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死刑制度についてひと言お願いします
2262
:
紫煙狼
:2009/07/10(金) 01:29:37
>>2257
>
>>2242
で遺書のお話を書いておられますが、「私=紫煙狼さん」の部分を「ご兄弟」「ご両親」
>「ご友人」等に置き換えても、その遺書にあらわれたご信念は成り立つものなのでしょうか。
たとえば…私の妻・母・妹・友人の一部に関しては、私がなぜこのような遺書を持ち歩くか理解しており、
私の見解に同意してくれておりますから、それらの方々が何らかの犯罪に巻き込まれ命を落とすとも、
私の信念に変わりはありません。(必要に応じ助命嘆願をするでしょう。)
ただし、私の父は私の見解に対して懐疑的(お前がそう望むなら、お前が殺されたときは犯人の助命嘆願を
してやっても良いが、自分が殺されるとなると犯人に対する助命嘆願はしてほしくない)という意見ですので
これはまた軽視するべき問題ではないので「私の信念に反して助命嘆願ができない」ですね。
ただし、積極的に「死刑を望む」という発言も私から引き出すことはできないでしょう。
残りの友人と、それ以外の人々に関しては、もともと「私が犯人(被告人)に対して死刑を望む」とか
「助命を望む」とか口出しする立場にはありません。敢えて言うなれば、私の見解に懐疑的な友人に、
「俺が殺されたら、その時は犯人に死刑を望んでくれ」と言われても「オレにそういう期待をするな」としか
答えるツモリはありません。少なくとも、たとえどんなに愛する者が殺害されたとしても、私が犯人に対して
「死刑にしてやってください」という発言をする可能性はほぼゼロです。
状況が許せば「死刑にならないように助命嘆願をし」状況が許さなければ「死刑になることに反対しない」だけで
どのような理由があろうとも、どのような相手であろうとも、私が(正義の達成のために)人の死を望むことは
おそらく一生涯ありません。
まぁ、過去にそういう経験が無かったとすれば、こう断言することも無かったんでしょうが…。
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