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国際政治・世界事情

1047名無しさん:2009/12/10(木) 21:10:56
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091210-OYT1T00642.htm
小沢氏が訪中、民主党国会議員140人同行
 民主党の小沢幹事長が10日午前、中国・北京に向けて羽田空港を出発した。

 同日午後に胡錦濤国家主席と会談する予定だ。

 訪中は民主党と中国共産党の定期交流の一環で、輿石東参院議員会長、山岡賢次国会対策委員長ら民主党国会議員約140人が同行する。同党支援者らも含めた訪中団は総勢630人となる。

 小沢氏は11日にソウルに移動し、12日に李明博・韓国大統領と会談、13日に帰国する。

(2009年12月10日12時19分 読売新聞)

1048チバQ:2009/12/10(木) 22:36:07
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009112602000093.html
解放と再建 冷戦終結20年 旧ソ連<上> バルト3国続く苦悩
2009年11月26日 朝刊

リトアニアの首都ビリニュスのゲディミナス城で、サユディスの元スタッフと「人間の鎖」を振り返るグルマダスさん(左)


 リトアニアの首都ビリニュス中心部。丘の上のゲディミナス城で、グルマダス元ビリニュス市長(57)は“あの日”に思いをはせた。

 一九八九年八月二十三日、ソ連構成国だったリトアニア、ラトビア、エストニアのバルト三国住民が独立を誓い、手をつないで各首都を結んだ。二百万人がモスクワに背を向けてつくった「人間の鎖」。リトアニアの起点が、この古城だった。人工衛星からも確認された「鎖」は、世界中に感動を与えた。

 当時、グルマダスさんはリトアニアの反体制知識人が結集した民族組織「サユディス」の幹部だった。物理学者だったが当局の監視下で「刑務所同然」の生活。自由を求め「鎖」の準備に奔走した。

 当日は平日だった。「果たして市民は集まるのか」。懸念をよそに、参加者は膨れ上がった。「あの日、皆が自由を求めていると確信した」とグルマダスさん。歴史的な行動は、「ソ連帝国」を動揺させ、東欧民主革命からソ連崩壊へと流れる激動の突破口を切り開いたともいわれる。

 リトアニアは翌九〇年三月、ソ連構成共和国で初めて独立を宣言した。グルマダスさんも同年、サユディスを代表して市長選に当選。バルト三国はその後、北大西洋条約機構(NATO)、欧州連合(EU)加盟を果たした。

 ただ、グルマダスさんは、巨大な隣国ロシアとの関係について「実態はあまり変わっていない」と言う。

 「大国復活」を掲げて二〇〇〇年に誕生したロシアのプーチン政権は、旧ソ連の過去との完全な決別を希求する三国に対し、事実上の経済制裁ともいうべき圧力をかけてきた。ソ連シンボル(鎌(かま)とハンマー)禁止法施行などで反ロ姿勢を強めたリトアニアにはパイプラインでの送油停止の継続に加え、乳製品輸入規制などの措置を突きつけた。

 NATOの東方拡大はバルト三国の加盟で弾みがつき、同じ旧ソ連のウクライナやグルジアの加盟問題も検討されるに至り、猛反発するロシアとの間で緊張が高まった。

 「今、ロシアの脅威の最前線にあるのがバルトなんです」。人間の鎖当時、リトアニア選出のソ連人民代議員でサユディス幹部だったゲンゼリスさん(75)はこう語る。

 冷戦終結で消滅したはずの東西の「鉄のカーテン」は、東に移動しただけだった、というのだ。

 昨年秋の世界金融危機はバルト三国にも激震をもたらした。対外債務依存度が高いリトアニア経済は苦境に追い込まれ、今年第一・四半期の失業率が約15%と急上昇。ビリニュス近郊の会社員ユールスさん(50)は給料が半減した。「自由になったのに民営化された企業は続々倒産し、生活はひどくなっただけ。ソ連の方がよかった」と怒りをぶつけた。


 リトアニア政府からも最近、対ロ関係改善をうかがう発言が聞かれる。それは財政赤字に苦しむ資源なき小国が再び対ロ依存度を高めかねない危うさをはらむ。自由と現実の間で苦悩は続いている。(ビリニュスで、中島健二、写真も)

 人間の鎖 ソ連のバルト3国併合を認めた独ソ不可侵条約付属議定書締結50年の1989年8月23日、3国の市民計200万人が、ビリニュス、リガ、タリンを結ぶ600キロの道で手をつなぎ、世界に独立を訴えた。

1049チバQ:2009/12/10(木) 22:36:39
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009112702000068.html
解放と再建 冷戦終結20年 旧ソ連<下> 消えぬ帝国的思考
2009年11月27日 朝刊

マルタ会談以降の歴史の変動を「早すぎた」と振り返るシェワルナゼ氏=トビリシの自宅で


 一九八九年十二月二日。その日は朝から雨だった。

 地中海のマルタ島に停泊した旧ソ連客船「マキシム・ゴーリキー」の船上で、当時、ソ連外相だったシェワルナゼ前グルジア大統領(81)は少々、興奮していたという。

 米ソが冷戦終結を宣言した「マルタ会談」の幕開け。眼前でゴルバチョフ・ソ連共産党書記長とブッシュ米大統領(父)が手を握り合っていた。「われわれは米ソがもはや敵同士ではないと認め合った。歴史が変わる、そんな感覚があった」

 が、それからちょうど二十年がすぎた今、シェワルナゼ氏はこう振り返る。「あの日は冷戦の終わりじゃない。終わらせるための長い道のりの始まりにすぎなかった」

 八五年の外相就任以来、「ペレストロイカ(改革)」を進めるゴルバチョフ氏とともに東西緊張緩和を図る「新思考外交」の旗を振ったシェワルナゼ氏。冷戦終結の立役者の一人とされるが、そこには大きな誤算があったという。「私もゴルバチョフも、ソ連は残したいと思っていたんだ」

 各共和国の主権を認めて連邦を再編成し、欧米との新たな国際秩序を確立する。シェワルナゼ氏が描いたのはそんな構想だった。葬りたかったのはソ連ではなく、ソ連にはびこる「帝国主義的思考」だった。マルタでの握手は未来を約束したはずだった。

 しかし、冷戦終結で東側の盟主という冠を失ったソ連では、各地で民族独立の機運が一気に燃え広がる。結局、シェワルナゼ氏は外相を辞任。「旧思考」に縛られ連邦再編を恐れた保守強硬派が、九一年八月に起こしたクーデターの失敗により、ソ連はマルタ会談からわずか二年後の同年十二月、あっけなく消滅した。

 「もし崩壊するとしても、十年はかかると思っていた。われわれの打つ手は遅すぎた」とシェワルナゼ氏。

 昨年八月、同氏の祖国グルジアとロシアが軍事衝突した。ロシアはグルジア領内に深く侵攻、メドベージェフ大統領は南オセチアなどの独立承認に踏み切った。グルジア議会のダビタイア議長代理はロシアが検問所を設置したグルジア内の境界を「まるでベルリンの壁だ」とかつての東西分断の象徴に例える。

 「ロシアの侵略はグルジアへの影響力を増すためだ。自分たちの利益のため、大勢の命を奪った」。シェワルナゼ氏はトレードマークの銀髪を掻(か)きながら、声を荒らげた。

 民族の対立に加え、カスピ海のエネルギー資源を欧州に送るカフカスのパイプラインをめぐり、米国とロシアの覇権争いも横たわる。グルジア紛争には冷戦時代の負の遺産が凝縮されている。


 昨年来の金融不況下、ロシア社会では市場経済への疑問と、ソ連時代への回帰志向が強まっているとされる。スターリン再評価や、第二次世界大戦でのソ連の行動を礼賛する歴史認識の見直しも盛んだ。

 「ロシアの政治は今も旧思考に支配されている」。シェワルナゼ氏にはそう見える。

 「マルタ会談でないなら冷戦はいつ終わったのか」と聞いてみた。しばし黙考したが、結局、同氏から答えは返ってこなかった。同氏にとって冷戦は今も続いているかのようだった。(トビリシで、酒井和人、写真も)

1050チバQ:2009/12/10(木) 22:37:34
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009120502000067.html
解放と再建 冷戦終結20年 東欧編(上)チェコ  政治的慎重 統合でも
2009年12月5日 朝刊

20年前、数十万人規模の民主化要求デモに民衆が熱狂したプラハのバツラフ広場。「プラハの春」の翌年には、騎馬像(中)の前で学生が抗議の焼身自殺をする事件もあった


 無血で共産党政権を崩壊させた「ビロード革命」から二十年を迎えたチェコ。欧州連合(EU)への加盟で経済的には豊かになり、プラハは、オバマ米大統領の「核なき世界」演説の舞台ともなり、世界中から観光客が訪れ、自由な雰囲気があふれる。しかし政治的な動揺は続いている。

 顕著に現れたのが、十一月のEU新条約批准問題。主役はクラウス大統領(68)。一九六八年の民主化運動「プラハの春」に武力介入した旧ソ連を批判して体制の中枢から追われ、ビロード革命で結成された「市民フォーラム」に参加し政界に登場。新条約批准では自国の主権侵害を理由に署名拒否を続けた。

 ビロード革命について当時、民主化デモに参加した女性ラジオ編集者、マルチナ・シュナイベルゴワさん(52)は「何万人もが参加したのに、当初のデモで学生と警官隊が衝突した時のような暴力はなかった。『私たちは勝利した。何かを起こした』と実感した」と振り返る。勤務先だった国営「ラジオプラハ」は当初、デモを「反社会主義的」と宣伝したが、翌週には事実を伝えるようになり、その翌週には共産党員の幹部が辞めていった。

 学生らのデモから、反体制派の中心だった作家ハベル氏(73)が大統領に就任するまで、わずか六週間。事態の変化は急激だった。

 「(プラハの春の)民主化運動が失敗後、社会主義への失望と無力感が国を支配した。知識人の国外流出が絶えず、抑圧と沈黙の二十年間だった」。プラハ・カレル大学経済学研究所のマルティン・グレゴール副所長(32)は革命前の国民心理を説明する。八〇年代、隣国ポーランドで起きた自主管理労組「連帯」の運動も、チェコを変えると確信させるものではなかった。ビロード革命のテンポの速さは、それまでの慎重な姿勢による遅れを取り戻すかのようにも受け止められる。

 革命からの二十年で経済的発展を遂げる一方、失業率は一時、10%に達し、欧州統合の波に乗り遅れまいとする危機感も強まる。

 クラウス大統領の姿勢について、グレゴール副所長は「『社会主義か市場経済か』のように、常に二つの選択肢しかない。それが、民主化に失敗した過去に戻りたくないという国民の琴線に響いている」と指摘する。大統領には絶対的な影響力こそないが、世論調査での人気は高い。

 ナショナリズムを思い起こさせる政治姿勢は、ポーランドのカチンスキ大統領とも共通する。根底にあるのは統合する欧州で「二等国扱い」をされたくないという思いだ。小国ながら、アフガニスタンの国際治安支援部隊(ISAF)に七百人を派兵、オバマ大統領の求めに応じ、増派も検討するが、国際貢献の背景にはナショナリズムによる右傾化もあり、政治的不安定の要因ともなっている。

  (プラハで、弓削雅人、写真も)

<東欧民主化> 旧ソ連のゴルバチョフ政権が進めたペレストロイカ(改革)路線の影響もあり、1989年に東欧諸国で次々と民主化が実現した。5月にハンガリーが西側との国境を開放、6月にポーランド自由選挙で自主管理労組「連帯」が勝利、11月に東ドイツのベルリンの壁崩壊、旧チェコスロバキアの無血革命、12月にルーマニアでチャウシェスク政権崩壊などが続いた。

1051チバQ:2009/12/10(木) 22:38:00
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009120602000065.html
解放と再建 冷戦終結20年 東欧編(下)ハンガリー  市場経済の浮沈味わう
2009年12月6日 朝刊

「ハンガリー動乱」の舞台となったブダペストの国会議事堂前で、変革の誇りと失望を訴えるイワン・ベドさん


 「ベルリンの壁」崩壊より半年早い一九八九年五月、オーストリアとの国境の鉄条網を撤去したハンガリー。「鉄のカーテン」にいち早く風穴をあけ、旧東ドイツ市民の脱出を可能にしたことは、今も国民の誇りだ。「しかし、経済危機など、解決されていない問題への失望感も大きい」。ブダペストの週刊紙編集者イワン・ベドさん(56)は語る。

 昨年秋の世界金融危機の直撃を受け、外国からの巨額の資金が一気に流出、国際通貨基金(IMF)や欧州連合(EU)からの緊急融資でしのいだ。二〇〇九年の国内総生産(GDP)成長率予想はマイナス6%といわれる。

 ブダペストで飲食店を営むニコレットさん(28)は「両親は、民主化前には誰でも職があり、自動車を持ち、十分な稼ぎがあったと話していた。一家に働き手は一人で足りたのに、今は共働きでやっと暮らしていける。毎年一週間、休暇を取るお金があったのに、今はそんなお金もない」と生活の厳しさを嘆く。

 五六年の「ハンガリー動乱」は旧ソ連に制圧されたが、六八年、社会主義体制下で市場原理を導入、企業経営者らの裁量を大幅に認め、外資にも門戸を開き、東欧の経済先進国となった。

 民主化後も、欧州で最低水準の法人税率16%などの優遇措置で外資を積極的に導入し、GDP成長率は最近、毎年プラス4%前後を記録。裏腹に対外債務は〇八年に七百億ユーロ(約九兆一千億円)以上、GDPの73%にも達し、金融危機で通貨フォリントが暴落。豊かさをもたらした市場経済によって今、痛みを強いられている。

 歴史学者のクリスチャン・ウングバリさん(40)は今の経済危機の遠因を民主化時にさかのぼって指摘。「西側と競争できる力はなかったのに、生活レベルは経済の実力以上だった。ドイツや日本を中心にした対外債務は、確実に積み上がっていた」。さらに、民主化を「レボリューション(革命)ではなく、エボリューション(進化)だった」と評する。他の東欧諸国での激動と違い、長い時間をかけ進んだ変革だったが、経済的安定には至っていない。

 実業界出身のバイナイ首相は経済再建を進めるが、失業率は10%に達し、不満を背景に極右政党が伸長、六月の欧州議会選でも議席を獲得した。「政治への支持が左右極端に分かれ、互いに非難し合っている。安心して政治を任せられる中道は存在しない。危険だ」とベドさんは警告。社会主義との決別は、自由主義社会での長い苦闘の入り口だったことを、東欧民主化は教えている。

  (ブダペストで、弓削雅人、写真も)

1052とはずがたり:2009/12/10(木) 23:12:01
先日偶々調べたwikiの範囲での知識ですけど,ハンガリーはハンガリー動乱を産んだだけあって改革派が昔から強くて東欧革命の前から共産党に当たる政党が改革派主導でやってきたみたいですね。
従ってその後継政党の社会党が今でも一定の力があって,しかも嘗ての共産党幹部が財界へ転じた経緯から左派政党なのに財界の一定の支持も受けてるみたいですね。

それにしても東欧革命・ソ連崩壊などあの一連の激動から20年経つんですなぁ。

1054チバQ:2009/12/14(月) 12:16:35
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200912140001.html
2009.12.14 Web posted at: 10:19 JST Updated - CNN
ワールド
ベルルスコーニ首相が政治集会で襲われ負傷 ミラノ
ローマ(CNN) イタリアのベルルスコーニ首相(73)が13日、北部ミラノ市内での政治集会で男に襲撃されて顔面を負傷し、精密検査のため入院した。

ラ・ルッサ国防相が報道陣に語ったところによると、首相はこの日、地盤であるミラノへ、地元政治家の応援のために駆けつけ、支持者らと握手し始めたところだった。

警察によると、男はミラノ大聖堂をかたどった小さな金属製の模型を持っていて、これが首相の顔に当たったとみられる。首相は上唇やほおから出血し、病院へ運ばれた。首相は落ち着いた様子だったが、担当医から検査と経過観察のため入院するよう指示されたという。

ミラノ警察がこの男に詳しい事情を聴いている。男は40代前半で、「精神的に不安定」として治療を受けていたとされる。共犯者がいた形跡はないという。

ベルルスコーニ首相は最近、汚職事件や離婚問題など公私両面でスキャンダルに悩まされ、支持率の低下が指摘されている。

1055チバQ:2009/12/14(月) 12:21:32
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200912140003.html
2009.12.14 Web posted at: 11:19 JST Updated - CNN
ワールド
南米チリで大統領選、決選投票の見通し
(CNN) 南米チリで13日、任期満了にともなう大統領選の投票が行われた。右派野党の実業家セバスティアン・ピニェラ候補と与党連合のエドゥアルド・フレイ元大統領による事実上の一騎打ちとされ、決選投票にもつれ込む可能性が高い。

内務当局によると、開票率約60%の時点で、ピニェラ氏が得票率45%と、フレイ氏の32%を上回っている。いずれの候補も半数を超えない場合は決選投票が実施される。

中道左派のバチェレ大統領は社会改革を推進し、高い支持率を維持してきたが、憲法の規定で再選は禁じられている。フレイ氏は大統領公認候補として同一路線の継続を掲げてきた。しかし独立系左派の若手候補、マルコ・エンリケスオミナミ下院議員(36)が予想外の健闘をみせ、左派票の分裂を招く結果となっている。

ピニェラ氏が当選すれば、1990年の民政移管以来初の右派政権が誕生することになる。

1056チバQ:2009/12/17(木) 21:42:39
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009121702000078.html
ウクライナ 親ロ派台頭 現職支持率3%、窮地に 来月大統領選
2009年12月17日 朝刊

 【モスクワ=酒井和人】来年一月十七日に予定されているウクライナ大統領選挙まで、あと一カ月に迫った。ロシアとの関係改善を目指すヤヌコビッチ前首相らが支持を伸ばす一方、反ロ路線を敷くユーシェンコ大統領は苦境が続く。二〇〇四年の前回選挙で現政権を生んだ「オレンジ革命」はすっかり色あせ、親ロ再転換が進む可能性が高まっている。

 ウクライナの世論調査機関が十六日発表した投票動向調査によるとヤヌコビッチ前首相が31・5%でトップ。オレンジ革命の主導者の一人だが、現在は対ロ協調に転じたティモシェンコ首相が20・3%で続いた。ユーシェンコ大統領はわずか3・2%と泡沫(ほうまつ)レベルの支持しか集められなかった。

 前回大統領選で親ロ派現職の不正や、ロシアの選挙介入を批判し、再選挙のすえ、勝利したユーシェンコ大統領。民主化のヒーローとして欧米の称賛を浴びたが、半面、ロシアの強い反発にさらされてきた。

 今年一月にはロシアがウクライナ向け天然ガスの供給を停止、ガス購入価格の大幅値上げをのませた。世界金融危機とも相まってウクライナ経済は困窮、大統領の求心力は低下の一途をたどった。

 ロシアのメドベージェフ大統領は今年八月「来年一月(ウクライナに)新しいリーダーが選出されることを期待する」と明言。

 一方、ティモシェンコ首相に対しては「ともに働くのは喜び」(プーチン・ロシア首相)と評価するなど、ロシアは大統領選に向けて、ウクライナ世論を揺さぶっている。

1057とはずがたり:2009/12/17(木) 22:13:09
>>1056
麻生や森以下w

1058チバQ:2009/12/18(金) 23:57:03
http://www.asahi.com/international/update/1201/TKY200912010156.html
ルワンダ、英連邦に加盟 旧宗主国は独・ベルギー2009年12月1日10時36分



 【ヨハネスブルク=古谷祐伸】旧イギリス植民地などで構成される英連邦はアフリカ中部ルワンダの加盟を認めた。フランス語が使われてきたルワンダの旧宗主国はドイツとベルギー。英国の植民地経験のない国の加盟は、95年のモザンビーク以来。ルワンダ政府は2006年に仏政府と断交、先月末になって国交回復で合意したが、英国寄り姿勢を強めている。

 英連邦は11月28日、カリブ海の島国トリニダード・トバゴで開いた首脳会議で、ルワンダの加盟を決定した。加盟国は54カ国になった。

 ルワンダの地元紙によると、ムシキワボ情報相は「我が国が過去15年間になしとげたとてつもない進歩の承認と受け止める」と語った。

 ルワンダは80万人が犠牲になった1994年の虐殺事件後、カガメ大統領のもとで急速に復興している。英語圏が多い周辺国との通商強化の狙いもあって2008年、英語を公用語に加えた。

 仏との関係をめぐって、ルワンダ政府は、虐殺に仏政府が関与したと批判し関係が悪化。一方、仏司法当局は、虐殺事件の引き金になったハビャリマナ元大統領の暗殺事件の首謀者が、カガメ大統領や側近だと認定している。

1059チバQ:2009/12/20(日) 14:07:34
>>600ほか
http://www.asahi.com/international/update/1219/TKY200912190357.html
インド野党指導部、大幅に若返り 宗教右派の意向反映2009年12月19日23時40分
 【ニューデリー=武石英史郎】インド2大政党の一角で野党のインド人民党は19日、幹部会議を開き、指導部の大幅な若返りを決めた。人事には宗教右派の意向が強く反映されており、世俗・穏健路線の国民会議派政権に対し、タカ派的な主張で攻勢を強める可能性がある。

 一連の人事では、すでに引退したバジパイ元首相とともに1980年の結党以来、党の顔だったアドバニ元内相(82)が、首相候補に位置づけられる「野党代表」の地位を退き、女性のスシマ・スワラジ野党副代表(57)に譲った。党の新総裁には、中央政界でほぼ無名のニティン・ガドカリ氏(52)を抜擢(ばってき)。党の首脳部はほぼ全員50代以下に若返った。

 ガドカリ氏は、党の支持母体で過激な行動から3度非合法化されたヒンドゥー至上主義団体「民族義勇団(RSS)」の本部があるマハラシュトラ州の党代表。RSSの事実上の指名だった。

 人民党は「ヒンドゥー大国の再興」を旗印に、92年、イスラム教モスクの破壊を主導し、ヒンドゥー教徒の宗教感情に火をつけ、党勢拡大に成功。政権の座にあった98年には核実験を強行した。5年ぶりの政権奪還を目指した今春の総選挙では、従来の宗教色の強い主張は封印。国民会議派政権の治安対策不備を突く戦略をとったが、議席を約2割減らす惨敗に終わった。

 アドバニ氏は2014年の次回総選挙に再び首相候補として臨む決意を表明したが、RSSの最高指導者バグワット氏が「世代交代は自然の流れだ」と介入を始め、宗教政党としての原点回帰を求めていた。

1060チバQ:2009/12/20(日) 20:43:27
>>769>>966
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20091220-OYT1T00638.htm
イラン改革派の精神的支柱、モンタゼリ師死去
 【テヘラン=久保健一】イランのイスラム教シーア派最高権威の一人で、同国のイスラム革命体制の「非民主性」を批判していたホセイン・アリ・モンタゼリ師が19日夜、同国中部コムの自宅で死去した。87歳だった。


 息子のアフマド師は、「病死」としている。

 イラン改革派の精神的支柱でもあるモンタゼリ師は、6月の大統領選後、改革派に対する弾圧を強めた政府・保守派勢力を繰り返し非難していた。改革派系の高位イスラム法学者で最長老の同師の死去により、宗教界での改革派の発言力が低下する可能性もある。

 モンタゼリ師は、同国中部イスファハン近郊生まれ。イラン革命(1979年)の指導者ホメイニ師(1902〜89)の側近として、親米パーレビ王政の打倒運動に参画。「イスラム法学者の統治」(ベラヤティ・ファギー)原理に基づいた革命体制の樹立に大きな役割を果たした。

 86年、ホメイニ師の後継最高指導者に指名されたが、反体制派との交遊が問題視され、89年、同師により次期指導者の地位を奪われた。

 その後、モンタゼリ師は、革命体制が「責任を負わない全能の指導者を作り出した」などと、独裁的側面を批判し、現最高指導者ハメネイ師と対立。宗教界の過度の政治介入も批判し、最高指導者制の廃止を唱えた。

 このため、ハメネイ師率いる保守派の怒りを買い、1997年〜2003年まで、事実上の自宅軟禁状態に置かれた。

(2009年12月20日19時47分 読売新聞)

http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/091220/mds0912201914004-n1.htm
モンタゼリ師が死去 イラン革命の中心的指導者
2009.12.20 19:13

 イラン国営メディアによると、1979年のイラン革命の中心的指導者のひとりで、改革派の精神的支柱だったフセイン・アリ・モンタゼリ師が20日、イスラム教シーア派の聖地コムにある自宅で死去した。87歳だった。死因は明らかにされていない。強硬派のアフマディネジャド大統領や最高指導者のハメネイ師の手法を厳しく批判してきた人物だけに、今後、強硬派が一層、勢力を増す可能性もある。(大内清)

 モンタゼリ師は、初代最高指導者のホメイニ師とともにイラン革命後のイスラム体制構築を主導した。ホメイニ師の後継者に選出されたが、ホメイニ師と対立したことから89年に失脚。最高指導者の地位にはハメネイ師が就いた。

