絶対的終身刑で代用する、というのはその観点から見ると整合性がありません。
ドイツ等のように、実際にその観点から絶対的終身刑も廃止されている国々があります。
彼らの廃止論が正しいとすれば、絶対的終身刑導入は制度の改悪ということになります。
絶対的終身刑を導入することと導入しないことを同時にすることはできない以上、
この時点で、抑止力と冤罪被害者への配慮を両取りしようとする廃止論は矛盾があることになります。
3.冤罪による生命の損失を特別扱いするがゆえに、再犯の殺人の犠牲よりも冤罪死刑犠牲者の方を重視する、
というのであれば、それは反権力のような意識の土台の上に冤罪問題が乗っかっているに過ぎないため、
「再犯犠牲を重視する」「どちらの犠牲も等価」というような、土台が違う人には、いくら冤罪からの問題を説いても
説得力がありません。
それどころか、命が別格であると言えば言うほど、その生命を私利私欲で奪った罪も重くなり、
死刑の正当性も補強する事になります。
2353
:
guest
:2010/01/28(木) 11:58:03
つまり、いくら死刑をリスキーと見積もっても、その同じ理屈によって死刑廃止はさらにリスキーと見れてしまうということです。
それでは廃止できません。
2354
:
Ken
:2010/01/28(木) 14:03:35
死刑已む無しさん江
>>2336
死刑には明確な抑止力が無いなどと仰られる廃止論者の方も見受けられますが上記のことを犯罪者が事前に認識しているというだけで、犯行に拍車がかかることは明白です
「明白」ということは、これは死刑の抑止力を是と断言しているんですよね。それでいて
>>2346
是非を問う場合に於いて、「これは是である」 と断言することそのものが、「非」 であると考えるのです
というのは矛盾してないんですか?そんなこと言っちゃうと、死刑判決なんか「こいつが犯人だ!」とか断言してるんですけど、そういうのはオーケーなんでしょうか。自分の意見が100%正しいわけでもないし、それを誰かに押し付けたいわけでもない、というふうなことを言いたいだけなのかもしれないですが。
>>2344
人の生死に関わることを議論する場で、気軽に(笑い)を表現されるのはどうかと思いますよ
私の好きな映画に『ライフ・イズ・ビューティフル』というのがあるのですが、それを観て、生死の関わる絶望的な状況ほど笑いが必要なんだなあ、という感想をもちました。
2355
:
死刑已む無し
:2010/01/28(木) 18:48:42
死刑の抑止力についての是非?・・・ですか?
これは、正しいか間違っているか、ではなく、存在するかしないかであって
人の行ないの是非とは違うものだと認識しています
私は死刑に抑止力はある!と考えます
だからと言ってこの時点では何を成すというわけでもありません
抑止力があるからというだけで死刑制度が存在するというわけでもないでしょうし・・・
そもそも私は、死刑執行を 「是」 であるとは言っていませんし
今の私の思うところでは、已むを得ないのではないか?
というものです
紫煙狼さんが仰っていましたが
死刑廃止論の一つ一つに耳を傾け熟考を重ねることが理論や思想の成熟に繋がる
全くもって同意見です
現在の私自身の考えも、廃止論者の言葉に耳を傾けている間に少しずつ整理されてきた感じがします
死刑は正しいのだ!と断言することは傲慢だと思います
でも、今すぐ死刑は廃止すべきだ!というのも危険だと思うのです
ufloatさんが挙げてくださった例・・・・
終身刑のほうがコストがかからなかった場合は死刑廃止で良いのではないのか・・・でしたね
どうなのでしょうね・・・・私もそう思っていたこともあるのですが
日本人の道徳・倫理観などを微妙なバランスにおいて形成してきたその大きな要素の一つを
何の前準備も無くいきなり無くしてしまう・・・・?
私は、長期的にみて一番大きな影響を受けるのは、これからの子供達に対する道徳教育ではないかと思います
近い例で言うと、「ゆとり教育」 ですね
これはもう悪い影響が如実に出てきていますね、社会問題になりつつあります
もっと早急な問題として、マフィアや暴力団、外国人犯罪者(集団)、テロ組織などに対してどう対応していけるのでしょうね
暴力団やマフィアの人間に対して無期だろうが終身刑だろうが、あまり変わらないような気もしますが・・・
それ以外にも、やはり最後に疑問は残るのです
死刑囚は、本当に自身の生死を選択する権利を剥奪されたのでしょうか・・・・?
