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明主様
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独特の言い回し
確かに独特の言い回しでしたね(笑)
>外=他人ということですか?
はい、そうです。自分の外側全部(東山さん以外全て)という意味です。
誰にでも共通している事として、この世には自分と自分以外しか存在しないという意味で
今回の件で言えば「一番さん」が外側で、その行動とは「クドク書く事」ですが、
一番さんの事に限らず、日常でも家族や友人、職場の誰かなど、東山さんの外側全部
という意味まで含めて書いたので、そんな表現でした。
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1番さん
題名が「佐藤さん」と名指しになっていたので一応返答しますが、
特に私だけに宛てた内容でもなさそうなので無題又は何か違う題名のほうが相応しいように
思いますが。
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佐藤さん2
二人の内容を一つの宛名で書く、
確かに 、私は 雑な人間、開き直ったらいけませんが 素直じゃないですね、以後気をつけます 。
私がくどいというのは 、多くの人が思っておられるでしょう 。徹底的に やりますから、 この世界救世教、明主様関係だけですね。
あとは私は そうじゃないと思う、これもまた分かりませんが 。ただ面倒くさいのは、あなたも 文章で書いておられるが 、もちろんありません。
しかし どういうものか、 執念深い 龍神ですね。
一つのことに 思いを馳(は)せたら
黒いものを 白くなるまで擦(こす)り続ける。
私が救世教の信者から始まっていたら、また違っていたかもしれません。 離脱教団から始まった 。これも決まっていたことと思います。
世界救世教は 解散しなければいけない。 これは腹の底から思います。 お前は同じことばかり書いて 、しつこいと思われるかもしれません、 解散するまで言います。
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1番さん
>確かに 、私は 雑な人間なので、開き直ったらいけませんが 、以後気をつけます 。
今回の件で、どこか自分で開き直った自覚みたいなもんがあったという事しょうか。
>徹底的に やりますから、 この世界救世教、明主様関係だけですね。
「教団の上層の人に直接伝える」という事をやらずに、今の様な「間接的なやり方」を
続けている現状の自分を、「徹底的にやっている」と思える感覚が私には理解できません。
>ただ面倒くさいのは、私はあなたも よく文章で書いておられるが 、もちろんありません。
ちょっと何を伝えたくて書いた文章なのか意味が良くわかりません。
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佐藤さん、3
>今回の件でどっか自分で開き直った自覚があったのか?
これは、私の言い回しですね。 宛名、二人ぶんを一人に書いて 、 どうして一人一人、丁寧に書かないのか、
横着者、
それを雑な人間と自己分析、 自分の性格なのでしょうがない となるんです。この文は 、これを開き直りになると思いました。ややこしいですか、
難しい、文章は。
> 徹底的にやるということ
私が上層部にいって、あんたたちは間違っとる。この教団は 解散しろ!
と言ったって 効果はない。 それは分かりますよ 。
それこそ空気を読めですね。
また
>間接的な掲示板に書くだけで、徹底的にやっているというのが理解できない。
ここで嫌がられるほど 投稿する 世界救世教の人達に対して
これが最大の私の抵抗の場と思う。もちろん上層部にいって話すことはできますが 、時期ですね。また 私がやるんじゃない。
わんわん騒いで 相手にアプローチをかけるということもある。
>ただめんどくさい、あなたもよく文章に書いておられるが、
これは 旧 掲示板で私が楳木メシア教を批判したことにあなたが、 少し絡んでこられた、私がそれに返答した 、あなたは自分は面倒なことは好きではない。
そういう争いは関心ない意味だと私はとりましたが 、と書いてあった。
それが頭にありました 。これは見てもらったらわかる。過去のプリントがある。
それを思い出し、文章に加えた。
大した意味はありませんが 、難しいね。 文章を書くは。
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(無題)
開き直るの「開く」にしても「直る」にしても、私には開き直る前よりも、良い処へ進む
イメージがありますが、自分の事を自分で正確に把握できて短所を全肯定できれば、凄く
楽で「自然体」に向かえる事になると思ってます。
世間一般では、まだ短所をダメ出しする傾向はあると思いますが。
「自分の性格なのでしょうがない」では妥協や諦めというか、許せてない感じですが、
「それが自分らしさであり自分の魅力なんだ」という事に気付けるかどうかだと思う。
>私がやるんじゃない
自分でやらずに、まだ他の誰かに期待してるんですか?時期じゃないとかは言い訳ですよ。
時期じゃないなら、他の誰かにとっても時期じゃないんじゃないですか?
自分では直接手を汚す事なく他の誰かを使って自分の目的を達成したがる考え方のまま
明主様に対して自分を誇れないでしょう?明主様!今の私を見て下さい!と。
できると書いてますが、できないですよね?やろうとすると喧嘩腰になっちゃいそうで。
自分で出来ない事を人に期待するのはどうかと思いますけどね。
もうこれ以上は、やり取りしてもまた無駄な感じになるかと思うので、私からはもう特に
ないです。結論を書けば、結局の処それは私の問題じゃなくて1番さんの問題ですから。
私は現状の教団は全てそのままで何も問題ないと思ってますから。以上です。
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(無題)
解散するまでやる
それが目的、本音だったんですね。
もっと純粋な思いかとおもってました。
自分はやはり2026年〜新しい世界が入ると個人的は思っています。
突っつくのは逆効果、争いしか起こらない。
もっと賢く行きましょうよと思ってしまいますが、それは大きなお世話ですね。
そうこうしてる間に地上天国が来て、救世教が解散どころか、ご自分の所属、全ての宗教が無くなる時期になってしまわないように、賛同はしませんが、まあ頑張って下さいと言っておきます。
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佐藤さん、リーチさん、
言葉を人に伝えるというのは本当に難しい。
一つの思いをパッと書いたら 、他の人には通じない。
相手を理解する人は 、相手の立場になって書ける。そう思うと自分がなくなってしまう。
自分の意思をもって、相手の立ち場にもなるように書く、だからこれがない、ド、ストレートに書いたら批判が返ってくる本当に難しい。
ここが東山さんの思いに通じるのかなとも思う。しかし、 これはまた人によって余計なお世話という人もいる、 でも、この 行き違い 。ここが 人生の面白さ。
これを書くと、また 批判が返ってくる。
さて 話は本題に
まず佐藤さんが
> 自分がやるんじゃない、自分でやらずに人に期待する これは言い訳だ。
これは神様がなされる。明主様がされるんですから 、 人間は 何もせずにじっと黙っとったらいいと思うんです。なるようになる 、もう今そういう時期だから、 これがわからん人は、自分で ワイワイやる。
>私は現場の教団は全てそのままで何も問題ないと思う。
私も全く同意見です 。そう言ったら、またおかしいかもしれません。
しかしいっぺん玩具箱をひっくり返して、 綺麗な元の形に戻すのが 、本当と思うから、??バラバラ 解散と書きました。
私が神慈秀明会ばかり取り上げるので偏ってると捉える人もいるかもしれません。
が神慈秀明会を知ってる人は少ない。また批判的に思っている人がこの掲示板には多い。だからあえて 書いているんですが 。
秀明は 国常立の系統、厳しいという偏りはあるんですね。 しかしこの厳しさが、これから新しい教団が形成される時 、明主様教団が 、
大きな働きをする。それを知っていただきたいので、あえて書いた。
リーチさん、
>解散するまでやる。それが本音だったんですね。 もっと純粋と思った。
本音、どストレートに書いたら徹底的に、潰すまでやるんですが、
私は世界救世教の信者でもある。
この辺は理解されないと思いますが 、世界救世教も意味があって存在している。
神慈秀明会は経の教団、厳しい。
世界救世教は緯の教団で優しい 。これが先で、いや、もうそんな遠い話ではないとは思うんですが、 手を結ぶ、これが経緯(たて、よこ) を結ぶ 伊都能売(いづのめ)と思いますね。
その方向になっていくと 私は捉えてます。
まだ神慈秀明会は世界救世教に対しては 厳しい感情を持っていますが、
世界救世教は神慈秀明会を全く知らないと思いますね。
どのようになるのか 、そこを見てますね。
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(無題)
しかしいっぺん玩具箱をひっくり返して、 綺麗な元の形に戻すのが 、本当と思うから、??バラバラ 解散と書きました
なるほど理解しました。
明主様は仏教は縦で、キリスト教はヨコの働き、だからキリスト教はヨコに広がったとおしゃっておられますね。
それはさておき、先程も書きましたが、批判等の突っつくことは、逆効果にしかなりませんよ。かえって反発が生まれるだけです。
昼の世界に入ってますから、引きのやり方、引きが大和魂ですよ。夜の時代ならツキで成功しましたが、今は違う時期と思います。
ワクチンでも、やいのやいの突っつく方がかえってワクチン信仰生むだなあと思いました。
賢く行きましょう。ツクのは時間の無駄です。
まあ個人的には統一せずにして、地上天国が来て、宗教は無くなると思ってます。
それぞれの明主様教団は跡地として、それぞれ観光名所となり、今の神社的存在として自由に出入り誰でも参拝できるような感じなるのではと思っています。その聖地を管理する人は数人いるでしょう。そう思っています。
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りーチさん
なるほど リーチさんのおっしゃるのはよくわかります。私もそうなるだろうなと、あなたの書込みをみたら思いました。
自由に神社のようにお参りできるようになる 。聖地も誰かが管理している。
それが地上天国の最後の形なんでしょうね。
その前に 明主様の されたことを 形とした団体、教団 この統一というのが、世界の統一になる雛形ですね。
それまでに立て分けがあるんでしょうね。
