レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
明主様
-
神人合一
人(霊止)は誰でも、登れば神となり、降れば獣になる。という事の理解ですが、
降れば獣になる方はイメージし易くても、登ると神になる方がイメージしづらい傾向には
ありますかね。明主様と同じく、自分達にも、神の分け御魂は誰にでも宿っているから、
登れば誰でも神人合一に至れる。のに、そっち側がイメージしづらいだけかも知れません。
神人合一は明主様唯御一方。みたいな別格に崇める感覚(自分みたいなもんが。という卑下)
がそうさせている(自分を登らせない)のかも。(自他分離の思考・人と神を別ける視点)
明主様は色々型で示されたので、自分達と同じ分け御魂を有するのとは別に、分かり易い様
に「腹に宿されて」はいましたが、おひかりを胸の位置に掛けさせたのも、そこには光の源
である同じ魂が元々宿ってる(内在してる)という意味(示し)でもあったんじゃないかな。
明主様の命に従う伝達者で居続ける限り、神人合一(自分の思うまま)には至れない様に
出来ているのかも知れない。1番さんのそれを見て、読んで、あらためてそう思った。
のちのち(地上天国・嬉し嬉しの世)には、神人合一者がゴロゴロ状態だと思いますが、
伝達者・取次者(守護を仰ぐ布教)の型を破らない限り神人合一には至れないという事まで、
本当に差し支えない範囲(布教の邪魔をしない範囲)でハッキリと説かれてますね。
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板