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トーキングスティック板/2

1トキ:2015/05/27(水) 09:42:08 ID:tsx6GVdw
 この板は自由に意見を発表できる場として提供いたします。
規約などはトーキングスティック板と同じですので、トーキングスティック板
の冒頭部分をごらんください。

 ご利用希望の方は、管理人まで申し出てください。

 管理人から指定された方以外の人の投稿はできません。

ご注意ください。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

441「訊」:2016/10/22(土) 14:56:44 ID:nPQJcky.


>>434 tapirさま


 精読前の第一弾投稿を、時間のある今のうちに行っておきます。

 そして、いやホント「貴殿がおっしゃっておられる内容」なんですが、そうならざるを得ない感じがします。純子総裁ですが、案外、正しいことを仰っておられるんです。「弁護人の仕事が全うできた」と当方ですが、本来は喜ばなきゃイカンのですが、心からは喜べない・・・・・・・・・・なぜか?

 いや、その、「なぜか?」の理由が不明なんです。少し、詳細に語りますが、両総裁の御言葉って「外形は整ってくる」わけです。熟慮の上拝読すると「うん、その通りですよね」になる事が多々、ございます。外形面は(造化の三神を除き)ほぼ完ぺきな印象なんですけども、「さて」です、さて・・・・・

 ここが違和感の基なんでしょうが、「じゃ、どうしてあんな、『岡先生解任』みたいな事が発生するんでしょうね?」と・・・・・・・・・・・・・弁護人にあるまじき発言ですが(笑)。

 トキさんにもこの辺、コメントを頂戴できれば幸いです。さて今回(あくまでも現時点までですが)教団派にも不能だった純子総裁擁護、この、キャバ廃人が成し遂げました(または「あくまでも現時点ではそう言える」)けれども・・・・・・・・・・なんだろう、この、胸に去来する違和感は。弁護人の任務を全うしたのに、心底喜べないのはなぜなんだろう。






442「訊」:2016/10/22(土) 15:00:19 ID:nPQJcky.


 あ、ごめんなさい、若干ニュアンスの違う件がありますんで、以下。

 ただし現状、弁護人である当方ですが、この、>>340 :tapirさまご投稿については全く、ツッコミが不能なのです。ですんで、さっきの投稿は若干、訂正させて頂きます。

 当方は純子総裁の弁護を全うした、と書きましたが、>>340にはレス不能の現在です。その事を強調して、補足説明といたします。

443トキ:2016/10/22(土) 17:44:52 ID:YxpTUP1Q
 私も深く考えているわけではないのですが、純子先生の「生長の家の教義=未完成」論の問題点は、
谷口雅春先生の主張と違うという点もありますが、それ以上に従来、谷口雅宣先生ご夫妻が強く唱え
られていた「宗教=目玉焼き」論とも矛盾する、という点かと考えています。

 つまり、「宗教=目玉焼き」論は、教義の核心は変えないという点に力点が置かれていたのに、
「生長の家の教義=未完成」論は、教義の核心を変える、という点に力点が置かれているので、そ
の変化を説明する必要があると思います。

 本人に確認をしたわけではないですが、岡正章先生がかって谷口雅宣先生を援護されていた時代は
「宗教=目玉焼き」論がベースになっていたと思います。ところが、いつの間にか肝心の谷口雅宣先生ご
自身が「宗教=目玉焼き」論を放棄して、「生長の家の教義=未完成」論へと事実上、変遷してしま
い、それに違和感を覚えた岡先生が、「ご質問」を総裁にしたら、「余計な事を言うな」とばかりに講師
を罷免されたという次第だと思います。

 ただ、これは、岡先生に確認をしたわけではにので、個人の感想に過ぎない点はご理解ください。

444トキさんへ:2016/10/22(土) 18:59:33 ID:pafWAC6w
>>つまり、「宗教=目玉焼き」論は、教義の核心は変えないという点に力点が置かれていたのに、「生長の家の教義=未完成」論は、教義の核心を変える、という点に力点が置かれているので、その変化を説明する必要があると思います。


生長の家の「教義の核心」とはどのようなもので、それをどのような「教義の核心」に変えようとしているというのですか?

445クリ:2016/10/22(土) 19:24:26 ID:6hRUvSRg
>>434:tapirさん

谷口雅春先生のこのご著書は、過去に拝読しましたから、この箇所のことも私も覚えております。
谷口雅春先生は、このご文章は、まだ、雅宣さんがどういう思想の持ち主であるか、把握されておられない時に、

清超先生が教化の力を発揮されておられる時に、三代目さんにも、大きな期待と希望を抱かれて、
書かれたご文章なのでは、ないでしょうか。

しかし、実際は、雅宣さんが、コロンビア大学在学中に、雅春先生が、九州に移転されていらした時だったそうですが、
雅春先生宛に出された、雅春先生の考え方を大批判する手紙に、雅春先生は、非常に驚かれ、激しく悲嘆にくれられて

「私の前で、雅宣の名は、出さないでほしい」と、周りの人たちに、依頼されたという話は、
有名な話です。

ですから、「菩薩は何をなすべきか」に雅春先生が、私もスピーカーだけれど、三代目は、もっと良質な
スピーカーになるから、心配はいらない...という希望は、

現象世界のことですから、満州国が、雅春先生が希望された国家になる前に、消失したように、
希望通りには、行かなかったとも、言えることではないでしょうか?

今の現実をみてください!!そうなっていますか?三代目さんが...雅春先生よりも優れたスピーカーに。

それに、雅春先生が、明記された肝心な次のお言葉も、今の教えでは、実行されておりませんことも
お気づきください。
「⭕光明化運動において人は中心ではない。神意が中心である。⭕」

それから、生長の家の総裁という役職で言えば、同じ総裁という役職なのですから、
役職から言えば、同格という、紛らわしいものになってしまいます。

ですから、谷口雅春先生のことは、生長の家の「開祖」だということを明記し、
今の総裁が、いつか、終わりましたら、総裁職は、廃止して「信徒代表」という役職にされた方が、

今のような独裁が行われにくくなると思います。

446トキ:2016/10/22(土) 20:08:01 ID:YxpTUP1Q
>>444

 それは私に尋ねないで、この理論を提唱されてきた方にお尋ねください。

447神の子さん:2016/10/22(土) 20:10:37 ID:bvLM2lPs

>>「菩薩は何をなすべきか」に雅春先生が、私もスピーカーだけれど、三代目は、もっと良質なスピーカーになるから、心配はいらない...という希望は、

確かにご自分でスピーカーと云っているように、悟ってはおられなかったのでしょう。満州国の行く末と同様に、孫の人間を見抜くことが出来なかったという事実のみが残ってしまったということでしょうか。

448それはへんです:2016/10/22(土) 20:20:35 ID:pafWAC6w
>>446  それは私に尋ねないで、この理論を提唱されてきた方にお尋ねください。


>>教義の核心を変える、という点に力点が置かれているので、<<と断定されているのはトキさんあなたでしょう。>>その変化を説明する必要があると思います。<<

と云われるから、その断定の前提条件の「変化」について訊いています。

449クリ:2016/10/22(土) 20:56:24 ID:6hRUvSRg
447:さん

【悟りには、関係なく、「人生のすべて が 己の 意のまま ではない」ことも...】

教えの通り、自分は運が強いという考え方を持っていて、感謝して生きていると実際に運が強くなることは、
体験からして、私も本当のことだと思いますが、

だからといって、人生は、運がすべてかというと、そうではなく、
ある重要な部分は、人間の努力、熱意によって、人生を変えることができると思います。

運とか運命を動かすことができるという考え方も 強く持っていた方が、運が強くなると思います。

しかし、宿命と言いますか、運命のなかでも、自分では、予想もつかない、運命がありますよね。
(私が、わざわざ、言うほどのことでも ありませんが、あなたのほうが ご存知のはずですが、)

「人生のすべて が 己の 意のまま ではない」ことも 確かなことですよね。

「日本人として生まれたことも、この時代に生まれたことも、自分の意志ではない。
 たまたま、偶然に生まれてきた。生まれた家も、環境も、いわば運命であり。自分が決めたものではない。」

悟ったとか、悟らなかったとかの問題では なくて、これは、別次元のことだと思います。

イエスキリストだって、あんなに人の病気は消せたのに、ご自分は、弟子に 裏切られるわ。
磔(はりつけ)にされて、公衆の面前で、掌から、腕から、体から、足から、太い釘を、打ち込まれてしまうわ。
とても、彼の、意のままとは、言えないことになりました。

己の意のままにならないこと、
人間智では、その時には、理解不能なことも現象世界では起きるのだと思います。

後世になってから、その時の、そのことの 深い意味が わかるのかもしれません。

450「訊」:2016/10/22(土) 22:45:48 ID:0e11MbYA


>>トキ理事長

<純子総裁弁護中>


 さて、トキ理事長の言われる「黄身(本丸)の変更」ですが、御主張根拠のひとつは以下って事で、間違いナイでしょうか。


――――――――――――

本人に確認をしたわけではないですが、岡正章先生がかって谷口雅宣先生を援護されていた時代は「宗教=目玉焼き」論がベースになっていたと思います。ところが、いつの間にか肝心の谷口雅宣先生ご自身が「宗教=目玉焼き」論を放棄して、「生長の家の教義=未完成」論へと事実上、変遷してしまい、それに違和感を覚えた岡先生が、「ご質問」を総裁にしたら、「余計な事を言うな」とばかりに講師を罷免されたという次第だと思います。
 ただ、これは、岡先生に確認をしたわけではにので、個人の感想に過ぎない点はご理解ください。

――――――――――――


 ここは推測とは申せ、同意致します。そして、「同意を表明した上」で、この件を材料にしますが、「茨城教区の財政問題」です。そして、あっさり言ってこれらの「暴走」ですが、暴走とは申せ御教えの否定とは、言えないのが実情にはなりませんか。

 詳しく話しますね。

 いやホント、教団の暴走は目に余るものです。予算規模1億の教区(茨城)は今後、年間約7,200万ほどの返済金が生じる事態です(*)。年間予算の7割強が、借金返済に回るのですから、これを暴走と言わずして何と表せばよいのやら・・・・・・・とまあ、一旦、この教団の暴走ぶりを確認します。

 で、確認した上で次に移りますが、以下が実に悩ましく、「それでも黄身の変更とは言えない」って云う・・・・・・・・暴走は暴走なんですけれども、これ、別に黄身部分の変更の証拠とはナラヌと思のです。そしてこれが、対教団向けの対機説法としては、弱いものになりはせぬかと・・・・・・・・・アルコールが入った状況で文章を書いてますんで、ちょっと解りにくい主張かもしれませんが。

 ・・・・・・・まとめますと、当方からトキさんへの問いかけ、ですが、「暴走は暴走として確認可能」、です。けれども、「黄身部分の大幅改変」に関する証拠って、実は乏しいのではナイのかなと。

 そんな感じです。暴走はしてます。けど、「それが何か問題?」って言われたら、たぶん、「黄身を変更してませんか」では教団側ですが、聴く耳は持たぬのではナイかと思えてならないのです。「年間1億の予算規模教区で、7割強を借金返済に向けるのは事実です。けど、何か問題でも?」って返された際に、彼等・教団幹部ならば、どんな言い方をすれば聴く耳を持つのかな、と・・・・・




451「訊」:2016/10/22(土) 22:48:16 ID:0e11MbYA


<註>

* 年間約7,200万ほどの返済金が生じる事態です

 東京三菱UFJが融資先との事。民間企業向けの融資だとザッと、こんな感じになります。なお、ひょっとするとですが(希望的観測に過ぎますけども)宗教法人に対しては、なんらかの返済金額緩和のスキーム、あるのかもしれません。けれども、それでも・・・・・・・・・・まあ、年間予算と比較して、とてつもなく膨大な資金が借金返済「のみの目的で」消えていくことには変わりはナイかと。

452トキ:2016/10/23(日) 00:54:33 ID:/tPBGyJI
 教義の変更としての事例を考えると、茨城教区の話は実例にはならないと考えています。
ただ、教団の運営上の暴走の事例にはなると思います。

 最近の事例では、総本山のご祭神の変更や新経本があげられると思います。
ただ、個人的には、「個人救済の軽視」、これが問題かと思っています。

 明日は少し投稿が送れますが、お許し下さい。後日あらためて書かせて戴きます。
ごめんなさい。

453「考える」管理人◇日野:2016/10/23(日) 06:33:31 ID:mhXa4d/U

運営上の暴走とか何とか云っているけど、組織の問題点をネット上に堂々と書く教団信徒がいることが信じられない。

国防の問題点をネット上に堂々と書く自衛官がいたら利敵行為とみなされるのと同じことだ。

454和解とは:2016/10/23(日) 07:06:47 ID:pafWAC6w

>>449 クリさん

吉田国太郎講師は「常楽への道」の序でこのように言われています。「三界三世を超えた物質の無い廣い世界の光明にとりあげられ、無執無縛、そのまま常樂の安住の地を與へられ、其の世界に生命の糧を惠まれて生きる喜びを歌ひつつ、幼児の歩みをすすめて来た消息の記録である」と。