 AP通信によると、97年にはハメネイ師が最高指導者にふさわしくないなどと発言したことから自宅軟禁下に置かれた。ただ、モンタゼリ師はシーア派教学ではハメネイ師より上位の「大アーヤトッラー」の称号を持ち、その後も宗教的・政治的な影響力を保持し続けた。

 今年6月の大統領選後は、アフマディネジャド大統領が対立候補であるムサビ氏らを支持する改革派の抗議デモに対し、イラン革命防衛隊傘下の民兵組織バシジを投入したことなどを痛烈に批判。モンタゼリ師は「武力を用いることはイスラムの教えに反する」などとする文書を改革派のホームページ上で発表していた。

 抗議デモなどを直接、指揮することはなかったが、改革派にとっては運動を正当化する上で重要な役割を果たした。

 その一方で、モンタゼリ師の発言はあくまでもイスラム体制の枠内にとどまるもので、現政権に批判的な世論が「反体制」運動に発展するのを押さえる役割を果たしたともいえそうだ。

1061チバQ:2009/12/23(水) 18:46:09
隔世の感がありますね
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009122200561
セルビアがEU加盟申請=NATO空爆から10年
 【ブリュッセル時事】旧ユーゴスラビアの中核国だったセルビアが22日、欧州連合(EU)に加盟申請した。今年はコソボ紛争に介入した北大西洋条約機構(NATO)軍が1999年に旧ユーゴを空爆してから10年の節目に当たる。かつて欧米諸国と敵対したセルビアは親EU路線を本格的に歩み始めた。
 セルビアのタディッチ大統領はこの日、ストックホルムを訪問、EU議長国スウェーデンのラインフェルト首相に加盟申請書を手渡した。今後、加盟交渉に着手し、加盟実現は2014年以降とみられている。(2009/12/22-23:51)

1062名無しさん:2009/12/26(土) 22:20:38
古い記事ですが。

>国際的に影響力を持つ地位を米国が失いつつあるとの答えは66.7%に上った。

http://www.jiji.com/jc/zc?k=200909/2009092300053
米国民の8割「まだ不況」=当局の認識とずれ−消費者調査
 【ニューヨーク時事】米調査会社BIGリサーチが22日発表した9月の消費者動向調査によると、「景気後退は終わったと思うか」との問いに対し、「終わっていない」との回答が78.0%に上った。バーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長は先週、「景気後退が終わった公算が大きい」と発言したが、国民の実感とは大きな隔たりがあるようだ。
 また、国際的に影響力を持つ地位を米国が失いつつあるとの答えは66.7%に上った。雇用減少が止まらず、失業率が26年ぶりの高水準に達するなど、家計を取り巻く環境は厳しい。米国民の自信喪失が浮き彫りになった格好だ。(2009/09/23-06:39)

1063チバQ:2009/12/26(土) 23:54:32
http://mainichi.jp/select/world/news/20091226ddm004070192000c.html
グローバル・アイ:イランとモンタゼリ師の死 革命後の一つの節目か=西川恵
 イランのイスラム法学者モンタゼリ師の名は日本人にはなじみがない。しかしイラン・ウオッチャーは、この人を抜かしてイラン革命を語ることはできない。彼がもし最高指導者の地位に就いていたら、イラン革命のその後の軌跡も変わっていたはずだからだ。

 聖地コムで20日に87歳で亡くなったモンタゼリ師の、現体制に対する批判は最後まで衰えなかった。今年6月の大統領選挙での混乱では、デモを力で押さえ込む当局を「抑圧を基盤にした政府、スターリン的なデモ弾圧、新聞検閲、不当容疑での市民の拘束、すべて不法である」と非難した。

 同師はイラン革命(79年)で初代の最高指導者となった故ホメイニ師の愛弟子で、85年には次期後継者に指名された。しかし人権や女性の権利を重んじ、「イスラム法学者は政治に直接かかわらず、政治の助言者にとどまるべきだ」との主張がホメイニ師と相いれず、89年に遠ざけられた。

 このわずか3カ月後にホメイニ師が亡くなり、最高指導者に現在のハメネイ師が選ばれた。「もしモンタゼリ師がなっていたら」という問いには、以上の経緯がある。

 モンタゼリ師の死は、改めて二つのことを考えさせた。一つは、このような人物をもつイラン社会の厚みと可能性。もう一つは、イスラム社会のあるべき姿は何なのか、である。

 後者で言うなら、イスラムが抱える課題は、7世紀に誕生したイスラム教と現代社会の折り合いをどうつけるかに行き着く。具体的には、聖典コーランなどの宗教指針を、どう現代に適用していくかである。

 キリスト教の西欧社会は18世紀末、フランス大革命という出来事を通して政治権力と宗教権力を分離した。しかし多くのイスラム諸国は、世俗主義を選択したトルコを除き、政治と宗教の境界があいまいだ。これが宗教を口実とした為政者の独裁や、宗教勢力の政治介入を招いてきた。

 モンタゼリ師の「宗教は政治の助言者にとどまるべきだ」との主張は、人権や女性の権利重視の姿勢とあいまってイスラム社会のあるべき一つの形を提起する。

 それにしても革命後、最も体制が脆弱(ぜいじゃく)になっている時の死だった。大統領選挙の不正疑惑で市民の抗議行動が続く中、同師の死は火に油を注ぎ衝突が拡大している。対外的には、核開発をめぐる交渉でイランが米欧の提案を拒否したため、新年から新たな対イラン制裁協議が始まる。同師の死は、革命後のイランに一つの節目となるかもしれない。(専門編集委員)

1064チバQ:2009/12/31(木) 21:10:28
http://www.47news.jp/CN/200912/CN2009123101000264.html
EU“三頭指導部”に懸念も 新体制1月1日始動
 【ブリュッセル共同】欧州連合(EU)で1月1日、リスボン条約に基づく新指導体制が始動する。ファンロンパイ初代大統領(首脳会議の常任議長)が本格的に執務を開始し、2010年前半の輪番制議長国に欧州の大国を自任するスペインが就任、2期目のバローゾ欧州委員長も影響力を増しており、EU強化を目指すリスボン新体制が“三頭指導部”内の主導権争いで混乱するのではとの懸念も出ている。

 これまでは、議長国がEU首脳会議や閣僚理事会を取り仕切り、他の国々との首脳会議でもEUを代表した。しかしリスボン条約により、EU首脳会議はファンロンパイ大統領が、外相理事会はアシュトン外交安全保障上級代表が議長を務め、国際会議でも両氏がEUを代表することになり、議長国の役割は大幅に減る。

 経済悪化に苦しむスペインのサパテロ首相は、EU外交に政権の活路を求めるとみられており、大統領、上級代表との確執を懸念する声もある。

2009/12/31 16:27 【共同通信】
ホーム 共同ニュース

1065チバQ:2009/12/31(木) 21:12:12
http://mainichi.jp/select/world/news/20091230ddm007030076000c.html
光と影・東欧民主化20年:/上 「弾圧の跡」清算
 ◇博物館計画や秘密警察記録公開
 自由を奪う鉄製の足かせが床にころがる。床面積2万平方メートルもある獄舎3棟に大小50室の居住房が迷路のように並ぶ。外から内部はうかがえない。ルーマニアの首都ブカレスト郊外にある「ジラバ監獄」は、89年の民主化デモ、チャウシェスク大統領銃殺まで続いた「恐怖政治」の象徴だった。かつての軍事要塞(ようさい)が政治犯収容所として使われ、多くの人命が奪われた。

 気温は氷点下16度。2メートルもの巨大な氷柱もあった。窓のない懲罰房は真っ暗で暖房もない。「凍死者も出た。入るだけで拷問と同じ」と職員は説明した。壁に「生き延びたければ服の下に麦わらを隠せ」と落書きが残る。過酷な弾圧を物語る監獄を博物館に整備する計画も浮上した。

 ルーマニアは05年に国の研究機関「共産主義犯罪調査研究所」を設置、当時の責任追及を始めた。「暗黒の時代の解明が必要だ。以前は沈黙するしかなかった」とアンドレイ・ルスク研究員は強調する。2年前から北部の丘陵トランシルバニア地方で50年代に秘密警察に暗殺された人々を調査、遺骨を掘り起こし証言を集める。

 イリエスク元大統領は「チャウシェスク大統領の独裁を打倒し、民主主義を実現した」と89年12月の民主化デモの成果を誇った。しかし1万人以上の犠牲者を生んだとみられる共産主義時代の全体像はまだ明らかではない。

 一方、チェコの「全体主義体制研究所」はベルリンの壁崩壊20周年となった11月9日、かつての秘密警察の個人記録をネットで公開した。秘密警察の構成員ら985人の氏名や生年月日、顔写真を掲示した。現職の公務員も含まれ、歴史家も「やり過ぎだ」と痛烈に批判した。秘密警察に関するあらゆる膨大な記録を閲覧できる研究所は「弾圧の記録の公開に歴史的な意味がある」と反論する。

 89年6月、ポーランドの一部自由選挙実施から始まった東欧民主化の波は11月のベルリンの壁崩壊で最高潮を迎え、ルーマニアでは12月にチャウシェスク独裁政権を打倒した。あれから20年。欧州連合(EU)加盟からチェコは5年半、ルーマニアは3年弱。共産主義時代の「負の遺産」を清算する作業はようやく本格化し始めた。【ブカレストで中尾卓司】

1066チバQ:2009/12/31(木) 21:12:43
http://mainichi.jp/select/world/news/20091231ddm007030013000c.html
光と影・東欧民主化20年:/下 決別できぬ過去
 ◇汚職、格差…苦悩やまず
 ルーマニアの首都ブカレストの大通り。89年に軍と民主化デモの市民が衝突し大勢の犠牲者が出た現場だ。事件から満20年。発砲が始まったとされる今月21日午後9時を迎えてもいてつくような寒さの大通りは静まりかえっていた。当時の映像を伝える特設画面の前で立ち止まる通行人は少なく、お祝いムードとは無縁だった。

 「(89年以前の)過去と決別できていない」。ブカレストにある社会問題研究所のアン・ジュガナル代表は暗い表情を浮かべた。チャウシェスク元大統領が処刑された政変は「ルーマニア革命」と呼ばれるが、その後、政権を掌握したのは体制側にいた人々だった。

 急激な民営化で国営企業を買い占めた少数の実業家が政治家と癒着した。ジュガナル代表は「一部の成り金が生まれ、貧富の差が拡大した。チェック機能は働かずモラルの危機を招いた」と話す。

 ルーマニアはポーランドやチェコなどに遅れ、07年1月に欧州連合(EU)に加盟した。だがEUの行政府・欧州委員会は司法改革、汚職対策が不十分として監視を続け、最新報告書で「刑法など基本法令の改正は進まず国民のための進展はない」と酷評した。「他の加盟国と対等でない」(外交筋)のが実情で、EU加盟を目指すクロアチアなどに警鐘を鳴らす際、引き合いに出されたり、「EUのお荷物」と陰口をたたかれる有り様だ。

 ルーマニアは今月、公務員10万人削減計画を公表した。金融危機の直撃を受け、国際通貨基金(IMF)やEUから総額200億ユーロ(2兆6000億円)にのぼる融資を受けるのと引き換えに財政健全化を迫られたためだ。

 ルーマニアだけでなく、危機に見舞われた東欧諸国は今年、EUへの依存を深めた。

 その一方、EUの新基本条約「リスボン条約」の発効にチェコのクラウス大統領は最後まで抵抗。強大化するEUへの嫌悪感を隠さなかった。外交筋は、ロシアに支配された記憶が残り、「『二等国扱いされたくない』との複雑な思いがある」と指摘する。

 過去の負の遺産を引きずる国内で、そしてEUの「格差」の中で。東欧の民主化はまだ終わりを迎えていない。【ブカレストで中尾卓司】

1067チバQ:2009/12/31(木) 21:13:44
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2678549/5102356
贈り物のゾウがとんだお荷物に、タンザニアが贈呈先アイルランドに運送代を請求
2009年12月31日 00:00 発信地:ダブリン/アイルランド

【12月30日 AFP】タンザニアからの贈り物が、思わぬ「重たい」お荷物となった――。アイルランドの公文書館が30日に公開した1980年の機密文書で、当時発生した2国間の意外なトラブルが明らかになった。

 公開された文書によると、1980年2月の公式訪問の際、タンザニアのジュリアス・ニエレレ(Julius Nyerere)大統領はパトリック・ヒラリー(Patrick Hillery)アイルランド大統領にゾウの贈呈を約束したのだが、これが数か月後に思わぬトラブルに発展した。

 同年9月、タンザニア外務省はアイルランド大使館に、6万6000タンザニア・シリング(約66万円)の航空運送料はアイルランドが持つという話を、「覚えていらっしゃいますでしょうか」と尋ねる1通の書簡を送った。

 書簡には「できるだけ早くお支払いいただけると幸いです」と書かれていた。

 タンザニア・ダルエスサラーム(Dar Es Salaam)のアイルランド大使館から12月に祖国の外務省に送られたテレックスには、「4000ポンドほど余っていませんか?」と書かれていた。

「どの部署に聞いてもないと言われます。わたしたちはこの重たいベビーを持たされて、にっちもさっちもいかない状態です。いずれにしても支払った方がよさそうです」

 ゾウはその後、ヒラリー大統領の官邸にほど近いダブリン動物園(Dublin Zoo)に住居を構えたという。(c)AFP

1068チバQ:2009/12/31(木) 21:14:50
http://www.cnn.co.jp/science/CNN200912300006.html
「はしか」で22人が死亡、5歳未満が多数 ジンバブエ
ハラレ(CNN) アフリカ南部ジンバブエの政府系日刊紙ヘラルドは29日、国内の5地域で麻疹(はしか)が流行し、同日までに22人が死亡したと伝えた。死者のほとんどが5歳未満で、全員がワクチンを接種していなかった。


アフリカ各国で麻疹ワクチン接種の支援を続ける世界保健機関(WHO)は約2週間前、ジンバブエにおける麻疹流行に失望すると発表したばかり。


ヘラルド紙によると、ジンバブエ全土で90人の感染者が確認されたという。


同紙は、ワクチン接種により助かる命が失われたと論評。乳幼児の保護者に対し、ワクチン接種の重要性を訴えている。


ジンバブエはムガベ大統領による独裁政権下にあり、経済的にも疲弊。欧米各国はジンバブエの経済状況、人権状況が劣悪で、政治的な不正が正されていないとして強く非難している。


昨年は、劣悪な衛生状況によるコレラの大流行で、約5000人が死亡していた。

1069チバQ:2009/12/31(木) 21:15:49
http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPnJS859601720091230
イランの野党指導者は「神の敵」、処刑されるべき=ハメネイ師代表
2009年 12月 30日 11:15 JST
[テヘラン 29日 ロイター] イランの最高指導者ハメネイ師の代表は29日、野党指導者らは「神の敵」で、イスラム法(シャリア)に基づいて処刑されるべきとの考えを明らかにした。
 また、国営メディアによると、政府の支持者ら数万人が集会を開き、6月の大統領選挙を受けた抗議行動を扇動したとして野党指導者への処罰を求めた。

 ハメネイ師の代表を務めるイスラム聖職者アッバス・バエズタバシ師は国営テレビで「今回の暴動の背後にいる者は神の敵だ。法は神の敵への罰について極めて明らかにしている」と述べた。シャリアの下では「神の敵」への処罰は死刑となっている。

 イランでは27日、6月の大統領選挙に端を発した反政府デモが行われ、8人が死亡した。

 野党系ウェブサイトによると、27日以降、改革派指導者ムサビ元首相の顧問3人など、少なくとも20人の改革派支持者が逮捕された。

1070チバQ:2009/12/31(木) 21:16:49
http://www.asahi.com/international/update/1230/TKY200912300006.html
ウクライナ大統領選、チモシェンコ首相失速 ガス問題で2009年12月30日7時29分
 【モスクワ=星井麻紀】来年1月17日に迫ったウクライナ大統領選は、ロシアとの天然ガス価格問題で対立候補や国民の批判に直面しているチモシェンコ首相が失速、親ロシアの地域党党首、ヤヌコビッチ氏が頭一つ抜け出した。

 昨年の世界金融危機後、経済低迷が続くウクライナは、国際通貨基金(IMF)からの総額約164億ドル(約1兆5千億円)の緊急融資が頼り。それが、11月に予定されていた第4回融資約38億ドルが差し止めになった。IMFが融資の条件にしている「国内のガス料金値上げ」を実施していないのが理由だ。

 ウクライナは今年1月、ロシアに強い圧力をかけられて、ロシアに支払う天然ガス価格の段階的な値上げに応じた。2010年までに欧州市場と同価格に移行するというものだ。そのためには国内のガス料金を値上げせざるを得ない状況に陥っている。

 しかし、このロシアとの合意をまとめたのがチモシェンコ氏だったため、ヤヌコビッチ氏や現職のユーシェンコ大統領らは「ウクライナに不利な契約を結んだ」「内閣運営能力がない」と「チモシェンコつぶし」を始めた。

 公共料金の値上げは有権者の反発が強いうえ、天然ガス問題はウクライナとロシアの対立の象徴でもあるだけに、チモシェンコ氏は値上げを選挙後に先延ばししたい意向だが、今年12月分のガス料金約8億ドルのロシアへの支払い期限は来年1月11日で、窮地に立たされている。

 ウクライナの研究機関「社会政治心理研究所」の12月下旬の調査では、ヤヌコビッチ氏の支持率は約32%。チモシェンコ氏は約20%で両者の差はじりじりと開いている。

1071チバQ:2010/01/01(金) 15:33:54
>>430
http://www.asahi.com/international/update/1224/TKY200912240001.html
バングラの紛争地に和平の兆し 新政権、軍の一部撤収(1/2ページ)2010年1月1日9時17分

 政府軍の力を背景にした強制入植により、10万人以上の先住民族が土地を奪われているバングラデシュ東部のチッタゴン丘陵地帯で、和平進展の兆しが出てきた。08年末の総選挙で、たなざらしだった和平協定の実行を公約した政党が政権を握ったためだ。新政権は軍の一部撤収も開始。国際人権団体の活動も活発化している。

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などによると、チッタゴン丘陵地帯は、15世紀から仏教徒中心の13の先住民族が焼き畑農業を営んできた。1971年、バングラデシュがパキスタンから独立すると、政府は増え続ける人口の受け皿として、国土の10%を占めるチッタゴンに着目。多数派でイスラム教徒のベンガル人を入植させ、軍も駐留させた。チッタゴンは推定約200万人の人口のうち、2006年に半数がベンガル人になったという。

 入植過程で軍の力を背景にした強制土地収奪や集落の破壊、レイプなどの人権侵害が起きた。土地を奪われた先住民族は12万世帯以上とされる。

 先住民族の一つ、ムロー族の地域代表者ランライ・ムローさん(39)の自宅に、政府軍兵士が突然踏み込んできたのは07年2月だ。その場で無理やり銃を持たされて写真を撮られ「武器の不法所持」容疑で逮捕された。国際人権団体の働きかけで、今年1月にようやく解放されたという。

 人権侵害の実態を受け、人権活動家らが作った「チッタゴン丘陵委員会」(CHTC)が国際社会に告発。97年、政府が難民帰還や土地返還を約束する代わりに、先住民族側がゲリラ兵の武装解除に応じる和平協定が成立したが、政府側は実行してこなかった。

 しかし、08年末の総選挙で97年の和平協定合意時の与党「アワミ連盟」が政権をとって風向きが変わった。CHTCも活動を再開し、共同代表になったベンガル人の女性活動家スルタナ・カマルさん(59)が、ハシナ新首相らと会談。首相は7月、約4万人の駐留軍のうち9千人の撤退を表明し、撤退も始まった。

 スルタナさんは「『全国民は平等』という独立時の理念に立ち返る時だ。国際社会も関心を持って監視を緩めないで欲しい」と話している。(前川浩之)

1072チバQ:2010/01/03(日) 13:57:33
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100102/erp1001021908004-n1.htm
ウオツカを倍額に値上げ ロシア「飲酒癖は国家的脅威」
2010.1.2 19:06

 ロシアで1日、ウオツカの最低小売価格を0.5リットルあたり89ルーブル(約273円)とする庁令が発効した。これは従来、ロシアで普及していた最も安いウオツカのほぼ2倍にあたる価格。メドベージェフ大統領はロシア人の飲酒癖を「国家的脅威」として節酒政策に乗り出しており、ウオツカの最低価格導入もその一環とされている。

 ロシアではソ連末期の1985年、当時のゴルバチョフ政権が厳しい節酒法を実施したものの、国民の猛反発を招き、密造酒による死者が急増した。(モスクワ 遠藤良介)

1073チバQ:2010/01/03(日) 13:58:20
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/091226/erp0912262001002-n1.htm
【海外支局から】ロシア人と酒の深〜い関係 買えない人はどうする? (1/2ページ)
2009.12.26 20:00

このニュースのトピックス:ロシア・CIS

今やウォッカの向こうを張ってロシア地ビールの花盛り。一つの店だけでも多くの種類が売られている=2000年2月、モスクワ 飲酒大国ロシアでは、アルコールに起因する死者が年間で最も多いのが1月だという。新年を祝って大量に酒を飲む人が続出するからだ。政府は国民の酒量を減らすため、2010年1月からウオツカの最低販売料金を設けることを決めた。しかし、密造酒はおろかアルコールを含む薬品さえ飲んでしまう国民性を変えられるかは大いに疑問だ。「アルコールとの戦い」と呼ばれる政府と国民の駆け引きは、今回もいたちごっこに終わるのだろうか。(モスクワ 佐藤貴生)

 1月は死者が最も多いだけではない。政府系研究機関によると、5〜7日は病院に運ばれるアル中患者が年間で最も多くなる。ロシアでは年明けから約1週間も休日が続くため、自宅などで酒浸りになる人が増えるといわれ、長い休みが終わりに近づくにつれて仕事に行くのがいやになるという心理も働いているようだ。

 ロシアでも現在ではビールが広く浸透しており、特に若年層はウオツカを欲しがらない。ところが、2009年は年初からの5カ月間にビールの売り上げが落ちた半面、安いウオツカが2割以上も売り上げを伸ばしたという統計もある。不景気になると安くても酔えるウオツカに手を出し、憂さを晴らす年配の男性が増えるようだ。

 こうしたなか、ロシア政府は10年1月から、ウオツカ0・5リットル当たり89ルーブル(約260円)という最低販売価格を設けることを決めた。09年まではこの半額程度で同量のウオツカが手に入っただけに、酒好きの国民には大きな仕打ちとなる。しかし、「料金を上げれば飲む量も減るはず」という理屈が通らないのがこの国だ。

 露ガゼータ紙は09年12月11日付で、アルコール問題の大型特集を組んだ。それによると、ロシア人は化粧水のほか、浴槽やガラスの汚れを取る薬品類など、アルコールが入っていれば何でも飲んでしまう。03−04年に西部イジェフスクで専門家が行った調査によると、25−54歳の男性の死因の42%がアルコールの乱用だった。飲料に適さないアルコールを飲んで重い中毒にかかった人も少なくなかった。「金がなければ買わずに飲む」のがロシア流、ということか。

 05年現在のロシア人男性の平均寿命は58・8歳で、女性に比べて10年以上も短い。科学者らは男女の寿命の格差とアルコール乱用には深い関係があると結論づけている。08年には23万件を超える犯罪が飲酒者によって引き起こされたとの統計もある。政府が“酒断ち”に躍起になるのは、国力を左右する人口問題にアルコールが大きな影を落としているからなのだ。

 ソ連末期の1985年、ゴルバチョフ政権は大規模な節酒法を実施した。販売店を減らしたり、購入できる時間帯を制限したりしたのだが、密造ウオツカがヤミ市場に大量に流れたほか、酒を買う人の行列が長くなるなどして国民の不興を買い、緩和せざるを得なかった。

 切っても切れない酒との縁は、いにしえの歴史を伝える年代記にも記されている。ロシアの前身であるキエフ・ルーシの大公は10世紀末、さまざまな宗教の中からギリシャ正教を受け入れて国教に定めたのだが、このさい、イスラム教の受容を勧めた者から、この宗教では飲酒を禁じているという話を聞いた大公は、「ルーシの民の楽しみは飲むことである。これなしには生きることができぬ」といって断ったという(外川継男著「ロシアとソ連邦」)。国民の習性は今も昔も変わらないようだ。

1074チバQ:2010/01/07(木) 22:38:46
>>1056>>1070
http://mainichi.jp/select/world/news/20100108k0000m030059000c.html
ウクライナ:大統領選、現・前首相の決選投票濃厚に
 【モスクワ大前仁】今月17日投票のウクライナ大統領選挙は終盤戦を迎えた。明確な争点が定まらないなか、有力候補のティモシェンコ首相と「地域党」のヤヌコビッチ党首(前首相)の間では中傷合戦が目立つ。選挙戦は両者による決選投票となる公算が大きく、市民の間では第1回投票に冷めた見方も出ている。

 世論調査で支持率トップに立つヤヌコビッチ氏は6日のテレビ番組で、「オレンジ革命」を主導したユーシェンコ大統領、ティモシェンコ首相について「現政権は既にスーツケースに荷物を詰めている」と述べ、政権交代の機運をアピールした。一方、2位につけるティモシェンコ氏は3日、訪問先の南部クリミア半島で、地域党がソ連崩壊後の民営化の際に得た石油などの権益を違法に維持していると指摘。「ヤヌコビッチ氏の背後には強力なマフィアが控えている」と糾弾した。これに対し、ヤヌコビッチ陣営もティモシェンコ氏の「汚職疑惑」に言及するなど、ネガティブキャンペーンの様相を強めている。