破壊と創造ですね。恐ろしい 。
そしてそれが終わって、残された人たちの 世界、それがあなたの言う ことだと思います。
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(無題)
未来は自分達の意思で、手で、みんなで力を合わせて切り拓いて行くものだと思います。
今、一人ひとりこの世に肉体を持って生かされている意味を思えば、そういう事になるはず。
人に期待するのも神に期待するのも同じことで、それは本来の意味の「お任せ」とは違い、
「外側への期待」は子供のする事だと私は思ってます。また独特な表現になりますけど(笑)
よく親が子供に自分の果たせなかった事を期待しちゃうケースもありますが、そんなのも
親自身が依存から抜けられていない子供(内面が子供)だからです。内面の自立未完成。
信仰も自立すれば、自分自身に期待出来る様になるんじゃないかな。(外から内に方向転換)
くじけそうになった時には共に支え合い、共に応援し合えるような関係が望ましいと思う。
いきなり大きな事は出来ないから、まずは自分の出来る事。自分の身の周りからコツコツと。
今の私自身はそんな感じで日々を過ごしています。
そういえば、最近知った言葉で「守破離」って、みなさん御存知でしたか。もし知らない方
は一度検索してみて下さい。もちろん興味あれば、ですが。
最終的にはやっぱり自分オリジナルの型ができるもんなんだなぁ。って改めて思った。
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佐藤さん
>本来人間が切り開いていくものだと思う。
私もそうだと思います。 そのために人間を作っておられる、この世では人間を使ってされるから、
しかしそれを動かしているのが神様ですね。
これは物の捉え方ですね。 だから 、これは誰がするんですか、神様がされるんです。というみ教えがある。
内容は違いますが 、自力で やる時期と、また 流れがそうなっていく、大きな神様の経綸として動く時期がある、 私はそこを書いたんですが、
操り人形がある。その糸を動かすのが人間、 それを動かしているのが神様。
人間を見るか、神様を見るか。
どちらもある。
見方が違うだけ。
これは大雑把ですかね、どういう風に書いたらいいのか。
あなたは人間力に捉え過ぎると 、人間的に見たらそう思う。 例えで申し訳ないが、東山さんに対するあなたの返答、人間の長所を見るところは素晴らしいと思う 、
僕は 個人的にはもう、あれは必要ない。「一言 あんた我が強い!」それでいいと思う。
そうしたら相手は、「何だっ!」と言ってきますが 、
そこをあなたは、「いや、あなたは、そこがいいんです。」と、人間的に持ち上げる。 僕はもう、今そういうのは 必要ないと思う。
それは、あのように書いたら、相手は気持ち良くなって 、攻撃的に返事はしてきません。
笑顔で返してきますが、 私のように書いたら、相手は攻撃的に返事してきますね 。
これじゃ解決しないと言うかもしれませんが。あなたは、人間的に囚われすぎている。 私は荒療治(あらりようじ)ですね。
そのような人達からは歓迎されると思う。 僕は変わりもんだから、
はっきり「白は白」、「黒は黒」という。
昼の世界だから 引く、突くというのは誤りである。
それは分かりますが 、ある時は 突くのも 必要だと思う。
私はこのように過激と見られるところがある。東山さんと共通か、あの人の気持ちは理解できる。 これを書くと叱られるかな。
今あなたの文章を読んで、 子供の長所を見て、親の期待で子供を見ない。そう思いますね。子供の個性を見守って育てる。
私は一人もんだから、子供はいない、もし子供がいたら、私は何も言わない。 好きにさせる。
それはハラハラドキドキ するかもしれません。自分が子供の頃、 思春期を想像して、親の立場で見たらそうなる。
若い頃だったら、 押さえつけて、何故言う通りしないのかと、叱責すると思う、
そこでその、 教育は違う。
?褒めて育てろ?になると思うんですが。
それは理解できますが 、私は変わりもんだから 、そういうのは今は必要ない。私は
好きにさせて、思うことあれば、 相手を泣かせてでも言いますね。 その代わりそれ以上は言わない。後はもう好きにさせる。
これは今の心境だから 言えるとも思う、 結構 角が取れてきたから、
そこで本題の>人間力してでも、しなければいけない。( 書いてる文章は違うかもしれませんが)
これは 私は人間的に捉えすぎていると思う。
必要ない。 人間にさせるというのは。
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(無題)
かまってちゃんあらしさん
精神的な浄化が奇跡でいっぱいの秀明のご浄霊でよくなっていきますように心よりお祈り申し上げます。
みなさん優しいですね。もう相手にしないほうがいいのかもしれません。
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翡翠さん
私が書いているのは文、相当きつい、裁いている。相手を責める文章 に取れる、
翡翠さん、あなたも元秀明ですか。
自分で今の前投稿、読み直したら そう見えます。(偏りに)、 それだったら書き直せと、言われるかもしれない、しかし こういう考えも自分の中にある。 確かに偏っているとは思いますね。
本当は 両方弁(わきま)えた、ちょうどいい発言が正解と思うんです。 私はただ相手を責めている。
また他の人は褒めている。
大乗的に見たら褒める方が正解だと思います。
こんな人間は
翡翠 さんの投稿通り相手にするな。
ところで、あなたはどうして秀明を辞めたんですか。
厳しい、強引 、それで辞めた人がブログで批判されてますね。
その中のお一人だろうが。 しかしその気持ちは分かりますね。 確かに秀明にそういう一面はある。
もうこの掲示板は、なくなるんだから 、今 思いの丈(たけ)を投稿されたら いい。
私に対する批判も 。
私も一投稿者、 かまって嵐ちゃん。
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1番さん
なんか私の投稿に、しっかり向き合って下さって、それに対して1番さんが思う事を
また一生懸命伝わりやすいようにと表現を考えながら書いてくれているのが、とても良く
伝わってきて、それはすごく嬉しい事なんですけど、
ものの観方とか考え方とか、また表現の仕方とか。人の数だけ存在するっていうか、本当に
人それぞれで多種多様で、各々それで(そのままで)イイと思ってますので、
お互いの意見を必ずしも一致させようとするところまで行こうとしなくてもイイんじゃ
ないのかな。って、率直にそう思います。私はそう考えるという事を伝えただけの事で、
1番さんは1番さんで、そう思われるという事で、良く分かりましたから、それでイイと
思いますよ。大事な自分の時間を使ってくれてどうもありがとうございました(拝)
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三千年の罪
クニトコタチ に太刀を振りかざす、天若彦の尊の絵ですが、
下が自分がモデルで、神慈秀明会で 奉仕者にとってもらいました。
どのようにできるか 、またどうしても、 魂の底から描いてしまいます。
三千年前に、そこにいたんでしょうね。
魂が覚えている。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005419.jpg
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佐藤さん
佐藤さん みんなそれぞれ自然に、 相手を不愉快な思いにさせないように、生きていく。たまには 不愉快に させることもあるかもしれませんが 、自然ですね 。
私もそう思います。人それぞれがあるから。
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(無題)
不愉快な想いに至るのは、その種(理由)を自らの内に持っているからに他ならず、
それは怒りについても同様で、外側に起こる現象は全てが「きっかけ」に過ぎません。
現象の対義語が本質であるように『現象(外・体)⇔本質(内・霊)』本質は全て内にあり。
人が人の心をコントロールできるように思うのは慢心です。
(人の不愉快や怒りを、自分の力、やり方次第で避けてあげれているという驕る心)
自分の想念の責任は全て自分自身の内に還す(責任転嫁とは完全に真逆となる考え方です)
内面の向上、人格者を目指す、本物の大人になる為には上記の様なそういう視点が結構重要。
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魂
本当ですよね、みんな種 があるんでよね。
野球のピッチャーでも、真ん中に玉が入らない、スピードボールで力はあるけど、どうしても上に登ってこれない選手がいますね 。
どうしてなのだろう。魂に、迷いがある。弱さがある 。
それは何か 、 前世で曇りを作っている。
また反対に自信を持って、 魂から球を投げる。そしてど真ん中に入るという選手もいますね。
自信がある 。魂が解決しているんですね。
野球見ない人には申し訳ない例えですが、
最近はそういう風に 野球を見ることがあります。
また今朝のテレビで 石原慎太郎が亡くなってたと報道 、石原は自分の意思を先に通す、 都知事の時ほとんど自宅にいると言ってました。記者が
質問したら、勉強してから来いと追い返すとか、
頭はいい。 母親は元世界救世教の信者と聞いてました、また過去、石原慎太郎の話に岡田茂吉が出てきますし、
息子達の会話に浄霊と、とれる話がある、だから み教えが入っているのかと、その辺が分からんと思ってたんですが、
息子が言ってたのが、 親父は無神論者で、死んだら無になる。と言っていた。
それで自分達は親父の骨を海に散骨したと言ってました。
これで分かりました 。岡田茂吉の教えを読んだことあるが、自分は信じない。
だから、生きている間、俺はやりたいことをやる。
慎太郎の日常生活が、そうだったから、オリンピック招致、築地市場移転とか、またお金の問題で、 頑固になってました。
骨というのは霊が宿るので、それをお墓に納骨で 、供養するというのが、大切だと、み教えにあります。 散骨したので魂が宿るところがないので、今迷っているんじゃないでしょうか。
( 一部残して、散骨したのか、全て散骨したのかは、分かりませんが)
み教えに あります。 あの世がないと言って亡くなった 作家 、痴(ち)ほうのように なって、訴えてきたとありました。
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(無題)
いつもこちらの掲示板で学ばさせていただいています。
石原慎太郎さんについて、明主様の教えを受け入れていないゆえ、生前も死後も不幸だとゆうことでしょうか?