その無執無縛のところから以下のように云われている。一節「光を見つめて」の冒頭に「困ると云ふこと、辛いと云ふこと、落着けないと云ふことは、自分の無明が其處に轉じてゐるのであって、誰が悪いのでもなく自分が悪いのである・・・一切は己の無自覚に依るものであり、全ての責任を負わなければならないのである」と。

この本が再版された昭和49年私はすぐに買い愛読書になった。当時静岡に特務講師を務め絶大な人気のあった松浦講師と云う人が居られた。講師会長でもありましたが。その松浦講師が教化部のロビーで「ほんとこの通りだよな〜」と話した事が有りました。県の全信徒から絶大な支持を得ていたそんな講師が、絶賛する「常楽への道」が昭和49年で僅か三版の発行なんです。「教義の変更」などという話が出ていますが、数多の書籍が出版されてい、全ての過去出版されたものはどこかの信徒の家にあるのです。どうしてそんなことが出来るものですか、出来やしません。

それより先に根本真理を求める信徒の少なさの方が問題でしょう。「常楽への道」の」新地に生きる」p165に

「神と神の顕れ、完全と完全の顕れ、実相と実相の顕れ以外何一つない世界であれば、【天地一切和解する以外に道は無いのである。】・・・・この世の眞實に到るとき絶対感謝が生まれてくる。絶対感謝に甦る時此の世の眞實がみえてくる。一つは道元の歩んで行った道であり、一つは親鸞の超えて行った道であった。そしてこれら二つを一つにした甦りの道が我等の行ずる神想観である。神想観は絶対感謝の行であり、此の世の眞諦をあきらめる行でもある。」と説かれている。


このような意味での和解をトキさんが説かれているのであれば素晴らしいことです。和解不要論の方々は神想観の行を徹底されることを希望いたします。

455「訊」:2016/10/23(日) 16:30:23 ID:nqe5ipYw


>>452 トキ理事長


<純子総裁弁護中>


 貴殿御主張内容である現在の問題点、正しく理解致しました。黄身部分とは、茨城教区のような問題ではなく、以下に見られるような、


――――――――――――

最近の事例では、総本山のご祭神の変更や新経本があげられると思います。ただ、個人的には、「個人救済の軽視」、これが問題かと思っています。

――――――――――――

 の記述箇所になるわけですね。これならば、そうですね。そこは御教えの周辺ではなく、中心部だと思います。そしてやはり、こうなると、>>340 tapirさまご投稿についての部分が今後の、主要論点になろうかと思います。


 ・・・・・・・教団を擁護する場合、「ご祭神の変更は黄身の改変に該当しない」ことを立証せねばなりません。あるいは「ご祭神の変更はそもそも黄身ではない」ことを(当然ながら)聖典を論拠にして主張する必要がありましょう。新経本も同様になりますが、まあ、現在のところ弁護側が「その方向性からの弁護が不能だった場合、純子総裁は有罪となっても仕方がナイ」ってことに、なりそうですね。

 了解しました。それでは当方は弁護人として、、「ご祭神の変更は黄身の改変に該当しない」こと、あるいは「ご祭神の変更はそもそも黄身ではない」ことを聖典を論拠に、主張展開を試みます。今後の論点が明確になり、その点でも収穫でありました。






 それでは、首をつっこまないで下さい。

 ↓

 >>453「組織の問題点をネット上に堂々と書く教団信徒がいることが信じられない。」

 我々にすれば、「総裁は暴走していない」の根拠が、「個人の主観」・・・・・・・・・・こんなモノこそ信じられないからです。以降、首つっこみ不要です。

456トキ:2016/10/23(日) 19:43:56 ID:oFvBIB3I
>>455

 すみません、昨日は寝る前だったので短くなりました。誤解を生む表現をした点をお詫び
します。

 カソリックでは、罪という概念を区別して、作為の罪と不作為の罪という分類をします。
日本の刑法でも、作為犯と不作為の罪という概念を作ります。

 総裁で議論をすべきは、個人的には、作為の罪よりも、不作為の罪、という概念と以前は
考えていました。つまり、総裁としてなすべき事をしなかった、という問題があると考えて
いたのです。法律上は、作為の罪でも不作為の罪でも、同じ扱いとなります。

 言い換えると、なすべき事をせず、なすべきでない事をしなかった、という両面での問題が
あったと考えています。

 ただ、「み教え=未完成」論は、違う段階になったと考えています。

 また、思案をしてから、申し上げます。

457トキ:2016/10/23(日) 19:45:06 ID:oFvBIB3I
>>「ご祭神の変更は黄身の改変に該当しない」こと、あるいは「ご祭神の変更はそもそも黄身ではない」ことを聖典を論拠に、主張展開を試みます。今後の論点が明確になり、その点でも収穫でありました。

 了解しました。少しバタバタしているので、お返事が遅れるかもしれませんが、お許しください。

458クリ:2016/10/23(日) 21:06:10 ID:6hRUvSRg
>>454:
和解とは さん

吉田国太郎さんの世界の復活を望みますが、
最近では、電車に乗っても見回すと、大変多くの方々が、下を向いて、
スマホの画面に、集中している姿を見るにつけ、唖然とするばかりです。

>>根本真理を求める信徒の少なさの方が問題でしょう。<<
ということですが、表面的な、スマホ世界の人々を見ますと、そのように私も思えてしまいますが、

人間、一人になり、われに振り返った時は、真理を求めている人は、求めていると思います。

>>このような意味での和解をトキさんが説かれているのであれば素晴らしいことです。
和解不要論の方々は神想観の行を徹底されることを希望いたします。<<

そう思われますか?

では、トキさんを理事長にしてください。そして、、トキさんをサポートする人も配置しての
教団の再出発を希望します。教団組織の大改革もあると思いますが、

そうなりますと、総本山のご祭神は、住吉大神様に、戻して、別に幽斎殿などを
増設して、天照大神様の神々を、幽斎殿に移して、お祀りする。などなど...

その他,数々の抜本的改革も行われると存じますが、総裁は、そのことを許可されるのでしょうか。
学ぶ会との共存共栄も、許可できますか?

愛国の書は、まず、「碧眼録」上、下の出版、そして、榎本恵吾先生著「弟子像」の出版も
認めてくださいますか?

多くの信徒が望んでいることです。

459クリ:2016/10/23(日) 21:16:53 ID:6hRUvSRg
活動本部は、六本木で。(赤坂)

460「考える」管理人◇日野:2016/10/24(月) 09:18:54 ID:.W4W3/ts

さぁて、「世界聖典普及会に対する聖典の破棄」の要求が却下されたことについて、トキさんはどう弁明するのだろうか?(爆笑)

結局、私のいうことに反論できませんでしたね。(笑)

461「訊」:2016/10/24(月) 10:11:14 ID:KxBx5JgI

 うん、その種の「日野サン大勝利!!!!!」報道は、専用スレを誤用意しております。(「ご用意しております」に訂正)

 こちらは現在、純子総裁に関する件、ですんでどうぞ、ご了解くださいね。

462クリ:2016/10/24(月) 12:31:28 ID:6hRUvSRg
458:で、クリは、
和解とは さん宛に コメントを差し上げましたが、和解は さんからのお返事は
まだ、いただいておりません。

つきましては、
1,「思案中、検討中です。」   
2,「ノーコメントに してしておきます。」  
3,「それは、ありませんね。」

あなたのお答えは、3つの中の、どれでしょう?

463クリ:2016/10/24(月) 12:34:06 ID:6hRUvSRg
私は、これ以外の方法で、教団が 再生可能な方法は、思いつかないです。
新しいことを、思い切ってされるのは、勇気と決断が いりますけれどね。

464「訊」:2016/10/24(月) 15:37:49 ID:SjRea2HQ




 >>455の文を再度、明確化致します。トキさんとtapirさまに確認しますが現在の論点を、以下の方向として弁護を進めようと考えております。このような方向性でいかがでしょうか。それは、


 「文章や講話に接する限り純子総裁だが、黄身部分までの改変を意図しているとは考えられない。しかしながら、現場に下りて来る方針の中にはその、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。(岡氏解任や経本、三神勧請等)」

 と。

 そして、


 「その改変の中味であるが、それが果たして本当に『御教えの否定』に該当するのか否か、それを話し合いたい」

 と。


 長くなりますが、こんな感じで進めていくのはいかがでしょうか。

 質問や要望等、大歓迎でございます。





465「訊」:2016/10/24(月) 15:40:48 ID:SjRea2HQ

 ま、何度も申しますが本件、ゆっくりと進めて参りましょう。

 当方も月末の激務に追われておる現在です。

466和解とは:2016/10/24(月) 17:17:59 ID:FlEWn3o2

>>462 クリさんへ

生長の家に於ける「和解」について書いたものです。
そして私の書いている内容そのものへの返事には思えませんので、聞き流したまでです。

467クリ:2016/10/24(月) 18:29:34 ID:6hRUvSRg
466:和解とは さん

ということは、あなたの答えは、
結局、2,の「ノーコメントにしておきます。」ということですよね。
あなたのコメントへの返事とは思えなかったそうですが、

教団が、和解するには、
教団が再生するには....で、クリからも、質問させていただいた事柄でしたから。

468シャンソン:2016/10/24(月) 18:51:25 ID:YmP62q1c
>>462

 少しお邪魔して、これだけで今日は本版には来ません。ヒマ老人ちがって
 仕事がありますから。

自己中心的に話をすすめていくのは、本部職員時代からかもしれませんが、
 部室での私への話の回答が、トキさんもシオンさんもうやむやにしたままです。

>>462 クリさんへ

生長の家に於ける「和解」について書いたものです。
そして私の書いている内容そのものへの返事には思えませんので、聞き流したまでです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 トキ理事長もよく人の話をスルーしていますよ。
 数年前、訊け氏のことで警察に相談すると、まずは、そこの管理人さんと相談してくださいと
 いうことでした。そのことをトキさんに伝えると、
 法的には訊け氏に回答する義務はないようです。それだけです。
 個人救済に忙しかったのかもしれません。

469シャンソン:2016/10/24(月) 18:52:23 ID:YmP62q1c

 それに、シオンさんはトキさんに合わせて、
 毎晩七時から楠本先生の快癒をお祈りするんでしたよね?

470和解とは:2016/10/24(月) 18:57:07 ID:FlEWn3o2

>>教団が和解するには、  教団が再生するには

そんな話をしたつもりは毛頭ありませんし、教団の関係者でもない私に云われても始まりません。

471クリ:2016/10/24(月) 19:00:07 ID:6hRUvSRg
快癒の祈りの時期は、終わっています。お祈りしていたのは、楠本先生が倒れられた時期のことでした。

472クリ:2016/10/24(月) 19:08:00 ID:6hRUvSRg
470:和解とは さん
そうでしたか。それは、失礼しました。

473tapir:2016/10/25(火) 13:36:24 ID:CxVXlSJM

>>464 :「訊」様

論点を分かりやすく整理していただき、ありがとうございます。


>> 「文章や講話に接する限り純子総裁だが、黄身部分までの改変を意図しているとは考えられない。しかしながら、現場に下りて来る方針の中にはその、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。(岡氏解任や経本、三神勧請等)」<<


「黄身部分までの」を、「谷口雅春先生の御教えの」に変更していただくことを要望いたします。

「卵焼き論」は、谷口雅宣先生の発案によるものですが、もっと長いスパン(時間の幅)でこの問題について考えたいというのが「黄身部分」という言葉を置き換える理由です。長いスパンというのは、谷口雅宣先生の時代より前の時代も含めるという意味です。


「文章や講話に接する限り純子総裁だが、谷口雅春先生の御教えの改変を意図しているとは考えられない。しかしながら、現場に下りて来る方針の中にはその、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。(岡氏解任や経本、三神勧請等)」