もちろん殺害された被害者には自分の生死を選ぶ権利は無いですよね
でも、殺害する側は、死刑制度を理解した上で、自分の判断で殺人を選択しているはずですがね・・・・
バレなければ大丈夫と考えたとしても、自分で行動を選択したことは間違いないのです
2356
:
死刑已む無し
:2010/01/28(木) 18:58:46
上の書き込みをしながら思いついた考えを書いてみたいと思います
私が今の価値観倫理観のままに、ここに書き込みして下さっている廃止論者の方に意見を近づけるとするならば
『死刑制度廃止を公にしないままに、代わりに終身刑導入をし、実質死刑廃止とする』 でしょうか
もちろん終身刑のコスト面において条件クリア出来れば・・・なのでしょうが
これはもちろん民主主義国家においては中々難しいとは思いますけどね
2357
:
ufloat
:2010/01/28(木) 20:10:48
>>2352
うーむ、死刑已む無しさんとの相互理解は可能に思えていますが、
果たしてguestさんにご理解いただけるかどうか・・・。
とりあえず今の制度を現実的に変えるなら、まずはおそらく仮釈放のない終身刑を導入する
ことになるはずですが、それなら特別予防効果は死刑と同等ですから1と3は消せます。
2に関しては、確かに「死ぬまで閉じ込める」のと「死刑」は同じようではありますが、
少なくとも生存中に冤罪が証明される可能性はありますし、等価ではないでしょう。
その他の反権力だの、
>>2350
の力押しだの多数決だのといったことに関しては、
私からお答えすることは何もありません。
>>2355
死刑廃止によって道徳観が悪化するというのは、私には少々想像できないのですが、
確かに「死刑」というものが、生まれた時から当たり前に存在したことは確かですね。
ところで私、実際には以前に「死刑慎重派」と自称している通り、実際のところは
必ずしも死刑廃止派というわけではありません。これについては後述しようかと。
このスレッドが活発になると、どうでもいい横槍だの、言葉尻を捕らえる人だのが
生じてくるので、本当はもう少し流れが落ち着いた時に書く方がベターなのですが・・・。
2358
:
ufloat
:2010/01/28(木) 20:48:56
さて、これは特に死刑已む無しさんだけにあてた書き込みではありませんが、私のスタンスに関して。
私もかつては、よくある「特に理由はないが、大変頑強な」死刑存置論者でした。
当時の私に色々質問したら、きっと次のような答えが返ってくるでしょう。
「人を山ほど殺害した凶悪犯を死刑にしない?そんなバカな」
「死刑には特に抑止効果がない?くだらない冗談を」
「冤罪死刑?現代に冤罪なんか発生するの?」
お粗末な限りですが、「死刑のある日常」とはこのような感じなのかもしれません。
当時の私は、もはや「やむを得ない」の境地どころか、死刑積極派とさえ言えたでしょう。
しかしながら、色々と調べてみると、抑止効果は本当に有無が証明されていなかったり、
冤罪・冤罪疑いは意外なほど多くあったりと、考え直さなくてはならない点が多数ありました。
結果、最終的には次のように考えるに至りました。
「死刑は命を奪う刑罰である。また、社会は冤罪その他の各種リスクを背負わなくてはならない。
それらの点を補って余りあるだけの目的の充足が、死刑存続のためには必要である」。
別に存置派の方々に「補って余りある目的を持ってこい」と言っているのではなく、
自分を納得させるだけの目的が見つからなければ、私自身の納得がいかないわけです。
ただ、私には「そのようなものは世界のどこを探しても存在しない」と言い切るだけの材料もなく、
今のところ死刑は正しいとも間違っているとも判断できない立場にいます。
その点では、「死刑は正しくはないが、存置はやむを得ない」という存置派の人と
立場が非常に類似しているとさえいえます。
ただ、その私が廃止論者の真似事をして、存置論の方々に色々突っ込んで聞いてみようとするのは、
1.自分自身が存置に納得できるだけの材料をまだ持っていないのに、まして存置派として
議論に参加し、他人を納得させられるわけがない。
2.いつか存置派の方が、目が覚めるような「目的」を提示してくれるかもしれない。
存置派の方との議論を通して、目的を見つけることができるかもしれない。
この2つの理由によるものです。
ゆえに私は、死刑を存置すべしと主張するだけの材料を持っていないので「存置派」ではありませんし、
かといって死刑廃止を是としているのではなく、「存置論」の中から宝石を見つけようとしている、
あるいは宝石の存在の有無を確かめようとしているのですから、「廃止派」でもありません。
ゆえに、自分自身を「慎重派」としか称しようがなかったのです。
2359
:
死刑已む無し
:2010/01/28(木) 21:46:36
私は、どちらの側からであっても、それが宝石であるならば是非見つけてみたい・・・
でも、たぶんどちらの側にも、「宝石」 は存在するのだと思います・・・・
日本以外の死刑存置国では、人の生死に直接影響がない罪であっても死刑適用される国もありますね
でも、日本において死刑相当の罪とは、かなり凶悪な殺人罪のみです
それ以下の殺人罪や、過失致死罪などでも、毎年多くの犠牲者が発生していますが、
現状では、この場合においてのみ、加害者側の生命が危うくなるわけです
私は、死刑制度について考えるときに避けては通れないこと・・・つまり、「人の生死」 について考えると
どんどん想像が膨らんでいってしまいます・・・
人はどこから来て、どこに行くのか?
生命とは何か?
地球とは?宇宙とは何か?
死後の世界は存在するのか?肉体が消滅しても魂は存在するのか?
輪廻転生は存在するか?人は生まれ変わるのか?