信仰に本当に熱心な担当者が私の教会におります。
その方は、人生を明主様、神様に捧げているような生き様をしており、教会ではいつも輝いていつように見えます。
先生に気に入られ、先達に気に入られ。
ところが、その方は教会以外にただの1人の友人もいないんです。
友達が1人としていない。ただの1人もです。
親兄弟との交流も全く無い。
親戚との付き合いも一切ない。
家族とも、とても幸せに過ごしているとは思えない。
子供のことでもスッキリしない。
仕事もなければ、働く気もない。
友人もいないからお導きもできない。
金銭的にも困窮している。
老後の生活にも不安しかない。
ただただ教会に行っては、熱心に信仰の話をして他の信者や,信者さんが連れてきた未信者のお世話に明け暮れる。
この人以上に明主様の御教えを勉強している人は、少なくとも私の教会にはいないんですよ。
教会では最高に輝いてる。
それなのに家に行ってみればみじめそのもの。
石原慎太郎さんは、信仰はどうであれ、排ガス規制や尖閣の国有化など多くの仕事をして、家族愛に満たされて、金銭的にも満たされて、文学者として多くの作品を残しましたね。
豪邸(神に与えられた)に住んで、死後彷徨ってると言われる慎太郎さん
本当に彷徨っているのでしょうか
わたしには無知がゆえ分かりません。
わたしは、天国で慎太郎さんに笑っていてほしいです。
政治家であれば、何か正しくない判断等もあったでしょう。
だからこそ、全てが許されるよう祈りたいと思います。
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(無題)
おはようございます。
慎太郎さんの友人の1人さんのような投稿を見ると、
なんとかこのような場を継続したいものだ、と思います。
僕の感想ですが、
やはり自分がどうしたいのか、何が好ましいと感じるのか、
につきると思います。
例として挙がっている
慎太郎さん本人と熱心な信者さん。
それぞれ自分がしたいように、されていそうです。
そこは、とても大事。
その点では、僕は両者に好意的です。
したいことをすることに伴って
生じている浄化。
原因を改善できなければ、延々と再浄化している場合もありそうです。
それはどこまでいってもそれぞれの本人の問題。
それをどう見るかは、それぞれの他人の問題。
長所を重視すれば天国的になり、
短所を重視すれば裁き的・地獄的にその人がなる
のかな?くらいに思いました。
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慎太郎
これもまた見方ですよね あくまでも私は外野席の人間だから 長所を見ればあの人しかできなかった排ガス規制 あれは良かったですね 自分で自宅にてそして自分で思った時だけ 都庁 で仕事をするというのも型破りで面白いと思いますね。
どこを見るかですよね。 陽の当たっているところを見るか、 影になっているところを見るか、 ただ石原良純が言っていたのが 、親父は死んだら無になると言っていた。 だから散骨をしてほしいと言ったので、散骨したと言ってましたね。
そこから先は、もう人間の 関わるところじゃないから分かりません。
それと慎太郎 友人の人がおっしゃる。あなたの教会の知ってる人は、 み教えを学んでいるが、人付き合いが苦手で、自宅にこもり苦しい生活をしている。
しかし輝いていると思う。というのは、これは 分かりますね。
私は本来、人間が大嫌いで 、閉じこもりのような性格だと思いますね。
一人で家で 誰とも会わずに暮らす、というのが 自分の性格と思うところがあるんですが、 以前、
映画評論家、淀川長治が言っていたのが 、「私は嫌いな人間はいない。全て 受け入れる」と言っていたので、こんな人いるんだと思って、どういうことかなと思っていた。
しかしよく聞いたら、 本来は真逆な人だったと言ってました。だからバランスをとって、あいう答えをした 。これはしかし当たってると思いますね。
話は変わり、今タイトル「三千年の罪」の絵を書いているんですが、 迷っていて、上の絵がいいのか、下の絵がいいのか、どっちもよく見えるので 、他人の意見を聞いてみたいと思うんですが、
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005425.jpg
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(無題)
尖閣問題=ウクライナ問題
排ガス規制=環境問題=ワクチン接種推奨
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御教えに忠実に(型を守る)
「守破離」の「守」=明主様の言いつけ(型)をしっかり「守る」のが信仰の第一段階。
明主様は【常識】を重んじる様に。と仰っていたと思います。
今回、慎太郎さんの友人の1人として さんの投稿は、そこを点検する為の貴重な場面を
提供して下さったじゃないでしょうか。率直に、よくぞ投稿して下さったと思いました。
(自分には出来ない役割・使命)
【常識】ですが。余程の天邪鬼でもない限り、どこの誰にでも普通に通じる常識話として、
「死んだ人の事を悪く言うもんじゃない」というのは、ホント普通に当たり前の常識です。
故人に対しては「ご冥福をお祈り致します」という想念(姿勢)が基本ですよね。
その想いに至れない「良く思えない」等の気持ちは、それは、あったとしても仕方のない事
(本心は偽れないから)だと思いますけど、それを、自分が思っているだけならまだしも
不特定多数が閲覧可能な、言わば公の場(掲示板)で、それを平気で言えちゃう神経は
私には到底理解不能だし、相当ヤバい心持ちと自覚してもらって大丈夫だと思います。
メシヤ教の楳木さんの時も、確か私は見過ごせなくて、似た様な事を書いた記憶ですが、
1番さんは本気でそのままの自分で何処も問題ない。変わる必要はないと思えてますか?
見方の問題ではなく、あなた自身の問題として。
故人に対しても友人さんに対しても、心からの詫びが入れられて(そこを恥ずかしく思えて)
初めて普通の人でしょう。
確か、明主様御自身も、信徒の前で故人の誤り?だったかを説かれ、その故人の霊?から
「もうやめてください」と頼まれ冷や汗三斗の想いがした。的な話があったような記憶です。
minoruさんも、このタイミングでのその内容は、私から観ると同じではないが大差ない。
かな、正直なところ。
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(無題)
>このタイミングでのその内容は、私から観ると同じではないが大差ない。
なるほど。
どのように受け止めていただいても結構だと思いながら書き込みましたが、佐藤さんの主観ではそのように感じられましたか。
私としては慎太郎氏を善悪一方に見立てて批判する意味合いで書いたつもりはありません。
善悪は抜きにして、イコールで結んだような関連性(国際的な背景)はあると考えます。
それを観て、どう感じるのかは人それぞれでしょうね。
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いったい国とは何?
https://www.youtube.com/watch?v=Y2lt45U2BKw
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佐藤さん
これもまた見方ですね 。これは一般人と、公人は違う。
例えば レーニン 、ヒトラー、吉田茂、 公の立場にいた人は、検証という形で述べられるのは仕方ない 。
石原慎太郎は東京都知事として都民の命、財産を預かっていた人間ですからね。
これは楳木メシア教に対してもそうですね。私が楳木さんのことを書いたら、元楳木メシア教の人達は、死人に鞭打つと書いてありましたが 、あの人も信者を 自分の意図する方向に持って行こうとした 、これに倫太郎が異議を唱えた。それはひとつの検証ですね、明主様信仰の流れですね。あの人も公人です。
佐藤さんは人間的に、物事を捉える人だと、つくづく思う。 書いている事は、まっとうで、人間的に常識な人、 私が 投稿する事と違うので、私が過激に見えてくる、
私人と公人は違う。
これも中庸と思うんですが。
その前に やった事に対し、これは良かったのか、誤っていたのか検証を受ける責務がある。
死人に鞭打つなはそうだと思いますが、
公人に対してはまた違う。
では公人だったら、死んだ後、批判されてもいいのか、個人の尊厳はどおなのか、
それはまた話が違う。
段階がある。石原慎太郎は 都民の税金で アメリカ行った時に最高級のホテルに泊まって、 これに注意をした人に逆ギレしてました。あの感覚ですね。
自分が自宅にいて重要だと思ったら都庁に出かけ、仕事をする。これもおかしい。
誰も怖がって言わないんですね。
また築地移転にして、移転場所がガス工場後で、汚染土がある。そこに鮮魚市場を作る、これも後から問題になった。
オリンピックもそうですね 。 招致して相当なお金が使われた。 マイナスになってます。
あの人が辞める時に退職金から返済と言われましたが、あの人は知らん顔して辞めていきました。
問題を残しました。
一般人なら黙っておいてもいいかもしれない。
ただ人間としては裁いてはいけませんが、やった事の検証として 、良い悪いは、あっていいんじゃないでしょうか。
常識を重んじる 。これはみ教えだから、絶対守る。
明主様のみ教えは一点だけから見たら偏ります。
常識は重んじるが、また時によって 、人間的になり過ぎて、神様の常識を逸脱する事がある。
人間の物差しで測る常識と、神様の常識はまた違う。
慢心を超えた慢心は良いとありますが、 慢心はいけないという意味教えもありますね。 どちらもおっしゃっているんですね。
ここがあなたは私との 考えが全く違う所。
私は一発の弾で仕留める事を考える。あなたは何発も撃って仕留めているように見える。
これはちょっと大雑把ですかね。
何百回書いても、あなたには 通じないかもしれない。
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(無題)
全ての人の中にある、人間本来の「純粋で無垢な心」を取り戻す「きっかけ」としては、
もう充分過ぎるほどまで単刀直入にフルオープンの本音全開で伝えきれたと思っています。
胸に留めるのも聴き流すのも、それ(私の本音)の扱いは自由にして頂いて構いません。
あとは本当にご自分の意思で自由に選んで進まれたら良い。と、心からそう思います。
また後日、他の方の為にも、あらためて鏡に映る幻影(邪神)について書こうと思います。
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(無題)
おはようございます。
最近はちょくちょく喘息の発作が起きますが、
きつい喘息の時には、落ち着いた後に緑内障の視界が少し回復していることがあります。
浄化していない時には、視界の欠落が進む時がある。
その繰り返しをしていて、何とか仕事ができる状態は維持されています。
浄霊を続けていると、
頭の毒素が首肩を通って横隔膜⇒腎臓にくるから
その経路をよく浄霊するように教わっていて、
喘息の元は横隔膜の毒素だから、
概ね言われているように推移しているようです。
ありがたい・・・。
自分の基軸となる考え方・やりたいこと⇒タテ
周囲に与える影響を考慮すること⇒ヨコ
ここをきちんと分けて考えないと、
死者に対する態度にしても何にしても、
かみ合わないでしょう。
検証はタテ、常識はヨコだと思います。
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邪神として人を裁く
人間を邪神と言ってはいけない。 邪神扱いしては裁いた事になる。
それだったら、邪神というみ教えを、お書きになられない。
両方から見るんですね。邪神も働いていて、人間を動かしている 、私が邪神、々と世界救世教をあまりにも言うし、また楳木さんの事もそうですね。
あの人が色々立派なことは言っていますが、 問題起こして、それを一切表に出さなかった。
それを倫太郎が言いましたね。そしたら楳木さんはあなたは人を裁いていると言いました 。これは悪い事した人間が言う言葉ではないと、倫太郎は書いてます。
明主様は両方書かれている。
邪神扱いをする事で、教団の中が混乱した時期がありました。あの時に邪神、々と言ったらいかんと、おっしゃった。またご自分が大本教の頃に お守りを作った事で、周りから邪神扱いされた。
それを言われている 。そこを邪神、人を裁いてはいけないと、おっしゃっています。
そしてまた邪神も働いている、大いに注意しなさいともおっしゃって、両方をおっしゃっている。
私は検証として、邪神という言葉を使った。
人間的に見たら裁いているとなる、私は検証として扱った 、これもまた捉え方ですね。
人間的に重点を置く人は、そう捉えるかもしれませんね。
私が偏って人を裁いていると、それは間違ってはいません。
これも経緯(いづのめ)ですね。 私は経(たて)を言って、あなたは緯(よこ)を言っている。 両方とも間違ってはいない。捉え方が違うだけ。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005433.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005433_2.jpg
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(無題)
人は人を裁くなかれ
人を裁いてはいけないと断言されておられる。人を裁けるのは神のみで、人が人を裁くことはかみの神権を犯すことになる。
これやってると運気や健康が悪くなってくるし、人望も無くなってくるなあと感じる。
明主様は御教えで人を批判なさってるじゃあないかと言う人がよくいるが、明主様は神なので、この世の真理をとかれてるのであって、我々人とはまた違う。
先達の先生が、御教えを自分の正当性を示すことや人の裁きの道具に使ってはいけないと言われた。御教えは他人に使うのではなく、自分自身がどうであるか?という判断することに徹することが本当だと思う。
明主様はあの先生が間違っている、改革せねばと言う人が見うけられるが、その人は神様のことがわかっていない。良くしたいと思うならば、その先生が良くなるよう祈ることである。とおっしゃておられる
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(無題)
なので、人の善悪は本当のところわからないじゃあないかと思う。
そこに居るだけで、心と体が健康になっていくし、気づきがあり、運気が良くなってくるし、と言われる自分づくり。貴方のように真似したい、貴方のような信仰をしたいと自然と思われる自分づくり。
そうではなく、裁きたくなる人や改革したくなる人が周りに居るとしたら、自分自身が光っていない、影響力が無いんだなと思い、自分か光れるよう影響力のある自分づくりをしたいなあ。
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邪神とは?