 ユーシェンコ大統領が当選した前回04年の大統領選は、北大西洋条約機構(NATO)加盟問題や対露関係など明確な争点があった。しかし、今回は親欧米派のティモシェンコ氏がプーチン露首相と実質的な協力関係を築き、親露派のヤヌコビッチ氏もロシアが主導する「集団安保条約機構」に加盟せず「ウクライナの軍事的な中立性を保持する」と表明するなど、「ねじれ現象」が目立つ。

 世論調査では国民の7割が投票に参加する意向を示しているが、経済・金融危機の後遺症が長引く中、有権者は有力候補による中傷合戦に冷めた視線を送っているのが実情だ。英字紙キエフ・ポストは「誰が大統領に就任しても難問に直面する」との金融問題専門家の見方を示している。

 大統領選には計18人が立候補。17日の投票でいずれの候補も過半数を獲得できない場合、上位2人による決選投票が2月7日に行われる。先月末に発表された世論調査によると、支持率はヤヌコビッチ氏が26〜33%、ティモシェンコ氏が16〜22%。他の候補は1けた台にとどまり、現職のユーシェンコ大統領は4%前後で再選は絶望的。ユーシェンコ氏は3位以下の候補と「統一候補」擁立の動きを見せるが、大勢に影響を与えない見通し。

1075とはずがたり:2010/01/10(日) 21:04:06

ペルー:フジモリ元大統領、禁固25年が確定 市民虐殺で
http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20100104k0000m030059000c.html
ペルーのフジモリ元大統領

 【メキシコ市・庭田学】1990年代にペルーで起きた市民虐殺事件をめぐり殺人罪などに問われた元大統領、アルベルト・フジモリ被告(71)の上訴審で、最高裁特別刑事法廷は3日、禁固25年の1審判決を支持することを決めたと発表した。裁判は2審制で、これにより実刑が確定する。元大統領の政治生命はほぼ絶たれたといえる。

 秘密裏に左翼ゲリラ掃討を担当していた軍の暗殺組織「コリーナ部隊」が、91年に8歳男児を含む住民15人を殺害したバリオスアルトス事件と、92年に学生ら10人を誘拐・殺害したラカントゥタ事件などについて、当時大統領だったフジモリ被告の罪が問われた。

 フジモリ被告は「コリーナ部隊の作戦に関与していない」などとして無罪を主張。しかし、1審判決は最高権力者である大統領が部隊を指揮した「間接主犯」と認定し、有罪を言い渡した。同被告は他の事件でも有罪判決を受けているが、ペルーでは最も重い刑期が適用され、禁固25年となる。

 日系2世で90年に大統領に就任したフジモリ被告は、左翼ゲリラの鎮圧や経済立て直しで成果をあげ、ペルーの功労者として依然、根強い人気がある。一方、92年に憲法を大統領が自ら停止するなど、強権的な政治手法から「独裁者」と批判されてきた。

 側近の汚職を引き金に3期目就任直後の00年に失脚。日本に事実上逃亡してからも大統領復帰を目指し05年11月にチリに渡ったが、拘束されてペルーに引き渡された。既に4年余りの拘束生活を送っている。

 一方、フジモリ派は11年の次期大統領選に元大統領の長女ケイコ・フジモリ国会議員(34)を擁立する見通しだ。地元ラジオ局RPP(電子版)によると、同派スポークスマンのラフォ国会議員は3日、「11年の選挙で我々が勝利することで、この判決をペルー国民が認めないことになるだろう。政治的勝利によってアルベルト・フジモリの名誉回復を目指す」と語った。
 ◇フジモリ元大統領をめぐる動き◇

90年7月 大統領就任

91年11月 コリーナ部隊がリマ市民15人虐殺

92年4月 「自主クーデター」で憲法停止

  7月 コリーナ部隊がリマの大学生ら10人虐殺

93年12月 新憲法が発効、民主体制に復帰

95年7月 2期目の大統領に就任

96年12月 リマで日本大使公邸占拠事件(97年4月に軍特殊部隊が突入し、人質71人を救出)

00年7月 3期目の大統領に就任

  11月 東京から辞表。国会で罷免され日本滞在

  12月 日本政府がフジモリ氏の日本国籍確認

03年7月 ペルーが日本に身柄引き渡し要請

05年11月 東京からチリに到着、拘束される

07年7月 拘束先で日本の参院選に立候補、落選

  9月 チリからペルーに身柄引き渡し

  12月 ペルー最高裁で市民虐殺事件の審理開始

09年4月 最高裁の1審で禁固25年の有罪判決

毎日新聞 2010年1月3日 20時35分(最終更新 1月3日 21時05分)

1076チバQ:2010/01/12(火) 12:15:00
http://www.cnn.co.jp/world/CNN201001120005.html
2010.01.12 Web posted at: 11:00 JST Updated - CNN
ワールド
北アイルランド首相、妻の不倫で6週間休職
(CNN) 英領北アイルランド自治政府のロビンソン首相は11日、妻で自治議会議員のアイリスさん(60)の不倫と金銭問題で6週間休職する意向を明らかにした。


休職中の代行首相は、同じ民主統一党(DUP)のフォスター事業相が務める。


アイリスさんは先週、19歳の青年と不倫関係になり、事業家2人から5万ポンド(約740万円)の資金を調達して青年の飲食店開業を援助していたことを認めた。アイリスさんは自殺を試みるなど重度のうつ状態にあり、精神科の治療を受けている。


首相は「父親として夫として、家族の問題に専念する時間が必要だ」と語った。首相はまた、妻の金銭問題を承知していなかったとして自身の潔白を主張し、議会にこの問題の調査を求めたことを明らかにした。


http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100111/erp1001111904002-n1.htm
北アイルランド自治政府首相の妻、39歳年下と不倫 スキャンダルに (1/3ページ)
2010.1.11 18:56


北アイルランド自治政府のピーター・ロビンソン首相(右)とアイリス・ロビンソン夫人=2008年6月(AP) 【ロンドン=木村正人】英国・北アイルランド自治政府のピーター・ロビンソン首相(61)の妻、アイリス・ロビンソンさん(60)が39歳年下の青年と不倫の恋に落ち、業者から不正に受け取った資金を青年に提供していたことが発覚し、北アイルランド政界を揺るがすスキャンダルに発展している。“監督責任”を問われた同首相は「妻の不倫も資金提供も知らなかった」として辞任要求を拒否している。

 英BBC放送の調査報道番組が今月初め、アイリスさんの“火遊び”をスクープ。青年はアイリスさんの親友の息子で当時、19歳。親友が死去した2008年2月以降、2人は親密になった。ロビンソン氏が同年6月に自治政府首相に就任した後、肉体関係を持つようになったが、秋には関係は終わったという。

 自治政府議会議員で英下院議員でもあるアイリスさんは、青年に飲食店の開店資金として5万ポンド(約740万円)を提供。しかし、元手になった資金は不動産業者2社から受け取ったもので、法律で義務づけられた申告を怠っていた。

 アイリスさんは不倫が夫に発覚した昨年3月、自殺を図った後、深刻な抑鬱(よくうつ)症を患い、BBCの取材が進んだ昨年12月末、健康問題を理由に議員職を辞すると表明した。

 同首相がアイリスさんの不正を知り、不動産業者に資金を返還するよう働きかけた形跡があることから、2人が所属するプロテスタントの強硬派政党「民主統一党」は、アイリスさんの党籍を剥奪(はくだつ)するとともに、首相の辞任を要求。連立を組むカトリック系のシン・フェイン党も、「これはロビンソン家の問題にとどまらない」と連立解消をちらつかせて辞任を迫っている。

 これに対し、辞任を拒否している同首相は「妻の不倫さえ知らなかったのに、不正な資金のやり取りを知っていたはずがない」と苦しい弁明に追われている。

 アイリスさんは1970年ロビンソン氏と結婚。89年から北アイルランドの地方議会議員などを務め、2001年の英総選挙で初当選した。

 1967年の米映画「卒業」で主演のダスティン・ホフマン氏演じる青年と不倫関係になった「ロビンソン夫人」を思わせる妖艶さを漂わせており、英大衆紙デーリー・メールなどは「他にも愛人が3人」と報じている。

1077名無しさん:2010/01/12(火) 12:24:37
http://www.cnn.co.jp/world/CNN201001110002.html
2010.01.11 Web posted at: 13:43 JST Updated - CNN
ワールド
クロアチア大統領選、決選投票でヨシポビッチ氏が当選
(CNN) クロアチア大統領選挙の決選投票が10日にあり、同国の選挙管理委員会は野党・社会民主党のイボ・ヨシポビッチ氏(52)が当選したと発表した。


決選投票はヨシポビッチ氏と、社会民主党出身で無所属で出馬した首都ザグレブのミラン・バンディッチ市長(54)で争われた。


選管によると開票率99%で、ヨシポビッチ氏の得票率が60.3%に達し、バンディッチ市長の39.71%を大きく上回った。


ヨシポビッチ氏は、大学の法学部教授であり、クラシック音楽の作曲家としても知られる。昨年末に実施された第1回の投票では最多得票だったが過半数に達せず、決選投票に持ち込まれていた。


選挙運動では、政府内の汚職対策を公約に掲げていた。

クロアチアは2012年の欧州連合(EU)加盟を目指している。

1080ぐらもん:2010/01/13(水) 23:00:30
>>1071
亀レスですがこの問題の仲介に民主の阪口直人議員が関わっている模様。

阪口直人「心にかける橋」「バングラディシュ報告」
http://blog.goo.ne.jp/xday0321/e/3f8b2a8bd3867f3e59117f362eadb32a

少し遅くなってしまったのですが、バングラデシュの報告を書きます。

1.出張の目的とチッタゴン丘陵に住む先住民族

 17日から22日まで、バングラデシュ・チッタゴン丘陵地帯に行き、ベンガル人と先住民族の和平協定の実施を後押しすることを目的に政治対話と調査を行いました。
チッタゴン丘陵は、私たち日本人に似たモンゴル系の先住民族の人々が住む地域です。多くは仏教徒で、竹でできた家に住み、丁寧で、謙虚で、とても働き者です。チャクマ族、マルマ族、トリプラ族など異なる風習や言葉を持つ11の民族があり、長らく慣習法に基づいて焼畑農業をおこなっていました。しかし、81年以降、バングラデシュ政府がベンガル人入植者を送り込み、彼らが定住した地域では、先住民族と土地を巡る争いが起こっています。軍の威光を背景に、ベンガル人入植者による殺人や焼き打ち、またレイプなどが頻発し、先住民族の人々は、恐怖と隣り合わせで生活しています。
このような状況については、一応の知識はありましたが、強い問題意識を持つきっかけをくれたのは、ジュマ・ネット代表の下澤嶽氏と事務局の佐藤未希さんです。佐藤さんは私が日本外国語専門学校で教員をしていた時の教え子です。青年海外協力隊員としてバングラデシュで活動した後、ジュマ・ネットに参加。議員会館に現地の状況を説明に来てくれました。

1081ぐらもん:2010/01/13(水) 23:02:26
http://blog.goo.ne.jp/xday0321/e/2a1ba0da3c495f7f7a26224613043be4

2.政治家としてできることは?

 アワミ連盟は2008年の総選挙で圧勝し、政権交代を実現しました。1997年に締結された和平協定の実施をマニフェストで約束し、軍の撤退などを開始しましたが、和平プロセスは停滞しています。ジュマ・ネットは、世界各国のNGOと連携して和平協定の実施を求める署名を集めているのですが、佐藤さんたちは、それらの署名をバングラデシュのクシナ首相に手渡しする役を私に依頼してくれました。政治家としての役割を担うありがたい申し出だと思いましたが、現地を見ずして現地の和平協定推進を要望することなどできません。この時期は、海外に行くこの冬唯一のチャンス。17日から22日まで、急きょ現地に行き、できる限り多くの人々と対話することにしました。
最初はジュマ・ネットとともに活動する現地コーディネーターとふたりで行く計画を立てていましたが、現地の日本大使館が要人とのアポイントなどを担当してくださることになり、また、現地で活動するUNDP(国連開発計画)が、車両や通訳を提供してくれました。国会議員の視察とのことで、警察官車両のエスコートが着きましたが、私たちの活動に制約を与えるものではありませんでした。
 私の要望で、朝から晩までスケジュールをビッシリ埋めてもらいできる限り異なる立場の人と対話する機会を作ってもらいました。地域の様々なプロジェクトの担当者やカグラチャリ、ランガマティ、バンドルバンの3つの県知事、マルマ族、チャクマ族の二人の王様、また、チッタゴン丘陵省担当大臣に会うことができました。(ノーベル平和賞受賞者である経済学者、ムハマド・ユヌス教授にも会うことができました)さらに、多くの村々で、抑圧される側の多くの先住民族の方々、また、安住できる地を求めて入植した同じように貧しいベンガル人の方々からも話を聞くことができました。
日本から初めて来た国会議員であること、そして、私自身がカンボジアやモザンビークで、先住民族の村に住んだ経験があることもあり、各地での対話ではとても話が弾みました。純朴でホスピタリティーにあふれた住民からは、あらゆる場所で花束や踊りなどで大変な歓迎を受けました。

1082ぐらもん:2010/01/13(水) 23:04:53
http://blog.goo.ne.jp/xday0321/e/fc278c112c58c673612127f9f3e11c2a

3.土地問題の解決

 私が強く感じたこと、それは、土地問題=人権問題で、この解決が最優先課題であることです。まずは土地の保有権について綿密で公平な調査を行うことでしょう。その上で、土地の権利について、できる限り公平な裁定と、土地の権利を放棄せざるを得なかった方々への補償が行われなくてはなりません。一方、土地は増えませんから、増え続ける人口を支えるには土地の価値を最大化しなければなりません。可能性のひとつは、チッタゴン丘陵の自然や文化を活かした持続可能な観光開発、そして地域の特性を活かしたスパイスやハーブの生育など付加価値の高い農業を生み出し、農業周辺に第二次産業、第三次産業の雇用を作ることでしょう。観光開発は、平和を創造し、文化や環境を守る一員としての参加者に積極的な役割を求めるのです。
 「かつては紛争があったけれど、今は、異なる民族がお互いの違いを認め、尊重し合って生きる地域」そんな地域の和平プロセスを支えることをテーマにした観光。紛争の歴史さえも観光資源するような逆転の発想があってもいいと思います。
また、バングラデシュは勤勉な国民性と人件費の安さもあり、今、ユニクロをはじめとする日本の縫製工場などの進出ラッシュを迎えています。この地域が平和になれば、とりわけ勤勉な労働力として、先住民族が生きる可能性も広がるはずです。外務委員会の質疑、、国会を含む場での報告会の実施、そして、できれば他の議員を伴って署名を持っての再訪など、これからも和平プロセスの後押しを続けます。(了)

1084チバQ:2010/01/14(木) 22:40:21
ハイチ関連行きます
http://www.asahi.com/special/haiti/TKY201001130122.html
ハイチで大地震、数千人生き埋め情報 大統領官邸も倒壊2010年1月13日12時52分
 【ロサンゼルス=堀内隆】米地質調査所(USGS)によると、カリブ海にあるハイチで12日午後5時(日本時間13日午前7時)前、マグニチュード(M)7.0の強い地震が起きた。ロイター通信などによると、首都ポルトープランス周辺では大統領官邸や国会議事堂をはじめとする官公庁やホテル、病院などが軒並み倒壊し、一部が炎上。多数の死傷者が出ている。

 同通信は現地の米国人援助関係者の話として、数千人が生き埋めになっている可能性があるとの見方を伝えた。

 震源はポルトープランスの南西約15キロ。震源の深さは約10キロ。AFP通信によると、揺れは1分以上続き、強い余震も続いている。駐米ハイチ大使はCNNの電話取材に「(ハイチ)史上最悪。壊滅的被害だ」と語った。同大使と地震の直後に電話で話したハイチのプレバル大統領の側近は「建物が粉々になっている」と話したという。

 国連によると、国連平和維持活動(PKO)の国連ハイチ安定化派遣団(MINUSTAH)本部の建物が崩れ、多くの職員が行方不明になっている。MINUSTAHは2004年に設立され、武装警官が約9千人、約2千人の文民が所属している。

 隣国の在ドミニカ共和国日本大使館によると、ハイチの日本大使館が入っているビルの壁にひびが入って避難したが、館員5人と家族は無事。在留邦人10人の安否の確認を急いでいるという。

 ハイチは南北アメリカの最貧国で、人口約960万人。首都ポルトープランスには約200万人が暮らしている。

http://www.asahi.com/special/haiti/TKY201001130380.html
ビル、一瞬でつぶれる ハイチ地震、多数生き埋めか2010年1月13日20時25分

 【ニューヨーク=村上尚史】「ひどい無秩序の状態だった」。ハイチで12日起きた大地震で、現地で活動するカメラマンのダニエル・モレルさんは朝日新聞の取材に対してそう語った。

 現地で活動する米慈善団体の広報担当者によると、この団体の職員の目の前で5階建てのビルが一瞬でつぶれ、別の職員は大通り沿いにある住宅が次々と崩れていくのを目撃したという。

 倒壊した建物の下からは、うめき声などが聞こえてきた。地元住民のキャレル・ペデルさんは「血を流し倒れていた人が周りにたくさんいたが、誰も助けに走り寄らなかった」。

 市内のホテルに泊まっていた米国人写真家は、ニューヨーク・タイムズの取材に「ホテルの壁からはがれ落ちた破片に当たった歩行者が亡くなっていた。目の前のビルが崩れ、人々が生き埋めになっていた」と答えた。

1085チバQ:2010/01/14(木) 22:41:56
http://www.asahi.com/special/haiti/TKY201001140174.html
ハイチ地震、死者数万人の恐れ 刑務所倒壊し受刑者脱走2010年1月14日11時50分
 【サントドミンゴ(ドミニカ共和国)=堀内隆、ニューヨーク=丹内敦子】ハイチで12日起きた大地震は、死者が数万人規模に達する恐れが出てきた。同国のプレバル大統領は13日、死者数について「3万人とも5万人とも聞いている」と米CNNテレビに語った。通信回線が壊滅し被害状況をつかめない中、救援活動が始まった。

 ベルリブ首相は、倒壊した建物の範囲からの推計として死者数が「10万人を優に上回る」とCNNに語った。ラトルチュ上院議員はAP通信に「50万人が死亡した可能性がある」と語った。

 国連によると、国連平和維持活動のハイチ安定化派遣団の要員16人が死亡。うち11人がブラジル軍兵士だった。司令本部も倒壊し、100人以上ががれきの下にいるという。代表のアナビ国連事務総長特使が死亡したと伝えられたが、国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長は「確認できていない」と語った。

 米政府によると、首都ポルトープランスの空港は管制塔の機能が失われ、輸送機が離着陸できるか不明。また港の桟橋が壊れ、支援物資の陸揚げに支障が生じている。隣国ドミニカ共和国の日本大使館によると、ハイチの刑務所が倒壊し、受刑者が脱走している。

 世界銀行は13日、地震の被害額は「少なくともハイチの国内総生産の15%分に達するのではないか」との見方を示した。世銀は1億ドルの緊急支援を行うと発表、国連も1千万ドルを拠出すると表明した。

http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/disaster/2682750/5162893
ハイチ大地震、国連職員100人超が行方不明
2010年01月14日 21:36 発信地:ジュネーブ/スイス
【1月14日 AFP】マグニチュード(M)7.0の大地震から2日が経過したハイチで、100人を超える国連(UN)関係の職員が行方不明となっている。

 14日の国連人道問題調整事務所(Office for the Coordination of Humanitarian Affairs、OCHA)のエリザベス・バース(Elisabeth Byrs)報道官の発表によると、連絡が取れない外国人職員が100人を超えている。また、ハイチ人職員の安否についてはまったく情報がないという。

 首都ポルトープランス(Port-Au-Prince)にある国連ハイチ安定化派遣団(MINUSTAH)の本部ビルは、12日の地震でつぶれ完全に崩壊した。広範囲にわたり打撃を受けた首都周辺では、その他の国連機関のオフィスにも被害が出ている。

 世界食糧計画(World Food Programme、WFP)は14日、本部の建物は「かろうじて建っている」ものの、現地職員20人と連絡が取れていないと発表している。(c)AFP/Lehaz Ali

1086チバQ:2010/01/14(木) 22:43:02
http://www.asahi.com/international/update/0114/TKY201001140380.html
ハイチ震災08年に論文で警告 専門誌に「M7.2級」2010年1月14日21時27分
  
 ハイチの首都直下で起きたマグニチュード(M)7.0の大地震を起こした活断層について、かつて調査した米仏やハイチの研究チームが2008年、地震の危険性を論文で警告していたことがわかった。

 米地質調査所などによると、今回の地震で動いたのは、東西に続く「エンリキロ断層」の一部とみられる。ジャマイカからハイチのあるイスパニョーラ島南部にかけて延び、約200キロにわたって地表に表れている。

 米パーデュー大やハイチ鉱山エネルギー局などの研究チームは、GPS(全地球測位システム)による地殻変動の測定結果などをもとにこの活断層を調べ、08年7月、地球物理専門誌「ジオフィジカル・ジャーナル・インターナショナル」に発表。活断層がハイチで最後に大きな地震を起こしたのは1751年(M7.5)で、それ以降に蓄積されたひずみが現時点で解放された場合、「M7.2程度の地震になりうる」と警告した。

 ハイチのあるイスパニョーラ島は北米プレートとカリブプレートがぶつかり合う付近に位置しており、プレートの動きに伴ってひずみがたまりやすく、断層活動が活発とされている。(松尾一郎)

http://mainichi.jp/select/today/news/20100115k0000m030066000c.html?link_id=RTH02
ハイチ大地震:「早く助けて」被災者野ざらし 飲み水なく
2010年1月14日 19時42分 更新:1月14日 21時42分

 【ヒマニ(ドミニカ共和国西部)庭田学】野ざらしのまま肩を寄せ合う被災者の群れは、「屋根のない難民キャンプ」と化している。大地震に襲われたカリブ海の島国ハイチからの情報によると、米州の最貧国は機能停止に陥り、首都ポルトープランスでは被災2日目の13日夜になっても満足な収容施設はなく、飲み水さえ手に入りにくい状態が続いている。「誰か、早く助けてくれ」。飲まず食わずで援助を待ち望む人々の悲痛な声が満ちている。

 13日夜、首都中心部のシャンドマルス広場。AFP通信によると、着の身着のまま集まった被災者らは、救援機の飛来を待ちわびて空を見上げていた。水や食料はまったく足りない。排せつ物のにおいが立ちこめる通りには遺体が積み上げられ、がれきの下には手つかずの遺体ものぞく。

 「助けてくれる国が無くなってしまったんだ」。男子大学生は崩壊した大統領宮殿に目をやる。独裁時代が続いたハイチでは社会インフラの整備が遅れ、民政移管後も後遺症を引きずってきた。大地震は、脆弱(ぜいじゃく)な政府をあっけなく機能停止に追い込んだ。

 公務員の男性は「24時間、誰も水一杯さえ届けてくれない」と嘆く。ある男子学生はスーパーから米と水を盗んだと明かした。多くの被災者が、広場の噴水の汚れた水で渇きを癒やしている。

 「崩れかかった家では恐ろしくて眠れない」と話す看護師の女性は、「収容施設は無く、雨が降ったら大変だ。身を寄せる場所はない」と語った。

 AP通信は、一部の地域で食料の略奪が起きたと報じた。公衆衛生の専門家はデング熱やマラリアなど感染症の拡大リスクを懸念している。最優先の捜索・救援活動に加え、今後は治安・衛生面への対応も迫られそうだ。

1087チバQ:2010/01/14(木) 22:44:35
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2010011400880
中国が「地震外交」=台湾にらみハイチ救援
 【北京時事】ハイチ大地震で、中国政府はいち早く国際救援隊を派遣し、赤十字を通じて100万ドルの緊急援助を表明した。国連平和維持活動(PKO)に参加している中国の隊員8人が建物の下敷きになったという事情もあるが、台湾と外交関係を持つハイチに対して、PKOだけでなく、地震の救援でも中国の活動をアピールし、ゆくゆくは外交関係樹立につなげたい思惑もありそうだ。
 中国外務省の姜瑜副報道局長は14日の記者会見で「中国政府は海外にいる中国公民の安全を重視しており、どこにいても困難や危険に遭遇しているなら、全力で支援する。台湾同胞も積極的に助けたい」と外交関係を度外視しても自国民保護に当たる姿勢を強調した。(2010/01/14-20:03)

1088チバQ:2010/01/14(木) 22:47:39
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/100114/dst1001141614015-n1.htm
【ハイチ大地震】「死は至るところにある」米メディア、続々現地に (1/2ページ)
2010.1.14 16:14
 【ニューヨーク=松尾理也】大地震に見舞われた中米ハイチは、目を覆うばかりの惨状と混乱の最中にある。地震発生から一夜明けた13日、首都ポルトープランスに続々と入った米メディアの報道をもとに、現地の状況を伝える。