・・・・・失礼。
でも、存在を完全に証明することも、否定することも出来ないものが、この世の中には多すぎます
こんなにも身近に存在することで、地球上の誰もがそれを明確に証明することが出来ないことが山ほどあるのですよね・・・
「死刑」 にしろ、「廃止」 にしろ、それを 『是』 であると完全に証明するには、これらのことが分かるくらいでないと難しいのではないでしょうか・・・・
ダラダラとまとまりのない文章で申し訳ありません
2360
:
死刑已む無し
:2010/01/28(木) 22:06:39
>>2348
揚げ足取りにもなるかと思い、意見するのを躊躇いましたが
私の考え方を誤解なく伝えたいので書き込みします
>・「満たす」ことが出来ないとわかっていても目的のためにそれをおこなう
>これは愚の骨頂ですね。方法論についてもう少し検討する余地があるでしょう。
>・目的のために(考えうる最良の方法として)それをおこなったが「満たす」 ことが出来なかった
>こういう経験を次に生かすことも大切です。
この、下のケースに於いて
『目的の為に、現在考え得る最良の方法』 を、「行う前」 から、「満たしきれない」 ことの見通しが出来た場合はどうなりますでしょうか?
現状では最良だと思えるが、完全には満たし切れないことが予め分かっているから、その方法が見つかるまでは何もしないのでしょうか?
2361
:
無精髭
:2010/01/29(金) 02:49:00
>>2336
>上記のことを犯罪者が事前に認識しているというだけで、犯行に拍車がかかることは明白です
それが全然明白ではなかったりして…(汗)。死刑廃止国における犯罪発生率の推移に関しては
各自ネットで簡単に調べられるかと思いますので、一々ここでそのソースを挙げる必要もない
でしょうが、念のため。
http://www.geocities.jp/aphros67/090620.htm
これを見ると、データなんてそれを扱う者の考え方次第でどうとでも解釈できるんじゃなかろうか、
と思ってしまいます。そのほか、ウィキペディアの「死刑存廃問題」の項にある「死刑制度の犯罪
抑止効果」の箇所をお読みになることをお勧めします。
2362
:
無精髭
:2010/01/29(金) 02:49:58
>が、民主主義においての人権とは、「何をしようとも国家が護ってくれるもの」 ではなく
>「国民1人1人がお互いに尊重し合うもの」 であるべきだと思っております
これは新しい見方ではないかと。人権は、法や国家によってではなく個々人の契約によって
保障される、ということでしょうか。
しかし、私だけですかね。人権について「国民1人1人がお互いに尊重し合う」と言われましても、
では具体的にどういった状況を思い描けば良いのかと途方に暮れてしまうのです。
たとえば私にとって親しい人々は、私が彼らの人権を尊重していることを暗黙のうちに了解してくれて
いるでしょうから、おそらく同時に私の人権も尊重してくれているのではないかと思っておりますけど、
単なる知り合いとか仕事上の付き合いの人などについては、私は尊重しているつもりなんだけど、向こうは
どうなんだろうと思うことは時々ですが、ありますね。ましてや同じ日本国民だからといって、見ず知らず
の他人ともなれば、私は最低限尊重する覚悟ですけど、会ったことも見たことも聞いたことも全くない人
全員からちゃんと尊重されるかどうかは、甚だ心もとないです。死刑已む無しさんの考えでは、自分が
他人の人権を尊重しているからといって、それと同じ人権を自分も持つことができることにはならない
のでしょう? そのためには自分の人権を他人が尊重してくれなければならないはずだから。
私を含む大概の人間は、自分は他人の人権を尊重するけど、他人から人権が尊重されているか確信が持て
ないといった不安を抱いているのだと思われますが、身寄りのない人、孤独な人の場合になりますと、
更に事態は深刻です。何せこういう人たちにとっては、人権を尊重し合うために不可欠な、自分以外の
個人との人間関係が希薄・ないし存在しないのですから。こういう人たちにとって死はとても身近なもの
でしょう。あるいは何らかの差別を被っている人は、一部の他人たちから人権を尊重されていないどころか、
むしろ侵害されていると言えますが、お互いの人権を尊重し合うことで人権が保障されるのなら、差別者
と被差別者との間においては、そういった人権の保障行為はありえないように思われます。差別される側
の人間が自分を差別する側の人権を認めるというのはちょっと考えられません。従って、差別―被差別の
関係においては人権は、契約の可能性が潰えているがゆえにそもそも発生し得ないのです。これは私見では、
忽せにはできない問題だと思われます。
以上申しましたように、こと弱者の人権に関しては、国民めいめいが自由に尊重し合うことで保たれたほう
が良いというふうにしてしまいますと、一部の人々が色々と理由をつけてそれを尊重しなくなったり、
あるいは尊重したくとも、弱者の弱者たる所以を看過してしまうことで充分に尊重できなくなるおそれが
出てくるのです。つまり「国民1人1人がお互いに尊重し合うもの」という物言いには、別の見方をすれば、
「めいめい気に入った相手とだけ尊重しあえば良い」というような、あまり好ましくない自由を読み取る
ことができるのです。この物言いでは、個々人の契約以前には人権は保障されていないと説かれているわけ
ですから、「お前が俺を尊重しなければ、俺はお前を尊重してやらないもんね」といった気まぐれや、
「俺はお前を尊重してるんだから、お前は俺を尊重すべきだろ」といった押しつけも横行することとなる