実のある(本音)話の流れが止まっちゃうのは自他ともに残念か?とも思うし、掲示板の
終わりも近づいて来ている事だし、予定より早めに書き出そう(掻き出そう)か、(笑)
一神にして多神が本当である。というのは皆さん御存知かと思います。
一神が陰と陽に別れて男女善悪二神、そこから更にネズミ算(ピラミッド)式に多神と別れ
経綸進展。というのが実相なのかと思いますが、邪神・悪神というのはどの神のことですか。
例えば、善悪無差別(観音様)を正・陽・善神系とみた場合、その対極・真逆にあたる
善悪区別(国常立尊)は邪・陰・悪神系という事になりそうですか。又はその逆ですか。
それか、もし両方ともを正とみるなら、あらためて何を邪だと言えそうですか。
元々の一柱が二極(陰陽)に別れたところから、善悪が発生していると思うので、最初の
一柱より下の神々を全て邪神。元の一柱のみが正神。という観方なんてどうですか。
(神界は邪神だらけだったという構図。その辺の神社に手を合わせた時点でヤバそう。笑)
また、悪を滅する事目的で、真の原因(責任)特定させる意味で追求するなら、元の一柱
が二柱と別れた処が原点なので、悪を生んだ真犯人=初めの神と断定しても良さそうです。
(元々のおおもと、一柱の神が実は邪神の親玉。倒すべきラスボスは初発の神だった説。笑)
1番さんに訊きます。(他の方々も是非、ご自分の考えがあれば本音投稿してみて下さい)
フリーメーソンが悪だとして、それを操る元の神が邪神だという漠然とした捉え方なのか
と思いますが、漠然とした幻状態ではなく、この神が邪神だろう、と特定できそうですか?
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タイムリーに聞こえてきた
昨夜、youtubeを流しながらうつらうつらしていたら
不意に聞こえてきた言葉
「あれが悪い、これはいけない、こうなったらどうしよう、周りの事か気になるのは、祈りをしていないから。世の中が良くなるように祈ると、世の中の事が気にならなくなる。祈りが一番波動が高く、一番効果がある」
このユーチューバーさんを通して、神様の声を聞くことが出来ました。有難うございます。
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悪神を描く
邪神様、悪神はどこの神様か?
こんなこと話しとったらきりがない。 これはもう夜の世界の話だから 、昼の世界の話をすれば、 すべて主神が おいでなって、そしてそこで天国を創るために、 真っ白い紙に 絵を描く、そしてそこにどうしても色を付けなければいけない。黒い墨がなければ、 立体感が出てこないから 、そこに悪い神様、黒い色をつけられた 。だから 善も悪も無い。もうこれからは、主神で見る。
もうそういう討論をしたらきりがない。 ごちゃごちゃも人間的な話はやめましょう 。
あなたと見ているところが違う 。
話は変わりまして、 絵がだんだん出来てきました。
私はどうしてこういう風に絵を紹介するか、絵が完成した後、 後の人ちとが、こういうふうにできていたんだなということが、 記録で残せたら良いと思って、投稿しています。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005438.jpg
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(無題)
信仰を30年やってきて、神様には本当に関心がなかったと思う。
霊界の存在など、特に疑ってはいなかったけど、興味が薄かった。
タテヨコで言えば、自分にはヨコしか基準がなかった。
タテの基準が脆弱だった。
体の浄化や父の帰幽によって大分向き合うようになってきているけど、
まだまだ祈りが身に付いていない感じがします。
比べるものでもないので、マイペースでやっていきますが、
この掲示板で自分と違うそれぞれの基準を感じられるのは、気付かされることが多いです。
ありがとうございます。
おまけ:
49日が終わって、仏壇の中の順序を再整理してから、眼の浄化のサイクルが好転してきた気がするんだよな〜。
先達によって、言っていることが違うことが結構あるけど、
最後は自分が責任持って決める、という腹も定まってきました。
神様事を真逆に近い選択肢から自分で決める、
のは結構怖いけど。
まあでも柔軟にやっていきます。
信仰歴は長いけど、信仰そのものは初心者なので。
恐怖信仰にならないように。
誠だけは気をつけて、楽しくやっていきたいですね。
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(無題)
私は最初から、討論とか議論のつもりは無いですよ。自分で検証して辿り着いた答えだったり、
その時々の(伝えてあげたいな、という)想いだったりを投稿しているだけです。
自分の中に明確な答えを既に持ってる事柄に対して、討論や議論などの必要性は感じません。
>だから 善も悪もない。
ずっと邪神を観てた1番さんに、私が以前にも伝え様としてた事が、まんま「それ」なので、
>あなたと見ているところが違う
今回は、まったく同じところを見ていると思います。
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(無題)
話は変わりまして、
絵についての質問ですが、手前のカラー(黄色?)の服を着て剣を振りかざしているのが
国常立尊ですかね。
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(無題)
絵の質問に、特に深い意味は無いんですけど、もしそうだとしたら1番さんらしいな、って
思ったから聞いてみただけです。
あ、また話は変わりますが、少し前の 慎太郎さんの友人さんの投稿のなかに
>明主様の教えを受け入れていないゆえ、生前も死後も不幸だとゆうことでしょうか?
とありましたが、これも凄くイイ問いかけだなぁ〜、って思いました。
皆さんはどう思いますか?
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(無題)
>クニトコタチ に太刀を振りかざす、天若彦の尊の絵ですが、
>下が自分がモデルで、神慈秀明会で 奉仕者にとってもらいました。
>どのようにできるか 、またどうしても、 魂の底から描いてしまいます。
>三千年前に、そこにいたんでしょうね。
>魂が覚えている。
黄色の服は天若彦の尊ですよ。
なんでこんな絵を描くのか疑問です。
まあ心のままという事でしょうか..
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(無題)
>黄色の服は天若彦の尊ですよ。
あぁ、そうだったのね^^;ちゃんと読んでなかったわ。
どうもありがとう!
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今朝の邪神の話の続き
明主様の御教えに触れて、善悪の違い(差)を学びましたが、国常立系の教えに触れて、
善も悪もない事(差取り)を学びました。特に実践では狐霊との戦いから多くを学んだ。
狐から「この箱根のヤクザが!」と、こちら(浄霊)側を邪扱いされましたが、そのお陰で
善悪の対立ってホントそういう事なんだと覚りました。元々一体である自分の右手が左手
を見下すような。また、左足が右足の事を「お前動きが逆だよ!」と言ってるようなもんで。
いやいや、お前と逆だからちゃんと歩けてるのが理解出来んのか?みたいな事ですけど(笑)
善も悪も、右も左も確実に存在してはいるが(小乗)、それと同時に、リアルタイムで
実は善も悪もなく全ては一体の存在(大乗)というのが真相と言うのか、実相と言うのか。
一見、不調和のように(間違って)観えるのは、小乗の視点からものを観ているからで、
【観る時は大乗でもって観る】の御言葉通り、信仰が深まれば自ずと大乗の視点から観る事
になる訳で、それを指して信仰の本質(奥座敷)と言っても差し支えない位だと思う。
どんな時でも「起こる現象」には寸分の狂いも無いのが神の働きであり、それ自体が御守護。
すでに起こった事は「全部」必要だったから起こった事で一切が合理に過ぎない。つまり、
過去に起こった現象には【善いも悪いもない】が実相ですが、一般に説けば間違いが起こる。
こういう場でしかよう言えん内容ですね(笑)
-
佐藤様
明主様の御教えは時代と共に、御神格の変遷と共に、相手によっても変わって行きます。
私の場合は、先祖の供養についても、また自分の死後の子孫との関わり方も
子孫がどうあれ、救いが成り立つ「自分なりの道」を構築しています。
本人の意思と子孫の意思の違いですが
・いつかお寺の総代を務めた知り合いが亡くなり
喪主である息子はキリスト教で、葬儀では「アーメン」でした
本人はどのように思っているだろうかと、複雑な思いをした経験があります。
・石原慎太郎氏の場合も単なる達観ではなく、
生前に「散骨で」という遺言として残すくらいだから、
そうとう全体が見渡せるところに立った判断が出来ていたのだと思われます。
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36年生さん
どうもありがとうございます。
>そうとう全体が見渡せるところに立った判断が出来ていたのだと思われます。
これがまさに「鏡合わせ」で、今の36年生さんの状態そのまま。だと思います。
お寺の総代さん・慎太郎さんの状態共に、そのままイコール今の36年生さん。ですよね。
流石は36年生さんだと思います。以前から、もう既に多くの方とは別の段階に進んで
おられる事は観えていましたが。
お互い頑張りましょう!(あ。様はヤメて下さいね、(笑))
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(無題)
おはようございます。
>>そうとう全体が見渡せるところに立った判断が出来ていたのだと思われます。
>これがまさに「鏡合わせ」で、今の36年生さんの状態そのまま。だと思います。
なるほど〜。
これも言霊の一種かもしれませんね。
この掲示板もそうだし、
リアルでの他教団出身の人との交流で感じますが、
縁は貴重ですね。
縁を提供する場として存在を許されている組織は多いかも。
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(無題)
>縁は貴重ですね。
そうね、袖振り合うのも多生の縁って言うしね。
人ばかりじゃなく宗教も、ホント様々な宗教があるけど、自分がどの宗教に縁があるのか
も、それぞれの縁(因縁)によって属する(惹かれる)ように出来てるかな、と思います。
救世教に深く縁した者ほど罪深い。ってのは結構肌で感じていて、よくよく考えてみれば
位の高い神様が下生して救おうとするその対象は、位の低い神様では力不足で救えない
ほどまで下の低い処に落ちた者なんだろうな、って事を思うから、
明主様とのご縁が許されたっていう事は、結局の処、やっぱりそういう事なんだと思う。
キリスト教信者は、その教えで世界中が統一されれば良くなると思い。
また別の宗教信者は、そこの教えで世界中が統一されれば良くなると思い、
救世教信者は、この教えで世界中が統一されれば良くなると思う。
どれも、そんな訳ない(笑)
むしろそういう固執した考えがあればある程、他宗教との対立も色濃くなるだけで、
一色に染めようという考え方こそが、争いの因になってるように思う。
各々の縁っていう観方ができるだけでも、無理やり布教するような余計な力も抜けるよね。
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(無題)
>各々の縁っていう観方
宗教については無理なくそう思っているけど、
例えばワクチン打つ打たないについて、各々の縁と思いながらも、
打つべきでないことを強く主張することが、宗教臭さに通じている自覚もある。
タテが過ぎると○○臭くなり、
ヨコが過ぎるとタテが通らない。
まあ、タテヨコのバランスは自分で決めるしかない。
○○臭さ、には気をつけたいと思う今日この頃。
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結んで生まれるもの
>タテヨコのバランスは自分で決めるしかない
「いづのめ」とは偏らないことと、自分の課題にするに止まらないことだと思います。
石原慎太郎氏の例のように「達観」というところに行くには
2つを結んで新たな世界が自分の中に生まれることを示していると思います。
それが御教えが、時代と思に変わって行くことを理解することにつながるということだと思います。
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(無題)
1,>各々の縁と思いながらも、
2,>打つべきでないことを強く主張することが、
3,>宗教臭さに通じている自覚もある。
分かるわぁ〜(笑)
要するに、1と2との自分会議(頭ん中)で若干の迷いがある感じ?って事だよね?