 すべての商業便の運行がストップしているポルトープランス国際空港。群衆に交じって、白いシャツを着たプレバル大統領がいた。CNNテレビのインタビューに答えた大統領は「大統領府は倒壊した。ここ(空港)なら仕事ができるかと思ってきたが、ここも安全ではない。だから、今から帰る」という。

 「どこへ?」

 「自宅も壊れた。行くところはない」

 「大統領が今夜、寝る場所もないとは!」

 「寝る場所は問題ではない。人々をどう救い出すか、それが問題だ」

 奇妙な笑みさえ浮かべ、大統領は淡々と答えた。

 CNNは、夜になっても余震による家屋の倒壊を恐れ屋内に戻ろうとしない状況を伝えた。ざわめきの中に、銃声が混じる。治安の乱れも大きな不安材料だ。

 CBSテレビのキャスター、ケイティ・クーリックさんも現地入りした。訪れたのは首都のシティバンク支店。「3階建てのビルがパンケーキのようにつぶれています。3人が死に、5人が生き埋めになっています。しかし、あまりに被害が広範囲すぎて、救助が来る見込みはありません」

 ニューヨーク・タイムズ紙の記者は国際医療援助団体「国境なき医師団」の事務所を訪れた。1人の男性が、嘆願していた。

 「ただ、妻の遺体を渡してほしいだけなんです」

 だが、訴えを気にとめるスタッフはいない。医師たちは一心不乱に次々に運び込まれてくる患者の手当てにあたっている。事務所の入り口では警備員が、群衆の乱入を防ぐので精いっぱいだ。

 フランス人ボランティアが、いらいらした様子で「どうしようもないんです。あなたと話す時間もありません」と男性に告げた。男性は「忙しいのはわかる。でも、ここには死体でいっぱいになった部屋があるのに、私は入れてもらえない」とうなだれた。

 ウォールストリート・ジャーナル紙の記者は、倒壊を免れた自宅の前でぼんやりと座っている女性に声をかけた。女性はがれきとなった隣家を指さし、少なくとも4人の子供が埋まっていると告げた。「子供たちは水をほしがり、助けてくれと頼んだ。でも、なんの道具もないから無理。救助チームはどこにいるの?」

 米国から農業指導のためハイチ入りしているジョン・バーンズさんは市内を4輪駆動車で回りながら、同紙記者に「まるでホラー・ショーだ。いたるところに死体が転がっていて、いくつかは覆いも掛けられていない」と話した。

 AP通信は「小さな子供の遺体が学校わきに積み上げられ、道端に放置された女性の遺体にハエがたかっている。大統領府をはじめ建物は軒並み倒壊して、死は至るところにある」と伝えた。

1089チバQ:2010/01/14(木) 22:49:57
http://www.asahi.com/international/update/0114/TKY201001140175.html
 【サントドミンゴ=望月洋嗣】倒壊したビル近くの路上に、白い布をかけただけの数十体の遺体が並ぶ。大通りの歩道には、子どもの遺体が無造作に横たえられている。傍らで、血を流す被災者が天を仰ぐ。救急車も医師も圧倒的に不足し、生存者はあてどなく街をさまよっている。

 地震発生から一夜明けた13日、ポルトープランスに入った隣国ドミニカ共和国のメディアが惨状を映像で伝えた。CNNのキャスター、アンダーソン・クーパー氏は現地から「数分歩いただけで二十数人の遺体を見た」と話した。ある救助関係者は「何千もの人々が通りにあふれ、泣き叫び、血だらけの遺体を抱え、助けを求めている」とウェブサイトに投稿した。

 AFP通信などによると、「中心街はほとんど壊滅状態」。病院の多くは倒壊するか損傷が激しく、電気や水も足りない状態で、あふれかえる被災者に対応できない。

 一方、ロイター通信は、生き埋めになったカナダ人女性が救出されたと伝えた。携帯電話とみられる機器で送ったメッセージが母国のオタワで受信され、その情報がハイチのカナダ人外交官に伝わり、奇跡的に見つかったという。


http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-13335520100114
ハイチ地震、在外ハイチ人社会に募る不安といらだち
2010年 01月 14日 12:15 JST
 [ニューヨーク 13日 ロイター] ハイチで12日に発生した大地震を受け、家族や知人と連絡が取れなくなっている国外のハイチ出身者の間に不安やいらだちが広がっている。
 10万人以上のハイチ人が暮らす米ニューヨーク市のレストランで働くアントワネット・ラマンドさん(48)は、地震から一夜明けた13日、「私の両親も5人の子供も友人も皆ハイチにいる。だが私にできることは何もない」と涙ながらに語った。

 また、ボストンで働くモリス・シルベスターさん(48)は、ハイチの地震を伝えるテレビニュースを見ながら「あちらに家族がいる。一晩中電話をかけ続けた。被災地には母も7人の親族もいるが、電話は誰にもつながらず、本当にやりきれない」と述べた。

1090チバQ:2010/01/14(木) 22:54:00
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100114-00000036-san-soci
【Web】ネットに自由を!「海賊党」拡大
1月14日7時56分配信 産経新聞

 ■EUでは議席も獲得 “ゆるい”組織と活動

 インターネット上のファイル交換や海賊版CDの合法化などを主張する政党「海賊党」が、欧州や南北アメリカ各国で次々と設立されている。主な支持層は30代以下のネット世代で、欧州連合(EU)の議会では議席も獲得した。しかし、そうした国際的な広がりにもかかわらず、「司令塔」は不在。従来の政党に比べ、組織・活動面での“ゆるさ”が際立っている。(大内清)

 「おれたちは海賊だ!うおお…」。ドイツ海賊党の広報担当、シモン・ランゲ氏は産経新聞の取材に対し、メールでこう“ほえた”。「既存政党はわれわれを恐れる必要がある」。昨年9月の総選挙で国の助成対象となる得票率2%を達成しているだけに、その言葉には力がある。

 ◆「P」が旗印38カ国以上

 海賊党は2006年、スウェーデンで設立された。主張の柱は、私的目的でのコンテンツのコピーやファイルシェア自由化▽著作権保護の期間短縮▽ネット空間のプライバシー保護▽製薬関連の特許制度廃止−など。これらを通じ、自由な社会を実現するという。

 この年の同国総選挙では得票率1%未満だったものの、昨年6月の欧州議会選でスウェーデンに割り当てられている18議席のうち1議席を獲得(同12月のEU新基本条約「リスボン条約」発効に伴う定数増で2議席目獲得)。これに触発されて世界的に動きが広がり、現在では政党として非公認のものを含め、38カ国以上で活動している。

 多くが同様の主張を掲げ、本家・海賊党のシンボルである「海賊(pirate)」の頭文字をデザイン化したロゴをアレンジして使用している。

 ただ、各国海賊党を束ねる上部組織は存在しない。

 スウェーデン海賊党が幹事役を務める「海賊党インターナショナル」は、あくまでも情報交換の場で、「(各海賊党間での)資金面や人材派遣などの協力関係はない」(オーストラリア海賊党のデビッド・クラフティ氏)。普段の活動もボランティアによる「口コミ」がほとんどで、広範な分野で政策を訴え、集票につなげる従来政党の組織とは一線を画す。

 ◆30代以下が支持母体に

 にもかかわらず、海賊党が勢力を拡大しているのはなぜなのか。「若者が大政党を信頼していないから」とランゲ氏はみている。

 だが、スウェーデンでは昨年4月、著作権侵害を助長したとして大手ファイル交換サイト「パイレート・ベイ」創業者らが有罪となった直後に30代以下の支持者が急増。ドイツでも、ネット上の児童ポルノ取り締まり法案の審議をきっかけに支持が伸びている。ネットの恩恵を享受してきた世代が規制に反発した結果、同党への投票につながった格好。国防や教育といった重要課題では目立った政策は打ち出せていない。

 ネット問題に特化した単一争点政党であるとの批判に対しては、ランゲ氏も「今後は多くの問題で政策を提示していく」と歯切れが悪い。一時のブームで終わるのか、それとも社会運動として定着できるのか、海賊党の“羅針盤”はまだ定まっていないようだ。

1091チバQ:2010/01/14(木) 23:16:49
http://mainichi.jp/select/world/news/20100114ddm007030089000c.html
ハイチ地震:最貧国を直撃 長い独裁、防災に遅れ 国連部隊被害、治安悪化の恐れも
 【メキシコ市・庭田学】西半球の最貧国ハイチの首都ポルトープランスを直撃した大地震は、独裁時代の無策による脆弱(ぜいじゃく)な社会インフラや防災対策の立ち遅れによって、近年にない大被害をもたらした。治安維持のため駐留している国連部隊にも被害が及んでおり、被災者支援の遅れなどで不満が募れば、食糧高騰に伴う08年4月の暴動のような社会的混乱に陥る可能性もある。

 20世紀後半以降、独裁政権が相次いだハイチでは、民政移管とクーデターが繰り返されるなど、今も独裁の後遺症を引きずっている。米ソ冷戦時代に軍事独裁政権を経験した他の中南米諸国が90年代以降、民主主義を定着させたのとは対照的に、ハイチ国民はいまだにその恩恵を受けていない。このため、防災対策も立ち遅れており、ハリケーンが直撃するたびに大きな被害を出してきた。

 08年秋には暴風雨で約800人が死亡。道路や橋などが破壊されたほか、農作物も大打撃を受け、15万人が数カ月の避難生活を余儀なくされた。同じハリケーンに遭いながら、陸続きの隣国ドミニカ共和国に比べて深刻な被害が出る傾向にある。

 今回の地震では、電話などの通信網がほぼ壊滅したほか、AFP通信によると大統領宮殿や国会、省庁まで損壊した。

 また、食糧供給も不安定な状態だ。08年4月にはコメなどの価格高騰によって暴動が発生し、死者を出すなど、社会の不安定さを改めて露呈していた。

 ハイチには04年以降、ブラジルやチリなど主に中南米諸国からの要員で構成される国連ハイチ安定化派遣団(MINUSTAH)が駐留し、治安の維持に目を光らせている。今回の地震では派遣団本部の建物も大きく損壊し、下敷きになったり、連絡がつかなくなった要員も出ている。

 ハイチの治安は他の中南米諸国に比べても悪いため、警察能力の低下に伴い治安情勢が一層悪化する可能性も指摘されている。

 AP通信によると、欧州の民間支援団体は昨年3月、「ハイチ国民の生活が改善されないと、治安がさらに悪化する」と指摘。食料不足などの貧困問題が、市民の暴徒化などの社会不安につながっていると指摘していた。

 フランスの植民地だったハイチは、フランス革命(1789年)の影響を受け、1804年に中南米カリブ諸国で最初に独立した。19世紀にはドミニカ共和国に軍事侵攻するなど国力を誇った時期もあったが、独裁政権が相次いだ20世紀後半から国土は荒廃。米州の最貧国に転落した。多くのハイチ人が貧困から逃れるためドミニカ共和国に不法入国する事態となっている。

 米国の研究者、ジャレド・ダイアモンド氏は著書「文明崩壊」の中で、ハイチ荒廃の原因について、1957年から86年まで続いたデュバリエ父子による独裁政治を挙げる。独裁者が私腹を肥やすことに終始したため、インフラ整備は放置された。この無策によって自然災害に脆弱な社会構造になってしまったというわけだ。ドミニカ共和国にも独裁政権時代があったが、インフラ整備は進められ、ハイチだけが中南米カリブ海諸国で取り残された。

1092チバQ:2010/01/14(木) 23:17:12
 ◇前回は18世紀、地殻にひずみ蓄積
 今回の大規模地震を起こした断層が震源となった地震は18世紀半ばまでさかのぼる。カリブ海では、複数のプレート(岩板)が複雑にせめぎあう場所に位置するため、マグニチュード(M)6〜7規模の地震が繰り返し起きているが、ハイチは地震発生の空白域になっていた。また、地震のタイプは阪神大震災と似ていることが分かった。

 カリブ海に東西に並ぶドミニカ共和国、ハイチ、ジャマイカの各島国は北米プレートとカリブプレートの境界付近にある。ドミニカでは1946年に発生したM8・1の大地震で約100人が死亡した。ジャマイカでは1907年にM6・5の地震で約1000人が死亡した。

 しかし米地質調査所によると、ハイチ周辺では最近の数十年間には大きな地震は起きていない。東京大地震研究所が文献を調べたところ、今回と同じ震源地での地震は1751年だった。同研究所の大木聖子助教(地震学)は「ハイチはしばらく地震が発生していない。いわば地震の空白域だった」と話し、地殻に地震を起こすひずみが蓄積していたとみられる。

 一方、地震の規模は95年の阪神大震災のM6・9(米地質調査所調べ)とほぼ同じM7・0だった。今回の震源の深さが約10キロだったのに対し、阪神大震災は16キロ。地震の発生メカニズムも、地盤が主に左右にずれる横ずれ断層という点も共通している。被害が拡大した理由は、大都市直下で発生したために、多数の建物が崩壊し、多くの死傷者が出たとみられる。

 日本地震工学会は被害の実態と原因を探るため、調査団を派遣する予定だ。浜田政則会長(早稲田大教授)は「現地映像を見ると、鉄筋コンクリート造りの建物が多く崩壊している。途上国で起きた地震被害の典型で、建物の耐震性が低かったのではないか」と話す。【石塚孝志】

1093名無しさん:2010/01/15(金) 12:58:19
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2010011502000066.html
ハイチ 過酷な歴史 政変、災害 復興の道険しく
2010年1月15日 朝刊

 【ニューヨーク=加藤美喜】中米ハイチを直撃した大地震は西半球最悪とされる貧困状態から抜けだそうともがく同国を、どん底に突き落とした。首都ポルトープランスでは、十四日も救助活動はなかなか進まず、路上には多くの死傷者が放置されたまま。衛生状況や治安の悪化は深刻で、復興の見通しは立っていない。

 「食料、水、避難所が必要だ。がれきの下から人々を助けなければならない」。国連の潘基文(バンキムン)事務総長は十三日、悲惨な状況を訴え、国際社会の援助を求めた。

 十九世紀初頭、中南米諸国で最初に独立を遂げたハイチは世界初の黒人共和国として脚光を浴びた。ところが、相次ぐクーデターや武力衝突で政情不安が常態化。二十世紀半ば以降のデュバリエ父子による独裁政権では、約三十年にわたる強権政治と腐敗により経済活動が停滞、インフラ整備も放置された。

 一九九〇年に初の民主選挙が実施された後も政権は安定せず、二〇〇四年からは国連平和維持活動(PKO)の国連ハイチ安定化派遣団(MINUSTAH)が駐留している。

 カリブ海に浮かぶハイチは山がちな地形で、かつては緑豊かな国だった。しかし、燃料用の違法伐採が横行し、現在では森林は国土のわずか2%に減少。丸裸になった山の急斜面にぜい弱な構造の住居が密集、大雨が降るたびに洪水や地滑りで甚大な被害が出る悪循環となっている。〇四年のハリケーン「ジーン」では二千人以上が死亡。〇八年にも、計四回のハリケーン被害で千人以上が死亡した。

 一人当たりの国民総所得は五百六十ドル(〇七年)で、国民の七割以上が一日二ドル未満、半数以上が一ドル未満で暮らす。貧しい国民の多くが栄養失調にあり、〇八年の食料危機では暴動が発生した。

 警察組織は貧弱で、誘拐や強盗などの凶悪犯罪がはびこる中、治安維持は国連に頼らざるを得ないが今回の地震で国連施設も崩壊。各国の支援が遅れれば、無政府状態に陥る恐れもある。

◆中国『地震外交』 台湾にらみ?異例の早急援助
 【北京=池田実】中国政府は大地震に見舞われたハイチへの救援隊派遣をいち早く決定、十四日には現地で活動を始めた。ハイチは中国と国交がなく台湾と外交関係を持っており、緊急派遣により両岸(中台)関係で有利な立場に持ち込もうという中国政府の狙いも見え隠れしている。

 捜索や医療の専門家など六十人からなる救援隊は地震発生から約十三時間後には北京を出発。中国赤十字会も百万ドルの緊急援助を決定するなど、今回の地震に対し矢継ぎ早に支援策を講じている。

 中国外務省の姜瑜副報道局長は「人道援助」と強調するが、ハイチなど中米は中国と台湾の外交合戦の「主戦場」のひとつとなっている。このため中国側としては、緊急派遣をハイチとの関係を構築する契機にしようとの考えもあるとみられる。

 ハイチには国連平和維持活動(PKO)として百二十五人の中国人隊員が派遣されており、このうち八人が生き埋めとなったとの情報も出ている。

1095名無しさん:2010/01/15(金) 13:00:06
http://jp.wsj.com/World/node_22609
空港は満杯、港は崩壊=ハイチ救援活動進まず
2010年 1月 15日 10:13 JST
 大地震に見舞われたハイチに向けて多くの国際支援物資や人間が差し向けられようとしているが、港が崩壊し、滑走路1本の国際空港は着陸するスペースもなく、通信システムは途絶していることから、支援は被災者の手に届いていない。



燃料を買い求める人々の行列(14日、ポルトープランス)
 首都ポルトープランスのトゥサン・ルベルチュール国際空港は動きが取れない状態だ。米連邦航空局(FAA)は軍用機も含むすべての米国発の航空機に午後6時(米東部標準時)までの地上待機命令を出した。

 同空港の駐機スペースは限られており、多くの軍用機や人道支援のための航空機は既にここにとめられている。エプロンには12機ほどがいて、これとは別に20機が草原にとまっている。空港では燃料もなくなり、ここに向かう航空機は給油しないでもすむように燃料を満タンにしてこなければならない。

 FAAによると、救援機が多すぎてハイチの管制官はポルトープランスに来る多数の航空機をさばききれないという。FAAの広報担当者は空港は「飽和状態」だと述べた。管制塔は機能していない。米軍が代わりに管制をしている。数千人の被災者が空港に非難しているが、電気はほとんどない。

 空港には既に少なくとも4000トンの援助物資が到着している。国際援助団体「セーブ・ザ・チルドレン」のタニヤ・ワインバーグさんは「問題はこれを運び出せないことだ」とし、「航空機から荷下ろしができないのだ」と話した。

 セーブ・ザ・チルドレンはドミニカ共和国から二つのグループを派遣したが、到着できたのは一つだけだった。使った航空機は希望したよりも収容能力が小さく、重量オーバーとなるため水や食糧などは置いてきたという。

 セーブ・ザ・チルドレンによると、空港から市内に通じる道は今のところ使える。いくつかの大使館ががれきを取り除いてくれたのだ。

 問題を難しくさせているのは、支援物資を海上輸送できないということだ。マースクライン社のマリー・アン・コトラリッチさんによると、ハイチの主要港は崩壊状態で使用できない。メインドックは一部が沈み、コンテナの上げ下げに使うクレーンも一部が水中に没したという。クラウリー・マリタイム社のマーク・ミラーさんは「今のところいい考えは何もない」と述べた。

 マースクラインは大型船から小型船にコンテナを降ろして陸揚げするやり方をしている。この小型船はポルトープランス沖合に停泊しているが、同社はまだこれをどう使うか決めていない。

 今のところ米海軍は物資を陸揚げできるヘリコプターを持っており、またハイチに入っている米空軍には一部の積み荷を陸揚げするための装備がある。

 外国からの多くの救援隊の活動をどう調整するかはまだはっきりしていない。国連は3000人の部隊をポルトープランス周辺に置いており、米軍はさまざまな任務を帯びた3500人を派遣している。潘基文国連事務総長は14日朝方、米軍部隊は国連の指揮の下に入るのかとの質問に対して、指揮系統はまだ決まっていないと明らかにした。

 オバマ米大統領は、非軍事海外援助を任務とする国際開発局(USAID)に支援活動の調整役を命じた。これにより、ハイチで活動する米当局者の最高位はラジブ・シャーUSAID局長ということになる。

 援助組織オックスファム・インターナショナルの広報担当者は、インターネットや携帯電話などの通信手段がないため救援活動は進んでいないと述べた。同担当者によると、ハイチの当局者は救援活動の遅れを非難しているが、通信手段があれば活動は今よりももっと迅速に進められるはずだと強調した。

1096名無しさん:2010/01/15(金) 19:39:54
http://www.jiji.com/jc/c?g=int&rel=j7&k=2010011500561&j1&j1
首都の航空管制再開=米空母で支援展開へ−被災4日目、絶望広がる・ハイチ
 【サントドミンゴ(ドミニカ共和国)時事】ハイチを襲った大地震から15日で4日目。首都ポルトープランスでは同日までに、国際空港の航空管制が米国管理下でようやく再開された。米国務省報道官が明らかにした。これにより24時間運航が可能となり、支援物資の搬入や緊急救援隊の受け入れ態勢が飛躍的に向上することが期待される。
 同空港は滑走路が1本しかなく、着陸した航空機が再び離陸するのを待つ別の航空機や救助ヘリコプターが、上空旋回で順番待ちをする場面も見られたという。このため、離着陸を一時制限する事態も起きた。
 一方、ハイチに向かっている米原子力空母カール・ビンソンについて、米軍当局者は食料や水などの必需品を運搬し、救助隊を搬送するヘリの発着拠点とする方針を表明。被災者に支援物資が行き届かない中で、空港以外の拠点確保で迅速な支援展開を目指す方針だ。
 首都などでがれきの下に埋もれた被災者の救助活動は続いているが、重機や人手不足は依然として深刻だ。生存者救出の分岐点ともいわれる地震発生72時間の経過が迫っており、ロイター通信によれば、自宅アパートの崩壊を生き延びた19歳の男子学生は「誰も(他の人を)助けに来てくれない」と肩を落とし、被災者の間では絶望にも似たムードが漂い始めた。(2010/01/15-16:35)

http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010011501000597.html
ハイチで水、医薬品不足が深刻に 輸送路寸断で
 【ヒマニ(ドミニカ共和国西部)共同】大地震に見舞われた中米ハイチでは15日、各国の救援チームによる捜索活動が本格化、救援物資も到着し始めた。同日夕には発生から丸3日となるが、輸送路寸断などで物資は被災者の元にほとんど届いていないのが実情で、飲料水、医療品の不足は深刻になりつつある。

 国連やAP通信によると、最大被災地の首都ポルトープランスでは、空港に14日正午までに米国、フランスなどの救援機約60機が到着。しかし物資は、輸送路の問題に加え、物資の仕分けや配布の要員不足から、ほとんどが空港などに積まれている。空港は管制塔が倒壊したが、米軍管理下で機能を維持。港湾は被害が大きく、使用できない状態という。

 一方、被災地では水道や電気などのインフラが破壊されたため、飲料水が極端に不足。ポルトープランス近郊でトラックで飲料水を配っていた援助関係者はAPに「住民の間で水を求めて争いになっている」と指摘した。

 現地の病院や診療所は既に負傷者でいっぱいで、医薬品も不足。屋外に山積みされている遺体も多い。

2010/01/15 17:14 【共同通信

1097名無しさん:2010/01/15(金) 19:41:06
http://sankei.jp.msn.com/world/america/100115/amr1001150818000-n1.htm
【ハイチ大地震】すでに7千人を埋葬 支援進まず、略奪始まる (1/2ページ)
2010.1.15 08:18

14日、ハイチの首都ポルトープランスで、地震で破壊されたスーパーマーケットから食料品を略奪する人たち(ロイター) 【ニューヨーク=松尾理也】大地震に見舞われた中米ハイチでは14日、欧米などからの緊急援助チームが相次いで現地に到着。依然、被害の全容がつかめない中で、がれきの下敷きになっている住民などの救援活動を始めたが、倒壊した家屋が道路をふさいでいるため迅速な展開ができず、現地のいらだちが高まっている。

 AP通信によると、13日から14日にかけて約60機、約2000人の緊急援助チームが首都ポルトープランス空港に到着。すでに到着している中国、米国の救援チームなどとともに、被災者の救出作業に着手した。

 しかし、次々に到着する支援機からの物資の搬出が間に合わず、一時、空港滑走路の空きがない状態になり、米連邦航空局(FAA)は14日午後、米国からの航空機の着陸をすべて禁止する措置を発表するなど、混乱が続いている。支援物資も、市内各地で倒壊した家屋が道路をふさいでいるため、空港から運び出せない状態だ。

 被害の全容はまだ明らかになっていないが、ロイター通信によると、ハイチの赤十字当局者は、今回の地震による死者は4万5千〜5万人にのぼるとみられると述べた。また、プレバル大統領は「すでに7千人が特設の簡易墓地に埋葬された」と述べた。

 現地では住民による略奪も横行し始めたもようだ。倒壊した商店などを中心に、食料や水、医薬品などが奪われているという。屋外に放置された遺体の腐敗も深刻化しており、世界保健機関(WHO)は感染症発生の危険性を指摘している。

 国連の潘基文事務総長はこれまでに36人の国連職員、関係者の死亡を確認するとともに、依然として200人近くが不明のままと述べた。現地に展開する国連平和維持活動(PKO)部隊と現地警察あわせて約3千人が治安維持にあたっているが、広範囲の被害にはとても対応できず、空港など重要施設の警備にとどまっているという。

