したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

トーキングスティック板/2

476tapir:2016/10/26(水) 11:30:15 ID:CxVXlSJM

>>474 「訊」様へ


>>「文章や講話に接する限り純子総裁だが、谷口雅春先生の御教えの改変を意図しているとは考えられない。表面上はそう言えるのだが、しかしながら現場に下りて来る方針の中にはその、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。(岡氏解任や経本、三神勧請等)その改変の中味であるが、それが果たして本当に『御教えの否定』に該当するのか否か、それを話し合いたい」<<


>>文章や講話に接する限り白鳩会総裁が、谷口雅春先生の御教えの改変を意図しているとは考えられない。<<

についてですが、私はこう思います。


谷口雅春先生の御教えはあまりにも広大無辺です。広義の意味においては、宇宙全体が生長の家なのです。
ですから、「人間は神の子ではない」とか「天地一切のものに和解するな」とか「実相はない、現象のみある」と断言しない限り、生長の家の言葉を使って文章や講話をすれば、その内容の細部が違っていても「谷口雅春先生の御教えではない」と断言できないと思います。


御教えの広大さを表す例として、たとえば『生命の實相』第27巻に以下のお言葉があります。

「二 久遠のいのちに触るるもの

 『生命の實相』の著者は本当は「久遠を流るるいのち」なのである。釈迦も「久遠を流るるいのち」を把握したし、キリストも「久遠を流るるいのち」を把握したのである。そのほか空海、最澄、親鸞、日蓮もすべて「久遠を流るるいのち」を把握したのであろう。(中略)否、さらにそういういろいろの名だたる宗教教祖と言われる人だけではなく、仏典を結集し、聖書を結集した釈迦の弟子、キリストの弟子、されにそれに改竄を加えていった後代の弟子たちや、それを諸国の文字に移し植えた翻訳者たちも、また「久遠を流るるいのち」にある程度まで触れていたのである。」
(『生命の實相』第27巻、149頁)

「それ(仏典・聖書)に改竄を加えていった後代の弟子たち」も「久遠を流るるいのち」にある程度まで触れていたとまで書かれています。

 谷口雅宣先生、谷口純子先生が「久遠を流るるいのち」にある程度触れていることは、否定できないと思います。

このため454において、「谷口雅宣先生と谷口雅春先生が同格であると解釈できる御文章があった」ことにより、白鳩会総裁が谷口雅春先生の御教えに基づいて行動していると書かざるを得なくなりました。

そういう意味で、「白鳩会総裁が(故意に)谷口雅春先生の御教えの改変を意図しているとは考えられない」とも言えます。ただし、「故意に」という言葉を加えたいと思います。それは、「無意識的に」、「改変を意図している」ように今後、白鳩会総裁が行動する可能性が、私には否定できないからです。


>>表面上はそう言えるのだが、しかしながら現場に下りて来る方針の中にはその、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。<<


「組織運営」において、「現場に下りて来る方針の中にはその、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。」のは、多くの方が指摘しており私もそう思っています。

ここで、確認しておきたいのは、「組織運営」は「御教え」に含まれるのかという点です。

10数年前の生長の家教修会で、故 榎本恵吾講師が谷口雅宣先生に質問された時に、谷口雅宣先生が「人類光明化運動は現象です」と答えられたと聞きました。現在も谷口雅宣先生が同じ考えを持っていらっしゃるかどうかは知るすべがありませんが。

しかし、人類光明化運動は、現象的な側面もあるが、神意の地上的展開であるという「御教えの側面」があります。

私も、谷口雅宣先生がどう思っていても、「人類光明化運動」及びそのために必要な「組織運営」も「御教え」に含まれるという立場をとりたいと思います。

「御教え」であるということは、時代によって表面上の形が変わっても、元々の精神を変えてはならないということが言えると思います。

そういう意味で「現場に下りて来る方針の中にはその、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。」ことについて、「元々の精神」がどこにいったのか分からない混乱状態にあるということが、言えると思います。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板