という案です。


>> 「その改変の中味であるが、それが果たして本当に『御教えの否定』に該当するのか否か、それを話し合いたい」<<

については、そのままでもよいと思いますが、意味をはっきりさせるために『谷口雅春先生の御教えの否定』としていただくとよいかも知れません。

「その改変の中味であるが、それが果たして本当に『谷口雅春先生の御教えの否定』に該当するのか否か、それを話し合いたい」

ありがとうございます。

474「訊」:2016/10/25(火) 13:44:00 ID:QPg04bWU

>>473 tapir様


 ありがとうございます。それでは論点を、下記の如しと致します。




「文章や講話に接する限り純子総裁だが、谷口雅春先生の御教えの改変を意図しているとは考えられない。表面上はそう言えるのだが、しかしながら現場に下りて来る方針の中にはその、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。(岡氏解任や経本、三神勧請等)その改変の中味であるが、それが果たして本当に『御教えの否定』に該当するのか否か、それを話し合いたい」



 みなさま、以降はこの方向で論じて参りましょう。

 なお、諸注意ですがデマをお流しになられておられる方を発見された際は、すぐにデマだ!とか言う前に「30秒間の深呼吸」を行ってください。そして、その後に相手側発言真意を問い、かつ、回答を待ってからのデマ認定!を、よろしくお願い致します。また「非包括法人」等、不思議な用語で議論を惑わす行為等は、御慎み頂けますと幸いです。

475tapir:2016/10/25(火) 15:14:15 ID:CxVXlSJM

>>474 「訊」様

了解いたしました。

ありがとうございました。

476tapir:2016/10/26(水) 11:30:15 ID:CxVXlSJM

>>474 「訊」様へ


>>「文章や講話に接する限り純子総裁だが、谷口雅春先生の御教えの改変を意図しているとは考えられない。表面上はそう言えるのだが、しかしながら現場に下りて来る方針の中にはその、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。(岡氏解任や経本、三神勧請等)その改変の中味であるが、それが果たして本当に『御教えの否定』に該当するのか否か、それを話し合いたい」<<


>>文章や講話に接する限り白鳩会総裁が、谷口雅春先生の御教えの改変を意図しているとは考えられない。<<

についてですが、私はこう思います。


谷口雅春先生の御教えはあまりにも広大無辺です。広義の意味においては、宇宙全体が生長の家なのです。
ですから、「人間は神の子ではない」とか「天地一切のものに和解するな」とか「実相はない、現象のみある」と断言しない限り、生長の家の言葉を使って文章や講話をすれば、その内容の細部が違っていても「谷口雅春先生の御教えではない」と断言できないと思います。


御教えの広大さを表す例として、たとえば『生命の實相』第27巻に以下のお言葉があります。

「二 久遠のいのちに触るるもの

 『生命の實相』の著者は本当は「久遠を流るるいのち」なのである。釈迦も「久遠を流るるいのち」を把握したし、キリストも「久遠を流るるいのち」を把握したのである。そのほか空海、最澄、親鸞、日蓮もすべて「久遠を流るるいのち」を把握したのであろう。(中略)否、さらにそういういろいろの名だたる宗教教祖と言われる人だけではなく、仏典を結集し、聖書を結集した釈迦の弟子、キリストの弟子、されにそれに改竄を加えていった後代の弟子たちや、それを諸国の文字に移し植えた翻訳者たちも、また「久遠を流るるいのち」にある程度まで触れていたのである。」
(『生命の實相』第27巻、149頁)

「それ(仏典・聖書)に改竄を加えていった後代の弟子たち」も「久遠を流るるいのち」にある程度まで触れていたとまで書かれています。

 谷口雅宣先生、谷口純子先生が「久遠を流るるいのち」にある程度触れていることは、否定できないと思います。

このため454において、「谷口雅宣先生と谷口雅春先生が同格であると解釈できる御文章があった」ことにより、白鳩会総裁が谷口雅春先生の御教えに基づいて行動していると書かざるを得なくなりました。

そういう意味で、「白鳩会総裁が(故意に)谷口雅春先生の御教えの改変を意図しているとは考えられない」とも言えます。ただし、「故意に」という言葉を加えたいと思います。それは、「無意識的に」、「改変を意図している」ように今後、白鳩会総裁が行動する可能性が、私には否定できないからです。


>>表面上はそう言えるのだが、しかしながら現場に下りて来る方針の中にはその、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。<<


「組織運営」において、「現場に下りて来る方針の中にはその、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。」のは、多くの方が指摘しており私もそう思っています。

ここで、確認しておきたいのは、「組織運営」は「御教え」に含まれるのかという点です。

10数年前の生長の家教修会で、故 榎本恵吾講師が谷口雅宣先生に質問された時に、谷口雅宣先生が「人類光明化運動は現象です」と答えられたと聞きました。現在も谷口雅宣先生が同じ考えを持っていらっしゃるかどうかは知るすべがありませんが。

しかし、人類光明化運動は、現象的な側面もあるが、神意の地上的展開であるという「御教えの側面」があります。

私も、谷口雅宣先生がどう思っていても、「人類光明化運動」及びそのために必要な「組織運営」も「御教え」に含まれるという立場をとりたいと思います。

「御教え」であるということは、時代によって表面上の形が変わっても、元々の精神を変えてはならないということが言えると思います。

そういう意味で「現場に下りて来る方針の中にはその、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。」ことについて、「元々の精神」がどこにいったのか分からない混乱状態にあるということが、言えると思います。

477tapir:2016/10/26(水) 11:34:27 ID:CxVXlSJM

>>474 「訊」様へ


懸念される御教え(運動)の改変について、生長の家の経済的基盤を支えている聖使命会制度の例をあげたいと思います。

この事例をあげる理由は、生長の家は「悟りを得た指導者に信徒が黙って従う教えではない」、「総裁を含む生長の家の構成員である聖使命会員全員が神の子であり、尊い存在であるという意味では完全に平等である」という教えであるからです。

日本国の歴史的な言葉を使えば、「一君万民」であって、総裁も参議長も理事長も教化部長も本部講師も地方講師も教区の相・白・青の責任者も、一聖使命会員も、神の子として、皆平等の立場にあるというのが、御教えの根本になっています。

聖使命会制度について、谷口雅春先生は、「人類光明化運動のパテントは諸君に譲られた」と題する御文章を発表されています。(私は『新編 聖光録』でこの文章を何回も読んでいますが、今の信徒の皆様はこの文章を入手できるのでしょうか。)

「聖使命会は私個人の光明思想普及及び運動の聖業全部を私に代って引請けた団体でありまして、その団体の一員たる聖使命会員は、謂わばその聖業遂行会社の株主ともいうべきものでありまして、営業会社が株主の出資(会費)によって遂行せられるわけであります。」(『新編 聖光録99頁』

『「聖使命会の結成せられると共に神から聖使命会員がこの光明化運動を遂行するためにこの聖業を吾々にゆだねられたのであるから、この聖業を遂行することは吾ら聖使命会員の使命であり聖嘱である」という自覚で、みずからが霊の選士として聖使命に招請された者であるとして、この聖使命遂行のために協力願いたいのであります。』(『新編 聖光録101頁』

「聖使命会員」が「株主」であるという表現があります。

もし「株主」であれば株式会社の実質的な所有者であるわけで、教団は運動に関する重要な決定について、聖使命会員の多数の賛同を得なければならないことになると思われます。

十数年前まで「生長の家代表者会議」においては、「運動方針」(案)が審議され、同会議の決議を経て文言を決定することになっていました。これが、現在は、既に決定した「運動方針」を周知する場に変えられてしまったのは、聖使命会員が「株主」という言葉に反すると思います。

谷口雅宣先生が、そのような「改変」をしたことは、宗教法人「生長の家」の「約束違反」であり、聖使命会制度発足の「元々の精神」に反すると思います。

478tapir:2016/10/26(水) 11:36:14 ID:CxVXlSJM

>>474 「訊」様へ



「御教え改変」の事例ではありませんが、「聖使命会」と「組織改革」に関連して述べたいことがあります。

平成元年、谷口雅宣先生の主導で、聖使命会員の中から組織活動に参画するために機関誌を購読する「組織会員」を設けて、「普及誌購読者」と分ける両軸体制が始まりました。

聖使命会制度が、発足から何年かたつうちに、本来の主旨から外れて行ったため、改革が必要だったことは否定できません。

聖使命会は、キリスト教が財源増収の為に設けた「免罪符」のように、「聖使命会員になれば幸せになれる」というような勧誘の仕方で、信徒の自覚がないのに会員にすることが過度に奨励される傾向があったのではないでしょうか。

聖使命会員とは本来、真理を感じ悟った人を指していました。

「みずから進んで神より選ばれたる聖使命を感得して、聖使命会員となるは、菩提心を起こして己れ未だ度らざる前に一切衆生を度さんと発願修行するもの」(『聖使命菩薩讃偈』)

「感得」は「奥深い道徳や真理などを感じ悟ること 。」(コトバンク)です。

生長の家の教えを感じ悟った人、『「一切はすべて自分の責任であり、自分以外の他のなにものの責任ではないのだ」という覚悟に徹して生きること』を目指す人が聖使命菩薩になるのが、本来の主旨でした。

言い換えれば、教えに対する自覚があり、組織活動に参加するのが聖使命菩薩(会員)だったと思いますが、現実には、教えを知った会員が、教えを知らない家族等も聖使命会員に入会させることが多くなり、組織活動に参加する人数よりはるかに多くの人数が「聖使命会員」になることになりました。

「聖使命会制度」において「組織活動に参加する会員」が不明確になったという問題点が、谷口雅宣先生に制度改革を思い立たせ、平成元年から、前述の「組織会員」と「普及誌購読者」を分ける両軸体制が始まりました。

私見ですがこの時に、ややこしいことをするものだと思いました。聖使命会制度発足時の元々の精神に立ち返り、会費や資格を見直して、聖使命会の範疇で「実際に組織活動に参加する会員」を明確にさせる方法にした方がよいのではないかと思ったのです。たとえば、「什一会員」の中で、名称を、活動者を志している会員だけ、「活動会員」に変えるとか、名称の変更で対応すれば、元々の「聖使命会制度」が生かされたと思います。

479tapir:2016/10/26(水) 11:39:04 ID:CxVXlSJM

>>474 「訊」様へ


結論です。


1、>>文章や講話に接する限り白鳩会総裁が、谷口雅春先生の御教えの改変を意図しているとは考えられない。<<


谷口雅春先生の御教えはあまりにも広大無辺で、広義の意味においては、宇宙全体が生長の家である。

従って「人間は神の子ではない」とか「天地一切のものに和解するな」とか「実相はない、現象のみある」と断言しない限り、生長の家の言葉を使って文章や講話をすれば、その内容の細部が違っていても「谷口雅春先生の御教えではない」と断言できない。


2、>>表面上はそう言えるのだが、しかしながら現場に下りて来る方針の中にはその、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。<<

・谷口雅宣先生は、過去において「光明化運動は現象である」と発言したが、それを肯定することはできない。

「光明化運動」は、現象的な側面もあるが。「御教え」の側面を外すことはできない。

・「御教え」を改変したと思われる重要な事例の一つは、「株主」である「聖使命会員」の意向を反映するはずの「代表者会議」のルールを変えた事である。

・御教え改変の事例ではないが、「聖使命会制度」の見直しが必要であったことによる両軸体制による改革があったが、成功しなかった。(「両軸体制での組織の会員の拡大は、うまくいかなかった」というのは、谷口雅宣先生ご自身がブログに2010年8月11日のブログに書いている言葉である)

・元々の聖使命会制度を生かした改革の方がより有効であったように思われる。


3、>>その改変の中味であるが、それが果たして本当に『御教えの否定』に該当するのか否か、それを話し合いたい<<

・谷口雅春先生の「人類光明化運動のパテントは諸君に譲られた」を読むと、生長の家は「悟りを得た指導者に信徒が黙って従う教えではない」、「総裁を含む、生長の家構成員全員が神の子であり、尊い存在であるという意味では完全に平等である」という教えであることを、その活動においても表現されていることがよく分かる。

・日本国の歴史的な言葉を使えば、「一君万民」であって、総裁も参議長も理事長も教化部長も本部講師も地方講師も教区の相・白・青の責任者も一聖使命会員も、「民」として「神の子」として平等の立場にあるというのが、御教えの根本になっている。

・「総裁ご夫婦」だけが特権階級ではないのに、客観的にそのように見える今の中央集権的な体制は、「人間は皆神の子で平等である」ということを組織的に実現しようとした「生長の家の組織は悟りを得た聖使命会員全員が支えていくもの」という昭和29年の谷口雅春先生のお言葉に表された「御教え」を否定していると言わざるを得ない。

480tapir:2016/10/26(水) 11:47:56 ID:CxVXlSJM

>>474 「訊」様へ


前項で触れなかった、岡先生、造化三神、経本の事例について、簡単に書きます。

造化三神、経本についても、「改革」を目指したが、現在あるものを生かさずに、上に新しいものを積み重ねて、結局失敗するという点において、「聖使命会制度」の事例に、似ているようにも思います。

次から次へ新しいものに興味を持つ人で、前に出したものを片づけないで机に新しい書類や物を積み上げていく人がいますが、そんな感じがします。机の上には、物が山のように積み上がって、次第に身動きが取れなくなります。

岡先生の事例について、谷口雅宣先生が回答できなかったのも同じことが遠因かも知れません。

481「考える」管理人◇日野:2016/10/26(水) 12:14:46 ID:xy24P0C2

訊け様とtapir様のやり取りは勉強になります。

尚、今の生長の家では聖使命会員について「自覚のある会員」と「自覚のない会員」に分けているように感じます。特に、講師試験の受験資格に「一年以内に『自覚のある』聖使命会員又は普及誌購読者を増やしたこと」という旨の規定があったと思います。

これについて、私は「霊宮聖使命会員」の例から、本人に人類光明化運動に参画している自覚がなくとも、精魂に竜宮住吉本宮で聖経を奉安されている以上、無意識にではあったとしても聖使命会員としての人類光明化運動に参画されているものと解釈しておりました。

と言いますのは、霊宮会員は生前に生長の家の御教えに触れていなかった魂にも入会資格があります。本人の現在意識とは無関係に第三者の手によって入会させられるわけですが、彼らも人類光明化運動の同志であると思います。すると、「自覚のない聖使命会員」も同様に解釈することはできないでしょうか?