でしょう。人として生まれてきたのに、人間関係に何らかの支障を抱えているがために人権が保障されて
いるとは言えない人が、国民の中で潜在的に生まれてきてしまうのではないでしょうか。
だからこそ私は人権の保障について、国民1人1人にその責務を委ねるというような考えには賛同できません。
国民間の相互契約からは漏れてしまうだろう人たちのために、そもそも人権とは「何をしようとも国家が
護ってくれるもの」であるべきだと考えるのです。「俺の人権なんか誰も尊重してくれないんだ」「私の
人権は周囲から尊重されていると言えるのだろうか」などの苦しみを抱えている人たちのためにも、国家が、
法が、その人権を尊重する必要があるのだと。
2363
:
無精髭
:2010/01/29(金) 02:50:38
>死刑相当の罪を予め認識していて尚、その罪を犯すものとはつまり、「他人の人権を侵害し、自らの人権を放棄する」 者である
と言えるためには、「他人の人権を尊重しない者の人権は誰からも尊重されることがないし、本人も自身の
人権を軽んじている」ということが正しくなければなりません。ですが、世の中には物好きがいるもので、
他人の人権を侵害した者を擁護する団体・運動が存在します。あるいは、その人間の親類縁者や地縁者、
知己、仕事上の関係者などなどが、それぞれ程度の差はあれ、今までのように彼の人権を尊重することが
考えられます。(もともと自分の人権は侵害されたくなかったであろう)本人の方でも、それに応えよう
とするかも知れません。なので、他人の人権を侵害したからといって、誰からも人権を尊重されないとは
限りませんし、自らの人権を放棄する覚悟があったとも言い切れません。
私の考えでは、人として生まれて来る以上、誰にでも人権は備わっているもの、もしくは法の下に
個々人の人権は差別なく保障されているものだというのが前提としてありまして、そこから国家に
よってさまざまな制限が掛けられる―――己の人権を行使するにしても他の人権を害するまでは
行使してはならないとか、犯罪者であれば法の規定に則して拘束されたり刑罰を科されたりする
ことで人権が侵害されるといった具合に―――といった仕組みになっているものとばかり思って
いました。そこでは、例えば殺人犯にとりあえず人並みの人権を認めてやったとしても、裁判で
それを限りなく無に近づけることは可能なわけです。なので私は、犯罪者に人権はあるかどうか
といったことにこだわることで、自分の立場を固めたり主張を明らかにするよりも大事なのは、
犯罪者の人権は(犯罪を犯していない者の人権と比較して)どこまで法的に保障されるべきか、
犯罪を犯した者の人権について国家はどのような侵害を行うべきなのか、という問いを立場や
主張を脱却して考えることではないかと思う次第です。
しかし、それ以前の問題として、人権をどう定義したらよいか、とか、個人は人権をいかに持ち
始めるか、とかいったことに頭を悩ませるのはなかなか有意義なことではあるまいかと思います。
2364
:
無精髭
:2010/01/29(金) 02:55:45
>冤罪はあってはならないものです
>それは懲役刑だろうが死刑だろうが、あるいは不起訴であったとしても、絶対にいけないものです
「いける/いけない」という基準において、「ちょっとだけいけない」「だいぶいけない」と段々
進んでいって、上限に「絶対にいけない」という判断を設定した場合、冤罪であろうとなかろうと、
死刑と懲役刑がそれぞれもたらすであろう害における決定的な違いを見過ごしてしまう可能性が
出てきます。死刑と懲役刑とがもたらす害の違い、それは執行後における受刑者の存在のあるなし
です。冤罪被害が問題視される場合、当の冤罪被害者による生の声は、「冤罪はいけない」と主張
する者にとって、なくてはならないものでしょう。冤罪被害者自らがどのような辛い目にあってきた
かを伝えられることと、私たちがそれに耳を傾けなければならないことの意味は重大なのです。
しかし、冤罪被害者自らが体験談を語れなくなったら、、、その生の声を私たちが聴けなくなったら、、、
この喪失が冤罪問題に致命的な打撃をもたらすのは必至です※。こういった認識を万人が共有する
ためには、死刑已む無しさんが仰るような絶対的基準を捨てて、替わりに次のような操作をしなくては
なりません。すなわち「どのような冤罪も許されない」ということは至上命令であるにしても、
その上に「許される/許されない」の基準とは別に、刑罰の種類に応じてその害の大きさを定める
基準や、異なる刑罰の害を比較するための尺度を設定すること。
※そのほか、死刑は再審請求の可能性を摘んでしまう点で、冤罪者にとって計り知れない痛手となるでしょう。
懲役冤罪だった人に対して次のように話しかけてみたとします。社会から隔離された施設で過ごした
あの絶望の日々を、もしも懲役囚としてでなく死刑囚として過ごしたなら、冤罪の恥辱に耐える辛さ
とは別に、このまま疑いが晴らされないまま明日にも命を奪われてしまうのではないかとの思いから、
自分に残された時間を当てもなく勘定して、精神にやすりをかけられるような思いがしたのではあり
ませんか、と。誘導尋問っぽいかも知れませんが、きっと同意が得られるものと私は信じております。
2365
:
無精髭
:2010/01/29(金) 02:56:55
>冤罪死刑は絶対に許せないが、冤罪懲役は仕方が無いなどという意見も聞きます
そんなことを本気で考えている廃止論者はいないと思います。いや、死刑已む無しさんのような
存置派にとって都合の好い脳内変換であると思いたいです。
>なぜ、廃止論者は加害者だけを擁護するのでしょうね・・・・
これも誤解ではないでしょうか。死刑を廃することが加害者擁護に繋がるとお考えでしたら、
