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死刑制度についてひと言お願いします
2373
:
Ken
:2010/01/29(金) 13:31:55
>>2352
「再犯犠牲を重視する」「どちらの犠牲も等価」というような、土台が違う人
そんな人はいません。(Kusakabeさん風に)
まあ、いたとしてもごく少数派かとても風変わりな人でしょう。再犯殺人の犠牲者も冤罪死刑犠牲者も無実の人の命が奪われている点において「等価」である、という人はつまりこういうことを主張しているのです。
死刑判決を受けるような殺人犯による殺人の再犯率が10%だとしてその犠牲者は1件に付き一人だと仮定しましょう。この場合、10人の殺人犯を処刑することによって一人の無実の人間の命を救っていることになります。「どちらの犠牲も等価」説を唱える人にとっては、これが冤罪死刑犠牲者と等価なわけですから、10件の死刑判決に付き一件の冤罪までが許容範囲、ということになります。たとえば、20件の処刑のうち一人が冤罪犠牲者だとわかったとしても、それ以外の19件の処刑によって約2人の命が助かってるわけだから許容できる、ということです。
え?再犯率が低すぎる?分かりました。100%と仮定しましょう。そうするともっとすごいことになります。「等価」説の人たちは死刑判決のうち半数が冤罪でも構わない、と考えていることになります。だって10件の死刑判決によって5人の無実の人が処刑されたとしても残り5人の処刑によって5人の再犯殺人犠牲者の命を救っているわけですから。
これら凶悪殺人犯が再犯で一人より多い人数を殺してくれるともっとすごいことになります。もう死刑判決のうち冤罪じゃない判決のほうが少なくたって構わないんですからね!
こう考えると「再犯犠牲を重視する」人というのはもっともっと風変わりな人だというのがわかるはずです。まあ、確かに世間一般の人とは土台がえらく違うとは言えますけど。
つまり、「再犯の殺人の犠牲よりも冤罪死刑犠牲者の方を重視する」人のほうがどう考えても一般的です。これは別に「反権力のような意識」でもないです。今のところ日本では処刑された後に冤罪が明白になった例はありませんが、実際にはたとえ一例でも冤罪処刑がはっきりすれば、死刑制度はとても持ちこたえられないでしょう。実際、イギリスはそうでした(エヴァンス事件)。
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