そうだとすると、両軸体制における組織会については、聖使命会員に関する教義の「拡大解釈」の産物であるかも知れませんが、ストレートな否定には当たらないと思いますし、だからこそ谷口清超先生も両軸体制を推進されたのだと思います。

482「考える」管理人◇日野:2016/10/26(水) 12:21:58 ID:xy24P0C2
>>479

>「御教え」を改変したと思われる重要な事例の一つは、「株主」である「聖使命会員」の意向を反映するはずの「代表者会議」のルールを変えた事である。<

これまでとどのような変更があったのか、教えて下さると幸いです。

また、これまでに代表者会議において一般の聖使命会員の意見が本当に代表されていたのか、一部の組織会員の意見だけではなかったのか、という疑問も出て来るかと思います。

例えば、青年会においては青年会中央委員会が最高議決機関です。「青年会ヴィジョン」も中央委員会で決定されました。代表者会議も同じような機関だったのでしょうか?理事会と代表者会議の関係等がどうあるべきかについても、ご教示いただければ幸いです。

483tapir:2016/10/26(水) 13:46:52 ID:CxVXlSJM

>>481,482 「考える」管理人◇日野様へ

コメントをいただき、ありがとうございました。

今から用事があるので、ご返事は今夜か明日になると思います。

しばし、お待ちください。

484tapir:2016/10/27(木) 11:24:07 ID:AwV5D.Gg

>>481 :「考える」管理人◇日野様へ

479において、このことについて「御教え改変の事例ではないが」と書いています。

>>・御教え改変の事例ではないが、「聖使命会制度」の見直しが必要であったことによる両軸体制による改革があったが、成功しなかった。(「両軸体制での組織の会員の拡大は、うまくいかなかった」というのは、谷口雅宣先生ご自身がブログに2010年8月11日のブログに書いている言葉である)

・元々の聖使命会制度を生かした改革の方がより有効であったように思われる。<<

「改変の事例でない」ものを取り上げたのは、本題から外れていたかも知れません。

実は、私としては谷口雅宣先生ご自身のブログでいきなり「両軸体制での組織の会員の拡大は、うまくいかなかった」と書かれたことが「衝撃」でした。それで色々と思いを巡らせたわけです。

今、私の479の文章を見直して(両軸体制は)「成功しなかった」の表現は不適切だったと思います。

谷口雅宣先生は「組織会員の拡大は、うまくいかなかった」と書かれただけで、「両軸体制が成功しなかった」とは書かれていませんでした。

479のコメントについて、謹んで以下の様に訂正いたします。

訂正前:・御教え改変の事例ではないが、「聖使命会制度」の見直しが必要であったことによる両軸体制による改革があったが、成功しなかった。 (「両軸体制での組織の会員の拡大は、うまくいかなかった」というのは、谷口雅宣先生ご自身がブログに2010年8月11日のブログに書いている言葉である)

訂正後:・御教え改変の事例ではないが、「聖使命会制度」の見直しが必要であったことによる両軸体制による改革があったが、谷口雅宣先生は「両軸体制での組織の会員の拡大は、うまくいかなかった」とご自身のブログ(2010年8月11日)に書いている。


日野様の教区の中で「聖使命会員」の意義が十分に説明され理解された上で、両軸体制が十分に機能しているのなら、それは地元の皆様のご努力のたまもので、本当に素晴らしいことと思います。


「自覚のない聖使命会員」について、私も日野様と同じように教えられ、同じように理解して来ました。


>>そうだとすると、両軸体制における組織会については、聖使命会員に関する教義の「拡大解釈」の産物であるかも知れませんが、ストレートな否定には当たらないと思いますし、だからこそ谷口清超先生も両軸体制を推進されたのだと思います。<<

私も日野のコメントにおおむね同感で、始めに述べたとおり両軸体制について「御教えの否定の事例」とは思っていません。谷口雅宣先生の御懸念が杞憂であって、教区における両軸体制の推進が円滑に進んでいるのなら、将来見直すかどうかは別として、現状はそのままでよいと思います。

485tapir:2016/10/27(木) 11:27:28 ID:CxVXlSJM

>>282 「考える」管理人◇日野様


>>これまでとどのような変更があったのか、教えて下さると幸いです。<<


手元に資料がないので、私の記憶に頼って書いています。誤解や名称等不正確な部分があるかも知れません。事実関係の誤解や、名称等に間違いがありましたら、ご存じの方は、ご訂正をお願いいたします。


毎年、生長の家本部から発表される、「運動方針」は、日野様も読んでおられると思います。

「代表者会議」は、生長の家本部主催の下、各教区の五者が一堂に会する唯一の会議で、一年に一回開催されます。

五者とは、各教区の教化部長、講師会、相愛会、白鳩会、青年会の各組織代表を指します。

聖使命会員を「株主」と見た場合、年に一回「株主総会」が開かれて、会社運営についての各議題が審議され、出席した(委任状提出を含む)株主の承認を得て、決定します。こうして「株主」は会社経営に参加します。


これは私の解釈ですが、生長の家では、聖使命会員全員が一堂に会するのは無理がある、聖使命会員総会は開くことができない、その替りに、各教区の聖使命会員の意思を反映するために、教区から5名の代表者が招請されて生長の家本部(理事会)と運営について話し合うために設けられたのが「代表者会議」ではないかと思っています。

十数年前までは、「代表者会議」において、「運動方針(案)」が提案され、「代表者会議」で様々ない意見が出されて、その議決を経て、決定されていました。

現実に「代表者会議」で出された意見に基づいて幾つかの文言が修正されていました。教区五者が、多少形式的ではあったにしても、「運動方針」作成に参加するという形を取っていました。

それが、ある時点で「代表者会議」は、既に決定された「運動方針」を周知する場という位置づけにされ、「運動方針」作成・決定に、「代表者会議」における教区五者の意見が反映されない形になりました。

当然、質問する五者も消極的になりましたし、自分たちの運動方針という意識が希薄になった可能性があります。

教化部長には「評議員会」という会議がありますが、各組織代表(講・相・白・青)が、本部理事会に対して「直接意見を述べて運営に反映させる場がなくなった」と言えると思います。

また教化部長は「本部職員」ですから、ボランティアである各組織代表に比べて、発言の自由度が少ないという問題もあります。


>>また、これまでに代表者会議において一般の聖使命会員の意見が本当に代表されていたのか、一部の組織会員の意見だけではなかったのか、という疑問も出て来るかと思います。<<

「自覚的な聖使命会員」の意見がくまなく反映されていたかどうかは、各教区の対応の仕方によると思いますので、教区ごとに差があったのではないでしょうか。これは「代表者会議」の意見が教団運営に反映されるようにすることとは別に、検討すべき課題だと思います。

486tapir:2016/10/27(木) 11:29:25 ID:AwV5D.Gg

>>282 「考える」管理人◇日野様


>>例えば、青年会においては青年会中央委員会が最高議決機関です。「青年会ヴィジョン」も中央委員会で決定されました。代表者会議も同じような機関だったのでしょうか?理事会と代表者会議の関係等がどうあるべきかについても、ご教示いただければ幸いです。<<


青年会中央委員会と「代表者会議」の現在の関係の「正式な位置づけ」は、私にはよく分かりません。

ただ、「運動方針(案)」を「代表者会議」で審議できた時代に、「運動方針(案)」の中に「青年会ヴィジョン」が入っていたとすれば、他の組織代表が質問することは出来たでしょう。

例えば、「過去の青年会の綱領との関係について詳細な説明が必要ではないのか」などと提案する人が出たかも知れませんが、既に決定していると言われれば、そのような意見をあえて出す気にはなれなかったのではないでしょうか。


理事会と代表者会議の関係等がどうあるべきかについて、以前、トキ様が次のように書かれていました。

>>*重要な事項は、代表者会議の過半数の賛同を必要とする。

私もこのトキ様の意見に同感です。

(自覚的な)「聖使命会員」の意思を「総会」のような形で反映できないのであれば、「聖使命会員」が決定権を教区五者に委任して、生長の家本部(総裁・理事会)が主催する「代表者会議」において五者が「聖使命会員」の意思を代表して教団運営に参画することが次善の策ではないかと思います。

そのためには「代表者会議」を名実ともに、「自覚があって組織運営に参画したい聖使命会員に委任された代表者の会議」にする必要があると思います。

なお、ここで「株主」というのは、世間一般に多く見られる投機目的の株主ではなく、「法人」を支援し誠実にその発展を願うという、本来の意味での「株主」であることを、念のためお断りしておきます。

487tapir:2016/10/27(木) 11:35:47 ID:CxVXlSJM

>>486

「他の組織代表」というのは、青年会教区委員長ではなく、講師会長、相愛会連合会長、白鳩会連合会長を指します。

488tapir:2016/10/27(木) 11:53:54 ID:CxVXlSJM
>>487

すみません、再度、訂正します。


>>486

訂正後:「他の組織代表」というのは、青年会教区委員長ではない、講師会長、相愛会連合会長、白鳩会連合会長を指します。



今から外出しますので、コメントをいただいてもすぐにご返事できません。ご了承ください。

489トキ:2016/10/27(木) 12:05:28 ID:Ur9KpkaU
 「青年会宣言綱領」について。

 青年会宣言綱領は、第1回青年会全国大会に集まった各教区の青年会の代表者が本部に
集まり、激しい議論の末に原案が修正され、採択されました。この会議に出席した人の
大半は故人ですが、現在でも健在の方に話を伺うと、たいへん激しい議論が展開され、
その熱心さには驚いた、という証言を得ています。

 また、あの交通事情が悪い時代に、全国の青年会の代表者が何日もかけて東京に集ま
ったのも特筆すべきです。

 対して、「青年会ヴィジョン」なるものは、青年会会員は、機関誌を読んで、初めて
内容を知った、というものです。おそらく、青年会中央委員会でのみ審議されたものと
想像されます。

 なお、以前、機関誌に掲載された「両軸体制」ですが、おぼろげな記憶ですが、総裁
ご自身が「失敗だった」と表現されたご文章を拝読したと思います。時間があれば、ま
た、調べてみます。

 以上、雑感ですから、無視してください。

490tapir:2016/10/27(木) 22:51:41 ID:CxVXlSJM

>>489 トキ様

コメントをいただき、ありがとうございました。

「訊」様がまとめて下さった

>>改変の中味であるが、それが果たして本当に『御教えの否定』に該当するのか否か<<

ということを論じるために、いろいろ書いているうちに、総裁ご夫妻の問題は、御教えの改変や『御教えの否定』というより、トキ様の書かれた作為、不作為で、説明できるように思えてきました。

すなわち、①御教えに照らして実行すべきでないことを実行する、②御教えにおいて当然実行すべきことを実行しないことにあるのではないかと。

① の例は、御祭神の変更、新経本の発行、国際平和信仰運動の追加等
② の例は、『生命の實相』裁判における和解勧告に応じない、聖使命会員の意思を運動に反映しない等。

また総裁ご夫妻の作為・不作為で特徴的なのは「縦の秩序の軽視」だと思います。

縦の秩序の軽視は、
社会的に言えば、年上や目上の人を尊敬しないこと。
時間的に言えば、御教えに貢献した先人(谷口雅春先生とその弟子たち)を尊敬しないこと、歴史上の人物を尊敬しないこと。
「神」「上」を尊敬しないこと。