結論から言うと「それでいんじゃない?大抵みんなそんなもんだよ」って思うけどな(笑)
自分の場合は、タテとかヨコとかあんまり気にした事ないけど、あらためて気にしてみれば
前にも少し書いたけど、ちょうど天津金木の土台がタテとヨコで、その中心に立ってるのが
自然体の素の自分そのまま。って感じなので、イコールそこが一番偏ってない処って感じ。
時には偏るのも相手とのバランスってもんもあるから、相手の状態によっては自分の出方
だって変化して当然だよね。(土台の十字の何処にでも自由に行ける)
でも、そんな自分の事はそれでイイとして(笑)
「正しい方向・正解の方向」で決めようとしてない?ってのは、白ぽっちさんに限らず、
リアルでも会話する機会はよくある。例え間違ってても「言ってあげたい」ならそのまま
言ってあげたらイイと思うし、あとから1や3が出てきたら、
そんな自分を笑えたらイイな。って、そんな感じかな。
心の赴くまま、気の向くままに正誤気にせず(気になるなら気にしつつ)今の自分らしく
やってったらいんじゃないかな、って思うなぁ〜。
そういう事を一つひとつ消化して行った先に、明主様の神人合一
(いちいち神様にお伺いしなくても、自分の思うままで良い事になった。の型)
が待ってるじゃないかと思う。
このまま見過ごせない、救ってあげたい、そう思って実際に救おうとする方向に動くから
こそ、その結果、自分自身が救われて行く。って仕組みになってるもんね。自他一体だから。
-
(無題)
>「正しい方向・正解の方向」で決めようとしてない?
自分的には、正しい方向というより、
命に直接影響あるように見える方向、かな。
副反応の大きいRNAワクチンは分かりやすい。
明主様信仰で言えば薬毒。
しかし、これも頭では『各々の縁』とは思いながらも、
近しい人、家族には度を越えて強く反対したくなる。
そこに家族の命に対する執着を感じなくも無い。
そして『命に直接影響』の線引きも、
唯物的なことより唯心的なことの方が、
実は影響強いかもしれない。長期的にだったり、または相手により。
短期危険を嫌がって、長期安全を捨てる、みたいな。
朝三暮四。
考えすぎるとキリがないから、
一周回って
>心の赴くまま、気の向くまま
に落ち着くんだけどね(苦笑)
相手と自分のバランス。
>「いづのめ」とは偏らないことと、自分の課題にするに止まらないこと
自分の課題にするに止まらない、という認識はありませんでした。
僕の理解では、自分の霊層界を上げることで周囲に好影響を与える、くらいです。
『達観』、どこまでいっても『無知の知』
という『達観』はあるかもです(苦笑)
>御教えが、時代と思に変わって行くことを理解する
これは、僕の今後の課題です。先達によって御教えの解釈も違う。
ある先達は、例えば世界メシア教の動きを経綸ととらえて、
軽々しく判断することを避けているそうです。
もう少し時がたてば、分かってくるかもしれないと。それまでは静観とのこと。
これも変化に対する達観と言えるかもですね。
-
(無題)
リアルでも、一般的に言う処の頭の回転が早い出来る(頭の良い)タイプの人と
自分(頭の回転が鈍く出来ないタイプ・バカ・天然)とでは、そもそも普段から使ってる
熟語(言語)の「定義」そのものの理解が異なってる場合がわりと多くて、
通訳が必要な感じというか(笑)今回もちょっとそれを感じたので少し補足しておくと、
自分が書いた「正しい方向・正解の方向」の意味だけど、白ぽっちさんの言葉を借りれば
>近しい人、家族には度を越えて強く反対したくなる。
の、「度を越える」の部分、「度を越えない事」が「正しい方向・正解の方向」という意味で
もう一つ、
>そこに家族の命に対する執着を感じなくも無い。
の、「執着」の部分、「執着しない事」が「正しい方向・正解の方向」という意味で、
「度を越えたってイイじゃない」「執着したってイイじゃない」と、間違ってたってイイ
じゃない。(にんげんだものbyみつを 笑)っていう事(型破り)を言いたかった。
-
絵
さて掲示板ももう終わるので私はもう これからは出来るだけ自分の意見を述べるのはもう控えます。
天若彦の絵はまだイメージなんですが、こんなふうじゃなかろうかというところです。
これから 殺害シーンをみんなで見ていて 安堵しているうるさい神様がいなくなったと喜んでいる一人一人の聴衆者を かくそこが今ですね下書きですねイメージですそしてこれができたら今度はどのような大きさで書こうかと。 なぜ書くのかそれは分かりません。 後はもう皆さんで判断してください。私はできるだけもうこれからは 自分の意見は書きませんから。
国常立の遺体は書くのは残酷ですので、王冠だけで 表しました。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005479.jpg
-
(無題)
>命に直接影響あるように見える
なるほどね。確かに死に直結するかどうかは別として、薬毒は全くの無関係じゃないもんね。
ちょうどそのうち書こうと思ってたんだけど「薬毒は要因だけど真因じゃないよ」って話を。
「浄霊が二の問題」という事は「薬毒も二の問題」。じゃあ「一の問題は」って事だけど
書き出すとつい長くなるから(笑)これだけで充分か。メシア教が浄霊ヤメた?のかな?
も、本質に迫る型としては充分使命を全うしてる様に私は観てます。
多くの明主様信仰者から間違ってると観られる事を判りながら、あれほど責任ある立場で
自分の信念を貫き導こうとする姿勢は讃えて良いんじゃない?と素直に思うけどね。
多くの明主様信仰者にとって薬毒は一般との障壁だったり、内面で言えば恐れの因になる
のかもしれないね。怖いからこそつい力が入っちゃうと言うか。結局は見たくないとか
受け止めきれないとか、避けたいと思う弱さからだけど、何に於いても覚悟は大事だよね。
死の原因は産まれてきた事。って話も聞いた事あるけど、これなんかも「達観」かね(笑)
朝三暮四って言葉。初めて知ったわ(語彙力、笑)
-
(無題)
>「度を越える」の部分、「度を越えない事」が「正しい方向・正解の方向」
>にんげんだものbyみつを 笑
了解です。つい善悪、ととっちゃうけど、
それは限られた文字のやり取りだとしょうがないよね。
タカシさんに
>(頭の回転が鈍く出来ないタイプ・バカ・天然)
などと思ったことは一度もないです。
逆に、どうやって現在の境地に達っしたのかなぁ、と感じています。
部活の新入生が、先輩の技を見てすげー、って思うような(笑)
>多くの明主様信仰者から間違ってると観られる事を判りながら、あれほど責任ある立場で
自分の信念を貫き導こうとする姿勢
これはよくよく考えると、私心があったらとても出来ないこと。
そして既存の教団も存続しているんだから、
各信者にはそれぞれの信仰の自由が担保されている。
どこで信仰してもそれがその人にとって
その時点で正解、と思うよ。
自分は浄化そして縁あって細かい急所の浄霊を勉強しているけど、
それが例えば世界メシア教と相反することだとは全く思っていない。
学びの時期・過程がそれぞれなだけ。
例えば世界メシア教に所属し本質の勉強をしつつ、
急所の浄霊も継続勉強している人もいるんじゃないかな。
少なくともそこに強制がなければ、何も問題ないはず。
まあ、良く分からなく思った時には、
シンプルに
『運は浄めて待て』
でいいや、くらいに気楽に思っています(笑)
-
(無題)
>限られた文字のやり取りだとしょうがないよね。
うん、むしろ避けようがないんじゃないかと思ってる。
頭の回転云々のくだりも、表現の仕方がちょっと違ってたかも(笑)
白ぽっちさんからの、それは素直に嬉しいけど、何ていうんだろな、一番顕著に違う所は
例えば日常、会話で相手の話を理解しながらも周りの状況まで一緒に把握できちゃう様な
パソコンで言うハイスペック?みたいな処理能力の優れたタイプと。
会話してる時は会話のみ。下手すりゃその会話中の何か一つの言葉に引っかかっちゃって
そこで頭がフリーズして、その後の話すら入って来なかったりするタイプ(←これが自分)
合理的で最短の段取り等、テキパキが苦手で、回り道とかを楽しんじゃうタイプ(笑)
大別すると、おおまかにそういう二種類の人種があるように思ってるんだけど。
もちろん、自分ではそんな自分が気に入ってるので劣等感などは一切ないんだけどね。
>どこで信仰してもそれがその人にとって
>その時点で正解、
>それが例えば世界メシア教と相反することだとは全く思っていない。
>急所の浄霊も継続勉強している人もいるんじゃないかな。
どれも全部、全くその通りだよね、って思う。
ただ、世界メシア教に所属すれば本質の勉強が出来る?とは思えてなくて、
どこに所属しようがしまいが、人格向上・本質求める心さえあれば、即そこが御神前だと
思うので、逆に、その心がないまま何処に行ったところで。って感じかな。
-
絵
上右、これは日本武尊が 熊襲を討つ絵ですが、残酷ですね。 これは国常立尊を天若彦が襲うシーンと、ダブるんですが、 ストレートすぎる。
沢山、神代の絵というのはありますが 、
国常立尊を天若彦が襲うなんてのは、日本の古い書物には載ってないでしょうね。
世間の人は知らない。
私が描いている絵「三千年の罪」、 イメージ下絵を
今日、神慈秀明会の数人に見せたんですが 、なかなか 高評でした 。早速 画材を買いに行きました。
結構大きな絵になる。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005483.jpg
-
絵
天若彦尊は結構色男だったかもしれませんね 。
私の記憶が 間違いでなかったら、 確か何かで読んだんですが、 国常立尊の娘を誘惑して、 国常立尊 連れてくるように 誘って、尊を 殺害をする 。
その後 スサノオノミコトが ユダヤの方に行かれますね。イスラエルの方に、留守になった後、 スサノオノミコト の奥さんと仲良くなったという、み教えではなかったでしょうか 。
この絵は 自分の父親が殺されるのを見て驚いて、 そこへ行こうとするところを 、部下に止められているところです。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005484.jpg
-
絵の感想
国常立を殺害する話が御教えのどこかにありましたっけ。うっすらと、そんな内容の話も
どこかで見た様な気はしますが、野蛮な例えと言うかは比喩表現なのかな。って気もします。
幽世大神・閻魔大王、「肉体を持たない存在」に繋げる為に死(殺害)を持ってきたのか。
節分の豆撒きの話でも、炒り豆に花が咲くまで出てくるな。の「封じ込め」という事は
死んではいない。の意味と思うし、厳格で位の高い神様が邪神に負けたと言うよりは、
国常立尊 御自ら、経綸の為に「世論を尊重して」やむなく「退いた」の「退」の意味で
漢字にも出ている通り「艮」の金神が一旦退いて時節を待つの意味が本来な感じがします。
いよいよ艮の金神がこの世の閻魔と現れるぞよ。を、死者の甦りと繋げる事も出来ますが、
生まれ変わるんじゃなくて新しく生まれるの表現からも、死んでない話のほうが好みだな。
死んだ幕引きで閉じる絵よりも、無理にじゃないですけど、同じ幕引きなら生きたままの
幕引き(一旦退いて時期を待つ)の方が好みだし、それよりは「天岩戸開き」の開く絵の
方が明るい感じがあって、観る人達の心にも喜びが増すんじゃないかな。って思いました。
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明主殿
明主殿、御神影参拝
今日の式典の会長講話は、 み教え拝読、『感じのいい人』 感じの良い人になるように心がけたら、運命に関わってくるというみ教え、