1098名無しさん:2010/01/15(金) 19:49:18
http://www.asahi.com/special/haiti/TKY201001150180.html
ガソリン不足、避難できない ハイチ、殺気立つ市民
2010年1月15日15時1分

ハイチの首都ポルトープランスで14日、食料配給に行列をなす人びと=ロイター

14日、倒壊した大統領官邸の前に集まる被災者たち=ポルトープランス、望月写す
 【ポルトープランス=堀内隆、望月洋嗣】大地震で社会が崩壊状態になったハイチで、大多数にはまだ救援の手は届いていない。人々の中には、脱出の道を探る動きもある。だが、移動の命綱となる燃料すら不足している。

 ヘリで首都上空にさしかかると、人々の流れが見えた。安全な避難先を探し、首都から脱出しようというのか、大きなカバンや布包みを頭に乗せたり、背中にかついだりした人たちが、黙々と通りを歩いていた。孤立した被災地から逃れるには、事実上、陸路しかないようだ。

 市内に入ると、少しでも情報を得ようと、ラジオを持って歩いている人たちを何人も見かけた。

 最も殺気だった空気が満ちていたのはガソリンスタンドだった。様々な容器を手にした人々でごった返していた。

 避難に使うバイクや車の燃料をいち早く調達したい人たちが、順番をめぐって言い争う。中年の男性は「朝5時から待っているんだ」といらだちをあらわにした。別の若い男性が、ポリタンクを手に「ガソリンさえくれりゃ、問題ないんだ。写真を撮るな」と記者に詰め寄った。

 震源に近い街レオガヌに住むジャンベルナールさん(31)も、オートバイに給油する順番を待っていた。

 自宅から離れた場所で地震に遭い、自分は無傷だったが、自宅は完全に倒壊。身内も何人かは行方が分からないままという。被災から2日、空き地に寝泊まりしている。「これから先、住む場所のあてもない。ガソリンも手に入らなければ身動きできない」と語った。

 報道によると、ポルトープランス空港は各国からの緊急援助機で駐機場所が不足。この日、着陸の順番待ちの飛行機が一時は10機以上首都上空で旋回する状態になり、ハイチ政府の依頼で米連邦航空局が商用機のハイチへの飛行を一時差し止めた。

 ハイチを訪問中、地震に遭った外国人らも足止め状態になり、空港ターミナル前で出国の機会をじりじりしながら待っていた。その中にいたフランス・パリ郊外に住むハイチ系男性が「電話を貸してくれないか」と頼んできた。ハイチに住む親族に会いに来て地震に遭ったが、パリの家族に連絡できないという。

 電話口の向こうで、無事を知った家族は泣きじゃくり、会話にならない様子だった。

1099チバQ:2010/01/15(金) 21:33:30
http://mainichi.jp/select/world/news/20100116k0000m030092000c.html
ハイチ大地震:「生存の限界」迫る 海外救援隊、活動困難
 【ポルトープランス庭田学】大地震が直撃したハイチでは、がれきに埋もれた人たちの「生存の限界」とされる発生後72時間が、15日夕(日本時間16日早朝)に迫った。だが、首都ポルトープランスで海外からのレスキュー隊は救出活動を本格的に始めたものの、被害は甚大な上、ハイチ政府による初動の救援活動がほとんど機能していなかったため、困難に直面している。

 ポルトープランスは平野部と丘陵地に分かれる。急斜面に密集して建てられた貧困層の家屋の被害が著しく、広範囲にわたり土砂崩れでつぶれている。倒壊した建物のため道路は寸断され、重機も足りない。

 現地の警察や消防などによる救援活動は、発生直後からほとんど見られていない。そもそも政情不安なハイチで、警察・軍が正常に機能していない背景がある。市内では平和維持活動(PKO)で駐留する国連部隊が治安維持のため頻繁にパトロールし、その傍らで住民がスコップを手に自力で大きながれきをかき分けている。

 AP通信によると、崩れ落ちた自宅のがれきの下から14日、9歳の女児の遺体が運び出された。数時間前まで助けを求める泣き声が聞こえ、近所の人たちも必死に彼女の名前を叫んでいた。だが、レスキュー隊は来ず、母親代わりだった女性は「警察も、誰もいない」と怒りを語った。

 14日の段階で埋葬された犠牲者は7000人とされ、ハイチ赤十字社は死者を4万5000〜5万人と推計。生き埋めになりながら、まだ生存している人も多数いるとみられる。

 14日までに米国、フランス、中国、スペインなどから救援隊がポルトープランス国際空港に到着。国連の潘基文(バン・ギムン)事務総長は同日、「最初の72時間が非常に重要だ。既に48時間が過ぎようとしている。我々はできるだけ多くの命を救わねばならない」と語り、各国にさらなる緊急支援を求めた。

1100チバQ:2010/01/16(土) 10:49:20
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100116-OYT1T00124.htm
国連頼み行政マヒ、配給なしゴミの山…ハイチ
 【ポルトープランス=吉形祐司】カリブ海の島国ハイチを襲った震災は、同国が頼みの綱としている国連にも大きな被害をもたらした。


 治安確保や民生向上を国連に全面的に依存していたハイチは、国連の活動が停滞した途端、行政機能もマヒ状態に陥った。

 「政府はすべて国連任せだった。震災は、現状を変える好機だ」

 首都ポルトープランス南西部で、取材中の記者に近寄ってきた運輸・通信省の職員(54)が声を張り上げた。「この国は、震災から国民を守ることを、何もしてこなかったんだ。これは政府の役人じゃなく、市民としての声だ」

 反政府勢力の台頭で、アリスティド大統領(当時)が国外脱出し、国連安全保障理事会が平和維持活動(PKO)「国連ハイチ安定化派遣団」の派遣を決めたのは2004年。派遣団は治安確保や民主化、選挙支援などを任務とし、06年の選挙を支援した。これにより、プレバル現政権が誕生した。

 国連はその後も、ハイチに軍・警察要員9000人、外国人職員490人、現地職員1200人と大量の人員を投入し、国家安定に向けた後押しを続けてきた。民生向上は、国連援助機関が担ってきた。

 ところが、今回の震災では、現地本部としていたホテルが倒壊。14日までに国連史上最悪の36人の死者が確認されるなど、国連自体が大きな打撃を受けた。

 家屋を失った市民は夜、ロウソクをともして広場や道端に座り込み、持ち寄ったわずかな食料を分け合うが、政府による支援はない。数万人が集まる大統領府前ですら、食料や飲料水の配給は行われず、道路もゴミの山だ。

 国連のデビッド・ウイムハースト現地報道官は14日、「市民は我々の助けを求めているし、それはわかっている。だが、我々は大規模に(救援活動を)できる状態ではない」と、苦渋の表情を浮かべた。

(2010年1月16日01時27分 読売新聞)

1102チバQ:2010/01/17(日) 00:01:40
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2010011600207
17日にウクライナ大統領選=決選投票にもつれ込む公算
 【モスクワ時事】ウクライナで17日、大統領選挙が実施される。世論調査では親ロシア派の野党・地域党のヤヌコビッチ党首が支持率でトップに立っているが、当選に必要な過半数の票を獲得できる可能性は小さいとみられ、ティモシェンコ首相との決選投票にもつれ込むとの見方が有力になっている。
 大統領選には18人が出馬しており、選挙戦最終日の15日、各候補は有権者に最後の支持呼び掛けを行った。2004年の「オレンジ革命」で誕生したユーシェンコ政権下で政治混乱が続き、国民の政治不信が深まる中、選挙戦は終始盛り上がりに欠けた。
 ヤヌコビッチ党首は前回大統領選でいったん「当選」したが、市民が不正集計に抗議する大規模デモを展開。やり直し選挙で敗北し、今回雪辱を目指す。
 同党首はロシアの与党・統一ロシアの党大会に出席するほどの親ロシア派で、ユーシェンコ政権下で険悪化したロシアとの関係修復を掲げる。
 ティモシェンコ首相はオレンジ革命の盟友だったユーシェンコ大統領との政争が続いた。金融危機対策も遅れ、選挙戦終盤に支持が伸び悩んだ。2位を確保した上で、決選投票で逆転を狙う作戦だ。
 本来、親欧米派と目されるティモシェンコ首相はロシア批判を封印。天然ガス供給問題ではプーチン・ロシア首相に接近を図っており、いずれの候補が勝ってもウクライナ次期政権はロシアとの関係正常化に動くとみられている。(2010/01/16-14:11)

1103チバQ:2010/01/17(日) 00:21:19
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20100116dde035030052000c.html
ハイチ大地震:届かぬ物資、高まる不満 食糧略奪や囚人脱走も
 【ポルトープランス庭田学】ハイチ大地震で首都ポルトープランスでは15日、各国の救援活動が本格化したが、支援物資が被災者に行き渡らない事態となっている。情勢が混乱を極めているうえ、受け入れ能力が不足しているためで、被災者からは支援の遅れに対する不満の声も高まっている。

 ポルトープランスの国際空港では同日、救援物資を積んだ輸送機が続々と到着する一方、多くの米国人が米軍機で母国へ脱出しようと空港に押し掛け、大混乱した。

 AP通信によると、空港にはこれまで米仏などの救援機60機以上が到着。しかし、滑走路は1本だけで、さらに駐機スペースや補給燃料がなく、救援機が着陸を断念するケースもあった。空港ターミナルは天井や壁の一部がはがれ落ちるなどの被害を受けた。また、周辺の道路はがれきであふれ、物資を届ける要員や方法が決まらず、被災者の手元に物資が届くのに時間がかかっている。

 空港には15日、オランダのレスキュー隊員63人も到着し、グループに分かれて被災地に散っていった。フォンデンベルク隊員は「地震発生直後にオランダを出発したが、空港の受け入れ能力の問題で到着が遅れた。今日も着陸するのに1時間半も上空を旋回した。一人でも多くの生存者を救うため、早く救出活動に取りかかりたい」と話した。

 一方、被災者の間では一部にしか支援物資が届かないため不満が高まっており、15日にはポルトープランスにある世界食糧計画(WFP)の食糧備蓄庫が略奪にあった。AP通信によると、WFPはハイチ国内でこの備蓄庫を含め約1万5000トンの食糧を保管していたが、広報官は「(略奪で)どれだけのものが盗まれたか、まだ分からない」と語った。

 また、AP通信によると、国際赤十字の広報官は15日、倒壊したポルトープランスの刑務所から囚人約4000人が逃げ出したと語った。市内では国連ハイチ安定化派遣団の部隊が頻繁にパトロールしているが、広報官は「住民の怒りは少しずつ高まっているようだ」と懸念を漏らした。

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1104チバQ:2010/01/17(日) 09:05:31
http://mainichi.jp/select/world/news/20100117ddm007030140000c.html
ハイチ大地震:ポルトープランスルポ 斜面の家、滑り落ち
 【ポルトープランス庭田学】ハイチ大地震による土砂崩れで多数の家屋が崩壊した首都ポルトープランスのボアパタタ地区。震災から4日目の15日、斜面に建てられた家々の多くは、谷に滑り落ちるように崩れていた。1万人近くの住民のうち、4分の1が犠牲になったとも言われている。急な斜面に地震を想定しないまま家屋を密集させたことが、被害拡大の一因になったようだ。

 「地下で爆弾が爆発したようだった。ブオーンという音とともに、地面の中から何かが飛び出してきたのかと思った」。ボアパタタ地区に住むブレスさん(70)は12日夕の地震発生時の様子をこう振り返る。体を前後左右に激しく揺さぶられて立っていられなくなり、気がついたら周囲の建物が崩壊していたという。ブレスさんは息子(18)や妹ら親族3人を失った。

 ボアパタタ地区には中流家庭の家屋が建ち並んでいた。見た目は比較的しっかりした建物のようでも、倒壊家屋のブロック造りの柱からのぞく鉄筋は貧弱で、揺れに弱い急斜面の家を支えるには不十分だったようだ。尾根に上がると、ほとんどの家が谷側に滑り落ちていた。

 尾根近くのザモールさん(21)の家も完全に崩壊した。10人家族の一家は幸運にも全員が下敷きを免れ、無事だった。しかし、急斜面に建てられた隣家では3人が死亡したという。

 尾根にあったキリスト教系の私立小学校では地震発生時、校舎内に児童や教師らがいた。校舎の屋根が崩れ、一部の児童は逃げ遅れた。校長のマネサ・ワンさん(27)は崩れた校舎の前で、「全校児童200人のうち20人が死んでしまった。このがれきの下にまだ誰かが下敷きになっているかもしれない」と話した。

 生き残った住民の多くは、斜面を登り切ったボアパタタ山の頂付近で避難生活を送る。自宅を失い、家族4人で肩を寄せ合う女性のチャーレイズさん(14)は「何が必要か」との問い掛けに、水、食料、衣類、薬と続けて、「家が欲しい」とつぶやいた。

 ◇日本の医療団、24人が現地へ
 ハイチの救援活動のため、日本政府が派遣する国際緊急援助隊医療チーム24人が16日夜、成田空港からチャーター機で出発した。また、日本赤十字社の近衞忠〓社長(70)も同日、民間機で出発、後続の日赤医療チーム8人は17日に出発する。

 国際緊急援助隊医療チームは外務省職員、医師、看護師ら。米マイアミまで飛び、訓練で米国に派遣されている航空自衛隊のC130輸送機に乗り換えて17日にもハイチ入りする。結団式で、団長で外務省の二石昌人・地域調整官(58)は「一人でも多くの命を救えるよう、心をこめて従事したい」と述べた。

 近衛社長は「現地を見たうえで、国際的な救援体制を考えたい」と話した。

 一方、日赤医療チームで連絡調整などを担当する大阪府支部の森正尚救護係長(41)も伊丹(大阪)空港から羽田空港へ向かった。95年の阪神大震災で初めて緊急支援活動をした森さんは「徹夜で神戸市内を回ったあの日が原点。経験を生かしたい」と語った。【斎川瞳、田中龍士】

 ◇30万人、自宅失う−−国連発表
 【ジュネーブ伊藤智永】国連人道問題調整事務所(OCHA・本部ニューヨーク、ジュネーブ)は15日、ハイチ上空からの視察結果などをもとに、震災状況を発表した。被災地は人口280万人の首都ポルトープランスを中心に、約350万人が住む地域に及んでいた。ひどい場所では50%の建物が倒壊しており、約30万人が家を失ったという。

 現地では生き埋めになった被災者の救出作業が最優先課題になっている。欧米や隣国ドミニカ共和国などが相次いで救助隊を派遣しており、広報担当者は「救出チームの人員はこれで十分なはずだ。むしろ医師の数が足りない」と話している。

 また、救出活動とともに、多数の遺体の処置が大きな問題になっている。気温が高く、疫病の発生なども懸念されている。

 一方、世界食糧計画(WFP・本部ローマ)も15日、被災者200万人分を目標に今後6カ月間、食糧支援を行う方針を明らかにした。資金として米国から既に2000万ドルが提供されたほか、インターネットを通じて世界中から個人の寄付金も集まりつつある。担当者は「燃料や水がないので、調理せずにすぐに食べられる物が必要だ」と話している。

 国連児童基金(ユニセフ・本部ニューヨーク)では、地震で親とはぐれたり親を亡くした子供たちを保護するため、登録リストの作成を始めている。

1105チバQ:2010/01/17(日) 09:06:21
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2010011702000072.html
衛生か 信仰か 路上に犠牲者放置 儀式前は触らせず
2010年1月17日 朝刊

 【ニューヨーク=加藤美喜】中米ハイチの大地震から四日がたった十六日、首都ポルトープランスでは依然として路上に大量の死者が放置され、衛生状況の悪化が深刻になっている。遺体処理が進まない背景には、被害そのものの大きさに加え、遺族感情への配慮やハイチ独特の民間信仰の影響を指摘する声がある。

 ハイチのビアンエメ内相は十五日、「これまでに五万人の遺体を収容した。死者は全体で十万人から二十万人に及ぶ可能性がある」と述べ、まだ多数の犠牲者が放置されている現状を指摘した。

 カリブ海の島国ハイチでは、日中の気温は三〇度近くにも上る。AP通信は、遺体があえて建物の中ではなく路上や倒壊家屋の前に置かれたままなのは、生存者が、身内の遺体を見つけやすいようにという地元の人々の配慮があると伝えた。

 またハイチでは、アフリカからの黒人奴隷が持ち込んだ民間信仰とキリスト教が融合したブードゥー教の信仰が根強く残る。国連ハイチ安定化派遣団の主力部隊であるブラジルの国防省は「ブードゥー教にのっとった儀式をきちんと執り行うまで、遺体を触らせないという遺族が多い」と述べ、尊厳ある扱いを望む遺族の思いを指摘。

 一方で、腐敗した遺体から感染症が広がるのを防ぐために、人々の信仰を尊重した墓地の設営を早急に行うことを、ハイチ政府に提案した。

1106チバQ:2010/01/17(日) 09:06:52
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2010011702000071.html
民主化薄れ…親ロ派優勢 ウクライナ大統領選きょう投票
2010年1月17日 朝刊

 【キエフ=酒井和人】ウクライナ大統領選は親ロシア派のヤヌコビッチ前首相が優位を保ったまま、十七日、投票が行われる。親欧米政権を生んだ前回選挙(二〇〇四年)の「オレンジ革命」から五年余り。首都キエフでは民主化の機運が薄れ、旧ソ連圏の盟主ロシアの前に再びうつむく市民の姿が目立つ。

 「ロシアは好きじゃないが経済の回復には不可欠だ」。キエフ中心部の土産物店で働くグリゴリーさん(49)は現実をかみしめた。

 前回選では、ヤヌコビッチ陣営の不正を糾弾し、グリゴリーさんも含めた市民動員のオレンジ革命で再選挙に持ち込んだユーシェンコ大統領が政権を勝ち取った。が、欧米の称賛を背に反ロ一辺倒となった同大統領に対し、ロシアは昨年一月、天然ガス供給価格の大幅値上げを通告。ウクライナ経由の天然ガス輸出を二週間停止した。あおりを受けた欧州でもウクライナへの不信が高まり、今回の選挙では、オレンジ革命を支援した欧米系の非政府組織(NGO)の動きも鈍い。逆にロシアの資金援助がうわさされる若者団体がヤヌコビッチ支援を訴えるなどオレンジ革命とは構図が逆転した形だ。

 ガス交渉を担ったのは「革命」を主導した一人、ティモシェンコ首相だが、交渉で値上げをのみ、経済困窮の度を強めたことへの批判が根強い。ロシアのプーチン首相と握手する姿は親欧米派がロシアに屈したとのイメージを国民に植え付けた。

 CIS(独立国家共同体)研究所のキリル・ウクライナ担当課長は「ロシアの意中はヤヌコビッチ氏だが、ティモシェンコ氏を取り込むことで、対ロ政策という争点を薄めた」と分析する。

 ウクライナは一昨年来の世界金融危機の直撃も受けた。最高で五千フリブナ(約五万六千円)あったグリゴリーさんの月給も半分以下に落ち込んだ。オレンジの旗を振った一人だが「理想のため、家族に空腹を我慢しろとは言えない」と話す。

 捲土(けんど)重来を期すヤヌコビッチ氏は、十七日の投票で当選に必要な過半数を得票できない場合も、決選投票(二月七日)に進むのは確実とみられる。ティモシェンコ氏は、元中央銀行総裁の富豪チギプコ氏の追い上げに遭い、決選投票進出を危ぶむ声も出ている。

1107チバQ:2010/01/17(日) 09:08:29
http://mainichi.jp/select/world/news/20100117ddm007030102000c.html
’10ウクライナ大統領選:きょう投票 正当性巡り混乱も 不正の動きけん制
 ◇現首相VS前首相
 【キエフ大前仁】ウクライナ大統領選が17日に実施される。支持率で首位に立つ野党・地域党のヤヌコビッチ党首(前首相)と、2位につけるティモシェンコ首相の決選投票にもつれ込む公算が大きいが、両陣営は不正絡みで相手の動きをけん制、選挙の正当性を巡って混乱の火種となる恐れもある。

 議論を呼んでいるのは、在宅投票の条件緩和だ。従来は投票所に行けない理由を証明する文書が必要だったが、中央選挙管理委員会の決定で今回から自己申請でできるようになった。ティモシェンコ陣営は制度変更について「中央選管委員の過半数を占めるヤヌコビッチ派が計画したもの。地域党が強いウクライナ東部では同党の主導で有権者の約10%が不正投票をしようとしている」と批判。13日の最高会議(国会)でティモシェンコ派が問題提起しようとしたが、地域党が討議に応じず、先送りされた。ティモシェンコ陣営は、決選投票までに条件緩和が撤回されない場合、投票結果の受け入れを拒否する可能性に言及している。

 また、中央選管は13日、グルジアからの選挙監視団の受け入れ拒否を決定。「手続き上の問題」を理由に挙げているが、選管内のヤヌコビッチ派の意向が反映されたとの観測も出ている。

 一方、ティモシェンコ首相と対立するユーシェンコ大統領は12日の会見で、「不正を画策しているのは(政権側にある)ティモシェンコ陣営だ」と述べ、波紋を広げている。

 このほか、インターネットのサイトでは「500グリブナ(約5500円)で1票を売ります」などと投票権を売買する書き込みが続出。投票所での票の不正な受け渡しや、他人になりすました投票が行われる可能性も取りざたされている。

 大統領選は最終盤になり、元中央銀行総裁のティギプコ氏が急速に支持を伸ばしており、決選投票に向けて同氏がキャスチングボートを握るとの見方も出ている。

1108チバQ:2010/01/17(日) 09:09:10
http://mainichi.jp/select/world/news/20100116k0000m030081000c.html
ウクライナ:大統領選 オレンジ革命色あせ、現職が大苦戦
 17日投票のウクライナ大統領選で、親欧米路線の現職、ユーシェンコ大統領が大苦戦を強いられている。ロシアとの関係改善を掲げるヤヌコビッチ前首相とティモシェンコ首相が優位を保つ一方、ユーシェンコ氏は政治的混乱を招いたことなどから支持率が4%と低迷。前回04年選挙で現政権を誕生させた「オレンジ革命」はすっかり色あせた形だ。【リビウで大前仁】

 ユーシェンコ大統領が地盤とするウクライナ西部の中心都市リビウ。04年選挙時は街全体がシンボル色のオレンジに染まった。だが、今回は所々に同氏のポスターが掲示されているだけで、当時の熱気は感じられない。

 「ユーシェンコ氏は犯罪・汚職対策など公約を何も実現しなかった」。オレンジ革命で同氏を支持したリビウ郊外のテルノピルに住む女医スベトラーナさん(40)は、今度の選挙でティモシェンコ氏に投票するという。年金生活者のオーリャさん(57)は「ユーシェンコ氏は何もしなかったが、ヤヌコビッチ氏は首相時代に年金を上げてくれた」として、オレンジ革命で敵対したヤヌコビッチ陣営の運動員となった。

 地元紙「リビウ新聞」のテレシュク編集長(47)は、民主化の旗手として登場したユーシェンコ氏の支持低落について、「国民に失望感を与え、さらに指導力を発揮できなかったことが原因」と指摘する。ユーシェンコ陣営のリビウ州担当副責任者、スタロボイト氏(44)は「(決選投票に進む)2位内に入ることも難しいだろうが、最後まで戦う」と苦しい状況を認める。

 ユーシェンコ氏は同国東部生まれだが、テルノピルの経済大学で学び、前回選挙では特に欧州志向の強い西部で圧倒的な支持を集めた。大統領就任後、ソ連時代の公用語だったロシア語に代わりウクライナ語教育に力を入れたことや、言論の自由定着を評価する声も少なくない。

 一方、ユーシェンコ氏はオレンジ革命の盟友だったティモシェンコ氏との権力争いや世界金融危機に伴う経済混迷で求心力が低下。さらに天然ガス供給をめぐりロシアとの関係を悪化させた。

 ユーシェンコ氏が地盤の西部で苦境に立たされている現状は、オレンジ革命に対する国民の幻滅の大きさを印象付けている。

1109チバQ:2010/01/17(日) 09:13:47
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100116/erp1001161930004-n1.htm
ロシアとベラルーシの石油紛争、泥沼化 (1/3ページ)
2010.1.16 19:28
 【モスクワ=遠藤良介】ロシアが隣国ベラルーシ向けの石油価格引き上げを通告、ベラルーシ側が強く抵抗して昨年末からの交渉が泥沼化している。ベラルーシにとって石油価格の急激な上昇は国家破綻(はたん)に直結しうるため、ロシアはベラルーシの実質的併合を視野に、「欧州最後の独裁者」と称されるルカシェンコ大統領の排除に動き出したものとみられている。両国とカザフスタンは今月、共通関税導入を柱とする「関税同盟」を発足させたが、早くも機能不全を露呈した形だ。

 問題となっているのはロシアがベラルーシ向け石油に課す輸出税だ。これまでロシアはベラルーシに特恵関税を適用、09年の関税割引率は65%にのぼったが、10年以降はこうした条件を継続しない方針を示した。

 これに対し、ベラルーシは「関税同盟」に基づいて石油供給は無関税であるべきだと主張。対抗策として、ロシア産石油の欧州向けトランジット(通過)料引き上げ▽ロシアの飛び地、カリーニングラード州への電力供給停止▽関税同盟からの脱退▽対空防衛協定の破棄−といった選択肢を突きつけている。