があげられます。

 過去の先人が心血をそそいで作成したもの(青年会宣言綱領)を無視して、促成で作った新しいもの(青年会ヴィジョン)を施行することにも、縦の秩序の軽視が現れています。

>>機関誌に掲載された「両軸体制」ですが、おぼろげな記憶ですが、総裁
ご自身が「失敗だった」と表現されたご文章を拝読したと思います<<

私が読んだものは「小閑雑感」の「2010年8月11日 ネット時代の運動を考える (6)」にあります。引用した言葉は最後の段落に出てきます。

http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue/2010/08/index.html

ご参考までに。

491tapir:2016/10/28(金) 10:34:10 ID:CxVXlSJM
>>474 「訊」様   

続きです。

話が、横道にそれてきたような気がするので、元に戻します。


>>「文章や講話に接する限り純子総裁だが、谷口雅春先生の御教えの改変を意図しているとは考えられない。表面上はそう言えるのだが、しかしながら現場に下りて来る方針の中にはその、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。(岡氏解任や経本、三神勧請等)その改変の中味であるが、それが果たして本当に『御教えの否定』に該当するのか否か、それを話し合いたい」<<



私は、「訊」様の「本流対策室 3687のコメントがこの問題の本質をよくあらわしていると思いました。

「訊」様の3687コメントの要点をまとめせていただきました。まとめ方が違っていましたらご訂正ください。


(1)総裁ご著書『生長の家ってどんな教え』は良書である。実相と現象の峻別の説明が素晴らしい。

(2)「総裁=左翼」という批判の仕方は間違い。「左翼」だという「根拠」がない。

「総裁は大東亜戦争を否定した」のではない。総裁が完全否定したのは〝500%美しい日本〟という妄言。戦争の理念は素晴らしかった、しかし戦時国際法的に見たらどうか? と提議したのが総裁。総裁主張の「真珠湾=戦時国際法違反行為」は誰も否定できない。

(3)総裁が批判されるべきは「組織運営上のスットコドッコイぶり」


冒頭の「論点」に照らせば、こうなります。


(1)(2)文章や講話に接する限り純子総裁は御教えの改変を意図しているとは考えられない。 純子総裁は谷口雅宣先生の教えを擁護している。谷口雅宣先生の文章には素晴らしいものがある。

(3)現象に下りて来る方針の中には、スットコドッコイ(めちゃくちゃ)なものがあり、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。


前半(1)は、これまで書いたことで概略説明ができたように思いますが、問題は後半(3)です。

492tapir:2016/10/28(金) 10:36:11 ID:CxVXlSJM

>>474 「訊」様   


(3)の命題を考える前に、確認したいことがあります。


光明化運動は「現象」か、「御教え」かということです。


・光明化運動は「現象」である。(雅宣総裁説)

・光明化運動は「御教え」である。(榎本恵吾説)


生長の家教修会に出席した方の話では、谷口雅宣先生と榎本講師のやりとりは、かなり衝撃的な場面として、記憶しているとのことです。

谷口雅宣先生が、「光明化運動は現象でしょ。そうじゃないですか?」と答えられたことに対して、榎本講師は「現象ですか!」と言ったきり絶句したそうです。


前のコメントで、私はこう書きました。

>>10数年前の生長の家教修会で、故 榎本恵吾講師が谷口雅宣先生に質問された時に、谷口雅宣先生が「人類光明化運動は現象です」と答えられたと聞きました。現在も谷口雅宣先生が同じ考えを持っていらっしゃるかどうかは知るすべがありませんが。<<


最後の一行について、谷口雅宣先生が『歴史から何を学ぶか』172頁に次のように書かれているのを、本日、見つけましたので、これが現在の谷口雅宣先生のお考えだと思います。


文中で「そういうふうに」「こういうことは」というのは、この文章の前で、「生長の家教規」改正のことを話されたことを指します。


『まあ、そういうふうに我々の運動は、昔から完全であったわけではない。私が午前中に「我々の運動は現象だ」と言ったら、びっくりされた人もいたけれども、こういうことは皆、現象でしょう? 違いますか? 「条文の表現」がどうだこうだというのは、明らかに現象に属することですね。そういう意味で「現象」と言ったのですよ。「実相世界に根拠のない運動だ」という意味でいったのではない。我々の運動の根源が実相世界にあったとしても、それが現象として現れてくる時には、現象人間としての我々はまだ不完全な知識しか持っていないし、能力面でもまだ百パーセント〝神の子〟の本質が発揮されているわけではないから、どうしても不完全な形のものを表現してしまう。その不完全な部分は改善したり、改正すればいいんですよ。間違いは改め、訂正すればよろしい。』

(『歴史から何を学ぶか』172頁)



この御文章は一見、整合性があるように思えるのですが、「訊」様、トキ様、皆々様、どう思われますか?



私は、総裁が「運動は現象である」との認識を持っていらっしゃることが、過去の運動をどんどん改変して、御教えに深くかかわる御祭神まで改変したことにつながるような気がしています。


「細部に神が宿る」という言葉がありますが、運動で使う言葉(例えば青年会宣言綱領)に「神が宿る」と思えば、軽々しい扱いはできません。一方、運動で使う言葉が「不完全な現象」と思えば、簡単に破棄してよいことになります。

493トキ:2016/10/28(金) 11:17:37 ID:jbE.sa06
>>490

>>tapir

 ご丁寧なご教示に深く感謝申し上げます。

 これは、本題とは関係がないのですが、総裁の両軸体制に対する感想は、他人事のようで
少し違和感を覚えました。両軸体制自体は、総裁のご発案で始まったとご本人が言われてい
ました。つまり、彼が責任者だったわけで、それが上手くいかなかったなら、こういう言い
方はないとは思いました。

 現場が何か失敗したら責任を追及されるのに、要職にある人が失敗しても責任を問われない
というのは、どうかと感じました。

 話が脱線して、すみませんでした。


>>私が読んだものは「小閑雑感」の「2010年8月11日 ネット時代の運動を考える (6)」にあります。引用した言葉は最後の段落に出てきます。

>>http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue/2010/08/index.html

>>ご参考までに。

494「考える」管理人◇日野:2016/10/28(金) 12:54:24 ID:GqhqrNpo
>>489

青年会中央委員会に当時所属していたからが知り合いにいますので、私が知りえた情報を述べさせていただきます。

まず、「青年会ヴィジョン」の制定自体は、かなり以前から青年会中央委員会において議論されていたことであるようです。守秘義務が課せられていたのかはわかりませんが、結果的に秘密裏に話が進んでいたようです。青年会中央委員会の委員は各地の教区青年会の委員長を兼任しているので、議論には時間がかかった模様です。

(※生政連の活動停止の決定も、秘密保持が保たれた状態で理事会が決定しました。路線変更を行う際には、こうした方式は有用であると思います。)

今の会長先生の代になってからは、SNSにおける秘密グループで中央委員会のメンバーらが活発に議論し、原案を定めましたが、正式な案は二度の中央委員会召集を経て決定されたということです。尚、青年会の規約改正には中央委員会を通過する必要がありますが、「ヴィジョン」の場合は『人類光明化運動要綱』の改正でもあるため拡大最高首脳者会議の承認が必要で、拡大最高首脳者会議から二度にわたる訂正要求があり、それに応じて三度中央委員会が開催されたそうです。(SNSでの議論も、当然活発に行われていました。)

こうした五回以上に及ぶ中央委員会での審議を経て、現在のヴィジョンが制定されました。秘密裡に審議されたのは生政連活動停止も同じですし、決定のプロセスに大きな問題があったとは思いません。

495「考える」管理人◇日野:2016/10/28(金) 12:57:57 ID:GqhqrNpo

>対して、「青年会ヴィジョン」なるものは、青年会会員は、機関誌を読んで、初めて
内容を知った、というものです。<

これは事実に反します。組織会員には機関誌掲載の前から、各教区青年会から「青年会ヴィジョン」の制定を通知する文書が送られていました。

少なくとも、私の場合は機関誌掲載の前から「宗教法人生長の家青年会兵庫教区青年会委員会」名義で通知文書が来ていたと記憶しています。

496トキ:2016/10/28(金) 13:45:55 ID:jbE.sa06
>>495

>>これは事実に反します。組織会員には機関誌掲載の前から、各教区青年会から「青年会ヴィジョン」の制定を通知する文書が送られていました。

 私の所属する教区の場合、青年会の会員は機関誌を読んで初めて知ったと話していました。

だいたい、中央委員会だけでこれほど大きな事態を議論するのは、密室での話し合いと言うのです。

497トキ:2016/10/28(金) 14:05:19 ID:jbE.sa06
>>494

 青年会で活動をした経験のない方のために「青年会中央委員会」について説明します。

全国に59ある教区の青年会は、それぞれ複数の青年会をまとめて「ブロック」と称する集団
にまとめられます。そのうち、本部が適任と思われる人物を代表者として選び、その人を
「青年会中央委員」とします。当然、本部の方針に忠実な人物が選ばれます。

 記憶に間違いがなければ、北海道、東北、関東、信越、中部、近畿、中国、四国、九州の
ブロックがあります。(人物がいる場合は、一つのブロックから2名が選ばれる場合もある
みたいです。)

 これにプラスして、本部の青年会部の職員のうち、専門の運動を担当している人も、それ
ぞれ「青年会中央委員」として選出されます。これらの人たちは、職員ですから、本部の
方針には忠実です。

 つまり「青年会中央委員」とは、本部の方針に異論のない人たちから選ばれています。

 「青年会中央委員」の総数も、15名以上、30名未満かと思います。その半分は職員です。
今でも1000人以上の青年会会員はいると思われます。すると、代表率は1%未満と考えても
よいでしょう。

 これが声高に「立憲主義」だの「民主主義」を叫ぶ組織の意思決定というのは矛盾すると思い
ます。

498「考える」管理人◇日野:2016/10/28(金) 14:50:39 ID:GqhqrNpo
>>497

そういうトキさんも、理事会が密室で決めた生政連活動停止には賛成だったのでしょ?

地方信徒さんも同様だったと思います。生政連活動停止も「密室での決定」にはならないでしょうか?

立憲主義や民主主義は、国政においては必要な制度ですが、組織運営については規約通りの運用が行われていれば余程のことがない限り問題はないはずです。

499トキ:2016/10/28(金) 15:38:22 ID:jbE.sa06
>>498

 「生政連活動停止」が組織に重大な損害を与えたのは、その結論ではなく、
意思決定の過程が不明朗だったからです。活動をしていた人にとって、いき
なり二階にあげてハシゴを外されたような、極めて問題のある決定だったの
です。普通の感性なら、そうです。

>>組織運営については規約通りの運用が行われていれば余程のことがない限り問題はないはずです。

 ここまで組織が混乱し、会員が激減しているのは「余程のこと」です。

500トキ:2016/10/28(金) 15:47:16 ID:jbE.sa06
追伸

 日野君の投稿は、訊け様とtapir様のやりとりの妨害になる可能性があるので、
別の板でお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

501トキ:2016/10/28(金) 15:48:04 ID:jbE.sa06
>>493

tapir様へ継承が抜けていました。
失礼を深くお詫び申し上げます。

合掌 ありがとうございます

502tapir:2016/10/28(金) 22:49:56 ID:CxVXlSJM

>>501 トキ様へ

どういたしまして。

どうぞ気になさらないでください。

合掌。

504「訊」:2016/10/29(土) 06:20:58 ID:otzau7q6

(トキ理事長、論点違いの>>503文は削除下さいませんか?意味不明過ぎです・・・・)

>>tapi様


 もう、全て、全てを精読しております。スゴイ!