新聞コラムにあった話をされました 。それは ある起業家の集いで、 受付の女性が 社長のボタンがほつれてたので、 取り替えさせていただけますかと尋ねると、
社長はえらく感激して、 自分の息子の嫁にと、
その女性は 大会社、後の社長夫人になったという実話。 人を喜ばせるということを心がけていれば、
運命が変わるというお話。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005486.jpg
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絵
天の岩戸開きの絵は、ありますね。
皆、しつている。
この絵は、
知らないところに意味がある。
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(無題)
>>例えば世界メシア教に所属し本質の勉強をしつつ、
>世界メシア教に所属すれば本質の勉強が出来る?とは思えてなくて、
個別にそう考えている人、という意味でした。
一般的に本質である、という意味ではないです。
ちょっと修飾をサボると間違って伝わってしまう(汗)
気をつけますね。
まあ、幹を伝えられれば、枝は気にしすぎないでいいや、
という気持ちもあります(苦笑)
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(無題)
>知らないところに意味がある。
なるほど。
>個別にそう考えている人、という意味でした。
やっぱりそうだよね(笑)こっちも、だと思って「?」を入れたつもりなんだけど
ちゃんと「白ぽっちさんも、そう思ってはいないと思いますが」とかを加えないと
伝わりきらないよな(笑)
観ている周りの人達が妙な誤解をしてもいけないと思っての事でした。
>気をつけますね。
お互い様の事なんで特に気をつけなくても(気にしなくても)いんじゃないかな(自然体で)
>まあ、幹を伝えられれば、枝は気にしすぎないでいいや、
全くの同感なんで(笑)
基本、正確には伝わっていない前提で行けばお互いに問題ないかな、と^^
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明主様の漫画
今霊界物語のサイトを開いていたら、 コミックがたくさん出ているんですね。 数点
明主様 の コミックもありますが 、ここでもうあとこの掲示板も終わるので、 私が自主制作した 、7年ほど前になるのでしょうか、 世の中には出てないから、このまま眠らせていたら申し訳ないと思い。少しずつ内容を紹介していきたいと思います。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005490.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005490_3.jpg
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明主様の漫画 2
これは原稿からです。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005491.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005491_3.jpg
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明主様の漫画 3
々。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005492.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005492_2.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005492_3.jpg
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明主様の漫画 4
々。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005493.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005493_3.jpg
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本
この本は評判が よく、一冊購入された方はまとめて後に、5、6冊 注文 されました。
私の知り合いと、離脱教団を訪問して、 お渡ししました。
制作は10年かかりました。 今はインターネットでお写真がありますが、 30年以上かけ お写真を集め、 表情が分からないところは人形を作りました。もう 掲示板も終わるので
おいおい紹介させていただきたいと思います 。
購入希望の方は下まで 連絡ください。
価格は2800円、 これはあと数十冊在庫があります。100冊しか作っていません。
??城島印刷株式会社 、(郵便番号810ー0012 )
福岡市中央区白金2丁目9番 6号
電話092-531-7102
私はペンネームとして 製作者、戸上??一 と書いています。
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神人合一
人(霊止)は誰でも、登れば神となり、降れば獣になる。という事の理解ですが、
降れば獣になる方はイメージし易くても、登ると神になる方がイメージしづらい傾向には
ありますかね。明主様と同じく、自分達にも、神の分け御魂は誰にでも宿っているから、
登れば誰でも神人合一に至れる。のに、そっち側がイメージしづらいだけかも知れません。
神人合一は明主様唯御一方。みたいな別格に崇める感覚(自分みたいなもんが。という卑下)
がそうさせている(自分を登らせない)のかも。(自他分離の思考・人と神を別ける視点)
明主様は色々型で示されたので、自分達と同じ分け御魂を有するのとは別に、分かり易い様
に「腹に宿されて」はいましたが、おひかりを胸の位置に掛けさせたのも、そこには光の源
である同じ魂が元々宿ってる(内在してる)という意味(示し)でもあったんじゃないかな。
明主様の命に従う伝達者で居続ける限り、神人合一(自分の思うまま)には至れない様に
出来ているのかも知れない。1番さんのそれを見て、読んで、あらためてそう思った。
のちのち(地上天国・嬉し嬉しの世)には、神人合一者がゴロゴロ状態だと思いますが、
伝達者・取次者(守護を仰ぐ布教)の型を破らない限り神人合一には至れないという事まで、
本当に差し支えない範囲(布教の邪魔をしない範囲)でハッキリと説かれてますね。
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絵
初めてお描きした絵です。
この絵は40年近く前に描かせて頂きました。 当時は資料がなく、救世教の機関誌 の中にあった物で、お 写真は一センチ もなかった白黒の写真。
これは何か 胸が打たれましたね。 即、描かせて頂きました。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005496.jpg
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桃
これは救世教関係のに方は関係ないんですが 、
神慈秀明会は桃の教団、これはみ教えにもありますが、
大本教の霊界物語を 覗いていたら、こういう説明がありました。ちょっと面白いと思ったので 、秀明の人に投稿します。
「中国の神話に『西王母』(女神)が三千年に一度咲く、?不老不死?の力を持つ桃を管理している。
それが 如意宝珠 である。」
如意宝珠 とは 意の如くなるですね 。
思ったようになる。桃は
深い意味がある。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005497_2.jpg
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神話の絵
先月でしたか、世界救世教いづのめ教団の男子、その方は信仰に熱心なんですが、 古い信者さんで、
その人に今描いてる三千年の絵の話をしたら、久留米のブリヂストン美術館に坂本繁二郎、青木繁の絵が展示してある。坂本、青木、
二人とも地元ですからね 。それを見たらいいとおっしゃってました。
それで今ネットで見たら、青木繁の神話の絵、数点書いてますね 。
黄泉比良坂と西王母でしたか、 雑誌で見た 記憶はあったんですが 、なかなか リアルです。
油絵、西洋の技法ですね。
少し暗いですね。 明主様、油絵はあれは芸術ではない。 工芸だとおっしゃってますね。
初めは私は油絵で書こうと思ったんですが 、それを知ったら、描けませんから、水彩画にしました。
これは非常に神経を使うんですね。絵がにじまんように 描かな、いかんから。
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(無題)
豊田真由子さんと乙武洋匡さんの対談。
豊田さんの魅力が満載です。
『政治は現代社会で唯一残っている戦国時代』
『え、何この人。ダサッ』
https://www.youtube.com/watch?v=MgU5telBqZ4
この中で贈収賄が発生するシステムについても言及されていますが、
宗教法人内部での生き残りについて、
戦国時代と似ている部分があるように感じました。
宗教に限らず、古い体質の企業も同様かも。
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厳(いづ)の働き
み教えに 国常立尊は我 によって、しくじったとあります。 失敗したと、
これは厳(いず)の御霊、厳しい御霊、 これが神慈秀明会だと私は解釈するんですが 、これは善であり、正義であり 純粋ではありますが 、伊都能売(いづのめ)のみ教えから言ったら、偏るになるんですが、
そこで今度は伊都能売に、ならなければいけない。
偏ってはいけない。両方いるとみ教えがある。
しかしその前に、厳(いず)の御霊が、エンマ大王となって 、悪人を裁く働きをされるとみ教えがあります。
その為、三千年前に国常立尊が天若彦に殺められた経緯がある。
人間には想像もつきません。
み教え日本人種の霊的考察にありますが
今の政治もこの神様の時代から始まっている この争いが 朝鮮、中国 の 権力範囲を広げる。 今のウクライナとロシアですね 。日本を占領する、出雲族と天孫族の争い。 世界救世教で言えば、東方の光といづのめ教団 、これがまた、 自民党と野党、しかし両方とも フリーメイソンが動かしてますからね。
贈収賄 こんなことは当たり前。
これは間違っているかもしれませんが、一つの解釈です。
赤龍は共産主義、北朝鮮、中国、ロシア。
黒龍がヨーロッパ 、NATO 、アメリカ。今の 資本主義ですね 。これが今勢力の争いをやっている。 黒龍と赤龍が戦っている。 両者ともフリーメイソンですね。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005500.jpg
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雑感
掲示板、終わりも近いのに、投稿数が劇的に減ってるのは何でだろね。旅行中?とかかな。
結局は観ていたかっただけなのか。外側に救世主の出現を待つ期待みたいな(理由?)