廃止論者の話をよくお聞きになっていないということになりそうです。でなければ、死刑已む無しさん
の知っている自称廃止論者は、実のところ廃止論者とは呼べないほど偏向していたとか。少なくとも
少し前までは、司法が被害者を度外視して加害者を擁護してきたかのごとき経緯がありました。それを
好いことに廃止論者の間で、被害者のことを脇に置いても構わないという傾向が半ば正当化されたやも
分かりません。
>>2337
そこで挙げられている廃止論は意図的に矮小化されている嫌いがあります。でなければ、にわか廃止論者
が先行の廃止論を良く理解しないままに要約した結果がそれではなかろうかと。
>廃止論とは、これらを軸にして、それを証明するために理論の後付をしているように感じます
そのことには何も問題はないです。むしろ、主張したいことを主張しておきながら理論の後付を
しないほうが問題です。どんなにおかしな結論でも、私がそう結論したのはこうこうこういった理由
からだといった報告がありさえすれば、議論の中で検証することができますが、論証部分が欠落して
いるなら、いくら主張が正しくても、それだけでは議論になりません。どんなに力強く、感性豊かに
表現してみせたところで、論証がないなら同じことです。
2366
:
無精髭
:2010/01/29(金) 03:01:43
>>2350
>同じことが言える、というのは、日本では廃止論側にとって不利な要素でしかありません。
>口喧嘩にしても権力闘争にしても、お前が力押ししてるんだから俺もやっていい、
>という理屈が有利に働くのは多数派の方のみです。
日本において多数決型民主主義を永遠不変の真理と捉えた場合、数で存置派を圧倒的に(笑)
下回る廃止派について有利か不利かで言えば、間違いなく後者でしょうなあ。しかしだからといって、
guestさんが仰るようなごり押しの正当性は、国民の前で声を大にして説けるような代物ではない
でしょう。死刑に賛成している大多数の国民も、存置派が廃止派を論破するために理論を磨くこと
よりも、多数決原理に適う言い回しを考え出すことを優先しているのだと知ったら、たとえ意見は
同じでも落胆してしまうのではないでしょうか。万が一形勢が逆転するようなことがあっても、
廃止派には、自らが圧倒的多数の意見であることを理由に、数によるごり押しを正当化するような
ゴーマンさを振りかざすことだけはどうかしないで欲しいなぁと思います。
>存廃論ともに「お互いに矛盾する論が存在していい」のであれば、
>それは統一できるだけの客観的理論がそもそも無く(もしくは見つかってなく)、
>納得性が最大の問題、ということになってしまい、
私は申し上げたかったのは、相手の考えが矛盾している(おかしなことを言っている)からといって
議論を避けようとするのは理論家としてどうなの?ってことです。また、自分の考えが矛盾している
(おかしい)かどうかも完全には分からないのに、他人から批判されたくないために議論を避ける
というのも、何だか変な気がします。あと、矛盾しているとか考え方がおかしいとかいったことは、
それ自体では議論を不可能する要因にはならないです。
ところで、個々の理論を統一できるだけの客観的理論がないなら納得性が最大の問題になる、という
ことを百歩譲って認めたとしても、
>結局は多数決で決めることにならざるを得ません。
と結論してしまうのはいかがなものかと。多勢に無勢だからしぶしぶ受け入れるふりはするけれども、
内心納得するどころかよけい反発が強くなるなんてケースはざらにあると思います。
guestさんの考えている民主主義って、全体主義のイメージに近いなぁと思うんですけど。私は民主
主義の精神は個人主義の理念に従うべきだと考えておりますから、多数決の場合もそうですが、少数
意見を汲まない・単に切り捨てるようなのは、民主主義のやり方としては論外だと思います。ある集団
で意見の一致が見込めないとしても、その集団を構成する個人全員を集団ごと否定するのではなく、
労をいとわず一人ひとりの声に耳を傾けるべきでしょう。
2367
:
guest
:2010/01/29(金) 03:29:41
>>2357
>それなら特別予防効果は死刑と同等ですから1と3は消せます。
死んだ人間が再犯をする可能性は完全にゼロなのに対し、
刑務所内であろうが生きている人間は再犯が可能です。
刑務所内の囚人や刑務官なら犠牲になっていいということはないですし、
奪還テロや天災による刑務所の破損等による脱走の可能性も確実大きくなります。
実例も枚挙に暇がありません。
つまり死刑と終身刑の特別予防効果は無と有の違いであり、明らかな別物です。
抑止力が理論的に「死刑>終身刑」で、絶対に逆転することはないにもかかわらず、
僅かな可能性だからとあなたが無視しているだけです。
僅かだと認定すれば無視していいのであれば、そもそも冤罪の可能性も僅かだと
認定してしまえばいいだけの話になってしまいます。
「ちょっとだからいいじゃない」という考え方は、廃止論に有利には働きません。
2368
:
guest
:2010/01/29(金) 03:47:48
>>2357
>その他の反権力だの、
>>2350
の力押しだの多数決だのといったことに関しては、
>私からお答えすることは何もありません。
では「冤罪による生命の損失を特別扱いする」とはどういう考え方なのでしょうか?
それは「反権力」という言葉で全く説明できないものですか?
また
「木を見て森を見ず」
「一本の枝が虫に食われていたら、その幹を切り倒す」
お互いにこれらで対抗する議論が力押しと呼ばないと思いますか?
廃止派内でも説得が行き渡らない理屈で、
まして結論が違う死刑容認派を説得できると思いますか?