 貴殿側疑問のご所在ですが、いずれも良質のものでございまして、弁護人である当方は現在、フラフラとしております。さて、月末激務期にてなかなか返信が出来ずにおりますけれども、お問い合わせを受けた>>492にのみ返信をさせて頂きます。(なお>>491の御まとめですが、当方主張内容は御貴殿の要約で間違いはございません)




 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>>492

>>>この御文章は一見、整合性があるように思えるのですが、「訊」様、トキ様、皆々様、どう思われますか?<<<


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


 当方感想の結論、それは、


 「但し書きは必要になるが、それでも、榎本恵吾説の方が正統」

 
 と云うものになります。意味を解説致します。


 先ず「但し書きが必要となるが」とは、「総裁ご発言の背景に関する確認」を意味します。(後述しますが)まあ、御教えにおいては「実相独在」なのですから、その意味で榎本先生のお嘆きも理解出来るのではありますけれども「発言の背景」が重要だと思います。「運動であれ現象ですよね?」の総裁ご発言が「どのような議論の流れの中の、どのようなタイミングで飛び出したものなのか」は案外、重要だとは考えてますしその意味で、適確か否かの判定は現時点では、避けるべきかとは思っているためです。ゆえに背景が未確認ですと、なかなか判断はつかないのではありますが、「それでも」という方向での話をしてみます。


 さて「それでも」部分のお話ですが当方は「それでも榎本先生説が正しい」と思います。>>492の総裁に拠る「実相か現象か」解説を拝読しますが、この箇所に注目しました。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

(総裁ご発言)間違いは改め、訂正すればよろしい。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


 詳しくは本日か明日にでも書こうと思いますけれども、たぶん、榎本先生のお嘆きはこんな意味だったと思います。憶測ですが、



 「それでは総裁先生、間違いを改め、訂正する我々も現象ってことになりませんかね?」


 と。


 (「たぶん」ですよ)


 総裁先生に於ける>>492(『歴史から何を学ぶか』172頁)ご発言ですが、総裁真意を問う必要があると考えます。この文章を拝読する限り総裁から「間違いは改め、訂正すればよろしい。」と云われたならば我々は、こんな質問をするのが誠実だと思いますし、その質問とは「それでは総裁先生、間違いを改め、訂正する我々も現象ってことになりませんかね?」と云うものになろうかと思います。


 ・・・・・・・あ、時間切れです。「榎本恵吾説の方が正統」部分の理由説明、ですが、今夜か明日にでももう少し厚めに、書いてみようかと思っております。







追伸

 某地方自治体の某部署より「ぼーだいな提出資料」を求められておりまして、しかも、この担当官がドラマにそのまま出てきそうな位の公務員クンなんです(笑)しかも、イジワルでホント、困ってます(笑)なのでレスは遅れると思いますが、なにとぞご海容の程を。

505tapir:2016/10/29(土) 12:20:07 ID:CxVXlSJM

>>504 「訊」様


ご多用の中、コメントをいただき、ありがとうございました。


榎本恵吾様がどのような質問をされたかは、話してくれた方は詳しく覚えていないそうです。
(岡先生なら、覚えていらっしゃるかも知れません。)

ただし『歴史から何を学ぶか』75頁、谷口雅宣先生の「まとめの講話」の中に、

『私たちの運動は「現象」だということです。違いますか?』

という言葉がありましたので、この「まとめの講話」に関連しての質問ではないかと推測しています。


のちほど、この部分を書き写してアップしたいと思いますが、私も今から明日まで用事がありますので、あまり投稿する時間がありません。

というわけで、どうぞ、お仕事にご専念下さい。

ゆっくり進めて参りましょう。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

524「訊」:2016/10/30(日) 00:50:48 ID:UwmMP2MI

>>505 tapir様

 ありがとうございます。

 さて、今後の議論活発化のための、良質の資料をご紹介致します。以下スレッドの投稿1番からご拝読賜りたいのでありますが、復興Gさまご紹介の「榎本恵吾先生御文章」です。特に、組織問題に関して触れておられます。


○  『神癒の展開としての人類光明化運動』―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―  榎 本 恵 吾 
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/-100


 私も今から再度読み込む予定にしております。





525「訊」:2016/10/30(日) 01:10:53 ID:UwmMP2MI



>>505 tapirさま



 「我々の運動は現象でしょう?違いますか?」な総裁先生ご発言、ですが榎本先生が「現象ですか!」と言ったきり絶句された理由、これは以下が根拠だと思われます。榎本恵吾先生の御文章より紹介します。


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 「生長の家人類光明化運動」 は、神がおはじめになり、神が為し給うている運動である。完全なる癒しのみがあり、絶対の癒し、すべてのすべてなる癒しなるものそのもの即ち神が運動をおはじめになりて、癒しそのものが運動をしているのである。それ故、この運動は永遠久遠の運動なのである。永遠久遠なるものがおはじめになり、永遠久遠なるものが為し給うているのである。

  「元(はじ)めを元めとして、元めの元めに入る」 という古来からの言葉がある。元めが渾てなのである。元めとは神ということである。そして今ということである。なぜならば、神は渾ての渾てであり、神は今であるからである。

 神にはやり直しということは有り得ないのである。やり直しのない出発が 「生長の家の人類光明叱運動」 なのである。

 やり直しがないとは、神であり、實相ということである。

 神は 「そのままでよい!!」 と宣言されているのである。 「生長の家人類光明化運動の発進宣言」 とは、 「そのままでよい!!」 との神の宣言ただ一つなのである。

 「そのままでよい!!」 とは、まことの光りということである。

 「神、光りあれと言い給いければ光りありき」

 これが 「生長の家人類光明化運動」 の発進の宣言であり給うのである。それ故、生長の家は久遠の昔から在り、 「生長の家人類光明化運動」 も久遠の昔から在りつづけなのであり、天地(あめつち)と偕(とも)に窮(きわ)まりなかるべし、なのである。

 神には練習は有り給わないのである。神が 「光りあれ」 という練習をされ給うたであろうか。神が天地創造をされるに当たって、リハーサルをされ給うたということは有り得ないであろう。

 それ故、神の 「光りあれ!!」 との宣言によって発進した 「生長の家人類光明化運動」 には練習はないのである。ただただ偉大なる本番のみの純粋なる持続、完全の持続、天国の持続、完全なる癒しそのものの持続があるのみなのである。絶対の癒し、みずから癒しそのもの、みずから甦りそのものである 「人類光明化運動」 があるのみなのである。

(全文http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/54


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽




 そしてこれが、>>504で当方が述べたところの「但し書きは必要になるが、それでも、榎本恵吾説の方が正統」の理由になります。要約すれば「そのままで良い!という部分に命懸けとなる生き方」が榎本先生の御主張と云えましょう。ですので「間違いは改め、訂正すればよろしい。」なる総裁ご発言ですが、ズレていると思います。(もしくは「生長の家総裁としてふさわしい」物言いが、他にもあったのではないかと感じます)





526tapir:2016/11/01(火) 18:30:16 ID:CxVXlSJM

>>524 「訊」様


考えの整理もコメント作成も、まだ途中なのですが、時間がかかりそうなので、経過報告をいたします。

榎本恵吾先生の文章を紹介していただき、有難うございました。

これまで、榎本先生の文章は目を通す感じでは読んではいたのですが、谷口雅宣先生の文章と比較して精読したのは初めてでした。まだ、読んでいる途中ですが、とにかく驚きました!


何に驚いたかというと、一言でいえば「すべての答えがここにある!!」という言葉になります。

詳しくは追って書かせていただきます。

まずは途中経過のお知らせまで。

527tapir:2016/11/02(水) 23:07:34 ID:CxVXlSJM

>>504 「訊」様


谷口雅宣先生の文章を読んでから、榎本恵吾先生の文章を読んだことによって「訊」様の


>>「榎本恵吾説の方が正統」

がはっきりしてきました。


最初に、谷口雅宣先生の『歴史から何を学ぶか 平成十五年度 生長の家教修会の記録』の文章を、少し長くなりますが、引用いたします。


「生長の家教修会」は、生長の家副総裁御指導の下に本部講師・本部講師補が集まる教修会です。その第一回教修会の記録が、『歴史から何を学ぶか』です。(谷口雅春先生の時代以来、途絶えていた「教修会」の再開は画期的なことだったと思います。)以下の文章は、午前中の3人の本部講師による発表の後の谷口雅宣先生の「まとめの講話」の文章です。

午前中の発表のタイトルと発表者は以下の通りです。

1、 大東亜戦争をめぐる〝評価〟の変遷               妹尾壽夫
2、 実体験に基づき、谷口雅春先生の教えの意味などを語る      良本峯夫
3、 日本における戦後の〝愛国運動〟の意義             森田征史
4、 まとめの講話                         谷口雅宣


4、「まとめの講話」の中に、「運動は現象」の言葉が出てきます。

「まとめの講話」の中から、2か所の文章を引用いたします。

「運動は現象」は、2番目に引用した中にあります。


『まず第一に考えるべきことは、私たちの運動は何であるかということですね。私たちはもちろん現象世界に生きているのですが、谷口雅春先生は何を説かれたかというと、「実相世界」を説かれたのです。そういう世界があるということを説かれた。違いますか? 「現象世界はこうなっている」という、現象の分析を中心に説かれたのではなくて、実相世界という素晴らしい神の国、仏の浄土が実在するということを一生かけて説かれた。それが生長の家の中心教義です。しかし、その一方で、仏教でも説かれている唯心所現の真理も説かれた。これは現象世界の話です。ですから、先生が厖大な著作の各所に書かれているお言葉というものは、これは実相世界のことを語っているのか、それとも現象世界のことを語っているのかを、我々がきちんと判別して理解しないといけない。そこが一つの重要なポイントだと思います。
特に午後のシンポジウムで話されると思いますが、生長の家の運動の特徴というものは文書伝道であるということを皆さん十分ご承知だと思います。文書伝道というものは、教えの元である指導者の方が直接真理を文字によって説かれるわけです。キリスト教や仏教では口伝や聞き書きが主で、教祖自身による記録が現在残っていないから、いろいろな問題が起こる余地があることは皆さんご存知だと思います。しかし、その反面、教祖が書かれた文書が多く残っているということが、逆に問題を惹起することがある。どうしてでしょうか? それは、雅春先生はほとんどあらゆる種類の状況において、現象のことも語られたし、実相のことも語られたからです。それらすべてが残されていて、それはすべて雅春先生自身のお言葉だから。逆に誤解の原因となる。我々、読む側の人間がいちいちそれを注意深く判別して理解しなければならない。特に、先生の生きられた時代を知らない後世の人間が昔の先生の御文章を読むときには、注意が必要です。雅春先生は、ある時期には「日本は聖戦をやっているのだ」と確かにおっしゃった。しかし、また別の時期には「これは聖戦ではない」とおっしゃった。「こんなつまらない戦争を支援するわけにはいかない」とさえおっしゃった。では、先生の真意はどこにあるのでしょう?
これを判断することはきわめて重要であり、そして困難な場合もある。そのための一つのポイントを申し上げますと、先生のお言葉には、実相についての記述と現象についての記述があるということです。』
(『歴史から何を学ぶか』「まとめの講話」71頁〜72頁)

528tapir:2016/11/02(水) 23:10:09 ID:CxVXlSJM

>>504 「訊」様

『しかし、私たちは普通そういう意味では「聖戦」という言葉を理解しない。「聖戦」と聞いたら、それは現実に日本軍が中国人とか韓国人とかアメリカ人を刺し殺すことが神の意思であると、そういうふうに考えてしまうことが多い。ですから、その辺のところが重要で、我々は「現象」の側から世界を語っているのか、「実相」の側から語っているのかというところが、重要なポイントとなってくると思うのですね。
皆さんの記憶の新しいところから申しますと、妹尾さんの発表の中でも「大東亜戦争の評価」という言葉が出てきましたけれど、これは厳密に言えば正しい表現ではない。大東亜戦争は、本質的には「迷いと迷いとが相打って滅びて行く」という普通の戦争と変わらないものだから、実在の世界には初めから存在しないものである。だから、そういう「迷い」を〝評価〟する必要はない。そうじゃなく、迷いと迷いが相打っていく中でも、その過程において「実相」がより明らかに現象世界に投影されていくところもあるのだから、その「迷いでない部分」を評価する。分かるでしょう? それがアジア民族、アフリカ民族の独立です。それは確かに日本が一時期、「大東亜共栄圏」とか「大東亜民族の共存」とかいう標語を旗印にしました。それはそれでいいんですよ。そこのところは実相が現れつつある部分ですから。しかし、そういう政治標語と戦争とは同一ではない。歴史を勉強すればすぐわかる通り、戦争の本質は破壊であり人殺しなんですよ。破壊や人殺しを通じて、お互いの迷いが ―― これは日本だけの迷いだけじゃなく中国の迷いもあるし、アメリカの迷いもあるし、イギリスの迷いもある ―― そういうものが崩壊していく悲惨な状況が戦争の本質である。だから、そういう迷い全体を指して呼ぶ「大東亜戦争」というものは評価しない、というのが正しい。「戦争」を評価するのでなくて、その迷いを通じて以前より真理が明らかに現れてきているという、「光明」の部分を評価する。この言葉の使い方を間違うと、危ない。一つ間違うと単なる右翼になってしまう。単なる民族主義や国粋主義になってしまう。日本人だけが繁栄すれば、他の国の人々がどんな悲惨な目に遭ってもそれは正しいと考える、そういう我々の信仰とは何の関係もない考え方に陥ってしまう。このところを是非、皆さんに確認していただきたいのです。
それからもう一つ重要だと思うのは、私たちの運動は「現象」だということです。違いますか? 
 皆さんは肉体を使ってこの運動をしているでしょう? 私も今、「声帯」という肉体の一部を振動させて、皆さんの前で話をしている。我々の感覚でとらえられるものは、「声」も「人の姿」もすべて現象ですよ。私が今、心の中で言おうとしていることが、「声帯」という肉体の器官を使わずに、すべて以心伝心で皆さんに伝わるならば、講話などする必要は何もない。けれども残念なことに、現象世界はそういうふうになっていないので、私は現象界の手続きを踏んで ―― 自分で論理的に、順序立てて考え方を組み立てた後、皆さんの前で声帯を震わせて、時間の制約に制限されながら話をしているわけです。そして、言葉が現象であるならば、我々の運動は当然現象です。なぜなら、我々の運動は言葉の運動なんですから。