 ドイツは石油消費量の15%、ポーランドは75%をベラルーシ経由のパイプラインでロシアから輸入している。07年初頭には同様の問題からロシア産石油の供給が停止しただけに、交渉の行方が懸念される状況だ。

 両国が対立する背景には、ベラルーシが従来、ロシアの安価な石油を購入して自国の製油所で精製、石油製品を“国際価格”で欧州に輸出して多大な利益を得てきた構図がある。そうした“再輸出”はロシアから購入する石油の約8割にのぼり、ロシアはこの部分に関税を適用してベラルーシへの“補助金”を断ち切ろうというわけだ。

 ロシアは例年、天然ガス供給をめぐってウクライナと対立してきたが、17日投票のウクライナ大統領選で「親欧米派」対「親露派」の対立構図が弱まったのに伴い、“戦線”はベラルーシに移っている。

 ベラルーシの独立系シンクタンク「MISESセンター」のロマンチュク所長によると、特恵関税が完全に廃止された場合、同国の国内総生産(GDP)は約10%減少する可能性がある。同国では11年初頭に大統領選が予定されており、政治的影響は大きい。

 露・ベラルーシは過去に「連合国家」の枠組みを創設、「関税同盟」も結成した。だが、ロマンチュク氏は「この種の合意は政治ゲームにすぎない。ロシアが旧ソ連圏再統合の野心を抱いているのに対し、ルカシェンコ大統領はそれにつけ込んで安いロシア産資源を獲得、権力保持を狙っているからだ」と指摘。もはや両国政権の同床異夢が続かない状況になったとみる。

 ロシアはベラルーシが欧米に接近することはないとみて強気の姿勢を貫いており、石油関税での妥協と引き換えに、ベラルーシの石油関連施設を買収する“インフラ支配”で決着を図る可能性も指摘される。

1110チバQ:2010/01/17(日) 09:14:42
http://www.cnn.co.jp/world/CNN201001160024.html
2010.01.16 Web posted at: 19:33 JST Updated - CNN
ワールド
生存者救出も医薬品不足で死亡、援助到着も遅れ ハイチ大地震

ハイチ大地震で行き場を失い首都ポルトープランスの郊外にある公園で生活する被災者ポルトープランス(CNN) 壊滅的な被害が出たカリブ海のハイチ大地震で、同国政府当局者は15日、5万人以上が死亡、10万人近くに増える恐れがあるとの見方を示した。犠牲者の公的数字はまだ出ていない。被害の全容はまだ把握されていない状況で、死者がさらに膨らむ可能性もある。


国連本部は15日、国連の要員やスタッフの不明者数が約330人に上っていると指摘した。犠牲者数は同日現在で37人で国連史上、最悪の被害となった。死亡したのは、平和維持活動(PKO)部隊である国連ハイチ安定化派遣団の要員36人と、世界食糧計画(WFP)のスタッフ1人。国連では、地震発生時に同派遣団の治安・警察要員約9000人ら計1万2000人がハイチにいたとしている。


被災地では各国捜索隊の懸命の作業が続けられ、首都ポルトープランスでは15日、1歳半の乳児ががれきの下から救出された。14日には11歳少女が助け出されたが、医療施設や医薬品の不足で同日夜に死亡する事態となった。生存者救出の限界とされる発生から72時間が経過しており、被災地では絶望感も深まりつつある。


各国の援助物資も届き始め、救援団体のメンバーも到着しつつあるが、道路が寸断されるなどして窮境にある被災者に十分に行き渡っていない。ポルトープランス市民約300万人の大多数は食糧、飲料水、避難場所や電気供給が断たれる路上生活を強いられている。商店略奪や他人からの強奪も横行、援助団体の車両に群がる市民らの姿も目撃されている。


米国による現地救援では、米南方軍が主体となり、海兵隊、陸軍部隊数千人を派遣、治安維持に当たる予定。首都のホテル経営者はCNNに対し、援助が早急に到着しなければ組織暴力団などの横行は悪化すると指摘、政府からは何の支援もないとの不満を示している。


治安悪化を理由に国連が医療班の退去を指示、負傷者が放置された被災地もあるという。


ハイチのプレバル大統領は国連に対し、救援活動で優先すべき3項目を示し、政府機能の復活、路上からのがれき除去に、街頭に放置される被災者の遺体の搬送を求めた。

1111チバQ:2010/01/17(日) 20:15:05
http://mainichi.jp/select/world/news/20100118k0000m030032000c.html
ハイチ大地震:国連派遣団代表と副代表の死亡確認
 【ニューヨーク小倉孝保】ハイチ大地震で国連は16日、行方不明だった国連ハイチ安定化派遣団の代表であるアナビ事務総長特使(チュニジア)とナンバー2のダコスタ副代表(ブラジル)の死亡を確認したと発表した。国連は平和維持活動(PKO)に精通したベテラン職員2人を一度に失ったことになる。

 アナビ特使については地震直後、ハイチ大統領が死亡したと発表していたが、国連は未確認としてきた。2人の遺体は、首都ポルトープランスの派遣団本部ビルのがれきの下から見つかったという。

 潘基文(バンギムン)事務総長は、「深い悲しみを感じる。彼らは平和のために命をささげた」との声明を発表した。

 アナビ特使は、カンボジアでの国連活動にも従事したPKOの専門家で、ハイチに平和を構築する使命に強い熱意を持っていたという。また、ダコスタ副代表は、約40年の国連職員としての経歴のうち長期間、PKO関連に携わった。

 ほかに派遣団のコーツ警察本部長代理などの死亡も確認され、国連職員の犠牲者は約40人になった。

1112チバQ:2010/01/17(日) 20:21:07
>>987
http://mainichi.jp/select/world/news/20100118k0000m030044000c.html
エジプト:「ムスリム同胞団」最高指導者にバディ氏を選出
 【サヌア和田浩明】エジプトの穏健派イスラム原理主義組織で事実上の最大野党「ムスリム同胞団」は15日、任期満了で引退したモハメド・マフディ・アケフ最高指導者(81)の後任に、保守派と目されるモハメド・バディ氏(66)を選出したと発表した。

 非合法化され政府の厳しい弾圧を受ける同団は、昨年12月の指導部選挙でも保守派が優勢で、政治参加路線から組織強化や社会奉仕の重視にかじを切っていると見る専門家もいる。

 AFP通信によると、バディ氏は選出後の記者会見で「平和で憲法にのっとった漸進的改革」を進める意向を表明。「暴力はいかなる形でも拒否する」と述べた。

 8代目の最高指導者になったバディ氏は60年代、政府転覆を計画したグループに所属したとして9年間獄中生活を送り、その後、同胞団内の思想教育を担当した。

 同胞団は05年の人民議会(国会)選挙で系列議員が全議席の約2割の88議席を獲得して大躍進。しかし、勢力拡大を懸念した政府は弾圧を強化、多数の幹部を逮捕した。このため、今年予定される人民議会選挙では、大幅な議席減が予想されている。

1113チバQ:2010/01/18(月) 13:33:24
http://mainichi.jp/select/world/news/20100118k0000m030072000c.html?inb=yt
ハイチ大地震:震源地近郊のレオガン 消毒治療すらできず

地震から4日たっても治療を受けられず、右太ももの痛みを訴える少女=ハイチ南部レオガンで2010年1月16日、吉富裕倫撮影 【レオガン吉富裕倫】ハイチ大地震の震源地に近く、建物の80〜90%が損壊したとされる都市レオガン。地震から5日目の16日になっても、負傷した住民は治療を受けられず、痛みを訴えていた。「政府を通した援助では市民に届かない」と行政の腐敗を批判する声も聞かれた。

 レオガンは首都ポルトープランスから西へ約30キロの海沿いにあり、震源からの距離は約10キロ。

 2階建て以上の建物の被害が多い首都に比べ、1階建ての建物の多くが倒壊し、揺れの直撃を受けた深刻さがうかがえる。

 空き地にシーツなどで仕切りや屋根を設け、マットを敷いた一角で、負傷者ら約70人が寝泊まりしている。近所の人たちが助け合って買う水や食料で生き延びている。

 発生時、2階から飛び降りようとして右足を負傷した女性、ローズマリー・ポールさん。けがが重く、屋根のある小さな乗り合いバス用トラックをベッド代わりにしている。歩けないが診察してもらえず、骨折かどうかも分からない。擦りむいた部分は化膿(かのう)し、虫がたかっていた。「地震から4日たつのにアルコール消毒一つしてもらえない。とても痛い」と、つらそうに寝返りを打った。

 がれきが当たり背中の右に5センチ大の擦り傷を負ったクローディニア・ピエールちゃん(3)も治療を受けられず、傷がいえない。夜も痛みで眠れないという。

 家も職場も同時に失ってしまったエンジニア、ルイス・クローデルさん(38)は「政府に援助物資を渡しても誰かが横流しして被災者のところには届かない。08年のハリケーン災害の時もそうだった」と話し、援助機関が直接支援の手を差し伸べてくれるよう訴えた。

 在ハイチ日本大使館によると、17日に国際協力機構(JICA)が当地の空港に到着する予定で、レオガンで救援活動を始める計画を立てているという。

1114チバQ:2010/01/18(月) 22:03:26
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/100118/dst1001182034014-n1.htm
【ハイチ大地震】現地ルポ 交錯する怒りと嘆き 進まぬ支援 (1/3ページ)
2010.1.18 20:33
 【ポルトープランス(ハイチ)=松尾理也】ハイチ大地震は17日で発生から6日目を迎え、緊急支援の力点は生存者の救出から被災者の保護に移りつつある。とはいえ、支援は遅々として進んでいない。黙示録的な光景が広がる首都ポルトープランスの住民の間には、怒りと嘆きのふたつの感情が交錯していた。

 日本の医療支援チームが被災地入りしたこの日、潘基文国連事務総長も現地に到着し、国家機能を実質的に失ったハイチの現状を「過去数十年で最大の人道危機の一つ」と表現した。国連人道問題調整事務所(OCHA)によれば、各国救援隊は43カ国から1700人あまりとなったが、混乱は拡大しており、ハイチ当局は同日、30日間の非常事態を宣言した。

 倒壊した市中心部のホテル「ベル・ハイチ」。がれきとなった現場では、仏領マルティニーク島から来たレスキュー隊が救出作業をしていた。「まだ生存の兆候が残っている」。ホテルには考古学の発掘作業に携わっていたフランス人団体客が滞在していたという。

 ただ、一般的に「生存の限界」とされる発生後72時間が過ぎた今、作業の力点は次第に生存者の救出から、がれきの撤去や被災者の保護に移りつつある。ホテル近くの別の倒壊現場では、だらんと垂れた死体の手足が、がれきの撤去作業をしていたシャベルからはみ出していた。

 大地震のシンボルともなった倒壊した大統領府。フェンスで仕切られた外側で、被害が大きかった高台の住宅地から避難してきたというダビド・オキシジンさんは、「この青々とした大統領府の芝生はいったいだれのためか。被災者に開放すべきだ」と話す。

 大統領府近くのポルトープランス総合病院では、ジャン・レベック医師が青い手術着姿で忙しく立ち働いていた。休暇先の米国から急遽帰国したレベック医師は、「電気がなく、手術は昼間しかできない。病棟が倒壊して、術後は屋外のベッドに野ざらし。なにより発電機を届けてほしい」と訴えた。患者のベッドが野戦病院さながらに並ぶすぐ横の道路脇には、手足のない遺体が転がっている。

 被災者による間に合わせのテントが立ち並ぶ聖アン広場では、看護師の資格を持つというギレン・シャジャマさんが「政府からも、国連からも、なんの援助もまだ届かない」という。野宿が続く被災者にとって、被災から晴天続きだったのが唯一の救いだが、「そろそろ雨が降る。いったいどうなるのか」と不安は募る一方だ。

 暗い表情を見せる被災者は現在、倒壊家屋から掘り出した食糧の残りで食べつないでいる。広場中央には、被災者で分け合うための食事がぐつぐつと煮えていた。「食べ物はみんなで分け合う。ここでは暴力や盗難はほとんどない」。阪神大震災を始め、大災害直後にみられる原始共産制のような相互扶助が、ここにも出現していた。

 印象的なのは通りに人があふれていることだ。黙々と一人で、時には男女が手をつないで早足に歩く人たちで、通りという通りはごった返している。

 いったい、どこに行くのだろうか? 裁判所の前でじっと通りを眺めていたシーラブ・リンドアさんに聞いてみた。彼らは家をなくした。交通手段も壊滅したから、歩くしかない。あたりまえではないか、と不思議そうに答えたリンドアさんは、しかし、しばらく考えてこうもいった。

 「ひょっとしたら、壊滅したこの街を記憶に焼き付けておきたいからかもしれない。たぶんみんな、歩かずにはいられないから歩くんだよ」

1115チバQ:2010/01/18(月) 22:04:08
http://mainichi.jp/select/world/news/20100119k0000m030083000c.html
ハイチ大地震:スラム住民の生活直撃 危険地に家屋密集
 【ポルトープランス吉富裕倫】「お金がないからここに住むしかなかった」。ハイチ大地震で崩壊したポルトープランス市内のスラム地区に住む女性、ニンダ・シラクさん(23)は、コンクリートブロックの壁が崩れ落ちた自宅でぼうぜんとつぶやいた。政府が危険地域とみなす急斜面の一帯はほぼ全壊。震災は貧困世帯を直撃した。

 シラクさんの自宅は、切り立った急斜面に住宅が密集するメニリ地区にあった。トイレも電気も水道もない、12平方メートルの小部屋2室に親族9人の生活。屋外の共用トイレを使い、水はバケツで運んできた。キッチンはなく、石炭で火をおこして料理を作っていた。

 メニリ地区は70年代、政府が住宅の建てられない危険地域に指定することをいったん決めた国有地。だが法律が施行されないまま、勝手に地主だと主張する人たちが土地を売り始めた。住宅に適した他の私有地に比べ、半額から4分の1の価格で家が建てられた。

 親族のうち、働き手は小売商の母と屋台で総菜を売るシラクさんだけ。2人の月収計約6000グールド(約1万5000円)しかない一家にとって、他の土地は選択肢になかった。

 同地区の小売店経営の女性、エルビー・ピエールさん(42)も自宅が倒壊し、避難所暮らし。22歳と16歳の娘2人を震災で失った。「急斜面でも自分の家は岩の上だから大丈夫だと思っていた。でも砂地の上でも岩の上でも危険な場所だった」と嘆く。

 斜面に石を積み上げ土台を作り、コンクリートブロックとトタン屋根の住宅が重なるように建つ同地区では、雪崩のように住宅が崩壊した。10年以上住むジョー・ジョネルさん(31)によると、住民数百人のうち約60人が死亡したという。

 政府関係者によると、ハイチには日本の建築基準法にあたる法律は事実上なく、誰がどんな建物を建設しようが行政のチェックは全くないという。

 ジョネルさんは「メニリに住んでいるのは貧しい地方から都会に働きに来た人々。危険な場所でも、お金がなければ必要に応じて住むしかない」と話した。

1116チバQ:2010/01/18(月) 22:05:19
http://www.47news.jp/news/2010/01/post_20100118171103.html
ハイチ大地震「復興」見えず 被害甚大、いまだ死者数不明
 【ポルトープランス共同】カリブ海のハイチが大地震に襲われてから、現地時間の19日で1週間が経過する。被害は甚大で死者は20万人とも推定されるが、捜索作業は今も続き、死者数や被害の全容は不明なままだ。国連や国際援助団体の支援は本格化してきたものの、被災者救援は追いつかず、ハイチ政府の機能不全も続いて復興への動きは見えない。

 首都ポルトープランスの路上や倒壊した家屋では収容されていない遺体が腐臭を放ち続け、避難生活を余儀なくされている市民への水や食料の供給も進んでいない。「空港に支援物資は来ているのに(効果的に分配する)リーダーシップがない」。ボランティアのハイチ人男性(27)が憤る。

 政治的に不安定な状態が続いたハイチは、もともと国家運営の多くを国際支援に頼っていたが、大地震は首都を直撃。閣僚らも親族を亡くすなど被害を受けた。崩壊した大統領府はがれきを撤去する様子もなく放置されたままで、地震後は政治空白が続いている。

 このため、被災者支援も国連が主導。空港は米軍の管理下に置かれ、行方不明者の捜索に当たるのは外国から駆け付けた救助隊ばかりだ。

2010/01/18 17:21 【共同通信】

1117チバQ:2010/01/18(月) 22:06:24
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20100118dde041030038000c.html
ハイチ大地震:遺体の山、尊厳なく 廃棄物に交じり
 【ポルトープランス共同】美しい山並みを背にした草原の一角に、ダンプカーが2台、立て続けに現れると、荷台を上げて無造作に多くの遺体を下ろした。16日、大地震の発生から5日目を迎えたハイチの首都ポルトープランス郊外。あちこちに被災地から運ばれた遺体の山ができていた。死者数は全体で20万人に上る恐れがあり、増え続ける犠牲者らの遺体は、死者の尊厳もなくうち捨てられていた。

 遺体はひつぎや袋に入っているわけでもなく、被災現場の家具など廃棄物と交じって運ばれていた。炎天下、変色し壊れた人形のように不自然な形で折り重なっている遺体から、腐乱臭が広がる。案内してくれた地元住民が鼻と口を覆いながら「もう行っていいか」と記者に尋ねた。

 たとえ質素でも、遺族の手で埋葬され墓標があるのは、恵まれた犠牲者だ。

 地元の農業チバトン・ルイスピエールさん(24)によると、この地域には、ダンプカーで運ばれて捨てられる身元不明遺体の集積地が3カ所ある。

 「もう25、26台のダンプが来たかな。600人ぐらい埋まっているよ」


http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20100118dde041030051000c.html
ハイチ大地震:ガソリンスタンドが再開 怒鳴り合う市民
 【ポルトープランス吉富裕倫】ハイチ大地震で被災した首都ポルトープランスなどでは17日、ガソリンスタンドが徐々に再開した。市民が殺到する光景も見られた。近郊のペチオンビル市では、市民約200人がスタンドに駆け付け「おれが先だ」と怒鳴り合った。

1119チバQ:2010/01/18(月) 22:08:59
http://mainichi.jp/select/world/news/20100119k0000m030089000c.html
ウクライナ:大統領選 決選投票は本命同士が互角の対決に
 【キエフ大前仁】17日のウクライナ大統領選は、野党・地域党党首のヤヌコビッチ前首相(59)とティモシェンコ首相(49)が来月7日の決選投票に進むことになった。実績のある「本命」同士の一騎打ちは激戦が予想され、3位以下の候補の支持層取り込みが勝敗のカギを握りそうだ。

 両氏とも昨年前半からの世論調査で上位2位を維持し、順当な勝ち上がりとなった。

 首位のヤヌコビッチ氏は組織力を生かし、ロシア系住民の多い東部と南部で圧倒的な強さをみせた。親露派の一方、欧州連合(EU)加盟推進を掲げ、欧米志向の強い西部でも支持を広げている。04年大統領選の出直し決選投票でユーシェンコ氏(現大統領)に敗北しただけに、今回雪辱を目指す。ただ、新たな支持層をどこまで開拓できるのか不透明だ。

 ティモシェンコ氏は今年のえとにちなんだ「白いトラ」をシンボルに強い指導者を演出し、2位を確保した。決選投票に持ち込んで逆転勝利するのが当初からの戦略で、「親露派ヤヌコビッチ氏」への対抗軸として親欧米派を結集させたい考えだ。しかし、天然ガス交渉でロシアに接近する姿勢を見せたことが、マイナスに作用する可能性もある。

 注目されるのが、3位に入ったティギプコ元中央銀行総裁だ。同氏はかつてティモシェンコ氏の経済顧問を務めたほか、前回選挙でヤヌコビッチ氏の選対本部長だった経歴を持つ。このため両陣営は支持取り付けに躍起になっている。

 決選投票について、ウクライナの政治アナリスト、ボンダレンコ氏は「第1回投票でヤヌコビッチ氏は最大限得票をしたが、ティモシェンコ氏の方が伸びしろがある」と指摘し、互角の戦いになるとの見通しを示す。

   ◇  ◇

 中央選管が18日発表した暫定集計(開票率90%)で、主要候補の得票率は次のとおり。

 ヤヌコビッチ氏35.39%▽ティモシェンコ氏24.97%▽ティギプコ氏13.07%▽ユーシェンコ氏5・42%

1120チバQ:2010/01/18(月) 22:09:48
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100118/erp1001182040003-n1.htm
ウクライナ大統領選で問われたユシチェンコ大統領の功罪 (1/2ページ)
2010.1.18 20:39
 ウクライナ大統領選の開票の結果、ユシチェンコ大統領の再選への道は閉ざされ、任期を終えることが確実になった。大統領は民主化政変「オレンジ革命」で国際社会の注目を集めたが、目標だった欧米接近は大きな成果に結びつかなかった。半面、政治や言論の自由を拡大したとの評価も聞かれる。ユシチェンコ大統領の在任5年間の功罪を検証した。

 大統領在職中、ウクライナの政局は大統領と首相、それに最高会議(一院制議会)が権力闘争を繰り返し、迷走した。その一因が大統領権限を大幅に狭めた憲法改正だ。

 改正は、ユシチェンコ氏が当選した2004年12月のやり直し決選投票の直前、与党側が要求して実現した。(1)首相候補は大統領が提案し最高会議が任命する(2)外相と国防相以外の閣僚は首相が提案、最高会議が任命する−が骨子だ。

 ユシチェンコ大統領の人事案は最高会議に否決されるなど外相は5年で3回交代。一時は親露派政党「地域党」との政策協定の締結を強いられ、ロシアからも天然ガス輸送を一時停止するなどの圧力を受け、指導力を発揮できなかった。

 「ユシチェンコ氏がウクライナ民族主義や欧米接近を強硬に訴えすぎた面は否定できない」(オレンジ革命時の民主化支援組織「ポラ」元幹部)との分析も聞かれる。

 ただ、強権姿勢が目立ったクチマ前大統領時代に比べ、この5年で政治的自由が拡大した−と積極的にとらえる向きは少なくない。

 キエフの政治評論家、カラショフ氏は「ウクライナは大統領の後継指名で流れが決まるロシアとは違う。選挙で野党が勝利する民主主義の国だ」と話した。メディアも大統領批判を堂々とできるようになり、言論の自由も広がったとみる識者が多い。

 一方、オレンジ革命をともに主導したティモシェンコ氏と大統領の関係がこじれた点については、両者の政治手法の違いが原因だとする見方もある。在キエフの外交筋は、「ティモシェンコ氏は、最終決定は他人に任せず、敵を見つけてはたたいていくスタイルで、ユシチェンコ氏とは当初から肌が合わなかったのでは」との考えを示した。(キエフ 佐藤貴生)

1121チバQ:2010/01/18(月) 22:10:21
http://mainichi.jp/select/world/news/20100118dde007030027000c.html
’10ウクライナ大統領選:オレンジ革命、終焉 ユーシェンコ氏敗退
 ◇前・現首相、決選投票へ
 【キエフ大前仁】ウクライナ大統領選挙は17日夜、投票が締め切られ、開票作業に入った。複数の出口調査によると、親ロシア派の野党・地域党党首、ヤヌコビッチ前首相(59)が首位に立ったが、当選に必要な過半数の得票に届かず、決着は2位のティモシェンコ首相(49)との間で2月7日に行われる決選投票に持ち越される見通しとなった。前回04年選挙で「オレンジ革命」を主導して当選した親欧米派の現職、ユーシェンコ大統領(55)は敗退した。

 中央選管によると、18日未明(日本時間同午前)の中間集計(開票率41%)で、ヤヌコビッチ氏は36・8%、ティモシェンコ氏は24・4%を得票。続いてティギプコ元中央銀行総裁13%、ヤツェニュク元最高会議(議会)議長6・7%で、ユーシェンコ氏は5%と5位にとどまった。投票率は66・65%だった。

 ヤヌコビッチ氏は前回のやり直し決選投票でユーシェンコ氏に敗れたが、17日夜に「第二のオレンジ革命は起きない」と、当選に自信を示した。一方、ティモシェンコ氏は民主化勢力を結集し、逆転勝利を目指す考えを示した。

 ◇民主化旗手、権力維持優先に「失望」
 【キエフ大前仁】ウクライナ大統領選で敗退したユーシェンコ大統領は、民主化の旗手として改革実現に向けた手腕が期待されたが、逆に政治的混乱を招き、国民に見放された。世界から脚光を浴びた04年の「オレンジ革命」は事実上、終焉(しゅうえん)を迎えたといえる。

 ユーシェンコ氏は05年1月の就任直後から政権内の争いが目立ち、同9月にオレンジ革命の盟友だったティモシェンコ首相を解任。翌06年には前回選挙での対立候補だったヤヌコビッチ地域党党首を首相に指名した。理念を置き去りにして、権力維持を優先する姿勢が露呈するに従い、「自分で責任を取らず、他人ばかり批判する姿勢に失望した」(キエフの55歳の公務員)と支持が急減した。

 世界金融危機に伴う経済難から抜け出せず多くの国民が04年当時より生活が苦しくなったと感じており、「ユーシェンコ氏ら有力政治家は、国民の財産を奪うことしか関心がない」(55歳のタクシー運転手)との批判も強い。