とすれば終わりを迎えるってのも、結構良い事のようにも思えるな。
(自分というものが無いくらいなら、それが育つ為の環境としては、より良くなるのかなと)
皆でこうして行ったら良いと思う。みたいな前向きな自分の意見(オリジナル)が余り出ない
のは結構残念に思います。同じ信仰をしてるのに。結構ネガティブ(消極)な人も多いのかな。
浄霊で多くの人を救うのは今じゃない。って感じなのかね。(自分じゃないから分からんが)
日月神示の一文に、審判(浄化・災難・災害)を待つ心が悪。みたいなのはあった気がする。
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政治は苦手なんだけど
よく世間話的に政治家を悪く言う場面には、わりと遭遇しやすいですが、自分は政治に
余り関心がないからなのか、自分が政治家をどうこう出来ない事を判っているからなのか、
そういう話に出くわした時によく思う事は、その立場に立った事もないくせに、よくもまあ
ああでもないこうでもない。って自分の心を棚に上げて人の事ばかり恥ずかしげもなく
言えたもんだよなぁ〜イイ大人が。っていう(中身が幼稚だなぁ〜って)事だとか、
こっちは税金を払ってるんだからちゃんとやってもらわないと困る。みたいな話も多いが、
店全般でも、自分がお金を払う側(客)に回ったとたんに客面しちゃう人もわりと多いのは、
一体、心にどんな闇を抱えているんだろ。とか思う事も多い。
意外とそういう人って、一旦接客側に回ると今度は妙にヘコヘコするタイプだったり極端。
人が人として、イーブンの存在として観れてない事(視点の異常)は良く感じますね。
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(無題)
お金に汚い、私腹を肥やす、みたいな金銭に関してどうこう言う人も結構いるような気が
するけど、お金に関して自分が思うのは、政治家っていう仕事自体が多くの人の為に貢献
する仕事なんだから、沢山のお金がそこに流れ込むのも凄く自然な事だと思うし、
仕事で得たお金を、その人が何処にどう使おうがその人の自由なので、何とも思わない。
政治と一般庶民とのバランスは、すごく整合性が取れてるな、っていう事は良く感じます。
一般庶民の多くが未だに良い政治の恩恵を受けられる準備(心の器)が整っていないので、
世の中を良くしようとする本物の議員さんが活躍出来ないシステムが保たれているだけで。
要は原因あっての結果。で、絶妙に見事なバランスで調和が保たれているなぁ〜、って。
末端の意識が大きく変わってくれば、自ずと政治の闇は勝手に崩壊せざるを得なくなって
くるのバランス(構図)だけはハッキリと観えています。政治は世論を無視しては進められ
ないからね。
下の者達が上を信じてお任せする、言わば客面の心が減った分だけは良くなる。
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(無題)
自分が上の立場に立ったイメージを真剣に観る事が出来れば簡単に理解できる話だけど、
下から全面の信頼を寄せられたら、絶対に裏切る事なんて出来ないからね。(万民共通)
逆に、疑いの眼ばかり周りに揃えば、自分のパワー(皆の為に!の気持ち)だって半減
しちゃう。
現状はまだ、信頼の「し」の字もなく、疑いの眼で観る処が前提になってる人も多いだろう
し、あんなもんに任せておける訳がないだろう。っていう信じるという尊い心が無い自分の
内面は完全に棚に上げちゃって、それこそ棚の上の神様(慢心)になっちゃってる(笑)
それ(自分)が原因である事にも気付けずに、悪を観てはそっちばかり責めてる様じゃねぇ〜。
その辺りが変化してくるにも、もう少し時間が必要なのかもしれない。
また、そんな大乗の視点でものを言うと、小乗視点の人からは必ず反対意見みたいなもんが
出てくる(又は思うだけに留まるかも知れないが)、そう思う人は、その「自分の思い」
を、自分がどう扱って行けば政治がより良くなれるのかを考えれば良いだけだと思う。
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(無題)
自分が投稿し始めると、わりと周りが引っ込んで行く。というバランスがありそうな気が
してて、それが良いとか悪いの話じゃなくね。だから、皆が元気で活発な方が嬉しいから
基本静観モードで。のスタンスでいたかった訳ですけど、
終わりが近いとの事だったので、伝えておきたいと思う事はしまったまんまにも出来ない
から、ここ最近書いてましたが。しばらくまた基本引っ込もうと思うので、皆さん悔いのない
よう、言い残しのないようにスッキリしましょう!お互いにね!^^
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(無題)
ただいま旅行中、ならぜひ連休明けからにでも(笑)
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(無題)
>自分が投稿し始めると、わりと周りが引っ込んで行く。というバランスがありそうな気がしてて、
これはね、現状の掲示板の仕様も有ると思う(方法論)。
まず、自分の興味の無い話題も半強制的に目に入ってくる単純書き込み順の仕様。
一つの話題に返信していくブログやフェイスブックのような仕様だと、自分が興味の有る話題にアクセスしやすくなる。
同時に、興味のない話題に時間を取られる不満も防げる(←アクセスアップには絶対的に必要なことだと思う)
コメントがつくとメールで知らせてくれるヤフコメみたいな機能があれば、なお参加しやすくなる。
単純書き込み順だと、
議論されやすい話題も書き込み後少し時間がたつだけで記事が後ろ送りされてしまい、
普段からアクセスしている人にしか読まれにくい。
また、議論が盛り上がらないのは、
有る程度自分の意見が固まっていて、
議論をする必要を感じない人が参加者のメインで有る場合。
年齢層が高い・信仰歴が長い、といった特徴が有ると思われる。
議論の需要そのものは普通に有ると思うけど、
需要に対して使いやすいものが供給されていないから
盛り上がらない可能性は結構ある、と思っています。
もし後継掲示板を作る場合は、
その辺の利便性、今参加している人以外の人も
参加しやすくなるような仕様を考えたいですね。
あと、
書き込みがないのであれば
この仕様の掲示板が終わるのは自然、
とも思います。
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(無題)
>参加しやすくなるような仕様
既にある色々なSNSが、それぞれの存亡をかけて日々改善されているので、
今有るSNSと似た仕様でいいのかな、
と思います。
フェイスブックだと、
1、どんなに長い記事でも、最初の5行くらいしか表示しない。
⇒続けて読みたい人だけクリックする
2、コメントがつくと知らせてくれる
これだけで使いやすさが大分違うように思います。
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(無題)
旅行中ではないのですが、足が遠のいてました。。
白ぽっちさまの分析はとても分かりやすいですね(^^)
本掲示板名称の由来は把握していませんが、
ある人からの投げかけに対し皆が知恵を寄せ合うような広がりと
投げかけた人・答えた人が掲示板の盛り上がりを実感できれば、
また次のステージに進められるのではと思いました。
(最近参加したのにも関わらず偉そうにすいません)
単純に「いいね!」が押せたら盛り上がりが実感できますし、
やはりこの掲示板仕様では興味があるテーマ、そうではないテーマが混在するので、
スレッド式の方が望ましいような気もします。
ただ投げかけたテーマで過疎ったときに切ないですが^^;
https://okadamokichi-daigaku.com/
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根拠
私が 世界救世教いづのめ教団が 出雲系、東方の光が 天孫系と解釈しているの根拠は何か、
いづのめは二代教主を 中心に置いて、御神体から、 おえみをえみしの神をお唱えする。
これを中心に置かれてあります。 東方之光は、二代教主の誤りを説いてる。指摘したと 元いづのめ教団の専従者から投稿がありました 。
そして 二代教主は スサノオノミコト つまり大本教を熱心に信仰されておられ、明主様ご在世中でもそれはされていた。
明主様がご昇天の時も、大本の神様に お祈りされた 。メシヤ降誕仮祝典の時にも、大本の神に メシヤとお唱えするのは申し訳ないと、お詫びに行かれた。
大本教はスサノオの神をメシヤと王仁三郎は言っているので 、王仁三郎は スサノオノミコト ですから、 スサノオは朝鮮出身で出雲ですね。
そして 元専従さんの投稿でありましたが、明主様がお認めになった。 いづのめ教団、これは元五六七、(ミロク)教会ですね 。
トップが渋井総斎、これは スサノオノミコトの再生であると、み教えされているとありました 。
そして東方の光教団のトップ、中島一斎先生は 天若彦の再生であると、明主様のお言葉があると元専従さんの投稿がありました。 天若彦の尊は天孫ですね。
そこでこの対立が、今日まで神様の時代から続いている。
そして世界救世教の中にそれが起こっていると、私は解釈してきました。
そこで御神体も世界救世教いづのめ教団は二代教主が書かれていますし 、これを認めていない自分のところは明主様の大光明に戻された東方の光教団、
これは天孫ですから 、未だに 対立している訳ですね。
今 明主様のお孫様、元四代教主が、信者を連れて離脱した、教団が 危ういから、
そんな事言っておられないと、 歩み寄りが あるとは聞いてますが。
そして神慈秀明会は 国常立尊の 雨宝童子、閻魔大王の絵が 集まってくる。
そして厳しい経(たて)の教団、これは国常立尊ですから、大和の先祖ですね 。
だから離脱教団 は 大和系であろうと解釈しています。
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(無題)
不満・モヤモヤ・イライラ等の悪感覚(想念)は凄く貴重なもので、己を導くガイド役。
目をパッチリ見開いて外側(情報)を見る(目から毒を取り込み)で導かれ、
目を瞑って(瞑想)じっくり内側を観じる(取り込んだ毒を浄化・昇化する)で一巡。
仏像の半眼は霊五体五の理想形(両方合わせた合掌)を表した型と思う。
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(無題)
HIROROさん初めまして。早速にどうもありがとう^^
自分の想いに駆られて実際に動き出している人は、やっぱり中身も違う。と感じました。
最後の切ない以外は全て同感!