529tapir:2016/11/02(水) 23:10:50 ID:CxVXlSJM

>>504 「訊」様


 では、「運動は現象だ」ということは、何を意味するでしょう? 私たちは「現象世界は不完全である」と学んでいる。とすると、我々の運動も不完全なのです。どう思います? 不完全でしょう? 例えば、運動目標を達成しない教区はたくさんある。また、日本全体で運動目標が達成できないことも珍しくない。それを「完全」とは言えないですよ。我々のやろうとしていることは実相世界の顕現であるけれども、その過程では転んだり、泣いたり。笑ったりするではないですか。それでいいんですよ。だから、それと同じように我々の運動もつまずくことがある。倒れて起き上がることもある。その事実を認めないといけないと思うのです。「倒れた」と認めなければ、次に「起き上がる」ことはできない。そうしないと、歴史から何も学ぶことができない。
 谷口雅春先生は、確かに素晴らしい実相世界を説かれました。しかし、現象世界にどのようにして実相を現すかということについては、大変悩まれました。何回も試行錯誤されています。それは森田講師の発表を聞いても分かるでしょう? 生長の家がやろうと思ったことが、現象的にはできなかったことは数多くある。その理由を、森田さんは「それは私たちの信仰が足りなかった」とおっしゃるけれども、そういう理由も一部あるかも知れないけれども、それだけじゃない。現象の運動というものは、つまずいたり倒れたりするのが当たり前です。日本が戦争に負けたのもそうである。だから、先生がいろいろな所 ―― 本や月刊誌、講演などで説かれている様々な方策というものも、必ずしも全てがうまくいったのではない。我々はそのことを認めなければいけないでしょう。そして、そこから私たちは学ぶのです。学ばないと意味がない。単に私たちの信仰が足りなかったとか、人の数が足りなかったとかいうのでは、理解が足りません。それは本当の原因じゃなくて、それはむしろ結果なんですよ。我々自身に対して、もっと真剣な問いかけが必要です。なぜ、信仰が足りなかったのですか? なぜ、信徒の数が不足していたのですか? 不足していたのに、なぜ、それが分からなかったのですか? なぜ、我々のやり方が世間から受け入れられなかったのですか? なぜ、我々の運動が政治家に利用されたのですか? そういうことを検証して原因を突き止めてから、初めて我々は前に進むことができる。そういう真剣な反省や分析がなかなか今までできなかった。ですから、それを今日をきっかけにしてどんどんやっていきたい。今まで、なぜか知らないけれどタブーだった色々のことにも挑戦すべきです。』(『歴史から何を学ぶか』74頁〜77頁)


引用は以上です。


本題に関係する部分で、以下の点に注目しました。


>>私たちはもちろん現象世界に生きているのですが、谷口雅春先生は何を説かれたかというと、「実相世界」を説かれたのです。そういう世界があるということを説かれた。違いますか? 「現象世界はこうなっている」という、現象の分析を中心に説かれたのではなくて、実相世界という素晴らしい神の国、仏の浄土が実在するということを一生かけて説かれた。それが生長の家の中心教義です。しかし、その一方で、仏教でも説かれている唯心所現の真理も説かれた。これは現象世界の話です。<<


>>しかし、その一方で、仏教でも説かれている唯心所現の真理も説かれた。これは現象世界の話です。<<


谷口雅宣先生が「縦の真理」と「横の真理」を説く時に、「横の真理」=「唯心所現」を「現象世界の話」とされているが、榎本恵吾先生の文章を読むと、「横の真理」は「現象無しと悟る事である」となっています。



>>その説明によれば、横の真理とは三界は唯心の所現ということ、即ち、現象無しと悟ることである、と 「現象無し」 が横の真理であると説明されているのである。<<

(18 :復興G:2013/07/03(水)   『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ― 「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―
             榎 本 恵 吾  十四)


総裁先生と榎本恵吾先生の説かれる教えは、次元が違うと思いました。(三次元と六次元くらい?)

悟りの深さの違いといってもよいと思います。

ゆえに榎本恵吾先生の説かれる「人類光明化運動」の見方が「正統」であると思います。

530tapir:2016/11/02(水) 23:51:44 ID:CxVXlSJM

>>525 「訊」様

「訊」様が引用された以下の榎本恵吾先生の文章は「生長の家人類光明化運動」の究極の説明になっていると思います。


>>「生長の家人類光明化運動」 は、神がおはじめになり、神が為し給うている運動である。完全なる癒しのみがあり、絶対の癒し、すべてのすべてなる癒しなるものそのもの即ち神が運動をおはじめになりて、癒しそのものが運動をしているのである。それ故、この運動は永遠久遠の運動なのである。永遠久遠なるものがおはじめになり、永遠久遠なるものが為し給うているのである。<<


それで「運動は現象」とのお言葉に、そのギャップの大きさに絶句されたのだと拝察いたします。


長々と引用した総裁先生の文章は、「タブーをなくそう」という宣言として新鮮なものを感じます。

けれども教えの解釈とその表現において、榎本恵吾先生の文章を読んだ後には、失礼を承知で申し上げますが、浅い解釈、拙い表現と言わざるを得ません。

「浅い解釈」は、榎本恵吾先生の文章との対比ではっきりしたと思います。


「拙い表現」について、谷口雅宣先生の以下の文章をあげたいと思います。(これも榎本先生の緻密な文章を読んでますます感じたことでもあります。)


>>皆さんの記憶の新しいところから申しますと、妹尾さんの発表の中でも「大東亜戦争の評価」という言葉が出てきましたけれど、これは厳密に言えば正しい表現ではない。大東亜戦争は、本質的には「迷いと迷いとが相打って滅びて行く」という普通の戦争と変わらないものだから、実在の世界には初めから存在しないものである。だから、そういう「迷い」を〝評価〟する必要はない。<<


(1)「評価」の言葉の意味が、妹尾講師の使い方と違っていること。
  妹尾講師は、谷口雅春先生が「大東亜戦争」について、プラスやマイナスの評価をされたという意味で「評価」という事がを使っているのに、谷口雅宣先生は、「評価」を「善いことと認める」の意味で使っているので、同じ言葉の意図的な置き換えが、文章の意味を分かりづらくしていると思いました。


(2)谷口雅春先生は「神が戦(たたかい)をさせているのではない。迷いと迷いと打合って自壊するのだと教えてある。」(『神示集』119頁「日本の実相顕現の神示」)と書かれているのを、『大東亜戦争は「迷いと迷いとが相打って滅びて行く』と総裁先生は言い換えている。

 理念としての「戦い」を現実世界の「大東亜戦争」に安易に置き換えてよいのかどうかに疑問を感じます。
 「戦い」が神の世界にないというのはその通りですが、歴史上の「大東亜戦争」にはプラス面とマイナス面があったと考えるのが普通だと思います。それを単純に「迷い」であると決めつけるのは、言葉の混同だと思います。


最初の論題ですが、

「文章や講話に接する限り純子総裁だが、谷口雅春先生の御教えの改変を意図しているとは考えられない。表面上はそう言えるのだが、しかしながら現場に下りて来る方針の中にはその、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。(岡氏解任や経本、三神勧請等)その改変の中味であるが、それが果たして本当に『御教えの否定』に該当するのか否か、それを話し合いたい」


御教えの改変を意図しているのではないが、御教えの浅い解釈、拙い表現が誤解を産み、総裁・生長の家本部と地方の幹部・信徒との間の意見の食い違いと、様々な問題の原因になっていると思われます。

『御教えの否定』に該当するか否かは、もう少し話し合ってから結論を出したいと思います。

531tapir:2016/11/02(水) 23:56:02 ID:CxVXlSJM
>>530

訂正いたします。


誤:妹尾講師は、谷口雅春先生が「大東亜戦争」について、プラスやマイナスの評価をされたという意味で「評価」という事がを使っているのに、

正:妹尾講師は、谷口雅春先生が「大東亜戦争」について、プラスやマイナスの評価をされたという意味で「評価」という言葉を使っているのに、

失礼いたしました。

532tapir:2016/11/03(木) 11:49:30 ID:CxVXlSJM

>>525 「訊」様


 前のコメントにおいて、


>>榎本恵吾先生の説かれる「人類光明化運動」の見方が「正統」である<<


と表現しましたが、「正統」と言い切ってしまうと、誰かが「異端」なのかという誤解を生じる恐れがあるので、谷口雅宣先生より榎本恵吾先生の見方が「より正統に近い」と訂正させていただきたいと思います。


>>榎本恵吾先生の説かれる「人類光明化運動」の見方がより「正統」に近いと言える。<<


 別の言い方をすれば、「久遠を流るるいのち」の表現において榎本先生の方が「より優れている」となります。

 「久遠を流るるいのち」を「光」に置き換えれば、榎本先生の文章が「より明るい光」を放っているとも言えます。

 「光」の明るさは、「人を癒し」救う力の大きさでもあります。



また前のコメントにおける谷口雅宣先生の文章の説明について、補足いたします。

谷口雅宣先生の文章では、重要な事柄において「人と価値観を共有しよう」という意思が不足しているように思います。

他の人(榎本恵吾氏、岡氏)や歴史上の人々(大東亜戦争関係者)について「その人・人々がどういう背景を持ち、どういう気持ちでいたのか」ということを想像する力が不足している、「想像力の欠如」と思われます。

*「想像力の欠如」は、谷口雅春先生が若い頃に愛読されたオスカー・ワイルド著『獄中記』に頻繁に出てくる言葉で、ワイルドは「想像力の欠如」を強く非難しています。



 けれども生長の家の悲劇は、そのような資質の方が「総裁」という地位に就任せざるを得なかったことでもあります。


「総裁」に就任されてから、谷口雅宣先生は谷口雅宣先生なりに真剣に努力されてきたと思います。

谷口雅宣先生が、本部講師の一人であれば、『歴史から何を学ぶか』で「タブーをなくして議論しよう」と言われたようにその個性を生かし、組織を活性化するカンフル剤として有効な働きをされたことでしょう。



谷口雅宣先生の問題は、「総裁」=「御教え」という地位が引き起こした悲劇であり、新・生長の家においては、このような「総裁職」を廃止することが歴史の必然であることを指し示していると思わざるを得ません。

533「訊」:2016/11/03(木) 12:16:24 ID:dGeandvQ


>>tapirさま


 良質のやり取りを継続くださいまして、誠にありがとうございます。生長の家関連のWEB掲示板は多々存在しますけれども、このスレッドで展開されるやり取り以上に良質なものは現在、存在しないと断言出来ることでしょう。tapirさまは例えば、一文をご投稿される際に5時間を推敲に充てられる方です。そして、教団を批判するばかりではなく、評価出来る面はきちんと称賛を贈られる方でもありまして「検察として最強」とも云えましょうが、願わくばもう少し、現教団擁護勢力による感想などにも接したいところと言えるでしょうね。(まあたぶん、誰も反論出来ぬのでしょうけど)「公平で公正で知的誠実さのあるやり取りの環境」ですが、そこで導き出される結論こそが本物に近いものでありましょう。

 ああ、長々と前口上を述べるのもナンですから、さっそく本題へ入ります。

 貴殿ご主張を読んでの感想ですが、その結論は「質問くらいはさせてよね、総裁先生」ってところです。現教団の問題点ですが、結局はコミュニケーション不足ってところに集約されそうな気がしているんです。御教えから外れているか否か?の判断ですが、「その前段階が不足している」って事になりまして、意味するところは総裁側も批判側も結局のところ「相手方の発言真意を未確認のまま、好き勝手な事を述べている」って事になりそうな情勢です。なんで「質問くらいはさせてよね、総裁先生」ってのが貴殿ご主張を読んでの感想ですが、その結論になりますか。