理論統一できるだけの説得力を持った理論が無い現状では、
死刑存廃論は世論による力くらべに過ぎず、
結論の差を基準とした多数決で決めざるをえないのは事実です。
あなたの理屈もその内側の話なので、無関係ではありません。
いやむしろ何も答えることがないということは、それらに関しては肯定しているということでいいのでしょうか?
2369
:
guest
:2010/01/29(金) 04:02:26
>>2357
あなたは結局、長期勾留が受刑者本人にとって死刑より残酷になりうること
(実際にフランスやカナダでは受刑者当人からそういう告発がある)や、
抑止力と冤罪被害者への配慮を両取りしようとする廃止論は矛盾があるということ
には言及していませんが、死刑廃止という目的よりもそれらは小さいことですか?
冤罪被害者の大多数が助かるのだから、一部の例外には煮え湯を飲んでもらおうというのでは、
冤罪被害を無視する死刑容認論と同じロジックです。
つまりそのロジックを肯定するならば、その廃止論によって、死刑容認論も肯定されることになります。
あなたの廃止論では、死刑制度を否定するには不十分だと思われます。
読みづらくなると思い、レスを複数に分けました。連投失礼しました。
2370
:
ufloat
:2010/01/29(金) 06:25:21
>>2359
生命に関する事柄である以上、哲学的要素が絡んでしまうのも必然でしょうか。
真理に到達することが望めない以上、きっと私は死ぬまで試行錯誤を続けることでしょう。
仮に私が何か存置の目的を見つけ、存置派として論陣を張ることになったとしても、
今度は「廃止派に宝石が隠れていないか」「自分の宝石は実は石ころではないか」
という試行錯誤が続くはずです。
私が「目的の充足」にこだわった理由もそこにありまして、例えば私は
「冤罪死刑のリスクがある限り」「それは死刑存置のマイナス要因となりうる」
「死刑と代替刑の効果が同等である限り」「奪わなくても良い命を奪う必要はない」
と考えていますが、仮に冤罪死刑をなくす方策が見つかって、その上に
実は死刑の一般予防効果はかなり大きいと分かったら、上記の前提条件、
すなわち「廃止によって達成すべき目的」が充足できなくなりますので、
死刑存置の論陣に入ることをいとわないわけです。
一方、もし私が一般予防効果を理由に死刑存置に賛成していて、実は一般予防効果が
ない(目的が充足できない)ことが立証されたら、廃止の論陣に入ることになるでしょう。
>>2360
の紫煙狼さんへのご質問にも重なる部分がありますが、以上が私の「目的」への意識です。
別に「真理なくして判断なし」と気張らずとも、今ある材料で判断し、さらに良い材料を得ようと努力し、
その過程で今の意見が最善でないとみたら変えることも否定しない、これでよいのではないでしょうか。
ちなみに、データの面からはKenさんや無精髭さんが提示されている通りなのですが、
死刑已む無しさんは何か感覚的な部分で、死刑の必要性というものを捉えていらっしゃるようですね。
>>2367
以下
残念ながら、無精髭さんの真摯なご忠告はguestさんには全く響かなかったようですね。
何か反論すれば、「廃止論には有利にならない」「そんな風では多数をひっくり返せない」
「暴論では多数の方が有利だぞ」と数の横暴、さらには私の「廃止論」を「反権力」と
結びつける部分に至っては、紫煙狼さんらが問題視されている
「(反権力など)何か別の目的があっての死刑廃止論」すら連想させるもので、
私に論客としての真摯な姿勢を失わせるにはあまりにも十分すぎます。
これでは私自身の成長になりませんし、ここで返答しても閲覧された方を不快にするだけですので、
とりあえず今は見送らせていただきます。ただ、いずれの問題にも一応の答えは用意していますので、
もしかすると別の機会には書き込むことがあるかもしれません。
2371
:
guest
:2010/01/29(金) 07:54:20
>>2370
私は別に死刑存置のために言っているのではありません。
「俺はいいがお前はダメ」というアンフェアなルールでは、廃止派は自分の首を締めるだけだ、
ということを端的な例で、対称となる論を示して指摘しているに過ぎません。
つまり、論敵にも廃止論の正当性を認めてもらうために言っているのです。
具体的な方法も示しました。
正面からの反論なしに「横暴」と切り捨てるのも構いませんが、
多数派がそういうことをすれば、少数派には勝ち目がなくなってしまう
ということには気づかないと、事実上、理論による死刑廃止は不可能になってしまいますよ。
そこに気を使っている廃止派の足をひっぱることにもなります。
アンフェアだろうと勝ったものが正当なのだ、または正当だからアンフェアでも許されるのだ
というのなら別ですが、死刑廃止論の理念とはそういうものではないはずですよね?