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(無題)
>旅行中ではないのですが、足が遠のいてました。。
こういう率直な事例がありがたいです。
>ある人からの投げかけに対し皆が知恵を寄せ合うような広がりと
投げかけた人・答えた人が掲示板の盛り上がりを実感できれば、
また次のステージに進められるのでは
ブログのアクセスアップ経験からの意見、これもありがたいです。
僕はこの掲示板・前の掲示板からとても大きな学びを戴いてきたので、
同様な場を残したい想いは強いです。
昔の自分と同じく迷っている人のために。
参加者が固定化されているというのは、
新規定着がしにくいということ。
常連の居心地の良さを残しつつ、
新規が時間を取らずに興味のあるテーマにアクセスできるようにできれば。
いいね!、興味の軽重が可視化されてとてもいいと思います。
いいね!つかなくてせつなくても、それこそ学びとなるでしょう。
僕も時々フェイスブックでも発信していますが、
テーマによっていいね!の数が全然違く、
ここでも自分が興味の有ることと、
他人が興味の有ることがまったく違うことを
日々認識させられています(苦笑)
あと、表現の仕方でも、いいね!のつきかたが変わってきます。
僕のつながりの間では、
主観的な宗教臭い主張だと、
まずつかないです。
例えばワクチンだと、反対を強く主張するのではなく、
その理由に重点を置き、長文でなくコンパクトに読みやすく書くといいね!が多少つきやすくなる。
ただこの掲示板の参加者層だと、また違ってくるかもしれません。
そのあたりはどうなるのか、興味深いですね。
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(無題)
>佐藤さま
はじめまして、こちらこそありがとうございます。
佐藤さまの書き込みから沢山学ばせていただいております。
まだまだ勉強中ですが発信は継続してまいりますので、
今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします!
>白ぽっちさま
小心者なので掲示板が荒れだしてから筆が止まりました(苦笑)
>テーマによっていいね!の数が全然違く
本当によくわかります!!
個人的に一番興味力を入れている茶道の記事は、いつも見て頂いている皆さま全員の
PCとスマホが一斉に故障したのかというほどPVが伸びません(笑)
一方でフォロワーとPVが増えるのは嬉しいのですが、
あまり宣伝ばかりするのも何か違うなぁと試行錯誤しています。。
この掲示板も弊ブログも自然体で伸びていければ最高なのですが^^;
https://okadamokichi-daigaku.com/
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(無題)
もう少し、宗教という殻から抜け出た掲示板になっても良いかもしれませんね。
>例えばワクチンだと、反対を強く主張するのではなく、
>その理由に重点を置き、長文でなくコンパクトに読みやすく書くといいね!が多少つきやすくなる。
特に「その理由に重点を置き」という姿勢は重要でしょうね。
例えば、体験談一つとっても今までの掲示板でしたら、その結果が出た理由とは、御教えにこう書いてあるからとか、奇跡だからとか・・
大方、一般の人には受け入れ難いような感じになりがちですからね。
特に今回のコロナ騒動は、自分でよ〜く考えてみましょう!という機会を頂いているのだなぁとつくづく感じます。
teacup掲示板の終了を一つの節目と捉えて、自分で考えられる一般の閲覧者も増えるような意見交換の場が出来たらよいですね。
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(無題)
>個人的に一番興味力を入れている茶道の記事は、いつも見て頂いている皆さま全員の
>PCとスマホが一斉に故障したのかというほどPVが伸びません(笑)
なるほど、救世教関連の方々に茶道を広めたいというのもテーマの一つなのでしょうかね。
もしそうだとしたら外から内へのベクトルを感じますね。
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(無題)
>minoruさま
コメントありがとうございます(^^)
>なるほど、救世教関連の方々に茶道を広めたいというのもテーマの一つなのでしょうかね。
いえいえ、そんなに大それたことは考えておりません^^;
元々、私の専攻が茶道史でして、明主様研究を始めたきっかけも
「岡田茂吉と近代茶道」というテーマで発表したためでございます。
>例えば、体験談一つとっても今までの掲示板でしたら、その結果が出た理由とは、御教えにこう書いてあるからとか、奇跡だからとか・・
大方、一般の人には受け入れ難いような感じになりがちですからね。
ホントにおっしゃる通りだと思います。
一般の方が見て下さっても、そういう話題になった瞬間「あー、そっち系ね」と画面を閉じられてしまうでしょう(>_<)
なので弊ブログでは「浄霊・自然農法・美術文化の報告、それらに関する奇跡体験の紹介はしません」
としました(※また宣伝となり申し訳ございませんが…)
そういう需要もあるのかもしれませんが、少なくとも掲示板は分けた方が良いでしょうね。
https://okadamokichi-daigaku.com/
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(無題)
HIROROさん
>元々、私の専攻が茶道史でして、明主様研究を始めたきっかけも
>「岡田茂吉と近代茶道」というテーマで発表したためでございます。
ということは、経歴から察しますと茶道史を学ばれていて、その後にこの信仰に入られたということなのでしょうかね。
>一般の方が見て下さっても、そういう話題になった瞬間「あー、そっち系ね」と画面を閉じられてしまうでしょう(>_<)
>なので弊ブログでは「浄霊・自然農法・美術文化の報告、それらに関する奇跡体験の紹介はしません」
>としました
私がブログを拝見した限りでは信者さんへの情報発信に主眼をおいているようにも感じられるのですが、そうではないということなのですね。
「そっち系ね」というよりも、そのまんまという印象ですが。
ちなみにブログの閲覧者ですが、救世教関連と一般とでは、どちらが多いのでしょうか。
おそらく、アクセス解析などもなさっていますよね。
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美による救い
ここでは、宗教、浄霊、自然農法については勉強させてもらいましたが、
芸術による救いについては、ほとんど書き込みが見当たりませんでした。
箱根・熱海の建設は先達や功労者の時代で「御奉仕」という色合いが強く
美術品等による奇蹟などの事例は、あまり寄せられなかったように思います。
私自身は、官休庵の盆手前の資格を頂いたぐらいで、その世界にのめり込むほどではないにしても、
私の点てたお茶で癒された人や、自分自身も癒されることを何度か経験しています。
また美術品により癒されたり、奇蹟に導かれたりの経験も少なからずあります。
そして熱海の救世会館も芸能等の目的で建てられたものが、本来の役割を果たせていない状況では、
明主様の願いの実現には程遠い感があります。
この掲示板も残り時間が気になりますが、「美による救い」の体験やご意見をお聞かせ願えればと思います。
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(無題)
minoruさま
はい、研究が先でその後入信しました。
また弊ブログを見て頂きたい方は以下を想定しています。
?世界救世教と分派教団の若い世代の信者の皆様
?宗教学研究者(岡田茂吉や世界救世教を研究テーマとする)
アクセス解析では属性までは不明ですが、
実際にお問い合わせを頂きましたのは
世界救世教だけでなく分派教団の方々もいらっしゃいました。
感覚的には8〜9割が世界救世教&分派教団の皆様、
1〜2割が各SNSでキーワードでたまたま訪問した一見さん、
といった感じでしょうか。
?宗教学研究者はそもそもレアなのでほぼ居ないかもです^^;
ベースは研究(論考&書評)で他ブログとの差別化を図っていきたいですが、
どうしても教団史に関する投稿が増えてしまうのが悩みです…
https://okadamokichi-daigaku.com/
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日月神示
話の流れに腰を折るようで 、別にたいしたことじゃないんですが、よく日月神示を言う人がいますね 。新健康協会の奉仕者も言ってました、神慈秀明会の助教師も言ってましたね。例えに出す。日月神示、僕はどうしてもあれは お筆先に、ちょっと色づけしたくらいでしか思えなくて 、
あれは岡本天明が作ったのかなと、これはあくまでも個人の解釈であるんですが、文章が何か、ぎこちなく感じるんですね。お筆先はなめらかなんです。威厳がある 。
それと明主様は勿論はるかに、霊格の高いお方が書かれているというのが分かります 。
日月神示は何か、お筆先を真似して書いているという、作為的なものがどうしても思えるんです。
別に悪いことを書いてるわけじゃないし、これを読んで 学びにはなると思うんですが、
それはずっと昔から思ってたんです 、それで最近ネットを開いたら 、ナオキマンの日月神示の中に 岩戸閉じ、アマテラスが岩戸を閉じられた、岩戸閉じ、というのは、過去何度かあって、その原因がスサノオノミコトに罪を着せて、 根の国へ落としたからであると
それが日月神示の中に書いてあるとありました。
スサノオノミコトを肯定的に解釈してあるんですね、 スサノオノミコト 持ち上げて いると言うか 、ここは何か違うと思いました。
私は スサノオノミコト は岩戸閉じをした方だと、解釈しているので。
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(無題)
HIROROさん
なるほど、ターゲットと実情においても救世教関連ということですね。
それでしたら、せっかく、大学と銘打っているのですから、一つ一つの事柄をもっと深堀りしてみるのはいかがでしょうか。
私は大学ライフを経験していないのですが、一つ一つの物事について断片的に浅く学ぶ事に終始していた高校までの歴史の授業に何か物足りなさを常々感じておりました。
それから時を経て色々と調べてみますと、その断片的とも受け止めていた物事が一線上に繋がってくる場合が多く、日本を取り巻く世界的な潮流までもが見えてきて色々と興味深かったです。
教団史、いいと思いますよ。
世界史と日本史との関連性を探求しても面白いでしょうね。
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漫画
活発な会話は素晴らしいもうこの掲示板もう終わると思いますので私は勝手に宣伝をさせてください。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005523.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005523_2.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005523_3.jpg
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漫画2
箱根です。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005524.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005524_2.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005524_3.jpg
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漫画3
下駄、右、左と書いてある。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005525.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005525_2.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005525_3.jpg
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(無題)
「やったぜ、弾圧や」で、トラトラトラに向かった。
日月神示も軍部が絡んでいるという背景があるようですね。
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日月神示 2
不思議ですね、 軍部もあるかもしれませんが、 文章というのが 年を重ねたら、だんだん文字や 内容よりも霊的な書いた人のそのものが、伝わってくる。 言葉で言えませんね。
それであの日月神示を見ていたら、 何か 幼稚なものが伝わってくる。
内容は いいですね。でも もう お筆先に書いてあることだから、 それは少し踏み込んだ事も書いてありますが、 お筆先を読んでいたら 、想像できる範囲と解釈しますね。 でも悪いことを書いていないから、 学ぶには良いと思います。
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