<「当方主張内容」のダイジェスト>

○ tapirさまご発言に対して現時点、一点を除いて全面同意致します。
○ 同意出来ない点は、「総裁職を廃止することが歴史の必然であることを指し示していると思わざるを得ません」の箇所になります。
○ やはり、現教団に関する問題は、御教えから外れているか否かの程度ではなく「単なるコミュニケーション不足」だと感じられます。
○ そして処方箋は、電話一本で解任されるような雰囲気ではなく「総裁へ真意の確認が可能な環境の整備」と云えましょうか。
○ 真意を確認し合えば案外、双方ともに「同じ内容を主張していた」って事も判明するのではないかと楽観できるのです。


 ってなモノになります。箇条書きにしましたが当方の感想は、上記のごとしです。時間があれば全主張をここに投稿してみたいのですが、その前に「再度tapirさまご投稿を精読したい」のと「月初激務期のため」との理由で後日に掲載する事をお約束致します。なお、当方投稿文掲載前にこの議論が、どんどん進んでいくことに対しても歓迎致します。なにか思いつかれた方はどしどしと、tapirさまに向けてのやり取りを呼びかけてみてください。(論点がかなり違う主張に対しては当方より、「その議論のやり取り停止を命じる」場合もございますが、原則的には弁士中止令は発しませんのでご安心を)





534「訊」:2016/11/03(木) 13:00:13 ID:dGeandvQ


 上げておきます。

535「訊」:2016/11/03(木) 17:15:46 ID:dzDgNoIw

>>tapirさま


 一点だけ総裁の弁護を致しますが、「対機説法である点は情状酌量の余地あり」ってな話になります。

 さて、当方は「榎本先生説>総裁説」と主張し、正統に近いのは総裁説ではなく、榎本説であるとしました。貴殿からもご同意を賜りましたけれども「対機説法である点は情状酌量の余地あり」、なのでありまして総裁の(貴殿ご引用部分)御文章ですがこれは、「現象もあるとし、実相もあるとする迷える信徒向けかも」な点は要注意だと思うのです。ここで、比較材料とされた榎本説を読みますと確かに澄み切った観があるのです。けれどもこれは同先生が、自らの実相一元の境地で説いているためでありまして、その点で総裁は迷える信徒も含めて講話を行う必要があったワケですから要注意かもしれません。つまり、総裁ですが「あのような物言いになったのは多種多様な信徒が目前にいるため」とも言えるのですよね・・・・・・・・雅春先生だってその種のお話し(あたかも現象があるかのような観点の話)は多用されておられますしね。

 「ただし」・・・・・・・・・って話も以下行いますが、ここからが本論になりましょうけれども「ただし」総裁先生説ですが、貴殿ご指摘の部分はあながち外れてはイナイとも思えるのですよね。「総裁は榎本先生に比べて現象に捉われすぎ!」な批判は的外れの可能性大とは申せ(既述弁護のごとく対機説法だからですね)、それでも、誤解を生みそうな表現も多々ございまして・・・・・・・・・・・ってことで、こうなるんです。当方としての感想は「総裁先生、やはり質問くらいはさせてくださいよ」と。「電話一本で解任になるなんて、それはあんまりですよ」と。つづけて「なぜなら雅春先生の御文章と比較して、雅宣総裁の御文章ですが『人に拠って解釈が違ってくる』からです」と当方ならば、主張するでしょうかね。


 総裁真意をしつこく確認する必要のある、そんな御文章なのです。ゆえに・・・・・・・・・・・せめて質問をする自由くらいはナイことには、誤解による教団崩壊、充分にあり得ると思います。雅春先生の御文章は読み手を選びませんでしたけれども、つまり、読み手によって解釈が違ってくる余地がナイのですが現総裁の御文章は、そうではありません。その辺は謙虚になられて現総裁、「私の文章は雅春先生に比べると誤解を与える余地が大きい」と御認めになられた上で、各信徒に質問をする自由くらいは与えて頂きたいです。クドイですが、電話一本で解任されるなんて、余りにナンセンスですよ。これじゃ真意は、伝わらない・・・・・・・・・






536tapir:2016/11/03(木) 20:57:02 ID:CxVXlSJM

>>535 :「訊」弁護人殿


>>「対機説法である点は情状酌量の余地あり」<<


谷口雅宣先生は、とても良い弁護人を得ることが出来ました。


たしかに榎本先生のように「実相世界」を重視する方は、御教えの大切な部分を人々に伝えて救済するには重要な役割を果たしますが、一方で、そのような方ばかりでは、組織運営が成り立たないのではないかとの懸念もあります。

組織運営には、現実を見つめて現象処理のできる人が必要であり、現象面の判断材料として、谷口雅宣先生のような対機説法が必要な場面もあると思います。

谷口雅宣先生が生長の家の組織運営に問題意識を持たれて改善を志したことは、プラスの意味で評価したいと思っています。榎本先生のように「実相世界」を見つめているだけでは進まないことも、総裁だから進めることができたこともあったと思います。


しかし、それでも、「訊」弁護人の言われる通り、雅宣先生の御文章には、問題があると思います。

人に説明しようと思うと、朗読しただけではちんぷんかんぷんで、「解釈」を加えて、解説しなければ伝わらない部分が多々あります。


>>「なぜなら雅春先生の御文章と比較して、雅宣総裁の御文章ですが『人に拠って解釈が違ってくる』からです」<<


雅春先生の御文章は読み手によって解釈が違ってくる余地がないが、雅宣先生の御文章は「人に拠って解釈が違ってくる」のは、訊け様の書かれている通りです。


対機説法であっても、谷口雅春先生の御文章は読み手によって解釈が違ってくる余地はないか、あったとしても極めてわずかです。

「訊」様の書かれた通り、雅宣先生の御文章は、「真意」が解らないのです。

私は、雅宣先生の御文章を、「真意が伝わらない」→「推敲が足りない」→「未完成」→「拙い」と決めつけてしまいました。


しかし、「訊」様は、谷口雅宣先生の御文章を「人に拠って解釈が違ってくる」とソフトに表現されています。


>> 総裁真意をしつこく確認する必要のある、そんな御文章なのです。ゆえに・・・・・・・・・・・せめて質問をする自由くらいはナイことには、誤解による教団崩壊、充分にあり得ると思います。雅春先生の御文章は読み手を選びませんでしたけれども、つまり、読み手によって解釈が違ってくる余地がナイのですが現総裁の御文章は、そうではありません。その辺は謙虚になられて現総裁、「私の文章は雅春先生に比べると誤解を与える余地が大きい」と御認めになられた上で、各信徒に質問をする自由くらいは与えて頂きたいです。クドイですが、電話一本で解任されるなんて、余りにナンセンスですよ。これじゃ真意は、伝わらない・・・・・・・・・<<


>>質問をする自由くらいはナイことには、誤解による教団崩壊、充分にあり得ると思います。<<


現在、表面化している問題の大半は、信徒・幹部の「質問をする自由」の保証と、質問に対して「誠意ある回答」がなされることによって解決するでしょう。


それが実現できればの話ですが・・・・・・

537しおん:2016/11/03(木) 21:50:52 ID:6hRUvSRg
転載、コメント板より

2647 :曳馬野:2016/11/03(木) 17:33:59 ID:EByvCsgM


トーキングスティック板/2  >>530 :tapir   >>「生長の家人類光明化運動」 は、
神がおはじめになり、神が為し給うている運動である。完全なる癒しのみがあり、絶対の癒し、すべてのすべてなる
癒しなるものそのもの即ち神が運動をおはじめになりて、癒しそのものが運動をしているのである。
それ故、この運動は永遠久遠の運動なのである。永遠久遠なるものがおはじめになり、
永遠久遠なるものが為し給うているのである。<<

それで「運動は現象」とのお言葉に、そのギャップの大きさに絶句されたのだと拝察いたします。


完全なる神の世界に癒しがあるのですか? 「この運動は永遠久遠の運動なのである」、のであれば
「始め」というものはありませんよね、「はじめた」という言葉が多用されていますが、
生長の家人類光明化運動というものは、現象の不調和をなくすために昭和五年に始まったと云うことですと、
「運動は現象」と いう言い方は可笑しくありません。

過去の悪想念惡行為が現象化して消える事そのものが神の、生命のの働きだと私は思います。
神が、生命が、今此処に働いているのが事実であるからこそ、現象の姿に心を止めず、凡てのものに感謝しましょう
というのではないのですか?過去とか未来とか現象の時間経過を心に留めていながら今の運動を考えればすべて
「現象の運動」と云えます。

生長の家では「永遠の今」と云いますが、ご存知の通り過去未来と云う時間の流れ、空間的な広がりの交差している
一点もない、現象的には一切所にそのまま働いている生命を捉えて『永遠の今』というものと考えます。
神の世界は完全であるという言い方をするのであれば、人類光明化ということ、癒しと云うことは存在しません。
あくまで現象有の視点から、不調和な世界が存在するとして、その解消を目的にするのであれば、
「運動は現象」と云えます。

しかし永遠の今に生きるのであれば、凡てに感謝する総感謝の生き方以外はありません。
本流派の方々が総裁の事を色々言われることも想念の消えゆく姿だけのものであり、
総裁が新たな運動提起するのも消えゆく姿だけのものでしょう。
現象の改善を目的とする人にこうすれば良くなるとの言い方をする、
しかし言葉でなく今永遠の命を生きる人は感謝の言葉、態度ですべての物を大切にする。

人間の生活改善により多くの関心が集まるところには、
ややもすれば教えにより個人の欲望実現が成就されるという期待を持たせてしまいます
。しかし大自然と云われるように、神の儘に其の儘あるのが自然でしょう。
人間が自然界の生物のように言葉なくしてそのまゝに生きる処が『永遠の今』の世界、
善悪の観念の生じない世界でしょう。完全と云う観念そのものが不完全なものがあるという認識に
対比して使われる観念です。「不完全」と云観念の無い人間に「善くしよう」「光明化しよう」という観念はありません。

「良寛」さんのような生き方になるのでしょう。

538しおん:2016/11/03(木) 21:52:05 ID:6hRUvSRg
転載、コメント板より
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1449898060/2654

539tapir:2016/11/03(木) 22:39:09 ID:CxVXlSJM

>>537 しおん様

ありがとうございます。

コメント版に以下の通り、曳馬野様へのご返事を書かせていただきました。

合掌、ありがとうございました。

>>2647 曳馬野様

コメントをいただき、ありがとうございます。


>>しかし永遠の今に生きるのであれば、凡てに感謝する総感謝の生き方以外はありません。本流派の方々が総裁の事を色々言われることも想念の消えゆく姿だけのものであり、総裁が新たな運動提起するのも消えゆく姿だけのものでしょう。現象の改善を目的とする人にこうすれば良くなるとの言い方をする、しかし言葉でなく今永遠の命を生きる人は感謝の言葉、態度ですべての物を大切にする。<<

この部分、曳馬野様の書かれた通りだと思います。

谷口雅春先生のお言葉に「感謝がすべてを癒す」というお言葉もあります。すべてに感謝することは本当に大切なことだと思います。


私のコメントの中の「究極の説明」という言葉の使い方は少しおおげさだったかも知れません。曳馬野様の解釈の仕方もなるほどと思いました。


また、「運動は現象」については議論が先に進んでいて、>>536 では、以下のように書かせていただきました。


>>組織運営には、現実を見つめて現象処理のできる人が必要であり、現象面の判断材料として、谷口雅宣先生のような対機説法が必要な場面もあると思います。

谷口雅宣先生が生長の家の組織運営に問題意識を持たれて改善を志したことは、プラスの意味で評価したいと思っています。榎本先生のように「実相世界」を見つめているだけでは進まないことも、総裁だから進めることができたこともあったと思います。<<


曳馬野様は、総裁先生を弁護する立場の方と拝察いたします。


ここで話し合っている元々の論題は、以下の通りですので、この論題について曳馬野様のコメントをいただければうれしく思います。

「文章や講話に接する限り純子総裁だが、谷口雅春先生の御教えの改変を意図しているとは考えられない。表面上はそう言えるのだが、しかしながら現場に下りて来る方針の中にはその、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。(岡氏解任や経本、三神勧請等)その改変の中味であるが、それが果たして本当に『御教えの否定』に該当するのか否か、それを話し合いたい」

540tapir:2016/11/03(木) 22:51:37 ID:CxVXlSJM

>>538 しおん様


私の気がつかなかった曳馬野様のコメントに答えていただき、ありがとうございました。

ご愛念に感謝申し上げます。

538は、ここの論題とは少し違う内容のようなので、ご返事はコメント版に書かせていただきます。

合掌、ありがとうございます。


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