 また、北大西洋条約機構(NATO)加盟に力を入れた結果、対ロシア関係を悪化させたことも政権失速の原因となった。ウクライナは91年の独立以来、ロシアと欧米の間で「均衡外交」を取ってきたが、ユーシェンコ氏の「欧米一辺倒」ともいえる政策に対して、特に人口の2割を占めるロシア系住民から反発を招いた。

 ユーシェンコ氏は17日の投票後、「ウクライナが欧州の民主国家になった」と自賛した。オレンジ革命を経て、自由に発言する風潮が根付いてきたのは事実で、今回は同氏を支持しなかった65歳の年金生活者も「一定の民主化が進んだ点は評価すべきだ」と話す。一方、同国では複数のオリガルヒ(政商)が主要メディアを支配しており、「ユーシェンコ氏が『言論の自由』に力を入れたわけではない」(独立系新聞の編集長)ともいわれる。

 ユーシェンコ氏は今後の進退を明らかにしていないが、政治の第一線から身を引く可能性もある。

1122チバQ:2010/01/18(月) 22:15:35
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100118-00000761-reu-int
チリ大統領選で中道右派のピニェラ氏が勝利、政権交代へ
1月18日9時14分配信 ロイター


 [サンティアゴ 17日 ロイター] 南米チリで17日、中道左派与党連合のバチェレ大統領の任期満了に伴う大統領選挙の決選投票が実施され、中道右派野党連合のピニェラ元上院議員の勝利が確実となった。20年間続いた中道左派政権に終止符が打たれる。
 開票率60.3%の時点で、ピニェラ氏の得票率は51.87%。対立候補の左派与党連合フレイ元大統領は早々と敗北を認めた。
 ピニェラ氏の勝利は、ベネズエラからアルゼンチンまで左派政権が多数を占める南米での右派政権誕生を意味する。ただ、経済政策に大きな変更はないとみられている。

1123チバQ:2010/01/20(水) 20:43:46
http://mainichi.jp/select/world/news/20100121k0000m030069000c.html
ハイチ大地震:両親死亡の2歳児…親友引き取るが公園生活
 【ポルトープランス吉富裕倫】「ママ、パパ」−−。ハイチ大地震で両親を失い、首都ポルトープランスの公園で生活する男児ナビアソン・デスティンちゃん(2)は、時々両親の所在を尋ね、泣くという。ナビアソンちゃんのように震災で親を失った孤児がどれほどいるのか、実態の把握はこれからだ。

 ナビアソンちゃんがどのように震災を生き延びたのか、詳細はわからない。ナビアソンちゃんの両親の親友、ナオミ・ジャンさん(22)が地震2日後の14日、安否を確認するため家に駆け付けたところ、ナビアソンちゃんは、近くの路上で泣いていた。ナオミさんの顔を見ると自ら歩み寄ってきたという。

 自動車部品販売業の父、青果小売業の母の元に生まれたナビアソンちゃん。近所に住んでいたナオミさんは1カ月以上預かったこともある。ナオミさんは迷わず引き取った。

 両親の行方をナビアソンちゃんから聞かれると「お父さんとお母さんはキャンディーを買いに行ったのよ」と説明し、死を伝えていない。ナビアソンちゃんが納得せず、泣くこともある。

 ナオミさんも地震のため自宅の土地が地滑りを起こして家に帰れず、家族と公園で暮らす生活だ。「他に親族が分からなければ、学校にも行かせ、自分の子供と同じように育てていきたい」とナビアソンちゃんの幸せを願う。と同時に「自分たちの生活も将来どうなるか全く分からない」とため息をついた。

 市内の孤児院メゾン・ド・ルミエールのロバート・テイラーさん(44)によると、まだ市当局や援助機関からの震災孤児の受け入れ要請はないという。「孤児になった子供のほとんどは路上で生活しているだろう。ここではあと数人しか受け入れられない。震災孤児はこれからの大きな問題だ」と話した。

1124チバQ:2010/01/20(水) 20:44:46
http://mainichi.jp/select/today/news/20100121k0000m030039000c.html
ハイチ大地震:治安の悪さ、自由な救出活動阻む
2010年1月20日 19時0分 更新:1月20日 19時15分


ポルトープランスの港湾地区の倉庫周辺をパトロールする国連部隊=2010年1月14日、庭田学撮影 【ポルトープランス庭田学】ハイチ大地震で、駆けつけた国外からのレスキュー隊などが、同国の治安問題から自由な救出活動を制限されている。慢性化しているハイチの治安の悪さが、行方不明者捜索の障害になっている。

 複数の関係者によると外国のレスキュー隊などは、ハイチに駐留する平和維持活動(PKO)のための国連部隊の警備を伴わなければ、被災地での活動が許可されないという。

 被災者たちが外国人のレスキュー隊員たちに支援物品を要求するなどの混乱が発生したり、隊員が犯罪に巻き込まれたりすることを防ぐためだという。

 フランスなどのレスキュー隊のように、自国の軍人が責任をもって警備に当たる場合は、自由な活動を許可されているらしい。

 コロンビアは約300人をハイチに送り込んでいる。しかし、コロンビアの消防士は「我々には被災地でもっとやるべきことがあるが、それを自由にやらせてもらえないのが悔しい」と話した。身元確認を専門にするチリの警察官は「治安が悪いことは理解しているが、我々の活動は制限されており、非常にもどかしい気持ちだ」と語った。

 一方、犬と一緒に行方不明者捜索を続けているウルグアイ陸軍の一人は、「我々自身に危険があってはならない。国連部隊の警備は必要だし、自由な活動の制限はやむを得ない」と話していた。

 ハイチの地震後、世界各国のレスキュー隊が同国に入った。がれきの下から生存者を救出するなど、一定の成果を上げた。一方、ハイチの被災地では、地震後に略奪行為が横行するなど、治安がさらに悪化する可能性が指摘されている。

1125チバQ:2010/01/20(水) 20:45:43
http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20100120k0000e030055000c.html
ハイチ大地震:国外脱出へ長い列 英語などで「助けて」

ドミニカ共和国側への入国を今かと待つハイチの人々=ヒマニ検問所のドミニカ側から2010年1月19日午前9時15分、梅村直承撮影

路上に立ち助けを求めるプラカードを掲げる被災者たち=ハイチ・ポルトープランスで2010年1月19日午後1時37分、梅村直承撮影 【ポルトープランス吉富裕倫、庭田学】救援の遅れるハイチ大地震の被災地で、自国を見切り、国外へ脱出を試みる被災者が増えている。ドミニカ共和国との国境にあるヒマニ検問所や首都ポルトープランスのカナダ大使館では19日、長い行列ができた。

 家族15人中父母ら12人が死んだという男性ジョシン・リジェンさん(24)は、パスポートもないままヒマニ検問所で入国許可を申請した。「家もなくなりドミニカで仕事を探すしかない」と祈るような思いだ。

 首都のカナダ大使館にも数百人が殺到。システムダウンでビザを発給できず、カナダ在住の家族から呼び寄せる手紙があれば、入国を認めることにしたからだ。

 並んでいた女性、ジャクリーン・フェリスマさん(59)は「何もかも破壊され、ものすごいストレス。数カ月だけでもハイチを離れたい」と話した。

 一方、屋外生活をする被災者が、仏語などの公用語以外の英語やスペイン語で「助けてほしい」などと書いた看板が目立っている。ハイチ政府が頼りにならないため、外国政府や外国救援部隊に窮状を訴える格好だ。

 「SOS」との文字と矢印を記した看板に導かれて歩くと、約200メートル先に被災者約1000人が避難する空き地があった。学生のブレーズさん(32)は「政府は私たちがここに避難していることを知らない。私たちには水も食料も援助もない」と訴えた。

1126チバQ:2010/01/20(水) 20:49:31
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2010012002000083.html
米『裏庭』で存在感 ハイチ大地震
2010年1月20日 朝刊

 【ニューヨーク=加藤美喜】ハイチ大地震の救援活動をめぐり、米国の存在感が際立っている。オバマ政権は十八日までに、米軍約一万一千人を展開させ、一億ドル(約九十億円)の支援額を表明。三十カ国以上の支援国のなかで、飛び抜けた規模の支援活動を行う背景には、かつて米国の「裏庭」とされた中米での信頼回復などのオバマ政権の思惑が垣間見えるが、ハイチの旧宗主国であるフランスをはじめ各国から懸念の声も上がっている。

 首都ポルトープランスの空港管制を取り仕切る米軍は先週、滑走路の「渋滞」を理由にフランスの支援機を追い返した。米国民の出国を優先させ、各国の援助機の着陸や他国民の搭乗を拒否しているとの不満の声もある。

 フランスのジョワイヤンデ協力担当相は十八日、ハイチ支援に関する欧州連合(EU)の協議の場で「ハイチを助けようという話であって、占領しようという話ではないはずだ」と米軍への不満をぶちまけ、米国の役割を明確にするよう、国連に調査を求める考えを示した。

 ブッシュ前政権は、テロとの戦いに軸足を置き中南米諸国から「隣人を軽視している」との不信感を招いており、関係改善はオバマ政権にとって重要な外交課題。ハイチ地震での大規模支援を通じて、域内に米国の存在感を誇示する狙いもある。

 しかしベネズエラの反米チャベス大統領は十七日、「米は援助を隠れみのにハイチを占領するつもりだ」とまくしたてた。

 ロイター通信によると、ゲーツ国防長官は十八日、「米国は警察の役割を務めるつもりはない」と述べ、主導権はあくまで国連とハイチ政府にあるとの立場を強調した。

 一方、一部メディアは、オバマ政権には、隣国への敏速な危機対応を示すことにより、景気回復の遅れなどで低迷する政権支持率の回復を図る狙いがあると指摘する。米CBSテレビが十四〜十七日に実施した世論調査によると、オバマ大統領のハイチ地震への対応を「評価する」人は80%に達した。

1127チバQ:2010/01/20(水) 20:50:14
http://mainichi.jp/select/world/news/20100120ddm007030077000c.html
ハイチ大地震:発生1週間 ハリケーンで畑を、今度は家失う 助け届かぬ、震源の集落
 【オランジェ(ハイチ南部)吉富裕倫】ハイチ大地震から19日で1週間。ガソリン供給の再開など復興作業が始まった都市部に対し、山間部の被災者は「誰も助けに来てくれない」と孤立感を深めている。首都ポルトープランスから南西へ約25キロ。震源の真上にある集落オランジェを18日、報道機関として震災後初めて訪ねた。

 「地面が割れるのが見えた。この世の終わりが来たと思った」。小学校教師のフランツォ・ルイさん(22)は12日夕、すさまじい地鳴りと突き上げるような揺れに襲われた。妻フィロジェンさん(20)から入浴していた生後3カ月の長男ロレンゾちゃんを受け取ると、3人で裏山の頂上を目指し駆け上がった。

 幸い3人にけがはなかったが、ルイさんの自宅裏手の土砂は崩れ、コンクリートと石で造られた壁も崩壊した。震災後は山崩れを恐れ、平地にむしろを敷いて寝ている。

 ルイさんの受難は地震だけではなかった。2年前にはハリケーンに襲われ、河川のはんらんによって穀物畑を流されてしまった。ルイさんは「洪水の被害に遭っても、自宅に住むことはできた。でも、今は住む場所もない。ハリケーンで財産を失い、地震ですべてを失った」と途方に暮れる。

 オランジェへ行くには、自動車用道路の終点からオートバイのタクシーに乗り換えて約30分走り、さらに何度か徒歩で川を渡り、山道を上らなければならない。道中、所々で山の斜面が滑り落ちて地肌をさらしていた。

 記者がオランジェにたどり着いた時、ルイさんは保存してあった食料を取りに、崩壊した自宅に戻ったところだった。ルイさん夫妻は「米の値段が高騰して買えない」「赤ちゃんのためにきれいな水が欲しい」と避難生活の悩みを訴える。だが、自動車用道路から遠く離れた地に、車で巡回している援助機関の手は届かない。

 ピーナツ栽培を主要産業とするオランジェには、数棟ずつ民家が点在。人口は5585人だ。震源の真上で激震にさらされたにもかかわらず、低層の簡易な木造建築が主体だったため、今のところ死者や重傷者は確認されていない。

 集落の小屋には、近くの集落で足を負傷し、運び込まれた100歳の女性、ロバンナさんがいた。娘のシェリーさん(54)と孫の2人は地震と同時に家から外へ飛び出して無事だったが、ロバンナさんは倒れた壁ごと外へ放り出された。近所の人に頼み、担架でオランジェの息子の家へ運んでもらった。

 被災前は歩いたり話したりできたが、今は意識不明の寝たきりだ。医療機関の巡回はない。時折、うめき声を上げる母の姿に、シェリーさんは「早く治療を受けさせたい」と表情を曇らせた。

1128チバQ:2010/01/20(水) 20:51:14
http://www.cnn.co.jp/world/CNN201001190028.html
2010.01.19 Web posted at: 19:21 JST Updated - CNN
ワールド
テント村で略奪横行、救援物資届かず ハイチ地震1週間
ポルトープランス(CNN) 大地震発生から19日で1週間がたったハイチでは、首都ポルトープランスの各地にテント村ができ、家を失った住民が避難生活を送っている。しかし食料や医薬品などの援助は行き届かず、治安も悪化する中、被災者の窮状は深刻化する一方だ。


首都中心部では、倒壊した大統領府前の広場に見渡す限りシーツやダンボールをロープと棒で固定した急ごしらえのテントが並び、約50万人が暮らす。同じようなテント村がポルトープランスと周辺の各地にできており、警察にとっては住人を守ることが新たな課題になっているという。


ポルトープランス警察は、4000人いた警察官が1500人に減った。残りは死傷したり、行方が分からなくなっているという。さらに、地震で倒壊した刑務所からは、受刑者約4000が脱走。警察当局は「緊急事態だ。来週になればさらに混乱が広がるだろう。犯罪者が組織化し、警察や住民を脅かすようになるかもしれない」と危機感を募らせる。


テント村周辺に警察官の姿はまばら。電力は途絶えたまま復旧しておらず、被災者ががれきの中から持ち出した身の周り品の略奪が横行。強姦未遂や殺人未遂事件も起きているという。


食料や医薬品の不足も深刻化しており、あるテントでは8歳の少年が発作を起こし、別のテントでは足から血を流した少女が痛みに泣き叫ぶ。「ハイチの人々は助けが必要なの。急いで!私たちを助けて」と女性が涙を流しながら訴えた。


水や食料が届いたという話が伝わるたびに子供たちが駆けて行くが、大抵は何も持ち帰れないまま。至る所にごみの山ができ、強い日差しで悪臭がさらにひどくなっている。夜になるとろうそくの周りに被災者が集まり、歌を歌って気力を保とうとする姿も見られた。

1129チバQ:2010/01/21(木) 21:43:51
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2010012102000068.html
ハイチ大地震 物資空港に滞留 道路寸断 被災地へ届かず
2010年1月21日 朝刊

 【ニューヨーク=阿部伸哉】カリブ海の島国ハイチでは二十日、大地震発生から一週間が経過し、各国から続々と食料などの救援物資が押し寄せているが、なかなか被災地に届いていない。国連や米軍は人員増強を図っているが、民間支援団体との連携不足もあり、現場の“仕切り不足”が露呈している。

 大量の物資は首都ポルトープランスの狭い空港で滞留し、「ハイチの貯蔵能力を超えた」(同政府)。民間団体は米軍が管制を仕切る空港への着陸を拒否され、「軍優先だ」と不満をぶつけている。

 「ばらばらに物資や人が入り込むと、本当に必要な援助を妨げる」。国連の潘基文(バンキムン)事務総長は十九日、各種支援団体に無秩序な活動をやめるよう求めた。週明けには地震で被害を受けた港も再開するが、受け入れ能力が上がっても、三百万人超といわれる被災者への輸送は難しい。道路はがれきだらけのまま。重機もトラックも足りず、おまけに軽油など車の燃料も底をつき始めている。

 被災地支援は、医療だけで二十以上の国際機関が参加。ただ、現地で国連平和維持活動(PKO)を担う国連は本部ビルが崩壊して機能回復に手間取り、その間に国際支援は続々到着。米軍の存在感が強まると「軍事占領」への懸念まで出た。

 国連は十九日になっってようやく、世界保健機関(WHO)や世界食糧計画(WFP)などの各機関が分野ごとに各種団体を束ね、調整に乗り出した。ただ、多数の負傷者は放置され、民衆の飢餓は限界に近づいており、救援のさらなる加速が不可欠な切迫した状況となっている。

1130チバQ:2010/01/21(木) 21:44:12
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/147462
ハイチ大地震 中台 救援競い合い
2010年1月21日 02:01 カテゴリー:アジア・世界
 ハイチ大地震で中国と台湾が救援をめぐる綱引きを演じている。中国政府は、地震の一報が入った13日の夜には国際救援隊を派遣、親台湾派のハイチへの「救援外交」(中国紙)で存在感を示した。一方、台湾も馬英九総統は25日からの中米訪問で、ハイチの隣国ドミニカ共和国に寄り、地震の復興や被災者救援について意見交換する。中南米には台湾と外交関係のある国の半数以上が集中しており、存在感をアピールする方針だ。 (北京・椛島滋、台北・小山田昌生)

 地震発生を受け、中国政府は直ちに動いた。2008年5月の四川大地震の経験を生かし、北京郊外で訓練中の国際救援隊が空港に集結。兵士、医師、報道機関などで構成した第1陣の60人は、地震発生から15時間後に出発した。現地入りも米国や旧宗主国フランスなどに続き4番目だった。

 中国の国際救援隊が直行した先は、倒壊した国連ハイチ安定化派遣団の本部ビル。国連平和維持活動(PKO)に参加の中国隊員8人がビルのがれきに埋まっていたからだ。同隊救助チームは14日から徹夜で捜索、16日には全員の遺体を発見した。

▽自国民優先か

 中国政府は即座に8人を革命に献身したことを意味する「革命烈士」として英雄化。20日に北京で開いた8人の国葬に、胡錦濤国家主席ら指導者が参列、国営テレビも生中継した。

 ハイチは、中国とは国交がなく、台湾と外交関係がある。中国政府の迅速な対応と、この8人の英雄化の背景には、国内外に対して「大国の責任を果たしている」とのイメージをアピールし、救援をてこにハイチとの国交樹立を図るという思惑もあるとみられている。

 実際、地震直後の胡主席の指示は「あらゆる手段で(生き埋めの)兵士たちを救出せよ」というものだった。このため、19日の中国外務省定例会見では米国メディアが「中国の救助チームは8人とともに帰国するのか」と質問。馬朝旭報道局長が「そんな見方は完全な間違い。救助チームはハイチ政府からも歓迎され、別に国際救援隊医療チームも活動している」と気色ばむ場面もあった。

 ただ、「天地を覆い隠すほどの(政府の)宣伝は、死んだ兵士たちも望んでいない」とのネット上の書き込みもあり、批判する意見もある。

▽専用機に物資

 一方、ハイチと外交関係のある台湾も中国側の支援攻勢に手をこまねいてはいられない。25日から中米を訪れる馬英九総統は28日にハイチの隣国ドミニカ共和国に寄り、同国政府とハイチの震災復興や被災者救援について意見交換する予定だ。

 今回の中米訪問は27日にホンジュラスで行われるロボ新大統領就任式への出席が主な目的だが、台湾外交部(外務省)は総統専用機にハイチへの救援物資を積み込む考えを明らかにした。台湾当局はハイチに救助隊や医療隊計56人を派遣するとともに、500万ドル(約4億5千万円)の緊急援助を決めている。

 中南米には台湾と外交関係のある23カ国のうち12カ国が集中。対中融和政策を進める馬政権は、中国と友好国の奪い合いをやめる「外交休戦」方針を掲げてきたが、復興支援を機に中台の駆け引きが再燃しそうだ。

=2010/01/21付 西日本新聞朝刊=

1131チバQ:2010/01/21(木) 21:44:39
http://mainichi.jp/select/world/news/20100122k0000m030087000c.html
ハイチ大地震:豪華船が相次ぎ寄港 ジェットスキー楽しむ
 【欧州総局】ハイチ大地震で懸命の救援活動が続くなか、被災地の首都ポルトープランスから約100キロ離れた同国北部のリゾート地の海岸に、米国のクルーズ船3隻が相次いで寄港し、下船した観光客数千人がジェットスキーなどを楽しんでいる。被災者感情に配慮して下船しない客もいるが、同社は「復興の手助けとなる」と正当化し、議論を呼んでいる。英ガーディアン紙が報じた。

 同紙によると客船は「ロイヤル・カリビアン・インターナショナル」が運航。北部ラバディーのプライベートビーチをハイチ政府から借りていて、地震前からの計画通り15、16、19日に別々の船が寄港した。同社は地震後、寄港で生じる利益分と100万ドルの寄付を表明し、救援物資も運んだ。

 2隻目の乗船客のうち約2800人は下船し、警備された海岸で遊んだが、約400人は下船を拒否した。一方、同社のゴールドスタイン社長はブログで、従業員雇用による経済効果を強調した。

1132杉山真大 ◆mRYEzsNHlY:2010/01/21(木) 22:25:09
一度はハイチが全島統一したけど、奴隷制をめぐって再び分離しているし、
  ,,,,,,,,,,,,,,,,
 ミ ・∀・ミつ http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/zatsu/bundan#02

分離後も切手のデザインが原因で戦争になるくらいの怨恨があるからなぁ・・・・・
  ,,,,,,,,,,,,,,,,
 ミ ・∀・ミつ http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-273.html

ハイチ、隣国ドミニカの増派断る 歴史的に緊張関係
http://www.asahi.com/international/update/0121/TKY201001210438.html
2010年1月21日20時38分

 【ニューヨーク=丹内敦子】ハイチへの国連平和維持活動(PKO)要員の増派をめぐり、ハイチは、隣国ドミニカ共和国による800人増派の提案を受け入れないと関係者らに伝えた。国連外交筋の話としてロイター通信などが20日、報じた。
 国連安全保障理事会は、人道支援強化のため国連ハイチ安定化派遣団(MINUSTAH)の警官隊1500人、軍部隊2千人の計3500人の増派を決定。ドミニカ共和国は800人の軍部隊を派兵すると申し出ていた。
 しかし、両国は国境を接し、歴史的に緊張関係が続いていることから、ハイチ首脳部が難色を示したと見られている。

1133とはずがたり:2010/01/21(木) 22:33:56
へぇ,そんな経緯が。。

1134とはずがたり:2010/01/22(金) 14:05:27

此処はスッキリと南部を独立させた方がいいと思う。アフリカは植民地時代の名残で国に正統性を感じられないケースが多い。

スーダン、分裂の動き加速 南部が大統領選を軽視
http://www.asahi.com/international/update/0122/TKY201001220004.html
2010年1月22日5時24分

 【ナイロビ=古谷祐伸】アフリカ最大の国スーダンが、南部独立の是非を問う2011年の住民投票を機に分裂する可能性が高まっている。独立を求める声が強い南部は、住民投票に先立って4月に予定される大統領選を軽視するかのように、格下候補を擁立した。独立後をにらんだ動きと受け止められている。

 大統領選は、20年以上続いた南北内戦を終結させた05年包括和平合意の一環。北部拠点の与党・国民会議党(NCP)は現職バシル氏が立候補を表明した。これに対し、南部で内戦を戦ったスーダン人民解放運動(SPLM)は、アルマン副事務局長を擁立した。全土での知名度はバシル氏に及ばず、当選の可能性は低いとされる。

 当初、南部はSPLM議長で、現在同国の第1副大統領を務めるキール氏を擁立するとみられていた。しかし、議長は、同時にある南部スーダン自治政府の大統領選に立候補することに。キール氏は独立後、南部の初代大統領に横滑りするとの見方が強い。

 和平合意の一環として11年1月に南部住民を対象に予定されている住民投票で、独立が認められるのは確実な情勢だ。当初、住民投票をめぐって厳しい独立認定基準を主張していたNCPが折れ、「投票率60%、賛成51%」で昨年12月、南北双方が参加する議会に承認されたためだ。

 南部が独立を望むのは、北部への根強い不信感のためだ。南部が産出する石油の収入均等配分など、和平合意を北部が破っているとSPLMは主張。南部で絶えない民族衝突の背後に北部が介在しているとも、非難している。

 また、大統領選投票の基礎になる人口調査や有権者登録手続きでもNCPが不正を企て、北部が有利な状況にあるとの見方が南部には強い。和平合意の際に南北和解の象徴とされた大統領選への期待は、南部ではもはや消えている。

 一方で、北部には南部の独立阻止を求める声が強い。大統領選でバシル氏が再選を果たせば、住民投票に向け、さまざまな手を打ち、南北対立が再燃する可能性もある。

1135チバQ:2010/01/22(金) 19:04:30
http://sankei.jp.msn.com/world/america/100122/amr1001221848015-n1.htm
【ハイチ大地震】活発化する孤児との養子縁組に批判も (1/2ページ)
2010.1.22 18:46
 【ニューヨーク=松尾理也】多数の死者を生んだハイチ大地震で、親や家族を失った孤児たちを引き取る「養子縁組」を求める欧米先進諸国の動きが活発になっている。すでに子供たちがハイチを出て欧米に移る動きが具体化しており、斡旋(あつせん)団体などは、明日の生活がどうなるかもわからない孤児たちにとり先進国に引き取られるのは幸せ、と主張している。一方で、拙速な養子縁組は家族や地域のつながりを引き裂くだけとの批判も強い。