2372
:
Ken
:2010/01/29(金) 13:24:46
>>2369
長期勾留が受刑者本人にとって死刑より残酷になりうること(実際にフランスやカナダでは受刑者当人からそういう告発がある)
もうこういうフランスがとかカナダがとかイタリアがとかドイツがとか私はカレーライスでオナカイッパイでいちいち反論する気にもならんのですが...。
まず、フランスもカナダもドイツもイタリアも死刑ないです(イタリアは確か平時の犯罪に限って廃止のはず)。死刑存置派が死刑廃止国の例を持ち出すのが私にはいつも意味不明です。自爆なんじゃ...。
次に、「長期勾留」(勾留は用語として不適当だと思いますが)が「死刑より残酷」とのことですが、日本の未執行死刑囚の中には20年、30年と長期にわたって拘置されている人が相当数いますよね。名張毒ぶどう酒事件、袴田事件、亡くなりましたけど帝銀事件の平沢死刑囚とか。
「長期勾留」を問題視するのはいいですけど、まだ起きてもいない「長期勾留」を理由に死刑廃止に反対するくせに、「長期勾留」が実際に起きている日本の死刑制度には反対しないんでしょ?そんなのご都合主義で説得力ゼロですよ。
あと、この死刑を廃止して絶対的終身刑を新たに導入とかいう議論は実際上意味がないです。刑の執行に関して日本では行政の裁量が幅広く認められてて、今現在、無期懲役にはほぼ確実に仮釈放が認められておらず、実質上すでに絶対的終身刑として運用されているから。
>>2367
奪還テロや天災による刑務所の破損等による脱走の可能性も確実大きくなります。実例も枚挙に暇がありません。
それ日本じゃないですよね。日本だと20年、30年、場合によっては40年も死刑囚を平穏無事に飼い殺しにしてるくらいなんでそんな心配しなくてもダイジョーブ。
2373
:
Ken
:2010/01/29(金) 13:31:55
>>2352
「再犯犠牲を重視する」「どちらの犠牲も等価」というような、土台が違う人
そんな人はいません。(Kusakabeさん風に)
まあ、いたとしてもごく少数派かとても風変わりな人でしょう。再犯殺人の犠牲者も冤罪死刑犠牲者も無実の人の命が奪われている点において「等価」である、という人はつまりこういうことを主張しているのです。
死刑判決を受けるような殺人犯による殺人の再犯率が10%だとしてその犠牲者は1件に付き一人だと仮定しましょう。この場合、10人の殺人犯を処刑することによって一人の無実の人間の命を救っていることになります。「どちらの犠牲も等価」説を唱える人にとっては、これが冤罪死刑犠牲者と等価なわけですから、10件の死刑判決に付き一件の冤罪までが許容範囲、ということになります。たとえば、20件の処刑のうち一人が冤罪犠牲者だとわかったとしても、それ以外の19件の処刑によって約2人の命が助かってるわけだから許容できる、ということです。
え?再犯率が低すぎる?分かりました。100%と仮定しましょう。そうするともっとすごいことになります。「等価」説の人たちは死刑判決のうち半数が冤罪でも構わない、と考えていることになります。だって10件の死刑判決によって5人の無実の人が処刑されたとしても残り5人の処刑によって5人の再犯殺人犠牲者の命を救っているわけですから。
これら凶悪殺人犯が再犯で一人より多い人数を殺してくれるともっとすごいことになります。もう死刑判決のうち冤罪じゃない判決のほうが少なくたって構わないんですからね!
こう考えると「再犯犠牲を重視する」人というのはもっともっと風変わりな人だというのがわかるはずです。まあ、確かに世間一般の人とは土台がえらく違うとは言えますけど。
つまり、「再犯の殺人の犠牲よりも冤罪死刑犠牲者の方を重視する」人のほうがどう考えても一般的です。これは別に「反権力のような意識」でもないです。今のところ日本では処刑された後に冤罪が明白になった例はありませんが、実際にはたとえ一例でも冤罪処刑がはっきりすれば、死刑制度はとても持ちこたえられないでしょう。実際、イギリスはそうでした(エヴァンス事件)。
2374
:
Ken
:2010/01/29(金) 13:43:44
それで、こういうこと書くといつもそれは屁理屈だとかむりやり誤誘導しているとか俺の主張を故意に捻じ曲げているとか、あらぬ嫌疑をかけられるわけですよ、私は。まさに冤罪。それでもうちょっと具体的に
>>1
.罪の無い人の死を減らすのが目的の二者択一であるなら、
冤罪死刑の可能性とAを比較して犠牲の少ない方をとるべき、ということになります。
現在の前科者の再犯率から見ても、思いついたら即実行可能の
「受刑者の再犯による犠牲が出る可能性」の方が、
数年から十数年かけた裁判をくぐり抜ける「冤罪死刑の可能性」よりも高くなること
が「廃止論者でも認めざるをえない」かどうかを検討してみましょう。
殺人の前科のあるものが再び殺人を犯す割合は調べるのは意外と難しかったのですが、平成19年版犯罪白書によると0.9%であり、これは「他の罪名に比べて相当低かった」そうです。意外でしょ?だから「現在の前科者の再犯率から見て」というのはミスリーディングです。
http://www.moj.go.jp/HOUSO/2007/hk1_7.pdf
一方、刑事訴訟法が改正された昭和24年から平成21年の間の死刑確定数は722名(ウィキペディア調べ)。このうち後に冤罪が証明されたのは免田、財田川、島田、松山の4事件4名。つまり約0.6%。
この4事件以外にも冤罪が疑われる事件はあるので、『「受刑者の再犯による犠牲が出る可能性」の方が、数年から十数年かけた裁判をくぐり抜ける「冤罪死刑の可能性」よりも高くなることが廃止論者でも認めざるをえない』ほど明白ではないです。というか、可能性としてはおそらく同じくらい。他の年における殺人犯による再犯殺人率や、死刑になるはずの殺人犯の再犯殺人率を推定する方法は宿題ということで。
ちなみに、平成18年の死刑確定数はウィキペディアによると20名。死刑が確定した人の再犯率は求めようがないので0.9%で代用すると死刑を廃止したせいで生じる再犯殺人は年に0.18件。5年に一件の換算です。平成14年から18年の5年間における殺人認知件数は平成19年版警察白書によると6,968件。死刑を廃止したせいで生じる再犯による犠牲というのは殺人全体に比して非常に小さいことがわかります。つまり、死刑廃止によって特別予防効果が失われたことが実感されることはないでしょう。
http://www.npa.go.jp/hakusyo/h19/toukei/t1-04.pdf
2375
:
guest
:2010/01/29(金) 14:00:18
>>2366
>guestさんが仰るようなごり押しの正当性は
ごり押しではありません。多数決が永遠普遍の真理でなくとも
多数決で決めざるを得なくなる理由は説明したのですが。
死刑存廃論に、論敵も認めざるを得ないような、
治安や更生などの問題と死刑存廃の相関において
科学的に証明できる事実が存在するというのでしょうか?