 地震発生から数日後のポルトープランス国際空港。各国からの支援チームや救援物資を載せた飛行機が夜を徹して離着陸を繰り返す中、1人の米国人男性が携帯電話に向かって怒声を挙げていた。

 「約束が違うじゃないか。あと1時間だけ待つ。それまでに誰でもいいから子供たちを連れてこい」

 男性は、養子縁組の斡旋のためにコロラド州からプライベート・ジェット機で現地入りした。孤児院と交渉した結果、子供5人を引き取ることで話がまとまった。ところが空港で待機していたところ、子供たちは決心が鈍ったのか、時間になっても現れなかった。

 空港は緊急援助の飛行機で大混雑しており、男性のプライベート・ジェット機は退去を命じられた。焦った男性は「この際、米国に行きたいという子供ならだれでもいいから連れてこい」と、乱暴さはエスカレートする一方だった。

 オランダのアムステルダム空港には21日、ハイチの孤児106人を乗せた航空機が到着した。92人がオランダ国内で、残る14人がルクセンブルクで養子縁組する予定という。

 米政府はすでに養子として米国にやってくる孤児に対するビザ免除を決めている。キリスト教の博愛精神ともあいまって、途上国からの養子縁組受け入れは欧米では珍しいことではない。しかし、今回の地震ではあまりに混乱が大きく、両親の死亡が完全に確認されていないのに国外に連れ出される懸念や、子供たちの意思が十分に確認されているかどうかについての疑問などもつきまとう。

 カナダのNGO「SOS子供村」の幹部は同国のテレビに、「こうした危機的状況の中で、子供たちを自分自身の社会や文化、言葉から引き離すのはいい考えではない」と批判した。

 今回に限らず、中南米の最貧国であるハイチでは先進国への養子縁組が日常化しており、問題を指摘する声が挙がっていた。欧米諸国で一般に養子縁組といった場合、子供には新しい名前が授けられ、従来の家族とのつながりを絶つことを意味するのに対し、ハイチでは、一時的に裕福な家庭に預ける「里親制度」と混同して理解している親が多いことも、トラブルの一因になっているという。

 また、国連児童基金(ユニセフ)は、震災孤児が人身売買されることを警戒し、不法に国外へ連れ去られることがないよう主要な空港に要員を派遣し、子供の出国を監視し始めた。

1136チバQ:2010/01/22(金) 19:05:26
http://www.cnn.co.jp/world/CNN201001220019.html
2010.01.22 Web posted at: 18:09 JST Updated - CNN
ワールド
ハイチ警察、コメを盗んだ疑いで男性射殺 取材班の目前で
ポルトープランス(CNN) ハイチ大地震で甚大な被害を受けた首都ポルトープランスで21日、コメを盗んだとの疑いをかけられた男性が路上で警官に射殺された。現場を通りかかったCNN取材班が目撃した。男性の遺体は数時間にわたり、路肩に放置されていた。


駆けつけた遺族が確認したところよると、死亡したのは大工として働いていた20歳の男性。同行していたもう1人の男性と、近くにいた別の男性が負傷した。


近くの商店主らによると、現場では通過中のトラックからコメ5袋が落ち、通行人らがこれを拾おうと集まっていた。負傷した同行者は「運転手がトラックを止め、コメをプレゼントとして分けてくれると言った。もらおうとしていたら警官に撃たれた」と話している。


CNN取材班は警官が男性ら2人を拘束しようとした場面を見かけ、撮影のため車から下りている時に4発の銃声を聞いた。2人が背中を撃たれ、路上に倒れているのが見えた。もう1人の負傷者はCNNに、「バスを待っていたら流れ弾に当たった」と話した。


地元の警察幹部が呼んだという救急車は到着せず、近くに居合わせた国連ハイチ安定化派遣団(MINUSTA)要員が負傷者を搬送した。同幹部は、銃殺の経緯を詳しく調べると述べた。CNNが政府のコメントを求めたが、回答は得られていない。


ポルトープランスでは各地で被災者らによる略奪が発生し、警官が発砲したとの報告もあったが、いずれも確認されていなかった。


ハイチの警察は長年、不当逮捕や拉致、虐待などへの関与が指摘され、国際人権団体から批判を受けている。

1137チバQ:2010/01/23(土) 20:14:58
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20100123dde001030030000c.html
ハイチ大地震:テント病棟、止まらぬ涙
 【ポルトープランス庭田学】ハイチを襲った大地震から22日で10日がたった。首都ポルトープランスの各病院では、今なお負傷者が次々に搬送されている。

 首都北西部の貧困地区シテソレイユにあるショスカル病院。右足の一部を失った少年が、中庭に臨時に設営されたテント病棟の下で涙を流していた。

 ここ数日、ハイチの気温は30度を超えている。テント病棟で患者に付き添う人々は、段ボール紙であおぎ、少しでも苦しみをやわらげようとしていた。

 同病院に支援に入っている「国境なき医師団」のファレス医師(エジプト)は「患者は次々にやってくるので現在の人数はわからない。300〜400人ではないか」と話していた。

1138チバQ:2010/01/24(日) 10:30:40
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2010012402000064.html
ハイチ大地震 孤児の不審な出国例も確認
2010年1月24日 朝刊

 【ニューヨーク=加藤美喜】ハイチ大地震で孤児となった子どもたちの人身売買が懸念されている問題で、国連児童基金(ユニセフ)は二十二日、約三十の援助機関と協力し、孤児たちの保護センターを同国内に三カ所設立したと明らかにした。計約九百人を収容できるという。

 広報官は、孤児たちが実際に病院から姿を消したり適切な書類なしに出国した報告があると認め、ハイチ政府が調査中だと述べた。

 また「人身売買の多くは混乱状況で起きる」と指摘。不法な養子縁組や誘拐、性的虐待などから孤児を守るために、病院や空港、国境での監視を強化したと述べた。

 保護センターの場所は非公開で、ユニセフはホットラインを設けて子どもたちの情報を収集。各地の施設に入りきれない孤児たちをセンターに保護して、親族との再会に全力を尽くすという。

 ハイチの孤児をめぐっては、欧米を中心に養子縁組を求める動きが加速。ある国連筋は「実際は適切な養子縁組書類もなく、パスポートだけで出国していく子どもが多いが、ユニセフは警察ではなく、監視には限度がある」ともらした。

 一方、ロイター通信によると、ナポリターノ米国土安全保障長官は同日、地震後に不法入国したハイチ国民は強制送還する方針を示した。米政府は二十日、地震前の滞在者については、特例として十八カ月間の就労許可を与えると発表したばかり。被災者が無制限に流入しないよう、くぎを刺した形だ。

1139チバQ:2010/01/24(日) 17:00:32
>>1005>>1018
http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012401000250.html
26日にスリランカ大統領選 「救世主」と「英雄」が対決
 【コロンボ共同】反政府武装組織タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)との25年以上に及ぶ戦闘が昨年5月に終結したスリランカで26日、大統領選の投票が実施される。22人が立候補しているが、内戦を終結させた国家の「救世主」とあがめられる現職ラジャパクサ大統領(64)と、野党統一候補で、戦闘を司令官として指揮した「英雄」、フォンセカ前参謀長(59)による事実上の一騎打ちで、接戦となる可能性がある。

 ラジャパクサ、フォンセカ両氏は同国で約75%を占める多数派のシンハラ人。シンハラ人票を二分するため、約20%の少数派タミル人票の行方が勝敗を左右する。

 両候補とも、内戦後の復興や少数派タミル人との民族融和を公約に掲げ、タミル人が多く居住する北部や東部の票の取り込みに必死だ。

2010/01/24 16:25 【共同通信】

http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2010012400077
「英雄」2人、一騎打ち=26日内戦後初の大統領選−スリランカ
 【ニューデリー時事】四半世紀余に及ぶ内戦が昨年5月に終結したスリランカで26日、大統領選挙が行われる。ラジャパクサ現大統領と、その下で軍を指揮したフォンセカ前陸軍司令官の2人が互いに、戦争を勝利に導いた「英雄」を自任し事実上の一騎打ちを演じる見通しで、接戦が予想される。
 ラジャパクサ氏は内戦勝利の勢いを再選につなげようと、昨年、任期を2年近く残した選挙前倒しを決めた。当初、再選は確実視されたが、11月に同氏との対立から軍を退いたフォンセカ氏が主要野党の統一候補として出馬表明。「変革」をキーワードに政権の汚職一掃などを唱え、都市部を中心に支持を伸ばしている。(2010/01/24-14:38)

1140チバQ:2010/01/24(日) 17:02:49
>>404>>415
http://www.cnn.co.jp/world/CNN201001240008.html
2010.01.24 Web posted at: 15:31 JST Updated - CNN
ワールド
ナイジェリアの宗教間衝突、「回教徒150人死亡」と人権団体

ナイジェリアの宗教間衝突による死者の遺体が発見された集団墓地を埋める作業員ら=23日ラゴス(CNN) キリスト教徒とイスラム教徒の対立が続いている西アフリカのナイジェリアについて、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは23日、少なくとも150人のイスラム教徒が死亡したとの報告を受け、調査を強く求める考えを表明した。


複数の目撃者が同団体に語ったところによると、武装勢力が19日に中部ジョス近郊のクルカラマ村のイスラム教徒を襲撃し、逃げる人々を殺害したり、生きている人々に放火するなどの行為に及んだ。ジョスの指導者らや記者団はその後、井戸や下水道から多数の遺体を発見した。これまでに収容された遺体は子ども22人を含む121人で、現場の家屋の大半やモスク3カ所は全焼していた。


武装勢力はキリスト教徒とみられるが、あるイスラム教指導者は、犯行を阻止しようとしたキリスト教の牧師も武装勢力に暴行されたと指摘した。同団体はこうした目撃者らの発言に信ぴょう性があると判断し、犯罪として捜査するようジョナサン副大統領に求めている。


情報通信省の関係者はCNNに対し、先日宗教間衝突があったことを認める一方、死者数や行方不明者数については確認中だと述べるにとどまった。

1141チバQ:2010/01/24(日) 20:17:10
http://www.asahi.com/international/update/0124/TKY201001240125.html
ウィー・アー・ザ・ワールド再び? 米芸能界ハイチ支援2010年1月24日19時5分


 【ロサンゼルス=堀内隆】大地震に見舞われたハイチの支援のため、米芸能界が総出で奔走している。22日夜に放映された募金集めの番組には俳優や歌手ら100人以上が出演。25年前のアフリカ救済のキャンペーン曲「ウィー・アー・ザ・ワールド」をハイチのために再録音する話も持ち上がっている。

 番組はロサンゼルス、ニューヨーク、ロンドンとハイチの首都ポルトープランスを結び、俳優のジョージ・クルーニーさんがホストを務めた。スティービー・ワンダーさんやマドンナさんらが次々と曲を披露し、募金を申し出る視聴者からの電話も取った。米国では3大ネットワークを含む30以上の局で放映された。

 クルーニーさんやブラッド・ピットさんらは、それぞれ100万ドル(約9千万円)を寄付したという。

 アーティストたちが社会問題のためにこぞって行動するのは、ハリウッドの伝統。2005年のハリケーン・カトリーナの被災者支援にも立ち上がった。そのさきがけが、85年のアフリカ飢餓救済キャンペーン「USA・フォー・アフリカ」だった。

 当時のキャンペーン曲「ウィー・アー・ザ・ワールド」を2月1日に再録音し、売り上げをハイチ支援に使う計画は、ハリウッド情報を伝えるブログサイトが20日に報じた。オリジナルを故マイケル・ジャクソンさんとともに作詞作曲したライオネル・リッチーさんと、プロデュースしたクインシー・ジョーンズさんが、再録音への参加をアーティストたちに呼びかけているという。

1142チバQ:2010/01/24(日) 20:18:12
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/disaster/2686007/5225534
「ここに政府はない」、見捨てられたスラム住民の叫び ハイチ大地震
2010年01月24日 11:57 発信地:ポルトープランス/ハイチ
【1月24日 AFP】(写真追加)ハイチの首都ポルトープランス(Port-au-Prince)には、長年にわたりギャングの支配下にある悪名高いスラム「シテ・ソレイユ(Cite Soleil )」がある。

 12日(日本時間13日)にハイチを襲った大地震で壊滅的な被害を受けたポルトープランスに、被災者の救援物資配付の適切な設置場所を探すため調査に派遣された米軍の空挺部隊員たちがその男を見たのは、このシテ・ソレイユだった。

「地元住民は路上で生活している被災者家庭の子供を連れ去りに来たと思って、がれきでその男の頭をたたき割ったんだ」。空挺部隊のために通訳をしているレジー(Reggie)はこう話す。

 シテ・ソレイユの住民たちは血にまみれて路上に横たわる男性の遺体をまったく気にする様子もなく周囲に立っている。遺体にはハエの群れがたかり、その周囲には23日の早朝にその男の命を奪ったがれきが散乱している。

 住民の一部は銃をもっている。その大半はピストルなどの小型拳銃。「でも全部偽物だ」とレジーは話す。

■住民を支配する絶望

 救助活動の専門家、バイロン・ミドルカウフ(Byron Middlekauff)は、地元住民はお互いに争うこともあるが、米兵に対しては攻撃的になることは決してなく、ただ絶望しているのだと話す。「救援物資の配給を受け取りにやって来たある地元の男性は脚を骨折し、すねの骨が皮膚から突き出していた。救援活動のスタッフが医療処置を施そうとしたがそれを断り、ただ水が欲しいと言っただけだった。私は信じられなかった。そのうち彼の脚は腐り落ちるだろう」

 お腹をすかせた大勢の住民たちが、倉庫のような外観の巨大な教会に押し寄せた。ミドルカウフ氏が「この付近にギャングはいるか? どうやってギャングだと見分けるか?」と尋ねると、集まってきた住民は「10〜20人のグループでうろついている奴らだ。卑劣な顔つきで、体からマリフアナの臭いを漂わせている」と答えた。

■「ここに政府はない」

 ハイチ政府についてどう考えているかとの問いには、住民たちは口をそろえてこう答えた「ここに政府は存在しない。安全な生活を保障してくれない。警察も守ってくれない。国連(UN)もだ」

 米軍はハイチの地域団体のCommunal Section Councils(CASEC)とCommunal Section Assemblies (ASEC) に連絡を取ろうとしたが、まったく連絡がとれなかった。ようやく探し出したCASECの助手ギロー・ジョスリン(Guilloux Jocelyn)さんは、同団体が市内の各所で起きている混乱状態を招くことなく水やインスタント食品を配付できると断言した。

「この地域にギャングはいないが、小競り合いはしょっちゅう起きている。住民の一部はピストルを持っているが住民に対しては使わない。ピストルを使う場合は別の場所へ行くはずだ」

 シテ・ソレイユの住民は12日の地震発生以来、政府から完全に無視されているとジョスリンさんは話す。「この地域の住民にとって政府は存在していないも同然だ」(c)AFP/Charles Onians

1143チバQ:2010/01/24(日) 22:01:20
>>1139
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/100124/asi1001241932002-n1.htm
内戦幕引きの英雄一騎打ち スリランカ大統領選 (1/3ページ)
2010.1.24 19:31
【コロンボ(スリランカ南西部)=田北真樹子】スリランカで26日、昨年5月に四半世紀にわたる内戦が終結後、初めてとなる大統領選が行われる。20人以上の候補者が乱立する選挙戦は、2期目の当選を狙うラジャパクサ現大統領(64)と、野党統一候補で、内戦終結時の政府軍参謀長、フォンセカ氏(59)による事実上の一騎打ち。有権者は、内戦に幕を引いた“英雄”である2人のどちらに国造りを委ねるのか、注目される。

 スリランカでは大統領の任期は6年だが、就任から4年が経過すれば、任期途中でも再選を目指し大統領選に打って出ることができる。2005年11月に就任したラジャパクサ氏は、昨年11月に選挙の2年前倒しを表明した。少数派タミル人による反政府武装組織「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)との内戦を終わらせた英雄としての評価を当て込み、再選を確実にする狙いがあった。

 ところが、軍のトップとして内戦終結を実現したもう一人の英雄、フォンセカ氏が参戦し、状況は一変した。ラジャパクサ氏との関係悪化が、軍を退き政治家へ転身した理由の一つとされるフォンセカ氏に、全野党が支持を表明したのだ。その中には、LTTEの支援を受けていた政党連合「タミル国民連合」(TNA)も含まれている。

 両氏は多数派のシンハラ人で、最大の票田であるシンハラ人票が割れることは必至。北部と東部の少数派タミル人の投票動向が勝敗の鍵を握るとみられている。だが、そこでは、民族問題の解決や「変革」を掲げ、ラジャパクサ氏一族による政治支配と汚職体質の一掃を訴えるフォンセカ氏が優勢だとの見方が強い。

 これに対抗し、ラジャパクサ陣営は、ネガティブ(中傷)キャンペーンを展開。TNAの支持を受けたフォンセカ氏が再選されれば、LTTEが復活し再びテロが起こると恐怖心をあおり、同氏は汚職にまみれていると批判のボルテージを上げた。

 とはいえ、両氏はLTTE掃討のためにタミル人を共に弾圧した当事者同士。その「二者択一」であるだけに、これまでLTTEの支配下で投票権を行使してこなかったタミル人が投票するかは微妙だ。タミル人の投票率が伸び悩めば、シンハラ人票が集中する南部を中心に強い基盤を持つラジャパクサ氏が、若干優勢だともみられている。

 情勢が拮抗(きつこう)し、大統領選の結果は4月以降に実施される総選挙をも大きく左右することから、両陣営による衝突は後を絶たない。昨年11月中旬の大統領選公示以降、選挙期間中の暴力事件などは700件を超え、4人が死亡した。フォンセカ氏は23日、ラジャパクサ陣営が有権者の投票を暴力で妨害しようとしているとし、「暴力は選挙の不正を後押しする」と非難した。

 国連や欧州連合(EU)は、準備期間の不足を理由に選挙監視団を送り込んでいない。

     ◇

 ■スリランカ大統領選 有権者は約1409万人。うち7割がシンハラ人、2割がタミル人といわれる。投票は全国22選挙区で行われ、有効投票数の過半数を獲得した候補者が当選する。いずれも過半数に至らない場合は、上位2人の票を再集計し、得票数が多い者が当選となる。

1144名無しさん:2010/01/25(月) 12:31:51
http://www.asahi.com/international/update/0124/TKY201001240198.html
内戦終結の両雄、過熱 スリランカ大統領選26日投開票(1/2ページ)
2010年1月24日22時38分
 【コロンボ=武石英史郎】スリランカで26日、大統領選が投開票される。反政府勢力タミル・イーラム解放の虎(LTTE)との四半世紀に及んだ内戦を終結させたラジャパクサ大統領(64)と、軍事作戦を指揮したフォンセカ前政府軍参謀長(59)の事実上の一騎打ち。分断国家を統一した指導者と立役者だった2人の接戦は、運動員への銃撃事件で死者が相次ぐなど不穏な空気が流れている。

 「私への反対票は祖国への反対票。祖国を分断し、LTTEの復活を試みる陰謀を勢いづかせることになる」。選挙戦最終盤の22日、中心都市コロンボ近郊で演説した大統領は声を張り上げた。

 昨年5月にLTTEを壊滅させて以来、自ら率いる与党・統一人民自由連合が地方選挙で連勝。余勢を駆って2011年末の任期切れを待たずに大統領選を2年前倒しすると決めた。当初は圧勝が予想されたが、内戦終結の立役者として人気が高いフォンセカ氏との不仲が表面化し、雲行きが怪しくなった。

 野党各党は、親欧米自由主義路線の統一国民党から左翼民族主義の人民解放戦線まで、思想信条はバラバラだったが、「反大統領」の一点で結集。統一候補として同氏擁立で足並みをそろえた。

 ラジャパクサ政権は、内戦時の戦争犯罪の疑いで国連から調査を求められているほか、政権に批判的な報道関係者を弾圧するなどして国際社会から批判を浴びてきた。フォンセカ氏自身も政府軍のトップとして、こうした政権の「暗部」と無縁ではないはずだが、立候補後は態度を一変。「腐敗した独裁政権と決別し、民主主義を確立しよう」と訴え始めた。

 多数派シンハラ人同士が競い合う中、鍵を握るのは少数派タミル人だ。大統領は、内戦終結後も軍が監視する避難民キャンプに留め置いていた最大30万人のタミル人の帰還を加速させ、支持の拡大を狙った。しかし、最大の民族政党タミル国民連合はフォンセカ氏支持を決定。「彼が好ましいとは誰も思わないが、タミル人を冷遇した大統領を倒すために決断した」(タミル語紙の幹部)という。

 タミル人の懐柔が難しい状況になると、大統領陣営はフォンセカ陣営がタミル人と結託してLTTEが復活すると訴え、シンハラ人の不安をあおる戦術に転換。政府系メディアは連日、フォンセカ氏への批判を展開。最高裁は15日、政府系メディアに「バランスのとれた報道をするように」と異例の命令を出した。

 大統領に批判的な新聞社を武装した警官隊が家宅捜索するなど、言論への締め付けも続く。内戦終結から半年以上たっても非常事態宣言が解除されておらず、令状なしに逮捕や捜索ができる権限が警察に与えられている。

 選挙に絡んだ暴力事件も相次ぐ。候補者の遊説先へ向かう運動員のバスが銃撃され、閣僚宅に爆弾も投げ込まれた。双方の陣営で計4人が死亡した。20日には「フォンセカ氏の遊説先に爆弾が仕掛けられた」といううわさが携帯メールを通じて広がり、集会が中止に追い込まれた。

 24日付地元紙によると、約1400万人の有権者のうち約100万人分の投票所入場券が未発送で、投票の際に必要な身分証の略奪が相次ぐなど、各地で混乱が起きている。結果確定後に敗れた陣営が反発し、暴動が起きる可能性も指摘されている。

1145チバQ:2010/01/25(月) 20:30:38
>>1119-1121
http://mainichi.jp/select/world/news/20100125dde007030007000c.html
’10ウクライナ大統領選:親露派ヤヌコビッチ氏勝利へ 気勢上げる地元
 ◇「オレンジ革命の敗北」リベンジ
 17日のウクライナ大統領選で1位となり、決選投票(2月7日)に進んだ野党・地域党党首、ヤヌコビッチ前首相(59)の地盤は、親ロシア派の多い東部ドネツク州にある。前回04年の選挙で民主化運動「オレンジ革命」により敗北しただけに、地元支持者らは「今度こそ勝利する」と気勢をあげていた。【ドネツク州で大前仁】

 石炭産業が盛んな州都ドネツクから北東約50キロにあるヤヌコビッチ氏の故郷ラスドロフカ。吹雪の雪道を歩いていた炭鉱労働者のアレクシーさん(37)は「ヤヌコビッチ氏はここの道路を造り、近郊に工場も建ててくれた。決選投票も当然、投票する」と話す。同氏は地元運輸会社からたたき上げで州知事、首相に上り詰めた。「利益誘導型の古い政治家」ともいわれるが、母校の第34学校の関係者は「我々の誇り」と口をそろえる。

 住民の多くはロシア語を第1言語とし、親露感情が強い。親欧米のユーシェンコ大統領は反ロシアの立場を取ってきたが、60代の女性は「ヤヌコビッチ氏が大統領になって対露関係を良くしてほしい」と話した。また、決選投票で一騎打ちとなるティモシェンコ首相(49)について、国立ドネツク大学の女子学生は「首相として何もしてこなかった裏切り者だ」と切り捨てた。

 ヤヌコビッチ氏は6年前の大統領選で、いったん「勝利」とされたものの、不正集計疑惑によるやり直し選挙で落選した。ドネツク州の陣営幹部を務めるブリズニュク元知事(62)は「前回は結果が不当に覆された。ヤヌコビッチ氏が当選したら、ユーシェンコ政権の(5年間の)不法行為を徹底的に追及すべきだ」と主張する。

 第1回投票で、ヤヌコビッチ氏は全国で35%を得票。州別ではドネツク州の76%をはじめ、ロシア系住民の多い東部・南部で圧倒的な強さを見せた。一方、欧州志向の強い西部や中部はティモシェンコ氏(全国で25%得票)が押さえ、親露派か親欧米派かで国を二分した格好だ。

 「オレンジ革命の再来はない」。ある陣営幹部は雪辱戦での勝利に自信を示す。ただ、「相手(ティモシェンコ陣営)も必死だ。楽勝というわけにはいかないだろう」と引き締めに余念がない。

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 ■ことば

 ◇オレンジ革命
 04年ウクライナ大統領選の決選投票で、ヤヌコビッチ氏が中央選管に「当選」と認定されたのを機に始まった反対抗議行動。対立候補である親欧米派のユーシェンコ氏が、ティモシェンコ氏の支援を得て、選挙の不正を批判、支持者はオレンジ色の旗をシンボルに大規模集会を連日実施した。投票のやり直しの結果、ユーシェンコ氏が当選、大統領に就いた。


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