有識者の見解でも、死刑存廃を絡めたデータには必ず相反するものが存在する、
もしくは有用なデータ採取自体不可能で、実際のところは分からず、
理論上の問題と哲学的問題にとどまるというのが現状のはずです。
違いますか?
つまり死刑存廃問題はどう考えるのかが自然か、何を最重要視するかという
考え方ひとつの問題であり、であるからこそ、
「お互いに矛盾する複数の論が存在する」
ことが許されているのです。他に理由がありますか?
論敵も認めざるを得ないような客観的基準が存在しない二者択一の問題では、
国民の納得性で決めるしかありません。まして9:1という世論の差がある問題で、
ごく一部の思想をもつ人間が権力を握って思想のみをもってひっくり返す、というのは、
それこそ許されざるごり押しです。ある意味テロとさえ言えます。
このような問題で、多数決の他に方法があるというのでしょうか?
しかしだからこそ、信用面で対抗しさえすれば少数派でも実現の可能性も残るのですが
自分と意見の違う者を罵る、拒絶する、説明を面倒がる、相手と同じレベルの手段をとる、
そしてそれを誰もたしなめない、では成せるものも成せないのは自明です。
2376
:
Ken
:2010/01/29(金) 14:20:47
ちゅーか、死刑が廃止される上で死刑廃止派が多数派であることが必要条件なわけでもないでしょ。死刑存置派が多数派の国で死刑が廃止された例は世界にはいくらでも転がってまっせ。
事実、民主党政権が続く限り死刑存置派が多数の日本でも「見かけ上死刑廃止国」あるいは「死刑停止国」みたいな感じになるのでは。
2377
:
guest
:2010/01/29(金) 15:38:05
>>2366
>多数決原理に適う言い回しを考え出すことを優先しているのだと知ったら
これはむしろあなたが、現実のルールや相手の不利益を無視して
対等であるかのように振る舞える「理論上」舞台にしたいがために
編み出した不公正な言い回しに聞こえます。
>相手の考えが矛盾している(おかしなことを言っている)からといって
>議論を避けようとするのは理論家としてどうなの?ってことです
避ける以前に、議論に乗る理由が無いと言えます。
アンフェアでも無理でもなんでも議論であれば乗る、というのが理論家だとは思いません。
通常、議論は手段であって目的ではありません。
目的と外れた議論をしなければならない理由が不明確です。
必要であったり自らが望んだものならともかく、無数に売られる議論を、
矛盾を含むものまですべて受けろと言うのは、
受ける側に著しく不利であり、不合理かつ非論理的です。
私の考えでは、そもそも廃止論が自分に許可している手法が容認論にも正当性を与えている
(「矛盾する複数の廃止論が存在する状態」もその一つ)のが問題なので、
議論の相手の態度がいくら改善しても、問題は解決しないと思います。
>労をいとわず一人ひとりの声に耳を傾けるべきでしょう。
それを実行しながらでも、死刑も死刑廃止もしない、というわけには行かない以上、
暫定的な結論でも、出して実行しなければなりません。
現状では暫定的に死刑存置はやむを得ないと思います。
しかし、「労を厭わず一人ひとりの声に耳を傾ける」「議論は避けない」
というのを相手に要求するだけでなく廃止派もやるとなると、
結局廃止派には容認派を遥かに超える作業量と忍耐力が必要になります。
それは信用面で対抗するよりずっと難しいのではないでしょうか・・・
2378
:
guest
:2010/01/29(金) 15:54:35
>>2376
>死刑廃止派が多数派であることが必要条件なわけでもないでしょ。
確かにそうですが、あなたは
「論敵も認めざるを得ないような、死刑廃止のメリットの科学的・客観的資料を提示する」
以外で少数派の意見を通すまっとうな方法を挙げられますか?
ヨーロッパで死刑廃止が進んだのは、「EU加盟のため」という明確なメリットがあったからで、
それなしにフランスのような採決の仕方をすれば、それは単なる権力の暴走です。
死刑廃止の理念とも矛盾するものがあるでしょう。
個人的には民主党政権は長く続くとは思えませんし、続いて欲しく無いです。
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